重家 俊範(しげいえ としのり、1945年6月3日 - )は… 重家 俊範(しげいえ としのり、1945年6月3日 - )は、日本の外交官。中東アフリカ局長や、在大韓民国特命全権大使等を歴任した。
一橋大学:143人
重家 俊範(しげいえ としのり、1945年6月3日 - )は… 重家 俊範(しげいえ としのり、1945年6月3日 - )は、日本の外交官。中東アフリカ局長や、在大韓民国特命全権大使等を歴任した。
田中 謙次(たなか けんじ、1944年12月16日 - 20… 田中 謙次(たなか けんじ、1944年12月16日 - 2001年4月30日)は、日本の外交官。2000年(平成12年)から2001年(平成13年)までカザフスタン兼キルギス兼タジキスタン駐箚特命全権大使を務めた。 岐阜県出身。岐阜県立岐阜高等学校を経て、1968年一橋大学法学部卒業、外務省入省。ロシアが専門で、フランク・エルベと親交を結んだ。軍縮会議日本政府代表部一等書記官、外務省経済局海洋課長、防衛庁長官官房法規課長、外務省情報調査局分析課長等を経て、1991在ソビエト連邦日本国大使館公使。1992年在ウィーン日本政府代表部公使。1995年日本原子力研究所国際協力室次長。1998年デュッセルドルフ総領事。
天江 喜七郎(あまえ きしちろう、1943年12月26日 -… 天江 喜七郎(あまえ きしちろう、1943年12月26日 - )は、日本の外交官。外務省中近東アフリカ局長、在ウクライナ特命全権大使、外務省参与、国立京都国際会館館長等を歴任。 宮城県仙台市出身。生家は日本酒の蔵元だった「天賞酒造」で、喜七郎は8代目天江勘兵衛の7男である。 宮城県仙台第二高等学校を経て、1967年に一橋大学法学部を卒業した。学生時代、仲小路彰に指導を受ける。卒業後に外務省に入省した。イギリス陸軍語学学校でロシア語研修を受けた後、モスクワに在勤となる。1979年イラン革命時に在イラン日本大使館一等書記官を務める。 1984年に外務省大臣官房国際報道課長となり、翌年外務省国際連合局国連政策課長に異動した。
朝海 和夫(あさかい かずお、1943年(昭和18年) - … 朝海 和夫(あさかい かずお、1943年(昭和18年) - )は日本の外交官。EU大使等を務めた。名誉法学博士(アマースト大学・2005年)。 栄光学園高等学校を経て、1962年(昭和37年)一橋大学商学部入学。マーケティング専攻。体育会空手部に所属。大学入学時には、公務員になるつもりはなかったが、大学在学中の1964年(昭和39年)に外務公務員上級試験に合格し、1965年(昭和40年)に外務省入省。その後在外研修員としてアマースト大学卒業(政治学)。 外務省では大臣官房総務課首席事務官、北米二課長、安倍晋太郎外務大臣秘書官、カナダ公使等を経て、第3回気候変動枠組条約締約国会議等を担当したのち、2000年(平成12年)4月国際貿易経済・地球環境問題担当大使に就任。
浦部 和好(うらべ かずよし、1942年11月25日 - )… 浦部 和好(うらべ かずよし、1942年11月25日 - )は、日本の外交官。富山県警察本部長、外務省欧亜局長、外務省大臣官房長、内閣官房副長官補、在エジプト特命全権大使等を務めた。 東京都出身。東京都立立川高等学校を経て、1966年に一橋大学法学部を卒業し外務省入省。フランス語研修を受ける。条約局、在ベルギー大使館、在フランス大使館一等書記官、在大韓民国大使館参事官、富山県警察本部長、ストラスブール総領事などを歴任。 1995年外務省欧亜局長就任。1997年にロシアのイリューシン第一副首相が予定されていた訪日を突然中止し、スイスを訪問していた問題では、アレクサンドル・パノフ駐日ロシア大使を呼び出して説明を求めたが、パノフ大使は「本国の事情については知らない」と説明するのみであり、その後橋本宏外務報道官は「理解に苦しむ。
中本 孝(なかもと たかし、1942年 - 2003年)は、… 中本 孝(なかもと たかし、1942年 - 2003年)は、日本の外交官。内閣官房長官秘書官、内閣官房内閣審議官、式部副長などを経て、駐ギリシャ特命全権大使を務めた。 東京都出身。一橋大学法学部を卒業し、1965年に外務省入省。在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部一等書記官などを経て、1982年外務省アジア局南西アジア課長。 1984年藤波孝生内閣官房長官秘書官。1986年外務大臣官房書記官。同年在連合王国日本国大使館参事官。1988年在イスラエル日本国大使館参事官。 在イスラエル日本国大使館公使を経て、1991年外務省大臣官房外務参事官、内閣官房内閣外政審議室内閣審議官。1993年外務省大臣官房審議官。
