茂木 敏充(もてぎ としみつ、1955年〈昭和30年〉10月… 茂木 敏充(もてぎ としみつ、1955年〈昭和30年〉10月7日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(12期)、外務大臣(第155-156代)。内閣総理大臣臨時代理就任順位第2位。自由民主党栃木県支部連合会会長。 栃木県足利市出身。足利市立北郷小学校月谷分校に1年生から4年生まで通う。5年生から同小学校本校に通った。栃木県立足利高等学校、東京大学経済学部卒業。大学卒業後、丸紅社員を経て読売新聞社政治部記者を務めた後に、ハーバード大学ケネディ行政大学院に留学し、公共政策を学んだ。行政学修士を取得し帰国後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社しコンサルタントを務めた。1992年にマッキンゼー・アンド・カンパニー幹部の大前研一が代表を務める平成維新の会事務局長に就任した。
相田 一人 (あいだ かずひと、1955年(昭和30年)9月… 相田 一人 (あいだ かずひと、1955年(昭和30年)9月2日 - )は、栃木県足利市出身の著作家。 詩人・書家であった相田みつをの長男で、相田みつを美術館の館長。 栃木県足利市に相田みつをの長男として生まれた。父みつをの死後に見つかった日記には、「気骨ある人に成長するように、何事も一人でやっていけるように、一日も早く一人立ちできるように、という願いをこめて『一人』と命名した。また、転じて後、人生の孤独、寂寥、悲哀等を一人で堪えてゆかねばならぬ時の事を考えて、あえて『一人』と名付けた次第なり」と命名の理由が記されている 。 出版社に勤めた後、株式会社而今社(にこんしゃ)を設立した。1996年(平成8年)、東京都中央区銀座に相田みつを美術館を開館、館長に就任した(美術館は、2003年(平成15年)、千代田区丸の内にある東京国際フォーラムに移転)。
川田 司(かわだ つかさ、1955年(昭和30年)3月28日… 川田 司(かわだ つかさ、1955年(昭和30年)3月28日 - )は、日本の外交官。外務省領事局長等を経て、駐ポーランド特命全権大使。 栃木県足利市出身。栃木県立足利高等学校を経て、1977年(昭和52年)に一橋大学経済学部を卒業し、外務省入省。フランス語研修を受けグルノーブル大学留学を経て、1980年(昭和55年)欧州共同体代表部二等書記官(ベルギー在勤)、1982年(昭和57年)経済局海洋課長補佐、1985年(昭和60年)文化交流部文化第二課首席事務官、1986年(昭和61年)経済局国際エネルギー課首席事務官、1989年(平成元年)在ザイール大使館一等書記官。 1991年(平成3年)12月在イタリア日本国大使館一等書記官、同参事官を経て、1995年(平成7年)1月外務省総合外交政策局人権難民課長。
桑子 利男(くわこ としお、1955年 - )は、日本の英文… 桑子 利男(くわこ としお、1955年 - )は、日本の英文学者。専門はイギリス文学。早稲田大学教授。 栃木県足利市生まれ。1980年、早稲田大学教育学部英文学科卒業。1985年、東京大学大学院人文科学研究科英文科博士課程中退。1986年、帝京大学法学部専任講師、1987年國學院大學助教授、1997年同教授。2000年、早稲田大学教育・総合科学学術院教授。
堀越 徹(ほりこし とおる、1955年 - )は元日本テレビ… 堀越 徹(ほりこし とおる、1955年 - )は元日本テレビのプロデューサーで、日本テレビ音楽常務取締役などを経て、現在は福島中央テレビ常務取締役。栃木県足利市出身。血液型はO型。 1978年、上智大学文学部新聞学科卒。同年日本テレビ放送網入局。同期に初川則夫がいる。同社コンテンツ事業局総務兼コンテンツセンター長兼映画事業部長、日本テレビ音楽常務取締役、日本テレビサービス代表取締役社長を経て2015年6月1日付で福島中央テレビ常務取締役。 日本テレビで長くアニメーションのプロデューサーを務めていた。学生時代から石森章太郎(石ノ森章太郎)ファンクラブに参加しており、多くの記事やインタビューでアニメ、漫画好きだったとコメントしている。
青山 みゆき(あおやま みゆき、1954年12月1日 - )… 青山 みゆき(あおやま みゆき、1954年12月1日 - )は、日本の詩人、歌人、評論家、翻訳家、アメリカ文学者。元聖徳大学准教授。 栃木県足利市生まれ。栃木県立足利女子高等学校卒業。アメリカペンシルベニア州立インディアナ大学大学院文学修士課程修了。アメリカ文学とイギリス文学を中心に学ぶ。アメリカに学部生として滞在中に、創作の授業で英語詩を書きはじめる。 1981年に帰国後、新川和江と吉原幸子が発行編集人である「現代詩ラ・メール」に参加。「ラ・メール」にフェミニズムやジェンダー論の視点から女性詩人論を書いていたが、新川や吉原をはじめ、高橋順子、鈴木ユリイカ、國峰照子、小池昌代、中本道代などに接し、多大な影響を受けて本格的に日本語で詩作をはじめる。
