佐藤 泰三(さとう たいぞう、1924年(大正13年)4月1… 佐藤 泰三(さとう たいぞう、1924年(大正13年)4月15日 - 2013年(平成25年)1月21日)は、日本の政治家。自由民主党元参議院議員(3期。津島派)。医師(産婦人科)。位階は正四位。
千葉県立佐倉高等学校:105人
佐藤 泰三(さとう たいぞう、1924年(大正13年)4月1… 佐藤 泰三(さとう たいぞう、1924年(大正13年)4月15日 - 2013年(平成25年)1月21日)は、日本の政治家。自由民主党元参議院議員(3期。津島派)。医師(産婦人科)。位階は正四位。
牛玖 健治(うしく けんじ、1922年 - 2012年)は、… 牛玖 健治(うしく けんじ、1922年 - 2012年)は、日本の版画家、洋画家。千葉県出身。 1922年(大正11年)、千葉県に生まれる。旧制佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)を経て、東京美術学校(現在の東京芸術大学)を卒業。東京版画国際展をはじめ、毎日国際展、毎日現代展、朝日秀作美術展、JAA国際展などで活躍する。河童絵の牛玖博は実弟。
藤崎 武男(ふじさき たけお、1922年(大正11年) - … 藤崎 武男(ふじさき たけお、1922年(大正11年) - )は、日本の作家、ルポライター。元・旧日本陸軍大尉。旧姓・太田。 千葉県に生まれる。1939年(昭和14年)3月、旧制千葉県立佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)卒業、1941年(昭和16年)7月、陸軍士官学校(55期)を卒業し、見習士官として華北に派遣される。 1944年(昭和19年)には、第37師団・歩兵第227連隊の第1中隊長として大陸打通作戦に参戦し、中国大陸から仏印・英領マレーを転戦してマレーで終戦を迎えた。第二次世界大戦終戦時、陸軍大尉。著書の『歴戦1万5000キロ―大陸縦断一号作戦従軍記』は、大陸打通作戦開始から、終戦後日本に帰還するまでの記録である。
石丸 久(いしまる ひさし、1921年10月31日 - 19… 石丸 久(いしまる ひさし、1921年10月31日 - 1999年12月26日)は、日本の近代文学者。早稲田大学講師、早稲田大学高等学院教諭、代々木ゼミナール講師。 北海道河東郡帯広町(現帯広市)に父・庄七と母・なほこの長男として生まれる。ヨーロッパでの生活経験があり英語・ドイツ語・フランス語に堪能。旧制千葉県立佐倉中学校、旧制静岡高等学校、旧制第二早稲田高等学院を経て、早稲田大学・および同大学院を卒業。大手大学受験予備校代々木ゼミナールの講師も務めた。後に早稲田大学教授。(石丸を「教授」としているのは小田原市の資料のみであり、他の資料では「講師」と記されている。要検証。) 2012年、夫人の希望によって、架蔵していた北原白秋の初版本60冊ほど(評価額150万円以上)が小田原市に寄贈された。
内海 喩(うつみ さとり、1919年4月16日 - 2003… 内海 喩(うつみ さとり、1919年4月16日 - 2003年3月15日)は、日本の化学者。理学博士。専門は分析化学。特に微量陰イオンの定量法の研究で知られる。元東京工業大学理工学部分析化学教室教授。日本大学名誉教授。 香川県出身。旧制千葉県立佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)を経て東京文理科大学(現在の筑波大学)卒業。1992年、勲四等旭日小綬章を受章。2003年3月15日、急性心筋梗塞のため83歳で死去。
