落合 恵子(おちあい けいこ、1945年〈昭和20年〉1月1… 落合 恵子(おちあい けいこ、1945年〈昭和20年〉1月15日 - )は、日本の小説家。クレヨンハウス主宰。『週刊金曜日』編集委員。元文化放送アナウンサー。 栃木県宇都宮市出身。実父の矢野登は参議院議員(自民党)。婚外子として母子家庭で育つ。異母弟に参議院議員の矢野哲朗がいる。小学一年から東京都中野区育ち。明治大学文学部英文学科卒業。 1967年4月、文化放送にアナウンサーとして入社。同期に、みのもんたがいる。『日野ミッドナイトグラフィティ 走れ!歌謡曲』『セイ!ヤング』のパーソナリティを務めた。 『セイ!ヤング』では「レモンちゃん」の愛称でリスナーから親しまれ、人気DJとなる。同番組のパーソナリティは、作家に転身後の1978年3月まで務めた。
梶 克之(かじ かつゆき、1944年(昭和19年)12月22… 梶 克之(かじ かつゆき、1944年(昭和19年)12月22日 - 2023年(令和5年)5月7日)は、日本の政治家。栃木県宇都宮市旭町出身。元栃木県議会議長で、元県議会議員(宇都宮市・上三川町選挙区選出、8期)。
中野 孝征(なかの たかゆき、1944年6月14日 - )は… 中野 孝征(なかの たかゆき、1944年6月14日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(内野手)。 中学時代は遊撃手兼リリーフ投手だった。作新学院高では1年からレギュラー遊撃手となり、1961年、2年生の時に春の選抜に出場。2回戦で高松商業高に敗れる。1年上のチームメートに島野育夫がいた。翌1962年には主将、一番打者として春の選抜に連続出場。エース八木沢荘六を擁して勝ち進み、決勝で日大三高を降し優勝。 同年夏の選手権では八木沢の急病により、控えの加藤斌を主戦投手に立て勝ち進む。決勝では加藤が久留米商業高のエース伊藤久敏と投げ合い1-0で辛勝、史上初の甲子園春夏連覇を果たす。高校同期に八木沢、加藤の他、中堅手、四番打者の高山忠克がいた。
加藤 斌(かとう たけし、1944年5月21日 - 1965… 加藤 斌(かとう たけし、1944年5月21日 - 1965年1月4日)は、中国上海生まれ、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(投手)。 作新学院高ではエース・八木沢荘六の控え投手として、主にリリーフを担当していた。 1962年、作新学院は八木沢などの活躍もあって春の選抜に優勝、続く夏の甲子園予選北関東大会も勝ち上がり、春夏連覇に期待をかけられた。春の優勝後、加藤は野球部長の勧めで投法をオーバースローからアンダースローに転向している。 大会直前、エースの八木沢が赤痢にかかり、チームは急遽加藤を主戦投手として戦うこととなった。甲子園では1回戦で気仙沼高に苦戦したものの勝ち上がり、準決勝では林俊彦、木俣達彦の強力バッテリーを擁する中京商を2-0で完封。
島野 育夫(しまの いくお、1944年3月30日 - 200… 島野 育夫(しまの いくお、1944年3月30日 - 2007年12月15日)は、栃木県宇都宮市出身のプロ野球選手(外野手)、コーチ、監督、野球解説者。 コーチ時代は相手の癖を盗む特技を生かし、 三宅博は著書で、センスを持ったクセ盗みの名人と記している。特に星野仙一との監督・コーチコンビでは中日ドラゴンズ・阪神タイガースで優勝を経験しており、低迷期の長かった阪神にあって、島野が在籍していた時期は最下位になったことは一度もなかった。 長男は元競輪選手で現在は柔道整復師の島野敦識。 作新学院高校時代の1961年、中堅手として1学年下の八木沢荘六、高山忠克らとともに第33回選抜高等学校野球大会に出場した。
谷田貝 光克(やたがい みつよし、1943年 - ) は、日… 谷田貝 光克(やたがい みつよし、1943年 - ) は、日本の化学者。東京大学名誉教授。元秋田県立大学木材高度加工研究所所長。元フレグランスジャーナル社香りの図書館館長。木質炭化学会名誉会長。 栃木県宇都宮市生まれ。1966年東北大学理学部化学科卒業。1971年東北大学大学院理学研究科博士課程修了、理学博士。1972年バージニア州立大学化学科博士研究員。1974年メイン州立大学化学科博士研究員。1976年農林水産省林業試験場林産化学部研究員。1985年農林水産省林業試験場炭化研究室長。同年第25回日本木材学会賞受賞。1988年農林水産省森林総合研究所生物機能開発部生物活性物質研究室長。1992年農林水産省森林総合研究所森林化学科長。
