井上 和雄(いのうえ かずお、1929年〈昭和4年〉10月 … 井上 和雄(いのうえ かずお、1929年〈昭和4年〉10月 - )は、日本の時計職人。父は昭和初期より札幌時計台の保守を無償で始めた時計職人の井上清。戦後間もない頃より、父と共に時計台の保守に取り組み、親子二代で70年以上にわたって、時計台の保守と整備を手掛けた。 1929年(昭和4年)10月に札幌市で、井上清の長男として誕生した。時計店に生まれたことで、「門前の小僧」として自然に、時計の技術を身につけた。学校でも教員から「大きくなったらお前が時計台を守るんだ」と言われていたが、実際には時計よりも飛行機が好きであり、少年時代は模型飛行機に熱中した。趣味が高じて戦中の1944年(昭和19年)、少年工として日立航空機羽田工場に就職し、海軍飛行予科練習生の練習機の製作を手掛けた。
高木繁光(たかぎ しげみつ、1929年(昭和4年)7月23日… 高木繁光(たかぎ しげみつ、1929年(昭和4年)7月23日 - 2013年(平成25年)9月10日)は、日本の政治家。北海道議会議員(8期)、財団法人日本消防協会会長を務めた。 北海道豊平町(現・札幌市豊平区)出身。実家はリンゴ園。戦時中は陸軍少年飛行兵として父島におり、全機特攻命令を受けるが、終戦を迎え帰還した。 1947年(昭和22年)札幌商業学校卒業。家業に携わりながら北海短期大学に通い、1955年(昭和30年)北海学園大学経済学部卒業。大学時代は弁論部及び柔道部に所属。札幌市消防署に入署。その後、家庭裁判所調停委員などを経て、1975年自由民主党公認によって北海道議会議員に初当選。以後連続8期当選。
高木 正明(たかぎ まさあき、1929年5月13日 - 20… 高木 正明(たかぎ まさあき、1929年5月13日 - 2006年1月4日)は、日本の政治家。参議院議員(3期)。 北海道札幌市出身。中央大学法学部中退。中川一郎秘書、北海道議会議員などを経て、1980年の第12回参議院議員通常選挙に北海道選挙区から自民党公認で出馬し、宏池会新人岩本政光と共に初当選。 1983年1月の中川一郎自殺事件では、検案書作りに絡んで「急性心筋こうそくの疑い」という嘘の検案書を病院に作らせた虚偽診断書作成教唆罪に問われ、虚偽診断書作成罪に問われた病院長と共に同年11月上旬に略式命令を受けて罰金刑が言い渡された。 1998年まで3期18年務めた(1998年も公認決定していたが出馬断念し、道議会の後輩で中川一郎の実弟であった中川義雄が出馬)。
岩本 政光(いわもと まさみつ、1929年(昭和4年)4月1… 岩本 政光(いわもと まさみつ、1929年(昭和4年)4月15日 - 2014年(平成26年)7月5日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員(自民党)。 北海道札幌郡豊平町石山(現札幌市南区石山)生まれ。北海中学校を経て北海道大学工学部土木科を卒業した。学生時代からスキーの製作を手がけ、そのまま実業界へと入る。1960年(昭和35年)にタクシー業の東洋交通を設立した。父・政一の選挙活動を手伝ううちに、政界を志すようになる。北海道議会議員を2期務めたのち、1980年(昭和55年)の第12回参議院議員通常選挙で自民党から立候補、初当選を果たし参議院議員を2期務めた。 1990年(平成2年)にクモ膜下出血で倒れた。
大塚 正徳(おおつか まさのり、1929年3月10日 - )… 大塚 正徳(おおつか まさのり、1929年3月10日 - )は、日本の薬理学者。医学博士。東京医科歯科大学名誉教授。 北海道札幌市生まれ。1953年、東京大学医学部医学科卒業。1959年、東京大学医学博士、「哺乳動物心臟のプルキニエ線維に対するアドレナリンの作用」。 母校の助手・助教授などを経て、1966年から東京医歯大教授。 神経伝達物質の研究で知られ、1964~1966年のハーバード大学留学中、γ-アミノ酪酸(GABA)が神経伝達物質として機能することを初めて証明した。また、1971~1983年には、脳内ペプチドの一種P物質が、神経伝達物質として機能することを明らかにした。 以上の業績により1974年ベルツ賞2等賞、1977年武田医学賞、1983年学士院賞を受賞。
西尾 長光(にしお ながみつ、1929年2月18日- 200… 西尾 長光(にしお ながみつ、1929年2月18日- 2004年3月24日 )は、日本の経営者。丸ヨ西尾社長を務め、セイコーマートの創立者でもある。 北海道札幌市出身。札幌北の誉酒造社長の西尾長平の長男として生まれる。ルーツは石川県金沢市。旧制中学校二年生まで札幌で過ごし、残りの二年は旭川中学校(現・北海道旭川東高等学校)に通った。 1952年に早稲田大学第一商学部を卒業し、同年に丸ヨ西尾商店に入社、常務に就任。1954年に専務に就任し、1960年には北の誉酒造専務に就任し、1977年12月に副社長を経て、1978年に社長に就任。1985年11月に会長に就任。2001年から2004年まで、第15代札幌商工会議所会頭。
