瀬髙 哲雄(せたか てつお、1981年6月16日 - )は、… 瀬髙 哲雄(せたか てつお、1981年6月16日 - )は、日本の政治家。元プロアイスホッケー選手。栃木県日光市長(1期)。このほか、日光市議会議員(3期)を歴任した。アジアリーグアイスホッケーのH.C.栃木日光アイスバックスのアンバサダーも務めている。 北海道苫小牧市出身。苫小牧市立和光中学校を経て駒大苫小牧高校に進学、高校時代は3年連続インターハイで優勝、U-18日本代表にも選ばれた。東洋大学に進学し春季トーナメントでは最優秀新人賞を獲得、インカレ優勝1回、ユニバーシアード代表に1回選ばれ4年次には主将を務めた。 2004年、コクドに入団したが、前年度のコクド、西武合併の影響により、1年で戦力外通告を受けて、2005-06年シーズンには、日本人初となる韓国チームの移籍選手として安養ハルラでプレーした。
髙橋 但馬(たかはし たじま、1975年8月30日 - )は… 髙橋 但馬(たかはし たじま、1975年8月30日 - )は、日本の政治家。岩手県議会議員(5期)。いわて新政会所属(立憲民主党系)。 岩手県盛岡市生まれ。盛岡市立繋小学校、盛岡市立繋中学校、盛岡市立高等学校、東洋大学法学部法律学科卒業。 卒業後、階猛衆議院議員の公設第二秘書を務めた。その後、盛岡市立繋小中学校のPTA会長などを歴任。 2011年、岩手県議会議員選挙(盛岡選挙区)に民主党公認で立候補し初当選。以降、2015年、2019年、2023年と連続当選し、現在5期目。 現在は議会運営委員会委員長、文教委員会委員、グローバル化・多文化共生調査特別委員会委員などを務める。
田久保 眞紀(たくぼ まき、1970年〈昭和45年〉2月3日… 田久保 眞紀(たくぼ まき、1970年〈昭和45年〉2月3日 - )は、日本の政治家。静岡県伊東市長(1期)、伊東市議会議員(2期)を歴任した。 千葉県船橋市出身。10歳の時に父が病死し、中学3年生の時に静岡県伊東市に転居する。伊東市立北中学校、静岡県立伊東城ケ崎高等学校を卒業し、東洋大学法学部へ進学するも除籍となった。その後、バイク便ライダーやイベントに人材を派遣する会社勤務を経て、広告業界で独立した。2010年、伊東市に帰郷し、カフェを経営。 2015年10月6日、伊東市は、伊豆メガソーラーパーク合同会社(代表社員:ハンファエナジージャパン)の申請した同市八幡野の土地利用事前申請を承認した。
青野 高陽(あおの たかはる、1968年〈昭和43年〉10月… 青野 高陽(あおの たかはる、1968年〈昭和43年〉10月29日 - )は、日本の政治家。岡山県久米郡美咲町長(2期)。元岡山県議会議員(3期)。 岡山県久米郡美咲町出身。1991年(平成3年)、東洋大学経済学部を卒業。大学卒業後は山陽新聞社に入社し、尾道・三原支局長や政治部記者などを歴任した。 2007年(平成19年)、岡山県議会議員選挙(久米郡選挙区)に立候補し初当選。以後、約11年半にわたり3期連続で県議会議員を務めた。 2018年(平成30年)11月、前町長の辞職に伴う美咲町長選挙に無所属で立候補。ほかに立候補の届け出がなく、無投票で第3代美咲町長に初当選した。同年12月10日に町長に就任。
石原 信市郎(いしはら しんいちろう、1967年1月19日 … 石原 信市郎(いしはら しんいちろう、1967年1月19日 - )は日本の政治家。
桜本 広樹(さくらもと ひろき、1961年9月26日 - )… 桜本 広樹(さくらもと ひろき、1961年9月26日 - )は日本の政治家。山梨県議会議員(3期)、第130代山梨県議会議長、南アルプス市議会議員(1期)を歴任した。 山梨県立巨摩高等学校、東洋大学卒業。2004年11月28日、南アルプス市議会議員選挙に無所属で立候補して、28人中24位で初当選を果たした。2007年4月8日、南アルプス市選挙区から山梨県議会議員選挙に無所属で立候補したが、次点で落選した。2011年4月10日、再度無所属で県議選に立候補して今度はトップで初当選を果たした。以後、2回当選し2015年の選挙からは自由民主党公認で当選している。県議会では、教育厚生委員長、県監査委員などを歴任した。
今榮 敏彦(いまえ としひこ、1960年〈昭和35年〉7月1… 今榮 敏彦(いまえ としひこ、1960年〈昭和35年〉7月17日 - )は、日本の元政治家。元広島県竹原市長(2期)。 広島県竹原市竹原町出身。1983年(昭和58年)3月、東洋大学経済学部卒業。1986年(昭和61年)4月、竹原市役所に入庁。観光文化室長総務課長、総務部長、市民生活部長、福祉部長を歴任。 2017年(平成29年)3月、竹原市役所を退職。同年6月7日、任期満了に伴う竹原市長選挙に出馬する意向を表明。同年12月24日に行われた市長選で自由民主党の推薦を受けた現職の吉田基ら2候補を破り初当選した。選挙の結果は以下のとおり。2018年(平成30年)1月14日、市長就任。※当日有権者数:22,808人 最終投票率:59.84%(前回比:-3.59pts) 2021年12月19日に行われた市長選で新人3候補を破り再選を果たした。
