13代中里太郎右衛門(じゅうさんだい なかざと たろうえもん… 13代中里太郎右衛門(じゅうさんだい なかざと たろうえもん、1923年(大正12年)5月31日 - 2009年(平成21年)3月12日)は、陶芸家、日本藝術院会員。本名・中里忠夫。法号・中里逢庵。佐賀県唐津市生まれ。日本工匠会会長。国際陶芸アカデミー会員。
佐賀県:885人
13代中里太郎右衛門(じゅうさんだい なかざと たろうえもん… 13代中里太郎右衛門(じゅうさんだい なかざと たろうえもん、1923年(大正12年)5月31日 - 2009年(平成21年)3月12日)は、陶芸家、日本藝術院会員。本名・中里忠夫。法号・中里逢庵。佐賀県唐津市生まれ。日本工匠会会長。国際陶芸アカデミー会員。
浜田 百合子(はまだ ゆりこ、1923年3月31日 - 消息… 浜田 百合子(はまだ ゆりこ、1923年3月31日 - 消息不明)は日本の女優。佐賀県佐賀市生まれ、東京育ち。プロデューサーの本木荘二郎は元夫。日本映画学校卒業。 1945年に東宝入社。1946年の『民衆の敵』でデビューする。1958年に引退。引退して以降、現在までに70年近くも経っているため、生死も含めて消息不明である。
苣木 浅彦(すがき あさひこ、1923年2月23日 - 20… 苣木 浅彦(すがき あさひこ、1923年2月23日 - 2010年4月22日)は、日本の地球科学者。専門は、鉱床学。理学博士(東北大学・1955年)。東北大学名誉教授、山口大学名誉教授。佐賀県生まれ。 旧制宇部高等工業学校(現・山口大学工学部)採鉱科を経て、1945年東北帝国大学理学部岩石鉱物鉱床教室を卒業、翌年東北帝国大学助手となる。1953年同助教授。1955年、東北大学より理学博士の学位を取得、学位論文は「本邦産硫化鉱石の組織に関する熱的研究」。 1957年から山口大学工学部教授となる。1966年から1969年まで、米国ペンシルベニア州立大学・カナダ地質調査所に文部省在外研究員として滞在。
長島 厚(ながしま あつし、1923年 - ) は、日本の陸… 長島 厚(ながしま あつし、1923年 - ) は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大尉。1945年8月の「占守島の戦い」の生き残り。 佐賀県武雄市出身。1938年(昭和13年)に、陸軍予科士官学校進学のため佐賀県立武雄中学校を中退する。 1938年(昭和13年)陸軍予科士官学校に入学する。1941年(昭和16年)7月、陸軍士官学校(55期)卒業後、関東軍戦車第四連隊に配属となり、第五方面軍将校として札幌に赴任するが、第九十一師団戦車第十一連隊指揮官として千島列島の占守島に着任する。 1945年(昭和20年)8月15日にソ連軍が爆撃を開始。8月18日未明にはソ連軍部隊が占守島の竹田浜に上陸し、その「占守島の戦い」に大尉として応戦することとなる。
末次 一郎(すえつぐ いちろう、1922年(大正11年)10… 末次 一郎(すえつぐ いちろう、1922年(大正11年)10月1日 - 2001年(平成13年)7月11日)は、日本の政治活動家。安全保障問題研究会代表。沖縄返還の功労者として知られ、晩年は日ソ専門家会議を主催して北方領土返還運動にも取り組み、「ミスター北方領土」の異名をとった。中曽根康弘首相ら歴代政府首相・首脳のアドバイザーとしても知られる。 佐賀県出身。佐賀商業学校・豊橋第一陸軍予備士官学校・陸軍中野学校二俣分校卒。 戦後は、国家的に重要な課題に取り組み、終生その活動を継続した。 1999年(平成11年)9月に肺癌の告知を受ける。2000年(平成12年)11月に胃癌を、2001年(平成13年)6月に肝臓転移を告知された。
石丸 進一(いしまる しんいち、1922年7月24日 - 1… 石丸 進一(いしまる しんいち、1922年7月24日 - 1945年5月11日)は、プロ野球選手(投手・内野手)、大日本帝国海軍軍人。
村井 実(むらい みのる、1922年3月6日 - 2024年… 村井 実(むらい みのる、1922年3月6日 - 2024年10月18日)は、日本の教育学者。慶應義塾大学名誉教授。 佐賀県東松浦郡北波多村芳谷炭鉱(現:唐津市)の商店で7人兄妹の長男として生まれる。旧制唐津中学、広島高等師範学校英語科を経て、1944年広島文理科大学教育学科卒業。長崎青年師範学校助教授、同時に東部四六部隊の見習士官で終戦。1961年「教育的思惟の性格 ソクラテス研究」で広島大学より文学博士の学位を取得。 1948年慶應義塾大学文学部講師、1949年助教授、1961年教授、1962-66年慶應義塾女子高等学校校長、1987年定年、名誉教授、大東文化大学教授。ハーバード大学、テュービンゲン大学、ケルン大学、プリンストン高等研究所などの欧米の大学・研究所で教育哲学・思想史の研究を行った。
