今井 絵美子(いまい えみこ、1945年7月2日 - 201… 今井 絵美子(いまい えみこ、1945年7月2日 - 2017年10月8日)は、日本の小説家、時代小説作家。 広島県福山市生まれ。成城大学文芸学部卒業。画廊経営、テレビプロデューサーを経て、執筆活動を開始。 1998年、「もぐら」が第16回大阪女性文芸賞で佳作に選ばれる。 2000年、「母の背中」が第34回北日本文学賞で選奨に選ばれる。 2002年、『蘇鉄のひと 玉蘊』が第2回中・近世文学大賞の最終候補作となり、同作を刊行、小説家デビューを果たす。 2003年、「小日向源伍の終わらない夏」が第10回九州さが大衆文学賞大賞・笹沢左保賞を受賞。2015年、「立場茶屋おりき」シリーズが第4回歴史時代作家クラブ賞(シリーズ賞)を受賞。
株本 義久(かぶもと よしひさ、1944年4月23日 - 没… 株本 義久(かぶもと よしひさ、1944年4月23日 - 没年不明 )は、広島県福山市出身で朝日山部屋に所属した元大相撲力士。本名は株本 義輝。179cm、108kg。最高位は西十両9枚目。得意技は突き、押し。 1965年7月場所に21歳で初土俵。出世は早く、1970年1月場所に十両昇進を果たす。1971年5月場所に十両で4勝11敗と幕下陥落濃厚の成績となり、この場所限りで廃業した。
森 孝慈(もり たかじ、1943年11月24日 - 2011… 森 孝慈(もり たかじ、1943年11月24日 - 2011年7月17日)は、広島県福山市出身のサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィルダー。サッカー日本代表として56試合に出場し、1968年のメキシコシティオリンピックで銅メダルを獲得した。
高橋 浩(たかはし ひろし、1943年4月29日 - )は、… 高橋 浩(たかはし ひろし、1943年4月29日 - )は、テレビ朝日元編成局編成部長、東映アニメーション元社長(2003年 - 2011年)。広島県出身。 広島県福山市生まれ。父親は日立製作所に勤務し、戦後は東京中野で育ち、1950年、水力発電所の多い富山県に転勤となり、小学校2年から高校卒業まで富山市で育つ。映画好きだった父の影響で映画館に通い詰める。当時の富山は映画の上映環境が良くなく、一人で金沢や大阪まで汽車に乗って映画を観に行ったという。小学校・中学校時代に好きだったのは『新諸国物語 笛吹童子』や『紅孔雀』といった東映の時代劇だった。時代劇がピークを過ぎると洋画ばかり観るようになった。
久保田 勝(くぼた まさる、1943年1月3日 - )は、日… 久保田 勝(くぼた まさる、1943年1月3日 - )は、日本のラリーレーサー、カメラマン、冒険家。広島県芦品郡新市町(現・福山市)出身。 中学卒業後にTBSテレビやNHKのテレビクルーを経た後、1979年に横田紀一郎を中心としてパリ・ダカールラリーに出場するために結成された「TeamACP」にメカニック兼ドライバーとして参加し、1981年の第3回大会から1992年の第14回大会までオート部門において11年連続で参戦する。特に2度目の出場となった1982年の第4回大会では、内田正洋と共にトヨタ・カリーナ1500で参戦し、総合34位のみならず、市販車無改造・2輪駆動・バギー・マラソンの4部門において優勝という快挙を成し遂げた。
横山昭正(よこやま あきまさ、1943年- )は、日本のフラ… 横山昭正(よこやま あきまさ、1943年- )は、日本のフランス文学者、広島女学院大学名誉教授。スタンダールをはじめとする19世紀フランス文学が専門。 広島県福山市生まれ。1969年広島大学文学部卒、76年同大学院文学研究科フランス文学科博士課程満期退学。72-75年フランス政府給費生。広島女学院大学助教授、教授、2010年退任、名誉教授。1999-2004年広島平和記念資料館資料調査研究会委員。 2019年8月15日、広島県福山市において酒気帯び状態で車を運転し、軽自動車と衝突事故を起こした。軽自動車に乗っていた女性は頚椎捻挫などの怪我を負った。
