摂津 颯登(せっつ はやと、1996年10月5日 - )は、… 摂津 颯登(せっつ はやと、1996年10月5日 - )は、秋田県湯沢市出身の元サッカー選手。プロ野球選手の攝津正とは遠縁に当たる。 小学1年生の時に本格的にサッカーを始め、小学校高学年からゴールキーパーへ転向。湯沢北中学3年時にモンテディオ山形ユースからスカウトされ、山形ユースに加入。2014年6月、トップチームの清水健太の負傷に伴い2種登録選手としてトップ登録される。同年の天皇杯山形県予選では好セーブでチームの初優勝に貢献し、本大会1回戦のヴァンラーレ八戸戦にも出場した。10月15日、来季のトップチーム昇格内定が発表された。ユースから通算5人目のトップ昇格となり、GKとしては初めてとなった。
もっと読む
菅野 純平(すがの じゅんぺい、1991年4月16日 - )… 菅野 純平(すがの じゅんぺい、1991年4月16日 - )は、秋田県湯沢市出身の元ハンドボール選手。 秋田県立湯沢高等学校時代は2007年に日本代表U-16に選出。 2009年は第17回日・韓・中ジュニア交流競技会の日本代表に選ばれた。 高校卒業後は筑波大学へ進学し、2010年に第12回男子ジュニアアジア選手権の日本代表U-21に選出。 2014年に日本ハンドボールリーグのトヨタ車体へ加入。 2015年は第28回ユニバーシアード競技大会の日本代表に選ばれた。 2024-25年シーズン限りで現役を引退。
もっと読む
如月 大 (きさらぎ ひろ、1990年2月10日 - )は秋… 如月 大 (きさらぎ ひろ、1990年2月10日 - )は秋田県湯沢市出身の演歌歌手。事務所はエース。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
もっと読む
瀧川 鯉舟(たきがわ りしゅう、1989年8月16日 - )… 瀧川 鯉舟(たきがわ りしゅう、1989年8月16日 - )は、落語芸術協会に所属する落語家。瀧川鯉昇門下の二つ目。本名は佐藤 邦衛。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:舞台芸術/PJ:お笑い)。
もっと読む
鈴木 梢(すずき こずえ、1982年11月26日 - )は … 鈴木 梢(すずき こずえ、1982年11月26日 - )は ジョイスタッフ(JOY STAFF)所属のフリーアナウンサー、リポーター。 秋田県湯沢市出身。身長154.5cm、ネコ好き。趣味は電車路線図、山登り、気ままに歩く、風水など。 特技は雪かき、スキーなど。Hometown 府中・小金井・国分寺(ジェイコム東京)の“ホームタウン式きまま旅”では、見た目からは想像もできない大食いっぷりを披露している。
もっと読む
豊島 ミホ(としま みほ 1982年2月15日- )は、日本… 豊島 ミホ(としま みほ 1982年2月15日- )は、日本の小説家、ライター。秋田県湯沢市出身。秋田県立横手高等学校・早稲田大学第二文学部卒。 幼少期からの将来の夢はマンガ家だった。高校2年生のとき、スクールカーストの「底辺」になったと感じたことが理由で家出し、その後保健室登校となる。高校卒業後、一浪の後、2001年に早稲田大学第二文学部へ入学。 大学1年生の夏休みに執筆した「青空チェリー」が、2002年、第1回女による女のためのR-18文学賞の読者賞を受賞。同年、『青空チェリー』を刊行し小説家デビュー。ペンネームの由来は当時東京都豊島区在住だったことと、幼馴染で豊島に作家になることを薦めた幼馴染の「ミホ」ちゃんより。
もっと読む
沼倉 裕(ぬまくらゆう、1982年(昭和57年) - )は、… 沼倉 裕(ぬまくらゆう、1982年(昭和57年) - )は、秋田県雄勝郡雄勝町秋ノ宮(現・湯沢市)出身の実業家。ミクウガジャパン株式会社代表取締役。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
もっと読む
山崎 裕太(やまざき ゆうた、本名・秋山裕太、1981年3月… 山崎 裕太(やまざき ゆうた、本名・秋山裕太、1981年3月8日 - )は、日本の俳優、タレントである。ホリプロ所属。秋田県湯沢市出身。東京で育つ。堀越高等学校卒業。身長168cm。
もっと読む
菊池 洋之(きくち ひろゆき、1978年5月15日 - )は… 菊池 洋之(きくち ひろゆき、1978年5月15日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。秋田県雄勝郡(現:湯沢市)出身。ポジションはミドルブロッカー。 雄勝中学1年よりバレーボールを始める。雄物川高校を卒業後、亜細亜大学へ進学した。 全日本ユース代表、ジュニア代表、ユニバシアード代表などを経験し、大学卒業後の2001年にNECブルーロケッツに入団。同年全日本代表に初選出され、ワールドリーグに出場した。 2009年5月、NECの無期限休部に伴い、現役引退した。