大塚 清次郎(おおつか せいじろう、1921年9月5日 - … 大塚 清次郎(おおつか せいじろう、1921年9月5日 - 1995年10月3日)は、日本の政治家。位階は従四位勲二等、勲章は瑞宝章。参議院議員(2期、自由民主党)。自由民主党参議院副幹事長。 1921年佐賀県鹿島市生まれ。1939年佐賀県立佐賀商業学校卒業。その後、南満洲鉄道入社。敗戦を満洲で迎える。 1946年引き揚げ、浜町農業協同組合に就職。その後、鹿島市農業協同組合長、佐賀県農業協同組合中央会会長、日本園芸農業協同組合連合会会長、日本果汁農業協同組合連合会会長を歴任。1955年鹿島市議会議員選挙当選。以後4期16年務める。1971年佐賀県議会議員当選、以後4期15年務め、副議長も経験。 1986年、第14回参議院議員通常選挙で佐賀県選挙区から自由民主党公認で立候補し、初当選。
荒木 正(あらき ただし、1921年8月27日 -没年不明 … 荒木 正(あらき ただし、1921年8月27日 -没年不明 )は、佐賀県出身のプロ野球選手。 唐津商業学校から門司鉄道管理局を経て、1941年に南海軍へ入団。1944年に退団。
川崎 徳次(かわさき とくじ、1921年5月7日 - 200… 川崎 徳次(かわさき とくじ、1921年5月7日 - 2006年4月25日)は、プロ野球選手(投手、外野手)・監督。
小栗 潮(おぐり うしお、男性、1921年(大正10年)3月… 小栗 潮(おぐり うしお、男性、1921年(大正10年)3月11日 - 2013年(平成25年)6月20日)は、日本画家。日展参与。 佐賀県西松浦郡有田町出身。1944年(昭和19年)東京美術学校(現東京芸術大学)日本画科卒。同年学徒出陣。1947年(昭和22年)第一作「不忍池」が院展入選。1956年(昭和31年)日展に所属、同年「尾瀬沼畔」入選。翌年、第十三回展において「尾瀬沼」が初の特選を受賞した。1991年、第23回日展にて文部大臣賞を受賞。 山口蓬春、山本丘人らに師事した。2013年6月20日死去、92歳。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
古舘 曹人(ふるたち そうじん、1920年6月6日 - 20… 古舘 曹人(ふるたち そうじん、1920年6月6日 - 2010年10月28日)は、日本の俳人。佐賀県杵島郡出身。本名・六郎。 父の古舘九一は、杵島炭鉱で高取伊好の大番頭役を務めた実業家で、晩年は唐津焼の再興に尽力した収集家でもあった。唐津中学(現佐賀県立唐津東中学校・高等学校)、五高、東京大学法学部卒。在学中に学徒出陣を経験。東大ホトトギス会に入会し山口青邨に師事、俳句雑誌「夏草」の編集をする。 1947年、太平洋炭鉱に入社。1979年、句集『砂の音』で俳人協会賞受賞。俳人協会顧問。太平洋興発の副社長も務めた。2010年、老衰のため90歳で死去。
長谷川 町子(はせがわ まちこ、1920年(大正9年)1月3… 長谷川 町子(はせがわ まちこ、1920年(大正9年)1月30日 - 1992年(平成4年)5月27日)は、日本の女性漫画家。日本初の女性プロ漫画家。代表作に『サザエさん』・『いじわるばあさん』・『エプロンおばさん』など。 佐賀県小城郡東多久村(現在の多久市東多久町)で父・勇吉と母・サタ(貞子)との間の3人姉妹の次女として生まれる。実際は姉との間に夭折した2番目の姉がおり、戸籍上は4姉妹の三女になる。当時、多久で操業していた三菱炭坑の技師であった勇吉が独立、ワイヤーロープの事業開業に伴い福岡県福岡市春吉(現在の同市中央区春吉)に転居し、春吉尋常小学校に小学1年生から通った。 小学生時代は成績が良く男子生徒と交代で学級長を務めていたが「悪ガキ」だったと妹の洋子に語っている。