櫻井慶治(さくらい けいじ、1919年 - 2016年6月6… 櫻井慶治(さくらい けいじ、1919年 - 2016年6月6日)は、日本の洋画家。弟子に三沢忠がいる。 1919年、千葉県印旛郡和田村(現千葉県佐倉市高崎)に生まれる。 千葉県立佐倉中学校(旧制、現千葉県立佐倉高等学校)、千葉師範学校(現千葉大学教育学部)を経て1949年に東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業。東京美術学校在学中の1947年と1948年に光風会展入選。1956年から1957年文部省留学生としてフランス留学。1956年から1964年まで絵画の研究の為、ヨーロッパを中心にイタリア、スイスなど各国を歴訪。1965年、再渡欧米、フランスでル・サロン銅賞・ヴィシー国際展グランプリを受賞。 1967年(昭和42年)第10回日展、1969年(昭和44年)改組第1回日展の2回で特選を受賞した。
比留間 豊(ひるま ゆたか、1918年1月6日 - 2002… 比留間 豊(ひるま ゆたか、1918年1月6日 - 2002年1月26日)は、日本の土木工学者。東京帝国大学(現在の東京大学)土木工学科卒。 技術開発、特に道路の機械化施工に取り組み、高速道路事業に大きな功績を残した。コンクリート製防護壁の発明者。土木学会名誉会員。建設省道路局道路公団監理官、株式会社間組常務取締役、東京道路エンジニア株式会社社長などを歴任。日韓トンネル研究会参与。1989年6月、勲三等瑞宝章受章。2002年1月26日、心不全のため死去、享年84。
入江 春彦(いりえ はるひこ、1915年(大正4年)10月2… 入江 春彦(いりえ はるひこ、1915年(大正4年)10月21日 - 1999年(平成11年)9月26日)は、日本の海洋生物学者。農学博士。専門は端脚類の分類。東京帝国大学農学部卒業。長崎大学名誉教授。元日本プランクトン学会長。勲三等旭日中綬章受賞。位階は正四位。 長崎県大村湾の調査、対馬暖流開発調査、日本湾岸水域の基礎生産力調査、国際黒潮調査(CSK)など日本国内外の研究調査に幅広く参画。特に1965年前後に大村湾において大規模に出現した赤潮発生機構の解明、被害調査に従事し、日本の赤潮研究で指導的な役割を果たした。
市原 松平(いちはら まつへい、1915年3月30日 - 2… 市原 松平(いちはら まつへい、1915年3月30日 - 2001年4月11日)は、日本の土木工学者。京都帝国大学工学部卒業。名古屋大学名誉教授。土木学会名誉会員。地盤工学会名誉会員。土圧・間隙水圧の計測方法に関する研究を行い多面土圧計などの計測機器を開発。特に土圧研究の分野で多くの業績を上げた。勲二等瑞宝章受章。 1915年(大正4年)、現在の千葉県佐倉市に生まれる。旧制千葉県立佐倉中学校(現:千葉県立佐倉高等学校)、旧制大阪高等学校(現:大阪大学一般教養部)を卒業。 1941年(昭和16年)12月、京都帝国大学工学部土木工学科卒業。内務省国土局に採用される。 1942年(昭和17年)2月、近衛工兵連隊に現役兵として入隊。
高橋 誉冨(高橋 譽冨、たかはし たかよし、1913年9月2… 高橋 誉冨(高橋 譽冨、たかはし たかよし、1913年9月29日 - 2003年5月13日)は、日本の政治家。参議院議員(1期、自由民主党)。 千葉県出身。1937年千葉県師範学校(現千葉大学教育学部)卒。卒業後は千葉県内の小学校で教鞭を執り、その後は、習志野市立津田沼小学校校長や船橋市立二宮中学校校長を務めた。[要出典]1963年千葉県議会議員(八千代市)を経て、1974年の第10回参議院議員通常選挙(千葉地方区)で初当選、当選1回。福田赳夫内閣で北海道開発政務次官を務めた。1980年に引退。1984年秋の叙勲で勲三等旭日中綬章受章。 2003年5月13日午前2時39分、肺炎のため千葉県八千代市の病院で死去、89歳。
