浅川 純(あさかわ じゅん、1991年 - )は、日本の工学… 浅川 純(あさかわ じゅん、1991年 - )は、日本の工学者、実業家。高知県出身。 株式会社Pale Blue 共同創業者 兼 代表取締役。専門は航空宇宙工学。
高知県:70人
浅川 純(あさかわ じゅん、1991年 - )は、日本の工学… 浅川 純(あさかわ じゅん、1991年 - )は、日本の工学者、実業家。高知県出身。 株式会社Pale Blue 共同創業者 兼 代表取締役。専門は航空宇宙工学。
谷口 智一(たにぐち ともかず、1978年5月12日 - )… 谷口 智一(たにぐち ともかず、1978年5月12日 - )は、日本の実業家、株式投資家、会社経営者、プロレスラー、高知県観光特使。 ベストボディ・ジャパングループ会長、一般社団法人ベストボディ・ジャパン協会創設者、代表理事・会長、BEST BODY株式会社代表取締役社長、BEST BODY SECRET株式会社代表取締役会長 高知県室戸市佐喜浜町生まれ、高知市育ち。現在は自身が経営する会社の本社がある東京都内在住。学生時代は小中学校と野球少年であり、高校時代は甲子園で2度優勝している高知県の野球の強豪校、高知高校でレギュラー選手として活躍。卒業後は、大阪府警察本部警察官として主に機動隊員として勤務。
中西 聖(なかにし せい、1977年2月8日 - )は、日本… 中西 聖(なかにし せい、1977年2月8日 - )は、日本の実業家。プロパティエージェント株式会社創業者・代表取締役社長。 高知県高知市出身。高校中退後、大工になる。1992年西砂建設に入社し施工管理を学ぶ。1997年デベロッパーの大芳計画に入社。1998年不動産投資会社のヴェルシステムズに入社。 2004年プロパティエージェント設立。同社代表取締役社長として、東京都区部及び横浜市に特化した投資用マンションの開発を進めた。 2012年大連理工大学研修プログラム修了。2013年城西大学大学院経営学研究科イノベーション専攻修了、修士(経営学)。2015年明治大学大学院グローバルビジネス研究科修了、経営管理修士(専門職)。
芝 幸太郎(しば こうたろう、1973年11月8日 - )は… 芝 幸太郎(しば こうたろう、1973年11月8日 - )は、日本の実業家である。高知県高岡郡四万十町(旧幡多郡十和村)出身である。オフィスフォーティエイト代表取締役社長、株式会社グラッシーズ代表取締役社長。森林によるCO2吸収促進プロジェクト「僕と地球を繋ぐ森」代表。高知県観光特使。 高知県の高知商業高校を1992年に卒業後、香南市の半導体製造工場に入社した。約半年後に退職して株式会社商工ファンドへ入社し、1995年に山口支店、以後岡山支店と渋谷支店で支店長を務める。2002年に商工ファンドを退職してエステ関連会社を起業するも、業界の弱体化を懸念して会社を売却した。2004年に、アイドルグループ「AKB48」関連商品の企画料や版権料などを扱うオフィスフォーティエイトを設立した。
西内 直彦(にしうち なおひこ、1971年8月14日 - )… 西内 直彦(にしうち なおひこ、1971年8月14日 - )は、日本の実業家、政治家。高知県安芸市長(1期)。 安芸市出身。上智大学法学部国際関係法学科卒業。1997年4月、株式会社富士通金融システムズ入社、2002年12月、日本アイ・ビー・エム株式会社入社、2006年1月、安芸市において新規就農、2017年8月、はぐみ農園社長。 2022年に安芸市議会議員に当選。1期務めた後、2025年8月の安芸市長選挙で無投票で初当選した。 2025年9月、安芸市長就任。
松村 厚久(まつむら あつひさ、1967年3月29日 - )… 松村 厚久(まつむら あつひさ、1967年3月29日 - )は、日本の実業家。株式会社ダイヤモンドダイニング創業者。株式会社DDホールディングス代表取締役社長・グループCEO。高知県観光特使。 高知県出身。高知県立高知追手前高等学校、日本大学理工学部卒業。大学在籍中に、当時できたばかりのサイゼリヤで4年間アルバイトを経験した中で飲食業の面白さを体験。卒業後、日拓エンタープライズに入社。ディスコの企画・運営に携わり、非日常を学びエンターテイメントに目覚める。 1995年に独立。当初から飲食店に興味があったが、資金集めのために翌年1996年に「A&Yビューティサプライ」を設立し、都内に日焼けサロンを展開。
