榎枝 慶之輔(えのえだ けいのすけ、1935年7月4日 – … 榎枝 慶之輔(えのえだ けいのすけ、1935年7月4日 – 2003年3月29日)は、日本の松濤館流空手家。英国空手連合師範代、松濤館空手八段で、死後には九段位に認定された。 1935年7月4日に日本の九州生まれ。若いころは剣道と柔道の訓練を受け、野球もしていた 榎枝は16歳で柔道二段に達していた。 その後拓殖大学に進学し、そこで空手のデモンストレーションに感銘を受け、その武道を始めた。 大学卒業後、 日本空手道協会 (JKA) 本部道場 ( 中山正敏 )に師事。 また、 加瀬泰治の指導の下、組手修行を積んだ 。 1961年に顕著なトーナメントの試合を戦い、決勝で6回の延長の末に阿部圭吾を破る 。
浅井 哲彦(あさい てつひこ、1935年6月7日 - 200… 浅井 哲彦(あさい てつひこ、1935年6月7日 - 2006年8月15日)は、愛媛県出身、松濤館流の空手家。日本空手協会(JKA)、国際日本武術空手協会(IJKA)、日本空手松濤連盟(JKS 旧日本空手松濤連盟)の創設者。 浅井は1935年6月7日に愛媛県 で生まれた。彼は7人兄弟の長男で少年時代、 相撲の修行を積んだほか、父親(警官)から柔道・剣道・槍術を教えられた。12歳の時、彼は空手道場でボクサーと空手家の戦いを目撃。空手家はキックで相手を倒し、それを見た浅井は感銘を受けた。 浅井は1958年に拓殖大学を卒業し、船越義珍と中山正敏のもとで空手を学んだ。彼は一生懸命訓練し、入寮することを許された。
中島 真人(中嶋 眞人、なかじま まひと、1935年 <昭和… 中島 真人(中嶋 眞人、なかじま まひと、1935年 <昭和10年> 1月1日 - 2008年 <平成20年> 5月18日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)、山梨県議会議長、山梨県議会議員(3期)を務めた。位階は正四位。旭日重光章。 山梨県甲府市出身。山梨県立韮崎高等学校、拓殖大学商学部卒業。大学卒業後、山梨県立高等学校の教諭となる。1979年の山梨県議会議員選挙に立候補し初当選。3期務めた。在職中、1993年12月15日から1994年9月29日まで議長を務めた。1995年の第17回参議院議員通常選挙で山梨県選挙区から自由民主党公認候補として立候補し、現職の磯村修(民主改革連合)や新進党の赤池誠章らを破り初当選。
渡辺 秀央(渡邉 秀央、旧本名:渡邉 秀雄、わたなべ ひでお… 渡辺 秀央(渡邉 秀央、旧本名:渡邉 秀雄、わたなべ ひでお、1934年〈昭和9年〉7月5日 - 2024年〈令和6年〉7月31日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲章は旭日大綬章。 郵政大臣(第54代)、内閣官房副長官(第3次中曽根内閣)、衆議院商工委員長、衆議院議員(6期)、参議院経済産業委員長、参議院議員(2期)、新党改革最高顧問、改革クラブ代表、自由民主党全国組織委員長、日本ミャンマー協会会長、同理事長などを歴任。 新潟県栃尾市(現・長岡市)出身。東京都立目黒高等学校、拓殖大学政経学部卒業。中曽根康弘の秘書を務める。 1976年(昭和51年)の第34回衆議院議員総選挙に、旧新潟3区(定数5)から自民党公認で立候補し初当選。
藤渡 辰信(ふじと たつのぶ、1932年9月2日 - 201… 藤渡 辰信(ふじと たつのぶ、1932年9月2日 - 2016年9月26日)は、元拓殖大学総長、前学校法人拓殖大学理事長。拓殖大学卒業、拓殖大学大学院修了。佐賀県出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
村上 正邦(むらかみ まさくに、1932年〈昭和7年〉8月2… 村上 正邦(むらかみ まさくに、1932年〈昭和7年〉8月21日 - 2020年〈令和2年〉9月10日)は、日本の政治家。 福岡県嘉穂郡出身。拓殖大学卒業後、参議院議員秘書を経て、1980年、参議院議員選挙に全国区から出馬し初当選。参議院議員を4期務め、労働大臣、自由民主党参議院議員会長、同党参議院幹事長、志帥会会長(初代)などを歴任した。在職中は参議院自民党において多大な影響力を持ち、「タカ派」「参院のドン」と呼ばれていた。 1932年、福岡県嘉穂郡に生まれる。父・要蔵、母・タネヨの次男。両親とも愛媛県西条市の出身であった。のちに地元の支持者が調べたところによると、先祖は西条藩に仕えた村上四郎左衛門忠朝という人物で、さらにさかのぼると村上水軍に発しているという。
