中田 直人(なかた なおと、1931年1月24日 - 200… 中田 直人(なかた なおと、1931年1月24日 - 2009年2月3日)は、石川県出身の弁護士である。元茨城大学・関東学院大学教授。
石川県立金沢泉丘高等学校:109人
中田 直人(なかた なおと、1931年1月24日 - 200… 中田 直人(なかた なおと、1931年1月24日 - 2009年2月3日)は、石川県出身の弁護士である。元茨城大学・関東学院大学教授。
沓掛 哲男(くつかけ てつお、1929年〈昭和4年〉9月12… 沓掛 哲男(くつかけ てつお、1929年〈昭和4年〉9月12日 ‐ 2024年〈令和6年〉1月30日)は、日本の建設官僚、政治家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。 参議院議員(4期)、衆議院議員(1期)、通商産業省政務次官(宮澤内閣)、環境副大臣(第二次森改造内閣)、国家公安委員会委員長(第73代)兼内閣府特命担当大臣(防災担当)(第5代)、参議院政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員長、自由民主党参議院政策審議会長などを歴任。 石川県金沢市出身。金沢一中を経て1950年に第四高等学校を卒業し、1953年、東京大学工学部(土木工学)を卒業した。 1953年、建設省に入省し、道路局長などを経て、1985年12月27日、建設技監を最後に退官した。
石川 弘(いしかわ ひろし、1928年(昭和3年)10月3日… 石川 弘(いしかわ ひろし、1928年(昭和3年)10月3日 - 1999年(平成11年)8月2日)は、日本の農林官僚、政治家。農林水産事務次官、参議院議員。 金沢第一中学校(現・石川県立金沢泉丘高等学校)、旧制第四高等学校を経て、東京大学法学部第1類(私法コース)を卒業。1954年、農林省に入省。静岡県経済部水産課長、経済局企業流通部市場課長、林野庁林政部林政課長、大臣官房予算課長、食糧庁管理部長などを経て、1981年1月、食糧庁次長。同年7月21日、畜産局長。1984年7月6日、食糧庁長官。1986年6月10日、事務次官。 1989年、参議院議員通常選挙に自由民主党公認で比例区から立候補して初当選。
奥田 敬和(おくだ けいわ、1927年(昭和2年)11月26… 奥田 敬和(おくだ けいわ、1927年(昭和2年)11月26日 - 1998年(平成10年)7月16日)は、日本の政治家。位階は正三位。 石川県議会議員(1期)、衆議院議員(10期)、郵政大臣(第44代)、自治大臣(第40代)、国家公安委員会委員長(第50代)、運輸大臣(第65代)を歴任。自由民主党所属時代は「竹下派七奉行」の1人。 石川県石川郡美川町(現・白山市)出身。 旧制石川県立金沢第一中学校(現石川県立金沢泉丘高等学校)で学ぶ。陸軍予科士官学校で久保亘、伊藤茂、高沢寅男らと同期。旧制第四高等学校卒業。1948年、早稲田大学政治経済学部に入学。早大時代はレスリング部に所属し、小柄ながら戦闘的な性格と行動力を培った。
中川 和雄(なかがわ かずお、1926年11月1日 - )は… 中川 和雄(なかがわ かずお、1926年11月1日 - )は、京都府出身の元官僚、政治家。元大阪府知事。関西棋院理事長。
宮 太郎(みや たろう、1926年〈大正15年〉10月30日… 宮 太郎(みや たろう、1926年〈大正15年〉10月30日 ‐ 2013年〈平成25年〉7月6日)は、日本の実業家。 旧制金沢一中(現石川県立金沢泉丘高等学校)、旧制富山高等学校を経て早稲田大学商学部卒業後、石川県金沢市に本店をもつ百貨店、大和に入社。代表取締役社長、会長、取締役相談役などを歴任した。晩年は名誉相談役を務め、また筆頭株主でもあった。1986年に藍綬褒章、北國文化賞、1989年に金沢市産業功労賞、2001年に勲三等旭日中綬章を受章する。没後、金沢市より景仰の証を授与される。1974年より金沢商工会議所会頭を務めていたが、2006年6月に病気を理由に退任し、名誉会頭に就任。2013年7月6日午後7時15分、呼吸不全のため、金沢社会保険病院で死去。
和田 静夫(わだ しずお、1926年(大正15年)10月1日… 和田 静夫(わだ しずお、1926年(大正15年)10月1日 - )は、日本の労働運動家、政治家。元参議院議員(3期)、元衆議院議員(1期)。 石川県金沢市生まれ。金沢一中、専修大学法学部を経て、1957年(昭和32年)同大大学院法学研究科私法学専攻を修了。東京都庁に入り新宿区役所に勤務。全日本自治団体労働組合組織部長などを経て、1968年(昭和43年)7月の第8回参議院議員通常選挙で日本社会党から全国区に立候補し初当選(以後10回・12回と連続3選)。以降3期目の任期終了直前まで務めた。1970年(昭和45年)11月には参議院決算委員会で、自民党と産経新聞の癒着について質している。 1986年(昭和61年)7月6日執行の衆参同日選挙となった第38回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補。
