明石 博義(あかし ひろよし、1936年1月7日 - 202… 明石 博義(あかし ひろよし、1936年1月7日 - 2022年9月25日)は、日本の実業家。元西日本鉄道社長・会長。 福岡県北九州市出身。福岡県立小倉高等学校を経て、1953年に慶應義塾大学経済学部を卒業後、西日本鉄道に入社。1987年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1997年から2003年まで社長を務めた。2003年から2008年まで会長を務めた。 その他、福岡交通センター会長、RKB毎日放送取締役なども歴任。 2015年に旭日重光章を受章。 2022年9月25日、大腸がんで死去。86歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
左方 郁子(さかた ふみこ、1936年 - )は、日本の歴史… 左方 郁子(さかた ふみこ、1936年 - )は、日本の歴史作家。 福岡県北九州市生まれ。奈良女子大学文学部史学科卒業後、立命館大学大学院文学研究科修了。立命館大学元教授で歴史家の奈良本辰也に師事した[要出典]。
原 徹(はら とおる、1935年12月26日 - 2021年… 原 徹(はら とおる、1935年12月26日 - 2021年12月14日)は、日本の映画プロデューサー、実業家。 トップクラフト代表取締役社長、株式会社スタジオジブリ常務取締役、株式会社スタジオジブリ代表取締役社長などを歴任した。 福岡県北九州市出身。福岡県立八幡高等学校を経て、早稲田大学入学。在学中に、しとうきねお、園山俊二、東海林さだお、福地泡介らとともに早稲田大学漫画研究会を創設。「漫画サンデー」に4コマ漫画を描く。漫画家の道は断念し、1959年に大学を卒業すると同時に東映動画に入社。 企画制作の仕事をし、1965年のテレビアニメ『宇宙パトロールホッパ』を始めとして、『ひみつのアッコちゃん』『魔法のマコちゃん』『さるとびエッちゃん』等少女向けテレビアニメの製作を担当。
櫻井 哲雄(さくらい てつお、1935年(昭和10年)8月7… 櫻井 哲雄(さくらい てつお、1935年(昭和10年)8月7日 - 2021年(令和3年)12月3日)は、日本の政治家。宮崎県延岡市長(3期)。 福岡県北九州市生まれ、宮崎県川南町育ち。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
岩崎 吉一(いわさき よしかず、1935年5月13日 - 1… 岩崎 吉一(いわさき よしかず、1935年5月13日 - 1994年6月13日)は、日本の美術評論家。 福岡県北九州市八幡西区香月生まれ。1963年学習院大学大学院美学美術史博士課程修了。1961年より東京国立近代美術館勤務、企画資料課長、次長。1994年6月13日、在職中に肺癌のため死去。
瓜生 良介(うりゅう りょうすけ、1935年3月3日 - 2… 瓜生 良介(うりゅう りょうすけ、1935年3月3日 - 2012年9月5日)は、日本の演出家、鍼灸師。劇団「発見の会」主宰。「ウリウ治療室」を開設し「快医学」を提唱。発見の会は「最初のアングラ劇団」と言われる。青年劇場の瓜生正美は兄。 1935年(昭和10年)、福岡県若松市(現・北九州市)に生まれる。兄たちの影響で、小中学生のころより劇団や人形劇に携わる。15歳のとき父が死去。1951年、若松高校に入学、演劇部に入部。18歳のとき家が破産。 1954年、19歳で上京。黒雅舎で印刷工として働く。1956年、舞台芸術学院に入学。1958年、劇団「舞芸座」の演出部に所属(23歳)。演出家・土方与志に師事。