外山 高士(とやま たかし、1930年〈昭和5年〉9月5日 … 外山 高士(とやま たかし、1930年〈昭和5年〉9月5日 - 2022年〈令和4年〉8月28日)は、日本の俳優・声優。 拓殖大学商学部貿易学科卒業。在学中は新聞部で大学の先輩である佐佐木隆を取材したのが機縁となり、劇団文化座に入る。1952年に同劇団の『陽気な地獄』で初舞台。中里事務所に所属していた。 『怪傑黒頭巾』で正義役をしていたが、その後は時代劇で悪代官・悪徳商人、現代劇でも悪役を中心に出演した。一方で『燃えよ剣』の伊東甲子太郎、刑事ドラマ『西部警察 PART-III』の第9話「白銀に消えた超合金X! -福島・前篇-」では善人役の冷静に状況説明する科学者など、悪役に限らず演じている。 吹き替えにおいては日本で初めての吹き替え海外ドラマ『ロビンフットの冒険』で主人公のロビンフット役を担当。
宮澤 正幸(みやざわ まさゆき、1930年2月15日 - 2… 宮澤 正幸(みやざわ まさゆき、1930年2月15日 - 2024年2月28日)は、日本のスポーツジャーナリスト。 神奈川県小田原市出身。日本大学を経て拓殖大学卒業。 1953年に大学卒業と同時に東京新聞社に入社し、校閲部にて勤務した後の翌年に日刊スポーツ新聞社へ転職して運動部記者を務めた。 日刊スポーツ時代はアマチュアスポーツ担当記者としてレスリング、柔道、相撲のほかに体操競技の取材・報道を行い、第18回夏季オリンピック東京大会(1964年)では柔道競技の取材を担当した。 また1972年ミュンヘンオリンピック体操競技で日本の塚原光男が鉄棒で初めて披露した大技を「月面宙返り」と命名したのも宮澤であったという。
渡辺悟仙(わたなべごせん・本名「昌男」 1928年(昭和3年… 渡辺悟仙(わたなべごせん・本名「昌男」 1928年(昭和3年)11月26日 - 2000年(平成12年)8月22日)は、福井県福井市出身の日本を代表する世界的水墨画家。「日本南画院」元理事長。「福井県水墨画協会」創立者 兼 初代会長。紺綬褒章受章者。 生まれながらにして画才をもち、少年期には父である久吉(雅号・旭光)や文人画家の小川春峰に日本画の手ほどきを受け、青年期には南画家である飯原如堂に習う。雅号「静山」。拓殖大学卒業後、福井県庁に勤めるかたわら画家への夢があきらめきれず、1969年(昭和44年)、 馬来田愛岳(社団法人日本南画院理事)や鳥海二楽子(社団法人日本南画院常務理事)に師事。雅号を「悟仙」と改める。
案納 勝(あんのう まさる、1928年〈昭和3年〉7月16日… 案納 勝(あんのう まさる、1928年〈昭和3年〉7月16日 - )は、日本の政治家。日本社会党に所属し、参議院議員(1期)を務めた。 福岡県久留米市生まれ。1945年(昭和20年)、旧制久留米商業学校(現久留米市立久留米商業高等学校)を卒業した。1946年(昭和21年)、拓殖大学専門部経営科を卒業した。同年、郵政省福岡貯金局に入省した。1972年(昭和47年)に退職した。 1974年(昭和49年)の第10回参議院議員通常選挙で全国区から日本社会党公認で立候補して当選。1期務める。在任中は、決算委員会委員などを務めた。 1980年(昭和55年)6月の第12回通常選挙にも立候補の予定であったが、病気を理由に公認を取り消された。
田中 茂穗(たなか しげほ、1928年(昭和3年)3月28日… 田中 茂穗(たなか しげほ、1928年(昭和3年)3月28日 - 2020年(令和2年) 5月11日[要出典]、武道家(明治神宮武道場至誠館 名誉館長)。 1949年、拓殖大学卒業。年少の頃より柔剣道を修行。戦後、合気道開祖植芝盛平翁、植芝吉祥丸二代目道主、塩田剛三より合気道を、鹿島神流第18世宗家国井道之師範より鹿島神流を学ぶ。 1954年、東京大学合気道部を創設し、師範となるほか、中央大学、専修大学、富山大学、金沢大学、日本国有鉄道本社、ならびに中央鉄道学園にて合気道の師範となる。 1961年、全日本学生合気道連盟発足に携わり、講師に就任する。 1973年、合気道八段位。明治神宮武道場至誠館設立に尽力し、同武道場に奉職。
高木 禮二(たかぎ れいじ、1927年(昭和2年)6月2日 … 高木 禮二(たかぎ れいじ、1927年(昭和2年)6月2日 - 2007年(平成19年)5月3日)は、日本の実業家である。明光商会の創業者として知られた。 兵庫県神戸市にて、横浜正金銀行に勤務するエリートの父と油問屋の家庭の母の間に7人きょうだいの次男として生まれる。少年時代は父の赴任先の青島やパリで過ごし、絵本に描かれた世界の風景に憧れどうすれば世界の名所や美味しいものを食べられるのかと聞いたところ元陸軍大佐の祖父から「外交官になれ、外交官になるなら帝大に入れ、帝大に入るため英語と数学を勉強し学校一番の成績を取れ」と檄を飛ばされるも、少年時代は勉強を好まず作文と図画は高評価だったものの素行や算術では低評価となり、小学5年生になり東京から神戸に転校して以降には成績表を偽造することもあった。
