市川 哲史(いちかわ てつし、1961年3月16日 - )は… 市川 哲史(いちかわ てつし、1961年3月16日 - )は、日本の音楽評論家、編集者、ラジオパーソナリティ、大学非常勤講師。岡山県津山市出身。O型。 大学浪人中の1980年から13年間、『ロッキング・オン』の雑誌を中心に洋邦問わず音楽評論活動を続ける。 当時、硬派な雑誌であった『ROCKIN'ON JAPAN』にX・BUCK-TICKといった後にヴィジュアル系と呼ばれるようなバンドを積極的に取り上げる。アーティストとの呑みの場をレポートをしたコラム「市川哲史の酒呑み日記」も連載した。 1993年に独立して10月に『音楽と人』を創刊するが、社長と編集長を同時に務めていた1998年に自律神経失調症とうつ病を発症して失踪し自殺未遂を起こす。
森本 美由紀(もりもと みゆき、1959年 - 2013年1… 森本 美由紀(もりもと みゆき、1959年 - 2013年10月10日)は、日本のイラストレーター。 岡山県津山市出身。家族は父母と2歳下の弟。父は大手メーカーのサラリーマン。幼い頃から絵を描くことが好きだった。 岡山県立津山高等学校卒業。内心では美大進学を希望していたが一般大学を受験するも失敗。両親の理解を得て上京し、美大受験のため予備校に通うも入学には至らなかった。 1979年5月にセツ・モードセミナーに入学し、ファッションイラストレーターとして活動していた長沢節に師事。在学中の20歳でイラストレーターとしてデビュー。以後、フリーランスのイラストレーターとして活動。ファッションスタイル画や、漫画、各種の記事やジュニア小説に挿絵も描いた。
早瀬 万豊(はやせ かずとよ、1958年6月14日 - )は… 早瀬 万豊(はやせ かずとよ、1958年6月14日 - )は、元関西大学野球部監督、元日本生命野球部監督。ポジションは投手、内野手。 岡山県津山市出身。岡山県作陽高校では遊撃手として活躍した。1976年の県大会予選では玉島商業高校に敗れ、甲子園への出場を果たすことができなかった。 高校卒業後は1年浪人し、関西大学に入学する。関西六大学野球リーグでは投手に転向し、通算23勝を挙げた。1981年(4年生)秋季リーグ戦の優勝決定戦で延長17回を完投し敗れた。 大学卒業後は、1982年に社会人野球の日本生命に入社する。1983年の社会人野球選手権では優秀選手に選ばれた。1985年の都市対抗野球では、エースとして5連投しチームの初優勝に貢献した。
小林 充佳(こばやし みつよし、1957年〈昭和32年〉11… 小林 充佳(こばやし みつよし、1957年〈昭和32年〉11月3日 - )は、日本の実業家。岡山県津山市出身。西日本電信電話(NTT西日本)相談役・前代表取締役社長 社長執行役員、関西経済連合会副会長。 岡山県立津山高等学校、慶應義塾大学大学院を卒業後、1982年に日本電信電話公社に入社(國領二郎とは同期)。1985年に日本電信電話(NTT)として民営化された後は、1993年から1995年まで岡山支店副支店長を務めていた。 その後、NTT西日本に移籍し、岡山支店長やサービスマネジメント部長、取締役を経た後、2012年にNTTの取締役技術企画部門長兼新ビジネス推進室長に就任し、2014年には、新ビジネス推進室長を退任し常務取締役技術企画部門長に昇格した。
川上 憲人(かわかみ のりと、1957年3月2日 - )は、… 川上 憲人(かわかみ のりと、1957年3月2日 - )は、日本の精神科医。東京大学名誉教授。東京大学副医学部長、日本産業衛生学会理事長、日本産業ストレス学会理事長などを歴任。紫綬褒章受章。 岡山県津山市出身。1975年岡山県立津山高等学校卒業。1981年岐阜大学医学部医学科卒業、医師免許取得。1985年東京大学大学院医学系研究科社会医学専攻単位取得退学、東京大学医学部公衆衛生学講座助手、医学博士。1990年テキサス大学公衆衛生大学院客員研究員。1991年東京大学医学部客員研究員。 1992年東京大学医学部公衆衛生学講座助手。同年岐阜大学医学部公衆衛生学講座助教授。2000年岡山大学医学部衛生学講座教授。
山本 博文(やまもと ひろふみ、1957年2月13日 - 2… 山本 博文(やまもと ひろふみ、1957年2月13日 - 2020年3月29日)は、日本の歴史学者。日本近世史専攻。東京大学大学院情報学環教授・東京大学史料編纂所教授。 1957年、岡山県津山市生まれ。東京大学文学部国史学専修課程で学び、1980年に卒業。東京大学大学院人文科学研究科に進み、1982年に修士課程修了した。 1982年、東京大学史料編纂所助手に採用された。1992年、学位論文『幕藩制の成立と近世の国制』を東京大学に提出して博士論文号を取得。1994年に東京大学史料編纂所助教授、2001年に同所教授に昇格。2010年からは東京大学大学院情報学環教授を兼任した。 2020年3月29日、腎盂癌のため死去。