岡本 義則(おかもと よしのり、1935年2月22日 - )… 岡本 義則(おかもと よしのり、1935年2月22日 - )は、福岡県北九州市小倉北区出身の元ボートレーサー。 兄の保は元オートレーサー。 1959年11月に6期生として選手登録され、彦坂郁雄・浅見敏夫・高田登らと共にデビュー。巧みなハンドルと卓越した整備力で、常に高い勝率をマークし、特に2コースの捌きは絶品であった。整備の熱心さから「走る教科書」と呼ばれ、前検日にはスタート特訓が終わると、真っ先に整備室の一角にある長机に陣取ってバルブの羽根を徹底的にいじっていた。その他の整備は一切せず、バルブ調整ばかりやっていた。1970年には驚異の171勝を挙げ、この記録は現在も破られていない。1980年には8月5日から10月17日にかけて22連勝を達成するが、現在も歴代3位の記録として残っている。
中村 明蔵(なかむら あきぞう、1935年 - 2025年1… 中村 明蔵(なかむら あきぞう、1935年 - 2025年12月23日)は、日本の日本史学者、鹿児島国際大学名誉教授。 福岡県北九州市生まれ。1960年奈良学芸大学卒業、1962年立命館大学大学院日本史学専攻修士課程修了。1994年「隼人と律令国家」で立命館大文学博士。ラ・サール高等学校教諭、鹿児島女子短期大学教授、鹿児島経済大学教授、校名変更で鹿児島国際大学教授。2006年定年、名誉教授。2006年南日本文化賞受賞。 飛鳥・奈良時代における古代律令政府の九州地方南部に対する支配政策、とくに隼人政策についての精緻な研究で知られる。 2025年12月23日、老衰のため鹿児島市の施設で死去した。90歳没。
入江 伸明(いりえ のぶあき、1934年(昭和9年)12月3… 入江 伸明(いりえ のぶあき、1934年(昭和9年)12月3日 - 2008年(平成20年)2月18日)は、日本の実業家。 福岡県北九州市八幡東区出身。1953年(昭和28年)福岡県立小倉高等学校卒業。早稲田大学卒業後、三井信託銀行(現・三井住友信託銀行)入行。 1961年(昭和36年)1月帰郷後、家業である入江興産(現社名・アステック入江)入社・常務取締役就任、1975年(昭和50年)9月代表取締役社長に就任。2005年(平成17年)10月には代表取締役会長に就任した。また、2005年(平成17年)6月~2007年(平成19年)6月の間、高田工業所社外監査役を務めた。 1999年(平成11年)4月、西日本工業大学理事長就任、2006年(平成18年)4月1日より九州歯科大学経営協議会学外委員を務めた。
末吉 興一(すえよし こういち、1934年(昭和9年)9月2… 末吉 興一(すえよし こういち、1934年(昭和9年)9月20日 - 2025年(令和7年)12月14日)は、日本の元政治家・官僚。国土庁土地局長を経て、北九州市長を1987年から2007年まで5期20年の長期にわたり務める。同市長を引退後は、外務省参与、内閣官房参与、財務省参与を歴任した。 2009年6月から2018年6月まで、アジア成長研究所(本部:北九州市小倉北区)理事長を務める。後に同研究所名誉理事長。 1934年(昭和9年)、兵庫県西宮市生まれ。本籍は小倉市(現:北九州市)。小学校時代の1945年(昭和20年)8月に第二次世界大戦の終結を経験したとき「世の中に絶対というものはない」と感じたという。
三隅 佳子(みすみ よしこ、1934年〈昭和9年〉9月7日 … 三隅 佳子(みすみ よしこ、1934年〈昭和9年〉9月7日 - 2018年〈平成30年〉9月7日)は、日本の地方公務員、教育者である。専門は家政学、ジェンダー問題。 福岡県北九州市出身。福岡県立小倉高校、共立女子大学を卒業後、5年間小学校の教員を務めた。退職後は子育てに専念する中でPTAや母の会の活動を始め、1978年(昭和53年)、北九州市社会教育指導員となる。 その後短大講師を経て1982年(昭和57年)、北九州市役所で初めて民間出身の女性管理職となり、翌1983年(昭和58年)には初代の婦人対策室室長に就任。1990年(平成2年)には市民局女性行政推進部長、併せて財団法人アジア女性交流・研究フォーラムの専務理事にも就任した。