戸部 新十郎(とべ しんじゅうろう、1926年(大正15年)… 戸部 新十郎(とべ しんじゅうろう、1926年(大正15年)4月8日 - 2003年(平成15年)8月13日)は、日本の小説家。 石川県七尾市生まれ。祖先は戦国時代に今川義元に属した尾張笠寺城主の戸部新左衛門政直である。この「戸部新左衛門」という名は、尼子騒兵衛の漫画「落第忍者乱太郎」の登場人物「戸部新左ヱ門」(忍術学園の教師)の由来になっている。また、「新十郎」という名は戸部新左衛門政直の息子の名であり、戸部の父が祖先の名にあやかって命名したそうである。スポーツライターの戸部良也は弟。 金沢一中(現石川県立金沢泉丘高等学校)卒業、早稲田大学政治経済学部中退。北国新聞社記者を経て、作家となる。クラブ雑誌に多岐流太郎の筆名で時代小説を書きはじめていたが、昭和四十年代に入ると長谷川伸創始の「新鷹会」の同人となり、筆名を本名の「戸部新十郎」に改めた。
川北 博(かわきた ひろし、1925年8月1日 - 2018… 川北 博(かわきた ひろし、1925年8月1日 - 2018年12月9日)は、日本の公認会計士、税理士、不動産鑑定士、司法書士、会計学者(監査論)。階級は陸軍少尉。学位は博士(会計学)(中央大学・2000年)。 公認会計士・税理士川北事務所代表、山梨学院大学教授、日本公認会計士協会会長、アジア太平洋会計士連盟会長、サンワ・等松青木監査法人会長、監査法人トーマツ会長、デロイトトウシュトーマツインターナショナル代表者会議議長、公認会計士川北・徳永事務所代表社員、東亜大学大学院総合学術研究科教授、日本内部統制研究学会会長、有限責任中間法人日本IPO実務検定協会理事長、宗和税理士法人代表社員などを歴任した。
溪内 謙(たにうち ゆずる、1923年9月2日 - 2004… 溪内 謙(たにうち ゆずる、1923年9月2日 - 2004年2月13日)は、日本の歴史学者、政治学者。専門はロシア/ソ連政治史。東京大学名誉教授。 石川県生まれ。金沢一中、四高を経て、1942年、東京帝国大学入学。約1年在学後の1943年12月、学徒出陣により、徴兵検査を受け、合格。大学を休学し、海軍の舞鶴海兵団へ入営し海軍二等水兵任官。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、同年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業。同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年9月に主計中尉に進む。同年10月に予備役編入・復員。その後、東京大学へ復学する。 復学から1年半後、1947年春に東京大学法学部を卒業し、大学院へ入学。
坂本 三十次(さかもと みそじ、1923年〈大正12年〉1月… 坂本 三十次(さかもと みそじ、1923年〈大正12年〉1月22日 - 2006年〈平成18年〉3月19日)は、日本の政治家。 衆議院議員(11期)。内閣官房長官(第53代)、労働大臣(第46代)を歴任。位階勲等は正三位勲一等旭日大綬章。 石川県鳳至郡(現鳳珠郡)穴水町出身。金沢一中、四高、1947年東北帝国大学法学部卒。1948年に石川県教育委員となる。 1967年、第31回衆議院議員総選挙に初当選(当選同期に山下元利・増岡博之・加藤六月・塩川正十郎・河野洋平・中尾栄一・藤波孝生・武藤嘉文・塩谷一夫・山口敏夫・水野清など)。以来連続当選11回。自民党内では傍流と呼ばれた三木→河本派に所属。三木武夫直系の硬骨漢、河本敏夫の側近として派内で重きをなす。
隅谷 正峯(すみたに まさみね、1921年(大正10年)1月… 隅谷 正峯(すみたに まさみね、1921年(大正10年)1月24日 - 1998年(平成10年)12月12日)は石川県松任市(現在の白山市)出身の日本刀匠。全日本刀匠会元理事長。日本美術刀剣保存協会元理事。本名は隅谷 與一郎(すみたに よいちろう)。 1938年(昭和13年)、金沢一中卒業。1941年(昭和16年)立命館大学理工学部機械工学科卒業と同時に刀匠・桜井正幸に入門。独立後は興国日本刀鍛錬所(広島県尾道市)へ。その後、日本刀鍛錬所傘笠亭(さんりゅうてい)を松任市に開いて多くの作品を手掛けた。昭和40年代には新作刀に与えられる最高賞である「正宗賞」を3度受賞。1989年(平成元年)には伊勢神宮式年遷宮御神宝太刀(ごしんぽうたち)を制作した。
藤井 政美(ふじい まさみ、1921年ごろ - 2008年(… 藤井 政美(ふじい まさみ、1921年ごろ - 2008年(平成20年)7月7日)は日本の軍人。陸軍士官学校第54期卒業。最終階級は大尉。終戦直前、玉音放送を阻止するために陸軍将校たちが起こした「宮城事件」に参加した。 石川県金沢市出身。金沢第一中学校(46期)より東京陸軍幼年学校を経て予科士官学校を卒業(3期)し、近衛歩兵第1連隊隊附勤務。1940年(昭和15年)、陸士本科卒業と同時に南支に小隊長として派遣され、南寧にて右膊部貫通の銃創を負う。1941年(昭和16年)6月、内地に凱旋。以降初年兵教官、連隊旗手、大隊副官、中隊長を歴任。 1943年(昭和18年)12月に陸軍士官学校区隊長となり、58期生の教育を担当。