境田 昭造(さかいだ しょうぞう、1927年4月6日 - 1… 境田 昭造(さかいだ しょうぞう、1927年4月6日 - 1991年9月9日)は、日本の漫画家である。日本漫画家協会会員。 東京市本郷区(現在の東京都文京区)本郷生まれ。駒込学園高等学校を経て、1950年、拓殖大学政経科卒業。 在学中から近藤日出造に師事して大人漫画家となり、1950年に漫画集団の同人となる。昭和30年代から40年代にかけて、独特のデフォルメのキャラクターを描いて一世を風靡。 「若手落語会」「東横落語会」などを主宰した湯浅喜久治と知人だったことから、若手落語家たちと友達同様に交流することになる。談志・円楽・志ん朝らとは若手時代からつきあいで、1969年からの柳朝・志ん朝の「二朝会」はプロデューサー的に関わった。
林 修(はやし おさむ、1927年1月16日 - )は、日本… 林 修(はやし おさむ、1927年1月16日 - )は、日本の経営者。近鉄百貨店社長、会長を務めた。 愛媛県周桑郡小松町出身。1949年に拓殖大学専門部を卒業し、1950年に近畿日本鉄道に入社。1972年6月に近鉄百貨店に転じ、1978年5月に取締役に就任し、1983年3月に常務、同年5月に専務を経て、1986年1月に社長に就任。社長時代には、阿倍野本店と奈良店の増床などの大型プロジェクトを推進した。1993年5月に取締役相談役を経て、1995年5月に相談役に就任。
吉成 儀(よしなり ただし、1927年 <昭和2年> 1月1… 吉成 儀(よしなり ただし、1927年 <昭和2年> 1月1日 - 2012年 <平成24年> 10月1日)は、日本の経営者。京葉銀行頭取を務めた。位階は従五位。長女の夫はノーベル生理学・医学賞受賞者の利根川進。 千葉県出身。1953年に拓殖大学商学部経営学科を卒業し、同年5月に千葉相互銀行(現在の京葉銀行)に入行した。1968年4月に取締役に就任し、1969年10月に常務、1972年5月に専務を経て、1978年6月に副社長に就任し、1980年6月には社長に昇格。1990年6月に会長に就任し、1998年10月から2000年4月までに頭取も兼任した。 2000年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2012年10月1日、急性心不全のために死去。
小田部 通麿(おたべ みちまろ、1926年11月24日 - … 小田部 通麿(おたべ みちまろ、1926年11月24日 - 2004年8月29日)は、日本の俳優・住職。福岡県山門郡柳川町出身。本名:釈 通麿(とき みちまろ)、別名:小田部 道磨。 柳川町の寺の息子として生まれ、18歳で太平洋戦争に応召する。復員後は拓殖大学専門部司政科)に通い、1948年に卒業。終戦後に町で戦災孤児たちが盗みを働いて少年院に送られる姿に同情し、これらの少年たちのために何かしてやりたいと考え、大阪府茨木市の「浪速少年院」や福岡県の「福岡少年院」で教官を務めた。 少年院での仕事に行き詰まりを感じていた1955年、たまたま訪れた東映京都撮影所にて面構えが強面だったことで俳優への道を勧められ東映京都撮影所に入社する。
宮川 やすえ(みやかわ やすえ、1926年(大正15年)9月… 宮川 やすえ(みやかわ やすえ、1926年(大正15年)9月7日 - 2013年(平成25年)1月8日)は、ロシア児童文学翻訳家、拓殖大学名誉教授。岡山県津山市生まれ。本名・保栄。拓殖大学卒業後、外務省ロシア語研究会で学ぶ。拓殖大学教授、2000年(平成12年)定年、名誉教授。日ロ交流協会常任理事。児童文化功労者。日本児童文芸家協会顧問。 2013年(平成25年)1月8日、心不全のために死去86歳没。
佐戸 英三郎(さど えいさぶろう、1926年2月1日 - 2… 佐戸 英三郎(さど えいさぶろう、1926年2月1日 - 2018年3月25日)は、日本の法学者、商学者、会計学者、税理士、会計士補、司法書士。専門は税法原理論、会計監査、会計管理論、その他経営実務法務全般。山梨学院大学名誉教授。佐戸会計・法務事務所 元代表。税理士法人あんしん合同会計 元業務執行社員。 東京都八王子市出身。税法学を中心とした法学、会計監査や会計管理論を中心とした商学・会計学において、数多くの研究指導を行った。大学での活動のほか、税理士・会計士補(公認会計士有資格者・会計士補登録)・司法書士・社会保険労務士などとして、数多くの顧問先の指導・関係当局との折衝などを行い、死去する日まで現役で活動を行っていた。