広尾 彰(ひろお あきら、1920年(大正9年)1月14日 … 広尾 彰(ひろお あきら、1920年(大正9年)1月14日 - 1941年(昭和16年)12月8日)は、日本の海軍軍人。特殊潜航艇「甲標的」艇長として真珠湾攻撃に参加し、戦死した九軍神の一人。二階級特進により最終階級は海軍大尉。 佐賀県三養基郡旭村(現在の鳥栖市)出身。父は小学校の校長を勤める教育者であった。佐賀県立三養基中学校(現在の佐賀県立三養基高等学校)を経て、 海軍兵学校入校。広尾は海兵68期で豊田穣、酒巻和男、鴛淵孝らが同期生で、松永市郎は中学同窓であった。 1940年(昭和15年)8月卒業。特殊潜航艇(以下「特潜」 )搭乗員に選抜され訓練を受ける中、真珠湾攻撃に「特潜」の参加が決定し、広尾は5人の艇長の一人として選抜された。
井手 雅人(いで まさと、1920年1月1日 - 1989年… 井手 雅人(いで まさと、1920年1月1日 - 1989年7月17日)は、日本の脚本家、小説家。 佐賀県佐賀市出身。豊島師範学校本科第一部卒業。戦後に小学校教員を務めたのち、1948年に新東宝に入社。長谷川伸に師事して小説を書き、『地の塩』が1953年の第30回直木賞候補になる。 1954年に新東宝を退社し、フリーの脚本家として活動。脚本家としては、単独執筆の『証人の椅子』『ダイナマイトどんどん』『鬼畜』などがキネマ旬報ベストテンなどで評価されているほか、共同脚本の一員として黒澤明監督作品『赤ひげ』『デルス・ウザーラ』『影武者』『乱』などに関わる。 1985年から1989年まで日本シナリオ作家協会常務理事を務めた。
山下 徳夫(やました とくお、1919年10月7日 - 20… 山下 徳夫(やました とくお、1919年10月7日 - 2014年1月1日)は、日本の政治家。位階は正三位。 厚生大臣、内閣官房長官、総務庁長官、運輸大臣、衆議院議員などを歴任。 佐賀県伊万里市出身。山下徳次郎の長男として誕生。福岡中学校(現・福岡県立福岡高等学校)卒業後、明治大学専門部法科を経て、1944年、専修大学法学部卒業。 父の徳次郎は1926年に炭鉱向け材木店(現・ヤマシタ)を創業。大学卒業後の1947年に佐賀県議会議員に初当選。1949年に父の家業である山下徳次郎商店の代表取締役に就任する。その後、日本杭木協会理事や全国木材協会理事、佐賀県木材協会会長を歴任し佐賀県議会にて議員4期・議長2選を経て、1969年、旧佐賀県全県区から第32回衆議院議員総選挙に立候補し、初当選(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・林義郎・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
古澤 憲吾(ふるさわ けんご、1919年〈大正8年〉3月30… 古澤 憲吾(ふるさわ けんご、1919年〈大正8年〉3月30日 - 1997年〈平成9年〉1月16日)は、日本の映画監督。佐賀県鳥栖市出身。 1943年(昭和18年)、日本大学専門部美学科を卒業し、東宝に入社[要出典]。同年、海軍の航空戦隊に入隊。 1944年(昭和19年)、東宝が陸軍省の至上命令で製作した『加藤隼戦闘隊』(山本嘉次郎監督)に助監督参加。 1945年(昭和20年)、復員後、日大に復学。 1947年(昭和22年)、日大を卒業。 1948年(昭和23年)、東宝の監督部に入社。東宝復帰後は、市川崑、渡辺邦男、松林宗恵、本多猪四郎、稲垣浩、鈴木英夫らの助監督を務めた。 1959年(昭和34年)、『頑張れゴキゲン娘』で監督に昇進する。
松永 市郎(まつなが いちろう、1919年(大正8年)2月1… 松永 市郎(まつなが いちろう、1919年(大正8年)2月18日 - 2005年(平成17年)3月31日)は、日本の軍人。元海軍大尉。作家。 父は海軍中将松永貞市、子にiモード開発者の松永真理がいる。
山口 正之(やまぐち まさゆき、1918年1月1日 - 19… 山口 正之(やまぐち まさゆき、1918年1月1日 - 1999年3月20日)は、日本のマルクス経済学者。 佐賀県佐賀市出身。東京帝国大学経済学部卒。立命館大学産業社会学部教授、1983年定年、名誉教授、大阪経済法科大学教授。日中友好協会会長を務めた。1999年、肺炎のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