武井 泰士(たけい やすし、1965年〈昭和40年〉 - )… 武井 泰士(たけい やすし、1965年〈昭和40年〉 - )は日本の実業家、経営者。高知県須崎市生まれ。ヨネヤマグループ代表(3代目社長) 幕末土佐四天王の一人、土佐勤王志士、天誅組総裁であった吉村寅太郎(高祖叔父)の四代目の玄孫。姉 光の系統。 生後7ヶ月で養子に出され、武井一本、祝子に育てられた。 従兄弟にカッシーナ・インターデコールジャパンの創業者 武藤重遠 逗子開成高等学校、日本大学卒業後、ジャンニ・ヴェルサーチ日本法人に勤務し、妻の家業が経営するヨネヤマに1993年に入社した。 コンビニのセブンイレブン営業担当時、当時お弁当一個に一本の割り箸がテープで貼られていてお弁当が消費期限切れになった際、廃棄されるお弁当に未使用の割り箸が付いたままでいるのが納得いかず。
小林 達司(こばやし たつじ、1960年〈昭和35年〉6月4… 小林 達司(こばやし たつじ、1960年〈昭和35年〉6月4日 - )は、日本の実業家。四国銀行取締役頭取。 高知県高知市出身。高知学芸高等学校(20期)を経て、1984年横浜国立大学経済学部卒業後、四国銀行入行。2016年、取締役総合企画部長、2018年、取締役常務を経て2023年より取締役頭取。 経歴1984年4月 四国銀行入行 2014年6月 執行役員総合企画部長 2016年6月 取締役総合企画部長 2018年6月 常務取締役 2023年6月 取締役頭取
藤田 徹也(ふじた てつや、1957年6月24日 - )は、… 藤田 徹也(ふじた てつや、1957年6月24日 - )は、日本の実業家。TBSホールディングス元代表取締役。TBSラジオ元取締役会長。TBSサービス元代表取締役社長。TBSグロウディア元取締役副会長。テレビ高知代表取締役社長。 土佐高等学校卒業。1980年上智大学理工学部電気電子工学科卒業。同年4月、株式会社東京放送(現・株式会社TBSホールディングス)に入社。2008年同社人事労政局長、2011年執行役員人事労政局長、取締役人事労政局長、2014年常務取締役、株式会社TBSテレビ常務取締役、株式会社TBSラジオ&コミュニケーションズ取締役会長、2016年株式会社TBSホールディングス代表取締役専務、TBSラジオ取締役会長を歴任。
武市 智行(たけち ともゆき、1955年11月6日 - )は… 武市 智行(たけち ともゆき、1955年11月6日 - )は、日本の実業家。中小企業診断士。 SHIFT PLUS取締役会長。ALPHACODE、Aiming、GameWith、ジモフル取締役。スクウェア(現:スクウェア・エニックス)元社長、会長。ドリーミュージック、AQインタラクティブ元社長。
宮田 速雄(みやた はやお、1949年12月 - 2026年… 宮田 速雄(みやた はやお、1949年12月 - 2026年1月10日)は、日本のジャーナリスト、実業家。高知新聞社の元代表取締役社長。高知県室戸市出身。慶應義塾大学卒業。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
十河 清(とおごう きよし、1948年〈昭和23年〉2月3日… 十河 清(とおごう きよし、1948年〈昭和23年〉2月3日 - )は、日本の地方公務員、航空実業家。高知県政策企画部長、高知県副知事、高知空港ビル社長などを歴任。瑞宝中綬章受章。 高知学芸高校卒業、中央大学法学部卒業、1971年 高知県庁に入庁、中内力知事の秘書を長く務めた。1993年 (平成5年) から8年間、県教育委員会で教育次長等を歴任し、2002年 企画振興部長、2005年4月 財団法人高知県政策総合研究所を解散、2007年4月 政策企画部長。2008年1月 中西穂高の後任として高知県副知事就任。2009年5月 学校法人高知工科大学を解散。 県庁退職後の2012年6月 高知空港ビル代表取締役社長就任、2015年6月 ニッポン高度紙工業取締役、2021年 (令和3年) 6月 高知空港ビル社長を退任。
浜渦 武生(はまうず たけお、1947年 - )は、日本の実… 浜渦 武生(はまうず たけお、1947年 - )は、日本の実業家、元議員秘書。国会議員政策担当秘書や東京都知事特別秘書を経て、東京都副知事、東京交通会館副社長、東京都参与を歴任した。自民党の保守派議員グループ青嵐会の裏方を務めたほか、石原慎太郎の側近として知られ、肝煎りで東京都副知事に就任した。 高知県安芸郡北川村出身。父親は公職追放を受けた後、奈半利町内の営林署勤務。奈半利町立奈半利小学校卒業後は父親の意向で妹と一緒に高知市へ移って下宿暮らしし、高知市立潮江中学校へ通う。江本孟紀は中学校の同級生。 高校は高知県立高知追手前高等学校へ進学。高校生時代に高知駅でコーヒー袋を見かけ、それが気になってつられるように高知港を訪れてグアテマラの貨物船に上がり込んで、同国の船会社に就職の交渉を行い、就職と移住の手続きを済ませたが、これが両親に無断のことであり、当時末期がんで入退院を繰り返していた母親から懇願されて断念、父親には大学進学の意志を伝え、関西大学文学部新聞学科へ進学。