金森 トシエ(かなもり としえ、1925年9月20日 - 2… 金森 トシエ(かなもり としえ、1925年9月20日 - 2011年9月7日)は、日本のジャーナリスト。 1925年、東京都港区に生まれる。その後、文京区に移る。 府立第二高等女学校から帝国女子専門学校国文科へ入学。勤労動員として、紡績工場などで働く。1945年に中国から出張中であった金森正嘉と結婚。夫はすぐに中国に戻った。同年、帝国女子専門学校も自宅も罹災し、宮城県小野田町に妹とともに疎開した。 第二次世界大戦終戦後、夫が中国から帰国し、専業主婦として過ごす。「夫を朝晩送り迎えしながら、私の人生は過ぎていくのか」とむなしい思いを抱えていたところ、父親のすすめもあり、1950年に拓殖大学政経学部に3年次編入することになる。
小野寺 信雄(おのでら のぶお、1925年(大正14年)7月… 小野寺 信雄(おのでら のぶお、1925年(大正14年)7月25日 - 2003年(平成15年)5月13日)は、宮城県議会議員(6期)。気仙沼市長(1期)。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 宮城県本吉郡気仙沼町(現 気仙沼市)出身。宮城県気仙沼中学校(現 気仙沼高等学校)、1948年(昭和23年)拓殖大学商学部卒業。1971年(昭和46年)宮城県議会議員に初当選。以来6期連続務める。1991年(平成3年)議長に就任。翌1992年、栗村和夫の死去に伴う第15回参議院議員通常選挙宮城県選挙区補欠選挙に自民党公認で立候補したが、連合の会公認の萩野浩基に敗れて落選した。1993年(平成5年)の気仙沼市長選挙に立候補して当選。
後藤 茂(ごとう しげる、1925年7月3日 - 2015年… 後藤 茂(ごとう しげる、1925年7月3日 - 2015年6月5日)は、日本の政治家である。衆議院議員(6期)。原子燃料政策研究会理事、エネルギー・情報工学研究会議(解散)理事長を歴任した。
胡桃沢 耕史(くるみざわ こうし、1925年4月26日 - … 胡桃沢 耕史(くるみざわ こうし、1925年4月26日 - 1994年3月22日)は、日本の作家。本名は清水 正二郎。海外を舞台にした冒険小説や、ユーモア推理小説で人気を博した。 東京府南葛飾郡(現在の東京都墨田区)生まれ。代表作に冒険小説『天山を越えて』、『翔んでる警視』シリーズ、直木賞受賞作『黒パン俘虜記』などがある。 東京府立第六中学校(現在の東京都立新宿高等学校)から拓殖大学商学部卒業。少年時代から直木三十五や牧逸馬のような流行作家に憧れて、作家を志す。また漫談家への憧れもあり、中学時代に内務省保安局から鑑札をもらって談譚協会に所属して、大都映画の弁士をしたり、劇場で淡谷のり子や笠置シヅ子などの歌手の司会をしたこともある。
近江 正俊(おうみ まさとし、1925年 - 1984年10… 近江 正俊(おうみ まさとし、1925年 - 1984年10月24日)は、日本のアナウンサー。 東京都出身。開成中学校を経て拓殖大学南洋語学科卒業(1946年)。父は日蓮宗僧職。 幼少期から他民族の地・マレー半島での労働とマレーのハリマオや南十字星に単純に憧れてゴム園での労働と異民族の近江自身が加わって「善意に満ちた東亜協栄体」を作りたくて開成中学校を経て拓殖大学に入学。マレー語の取得に最適した頭の柔い時期が、戦争の真最中で、敵性語の時代となり大学は勤労動員ばかりとなり、陸軍戦車二等兵で本土用決戦場の穴掘り中に敗戦を迎える。 1950年、日本放送協会(NHK)に入局(同期には酒井広、鶴田全夫)、名古屋中央放送局で勤務の後、1952年3月にラジオ東京(KR→KRT。
金 在植(キム・ジェシク、朝鮮語: 김재식、1923年11月… 金 在植(キム・ジェシク、朝鮮語: 김재식、1923年11月20日 - 2016年3月1日)は、大韓民国の政治家、陸軍軍人(陸軍大領)、実業家。元水産庁長、第16代全羅南道知事、第10代韓国国会議員。 本貫は金海金氏、号は老農(ノノン、노농)。円仏教徒。 日本統治時代の全羅南道の長城郡に生まれた。1944年に拓殖大学を卒業後、1955年に工兵基地廠長を務め、1960年に陸軍大学校を卒業した。1963年に農林部水産局長を務め、1964年に水産業協同組合中央会長、1968年に水産庁長を歴任した。1969年10月25日から1973年9月25日まで第16代全羅南道知事を務め、1972年に全南大学校行政大学院を修了し、1973年より東立産業振興公社株式会社の社長を務めた。