佐賀ノ花 勝巳(さがのはな かつみ、1917年12月5日 -… 佐賀ノ花 勝巳(さがのはな かつみ、1917年12月5日 - 1975年3月28日)は、佐賀県佐賀市出身で二所ノ関部屋(入門時は粂川部屋)に所属した大相撲力士。本名は北村 勝巳(きたむら かつみ)。師匠の玉錦譲りの鋭い出足から「飛燕の出足」「サッと寄り切る佐賀ノ花」などと呼ばれていた。最高位は東大関。 1917年12月5日、佐賀市八戸町に生まれる。幼少期は西魚町で育った。日新小学校時代の地域の相撲大会での活躍ぶりは、現在も語り草になっているという。 高等小学校卒業後、苦しい家計を助けるため鹿島市の兄のもとで板前修業を始める。1934年、鹿島市へ巡業に来た玉錦三右エ門が佐賀ノ花が務めていた料亭に宿泊。
川原 英之(かわはら ひでゆき、1917年(大正6年)3月2… 川原 英之(かわはら ひでゆき、1917年(大正6年)3月21日 - 1966年(昭和41年)2月27日)は、日本の通産官僚。通商産業省大臣官房官房長。佐賀県唐津市出身。 城山三郎著『官僚たちの夏』の鮎川のモデル。合理的官僚像のモデルの片山(山下英明)と比較対照され、佐橋滋らの猛進型官僚のモデルの一人として描かれた。他に佐高信著『官僚たちの志と死』の「通産省の殉職者」の章にて、田辺俊彦と共に川原の死期が描かれている。
酒井 治彦(さかい はるひこ、1917年 - 1944年2月… 酒井 治彦(さかい はるひこ、1917年 - 1944年2月) は、日本の元アマチュア野球選手。佐賀県出身。 佐賀中学(現・佐賀県立佐賀西高等学校)を経て、1936年早稲田大学に入学、東京六大学リーグ戦でも投手として出場した。しかし早大卒業後応召され、1944年2月、南方諸島(正確な死没地、没月日は不明)で戦死した。享年26。 東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、同郷で、高校・大学の先輩である鶴崎俊篤と共に、彼の名前が刻まれている。
鈴田 照次(すずた てるじ、1916年10月27日 - 19… 鈴田 照次(すずた てるじ、1916年10月27日 - 1981年9月8日)は、日本の染織家。鍋島更紗を、「鍋島更紗秘伝書」と「見本帖」をもとに復元に着手し、「木版摺更紗」を完成させた。人間国宝であり、染織家である鈴田滋人の父。
楠田 久男(くすだ ひさお、1916年9月25日 - 202… 楠田 久男(くすだ ひさお、1916年9月25日 - 2020年2月26日)は、日本の機械工学者、佐賀大学元学長。専門は伝熱工学。 鳥栖市出身。旧制佐賀高等学校を経て、1939年9月に九州帝国大学工学部機械工学科卒業。熊本大学工学部教授、佐賀大学理工学部教授、同学部長などを経て、1986年から1990年まで佐賀大学学長を務めた。サガン鳥栖の前身である鳥栖フューチャーズの設立に尽力した。 2020年2月26日、老衰のため鳥栖市の特別養護老人ホームで死去。103歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
坂井 三郎(さかい さぶろう、1916年(大正5年)8月26… 坂井 三郎(さかい さぶろう、1916年(大正5年)8月26日 - 2000年(平成12年)9月22日)は、日本の海軍軍人。ポツダム進級により最終階級は海軍中尉。太平洋戦争におけるエース・パイロット。著書『大空のサムライ』で有名。
片山 仁八郎(かたやま にはちろう、1916年3月31日 -… 片山 仁八郎(かたやま にはちろう、1916年3月31日 - 1997年3月14日)は、日本の経営者。三菱電機社長、会長を務めた。佐賀県鳥栖市出身。 1935年に九州帝国大学工学部電気工学科を卒業し、同年に三菱電機に入社した。1974年に取締役に就任し、常務、副社長を経て、1980年から社長に就任し、1985年から会長に就任し、1991年から相談役に就任した。 日本電子工業振興会会長、新世代コンピュータ技術開発機構理事長なども歴任した。 1983年にマイクロ波放電光源装置の開発により、毎日工業技術賞に授賞し、1989年に勲一等瑞宝章を受章し、1993年にドイツ一等功労十字章を受章した。 1997年3月14日膀胱癌のために死去。
古賀 雷四郎(こが らいしろう、1915年12月23日 - … 古賀 雷四郎(こが らいしろう、1915年12月23日 - 2008年6月13日)は、日本の政治家。参議院議員(3期、自由民主党)。 佐賀県鳥栖市出身。旧制五高を経て1940年に九州帝国大学工学部土木工学科を卒業後、内務省に入省し、河川局長、建設技監などを経て、退官。1971年6月27日投票の第9回参議院議員通常選挙に全国区から出馬し、23位で初当選。自由民主党では佐藤栄作派(周山会)→田中角栄派(木曜クラブ)→竹下登派(経世会)に属した。 1977年7月10日投票の第11回参議院議員通常選挙に全国区から出馬し、12位で2回目の当選。1983年6月26日投票の第13回参議院議員通常選挙に比例区から出馬し、26位で3回目の当選。