鎌田迪貞(かまた みちさだ、1934年8月21日 - )は、… 鎌田迪貞(かまた みちさだ、1934年8月21日 - )は、日本の実業家であり、九州電力第6代会長である。九州・山口経済連合会会長など様々な役職を務める九州経済界の大物の一人である。趣味は読書とゴルフ、座右の銘は弱者にも配慮した「暖かい志」。2018年春の叙勲で旭日大綬章を受章。 鎌田迪貞と松尾新吾の間には、眞部利應社長の就任ややらせメール事件後の対応で、確執があったと言われる(下記参照)。 福岡県北九州市出身。1941年(昭和16年)に国民学校に入学。5年生の時に終戦を迎える。志望校であった福岡県立小倉高等学校は学区外であったが、学区内の禅宗の寺の小僧になり進学した。国語と数学が得意であった。
福地 茂雄(ふくち しげお、1934年6月11日 - 202… 福地 茂雄(ふくち しげお、1934年6月11日 - 2024年1月29日)は、日本の経営者。位階は正四位、旭日重光章受章。 アサヒビール(旧朝日麦酒)社長・会長・相談役、第19代日本放送協会(NHK)会長を歴任したほか、日本相撲協会横綱審議委員会委員も務めた。2011年、財団法人新国立劇場運営財団理事長に就任。2014年2月、一般財団法人防災検定協会顧問に就任。 福岡県戸畑市(現北九州市戸畑区)出身。福岡県立小倉高等学校商業科(その後同科は福岡県立小倉商業高等学校となる)を経て長崎大学経済学部卒業後、1957年4月、朝日麦酒に入社。以後、長く営業畑を歩んだ。 京都支店長、本社営業部長を経て、住友銀行(現三井住友銀行)出身の樋口廣太郎に抜擢され1988年3月に取締役就任、大阪支店長を兼務した。
森下 整鎮(もりした のぶやす、1933年9月4日 - 20… 森下 整鎮(もりした のぶやす、1933年9月4日 - 2018年10月26日)は、福岡県八幡市(現:北九州市八幡東区)出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 1952年から1958年及び1986年の登録名は森下 正夫(もりした まさお)。本名は森下 正弘(もりした まさひろ)。 八幡高校時代は高校屈指の強打者として注目され、2年次の1950年に遊撃手として春の選抜へチーム初出場。1回戦で萩北高のエース椙本勝を打ち崩し初勝利を飾る。続く準々決勝では、この大会に優勝した韮山高の東泉東二投手から5点を奪うが、9回裏逆転サヨナラ負けを喫する。この試合では9回まで5-2と勝っていたが、遊撃を守っていた森下が9回裏満塁のピンチでバックホームを大悪投し、サヨナラ負けを喫した。
小田 富士雄(おだ ふじお、1933年8月13日 - )は、… 小田 富士雄(おだ ふじお、1933年8月13日 - )は、日本の考古学者。学位は、文学博士(九州大学・論文博士・1980年)(学位論文「九州考古学研究 歴史時代篇」)。福岡大学名誉教授。 福岡県北九州市生まれ。福岡県立小倉高等学校卒、1957年九州大学文学部史学科卒業。1960年同大学院博士課程中退、九州大学文学部助手、1971年別府大学文学部助教授。1980年「九州考古学研究 歴史時代篇」で九州大学より文学博士の学位を取得。1983年北九州市立考古博物館館長。1988年福岡大学人文学部教授。1995-1999年下関市立考古博物館館長を兼ねる。2004年福岡大学定年退職、名誉教授。1977年西日本文化賞団体賞、1992年『日韓交渉の考古学』で雄山閣考古学賞受賞。