石栗 龍雄(いしくり たつお、1928年12月15日 - )… 石栗 龍雄(いしくり たつお、1928年12月15日 - )は、日本の騎手、調教師。 1951年に国営競馬(のち日本中央競馬会)で騎手デビュー。1959年に引退し、1965年より調教師。主な管理馬には1980年天皇賞(秋)に優勝した牝馬プリテイキャストなどがいる。また横山典弘は門下生である。2000年に定年引退。日本中央競馬会調教師の石栗龍彦は長男。 1928年、北海道札幌市の商家に生まれる。取り立てて競馬に興味をもってはいなかったものの、騎手見習いとなった友人に誘われて競馬場に出入りをはじめ、馬に惹かれていった。太平洋戦争中には援農作業で農耕馬を扱っていた。 1945年に旧制北海中学を卒業し、1947年秋に稗田虎伊のもとへ騎手見習いとして入門。
市川 寿美礼(いちかわ すみれ〈旧芸名:市川 すみれ(読み同… 市川 寿美礼(いちかわ すみれ〈旧芸名:市川 すみれ(読み同じ)〉、1928年1月5日 - 1972年8月5日)は、日本の女優、声優。 北海道札幌市生まれ。札幌実践女学校卒業。実家は洋裁屋を営んでいた。 1943年、市川三升の門下に入り、東京劇場で初舞台。1945年に劇団新派に入団し、市川紅梅に師事。明るい下町娘役など2枚目半的な役柄で活躍し、特に女中役には定評があった。1953年5月の「女中の青春」で初主演。1955年にはラジオドラマ「サザエさん」でタイトルロールを演じ、同年の新派の舞台でも同役を演じた。京塚昌子・近松芳江らともに若手のホープと目されたが、1956年に退団。1957年にフリーランスとなり、プレーヤーズセンター(ラジオ・テレビ出演者団体)に所属。
梅田 昌志郎(うめだ よしろう、1927年12月10日 - … 梅田 昌志郎(うめだ よしろう、1927年12月10日 - )は、英文学者、作家。本名は芳朗。 札幌市生まれ。1951年(昭和26年)北海道大学卒、1960年「海と死者」で中央公論新人賞受賞。文化学院や法政大学講師を務め、英文学などの翻訳がいくつかある。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
吉野 龍男(よしの たつお、1927年9月2日 - )は、日… 吉野 龍男(よしの たつお、1927年9月2日 - )は、日本の経営者。伊藤組土建社長を務めた。北海道札幌市出身。 1947年に北海道大学工学部専門部を卒業し、同年に鹿島建設に入社。1949年5月から1950年12月までに北海道大学工学部土木科で助手を務め、1951年4月に伊藤組土建に入社。1977年3月に取締役に就任し、1984年6月に常務、1986年6月に専務、1994年6月に副社長を経て、2002年6月に社長に就任。2008年4月から2009年3月までに会長を務めた。
大山 勝通(おおやま かつゆき、1927年3月5日 - 20… 大山 勝通(おおやま かつゆき、1927年3月5日 - 2006年12月19日)は日本の気象学者。北海道札幌市生まれ。海外ではvic ooyamaの名前でも知られる。 1951年東京大学物理学科卒。中央気象台(現気象庁)で天気予報などを担当した後、1955年渡米、ニューヨーク大学で学ぶ。そのまま同大学に残り、後に教授に就任。 1960年代前半、数値実験により、台風の発達メカニズムを解明することに初めて成功し、その後の台風の力学的研究の発展の基礎を築いた。同功績により、1972年度の日本気象学会賞を受賞。 その後はアメリカ国立大気研究所 (NCAR) 員、ハリケーン研究所 (NHRL) 員を歴任。
佐藤 和夫(さとう かずお、1927年1月5日 - 2004… 佐藤 和夫(さとう かずお、1927年1月5日 - 2004年9月22日)は、経済学者。ラトガーズ大学経済学名誉教授。札幌市生まれ。 1927年に北海道札幌市に生まれる。1953年に北海道大学経済学部を卒業。その後渡米し、1960年にイェール大学より博士号を授与される。1959年に大阪大学社会経済研究所に助教授として着任し、1962年から1970年まで国際連合事務局経済調査官を務める。 1970年からニューヨーク州立大学バッファロー校経済学部で教授を務め、1984年にラトガーズ大学に移籍する。その間、マサチューセッツ工科大学、コロンビア大学、イェール大学で客員教授として勤務した。教員として定年退職したラトガーズ大学の他に、母校の北海道大学にも名誉博士号を授与された。