植月 千春(うえつき ちはる、1957年 - )は日本のカー… 植月 千春(うえつき ちはる、1957年 - )は日本のカーヌーン奏者、ピアニスト、声楽家。岡山県津山市生まれ。岡山操山高校、京都市立芸術大学を卒業。ザルツブルグに留学。 ラウンジピアニストとして京都、サンフランシスコ、ベルギー、 シンガポール、東京と演奏の場を移す。 オルガンプレーヤーとしても、ホテルやイベントなどで演奏多数。イスラム教徒。 スポーツジムにてトルコ人と知り合いになったのをきっかけに、2001年に訪れた青山にあるトルコ料理店で、アラブの伝統楽器カーヌーンに出会った。同年には渋谷のモスク(東京ジャーミイ)にてイスラム教に入信し、イスラム名はヤスミン。以降はトルコにてターヒル・アイドーデュ、チュニジアにてジャメル・アビドに師事しカーヌーンの演奏方法を習得。
早瀬 晋三(はやせ しんぞう、1955年 - )は、日本の東… 早瀬 晋三(はやせ しんぞう、1955年 - )は、日本の東南アジア学者。早稲田大学教授。 岡山県津山市生まれ。1980年東京大学文学部東洋史学科卒業。1984年オーストラリア・マードック大学でPh.D.(歴史学)取得。1987年鹿児島大学教養部講師・助教授、1993年大阪市立大学文学部助教授、2001年教授、2013年早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授。2003年の『海域イスラーム社会の歴史―ミンダナオ・エスノヒストリー』で第20回大平正芳記念賞受賞。専門は海域東南アジア民族史、近現代アジア・日本関係史。
半田 善三(はんだ ぜんぞう、1950年(昭和25年)7月2… 半田 善三(はんだ ぜんぞう、1950年(昭和25年)7月27日 - )は、日本の政治家。岡山県津山市出身。元衆議院議員(1期)。財団法人亜細亜友之会理事長。
藤田 宗久(ふじた そうきゅう、1949年9月18日 - )… 藤田 宗久(ふじた そうきゅう、1949年9月18日 - )は、演劇集団 円に所属する愛知県名古屋市出身(生まれは岡山県津山市)の俳優。 東海中学校・高等学校、東京外国語大学ロシア語学科卒業。特技は3段の腕前を持つ剣道と英会話。 大学在学中に演劇に興味を持ち、岩松了や加藤文彦らと共に演劇部を創設。舞台芸術学院に1年通い、その後五月舎の研究所に入所。大学卒業後の1973年に劇団雲の研究生となる。1975年に劇団雲が演劇集団 円と劇団昴に分裂した際に円に参加。翌1976年、研究生ながら本公演『ペリクリーズ』の主演に抜擢される。1977年に円の正会員に昇格。 以降、演劇集団 円の公演はもとより映画、テレビドラマに多数出演。
春日 宏美(かすが ひろみ、1948年3月1日 - )は、日… 春日 宏美(かすが ひろみ、1948年3月1日 - )は、日本の女優、歌手。本名・川本好美。元松竹歌劇団の大幹部。 出生地は兵庫県神戸市。岡山県津山市育ち。岡山県美作高等学校卒業。1961年(昭和36年)、松竹歌劇団に入団。戦後の14期生。男役として活躍。1978年(昭和53年)に読売新聞社のSKD年間最優秀賞受賞。1979年(昭和54年)芸術選奨新人賞受賞。昭和50年代前半には大幹部に昇進。トップスターとして活躍するかたわら、渋谷ジァンジァンで、イヨネスコやノエル・カワードの舞台などにも出演。1981年(昭和56年)に大幹部筆頭の千草かほると、それに次ぐ沖千里が同時に退団し、大幹部筆頭になる。
岩本 敏(いわもと さとし、1947年7月8日 - )は、日… 岩本 敏(いわもと さとし、1947年7月8日 - )は、日本の編集者。小学館で漫画雑誌の担当や、雑誌『サライ』の編集長などを務めた。岡山県津山市出身。退職後は三重県亀山市在住。らくだ亭(小学館主催の落語会)初代席亭。フリーランス・エディター、エッセイスト。 岡山県津山市に生まれる。1963年、岡山県立津山高等学校入学。高校1年の夏、小学館発行の雑誌『ボーイズライフ』の創刊記念読者特派員として、ロンドン、パリ、ローマを巡る旅を経験。南山大学外国語学部イスパニヤ語学科卒業後、1971年に小学館に入社。 『ビッグコミック』、『FMレコパル』、『少年サンデー』編集部を経て、『BE-PAL』創刊に携わり、同誌デスク、副編集長、編集長を歴任。