長沢 広明(ながさわ ひろあき、1958年(昭和33年)8月… 長沢 広明(ながさわ ひろあき、1958年(昭和33年)8月19日 - )は、日本の政治家。 公明党機関紙局政治部副部長、衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)、公明党参議院国会対策委員長、復興副大臣などを歴任した。 1971年3月、板橋区立板橋第四小学校を卒業した。1974年3月、板橋区立加賀中学校を卒業した。その後、東京工業大学工学部附属工業高等学校の建築科に進学した。1977年3月、東京工業大学工学部附属工業高等学校を卒業した。その後、東洋大学の社会学部に進学した。1983年3月、東洋大学を卒業した。 1983年4月、公明党機関紙局が発行する『公明新聞』の記者となる。1995年10月から政治部副部長を務める。
結城 裕(ゆうき ひろし、1956年10月26日 - )は日… 結城 裕(ゆうき ひろし、1956年10月26日 - )は日本の政治家。山形県尾花沢市長(1期)。 山形県尾花沢市出身。山形県立楯岡高等学校(現・山形県立東桜学館中学校・高等学校)卒業。東洋大学法学部(2部)卒業。1977年1月、防衛庁に入庁した。2017年3月、防衛装備庁電子装備研究所総務課長で定年退職した。その後は、都内民間企業を経て、同年11月に帰郷した。 2018年1月23日、尾花沢市長選挙に無所属で立候補することを表明した。同年7月15日、自由民主党山形県連と公明党山形県本部から推薦を受けたものの、民進党山形県連、日本共産党山形県委員会、社会民主党山形県連から推薦を受けた菅根光雄に226票差で破れた。
片山 健也(かたやま けんや、1953年3月16日 - )は… 片山 健也(かたやま けんや、1953年3月16日 - )は、日本の政治家。元北海道ニセコ町長(4期)。 北海道ニセコ町出身。ニセコ町立ニセコ中学校、北海道立倶知安高等学校卒業。1975年(昭和50年)3月、東洋大学法学部卒業。同年4月、株式会社エーコープライン(現・全農物流)に就職。1978年(昭和53年)10月、退社。同年11月、ニセコ町役場に採用される。 2009年(平成21年)9月13日に行われたニセコ町長選挙に立候補し、前町議の高橋守を破り初当選を果たした。10月9日、町長就任。 2013年(平成25年)、2017年(平成29年)、2021年(令和3年)、いずれも無投票で当選した。
日域 究(じついき きわむ、1952年 - )は、日本の政治… 日域 究(じついき きわむ、1952年 - )は、日本の政治家。広島県大竹市議会議員(5期)。 広島県大竹市出身、東洋大学卒業。学校法人大竹学園理事長、大竹中央幼稚園園長。2003年(平成15年)大竹市議会議員に初当選、以降5期連続当選。 2014年(平成26年)と2018年(平成30年)に、透明性のある市政運営を掲げて、大竹市長選挙に出馬するも、現職の入山欣郎に敗れる。 大竹市が大願寺山に造成した市有地を、鑑定評価額の半額以下で売却したのは違法として、日域をはじめとする住民らが、市長の入山欣郎に対して3億6,300万円の損害賠償を求める住民訴訟が起こした。広島地方裁判所の1審判決では原告が訴えを退けられ、住民側が判決を不服として控訴した。
神田 孝次(かんだ こうじ、1951年8月12日 - )は日… 神田 孝次(かんだ こうじ、1951年8月12日 - )は日本の政治家。元北見市長(旧北見市2期・新北見市1期の通算3期)。北海道釧路市出身。 衆議院北海道第12区(宗谷・網走管内)の武部勤衆院議員と関係が深く、事実上自民党の支援を受けている。 自民党会派を与党として市政を運営していたが、市役所移転等が絡む駅周辺地区の基本計画議案が否決されたことに伴い、「市民の信任を問う」として、2008年11月13日付で北見市長を辞職。市長選は民主党・新党大地推薦の小谷毎彦と一騎討ちとなり、衆院選の前哨戦の代理戦争と報道された。12月21日即日開票により落選。北見市長としての在任期間は旧北見市・新北見市の通算で3期約9年半であった。
藤巻 進(ふじまき すすむ、1951年2月17日 - )は、… 藤巻 進(ふじまき すすむ、1951年2月17日 - )は、日本の政治家。元長野県軽井沢町長(3期)、元軽井沢町議会議員(3期)。 長野県軽井沢町出身。1969年(昭和44年)3月、長野県軽井沢高等学校卒業。1971年(昭和46年)3月、幼少時のヤケド治療のため東洋大学経済学部を中退。1973年(昭和48年)4月、有限会社塩沢遊園に勤務。1988年(昭和63年)4月、軽井沢高原文庫理事長に就任。なお、塩沢遊園は1996年(平成8年)7月に軽井沢タリアセンに改称している。 1995年(平成7年)、軽井沢町議会議員に初当選。町議を3期務めた。 2007年(平成19年)5月から2010年(平成22年)11月まで一般社団法人軽井沢観光協会会長を務めた。
長島 忠美(ながしま ただよし、男性、1951年1月9日 -… 長島 忠美(ながしま ただよし、男性、1951年1月9日 - 2017年8月18日)は、日本の政治家。 新潟県中越地震で被災した新潟県古志郡山古志村の、最後の村長である。衆議院議員(4期)、復興副大臣、復興大臣政務官兼農林水産大臣政務官、山古志村長(2期)、山古志村議会議員(2期)、東洋大学理事長、国際ボランティア学生協会特別顧問、自民党たばこ議員連盟幹事長代理を務めた。