入交 昭一郎(いりまじり しょういちろう、1940年1月3日… 入交 昭一郎(いりまじり しょういちろう、1940年1月3日 - )は、日本の実業家。高知県出身の神戸市育ち。灘中学に入学後、麻布中学に転校し麻布高校卒。東京大学工学部航空工学科卒業。
渡邊 五郎(わたなべ ごろう、1934年5月14日 - 20… 渡邊 五郎(わたなべ ごろう、1934年5月14日 - 2021年2月16日)は、日本の実業家。三井物産代表取締役副社長、三井化学代表取締役会長を歴任した。 高知市立潮江小学校時代は、体も大きくガキ大将だった。1945年、小学5年生だった頃に、空襲によって自宅を焼失する。そこで、四万十町魚ノ川に疎開して山小屋を建て、5年間を過ごした。実家は貧困状態で、家に電気は引かれておらず、夜はたいまつとランプで過ごした。また、父の木材仲買業の収入が不安定だったため、自身も子供ながらに、高知の町まで米などを売りに出て家計を支えた。 中学3年生の3学期から、進学高校への進学を志して高知市に戻り、調理人をしていた兄の家の屋根裏部屋に住み、高知市立昭和中学校(現高知市立愛宕中学校)に通った。
五十嵐 力(いがらし つとむ、1929年2月9日 - 200… 五十嵐 力(いがらし つとむ、1929年2月9日 - 2005年9月17日)は、日本の経営者。栗本鐵工所社長、会長を務めた。 高知県室戸市出身。1951年に大阪大学工学部機械工学科を卒業し、同年4月に栗本鐵工所に入社した。1979年6月に取締役に就任し、1981年6月には社長に昇格した。1994年6月に会長に就任し、1999年4月に取締相談役を経て、2001年6月から相談役を務めた。 1996年4月に藍綬褒章を受章した。 2005年9月17日、肺炎のために死去。76歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
古谷 俊夫(ふるや としお、1926年(大正15年)5月27… 古谷 俊夫(ふるや としお、1926年(大正15年)5月27日 - )は、日本の教育者、実業家。一般社団法人高知県食品衛生協会会長、高知県旅館ホテル生活衛生同業組合理事長、高知県能楽協会第3代会長、特定非営利活動法人板垣会初代会長、海軍高知県海洋会会長、「京大土佐吉田会」会長。勲三等瑞宝章。 自宅が旧土佐藩士・乾和正(内蔵進)邸を改築した旅館兼料亭の朝日軒であり、南隣が旧板垣退助邸であったことから、板垣邸跡に建つ高野寺の庭は、幼少期からの遊び場であった。 高知市立第三尋常小学校(のちの高知市立追手前小学校)在学中の1937年(昭和12年)4月6日、高野寺の谷信讃の発意により板垣を顕彰する「板垣会館」が同寺内に建立された際は、成績優秀(首席)であったため、小学生代表として、来賓・頭山満、板垣退助長女・片岡兵子、退助孫・宮地茂秋ら臨席のもと、祝辞を奉読している。
内村 茂(うちむら しげる、1924年8月30日 - 200… 内村 茂(うちむら しげる、1924年8月30日 - 2009年11月2日)は、日本の経営者。三菱製紙社長、会長を務めた。 高知県高知市出身。1944年10月から1945年9月までに陸軍尉官として兵役に従事し、1948年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に三菱製紙に入社した。1978年6月に取締役、1979年6月に常務、1982年6月に専務を経て、1983年6月に副社長に就任し、1985年6月には社長に昇格した。1984年6月に会長を経て、2000年6月に相談役に就任。 1988年11月に藍綬褒章を受章し、1995年11月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2009年11月2日心不全のために死去。
池田 武邦(いけだ たけくに、1924年1月14日 - )は… 池田 武邦(いけだ たけくに、1924年1月14日 - )は、日本の建築家、実業家。元日本設計代表取締役社長で株式会社日本設計名誉会長、株式会社日本設計池田研究室代表、ハウステンボス株式会社代表取締役会長、環境NPO「聚」理事長。日本の高層建築の黎明に携わった。
猪瀬 敏弘(いのせ としひろ、1924年〈大正13年〉1月1… 猪瀬 敏弘(いのせ としひろ、1924年〈大正13年〉1月11日 - 2007年〈平成19年〉8月12日)は、日本の実業家。中田大三とともに神戸電鉄グループの発展に尽力した。 1924年(大正13年)1月11日、福島県生まれ。1944年(昭和19年)高知市立高知商業高等学校を卒業。 京都帝国大学へ入学するも中退し、1947年(昭和22年)神有三木電気鉄道(現:神戸電鉄)に入社する。1964年(昭和39年)6月より秘書室長を経て、1970年(昭和45年)6月神鉄観光の取締役に就任。 1976年(昭和51年)6月より神戸電鉄の経理部長に就任、1979年(昭和54年)からは取締役に就任した。1985年(昭和60年)6月より神戸電鉄の代表取締役常務に就任。