堀江 正彦(ほりえ まさひこ、1946年〈昭和21年〉 - … 堀江 正彦(ほりえ まさひこ、1946年〈昭和21年〉 - )は、日本の外交官。カタール駐箚特命全権大使、マレーシア駐箚特命全権大使、地球環境問題担当特命全権大使を歴任した。2012年以降、国際連合「万人のための持続可能なエネルギー」諮問理事やマレーシア工科大学・日馬国際工科院担当特別教授を務めるとともに、現在は国際自然保護連合の理事(外務省参与・大使)、明治大学学長特任補佐、京都大学特任教授、筑波大学客員教授を勤めている。 岡山県津山市出身。1969年(昭和44年)大阪大学経済学部を卒業後、渡米し、1971年(昭和46年)チューレイン大学大学院経済学修士課程を修了する。1973年(昭和48年)大阪大学法学部を卒業し、外務省に入省した。
山崎 弘士(やまざき ひろし、1945年〈昭和20年〉12月… 山崎 弘士(やまざき ひろし、1945年〈昭和20年〉12月4日 - )は、フリーのラジオパーソナリティ、司会者、大学教授。元KBS京都アナウンサー。元京都放送常務取締役、顧問。岡山県津山市出身。津山市立北中学校、岡山県立津山高等学校、立命館大学法学部卒業。血液型O型。既婚、2女あり。 大学で放送のクラブに入り、野外コンサートや祇園のクラブなどで司会を始める。小島正雄に弟子入りを志願するが断られ、アナウンサーの道を勧められる。 1968年4月近畿放送入社(同期に久保房郎がいる)。軽妙な語り口(だみ声)と親しみやすいキャラクター、そして特徴のある髪型で人気を集めている。 アンタッチャブルに出てくるカポネの弟分のニティーの声を低音で真似ていたことから、学生時代から「ニティー」と呼ばれるようになった。
日笠 勝之(ひかさ かつゆき、1945年7月4日 - )は、… 日笠 勝之(ひかさ かつゆき、1945年7月4日 - )は、日本の政治家。株式会社桜梅桃里取締役相談役。 郵政大臣(第58代)、参議院法務委員長、参議院議員(1期)、衆議院議員(4期)等を歴任した。 岡山県津山市生まれ。岡山県立津山高等学校卒業。慶應義塾大学商学部卒業。大学卒業後は聖教新聞社や公明党・創価学会の職員を務める。 1983年、第37回衆議院議員総選挙に旧岡山県第1区から公明党公認で出馬し、初当選を果たした。以後4期連続当選。1994年、公明党も参加した非自民連立政権の羽田内閣で郵政大臣に任命され初入閣を果たしたが、羽田内閣は日本社会党の連立離脱によりわずか64日で退陣に追い込まれた。
増田 美子(ますだ よしこ、1944年2月20日 - 202… 増田 美子(ますだ よしこ、1944年2月20日 - 2024年8月10日)は、日本の服飾史学者。学習院女子大学名誉教授。 岡山県津山市生まれ。1966年お茶の水女子大学家政学部被服学卒、1968年同大学院修士課程修了。学習院女子短期大学助教授、教授。学習院女子大学教授。2015年定年退任、名誉教授。2012年国際服飾学会会長。 2024年8月10日、肺炎のため死去。
Mr.ボールド(ミスターボールド、1942年〈昭和17年〉5… Mr.ボールド(ミスターボールド、1942年〈昭和17年〉5月28日 - 2003年〈平成15年〉10月27日)は、一輪車を用いた芸を行う芸人である。岡山県津山市出身。本名は高取 宏輔(たかとり こうすけ)。最終所属は吉本興業。 1966年に入門。かつては「ファニー・ボールド」と称してコンビで女装してやっていたが、後にピン芸人となる。芸名であるボールドは「ハゲ」の意味で、その名の通りのスキンヘッドと口ヒゲが特徴。「コミックサイクル」と称した一輪車パフォーマンスと、岡山訛りの「感情的になるで」などシュールで辛口な独特の喋り口調で人気を博した。観客を巻き込んでお笑いをとる「客いじり」を得意としていた。
遠藤 賢次郎(えんどう けんじろう、1942年5月27日 -… 遠藤 賢次郎(えんどう けんじろう、1942年5月27日 - )は、岡山県津山市出身の政治運動家、特殊株主。クレーマーとしても有名。
立石 憲利(たていし のりとし、1938年〈昭和13年〉3月… 立石 憲利(たていし のりとし、1938年〈昭和13年〉3月7日 ‐ )は、日本の民俗学者、岡山県の民話研究家。岡山民俗学会名誉理事長、日本民話の会運営委員、岡山県語りのネットワーク会長。 岡山県久米郡津山市出身。2004年久留島武彦文化賞、2007年岡山県文化賞、山陽新聞賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
池上 洵一(いけがみ じゅんいち、1937年9月15日 - … 池上 洵一(いけがみ じゅんいち、1937年9月15日 - )は、日本の国文学者。神戸大学名誉教授。 岡山県津山市生まれ。1960年、神戸大学文学部卒業。1966年東京大学大学院博士課程単位修得中退。 同年熊本大学に勤務、1973年静岡女子大学助教授、のち神戸大学文学部教授に就任。2001年同大学を退官し名誉教授となる。2002年に「説話と記録の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。 永積安明の研究を継ぎ、『今昔物語集』『三国伝記』を専門とする。校訂、著作が多数あり、著作集が刊行されている。