牛丸 義留(うしまる よしと、1915年10月5日 - 没年… 牛丸 義留(うしまる よしと、1915年10月5日 - 没年不明)は、日本の厚生官僚。厚生事務次官を歴任。 佐賀県多久市出身。旧制小城中、旧制佐賀高校文科甲類を経て1939年東京帝国大学法学部政治学科卒。 内務省に入り、1948年厚生省に移る。薬事局長、社会局長を経て、1965年厚生事務次官に就任。退官後、1968年の参院選で佐賀県から無所属で出馬したが、落選した。その後、年金福祉事業団理事長を経て、1979年の佐賀県知事選に出馬したが落選した。その間、済生会中央病院の事務局長等顕職あったが2000年代から地元佐賀にて隠遁。その後体調悪化と共に子供の住む神奈川県真鶴町に転居。その後死去。 靖国神社へのA級戦犯の合祀に関し、厚生省援護局が1966年にA級戦犯の名簿を靖国神社に送ったことについて、当時厚生事務次官だった牛丸は「知らなかった」と証言している。
松浦潟 達也(まつらがた たつや、1915年5月27日 - … 松浦潟 達也(まつらがた たつや、1915年5月27日 - 1945年3月10日頃)は、佐賀県東松浦郡名古屋村馬渡島(現・唐津市鎮西町馬渡島)出身の大相撲力士。本名は牧山 強臣(まきやま つよみ)。 1930年1月場所に錦島部屋から初土俵を踏む。四股名は出身地の松浦潟(唐津湾)に由来する。1938年1月からは「大蛇潟(おろちがた)」の四股名で新入幕を果たすが、負け越して1場所で十両陥落となる。このままでは伸び悩むと判断したことから、四股名を「枩浦潟」に戻し、1940年1月場所で再入幕。このとき、独立した能代潟錦作と共に立田山部屋へ移籍した。 折しも時代は太平洋戦争へと突入し、若手の力士たちも次々に戦場へ召集されていったが、枩浦潟は大相撲に必要不可欠な存在として兵役を免除され、戦時中にあっても現役の力士として活躍を続けた。
石丸 藤吉(いしまる とうきち、1914年7月25日 - 1… 石丸 藤吉(いしまる とうきち、1914年7月25日 - 1991年11月21日)は、佐賀県佐賀市出身のプロ野球選手(内野手)。
山口 良忠(やまぐち よしただ、1913年(大正2年)11月… 山口 良忠(やまぐち よしただ、1913年(大正2年)11月16日 - 1947年(昭和22年)10月11日)とは、日本の裁判官。佐賀県杵島郡白石町出身。太平洋戦争の終戦後の食糧難の時代に、闇市の闇米を拒否して食糧管理法に沿った配給食糧のみを口にし、栄養失調で亡くなったことで知られる。 1913年(大正2年)、佐賀県杵島郡福治村(現在の白石町)に、小学校教師の長男として生まれる(→白石町ホームページ)。鹿島中学校(旧制)・佐賀高等学校(旧制)・京都帝国大学法学部を卒業。大学院に進み宮本英脩・佐伯千仭に師事、高等文官試験司法科試験に合格、判事となる。1942年(昭和17年)に東京民事地方裁判所に転任後、1946年(昭和21年)10月に東京区裁判所の経済事犯専任判事となる。
古川 進(ふるかわ すすむ、1913年8月19日 - 199… 古川 進(ふるかわ すすむ、1913年8月19日 - 1991年10月23日)は、日本の実業家。大和銀行元頭取、会長。佐賀県佐賀市出身。 1938年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に野村銀行(のちの大和銀行。統合により現在はりそな銀行となる。)に入行した。 1961年11月に取締役に就任し、1963年4月に常務、1966年11月に専務、1968年11月に副頭取を経て、1973年4月からは大和銀行頭取を務め、1977年4月からは会長、1987年6月からは相談役を歴任した。 その一方で、1981年12月から1985年12月までに大阪商工会議所会頭を務め、海外交流に力を入れた。日本商工会議所副会頭、大阪銀行協会会長、全国銀行協会連合会副会長、関西経済同友会代表幹事なども歴任した。
陣内 傳之助(じんない でんのすけ、 1912年11月8日 … 陣内 傳之助(じんない でんのすけ、 1912年11月8日 - 1987年8月30日)は、日本の外科医。大阪大学医学部名誉教授、近畿大学医学部名誉教授、近畿大学医学部附属病院初代院長。