高橋 盛吉(たかはし もりよし、1923年〈大正12年〉9月… 高橋 盛吉(たかはし もりよし、1923年〈大正12年〉9月20日 - 2007年〈平成19年〉7月23日)は、日本の政治家。岩手県北上市長(4期)。 岩手県北上市(旧和賀町)生まれ。1947年〈昭和22年〉紅陵大学(現・拓殖大学)商学部卒。卒業後は経済安定本部に入り、貿易局に勤務する。その後、経済審議庁計画部、日本原子力研究所、水資源開発公団に勤める。1963年〈昭和38年〉岩手県庁に入り、企画開発局、企画部開発課長、企画部次長心得、総務部次長、商工労働部長、企画開発室長、総務部長、企業局長を歴任する。 1980年〈昭和55年〉の第12回参議院議員通常選挙に岩手県選挙区から無所属の野党候補として立候補したが落選した。
玉置 和郎(たまき かずお、1923年1月1日 - 1987… 玉置 和郎(たまき かずお、1923年1月1日 - 1987年1月25日)は、日本の政治家。参議院および衆議院議員、総務庁長官を務めた。和歌山県御坊市出身。 五人兄弟の三男として生まれ、中学入学直前に父親を亡くす。御坊商業学校(現・和歌山県立紀央館高等学校)卒業後中国大陸に渡り、華北交通の給費学生として1941年北京中央鉄路学院本科を修了。1943年に満鉄に入社。終戦後、製塩業、ゴム工場などの様々な仕事に就く。その後、上京し自由民主党本部に就職、党職員になる。和歌山県選出の早川崇衆議院議員に見出され、早川が労働大臣に就任した際、大臣秘書官となった。 生長の家政治連合の支援を得て、1965年の第7回参議院議員通常選挙に自民党公認で立候補し、当選する。
平野 時男(ひらの ときお、1922年8月6日 - 1993… 平野 時男(ひらの ときお、1922年8月6日 - 1993年7月27日)は、日本の柔道家(講道館8段)。 皇宮警察や綜合警備保障の柔道師範を務めたほか、欧州各国で柔道指導を行いアントン・ヘーシンクやウィレム・ルスカ等の世界チャンピオンを育てた事で知られる。 淡路島の洲本市に生まれ、旧制・洲本中学校に入学した直後の1935年4月より柔道を始めた。2年生で初段位を取得すると推薦により平安中学校へ転校し、大日本武徳会武道専門学校師範を務める福島清三郎8段(のち9段)の義方会塾に住みこんで4段・5段の猛者を相手に修行に励んだ。平安中学主将となった平野は1939年に全国中等学校大会で優勝すると、同年秋に講道館で開催された明治神宮国民体育大会(中学校の部)に団体戦の京都府代表として出場し、優勝に貢献。
鍵田 忠三郎(かぎた ちゅうざぶろう、1922年(大正11年… 鍵田 忠三郎(かぎた ちゅうざぶろう、1922年(大正11年)7月25日 - 1994年(平成6年)10月26日)は、日本の政治家。奈良市長、衆議院議員(1期、自由民主党)。剣道家でもあり、奈良県剣道連盟会長、奈良県なぎなた連盟会長も務めた。鍵田忠兵衛は次男。 1922年(大正11年)、奈良県奈良市生まれ。1943年(昭和18年)、拓殖大学専門部卒業。 1951年(昭和26年)、奈良県議会議員に当選、新若草山自動車道や三笠温泉開発の事業に携わる。38歳のとき、胸を患って余命2か月と診断、人生を終えるつもりで四国八十八箇所参りを行った後、体調は快復。1960年(昭和35年)、終戦の日である8月15日に慰霊するため、奈良東山の高円山に奈良大文字を創始する。
寺田 精之(てらだ きよゆき、1922年3月20日 - 20… 寺田 精之(てらだ きよゆき、1922年3月20日 - 2009年7月13日)は、日本の合気道家。養神館合気道10段。 合気道の達人塩田剛三と共に、養神館合気道設立者の一人。晩年は主に神奈川県に拠点を置き、合気道の指導を行っていた。塩田剛三亡き後、養神館合気道の最高師範、最高顧問も務めた。
石井 淑普(いしい よしなみ、1922年(大正11年)3月7… 石井 淑普(いしい よしなみ、1922年(大正11年)3月7日 - 1999年(平成11年)10月3日 )は、日本の陸軍軍人。インドネシア独立の英雄の一人。インドネシア名はサトゥリア。 佐賀県において陸軍将校の一人息子として生まれる。父は後に満州国陸軍の中将をつとめた。1943年(昭和18年)10月、学徒出陣に伴い拓殖大学商学部を繰り上げ卒業。拓殖大学在学中、大川周明のゼミに所属し、大アジア主義について学ぶ。 その年の12月、陸軍久留米工兵隊(西部第52部隊)に入隊し、間もなく、陸軍特別操縦見習士官(三期)を経て、陸軍少尉に任官し、インドネシアに進駐。 1945年(昭和20年)8月15日、インドネシアで終戦を迎えたが、日本に復員することなく、軍を離脱し、インドネシア独立義勇軍に参加し、インドネシア独立戦争に身を投じる。
星野 紗一(ほしの さいち、1921年(大正10年)10月3… 星野 紗一(ほしの さいち、1921年(大正10年)10月31日 - 2006年6月22日)は、日本の俳人。夫人は俳人の星野明世(本名 明子)。元現代俳句協会顧問。 埼玉県浦和市(現・さいたま市)に生まれる。1933年(昭和8年)父の星野茅村や『水明』の長谷川かな女のもとで俳句を始める。1942年(昭和17年)拓殖大学を繰上げ卒業し、甲府連隊に入隊。 1946年(昭和21年)『七星会』を創刊。1955年(昭和30年)『水明』編集委員、1969年(昭和44年)『水明』運営委員、編集長。1973年(昭和48年)『水明』2代目主宰の長谷川秋子の急逝により、3代目主宰に就任。1975年(昭和50年)現代俳句協会会員、のち幹事を務めた。