河原 主尚(かわはら きみなが、1937年9月1日 - )は… 河原 主尚(かわはら きみなが、1937年9月1日 - )は、岡山県久米郡久米町坪井出身のプロ野球選手(内野手→外野手)。 岡山県立津山高等学校から、1957年に大阪タイガースにテスト入団。当初は打力を買われて、内野手の入団だったが、やがて強肩に注目が集まり、外野手にコンバートされてウエスタン・リーグに出場するようになった。一軍では打席に経つ事はなかったが、4試合代走で出場した事がある。翌1958年に引退。
押阪 忍(おしざか しのぶ、1935年〈昭和10年〉2月28… 押阪 忍(おしざか しのぶ、1935年〈昭和10年〉2月28日 - 2024年〈令和6年〉6月29日)は、日本のフリーアナウンサー、司会者、タレント、芸能プロモーター。元日本教育テレビ(NETテレビ、現在のテレビ朝日)アナウンサー。 岡山県津山市出身。「押阪」姓は飛鳥時代の皇族・押坂彦人大兄皇子がルーツという。岡山県立津山高等学校、立教大学経済学部を卒業した。5人兄弟の末っ子で、上の4人をすべて結核で失い、母親も早くに亡くした。そのため、同大学時代は実父の知人であった出羽海親方(元横綱・常ノ花)の伝手で出羽海部屋の書生を務めており、アナウンサーの中では非常に珍しい苦学生だった。 1958年4月、開局を翌年に控えた『日本教育テレビ』(NETテレビ、現在のテレビ朝日)にアナウンサーとして入社した。
井家上 隆幸(いけがみ たかゆき、1934年1月1日 - 2… 井家上 隆幸(いけがみ たかゆき、1934年1月1日 - 2018年1月15日)は、日本の文芸評論家、コラムニスト。日本推理作家協会会員。 岡山県津山市出身。岡山大学文学部卒。1958年に三一書房に入社し編集者となり、斎藤龍鳳『遊撃の思想』(1965年)、清水一行『小説 兜町』(1966年)、小沢昭一『私は河原乞食・考』(1969年)、竹中労『エライ人を斬る』(1971年)などを担当。 1972年に退社し、創樹社で『なにが粋かよ:斎藤龍鳳の世界』(1972年)を担当。その後、創刊準備中の日刊ゲンダイに編集局次長として入ったが創刊前に退社。再びフリーとなり、書評を中心に執筆活動を行う一方、白川書院に編集者として関わり、竹中労の「日本映画縦断」シリーズ(1974-1976年)、『聞書アラカン一代:鞍馬天狗のおじさんは』(1976年)、マキノ雅弘・稲垣浩編『山上伊太郎のシナリオ』(1976年)、高平哲郎『みんな不良少年だった』(1977年)、夏文彦『映画・挑発と遊撃』(1978年)などを担当。
谷口 慶治(たにぐち けいじ、1934年 - )は、日本の工… 谷口 慶治(たにぐち けいじ、1934年 - )は、日本の工学者、福井大学名誉教授。 岡山県津山市生まれ。岡山県立津山工業高等学校・機械科(1953年卒)。 大阪歯車工業(株)に勤務:機械設計(歯車減速機の設計)に従事。 第2級無線技術士(郵政省・1955年)・第1級無線技術士(郵政省・1957年)(独学による)。 航空自衛隊に勤務(第9期公募空曹の教育課程を修了。第6期地上無線整備員課程を修了。第30期教育技術員(Instructor Training Course)課程を修了。通信学校・第3科教官・2等空曹 (方位測定装置を担当)。幹部候補生学校・第14期幹部候補生の教育課程を修了。幹部候補生学校・第1教育部教官・見習い幹部1等空曹・3等空尉を経て、2等空尉(主に通信電子工学を担当)。
藤井 素介(ふじい もとすけ、1934年 - )は日本の歴史… 藤井 素介(ふじい もとすけ、1934年 - )は日本の歴史小説作家。本名、藤井 資右(読み同じ)。岡山県津山市生まれ。横浜市鶴見区在住。 高校中退後、塗装工、営業マン、会社役員など、さまざまな職に就く。1953年(昭和28年)大阪で内田朝雄主宰の「劇団月光会」の研究生となり、仕事をしながら舞台で経験を積む。のち、横浜の劇団「蒼生樹」座友となる。1993年(平成5年)、幕末の文化年間に八丈島への流人である父の付き添いとなり島に渡った旗本の嫡男、斎藤守孝の、赦免となるまでの25年に亘る生活を描いた『海鳴りやまず 八丈流人群像』が第4回時代小説大賞を受賞しデビュー。主に史実を基にした歴史小説を手掛ける。