塚本 素山(つかもと そざん、1907年(明治40年)9月1… 塚本 素山(つかもと そざん、1907年(明治40年)9月1日 - 1982年(昭和57年)4月4日)は、日本の陸軍軍人、実業家。千葉県出身。陸軍士官学校卒業(少候19期)。本名は、塚本清。最終階級は陸軍少佐。戦前からの日蓮正宗の法華講員で、戦後、政財界の顔役として活躍した。 1907年(明治40年)9月1日、千葉県に生まれる。本籍は佐倉市裏新町。 旧制千葉県立佐倉中学校を卒業後、佐倉歩兵第57連隊に入隊。1935年(昭和10年)4月時点で陸軍軍曹であり、陸軍士官学校予科の生徒隊第1中隊第1区隊(区隊長:近藤伝八中尉)助教として51期生の教育を担当。1939年(昭和14年)、陸軍士官学校(少尉候補者第19期)を卒業する。
檜貝 襄治(ひがい じょうじ、1906年(明治39年)11月… 檜貝 襄治(ひがい じょうじ、1906年(明治39年)11月20日 - 1943年(昭和18年)1月29日)は、日本の海軍軍人。海兵57期。太平洋戦争(大東亜戦争)時における爆撃機の名パイロットで霞空飛行隊長、七〇一空飛行長を歴任。檜貝式爆撃法を生み出し、ガダルカナル島夜間爆撃等を指揮、多大な戦果をもたらした。七〇五空飛行長の三原元一少佐とともに陸攻隊の双璧といわれた。レンネル島沖海戦において被弾後、敵艦へ突撃。戦死による二階級特進で最終階級は海軍大佐。 1906年(明治39年)11月20日、千葉県佐倉町(現・佐倉市)に、海軍機関大佐・檜貝秀次郎(海軍機関学校4期)の、三男三女の二男として生まれる。
土方 辰三(ひじかた たつぞう、1904年 -1999年)は… 土方 辰三(ひじかた たつぞう、1904年 -1999年)は、日本の英文学者。成蹊大学名誉教授。 旧制・千葉県立佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)、旧制浦和高等学校(現在の埼玉大学教養部)を経て、東京帝国大学文学部英文科卒業。第五高校(現在の熊本大学教養部)教授、浦和高校教授、東京大学教養学部教授、1965年定年退官。成蹊大学教授、名誉教授。 1975年、イギリスの詩人、A. E. Housmanの熱心な研究者、愛読者により、日本ハウスマン協会(The Housman Society of Japan)が設立された際、会長を務めた。 妻の幸は、浦和高校時代の恩師・乙骨五郎(のち成蹊大学学長)の姪。
宇野 利雄(うの としお、1902年4月8日 - 1998年… 宇野 利雄(うの としお、1902年4月8日 - 1998年11月29日)は、日本の数学者。 千葉県佐倉市生まれ。旧制千葉県立佐倉中学(現在の千葉県立佐倉高等学校)、旧制第一高等学校(現在の東京大学教養学部)を経て東京帝国大学(現在の東京大学)理学部数学科卒業。理学博士(東北帝國大学)。1928年東京商船学校教授、1941年京城帝国大学教授。戦後、1949年東京都立大学 (1949-2011)教授、1959年日本大学教授を歴任。「コンピュータ黎明期のコンセプトメーカー」と『計算機屋かく戦えり』では書かれている。手計算や機械式計算機といった計算力が限られていた時代からの数値解析・計算科学の第一人者として、電子計算機のパイオニアであったと同時に、その経験から誤差の扱い等についても注意を与えていた先駆者であった。