大塚 清一郎(おおつか せいいちろう、1942年 - )は、… 大塚 清一郎(おおつか せいいちろう、1942年 - )は、日本の外交官、エッセイスト。外務省大臣官房文化交流部長を経て、駐スリランカ特命全権大使、駐スウェーデン特命全権大使を務めた。 東京都生まれ。高校3年次にAFSでミネソタ州の高校に1年間留学したのち、愛知県立旭丘高等学校に編入。1966年に一橋大学商学部を卒業し外務省に入省後、ミネソタ州のカールトン・カレッジに留学。 外務省アジア局外務参事官等を経て、1991年初代エディンバラ総領事に就任。スコットランドでバグパイプに惹かれ練習を開始。その後、在タイ日本国大使館公使や、外務省大臣官房文化交流部長を経て、1997年からニューヨーク総領事(大使)を務めた際に、同地でメキシカンバンド「トリオ・ロス・ディプロマティコス」を結成。
加藤 良三(かとう りょうぞう、1941年9月13日 - )… 加藤 良三(かとう りょうぞう、1941年9月13日 - )は、日本の外交官、12代プロ野球コミッショナー、三菱商事特別顧問で2009年6月より社外取締役。埼玉県生まれ、秋田県由利郡由利町(のちの由利本荘市)出身。 成蹊高等学校を経て東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業。東大法学部在学中に外務公務員試験に合格し、1965年(昭和40年)に外務省入省。イェール大学で英語研修。 アメリカンスクール(英語研修組)のエースとして早くから嘱望されていた。1995年(平成7年)、北朝鮮外交に対応するため、加藤がアジア局長に、同期でアメリカンスクールの折田正樹が北米局長に任命された。総合外交政策局長、外務審議官(政務担当)などを歴任し、2001年(平成13年)10月に駐米大使に任命される。
松井 啓(まつい あきら、1941年 - )は、日本の外交官… 松井 啓(まつい あきら、1941年 - )は、日本の外交官。初代駐カザフスタン特命全権大使、駐ブルガリア特命全権大使、駐ナイジェリア特命全権大使等を歴任。ブルガリ共和国スターラ・プラニナ第一等受章。 新潟県長岡市生まれ。1959年新潟県立新潟高等学校卒業。1965年一橋大学法学部卒業、外務省入省。同年イギリス陸軍教育学校留学。1966年ロンドン大学留学。1967年度には在ソ連邦日本国大使館とソ連邦対外文化連絡国家委員会の合意に基づき、宮鍋幟や茂田宏らとモスクワ大学派遣研究員を務めた。 外務大臣官房領事移住部領事第一課長等を経て、1993年初代駐カザフスタン特命全権大使。1996年からは国立国会図書館調査立法考査局専門調査員(外交・防衛担当)を務め国会議員らの図書館利用状況の調査等にあたった。
竹中 繁雄(たけなか しげお、1941年(昭和16年) - … 竹中 繁雄(たけなか しげお、1941年(昭和16年) - )は、日本の外交官。法務省入国管理局長やトルコ駐箚特命全権大使を務めた。 東京出身。東京都立小山台高等学校を経て、1965年に一橋大学法学部を卒業し、外務省入省。外務省では主にアジア外交にたずわる。 在大韓民国日本国大使館参事官・広報官室長を務めていた1986年9月17日に、ソウル市鍾路区雲泥洞にあった日本文化センター(日本大使館広報官室)の竹中の室長室が、中曽根康弘(総理大臣)の訪韓反対を主張するナイフを持った高麗大学校と韓国外国語大学校の学生5人に襲撃された。学生らは、竹中の要請でかけつけた警察官に取り押さえられたが、日本大使館が直接の標的となったことから、関係者に大きな衝撃を与えた。
田辺 敏明(たなべ としあき、1940年7月14日 - 20… 田辺 敏明(たなべ としあき、1940年7月14日 - 2002年1月20日)は、日本の外交官。シカゴ総領事や、地球環境問題担当特命全権大使、駐ノルウェー特命全権大使等を歴任した。 神奈川県横浜市出身。神奈川県立鶴見高等学校を経て、1962年一橋大学法学部卒業。国際連合日本政府代表部一等書記官、外務省経済協力局技術協力第二課長心得を経て、1978年外務省経済協力局技術協力第二課長。1980年外務省アジア局南東アジア第二課長。1981年在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部参事官。1985年在イラン日本国大使館参事官。 1987年外務大臣官房外務参事官兼大臣官房領事移住部。1989年外務大臣官房審議官兼大臣官房領事移住部。
菊地 康典(きくち やすのり、1939年8月10日 -)は、… 菊地 康典(きくち やすのり、1939年8月10日 -)は、日本の外交官。内閣官房内閣審議官、メルボルン総領事等を経て、1993年から駐フィジー特命全権大使を務めた。 武蔵高等学校を経て、1963年一橋大学法学部卒業、外務省入省、在アメリカ合衆国日本国大使館外交官補。インディアナ大学でソ連を専攻し、1966年在ソビエト連邦日本国大使館三等書記官。1973年在オーストラリア日本国大使館二等書記官。1974年同一等書記官。1976年在ケニア日本国大使館一等書記官。 1978年外務省国際連合局軍縮課長。1981年国防会議事務局参事官。1982年在ユーゴスラヴィア日本国大使館参事官。1983年在ブラジル日本国大使館参事官。