丸山 浩司(まるやま ひろし、1953年7月12日 - )は… 丸山 浩司(まるやま ひろし、1953年7月12日 - )は、日本の版画家(木版画)、美術教育研究者。多摩美術大学教授。 栃木県足利市出身。多摩美術大学在学中に吹田文明に師事し、木版画を始める。その後、東京芸術大学大学院に進学し野田哲也・中林忠良に師事、更に木版画研究を進める。その後、福島大学にて教員養成の仕事に従事し、教科書編集や鑑賞教育、現代美術研究を通して美術教育研究にも力を注ぐ。当初は生まれ故郷の足利にて友禅染めの色彩(渡良瀬川の友禅流し)に魅了され鮮やかな色彩による作品を手掛け、単行本の表紙やテレビドラマのセットに利用されるなど、社会的評価が高かったが、現在はモノクロームを基調にした静謐な作品が多い。
長島 偉之(ながしま ひでゆき、1953年5月27日 - )… 長島 偉之(ながしま ひでゆき、1953年5月27日 - )は、日本のレスリング選手(フリースタイル)。1984年ロサンゼルスオリンピック銀メダリスト。栃木県足利市出身。栃木県レスリング協会理事長。 次男は2013年世界柔道選手権81㎏級日本代表の長島啓太。 ロス五輪当時、機械科2組の担任であった。が、試合のテレビ中継が無く、生徒はがっかりした為、凱旋時、知らん顔された。
樋口 美雄(ひぐち よしお、1952年(昭和27年)11月2… 樋口 美雄(ひぐち よしお、1952年(昭和27年)11月23日 - )は、日本の経済学者。専門は、労働経済学・計量経済学。学位は、商学博士(慶應義塾大学・課程博士・1980年)。慶應義塾大学名誉教授。日本経済学会会長(第43代)、(独)労働政策研究・研修機構理事長を務めた。日本学士院会員。栃木県足利市出身。
売野 雅勇(うりの まさお、1951年〈昭和26年〉2月22… 売野 雅勇(うりの まさお、1951年〈昭和26年〉2月22日 - )は、栃木県足利市出身の作詞家。麻生 麗二(あそう れいじ)の別ペンネームでも活動している。所属事務所はフェブライオ・エ・メッツオ、ディヴァイン。 栃木県立足利高等学校、上智大学文学部英文学科卒業。就職試験ではニッポン放送に初めてできた音楽ディレクターの専門職の採用面接で最後の5人まで残ったものの不合格。代わりにグループ会社のポニー(現:ポニーキャニオン)をディレクター職として推薦されたが、音楽性の違いから辞退した。 石井直の勧めにより、コピーライター志望で老舗広告代理店の萬年社に入社。春闘が決着した5月に新聞雑誌制作部にコピーライターとして配属される。
篠崎孝司(しのざき たかつかさ、1951年 - )は、栃木県… 篠崎孝司(しのざき たかつかさ、1951年 - )は、栃木県足利市出身のアーティスト、陶芸家。足利市ルンビニー園美術講師。 九州産業大学芸術学部美術科卒。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
襟川 クロ(えりかわ くろ、1950年8月19日 - )は、… 襟川 クロ(えりかわ くろ、1950年8月19日 - )は、栃木県足利市出身の映画パーソナリティ。元女優。現在、午前十時の映画祭作品選定委員を担当している。えりかわ恵子(襟川恵子)と名乗っていた時期もある。 父は商事会社の会長を務めていた。3人兄弟の長女。兄はコーエーテクモホールディングス代表取締役社長の襟川陽一。小学2年生の時に『よい歯のコンクール』で学校代表になり、健康優良児の栃木県代表にも選ばれたことがあった。 栃木県立足利女子高等学校を経て、青山学院大学文学部教育学科を卒業。学生時代、1年間アメリカに留学。帰国後はスチュワーデスになるつもりだったが、そのコネも無かった上に受験も出来なかった。
板橋 文夫(いたばし ふみお、1949年3月8日 - )は、… 板橋 文夫(いたばし ふみお、1949年3月8日 - )は、栃木県足利市出身のジャズ・ピアニスト。作曲家。レコードレーベルは日本コロムビア。 栃木県足利市出身。国立音楽大学へ進学後、先輩である本田竹廣のピアノ演奏を聴いてジャズに開眼。 1970年、渡辺貞夫クインテットでプロ・デビュー後、日野皓正クインテット、森山威男カルテットに参加する一方、自己のトリオでの活動も開始。 エルヴィン・ジョーンズ (ドラム)やレイ・アンダーソン (トロンボーン)とのワールドツアーにも参加。 映画音楽も多く手掛けており、『19歳の地図』『さまよえる脳髄』『暗恋桃花源』『A Way With Words』故若松孝二監督『11.25』などがある。