伊坂 重昭(いさか しげあき、1926年12月25日 - 2… 伊坂 重昭(いさか しげあき、1926年12月25日 - 2000年4月10日)は、日本の弁護士、元検察官。 平和相互銀行監査役を務め、同銀行をめぐる不正経理事件で逮捕された。 1926年12月25日、北海道札幌市にて生まれる。札幌師範付属小学校、札幌第一中学校を卒業し、東京都に出て武蔵高等学校(旧制)を経て東京大学(旧制)法学部に進学。二年生の時に高等文官試験に一発合格した。 卒業後は検事となり、1950年(昭和25年)、23歳時に宇都宮地方検察庁に赴く。初めて担当した詐欺事件では実刑判決まで持ち込んだ。その後は横浜地方検察庁を経て東京地方検察庁刑事部、同庁特別捜査部に勤める。検事としては経済犯罪の捜査に定評があったとされる。
伊藤 義郎(いとう よしろう、1926年12月14日 - 2… 伊藤 義郎(いとう よしろう、1926年12月14日 - 2023年12月5日)は、日本の実業家。北海道札幌市出身。伊藤組土建代表取締役社長、テレビ北海道代表取締役社長、全日本スキー連盟会長、日本赤十字社北海道支部長等を歴任した。 旧制北海道庁立札幌第一中学校(現在の北海道札幌南高等学校)を経て、早稲田大学に進学。1944年からは学徒動員に伴い川崎の日本鍛造へ勤務、渋谷で東京大空襲に被災し、市ヶ谷の東部軍司令部での事務作業の最中に終戦を迎え、一旦札幌に戻った後1年後に早大へ復学。 1950年に早稲田大学政経学部を卒業した。同年5月に伊藤組土建に入社。一方で終戦直後から「日本を負かしたアメリカはどのような国なのか見てみたい」との思いでアメリカへの留学を考えGHQ総司令部に相談し進駐米軍将校の住宅でハウスボーイとして働いた後1951年に渡米し近代経営学を学び、1952年にカリフォルニア大学大学院を修了し、1953年にコロンビア大学大学院を修了。
堀 淳一(ほり じゅんいち、1926年〈大正15年〉10月6… 堀 淳一(ほり じゅんいち、1926年〈大正15年〉10月6日 - 2017年〈平成29年〉11月15日)は、日本の物理学者、随筆家。北海道大学名誉教授。専門は理論物理学であるが、地図に関するエッセイを多く著した。 1926年、物理学者の父・堀健夫と母・志づの長男として京都府京都市に生まれる。弟妹が6人いる。経済学者で関西学院大学学長を務めた堀経夫は伯父、ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎は母方の叔父にあたる。父の北大着任に伴い、1935年(昭和10年)から北海道札幌市に在住。小学校の頃から地図の魅力に魅せられた。札幌一中(現・北海道札幌南高等学校)を経て、1950年に北海道大学理学部物理学科を卒業。
丸山 康雄(まるやま やすお、1926年 <大正15年> 2… 丸山 康雄(まるやま やすお、1926年 <大正15年> 2月26日 - 1994年 <平成6年> 6月25日)は、昭和時代の労働運動家。位階は従四位。 札幌市出身。1943年(昭和18年)、北海道庁立札幌第一中学校(現北海道札幌南高等学校)卒業。1948年(昭和23年)に北海道庁に入庁し、労政課に勤務した。1955年(昭和30年)全道庁労組書記長、1975年(昭和50年)全日本自治団体労働組合(自治労)委員長、1976年(昭和51年)日本労働組合総評議会(総評)副議長を歴任。1981年(昭和56年)に第二次臨時行政調査会(土光臨調)委員を務める(2年間)。労働界からは総評副議長の丸山と、同盟副会長の金杉秀信の2人が委員となった。
有馬 昌彦(ありま まさひこ、1925年7月22日 - 19… 有馬 昌彦(ありま まさひこ、1925年7月22日 - 1991年9月27日)は、日本の俳優。本名:有馬 昌(ありま しょう)。 北海道札幌市出身。旧制第二高等学校(東北大学の前身校のひとつ)卒業。テコジャパンエージェンシー、ファミリープロダクションに所属していた。 高校卒業後の1950年、文学座研究所に入所。後に文学座座員に昇格する。1963年、文学座を脱退し、劇団雲の創立に参加。1969年に雲を退団。フリーを経て、1982年に演劇集団 円に入団した。デビュー作品は1951年、三越劇場での『シラノ・ト・ベルジェラック』。 舞台のほか、多くのテレビドラマや映画などにも出演。1966年のテレビドラマ『ウルトラQ』以来、特撮ドラマへの出演もよくあった。
南川 直(みなみかわ ただし、本名同じ、1925年5月10日… 南川 直(みなみかわ ただし、本名同じ、1925年5月10日 - 2001年1月)は、日本の俳優。北海道札幌市出身。逗子開成中学出身。俳優の田宮二郎は従弟にあたる。 終戦の翌年に復員後、鎌倉アカデミアの演劇科に進学。演技の勉強を積んだのち1950年に太泉映画(後の東映)のニューフェース一期生に合格。 脇役として地道ながら数多くの作品に出演。 1961年から放送開始したテレビ映画『特別機動捜査隊』ではレギュラーの刑事役として10年活躍。しかし健康上の問題を理由に役者を引退した。 1991年の単発テレビ時代劇『忠臣蔵 風の巻・雲の巻』では浅野家家老の役でサプライズ出演を果たす。