石田 二宣(いしだ つぐのぶ、1942年4月16日 - )は… 石田 二宣(いしだ つぐのぶ、1942年4月16日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手。 宇都宮学園高校では同期のエース高山勲とバッテリーを組み活躍。1959年秋季関東大会県予選準決勝に進出するが、石橋高に惜敗。翌1960年夏の甲子園予選北関東大会でも準決勝に進むが、桐生工に敗れた。卒業後は高山とともに東黎工業に入社。1962年には産業対抗に出場し、準決勝まで進む。同年の都市対抗にも熊谷組に補強され出場。 1963年に毎日大映オリオンズへ入団。醍醐猛夫らの壁を破れず、出場機会は少なかった。1970年には17試合に出場するが、うち13試合は偵察要員であり、同年限りで引退した。
工藤 隆(くどう たかし、1942年4月7日 - )は、日本… 工藤 隆(くどう たかし、1942年4月7日 - )は、日本の日本文学研究者・演劇研究者、大東文化大学名誉教授。 栃木県宇都宮市生まれ。東京大学経済学部卒業、早稲田大学大学院文学研究科演劇専修修士課程修了、同博士課程単位取得退学。はじめ劇作家・演劇評論家、のち上代口承文芸の研究に移り、大東文化大学文学部教授。2013年退任。『歌垣の世界 歌垣文化圏の中の日本』で2015年度志田延義賞受賞。
斎藤 克男(さいとう かつお、1942年1月28日 - )は… 斎藤 克男(さいとう かつお、1942年1月28日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 作新学院高等部時代は1958年の夏の大会で初出場を4強・国体では初出場を優勝に導いた古口典央が引退した栃木県大会から正捕手となった。 1958年秋の栃木県大会でチームは1回戦に宮下陽吾と松本照夫の両投手が控える栃木商業、準決勝ではエース大井道夫率いる宇都宮工業を破り勝ち進んだ。そして決勝の矢板高戦では先制点となるタイムリー二塁打を放って勝利を呼び込み、4番・捕手として作新学院の秋季県大会初優勝の一端を担った。 秋の関東大会でも土田伸三投手とのバッテリーを務めながら4番に座り、作新は優勝の成績を収めた。
松本 育夫(まつもと いくお、1941年11月3日 - )は… 松本 育夫(まつもと いくお、1941年11月3日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。日本サッカー後援会現理事長。現役時代のポジションはFW。1968年メキシコシティーオリンピックのサッカー競技で銅メダルを獲得したサッカー日本代表の一人。 栃木県立宇都宮工業高等学校時代は、清水東の杉山隆一、広大附属高の桑田隆幸とともに"高校三羽烏"と言われ将来を嘱望された。川淵三郎に憧れ早稲田大学第二政治経済学部経済学科に入学 し、ア式蹴球部に入部。1960年に日本代表として初選出された。野村尊敬、桑田隆幸、二村昭雄、森孝慈、釜本邦茂、大野毅らとア式蹴球部の黄金期を創った。1963年には日立(現柏レイソル)を3-0で破り、早稲田26年ぶりの天皇杯制覇に貢献。
城山 昇(しろやま のぼる、1940年6月5日 - )は、日… 城山 昇(しろやま のぼる、1940年6月5日 - )は、日本の脚本家。栃木県宇都宮市出身。早稲田大学演劇科卒。日本放送作家協会会員。 テレビアニメ『サザエさん』など、主にアニメの脚本家として活動している。 三人兄弟の長男として、東京都に生まれる。実家は商家で、栃木県宇都宮市で育つ。 少年時代から学芸会の劇で脚本・演出・主演を全て務めるなど活躍。大学生の頃から脚本の仕事に惹かれ、アメリカ製アニメの脚本の翻訳のアルバイトをしていた。 早稲田大学演劇科卒業後、日本テレビジョン株式会社(TCJ)に入社し、テレビアニメの企画書制作に従事。退社後に、フリーの脚本家へ転身した。 2014年、東京アニメアワード2014にて功労賞を受賞。
半田 百合子(はんだ ゆりこ、現姓:中島、1940年3月31… 半田 百合子(はんだ ゆりこ、現姓:中島、1940年3月31日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。1964年東京オリンピックバレーボール女子金メダリスト。東洋の魔女 (Oriental Witches) の主力メンバー。 1940年(昭和15年)3月31日、栃木県宇都宮市大寛町に生まれる。 父の転勤により栃木県栃木市に転居し、栃木市立栃木南中学校でバレーボールを始めた。 栃木県立栃木女子高等学校時代は全く無名の選手だった。 高校卒業後、1958年に日紡(現・ユニチカ)に入社し、日紡東京で頭角を現し、日紡貝塚チームの大松博文に認められ、1959年11月に日紡貝塚チームに移籍する。 大松からの激しいしごき練習内容に「殺されそう」「もう辞めよう」と退部を申し入れながらも、大松からの慰留もあり最後までへこたれなかった。