小林 克也(こばやし かつや、1941年〈昭和16年〉3月2… 小林 克也(こばやし かつや、1941年〈昭和16年〉3月27日 - )は、日本のラジオDJ、ナレーター、タレント、俳優。広島県福山市野上町出身。DJに特異な分野を築いた第一人者、DJ草分けであり、ロックの伝道者。「ミスター音楽」と呼ばれる事もある。愛称はKORBY(コービー)。福山ふるさと大使 第1号。 キッスの日本公演に同行したアメリカ人ジャーナリストが「アメリカで立派に英語の先生になれる」と評するほど流暢な英語を話す。 広島大学附属福山高等学校卒業、慶應義塾大学経済学部中退。 父親を早くに亡くし、教師だった母親の手で育てられた母子家庭。大きなラジオがおもちゃで、小学校3年生の頃、ラジオの丸ダイヤルをひねると色んな言語の放送が入ってきた。
守屋 寿(もりや ひさし、守屋 壽、1941年 - )は、広… 守屋 寿(もりや ひさし、守屋 壽、1941年 - )は、広島県福山市出身の古地図収集家、実業家。元メリルリンチ日本証券会長。 広島県福山市出身。広島大学附属福山中学校・高等学校を経て、一橋大学卒業、ハーバード大学ハーバード・ビジネス・スクール修了。メリルリンチ日本証券会長などを歴任。古地図収集家としても知られ、2014年以降、郷里福山市の広島県立歴史博物館に古地図等1,226点からなる「守屋寿コレクション」を寄託した。同年、コレクションの中から、「享保日本図」の測量原図が発見された。2016年にも同博物館に寄託を行い、日本初の世界地図「万国総図」や「世界人物図」などが発見された。。2020年には年齢的に能力の限界を感じ蒐集活動を終了。
大本 圭野(おおもと けいの、1940年 - )は、日本の経… 大本 圭野(おおもと けいの、1940年 - )は、日本の経済学者。元東京経済大学経済学部教授。
加納 重文(かのう しげふみ、1940年 -2018年8月1… 加納 重文(かのう しげふみ、1940年 -2018年8月11日)は、日本の国文学者、京都女子大学名誉教授。 広島県福山市生まれ。1967年東京教育大学文学部卒、71年同大学院博士課程単位取得退学。秋田大学講師、平安博物館、78年京都女子大学助教授、教授。1994年大阪大学文学博士。2006年に定年退職、名誉教授。
石井 義信(いしい よしのぶ、1939年3月13日 - 20… 石井 義信(いしい よしのぶ、1939年3月13日 - 2018年4月26日)は広島県福山市出身の 元日本代表サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。 元フジタ工業(旧、藤和不動産/現、湘南ベルマーレ)監督、元日本代表監督。2001年よりFC東京アドバイザー。 福山市立西小学校–福山市立城北中学校–福山葦陽高等学校卒。石井らの時代に広島でサッカーが盛んだったのは広島市内だけで、福山の高校にサッカー部があったのは葦陽高校と広島大学福山分校の二校だけだった。当時の葦陽高校のグラウンドは福山城下にあり、野球、ラグビー、サッカー、陸上と共用で狭く、生徒総会で野球、ラグビー、サッカーのどのボールが一番危ないかの投票があり、断然野球が多く、野球部が潰れたという。
丹羽 敏之(にわ としゆき、1939年 - )は、元国際連合… 丹羽 敏之(にわ としゆき、1939年 - )は、元国際連合職員。元国際連合事務局、国際連合開発計画事務局事務次長補、国際連合児童基金事務局次長。広島県福山市出身。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。タフツ大学フレッチャースクール修了(国際関係学修士)。
麻生 実男(あそう じつお、1937年12月17日 - 19… 麻生 実男(あそう じつお、1937年12月17日 - 1991年11月22日)は、広島県福山市出身のプロ野球選手(内野手)。右投げ右打ち。1960年大洋V1戦士の一人で、勝負どころで快打を連発し大洋初優勝に貢献した。
森 健兒(もり けんじ、1937年8月13日 - )は、広島… 森 健兒(もり けんじ、1937年8月13日 - )は、広島県福山市生まれ、広島市育ちの元サッカー選手。木之本興三と共にJリーグを創設した最大の功労者である[3][4][5][6][7][8][9]。