吉田 宗雄(よしだ むねお、1912年〈大正元年〉10月10… 吉田 宗雄(よしだ むねお、1912年〈大正元年〉10月10日 - 1944年〈昭和19年〉12月30日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中佐(死後)。 佐賀県小城郡牛津町(のちの小城市)出身。海軍兵学校62期。1944年(昭和19年)12月30日、駆逐艦「呉竹」艦長としてバシー海峡において戦死。 禅林寺の長男として生まれる。旧制小城中学校(現佐賀県立小城高校)を経て、
豊増 昇(とよます のぼる、1912年〈明治45年〉5月23… 豊増 昇(とよます のぼる、1912年〈明治45年〉5月23日 - 1975年〈昭和50年〉10月9日)は、日本のピアニスト、音楽教育者。日本藝術院会員。佐賀県佐賀市出身。 1933年、東京音楽学校卒。高折宮次、レオ・シロタらに師事。1936年ドイツに留学、1943年東京音楽学校教授。その後、京都市立音楽短期大学教授を経て、1959年に武庫川女子大学音楽部長となった。 1940年にベートーヴェンのピアノソナタとピアノ協奏曲全作品の連続演奏会、1949年にバッハ死後200年記念ピアノ曲連続演奏会、さらに1950年にもバッハのピアノ曲全作品の連続演奏会をおこなった。1956年、日本人として初めてベルリンフィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会に出演した(指揮はヨーゼフ・カイルベルト)。
戸川 幸夫(とがわ ゆきお、1912年〈明治41年〉4月15… 戸川 幸夫(とがわ ゆきお、1912年〈明治41年〉4月15日 - 2004年〈平成16年〉5月1日)は、日本の小説家、児童文学作家。動物に関する正しい観察・知識を元にして動物文学を確立させ、日本においては椋鳩十と並ぶ第一人者(特に闘犬に関する作品が多い)。 それまでは噂のみの存在だったイリオモテヤマネコの標本を今泉吉典にもたらし、新種発見に大きく貢献したことでも知られる。ルポルタージュ、戦記物語などの作品もあり、漫画原作も手がけた。 佐賀市に生まれ、1歳の時に、医師で、またハンターでもあった戸川益勇の養子となる。10歳までは福岡県若松市及び八幡市(いずれも現・北九州市)で育つ。幼少から動物好きで、動物学者になることを志し、動物に関する本を耽読した。
石井 利雄(いしい としお、1912年(明治45年)4月10… 石井 利雄(いしい としお、1912年(明治45年)4月10日 - 2001年(平成13年)1月12日)は、日本の造船技師(専門は舶用内燃機関、造船の生産技術・品質管理などの生産管理全般)、海軍軍人(予備将校)、実業家である。最終階級は海軍中尉。従七位。とくに、戦時急造された海防艦の専門家であり、戦時中、御蔵型など40隻の海防艦を竣工させた。戦後は、南極観測船の建造にも関わった。ブロック工法(ブロック建造方式)による艦船建造の先駆者の一人。 佐賀県神埼市出身。生家は佐賀藩主鍋島家の藩祖以来の外戚家門石井家。初代藩主鍋島勝茂の従兄石井茂成の8代目の子孫という。 神埼市立神埼小学校を経て、佐賀県立佐賀中学校(現・佐賀西高等学校)に進学。
古沢 岩美(ふるさわ いわみ、1912年(明治45年)2月5… 古沢 岩美(ふるさわ いわみ、1912年(明治45年)2月5日 - 2000年(平成12年)4月15日)は、日本の洋画家、前衛美術家。 1920年代から1940年代にかけて、池袋周辺に集う芸術家たちのアトリエ村「池袋モンパルナス」に参加した一人として知られている。 佐賀県三養基郡旭村(現・鳥栖市)出身。1927年に久留米商業学校中退。当時は日本統治下だった朝鮮半島の大邱に渡った後、翌1928年に画家を志して上京。岡田三郎助に師事した。豊島区で画家が集まっていた長崎アトリエ村に移って交流を広げるとともに、前衛美術を志向するようになった。1938年に「創紀美術協会」、1939年には「美術文化協会」創立に参加。