平尾 道雄(ひらお みちお、1950年12月24日 - )は… 平尾 道雄(ひらお みちお、1950年12月24日 - )は、日本の政治家。前滋賀県米原市長(通算4期)。 滋賀県坂田郡伊吹村高番(現・米原市)出身。伊吹村立春照小学校、伊吹村立伊吹山中学校、滋賀県立米原高等学校、東洋大学社会学部卒業。 1973年(昭和48年)4月、米原町役場に奉職。2003年(平成15年)10月、山東町・伊吹町・米原町合併協議会事務局長に就任。 2005年(平成17年)2月14日、米原町は山東町、伊吹町と合併して米原市が発足する。これに伴って行われた米原市長選挙で初当選。 2009年(平成21年)の選挙で落選。2013年(平成25年)の選挙で返り咲く。2016年(平成28年)9月30日、市議会最終日の閉会挨拶で次期市長選に立候補する意向を表明した。
松本 茂幸(まつもと しげゆき、1950年〈昭和25年〉8月… 松本 茂幸(まつもと しげゆき、1950年〈昭和25年〉8月2日 - )は、日本の政治家。佐賀県神埼市長(4期)、神埼町長(1期)などを歴任した。 佐賀県神埼町本堀出身。神埼町立神埼中学校、佐賀県立神埼高等学校卒業。1969年(昭和44年)4月、神埼町役場に採用される。1976年(昭和51年)、東洋大学法学部(通信教育)を卒業。2004年(平成16年)5月、役場を退職。 2005年(平成17年)2月に行われた神埼町長選挙に立候補し初当選。 2006年(平成18年)3月20日、神埼町・千代田町・脊振村の2町1村が合併して神埼市が誕生。これに伴って行われた市長選に立候補し初当選、以降4選。 2022年(令和4年)4月17日に行われた神埼市長選挙で、無所属新人の内川修治に破れ、落選。
横田 耕一(よこた こういち、1948年12月30日 - )… 横田 耕一(よこた こういち、1948年12月30日 - )は、日本の政治家、実業家。勲等は旭日小綬章。北海道稚内市出身。1971年3月、東洋大学社会学部応用社会学科卒。元横田モータース株式会社代表取締役。第14代 - 第16代北海道稚内市長(1999年 - 2011年)。 千葉県君津市教育委員会勤務、横田モータース株式会社代表取締役などを経て、1999年稚内市長に初当選。以後、3期連続当選。 2011年4月実施の市長選には、出馬せず引退した。 自然エネルギーの導入促進に積極的に取り組んでおり、風力発電では74基の風車の導入、また太陽光発電では新エネルギー・産業技術総合開発機構の大規模太陽光発電の実証研究の導入などの実績を残した。
中田 丑五郎(なかた うしごろう、1947年(昭和22年)1… 中田 丑五郎(なかた うしごろう、1947年(昭和22年)1月1日 - )は、日本の政治家。元徳島県勝浦町長(3期)。父は元勝浦町長である中田森蔵。 徳島県出身。1971年(昭和46年)、東洋大学法学部卒業。大学卒業後、同年に社団法人徳島県林業公社に入社。 1999年(平成11年)7月に勝浦町議会議員に当選。2003年(平成15年)6月、勝浦町助役に就任。 2006年(平成18年)2月、勝浦町長に当選。その後、2010年(平成22年)と2014年(平成26年)も当選3期を務める。 2018年(平成30年)1月28日の勝浦町長選挙では新人の野上武典に敗れ落選した。 2022年、旭日双光章受章。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
宮本 勝彬(みやもと かつあき、1943年12月13日 - … 宮本 勝彬(みやもと かつあき、1943年12月13日 - )は、日本の政治家、教諭。元熊本県水俣市長(2期)。 熊本県熊本市出身。東洋大学文学部卒業。1967年(昭和42年)、中学校教諭として水俣市に赴任。小中学校の教諭、小中学校長を経て、2001年(平成13年)4月、市教育委員会教育長に就任した。 2003年(平成15年)、東亜道路工業の子会社のIWD東亜熊本が、市内山間部(同市長崎、同市湯出)に産業廃棄物処理施設建設を計画。同年5月11日に地元説明会を開催すると、これを契機として2004年(平成16年)6月、産廃反対の市民団体「水俣の命と水を守る市民の会」(以下、水の会)が発足。水の会は約2万人分の署名を集めて,反対運動を展開した。
渋谷 俊彦(しぶや としひこ、1942年(昭和17年)2月2… 渋谷 俊彦(しぶや としひこ、1942年(昭和17年)2月28日 - )は、日本の政治家。初代鹿児島県出水市長(新市制、3期)、出水市長(旧市制、2期)、出水市議会議員(旧市制、4期)などを歴任した。 先祖は渋谷氏。(出水郷土史に因る)[要出典] 鹿児島県出水市出身。1967年(昭和42年)2月、東洋大学経済学部卒業。1968年(昭和43年)4月から1972年(昭和47年)12月まで池田清志衆議院議員の秘書を務めた。同年同月から1974年(昭和49年)3月まで自由民主党東京都連事務局職員および鯨岡兵輔衆議院議員の秘書を務めた。 1982年(昭和57年)11月から1995年(平成7年)3月まで旧出水市議会議員を4期務めた。