時岡 弘(ときおか ひろむ、1921年5月9日 - 2009… 時岡 弘(ときおか ひろむ、1921年5月9日 - 2009年11月27日) は、日本の法学者。専門は憲法。早稲田大学名誉教授。福井県出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
中島 健吉(なかじま けんきち、1921年1月2日 - 20… 中島 健吉(なかじま けんきち、1921年1月2日 - 2011年12月13日)は、日本の実業家。平和の創業者。 群馬県出身。拓殖大学商経済学部を卒業。 1949年に平和商会(のちの平和)を創業し、社長に就任。1992年5月に会長を経て、2003年3月には名誉会長に就任。 1963年に藍綬褒章を受章し、1964年に紺綬褒章を受章。
河原 敏明(かわはら としあき、1921年 - )は、日本の… 河原 敏明(かわはら としあき、1921年 - )は、日本の皇室ジャーナリスト。元拓殖大学客員教授。 北海道旭川市生まれ。1935年(昭和10年)、東京府東京市(現在の東京都)に移住。明治大学専門部経営学科と東京教育大学文学部史学聴講課程に学ぶ。『婦人倶楽部』(講談社)増刊のグラフ誌『皇族画報』や『華族画報』に親しんだことが皇室に興味を抱くきっかけとなる。 1955年(昭和30年)、伊馬春部とともに執筆した原案をもとに脚本家の金貝省三がストーリーを執筆、長谷川公之が脚本化した『皇太子の花嫁』を、新東宝が小森白を監督に製作、同年4月5日に公開した。1952年(昭和27年)ごろから皇室ジャーナリストを自称するようになり、「皇室秘話」とされるエピソードの類を数多く発表する。
改井 秀雄(かい ひでお、1919年(大正8年)7月10日 … 改井 秀雄(かい ひでお、1919年(大正8年)7月10日 - 1983年(昭和58年)3月31日)は、昭和期の地方公務員、労働運動家、政治家。1971年から1983年まで富山県富山市長(4期)を務めた。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 富山県出身。1943年(昭和18年)拓殖大学商学部卒業後、富山県庁に入庁し、同県職組委員長、全日本自治団体労働組合富山県本部委員長などを歴任。富山県議会議員(日本社会党公認、1963年から2期)をへて、1969年(昭和44年)の県知事選に挑戦するも落選(当選は自民党公認で新人の中田幸吉)。 その後、1971年(昭和46年)2月に行われた富山市長選挙にて、社共統一候補として立候補し初当選。
鮎川 哲也(あゆかわ てつや、1919年2月14日 - 20… 鮎川 哲也(あゆかわ てつや、1919年2月14日 - 2002年9月24日)は、日本の小説家。本名、中川 透(なかがわとおる)。東京府に生まれ、大連に育つ。拓殖大学商学部卒。 アリバイ崩しを得意とし、『ペトロフ事件』『黒いトランク』『人それを情死と呼ぶ』など、鬼貫警部を探偵役とする本格推理小説を発表。ほか『りら荘事件』『死者を笞打て』などの長編小説や多数の短編小説を執筆し、さらにはアンソロジーの編纂や、新人の育成などにも力を尽くした。 1919年2月14日、東京府巣鴨に生まれた。父が南満洲鉄道地質調査所の測量技師となったため、小学3年生のときに一家で満洲大連に移り住み、旧制中学を卒業するまでここで過ごした。
郷田 實(ごうだ みのる、1918年 <大正7年> 9月26… 郷田 實(ごうだ みのる、1918年 <大正7年> 9月26日 - 2000年 <平成12年> 3月21日)は、日本の政治家。元宮崎県東諸県郡綾町長。在任期間は6期24年(1966年~1990年)。位階は従五位。 宮崎県綾町出身。拓殖大学南方専門科卒業。兵役から復員後、綾町農協に就職。1954年に綾町助役、1966年から1990年まで綾町長を務めた。 自然を生かした町おこしの成果で全国的に知られる。長女の郷田美紀子は薬剤師、環境保護団体代表。 1996年、勲四等旭日小綬章を受章。2000年3月21日、心不全のため死去。死没日付をもって従五位に叙された。 死後、ドキュメンタリー映画『未来からの町づくり先駆者 郷田實』が製作された。