東京 ぼん太(とうきょう ぼんた、1939年4月7日 - 1… 東京 ぼん太(とうきょう ぼんた、1939年4月7日 - 1986年10月14日)は、日本の芸人、歌手、漫談家。栃木県出身。トレードマークは唐草模様の風呂敷。本名は中山孝一。 作新学院で野球をやっていたが、肘のケガで中退する。コメディアンを志して上京した。芸名の由来は「東京の上野駅に着いた時にボーンと鐘が鳴った」ことが芸名のヒントになったといわれる。キャバレーなどを転々とした後に、1960年頃から寄席に出演。1963年からは唐草模様の風呂敷包みを背負ってテレビに登場して「夢もチボーもないね」「イロイロあらあな」など、栃木訛りを誇張したギャグで人気を博した。 レコードも発売しており「マアいろいろあらァな」は、20万枚のヒットとなった。
五月女 幸雄 Saotomé Yukio(さおとめ ゆきお、… 五月女 幸雄 Saotomé Yukio(さおとめ ゆきお、1937年2月18日 - )は、前衛美術出身、フランス在住の画家。 栃木県宇都宮市に生まれる。教師であった両親の下で、幼少時より絵を描き始める。栃木県立石橋高等学校に進み、社会科教諭・大島清次に出会う。後に栃木県立美術館および世田谷美術館の館長となる大島は、当時の社会状況や現代思想について、ことあるごとに生徒たちに語って聞かせていた。社会の実相を見つめる目、美術への志向がこうして養われていく。 蕨画塾(埼玉県蕨市)に入り、彫刻を長谷秀雄に、絵画を寺内萬次郎、金子徳衛に学ぶ。同じ頃彫刻家・石井鶴三に出会ってその芸術観に感動し、東京芸術大学彫刻科の石井教室を目指して数度の受験に臨むが入学は叶わず、最後に合格通知を受け取った埼玉大学教育学部の美術科に入学することとなった。
栄太呂(えいたろ、1937年1月28日 - 2012年1月2… 栄太呂(えいたろ、1937年1月28日 - 2012年1月2日)は、大相撲の元呼出。本名:上田忠。栃木県宇都宮市出身、時津風部屋所属。師匠は従兄弟でもある栄吉。 1948年5月初土俵。呂太鼓の名人として知られる。また、角界有数の酒好きとしても有名。 1969年の九州場所中、酔っ払って横断歩道を横断中に車にはねられ、80メートルも飛ばされた結果、内臓破裂で2年間入院。再起が危ぶまれたが、根性で復活した。
阿久津 義雄(あくつ よしお、1936年7月11日 - )は… 阿久津 義雄(あくつ よしお、1936年7月11日 - )は、栃木県出身の元プロ野球選手(投手)。 宇都宮工業高校から1955年に中日ドラゴンズに入団。在籍4年間で2試合のみの登板に終わり、1958年に引退。
下重 暁子(しもじゅう あきこ、1936年〈昭和11年〉5月… 下重 暁子(しもじゅう あきこ、1936年〈昭和11年〉5月29日 - )は、日本の作家・評論家・エッセイスト。元NHKアナウンサー、JKA初代会長。 栃木県宇都宮市出身。「下重」は江戸時代、各地の御典医に多かった姓で、暁子の下重家は石見国浜田藩の御典医を代々勤めた。映画「戦場のメリークリスマス」の登場人物のモデルになった森勝衛は、父の従兄にあたる。 9歳の時に太平洋戦争の疎開先の奈良県で終戦を迎える。 教師の影響で、進学校の大阪府立大手前高等学校に進学。国語など文科系科目は得意なため、苦労したことはなく早稲田大学教育学部国語国文学科に進学した。芥川賞作家の黒田夏子は早大教育学部の同級生で同人誌仲間。
栗原 彬(くりはら あきら、1936年4月18日 - )は、… 栗原 彬(くりはら あきら、1936年4月18日 - )は、日本の社会学者。立教大学名誉教授。立命館大学研究顧問。専門は政治社会学。 栃木県宇都宮市生まれ。東京大学教養学部卒業。三井物産勤務を経て、東京大学大学院社会学研究科で学ぶ。立教大学法学部助手、武蔵大学人文学部講師、立教大学法学部助教授・教授、2002年定年、名誉教授、明治大学文学部教授、2007年立命館大学特別招聘教授。水俣フォーラム代表および日本ボランティア学会代表。
小島 勝平(こじま かつへい、1936年〈昭和11年〉1月2… 小島 勝平(こじま かつへい、1936年〈昭和11年〉1月28日 - 2007年〈平成19年〉4月24日)は、日本の実業家。小島電気商会(後の株式会社小島電機、現在の株式会社コジマ)創業者で、代表取締役社長、代表取締役会長を歴任した。 1955年4月に栃木県宇都宮市で小島電気商会を創業、家電の安売り販売を開始。1963年より法人化して株式会社小島電機を設立。 小島電機は栃木県内で1972年から多店舗化へ展開、店舗網を拡充して大量販売。1984年から栃木県外に進出し多店舗展開、1985年までに中堅家電販売店へ成長。小島勝平は全国一の家電量販店激戦区北関東YKK で、群馬県のヤマダ電機(山田昇)、茨城県のケーズデンキ(加藤修一)、栃木のヌマニウ、第一家電と家電量販店の激しい価格競争、出店競争。