石見 利勝(いわみ としかつ、1941年(昭和16年)8月1… 石見 利勝(いわみ としかつ、1941年(昭和16年)8月14日 - )は、日本の政治家。兵庫県姫路市長(4期)。 父は元姫路市長の石見元秀。 6人きょうだいの第4子として兵庫県飾磨郡余部村(現・姫路市)に生まれる。余部村立余部小学校、姫路市立白鳥中学校、兵庫県立姫路西高等学校を経て、京都大学理学部宇宙物理学科、東洋大学工学部建築学科卒業。東京工業大学大学院に進学し、石原舜介研究室で都市計画を専攻。1973年、東京工業大学大学院理工学研究科博士課程を修了し、工学博士号を取得した。1974年より東京工業大学助手。1979年、建設省建築研究所主任研究員に着任し、1983年には同研究所第六研究部都市防災研究室長に就任した。
青木 秋夫(あおき あきお、1931年〈昭和6年〉9月15日… 青木 秋夫(あおき あきお、1931年〈昭和6年〉9月15日 - 2021年〈令和3年〉1月1日)は、日本の政治家。前橋市議(1期)、群馬県議(6期)、第70代群馬県議会議長を歴任した。 1931年9月15日、勢多郡桂萱村(現前橋市)で生まれる。1956年、東洋大学社会学部を卒業し、明和高等学校教諭となった。1960年、久保田円次の公設第一秘書となり、その後国務大臣秘書官となった。1967年、前橋市議会議員選挙に無所属で立候補して当選した。1969年7月、任期途中で辞職した。1974年、桐生短期大学講師となった。1983年4月10日、群馬県議会議員選挙に勢多郡選挙区から立候補して初当選を果たし、以後6期務める。
張 都暎(장 도영、チャン・ドヨン、1923年1月23日 -… 張 都暎(장 도영、チャン・ドヨン、1923年1月23日 - 2012年8月3日 )は、大韓民国の軍人・政治家。軍での最終階級は陸軍大将。原名は張道英で、創氏改名による日本名は長原道英。本貫は仁同張氏。 第14代陸軍参謀総長を務め、参謀総長在任中に発生した5・16軍事クーデターでは傍観に徹した後、クーデターを主導した朴正煕などによって擁立され国家再建最高会議議長に就任したが、短期間で失脚した。太極武功勲章授与者。 龍川郡のクリスチャンの家庭で生まれる。新義州東中学校に通い、在学中は陸上選手として活躍した。創氏改名の際、当初苗字の読みを「ながわら」としていたが、国語教師から藤原氏のようだとからかわれたため「ながはら」に変更した。
張 坰淳(チャン・ギョンスン、朝鮮語: 장경순、1922年ま… 張 坰淳(チャン・ギョンスン、朝鮮語: 장경순、1922年または1923年3月23日 - 2022年7月18日)は、大韓民国の政治家、陸軍軍人、柔道家(2004年9月より名誉十段)、実業家。第6・7・8・9・10代韓国国会議員、第6・7・8代国会副議長、元農林部長官。 本貫は仁同張氏。号は霞原 (ハウォン、하원)。 日本統治時代の朝鮮で全羅北道の金堤に生まれた。東洋大学専門部拓殖科卒業。全北中高等学校で体育教師を務めた後、陸軍士官学校(7期特別班)、陸軍大学を卒業した。その後、陸軍情報学校校長、陸軍本部教育処長、陸軍士官学校参謀長、国家再建最高会議最高委員、農林部長官、国家再建最高会議運営分科委員長を務めた。
塩川 正十郎(しおかわ まさじゅうろう、1921年〈大正10… 塩川 正十郎(しおかわ まさじゅうろう、1921年〈大正10年〉10月13日 - 2015年〈平成27年〉9月19日)は、日本の政治家。位階は正三位。 自由民主党から立候補し衆議院議員(11期)。この間財務大臣(第2代)、自治大臣(第42代)、国家公安委員会委員長(第52代)、内閣官房長官(第50代)、文部大臣(第108代)、運輸大臣(第52代)、自由民主党総務会長などを歴任。 財団法人国民政治協会(自民党の政治資金団体)会長、財団法人自由国民会議(同党の党友組織)所属。 その他、東洋大学総長、財団法人関西棋院理事長、特定非営利活動法人武士道協会理事長、『ベストヒット歌謡祭』(旧『全日本有線放送大賞』)実行委員会名誉会長なども務めた。
金 益俊(キム・イクチュン、朝鮮語: 김익준/金益俊、191… 金 益俊(キム・イクチュン、朝鮮語: 김익준/金益俊、1916年1月16日 - 1984年6月18日)は、大韓民国の警察官僚、ジャーナリスト、大学教授、政治家。江原道警察局長、第7・9代韓国国会議員を歴任した。 日本統治時代の平安北道宣川郡出身。培材中学校(朝鮮語版)を経て、1943年東洋大学専門部拓殖経済科卒。日本メートン(ペートン)・カレッジにて政治学博士取得。学徒義勇軍を組織し、隊長として出戦した。高麗大学校法科大学助教授・教授、ソウル大学校法科大学助教授・教授、治安局教育課長、警察専門学校校長、第8代江原道警察局長(1950年8月12日~1951年7月27日)、漢城日報論説委員、国家再建最高会議企画委員、培材中高校後援会長、東萊中央傷痍軍人静養院長、大韓陸上競技連盟理事長、世界大学奉仕会(英語版)韓国委員会理事、民主共和党中央常任委員・中央常任委員会宣伝分科委員長・ソウル市龍山区党委員長(1963年より)・院内副総務、亜細亜放送局理事、学生陸上競技連盟会長、極東放送理事、国際青少年指導委員会韓国東部理事長を務めた。