桂木 鉄夫(桂木鐵夫、かつらぎ てつお、1920年10月29… 桂木 鉄夫(桂木鐵夫、かつらぎ てつお、1920年10月29日 - 2001年7月9日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 石川県金沢市出身。石川県立金沢第一中学校を経て早稲田大学卒業。 八重洲地下街社長、滋賀県副知事(1959年7月1日 - 1962年12月21日)を経て1967年、第31回衆議院議員総選挙に石川県第1区から無所属から出馬し当選。 1969年、第32回衆議院議員総選挙に自由民主党から出馬し落選、1972年、第33回衆議院議員総選挙に無所属で出馬し落選。 2000年秋の叙勲で勲四等旭日小綬章受章。2001年7月9日、脳出血のため死去、80歳。死没日をもって従五位に叙される。
別川 悠紀夫(べつかわ ゆきお、1918年(大正7年)9月2… 別川 悠紀夫(べつかわ ゆきお、1918年(大正7年)9月25日 - 1977年(昭和52年)5月28日)は、昭和期の農業協同組合指導者、実業家、政治家。衆議院議員。 石川県石川郡上金石町(金石町を経て現金沢市金石)で生まれる。金沢第一中学校(現石川県立金沢泉丘高等学校)を経て、1942年(昭和17年)中央大学経済学部を卒業した。全国農業会産業組合中央会職員となり太平洋戦争に出征した。 1946年(昭和21年)石川県農業会に入り、以後、石川県農業協同組合中央会参事、同常務理事、同県信用農業協同組合連合会理事、同経済農業協同組合連合会理事、同共済農業協同組合連合会理事などを務めた。 1969年(昭和44年)12月の第32回衆議院議員総選挙で石川県第1区から自由民主党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
西出 大三(にしで だいぞう、1913年6月7日 - 199… 西出 大三(にしで だいぞう、1913年6月7日 - 1995年7月8日)は日本の截金師。1985年に諸工芸の截金の分野で2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。 石川県生まれ。金沢一中を経て、東京美術学校(現・東京藝術大学)で彫刻を学ぶ。在学中に彫刻家の高村光雲が、京都の浄瑠璃寺の秘仏「木造吉祥天立像」の模刻を製作する際、台座に施された截金の文様が復元不可能であり金泥で代用したことを聞き、截金の研究に取り組むようになる。それ以後、数多くの藤原・鎌倉期の仏像・仏画の截金作品を見て回り、製作技法や道具を研究して、独力での復元に成功した。 西出は元来彫刻家であったため、その造型技術を活かし、馬・牛・犬・雀・鶏などの動物や鳥類を彫刻し、これらに截金を施す作風を得意とした。
杉森 久英(すぎもり ひさひで、1912年(明治45年)3月… 杉森 久英(すぎもり ひさひで、1912年(明治45年)3月23日 - 1997年(平成9年)1月20日)は日本の小説家。 石川県七尾市の公務員の家庭に生まれ、金沢市で育つ。旧制石川県立金沢第一中学校(現・石川県立金沢泉丘高等学校)から第四高等学校を経て、1934年(昭和9年)に東京帝国大学文学部国文科卒業。地方公務員(公立学校教員)となり、旧制埼玉県立熊谷中学校(現・埼玉県立熊谷高等学校)の教師となった。 教員を退職後、中央公論社編集部に入社。編集者という職に自信を失い退職後、大政翼賛会文化部、日本図書館協会などを経て、戦後河出書房に入り『文藝』の編集に従事。1947年『文藝』編集長に就任。 1953年デイヴィッド・ガーネットやフランツ・カフカの影響が色濃い短篇小説『猿』が芥川賞の候補になったのを機に作家専業となる。
浦 茂(うら しげる、1909年〈明治42年〉2月11日 -… 浦 茂(うら しげる、1909年〈明治42年〉2月11日 - 2001年〈平成13年〉11月18日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官、実業家である。航空自衛隊では第5代航空幕僚長を務めた。最終階級は陸軍中佐(大日本帝国陸軍)、航空幕僚長たる空将(航空自衛隊)。 石川県石川郡三馬村(現・金沢市内)出身。1927年(昭和2年)金沢第一中学校卒、1928年(昭和3年)陸軍士官学校に入学。 1932年(昭和7年)に陸軍士官学校第44期を全兵科315名中を28番(歩兵科では13番)の成績で卒業する。同年10月25日、歩兵少尉に任官し歩兵第7連隊第10中隊附(第10中隊長は竹内章雄大尉・27期)となり、のち第51代の聯隊旗手を務めている(歩兵第7聯隊編纂『聯隊歴史』)。
二木 秀雄(ふたき ひでお、1908年 - 1992年9月1… 二木 秀雄(ふたき ひでお、1908年 - 1992年9月18日)は、日本の細菌学者、医師、実業家、宗教家。 石川県立金沢第一中学校(現石川県立金沢泉丘高等学校)卒業(34期)。 1936年3月から1937年12月まで、金沢医科大学 (旧制)(現金沢大学医学部)細菌学教室講師を務めた。1938年11月18日、金沢医科大学 (旧制)より医学博士号を取得。 のち大日本帝国陸軍技師となり、731部隊(関東軍防疫給水部本部)に所属、第一部第十一課結核班(二木班)班長。 1945年頃、金沢市で与論社を創設し、雑誌『パブリックオピニオン』を発行。1946年上京し、雑誌『日本与論』を発行した。同年、ジープ社社長として、右翼系政界誌『政界ジープ』を創刊。