木倉 和一郎(きくら わいちろう、1902年(明治35年)3… 木倉 和一郎(きくら わいちろう、1902年(明治35年)3月12日 - 1994年(平成6年)1月10日)は、日本の政治家(衆議院議員・千葉県議会議員)、初代佐倉市長、千葉県弓道連盟初代会長。経済界でも活躍。 1902年(明治35年)、現在の千葉県佐倉市に生まれる。1920年(大正9年)に旧制佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)を卒業。1929年(昭和4年)に東京帝国大学経済学部(現在の東京大学経済学部)を卒業。 1929年、千葉県の佐倉町会議員となり、1932年(昭和7年)には千葉県会議員となった。1934年には32歳の若さで佐倉町長に就任。 1940年に召集され陸軍高射学校に入隊し、千葉陸軍高射学校の将校として配属された。
吉原呼我(よしはら こが、生年月日不明-1900年)は、日本… 吉原呼我(よしはら こが、生年月日不明-1900年)は、日本の教育者。中権精舎(ちゅうけんしょうしゃ)創始者。三島、伊豆地方に近代中等教育の種をまき、文化的発展に大きく貢献。
貝塚 武男(かいづか たけお、明治31年(1898年)1月3… 貝塚 武男(かいづか たけお、明治31年(1898年)1月3日 - 昭和19年(1944年)10月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。海軍兵学校46期生。
都田 恒太郎(みやこだ つねたろう、1897年(明治30年)… 都田 恒太郎(みやこだ つねたろう、1897年(明治30年)10月15日 - 1983年(昭和58年)11月16日)は、日本の牧師、日本基督教団の指導者、キリスト教学者、日本基督教協議会総書記、日本聖書協会総主事、青山学院理事長。長年、毎年秋にバックストン記念聖会の指導を行っていた。 岳父は、ホーリネスの都田友次郎。 1897年(明治30年)、鳥取県境港市に生まれる。旧制佐倉中学校に入学して、1908年(明治41年)笹尾鉄三郎が佐倉に巡回伝道に来た時に、佐倉中学四年生だった都田は笹尾の説教を聞いて深い感銘を受けた。1914年に笹尾鉄三郎から洗礼を授けられた。旧制佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)を卒業する。
飯沼 金太郎(いいぬま きんたろう、1897年(明治30年)… 飯沼 金太郎(いいぬま きんたろう、1897年(明治30年)7月22日 - 1964年(昭和39年)6月10日)は、日本の航空黎明期のパイロット。「亜細亜航空学校」を創立した。 千葉県印旛郡佐倉町(現在の佐倉市)中尾余町に生まれる。 1915年(大正4年)に千葉県立佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)を卒業後、工兵中尉の澤田秀の書生を務める。 1917年(大正6年)12月、帝国飛行協会の第3期飛行機操縦練習生となる。1918年(大正7年)5月10日、東京奠都50年祝賀飛行に参加した。 同年11月16日には帝国飛行協会研究生に進級する。 1919年(大正8年)9月から翌年4月にかけ、群馬県尾島飛行場に出張し、中島知久平の知遇を得る。
高田元三郎(たかだ もとさぶろう、1894年1月1日 - 1… 高田元三郎(たかだ もとさぶろう、1894年1月1日 - 1979年8月27日)は、日本のジャーナリスト。大正期に「ワシントン会議」「ジェノア世界経済会議」等の報道に当たるなど、国際ジャーナリストの先駆的存在として活躍。1972年には勲一等瑞宝章を受章した。 1894年(明治27年)、東京の日本橋に生まれる。後に千葉県の佐倉へ転居し旧制佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)を卒業。夏目漱石に傾倒し作家を志望、東京帝国大学文学部英文科へ進んだが、漱石自身からの助言もあり作家を断念する。 1917年(大正6年)、大学卒業とともに大阪毎日新聞社に入社。1919年(大正8年)よりアメリカ特派員としてニューヨークへ派遣、ワシントンで開催された第1回国際労働会議を取材、1921年(大正10年)のワシントン会議 、1922年(大正11年)のジェノア会議 を取材した。