もっと読む
玉ノ国 光国(たまのくに みつくに、1975年12月28日 … 玉ノ国 光国(たまのくに みつくに、1975年12月28日 ‐ )は、福島県西白河郡泉崎村出身(出生地は秋田県湯沢市(旧雄勝郡雄勝町))で片男波部屋に所属していた元大相撲力士。本名は、岡部 光国(おかべ みつくに)。得意手は突き、左四つ、寄り。あだ名は本名に由来する"黄門様"。最高位は東十両7枚目(2001年3月場所)。 後述の通り、現役後期は玉光国 喜太郎(たまみつくに きたろう)の四股名を名乗り土俵に上がっていたが、十両在位時は全て玉ノ国の四股名で通した。 元プロボクサー・タートル岡部の長男で、元関脇玉乃島の兄である。また、元大関清國の甥で、落語家林家希林は従弟にあたる。 自身の出生地は秋田県、育ちは東京都文京区であるが、日本相撲協会へは父親の故郷である福島県を出身地として届け出た。
もっと読む
齋藤 敬(さいとう たかし、1969年 - )は、日本の工学… 齋藤 敬(さいとう たかし、1969年 - )は、日本の工学者。秋田県立大学システム科学技術学部知能メカトロニクス学科 教授。同大学人工生体機構研究室(Saito Lab)代表。博士(工学)(東京大学)。 専門分野は、ロボット工学、バイオエンジニアリング、機構学。特に「大規模細胞改変技術」や薄板の弾性を利用した「巻き尺型伸縮機構」、地域課題解決のための野生動物対策ロボットの研究で知られる。 秋田県湯沢市出身。秋田県立横手高等学校を卒業。 大学院在学中、日欧産業協力センターの研修を経て、東京大学TLOの前身となる株式会社先端科学技術インキュベーションセンターの設立に関わり、1998年から1999年にかけて取締役を務めた。
もっと読む
後藤 明美(ごとう あけみ、1965年2月12日 - )は、… 後藤 明美(ごとう あけみ、1965年2月12日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(投手)。 実家は農家で、家業を継ぐために進学した園芸科のある増田高から1982年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから6位指名を受け入団。 1985年と1986年は、MLB傘下の1A・サンノゼ・ビーズに野球留学した。一軍での登板がないまま、1990年限りで現役を引退。 引退後は打撃投手に転身し、広報担当を経てファームディレクター補佐兼若獅子寮長兼メディカル統括。2022年現在は一軍用具チーフ。
もっと読む
佐藤 一夫(さとう かずお、1963年(昭和38年)5月2日… 佐藤 一夫(さとう かずお、1963年(昭和38年)5月2日- )は、日本の政治家。秋田県湯沢市長(2期)。 秋田県湯沢市出身。秋田県立湯沢高等学校、中央大学卒業後、旧湯沢市役所財政課に就職。 2019年4月、当時市長だった鈴木俊夫により副市長に任命される。 2020年、鈴木の引退宣言を受け湯沢市長選挙に出馬表明。自由民主党籍を有するものの、元日本共産党員であった鈴木市政の発展的継承を訴え、2021年4月4日に行われた湯沢市長選挙に無所属で立候補。元市議の高橋大輔ら2候補を破り初当選した。 2025年、無投票で再選。
もっと読む
鈴木 俊夫(すずき としお、1950年(昭和25年)8月11… 鈴木 俊夫(すずき としお、1950年(昭和25年)8月11日 - )は、日本の政治家。元秋田県湯沢市長(3期)。 秋田県湯沢市出身。秋田県立湯沢高等学校(2学年先輩に菅義偉がいる)、岩手大学農学部農学別科畜産専攻科を卒業。大学在学中に日本共産党へ入党し、1983年(昭和58年)から湯沢市議会議員、1991年(平成3年)から秋田県議会議員をそれぞれ2期務める(1999年落選)。その後、2001年(平成13年)の第19回参議院議員通常選挙(落選)をへて、翌2002年に行われた旧湯沢市長選に出馬表明する。 「開かれた市政をつくるみんなの会」を支持母体として、黒塗り公用車の廃止や市長報酬3割カット、市長交際費半減などを公約に掲げ選挙戦を展開。
もっと読む
斉藤 永吉(さいとう えいきち、1950年(昭和25年)4月… 斉藤 永吉(さいとう えいきち、1950年(昭和25年)4月2日 - )は、日本の実業家。北都銀行名誉顧問。秋田経済同友会代表幹事。 秋田県湯沢市出身。中央大学法学部卒業後、羽後銀行入行。長らく企画部門を担当した。 かねてから将来の頭取候補と目されてきたが、荘内銀行との経営統合実現にむけた改革の手腕を見込まれて、2008年6月、加賀谷武夫の後継として頭取に就任した。トップに就任後、従来、地元の直面する諸問題に本腰を入れ、取り組んでこなかったことを猛省し、何よりも地域の信頼を取り戻すことに全力を注ぐ決意を固め、本部最優先の組織体質、形式主義のまかり通る経営、男尊女卑的な企業風土などが象徴的に見られていた北都銀に風穴をあけようと、外部から積極的に人材を登用し改革を進めた。