折口 春洋(おりくち はるみ、旧姓: 藤井、1907年2月2… 折口 春洋(おりくち はるみ、旧姓: 藤井、1907年2月28日 - 1945年3月19日)は、日本の国文学者、歌人。折口信夫の門弟、養嗣子。國學院大學教授。最終階級は陸軍中尉。 1907年(明治40年)2月28日、石川県羽咋郡一ノ宮村一ノ宮寺家千五十七番地(現・羽咋市)に藤井升義の四男として生まれる。 1913年(大正2年)4月、一ノ宮小学校に入学。1919年(大正8年)4月、金沢市少将町高等小学校に転じる。長兄・次兄と共に、同村の老婦をつけて、早くから遊学させられた。1920年(大正9年)4月、石川県立金沢第一中学校(現・石川県立金沢泉丘高等学校)入学。 1925年(大正14年)4月、國學院大學予科入学。
加藤 楸邨(かとう しゅうそん、1905年(明治38年)5月… 加藤 楸邨(かとう しゅうそん、1905年(明治38年)5月26日 - 1993年(平成5年)7月3日)は、日本の俳人。本名は健雄(たけお)。位階は従四位。 水原秋桜子に師事。初期は『馬酔木』に拠ったが、苦学する中で同誌の叙情的な作風に飽き足らなくなり、人間の生活や自己の内面に深く根ざした作風を追求、石田波郷、中村草田男らとともに「人間探求派」と呼ばれた。第二次世界大戦後は戦災や社会運動への参加などを経て幅の広い作風を展開、また主宰した『寒雷』では伝統派から前衛派まで多様な俳人を育てた。 現在の東京都大田区北千束に生まれる。父・健吉、母・千佳の長男。当時、健吉は私設甲武鉄道の駅員で、東京転勤の命を受けた直後の出生であったため、出生届は前任地の山梨県大月市で出された。
高柳 真三(たかやなぎ しんぞう、1902年(明治35年)5… 高柳 真三(たかやなぎ しんぞう、1902年(明治35年)5月12日 - 1990年(平成2年)1月4日)は、日本の法制史学者、東北大学名誉教授。「高柳眞三」とも表記される。 石川県金沢市出身。1919年石川県立金沢第一中学校(現石川県立金沢泉丘高等学校)卒業。1922年旧制第四高等学校、1925年東京帝国大学法学部卒業(恩師:中田薫 )。1925年東北帝国大学法文学部助手、1927年同助教授、1941年、東北帝国大学法文学部教授。1949年宮城県女子専門学校 (旧制)校長。1951年東北大学教養部長。1952年9月「明治家族法史」にて東北大学にて法学博士受く。1958年、東北大学法学部長。1966年、定年退官、名誉教授、岩手県立大学盛岡短期大学部学長。
篠原 虎一(しのはら とらかず、1902年(明治35年)1月… 篠原 虎一(しのはら とらかず、1902年(明治35年)1月14日 - 1980年(昭和55年)5月30日 )は、日本における西洋音楽黎明期のヴァイオリニスト、音楽教育者。指揮者としても活躍した。芳春院(まつ、前田利家正室)の生家・篠原家出身で、先祖は篠原長良(大学、前田利家の実子篠原長次の次男)に遡る。 1921年(大正10年)、金沢市で第1回演奏会を開く。大正時代に、イタリア人、フランチェスコ・フザリオ(ヴァイオリニスト・トリノ音楽院教授)、ロシア人、ミハエル・ウェックスラー(アウアー門下のヴァイオリニスト・サンフランシスコ音楽院教授)、昭和時代にはドイツ人、ウィリー・フライ(ヴァイオリニスト、16歳でメンデルスゾーン賞受賞・芸大教授)に師事。
中川 善之助(なかがわ ぜんのすけ、1897年〈明治30年〉… 中川 善之助(なかがわ ぜんのすけ、1897年〈明治30年〉11月18日 - 1975年〈昭和50年〉3月20日 )は、日本の法学者。東北大学名誉教授、金沢大学名誉教授。正三位勲一等。日本の家族法の権威である。 1897年、東京府(現・東京都)神田で生まれた。金沢第一中学校、第四高等学校を経て、東京帝国大学に進学。穂積重遠門下で法学を学び、1921年に東京帝国大学法学部を卒業。 1922年9月、東北帝国大学法文学部助教授に就任し、民法学第一講座を担当した。1927年、東北帝国大学法文学部教授に昇格。1940年、第2代仙台法経専門学校校長に任命された。以後、死去するまで同校校長を務めた。 1961年、東北大学を定年退官し、名誉教授となった。
神保 成吉(じんぼ せいきち、明治29年(1896年)2月2… 神保 成吉(じんぼ せいきち、明治29年(1896年)2月29日 - 昭和40年(1965年)11月7日)は、日本の電気工学者。 明治29年(1896年)、石川県金沢市にて、実業家・神保八十吉の長男として生まれる。金沢第一中学校、第四高等学校を経て、大正8年(1919年)、京都帝国大学電気工学科を卒業。 逓信省に入省し、同省電気試験所技師兼逓信局技師となる。昭和3年(1928年)、ドイツ、アメリカ、カナダへ留学。昭和4年(1929年)、電気試験所第1部長となり、陸軍技術本部嘱託を兼任。昭和7年(1932年)、誘導型積算電力計の研究で工学博士の学位を得る。昭和8年(1933年)10月、パリで開催された第8回万国度量衡総会に帝国委員(日本代表)として出席。
森島 守人(もりしま もりと、1896年2月16日 - 19… 森島 守人(もりしま もりと、1896年2月16日 - 1975年2月17日)は、日本の外交官、政治家。位階は従三位。 衆議院議員(3期)。満州事変発生時に現地・奉天総領事代理の地位にあり、日米開戦時のニューヨーク総領事、ポルトガル公使などを務めた。 石川県金沢市の医師 森島彦夫・民生夫妻の長男として生まれる。金沢第一中学校、第一高等学校を経て、1919年、東京帝国大学法学部独法科を卒業。同年外務省入省。1928年から1935年まで、ハルビン総領事及び奉天総領事代理を務めた。1931年9月、奉天近郊で起きた柳条湖事件(時の外相は幣原喜重郎)から翌1932年3月の満洲国成立までに至る対応で苦慮し、1933年2月に蜂谷輝雄が奉天総領事に着任した。