福島 吉治(ふくしま よしじ、1933年10月5日 - )は… 福島 吉治(ふくしま よしじ、1933年10月5日 - )は、日本の実業家。元CSK会長、元セガ会長、元野村證券投資信託委託(現野村アセットマネジメント)会長、元野村證券副社長。岡山県津山市出身。 1933年岡山県津山市に生まれる。1956年に滋賀大学経済学部を卒業後、野村證券へ入社。同社取締役、常務取締役、代表取締役専務、代表取締役副社長、野村證券投資信託委託代表取締役社長を経て、1995年代表取締役会長。翌1996年にCSK代表取締役社長就任し、2000年代表取締役会長。2001年セガ取締役会長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
道吉 剛(みちよし ごう、1933年 - 2019年9月10… 道吉 剛(みちよし ごう、1933年 - 2019年9月10日)は、日本のデザイナー、装丁家。 岡山県津山市出身。桑沢デザイン研究所リビングデザイン研究科卒業。 1964年東京オリンピックではデザイン室のコーディネーターを務め(当時は季刊『グラフィック・デザイン』の編集部に在籍)、自らも一部でデザインに関わった。 1970年の日本万国博覧会(大阪万博)では協会副参事デザイン担当となった。 株式会社道吉デザイン研究室を設立。かつて大熊肇も勤務していた。
田口 勝彦(たぐち かつひこ、1931年1月24日 - 20… 田口 勝彦(たぐち かつひこ、1931年1月24日 - 2020年4月27日)は、日本の映画監督、テレビドラマの演出家、アニメーション監督、脚本家。脚本家としてのペンネームは山崎久、田口章一。岡山県津山市出身。シナリオ協会作家会員。日本映画監督協会会員。 日本大学芸術学部卒業後、東映へ入社。編集業務を経て、1年後に演出部へ異動。東映東京撮影所で1961年の『ファンキーハットの快男児シリーズ』である『ファンキーハットの快男児』、『ファンキーハットの快男児 二千万円の腕』の助監督を経て、東映東京制作所でテレビドラマの監督として活動。1966年に『悪魔くん』で監督としてデビューし、初期の「仮面ライダーシリーズ」や「スーパー戦隊シリーズ」のローテーション監督として同シリーズを支えた。
吉田 憲治(よしだ けんじ、1930年(昭和5年)1月17日… 吉田 憲治(よしだ けんじ、1930年(昭和5年)1月17日 - 2014年(平成26年)6月29日)は日本の実業家、元トマト銀行社長・会長。岡山県津山市出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
宮川 やすえ(みやかわ やすえ、1926年(大正15年)9月… 宮川 やすえ(みやかわ やすえ、1926年(大正15年)9月7日 - 2013年(平成25年)1月8日)は、ロシア児童文学翻訳家、拓殖大学名誉教授。岡山県津山市生まれ。本名・保栄。拓殖大学卒業後、外務省ロシア語研究会で学ぶ。拓殖大学教授、2000年(平成12年)定年、名誉教授。日ロ交流協会常任理事。児童文化功労者。日本児童文芸家協会顧問。 2013年(平成25年)1月8日、心不全のために死去86歳没。
風間 力三(かざま りきぞう、1922年2月7日 - )は、… 風間 力三(かざま りきぞう、1922年2月7日 - )は、日本の国語学者、甲南大学名誉教授。 岡山県津山市生まれ。1947年東北帝国大学法文学部文学科国語専攻卒、甲南大学助教授、教授、1986年定年退任、名誉教授、大手前女子大学文学部教授。
美土路 達雄(みどろ たつお、1917年(大正6年)5月1日… 美土路 達雄(みどろ たつお、1917年(大正6年)5月1日 - 1992年(平成4年)11月29日)は、日本の農業経済学者・教育学者・家政学者。専門は農業経済学・農民教育論・農業家政学・農業協同組合経営論など。農産物市場論において市場構造分析の基礎を築き、農協の経営主義を批判するなど、研究領域は多岐に渡る。教育学博士(北海道大学)。名寄女子短期大学名誉教授。 岡山県津山市生まれ。1938年第一高等学校 (旧制)卒業。1942年東京帝国大学農学部卒業。同年、日本勧業銀行に入社。1945年東京帝國大学大学院(旧制)特別研究生修了。その後、病気療養。1955年協同組合短期大学協同組合科助教授に就任。
柴田 健治(しばた けんじ、1916年11月14日 - 19… 柴田 健治(しばた けんじ、1916年11月14日 - 1984年3月9日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(4期)。 岡山県出身。1930年、倭文村(現津山市)秀実尋常高等小学校を卒業した。1946年に日本社会党に入党した。1948年8月2日に第5代倭文村長に就任した。1951年3月31日に村長を退任した。同年に岡山県議会議員選挙に久米郡選挙区から社会党で立候補して、当選した。1967年1月1日に辞職するまで4期務めた。同年の第31回衆議院議員総選挙で岡山1区から立候補して当選し4期務めた。この間、社会党岡山県本部委員長や党農林水産部会長などを務めた。1980年の第36回衆議院議員総選挙で落選。
