尾藤 三柳(びとう さんりゅう、1929年8月12日 - 2… 尾藤 三柳(びとう さんりゅう、1929年8月12日 - 2016年10月19日)は、川柳作家。父は川柳作家の尾藤三笠、子も川柳作家の尾藤一泉。 東京生まれ。本名・源一。学習院大学文学部卒業。前田雀郎に師事。丹雀会同人などを経て、1975年から「川柳公論」主宰。1988年から2009年までよみうり時事川柳(読売新聞東京本社・北海道支社・北陸支社・中部支社)の選者を務めたほか、サラリーマン川柳(第一生命主催)や新聞、雑誌、放送、公募川柳選者も務めた。その他、日本川柳ペンクラブ理事長、全日本川柳協会相談役、川柳学会名誉会長などを歴任した。 2016年10月19日、肺水腫のため死去。87歳没。
磯村 尚徳(いそむら ひさのり、1929年(昭和4年)8月9… 磯村 尚徳(いそむら ひさのり、1929年(昭和4年)8月9日 - 2023年(令和5年)12月6日)は、日本のジャーナリスト、ニュースキャスター。NHK専務理事待遇特別主幹。ニュースセンター9時(NC9)編集長兼キャスター。 東京生まれ。初め(小学校)と終わり(旧制高等科→新制大学)が学習院で、間に挟んで都立第四高校(都立戸山高校)に通った。陸軍の駐在武官だった父・磯村武亮の勤務の関係で、小学時代の大半をトルコで過ごした。トルコではフランス人学校で学び、フランス語を習得する。帰国後、学習院に入りなおした。 1953年に学習院大学政経学部卒業後、NHKに入局。当時NHKではフランス語の使い手が必要だったため、たった一人東京報道局に配属になった。
小山 觀翁(小山 観翁、こやま かんおう、1929年(昭和4… 小山 觀翁(小山 観翁、こやま かんおう、1929年(昭和4年)8月8日 - 2015年(平成27年)3月30日)は、日本の古典芸能評論家。 学習院大学国劇部創立メンバー。伝統歌舞伎懇話会会長、江戸勘亭流書道家元、国立劇場講師、日本演劇興行協会理事、松竹顧問。宗家神崎流理事(神崎秀扇)。本名:小山 昭元(こやま てるもと)。 歌舞伎座や国立劇場などにおいて歌舞伎と文楽のイヤホンガイド導入の中心的人物として著名。 東京府出身。初等科から大学まで学習院に在籍。戦後、川尻清譚に師事、歌舞伎の研究をするかたわら雑誌「歌舞伎」の編集に参画。1952年(昭和27年)に電通に入社し、おもに放送番組企画制作畑を歩み、1975年(昭和50年)に同社を退職。
近藤 晋(こんどう すすむ、1929年(昭和4年)5月3日 … 近藤 晋(こんどう すすむ、1929年(昭和4年)5月3日 - 2017年(平成29年)2月2日)は、日本のテレビ・映画プロデューサー。日本のプロデューサーの草分け的存在。兵庫県神戸市出身。 神戸一中学校、成城高校を経て、学習院大学を中退。劇団民藝演出部を経て、1959年にNHK入局。 1985年にNHK退職後、総合ビジョン、東北新社クリエイツ社長などを歴任しながら、企画プロデューサーとしてテレビ、映画、演劇など広い分野で活躍。 2017年2月2日、誤嚥性肺炎のため死去。
由良 君美(ゆら きみよし、1929年2月13日 - 199… 由良 君美(ゆら きみよし、1929年2月13日 - 1990年8月9日)は、日本の英文学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 専門はコールリッジをはじめとした近代イギリスロマン主義文学。比較文学、ゴシック小説、サブカルチャーなどにも幅広い著述を行った。 ドイツ哲学者由良哲次の長男として京都市北白川に生まれる。「君美」の由来は、新井白石の諱たる君美(きんみ)に因む。母の清子は東京高等師範学校教授で、哲次の恩師である吉田彌平の次女。出生当時、父哲次はハンブルク大学に在職中だったエルンスト・カッシーラーのもとに留学中だった。1931年、哲次は日本に帰国し、1932年、一家で東京市小石川区林町(現在の東京都文京区千石)に転居。
島野 卓爾(しまの たくじ、1928年10月15日 - 20… 島野 卓爾(しまの たくじ、1928年10月15日 - 2004年6月4日)は、日本の経済学者。 東京出身。1953年学習院大学政治学科卒、1956年西ドイツ・キール大学博士課程修了、政治学博士。1956年上智大学講師、60年学習院大学政経学部講師、助教授、67年同経済学部教授。99年定年、名誉教授。妻は上原七之助(上原勇作の長男)の次女、仲子。
日恵野 晃(ひえの あきら、1928年7月20日 - 没年不… 日恵野 晃(ひえの あきら、1928年7月20日 - 没年不詳[要出典])は、日本の俳優。本名は同じ。 東京府東京市(現:東京都)出身。学習院大学卒業。新倉事務所に所属していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