渡貫 良治(わたぬき りょうじ、1894年(明治27年) -… 渡貫 良治(わたぬき りょうじ、1894年(明治27年) - 1958年(昭和33年)10月21日)は、日本のジャーナリスト。元読売新聞論説委員。元長崎日日新聞社社長。第14・15・17代長崎新聞社社長。
森谷 延雄(もりや のぶお、1893年(明治26年)10月2… 森谷 延雄(もりや のぶお、1893年(明治26年)10月28日 - 1927年(昭和2年)4月5日)は、日本の家具デザイナー、インテリアデザイナー、東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部)教授。 旧制千葉県立佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)を経て、東京高等工業学校(現在の東京工業大学)工業図案科を卒業。清水組に入社し、1920~22年に海外派遣。ロンドン王立美術学校と中央美術工芸学校で家具デザインを学ぶ。「誠之堂」(東京都世田谷区から埼玉県深谷市に移築、1916年築、国の重要文化財)や「晩香廬」(東京都北区、1918年築、国の重要文化財)等の室内装飾を手掛けた。
永倉 江村人(ながくら こうそんじん、1881年(明治14年… 永倉 江村人(ながくら こうそんじん、1881年(明治14年) - 1951年(昭和26年))は、日本の画家。京都帝国大学福岡医科大学(後の九州帝国大学医学部、現在の九州大学医学部)解剖教室標本描画嘱託。本名は永倉茂。初号は江村人。 1881年(明治14年1月14日)千葉県印旛郡臼井町(現在の佐倉市臼井)に旧佐倉藩士の永倉良輔の長男として生まれる。旧制佐倉尋常中学(現在の千葉県立佐倉高等学校)を経て、1898(明治31)年東京美術学校(現在の東京芸術大学)日本画科本科に入学、当時日本画助教授『横山大観』に師事、日本画を習う、学生時代、考古学研究における先駆者として、「東京人類学会(現日本人類学会)」に寄稿したという。
兼坂 隆(かねさか たかし、1877年(明治10年)9月25… 兼坂 隆(かねさか たかし、1877年(明治10年)9月25日 - 1961年(昭和29年)12月16日)は、日本の海軍軍人。海兵27期。海大甲種10期。最終階級は海軍中将。号は三州。 千葉県出身。八雲艦長、横須賀海兵団長、砲術学校長、大要司令官などを歴任。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた。
赤井 春海(あかい はるみ、1876年6月12日 - 195… 赤井 春海(あかい はるみ、1876年6月12日 - 1954年12月14日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
津田 信夫(つだ しのぶ、1875年10月23日 - 194… 津田 信夫(つだ しのぶ、1875年10月23日 - 1946年2月17日)は日本を代表する鋳金工芸作家。東京美術学校(現在の東京芸術大学)教授、芸術院会員。
香取 秀真(かとり ほつま、1874年1月1日 - 1954… 香取 秀真(かとり ほつま、1874年1月1日 - 1954年1月31日)は日本の鋳金工芸作家、歌人である。学問としての金工史を確立し、研究者としても優れた。日本における美術の工芸家として初の文化勲章を受章。東京美術学校(現在の東京藝術大学)教授、芸術院会員。 帝室博物館(現在の東京国立博物館)技芸員、国宝保存会常務委員、文化財審議会専門委員などを歴任。秀真は雅号で、本名は秀治郎。金工の人間国宝である香取正彦は長男。 千葉県印旛郡船穂村(現在の印西市)に生まれるも、5歳で佐倉の麻賀多神社の宮司、郡司秀綱の養子となる。一時両親のもとに帰るが、7歳からの10年間を佐倉で過ごす。佐倉周辺は遺跡や古い寺院が多く、秀真は、幼い頃から古代への関心を抱いていた。