角田 勝彦(つのだ かつひこ、1937年 - 2018年)は… 角田 勝彦(つのだ かつひこ、1937年 - 2018年)は、日本の外交官。元ウルグアイ駐箚特命全権大使。元日本ウルグアイ協会会長。サント・ドミンゴ・カトリック大学名誉教授。O&M大学名誉博士。 東京生まれ。開成高等学校を経て、1959年一橋大学法学部卒業。早瀬勇元金沢星稜大学学長は大学のクラスの同級生。大学卒業後外務省に入省し、マドリード大学外国人コース留学。外務大臣官房移住課長や、在ギリシャ日本国大使館公使、衆議院事務局渉外部副部長、外務省経済局開発途上地域課長を経て、1989年から駐ドミニカ共和国特命全権大使、ジャマイカ、バハマ駐箚、1993年から駐ウルグアイ特命全権大使を務め、1997年に退官し、中部大学国際関係学部国際関係学科教授。
糠沢 和夫(ぬかざわ かずお、1936年11月20日 - 2… 糠沢 和夫(ぬかざわ かずお、1936年11月20日 - 2020年9月28日)は、日本の経済人、外交官。むつ小川原開発社長、経団連専務理事を経て、経団連出身者として初の特命全権大使や、民間人初の外務省大臣官房文化交流部長を務めた。初代本宮市名誉市民、タイ王国功労賞受賞、ハンガリー共和国功労中十字型章受章。外務大臣表彰。 福島県安達郡本宮町(のち本宮市)中條で実業家・糠沢仙吉の七男として生まれる。母のユウは、元棚倉町町長・宗田利助の六女。祖父の糠沢仙助は元本宮銀行頭取。 本宮町立本宮小学校、本宮町立本宮中学校、福島県立安積高等学校を経て、1959年一橋大学経済学部卒業。同年、経済団体連合会事務局入局。
坂本 重太郎(さかもと じゅうたろう、1933年7月15日 … 坂本 重太郎(さかもと じゅうたろう、1933年7月15日 - 2015年3月2日)は、日本の外交官。外務省中南米局長や、駐スペイン特命全権大使を務めた。 北海道余市町出身。父は余市町長の坂本角太郎。北海道余市高等学校を経て、1957年一橋大学法学部卒業、外務省入省。スペイン語研修としてコロンビアに2年間留学。 1972年外務省中南米局中南米第二課長、1973年外務大臣官房国際報道課長、在英国日本国大使館参事官、1979年外務省経済協力局政策課長、1981年外務大臣官房総務課長。総務課長時代に情報調査局(現国際情報統括官組織)新設に尽力。 経済協力開発機構政府代表部公使、駐パラグアイ特命全権大使を経て、1988年外務省中南米局長。
飯島 光雄(いいじま みつお、1932年 - 2021年)は… 飯島 光雄(いいじま みつお、1932年 - 2021年)は、日本の外交官。内閣官房内閣審議官兼インドシナ難民対策連絡調整会議事務局長等を経て、1990年(平成2年)から1994年(平成6年)までジンバブエ駐箚特命全権大使を務めた。 日本統治時代の朝鮮で生まれる。埼玉県立浦和高等学校を経て、1956年一橋大学法学部卒業、外務省入省。国際連合日本政府代表部一等書記官、国際連合日本政府代表部参事官、外務省経済協力局書記官を経て、1976年外務省経済協力局技術協力第二課長。1978年在パキスタン日本国大使館参事官。 1981年在ノルウェー日本国大使館公使。1983年内閣審議官(内閣官房内閣審議室)兼インドシナ難民対策連絡調整会議事務局局長。
谷口 誠(たにぐち まこと、1930年3月31日 - 202… 谷口 誠(たにぐち まこと、1930年3月31日 - 2024年1月14日)は、日本の外交官、経済学者。専門は南北問題・国際経済。国連貿易開発会議議長、日本人として2人目のユニセフ議長、国連大使、日本人初OECD事務次長、早稲田大学教授等を歴任。 大阪府出身。羽曳野市立高鷲小学校、旧制大阪府立富田林中学校、新制大阪府立富田林高等学校を経て、一橋大学大学院経済学研究科修了後、ジョーン・ロビンソンの勧めで、ロビンソンの指導を受け1958年にケンブリッジ大学を卒業し、新渡戸稲造にあこがれ、1959年外務省入省。1960年にはケンブリッジ大学で修士号を取得。 国際連合新再生エネルギー会議議長や、国際連合貿易開発会議議長、日本人としての2人目のユニセフ議長、国連大使や日本人初のOECD事務次長を務めた後、早稲田大学教授、天津外国語学院客員教授等を歴任。
村角 泰(むらずみ やすし、1929年12月2日 - )は、… 村角 泰(むらずみ やすし、1929年12月2日 - )は、日本の外交官。外務省儀典長、駐スウェーデン特命全権大使、駐ブラジル特命全権大使などを務めた。 関東州大連市出身。郷里和歌山県で中学校教諭を務めたのち、1953年一橋大学を卒業して外務省入省。同期入省には栗山尚一、平岡千之、三宅和助などがいる。 外務省海外広報課長、外務大臣官房文書課長を経て、外務省情報文化局参事官として、広報を担当。東京サミットでは、国内外のジャーナリストの対応を行った。1979年に設置された内閣官房インドシナ難民対策連絡調整会議事務局の初代事務局長に就任し、難民定住者受け入れのための法人作りなどにあたった。 経済協力開発機構日本政府代表部特命全権公使を経て、1983年7月から在アメリカ合衆国日本国大使館特命全権公使、1985年8月からイラク駐箚特命全権大使を務めたのち、1987年10月に外務省儀典長に就任。