藤井 弘(ふじい ひろむ、1935年9月29日 - )は、広… 藤井 弘(ふじい ひろむ、1935年9月29日 - )は、広島県福山市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。引退後の名前は「藤井 博」(読み方同じ)。初代ゴジラ、通称"ゴジさん"。
堀 澄也(ほり すみや、1935年4月27日 - )は、実業… 堀 澄也(ほり すみや、1935年4月27日 - )は、実業家。ヤクルト代表取締役会長。東京ヤクルトスワローズオーナー。広島県福山市出身。
近藤 千雄(こんどう かずお、1935年 - 2012年)は… 近藤 千雄(こんどう かずお、1935年 - 2012年)は、日本の翻訳家、作家、スピリチュアリズム研究家。台湾生まれ、広島県福山市育ち。 幼少時、母に奇妙な出来事が起こる体験を見聞きする。戦後すぐ兄を交通事故で亡くし、霊界への興味を持ち、浅野和三郎などの本を読むようになる。 高校時代、九州にやってきた霊能力者の間部詮信に出会う。間部は知るはずの無い兄の想いを語り、聞いていた母は霊界の存在を確信する。近藤はそれに間接的に影響を受け、自身の道を決定付けた体験だと語る。 その後、交霊会などを体験。明治学院大学英文科卒業。在学中から今日に至るまで英米の原典の研究と翻訳に従事。1981年・1984年英国を訪問、著名霊媒、心霊治療家に会って親交を深める。
宇田 誠(うだ まこと、1934年9月5日 - 2013年1… 宇田 誠(うだ まこと、1934年9月5日 - 2013年12月5日)は、広島県福山市出身の実業家。元広島銀行頭取、広島商工会議所会頭。 1934年、福山市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。 1957年、広島銀行に入行。以降広銀岡山支店長や取締役総合企画部長、専務営業総本部長など歴任する。 1994年、広銀頭取に就任すると、バブル崩壊以降の不良債権処理に尽力し経営安定に務め、海外路線に向かっていた銀行を地域重視路線へと舵取りし、広銀の再建に尽力した。1997年全国地方銀行協会副会長に就任。2000年頭取を退き広銀会長に、2006年広銀特別顧問に就任する。 また広銀会長時代の2004年、広島商工会議所会頭に就任した。
平川 公義(ひらかわ きみよし、1934年8月18日 - 2… 平川 公義(ひらかわ きみよし、1934年8月18日 - 2012年12月23日)は、日本の医学者である。東京医科歯科大学名誉教授。 広島県福山市で誕生。父が医師として開業していたことから、子供のころから将来は医者を目指していた。1953年(昭和28年)4月に東京大学へ入学。1969年(昭和34年)3月に医学部卒業後、東京大学医学部第一外科学教室(主任は清水健太郎)へ入局した。 日本脳神経外傷学会の平川賞は、遺族の寄付によって設立された 。
藤家 虹二(ふじか こうじ、本名:藤家 光嗣(ふじか こうし… 藤家 虹二(ふじか こうじ、本名:藤家 光嗣(ふじか こうし)、1933年9月2日 - 2011年10月24日)は、広島県福山市出身の日本のジャズクラリネット奏者。 1952年、広島県立福山誠之館中学(現広島県立福山誠之館高等学校)卒業。東京藝術大学音楽学部器楽科に首席で入学し、首席で卒業。在学中からジャズに身を投じるが、クラシックでも1956年、毎日音楽コンクール管楽器部門で第1位となった。 ベニー・グッドマンに傾倒し、その後はスウィング・ジャズ一筋に演奏を続け、平岡精二クインテット、セクステットから池田操とリズムキングを経て、1959年に南部三郎クインテットに参加。南部三郎が突如バンドを脱退したため、メンバーで相談の末、藤家がリーダーとなって、同年12月に藤家虹二クインテットとして再出発した。
土屋 弘光(つちや ひろみつ、1932年11月25日 - )… 土屋 弘光(つちや ひろみつ、1932年11月25日 - )は、広島県福山市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球解説者。引退後は、所属していた中日ドラゴンズの球団マネジャー・スカウト・コーチなどを務めた。