伊東 忠太(いとう ちゅうた、慶応3年10月26日〈1867… 伊東 忠太(いとう ちゅうた、慶応3年10月26日〈1867年11月21日〉 - 1954年〈昭和29年〉4月7日) は、明治から昭和期の建築家、建築史家である。号は紅雲。位階・勲等・学位・称号は、正三位・勲二等瑞宝章・工学博士・東京帝国大学名誉教授・早稲田大学教授。出羽国米沢(現山形県米沢市)出身。米沢市名誉市民第1号。 少年時代を東京、佐倉で過ごす。帝国大学工科大学(現在の東京大学工学部)を卒業して同大学大学院に進み、のちに工学博士・東京帝国大学名誉教授となる。 西洋建築学を基礎にしながら、日本建築を本格的に見直した第一人者で、法隆寺が日本最古の寺院建築であることを学問的に示し、日本建築史を創始した。
小柴 保人(こしば やすと、安政6年1月2日(1859年2月… 小柴 保人(こしば やすと、安政6年1月2日(1859年2月4日) - 大正13年(1924年)5月9日)は日本の工学博士。第二高等中学校(現東北大学教養部)教授。旧制鹿山中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)を経て東京大学理学部(土木科)卒。土木学会会員。
渡辺 暢(わたなべ とおる / のぶ、1858年5月20日(… 渡辺 暢(わたなべ とおる / のぶ、1858年5月20日(安政5年4月8日) - 1939年5月24日)は、日本の司法官、政治家。貴族院議員。旧佐倉藩士。
浅井 忠(あさい ちゅう、1856年7月22日(安政3年6月… 浅井 忠(あさい ちゅう、1856年7月22日(安政3年6月21日) - 1907年(明治40年)12月16日)は、明治期の洋画家。教育者としても貢献した。
四宮 有信(しのみや ゆうしん、1856年5月19日(安政3… 四宮 有信(しのみや ゆうしん、1856年5月19日(安政3年4月16日) - 1903年(明治36年)12月12日)は、日本の政治家、衆議院議員(4期)。 下総国印旛郡新橋村(のち千葉県印旛郡富里村→富里町→富里市)出身。鹿山中学校(現・千葉県立佐倉高等学校)で学び、後に漢籍を学ぶ。農業を営み、学務委員、七栄村(現・富里市)外十二ヶ村戸長、印旛郡徴兵参事員、千葉県会議員となる。また、房総馬車会社を経営した。 1894年3月の第3回衆議院議員総選挙において千葉2区から立憲改進党公認で立候補して初当選する。以来1898年8月の第6回衆議院議員総選挙まで連続4回当選した。1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。
浜野 昇(はまの のぼる、1854年12月17日(安政元年1… 浜野 昇(はまの のぼる、1854年12月17日(安政元年10月28日) - 1920年(大正9年)2月11日)は、日本の医師、政治家。
林 董(はやし ただす、嘉永3年2月29日(1850年4月1… 林 董(はやし ただす、嘉永3年2月29日(1850年4月11日) - 大正2年(1913年)7月20日)は、江戸時代末期(幕末)の幕臣、明治時代の日本の外交官、政治家。伯爵。蘭方医佐藤泰然の5男で初代陸軍軍医総監・男爵の松本良順は実兄。幼名は信五郎、名は董三郎(とうさぶろう)とも。変名、佐藤 東三郎(さとう とうさぶろう)。