西田 誠哉 (にしだ せいや、1925年4月 - 2003… 西田 誠哉 (にしだ せいや、1925年4月 - 2003年8月20日)は、日本の外交官。国連大使、駐スイス特命全権大使、駐イタリア特命全権大使、外務省参与、愛知県顧問等を歴任。 鳥取県鳥取市出身。1945年旧制東京産業大学(のちの一橋大学)卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 1946年外務省入省、経済部総務課。1951年-1952年ジョンズ・ホプキンス大学高等国際関係大学院留学。1952年欧米局第一課。 1955年在連合王国大使館三等書記官、1958年国際連合局政治課、1962年大臣官房書記官、1963年在米国日本大使館一等書記官、1964年在イラン大使館一等書記官、1966年大臣官房書記官、1967年経済局スターリング地域課長。
武田 實(たけだ みのる、1922年3月28日 - 2009… 武田 實(たけだ みのる、1922年3月28日 - 2009年3月6日)は、日本の外交官。駐アイルランド特命全権大使等を経て、迎賓館長を務めた。 東京府立第一商業学校(現東京都立第一商業高等学校)を経て、1944年東京商科大学(現一橋大学)卒業。科学技術庁原子力局国際協力課長、在トルコ日本国大使館一等書記官、同参事官等を経て、1967年在オーストラリア日本国大使館参事官。1969年在ブルガリア日本国大使館参事官。1972年参議院参事、参議院事務局渉外部長兼列国議会同盟課長事務取扱。1976年シドニー総領事。1978年駐ラオス特命全権大使。1982年駐アイルランド特命全権大使。1985年迎賓館長。
太田 正己(おおた まさみ、1920年 〈大正9年〉11月2… 太田 正己(おおた まさみ、1920年 〈大正9年〉11月28日 - 2004年〈平成16年〉1月24日)は、日本の外交官。OECD環境委員会議長、駐ケニア特命全権大使兼国連環境計画政府代表、外務省参与兼ユネスコ執行委員会委員・政府代表などを務めた。 1942年東京商科大学(現一橋大学)卒業、外務省入省。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。1944年5月に海軍主計大尉に進み終戦を迎えた。 1946年終戦連絡中央事務局総裁官房連絡官。1949年外務省総務局経済課外交官補。 1951年外務省条約局条約課外務事務官。
西宮 信安(にしのみや のぶやす、1920年2月1日 - )… 西宮 信安(にしのみや のぶやす、1920年2月1日 - )は、日本の外交官。駐アイルランド特命全権大使、駐トルコ特命全権大使、外務省参与などを歴任した。勲二等旭日重光章受章。 東京出身。1937年東京商科大学(現一橋大学)予科入学。1942年同大学学部卒業。1945年在ポルトガル外交官補。同年経済安定本部部員。在オランダ日本国大使館二等書記官、同一等書記官を経て、1956年在ジャカルタ日本国総領事館領事。1958年在インドネシア日本国大使館一等書記官兼在ジャカルタ日本国総領事館領事。1958年通商産業省通商局市場第三課長。1959年通商産業省通商局市場第一課長。1963年在スウェーデン日本国大使館参事官兼在アイスランド日本国公使館参事官。
田中 秀穂(たなか ひでほ、1919年5月17日 - )は、… 田中 秀穂(たなか ひでほ、1919年5月17日 - )は、日本の外交官。外務省中近東アフリカ局長、在フィリピン特命全権大使等を務めた。1993年4月勲二等旭日重光章受章。 北海道札幌市出身。北海道庁立札幌第二中学校(現北海道札幌西高等学校)を経て、1943年旧制東京商科大学(一橋大学の前身)を卒業し、外務省入省。 1974年にパレスチナゲリラ及び日本赤軍の和光晴生と山田義昭の混成部隊が、シンガポール沖にあったシェル石油傘下のシンガポール・イースタン・ペトローリアム社ブクム島製油所を爆破し、警官隊と銃撃戦を展開、さらにその6日後、パレスチナ解放人民戦線が在クウェート日本大使館を占拠、石川良孝(大使)らを人質にして、和光らを送還し南イエメンへ脱出させることを日本政府に要求した事件(シンガポール・クウェート事件)に、中近東アフリカ局長として対応にあたり、人質解放後、日本政府が派遣した特別機に、犯人グループが南イエメンのアデンに脱出するまで人質の身代わりとして同乗した。
西堀 正弘(にしぼり まさひろ、1918年11月14日 - … 西堀 正弘(にしぼり まさひろ、1918年11月14日 - 2006年7月1日)は、日本の外交官。外務省国際連合局長や、EC大使、国連大使を務めた。1991年勲一等瑞宝章受章、2006年叙正三位。 北海道函館市出身。旧制横浜高等商業学校(横浜国立大学経済学部の前身)を経て、旧制東京商科大学(一橋大学の前身)入学。大学では井藤半彌ゼミナールに所属。 大学在学中の1940年に外交官及領事官試験に合格。しかし成績が悪いのでは出世ができないと考え、翌年の再受験を考えていたところ、門脇季光人事課長(のちに駐ソ連大使)から、外務省では試験の成績は関係ないので、一刻も早く入省すべきだとの助言を受け、1941年外務省入省。