渡辺 晶一郎(わたなべ しょういちろう、1918年6月3日 … 渡辺 晶一郎(わたなべ しょういちろう、1918年6月3日 - )は、日本のアマチュアレスリング選手、指導者。拓殖大学レスリング部創設者。 広島県高田郡向原町(現安芸高田市)出身。拓殖大学在学中の1938年、レスリング部を同好会として創部。1940年、同レスリング部は正式に部に昇格した。戦後は郷里・向原中学教諭に奉職。自ら現役選手として毎年国体の広島県チームの一員として活躍。また向原中学を始め、教え子たちが創部した広島県立向原高校や広島県立白木高校などを指導した。特に向原高校レスリング部は戦後の広島高校レスリングをリード、他校にレスリング部創設を促した。グレコローマン・ライトヘビー級で1964年東京オリンピックに出場した中浦章らが教え子。
染谷 誠(そめや まこと、1918年3月3日 - 1992年… 染谷 誠(そめや まこと、1918年3月3日 - 1992年1月22日)は日本の政治家。元自由民主党衆議院議員(5期)。
市古 尚三(いちこ しょうぞう、1917年(大正6年)11月… 市古 尚三(いちこ しょうぞう、1917年(大正6年)11月13日 - 2014年(平成26年)2月16日)は、日本の経済学者、拓殖大学名誉教授、元拓殖短期大学学長、元日本私立短大協会理事、経済博士。専門は、中国経済史。
木村 政彦(きむら まさひこ、1917年〈大正6年〉9月10… 木村 政彦(きむら まさひこ、1917年〈大正6年〉9月10日 - 1993年〈平成5年〉4月18日)は、日本の柔道家・プロレスラー。段位は講道館柔道七段。鬼の木村の異名を持つ。 全日本選手権13年連続保持、天覧試合優勝も含め、15年間不敗のまま引退。「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と讃えられ、後々にも史上最強の柔道家と称されることが多い。身長170 cm、体重85 kgと小兵ながら、トレーニングにより鍛え抜かれた強靭な肉体、爆発的な瞬発力、得意技である切れ味鋭い大外刈りのスピードとパワー、高専柔道で身につけた寝技技術、またこれらを支える一日10時間を越える練習量と柔道に命を賭す強靭な精神力を武器に15年間不敗を成し遂げた。
塩田 剛三(しおだ ごうぞう、1915年(大正4年)9月9日… 塩田 剛三(しおだ ごうぞう、1915年(大正4年)9月9日 - 1994年(平成6年)7月17日)は、東京府四谷区(現・東京都新宿区四谷)出身の武道(合気道)家である。合気道の流派養神館合気道設立者。本名・塩田剛(しおだ たけし)。身長154cm、体重46kgと小柄な体格ながら「不世出の達人」と評され、「現代に生きる達人」「生ける伝説」とも謳われた。 医師・塩田清一の次男として生まれる。自伝[要文献特定詳細情報]によると父は小児科医として名高く、貧しい人からは治療費を取らず、金持ちからはがっちり頂いていたという。また軍人や政治家とも親交が深く、様々な知己を得ていたという。かなり裕福な家庭に育ち、不自由は何一つなかった。
草野 文男(くさの ふみお、1915年5月24日 - 199… 草野 文男(くさの ふみお、1915年5月24日 - 1996年8月21日)は、中国研究者。 1915年、福島県いわき市で生まれた。法政大学に進学するが、1939年に中退。中央大学に移るが、1941年に中退。北京大学で学ぶが、中退。 その後、外務省に入省し、情報部、調査部、調査局で勤務。その後、拓殖大学政経学部助教授に転じた。1960年、学位論文『中共計画経済の実証的研究』を拓殖大学に提出して経済学博士号を取得。後に教授昇格。1987年に拓殖大学を退任し、名誉教授。となった。1996年8月21日、肺癌のため死去。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
中山 正敏(なかやま まさとし、1913年(大正2年)4月6… 中山 正敏(なかやま まさとし、1913年(大正2年)4月6日 - 1987年(昭和62年)4月15日)は、昭和時代の空手家。山口県出身。日本空手協会設立者、初代首席師範。松濤館流空手道の中興の祖。日本空手協会主席師範で九段。死後、十段を授与された。 1913年4月13日、 山口県で生まれたが 、先祖は信濃国(現在の長野県)出身で剣術師・ 真田家の家臣で、後の信州松代藩で先祖代々剣術指南を務めていた家柄である。 曾祖父の中山兵右衛門は神道無念流の剣術家としてしられ、中山の祖父は東京で外科医を開業し家族の中で最後に剣術を教えていた。 中山の父親は軍医で柔道家の中山直道。父親は台北に配属されたので形成期の時期はそこで過ごした。