久山 康(くやま やすし、1915年(大正4年)8月12日 … 久山 康(くやま やすし、1915年(大正4年)8月12日 - 1994年(平成6年)12月30日)は、日本の哲学者、プロテスタントの宗教学者。 岡山県津山市生まれ。1941年京都帝国大学文学部哲学科卒、1942年聖和女子大学教授、1946年関西学院大学予科教授、1949年関西学院大学文学部専任講師、1951年助教授、1957年教授、1962年同国際日本研究所理事長、1969年関西学院理事、1974年理事長・院長。1989年退任、関西学院大学名誉教授。1982 - 1988年キリスト教学校教育同盟理事長。1990年勲二等旭日重光章受勲。 長男・久山敦 (1947 - ) は植物学者・咲くやこの花館館長。
蓬郷 巌(ほうごう いわお、1913年 - 1998年)は、… 蓬郷 巌(ほうごう いわお、1913年 - 1998年)は、岡山県津山市河辺出身の官吏、郷土史家。 1913年岡山県で生まれる。本籍地は、津山市河辺である。1930年、金川中学校(現・金川高校)卒業後、岡山県職員となる。 以後、警察官、兵隊、県広報主幹、県民課長などを歴任し、1969年、退職。 1969年から、県政史、県議会史の編纂を嘱託され、その後、岡山県郷土史に関する数多くの著書を出版する。 また、岡山市半田町に在住し、半田町元町町内会の初代会長を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
棟田 博(むねた ひろし、1909年〈明治41年〉11月5日… 棟田 博(むねた ひろし、1909年〈明治41年〉11月5日 - 1988年〈昭和63年〉4月30日)は、日本の作家。自己の戦争体験を元に手記・随筆・小説を描いた「兵隊作家」のひとり。 1909年(明治41年)11月、岡山県英田郡倉敷村(現在の美作市林野)の伊藤家に生まれる。後に岡山県津山市の棟田家の養子となる。家は料亭を営み、常に芸妓の姿や三味線の音が絶えなかったという。旧制岡山県立津山中学校を経て、早稲田大学文学部国文科を中退する。地元に帰り、短歌同人に参加するなど、文学青年の道を歩む。 1928年(昭和3年)に徴兵検査甲種合格、1929年(昭和4年)1月、岡山歩兵第10連隊に現役兵として入営する。
芦田 高子(あしだ たかこ、1907年(明治40年)10月1… 芦田 高子(あしだ たかこ、1907年(明治40年)10月1日 - 1979年(昭和54年)3月13日)は、日本の歌人。 芦田高子は、岡山県勝田郡勝北町(現・津山市)に生まれた。高等女学校を経て、梅花女子専門学校(現・梅花女子大学短期大学部)国文科を卒業後、婦女世界社の編集部に入社。そのころ二つ年下の医学生と知り合い、1931年(昭和6年)に結婚。門野高子となる。高子は、学資を援助したり面倒をみて医師に育てたという。その後、パルモア英学院(現・パルモア学院専門学校、啓明学院)、三省堂大阪支店出版課に勤務した。 そして、夫が能登の生地で開業することとなり、高子も石川県鹿島郡鳥屋町(現・中能登町)に移住。
苅田アサノ(かんだ あさの、本名:堀江アサノ(ほりえアサノ)… 苅田アサノ(かんだ あさの、本名:堀江アサノ(ほりえアサノ)、1905年6月21日 - 1973年8月5日)は、日本の政治家、婦人運動家、著述家。元衆議院議員(日本共産党公認、1期)。夫は元日ソ協会副会長の堀江邑一。 岡山県津山町(現・津山市)生まれ。生家は代々地主の家系で、学生時代からロシア文学及び社会主義思想に傾倒し、日本女子大学国文科を卒業後の1931年、日本共産党に入る。入党以降財政面で支援を行うものの、1933年に治安維持法の疑いで検挙。転向の後1935年に出獄すると東洋経済新報社などを経て、1938年には郷里の岡山県に戻り西日本製紙に勤務する。 戦後は日本共産党に再入党し、1949年の衆院選に旧岡山1区から出馬し初当選を果たす。
西東 三鬼(さいとう さんき、1900年(明治33年)5月1… 西東 三鬼(さいとう さんき、1900年(明治33年)5月15日 - 1962年(昭和37年)4月1日)は、岡山県出身の日本の俳人。本名・斎藤敬直(さいとう けいちょく)。歯科医として勤める傍ら30代で俳句をはじめ、伝統俳句から離れたモダンな感性を持つ俳句で新興俳句運動の中心人物の一人として活躍。戦後は「天狼」「雷光」などに参加し「断崖」を主宰。 岡山県苫田郡津山町大字南新座(現在の津山市南新座)、父・敬止、母・登勢の四男として生まれる。家は代々漢学者の家系。1906年、父死去、以後長兄の扶養を受ける。高等小学校時代は条虫にかかり虚弱であった。1918年には当時大流行したスペイン風邪で母が死去し、東京の長兄のもとへ移住。