宇尾 光治(うお こうじ 、1925年2月4日 - 1992… 宇尾 光治(うお こうじ 、1925年2月4日 - 1992年10月16日)は日本の物理学者。専門分野は核融合・プラズマ物理学。京都大学名誉教授。1991年紫綬褒章受章。 北海道札幌市生まれ。1952年京都大学工学部電気工学科卒、同教室助手、同講師。1960年、学位論文「同軸積層ケーブルの伝送特性 」で、工学博士(京都大学)。1962年よりアメリカ・プリンストン大学研究員、西ドイツ・マックスプランク研究所客員教授、イギリス・カラム研究所研究員を経て、1966年京都大学工学部教授。 1950年代よりヘリカル型核融合装置の研究に従事し、1958年に独自のヘリオトロン方式を提唱し、以降も実験を重ねながら装置の改良を進めた。
五十嵐 豊一(いがらし とよいち、1924年9月27日 - … 五十嵐 豊一(いがらし とよいち、1924年9月27日 - 2008年8月30日)は、将棋棋士。九段。棋士番号46。北海道札幌市出身。 1939年、関根金次郎十三世名人門下に入門。順位戦には第2期から参加し、1948年にB級昇級により飛び級で四段から七段に昇段。 七段時代はB級一位となって名人挑戦者決定のプレイオフに参加し、A級三位の大山康晴に勝ち、A級二位の松田辰雄にやぶれた。 翌年、A級に昇級し八段となる。 1999年4月、勲五等双光旭日章受章。 2008年8月30日、慶應義塾大学病院にて心不全のため、死去。 (2004年4月1日現在) この項目は、将棋の棋士(女流棋士・アマチュアを含む)に関連した書きかけの項目です。
梅沢 博臣(うめざわ ひろおみ 1924年9月20日 - 1… 梅沢 博臣(うめざわ ひろおみ 1924年9月20日 - 1995年3月25日)は、日本の物理学者。理論物理学者。理学博士。アルバータ大学(カナダ)名誉教授。坂田昌一博士の弟子の一人で、場の量子論で世界的に著名。
仲川 翠(なかがわ みどり、1924年8月20日 - 200… 仲川 翠(なかがわ みどり、1924年8月20日 - 2005年3月13日)は、日本の教育者。北海道高等学校体育連盟、北海道高等学校野球連盟の元会長。元プロ野球選手。北海道小樽市出身(札幌市生まれ)。 北海道札幌市に生まれ、4歳で小樽市に移住。旧制小樽中学校から東京高等師範学校(現・筑波大学)に進学。在学中は東都大学リーグで活躍し、母校の一部昇格に貢献した。卒業後東和ゴムに入社したが、プロ野球再編問題によるセ・リーグ誕生に伴い新設され、選手が不足していた新球団国鉄スワローズの誘いに応じて入団。シーズン途中の入団だが、同期に金田正一がいる。投手として国鉄に2年在籍後に引退。本人は後に当時を振り返って、「プロで食べていこうという心づもりは無く、野球の大学をちょっと覗いてみようというぐらいの気持ちだった。
桂川 寛(かつらがわ ひろし、1924年8月20日 - 20… 桂川 寛(かつらがわ ひろし、1924年8月20日 - 2011年10月16日)は、日本の画家。 戦後、安部公房、勅使河原宏らとともに「世紀の会」に参加し、アバンギャルド運動に大きく関わる。また、小河内ダム建設反対運動に加わり、ルポルタージュ絵画を製作した。 その後も、鋭い批判精神で社会を見据えた作品を発表し続けた。
荏原 哲夫(えばら てつお 1924年 - 1956年2月1… 荏原 哲夫(えばら てつお 1924年 - 1956年2月18日)は、日本のヤクザ。会津屋連合会会津家小高一家・小高龍湖組長の実子分。北海道札幌市雁来町(現札幌市東区)出身。通称は雁来のバラ。 藤田五郎(小説家)の「北海道やくざ者」(『大侠客』青樹社に収録)には荏原の歌について記述がある。 荏原哲夫は、まったく不思議な男だった。道を歩くときも、人を斬るときも、怪我をして医者の手当てを受けるときも、たえず言葉になっていない歌を唄っていた。口笛を吹くこともある。音痴で、音色も低かったが、不思議と哀感があった。この歌のどこが気に入ったのか、彼は死ぬまで、一つ覚えのその歌を唄い続けていた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
小田 稔(おだ みのる、1923年2月24日 - 2001年… 小田 稔(おだ みのる、1923年2月24日 - 2001年3月1日)は、日本の天文学者・宇宙物理学者。理学博士(大阪大学・論文博士・1956年)。東京大学名誉教授。 北海道札幌市出身。大阪帝国大学理学部物理学科菊池正士研究室出身だが、菊池の弟子・渡瀬譲に師事したので、小田は菊池の孫弟子といえる。はじめ実験物理学を専攻したが、その後電波天文学に転向し、さらに宇宙線物理学およびX線天文学を専門とするに至った。旺盛な好奇心と夢のような発想の持ち主で、研究者仲間から「星の王子さま」の愛称で呼ばれた。 1923年(大正12年)、北海道に生まれる。1934年、台北帝国大学教授に就任した父に従って台湾に移住。