敷田 稔(しきた みのる、1932年2月13日 - 2017… 敷田 稔(しきた みのる、1932年2月13日 - 2017年9月12日)は、日本の元検察官、弁護士。 1932年2月13日福岡県北九州市生まれ。福岡県立東筑高等学校、九州大学法学部法律学科卒業。1956年検事任官。1957年ハーバード大学ロースクール留学。
松永 怜一(まつなが れいいち、1931年11月3日 - 2… 松永 怜一(まつなが れいいち、1931年11月3日 - 2022年5月12日)は、福岡県北九州市出身のアマチュア野球指導者。 学生・社会人野球界で監督を歴任。野球が公開競技であったロサンゼルスオリンピックでは野球日本代表を監督として金メダルに導いた。 八幡市立(現在の北九州市立)槻田小学校時代、家の近くの八幡製鉄のホームグラウンド大谷球場(現在の北九州市立大谷球場)で八幡製鉄と門司鉄道管理局の春・秋の定期戦「製門戦」に夢中になる。 福岡県立八幡中学校(1948年の学制改革により福岡県立八幡高等学校となる)では三塁手、三番打者として活躍。同じ北九州の福岡県立小倉中学校(のち福岡県立小倉高等学校)がエース福嶋一雄(2013年野球殿堂入り)を擁し、1947年から夏の甲子園で連続優勝、打倒小倉高が目標となる。
大社 淑子(おおこそ よしこ、1931年9月25日 - )は… 大社 淑子(おおこそ よしこ、1931年9月25日 - )は、日本の英文学者、翻訳家。早稲田大学名誉教授。 福岡県北九州市生まれ。青山学院大学文学部卒業、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了、法学部教授、2002年定年、名誉教授。ほか、梅光女学院大学専任講師、関東学院大学助教授を歴任した。 英文学を専攻し、現代の英国女性作家を研究、翻訳、特に米国黒人女性作家のトニ・モリスンの翻訳で知られるが、アイヴィ・コンプトン=バーネットの研究書も出した。
奥谷 喬司(おくたに たかし、1931年9月15日 - 20… 奥谷 喬司(おくたに たかし、1931年9月15日 - 2025年1月10日)は、日本の動物学者、東京水産大学名誉教授。専門は軟体動物の分類・生態・資源。 福岡県門司市(現:北九州市門司区)出身。1954年東京水産大学増殖学科卒業、1966年「相模湾およびその周辺海域の深海性貝類の分類、分布生態ならびに古生態学的関連についての研究」で東京大学より理学博士の学位を取得。 1954年水産庁東海区水産研究所、1961年から1962年米国スクリプス研究所に学び、1979年国立科学博物館動物研究所研究室長、1984年東京水産大学教授となり、1996年定年退官、名誉教授、日本大学生物資源科学部教授、海洋科学技術センター。
阿部 洋(あべ ひろし、1931年6月19日 - 2025年… 阿部 洋(あべ ひろし、1931年6月19日 - 2025年1月 )は、教育学者、国立教育研究所名誉所員、福岡県立大学名誉教授。 北九州市出身。1954年九州大学教育学部卒、1959年同大学院教育史専攻博士課程満期退学、九大助手、福岡工業大学助教授、国立教育研究所に入り、アジア教育研究室長、名誉所員。福岡県立大学教授、2000年退官、名誉教授。南京師範大学名誉教授。1992年、「清末中国における近代学校制度の成立過程に関する研究」で九州大学より教育学博士を授与された。
福嶋 一雄(ふくしま かずお、1931年1月6日 - )は、… 福嶋 一雄(ふくしま かずお、1931年1月6日 - )は、日本の野球選手(投手)。1940年代から1950年代にかけてアマチュア野球でプレーした。