多胡 謙治(たご けんじ、1895年(明治28年)3月14日… 多胡 謙治(たご けんじ、1895年(明治28年)3月14日 - 1951年(昭和26年)7月14日)は、日本の歯科医師であり教育者である。東京女子歯科医学専門学校(現:神奈川歯科大学)教授。岡山県津山市出身。 1895年(明治28年)に岡山県勝田郡勝加茂村(現:津山市)の多胡又次郎の三男として生まれる。旧制高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学し、1916年(大正5年)に同校を卒業し、東京歯科医学専門学校(現:東京歯科大学)へ進学。1919年(大正8年)東京歯科医専を卒業し、24歳で直ちに同校の助手となる。 東京歯科医専の助手として勤務していたが、1921年(大正10年)12月に離職して、渡米する。
花谷 正(はなや ただし、1894年(明治27年)1月5日 … 花谷 正(はなや ただし、1894年(明治27年)1月5日 - 1957年(昭和32年)8月28日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。奉天特務機関員として柳条湖事件(満洲事変)に関与したとされ、太平洋戦争では第55師団長としてビルマ戦線で作戦を指揮した。人物・指揮ぶりの評価は一様ではなく、統率の強硬さを問題視する見解と、作戦指揮を評価する見解が併存している。 岡山県勝田郡広戸村村長・花谷章の息子として生まれる。津山中学校、大阪陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1914年(大正3年)5月、陸軍士官学校(26期)を卒業し、同年12月、歩兵少尉任官。歩兵第54連隊付となる。1922年(大正11年)11月、陸軍大学校(34期)を卒業した。
片山 一男(かたやま かずお、1892年(明治25年)3月7… 片山 一男(かたやま かずお、1892年(明治25年)3月7日 - 1953年(昭和28年)12月27日)は、大正から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・河本。 岡山県久米北条郡大井西村坪井下(久米郡大井西村、大井町、久米町を経て現津山市坪井下)で、素封家・河本芳太郎の長男として生れ、同村の親族、医師・片山恒四郎の養子となる。三宮電信局通信書記補を経て、実業家を目ざして同郷の西山和三郎の秘書となり、久米銀行千代支店長、山陽銀行千代支店長、同落合支店長、津山土地支配人、東京小松川土地建物常務取締役などを務めて成功をおさめ、岡山土地倉庫常務取締役、東京平井三業社長、宇部燃料工業社長、津山土地取締役、中国住宅取締役などを務めた。
妹尾 韶夫(せのお あきお、1892年3月4日 ‐ 1962… 妹尾 韶夫(せのお あきお、1892年3月4日 ‐ 1962年4月19日)は、日本の翻訳家・探偵小説作家。創作では妹尾アキ夫名義での活動が多い。 岡山県津山市生まれ。早稲田大学英文科卒業後、1922年(大正11年)頃から雑誌『新青年』等で英米中心の探偵小説の翻訳を手がける。ステイシー・オーモニア(英語版)、L.J.ビーストン、R.A.フリーマン、ハリス・バーランド、ブリットン・オースティン、アガサ・クリスティーの短編が特に多かった。1925年(大正14年)以降はアキ夫名義で創作も手がけ、30作から40作ほどの短編を発表している。 また、『新青年』で月評を担当していた胡鉄梅、『宝石』で月評を担当していた小原俊一は、共に妹尾の変名だといわれている。
谷口 久吉(たにぐち ひさきち、1889年 <明治22年> … 谷口 久吉(たにぐち ひさきち、1889年 <明治22年> 12月1日 - 1968年 <昭和43年> 11月2日)は、日本の経営者。中国銀行副頭取、山陽新聞社長、山陽放送社長を歴任。位階は正五位。 岡山県津山市出身。1908年に泰西学館中学部を卒業。1946年に中国銀行副頭取、1947年に山陽新聞社社長を経て、1953年4月には山陽放送社長に就任し、1965年5月には会長に退いた。 1961年に岡山県文化賞を授賞し、1962年に藍綬褒章を受章し、1965年に勲三等瑞宝章を受章。 1968年11月2日、心筋梗塞のために死去。78歳没。死没日付をもって正五位に叙された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