島野 功緒(しまの いさお、本名:島野 功、1922年10月… 島野 功緒(しまの いさお、本名:島野 功、1922年10月22日 - 2014年12月11日)は、日本の放送評論家。 北海道札幌市出身。札幌一中(現・北海道札幌南高等学校)卒業、慶應義塾大学文学部国文学科中退。 慶應義塾大学在学中に学徒徴兵され、復員後に新聞界に入る。報知新聞の芸能記者を経て、報知新聞東京本社編集局次長、電通PRセンター企画局長、渡辺音楽出版制作部長などを歴任。その後は放送評論家として活躍。特に時代劇に造詣が深く、それに関する著書も多い。 2014年12月11日、急性心不全のため死去。92歳没。
鈴木 清三(すずき せいぞう、1922年6月20日 - 20… 鈴木 清三(すずき せいぞう、1922年6月20日 - 2008年1月12日)は、日本のオーボエ奏者。 北海道札幌市出身。父親は清元高輪派の名匠:清元清美太夫。 1942年、東京音楽学校(現・東京藝術大学)在学中に、満州国建国10周年奉祝使節団として東京音楽学校によって組織されたオーケストラに参加し、首都・新京その他で演奏に加わった。1944年、東京音楽学校を学徒出陣で繰上げ卒業。海軍航空隊で終戦を迎えた。卒業演奏はグロヴレーズの「サラバンドとアレグロ」(1943年末の報国演奏会)で、ピアノ伴奏を中田一次が務めた。 復員後、研究科に復学、修了後は東京フィルハーモニー交響楽団、NHKサロン・アンサンブル、日本フィルハーモニー交響楽団(創立メンバー)を経て、1972年に新日本フィルハーモニー交響楽団の結成に参画し、首席奏者、運営委員長、楽団長、名誉首席奏者を歴任、1992年のリサイタルまで長く演奏活動を続けた。
戸田 一夫(とだ かずお、1922年4月19日 - 2006… 戸田 一夫(とだ かずお、1922年4月19日 - 2006年10月21日)は、日本の実業家。フィンランド視察を基にした、北海道産業クラスター構想提唱者。北海道札幌市出身。東京工業大学(現東京科学大学)卒。
内藤 晋(ないとう すすむ、1922年〈大正11年〉3月18… 内藤 晋(ないとう すすむ、1922年〈大正11年〉3月18日 - 2007年〈平成19年〉8月11日)は、日本のスピードスケート選手。戦後のスピードスケート界を代表する人物の1人とされ、1951年(昭和26年)にスイスで開催された世界選手権で、日本新記録で優勝を飾った。その実績と将来性から、冬季オリンピックの代表選手に2度選ばれたが、戦争と自身の病気によりその2度とも出場の機会を失い、「不運のアスリート」とも呼ばれる。現役引退後はオリンピック日本代表選手のコーチとして、スケート界の発展に尽くした。 北海道札幌市出身。父の内藤芳雄は、幼少時、まだスケート靴が非常に高価だった時代より、我流でスケートを楽しんで技術を鍛え上げ、成人後は札幌スケート協会の幹事長を務めた。
和田 寿郎(わだ じゅろう、1922年3月11日 - 201… 和田 寿郎(わだ じゅろう、1922年3月11日 - 2011年2月14日)は、日本の心臓血管外科医。札幌医科大学名誉教授。ワダ弁(人工心弁)の開発や、後に「和田心臓移植事件」として様々な疑惑が浮上する日本初の心臓移植手術を執刀したことで有名な医師。
おおば比呂司(おおば ひろし、1921年12月17日 - 1… おおば比呂司(おおば ひろし、1921年12月17日 - 1988年8月18日)は、日本の漫画家、デザイナー。北海道札幌市出身。本名は、大場博司。 漫画集団に所属し、イラストレーションの手法を取り入れたユニークな一コマ漫画で知られた。デザイナーとしての評価も高く、商業デザインの分野でも活躍した漫画家の草分けでもあった。また、テレビタレントとしても活動した。 蕎麦屋を営む大場清男・サン夫妻の次男として生まれ、幼少期から漫画・イラストの才能を発揮。札幌市第二高等小学校(現・柏中学校)卒業後印刷会社や看板描き、草履店での丁稚奉公を経て、1942年12月・21歳の時に徴兵で陸軍航空隊に入隊し整備士となる。
幾瀬 勝彬(いくせ かつあき、1921年8月15日 - 19… 幾瀬 勝彬(いくせ かつあき、1921年8月15日 - 1995年4月21日)は、日本の小説家、推理作家。旧姓は長島。 北海道出身。札幌第二中学(現北海道札幌西高等学校)を経て、早稲田大学文学部国文科に入学。大東亜戦争の戦況拡大により繰り上げ卒業して、海軍飛行科予備学生となる。ラバウルで終戦を迎えて1946年に復員後はNHK、ニッポン放送に勤務。 1970年、長編「ベネトナーシュの矢」が第16回江戸川乱歩賞の最終候補となる(受賞作は大谷羊太郎の『殺意の演奏』)。これを改題した『死を呼ぶクイズ』を翌1971年に刊行。以後も、A・E・W・メースン、エラリー・クイーンなどの影響を受けた本格志向の作品を発表。
