青山 南(あおやま みなみ、男性、1949年2月2日 - )… 青山 南(あおやま みなみ、男性、1949年2月2日 - )は、日本の翻訳家、エッセイスト、アメリカ文学研究者、文芸評論家、絵本作家。早稲田大学名誉教授。日本文藝家協会理事。本名、杉山茂(すぎやましげる)。 福島県福島市出身。1967年早稲田大学高等学院卒業。1971年早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。1972年、早稲田大学大学院在学中『早稲田文学』編集部に入る。 1973年、ジョン・ドス・パソスの『さらばスペイン』を刊行し翻訳家デビュー。 1975年早稲田大学大学院文学研究科アメリカ演劇専攻修士課程修了。早稲田大学文化構想学部教授、2019年定年退任、名誉教授となる。 1979年から常盤新平、川本三郎とともに編集委員として『ハッピーエンド通信』を刊行。
海道 ノブチカ(かいどう ノブチカ、1948年8月22日 -… 海道 ノブチカ(かいどう ノブチカ、1948年8月22日 - )は、日本の経営学者。関西学院大学商学部名誉教授。元日本経営学会理事長。福島市出身。ドイツ経営学が専門であり、ドイツのコーポレートガバナンスなどを中心に研究をしている。父親は同じく経営学者の海道進。 兵庫県立神戸高等学校卒、1971年関西学院大学商学部卒業。1973年神戸大学大学院経営学研究科修士課程修了。1974年小樽商科大学講師。1978年桃山学院大学経営学部助教授。1987年教授。1989年関西学院大学商学部教授。経営学部長を務め、2017年退任、名誉教授。1991年関西学院大学にて商学博士の学位を取得。この間、2013年から2016年まで日本経営学会理事長。
尾形 好雄(おがた よしお、1948年7月2日 - )は、日… 尾形 好雄(おがた よしお、1948年7月2日 - )は、日本の登山家。福島県福島市出身。元スポニチ登山学校校長、現日本山岳協会理事長。ヒマラヤ山脈の未踏峰を登頂し、一度も事故を起こさなかった日本を代表する登山家である。 福島県福島市出身、同県二本松市在住。 父親を早くに亡くしたため、小学校時代から家計のために自転車での牛乳配達をはじめていた。中学生時代から登山に興味を示し、兄たちとともに地元安達太良山を踏破する。福島県立福島工業高等学校入学後、山岳部に入部、登山の基礎知識を学ぶ。生徒会長と折衝して部の予算を倍額にした。 1967年に社会人で構成される「雪と岩の会」に参加、登山家として活動を始める。
大野 裕明(おおの ひろあき、1948年6月19日 - )は… 大野 裕明(おおの ひろあき、1948年6月19日 - )は、日本の天文家。福島県田村市滝根町にある「星の村天文台」の台長。 福島市生まれ。高校生の時に、天体写真家・藤井旭に師事。高校卒業後は家業を営みつつ、藤井らと白河天体観測所を設立し、普及活動を行う。また、国立科学博物館の村山定男にも師事した。 1992年から2005年2月まで14年間、滝根町の「星の村天文台」台長を務め、2009年4月より天文台台長に再任。 (株)大野企画 会長、福島天文同好会 会長、日本宇宙少年団福島分団 団長、福島県環境アドバイザー、光学機器メーカー (株)ビクセンアドバイザー、白河天体観測所メンバー 広報担当などを務める。
小山田 満月(おやまだ まんげつ、1948年〈昭和23年〉3… 小山田 満月(おやまだ まんげつ、1948年〈昭和23年〉3月24日 - 2018年〈平成30年〉3月21日)は、日本の元放送作家。元脚本家。日本脚本家連盟所属。元NSC東京校講師。本名は小山田 富夫(おやまだ とみお)。血液型はAB型。妻子あり。長男は俳優で音楽家の小山田織音。次男はWEBライターの小山田滝音。NHKの放送作家時代、親交が深かった人物として作家の滝大作がいる。福島県福島市出身。
加藤 英幸(かとう ひでゆき、1947年6月30日 - )は… 加藤 英幸(かとう ひでゆき、1947年6月30日 - )は、日本のヤクザ。指定暴力団・住吉会代表代理。十三代目幸平一家総長。福島県福島市生まれ。 福島県立福島高等学校時代は水泳部のキャプテン、国士舘大学時代は武道会派に所属した。大学下級生時代から渋谷の住吉会幸平一家池田会の事務所に出入りし池田会若頭補佐に就任し組織の広域化に尽力。1970年代に池田会と極東会による池袋抗争(十年戦争)勃発。1983年、抗争の拡大が懸念される中、住吉連合会会長・堀政夫と極東関口三浦連合総長・松山眞一の話し合いで和解、抗争終結。関東博徒の親睦団体である関東二十日会は、「一般民間人又は警察官並びにその抗争とはなんら関係のない人等に向かって危害を加えた場合は破門又は絶縁処分とする」との規定から池田会会長・池田烈を赤字破門処分、池田会は解散となる。