もっと読む
京野 公子(きょうの きみこ、1949年12月25日 - )… 京野 公子(きょうの きみこ、1949年12月25日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(1期)、秋田県議会議員(1期)を歴任。 1949年12月25日、秋田県湯沢市に生まれる。秋田県立湯沢高等学校卒業後(菅義偉の1年後輩)、早稲田大学第一文学部入学。在学中に結婚し、中退。1977年、夫と共に株式会社「協同企画」を立ち上げ。1979年、湯沢ロイヤルホテルを設立。1993年、フランスへ半年間短期留学。 1999年、秋田県議会議員選挙に無所属で出馬(湯沢市選挙区)、落選。2003年、秋田県議会議員選挙に再度出馬、初当選(湯沢市選挙区)。議会会派「いぶき」に参加。議会では農林水産委員会の副委員長を務めた。
もっと読む
菅 義偉(すが よしひで、1948年〈昭和23年〉12月6日… 菅 義偉(すが よしひで、1948年〈昭和23年〉12月6日 - )は、日本の政治家。 内閣総理大臣(第99代)、内閣官房長官(第81代・第82代・第83代)、拉致問題担当大臣(第4次安倍第1次改造内閣・第4次安倍第2次改造内閣)、沖縄基地負担軽減担当大臣(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣・第3次安倍第1次改造内閣・第3次安倍第2次改造内閣・第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣・第4次安倍第1次改造内閣・第4次安倍第2次改造内閣)、国家安全保障強化担当大臣(第2次安倍内閣)、内閣府特命担当大臣(地方分権改革)(第1次安倍内閣)、総務大臣(第7代 )、郵政民営化担当大臣(第1次安倍内閣)、総務副大臣(第3次小泉改造内閣)、経済産業大臣政務官(第1次小泉第2次改造内閣・第2次小泉内閣)、国土交通大臣政務官(第1次小泉内閣)、衆議院議員(10期)、横浜市議会議員(2期)、自由民主党総裁(第26代)、自由民主党副総裁(第18代)、自由民主党幹事長代行(第2代)を歴任した。
もっと読む
皆川 一夫(みながわ かずお、1947年(昭和22年)-)は… 皆川 一夫(みながわ かずお、1947年(昭和22年)-)は、日本の外交官。ウガンダ駐箚特命全権大使。 秋田県湯沢市岩崎出身。東京外国語大学インドシナ語学科(ベトナム語専攻)を卒業後、1971年(昭和46年)外務省に入省。1972年から2年間、在外語学研修生としてサイゴンで語学研修(ベトナム語)を受ける。1974年から在南ベトナム日本国大使館で勤務。最初の妻を亡くした後、1994年に結婚した妻は、語学研修時代に下宿していた家の長女にあたる下宿当時8歳だったベトナム人女性。 1978年から経済協力開発機構日本政府代表部在勤、1980年から外務省アジア局難民問題対策室勤務、1984年から国際連合難民高等弁務官駐日事務所次長、1986年から在ベトナム日本国大使館在勤、1989年から国際連合日本政府代表部在勤、1993年から在ホーチミン日本総領事館首席領事。
もっと読む
齊藤 光喜(さいとう みつよし、1946年(昭和21年)6月… 齊藤 光喜(さいとう みつよし、1946年(昭和21年)6月16日 - )は、日本の政治家。秋田県前湯沢市長(2期)。元湯沢市議会議員(2期)、元稲川町議会議員(3期)。 秋田県稲川町(現・湯沢市)生まれ。秋田県立湯沢高等学校卒業。1969年(昭和44年)3月、中央大学商学部商業貿易学科卒業。同年4月、財団法人東京都ユースホステル協会に就職。 1978年(昭和53年)4月、株式会社稲庭うどん販売を設立。1989年(平成元年)4月、同社の専務取締役に就任。 1996年(平成8年)4月、稲川町議会議員選挙に初当選。 2005年(平成17年)3月22日 - 旧湯沢市・雄勝町・稲川町・皆瀬村が合併し、新市制の湯沢市が誕生。
もっと読む
神山 治貴(かみやま はるき、1946年(昭和21年)2月5… 神山 治貴(かみやま はるき、1946年(昭和21年)2月5日 - )は、日本の実業家、経営者、マクニカ創業者、マクニカホールディングス名誉会長、神山財団理事長。 秋田県湯沢市生まれ。1969年(昭和44年)3月に東京電機大学工学部第二部電子工学科を卒業。1964年4月日本レミントン・ユニバック株式会社(現・BIPROGY株式会社)、1967年4月株式会社三ツ波、1972年4月インターニックス株式会社を経て、1972年(昭和47年)にジャパンマクニクス株式会社(現・株式会社マクニカ)を創業。 1972年(昭和47年)10月 ジャパンマクニクス株式会社(現・株式会社マクニカ)を創業。 1975年(昭和50年)02月 株式会社マクニカ 代表取締役社長就任。
もっと読む