吉田 善哉(よしだ ぜんや、1921年5月3日 - 1993… 吉田 善哉(よしだ ぜんや、1921年5月3日 - 1993年8月13日)は、競走馬の生産者。北海道札幌市出身。社台グループの創業者。 1921年、北海道月寒の畜産家・吉田善助(善助の父・善太郎の項を参照)の三男として生まれる。善助は酪農家として日本に初めてホルスタイン種の乳牛を導入した人物でもあり、1928年から白老町社台地区に2000haの土地を購入して社台牧場を開設し、サラブレッド生産に着手していた。善哉は1940年、空知農業学校畜産科を卒業後、社台牧場千葉富里分場の場長を任された。しかし同年より始まった太平洋戦争の戦況悪化と共に、従業員が次々と徴兵され、善哉はひとりで牧場を切り盛りすることを余儀なくされた。
沢田 誠一(澤田 誠一、さわだ せいいち、1920年9月18… 沢田 誠一(澤田 誠一、さわだ せいいち、1920年9月18日 - 2007年6月5日)は、日本の小説家。北海道を代表する文芸同人誌『札幌文学』『北方文芸』の編集人・発行人としても活躍。元・財団法人北海道文学館理事長。 1920年(大正9年)、北海道札幌郡豊平町大字平岸村(現・札幌市豊平区平岸)で、リンゴ農家を営み、同町の町会議員も務めた澤田清五郎の五男として生まれる。札幌商業学校(現・北海学園札幌高等学校)第16期卒。札商卒業の頃から作歌を開始し、1941年(昭和16年)に陸軍高射砲学校入学。高射砲学校卒業後は小樽、北千島などに赴任、敗戦時は埼玉県栗橋町の高射砲陣地の中隊長。1947年(昭和22年)に西尾廣子と結婚。
木村 盛武(きむら もりたけ、1920年2月25日 - 20… 木村 盛武(きむら もりたけ、1920年2月25日 - 2019年9月6日)は、日本のノンフィクション作家。日本獣害史上最大の被害を出した三毛別羆事件の調査を行ったことで知られる。 北海道札幌市出身。父親は青森県出身で、東北地方や北海道で林務官を務めていた。幼少の頃から、父親や母方の伯父に日本史上最大の被害を出した獣害事件である三毛別羆事件のあらましを聞かされ、強烈な印象を記憶に留めていた。 1938年8月、北海道庁立小樽水産学校(現:北海道小樽水産高等学校)製造科在籍時、実習を行った幌筵島で1名が犠牲となった熊害事件で危うく助かった体験を持ち、以後熊に対する関心から逃れられなくなった。 1939年水産学校卒業後はタラバガニ検査の仕事に就いていたが、1941年に北海道庁林務講習第1種を修了し、父と同じ北海道庁林務官となった。
3代 地崎 宇三郎(ちざき うさぶろう、1919年7月21日… 3代 地崎 宇三郎(ちざき うさぶろう、1919年7月21日 - 1987年11月11日)は、日本の政治家、実業家。旧名は九一。北海道札幌市出身。旧制小樽中学卒業、立命館大学経済学部中退。 3代目地崎宇三郎は、かつて北海道を代表するゼネコンであった地崎工業の前身、株式会社地崎組の3代目社主(オーナー社長)。1943年に父の2代目宇三郎から地崎組社長を継承し、1973年に地崎工業と改称、1981年に長男の地崎昭宇に社長の座を譲った。 父の公職追放直後の1947年の第23回衆議院議員総選挙に立候補するも選挙戦途中で辞退。1963年、第30回衆議院議員総選挙に旧北海道1区より立候補し、初当選。当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・藤尾正行・佐藤孝行・中川一郎・三原朝雄・西岡武夫・鯨岡兵輔・奥野誠亮など。
田中 秀穂(たなか ひでほ、1919年5月17日 - )は、… 田中 秀穂(たなか ひでほ、1919年5月17日 - )は、日本の外交官。外務省中近東アフリカ局長、在フィリピン特命全権大使等を務めた。1993年4月勲二等旭日重光章受章。 北海道札幌市出身。北海道庁立札幌第二中学校(現北海道札幌西高等学校)を経て、1943年旧制東京商科大学(一橋大学の前身)を卒業し、外務省入省。 1974年にパレスチナゲリラ及び日本赤軍の和光晴生と山田義昭の混成部隊が、シンガポール沖にあったシェル石油傘下のシンガポール・イースタン・ペトローリアム社ブクム島製油所を爆破し、警官隊と銃撃戦を展開、さらにその6日後、パレスチナ解放人民戦線が在クウェート日本大使館を占拠、石川良孝(大使)らを人質にして、和光らを送還し南イエメンへ脱出させることを日本政府に要求した事件(シンガポール・クウェート事件)に、中近東アフリカ局長として対応にあたり、人質解放後、日本政府が派遣した特別機に、犯人グループが南イエメンのアデンに脱出するまで人質の身代わりとして同乗した。