瀬戸 孝則(せと たかのり、1947年(昭和22年)6月3日… 瀬戸 孝則(せと たかのり、1947年(昭和22年)6月3日 - )は、日本の政治家。元福島県福島市長(3期)、元福島県議会議員(4期)。 福島県福島市出身。福島県立福島高等学校を経て、1970年(昭和45年)3月、早稲田大学法学部卒業。1987年(昭和62年)4月に福島県議会議員に初当選。以後、2001年10月11日に辞職するまで4期務める。この間、1997年(平成9年)には自民党県連の総務会長に就任している。 2001年(平成13年)11月18日執行の福島市長選挙に無所属 ( 自由党 (日本 1998-2003)、日本共産党、社会民主党推薦 ) で出馬し、佐久間博(無所属で自由民主党と民主党が推薦)を敗り初当選。
高橋 啓三(たかはし けいぞう、1946年(昭和21年)11… 高橋 啓三(たかはし けいぞう、1946年(昭和21年)11月20日 - )は日本の声楽家(バス、バリトン)。音楽教育者。 福島県福島市生まれ。1972年(昭和47年)東京藝術大学音楽学部卒業。ヴァイオリンを立花和夫、声楽を大熊文子、磯谷威、渡邊高之助、中山悌一、疋田生次郎、コンラート・リヒターの諸氏に師事。 在学中に外山雄三指揮・藤原歌劇団公演プッチーニ『トスカ』アンジェロッティでデビュー。その後二期会を中心に藤原歌劇団、イタリア歌劇団(NHK)等の公演に出演。主な役にモーツァルト『魔笛』ザラストロ、ヴェルディ『リゴレット』スパラフチレ、ドニゼッティ『愛の妙薬』ドゥルカマーラ、ワーグナー『タンホイザー』ヘルマン、團伊玖磨『夕鶴』惣ど等がある。
縄野 克彦(なわの かつひこ、1946年11月16日 - … 縄野 克彦(なわの かつひこ、1946年11月16日 - )は、日本の運輸官僚。海上保安庁長官などを務めた。 福島県福島市出身。1969年に東京大学法学部を卒業し、同年に運輸省に入省した。1999年7月に自動車交通局長を経て、2001年1月に海上保安庁長官に就任。海上保安庁長官在任中の2001年12月に九州南西海域工作船事件が発生し、対応に当たった。 2006年4月に日本航空上席執行役員に就任し、同年6月に常務を経て、2007年4月には副社長に就任した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
藤安 将平(ふじやす まさひら、1946年〈昭和21年〉11… 藤安 将平(ふじやす まさひら、1946年〈昭和21年〉11月10日 - )は、福島県福島市の刀匠。本名は藤安正博。 1946年(昭和21年)11月10日福島県伊達郡川俣町に生まれる。5歳の頃に福島市に引っ越し、高校まで過ごした。 父・藤安勇四郎は福島市で始めてのかけはぎの店を作った人物であり、店は福島市天神町にあった。 店名は「かけはぎフジヤス」。藤安も幼いころから父の手伝いをしていた。 福島市立福島第四小学校、福島市立福島第四中学校、福島県立福島工業高校精密機械科を卒業する。高校3年生の時、人間国宝であった宮入昭平著『刀匠一代』に出会い入門を決意。 1966年(昭和41年)2月17日に人間国宝の宮入昭平に師事。
田中 俊一(たなか しゅんいち、1945年1月9日 - )は… 田中 俊一(たなか しゅんいち、1945年1月9日 - )は、日本の元公務員、工学者(原子力工学、放射線物理学・放射線遮蔽工学)。学位は工学博士(東北大学・1978年)。 日本原子力研究所副理事長、独立行政法人日本原子力研究開発機構特別顧問、社団法人日本原子力学会会長(第28代)、内閣府原子力委員会委員長代理、財団法人高度情報科学技術研究機構会長、内閣官房参与、原子力規制委員会委員長(初代)などを歴任した。 1945年、福島県福島市生まれ。国鉄職員だった父の転勤により福島県伊達郡伊達町(のちの福島県伊達市)で小学校に通ったのち、中学生から会津地方(福島県西部)で過ごし、福島県立会津高等学校を卒業する。
石幡 信弘(いしはた のぶひろ、1944年7月29日 - )… 石幡 信弘(いしはた のぶひろ、1944年7月29日 - )は、福島県福島市出身の元プロ野球選手(投手)。 福島商業高を中退し、社会人野球の清峰伸銅へ入団。1964年から補強選手も含めて3回連続都市対抗野球大会に出場した。チーム解散に伴い、1966年に富士重工業へ移籍。4回目の出場となる1969年の都市対抗野球大会では、準決勝で大昭和製紙の三輪田勝利と投げ合い1対0で撃破。電電関東との決勝戦も6回まで1対0とリードするが、豪雨で再試合となる。再試合でも9回裏まで1対0と優勝寸前であったが、四球を発端にまさかの逆転負けを喫した。この大会で石幡は全試合に先発し、左腕からの大きなカーブを武器に好投、久慈賞を獲得して注目される。