竹内 三賀男(たけうち みかお、1923年(大正12年)9月… 竹内 三賀男(たけうち みかお、1923年(大正12年)9月15日 - 2014年(平成26年)6月5日)は日本の実業家、元旭食品社長。高知県高知市出身。旭食品元社長の竹内成雄は長男。
久万 俊二郎(くま しゅんじろう、1921年1月6日 - 2… 久万 俊二郎(くま しゅんじろう、1921年1月6日 - 2011年9月9日)は、日本の実業家。 阪神電気鉄道代表取締役社長・会長・取締役相談役、阪神タイガースオーナーを歴任した。 戸籍上の表記は久萬俊二郎。 兵庫県神戸市生まれ、高知県高知市出身。神戸一中、旧制高知高等学校を経て、戦時中の学徒出陣により東京帝国大学法学部を仮卒業後、戦争も熾烈になってきた1945年3月、一個中隊を率いて玉砕寸前まで戦った元海軍将校。 1946年に阪神電鉄入社。1978年取締役就任、1982年社長昇格。1992年から会長。1984年から阪神タイガースのオーナーを、明治大学・一場靖弘の、いわゆる「裏金問題」で辞任するまで20年間にわたり務めた。
目代 渉(もくだい わたる、1913年5月8日 - 2002… 目代 渉(もくだい わたる、1913年5月8日 - 2002年2月9日)は、日本の経営者、工学博士。東洋ゴム工業社長、会長を務めた。高知県高知市出身。 1937年に東京帝国大学理学部応用化学科を卒業し、東洋紡での勤務を経て、1944年9月に東洋ゴム工業に入社。1959年5月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1965年5月に社長に就任。1977年5月に会長に就任し、1983年6月には相談役に就任。 1977年に紺綬褒章を受章し、1978年に藍綬褒章を受章し、1983年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
島村 道康(しまむら みちやす、1911年 <明治44年> … 島村 道康(しまむら みちやす、1911年 <明治44年> 4月28日 - 1989年 <平成元年> 2月19日)は、日本の経営者。位階は従四位。 なお名前については、音読みの「どうこう」と呼ばれることも多かった。 高知県高知市出身。1935年に東京商科大学本科を卒業し、同年4月に第一銀行に入行。1963年11月に取締役に就任し、1966年11月に常務。1968年から翌1969年にかけて起きた第一銀行と三菱銀行の合併騒動では、合併反対派の急先鋒として当時同行会長だった井上薫らに与し、合併を推進した頭取の長谷川重三郎と対立したため、長谷川の逆鱗に触れた島村は銀行を追い出され東亜ペイントに転出を余儀なくされた。
東條 猛猪(とうじょう たけい、1910年(明治43年)1月… 東條 猛猪(とうじょう たけい、1910年(明治43年)1月29日 - 1991年(平成3年)5月23日)は、日本の大蔵官僚、実業家。大蔵省銀行局長、北海道拓殖銀行頭取、北海道旅客鉄道初代会長を務めた。 高知県高知市出身。旧制高知高等学校を経て、1931年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。大蔵省に入省。専売局長官官房兼主計局属。1946年9月21日に主計局予算課長。1947年7月2日に主計局第一部長(大蔵、歳入、国会、裁判所、会計検査院、司法、外務、皇室、内閣、内務、地方財政、文部、厚生担当)。1948年7月5日に主計局第一部長(大蔵、歳入、国会、裁判所、会計検査院、司法、外務、皇室、内閣、内務、地方財政、文部、厚生担当)兼主計局第一部第二課長(国会、裁判所、会計検査院、司法、外務担当)。
影山 光一(かげやま こういち、1904年1月27日 - 1… 影山 光一(かげやま こういち、1904年1月27日 - 1964年3月26日)は、日本の電機および鉄道技術者で実業家。高知県出身。近畿日本鉄道(近鉄)元専務取締役である。 高知県安芸郡安芸町(現・安芸市)西浜に生まれる。旧制安芸中学校時代には平均点で95点とも98点ともいわれるほどの優秀な成績を残したという。 旧制松山高校を経て1926年に東京帝国大学工学部を卒業し、鈴木商店(現・味の素)に入社。まもなくイギリスに渡り、ウェスティングハウス(WH)の子会社であるメトロポリタン・ビッカース電機会社に工員(名目上は実習生)として勤務、技術を習得した。 1929年、同郷の先輩で近鉄の前身・参宮急行電鉄(参急)の幹部であった井内彦四郎に招聘され、中途入社として参急に入社する。