吉岡 郁夫(よしおか いくお、1932年5月19日 - )は… 吉岡 郁夫(よしおか いくお、1932年5月19日 - )は日本の解剖学者で民俗学者・人類学者。日本民俗学会会員、名古屋民俗研究会会員。自然科学と民俗学・文化人類学をテーマに多彩な調査・執筆活動をおこなっている。 広島県福山市出身。1958年に広島大学医学部を卒業後、名古屋大学医学部解剖学研究室大学院に進んで修了し、1966年に医学博士の学位を取得した。 愛知医科大学教授、愛知学院大学教養部教授を務め、1998年に退職した。この間の1978年に、明石原人を世界各地より出土した猿人、原人、旧人、新人の化石骨と比較して、旧人または現世人類の骨だと鑑定した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
山手 茂(やまて しげる、1932年3月15日 -2025年… 山手 茂(やまて しげる、1932年3月15日 -2025年4月15日 )は、日本の社会学者・福祉学者。新潟医療福祉大学名誉教授。 広島県福山市生まれ。1954年東京大学文学部社会学科卒業。 県立広島女子大学助教授、東京女子大学教授、東京都神経科学総合研究所研究員、茨城大学教授、東洋大学教授、新潟医療福祉大学社会福祉学部学部長、同名誉教授をそれぞれ歴任。 1997年「福祉社会形成とネットワーキング-社会学・社会福祉学論集2」で東洋大学社会福祉学博士。 日本保健医療社会学会会長、日本医療社会福祉学会会長、日本社会病理学会理事、日本介護福祉学会理事、日本学術会議社会福祉研連第16期・17期委員。
箱田 淳(はこだ じゅん、本名:箱田 弘志(はこだ ひろし)… 箱田 淳(はこだ じゅん、本名:箱田 弘志(はこだ ひろし)、1932年2月1日 - )は、広島県福山市出身の元プロ野球選手(内野手、投手)・野球解説者。
友竹 正則(ともたけ まさのり、1931年〈昭和6年〉10月… 友竹 正則(ともたけ まさのり、1931年〈昭和6年〉10月9日 - 1993年〈平成5年〉3月23日)は、日本の声楽家・バリトン歌手・詩人。広島県福山市出身。 広島県福山南高等学校(現・広島県立福山葦陽高等学校)から国立音楽大学声楽科に進み、卒業後二期会に所属。1955年、「カルメン」のモラレス役でオペラデビュー。 1960年、キングレコード専属となる。その後、童謡・オペラ・ミュージカルなど幅広く活躍し多くの人に親しまれた。 1979年1月から1981年12月まで、料理番組『くいしん坊!万才』で3代目レポーターを務めた。しかし大の梅干し嫌いであったため、番組内で梅干しが出された際も断るわけにはいかず、結局苦渋の表情で食べるシーンが後年の「NG大賞」などでも放送された。
池庄司 敬信(いけしょうじ けいしん、1929年6月9日 -… 池庄司 敬信(いけしょうじ けいしん、1929年6月9日 - 2007年7月31日)は、日本の政治学者・歴史学者。専門は、ロシア政治思想史・ロシア史。中央大学名誉教授。広島県福山市出身。 広島県立福山誠之館高等学校卒業。1953年中央大学法学部卒業。1958年同大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得退学。同年、同法学部助手。1961年同法学部専任講師。1962年同法学部助教授。1968年同法学部教授。1970年イギリス・ロシアで在外研究。1978年中央大学学生部長。その後、同通信教育部長。2000年中央大学定年退職。同名誉教授。 学外として武蔵野市宅地開発等紛争調整委員、武蔵野市特別職報酬等審議会委員。
渡辺 襄(わたなべ のぼる、1926年5月6日 - 2007… 渡辺 襄(わたなべ のぼる、1926年5月6日 - 2007年6月16日)は、毎日新聞社社長。 広島県福山市出身。1949年東京大学法学部卒。同年毎日新聞社に入社。政治部記者になり、政治部副部長、論説委員、論説主幹などを務め、1983年に取締役に就いた。1986年専務兼主筆、翌1987年に社長に就任した。1992年には相談役となり、1996年から顧問となった。また、1988年から2001年まで横綱審議委員を務めた。