西村 幸次郎(にしむら こうじろう、1942年5月1日 - … 西村 幸次郎(にしむら こうじろう、1942年5月1日 - )は、日本の法学者。専門は現代中国法。早稲田大学教授、大阪大学教授、一橋大学教授を経て、山梨学院大学教授・客員教授を歴任、一橋大学名誉教授。 秋田県雄勝郡雄勝町横堀(現・湯沢市)出身。1978年から2002年まで日本現代中国学会理事(事務局長、常任理事等、2012年から顧問)、1981年から1987年まで早稲田大学憲法懇話会事務局長、1991年から2003年まで「社会体制と法」研究会運営委員、1994年から2000年まで日中人文社会科学交流協会評議員、2000年大学基準協会相互評価委員会専門分科会委員、2003年から2005年まで科学研究費補助金による研究課題「中国民族法制の総合的研究」代表者、2006年から2008年まで日本学術振興会特別研究員等審査会専門委員及び国際事業委員会書面審査員を歴任。
もっと読む
清國 勝雄(きよくに かつお、1941年11月20日 - )… 清國 勝雄(きよくに かつお、1941年11月20日 - )は、秋田県雄勝郡雄勝町(現・湯沢市)出身で伊勢ヶ濱部屋(入門時は荒磯部屋)に所属した元大相撲力士。本名は佐藤 忠雄(さとう ただお)。最高位は東大関。現役時代の体格は182cm、133kg。得意手は左四つ、寄り、押し。 元十両・玉ノ国、元関脇・玉乃島の兄弟は甥。二男の嘉由生は林家木久扇門下の落語家、林家希林。 現夫人は国宝犬山城12代目城主平岩親吉の末裔。 中学3年時に同郷の元横綱・照國の荒磯部屋から熱心に勧誘され、夏休み中の体験入門だけのつもりで上京したが両親の同意や住民票の移転など根回しされたことで観念して入門を正式決定。1956年9月場所初土俵。
もっと読む
菅 貫太郎(すが かんたろう、1934年12月12日 - 1… 菅 貫太郎(すが かんたろう、1934年12月12日 - 1994年3月22日)は、日本の俳優。本名は同じ。愛称はスガカン。 秋田県湯沢市出身。秋田県立湯沢高等学校卒業、中央大学中退。劇団俳優座出身。田村企画を経て、東映俳優センターに所属していた。 高校卒業後、中央大学に進むが中退。 1957年(昭和32年)に俳優座養成所に第9期生として入所。 1960年(昭和35年)に座員となり、「セチュアンの善人」で初舞台を踏む。 1971年(昭和46年)に菅孝行作の「はんらん狂騒曲」上演を禁じた俳優座幹部と対立、中村敦夫、原田芳雄、市原悦子らと共に、俳優座劇場で同作の造反公演劇団を行い、退団した。 劇団在籍中から、映画やテレビドラマにも出演。
もっと読む
佐藤 隆三(さとう りゅうぞう、1931年7月5日 - )は… 佐藤 隆三(さとう りゅうぞう、1931年7月5日 - )は、日本の経済学者。専門は理論経済学、中でも経済成長理論。ニューヨーク大学C.V.スター冠講座名誉教授。 秋田県湯沢市高松出身。Ph.D(ジョンズ・ホプキンス大学)、経済学博士(一橋大学)。ブラウン大学教授を経て、ニューヨーク大学レナード・スターン経営大学院C.V.スター冠講座教授、同大学日米経営経済研究所所長、ハーバード大学ケネディスクール兼任教授、東京大学大学院経済学研究科客員教授を歴任。 独ボン大学、英ケンブリッジ大学、京都大学、一橋大学客員教授を務めた。 元全米経済研究所(NBER)研究理事。米グーゲンハイム財団賞、日経図書文化賞、読売論壇賞受賞。
もっと読む
加藤 富夫(かとう とみお、1928年(昭和3年)4月3日 … 加藤 富夫(かとう とみお、1928年(昭和3年)4月3日 - 1977年(昭和52年)12月2日)は、日本の小説家、教員。 秋田県雄勝郡湯沢町(現・湯沢市)生まれ。1968年に文學界新人賞を受賞したほか、1971年から1975年にかけて四度芥川賞候補となった。 秋田県立横手中学校(現・横手高等学校)在学中に予科練に入隊し、土浦海軍航空隊で桜花特攻要員として訓練中、秋田県北秋田郡合川町(現・北秋田市)の大野岱で終戦を迎えた。復員後、秋田県立湯沢南高等学校(現・湯沢高等学校)から秋田大学学芸学部(現・教育文化学部)英語科に進み、1954年(昭和29年)3月に卒業。秋田県の高校英語科教員として、横手・湯沢北 ・湯沢高校などで教鞭を執った。
もっと読む
川俣 健二郎(かわまた けんじろう、1926年7月5日 - … 川俣 健二郎(かわまた けんじろう、1926年7月5日 - 2016年1月24日)は、日本の政治家。元衆議院議員。秋田県雄勝郡(現・湯沢市)出身。議員当時は日本社会党に所属。 旧制県立横手中学校(秋田県立横手高等学校の前身)から早稲田大学政治経済学部政治学科を経て、同和鉱業に入社。同社の労働組合の役員等に着いた後、義父である川俣清音の糖尿病悪化に伴い後継候補として衆議院議員選挙に秋田2区から出馬、当選。以後8期連続で当選し予算委員会理事などを歴任した。また党内の右派グループ「政権構想研究会」代表を務めるなど、社会党右派の実力者として君臨した。また、自民党内などでも渡辺美智雄と親交があり、隣町の出身の秋田県選出の現自民党衆議院議員金田勝年〔元外務副大臣、参議院議員〕らと親交がある。