後藤 尚久(ごとう なおひさ、1935年6月8日 - 202… 後藤 尚久(ごとう なおひさ、1935年6月8日 - 2023年12月14日)は日本の電子工学者。栃木県宇都宮市生まれ。 1959年 東京工業大学電気工学科卒業。 1964年 同大学院博士課程修了、工学博士(学位論文「電波ビームの電気的走査に関する研究」)。同年、東京工業大学助手。 1980年 東京工業大学教授。 1994年電子情報通信学会副会長。 1996年 定年退職。拓殖大学工学部教授。 2000年 紫綬褒章受章。 2006年 拓殖大学定年退職。 現在は、東工大名誉教授、拓殖大学名誉教授。 2011年 総務大臣表彰電波功績賞(電波産業会)、井上春成賞(科学技術振興事業団)受賞。 2011年 瑞宝中綬章受章。
神田 昌男(かんだ まさお、1933年11月8日 - )は、… 神田 昌男(かんだ まさお、1933年11月8日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手。 宇都宮工業高校では吉成武雄とバッテリーを組んで1950年夏と1951年春に甲子園出場。 1952年に大洋ホエールズへ吉成と共に入団。1958年に引退。 引退後は日立製作所で監督を務めた。
渡辺 貞夫(わたなべ さだお、英語: Sadao Watan… 渡辺 貞夫(わたなべ さだお、英語: Sadao Watanabe、1933年〈昭和8年〉2月1日 - )は、日本を代表するジャズサクソフォーン奏者、ジャズミュージシャン、作曲家、写真家である。 栃木県宇都宮市出身。 「ナベサダ」の愛称でサックス奏者・フルート奏者としてジャズ、フュージョンの分野で活動を展開。世界的な人気を誇る。 写真家としても知られ、これまで6作の写真集を出版している。 ちなみに、妹はジャズシンガーのチコ本田、弟はジャズドラマーの渡辺文男、娘に絵本作家の渡辺眞子がいる。 父親は薩摩琵琶奏者。ビング・クロスビー主演の映画「ブルースの誕生」を観て、クラリネットを始める。栃木県立宇都宮工業高等学校を卒業後、1951年に上京。
斎藤 誠治(さいとう せいじ、1933年 - )は栃木県宇都… 斎藤 誠治(さいとう せいじ、1933年 - )は栃木県宇都宮市出身の彫刻家、石彫作家。 1933年に栃木県宇都宮市に生まれる。東京芸術大学彫刻科に入学し、石井鶴三教室にて素描、彫像、木彫を学ぶ。1958年東京芸術大学専攻科で昭和の名工の一人である明石亀太郎に石彫を学ぶ。1960年大晦日に貨客船でアメリカに向かう。ブルックリン美術学校(ニューヨーク)に奨学金を得て入学し、イタリアの彫刻家オデリオ・ベッジに御影石による彫刻技法を学ぶ。全米彫刻協会の特別会員(Fellow of NSS)、アート・スチューデンツ・リーグのインストラクターを務める。現在もニューヨーク、ブルックリンのスタジオにて制作を続けている。
小沢 通宏(小澤 通宏、おざわ みちひろ、1932年12月2… 小沢 通宏(小澤 通宏、おざわ みちひろ、1932年12月25日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元サッカー日本代表、サッカー指導者。 1962年第2回日本年間最優秀選手賞(フットボーラー・オブ・ザ・イヤー)受賞のディフェンダー。2014年日本サッカー殿堂入り。 生まれは兵庫県。父親の仕事の関係で東京に移り住み、太平洋戦争中に宇都宮市へ疎開し、以降宇都宮に住む。幼少期には体は弱く、激しい運動は両親に止められていたほどだった。 栃木県立宇都宮高等学校入学とともに、親の反対を押し切ってサッカーを始める。FW岩淵功とともに活躍、高校1年から全国高等学校蹴球選手権大会(現全国高等学校サッカー選手権大会)に出場、高校2年時に準優勝、3年時に優勝を果たす。
吉成 武雄(よしなり たけお、1932年7月20日 - 19… 吉成 武雄(よしなり たけお、1932年7月20日 - 1960年6月10日)は、栃木県宇都宮市出身 のプロ野球選手(捕手)。右投左打。 宇都宮工業高校では、同期の神田昌男とバッテリーを組み、捕手、三番打者として甲子園に2回出場。1950年夏の選手権は2回戦(初戦)でエース大沢昭を擁する神奈川商工を降し、準々決勝では若狭高に大勝。準決勝に進むが、松山東高の池田勉(津田鋼材)に抑えられ完封負け。翌1951年春の選抜は1回戦で平安高の清水宏員を打ち崩し完封勝ち、しかし準々決勝で明治高のエース松尾豊(明大)に完封負けを喫する。明治高には沖山光利がいた。 1952年に大洋ホエールズへ神田と共に入団。同年は荒川昇治の控え捕手であったが、シーズン終盤には13試合に先発マスクを被る。