国分 秀男(こくぶん ひでお、1944年3月28日 - )は… 国分 秀男(こくぶん ひでお、1944年3月28日 - )は、日本の元高校バレーボール指導者、東北福祉大学特任教授。古川商業高等学校(現・古川学園高等学校)で、長年にわたり女子バレーボール部の監督を務めた。 福島県福島市出身。福島県立福島高等学校、慶應義塾大学商学部卒業。1973年、横浜市の京浜女子商業高等学校(現・白鵬女子高等学校)に商業科教員として着任。その後宮城県大崎市(旧古川市)にある古川商業高等学校へ移る。 春高バレー(全国高等学校選抜優勝大会)や、インターハイ・国体などの全国大会の優勝回数で史上最多記録を持つ監督である。古川商業(現・古川学園)は全国大会の優勝回数と準優勝回数の合計が史上最多。
岡崎 トミ子(おかざき とみこ、1944年〈昭和19年〉2月… 岡崎 トミ子(おかざき とみこ、1944年〈昭和19年〉2月16日 - 2017年〈平成29年〉3月19日)は、日本の政治家、アナウンサー。 衆議院議員(2期)、参議院議員(3期)、文部政務次官(村山内閣)、参議院総務委員長、参議院災害対策特別委員長、国家公安委員会委員長(第82代)、内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全、少子化対策、男女共同参画)、民主党副代表を歴任。 福島県福島市出身。最終学歴は、福島県立福島女子高等学校(現:福島県立橘高等学校)卒業。 福島女子高では体操部に所属し、国民体育大会に出場した。福島女子高を1962年(昭和37年)に卒業すると同時にラジオ福島に入社し、アナウンサーを務めた。
佐藤 博(さとう ひろし、1943年11月5日 - )は、日… 佐藤 博(さとう ひろし、1943年11月5日 - )は、日本のフォークシンガー、俳優、放送作家。福島県福島市生まれ。福島高校卒。 愛称はガン(GUN、GWAN、ぐぁん)。愛称の由来は、鳩が豆鉄砲をくらったような目をしているので、鉄砲=ガンと林隆三によって名付けられた。同音の病気にならないように願をかけているとも言われる。 初期のころには俳優としても、フォークシンガーとしても佐藤博での表記であったが、同姓同名のミュージシャンがいたため、2000年よりアメリカ進出とアジアっぽい響きを取り入れ、GWANをミドルネームとして、『佐藤GWAN博』を正式名称としている。 仕事の内容によって名前を使い分けており、別に放送作家としての活動に雁田昇(かりたのぼる)の名前を使う。
神田 武幸(かんだ たけゆき、1943年8月11日 - 19… 神田 武幸(かんだ たけゆき、1943年8月11日 - 1996年7月27日)は、福島県福島市出身の日本のアニメーター、アニメーション監督。別名義は横山裕一郎。 1965年に虫プロダクションに入社し、『W3』などのテレビアニメの制作進行を経て、サンライズ作品の多くに各話演出として参加。1983年~1984年には代表作である『銀河漂流バイファム』の監督を務めた。その他では『ザ☆ウルトラマン』、『太陽の牙ダグラム』(高橋良輔と共同)、『超力ロボ ガラット』、『機甲戦記ドラグナー』、『機甲猟兵メロウリンク』、『紺碧の艦隊』(1994年-1996年)などといったテレビアニメ・OVAで監督を担当。 その後OVA『機動戦士ガンダム 第08MS小隊』の総監督を務めている最中、1996年に52歳で急逝した。
加藤 茶(かとう ちゃ、1943年3月1日 - )は、日本の… 加藤 茶(かとう ちゃ、1943年3月1日 - )は、日本のコメディアン、歌手、俳優、ドラマー。ザ・ドリフターズ、こぶ茶バンドのメンバーである。本名は加藤 英文(かとう ひでゆき)。身長163cm、体重60kg。血液型はA型(長年AB型としていたが間違いが判明)。愛称は「加ト茶」「加トちゃん」「カトちゃん」「ヒデ坊」「チャー坊」など。父はギタリストの平八郎(たいら はちろう)。
阿部 泰隆(あべ やすたか、1942年3月30日 - )は、… 阿部 泰隆(あべ やすたか、1942年3月30日 - )は、日本の法学者、弁護士(兵庫県弁護士会所属)。専門は行政法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1972年)。神戸大学名誉教授。元中央大学教授。 福島県福島市生まれ。福島県立福島高等学校卒業。1964年3月、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。東京大学法学部助手(学士助手)となる。 1967年、神戸大学法学部助教授に就任。1972年、学位論文「フランス行政訴訟論 越権訴訟の形成と行政行為の統制」で東京大学より法学博士の学位を取得。 1977年、神戸大学法学部教授に就任。1993年、ドイツ・トリア大学客員教授に就任。2000年、神戸大学大学院法学研究科教授に就任。