もっと読む
白龍山 慶祐(はくりゅうやま よしひろ、1926年3月10日… 白龍山 慶祐(はくりゅうやま よしひろ、1926年3月10日 - 1968年8月25日)は、秋田県雄勝郡雄勝町(※現役当時、現・同県湯沢市)出身で荒磯部屋(入門時は伊勢ヶ濱部屋)に所属した大相撲力士。本名は金子 寅男(かねこ とらお)。最高位は西前頭12枚目(1956年3月場所)。現役時代の体格は176cm、109kg。得意手は右四つ、寄り、内無双。 14歳の時に上京し、同郷の元関脇・清瀬川が率いる伊勢ヶ濱部屋(後、荒磯部屋に改称)へ入門。1941年1月場所で初土俵を踏んだ。 「両邦山」の名で番付に載るまでに2年かかるなど当初は苦戦したが、その後は順調に番付を上げ、1947年11月場所で新十両に昇進。
もっと読む
高木 吉友(たかぎ よしとも、1924年(大正13年)1月2… 高木 吉友(たかぎ よしとも、1924年(大正13年)1月25日 - 1991年(平成3年)6月3日)は、日本の実業家。 秋田県雄勝郡院内町出身。旧姓は伊藤。明治大学法学部中退。 養父から受け継いだ商店を企業として発展させ、不動産・旅行代理店・家電量販店等の事業にも進出。首都圏を代表するスーパーマーケットチェーン忠実屋を築き上げた。1954年に株式会社化すると社長に就任し、1991年に会長となった。同年6月3日、心不全のため死去。 1987年藍綬褒章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
もっと読む
照國 萬藏(てるくに まんぞう、1919年1月10日 - 1… 照國 萬藏(てるくに まんぞう、1919年1月10日 - 1977年3月20日)は、秋田県雄勝郡秋ノ宮村(現:秋田県湯沢市)出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した大相撲力士。第38代横綱。本名は菅 萬藏(すが まんぞう)で、のちに大野 萬蔵(おおの まんぞう)となる。 1919年1月10日に秋田県雄勝郡秋ノ宮村の農家で生まれ、秋ノ宮第一尋常小学校を卒業後は家業である農業を手伝う。畑作業で土を掘ったり、収穫した野菜などを運搬するうちに力が付き、1930年の夏に「秋田に怪童あり」との評判を聞きつけた母の遠縁である5代伊勢ヶ濱から熱心に勧誘されたが、入門が嫌で逃げ回り、5代伊勢ヶ濱が訪問している間は実家に近寄らなかったほどだった。
もっと読む
片野 饗一(かたの きょういち、1915年(大正4年)11月… 片野 饗一(かたの きょういち、1915年(大正4年)11月16日 - 2002年(平成14年)2月24日)は、日本の銀行家。北都銀行取締役相談役、秋田あけぼの銀行頭取を歴任した。 秋田県湯沢市出身。東京商科大学(現一橋大学)卒業後、三菱商事入社。 1949年(昭和24年)には、父である片野重脩が設立を主導した秋田無尽に入社。その後、秋田相互銀行社長に就任した。 社長在任時は、1976年(昭和51年)の事務センターの開館、翌年にはオンラインシステムの稼動開始など事務のOA化を促進し体制の整備にあたった。また、1982年(昭和57年)には現在の北都ビルディングにあたる「新本店ビル」の竣功にこぎ着けた。
もっと読む
滑川 道夫(なめかわ みちお、1906年11月3日 - 19… 滑川 道夫(なめかわ みちお、1906年11月3日 - 1992年12月13日)は、日本の教育者、教育学者。 秋田県湯沢市生まれ。生家は旧士族で父親は道太郎。両親ともに教師。教員準備場から秋田師範学校に進んだ。父の指導を受け自由律俳句に親しみ、俳号は三千夫。万葉研究家境田四郎教諭のもと、文学教育の重要性に目覚め、専攻科を卒業。秋田師範付属小学校の訓導時代の1930年『北方教育』を創刊し、生活綴方運動を展開し「東京綴方の会」に参加。1932年上京し成蹊学園訓導となり、日本大学卒業。また教育科学研究会言語教育部会に参加。戦後、1946年児童雑誌『銀河』創刊に参加、1957年成蹊学園教育研究所長、1966年東京成徳短期大学教授、東京教育大学教授として国語教育、児童文化を研究。
もっと読む
幡瀬川 邦七郎(はたせがわ くにしちろう、1905年6月1日… 幡瀬川 邦七郎(はたせがわ くにしちろう、1905年6月1日 - 1974年5月12日)は、秋田県雄勝郡幡野村(現:秋田県湯沢市)出身で伊勢ヶ濱部屋(入門時は楯山部屋)に所属した大相撲力士。本名は大野 邦七郎(おおの くにしちろう)(旧姓:佐藤)。最高位は東関脇。 1905年6月1日に秋田県雄勝郡幡野村(現:秋田県湯沢市)で小作農家を営む家に生まれる。子供の時から骨太の体格で、運動神経が良いために動きも俊敏で度胸があり、幡野小学校で相撲を取り始めた。県内の小学校対抗試合でも高等科の生徒を向こうに回して圧勝したが、負けず嫌いの性格だったために決勝戦で敗れると悔しさのあまり泣くほどだった。小兵ながら宮相撲で圧倒的な強さを誇っており、家業でも大人顔負けの作業量を引き受けて周囲を驚かせた。