鶴崎 俊篤(つるさき としあつ、1912年 - 1944年7… 鶴崎 俊篤(つるさき としあつ、1912年 - 1944年7月26日)は、日本の元アマチュア野球選手。佐賀県出身。 佐賀中学(現・佐賀県立佐賀西高等学校)在学中は、甲子園に2回(夏2回〈1928年、1929年〉)出場した。 1932年早稲田大学に入学、東京六大学リーグ戦でも外野手として出場した。しかし早大卒業後応召され、1944年7月26日、朝鮮・釜山の傷痍軍人療養所て戦病死した。享年32。 東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、同郷で、高校・大学の後輩である酒井治彦と共に、彼の名前が刻まれている。
新郷 英城(しんごう ひでき、1911年(明治44年)10月… 新郷 英城(しんごう ひでき、1911年(明治44年)10月10日 - 1982年(昭和57年)11月27日)は、日本の海軍軍人、警察官、航空自衛官。海兵59期。最終階級は海軍で中佐、警察で警部補、空自で空将。 1911年10月10日佐賀県に生まれる。佐賀中学校を経て、1928年4月、海軍兵学校に59期生として入校。1931年11月7日兵学校を卒業、少尉候補生として「磐手」乗組、練習航海に出発。1932年7月20日、巡洋艦「羽黒」乗組。1933年2月25日、巡洋艦「愛宕」乗組。4月1日、少尉任官。10月1日、第25期飛行学生拝命。1934年7月2日、館山空付。11月11日、中尉。1935年10月15日、空母「龍驤」乗組。
坂井 時忠(さかい ときただ、1911年9月18日 - 19… 坂井 時忠(さかい ときただ、1911年9月18日 - 1990年1月19日)は、昭和時代後期日本の政治家。内務省および警察庁の官僚を経て、兵庫県知事を4期16年にわたって務めた。
板谷 隆一(いたや たかいち、1911年〈明治44年〉8月2… 板谷 隆一(いたや たかいち、1911年〈明治44年〉8月20日 - 1991年〈平成3年〉9月1日)は、日本の海軍軍人及び海上自衛官。海兵60期次席。海兵同期に鈴木實、進藤三郎など。第7代海上幕僚長、第5代統合幕僚会議議長。 農業・板谷儀市の二男として佐賀県三養基郡中原村に生まれる。兄は真珠湾攻撃作戦時に空母「赤城」分隊長で、第一次攻撃隊制空隊長を務めた板谷茂(海軍中佐・海兵57期首席)。 旧制三養基中学を経て、海軍兵学校60期を次席で卒業。 海兵次席のエリートながら、日中戦争から太平洋戦争までほとんどの期間を第一線で勤務した。 1937年(昭和12年)8月9日に発生した大山事件(上海海軍特別陸戦隊中隊長の大山勇夫中尉(板谷と海兵同期)が殺害され、第二次上海事変のきっかけの一つとなった)を受け、8月11日に大山中尉の後任として上海海軍特別陸戦隊附 兼 第三艦隊司令部附となる。
松平 晃(まつだいら あきら、1911年6月26日 - 19… 松平 晃(まつだいら あきら、1911年6月26日 - 1961年3月8日)は、昭和期の流行歌歌手。本名は福田恒治(ふくだつねはる)。 SPレコード歌謡の揺籃の時代から全盛期にかけて、「佐賀っぽ」という気質を前面に出し、青春のブリリアントな美質と野放図な大胆さでスターダムにのし上がった。芸名の「松平晃」は「松平の殿様のように豊かな生活がしたい」との思いからつけたとの説がある。 一方、歌以外でも機械いじりを得意とし、スポーツカーを乗り回し、自分で録音器を作って公演先からボイスレターを送ったり、テーブルマジックに長けていたりと意外かつ多彩な才能の持ち主でもあった。 同時期にデビューした歌手の楠木繁夫とは親友であり、1956年(昭和31年)に楠木が自殺した際には、涙ながらに「女の階級」を歌い出棺を見送ったという。
山口 久太(やまぐち ひさた、1911年4月26日 - 19… 山口 久太(やまぐち ひさた、1911年4月26日 - 1993年7月12日)は、日本の教育者。元日本体育協会副会長、名誉副会長。東海大学体育学部長。 1911年、、佐賀県東松浦郡相知町(現唐津市)に生まれる。下村湖人の薫陶を受け、旧制唐津中学(現在の佐賀県立唐津東高等学校)卒業後、周囲が旧制高等学校の進学を薦める中、日本一の体育教師を目指して、東京高等師範学校(現・筑波大学)体育科に進学する。1934年3月、東京高等師範学校体育科を卒業。体育教諭として、旧制甲府中(現・山梨県立甲府第一高等学校)、旧制広島一中(現・広島県立国泰寺高等学校)に奉職。戦後千葉県に体育担当地方事務官として招かれて、千葉県立佐原高等女学校校長、千葉県立船橋高等学校校長を務める。