佐藤 賢了(さとう けんりょう、1895年(明治28年)6月… 佐藤 賢了(さとう けんりょう、1895年(明治28年)6月1日 - 1975年(昭和50年)2月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 1895年(明治28年)6月1日、石川県河北郡花園村字今町(現・金沢市今町)に生まれる。 1914年(大正3年)に金沢第一中学校(中学校同期には海軍少将中堂観恵(海兵44期)・海軍大佐橘正雄(海兵45期)が在籍した)を卒業し陸軍士官学校へ入学、1917年(大正6年)5月、官報によると第29期を257番/536名の成績で卒業。このクラスからは1番の河村参郎(中将、第224師団長)、3番の有末精三(中将、参謀本部第2部長)、6番の後藤光蔵(中将、第1総軍参謀副長)、11番の鎌田銓一(中将、第2野戦鉄道司令官)、27番の稲田正純(中将、第16方面軍参謀長兼西部軍管区参謀長)、46番の額田坦(中将、陸軍省人事局長)など昭和の陸軍を牽引した多くの人物を輩出している。
飯本 信之(いいもと のぶゆき、1895年3月14日 - 1… 飯本 信之(いいもと のぶゆき、1895年3月14日 - 1989年6月12日)は、日本の地理学者。お茶の水女子大学名誉教授。日本地理学会会長(1956年 - 1958年)。勲三等旭日中綬章(1969年)、従三位(1989年)。 昭和前期に政治地理学と地政学を開拓し、その研究を先導した。特に自然地理学中心の日本の地理学界を批判し、国内にドイツ地政学を導入・紹介して、その学問の制度的基礎をつくった。日本で初めて「地政学」という言葉を使用した人物である。 1895年3月14日、石川県金沢市大浦町で生まれる。大浦尋常小学校(後の金沢市立大浦小学校)、石川県立金沢一中(後の石川県立金沢泉丘高等学校)、帝国大学予科第四高等学校(後の金沢大学)を経た後、遊学の地を東京とし、1917年に東京帝国大学理科大学鉱物学科へ入学した。
岡田 次作(おかだ じさく、1893年(明治26年)8月13… 岡田 次作(おかだ じさく、1893年(明治26年)8月13日 - 1942年(昭和17年)6月5日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。栄典は正五位勲三等功四級。 石川県金沢市千日町出身。金沢第一中学校(現:石川県立金沢泉丘高等学校。中第18回生、鈴木貫太郎内閣の大蔵大臣・広瀬豊作と同級生)を経て、1914年(大正3年)12月、海軍兵学校(第42期)を63番/117名で卒業。 1915年(大正4年)12月、海軍少尉に任官し防護巡洋艦「須磨」乗組。海軍砲術学校高等科で学ぶ。1921年(大正10年)12月、駆逐艦「桂」乗組となる。 1922年(大正11年)1月、臨時航空術講習部部員兼横須賀海軍航空隊付となり航空畑に転じた。
嶋野三郎(島野三郎、しまの さぶろう、1893年 - 198… 嶋野三郎(島野三郎、しまの さぶろう、1893年 - 1982年1月24日)は、日本のロシア研究家・アナリスト。石川県出身。 1911年、金沢第一中学校を卒業。石川県の県費留学生として選抜され、日露貿易のために必要なロシア語を習得するため、ウラジオストクで語学研修を行う。この時、一緒に留学生に選抜されたのが宮崎正義(石原莞爾のブレーンとなる)である。 1914年、南満洲鉄道株式会社の社費留学生となり、モスクワの大学を経て、1916年にペテルブルク大学に入学。哲学・ロシア史を学ぶ。1917年、ロシア2月革命に遭遇し、7月に帰国。その年、南満洲鉄道株式会社に入社し、東京支社東亜経済調査局(後に調査部)に所属する。
藤村 謙(ふじむら ゆずる、1892年(明治25年)11月1… 藤村 謙(ふじむら ゆずる、1892年(明治25年)11月16日 - 1977年(昭和52年)3月29日)は、大日本帝国陸軍軍人。陸軍士官学校第26期、陸軍大学校第38期卒業。最終階級は陸軍中将。 1892年(明治25年)に石川県石川郡野々市村本町で生まれた。村長・石川県議藤村理平の子。先祖は平氏か源氏か藤原氏かは定かでないが富樫氏に家老として仕えていた古い武士で、加賀一向一揆で滅びた後は帰農し、江戸時代には野々市郷の名主庄屋だったという。前田藩の参勤交代の際は小休所で、名字帯刀を許されていた。苗字は「小藤屋」であったが、明治維新を機に「藤村」と改めた。 生母の多美は生後間もなく亡くなり、圭に育てられる。