西山 磐(にしやま いわお、1903年 <明治36年> 9月… 西山 磐(にしやま いわお、1903年 <明治36年> 9月7日 - 1999年 <平成11年> 9月9日)は、日本の実業家。大阪ガス元会長・社長。位階は従三位。 高知県南国市出身。東京帝国大学法学部卒業後、1928年に阪神電気鉄道へ入社。1944年に大阪ガスへ中途入社し、監査役、常務取締役、代表取締役副社長を経て、1969年に代表取締役社長に就任。その後1973年より代表取締役会長を務め、1983年に取締相談役へ退く。その他には大阪工業会会長、社団法人大阪府計量協会会長、帝塚山学院理事長、朝日放送取締役も務めた。1999年死去。死没日付をもって従三位に叙された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
浜田 正信(濱田 正信、はまだ まさのぶ、1903年(明治3… 浜田 正信(濱田 正信、はまだ まさのぶ、1903年(明治36年)6月18日 - 1969年(昭和44年)5月22日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 高知県吾川郡伊野町(現いの町)で浜田惣次、春尾の二男として生まれる。高知県立第一中学校(現高知県立高知追手前高等学校)、高知高等学校を経て、1931年(昭和6年)京都帝国大学法学部を卒業した。 京都市役所で勤務した後、淀川製鋼所に転じた。東京支社長、取締役支配人、専務取締役などを歴任。1957年(昭和32年)宇田耕一の死去に伴い取締役社長に就任した。その他、白洋産業取締役社長、白洋汽船取締役、南海興業取締役、高知県造船取締役会長、日本鉄鋼連盟理事、日本経営者団体連盟理事、国連協会関西本部理事などを務めた。
島崎 敬夫(しまざき よしお、1902年10月11日 - 1… 島崎 敬夫(しまざき よしお、1902年10月11日 - 1975年6月29日)は、日本の経営者。横浜ゴム社長を務めた。高知県高知市出身。実弟に俳優の志村喬がいる。 1926年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に古河銀行に入行。1931年に横浜ゴムに転じ、1948年に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1965年には社長に就任。1973年2月に会長に就任。 1969年に藍綬褒章を受章。 1975年6月29日に肝硬変のために死去。72歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
田上 束稲(たがみ つかね、1900年 <明治33年> 3月… 田上 束稲(たがみ つかね、1900年 <明治33年> 3月11日 - 1972年 <昭和47年> 7月11日)は、日本の経営者。日魯漁業 (現・Umios) 社長を務めた。 高知県長岡郡本山町出身。1923年に小樽高等商業学校を卒業。共同水産販売所での勤務を経て、日魯漁業に転じ、1947年4月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1960年4月に副社長に就任し、1964年1月には社長に昇格。1968年1月には会長に就任。 1971年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1972年7月11日、肺ガンのために死去。72歳没。
寺尾 豊(てらお ゆたか、1898年(明治31年)1月23日… 寺尾 豊(てらお ゆたか、1898年(明治31年)1月23日 – 1972年(昭和47年)11月27日)は、昭和期の政治家、実業家。位階は正三位。 郵政大臣(第13代)、参議院副議長(第5-6代)、衆議院議員(1期)、参議院議員(5期)。財団法人板垣会第13代会長。板垣退助先生顕彰会初代会長。 眼科医・白石純成の三男として、高知県高岡郡須崎町(現須崎市)に生まれる。後に寺尾英吉の養子となる。私立高知工業学校を卒業後、職工を経て上京する。 1929年(昭和4年)3月、立正大学高等師範部を卒業。1934年(昭和9年)に関東正機を設立し代表取締役に就任。戦時中は、同じ高知県出身の軍人・永野修身の仲介により、日本海軍に魚雷用のジャイロスコープを納入。
武田 宣城(たけだ のぶき、1894年 <明治27年> 11… 武田 宣城(たけだ のぶき、1894年 <明治27年> 11月5日 - 1987年 <昭和62年> 11月17日)は、日本の経営者。 三菱江戸川化学社長を務めた。高知県高知市出身。位階は正五位。 1918年に東京高等工業学校応用化学科を卒業。 三菱製紙での勤務を経て、1931年に江戸川化学工業に転じ、1946年に取締役に就任し、1949年5月に常務を経て、1956年5月には社長に就任。1964年5月から1968年5月までに会長を務めた。 1965年に藍綬褒章を受章し、1967年4月に勲三等瑞宝章を受章。 1987年11月17日老衰のために死去。93歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