吉田雅司(よしだ まさし、1948年2月 - )は、日本の実… 吉田雅司(よしだ まさし、1948年2月 - )は、日本の実業家。グレートアンドグランド代表取締役社長。マツモトキヨシホールディングス元社長、マツモトキヨシ元社長。栃木県足利市出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
須永 朝彦(すなが あさひこ、1946年(昭和21年)2月5… 須永 朝彦(すなが あさひこ、1946年(昭和21年)2月5日 -2021年(令和3年)5月15日 )は、歌人、小説家、評論家。幻想的な作風が特徴。栃木県足利市出身。 少年時代から和歌・短歌・俳句・詩などに親しみ、在原業平、和泉式部、式子内親王、藤原良経、藤原定家、與謝蕪村、与謝野鉄幹、與謝野晶子、北原白秋、木下杢太郎、日夏耿之介、安西冬衛などを愛誦。日本古典は『源氏物語』などの王朝物語や戦記から中世の短篇物語、江戸文芸全般に至るまで広く親しむ一方、能・浄瑠璃や歌舞伎など。近代文学は森鷗外・幸田露伴・泉鏡花・谷崎潤一郎・佐藤春夫・稲垣足穂・三島由紀夫など。外国文学はE.T.A.ホフマン、スタンダール、メリメ、トーマス・マンなどを愛読。
阿部 昭(あべ あきら、1943年〈昭和18年〉5月1日 -… 阿部 昭(あべ あきら、1943年〈昭和18年〉5月1日 - 2021年〈令和3年〉11月16日)は、日本近世史の研究者。 1943年、栃木県足利市に生まれる。1966年に東京教育大学文学部史学科日本史学専攻を卒業後、黒磯高等学校や宇都宮女子高等学校で県立高等学校教諭を務める。栃木県立文書館(wikidata)の1986年設立に際しては、指導主事として尽力し、1987年4月に国士舘大学文学部国史学専攻助教授に就任した。 1992年4月に同学の教授に就任し、学部長(2000年4月 - 2004年4月)、2004年からは法人常任理事を歴任したが、2013年3月をもって法人理事および教授職から退いた。
須藤 正彦(すどう まさひこ、1942年(昭和17年)12月… 須藤 正彦(すどう まさひこ、1942年(昭和17年)12月27日 - 2016年(平成28年)11月5日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事を経て、東京電力ホールディングス取締役。 栃木県足利市出身。栃木県立足利高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。1970年4月に弁護士登録後、みなと協和法律事務所に所属。法学博士。 東京弁護士会副会長、財団法人法律扶助協会常務理事、最高裁判所司法研修所教官(民事弁護)、日本弁護士連合会綱紀委員会委員長、東京都労働委員会公益委員、国際医療福祉大学客員教授を歴任。そごうグループ民事再生申立代理人、日本長期信用銀行内部調査委員を務める。 2009年(平成21年)12月28日に最高裁判所判事に67歳で就任。
小野田 隆雄(おのだ たかお、1942年7月25日 - )は… 小野田 隆雄(おのだ たかお、1942年7月25日 - )は日本のコピーライター。栃木県足利市出身。旧東京都立大学人文学部卒業。 父を住職に持つ家庭の五人兄弟の末っ子として生まれる。都立大学人文学部卒業後の1966年に資生堂に入社。宣伝文化部に配属される。 1969年に資生堂スペシャル化粧品のコピー「効果的なシャドウは眼をふせても美しい」でTCC新人賞を受賞。その後も1972年には自身の代表作となる資生堂シフォネットのコピーならびに、同社が刊行する月刊誌『花椿』の特集タイトルにも起用された「ほほ ほんのり染めて」を送り出し、一躍注目される。その後も「海岸通りのぶどう色」「レンガ通りの白い肌」「うれしくて、バラ色」など、資生堂から発売される製品や企業コピーを書き続けてゆく。
チアキ・イシイ(Chiaki Ishii、石井 千秋、194… チアキ・イシイ(Chiaki Ishii、石井 千秋、1941年10月1日- )は、栃木県足利市出身の柔道家。男性。1969年にブラジルに帰化した。得意技は大内刈。彼の2人の娘、タニア・イシイ(ポーランド語版)、バニア・イシイも柔道家である。 生家は天神真楊流柔術の流れを汲む柔道の足利造士館石井道場。五男の末っ子として生まれる。 祖父は慶応2年生まれの天神真楊流柔術の石井清吉柳喜斎源正義こと石井清吉。清吉は大正に入って嘉納治五郎から請われ道場の看板を柔道に変える。それ以来、父親の石井勇吉(1970年現在、柔道七段)は清吉に講道館の寒稽古・暑中稽古に送られみっちり鍛えられる。チアキはこのころ講道館六段が清吉に贈られたと述べている。