もっと読む
中村 紅果(なかむら こうか、1899年5月7日 - 196… 中村 紅果(なかむら こうか、1899年5月7日 - 1961年1月29日)は、日本の俳優である。本名中村 縣三(なかむら けんぞう)、別芸名中村 憲三(なかむら けんぞう)。 1899年(明治32年)5月7日、秋田県雄勝郡弁天村(現在の同県湯沢市弁天地区)に、旧家の主である父・中村一徳の三男として生まれる。 旧制・秋田縣立横手中學校(現在の秋田県立横手高等学校)を卒業し、1917年(大正6年)に東京に移り、出版社の雑誌記者や旧制小学校の教師などの職を経て、早稲田大学文科に入学、坪内逍遙の新文藝協会に入って新劇運動に参加する。1920年(大正9年)に明治座での『法難』で岡田嘉子、加藤精一らと共演、初舞台を踏んだ。
もっと読む
栗林 元二郎(くりばやし もとじろう、1896年 - 197… 栗林 元二郎(くりばやし もとじろう、1896年 - 1977年)は、北海道の農業教育者。農業専門学校『八紘学園(はっこうがくえん)』の創設者。 1896年、秋田県雄勝郡川連村の農家に生まれる。1919年、22歳のとき、80人ほどの北海道移住団の団長を引き受ける。移住先は、十勝支庁芽室町上美生である。200haほどの土地の開墾に成功する。北海道庁により功労賞が授与される。 1924年、北海道庁の移民招致係の嘱託となる。北海道移住の宣伝映画を、制作費1800円で製作する中心人物となる。 農業教育の必要性を感じ、独学で教員資格を入手し、札幌の日本殖民学校農学科の主任講師となる。講師として経験を積むうち、農業専門学校の創立を考えはじめる。
もっと読む
芦間 圭(蘆間圭、あしま けい、1895年6月24日 - 1… 芦間 圭(蘆間圭、あしま けい、1895年6月24日 - 1956年以降)は、日本の文筆家、翻訳家。本名・安島 健(あじま けん)。別筆名に曲木 磯六。 秋田県湯沢市出身。東京帝国大学文学部倫理学科中退。報知新聞、日本評論社の記者をへて文筆に転じる。萩原朔太郎らの『感情』に寄稿したこともあり、菊池寛の代作をした。
もっと読む
千葉 命吉(ちば めいきち、1887年3月26日 - 195… 千葉 命吉(ちば めいきち、1887年3月26日 - 1959年12月29日)は明治 - 昭和時代の教育研究者、教育者。奈良女高師付属小学校訓導などをへて、大正9年(1920年)広島師範付属小学校の主事(現在の校長と同等)となる。大正10年(1921年)八大教育主張講演会で子供の独創性を重視する「一切衝動皆満足論」を発表。大正11年(1922年)ドイツに留学、独創学を研究。昭和3年(1928年)大日本独創学会を設立した。著作に「独創主義教育価値論」「独創教育学」など。 千葉命吉の創造教育論というのは1919年1月の『創造教育の理論及実際』でではじめて提唱された。その独創的理論が評価され大正9年(1920年)に小学校校長に抜擢された。
もっと読む
菅 礼之助(すが れいのすけ、1883年11月25日 - 1… 菅 礼之助(すが れいのすけ、1883年11月25日 - 1971年2月18日)は、日本の実業家、俳人。秋田県生まれ。旧制秋田中学、日本中学(現:日本学園)、東京高等商業学校(現:一橋大学)出身。古河鉱業(現古河機械金属)を経て、石炭庁長官、同和鉱業(現DOWAホールディングス)会長、昭和鉱業(現昭和KDE)会長、東京電力会長、経済団体連合会評議会議長等を務めた。1970年勲一等瑞宝章、1971年従三位勲一等。第九代、十代、十三代如水会理事長。初代日本相撲協会運営審議会会長。俳人としては裸馬と号し、俳誌「同人」を主宰した。 菅礼之助(菅裸馬)は明治16年(1883年)に秋田県南秋田郡土崎港町に生まれ(本籍は雄勝郡秋ノ宮)、東京高等商業学校(現:一橋大学)を卒業後、明治38年(1905年)に古河鉱業へ入社、古河グループの三代目古河虎之助をビジネスで支える一人となった。
もっと読む
井上 桂(いのうえ かつら、1879年(明治12年)4月10… 井上 桂(いのうえ かつら、1879年(明治12年)4月10日 - 没年不詳)は、東京市区長。教育者。 秋田県雄勝郡湯沢町(現在の湯沢市)出身。1900年(明治33年)、秋田県師範学校を卒業し、1904年(明治37年)に東京高等師範学校国漢科を卒業した。東京女子高等師範学校教諭、静岡県女子師範学校校長、長崎県師範学校校長、福島県師範学校校長を歴任した。1928年(昭和3年)、東京市に入り、視学・学務課長に就任した。1932年(昭和7年)、豊島区長に転じ、のち赤坂区長、本郷区長を歴任した。
もっと読む