中村 正雄(なかむら まさお、1892年(明治25年)5月1… 中村 正雄(なかむら まさお、1892年(明治25年)5月15日 - 1939年(昭和14年)12月25日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。岳父は陸軍砲兵大佐 藤室松次郎(陸士旧8期)。功二級。 石川県出身。中村三雄の息子として生まれる。金沢第一中学校、名古屋陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1913年5月、陸軍士官学校(25期)を卒業、同年12月、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第35連隊付となる。1920年11月、陸軍大学校(32期)を卒業。 参謀本部付勤務、参謀本部部員、フランス大使館付武官補佐官、陸大教官、参謀本部部員、歩兵第18連隊大隊長、陸軍歩兵学校教官、イタリア大使館付武官、参謀本部部員兼軍令部部員、第12師団参謀長、参謀本部通信課長などを歴任し、1939年3月、陸軍少将に進級。
広瀬 豊作(ひろせ とよさく、旧字体: 廣瀨豐作、1891年… 広瀬 豊作(ひろせ とよさく、旧字体: 廣瀨豐作、1891年11月17日 - 1964年4月12日)は、大正・昭和期の大蔵官僚。鈴木貫太郎内閣での大蔵大臣。石川県金沢市出身。位階および勲等は正三位勲一等。 元加賀藩士知行100石の広瀬嘉次馬の5男として生まれる。広瀬家の先祖官兵衛は浅井家家臣であったが、滅亡したため前田家の家臣となった。父は京都御所警備や北越戦争に従軍し、第三大隊分隊長となった。 金沢一中(同級にミッドウェー海戦にて戦死した航空母艦「加賀」艦長・岡田次作海軍少将がいる)、第一高等学校を経て、1917年に東京帝国大学独法科を卒業する。同年7月大蔵省に入省。同期には大蔵次官を後に務めた賀屋興宣と大野龍太がいた。
草鹿 任一(くさか じんいち、1888年(明治21年)12月… 草鹿 任一(くさか じんいち、1888年(明治21年)12月7日 - 1972年(昭和47年)8月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。勲等は勲一等。 石川県にて誕生。父は弁護士草鹿甲子太郎。草鹿家は大聖寺藩(加賀前田家の分家)に仕えた一族であった。叔父である実業家草鹿丁卯次郎の長男が草鹿龍之介(海軍中将、海兵41期)、三男が草鹿浅之介(最高裁判所判事、弁護士)である。 金沢第一中学校(現・石川県立金沢泉丘高等学校)に通学していた頃は、叔父宅(龍之介の家)に下宿をしていた。金沢一中(第13回)を経て、四高に進んだが退学し、海軍兵学校(37期)に入校。志望者3,7000名余りの中で3番で合格した。
菰田 康一(こもだ こういち、1888年(明治21年)10月… 菰田 康一(こもだ こういち、1888年(明治21年)10月8日 - 1974年(昭和49年)11月22日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 本籍静岡県。熊本区(現熊本市)で陸軍砲兵中佐・菰田安節の長男として生まれる。金沢第一中学校(現石川県立金沢泉丘高等学校)、名古屋陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1909年(明治42年)5月、陸軍士官学校(21期)を7番/418名の成績で卒業。同年12月、砲兵少尉に任官し野砲兵第16連隊付となる。1912年(大正元年)11月、陸軍砲工学校高等科(18期)を卒業。1918年(大正7年)11月、陸軍大学校(30期)を優等で卒業した。 1919年(大正8年)4月、砲兵大尉に昇進し参謀本部付勤務となり、参謀本部員、フランス駐在(フランス陸軍大学校卒業)などを経て、1924年(大正13年)4月、砲兵少佐に進級。
下村 定(しもむら さだむ、1887年(明治20年)9月23… 下村 定(しもむら さだむ、1887年(明治20年)9月23日 - 1968年(昭和43年)3月25日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍大将。位階勲等功級は正三位勲一等功三級。 陸軍大臣(第56・57代)、教育総監(第27代)、参議院議員(1期)などを歴任した。 本籍地は高知県。旧土佐藩士で、陸軍中佐・金沢聯隊区司令官の下村定辞の長男として石川県金沢市に生まれる。 金沢第一中学校、名古屋陸軍幼年学校を経て、1908年(明治41年)12月、陸軍士官学校第20期を皇族を除いた6番/273名の成績で卒業する。砲兵科では、橋本群(陸軍省軍務局軍事課長、参謀本部第1部長を歴任、のち中将)に次いで2番の成績であった。
三浦 敏事(みうら としわざ、1887年(明治20年)7月2… 三浦 敏事(みうら としわざ、1887年(明治20年)7月27日 - 1953年(昭和28年)7月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 石川県生まれ。1905年(明治38年)3月、金沢第一中学校(12回)を経て、同級生の役山久義らとともに陸軍士官学校(陸士)へ合格。同級生83名から陸海軍の軍人を選んだものが、20名に及ぶ。 1907年(明治40年)5月、陸士(19期)歩兵科を卒業。19期は、日露戦争における下級将校の不足を補うため、一般中学から大量採用された珍しいクラスである。このクラスから後に5人の大将(塚田攻、今村均、田中静壱、河辺正三、喜多誠一)が誕生する。三浦の卒業成績は62番/1,068名。