松尾 英男(まつお ひでお、1918年8月30日 - 199… 松尾 英男(まつお ひでお、1918年8月30日 - 1998年4月3日)は、日本の実業家。 元東急不動産社長、東急ハンズ社長、東京急行電鉄専務。 北海道札幌市出身。小学校卒業後、母親の再婚で東京に移る。1942年慶應義塾大学経済学部を卒業し、戦後の1946年に東京急行電鉄に入社。1953年に東急不動産に出向し、田園都市部長・常務・専務などを経て、1978年社長に就任し、のち会長となる。同社を総合ディベロッパーに育てあげ、「中興の祖」と呼ばれた。さらに1976年に東急ハンズの設立に関わり、初代社長を務める。また、この間東京急行電鉄取締役・専務なども歴任し、東急グループの重鎮として活躍した。
石田 達郎(いしだ たつろう、1918年(大正7年)7月18… 石田 達郎(いしだ たつろう、1918年(大正7年)7月18日 - 1990年(平成2年)7月19日)は、日本の実業家。ニッポン放送・フジテレビジョン社長を務めた。北海道札幌市出身。 札幌一中(現:北海道札幌南高等学校)、慶應義塾大学経済学部を卒業。 鐘淵紡績、映画プロデューサーを経て、1954年(昭和29年)ニッポン放送に入社。74年社長、85年相談役。この間、フジテレビ社長、産経新聞代表取締役を兼任したほか、パシフィック音楽出版(PMP、現:フジパシフィックミュージック)、ポニー、キャニオンレコード(現:ポニーキャニオン)、ディノス(現:DINOS CORPORATION)といった、フジサンケイグループで非放送・新聞事業の中核となる企業を設立した。
早川 泰正(はやかわ やすまさ、1918年1月21日 - 2… 早川 泰正(はやかわ やすまさ、1918年1月21日 - 2010年12月26日)は、日本の経済学者。北海道大学名誉教授。第5代千葉商科大学学長。 北海道札幌市生まれ。1935年札幌第一中学校(現北海道札幌南高等学校)卒業。1941年東京商科大学(現一橋大学)卒業。杉本栄一ゼミ出身。同年末永隆甫とともに企画院嘱託となる。同年東京商科大学経済研究所員。1947年北海道大学法文学部助教授。1957年北海道大学経済学部教授。1960年理論・計量経済学会理事。1961年北海道同大学経済学博士。1965年北海道大学経済学部長。1968年北海道地方労働委員会公益委員、北海道開発委員会委員。1969年北海道地方最低賃金審議会委員。
浅井 淑子(あざい よしこ、1917年7月4日 - 1980… 浅井 淑子(あざい よしこ、1917年7月4日 - 1980年1月4日)は、教育者、服飾研究家、学校法人浅井学園元学園長、専門学校北海道ドレスメーカー学院初代院長、北翔大学の前身にあたる北海道女子短期大学創立者。 北海道札幌市生まれ。叔父を頼って上京し、1934年、東京国華高等女学校卒業。その後、東京女子医学専門学校に合格するも、両親に反対されて女医の道を断念。生家の家事を手伝いながら学費を貯め、1937年再上京して、1939年杉野ドレスメーカー女学院師範科卒業。同年9月、洋裁教育を通じて女子の教養を高め、専門的技術修得によって女子に経済的独立の能力を習得させることを目的として、各種学校「北海ドレスメーカ一女学園」を創設した。
菊地 又男(きくち またお、1916年〈大正5年〉11月22… 菊地 又男(きくち またお、1916年〈大正5年〉11月22日 - 2001年〈平成13年〉7月1日)は、日本の画家。北海道札幌市出身。北海道美術界の重鎮、抽象絵画の牽引者とされ、反骨精神に富んだ姿勢から「反骨の画家」とも呼ばれた。 画家である兄の菊地精二に、絵を教わった。旧制北海中学校(後の北海高等学校)在学中の1933年(昭和8年)、16歳で道展に初入選した。当初は独立展に出展していたが、その後、自由美術展に移った。北海中学を卒業後は北海道庁に勤務したが、戦中の1938年(昭和13年)に兵役につき、中国に渡った。2年後の1940年(昭和15年)に帰国、北海中学の美術教師となり、教職の傍らで美術展への出展を続けた。
宮崎 吉政(みやざき よしまさ、1915年8月8日 - 20… 宮崎 吉政(みやざき よしまさ、1915年8月8日 - 2006年3月3日)は、日本のジャーナリスト、政治評論家。
斉藤 武(さいとう たけし、1914年12月27日~2001… 斉藤 武(さいとう たけし、1914年12月27日~2001年3月6日)は、日本の工学者。工学博士(北海道大学)。専門は、熱工学。札幌市出身 1939年北海道帝國大學工学部機械工学科卒業。1939年同工学部助手。1940年同工学部助教授。1949年北海道大学工学部教授。1957年同工学部教授。1960年北海道大学にて論題「高速流動域における管内熱伝導に関する研究」で工学博士受く。北海道大学工学部長や北海道大学副学長を経て、1978年同停年退官。同名誉教授。豊橋技術科学大学副学長。1980年同工学部教授。1984年同定年退職。同名誉教授。日本工学院北海道専門学校自動車整備科客員講師。1987年同退職。