久山 知之(くやま ともゆき、1889年〈明治22年〉4月1… 久山 知之(くやま ともゆき、1889年〈明治22年〉4月1日 - 1968年〈昭和43年〉2月3日)は、日本の政治家、実業家、著述業。衆議院議員(岡山県第一区選出、当選6回)。岡山県会議員。 岡山県久米郡大井西村(現・津山市)に生まれた。久山茂樹の長男。1909年、家督を相続した。早稲田大学に学び、中退した。中国民報社に勤務し、記者となった。岡山県交通互助会長、高信銀行支店長、同支配人、久山工業所長、西美鉄道、美作電化工業各会社重役を務めた。 1919年、岡山県会議員に当選。1928年、衆議院議員に当選(6期連続当選)。立憲政友会に所属した。立憲政友会総務を務めた。1937年6月、第1次近衛内閣で司法政務次官に任ぜられ、1939年1月、退任した。
藤原 正章(ふじわら まさあき、1889年 - 没年不詳)は… 藤原 正章(ふじわら まさあき、1889年 - 没年不詳)は岡山県出身で日本代表となった自転車競技選手であり飛行家。後に藤原 延と改名した。 1889年(明治22年)8月26日、後の津山市茅町で誕生。神戸三宮で複数の銭湯を経営する藤原家の婿養子となる。神戸では同じ飛行機マニアの稲垣足穂と親しみ、一緒に実物大の模型飛行機を造っている。多くの輸入自転車が入って来ていた明治末期から大正にかけて自転車レースは非常に人気があり、自転車選手は子供たちの憧れだった。1913年(大正2年)神戸新聞社が主催する須磨の自転車競走会が開始され正章も参加。これは毎年2回行われ、関西勢だけでなく関東からも選手が来るなど活況を呈した。
広瀬 哲士(ひろせ てつし、1883年〈明治16年〉9月9日… 広瀬 哲士(ひろせ てつし、1883年〈明治16年〉9月9日 - 1952年〈昭和27年〉7月26日)は、日本のフランス文学者。慶應義塾大学教授。岡山県津山市出身。 1883年(明治16年)岡山県勝田郡河辺村瓜生原(現:津山市瓜生原)にて出生する。生家は、曽祖父に書家で有名な広瀬台山がいる。地元の旧制岡山県津山尋常中学(現:岡山県立津山高等学校)へ1期生として入学する。1900年(明治33年)に同校を卒業し、その後、東京にある旧制第一高等学校へ進学する。1904年(明治37年)7月に同校を卒業する。 この後、同年、東京帝国大学文科大学へ進学し、東大ではフランス語を専攻、1907年(明治40年)7月に同大学を卒業した。
川村 多実二(かわむら たみじ、1883年5月4日 - 19… 川村 多実二(かわむら たみじ、1883年5月4日 - 1964年12月16日)は、日本の動物学者。岡山県津山市出身。河川・湖沼を含む淡水域の生物学を創始。動物生態学や動物心理学などが研究の中心で、多くの研究者を育成したが、一般には鳥類の研究でより知られている。日本野鳥の会京都支部初代支部長でもあり、京都大学総合博物館や大阪市立自然史博物館には、川村が収集した日本周辺産と北米産の鳥類コレクションなどが所蔵されている。実兄は植物学者(キノコが中心)の川村清一。実弟は生理学者の福田邦三。 日本陸水学会の第2代会長も務め、名誉会員にもなっている。なお「陸水」という言葉は、海水を除く湖水や河水、地下水などの総称として川村が提唱した造語である。
川村 清一 (かわむら せいいち、1881年5月11日 - … 川村 清一 (かわむら せいいち、1881年5月11日 - 1946年3月11日)は日本の菌類分類学者。実弟は生物学者の川村多実二と生理学者の福田邦三。義兄は出隆。孫は建築家の川村純一。 岡山県津山市出身。旧制津山中学校卒業。日本における菌類分類学研究の草分けで、東京帝国大学理学部植物学科を卒業し、帝室林野局を経て千葉高等園芸学校(現・千葉大学)教授に就任。松戸市辺りに分布する菌類相の調査・研究を行った。代表著作に「原色日本菌類図鑑」がある。「牧野日本植物図鑑」中の菌類各種を執筆したことでも知られる。 著作の一部はデジタル化され、国立国会図書館デジタルコレクションなどで公開されている。
尾上 柴舟(おのえ さいしゅう 1876年〈明治9年〉8月2… 尾上 柴舟(おのえ さいしゅう 1876年〈明治9年〉8月20日 - 1957年(昭和32年)1月13日)は、日本の詩人・歌人・書家・国文学者。文学博士。帝国芸術院会員。勲二等瑞宝章受章者。旧名は北郷八郎。 岡山県苫田郡津山町(現・津山市)出身。本名は尾上八郎。元津山藩士・北郷直衛の三男として生まれ、同藩士・尾上動の養子となった。津山小学校高等科を卒業の後、父の転勤で兵庫県龍野(現・たつの市)に移住する。東京府尋常中学、一高を経て、東京帝国大学文科大学に進み1901年に卒業。哲学館(現・東洋大学)講師、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)講師・教授(1905年–)、高等官6等に叙せられて「第6臨時教員養成所」の教授を兼ねる(1906年–1907年度)。