秋葉 英則(あきば ひでのり、1941年1月22日 - 20… 秋葉 英則(あきば ひでのり、1941年1月22日 - 2014年11月9日)は、日本の心理学者。教育心理学、人格形成心理学が専門。大阪健康福祉短期大学元学長・大阪教育大学名誉教授。 福島県福島市生まれ。福島県立福島高等学校を経て東北大学教育学部教育心理学科卒業、同大学大学院教育学研究科教育心理学専攻博士課程修了。教育学博士。 1968年に大阪教育大学に着任。同大学では、教育学部教授(学校教育講座心理学教室)、副学長、付属図書館長などを歴任。2006年3月に大阪教育大学を定年退官。同年4月から、大阪健康福祉短期大学学長を務めた。 2014年11月9日、肺炎のため死去。 研究活動の一方で、教育委員会や民間教育団体などが主催する、教育・子育て・保育関連の問題をテーマにしたセミナー・講演会等の講師活動も精力的に行った。
渡辺 勝治(わたなべ かつじ、1940年(昭和15年)3月1… 渡辺 勝治(わたなべ かつじ、1940年(昭和15年)3月11日 - 2021年(令和3年)2月7日)は、日本のボクサー。 福島県福島市出身。中央大学在学中に、1960年ローマオリンピックに男子ライトウェルター級で出場し、2回戦敗退した 。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
長田 弘(おさだ ひろし、1939年11月10日 - 201… 長田 弘(おさだ ひろし、1939年11月10日 - 2015年5月3日)は、日本の詩人、児童文学作家、文芸評論家、翻訳家、随筆家、編集者。 大学在学中から詩を書き始め、第1詩集『われら新鮮な旅人』(1965年)で注目された。その後、『深呼吸の必要』(1984年)、『世界は一冊の本』(1994年)などで読者層を広げた。 1939年、福島県福島市生まれ。福島県立福島高等学校卒業。 1958年3月に福島より上京。1959年4月、早稲田大学第一文学部独文専修に入学。 早稲田大在学中の1960年秋、関根久男と詩誌「鳥」を創刊。雑誌「現代詩」「詩と批評」「第七次早稲田文学」の編集に加わる。1963年3月、早稲田大学卒業。
須田 くにお(すだ くにお、1939年7月24日 - )は、… 須田 くにお(すだ くにお、1939年7月24日 - )は、福島県福島市渡利地区在住の合唱指揮者、作曲家。代表作に混声合唱組曲「安積野」や「日本楽器の為の四重奏」、福島大学学生歌「今日の世紀に」等がある。 福島県立福島商業高等学校卒業。古関裕而の後輩に当たる。東京で下総皖一に作曲を師事。 福島アカデミー音楽学院を経営するかたわら、飯野中学校の客演講師や福島市の第九のためのコール・フロイデなどで、福島県の合唱の発展に尽くす。山形交響楽団もブラームスやモーツァルト等のレパートリーの指揮者陣に属する。
二瓶 綾子(にへい あやこ、1937年2月1日 - )は、福… 二瓶 綾子(にへい あやこ、1937年2月1日 - )は、福島県福島市出身の日本の女子プロゴルファー。 日本女子プロゴルフ協会 (JLPGA) 元会長。 庭塚中学校卒業。20歳の頃、福島県のゴルフ場でキャディになったことからゴルフを始める。 1967年、第1回プロテストでは樋口久子に次ぐ2位で合格。女子部創立記念競技に参加し、2位タイ。 1968年、日本女子プロゴルフ選手権大会2位など、賞金ランク3位 (自己最高位) 。1969年は同6位、1970年は同7位、1971年は同9位、1972年は同4位と一桁順位が続くも優勝なし。 1973年は日本女子プロゴルフ選手権大会3位タイ、JSG女子オープン2位と惜敗が続くも、諏訪湖女子オープンで初優勝。
千葉 茂樹(ちば しげき、1933年2月12日 - )は、日… 千葉 茂樹(ちば しげき、1933年2月12日 - )は、日本の映画監督、脚本家、教育者。市民グループ「地球家族の会」代表、日本映画学校校長、日本映画大学特任教授。キリスト教徒。川崎市のみやまえ映像コンクール審査委員長。 1933年2月12日、福島県福島市に9人兄妹の次男として生まれる[1]。福島県立福島高等学校卒業。高校時代は元総務官僚で川崎市長を務めた阿部孝夫と同窓。福島大学経済学部に入学し、役場で働きながらの学生生活を送る。仕事の合間に訪れた映画館で黒澤明監督の「生きる」を観た影響で映画監督を目指すことを決意。福島大学から日本大学へ編入をし、1956年に日本大学芸術学部映画学科を卒業。 大学卒業時に応募をした「新人シナリオコンクール」で入賞(千葉は最年少入賞、受賞者6人の中には既に助監督として働いていた深作欣二もいた。
野崎 正剛(のざき せいごう、1931年5月3日 - 198… 野崎 正剛(のざき せいごう、1931年5月3日 - 1989年9月3日)は、大蔵官僚。世界銀行東京事務所長、大蔵省大臣官房審議官、大蔵省国際金融局次長、大蔵省印刷局長などを歴任。 福島県福島市出身。福島県立福島高等学校を経て、1956年一橋大学商学部卒業、大蔵省入省。大臣官房調査課(現在の総合政策課)配属。省内屈指の語学力を持ち国際畑を歩み、1973年大蔵省大臣官房財務官室長。1974年横浜税関総務部長、通関士試験試験委員。1975年大蔵省関税局国際第二課長。 1976年国際連合貿易開発会議日本政府代表代理。同年近畿財務局総務部長。1977年から大蔵省関税局国際第一課長を務め、東京ラウンドの取りまとめにあたった。