京谷 好泰(きょうたに よしひろ、1926年1月24日 - … 京谷 好泰(きょうたに よしひろ、1926年1月24日 - )は、鉄道技術者、元日本国有鉄道浮上式鉄道技術開発推進本部長。リニアモーターカーの開発者で、リニア技術の今日的な基礎を築いた技術者、「リニアの父」。 広島県福山市生まれ。子供の頃から家族の時計をばらしてはまた組み立てたり、理科の実験に熱中した。戦時中は高校生ながら学業を休み、三井造船の艦艇電気工場で潜水艦に関する仕事に従事した。第六高等学校を経て1948年、京都大学工学部(旧制)卒業。最初は船の仕事を希望したが、母親に「船に乗ったらどこかへ行ってしまう」と泣きつかれ運輸省に入省。1年後国鉄が出来たので国鉄に移籍。戦争でやられた機関車を日本の復興のためにと徹夜で修理した。
岩田 勝(いわた まさる、1926年 - 1994年)は、日… 岩田 勝(いわた まさる、1926年 - 1994年)は、日本の民俗学者。特に神楽の分野で功績を残している。 広島県福山市出身。旧制下関中学校卒。郵政公務員。 「広島民俗」「山陰民俗」「岡山民俗」に神楽に関する論文を投稿。 1983年「神楽源流考」を上梓。 早稲田大学非常勤講師。勲四等瑞宝章。 岩田は神楽を託宣型と悪霊強制型に分類した。悪霊強制型は祟る神を守護神として転化して祀る型と依代に憑依せしめ攘却する型とに分類される。この悪霊鎮送説はそれまで神楽の根源と考えられてきた「籠ることで善神を身体に付着させて生命の更新を図る」という神座鎮魂論に対立する説となった。
竹鶴 威(たけつる たけし、1924年〈大正13年〉3月6日… 竹鶴 威(たけつる たけし、1924年〈大正13年〉3月6日 - 2014年〈平成26年〉12月17日)は、広島県福山市出身の日本の実業家で、ウイスキー製造者、技術者、会社経営者。ニッカウヰスキー(アサヒビールグループ)の元社長であり、同社の2代目マスターブレンダー。 叔父、後に養父は竹鶴政孝。息子はブランディングコンサルタントの竹鶴孝太郎。従妹は竹鶴リマ。
岡田 正勝(おかだ まさかつ、1922年12月8日 - 20… 岡田 正勝(おかだ まさかつ、1922年12月8日 - 2006年3月5日)は、日本の政治家。広島県福山市出身。民社党衆議院議員。 昭和15年(1940年)満州国撫順工業学校土木科を卒業し、戦後中日本重工業に入社。昭和26年(1951年)三原市議会議員に当選。5期務める。昭和46年(1971年)広島県議会議員に当選。2期を務めた後、昭和54年(1979年)旧広島3区から衆議院議員総選挙に立候補し当選する。当選回数4回。平成2年(1990年)第39回衆議院議員総選挙には立候補せず、引退した。 平成5年(1993年)勲二等瑞宝章を受章。平成18年(2006年)3月5日喉頭癌のため死去。83歳だった。
宮澤 弘(みやざわ ひろし、1921年(大正10年)9月22… 宮澤 弘(みやざわ ひろし、1921年(大正10年)9月22日 - 2012年(平成24年)5月26日)は、日本の内務・自治官僚、政治家。 自治省官房長、行政局長、消防庁長官、自治事務次官、法務大臣(第61代)、参議院議員(3期)、広島県知事(民選第4代)を歴任した。 戦前・戦後に衆議院議員を務めた宮澤裕の次男。内閣総理大臣を務めた宮澤喜一の弟。 自由民主党参議院議員の宮澤洋一の父。母方の祖父は鉄道大臣を務めた小川平吉。 娘の夫は大蔵官僚の加藤秀樹。 広島県福山市出身。宮澤裕の次男。宮澤三兄弟の幼少の頃を知る従姉妹の和田貞子によれば、「三人はいずれも二歳違いで、とても仲の良い兄弟でした。住まいは東京でしたが、夏になると伯父(裕)の故郷であるこの福山に帰ってきて、海水浴などにでかけていました。
坂部 武夫(さかべ たけお、1921年(大正10年)1月15… 坂部 武夫(さかべ たけお、1921年(大正10年)1月15日 - 1987年(昭和62年)1月26日)は、日本の実業家。旭硝子(現AGC)社長や、同社会長を務めた。 広島県福山市出身。旧制広島高校を経て1943年東京帝国大学法学部政治学科卒業、旭硝子入社。1975年取締役総務部長に昇格。1981年から社長を務めた。社長在任中に「21世紀に繁栄する企業作り」を標榜し、新製品、新規事業への投資を中心とする拡大路線を指揮。エレクトロニクス、エンジニアリングセラミックス、バイオテクノロジー分野などに積極展開した。健康悪化により1987年1月には会長に退いたが、まもなく肺炎のため死去した。享年66。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