中越 義幸(なかごし / なかごえ よしゆき、1894年(明… 中越 義幸(なかごし / なかごえ よしゆき、1894年(明治27年)9月23日 - 1978年(昭和53年)3月1日)は、大正から昭和期の農業経営者、政治家。衆議院議員、高知県高岡郡檮原村長、同東津野村長。位階は従五位。 高知県高岡郡西津野村越知面(檮原村を経て現檮原町)で、中越義隆、光子の二男として生まれる。1915年(大正4年)高知県立農林学校(現高知県立高知農業高等学校)を卒業。1921年(大正10年)家督を相続した。農業を営む。 檮原村農会技手に就任。その後青年学校教員となる。檮原村産業組合理事、檮原村信用組合長、高岡郡畜産組合長、高岡郡教育会長、檮原村警防団長、高知県椎茸組合長、高知県森林組合連合会常務理事、同副会長、同県大政翼賛会組織部長、同会事務局長などを務めた。
秋山 俊一郎(あきやま しゅんいちろう、1892年〈明治25… 秋山 俊一郎(あきやま しゅんいちろう、1892年〈明治25年〉10月22日 - 1972年〈昭和47年〉12月3日)は、大正から昭和期の水産技術者、実業家、政治家。参議院議員。 高知県長岡郡東豊永村(大豊村を経て現大豊町怒田)で、秋山紋弥、春女の長男として生まれる。1912年(明治45年)高知県立第一中学校(現高知県立高知追手前高等学校)を卒業。1915年(大正4年)農商務省水産講習所(現東京海洋大学)漁撈科を卒業。 台湾宜蘭庁技手に任官し、1916年(大正5年)台湾総督府に転任。1920年(大正9年)長崎県に転じた。1928年(昭和3年)高知県水産課長に就任。その後、佐賀県水産課長を経て、長崎県水産試験場長となった。
五藤 齊三(ごとう せいぞう、1891年1月31日 - 19… 五藤 齊三(ごとう せいぞう、1891年1月31日 - 1982年7月11日)は、日本の技術者・実業家で、天体望遠鏡やプラネタリウムなどの専門メーカー、五藤光学研究所の創業者。高知県生まれ。 父が司法官であったため、幼少時は宇和島市、高松市、大阪市と転居を繰り返した。 戦前の日本光学工業(現在のニコン)では、すでに小型の天体望遠鏡を製造しており、中学校や高等学校むけに販売していた。五藤はこれらの営業を担っていたが、その価格は、一般の学校で簡単に導入できるようなものではなく、販売は伸び悩んでいた。 また、当時(第一次世界大戦後)、ドイツから日本光学工業へ招聘されていた光学技術者から、「優れた光学機器を作れば必ず儲かる」とも聞かされた。
田村 實(たむら みのる、1889年(明治22年)2月28日… 田村 實(たむら みのる、1889年(明治22年)2月28日 - 1941年(昭和16年)9月1日)は、大正から昭和前期の農業経営者、政治家。衆議院議員。 高知県長岡郡、のちの新改村(香美郡土佐山田町を経て現香美市)で、田村勇吉の長男として生まれる。1907年(明治40年)高知県立農林学校(現高知県立高知農業高等学校)を卒業した。 1916年(大正5年)土陽新聞社(現高知新聞)の東京支局記者に就任。1919年(大正8年)高知市会議員に選出され3期在任。その後、高知県会議員も務めた。その他、地方森林会議員、高知県水産会長、高知県織物同業組合長などを務めた。 1932年(昭和7年)2月の第18回衆議院議員総選挙で高知県第1区から立憲政友会所属で出馬して当選。
宮川 竹馬(みやがわ たけま、1887年4月18日 - 19… 宮川 竹馬(みやがわ たけま、1887年4月18日 - 1964年8月27日)は、昭和時代に活動した日本の実業家。高知県幡多郡入野村早咲(現・幡多郡黒潮町)出身。 旧制中村中学校(現・高知県立中村高等学校)を経て、東京高等工業学校(現・東京工業大学)電気科電気機械分科を1912年(明治45年)に卒業後、九州電灯鉄道(後の東邦電力)に入社。以後電力業界を歩み、1951年電気事業再編成により発足した四国電力株式会社の初代社長となる。また、その再編成案を松永安左エ門と協力してつくったことでも知られる。孫の坂間英気は、電力業界を経て、現在はサイバーセキュリティ企業の株式会社 AppGuardに勤務する。
白石 喜太郎(しらいし きたろう、1887年(明治20年)1… 白石 喜太郎(しらいし きたろう、1887年(明治20年)1月7日 - 1945年(昭和20年)7月28日)は、高知県出身の日本の実業家、計理士、渋沢栄一、敬三に仕え、渋沢同族株式会社の専務取締役になどを歴任した。 1887年(明治20年)、先代喜太郎と丑の長男として高知県安芸郡田野村(現・田野町)に生まれる。1896年(明治29年)先代喜太郎が病没、家督相続し又喜を改め襲名。1905年(明治38年)、高知県立中学海南学校を卒業後、官立東京高等商業学校(高等商業学校を改称、東京高商、現・一橋大学)に入学。渋沢事務所の八十島親徳に保証人を依頼。在学中は、休暇の前後に八十島を訪問し、種々教えを受ける。