目黒吉明(めぐろ よしあき、1931年2月21日 - 201… 目黒吉明(めぐろ よしあき、1931年2月21日 - 2012年6月28日)は、日本の考古学者。福島県の考古学に尽力した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
金沢 規雄(かなざわ のりお、1927年9月15日 - )は… 金沢 規雄(かなざわ のりお、1927年9月15日 - )は、日本の国文学者、宮城教育大学名誉教授。 福島市生まれ。本籍・仙台市。海軍兵学校在学。1950年東北大学文学部国文科卒業。同大学院博士課程中退、宮城県第二女子高等学校教諭、宮城県仙台第一高等学校教諭、東北大学講師、宮城教育大学助教授、教授、図書館長をへて92年定年退官、名誉教授、山形女子短期大学教授。近世俳諧、特に『奥の細道』が専門。
吉田 修一(よしだ しゅういち、1927年(昭和2年)3月4… 吉田 修一(よしだ しゅういち、1927年(昭和2年)3月4日 - 2013年(平成25年)7月2日)は、日本の政治家。福島市長(4期) 。位階は正五位。 福島県福島市出身。早稲田大学商学部卒業後、福島市商工会議所に入り、書記を務める。その後、1956年(昭和31年)福島市役所に入る。市役所内では商工課勤務を経て、企画商工部、財政部、総務部の各部長を歴任し、1976年(昭和51年)に退職。1985年(昭和60年)の福島市長選挙に立候補して当選、4期務めた。2001年に引退。2013年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
岡野 裕(おかの ゆたか、1927年〈昭和2年〉2月3日 -… 岡野 裕(おかの ゆたか、1927年〈昭和2年〉2月3日 - 2004年〈平成16年〉8月23日)は、日本の官僚、政治家。自由民主党所属の参議院議員(3期)、労働大臣(第63代)。 福島県福島市出身。静岡県立沼津中学校 (旧制)、山形高等学校 (旧制)を経て1953年京都大学法学部卒業後、郵政省入省。九州郵政局長、人事局長などを歴任。退官後の1983年参院選に比例区から自民党公認で出馬し初当選。連続当選3回。1996年11月から翌年の9月まで第2次橋本内閣の労働大臣を務めた。2000年春の叙勲で勲一等瑞宝章受章。2001年政界引退。 2004年8月23日午後11時40分、心不全のため東京都内の病院で死去。
岩崎 俊一(いわさき しゅんいち、1926年〈大正15年〉8… 岩崎 俊一(いわさき しゅんいち、1926年〈大正15年〉8月3日 - 2025年〈令和7年〉7月25日)は、日本の工学者。工学博士(東北大学・1959年)(学位論文「磁気録音に関する研究」)。東北大学名誉教授。東北工業大学名誉理事長。元電子情報通信学会副会長。文化勲章受章者。福島県福島市生まれ、同県郡山市出身。 専門は電気工学・磁気記録。記録密度を飛躍的に上げる手法として垂直磁気記録方式を提唱した。 1977年頃に、磁気記録の記録密度を飛躍的に上げる手法として垂直磁気記録方式を提唱した。同方式は基礎研究は進められたものの、いくつかの困難があり、物性的にそれに適した磁気テープなどは割と早くに実現したが、広く市販される商品となったものは光磁気ディスク等といった別方式との併用を除けば、主力機器では東芝による2005年のハードディスク商品化が初であった。
小池 健男(こいけ たけお、1925年(大正14年)4月1日… 小池 健男(こいけ たけお、1925年(大正14年)4月1日 - )は、日本のフランス文学者。 福島県福島市生まれ。1956年東京教育大学卒、58年同大学院修士課程修了、1966年同助教授、1977年筑波大学助教授、大妻女子大学短期大学部教授。
菅野 弘夫(かんの ひろお、1923年7月16日 - 200… 菅野 弘夫(かんの ひろお、1923年7月16日 - 2009年11月23日)は、日本の元官僚。 1923年7月16日、福島県福島市出身。東京大学法学部政治学科卒業後に臨時人事委員会事務局(現在の人事院)に入職。総理府内閣総理大臣官房参事官、佐賀県厚生部長、環境庁長官官房秘書課長、総理府恩給局次長、恩給局長、人事局長などを務める。 1979年11月、第二次大平正芳内閣で総理府総務副長官(事務担当)に就き、鈴木善幸内閣に政権交代した後の1981年1月まで務めた。 総理府総務副長官退任後は国立公文書館館長を務め、1989年の平成改元に伴い、徳仁親王が皇太子となった時に宮内庁に入り、同年5月1日付で東宮大夫に就任。