矢島 文夫(やじま ふみお、1928年4月19日 - 200… 矢島 文夫(やじま ふみお、1928年4月19日 - 2006年5月22日)は、日本の言語学者(アラビア語学)・オリエント学者・翻訳家。アジア・アフリカ図書館館長。東京市生まれ。アラビア語やメソポタミア文学・オリエント神話・歴史等を研究。『ギルガメシュ叙事詩』の翻訳の他、海外の関連研究書を数多く翻訳し日本に紹介した。 父は科学史家の矢島祐利、母は民俗学者の矢島せい子。弟の矢島敬二(東京都立大学理学部数学科卒)は東京理科大学教授、矢島敏彦(東京大学理学部地質学科卒)は埼玉大学教授。母の兄弟姉妹に沢村国太郎や沢村貞子、加東大介がおり、親族に俳優が多数いる。 旧制東京外事専門学校(現・東京外国語大学)卒業。
犬養 康彦(いぬかい やすひこ、1928年(昭和3年)4月1… 犬養 康彦(いぬかい やすひこ、1928年(昭和3年)4月1日 - 2015年(平成27年)7月12日)は、日本の実業家、ジャーナリスト。共同通信社社長を務めた(1991年 - 1998年)。 東京で犬養健、仲子(後藤象二郎の孫娘)の長男として生まれる。学習院大学文政学部卒業後、共同通信社に入社。人事部長、総務部長、社会部長、論説主幹などを歴任した後、1991年社長に就任。退任後は相談役を務めた。学習院時代の登山仲間に顔恵民がいる。 2015年7月12日、虚血性心疾患のため死去。87歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
一色 義子(いっしき よしこ、1928年3月8日 - )は、… 一色 義子(いっしき よしこ、1928年3月8日 - )は、日本の新教神学者、翻訳家。元恵泉女学園理事長。 東京府に一色乕児と妻ゆり(河井道の弟子)の娘として生まれる。 恵泉女学園高等学校を経て、学習院大学文学部卒、東京神学大学卒、同大学院修了。ボストン大学神学部フルブライト留学生。サンフランシスコ神学大学で博士号取得。 恵泉女学園大学講師、助教授、教授、理事、理事長を務めた。日本キリスト教婦人矯風会会長。日本基督教団経堂緑岡教会協力牧師。日本聖書協会、アジア学院、興望館など各理事。2009年キリスト教功労者。 夫は一色尚次(旧姓・馬杉)。
中村 正䡄(なかむら まさのり、1928年2月16日 -20… 中村 正䡄(なかむら まさのり、1928年2月16日 -2020年3月1日)は、日本の小説家。名前の本来の表記は「中村正䡄」だが、「中村正軌」で代用される。 満洲撫順県撫順市生まれ。学習院大学文政学部政治学科卒業。日本航空に勤務し、フランクフルト支配人・調達部長を務める傍ら執筆活動をしていた。1970年代の東西ドイツを舞台とした『元首の謀叛』でデビューし、同作で第84回(1980年下半期)直木賞受賞。2020年3月1日死去。92歳没。
中村 正䡄(なかむら まさのり、1928年2月16日 - )… 中村 正䡄(なかむら まさのり、1928年2月16日 - )は、日本の小説家。
吉村 昭(よしむら あきら、1927年(昭和2年)5月1日 … 吉村 昭(よしむら あきら、1927年(昭和2年)5月1日 - 2006年(平成18年)7月31日)は、日本の小説家。
門脇 卓爾(かどわき たくじ、1925年(大正14年)2月2… 門脇 卓爾(かどわき たくじ、1925年(大正14年)2月22日 - 2012年(平成24年)12月28日)は日本の哲学者。学習院大学名誉教授。米子日独協会会長。カント哲学の研究者。ボン大学より学位「Doktor der Philosophie」を取得。宗教家・実業家門脇章太郎の長男。門脇家第11代当主。 子息の一人は鳥取県内で教職についている。
長谷川 薫(はせがわ かおる、1924年4月15日- 200… 長谷川 薫(はせがわ かおる、1924年4月15日- 2004年1月9日 )は、日本の経営者。レンゴー社長、会長を務めた。 愛知県名古屋市出身。1945年5月25日、長谷川薫大尉は特攻機に乗り沖縄で被弾する。米駆逐艦キャラハンに救助される。1952年に学習院大学政経学部を卒業し、同年に聯合紙器(のちのレンゴー)に入社した。1961年に監査役に就任し、1962年5月に常務、1970年5月に専務を経て、1973年2月に副社長に就任し、1984年6月には社長に昇格した。包装機械や紙器などの関連分野に進出し、業務内容を拡大し、東南アジアや中国にも事業を拡げた。コンピューターを使った管理システムを導入し、1999年にはセッツとの合併を主導した。