秋吉 久紀夫(あきよし くきお、1930年1月7日 - )は… 秋吉 久紀夫(あきよし くきお、1930年1月7日 - )は、日本の詩人・中国文学者。九州大学名誉教授。 福岡県北九州市生まれ。本名・勝廣。九州大学文学部卒。1977年「近代中国における文学運動の展開」で九大文学博士。近畿大学第二教養部(福岡)助教授、福岡女子大学教授、九大文学部教授。1993年定年退官、名誉教授。1993年翻訳特別功労賞(日本翻訳家協会)。1998年福岡県詩人会特別賞。2001年第一回詩界賞(日本詩人クラブ)。2011年福岡県詩人会先達詩人顕彰。
久野 浩平(ひさの こうへい、1929年11月2日 - 20… 久野 浩平(ひさの こうへい、1929年11月2日 - 2010年1月1日)は、日本のテレビドラマおよびラジオドラマの演出家、ディレクター。福岡県北九州市出身。 九州大学卒業後、ラジオ九州(現:RKB毎日放送)に入社し、ラジオドラマのディレクターとして活躍。『魚と走る時』などを担当した。また、『中村一郎』で、劇作家として駆け出しだった寺山修司を見出した人物でもある。 その後、テレビドラマでも活躍し、特に「東芝日曜劇場」や「近鉄金曜劇場」など、TBS系列に全国放送されたRKB制作の単発ドラマを数多く演出。『死ぬほど逢いたい』、『ひとりっ子』(放送中止)、『山ほととぎす ほしいまま』、『海より深き』、『目撃者』といったテレビ創生期の名作を生み出した。
中西 睦(なかにし ちかし、1929年(昭和4年)6月13日… 中西 睦(なかにし ちかし、1929年(昭和4年)6月13日 - 1995年(平成7年)12月9日)は、日本の経済学者、元早稲田大学商学部教授。交通経済学専攻。 福岡県北九州市出身。早稲田大学商学部卒、早稲田大学大学院商学研究科修了。早稲田大学助教授を経て教授に就任。他に、港湾審議会委員(1973年~)、運輸政策審議会委員(1980年~)などの要職を歴任した。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
禿河 徹映(とくがわ てつえい、1928年10月13日 - … 禿河 徹映(とくがわ てつえい、1928年10月13日 - )は日本の大蔵官僚。 北九州市出身。1952年、東京大学法学部卒業後、大蔵省に入省。 1974年大臣官房秘書課長、1977年主計局次長、1980年経済企画庁官房長、1981年証券局長。内閣官房内閣審議室長をへて、総理府次長、1985年退官。国民金融公庫副総裁、日本証券業協会副会長。事務次官候補だったが総理府に転じた。同期には越智通雄、福田幸弘などがいる。1950年組、51年組、53年組の影響もあってか事務次官は出ていない。
村上 尚文(むらかみ なおふみ、1928年9月17日 - 2… 村上 尚文(むらかみ なおふみ、1928年9月17日 - 2000年12月25日)は、日本の検察官。広島高等検察庁検事長などを務めた。位階は正三位。勲等は勲二等。 福岡県北九州市出身。1952年東京大学法学部卒業。大学3年の在学中に司法試験合格を果たす。 著書は約30冊におよび、警察官向けのテキストが多く、中には東京地方検察庁特別捜査部長などを歴任した河上和雄や藤永幸治との分担執筆や共著の書籍もある。 元最高裁判所裁判官である団藤重光を支持する。 1998年、勲二等旭日重光章を受章。2000年12月25日、肝臓疾患のため死去。 刑法を研究する。刑事責任について、精神科医に精神医学は未知の分野であることを告げられ、また、道路交通の実務体験では、目撃証言や裁判官の見解次第で過失か否かが次々と覆ることなどから、責任能力や過失については運が良いか悪いかが決め手であるとし、これを「運天主義」と呼んだ。