工藤 精一郎(くどう せいいちろう、1922年4月25日 -… 工藤 精一郎(くどう せいいちろう、1922年4月25日 - 2008年7月9日)は、日本のロシア文学者、翻訳家。本名は、工藤 精一(くどう せいいち)。日本ロシア文学会会員。 福島県生まれ。福島中学(現福島県立福島高等学校)卒業。ハルピン学院卒業。日ソ文化交流機関講師、関西大学教授等を務めた。 数多くのロシア文学・ロシア語文献を翻訳した。
高橋 英辰(たかはし ひでとき、1916年4月11日 - 2… 高橋 英辰(たかはし ひでとき、1916年4月11日 - 2000年2月5日)は、福島県福島市出身のサッカー選手、サッカー指導者。サッカー日本代表監督を務め、2009年に日本サッカー殿堂入りした。 刈谷町立亀城小学校(現・刈谷市立亀城小学校)4年の時にサッカーをはじめ、愛知県刈谷中学校(現:愛知県立刈谷高等学校)から早稲田高等学院を経て、早稲田大学に入学。在学中はア式蹴球部に所属した。 1936年(昭和11年)のベルリンオリンピックの日本代表は、当時日本最強だった早稲田のメンバーを中心に構成されたが、在学中の1940年に開催予定の東京オリンピックは幻となった。大学卒業後の1941年(昭和16年)に日立製作所サッカー部に入り、同年の明治神宮競技大会において実業団の部で準優勝を飾った。
吉岡 棟一(よしおか とういち、1914年12月3日 - 1… 吉岡 棟一(よしおか とういち、1914年12月3日 - 1997年3月31日)は、日本の僧侶、作家。曹洞宗円通寺住職。同宗議会議長、駒澤大学理事長を歴任。 福島県福島市生まれ。福島師範学校、駒澤大学卒業。1956年「しのぶ保育所」園長、1967年「宗教法人福島ルンビニー幼稚園」初代園長。小説「椿の系譜」(1979年)で福島県文学賞受賞。曹洞宗円通寺住職。同宗議会議長、駒澤大学理事長などを歴任。日本ベトナム文化協会長としてテト休戦を提唱、両国間の友好に尽力。1995年5月12日外務大臣表彰。歌と評論同人。 著書に「小説 黄色い椿」「人間としていかに生きるべきか: 曹洞宗教典「修証義」を読む」「般若心経で意識革命を」「ベトナム仏教体験シリーズ」など。
斉藤 達雄(さいとう たつお、1914年11月30日 - 2… 斉藤 達雄(さいとう たつお、1914年11月30日 - 2012年11月4日)は、日本の内科学者。専門は、糖尿病、癌化学療法。医学博士。 福島県福島市生まれ。 福島中学(現福島県立福島高等学校)を経て第二高等学校 (旧制)から、東北帝國大学医学部卒業。1938年、同医学部内科教室(教授・山川章太郎)に入局。1947年、青森医学専門学校教授。1952年、東北大学医学部内科助教授(教授・黒川利雄)。1959年から1年間、アメリカ国立がん研究所 (NCI) に留学。1963年、東北大学抗酸菌病研究所教授(癌化学療法部門、1969年臨床癌化学療法部門と改称)、1974年、同研究所所長・東北大学評議員。
高橋 政知(たかはし まさとも、1913年〈大正2年〉9月4… 高橋 政知(たかはし まさとも、1913年〈大正2年〉9月4日 - 2000年〈平成12年〉1月31日)は、日本の実業家。オリエンタルランドの元社長であり、東京ディズニーランドの誘致に関わった。太田政弘の二男。 福島県福島市出身。1961年にオリエンタルランドに専務として入社し、1978年8月に第2代社長に就任した。千葉県浦安沖の漁業権放棄に向けた補償交渉を地元漁業協同組合などと進めた後、東京ディズニーランドの建設に向けてディズニー社との交渉を担当した。 その後、世界初の「海」をテーマにしたディズニーパークである東京ディズニーシーーを含む「東京ディズニーリゾート」の実現に大きく貢献した。 東京ディズニーシーの完成を目前にした2000年1月31日午後0時38分、心不全のため東京都港区の病院で死去。
三田 国夫(みた くにお、1913年1月25日 - 没年不詳… 三田 国夫(みた くにお、1913年1月25日 - 没年不詳)は、日本の俳優である。三田 國夫と表記されることもある。 1913年(大正2年)1月25日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。出生後まもなく福島県福島市に移住し、幼少期を過ごした。 1932年(昭和7年)、旧制目白中学校(現在の中央大学附属中学校・高等学校)を卒業後、満19歳の時に新劇俳優丸山定夫の門をたたき、新築地劇団に加入する。同年頃に上演された貴司山治の戯作『洋学年代記』などに出演。その後、1935年(昭和10年)に東宝の前身であるJ.O.スタヂオの研究生募集に合格し、三田は6ヶ月の課程を経て、東宝映画の専属俳優となる。以後、1940年(昭和15年)2月28日に公開された矢倉茂雄監督映画『遥かなる弟』や、1943年(昭和18年)3月25日に公開された黒澤明監督映画『姿三四郎』などに出演し、同所の脇役・端役俳優として活動した。