魚本 藤吉郎(うおもと とうきちろう、1917年 <大正6年… 魚本 藤吉郎(うおもと とうきちろう、1917年 <大正6年> 11月29日 - 1988年 <昭和63年> 3月31日)は、日本の外交官。在ソビエト連邦特命全権大使、財団法人交流協会理事長を務めた。位階は正三位。 愛媛県出身。山口高等商業学校を経て、1941年に東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業し、外務書記生就任。大学では中山伊知郎ゼミナールに所属。卒業論文は「景気変動に関する二つの研究」。 外務省中近東アフリカ局長を経て、在ソビエト連邦特命全権大使、財団法人交流協会理事長などを歴任。 西堀正弘(国連大使)、内田宏(駐仏大使)、吉野文六(駐独大使)、奈良靖彦(駐加大使)、人見鉄三郎(駐コスタリカ大使)など。
奈良 靖彦(なら やすひこ、1917年4月28日 - 201… 奈良 靖彦(なら やすひこ、1917年4月28日 - 2013年9月6日)は、日本の外交官。駐シンガポール特命全権大使や駐カナダ特命全権大使を務めた。位階は従三位。 大分県出身。旧制京北中学校を経て、1941年に旧制東京商科大学(一橋大学の前身)を卒業し、外務省入省。同期に西堀正弘(国連大使)、魚本藤吉郎(駐ソ連大使)、内田宏(駐仏大使)、吉野文六(駐独大使)、人見鉄三郎(駐コスタリカ大使)など。 1943年、外務省弘報部で勤務し、戦時体制下で、ジャパンタイムズの監督を行った。 1965年5月シカゴ総領事に就任。着任時に、総領事公邸が外交に使うにはあまりに貧弱なものだったため、筋向いの邸宅を購入しようと考え、東京銀行のシカゴ支店長と交渉し購入資金の融資を受け、また当時大蔵事務次官を務めていた石野信一も案内した末購入し、新しい公邸とした。
竹内 春海 (たけうち はるみ、1917年3月28日 - 2… 竹内 春海 (たけうち はるみ、1917年3月28日 - 2005年8月20日)は、日本の外交官。外務省アメリカ局長や、儀典長、駐イタリア特命全権大使などを歴任した。 東京商科大学(現一橋大学)在学中、高等試験に合格し、1938年外務省に入省。米国留学、1940年アムハースト大学卒、1941年ハーバード大学大学院修了。 大日本帝国陸軍少尉、1947年内閣総理大臣秘書官、1949年調査局第二課長、米国在勤、1953年アジア第二課長、1954年欧米第一課長、1958年カルカッタ総領事、1959年在ドイツ連邦日本国大使館参事官、1961年アメリカ局外務参事官を経て、1963年アメリカ局長。1965年駐フィリピン特命全権大使。
李 東煥(イ・ドンファン、1916年5月19日 - 1991… 李 東煥(イ・ドンファン、1916年5月19日 - 1991年11月11日)は、大韓民国の官僚、外交官。内務省次官や、駐日本首席代表、駐オーストラリア大使などを務めた。日本名は森山 辰雄。 日本統治時代の朝鮮の咸鏡南道端川郡出身。元山公立商業学校を経て、1940年京城高等商業学校卒業。高等文官試験行政科に受かり、1942年に東京商科大学(現一橋大学)卒業後は、朝鮮総督府に入庁した。金東祚は高等商業学校時代の同期。朝鮮総督府江原道属、朝鮮総督府逓信事務官を経て、日本の降伏を迎えた。 大韓民国逓信部郵務局長等を経て、1960年内務省次官。1961年には大平正芳内閣官房長官や、小坂善太郎外務大臣の同窓であることなどから、大使館設置前の駐日韓国代表部首席代表・公使を務め、大学の先輩にあたる足立正日本商工会議所会頭などと接触し、日韓国交正常化に向け尽力した。
小島 太作(こじま たいさく、1912年1月27日 - 20… 小島 太作(こじま たいさく、1912年1月27日 - 2002年11月4日)は、日本の外交官。位階は正三位。 初代駐フィンランド特命全権大使や、外務省研修所長、駐インド特命全権大使等を歴任した。 神奈川県出身。1936年東京商科大学(現一橋大学)卒業、外務省入省、中華民国留学。1943年総力戦研究所入所。外務省アジア局一課長、外務省アジア局参事官等を経て、1961年駐フィンランド特命全権公使。1962年駐フィンランド特命全権大使。1964年駐エチオピア特命全権大使。1967年駐マレーシア特命全権大使。同年トゥンク・アブドゥル・ラーマンマレーシア首相との間で戦争賠償協定たる血債協定を締結。1970年外務省研修所長。
中村 茂(なかむら しげる、1911年8月31日 - 198… 中村 茂(なかむら しげる、1911年8月31日 - 1985年5月25日)は、日本の外交官。駐ポーランド特命全権大使や、駐ブラジル特命全権大使を務めた。 千葉県出身。1935年高等試験外交科合格。1936年東京商科大学(現一橋大学)卒業。1937年に外交官補に任官後、アメリカ合衆国や、ソビエト連邦、外務省調査部第二課、外務省政務局第三課で勤務。 1950年賠償庁特殊財産部長心得兼特殊財産部総務課長。1951年出入国管理庁長官官房秘書課長。1952年法務省入国管理局総務課長、法務教官。1953年外務大臣官房会計課長、在外公館等借入金整理準備審査会幹事。 在ロス・アンゼルス日本国総領事館総領事を経て、1958年在パキスタン日本国大使館参事官。