堂垣内 尚弘(どうがきない なおひろ、1914年(大正3年)… 堂垣内 尚弘(どうがきない なおひろ、1914年(大正3年)6月2日 - 2004年(平成16年)2月2日)は、日本の技術官僚・政治家。東日本学園大学(後の北海道医療大学)の名付け親でもある。学校法人東日本学園名誉理事長。位階勲等は、従三位勲一等瑞宝章。学位は、工学士(北海道帝国大学)。称号は、剣道範士。 札幌市出身。札幌一中(現北海道札幌南高等学校)を経て、1938年(昭和13年)北海道帝国大学(後の北海道大学)工学部土木工学科卒業(工学士)。海軍省建設局に勤務。復員を経て、1946年(昭和21年)北海道庁に勤務。その後北海道開発庁へ出向し、1965年(昭和40年)同庁事務次官となる。1967年(昭和42年)北海道開発庁退官。
船山 馨(ふなやま かおる、1914年3月31日 - 198… 船山 馨(ふなやま かおる、1914年3月31日 - 1981年8月5日)は、日本の小説家。船山春子の夫。次男は彫刻家の船山滋生。戦後文学の旗手として活躍し、代表作に『石狩平野』『お登勢』などがある。 北海道札幌市生まれ。実父の小林甚三郎は余市町の出身で、馨の出生当時は東北帝国大学農科大学(現・北海道大学農学部)の学生であった(後に北海道拓殖銀行などに勤務)。母方の実家の意向で母方の船山姓を名乗り、実父とも生後間もなく離別した。なお、馨によると甚三郎はクリスチャンで、トルストイなどの文学愛好者でもあったという。養父は新聞記者・森笛川。 札幌二中(現北海道札幌西高等学校)に在学中、組合教会に通った。
上林 猷夫(かんばやし みちお、1914年2月21日 - 2… 上林 猷夫(かんばやし みちお、1914年2月21日 - 2001年9月10日)は、日本の詩人。 北海道札幌市出身。旧姓は高垣。生後6ヶ月で伯父の養子となり、大蔵省専売局官吏だった養父に従って全国を転々とする。同志社高等商業学校卒。大阪地方専売局を経て、高砂香料工業に勤務。取締役総務部長を務めた。 1936年池田克己、佐川英三らと『豚』を創刊。戦後は『花』を創刊、『日本未来派』に参加。1952年『都市幻想』で第3回H氏賞受賞。1963年から日本現代詩人会理事長として、事務的手腕を発揮した。1987年日本現代詩人会会長。
荒谷 正雄(あらや まさお、1914年1月31日 - 199… 荒谷 正雄(あらや まさお、1914年1月31日 - 1996年3月1日)は、日本の指揮者、ヴァイオリニスト。北海道札幌市出身。 1935年帝国音楽学校卒業後、1936年ヨーロッパに留学、ウィーン、ベルリンなどで学び、ヴァイオリンをヨゼフ・シゲティらに師事、ベルリン室内楽協会の団員として演奏活動を行い、1945年7月に帰国。1948年に札幌音楽院を開設、弦楽器のほか、ピアノ、声楽、作曲、美学、音楽史の講義を組み、1949年札幌音楽院管弦楽団を結成。1950年北海道文化賞受賞。1961年札幌交響楽団設立に参画、1968年まで初代常任指揮者を務めた。1986年北海道開発功労賞受賞。1997年札幌交響楽団から名誉創立指揮者の称号を贈られる。
今井 道雄(いまい みちお、1914年1月24日 - 199… 今井 道雄(いまい みちお、1914年1月24日 - 1990年9月4日)は、日本の実業家。丸井今井代表取締役社長、札幌商工会議所会頭、札幌証券取引所理事長等を務めた。 北海道札幌市生まれ。1938年東京商科大学(現一橋大学)を卒業(同期に小泉明ら)。大阪の大丸百貨店で修業したのち、家業の丸井今井グループ入りし、1944年から丸井今井の三代目代表取締役社長を務めた。1973年から札幌商工会議所会頭を務め、北海道商工会議所連合会会頭、札幌観光協会会長、北海道百貨店協会会長、札幌証券取引所理事長なども歴任した。1974年北海道経済連合会設立発起人代表。1981年エフエム北海道発起人。1987年北海道立文学館建設期成会会長。
郡司 正勝(ぐんじ まさかつ、1913年7月7日 - 199… 郡司 正勝(ぐんじ まさかつ、1913年7月7日 - 1998年4月15日)は、日本の歌舞伎研究家・演劇評論家・国文学者。早稲田大学名誉教授。 1913年、北海道札幌市生まれ。北海道庁立第二中学(現北海道札幌西高等学校)を経て、1939年早稲田大学文学部国文科を卒業。大学では河竹繁俊に師事した。卒業後は、早稲田大学演劇博物館学芸員となり、同大学講師などを経て、1960年から84年まで教授を務めた。 その著作は、『郡司正勝柵定集』(全6巻)にまとめられている。故郷である札幌大学に、郡司の蔵書を納めた「郡司文庫」が設けられている。