古関 裕而(こせき ゆうじ、 1909年(明治42年)8月1… 古関 裕而(こせき ゆうじ、 1909年(明治42年)8月11日 - 1989年(平成元年)8月18日)は、日本の作曲家。本名は古關 勇治。1969年(昭和44年)、紫綬褒章受章、1979年(昭和54年)、勲三等瑞宝章を受章。
小関 庄太郎(こせき しょうたろう、1907年(明治40年)… 小関 庄太郎(こせき しょうたろう、1907年(明治40年)1月25日 - 2003年(平成15年)3月20日)は、戦前日本を代表するピクトリアリスム・芸術写真の写真家。 福島県福島市生まれ。1924年より写真を撮り始め、亡くなった2003年まで80年近い写歴をもつ、「最後の芸術写真家」の一人。 福島商業学校卒業後、家業(小関屋、古着等を扱う)を手伝いながら、写真同好会・二葉会(1921年 - 1944年頃)に入会し、佐藤信(さとう まこと、1897年 - 1987年)、本田仙花(ほんだ せんか、1897年 - 1951年)の薫陶を受ける。 二葉会のメンバーには他に、菊田蝶秋、伊藤晨水、伊東松葉、伊藤弥十郎、川村重和、吹澤龍一、本間第一郎、三瓶秀三、金澤治男、三浦通庸、木村長雄、氏家健吉、村山俊吾、島崎得三郎、山崎金三郎などがいた。
門田 ゆたか(かどた ゆたか、1907年(明治40年)1月6… 門田 ゆたか(かどた ゆたか、1907年(明治40年)1月6日-1975年(昭和50年)6月25日)は昭和期の作詞家。本名門田 穣。 福島県信夫郡福島町(現・福島市)出身。早稲田大学文学部仏蘭西文学科中退。 西條八十に師事、後に作詞家となり、1933年(昭和8年)、ビクターレコードより「東京祭」でデビュー。1936年(昭和11年)、藤山一郎の「東京ラプソディ」が大ヒット。その他の代表作には、灰田勝彦・大谷冽子「ジャバのマンゴ売り」、岡晴夫「東京の花売娘」(佐々詩生名義)、藤山一郎「ニコライの鐘」、美空ひばり「私のボーイフレンド」、「ひばりが唄えば」、コロムビア・ローズ「プリンセス・ワルツ」、「ロマンスガイド」などを作詞。
八百板 正(やおいた ただし、1905年4月12日 - 20… 八百板 正(やおいた ただし、1905年4月12日 - 2004年4月23日)は、日本の農民運動家、政治家。衆議院議員(11期)、参議院議員(2期)。日本社会党副委員長を歴任。 福島県伊達郡飯野村(飯野町を経て現福島市)に生まれる。福島中学校(現福島県立福島高等学校)を経て、早稲田大学専門部法科卒業。旧制中学の恩師だった阪本勝(後の衆議院議員、兵庫県知事)を頼り、安部磯雄らの日本フェビアン協会に参加。河上丈太郎、賀川豊彦、櫛田民蔵の知遇を得る。日本労農党、社会大衆党などに参加して無産政党運動をする。1929年に郷里に帰って東北新人会を結成、伊達郡を中心に小作争議を指導し度々投獄される。1933年に全国農民組合(全農)中央委員に選出。
高田 なほ子(たかだ なほこ、1905年(明治38年)1月1… 高田 なほ子(たかだ なほこ、1905年(明治38年)1月18日 - 1991年(平成3年)5月19日)は、日本の教育者、政治家、平和運動家。参議院議員(2期)。旧姓は渡辺。 福島県信夫郡福島町(現福島市)で、裁判官・渡辺晶、トヨ夫妻の三女として生まれる。福島県立福島高等女学校を経て、1922年、福島県女子師範学校を卒業。福島県伊達郡掛田尋常高等小学校訓導に就任。1924年に依願退職して勉学のため上京し、東京府(東京都)下の小学校で勤務した。 1945年11月、日本社会党創立に際し党員となる。同年12月、東京都教育労働組合の結成に参加。1947年4月、東京都品川区議会議員に当選し1950年まで在任。
野村 俊夫(のむら としお、1904年11月21日 - 19… 野村 俊夫(のむら としお、1904年11月21日 - 1966年10月27日)は、日本の作詞家、詩人。福島県福島市出身。本名は鈴木 喜八。 福島県福島市大町の魚屋に生まれる。幼少期、近所には作曲家の古関裕而が住んでおり、5歳年上の野村は兄貴分であり遊び仲間だった。 1924年、20歳の時に福島民友新聞社に入社し、編集部・報道部・文芸欄を担当する。1931年をもって福島民友新聞社を退社。すでにコロムビア専属の作曲家として東京で活動していた古関裕而のすすめで上京する。同年、古関裕而と組んだ初のレコード「福島行進曲」が発売され互いにデビュー作となった。この頃からフリーの作詞家として本格的に活動を開始する。