橋本 郁雄(はしもと いくお、1923年2月16日-2009… 橋本 郁雄(はしもと いくお、1923年2月16日-2009年1月22日)は、日本のドイツ語・ドイツ文学者。学習院大学名誉教授、一橋大学元教授。ドイツ語学およびドイツ語史が専門で、特に日本の中世ドイツ語研究においては中枢を占める学者だった。また、小学館の『独和大辞典』など、独和辞典の編纂に注力した。 鹿児島県鹿児島市皷川町出身。父は第七高等学校造士館 (旧制)漢文学教授の橋本精次。祖父の自聽(よりさと)は明治初期に東京から招かれ谷山小学校校長などを務めた人物。 鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を経て、1942年3月に第七高等学校造士館文科乙類を卒業。1944年に東京帝国大学文学部独文科を卒業したが、学年短縮や学徒出陣在隊中の卒業のため実際に大学で学ぶことができたのはわずか1年半だった。
都丸 哲也(とまる てつや、1921年〈大正10年〉4月18… 都丸 哲也(とまる てつや、1921年〈大正10年〉4月18日 - 2023年〈令和5年〉8月13日)は日本の政治家。東京都保谷市(現:西東京市)長を1977年から1993年まで務めた。平和・民主・革新の日本をめざす全国の会世話人などを歴任した。 群馬県勢多郡横野村(赤城村を経て、現在の渋川市)で生まれる。東京都立大森高等学校を経て、学習院大学文学部でフランス文学を専攻。1959年保谷町議を経て1967年の市制後は市議。1969年に保谷町長→市長を務めていた原田彰俊が収賄で逮捕されて辞職したことに伴う出直し市長選で、社会党公認で立候補。この時は共産党や民主社会党(後の民社党)が独自候補を擁立したことに加えて、同じ社会党籍を持っていた市助役まで立候補したことから保守系の内藤利紀に敗北。
宮脇 幸彦(みやわき よしひこ、1921年1月24日 - 1… 宮脇 幸彦(みやわき よしひこ、1921年1月24日 - 1994年5月10日)は、日本の裁判官、法務省民事局参事官(検事)、学習院大学教授(一時、法学部長)、弁護士
奥田 直榮(おくだ なおしげ、 1918年6月3日 – 19… 奥田 直榮(おくだ なおしげ、 1918年6月3日 – 1988年10月20日)は、日本の考古学者。 子爵奥田直久の長男として生まれる。1931年、 学習院初等科を卒業し、東京高等学校に進学。山内清男らから考古学を学ぶようになる。満洲帝国国務院大陸科学院ハルビン分院に勤務。戦後は、根津美術館に勤務しつつ、学習院大学輔仁会史学部で後進の指導に当たる。1957年に江ヶ崎城跡の発掘調査に携わったことをきっかけに、中世考古学、城郭史研究を主とした研究テーマにするようになる。
徳川 頼韶(とくがわ よりあき、1917年(大正6年)12月… 徳川 頼韶(とくがわ よりあき、1917年(大正6年)12月3日 - 1958年(昭和33年)12月6日)は、紀州徳川家第17代当主。 1917年(大正6年)12月3日、徳川頼貞と島津忠義の十一女・為子の長男として東京府東京市芝区白金三光町(現在の東京都港区白金)で生まれる。父の頼貞にとって唯一の男子であったが、生来病弱であった。 1936年(昭和11年)7月18日、母方の伯父である島津忠重夫妻の北海道旅行に随行して上野駅を出発し、翌7月19日に青函連絡船翔鳳丸で北海道に渡った。北海道旅行は空知郡上富良野村(現在の上富良野町)にある島津家富良野農場(島津農場)の視察を目的としていたが、他にも北海道庁真駒内種畜場、王子製紙苫小牧工場、日本製鋼所室蘭製作所などの見学をする一方、五稜郭、登別温泉、洞爺湖など北海道各地の観光も行っている。
黒田 長久(くろだ ながひさ、1916年11月23日 - 2… 黒田 長久(くろだ ながひさ、1916年11月23日 - 2009年2月26日)は、日本の鳥類学者・軍人・外務官僚。 侯爵で鳥類学者だった黒田長礼(黑田長禮)の長男。母は閑院宮載仁親王二女・茂子女王。妻は海軍中将の醍醐忠重侯爵の娘・和子。黒田家19代当主である。明仁上皇ははとこに当たる。同じ鳥類学者である山階芳麿は義理の従兄弟でもある。父と同じく日本鳥学会会長を務めた。 幼時より父に鳥への関心を育まれる。学習院高等科を経て、1937年、東京帝国大学理学部動物学科に入学し、鎌田武雄教授に師事する。卒業後は外務省に入るが半年で徴兵され、5年間を近衛師団で過ごし陸軍中尉となった。軍隊では伝書鳩を扱う鳩班長を務めていたという。
相馬恵胤(そうま やすたね、大正2年(1913年)3月9日 … 相馬恵胤(そうま やすたね、大正2年(1913年)3月9日 - 平成6年(1994年)1月4日)は、旧陸奥相馬中村藩主の相馬子爵家32代当主。相馬孟胤の子。妻は尾崎行雄の三女雪香。子に相馬和胤。 学習院高等科を経て、1941年東京帝国大学文学部倫理学科卒業後、宮内庁事務官になった。昭和11年(1936年)2月に父孟胤が死亡したのちに相続。競走馬の馬主となり、日本馬主協会連合会第8代会長となる。相馬市に二の丸球場や長友グラウンドなどを寄贈した。また、相馬野馬追の振興に大きく貢献し、相馬市名誉市民になった。 相馬市公式HP(名誉市民)