桜井 規矩之左右(さくらい きくのぞう、嘉永元年6月6日(1… 桜井 規矩之左右(さくらい きくのぞう、嘉永元年6月6日(1848年7月6日) - 大正元年(1912年)11月27日)は、大日本帝国海軍の軍人。海軍兵学校3期。最終階級は海軍少将。海軍砲術学校長、巡洋艦「比叡」「松島」「千歳」「橋立」の艦長を歴任。
香川松石(かがわ しょうせき、弘化元年1月15日(1844年… 香川松石(かがわ しょうせき、弘化元年1月15日(1844年3月3日) - 明治44年(1911年)9月28日)は、学校で用いられる書道の教科書を記した書道家。千葉師範学校(現在の千葉大学教育学部)教諭。通称、香川熊蔵。
津田仙(つだ せん、天保8年7月6日(1837年8月6日) … 津田仙(つだ せん、天保8年7月6日(1837年8月6日) - 明治41年(1908年)4月24日)は、日本の農学者、キリスト者。学農社創立者。青山学院大学・筑波大学附属盲学校の創立に関わる。また、日本で最初に通信販売を行った人物でもある。同志社大学の創始者新島襄、人間の自由と平等を説いた東京帝国大学教授の中村正直とともに、“キリスト教界の三傑”とうたわれた。明六社会員。娘に、後に津田塾大学創設者となる津田梅子、サンフランシスコで日本語新聞「日米新聞」を発行し日系人社会のリーダー的存在だった安孫子久太郎と結婚しアメリカに移住した安孫子余奈子がいる。
本沢 竹雲(もとさわ ちくうん、1836年3月26日(天保7… 本沢 竹雲(もとさわ ちくうん、1836年3月26日(天保7年2月10日)- 1907年(明治40年)10月13日)は「チョンマゲ学校」として知られる山形県東村山郡所在の格知学舎を開いた浄土真宗の僧侶で漢学者。幼名は八郎、通称は俊丸(としまる)、本名は盛遜。竹雲は雅号であるが、他に老山、虎山、虚堂、寄嘱子の号があった。
大築 尚志(おおつき たかゆき、1835年12月24日(天保… 大築 尚志(おおつき たかゆき、1835年12月24日(天保6年11月5日) - 1900年(明治33年)6月12日)は、日本の陸軍軍人、陸軍中将。幼名、保太郎(やすたろう)。
依田 学海(よだ がっかい、旧字体:學海、天保4年11月24… 依田 学海(よだ がっかい、旧字体:學海、天保4年11月24日(1834年1月3日) - 明治42年(1909年)12月27日)は、日本の漢学者、文芸評論家、小説家、劇作家。幼名は幸造、信造。通称は七郎、右衛門次郎。諱は朝宗(ともむね)。初め字を百川(ひゃくせん)といったが後にこれを本名とした。学海は雅号で、柳蔭とも号した。
高橋 卯之助(たかはし うのすけ、男性、1833年(天保4年… 高橋 卯之助(たかはし うのすけ、男性、1833年(天保4年) - 1902年(明治35年)1月26日)は、日本の数学者。明治6年の太陰暦の廃止、太陽暦への改暦の準備を行った。通称は卯之助だが、後に卯と改めた。本名は高橋義泰。
西村 茂樹(にしむら しげき、1828年4月26日(文政11… 西村 茂樹(にしむら しげき、1828年4月26日(文政11年3月13日) - 1902年(明治35年)8月18日)は明治時代の日本の啓蒙思想家、教育者。文学博士。道徳振興団体「日本弘道会」創設者。号は泊翁。
吉見 精(よしみ せい、生年不明 - 1901年1月)は、日… 吉見 精(よしみ せい、生年不明 - 1901年1月)は、日本の陸軍軍人。旧大日本帝国陸軍鉄道大隊の初代大隊長。旧佐倉藩士。千葉県出身。