青木 繁吉(あおき しげきち、1886年12月21日 - 1… 青木 繁吉(あおき しげきち、1886年12月21日 - 1971年4月21日)は日本の実業家。太陽石油の創業者。 明治19年12月21日高知県高岡郡高岡村(現土佐市)で生まれる。姉の嫁ぎ先に丁稚奉公をしたことがきっかけで商売の道に入り、明治41年に自身の名字を入れた「青木石油店」を高岡に開業。天秤棒を担ぎながら灯油を売り歩く日々を送る。しかし大正4年に経済の発展から将来性が見込めるとして、経営の拠点を愛媛県八幡浜に移し、石油製品の小売業へ転換。さらに独自の精製方法やオリジナルブランドを開発し、販路拡大を始める。大正9年に原油輸送の要であるタンカーを木製ながら自前で建造し、石油元売りに打って出る。
窪田 駒吉(くぼた こまきち、1883年(明治16年)10月… 窪田 駒吉(くぼた こまきち、1883年(明治16年)10月15日 - 1935年(昭和10年)6月9日)は、日本の実業家。鈴木商店東京支店長を経て、日本製粉社長として同社の経営再建にあたった。 高知県長岡郡介良村(現高知市介良)の貧しい肴屋の子として生まれる。15歳で神戸に出て、阪神樟脳合資会社を経て、金子直吉の知遇を得て鈴木商店に入社。上海出張所詰や天津出張所詰を務めて、鈴木商店が東京進出を果たし1912年に東京支店が設立されると、支配人から東京支店長に就任した。1927年から鈴木商店傘下の日本製粉社長を務め、経営再建にあたった。鈴木商店破綻後、三井物産に支援を求め、1933年まで日本製粉相談役を務めた。
竹崎 瑞夫(たけざき みずお、1881年8月28日 - 19… 竹崎 瑞夫(たけざき みずお、1881年8月28日 - 1961年9月7日)は、日本の経営者、ダイハツ工業社長、会長を務めた。高知県高知市出身。 1908年に京都帝国大学工科機械科を卒業。名古屋瓦斯支配人、竹崎鉄工所代表役員、島津製作所取締役などを経て、1932年に発動機製造(現在のダイハツ工業)取締役に就任し、1947年には社長に昇格。1955年に会長に就任。 1937年に大阪府実業功労賞を受賞し、1956年11月に池田市名誉市民に選ばれ、1957年3月に藍綬褒章を受章。 1961年9月7日、肋膜炎のために死去。
玉屋 喜章(たまや よしあき、1879年(明治12年)2月1… 玉屋 喜章(たまや よしあき、1879年(明治12年)2月1日 - 1956年(昭和31年)10月17日)は、明治末から昭和期の実業家、政治家。参議院議員。通称・時次郎。 高知県安芸郡佐喜浜村(佐喜浜町を経て現室戸市佐喜浜町)で、漁業・玉屋能作の長男として生まれる。15歳頃から帆船(阪神へ薪炭を輸送)乗組となり、1900年(明治33年)大阪市の海士学館を卒業した。 海運業を始め、高知で紙問屋、大阪で事業を行うが失敗した。その後、関東に移ってから成功し、1923年(大正12年)総武銀行(現千葉銀行)頭取に就任。その他、台湾産業社長、大興紡績社長、共同生命保険社長、蓬莱閣ホテル社長、宮城電気鉄道取締役、成田急行電鉄常任監査役、玉屋産業海運商会社長、松田汽船社長、千葉合同無尽社長、千葉銀行取締役、千葉県商工連合会長、同県経営者協会会長などを務め、1946年(昭和21年)千葉商工会議所会頭に就任した。
山地 土佐太郎(やまじ とさたろう、1878年(明治11年)… 山地 土佐太郎(やまじ とさたろう、1878年(明治11年)12月26日 - 1958年(昭和33年)2月2日)は、大正・昭和期の実業家、政治家。貴族院勅選議員。極洋捕鯨(現・極洋)の創業者である。 東京府京橋区新富町(現・東京都中央区)で、警視庁勤務・山地享吉の長男として生まれる。山地家は土佐国安芸郡津呂村(現・高知県室戸市室戸岬町)の出身で、先祖代々「津呂組」という鯨組の株主だった。父が西南戦争従軍後、一家は1880年(明治13年)に高知県へ帰郷した。土佐太郎は1888年(明治21年)、安芸郡羽根尋常小学校を卒業。同県土佐郡第一高等小学校に進学したが、父の死去に伴い1891年(明治24年)に高等小学校を中退し、家業に従事した。
多田 耕太郎(ただ こうたろう、1878年(明治11年)10… 多田 耕太郎(ただ こうたろう、1878年(明治11年)10月15日 - 1928年(昭和3年)10月13日)は、明治から昭和時代初期の水産功労者、漁業経営者、政治家。高知県多額納税者。 多田嘉七の長男として高知県安芸郡津呂村(現・高知県室戸市室戸岬町)に生まれ、1912年(大正元年)家督を相続する。大正期に発展した定置網漁業の経営者として県内外にて漁場を開発。三重県志摩半島にも進出しブリ飼付漁業を経営した。ほか、大北漁業、並村製糸場などの取締役を歴任した。 政治家としても活躍し、安芸郡会議員を経て、1923年(大正12年)高知県会議員に当選。1927年(昭和2年)再選される。立憲民政党の成立と同時に総務となり、1928年(昭和3年)7月に24代県会議長に就任した。