慶光院 利彰(けいこういん よしあき、1913年〈大正2年〉… 慶光院 利彰(けいこういん よしあき、1913年〈大正2年〉2月 - 没年不詳)は、日本の資産家。慶光院家第3代当主。 神宮式年遷宮復興に尽力した慶光院の遺跡を継承した三重県士族・慶光院家の出身。利彰は伊勢神宮少宮司の慶光院利敬の嫡男として大正2年(1913年)2月に誕生する。父の利敬が二条斉敬の実子であるため、藤原鎌足の直男系男子孫にあたる。生母の増子は、利彰を出産した同年11月18日に死去した。 昭和9年(1934年)3月30日、学習院文科(甲類)を卒業。同年4月、京都帝国大学法学部に入学し、昭和12年(1937年)3月30日、卒業した。同年4月、京都帝国大学経済学部に入学し、昭和15年(1940年)3月30日、卒業した。
細川 護貞(ほそかわ もりさだ、1912年〈明治45年〉7月… 細川 護貞(ほそかわ もりさだ、1912年〈明治45年〉7月17日 - 2005年〈平成17年〉10月3日)は、旧肥後熊本藩細川家の第17代当主。第2次近衛内閣で内閣総理大臣秘書官を務めた。 1912年(明治45年)、細川侯爵家第16代当主・細川護立と博子(侯爵池田詮政の長女)の長男として生まれる。曾祖父に島津忠義と鍋島直正。旧制学習院高等科を経て京都帝国大学で狩野直喜博士の教えを受ける。京大法学部卒業後、企画院嘱託。 1940年(昭和15年)、第2次近衛内閣で首相秘書官に就任する。1943年(昭和18年)、昭和天皇の弟宮高松宮宣仁親王の御用掛となり宮中グループを中心に各方面の有識者から情報や意見を収集し、海軍グループで同郷出身の高木惣吉海軍少将に協力して東條英機暗殺未遂事件や終戦工作の一翼を担い、戦時中の動静を「細川日記」として戦後発表している。
植田 敏郎(うえだ としろう、1908年1月17日 - 19… 植田 敏郎(うえだ としろう、1908年1月17日 - 1992年10月21日)は、日本のドイツ文学者・翻訳家。静岡高等学校教授、東京外国語学校教授、学習院教授、学習院大学教授、一橋大学教授、東北歯科大学教授を歴任。 広島県広島市生れ。旧制広島高等師範学校附属中学校、旧制広島高校を経て1931年東京帝国大学独文科卒、同年渡欧、ウィーン大学、ボン大学、ベルリン大学で学び1936年帰国。1937年静岡高等学校教授。専門はゲーテ時代のドイツ文学で、のち東京外国語学校教授、学習院教授、1949年学習院大学教授、1953年一橋大学社会学部教授、1971年定年となり東北歯科大学教授。1973年『クリュス選集』の翻訳により日本翻訳文化賞受賞。
伊達 興宗(だて おきむね、1906年(明治39年)10月2… 伊達 興宗(だて おきむね、1906年(明治39年)10月20日 - 1947年(昭和22年)7月2日)は、日本の華族(伯爵)。伊達宗家第32代当主。 1919年(大正8年)3月、学習院初等科を卒業。1923年(大正12年)5月、父の死去により伊達伯爵家を継いだ。その後、東京農業大学に進学する。没後、夫人が伊達家の所有する山林を勝手に売却するなど横暴な振る舞いをして、親族と争いごとに発展したとされ、世間で「新伊達騒動」と言われ注目された。 朝宗 - 宗村 - 義広 - 政依 - 宗綱 - 基宗 - 行宗 宗遠 - 政宗 - 氏宗 - 持宗 - 成宗 - 尚宗 - 稙宗 - 晴宗 - 輝宗 政宗 - 忠宗 - 綱宗 - 綱村 - 吉村 - 宗村 - 重村 - 斉村 - 周宗 - 斉宗 - 斉義 - 斉邦 - 慶邦 - 宗基 邦宗 - 興宗 - 貞宗 - 泰宗 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
末松 保和(すえまつ やすかず、1904年(明治37年)8月… 末松 保和(すえまつ やすかず、1904年(明治37年)8月20日 - 1992年(平成4年)4月10日)は、日本の歴史学者。学習院大学名誉教授。文学博士。専門は朝鮮史。 1904年(明治37年)、福岡県田川郡弓削田村(のち田川市)生まれ。福岡県立小倉中学校・佐賀高等学校文科甲類を経て、東京帝国大学文学部国史学科に入学。1927年に卒業した。 卒業後は朝鮮総督府朝鮮史編修会に修史官として勤務。『朝鮮史』などの編修事業に従事し、1933年から京城帝国大学法文学部助教授を経て、1939年に同教授に昇格した。 敗戦にともない引上げ帰国。1947年に学習院教授に招聘され、1949年学習院大学開学とともに文政学部教授に就いた。