張 俊河(チャン・ジュナ、장준하、1915年または1918年… 張 俊河(チャン・ジュナ、장준하、1915年または1918年8月27日 - 1975年8月17日)は、大韓民国の政治家、官僚、ジャーナリスト、独立運動家、社会運動家、実業家。雑誌『思想界(朝鮮語版)』を創刊し、朴正煕政権下での言論面での抵抗に寄与した。日本名は張安俊河。 日本統治時代の朝鮮の平安北道朔州郡に牧師の長男として生まれる。父親が独立運動に関わっていたことから各地を転々とし、中学卒業後に日本へ留学。東洋大学予科を経て、長老派の日本神学校を卒業する。1944年1月20日に学徒出陣によって日本軍に入隊、創氏改名では「張安俊河」と名乗る。平壌駐屯の歩兵第41連隊補充隊(朝鮮第42部隊)で訓練を終えたのち2月から中国戦線に参加し、江蘇省徐州の第65師団輜重隊(専7991部隊)を経て同地の独立歩兵第58大隊(長:柄田節大佐)に配属されたが、同年7月7日に尹慶彬(朝鮮語版)、洪錫勳、金永祿とともに脱走、安徽省阜陽で別の部隊から先に脱走した学徒兵の金俊燁(朝鮮語版)と合流した後、中国中央軍官学校臨泉分校の朝鮮光復軍幹部訓練班に入隊し、国民政府軍へ入隊して準士官に任じられ、1945年1月31日には重慶に赴いて、大韓民国臨時政府の光復軍に加わり金九の秘書となった。
川野 三暁(かわの さんぎょう、1910年(明治43年)3月… 川野 三暁(かわの さんぎょう、1910年(明治43年)3月31日 - 1989年(平成元年)12月18日)は、昭和期の僧侶、政治家。参議院議員、浄土真宗本願寺派・正念寺住職。 広島県山県郡出身。龍谷大学予科を経て、1937年(昭和12年)東洋大学文学部を卒業した。その後、中国に8年間留学した。 1953年(昭和28年)浄土真宗本願寺派宗会議員に就任し1989年まで9期在任。1960年(昭和35年)同派総務に就任し2回任じられた。1976年(昭和51年)池田勇人大蔵大臣秘書官となる。1978年(昭和53年)日本仏教連合会国際部長、1982年(昭和57年)浄土真宗本願寺派布教研究所所長に就任。 1962年(昭和37年)7月の第6回参議院議員通常選挙で全国区から自由民主党公認で出馬して当選し、参議院議員に1期在任した。
橋本 喜一(はしもと きいち、1908年(明治41年)3月1… 橋本 喜一(はしもと きいち、1908年(明治41年)3月10日 - 没年不明)は、日本の教育者・政治家。新潟県両津市(現・佐渡市)長(1期)。 新潟県出身。出生名は市橋喜一。佐渡トキ保護会会長で「トキ博士」の異名を持つ佐藤春雄は実弟。 1931年(昭和6年)に東洋大学文学部を卒業し、陸軍科学研究所に勤務した。橋本家に婿入りし、劇場の橋本座の経営者も務めた。相川町立相川高等女学校や組合立佐渡高等女学校で教諭を務めた。 1949年(昭和24年)2月には両津町加茂村組合立両津高等学校(現・新潟県立佐渡中等教育学校)の校長事務取扱を命じられ、同年6月には両津高校が新校地に移転した。 1950年(昭和25年)に両津町議会議員に当選すると、1952年(昭和27年)には議員選出の両津町教育長に就任し、両津高校の県立移管に尽力した。
藤森 睿(ふじもり さとる、1903年 〈明治36年〉12月… 藤森 睿(ふじもり さとる、1903年 〈明治36年〉12月8日 - 1984年〈昭和59年〉8月30日)は日本の政治家。青森県弘前市長。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 青森県弘前市出身。青森県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を経て、東洋大学倫理学東洋文学科卒。卒業後は青森県立青森高等女学校(現・青森県立青森高等学校)、青森県女子師範学校(現・弘前大学)、青森県立五所川原高等女学校(現・青森県立五所川原高等学校)の各教諭となり、五所川原高等女学校、青森高等女学校の各校長となる。1946年に青森県庁に入り、県視学官、教育、人事の各課長、民生部長を歴任し、1954年、弘前高校校長となり、教育現場に復帰した。
松本 賢一(まつもと けんいち、1903年(明治36年)11… 松本 賢一(まつもと けんいち、1903年(明治36年)11月26日 - 1990年(平成2年)11月26日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員(2期)、広島県呉市長。 広島県で松本勝太郎の三男として生まれる。東洋大学印度哲学科を卒業し、1932年(昭和7年)からベルリン大学に留学し哲学歴史地理を研究した。 農場経営を行い、呉市信用組合長を務め、1950年(昭和25年)三津窯業社長となる。1954年(昭和29年)4月、呉市長に就任。2期在任し、台風災害からの復旧、呉市民大学講座の開設、近隣町村との合併、呉豊栄高等学校(現呉市立呉高等学校)の新設、呉少年合唱団の創設などに尽力した。1961年(昭和36年)10月に市長を辞職した。
小山田 政弘(こやまだ まさひろ、1903年〈明治36年〉8… 小山田 政弘(こやまだ まさひろ、1903年〈明治36年〉8月30日 - 1990年〈平成2年〉1月23日)は、日本の政治家。鹿児島県姶良郡蒲生町長(第10代、3期)。元は旧制鹿児島二中教諭を長く務めた教育者。 鹿児島県姶良郡蒲生村(後の蒲生町、姶良市の一部)生まれ。1922年3月鹿児島県立加治木中学校(現鹿児島県立加治木高等学校)卒業。1926年3月東洋大学国文科卒業。鹿児島実業学校(現鹿児島実業高等学校)、鹿児島和洋裁縫女学校(現鹿児島城西高等学校)勤務を経て、鹿児島県立第二鹿児島中学校(鹿児島二中、現鹿児島県立甲南高等学校)で国語・漢文の教諭を1927年8月31日から約20年間務める。1947年4月重富村立重富中学校初代校長に就任。