井村 君江(いむら きみえ、1932年3月1日 - )は、日… 井村 君江(いむら きみえ、1932年3月1日 - )は、日本の英文学者・比較文学者。ケルト・ファンタジー文学研究家。明星大学名誉教授。フェアリー協会会長。イギリス・フォークロア学会(英語版)終身会員。妖精美術館(福島県大沼郡金山町)館長。うつのみや妖精ミュージアム名誉館長。 2003年に生まれ故郷の栃木県宇都宮市にケルト・妖精関係資料(文豪の自筆原稿や貴重な美術品を含む)を寄贈した。寄贈された資料を展示するため、2007年7月31日、世界的にも珍しい妖精をテーマにした美術館うつのみや妖精ミュージアムがオープン、名誉館長に任命される。 宇都宮市の旧家に福田 君江として生まれ、祖母に養育されて成長する。
高柳 芳夫(たかやなぎ よしお、1931年1月17日 - 2… 高柳 芳夫(たかやなぎ よしお、1931年1月17日 - 2023年11月23日)は、日本の元小説家、外交官。 栃木県宇都宮市生まれ。栃木県立宇都宮高等学校卒業、京都大学文学部独文科卒業。同大学大学院文学研究科修士課程修了。 1957年、外務省入省。在独大使館、ベルリン総領事館副総領事等を歴任。 1971年、「『黒い森』の宿」で第10回オール讀物推理小説新人賞受賞。1973年、「『禿鷹城』の惨劇」で第19回江戸川乱歩賞候補になるが落選。松本清張の推薦もあって刊行されるが、外務省研修所教務主事に左遷され、1977年に退職。 1979年、プラハの春以後の国際情勢を題材とした「プラハからの道化たち」で第25回江戸川乱歩賞受賞。
大原 照子(おおはら しょうこ、1929年(昭和4年)4月1… 大原 照子(おおはら しょうこ、1929年(昭和4年)4月16日 - 2015年(平成27年)1月23日)は、日本の料理研究家である。栃木県宇都宮市出身。 東京女子経済専門学校(現在の新渡戸文化短期大学)卒業後、留学のため渡英する。その後4年間各国の多くの料理を研究し、帰国後料理研究家としての活動を始めた。大原が調理した料理はユニークなものであり、きょうの料理(NHK)等多くの料理番組に出演し料理雑誌にも紹介され知れ渡った。 後に大原が経営するクッキングスタジオを主宰し、1991年(平成3年)には東京都港区青山にて「英国骨董おおはら」が開業し、オーナーを務めた。 ・『洋風のおかず』(1972年) この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
平野 彧(ひらの いく、1929年 - 2007年)は、日本… 平野 彧(ひらの いく、1929年 - 2007年)は、日本の教育者・教育評論家。 栃木県宇都宮生まれ。栃木県立宇都宮中学校(現・栃木県立宇都宮高等学校)卒業。栃木県の小学校国語教員、宇都宮市立平石南小学校教諭、1959年藤岡町立赤麻小学校教諭、1975年三鴨小学校教諭、86年赤麻小学校校長。91年退職。作文教育に力を入れた。
宇都美 清(うつみ きよし、1928年(昭和3年)11月12… 宇都美 清(うつみ きよし、1928年(昭和3年)11月12日 - 1973年(昭和48年)3月4日)は日本の歌手。栃木県宇都宮市出身。本名は吉田清男。 1946年(昭和21年)、宇都宮商業学校を卒業目前にして、コロムビアの新人募集に応募し合格。同年5月発売の「銀座歩けば」でデビュー。芸名の宇都美清とは出身地の宇都宮から取ったものである。 1949年(昭和24年)までに7曲吹き込んだが、ヒットしたのは「旅役者の唄」(霧島昇)のB面曲「三千歳小唄」ぐらいで、翌年、ビクターへ移籍。渡辺はま子と吹き込んだ「火の鳥」がヒットし、「ああモンテンルパの夜は更けて」、「浅太郎月夜」等がヒットする。 NHK紅白歌合戦に3回出場している(詳細は下記参照)。
前田 卓(まえだ たかし、1928年 - )は、社会学者、関… 前田 卓(まえだ たかし、1928年 - )は、社会学者、関西大学名誉教授。 栃木県宇都宮市生まれ。1953年京都大学文学部社会学科卒、1958年同大学院博士課程満期退学、京大助手。1960年高野山大学講師、1962年「祖先崇拝論考」で京都大学文学博士。1967年関西大学社会学部助教授、1972年教授、1999年定年退任、名誉教授。
上野 雄文(うえの ゆうぶん、1927年11月1日 - 19… 上野 雄文(うえの ゆうぶん、1927年11月1日 - 1997年8月7日)は、日本の政治家、参議院議員(3期、日本社会党)。 栃木県宇都宮市出身。旧制大田原中学校(現・栃木県立大田原高等学校)卒業。専修大学短期大学部法律実務科卒業。1945年12月に栃木県庁に入り1963年2月末まで在籍した。その後は、県職員労働組合の役員を務める。1967年の栃木県議会議員選挙に宇都宮市選挙区から日本社会党公認で立候補して、初当選を果たした。その後連続4期務めた。 1982年10月7日に栃木県知事選挙に立候補し、県議を失職した。社会党推薦を得たが、自民、公明、民社、新自由クラブが推薦する現職の船田譲に敗れた。