池田 宣政(いけだ のぶまさ、1904年(明治37年)7月1… 池田 宣政(いけだ のぶまさ、1904年(明治37年)7月1日 - 1988年(昭和63年)1月9日)は、昭和期の政治家、実業家、華族。侯爵、貴族院議員。旧岡山藩池田家第15代当主。初名は政鈞。 岡山県岡山市で、旧岡山藩主家13代当主、侯爵・池田詮政の三男として生まれる。学習院高等科で学んだ。兄で先代の池田禎政がスペインかぜのため26歳で早世し、未婚により子供がいなかったため1920年(大正9年)家督を相続し、同年3月10日、侯爵を襲爵した。1925年(大正14年)欧米各国を視察した。 1934年(昭和9年)6月30日、満30歳となり貴族院侯爵議員に就任。農林省委員、農商務省委員、厚生省行政委員、帝国飛行協会(現日本航空協会)理事などを務めた。
島津 忠承(しまづ ただつぐ、1903年〈明治36年〉5月1… 島津 忠承(しまづ ただつぐ、1903年〈明治36年〉5月19日 - 1990年〈平成2年〉8月26日)は、日本の華族。玉里島津家第3代当主。位階・勲等・爵位は正三位勲一等公爵。第8代日本赤十字社社長、結核予防会会長などを歴任した。 1903年(明治36年)5月19日、島津忠済の長男として、東京市麹町区三年町に生まれる。学習院女子部幼稚園に入る。学習院初等科、中等科、高等科を卒業。1915年(大正4年)、初等科在学中に父・忠済が58歳で死去して、家督を継ぐ。 1926年(大正15年)、京都大学文学部に入学、のち法学部に移り、在学中に結婚し、1930年(昭和5年)に卒業。同年、日本赤十字社本社に「社会事業調査の嘱託」として入社し、調査部に勤務。
門脇 章太郎(かどわき しょうたろう、1901年〈明治34年… 門脇 章太郎(かどわき しょうたろう、1901年〈明治34年〉3月30日 - 1971年〈昭和46年〉)は、日本の実業家、政治家、宗教家。 学習院大学名誉教授門脇卓爾の父。 鳥取県西伯郡所子村(現:大山町)の豪農の家(門脇家住宅として現存)に生まれる。父・門脇才蔵、母・チヨノの長男。米子中学校を経て、大正13年(1924年)京大修了。 所子村産業組合長、所子村農会長、所子村長を経て米子銀行取締役、鳥取県産業組合連合会理事米子支所長、米子銀行常務取締役を歴任した。1941年(昭和16年)合併により山陰合同銀行取締役に就任した。その後、1946年(昭和21年)に常務取締役となった。1959年(昭和34年)11月6日の株主総会で常務取締役を退任した。
七条 光明(七條、しちじょう みつきよ、1900年(明治33… 七条 光明(七條、しちじょう みつきよ、1900年(明治33年)8月15日 - 1964年(昭和39年)11月2日)は、昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・烏丸。 伯爵・烏丸光亨の三男として生まれ、先代七条信義の死跡を継承し、1924年(大正13年)6月16日、子爵を襲爵した。 学習院高等科を修了。1935年(昭和10年)豊島区役所嘱託に就任。以後、関東電気工業社員、同社農場主任、浅野カーリツト会社員などを務めた。 1946年(昭和21年)6月28日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
浅野 長武(あさの ながたけ、1895年(明治28年)7月5… 浅野 長武(あさの ながたけ、1895年(明治28年)7月5日 - 1969年(昭和44年)1月3日)は、日本の美術史家、政治家、華族。貴族院侯爵議員、東京国立博物館長を歴任した。 東京市出身。侯爵・浅野長之の息子として生まれる。学習院高等科を経て、1920年、東京帝国大学文学部国史科を卒業し、さらに同大学大学院を修了。父・長之が1940年12月20日に隠居し家督を相続する。同月28日、侯爵を襲爵し、貴族院侯爵議員に就任する。火曜会に所属し、1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した。 1927年、学習院講師に就任する。その他、内務省嘱託、帝国学士院嘱託、東京府嘱託、文部省委員、歌御会始読師などを歴任する。
木下 孝則(きのした たかのり、1894年2月24日 - 1… 木下 孝則(きのした たかのり、1894年2月24日 - 1973年3月29日)は、日本の洋画家。 東京市四谷区生まれ。同じく画家の木下義謙は実弟。父の木下友三郎は明治大学総長。母方の叔父の児島善久雄は西洋美術史家。 学習院初等科、学習院中等科を経て学習院高等科を卒業する。京都帝国大学法科大学政治経済学科および東京帝国大学文科大学哲学科をいずれも中退。このころに小島善太郎など複数の画家と知り合い、油絵を開始。1921年、二科展に入選。その後フランスに留学。帰国後に二科会展で樗牛賞および二科賞受賞。1936年に二科会を脱会して一水会創立会員になった。1958年には日本芸術院賞受賞。1973年に没し、勲四等旭日小綬章受章。