国井 淳一(國井、くにい じゅんいち、1902年(明治35年… 国井 淳一(國井、くにい じゅんいち、1902年(明治35年)9月7日 – 1974年(昭和49年)10月29日)は、昭和期の詩人、農民運動家、政治家。参議院議員、栃木県那須郡親園村長。 栃木県那須郡親園村(現大田原市親園)出身。1924年(大正13年)東洋大学文化学科を卒業した。その後、上智大学哲学科を中退。 1925年(大正14年)本所キリスト教産業青年会内産業学院主事に就任。この頃、白鳥省吾に師事し、『日本詩人』、『地上楽園』、『詩神』、『北方詩人』などに農民詩を発表した。1934年(昭和9年)親園村長に就任し1期在任した。また、農民青年運動を指導し全国農村青年連盟委員長となった。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で出馬して次点であったが、膳桂之助が公職追放で当選を辞退したため当選者となり(補欠、任期3年)、国民民主党に所属し参議院議員に1期在任した。
小枝 一雄(こえだ かずお、1901年(明治34年)7月12… 小枝 一雄(こえだ かずお、1901年(明治34年)7月12日 - 1975年(昭和50年)6月22日)は、昭和期の政治家。衆議院議員(6期)、参議院議員(1期)、岡山県久米郡加美町長。農林畑一筋に活動し「地下足袋の小枝」と呼ばれた。 岡山県久米郡打穴村(中央町を経て現美咲町)の農家に生まれる。打穴尋常高等小学校を卒業。その後、東洋大学経済学部で学んだ。農業のかたわら中国民報(現山陽新聞)通信員となる。打穴村役場書記に就任し、同助役を務めた。1936年(昭和11年)岡山県会議員補欠選挙で当選し、3期在任した。その後、加美町長を務めた。 国民協同党岡山県支部長となり、1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で旧岡山1区から出馬して初当選。
与儀 達敏(よぎ たつびん、與儀 達敏、1901年5月19日… 与儀 達敏(よぎ たつびん、與儀 達敏、1901年5月19日 - 1965年2月25日)は、宮古民政府及び琉球政府の政治家。1956年4月から1958年3月まで立法院議長を務めた。沖縄県宮古郡下地村(現宮古島市)出身。 明治34年(1901年)5月19日生まれ。昭和4年(1929年)に東洋大学専門部倫理科を卒業し、地元の沖縄県立宮古中学校(現沖縄県立宮古高等学校)の教諭となり、教職に就いた。 沖縄戦後は、宮古民政府の副知事に就任した。1952年の第1回立法院議員総選挙に当選し立法院議員となった。 そして、比嘉秀平とともに新党結成に奔走し、「琉球民主党(後の沖縄自由民主党)」を立ち上げた。 行政主席の比嘉秀平の下で行政副主席を務めた後、立法院議長に選ばれた。
早稲田 柳右衛門(早稻田 柳右エ門、わせだ りゅうえもん、1… 早稲田 柳右衛門(早稻田 柳右エ門、わせだ りゅうえもん、1900年2月25日 - 1984年4月15日)は、日本の政治家。位階は正三位。衆議院議員(12期)を歴任した。 愛知県小牧市出身。享栄商業学校卒業。1929年、瀬戸市会議員となる。 1946年、第22回衆議院議員総選挙に愛知県第1区から日本進歩党公認で立候補し初当選。1947年、第23回衆議院議員総選挙に旧愛知2区から民主党公認で立候補し再選。 1954年、保全経済会の顧問に就任していたため、保全経済会事件に関して、衆議院議員の平野力三、東洋大学教授の松本信次とともに証人喚問される。 1955年、第2次鳩山一郎内閣郵政政務次官。1960年、自民党愛知県連の初代会長に就任。
李 時穆(イ・シモク、朝鮮語: 이시목、1896年または18… 李 時穆(イ・シモク、朝鮮語: 이시목、1896年または1897年 - 1980年5月23日)は、大韓民国のジャーナリスト、実業家、政治家。第2代韓国国会議員。 慶南宜寧出身。東洋大学哲学科卒。漢城日報論説委員、大韓硬質陶器社長、国民会支部長、無所属の第2代国会議員(のち自由党に入党)、国会財経農林委員、郷里宜寧の共匪襲擊事件の調査報告者を務めた。 この項目は、政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
金 凡父または金 凡夫(キム・ボンブ、朝鮮語: 김범부、18… 金 凡父または金 凡夫(キム・ボンブ、朝鮮語: 김범부、1896年または1897年 - 1966年12月10日)は、大韓民国の漢学者、哲学者(仏教哲学・東洋哲学)、政治家、陸軍軍人。第2代韓国国会議員。 本貫は善山金氏。本名は金 鼎卨(キム・ジョンソル、김정설)。小説家・金東里は16歳年下の弟である。著書は『花郎外史』『風流精神』などがある。 慶尚北道慶州出身。金桂史から漢学を学んだ後、東洋大学哲学科卒(中退という情報もある)、東京外国語大学・東京帝国大学・京都帝国大学政治科聴講。帰国後は仏教中央学林で講義をしたが、病気により釜山に移住した。1934年、崔凡述の手配で多率寺(朝鮮語版)で日本の天台宗の僧侶と教授40余人に清談派の玄理思想を講義した。