山田 政治(やまだ まさはる、1920年〈大正9年〉2月18… 山田 政治(やまだ まさはる、1920年〈大正9年〉2月18日 - 2007年〈平成19年〉12月12日)は日本の政治学者。島根大学名誉教授。元九州国際大学学長。 広島県福山市出身。 島根大学では新設法文学部の初代学部長を務め基礎固めに尽力した。
占部 都美(うらべ くによし、1920年2月1日 - 198… 占部 都美(うらべ くによし、1920年2月1日 - 1986年7月31日)は、日本の経営学者。経営学博士(神戸大学・論文博士・1961年)(学位論文「現代企業に対する制度論的研究」)。神戸大学名誉教授。 広島県福山市出身。1937年福山盈進商業学校(現盈進高等学校)、1940年横浜専門学校(現・神奈川大学)卒、1943年東京商科大学(現一橋大学)卒業。大学では増地庸治郎ゼミナールに所属。卒業後三菱石油に入社。1945年同退職、1946年財団法人運輸調査局財務調査部勤務。1950-51年ピッツバーグ大学大学院への留学を経て、1952年神戸大学経営学部助教授、1963年教授、1983年定年退官、名誉教授、日本文理大学教授・商経学部長、松山商科大学(現松山大学)教授。
桑田 琢磨(くわた たくま、1919年12月19日 - 20… 桑田 琢磨(くわた たくま、1919年12月19日 - 2011年4月22日)は、日本の経営者。時事通信社代表取締役を務めた。 広島県福山市出身。1944年に中央大学を卒業し、同盟通信社での勤務を経て、1945年に時事通信社に入社。1974年に取締役に就任し、1978年から1980年までに代表取締役を務めた。 2011年4月22日肺炎のために死去。91歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
石井 卓雄(いしい たくお、1919年12月3日 - 195… 石井 卓雄(いしい たくお、1919年12月3日 - 1950年5月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。日本の敗戦後にベトナム独立のためにベトナム独立戦争に参加して戦没。グエン・ソン将軍の軍政顧問。クァンガイ軍政学校教官。トゥイホア陸軍中学教官。ベトナム独立戦争時には、「花谷」「チャン・チ・ズン(陳志勇)」「トン」を名乗った。
村上 正名(むらかみ まさな、1918年6月26日 - 20… 村上 正名(むらかみ まさな、1918年6月26日 - 2002年2月9日)は、日本の教育学者、郷土史家。元広島大学附属福山中学校・高等学校教諭。勲四等旭日小綬章受章。後に従四位に叙せられた。 「東洋のポンペイ」と呼ばれる草戸千軒遺跡の発掘に尽力した。個人的な調査と資料をもとに草戸千軒集落の発掘と保存を粘り強く行政に訴えつづけ、1961年に福山市が行った発掘調査に続き、1973年に広島県により調査所が、1976年調査研究所を発足させるに至った。これ以降、1990年までに行われた全面的な調査と研究が継続され、草戸千軒遺跡の全貌が明らかになり、広島県立歴史博物館の創設をもたらすことにもなった。 また、姫谷焼について、日本陶磁協会誌『陶説』を場として、当時まだ地方窯(じかたよう)としか見られていなかった色絵姫谷焼の貴重性を広く世に広めた。
大塚 全教(おおつか ぜんきょう、1918年 - 2007年… 大塚 全教(おおつか ぜんきょう、1918年 - 2007年10月29日)は、真言宗の尼僧、身体障害者。 広島県福山市出身。4歳でポリオ(小児まひ)となり、右腕と左肩から肘にかけて不自由となった。1939年大石順教に師事して1943年に出家得度、勧修寺境内で大石と暮らした。大石の設立した身体障害者自立支援団体「この花会」を引き継いだほか、自らも左足で書や絵画の創作活動を続けた。世界身体障害者芸術家協会名誉会員。 2007年10月29日、局所性腹膜炎のため死去。