高見 まこ(たかみ まこ、女性、12月6日生)は、日本の漫画… 高見 まこ(たかみ まこ、女性、12月6日生)は、日本の漫画家。長岡造形大学非常勤講師。 本名は渡部宣子。夫は漫画家のわたべ淳で、堀田あきお、石坂啓らとともに手塚治虫のアシスタントの同期の仲間であった。 東京都生まれ、千葉県育ち。血液型A型。千葉県立佐倉高等学校、武蔵野美術大学卒業。 手塚治虫に憧れ漫画家を志し、手塚プロダクションに就職した。なお、当該項目に「高見の同期に寺沢武一、三浦みつるなどがいた」との記述がかつてあったが、堀田あきお『手塚治虫アシスタントの食卓』(ぶんか社)の内容によると、寺沢・三浦は同期ではない(堀田、石坂らは1978年入社、寺沢は1976年入社)。 1980年に『みどりのラブ・ステップ』(「LaLa増刊号」)でデビュー、同時に手塚プロダクションを退職した。
莇 仁蔵(あざみ じんぞう)は日本のジャーナリスト。元毎日新… 莇 仁蔵(あざみ じんぞう)は日本のジャーナリスト。元毎日新聞社代表取締役。タイムカプセルEXPO70委員。
大野 磯吉(おおの いそきち)は、日本の海洋生物学者。専門は… 大野 磯吉(おおの いそきち)は、日本の海洋生物学者。専門は海洋生物の分類と生態。 旧制千葉県立佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)を経て、東北帝国大学農科大学(後の北海道帝國大學、現在の北海道大学)水産科を卒業。夷隅水産高校(現 千葉県立大原高等学校)に水産科を設置することに尽力した。 藻類のオオノノリの学名Pyropia onoi は、大野磯吉に献名されたもの。鮭の異名の一つ「銀毛」は、1932年に大野磯が降海期を迎えた山女魚に「銀毛山女魚」と名付けたのが始まりとされる。
小倉 淳一(おぐら じゅんいち)は、日本の考古学者。 法政大… 小倉 淳一(おぐら じゅんいち)は、日本の考古学者。 法政大学文学部教授。法政大学文学部長。法政考古学会会長。日本シーボルト協会幹事。 千葉県立佐倉高等学校卒業後、法政大学文学部史学科へと進学。1989年に同大学を卒業し、1992年、法政大学大学院人文科学研究科 日本史学専攻 博士前期課程修了。大学院在学中より、東京国立博物館学芸部考古課にて補佐員を担当する。1996年、法政大学大学院人文科学研究科 日本史学専攻 博士後期課程単位取得満期退学。 1998年からは、東京芸術大学大学院美術研究科文化財保存学専攻システム保存学助手、財団法人横浜市ふるさと歴史財団学芸課学芸係(横浜市歴史博物館)を務めた。
高橋 浩平(たかはし こうへい)は、日本の作曲家・編曲家・音… 高橋 浩平(たかはし こうへい)は、日本の作曲家・編曲家・音楽プロデューサーである。 千葉県市川市生まれ。千葉県立佐倉高校、青山学院大学理工学部・電気電子工学科卒業。 大学在学中に坂本龍一の音楽番組「gut online」にて投稿作品が優秀作品に選ばれ、同年のコンピレーション・アルバムに楽曲提供。以降アーティスト、アイドル、ゲーム、アニメ、テレビ番組等の作曲・編曲をはじめる。 「約束の赤いリボン」(with 藤崎とうこ)「夏空の奇跡」「無敵トレイン」編曲 「Pure Pure smile」「OVER the SKY」「MAZE」 作編曲 「言葉をずっとさがしてる」編曲
高橋 茂(たかはし しげる、生没年不明)は、日本の元サッカー… 高橋 茂(たかはし しげる、生没年不明)は、日本の元サッカー選手。元サッカー日本代表。現役時代のポジションはフォワード。 旧制佐倉中学(現在の千葉県立佐倉高等学校)卒業。早稲田大学に在籍していた1927年8月、上海で開催された第8回極東選手権競技大会のサッカー日本代表メンバーに選出された。この大会で27日に初戦、中華民国代表との試合にフル出場したが、1-5で負けた。29日のフィリピン代表との試合にも出場し、2-1で勝利した。この勝利は日本代表にとって初めての国際Aマッチでの勝利だった。
田中 泰助(たなか たいすけ)は、日本の官僚。東京大学卒業。… 田中 泰助(たなか たいすけ)は、日本の官僚。東京大学卒業。大蔵省大臣官房審議官(大臣官房担当)を務めた。