芳賀 綏(はが やすし、1928年3月17日 - 2017年… 芳賀 綏(はが やすし、1928年3月17日 - 2017年10月3日、日本の日本語学者。東京工業大学名誉教授。 福岡県北九州市出身。1953年に東京大学文学部を卒業し、1957年に東洋大学助教授となったのち、藤女子大学助教授、法政大学助教授、東京工業大学教授を歴任。1992年に定年退官、静岡県立大学教授に就任。その間西ドイツ・ボーフム大学客員教授、NHK部外解説委員も務めた。保守的な立場での政治評論も多く書いている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
中村 卓彦(なかむら たくひこ、1928年1月31日 - 1… 中村 卓彦(なかむら たくひこ、1928年1月31日 - 1995年3月10日)は、昭和から平成時代の労働運動家。日本鉄鋼産業労働組合連合会(鉄鋼労連)委員長。福岡県北九州市生まれ。 1945年4月陸軍幼年学校卒業、陸軍予科士官学校に入学、在学中に敗戦。1947年2月日本製鐵に入社、八幡製鐵所化工部に勤務。1951年3月明治工業専門学校二部卒業。1955年2月八幡製鉄労組専従執行委員。同年に八幡製鉄労組内のインフォーマルグループ・盟友会に入会。先輩の宮田義二が自宅で開いていた「宮田学校」の門下生にもなった。1960年8月同志会の蔀充にかわり八幡製鉄労組書記長に選出。1968年IMF-JC事務局次長。
関谷 ひさし(せきや ひさし、1928年1月14日 - 20… 関谷 ひさし(せきや ひさし、1928年1月14日 - 2008年2月25日)は、日本の漫画家。福岡県北九州市出身。本名:関谷久(読み方はペンネームと同じ)。 門司商業学校(現福岡県立門司大翔館高等学校)2年生の頃から漫画を描き始める。卒業後は松山練習航空隊入隊、自動車部品販売店勤務を経て、新九州新聞社に入社、タブロイド月3回刊の『まんが新九州新聞』の記者となる。社の経営が次第に思わしくなくなり、中央の漫画家に原稿料支払いが困難になると、代わりに作品を描いた。1957年に新聞の休刊とともに新九州新聞社を退社して上京。 本格的に漫画家生活に入った翌年の1958年には『ジャジャ馬くん』(『冒険王』)がヒットし人気を集めた。
高橋 久子(たかはし ひさこ、1927年9月21日 - 20… 高橋 久子(たかはし ひさこ、1927年9月21日 - 2013年12月21日)は、福岡県北九州市出身の労働省官僚。最高裁判所判事。位階勲等は従三位勲一等瑞宝章受章。 門司高等女学校卒業後に東京大学経済学部に進学。卒業後の1953年に労働省入省。内閣審議官、労働省婦人少年局長を歴任し、1982年に退官。 婦人少年協会会長、アジア女性交流・研究フォーラム理事長、21世紀職業財団会長を務めた後、1994年2月9日に女性としては初めて最高裁判所判事に任命される。当時の内閣は3人の女性閣僚がいた細川内閣であり、細川護煕は「大きなプレゼント」とコメントした。 2000年、勲一等瑞宝章受章。 1997年9月20日 最高裁判事を定年退官。
出光 昭介(いでみつ しょうすけ、1927年7月13日 - … 出光 昭介(いでみつ しょうすけ、1927年7月13日 - 2023年12月20日)は、日本の実業家。出光興産名誉会長。 1927年、福岡県北九州市で出光佐三の長男として生まれる。東京府立第一中学校、府立高等学校を経て、ハーバード大学へ進学した。その後、出光興産へ入社する。1981年6月から第5代社長に就任し 、1993年5月まで務めた。会長を経て、2001年に代表権の無い名誉会長に退いた。 出光美術館(2代目館長)、松ヶ岡文庫(理事長)、一般財団法人不審菴(1981年理事)、表千家同門会(1996年東京支部長、2004年名誉会員、2011年東京支部名誉支部長)などでの文化的活動にも積極的に参加した。