外林 大作(そとばやし だいさく、1916年10月11日 -… 外林 大作(そとばやし だいさく、1916年10月11日 - 2012年4月2日)は、日本の臨床心理学者、横浜市立大学名誉教授。 広島県福山市生まれ。旧制広島県立福山誠之館中学校、旧制水戸高等学校を経て、1941年に東京帝国大学文学部心理学科を卒業。1949年東京学芸大学助教授、1950年横浜市立大学助教授、1951年ロール・プレイング療法を日本に導入。1956年教授。1982年定年退官、名誉教授。1989年勲三等旭日中綬章受勲。
守分 勉(もりわけ つとむ、旧姓藤井、大正5年(1916年)… 守分 勉(もりわけ つとむ、旧姓藤井、大正5年(1916年)4月19日 - 平成12年(2000年)8月16日)は、日本の銀行家。元中国銀行頭取・会長。 中国地方各地で、税務署長を務めた地主藤井宇一郎の5男として、広島県深安郡千田村(現福山市)で生まれる。 京都帝大卒後、神戸海上保険勤務を経て守分家の婿養子となる。 1948年(昭和23年)中国銀行入行。支店長、役員等歴任。義父である守分十の死去に伴い、頭取に就任する。 頭取在任時は、自主健全経営を堅持したほか、時代に即応した経営戦略を打ち出し人事諸制度の整備、改革の実施、事務管理体制の強化、店舗網の整備拡充、総合オンライン体制への移行や相次ぐ関連会社の設立などの施策を講じた。
横山 正(よこやま ただし、1913年2月27日 - 198… 横山 正(よこやま ただし、1913年2月27日 - 1989年11月29日)は、日本の芸能・演劇史研究者。 広島県福山市生まれ。1938年九州帝国大学文学部国文科卒、1944年京都帝国大学大学院退学。大阪学芸大学助教授、大阪教育大学教授。1962年「近世的性格に焦点をおいた浄瑠璃の史的研究」で大阪大学文学博士。78年定年退官、名誉教授。
武田 邦太郎(たけだ くにたろう、1912年(大正元年)12… 武田 邦太郎(たけだ くにたろう、1912年(大正元年)12月20日 - 2012年(平成24年)11月15日)は、日本の政治家。元参議院議員(1期)。日本新党副代表。1998年勲三等旭日中綬章を受章。 広島県福山市生まれ。福岡高等学校を経て、東京帝国大学文学部卒業後、鐘紡に入社。同社農林部に所属し、満洲において農業事業に取り組んでいるとき、職業軍人・石原莞爾と知り合う。これは、武田の従兄に当たる池本喜三夫が石原のブレインであったことも大きいという。 終戦を迎え、石原は生まれ故郷である山形県・鶴岡に戻り、遊佐の鳥海山麓に自給自足の農村共同体である「西山農場」を創設し、理想郷づくりをはじめる。石原が目指した「小さな満洲」建設には、武田や石原の一番弟子で、武田の良きパートナーであった曹寧柱をはじめ全国から「東亜連盟」の理想に共鳴するものが参加。
塩出 英雄(しおで ひでお、1912年4月6日 - 2001… 塩出 英雄(しおで ひでお、1912年4月6日 - 2001年3月20日)は昭和-平成時代の日本画家。 明治45年(1912年)4月6日、広島県福山市生まれ。17歳の時美術に志を立て、1931(昭和6)年上京し姻戚関係にあった尾道出身の片山牧羊に日本画の手ほどきを受ける。同年 帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)日本画科に入学。主に山口蓬春の指導を受けるかたわら、学科では同校の教頭金原省吾から東洋美学や東洋美術史、国文や漢文まで広く学び、その後金原が没する58年まで薫陶を受けることになる。また学外でも高楠順次郎に仏教学を学び、高楠が没する45年まで師事する。36年に美術学校を卒業するが、この間35年より奥村土牛に師事し、昭和12年(1937年)より院展で活躍。
宇田 要之助(うだ ようのすけ、1911年5月6日 - 20… 宇田 要之助(うだ ようのすけ、1911年5月6日 - 2006年6月14日)は、日本の洋画家。広島県福山市出身。 明治44年(1911年)5月6日、広島県沼隈郡水呑村(水呑町を経て現:福山市水呑町)に生まれる。 昭和初期、福山より同郷の彩美堂主人・土肥円修を尋ねて上京する。本郷洋画研究所、太平洋美術学校、番衆義塾に学び、安井曾太郎に師事した。新燈社展を始め、光風会展、白日会展、第一美術展、東光展、春陽展、二科展、第1回日展に入選する。 戦後は国展(国画会)及び埼玉県美術展に毎年出品し、それぞれ委員、審査員を務めた。 主に福島県の只見川に取材し、四季折々の自然に感じた生命感を、画面に形象化して制作した。