安田 範(やすだ はん、1927年2月22日 - 2019年… 安田 範(やすだ はん、1927年2月22日 - 2019年11月5日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。位階は従五位。 栃木県宇都宮市出身。1947年早稲田大学専門部法律科卒。同年栃木県庁に入り、地方労働委員会勤務。1951年に退職。1954年社会党に入党。1960年から1年間広瀬秀吉の秘書を務めた。1963年から宇都宮市議を3期、1975年から栃木県議を4期務めた。1990年の総選挙で旧栃木1区から立候補して初当選。1993年の総選挙で落選した。のちに2002年から2010年まで栃木県遊技業協同組合理事長を務めた。 2019年11月5日、死去。92歳没。死没日をもって従五位叙位、旭日小綬章追贈。
佐藤 隆賢(さとう りゅうけん、1926年7月29日 - 2… 佐藤 隆賢(さとう りゅうけん、1926年7月29日 - 2018年10月15日)は、栃木県宇都宮市生まれの日本の仏教学者(密教学、博士(文学))、真言宗智山派の僧侶(智山伝法元院長、円能院元住職)。元大正大学学長・名誉教授。
生出 寿(おいで ひさし、1926年(大正15年)3月13日… 生出 寿(おいで ひさし、1926年(大正15年)3月13日 - 2006年(平成18年))は、日本の小説家・作家、実業家。大日本帝国海軍軍人(海兵74期、最終階級は海軍少尉)。(株)ことば社 社長。 栃木県宇都宮市出身。栃木県立宇都宮中学校(現:栃木県立宇都宮高等学校)5年生で、1942年12月に海軍兵学校74期に進み、1945年3月に卒業。海軍潜水学校普通科学生(波二百一型潜水艦に乗組予定であった)として、海軍少尉で終戦を迎えた。終戦後東京大学に入学して仏文学科を卒業するが、この間に公職追放を受けた。大学卒業後、アサヒ芸能新聞社(現:徳間書店)に入社し、同社常務取締役を経て、(株)ことば社 社長となった。
石田 よし宏(いしだ よしひろ、1924年(大正13年)11… 石田 よし宏(いしだ よしひろ、1924年(大正13年)11月20日 - 2015年(平成27年)5月14日)は、日本の俳人。栃木県宇都宮市出身。宇都宮農林専門学校(現宇都宮大学農学部)農業経済学科卒業。本名は石田 榮宏(いしだ よしひろ)。 現代俳句協会に所属した俳句作家(本人は俳人ではなく俳句作家という肩書きを好んで使っていた)で、作品は前衛的な俳句、難解俳句と評される。評論も得意とし、『月々のことば』と称する俳句の評論を、毎月はがきで発行し、ライフワークとなっていた。 20代で作句を始め、俳誌「風」、「鬼怒」(創刊同人)、「鷹」を経て、平成12年「地祷圏」創刊・代表就任。平成21年通信句会『統』発足・主宰就任。
大島 清次(おおしま せいじ、1924年(大正13年)11月… 大島 清次(おおしま せいじ、1924年(大正13年)11月13日 - 2006年(平成18年)11月23日)は、昭和から平成にかけての日本の美術史家、美術評論家。 栃木県宇都宮市生まれ。1951年(昭和26年)に早稲田大学文学部を卒業。その後、栃木県立高等学校教諭や法政大学文学部講師を経て、1972年(昭和47年)に栃木県立美術館副館長、1981年(昭和56年)に同館長となった。1986年(昭和61年)に世田谷美術館長となり、2005年(平成17年)まで務めた。2006年(平成18年)11月23日、肺炎のため栃木県下野市の病院で死去した。 フランス絵画史やジャポニスムの研究を専門とし、特にジャポニスム研究においては先駆的で本格的な研究業績を残した。
須賀 淳(すか あつし、1924年9月20日 - 2023年… 須賀 淳(すか あつし、1924年9月20日 - 2023年10月21日)は、学校法人須賀学園元理事長。栃木県宇都宮市出身。 須賀学園創設者の須賀栄子(すか えいこ)を祖母を持つ須賀は、1924年9月に誕生し、旧制宇都宮中学(現:栃木県立宇都宮高等学校)から1年浪人し1943年(昭和18年)旧制成城高校へ入学したが学徒出陣で陸軍輜重兵学校に入校しトラックの運転訓練などを受ける。軍隊入隊後に東京大学経済学部の合格通知が届いた。1945年に軍隊の訓練で体を壊し、約1ヶ月間の自宅療養のため宇都宮に帰省中に宇都宮空襲に遭う。7月中旬には軍隊へ戻ったが約1ヶ月後に終戦を迎えた。終戦後は須賀学園校長であった父友正(ともまさ)とともに須賀学園復旧に尽力し、睦町の現在地へ移転を終えてから、1946年(昭和21年)4月より東京大学経済学部に復学した。