八田 與一(はった よいち、常用漢字:八田 与一、1886年… 八田 與一(はった よいち、常用漢字:八田 与一、1886年〈明治19年〉2月21日 - 1942年〈昭和17年〉5月8日)は、日本の水利技術者。 1886年(明治19年)に石川県河北郡花園村(現:金沢市今町)に生まれる。石川県尋常中学、第四高等学校(四高)を経て、1910年(明治43年)に東京帝国大学工学部土木科を卒業後、台湾総督府内務局土木課の技手として就職した。 日本統治時代の台湾では、初代民政長官であった後藤新平以来、マラリアなどの伝染病予防対策が重点的に採られ、八田も当初は衛生事業に従事し、嘉義・台南・高雄など各都市の上下水道の整備を担当した。その後、発電・灌漑事業の部門に移り、1910年総督府土木部工務課で浜野弥四郎に仕えることになった。
大橋 八郎(おおはし はちろう、1885年12月19日 - … 大橋 八郎(おおはし はちろう、1885年12月19日 - 1968年6月4日)は、日本の政治家、逓信官僚、俳人。岡田内閣の法制局長官、林内閣の内閣書記官長、社団法人日本放送協会第4代会長、日本電信電話公社第2代総裁。現在の富山県高岡市出身。 日本放送協会会長時、終戦時の玉音放送に携わった。戦後の通信事業近代化に貢献。おじは漢詩人の大橋十右衛門。 富山縣高岡中學校、石川縣尋常中學校を経て、1906年(明治39年)7月に第四高等學校を卒業。 1910年(明治43年)7月に東京帝国大学法科大学を卒業した後、逓信省に入省。同年11月、高等文官試験に合格する。1925年(大正14年)10月に郵務局長、1928年(昭和3年)7月に経理局長となる。
西出 朝風(にしで ちょうふう、1885年〈明治18年〉10… 西出 朝風(にしで ちょうふう、1885年〈明治18年〉10月6日 - 1943年〈昭和18年〉3月14日)は、口語歌人。本名:西出一(つかさ)。 大聖寺耳聞山(現・石川県加賀市)出身。父の孫一は橋立(現加賀市)で代々北前船業を営む西出家の9代西出孫左衛門の長男であったが、家督相続を許されず、大聖寺に分家した。 朝風は石川県立金沢第一中学校(現在の石川県立金沢泉丘高等学校)から慶應義塾(普通部)に進学し、後に中退した。 明治30年代から口語歌を発表。1910年(明治43年)には同じ詩人の西出うつ木と結婚し、1914年(大正3年)「新短歌と新俳句」を創刊。1915年(大正4年)、金沢の北国新聞社に入社し、紙上で、若い歌人に口語短歌への影響を与えた。
清水 与七郎(しみず よしちろう、旧字体:清水 與七郎、18… 清水 与七郎(しみず よしちろう、旧字体:清水 與七郎、1885年〈明治18年〉7月12日 - 1983年〈昭和58年〉9月11日)は日本の実業家、技術者。日本テレビ放送網第2代代表取締役社長。現在の富山県高岡市福岡町出身。岳父に高嶺秀夫、義弟に土田誠一。 金沢第一中学校、第四高等学校二部工科を卒業。1908年(明治41年)、東京帝国大学電気工学科卒業。逓信省に入省し技師を務めた後、1919年(大正8年)に東京芝浦電気(現在の東芝)に入社。1931年(昭和6年)に同社の副社長に就任する。1934年(昭和9年)、読売ジャイアンツの設立に参加する。また、東京電気無線(現在の東芝テリー)の社長も務めた。
米村 嘉一郎(よねむら かいちろう、1884年(明治17年)… 米村 嘉一郎(よねむら かいちろう、1884年(明治17年)6月1日 - 1976年(昭和51年)10月26日)は、日本で最初の無線通信士。関東大震災の際、被害状況を速やかに無線通信により海外に発信し、国際的な救援活動が行われるきっかけを作った。 石川県金沢市野町で生まれた。父 又二郎(旧姓佐々木)は富山県東砺波郡野原の出身で、祖父の越中屋又次郎は金沢で米穀商を営んでいたが、養子である又二郎の時、金沢市野町1丁目6番地に移り筆墨商をわずかに営んでいた。店は今の犀川大橋のたもとにあり、近くに住んでいた室生犀星とも一緒に遊んでいたという。子供の頃から優秀で字も上手だったので金沢野田山にあった米村家墓石の字は子供の嘉一郎が書き上げたという事で残っていた。
角田 順(かくた じゅん、1881年9月14日 - 1915… 角田 順(かくた じゅん、1881年9月14日 - 1915年3月1日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少佐。1915年3月1日極秘任務遂行中に千葉県沖で汽艇の沈没事故により死亡。 石川県出身。1881年9月金沢市 金石味噌屋町の医師角田元伯の長男として生まれる。石川県尋常中学校(現在の石川県立金沢泉丘高等学校)を経て、1903年12月、海軍兵学校(31期)を188人中13番の成績で卒業。翌年9月、海軍少尉任官を待って金田ケン子と結婚。妻は(一般女性を対象とした日本初のミス・コンテストと言われる)時事新報社の令嬢美人コンクールで全国2位の経歴を持つ。 日露戦争では軍艦「鎮遠」乗組み殊勲を挙げ、1905年には中尉となる。
中村 孝太郎(なかむら こうたろう、1881年〈明治14年〉… 中村 孝太郎(なかむら こうたろう、1881年〈明治14年〉8月28日 - 1947年〈昭和22年〉8月29日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。林内閣の陸軍大臣。石川県出身。子息は、陸軍中佐中村雅郎(44期)、陸将中村薫正(58期)。 石川県金沢市水溜町出身、石川県士族中村芳房の長男。(大野敏明著「西郷隆盛の首を発見した男」p.177,178、文春新書、2014年) 石川県第一尋常中学校(現:石川県立金沢泉丘高校、第6期生、同期には政治家永井柳太郎がいる)から陸軍中央幼年学校、陸軍士官学校に進む。1901年(明治34年)11月22日に陸士13期を19番/722名の優秀な成績で卒業している。