交野 政邁(かたの まさゆき、1893年(明治26年)7月3… 交野 政邁(かたの まさゆき、1893年(明治26年)7月3日 - 1966年(昭和41年)6月14日)は、大正から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・内藤。青年期には陸上競技やスケートでスポーツ界に足跡を残し、のちにスケート団体の会長を務めている。 旧日向延岡藩主・内藤政挙の息子として生まれる。堂上(公家)華族の交野家の養子に迎えられ、先代・交野時正の隠居に伴い家督を継承し、1918年(大正7年)3月11日、子爵を襲爵した。 1921年(大正10年)3月、京都帝国大学経済学部を卒業。松坂屋取締役、朝日興業取締役、名陶チャイナ・コーポレーション社長、大同メタル工業監査役などを務めた。
黒田 長礼(黑田 長禮、くろだ ながみち、1889年〈明治2… 黒田 長礼(黑田 長禮、くろだ ながみち、1889年〈明治22年〉11月24日 - 1978年〈昭和53年〉4月16日)は、日本の華族(侯爵)、鳥類学者、政治家(貴族院議員)。 日本鳥学会会長を務めたことから、「日本鳥学の父」と呼ばれた[要出典]。旧筑前国福岡藩黒田家当主で、黒田長政から数えて14代目に当たる。 祖父は第12代福岡藩主・黒田長知。父は貴族院副議長を務めた黒田長成、母は清子(島津忠義の次女)である。姉妹のうち、幸子は長嶺公固の妻、良子は高倉永輝の妻。 妻は閑院宮載仁親王の第二王女の茂子。長男の長久も長じて鳥類学者となり、山階鳥類研究所所長を務めた。長女の政子(1915年生)は前田利建に、次女の光子(1921年生)は山内豊秋にそれぞれ嫁いだ。
松前 勝広(まつまえ よしひろ、1889年〈明治22年〉5月… 松前 勝広(まつまえ よしひろ、1889年〈明治22年〉5月10日 - 1940年〈昭和15年〉8月2日)は、明治時代から昭和時代前期の子爵。旧松前藩(館藩)松前氏の第20代当主。父は松前修広。妻は大藪房次郎(実業家、衆議院議員)の三女・スカ。子に松前正広(長男)、松前之広(次男)がいる。 明治38年(1905年)4月、父・修広が亡くなったため家督を継承する。明治44年(1911年)3月、学習院高等学科を卒業。大正10年(1921年)8月創立の帝国土地開拓(虚業企業として知られる)の取締役に就任。その後、養老信託(九条道孝の三男で男爵の九条良致が社長を務める会社で詐欺事件で知られる)監査役、東洋土地開拓取締役を務める。
前田 利功(まえだ としこと、1888年(明治21年)7月7… 前田 利功(まえだ としこと、1888年(明治21年)7月7日 - 1962年(昭和37年)2月21日)は、明治から昭和期の華族(男爵)。旧名・芳明。 富山前田家第12代当主前田利聲の子として生まれる。1890年5月22日、加賀前田家分家当主前田利武の臨終に際してその養子となり、利功と改名し男爵を襲爵した。 学習院高等科を卒業。中央生命保険(第一生命保険の前身の一つ)社長、国際製菓監査役などを務めた。
黒田 長敬(くろだ ながあつ、1885年(明治18年)7月2… 黒田 長敬(くろだ ながあつ、1885年(明治18年)7月21日 - 1963年(昭和38年)3月24日)は、明治後期から昭和期の宮内官、華族。旧秋月藩黒田家13代当主、黒田子爵家2代当主。貴族院子爵議員。初名は静男。 筑前福岡藩最後の藩主黒田長知の五男。筑前秋月藩最後の藩主で子爵の黒田長徳の養子となる。長徳の死去に伴い、1892年(明治25年)7月20日、家督を継ぎ子爵を襲爵。同年7月22日に長敬と改名した。1906年(明治39年)7月、学習院高等科を卒業した。その後、アメリカ合衆国に留学し1912年(明治45年)コーネル大学文理科を卒業。 帰国後、1914年(大正3年)宮内省に入省し大正天皇の侍従となり宮内事務官を兼務。
小笠原 長幹(おがさわら ながよし、1885年(明治18年)… 小笠原 長幹(おがさわら ながよし、1885年(明治18年)3月2日 - 1935年(昭和10年)2月9日)は、日本の政治家、華族。位階・爵位は従三位伯爵。小笠原宗家30代当主。 最後の小倉藩主だった華族の小笠原忠忱伯爵の長男。1897年(明治30年)3月、家督を相続する。学習院卒業後、イギリスのケンブリッジ大学に留学。帰国後に宮内省に入り式部官となり、1918年(大正7年)7月10日、貴族院議員となる。1920年(大正9年)に陸軍省参事官、1922年(大正11年)に国勢院総裁、その後、行政制度審議会委員などを歴任する。東京浅草の海禅寺に葬られたが、のちに多磨霊園に改葬。 1927年(昭和2年)、小倉藩下屋敷跡に建てられたスペイン風の邸宅(小笠原伯爵邸、新宿区河田町)は、東京都選定歴史的建造物第66号に指定され、2002年(平成14年)6月、民間によって修復され、結婚披露宴も行われるレストランとして利用されている。