東けんじ(あずま けんじ、1923年〈大正12年〉12月17… 東けんじ(あずま けんじ、1923年〈大正12年〉12月17日 - 1999年〈平成11年〉1月7日)は、宮城けんじと漫才コンビ「Wけんじ」を結成した日本の漫才師。本名は大谷 健二(おおたに けんじ)。栃木県宇都宮市出身。大の酒好き。内向的な性格で普段は無口であった。 実父は大田原町長(現・大田原市)。中学卒業後に地元の東野鉄道に就職し小荷物係として働いていた。元来の芸事好きが高じて駅員仲間を集めて素人劇団を結成したが、それを駅長にとがめられた事に腹を立て辞表を提出。サーカス団に入り「ヘンリー東」を名乗り、生まれつきの身体の柔らかさを生かしたパントマイムやアクロバット、または花形ピエロとしても活躍した。
河野 愛子(こうの あいこ、1922年10月8日 - 198… 河野 愛子(こうの あいこ、1922年10月8日 - 1989年8月9日)は、歌人。栃木県宇都宮市出身。 軍人の家系に生まれる。広島女学院高等女学校卒。1947年、「アララギ」に入会し、土屋文明に師事。1951年、『未来』創刊に参加。以後その中心女流歌人として、鋭いメタフィジカルな作風で活躍。門下に中川佐和子、干場しおりなど。1982年、『リリヤンの笠飾』で第18回短歌研究賞受賞。1983年、『黒羅』で第8回現代短歌女流賞受賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
朝倉 隆太郎(あさくら りゅうたろう、1921年8月7日 -… 朝倉 隆太郎(あさくら りゅうたろう、1921年8月7日 - 2002年10月21日)は、日本の地理学者・教育学者。 栃木県宇都宮市生まれ。1942年東京高等師範学校卒。1945年9月東京文理科大学地理学科卒、東京都立上野中学校(現東京都立上野高等学校)教諭。47年東京高等師範学校附属中学校(現筑波大学附属中学校・高等学校)教諭。51年東京教育大学助教授。56年文部省初等中等教育局長事務官、58年同教科調査官。1963年宇都宮大学学芸学部助教授、68年教養部助教授、70年教授、72年教育学部教授、74-78年宇都宮大学教育学部附属中学校校長、1979年筑波大学教授、85年定年退官、上越教育大学教授、87-89年上越教育大学附属中学校校長兼任、90年定年退官、名誉教授、豊田短期大学教授、94年学長。
古谷 法夫(ふるや のりお、1921年7月27日 - 没年不… 古谷 法夫(ふるや のりお、1921年7月27日 - 没年不明)は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。 宇都宮実業では1938年と1939年に夏の甲子園北関東大会へ進出するも、1938年は初戦、1939年には準決勝でそれぞれ敗退して甲子園に出場することはできなかった。 高校卒業後は1940年に法政大学へ進学するも中退し、1941年に東京鉄道局へ入社。南安男と並ぶ主戦投手になり、1942年と1946年の都市対抗に出場するが、それぞれ準々決勝で敗退。 コロムビア移籍後はエースとして活躍し、1950年に国鉄スワローズへ入団。1年目は結成第1戦となる3月10日の大洋戦(下関)に先発登板する予定であったが、緊張と重圧に耐えきれずに「はたして自分に開幕投手が務まるのだろうか?」と思い悩み、この日は「病院に行ってくる」と宿舎を出たきり戻らなかった。
村上 一郎(むらかみ いちろう、1920年(大正9年)9月2… 村上 一郎(むらかみ いちろう、1920年(大正9年)9月24日 - 1975年(昭和50年)3月29日)は、日本の文芸評論家、歌人、小説家。日本浪曼派に共感した。 東京で生まれ、父はホーリネス教会派のクリスチャンだった。栃木県宇都宮市で育つ。旧制宇都宮中学校(現栃木県立宇都宮高等学校)を経て、東京商科大学(現・一橋大学)予科に進学。高島善哉ゼミ出身。 1943年に大学を卒業後、短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入校。小島直記らは同期生にあたる。1944年3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年3月、海軍主計大尉に昇進し終戦を迎えた。 戦後は三菱化成(現三菱ケミカルホールディングス)に入社したがやがて退社。