畠山 一清(はたけやま いっせい、1881年(明治14年)4… 畠山 一清(はたけやま いっせい、1881年(明治14年)4月20日 - 1971年(昭和46年)11月17日)は、日本の実業家・機械工学者。株式会社荏原製作所の創立者。石川県金沢市出身。機械工学者・井口在屋の「渦巻ポンプに関する理論」をもとに「うずまきポンプ」を発明した。 1881年(明治14年)、金沢で能登の守護大名・能登畠山氏の血筋を引く家系に生まれる。東京帝国大学機械工学科を卒業後、1912年に恩師の井口在屋と共同でゐのくち式機械事務所を創業した。1920年(大正9年)にはポンプ販売の事業を発展させて荏原製作所を設立した。 畠山の発明は渦巻ポンプにとどまらず、発電用車、送風機、水中モーターポンプなど数十種の製品に及ぶ。
永井 柳太郎(ながい りゅうたろう、1881年〈明治14年〉… 永井 柳太郎(ながい りゅうたろう、1881年〈明治14年〉4月16日 - 1944年〈昭和19年〉12月4日)は、大正から昭和にかけて活躍した日本の政党政治家。憲政会・立憲民政党所属。大日本育英会(現:日本学生支援機構)創立者。族籍は東京府士族(旧加賀藩士)。 石川県金沢の貧しい小学教員の家庭に生まれる。石川県士族・永井登の長男。 新堅町尋常小学校、長町高等小学校を経て旧制石川県尋常中学(現:石川県立金沢泉丘高等学校)に入学するも喧嘩が原因で中退し、1897年(明治30年)に同志社尋常中学校3学年に編入するもストライキを起こして中退。関西学院普通学部を経て1905年(明治38年)に早稲田大学大学部政治経済学科を卒業する。
村井 長八郎(むらい ちょうはちろう、1881年(明治14年… 村井 長八郎(むらい ちょうはちろう、1881年(明治14年)2月28日 - 1945年(昭和20年)11月9日)は、大正・昭和期の農林技官、華族(男爵)。加賀八家村井家第12代当主。 加賀藩重臣村井長在の嫡男村井又六の子として金沢に生まれる。1900年、父の隠居により家督を継ぎ、同年5月9日に祖父長在の明治維新における功績により男爵に叙爵された。 金沢第一中学校、盛岡高等農林学校を卒業。1909年、農商務省に入り福島・長野・水戸各営林署長等を歴任した。1935年、退官し前田侯爵家嘱託に就いた。
逢坂 元吉郎(おうさか もときちろう、1880年6月25日 … 逢坂 元吉郎(おうさか もときちろう、1880年6月25日 - 1945年6月10日)は、日本の牧師、神学者である。既存の教会に限界を感じ、民衆教会を提唱した。 1880年(明治13年)、石川県江沼郡大聖寺町字番場町(現加賀市)に、父 平塚鎌吉、母 きしのの五男として生まれた。後に、逢坂家の養子となる。石川県尋常中学校および第四高等学校に在学中に西田幾多郎の感化を受けて、1903年(明治36年)に東京帝国大学法科大学政治学科へ入学した。上京後の1904年(明治37年)、植村正久から洗礼を受けた。一時的に、植村が創立した東京神学社にも籍を置いた。 東京帝国大学を中退し、1908年(明治41年)に渡米。
小島 伊佐美(こじま いさみ、1875年(明治8年)3月16… 小島 伊佐美(こじま いさみ、1875年(明治8年)3月16日 - 1945年(昭和20年)6月15日)は戦前日本のドイツ語教師。石川県士族。熊本市第五高等学校で44年間ドイツ語を教えた。 1875年(明治8年)3月16日石川県金沢に小島与次郎の長男として生まれた。原籍は川上新町3丁目12番地。1881年(明治14年)5月金沢の小学校に入学し、1888年(明治21年)11月共立尋常中学校(後の金沢一中)第2年級に編入、1892年(明治25年)4月第1回生として卒業し、同校予備科で嘱託教師を務めた。 1893年(明治26年)9月11日第四高等中学校本科第1年級に入学し、徳永富・蒲生重実にドイツ語を学んだ。
柴田 顕正(しばた けんせい、1873年7月15日 - 19… 柴田 顕正(しばた けんせい、1873年7月15日 - 1940年4月20日)は、日本の郷土史家、教育者、神官。 『岡崎市史』全8巻(1926年~1930年)とその別巻である『徳川家康と其周囲』全3巻(1934年~1935年)を半生を傾けて完成させた。正式には「柴田顯正」と表記。 愛知県額田郡伊賀村(現・岡崎市伊賀町)に伊賀八幡宮社司の柴田顯光の長男として生まれる。額田郡第十六番小学八幡学校(現・岡崎市立広幡小学校)を出たのち上京。1893年(明治26年)7月、國學院大學第一回生として同校を卒業後、史学者の三上参次のもとで教科書編集の仕事に携わった。 その後、1895年(明治28年) 石川県尋常中学校七尾分校(現・石川県立金沢泉丘高等学校)の教諭を経て、1897年(明治30年)9月から1901年(明治34年)8月まで、愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)に勤務。