大山 幸太郎(おおやま こうたろう、1873年6月8日 - … 大山 幸太郎(おおやま こうたろう、1873年6月8日 - 1967年7月28日)は、日本の教育者、哲学者。 秋田県弁天村(現在の湯沢市)出身。1895年に秋田県尋常師範学校を卒業し、横堀尋常高等小学校訓導となる。横堀小学校時代に全国初の父兄会を開いている。その後上京し、巣鴨の東福寺で4年間独学し、この間に新井奥邃と出逢った。 1914年から文部省に勤務し、1915年からドイツに9年間留学した。 帰国後に母校の秋田師範学校で哲学を講義した。 「真人」の語を造り、没後に教え子たちにより真人学会が結成された。
もっと読む
藤原 利三郎(ふじわら りさぶろう、明治元年11月1日(18… 藤原 利三郎(ふじわら りさぶろう、明治元年11月1日(1868年12月14日) - 昭和10年(1935年)5月9日)は、平鹿ゴールデンを生み出した秋田県出身の果樹園芸家で、「リンゴ栽培の父」と称されている。 利三郎は1868年に養蚕振興の先駆者として名高い茂木亀六の六男として出羽国(現在の秋田県)の雄勝郡(現在の湯沢市、昔の稲川町)で生まれた。 18歳で藤原家の養子となった後、養蚕業の代わりとなる産業を探していた利三郎は、果樹の栽培の視察で山形に行った際にりんごの苗を手に入れた。それをもとに20歳の時に利三郎は杉林を切り開いて苗を植え、周囲の目を跳ね除けてリンゴ栽培に励んだものの、1894年の綿虫大量発生で大損害を受けた後にブドウやサクランボ、梨なども取り扱う多角的な経営を始めた。
もっと読む
添田 飛雄太郎(そえだ ひおたろう、元治元年11月7日(18… 添田 飛雄太郎(そえだ ひおたろう、元治元年11月7日(1864年12月5日) - 昭和12年(1937年)1月25日)は、日本の衆議院議員(憲政本党→立憲国民党→立憲同志会→憲政会→革新倶楽部)。 出羽国雄勝郡湯沢町(現在の秋田県湯沢市)出身。1886年(明治19年)、上京して英語とドイツ語を学び、1888年(明治21年)から7年間、ドイツのテュービンゲン大学で政治学・経済学・法学を学んだ。1903年(明治36年)、秋田県立秋田中学校校長に就任し、1907年(明治40年)まで務めた。 1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、5回連続当選を果たした。
もっと読む
石井 信(いしい しん、1861年12月17日(文久元年11… 石井 信(いしい しん、1861年12月17日(文久元年11月16日)- 1923年(大正12年)4月9日)は、明治から大正期の政治家、神職。衆議院議員。旧姓・天神林。幼名・信吉。 出羽国雄勝郡湯沢町(秋田県雄勝郡湯沢町を経て現湯沢市)で、久保田藩士・天神林久平(儀敬)の二男として生まれ、同藩士、叔父・石井忠良の養子となる。養父の私塾・立志堂で学び、藩儒・西宮藤長に師事して漢学を修めた。1877年(明治10年)2月、養父の死去に伴い家督を相続した。 自由民権運動に加わり、武石敬治、添田飛雄太郎らと自ら学ぶ私塾・麗沢舎を設立して英語など新時代の知識を伝えた。1886年(明治19年)10月、秋田県会議員に選出され5期在任。
もっと読む
武石 敬治(たけいし けいじ、1858年7月23日〈安政5年… 武石 敬治(たけいし けいじ、1858年7月23日〈安政5年6月13日〉 - 1904年〈明治37年〉10月13日)は、衆議院議員(自由党→立憲革新党→進歩党→憲政本党→立憲政友会)。 出羽国雄勝郡山田村(現在の秋田県湯沢市)生まれ。里正を務め、1881年(明治14年)には秋田改進党を結成し、自由民権運動を推進した。1883年(明治16年)に秋田県会議員に雄勝郡の補欠として当選した。その後、1885年(明治18年)10月、1889年(明治22年)にも再選した。同年11月28日から1890年(明治23年)7月まで第10代同副議長を務めた。1889年(明治22年)に大同団結運動がおきると、たびたび東京・大阪を往来して実現に尽力した。
もっと読む
11代 橋本 平左衛門(はしもと へいざえもん、1856年5… 11代 橋本 平左衛門(はしもと へいざえもん、1856年5月27日(安政3年4月24日)- 1920年(大正9年)10月18日)は、明治から大正前期の酒造家、政治家。衆議院議員、秋田県河辺郡和田村長。旧姓・後藤。幼名・庄五郎。 出羽国雄勝郡湯沢町(秋田県雄勝郡湯沢町を経て現湯沢市)で、素封家・後藤伊八の三男として生まれた。和漢学を修めた。1876年(明治9年)1月、河辺郡和田村坂本(和田町、河辺町を経て現秋田市河辺和田)の酒造家・10代橋本平左衛門の婿養子となる。1879年(明治12年)2月、養父の死去に伴い家督を相続し11代平左衛門を襲名した。酒造業を営むが、明治末頃、火災で設備が全焼したため廃業した。
もっと読む