平戸灘 常吉(ひらとなだ つねきち、1911年2月24日 -… 平戸灘 常吉(ひらとなだ つねきち、1911年2月24日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。山分部屋所属。本名は松本 政雄。最高位は十両6枚目。 佐賀県東松浦郡鎮西町(現唐津市)出身。山分部屋に入門し、1930年10月「白鷺」の四股名で初土俵を踏む。1937年5月十両に昇進。十両の中位から下位にとどまった。1941年5月に「平戸灘」と改名したが、翌1942年1月全休し、そのまま廃業した。
江下武二(えした たけじ、1910年(明治43年)11月22… 江下武二(えした たけじ、1910年(明治43年)11月22日 - 1932年(昭和7年)2月22日)は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は工兵伍長。佐賀県神埼郡蓮池村(現:佐賀市蓮池町)大字古賀1010番地あるいは佐賀県杵島郡大町村大字福母杵島炭砿126舎出身で爆弾三勇士の一人。 親の事業の失敗から佐賀県東松浦郡相知村(現・唐津市相知町)字久保や小城郡の別府、杵島郡の福母に転住。炭鉱を転々とし、少年期から杵島炭鉱で働く。父も兄二人も久留米歩兵連隊に入営した軍人一家で武二は海軍志望だったが、1931年(昭和6年)、父兄と同様に久留米工兵第18連隊に入営。翌年には混成旅団工兵中隊に編入され、陸軍一等兵として第一次上海事変に出征。
秋 玲二(あき れいじ、1910年(明治43年)11月1日 … 秋 玲二(あき れいじ、1910年(明治43年)11月1日 - 2006年(平成18年)2月24日)は、日本の漫画家、画家。佐賀県唐津市出身。本名古川 善男(ふるかわ よしお)。 生涯、数多くの学習漫画を手がけた。主な作品に『よっちゃんの勉強漫画』『クラブくんの冒険』など。日本漫画家協会名誉会員。また、石川滋彦の弟子として洋画家としても知られる。 1910年、佐賀県唐津市にて生誕。 1930年、東京市教員講習所養成科を卒業し、1946年まで東京の小学校の教員を務めていた。 1933年頃から漫画を描き始め、1939年4月から『東日小学生新聞』にて『よっちゃんの勉強漫画』の連載を開始し2000年に終了するまで60年以上連載されていた。
弥富 武(いやとみ たけし、1910年4月19日 - 197… 弥富 武(いやとみ たけし、1910年4月19日 - 1975年5月28日)は、日本の経営者。東京建物社長を務めた。 佐賀県佐賀市出身。1932年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に安田銀行に入行。1955年に取締役に就任し、1959年10月に常務を経て、1963年2月に東京建物副社長に就任し、同年8月には社長に昇格した。 1975年5月28日、急性心不全のために在任中に死去。65歳没。
鍋島 綱利(なべしま つなとし、1910年4月14日 - 1… 鍋島 綱利(なべしま つなとし、1910年4月14日 - 1969年9月26日)は、日本の実業家。住友電気工業元社長。佐賀県鹿島市出身。 朝鮮総督府通信技手・鍋島鋼三の長男。1927年(昭和2年)に第五高等学校に入学、弓道部で主将を務めた。 1933年に東京帝国大学法学部を卒業し、住友電気工業に入社した。翌年には、高校の後輩でのち住友ゴム工業社長となる下川常雄も入社し、下宿先を貸し出した。1939年4月1日、第2期経理部甲種幹部候補生として陸軍経理学校に入学し、同年9月23日卒業。歩兵第56連隊(55連隊とも)附主計少尉として太平洋戦争を迎える。淡路山丸よりコタバル上陸作戦に参加。翌年2月のジョホール水道上陸作戦では自ら戦線を志願し、背中に銃創を負う。
永倉 三郎(ながくら さぶろう、1910年(明治43年)2月… 永倉 三郎(ながくら さぶろう、1910年(明治43年)2月15日 - 1993年(平成5年)10月20日 )は、日本の経営者。九州電力社長。九州旅客鉄道初代会長。九州・山口経済連合会会長。 佐賀県佐賀市出身。佐賀県立佐賀高等学校卒業。1934年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に東邦電力に入社。 1942年に九州配電(のちの九州電力)に転じる。戦時中は陸軍第49師団の主計中尉としてインパール作戦に従軍した。1963年5月に取締役に就任し、常務、副社長を経て、1974年5月に社長に就任。1983年6月に会長に就任し、1987年6月から取締役相談役を務めた。福岡放送取締役、九州旅客鉄道初代会長、九州・山口経済連合会会長なども歴任。