長澤 浩(ながさわ こう、1900年(明治33年)12月29… 長澤 浩(ながさわ こう、1900年(明治33年)12月29日 - 1967年(昭和42年)4月17日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。第2代海上幕僚長。海兵49期、海大甲種30期。 福島県福島市出身。福島県立福島中学校(現・福島県立福島高等学校)を経て、海軍兵学校に進む。海軍時代は主に人事畑を歩む。 戦後、公職追放を経て、山本善雄元少将、保科善四郎元中将、野村吉三郎元大将のラインで海軍再建計画を進める。これが後にY委員会に発展、同委員会において渉外及び制度、機構、定員等の立案する部門を担当する。海上幕僚長に就任後は掃海隊、練習隊群、需給統制隊、海上訓練指導隊、術科学校、遠洋航海など今日の海上自衛隊の骨格となる部門を次々に発足させ、海上自衛隊の実質的な開祖とされる。
佐藤 善一郎(さとう ぜんいちろう、1898年10月10日 … 佐藤 善一郎(さとう ぜんいちろう、1898年10月10日 - 1964年3月23日)は、日本の政治家。衆議院議員、福島県知事などを務めた。 1898年(明治21年)、福島市出身。信夫農学校(現・福島県立福島明成高等学校)卒業。1937年(昭和12年)に旧・清水町の町長に就任。福島県議を経て、第二次世界大戦後は公職追放される。1952年(昭和27年)、福島県経済連の初代会長に就任し、財政を立て直した。また、同年から衆議院議員に2期連続で当選。1957年(昭和32年)、自由民主党を離党し、農協・日本社会党の地盤を獲得して福島県知事選挙に立候補し当選。福島県知事在任中に、福島第一原子力発電所の大熊町への建設を決定した。
神田 久太郎(かんだ きゅうたろう、1897年12月20日 … 神田 久太郎(かんだ きゅうたろう、1897年12月20日 - 1977年6月15日)は、日本の柔道家。講道館9段。 柔術を修行して肩車や双手刈といった技に長じ戦前の全日本選士権大会や明治神宮競技大会柔道競技で優勝、戦後も50歳で全日本選手権大会に出場するなど永く選手として活動した、昭和初期を代表する柔道家の1人である。警視庁柔道師範や福島県警柔道師範を務めたほか、1964年の東京五輪柔道競技での強化委員や福島県柔道連盟会長等も歴任した。 福島県出身で本籍地は福島市荒町。幼少時より宏道館道場の渡辺峰松の元で約3年、さらに大日本武徳会福島支部にて学んだ。 上京して日本大学中学校(現:日本大学第一中学校・高等学校)に進学するも中退し、時を前後し千葉の武徳殿で戸塚派揚心流山本欽作範士の門下となって1915年には武徳会の初段を取得。
田中 冬二(たなか ふゆじ、1894年〈明治27年〉10月1… 田中 冬二(たなか ふゆじ、1894年〈明治27年〉10月13日 - 1980年〈昭和55年〉4月9日)は、日本の詩人である。本名は吉之助。 銀行員として働きつつ、郷愁をテーマに多くの詩作を行う。専ら旅を題材とした詩を作り、山国や北国の自然、日常生活を初々しい感覚で表現した叙情詩集「青い夜道」(昭和4年)を発刊。多作ではなくマイナーポエットとも評されるが、一貫して日本の自然や生活に根ざした詩を作り続け、吉行淳之介は象徴的に「青い夜道の詩人」と評している。詩作のほか散文や俳句も手がけている。堀口大學らと交友関係があった。 銀行員だった父吉次郎と、母やゑの長男として福島県福島市栄町に生まれた。1901年(明治34年)に父が、1906年(明治39年)には母が相次いで亡くなったため、上京して叔父・安田善助のもとで養育される。
堀切 善兵衛(ほりきり ぜんべえ、1882年〈明治15年〉5… 堀切 善兵衛(ほりきり ぜんべえ、1882年〈明治15年〉5月4日 - 1946年〈昭和21年〉11月25日)は、日本の政党政治家・経済学者。立憲政友会所属。位階および勲等は従三位・勲一等。 1912年(明治45年)の第11回総選挙から1937年(昭和12年)の食い逃げ解散選挙まで連続10回の当選を果たし、その間1929年(昭和4年)には第27代衆議院議長に選出された。経済学者でもあり、経済学者としての専門は経済原論・財政学・商業政策・殖民政策である。内務官僚で東京市長・法制局長官・内閣書記官長・内務大臣などを歴任した堀切善次郎と衆議院議員を務めた内池久五郎は弟にあたる。 堀切良平の長男として福島県信夫郡上飯坂村(現:福島県福島市)に生まれる。
宮本 半蔵(みやもと はんぞう、1880年〈明治13年〉8月… 宮本 半蔵(みやもと はんぞう、1880年〈明治13年〉8月5日 - 1966年〈昭和41年〉5月17日)は、日本の柔術家である。 1880年8月5日(明治13年)福島県福島市吉井田に生まれた。 元々は丹治半蔵と言う名前であったが、宮本家の婿養子となったことで宮本姓となった。 宮本半蔵は福島県で天神真楊流を学んでいた。1895年(明治28年)神田錦町に天神真楊流の道場「柳真館」を開いていた吉田千春を紹介されて15歳で上京した。 紹介されての上京だったが、既に吉田千春の書生は津田繁三郎が務めていた状況だったので、人形町の竹岡宇三郎が世話をして神田向柳原に天神真楊流道場を開いていた戸澤徳三郎の書生となった。