岡田 慶治(おかだ けいじ、1910年 - 1948年11月… 岡田 慶治(おかだ けいじ、1910年 - 1948年11月)は大日本帝国陸軍の軍人。階級は陸軍少佐。 広島県福山市出身。陸軍士官学校(43期)を出た後、1931年(昭和6年)に陸軍少尉。太平洋戦争では歩兵第56連隊大隊長としてビルマに侵攻。ジャワ島幹部候補生教育隊の教官、パレンバンの南方軍臨時施設隊、ボルネオの混成旅団の大隊長を歴任。 1946年(昭和21年)3月に復員し、長崎で海産物と塩を扱う合資会社を設立するも、1947年(昭和22年)3月、出頭に応じて巣鴨プリズンに収監。同年8月ジャワのチピナン刑務所に移送。スマラン慰安所事件の犯人として、バタビア臨時軍法会議にて死刑を宣告され、1948年(昭和23年)11月に銃殺刑に処された。
江草 隆繁(えぐさ たかしげ、1909年(明治42年)9月4… 江草 隆繁(えぐさ たかしげ、1909年(明治42年)9月4日 - 1944年(昭和19年)6月15日)は、日本の海軍軍人。海兵58期。五二一空陸上爆撃機搭乗員として参加したあ号作戦で戦死した。最終階級は海軍大佐。 1909年(明治42年)9月4日、広島県芦品郡有磨村下有地(現・福山市芦田町)に農家の九右衛門とキタの三男として生まれる。江草家は旧家で代々地主である。江草姓は、同地方の戦国時代の豪族などに見られ、広島と岡山の県境に多く見られる。 1925年(大正14年)、海軍兵学校と陸軍士官学校の両方を合格。江草は海兵に行く気だったが、入校直前の身体検査で結核と誤診されて海兵57期には入校できなかった。
池田 遊子(いけだ ゆうし、本名:保夫、1909年9月3日 … 池田 遊子(いけだ ゆうし、本名:保夫、1909年9月3日 - 2006年4月9日)は日本の彫刻家。仏像の制作を中心に制作活動を行う。その傍らアバンギャルドな作品も多数制作。1950年代には大阪市立美術館の三階屋根裏部屋を仕事場とし、次々と意欲的な作品を生み出した。
渋谷 昇(澁谷昇、しぶや のぼる、1904年〈明治37年〉9… 渋谷 昇(澁谷昇、しぶや のぼる、1904年〈明治37年〉9月23日 - 1994年〈平成6年〉6月6日)は、日本の実業家・政治家・慈善家。広島県福山市出身。福山市市議会議員。福山通運、ベッセルを創業し、しぶや美術館、福山通運渋谷長寿健康財団、財団法人渋谷育英会を創設した。1956年に紺綬褒章受章、以後、延べ15回受章。 広島県芦品郡有磨村下有地山村(現在の福山市芦田町下有地)に5人兄弟(2男3女)の男(4番目)として、かつて庄屋を務めた旧家に生まれる。父・新太郎は土建業を営み、比較的裕福な家であった。芦田川の治水事業を多く手がけ、地区の中心的な名家であったが、1919年(大正8年)7月に備後地方を襲った未曾有の大水害によって、手がけていた芦田川堤防工事、県道の補修工事、城山 の砂防工事のすべてが跡形も無く崩壊し、大損害をこうむった。
佐藤 勇二(さとう ゆうじ、1903年9月15日 - 197… 佐藤 勇二(さとう ゆうじ、1903年9月15日 - 1977年12月4日)は、日本の実業家。三菱自動車工業初代社長。 広島県福山市出身。山口高等商業学校を経て、旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業。 三菱造船勤務、水島航空機製作所業務部長、水島機器製作所営業部長、三菱重工業副社長などを経て、1970年三菱自動車工業初代社長に就任。クライスラーとの提携を実現。合弁事業を行い、アメリカへの進出を進め、1971年には北米のクライスラーチャンネルでコルトギャランの発売を開始。 1977年12月4日世田谷区の橋本病院で肝硬変のため死去。享年74。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。