2代 辻 兵吉(にだい つじ ひょうきち、旧姓・山内、185… 2代 辻 兵吉(にだい つじ ひょうきち、旧姓・山内、1852年10月22日(嘉永5年9月10日) - 1926年(大正15年)4月26日)は、日本の実業家、秋田県多額納税者。秋田銀行、秋田貯蓄銀行各頭取。秋田農工銀行取締役。族籍は秋田県平民。 出羽国雄勝郡(現・秋田県湯沢市)出身。山内三郎兵衛の五男。本間金之助の弟。辻兵吉の養子となった。1880年、家督を相続し、先代の名を襲名した。商業を営んだ。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した。1925年6月1日現在の直接国税総額金は「14648円65銭」である。住所は秋田市大町。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
もっと読む
二代目本間 金之助(ほんま きんのすけ、旧姓・山内、1845… 二代目本間 金之助(ほんま きんのすけ、旧姓・山内、1845年3月17日(弘化2年2月10日) - 1929年(昭和4年)1月14日)は、日本の政治家(貴族院議員)、秋田県多額納税者、実業家。第四十八銀行、秋田貯蓄銀行各頭取。北秋木材監査役。族籍は秋田県平民。勲四等。 出羽国雄勝郡(現・秋田県湯沢市)出身。山内三郎兵衛の三男。辻兵吉の兄。幼名は、山内由松。幼い頃より商才があった。戊辰の前後出て久保田城下(秋田市)に来て、独力雑貨を商い、多売薄利を主義として奮闘したため忽ち世間の信用を博した。1872年(明治5年)、本間金之助の養子となり、後家督を相続し、二代目金之助を襲名。 1892年(明治25年)以降秋田県実業調査会、同山林会、秋田市教育会等の役員を務めた。
もっと読む
菅 礼治(すが れいじ、1841年(天保12年) - 191… 菅 礼治(すが れいじ、1841年(天保12年) - 1912年(明治45年)3月27日)は、秋田商法の先駆者といわれた日本の実業家。出羽国雄勝郡川井村(現在の秋田県湯沢市秋ノ宮)の生まれ。久保田藩の御用木材商であった秋田屋を創業した菅運吉(秋田屋仁左衛門)の子。後の昭和期に東京電力会長などを務めた菅礼之助は長男。第四十八国立銀行頭取(1879 - 1898)、秋田商法会議所会頭(1880)、秋田県会議員。1912年(明治45年)、東京上野桜木町の仮寓で死去(享年72歳)。 礼治の父運吉は久保田藩の御用木材商であり、江戸の深川に木場を持つなど手広く商いをおこなっていたが、江戸安政の大火の復旧、江戸城修復などで木材を納入して財をなし、後に徳川御三家(水戸、紀州、尾張)の御用達も務めた。
もっと読む
菅 運吉(すが うんきち、1817年(文化14年)3月 - … 菅 運吉(すが うんきち、1817年(文化14年)3月 - 1877年(明治10年)8月10日)は、幕末の秋田藩(佐竹藩)の御用商人。木材で財をなし、江戸深川にも木場を置き、御三家(尾州、紀州、水戸)の御用達をつとめ、秋田屋仁左衛門と称し、“幕末の紀文”と呼ばれた。 秋田神社(千秋公園内)、京都下鴨神社にも木材を寄進している。秋田出身の財界人として、息子の礼治(秋田第四十八銀行頭取)、孫の礼之助(東京電力会長、経団連評議会議長)と三代にわたる家系。 秋田藩内の雄勝郡雄勝町秋ノ宮岳ノ下(現在の秋田県湯沢市)に、藩から肝煎(きもいり)として山の管理を任されていた父、菅太右衛門(九代目)の子として生まれる。
もっと読む
戸部 正直(とべ まさなお、正保2年(1645年)- 宝永4… 戸部 正直(とべ まさなお、正保2年(1645年)- 宝永4年(1707年))は『奥羽永慶軍記』の撰者。 秋田県雄勝郡横堀村出身である。通称は権三郎または清右衛門。出家して一憨斎と号する。法名信翁中興元一憨居士。 若い頃から家を出て、故郷にいたのは25歳から31歳までと、死ぬ前の3・4年だけで、その間は全て諸国の遊歴にすごし、種々の奇談を知っていたと言われる。『奥羽永慶軍記』が成った元禄11年(1681年)は江戸にいたと思われる。『奥羽永慶軍記』を佐竹家の江戸屋敷に献上したと言われ、それは彼が54歳の時であった。『奥羽永慶軍記』は40巻、そのうちの6巻は異補であって世に伝わっていない。水戸光圀の知遇も得ていたという。
もっと読む
WAZGOGG(ワズゴッグ)は秋田県出身のDJ、トラックメイ… WAZGOGG(ワズゴッグ)は秋田県出身のDJ、トラックメイカーである。本名は、藤原渉 (ふじわらわたる) 。 1994年8月20日、秋田県湯沢市出身。中学生時代にRIP SLYMEの楽曲中のスクラッチ音がカッコいいと思いDJに興味を持つ。湯沢市内の高校卒業後、大学(日本大学工学部建築学科)に進学するタイミングで本格的な機材を揃え、DJとしてのスキルを高めていく。その後、IT企業や音楽制作会社に勤務。 2017年に日本一のDJを決める大会DMC DJ CHAMPIONSHIPの東北予選で初優勝、全国大会へ出場した。続く2018年の東北予選も優勝し2大会連続で全国大会へ進出している。 2023年2月にリリースされたSKRYU、Fuma no KTRとの共同制作楽曲『How Many Boogie』は現在YouTubeで2000万回以上の再生回数を記録[信頼性要検証]し、Spotifyでは27万回以上再生されている。
もっと読む