殿岡 昭郎(とのおか てるお、1941年7月7日 - )は、… 殿岡 昭郎(とのおか てるお、1941年7月7日 - )は、日本の政治学者、政治運動家。 栃木県足利市出身。1966年慶應義塾大学法学部政治学科卒業、1971年同大学院法学研究科博士課程単位取得退学。駒澤大学法学部講師(1971-74年)、東京学芸大学助教授(1974-1983年)を務めた[要出典]。 チベット(チベット自治区)、東トルキスタン(ウイグル)、南モンゴル(内モンゴル)の中国からの独立を主張しており、これらの地域の亡命政府と連携し独立運動を積極的に行っている。同時に中国によるこれら少数民族に対する大量虐殺、迫害などの人権侵害を紹介し、日本も中国を警戒すべしと主張している[要出典]。 維新政党・新風講師、日本戦略フォーラム政策提言委員などを務める[要出典]。
池田 典義(いけだ のりよし、1940年8月14日 - 20… 池田 典義(いけだ のりよし、1940年8月14日 - 2023年10月24日)は、株式会社アイネットの取締役会長。 栃木県足利市出身。1963年3月、埼玉大学文理学部卒業。同年4月、モービル株式会社入社。1971年4月、ガソリンスタンドの事務合理化支援を目的にフジコンサルトを設立。1991年4月、日本コンピュータ開発と合併し、アイネットに商号変更。1997年9月、アイネットが東京証券取引所二部上場。 2001年4月、ソフトサイエンスと合併し、新生アイネットとなる。2006年3月、アイネットが東京証券取引所一部上場。同年6月、アイネット代表取締役会長に就任。2011年11月、藍綬褒章受章。2015年6月、アイネット取締役会長に就任。
金子 正明(かねこ まさあき、1940年7月8日 - )は、… 金子 正明(かねこ まさあき、1940年7月8日 - )は、栃木県足利市出身の元レスリング選手、元陸上自衛官1968年メキシコシティーオリンピックレスリング競技男子63kg級金メダリスト。 足利工業大学附属高等学校でレスリングを始める。専修大学卒業後、自衛隊に入隊、陸上自衛官として自衛隊体育学校に在籍。バンタム級で第18回夏季オリンピック東京大会(1964年)を目指すが、代表選考会の最終予選で上武洋次郎に敗れて出場を逃す。 東京大会の後に階級をフェザー級に上げ、1968年第19回夏季オリンピックメキシコシティ大会に挑むことを決意、その当時には普及されていなかったウェイトトレーニングで体を作る。またその当時の日本レスリングの主流だった八田一朗(日本アマチュアレスリング協会会長)が提唱した攻撃重視スタイルにあえて背を向け、防御と巧みな試合運びで後半に勝負するという自己流カウンター型スタイルを確立、世界選手権を2連覇し、メキシコシティ大会では男子フリースタイルフェザー級において金メダルを獲得した。
橋本 幸治(はしもと こうじ、1936年1月21日 - 20… 橋本 幸治(はしもと こうじ、1936年1月21日 - 2005年1月9日)は日本の映画プロデューサー、元映画監督、東宝映画常務取締役。栃木県足利市出身。
稲村 利幸(いなむら としゆき、1935年10月29日 - … 稲村 利幸(いなむら としゆき、1935年10月29日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(8期)。 栃木県足利市出身。1954年、栃木県立足利高等学校卒業。 高校時代から政治家を志し、旧栃木2区選出の自由民主党衆議院議員小平久雄の事務所などに出入りする。1958年、学習院大学政経学部政治学科卒業。 政界に人脈を広げるために雄弁会に入会しようと考え、早稲田大学政治経済学部経済学科に学士入学。1961年、早稲田大学政治経済学部卒業。早大在学中、三木武夫の秘書として活動。大学卒業後、小平の秘書となる。 1963年、第30回衆議院議員総選挙に旧栃木2区から自由民主党公認で立候補し落選。
柏 まゆみ(かしわ まゆみ、1935年1月9日 - 1985… 柏 まゆみ(かしわ まゆみ、1935年1月9日 - 1985年6月)は、日本の元女優、元女性声優である。本名・旧芸名は持田 和代(もちだ かずよ)。 1935年(昭和10年)1月9日、栃木県足利市に生まれる。 栃木県立足利女子高等学校(2022年統廃合)卒業後、女優を志し、1953年(昭和28年)に東宝ニューフェイス第5期生として東宝に入社。本名の「持田 和代」を名乗り、1954年(昭和29年)10月13日に公開された小田基義監督映画『幽霊男』などに出演していたが、ほとんどが脇役・端役で役柄に恵まれず、1955年(昭和30年)に退社した。 退社後は映画界を離れ、こだまの会、テレビ8プロダクション、グループりんどうなどに所属、テレビ・ラジオの女優として活動する。