田中 正明(たなか まさあき、明治44年(1911年)2月1… 田中 正明(たなか まさあき、明治44年(1911年)2月11日 - 平成18年(2006年)1月8日)は、日本の歴史研究家、政治思想家、近現代史評論家、著述家、新聞編集者。戦前・戦時中は松井石根の私設秘書としてアジア解放運動に従事した。 大亜細亜協会編集責任者、戦後は、拓殖大学講師、世界連邦建設同盟事務局長、財団法人国際平和協会専務理事を務めるほか、近現代史評論家として著述活動を活発に行った。 長野県下伊那郡喬木村出身。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)卒業。1933年、興亜学塾卒業。松井石根の元私設秘書、松井が設立発起人となった大亜細亜協会編集責任者となる。応召し、無錫で終戦を迎える[要出典]。
竪山 利忠(たてやま としただ、1907年1月15日-199… 竪山 利忠(たてやま としただ、1907年1月15日-1993年12月6日)は、日本の労働運動家・社会学者(労働社会学)。創価大学名誉教授・拓殖大学元教授。戦前は社会主義運動から日本共産党で活動し、転向後は寧ろ反共・右派の労働運動の理論家となった。電機労連委員長から民間連合会長になった竪山利文は弟。 鹿児島県谷山村(現・鹿児島市の一部)松崎に生まれる。1924年3月、鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を卒業。1926年3月に第七高等学校造士館 (旧制)文科を卒業し、同4月に東京帝国大学経済学部経済学科入学。帝大入学と同時に新人会に入り、浜松日本楽器大争議に派遣される。新人会幹事長を経て日本共産青年同盟に加盟。
西郷 隆秀(さいごう たかひで、1907年1月7日 - 19… 西郷 隆秀(さいごう たかひで、1907年1月7日 - 1985年4月24日)は、日本の学校経営者。学校法人拓殖大学理事長、顧問。 鹿児島県鹿児島市出身。西郷菊次郎の三男。1931年3月拓殖大学商学部卒業。1954年から拓殖大学評議員、理事。1955年3月から1964年6月まで拓殖大学理事長を3期務める。矢部貞治拓殖大学総長と戦後の学園復興を進めた。拓殖大学顧問や国際協力技術研修財団理事長なども務めた。1985年4月24日心肺不全で死去(78歳没)。 拓殖大学では同大学の『西郷隆秀顕彰記念外国人留学生奨学金』の創設者として知られる。また八王子キャンパスの購入仮契約の際の理事長でもある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
前田 幸蔵(まえだ こうぞう、1907年(明治40年) - … 前田 幸蔵(まえだ こうぞう、1907年(明治40年) - 1986年(昭和61年))は、日本の公認会計士、税理士。元日本税理士会連合会会長。 鳥取県八頭町(旧船岡町)出身。1934年(昭和9年)拓殖大学商科を卒業し、同年計理士に登録。1950年(昭和25年)、公認会計士試験に合格する。日本計理士会常任理事、税理士試験委員、中小企業中央連絡懇談会委員等を歴任。 1965年の第7回参議院議員通常選挙では、全国区で立候補して当選した青木一男を支援。後に公職選挙法違反(違法文書配布)の容疑で警視庁に逮捕された。
大谷 晃(おおたに あきら、1906年10月9日 - 196… 大谷 晃(おおたに あきら、1906年10月9日 - 1963年2月22日)は日本の柔道家(講道館9段、大日本武徳会教士)。 1929年の明治神宮大会や1934年の天覧試合で選手権を獲得、後には拓殖大学や大阪府警察で後進の指導に当たるなどした、戦前・戦後の柔道界を牽引した柔道家の1人である。 広島県出身。中外商業学校(のちの県立尼崎北高校)、大日本武徳会大阪支部で柔道を学び、1924年17歳の時に講道館入門。入門半年後に初段、1925年1月に2段、1926年11月に3段、1927年2月に4段と、毎年順調に昇段を重ねた。身長157cmと上背はないものの、重心が低く巌のような体重89kgの体から繰り出す右の背負投と得意とし、1927年の第4回明治神宮大会柔道競技において青年団の個人戦・団体戦に出場。
神本 利男(かもと としお、1905年〈明治38年〉9月18… 神本 利男(かもと としお、1905年〈明治38年〉9月18日 - 1944年〈昭和19年〉9月30日)は、満州国の警察官、日本陸軍のスパイ。 北海道十勝国中川郡本別町仙美里出身。「ハリマオ」こと谷豊を説得し、諜報員として引き入れた人物である。 1905年(明治38年)9月18日、開拓農民・神本利七の次男として生まれる。利七自身は農家だったが、家系は鳥取で先祖代々戦国時代から続く武家の名家だった。 1911年、釧路国足寄郡足寄村の愛冠小学校に入学、三隅小学校高等科を卒業。1920年4月、島根県の祖父宅に渡り、浜田中学に入学。武道では柔道を選択し、背負い投げの神本と呼ばれる。 1926年3月、拓殖大学予科入学。