齋藤 進六(さいとう しんろく、1919年3月30日 - 1… 齋藤 進六(さいとう しんろく、1919年3月30日 - 1994年11月21日) は、日本の材料科学者。東京工業大学名誉教授。第11代東京工業大学学長。第2代長岡技術科学大学学長。紫綬褒章受章。 栃木県宇都宮市生まれ。1943年、東北帝国大学工学部航空学科卒業。1960年、東京工業大学にて工学博士の学位を取得。 1945年久我山工業専門学校教授。1967年、東京工業大学工学部材料工学科教授。1973年東京工業大学工業材料研究所所長。 1977年東京工業大学学長。1981年東京工業大学より名誉教授の称号を授与される。1982年、紫綬褒章受章。1983年長岡技術科学大学学長。1985年、日本セラミックス協会会長。
林 栄夫(はやし よしお、1916年7月11日 - 1983… 林 栄夫(はやし よしお、1916年7月11日 - 1983年1月21日)は、日本の経済学者。東京都立大学名誉教授。専門は財政学。経済学博士(東京大学、1962年)。栃木県宇都宮市生まれ。
浅野 辰雄(あさの たつお、1916年1月1日 - 2006… 浅野 辰雄(あさの たつお、1916年1月1日 - 2006年9月15日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。ドキュメンタリー映画『号笛なりやまず』の監督であり、ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督の『アナタハン』ではスタンバーグと脚本を共同執筆したことでも知られる。日本記録映画作家協会委員、「世田谷を記録する会」会長を歴任した。 日本映画データベース等で混同されている大映の製作者・浅野辰雄(1904年 - 没年不詳)は、別人である。 1916年(大正5年)1月1日、栃木県宇都宮市に生まれる。北海道函館市の旧制・北海道庁立函館中学校(現在の北海道函館中部高等学校)を卒業して上京、旧制・東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部)機械科に進学するも、在学中に『文芸街』『ズドン』等の文学運動に関係しており、1936年(昭和11年)7月10日、講座派の一斉検挙であるコム・アカデミー事件に関連し、同誌関係者として浅野次郎、中島正伍らとともに検挙されている。
石沢 芳次郎(いしざわ よしじろう、1915年11月26日 … 石沢 芳次郎(いしざわ よしじろう、1915年11月26日 - 2019年11月2日)は、日本の経済学者。位階は従四位。 三木内閣首席参事官、拓殖大学学長、防衛大学校名誉教授、拓殖大学名誉教授。財団法人産業経済研究協会理事長等を歴任した。 1915年、栃木県宇都宮市生まれ。1944年、旧制東京商科大学(現一橋大学)を卒業した。大学では赤松要に師事した。 率朝護は、大倉経済専門学校(現東京経済大学)教授となった。社団法人日本貿易会調査課長の後、防衛庁防衛研修所所員、内閣国防会議事務局参事官、防衛大学校教授となった。拓殖大学教授、拓殖短期大学学長、拓殖大学学長、財団法人産業経済研究協会理事長をつとめた。
篠原 弘道(しのはら ひろみち、1913年〈大正2年〉8月1… 篠原 弘道(しのはら ひろみち、1913年〈大正2年〉8月15日 - 1939年〈昭和14年〉8月27日)は、大日本帝国陸軍の軍人、戦闘機操縦者。最終階級は陸軍少尉。通り名・異名は「東洋のリヒトホーフェン」。 日本陸軍のトップ・エースの一人として総撃墜数58機を誇り、これは1939年5月27日の初陣から同年8月27日に戦死するまでのわずか3か月の間に達成された。また、1回の空戦で11機の敵機を撃墜した記録をもつ。 1913年8月15日栃木県河内郡雀宮村大字東谷(現:宇都宮市東谷町)生まれ。父庄蔵、母はる。雀宮尋常小学校東校(現:宇都宮市立雀宮東小学校)を経て1931年(昭和6年)下野中学校卒業後、12月に騎兵の現役志願兵として羅南の騎兵第27連隊に入営。
大平山 圭四郎(おおひらやま けいしろう、1910年12月2… 大平山 圭四郎(おおひらやま けいしろう、1910年12月23日 - 1981年5月18日)は、昭和時代の大相撲力士。春日野部屋所属。本名は斎藤 四郎。最高位は十両4枚目。 栃木県宇都宮市出身。上京し鐘淵紡績に就職、会社では運動部員として活躍し、相撲では東京府代表として明治神宮の大会に出場した。春日野部屋に入門し、1934年1月働いていた会社にちなみ「鐘ヶ渕」の四股名で初土俵を踏んだ。順調に番付を上げ、1941年1月に十両に昇進したが3勝12敗と負け越し、幕下に落ちた。幕下で十両復帰を目指したが、この間四股名を「大平山」と改めた。1943年1月に十両に復帰した。十両では勝ち越しと負け越しを繰り返し、9勝が最高成績だった。
野口 久光(のぐち ひさみつ、1909年8月9日 - 199… 野口 久光(のぐち ひさみつ、1909年8月9日 - 1994年6月13日)は、日本の映画、ジャズ、ミュージカル評論家。画家、グラフィックデザイナー。生涯に1000点を超える映画ポスターを描いたと言われる。