武野 義治(たけの よしはる、1911年 - 1989年)は… 武野 義治(たけの よしはる、1911年 - 1989年)は、日本の外交官。初代駐イスラエル特命全権大使、駐ブルガリア特命全権大使、アジア・太平洋国会議員連合事務総長。 東京府(現・東京都)出身。1936年東京商科大学(現一橋大学)卒業、外務省入省。大学在学中は同期の大平正芳(のちに内閣総理大臣)や小島太作(のちに駐インド特命全権大使)、吉永榮助(のちに一橋大学名誉教授)、富樫総一(のちに労働事務次官)らと、憲法の田上穣治講師や国際法の大平善梧教授が中心となっていた研究会で勉強し、高等試験外交科に合格した。 1949年外務省特別資料部第一課長。同年外務省管理局引揚渡航課長。1950年外務省管理局引揚課長。
小田部 謙一(おたべ けんいち、1910年3月19日 - 2… 小田部 謙一(おたべ けんいち、1910年3月19日 - 2008年3月17日)は、日本の外交官。駐ベルギー特命全権大使、欧州共同体(EC)政府代表部特命全権大使。 東京出身。1929年東京商科大学(現一橋大学)予科修了。1934年同大学学部卒業、外務省入省、調査部。1945年終戦連絡中央事務局総裁官房翻訳課長。1949年通商産業省輪出局雜貨課長。1951年外務省連絡局長心得。同年外務省経済局次長。1954年外務省経済局長心得。在アメリカ合衆国日本国大使館参事官を経て、1959年外務省経済局経済協力部長事務取扱。同年外務省アジア局賠償部長。1962年外務省大臣官房審議官。同年駐ビルマ特命全権大使。
関 守三郎(せき もりさぶろう、1908年(明治41年)7月… 関 守三郎(せき もりさぶろう、1908年(明治41年)7月 - 1990年(平成2年)8月7日)は、日本の外交官。外務省経済局長、駐スペイン特命全権大使、駐メキシコ特命全権大使、アジア生産性機構事務総長、外務省顧問。 新潟県長岡市出身。1926年第四高等学校理科乙類入学許可取消。1929年東京商科大学(現一橋大学)予科修了。1932年同大学本科卒業。山岳部出身。 在英国大使館外務書記生、在ドイツ大使館外交官補、外務省通商局事務官、在中華民国大使館三等書記官、上海領事兼支那派遣軍渉外審判所検察官、徐州総領事等を経て、1945年中華民国三級同光勲章受章。同年外務省政務局第三課長。1946年終戦連絡中央事務局第二部第二課長。
三宅 喜二郎(みやけ きじろう、1908年1月27日 - 2… 三宅 喜二郎(みやけ きじろう、1908年1月27日 - 2001年8月27日)は、日本の外交官。駐チェコスロヴァキア特命全権大使や、外務省研修所長、駐スウェーデン特命全権大使などを務めた。 京都市出身。1930年高等試験行政科合格。1931年に東京商科大学(現一橋大学)本科卒業後、研究科で経済学及び法学を研究した。1934年高等試験外交科合格。同年外務省入省、在英国外務書記生。1935年在英国外交官補。1937年在シドニー領事館補。1939年外務省欧亜局第三課外務事務官。1940年外務省南洋局第一課外務事務官。 1946年外務省調査局第一課長。1949年外務大臣官房文書課長、国立国会図書館支部外務省図書館長、司法試験考査委員。
石黒 四郎(いしぐろ しろう、1908年1月1日 - 196… 石黒 四郎(いしぐろ しろう、1908年1月1日 - 1968年7月24日)は、日本の外交官。位階は正三位。 外務省特殊財産局長や、賠償庁次長、駐ニュージーランド特命全権大使等を経て、駐メキシコ特命全権大使在任中病死した。 愛知県知多郡河和町(現・美浜町)出身。1930年(昭和5年)高等試験外交科合格。1931年(昭和6年)に東京商科大学(現一橋大学)を卒業して、外務省に入省し、在英国大使館や外務省東亜局第一課で勤務した。 1938年(昭和13年)から在中華民国大使館三等書記官及び在上海領事を務め、上海ユダヤ避難民に関し、犬塚惟重海軍大佐、安江仙弘陸軍大佐と現地調査会で調査を行い、上海ゲットーの整備などを進めた。
小沢 武夫(おざわ たけお、1907年 - 1996年)は、… 小沢 武夫(おざわ たけお、1907年 - 1996年)は、日本の外交官。シカゴ総領事、駐チェコスロヴァキア特命全権大使などを務めた。 神奈川県出身。1932年東京商科大学(現一橋大学)卒業。1936年高等試験外交科合格、外務書記生(アメリカ合衆国)。1937年外交官補(アメリカ合衆国)。1938年上海・漢口領事官補。1940年外務省東亜局第二課兼対満事務局事務官。1942年満州国勲三位桂国章受章。1943年満州国国勢調査紀念章受章。 日本の降伏後、一等書記官を経て、1945年終戦連絡地方事務局連絡官。1948年総理庁官房財閥役員審査課長。1951年外務省連絡局調整課長。1952年、サンフランシスコ平和条約の発効によりペルーとの国交が再開したことに伴い、駐ペルー臨時代理公使に赴任。