川島 博(かわしま ひろし、1933年 - 2018年2月1… 川島 博(かわしま ひろし、1933年 - 2018年2月18日)は、日本の作曲家。 栃木県足利市出身。東京芸術大学で長谷川良夫に作曲を師事した後、桐朋学園大学研究生指揮科を修了した。愛知教育大学教授と名古屋音楽大学教授を歴任し、現在は愛知教育大学名誉教授。 2013年11月瑞宝中綬章受章。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
高田 耕作(たかだ こうさく、1931年5月18日 - )は… 高田 耕作(たかだ こうさく、1931年5月18日 - )は、栃木県足利市出身のプロ野球選手。 足利工業高校から常磐炭鉱に入社した。1953年の全国炭鉱野球大会では優勝常連の日鉄二瀬相手に先発し、準パーフェクトゲームを演じた。 1954年に阪急ブレーブスへ入団。1955年に退団した。 阪急退団後は常磐炭鉱に戻り、その後1956年・1958年時点で東洋レーヨン滋賀に所属している。 阪急への入団時には、快速球という前評判があった。 実家は葉茶屋である。
辻宣道(つじ のぶみち、1930年12月7日 - 1994年… 辻宣道(つじ のぶみち、1930年12月7日 - 1994年7月25日)は、日本の牧師。栃木県足利市生まれ。元日本基督教団総会議長。祖父は中田重治。 1930年、父辻啓蔵牧師、母京(中田重治の次女)の間に足利に生まれる。1935年8月22日、3歳上の兄重蔵が渡良瀬川で溺死する。1939年には祖父中田重治が死去する。その後、父啓造は青森の教会に転勤になり、一家は青森に移る。1942年、父啓造師が宗教弾圧で検挙され、青森刑務所で獄死し、その後は京に育てられる。1949年に聖書農学園(現千葉英和高等学校)神学部を卒業し、その後静岡県焼津市で開拓伝道を行う。また日本基督教団静岡草深教会で牧会を行った。1994年、顎下腺癌のため召天する。
山本 鉱太郎(やまもと こうたろう、1929年9月15日 -… 山本 鉱太郎(やまもと こうたろう、1929年9月15日 - )は東京都江東区深川木場出身の旅行作家、劇作家。現在千葉県流山市在住。栃木県立足利高等学校、群馬大学卒。旅行をテーマにした作品の小説が多い。日本旅のペンクラブ代表。 2005年12月、社会教育功労者として文部科学大臣より表彰される。日本ペンクラブ、日本推理作家協会、旅行記者クラブ、日本旅のぺンクラブ、旅行作家の会会員。趣味はカメラ、郷土玩具収集、料理、水泳、ハーモニカ、スケッチ。いまも年間100日は国内外の旅を続けている。
関 敬六(せき けいろく、本名:関谷 敬二(せきや けいじ)… 関 敬六(せき けいろく、本名:関谷 敬二(せきや けいじ)、1928年3月25日 - 2006年8月23日)は、日本のコメディアン、俳優、声優。栃木県足利市出身。 1945年3月旧制栃木町立栃木商業学校(現・栃木県立栃木商業高等学校)を卒業して、陸軍特別幹部候補生として入隊するも、終戦で除隊。その後、法政大学政治経済学部に入学、1951年最後の旧制大学専門部を卒業した。 浅草の税務署に勤務していたが、出征中に演じた素人芝居が忘れられずに仕事をさぼって度々喜劇の舞台に出演するようになる。榎本健一のエノケン劇団を経て、浅草フランス座に所属した。当時は渥美清や谷幹一と出会い、三人で下積み時代を支えあった。
秋草 鶴次(あきくさ つるじ、昭和2年(1927年) - 平… 秋草 鶴次(あきくさ つるじ、昭和2年(1927年) - 平成30年(2018年)3月30日)は、元大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍一等兵曹(通信兵)。 全国各地で自身の戦争体験を伝える講演活動を行っている。 2018年3月30日午前0時7分、老衰のため栃木県足利市の病院で死去。90歳没。
武藤 山治(むとう さんじ、1925年7月8日 - 2001… 武藤 山治(むとう さんじ、1925年7月8日 - 2001年5月29日)は、日本の政治家。位階は正三位。日本社会党衆議院議員。 栃木県足利市出身。青年時代は勤労学生で、衆議院議員・金子益太郎の秘書をしながら早稲田大学政経学部を卒業する。その後、同大の大学院に進むが、1952年に大学院を中退して群馬県立館林女子高等学校の教員に就職。1955年、栃木県県議会議員に当選して2期務めたあと1960年の第29回衆議院議員総選挙で初当選を果たし、通算10期務めた。この間1977年に党政審会長、1986年に党副委員長、1988年に党代議士会会長を歴任した。一方で党内右派の政権構想研究会代表を務め、1981年に行われた日本社会党委員長選挙では飛鳥田一雄委員長の対抗馬として立候補し、落選。