岡部 和慶(おかべ かずよし、1927年 - 2010年)と… 岡部 和慶(おかべ かずよし、1927年 - 2010年)とは、日本の孔版家。ガリ版の職人・指導者。 多色刷りの技術、写真・クレヨン画・水彩画・油絵・木版画・浮世絵・水墨画のように見える技術など、様々な技術を駆使して作品を作り上げる。文字においても、楷書体・ゴシック・明朝体・新聞活字などを使い、3ミリ・2ミリの文字で冊子を作ったり、A3より大きな紙のポスターを作ったりしている。立体製版 、クレヨン画のような描き方、還元法 といった様々な技術を、挿し込む絵に取り入れていた。2008年 「第5回 北九州技の達人」に認定・表彰。
上田 三千夫(うえだ みちお、1926年10月25日-200… 上田 三千夫(うえだ みちお、1926年10月25日-2002年4月14日)は、日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会に所属した騎手、競走馬調教師。騎手時代に二冠馬ダイナナホウシユウの主戦騎手を務めたことで知られる。 福岡県小倉市(現・北九州市)出身(出生地は宮崎県)。旧姓は和田。1939年に小倉競馬場所属の調教師、上田武司に弟子入りし、のち養子となる。 1943年に騎手免許を取得し、春季宮崎競馬より騎乗、3日目で初勝利を飾ったが、上田が応召したために渋川久作厩舎に移籍。1944年3月に一旦騎手を廃業した。 戦後、1946年9月に再び騎手免許を取得。高橋直三厩舎の所属となったが、1948年には京都競馬場に厩舎を構えた上田厩舎に復帰し、主戦騎手を務めるようになった。
天本 英世(あまもと ひでよ、1926年1月2日 - 200… 天本 英世(あまもと ひでよ、1926年1月2日 - 2003年3月23日)は、日本の俳優。一時期、「あまもと えいせい」の読みを用いていたこともある。福岡県若松市(現:北九州市若松区)出身。本籍は佐賀県鳥栖市。身長180cm、体重65kg。
大橋 敏雄(おおはし としお、1925年〈大正14年〉11月… 大橋 敏雄(おおはし としお、1925年〈大正14年〉11月3日 - 2017年〈平成29年〉1月31日)は、日本の政治家。元衆議院議員(8期)。旭日重光章、正四位。 のちに、創価学会の反対派(批判者)になり、創価学会への批判活動を行っていた。 詳細は「創価学会#創価学会に対する批判」を参照。 1925年11月3日、福岡県八幡市に生まれる。 1940年、福岡市立城西高等小学校(現・福岡市立城西中学校)卒業。卒業後は佐世保海軍工廠、土浦海軍航空隊に入る。戦後、運送会社を経営した後、西日本相互銀行(現・西日本銀行)、聖教新聞社業務部に勤務する。 1962年、福岡県議会議員選挙・北九州市八幡区選挙区に公明政治連盟公認で出馬し初当選(連続2回)する。
瓜生 正美(うりゅう まさみ、1924年11月30日 - 2… 瓜生 正美(うりゅう まさみ、1924年11月30日 - 2021年6月27日)は、日本の劇作家・演出家。青年劇場顧問。 福岡県若松市(現・北九州市若松区)出身。旧制第五高等学校卒業、九州大学中退。 この項目は、舞台芸術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:舞台芸術)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
中尾 武(なかお たけし、1924年10月24日 - 200… 中尾 武(なかお たけし、1924年10月24日 - 2001年12月17日)は、日本の経営者。富士電機社長、会長を務めた。 福岡県北九州市出身。1948年に神戸経済大学を卒業し、同年に富士電機製造(のちの富士電機)に入社。1974年11月に取締役に就任し、1977年6月に常務、1981年6月に専務を経て、1986年6月に副社長に就任し、1987年2月に社長に昇格。1992年6月に会長に就任し、1995年6月には相談役に就任。 1988年11月に藍綬褒章を受章。 2001年12月17日急性循環不全のために死去。77歳没。