朝海 浩一郎(あさかい こういちろう、1906年3月15日 … 朝海 浩一郎(あさかい こういちろう、1906年3月15日 - 1995年9月9日)は、日本の外交官。連絡調整中央事務局長官、外務審議官を経て、岸信介内閣における日米安全保障条約改定の時期を含め、駐アメリカ合衆国特命全権大使を異例の6年間務めた。1976年勲一等瑞宝章。
東光 武三 (とうこう たけぞう、1906年1月19日 - … 東光 武三 (とうこう たけぞう、1906年1月19日 - 1945年4月1日)は、日本の外交官。阿波丸事件で死去した。死後設立された阿波丸会では、妻の孝子(日加協会事務局長)が中心的立場となった。 この項目は、外交官に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ政治)。
加瀬 俊一(かせ としかず、1903年(明治36年)1月12… 加瀬 俊一(かせ としかず、1903年(明治36年)1月12日 - 2004年(平成16年)5月21日)は、日本の外交官、外交評論家。第二次世界大戦前後に活躍し、国際連合加盟後初の国連大使や外務省顧問、内閣総理大臣顧問などを歴任した。外交評論家の加瀬英明は息子。
加瀬 俊一(かせ としかず、1903年(明治36年)1月12… 加瀬 俊一(かせ としかず、1903年(明治36年)1月12日 - 2004年(平成16年)5月21日)は、日本の外交官、外交評論家。第二次世界大戦前後に活躍し、国際連合加盟後初の国連大使や外務省顧問、内閣総理大臣顧問、日本を守る国民会議議長などを歴任した。外交評論家の加瀬英明は息子であり、オノ・ヨーコは姪。 終戦時にポツダム宣言受諾の日本政府の決定を連合国側に通知したスイス駐在公使の加瀬俊一(しゅんいち)(1956年死去)とは同姓同名の別人である。外務省内では入省年度が早い(1920年入省)彼と区別するため「小加瀬」とも称された。 1903年(明治36年)に最年少代議士・弁護士・中央大学副学長であった父・加瀬禧逸の五男として千葉県旭町(現在の千葉県旭市大田)に生まれた。
久保田 貫一郎 (くぼた かんいちろう、1902年(明治35… 久保田 貫一郎 (くぼた かんいちろう、1902年(明治35年)3月2日 - 1977年(昭和52年)7月14日)は、日本の外交官。外務省参与やカンボジア国最高顧問、駐南ベトナム大使を務めた。 和歌山県出身。進路に海軍兵学校か外交官か悩んだ末に外交官を志し、1924年に東京商科大学(一橋大学の前身)に入学。同校を中退し、外務省入省。 1953年(昭和28年)に日韓会談で日本側首席代表を務めた。その後、在メキシコ特命全権大使を務め、1957年(昭和32年)の帰任時には、メキシコ国内の事情を昭和天皇に進講した。さらに在南ベトナム特命全権大使等を務めた。 妻清子は石井菊次郎(元外務大臣)の子。 日韓基本条約に向けての日韓会談で、韓国併合が結果的にインフラ投資等で韓国の生活水準向上に貢献したと発言し、韓国から「久保田妄言」として反発された。
北沢 直吉 (きたざわ なおきち、1901年9月25日 - … 北沢 直吉 (きたざわ なおきち、1901年9月25日 - 1981年7月19日)は、日本の外交官、政治家。衆議院議員、外務省参与、内閣官房副長官を務めた。 茨城県筑波郡大穂村大字長高野(現在のつくば市長高野)生まれ。茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)から東京商科大学(現在の一橋大学)に進学し、1925年に卒業すると外務省に入る。入省して直ぐアメリカに赴任しプリンストン大学でM.A.の学位を取得(1927年)、斎藤博大使の下で対米交渉の一員として加わるが斎藤大使の死去に伴い帰国する。その後は香港で中華民国との和平工作に従事するが、1941年に在中華民国(汪兆銘政権)大使館一等書記官兼北京総領事となり、1943年にはビルマ大使館に参事官として赴任し、ビルマ首相のバー・モウが日本軍の敗走と共に亡命する際に案内役となった。
井口 貞夫(いぐち さだお、1899年10月18日 - 19… 井口 貞夫(いぐち さだお、1899年10月18日 - 1980年5月27日)は、日本の外交官。外務事務次官や在アメリカ合衆国特命全権大使を務めた。1969年勲一等瑞宝章。1980年正三位。 和歌山県生まれ。旧制徳義中学校、旧制和歌山中学校(のち和歌山県立桐蔭高等学校)を経て、旧制東京商科大学(一橋大学の前身)入学。 1921年に高等試験外交科試験合格し、1922年大学を中退し外務省入省。入省同期や前後期に田尻愛義、安東義良、西村熊雄らがいる。オックスフォード大学留学等を経て、1940年在アメリカ合衆国日本大使館一等書記官、1941年同大使館参事官、1942年太平洋戦争開戦に伴い交換船で帰国。 情報局情報官を経て、1943年情報局第三部長。