近藤 義郎(こんどう よしろう、1925年2月14日 ‐ 2… 近藤 義郎(こんどう よしろう、1925年2月14日 ‐ 2009年4月5日)は、日本の考古学者。岡山大学名誉教授。戦後の日本考古学を主導した重要な考古学者の一人である。 1925年(大正14年)、栃木県足利市に生まれる。栃木商業学校(現栃木県立栃木商業高等学校)を卒業。京都大学文学部を卒業。岡山大学へ赴任して以後、晩年まで数々の発掘調査を実施し、重要な調査成果と研究論文を次々と発表した。岡山大学法文学部教授ののち、名誉教授。考古学研究会代表、岡山の自然を守る会会長、前方後円墳研究会代表などを歴任した。 1979年(昭和54年)、古代オリエント史を専攻する三笠宮崇仁親王が楯築墳丘墓を見学した際には現地で説明にあたった。
殿岡 政雄(とのおか まさお、1925年〈大正14年〉1月1… 殿岡 政雄(とのおか まさお、1925年〈大正14年〉1月15日 - )は、日本の経営者。栃木県足利市出身。 興国化学工業(現在のアキレス)創立者・殿岡利男の長男。1945年に桐生工業専門学校を卒業し、1947年に興国化学工業に入社。 取締役、常務、専務を経て、1971年6月に副社長に就任し、1977年1月には社長に昇格した。1992年6月に会長を経て、2001年6月には取締役相談役に就任した。 1986年11月に藍綬褒章を受章し、1995年11月に勲三等瑞宝章を受章した。
相田 みつを(あいだ みつを、雅号:貪不安(ドンフアン)、1… 相田 みつを(あいだ みつを、雅号:貪不安(ドンフアン)、1924年〈大正13年〉5月20日 - 1991年〈平成3年〉12月17日)は、日本の詩人、書家。平易な詩を独特の書体で書いた作品で知られる。書の詩人、いのちの詩人とも称される。栃木県足利市出身。本名は相田 光男(あいだ みつお)。 1924年、栃木県足利市に6兄弟の三男として生まれた。生家は名刹、鑁阿寺(ばんなじ)の東に位置していた。旧制栃木県立足利中学校在学中に書や短歌、絵に親しんだが、喫煙の濡れ衣をきせられ軍事教練の教官に嫌われたために進学を断念。卒業後は歌人・山下陸奥に師事した。1942年、歌会で生涯の師となる曹洞宗高福寺の武井哲応と出会い、在家しながら禅を学んだ。
興津 要(おきつ かなめ、1924年〈大正13年〉4月21日… 興津 要(おきつ かなめ、1924年〈大正13年〉4月21日 - 1999年〈平成11年〉10月20日)は、日本の近世文学研究家・落語研究家。早稲田大学名誉教授。専門は近世後期の滑稽本と明治期の落語、戯作、ジャーナリズム。位階は正五位。 栃木県足利市生まれ。栃木県立足利高等学校を経て、1949年早稲田大学文学部国文学科卒業。当時の同級生に立原正秋がいた。1951年まで大学院に在籍、教育学部助手。1956年同専任講師、1959年助教授、1968年早稲田大学教育学部国語国文学科教授、1995年定年退任、名誉教授。1999年死去。死没日付をもって正五位に叙された。 1972年から1974年にかけて講談社文庫として刊行した『古典落語』シリーズ全6巻は200万部を超すロングセラーとなり、現在は一部が講談社学術文庫で刊行されている。
飯田 善國(いいだ よしくに、1923年7月10日 - 20… 飯田 善國(いいだ よしくに、1923年7月10日 - 2006年4月19日)は、日本の彫刻家、現代美術家、詩人。 栃木県足利市生まれ。旧制館林中学卒。慶應義塾大学在学中に徴兵され中国を転戦した。帰国後慶應に復学した後、かねてからの希望だった画家を志して東京藝術大学に入学、梅原龍三郎らの教えを受け1953年に卒業した。その後は、池田龍雄らと制作者懇談会を結成し、芸術論の交換をしながら、戦争体験でばらばらになった世界観や自己への懐疑を再構築すべく、表現主義的な絵画で彼なりのリアリズムを築き上げようとした。 1956年からのローマ留学の間、彫刻のコースで学び、さらにヴォルスの絵画やヘンリー・ムーアの抽象彫刻に衝撃を受けてそれまで描いてきた「リアル」に対する概念をゆすぶられた彼は、より外に開かれた、実感に近いものを求めて彫刻制作に転じ、ウィーンやベルリンなど主に欧州で活躍し、木や石を素材に各地の展覧会に出展した。
飯田 善国(いいだ よしくに、1923年7月10日 - 20… 飯田 善国(いいだ よしくに、1923年7月10日 - 2006年4月19日)は、日本の彫刻家、現代美術家、詩人。