二条 厚基(にじょう あつもと、1883年〈明治16年〉6月… 二条 厚基(にじょう あつもと、1883年〈明治16年〉6月14日 - 1927年〈昭和2年〉9月11日)は、日本の政治家、華族。貴族院公爵議員。 公爵・二条基弘の二男として生まれる。学習院高等科、東京帝国大学で学ぶ。父の隠居に伴い、1920年(大正9年)6月30日、公爵を襲爵し貴族院公爵議員に就任した。当選後は無所属だったが、1922年(大正11年)9月27日、研究会に所属した。 1917年(大正6年)以降、神奈川県嘱託、平和記念東京博覧会審査官、歌御会始読師控などを務めた。 1927年(昭和2年)9月11日、議員在職中のまま死去。実子がいなかったため相続争いが起こったが、二条正麿の三男である弼基が養子となり襲爵した。
黒田 長和(くろだ ながとし、1881年(明治14年)1月3… 黒田 長和(くろだ ながとし、1881年(明治14年)1月30日 - 1944年(昭和19年)3月8日)は、明治から昭和前期の華族、政治家。男爵、貴族院議員。幼名は峯太郎。 福岡藩最後の藩主・黒田長知の四男。母は側室・田代園子。異母兄に侯爵黒田長成がいる。 1896年(明治29年)断絶した黒田直方家の再興という形で分家し、1896年(明治29年)12月3日、男爵を叙爵し、同月、長和と改名した。1904年(明治37年)7月、学習院高等科を卒業し、東京帝国大学法科大学に入学した。1906年(明治39年)イギリス、ケンブリッジ大学に留学した。 1899年(明治32年)東宮職出仕。宗秩寮審議官、衆議院議員選挙革正審議会委員、内閣制度審議会委員、議会制度審議会委員、議院制度調査会委員、貴族院制度調査会委員などを務めた。
牧野 一成(まきの かずしげ、1880年(明治13年)7月2… 牧野 一成(まきの かずしげ、1880年(明治13年)7月22日 - 1958年(昭和33年)9月25日)は、大正から昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。 旧丹後田辺藩主・牧野弼成の長男として生まれる。父の隠居に伴い、1916年2月21日、子爵を襲爵した。 学習院高等科を経て、同大学科を修了。1915年、大礼使典儀官を務めた。 1921年2月、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し、1932年7月まで2期在任した。
中川 良長(なかがわ たかなが、1876年〈明治9年〉10月… 中川 良長(なかがわ たかなが、1876年〈明治9年〉10月27日 - 1948年〈昭和23年〉8月20日)は、明治から昭和期の実業家、政治家、奈良華族。貴族院男爵議員。 華族・中川興長の長男として生まれる。父の死去に伴い、1920年(大正9年)6月10日、男爵を叙爵した。 1905年(明治38年)学習院大学科を卒業。同年、日本銀行に入行。その後、東京電燈監査役などを務めた。 1921年(大正10年)2月12日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、1925年(大正14年)7月10日まで在任。さらに1939年(昭和14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、公正会に所属して1946年(昭和21年)4月13日に辞職するまで通算二期在任した。
松平 親信(まつだいら ちかのぶ、1875年〈明治8年〉12… 松平 親信(まつだいら ちかのぶ、1875年〈明治8年〉12月21日 - 1914年〈大正3年〉12月18日)は、明治・大正期の政治家、華族。貴族院子爵議員。幼名・龍若。 旧杵築藩主松平親貴の長男として生まれる。父の死去に伴い1882年(明治15年)10月12日に家督を継承し親信と改名。1884年(明治17年)7月8日に子爵を叙爵した。 学習院高等科を経て、1900年(明治33年)東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業し、さらに同大学院を修了した。浅草区教育会長を務めた。 1906年(明治39年)2月9日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、死去するまで在任した。会派は研究会に所属した。 1914年12月18日、東京市浅草区(現・台東区)浅草北三筋町の自宅で病のため死去した。