胎中 楠右衛門(たいなか くすえもん、1876年(明治9年)… 胎中 楠右衛門(たいなか くすえもん、1876年(明治9年)9月20日 - 1947年(昭和22年)3月22日)は、日本の大正・昭和期の政治家、実業家、自由民権運動家。農林審議会議員、米穀統制調査会委員、大日本国粋会幹事長、藤原製材会社社長。 明治9年(1876年)9月20日、旅館業を営む胎中弥平の次男として、高知県安芸郡安芸町(現安芸市)に生れる。母は芳子。 この明治9年(1876年)9月は、折しも明治天皇が国憲草案起創の詔勅を元老院へ御下賜された時にあたり、楠右衛門はことあるごとにそれを深く認識するようになり、晩年「憲政碑」の建立へもその思いがつながっている。 明治23年(1890年)、上京し、神奈川県愛甲郡厚木町(現・厚木市)に居を定めた。
下元 鹿之助(しももと しかのすけ、1875年(明治8年)8… 下元 鹿之助(しももと しかのすけ、1875年(明治8年)8月26日 - 1947年(昭和22年)10月22日)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。衆議院議員(3期)。 下元興行、桃の三男として、高知県高岡郡東又村(窪川町を経て、現在の四万十町)に生まれる。20歳まで家業手伝いののち高知県立農林学校を経て、東京蚕糸学校で養蚕技術を学ぶ。卒業後は母校の県立農林学校で教諭を3年間務めたのち県庁に出仕し、高知県技師として蚕業の発展に尽力する。のち大分県技師、1914年(大正3年)東又村長、翌年高知県会議員(3期当選、副議長などを歴任)を経て、1924年(大正13年)5月の第15回衆議院議員総選挙では高知県第4区から出馬し当選。
久野 工(ひさの たくみ、1874年〈明治7年〉11月10日… 久野 工(ひさの たくみ、1874年〈明治7年〉11月10日 - 1960年〈昭和35年〉6月3日)は、日本の海軍軍人、実業家、政治家。神奈川県横須賀市長。海軍主計中将正四位勲二等。 旧土佐藩士・久野克記と母・亀の長男として高知県土佐郡久万村(初月村を経て現・高知市)に生まれ、1922年(大正11年)家督を相続する。1891年(明治24年)高知県尋常中学海南学校(現・高知県立高知小津高等学校)を経て、明治法律学校2年修了。 1896年(明治29年)海軍少主計候補生を命ぜられ、佐世保海兵団附、佐世保鎮守府監督部附を経て、1905年(明治38年)海軍主計少監に進む。ついで、英国出張(鹿島回航委員)に赴き、1910年(明治43年)造船造兵監督会計官に任官すると、英国へ再度赴任し、1912年(明治45年)帰朝する。
中島 久万吉(なかじま くまきち、1873年7月24日 - … 中島 久万吉(なかじま くまきち、1873年7月24日 - 1960年4月25日)は、財界人であり、政治家、実業家、男爵。
大久保 虎吉(おおくぼ とらきち、1872年6月13日(明治… 大久保 虎吉(おおくぼ とらきち、1872年6月13日(明治5年5月8日) - 1924年(大正13年)3月2日)は、日本の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員。 高知県長岡郡本山村(現本山町)で、大久保克人、常子夫妻の長男として生まれる。土佐自由党に加わり自由民権運動に参加。 1893年、武市安哉が組織した高知殖民会に賛同し、北海道樺戸郡浦臼に移住して開墾に従事。その後、天塩国中川郡ヒウカで農場を、上川郡美瑛村で牧場を経営。1904年2月、上川郡名寄に転居し木材業を経営。名寄倉庫取締役、天塩銀行監査役、士別電気取締役、開北炭礦取締役、士別商事取締役、士別軌道 (株) 社長、大久保木材 (株) 社長、上川郡士別町会議員などを務めた。
野村 茂久馬(のむら もくま、1870年1月30日(明治2年… 野村 茂久馬(のむら もくま、1870年1月30日(明治2年12月28日) - 1960年(昭和35年)2月11日)は、「土佐の交通王」と呼ばれた実業家。財団法人板垣会第12代会長。坂本龍馬先生銅像建設会会長。桂浜・坂本龍馬先生銅像の建立責任者。高知城公園・板垣退助先生銅像の再建責任者。 近代交通黎明期に高知県の海運・陸運の発展に貢献し、土佐湾岸航路、バス、鉄道等多くの交通事業に携わった。現在のとさでん交通の前身会社の一つである高知県交通の前身である野村組自動車部、現・新高知重工の前身である野村組工作所の創設者である。また、私鉄高知鉄道手結-安芸線(後の土佐電気鉄道安芸線:昭和49年(1974年)の建設なども手掛けた。