柳川 宗左衛門(宗左衞門、やながわ そうざえもん、1895年… 柳川 宗左衛門(宗左衞門、やながわ そうざえもん、1895年〈明治28年〉7月21日 - 1978年〈昭和53年〉11月8日)は、明治期から昭和期にかけての地主であり、醤油醸造家、実業家、政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)。 常陸国鹿島郡の日川砂漠を開拓した柳川宗左衛門秀勝の孫(四代目)。 茨城県鹿島郡若松村大字柳川新田(現:神栖市柳川)に、農業や醤油醸造業を営む第三代・柳川宗左衛門の長男・謙一として生まれる。1911年(明治44年)家督を相続。1913年(大正2年)東京市の京北中学校(現・東洋大学京北中学高等学校)を卒業した。 父が小作人のために設立した産業組合、柳川信用販売組合を継承し発展させた。
鄭 重燮(チョン・ジュンソプ、朝鮮語: 정중섭、1895年3… 鄭 重燮(チョン・ジュンソプ、朝鮮語: 정중섭、1895年3月6日または1898年3月6日 - 1978年2月27日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の独立運動家、教育者、警察官、政治家。第3・4代韓国国会議員。 咸鏡南道利原郡出身。京城高等工業専門学校(朝鮮語版)応用化学科卒、在学中は独立運動に関与して数回拘束された。東洋大学東洋倫理哲学科卒または3年修了。間島で東興中学校を設立し、教員・校長を務め、左翼団体である平友同盟にも参加したが、5・20間島暴動により避難し帰国した。その後は高城警察署刑事部長、北青工業学校教員・校長、北青産業学校・北青中学校教員、木浦工業学校(朝鮮語版)校長、光州西公立中学校(現・光州第一高等学校(朝鮮語版))校長、木浦商業学校(現・全南大学校)校長、全南大学校商科大学学長、全羅南道学務課長・教育局長、全南教育会創立初代会長、民主党中央委員、株式会社ラジオ木浦発起人・初代代表理事、初代木浦MBC社長、新民党中央委員会議長、共和党常任委員を務めた。
本多 鋼治(ほんだ こうじ、1893年(明治26年)12月1… 本多 鋼治(ほんだ こうじ、1893年(明治26年)12月15日 - 1964年(昭和39年)12月6日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、愛知県会議員(4期)、愛知県議会議長(1期)などを務めた。 文芸評論家の本多秋五、陶芸研究家の本多静雄は弟。衆議院議員の伊藤よし子は義妹。 愛知県西加茂郡上郷村花本(現・豊田市花本町)に生まれる。父親の本多松三郎は上郷村長を務めた。挙母尋常高等小学校(現・豊田市立童子山小学校)卒業。1912年(明治45年)、京北中学校(現・東洋大学京北中学高等学校)卒業。 1927年(昭和2年)9月25日の愛知県会議員選挙に西加茂郡選挙区から立憲民政党公認候補として出馬し初当選した。
陳 群(ちん ぐん、1890年〈光緒16年〉 - 1945年… 陳 群(ちん ぐん、1890年〈光緒16年〉 - 1945年〈民国34年〉8月17日)は、中華民国の政治家。字は人鶴。孫文ら革命派や南方政府(護法軍政府)に与し、後に中国国民党や国民政府で活動した。日中戦争期には、中華民国維新政府や南京国民政府の要職を歴任した。 日本へ留学して、明治大学で法学士、東洋大学で文学士の称号をそれぞれ取得した。孫文が護法運動を開始すると、1917年(民国6年)9月、陳群は広州の大元帥府秘書に就任した。1923年(民国12年)5月、大元帥府宣伝委員となる。後に大本営中国国民党党務準備委員に就任した。 孫文死後の1926年(民国15年)以後は、国民党上海政治分会委員、国民革命軍東路総指揮部政治部主任、上海警備総司令部軍法処処長、国民党宣伝部駐滬弁事処主任、第26軍政治部主任、上海法政学院総務長などを歴任した。
税所 篤秀(さいしょ あつひで、1882年(明治15年)8月… 税所 篤秀(さいしょ あつひで、1882年(明治15年)8月16日 - 1930年(昭和5年)7月10日)は、大正から昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。 本籍鹿児島県。警察官僚・税所篤一の長男として生まれる。 1908年(明治41年)私立東洋大学を卒業。同年、東亜煙草に入社し大連販売所で勤務。その後、浪速銀行書記、十五銀行勤務となった。 父・篤一の死去に伴い、1914年(大正3年)6月30日、子爵を襲爵した。 1925年(大正14年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され、研究会に属して活動し死去するまで1期在任した。
中川 観秀(なかがわ かんしゅう、1876年11月15日 -… 中川 観秀(なかがわ かんしゅう、1876年11月15日 - 1938年12月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 長崎県出身。1902年、東京哲学館(現・東洋大学)哲学科卒。長崎市議、同参事会員、同副議長、長崎県議、同参事会員を歴任する。佐世保軍港新聞記者、長崎新聞記者、同主筆、同社長、長崎高等女学校保護者会理事、瓊浦中学校保護者会長、長崎市教育会理事となる。 1930年の第17回衆議院議員総選挙において長崎1区(当時)から立憲民政党公認で立候補したが次点で落選した。1932年の第18回衆議院議員総選挙で当選。その後、国民同盟に移り、1936年の第19回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。