巷野 悟郎(こうの ごろう、1921年2月12日 - 201… 巷野 悟郎(こうの ごろう、1921年2月12日 - 2017年2月2日)は、日本の小児科医。 栃木県足利市生まれ。1944年東京帝国大学医学部卒業。1953年「乳児ヒポプラジーの研究」で東京大学より医学博士の学位を取得。東京大学医学部小児科、厚生省児童局母子衛生課技官、東京都立八王子乳児院長、市立札幌病院小児科医長、東京都立駒込病院小児科医長、副院長、東京都立府中病院長、東京家政大学教授。聖徳大学児童学科教授、こどもの城・小児保健クリニック院長。日本保育園保健協議会会長。日本母性保護協会先天異常調査委員会。全国ベビーシッター協会会長。 NHKラジオでの電話による育児相談でも知られる。筋拘縮症は乱注射による医原病であると報告した。
丸山 一彦(まるやま かずひこ、1921年(大正10年) -… 丸山 一彦(まるやま かずひこ、1921年(大正10年) -2004年?)は、国文学者。学位は、文学博士(東京教育大学・論文博士・1977年)(学位論文「一茶研究」)。宇都宮大学名誉教授。 栃木県足利市生まれ。東京文理科大学国文科卒、中学教師ののち秋田大学助教授、宇都宮大学教授、1977年「一茶研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。1985年定年退官、名誉教授、白鷗大学教授。1992年栃木県文化功労者。専門は近世俳文学。
上岡 一嘉(かみおか かずよし、1919年12月28日- 1… 上岡 一嘉(かみおか かずよし、1919年12月28日- 1991年3月6日)は、日本の経済学者。専門はマーケティング。学校法人足利学園および白鷗大学の経営者。 栃木県足利市出身。父上岡長四郎、母上岡た津は足利学園の創設者だった。 1938年、県立足利中学校卒業。1943年、早稲田大学商学部卒業、足利学園高等学校に勤務。1948年1月、GHQ民間情報局勤務。1949年5月、東京都庁経済局勤務。1954年10月、法政大学経済学部および経営学部講師。1956年4月、青山学院大学経済学部講師、1963年同教授。1967年、大阪学院大学教授。1976年2月、足利学園理事長に就任。1976年白鷗女子短期大学2代目学長。
川俣 晃自(かわまた こうじ、1917年8月16日 - 19… 川俣 晃自(かわまた こうじ、1917年8月16日 - 1999年7月5日)は、日本の劇作家、小説家、フランス文学者。東京都立大学名誉教授。 栃木県足利市出身。第一高等学校を経て、東京帝国大学仏文科卒。一高時代から小説を書き、戦後は都立大学助教授、教授、1957年小説「般若心経」が中央公論新人賞佳作として掲載される。66年戯曲「関東平野」で第12回岸田國士戯曲賞受賞。82年都立大を定年退官、名誉教授、獨協大学教授。
青木 正一(あおき しょういち、1917年8月10日 - 2… 青木 正一(あおき しょういち、1917年8月10日 - 2004年9月9日)は、栃木県足利郡葉鹿町(現:足利市)出身のプロ野球選手(投手)。 群馬県立桐生中学校(現:群馬県立桐生高等学校)では、エースで4番として1936年の選抜中等学校野球大会で準優勝。チームメイトに阪神タイガースでもチームメイトになる皆川定之がいた。 中学野球での実績から、タイガースは迅速に獲得交渉を進め、甲子園前の6月に翌年の契約を済ませている。当時は桐生監督の稲川東一郎と阪神の早川渉外の間に血縁関係があったことから交渉は円滑に進み、青木の入団の翌年に皆川もタイガースに入団した。 阪神では、リリーフの登板が多かったが、1938年秋には開幕投手を務めた。
川島 維知(かわしま これとも、1917年〈大正6年〉5月 … 川島 維知(かわしま これとも、1917年〈大正6年〉5月 - 2006年〈平成18年〉6月21日)は、昭和期に活躍した郷土史家。邑楽館林地方の郷土史、伝説を記録する多くの著作を残した。栃木県足利市出身。 1938年(昭和13年)9月群馬県館林町役場に就職、戦中は兵役に従事後、1958年(昭和33年)9月に館林市立図書館館長に就任。1973年(昭和48年)4月に同図書館参事、同7月に館林市教育委員会事務局参事。館林市史編集委員、邑楽町誌編纂委員会参与、群馬県百年史執筆委員などを歴任し、1975年(昭和50年)8月退職。その後1983年(昭和58年)3月まで嘱託として、群馬県史編さん室(1975年10月より)、邑楽町誌編纂室(1977年4月より)などに勤務し、群馬県史編さん調査委員もつとめた。
渡辺 利一郎(わたなべ りいちろう、1916年10月 - 1… 渡辺 利一郎(わたなべ りいちろう、1916年10月 - 1984年12月2日)は、日本の柔道家(講道館8段)。 現在の栃木県足利市に生まれ、小学4年生頃より本格的に柔道を始める。天才柔道少年と呼ばれ新聞にも掲載され話題になった。 1932年初段取得。現在よりも初段取得が難しく、2段を持っていれば警察署等で充分に柔道教師が務まった当時、渡辺は翌33年1月に2段となって飯塚国三郎(のち10段)の門下となり、同年8月には3段に昇段。翌1934年には4段に進んで1936年1月に弱冠19歳で5段と、異例の早さで昇段を重ねた。この間、飯塚の助手として東京農業大学や東京工業大学、慶應義塾大学、立正大学のほか水産講習所で指導の傍ら自身も修行に励み、講道館の高等柔道教員養成所を卒業した。