本多 正復(ほんだ まさもと、明治6年(1873年)12月2… 本多 正復(ほんだ まさもと、明治6年(1873年)12月23日 - 昭和9年(1934年)4月9日)は、日本の華族(子爵)。平戸藩主松浦詮の六男。初名は松浦復。長尾藩主本多正憲の娘・純子の婿養子となり名を改める。子に房子、本多正震、稲葉正弘(稲葉正顕養子)、恒子(田中真茂妻)。 学習院高等科を卒業。宮内省に入り、東宮侍従、掌典次長を歴任、その後宮中顧問官を務めた。大正15年(1926年)7月に養父が隠居し家督を継ぐ。昭和9年、62歳で没した。墓所は青山霊園(1イ20-23)で、藩主の墓所を浅草徳本寺や谷中霊園から改葬している。
京極 高備(きょうごく たかよし、1873年(明治6年)7月… 京極 高備(きょうごく たかよし、1873年(明治6年)7月30日 - 1933年(昭和8年)10月25日)は、明治から大正期の実業家、政治家、華族。貴族院子爵議員。旧名・於菟吉。 旧讃岐多度津藩主・京極高典の二男として生まれる。父の死去に伴い、1906年(明治39年)1月27日、子爵を襲爵した。 1898年(明治31年)学習院高等科を卒業し、さらに同大学部を修了した。1897年(明治30年)陸軍騎兵少尉に任官し、騎兵中尉に進んだ。退役後に司法属となる。 1910年(明治43年)10月29日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し、1925年(大正14年)7月9日まで3期在任した。
二条 正麿(二條、にじょう おさまろ、1872年2月17日(… 二条 正麿(二條、にじょう おさまろ、1872年2月17日(明治5年1月9日)- 1929年(昭和4年)2月18日)は、明治から昭和期の政治家、華族。貴族院男爵議員。 二条家当主・二条斉敬の四男として生まれる。1902年(明治35年)12月5日、分家して男爵を叙爵した。 学習院高等科を経て、1899年(明治32年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業し、さらに同大学院で行政法を研究して修了した。1904年(明治37年)司法官試補となり、東京区裁判所検事代理を務めた。 1905年(明治38年)3月、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、同月11日に就任し、公正会に所属して活動し、死去するまで4期在任した。
中川 久任(なかがわ ひさとう、1871年7月7日(明治4年… 中川 久任(なかがわ ひさとう、1871年7月7日(明治4年5月20日)- 1935年(昭和10年)7月14日)は、日本の政治家、華族。貴族院伯爵議員。旧姓・浅野、旧名・倉吉。 東京府出身。浅野家分家・浅野懋績の八男として生まれ、伯爵・中川久成の養子となる。養父・久成の死去に伴い、1897年(明治30年)5月18日、家督を相続し伯爵を襲爵、名を久任と改めた。学習院を卒業。 1909年(明治42年)9月16日、貴族院伯爵議員補欠選挙で当選し、研究会に属して1911年(明治44年)7月9日まで在任し、さらに1920年(大正9年)5月8日、補欠選挙で再選され、1925年(大正14年)7月9日まで在任した。
柳沢 保恵(やなぎさわ やすとし、1871年2月5日〈明治3… 柳沢 保恵(やなぎさわ やすとし、1871年2月5日〈明治3年12月16日〉 - 1936年〈昭和11年〉5月25日)は、日本の統計学者、政治家、実業家、華族(伯爵)。第一生命保険の初代社長。 柳沢氏傍系の越後柳沢家当主で黒川藩藩主の柳沢光昭の次男として、越後国北蒲原郡黒川村(現・新潟県胎内市)に生まれる。幼名は利丸、前名は光敏。保恵の出生前に父の家督は養子で大和郡山藩藩主の息子である柳沢光邦(高家旗本武田信之の六男)がすでに継いでいた。 柳沢一族のなかの優秀な男子ということで本家の養子に選ばれ、明治19年(1886年)、旧大和郡山藩主の柳沢保申の次女秀子と婚約し養子となった(光昭も郡山藩主家の出身であり、保申は保恵の従兄に当たる)。
酒井 忠亮(さかい ただあき、明治3年閏10月2日(1870… 酒井 忠亮(さかい ただあき、明治3年閏10月2日(1870年11月24日) - 昭和3年(1928年)8月1日)は、明治時代から昭和時代前期の華族。忠稠系小浜藩酒井家別家、越前国敦賀藩第8代藩主・酒井忠経の長男。幼名は松之助。正室は松平康英の娘鉚。子は酒井忠英、義男。 東京に生まれ、明治17年(1884年)7月8日の華族令により子爵となる。学習院高等科、帝国大学法科を卒業。明治34年(1901年)8月2日、補欠選挙で貴族院議員に選出され、研究会に属し常務委員を務めた。 大正2年(1913年)3月15日、伯剌西爾(ブラジル)拓殖株式会社が設立され、取締役会長となる。東華生命保険、東北電力、横浜倉庫の社長を務めたほか、横浜正金銀行、高砂商事、海外興産等の役員を務めた。