安藤 正純(あんどう まさずみ、1876年(明治9年)9月2… 安藤 正純(あんどう まさずみ、1876年(明治9年)9月25日 - 1955年(昭和30年)10月14日)は、大正から昭和期のジャーナリスト、政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。文部大臣(第71代)、国務大臣、衆議院議員(11期)。 東京府東京市浅草区浅草松葉町(現在の東京都台東区松が谷)にある、真宗大谷派真龍寺の住職、安藤了戒の子として生まれ、僧籍を有する。青年時代は宗門改革運動に情熱を燃やしていた。1895年に哲学館(現東洋大学)、1899年に東京専門学校(現早稲田大学)哲学科をそれぞれ卒業。陸羯南主宰の新聞『日本』記者を経て、東京朝日新聞に入社し、1920年には取締役編集局長となる。同年の衆議院議員総選挙に旧東京7区から無所属で立候補し当選を果たす。
江羅 直三郎(えら なおざぶろう、1875年12月25日 -… 江羅 直三郎(えら なおざぶろう、1875年12月25日 - 1939年12月8日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。旧姓は北村。 和歌山県和歌山市生まれ。1889年、日蓮宗学林を卒業した。1891年12月に日蓮宗の僧侶である叔父の江羅日明の養子となる。1891年、日蓮宗宮谷大学林を卒業した。1895年、哲学館(現・東洋大学)を卒業する。その後は、京都で僧侶になる為の修行を積んだ。1907年に京華日報が創立すると記者となり、後に副社長となった。 1910年4月に京都市会議員に当選した。以後、1913年、1917年、1929年、1937年と5選を果たした。また、1915年9月には京都府会議員となった。
田中 善立(たなか ぜんりゅう、1874年(明治7年)11月… 田中 善立(たなか ぜんりゅう、1874年(明治7年)11月24日 - 1955年(昭和30年)2月20日)は、明治から昭和前期の教育者、僧侶、政治家。衆議院議員(7期)。 愛知県愛知郡、のちの篠原村(松葉村、常磐村大字篠原を経て現名古屋市中川区)で、豪農・田中平八、タキ夫妻の二男として生まれる。熱心な真宗信徒の父が中学進学を認めなかったため、13歳で出家得度し真宗大谷派名古屋別院内の普通学校(現名古屋大谷高等学校)に入学し、校長南条文雄の薫陶を受けた。1891年(明治24年)12月に上京し東京英語学校(現日本学園中学校・高等学校)に入学し、1892年(明治25年)夏、哲学館(現東洋大学)に転じた。
佐藤 信古(さとう しんこ、1873年(明治6年)2月10日… 佐藤 信古(さとう しんこ、1873年(明治6年)2月10日 - 1942年(昭和17年)9月7日)は、明治時代後期から昭和時代前期の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。衆議院議員(1期)。 佐藤祐太郎の子として山形県田川郡宮曽根村(東田川郡栄村、余目町を経て現庄内町)に生まれる。二松學舍を経て哲学館を修了する。1905年(明治38年)以降、北洋漁業取締役、共益倉庫社長などのほか、栄村会議員、東田川郡会議員、栄村長、東田川郡育英会理事長、同教育会理事長などを歴任した。この間、1912年(明治45年)5月の第11回衆議院議員総選挙では山形県郡部から立憲政友会所属で出馬し当選し、衆議院議員を1期務めた。
吉良 元夫(きら もとお、1867年10月18日(慶応3年9… 吉良 元夫(きら もとお、1867年10月18日(慶応3年9月21日)- 1938年(昭和13年)10月15日)は、明治から昭和前期の醸造家、政治家。衆議院議員、大分県大野郡上井田村長。号・淡遠。 豊後国大野郡上尾塚村(大分県大野郡上井田村上尾塚、朝地村、朝地町を経て現豊後大野市朝地町上尾塚)で、酒造業・吉良圭蔵の長男として生まれる。竹田町の寺井塾で漢学を修めた。その後、上京して神田共立学校(現開成中学校・高等学校)、三田英語塾(慶應義塾)で学び、哲学館(現東洋大学)を卒業した。 帰郷して家業の酒造業、醤油醸造業を営む。大野郡酒屋組合長、両豊銀行監査役も務めた。日露戦争では豊州新報記者として従軍した。
張 東蓀(ちょう とうそん)は、中華民国・中華人民共和国の政… 張 東蓀(ちょう とうそん)は、中華民国・中華人民共和国の政治家・ジャーナリスト・哲学者。清末は立憲派として活動し、中華民国ではジャーナリストや唯心論哲学者として活動した。旧名は万田。字は聖心。 清末に日本へ留学し、東京帝国大学、私立哲学館(後の東洋大学)で学ぶ。留学中に張君勱と知り合った。また、梁啓超ら立憲派の立場をとっている。しかし辛亥革命勃発とともに帰国すると、革命派の孫文(孫中山)の下で臨時大総統府秘書に任ぜられた。 孫文の臨時大総統辞任後に、張東蓀は言論界に転じ、上海『大共和報』、雑誌『庸言』、雑誌『正誼』において主筆を歴任し、さらに『時事新報』では総編輯を務める。また、上海中国公学で大学部部長兼教授にもなった。