栗田 英男(くりた ひでお、1912年(大正元年)12月20… 栗田 英男(くりた ひでお、1912年(大正元年)12月20日 - 1996年(平成8年)10月4日)は、日本の商人(肥料商)、実業家(東京毎夕新聞社主、鉱山経営者)、総会屋、衆議院議員、美術評論家(栗田美術館創設者)。中央大学法学部中退。 栃木県足利市の豪商出身。復員後の1946年第22回衆議院議員総選挙に、栃木県全県区から諸派扱いで初出馬したが落選。 翌1947年の第23回衆議院議員総選挙では、新設の旧栃木県第2区から民主党公認で立候補し、初当選。政界進出と同時に栗田政治経済研究所を設立した。 在職中、栗田の拠出した金が汚職に用いられた疑惑が持ち上がり、1948年の衆議院不当財産取引調査特別委員会で証人喚問された。
笠原 良三(かさはら りょうぞう、1912年1月19日 - … 笠原 良三(かさはら りょうぞう、1912年1月19日 - 2002年6月22日)は、日本の脚本家、小説家。本名:笠原 良三郎。社長シリーズなどの喜劇映画の脚本を多く手がけた。 栃木県足利郡足利町(現:足利市)出身。1932年に日本大学芸術学部を中退し、1936年に日活多摩川撮影所脚本部に入社。1941年に新興シネマ脚本部に転属後、大映東京撮影所脚本部に移籍。1955年に東宝撮影所の契約者となる。弟子に東映ヤクザ映画の隆盛を支えた笠原和夫などがいる。オリジナル作品は自らノベライゼーションを行っている。 2002年6月22日、死去。90歳没。 銀座の若大将 - 日本一の若大将 海の若大将 - エレキの若大将 アルプスの若大将 - 歌う若大将 レッツゴー!若大将 - 南太平洋の若大将 - ゴー!ゴー!若大将 フレッシュマン若大将 - ニュージーランドの若大将 ブラボー!若大将 - 俺の空だぜ!若大将 社長になった若大将(テレビドラマ) 加山雄三 - 大矢茂 - 草刈正雄 田中邦衛 - 高松しげお - 湯原昌幸 星由里子 - 酒井和歌子 - 吉沢京子 - いけだももこ - 坂口良子 有島一郎 - 飯田蝶子 - 中真千子 - 三條美紀 - フランキー堺 - 高橋恵子 藤本真澄 - 神谷一夫 - 大森幹彦 - 安武龍 - 田波靖男 田波靖男 - 笠原良三 杉江敏男 - 福田純 - 古澤憲吾 - 岩内克己 - 小谷承靖
仁井田 一郎(にいだ いちろう 1912年(明治45年) -… 仁井田 一郎(にいだ いちろう 1912年(明治45年) - 1975年(昭和50年))は栃木県足利郡御厨町(現足利市)町議会議員・実業家・農業技術研究家。栃木県のイチゴ栽培技術を確立し、同県を日本有数のイチゴ生産地に発展させた。
秋草 篤二(あきくさ とくじ、1909年〈明治42年〉7月7… 秋草 篤二(あきくさ とくじ、1909年〈明治42年〉7月7日 - 2001年〈平成13年〉11月22日)は、日本の逓信官僚、実業家。日本電信電話公社総裁。 群馬県山田郡矢場川村(現・栃木県足利市)に生まれる。旧制太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)を経て、1934年(昭和9年)に東京商科大学(現・一橋大学)を卒業。卒業後、日本無線電信に入る。 戦後逓信省に入り、1947年(昭和22年)総務局監理課長。1949年(昭和24年)AT&T留学、電気通信省経理局会計課長となる。1952年(昭和27年)日本電信電話公社が発足すると同社に移り、資材部長、経理局長、理事、総務理事を経て1965年(昭和40年)副総裁。
久保 貞次郎(くぼ さだじろう、1909年5月12日 - 1… 久保 貞次郎(くぼ さだじろう、1909年5月12日 - 1996年10月31日)は、日本の美術評論家、小中学生を対象とした創造主義美術教育運動の指導者。跡見学園短期大学学長、町田市立国際版画美術館初代館長なども務めた。婚家の莫大な資産をもとに美術品蒐集でも知られ、芸術家の支援も行なった。旧姓・小此木。小此木真三郎は弟。 栃木県足利町で金物店を営む小此木仲重郎、ヨシの次男として生まれる。3歳で母を亡くし、継母と姉を母替わりに育つ。足利尋常西小学校、栃木県立足利中学校(旧制)を経て、成蹊高等学校 (旧制)に進学。欧米に憧れを抱いていた貞次郎は、1927年に国際語エスペラントを新聞広告で知って寮友らと学習を始め、1928年に日本エスペラント学会に入会。