井上 孝治郎(いのうえ こうじろう、1899年 - 1996… 井上 孝治郎(いのうえ こうじろう、1899年 - 1996年)は、日本の外交官。外務省経済局長や、内閣総理大臣秘書官、駐トルコ特命全権大使、日本ユネスコ国内委員会事務総長などを務めた。 東京出身。旧制暁星中学校を経て、1922年東京商科大学(現一橋大学)予科卒業。1925年同大学学部卒業、外務省入省。外務大臣官房文書課長、外務省総務局付大使館参事官等を経て、1945年外務省戦時経済局長。同年日本の降伏に伴う改組により外務省経済局長。1946年外務省調査官。1947年終戦連絡中央事務局経済部長。1948年外務省特別資料部長。1949年内閣総理大臣秘書官。1950年九州連絡調整事務局長、九州地方連絡協議会会長。
福井 淳(ふくい きよし、1898年2月1日 - 1955年… 福井 淳(ふくい きよし、1898年2月1日 - 1955年5月3日)は、日本の外交官。元南西方面海軍民政府司政長官。 神奈川県生まれ。1923年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒。 1921年高等文官試験外交科試験合格、1922年高等試験行政科試験合格、1923年外務省入省、在上海領事官補。1925年在アメリカ合衆国外交官補。1928年在カナダ外交官補兼在オタワ領事官補。1929年在カナダ公使館三等書記官兼在オタワ副領事。1932年外務省条約局第一課外務事務官。1936年同課長代理。同年在上海領事。1937年在中華民国日本大使館二等書記官兼南京総領事代理。同年南京事件のため引揚。1938年在中華民国日本大使館二等書記官。
秋山 理敏(あきやま まさとし、1897年〈明治30年〉4月… 秋山 理敏(あきやま まさとし、1897年〈明治30年〉4月12日 - 1947年〈昭和22年〉9月29日)は、日本の外交官。駐パナマ公使を経て、第二次世界大戦後、終戦連絡京都事務局局長を務めた。 長野県上伊那郡藤沢村(現伊那市)出身。長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1920年(大正9年)、東京高等商業学校を卒業し、高等試験外交科に合格した。外務属となり、1922年(大正11年)には東京商科大学(現在の一橋大学)専攻部領事科を卒業した。領事官補、外務事務官・通商局第一課勤務、イタリア大使館三等書記官、同二等書記官、通商局第三課勤務・外務大臣秘書官、外務書記官・大臣官房電信課長、企画庁調査官・総裁秘書官、企画院書記官、中華民国大使館一等書記官、シドニー総領事を歴任。
田尻 愛義(たじり あきよし、1896年11月28日 - 1… 田尻 愛義(たじり あきよし、1896年11月28日 - 1975年10月29日)は、日本の外交官。特命全権公使として上海在勤ののち、外務省政務局長や、大東亜次官、外務次官を務めた。 中国の民族主義を尊重する立場をとり、外交官生活の大半を中国で送った。日中和平交渉史の中では、汪兆銘側から求められて香港総領事に就任したことで知られるが、実際には田尻は「汪兆銘工作」に対して強い批判を持っていた。 1896年11月、島根県に生れる。1920年3月、東京高等商業学校(のちの一橋大学)附設商業教員養成所を卒業し、同年4月、京都市立第一商業学校(のち京都市立西京高等学校)の教諭となる。1921年外交官及領事官試験合格。
塚本 毅(つかもと たけし、1896年〈明治29年〉- 19… 塚本 毅(つかもと たけし、1896年〈明治29年〉- 1973年〈昭和43年〉12月7日)は、昭和期の日本の外交官。 熊本県玉名郡に生まれる。熊本県立玉名中学校(1916年卒業)を経て、1921年(大正10年)に東京高等商業学校(現一橋大学)本科を卒業した。1920年(大正9年)高等試験行政科試験に合格し、1921年に外務省に入省した。若手の頃から白鳥敏夫らとともに革新派官僚と呼ばれる。 外務省アメリカ局第二課長、スイス公使館書記官、外務省南洋局長心得、拓務省拓南局参与、ハルビン総領事や、スイス公使、外務省通商局勅任事務官、サイゴン公使、仏印総督府総務長官などを経て、1945年(昭和20年)から翌年にかけて最後の仏印大使を務めた。
蜂谷 輝雄(はちや てるお 1895年10月4日 - 197… 蜂谷 輝雄(はちや てるお 1895年10月4日 - 1979年7月2日)は、日本の外交官。自由インド仮政府初代公使や内閣総理大臣秘書官を務めた。
三宅 哲一郎(みやけ てついちろう、1888年〈明治21年〉… 三宅 哲一郎(みやけ てついちろう、1888年〈明治21年〉9月11日 - 1979年〈昭和54年〉1月23日)は、日本の外交官。駐チリ公使。 和歌山県出身。神戸高等商業学校(現在の神戸大学)を経て、1911年(明治44年)、高等文官試験に合格し、翌年に東京高等商業学校(現在の一橋大学)を卒業した。1914年(大正3年)、外交官及領事官試験に合格。領事官補・関東都督府事務官、領事、公使館三等書記官、外務事務官・参事官、外務書記官・条約局第三課長、公使館二等書記官、同一等書記官などを歴任し、その間、スウェーデン、オランダに勤務した。バタヴィア総領事時代には、横浜正金銀行に学校設立を働きかけたり、シムラ会商に政府代表として参加し、イギリス、インドと通商問題の交渉を行うなどした。