宇山 翠(うやま みどり、筆名・内村 幹子、1923年12月… 宇山 翠(うやま みどり、筆名・内村 幹子、1923年12月9日-2014年12月5日)は、日本の小説家。北九州市森鷗外記念館理事。 福岡県小倉市(現北九州市小倉南区)生まれ。小倉高等女学校(現福岡県立小倉西高等学校)卒業。大学職員、市役所職員などとして働く傍ら、「製鉄文化」「九州作家」などの同人誌にて活動。 1979年「冬の蛾」で第10回九州芸術祭文学賞地区優秀作。1985年「いちじく」で第9回神戸女流文学賞受賞。1986年「今様ごよみ」で第10回歴史文学賞受賞。1994年北九州市民文化賞受賞。
中川 正輔(なかがわ まさすけ、1923年2月21日 - 1… 中川 正輔(なかがわ まさすけ、1923年2月21日 - 1993年1月21日 )は、日本の経営者。 福岡県北九州市出身。1948年に九州大学法文学部を卒業し、同年に九州配電(のちの九州電力)に入社。鹿児島支店長、理事を経て、1977年6月に取締役に就任し、常務を経て、1983年6月に副社長に就任。1988年6月に九州旅客鉄道会長に就任し、福岡県公安委員会委員長も務めた。 1988年4月に藍綬褒章を受章。
佐野 泰彦(さの やすひこ、1923年2月16日 - 199… 佐野 泰彦(さの やすひこ、1923年2月16日 - 1996年12月5日)は、日本の歴史学者、ポルトガル語学者。 福岡県北九州市生まれ。父の死で叔父を頼って上京し東京・赤坂で育つ。東京帝国大学卒。ブラジルへ留学し、東京外国語大学ポルトガル語助教授、上智大学外国語学部助教授、教授、1992年定年、名誉教授。
大長 健一(おおなが けんいち、1923年〈大正12年〉1月… 大長 健一(おおなが けんいち、1923年〈大正12年〉1月1日 - 1970年〈昭和45年〉9月19日)は、日本のヤクザ。大長組組長。福岡県北九州市門司区出身。兇健と呼ばれた。 大正12年(1923年)1月1日、福岡県門司市常盤町2丁目(現:福岡県北九州市門司区老松町)で生まれた。父・若一は、沖仲仕の小頭だった。部屋仲仕は常時30数人を抱えていた。母の名前は静江。弟は、大長定雄(後の大長組幹部)。幼い頃は、母方の姓である大塚を名乗っていた。静江の弟は、博徒・大塚兼雄だった。静江の妹・絹江と早死にした最初の夫との子供が、博徒・大塚重雄(中間市の大野一家・大野留雄組長の四天王の1人、竹下浅市の兄弟分)だった。
江藤 晴康(えとう はるやす、1922年5月9日 - 201… 江藤 晴康(えとう はるやす、1922年5月9日 - 2016年2月21日)は、福岡県北九州市出身のプロ野球選手である。現役時代のポジションは、投手。1949年から1954年は、「江藤 正(えとう ただし)」の名前でプレーした。 八幡中(現:八幡高)・法政大学でエース投手として活躍。在学中に学徒出陣で召集され、台湾で終戦を迎える。大学卒業後は社会人野球の門司鉄道局・大洋漁業でプレー。1949年に南海ホークスに入団した。 プロ入りに際し、大阪タイガースと南海ホークスとの二重契約が発覚。これには、以下のような事情がある。以前に武末悉昌の獲得を巡って両球団が争い、武末が南海に入ったことを「奪われた」と考えた大阪の若林忠志監督が南海の山本一人監督に抗議したところ、山本が「武末は南海、江藤は大阪ということにしよう」と口にした。
安川 定男(やすかわ さだお、1919年6月17日 - 20… 安川 定男(やすかわ さだお、1919年6月17日 - 2007年1月14日)は、国文学者、中央大学名誉教授。文芸誌『同時代』同人。
村井 勉(むらい つとむ、1918年3月31日 - 2008… 村井 勉(むらい つとむ、1918年3月31日 - 2008年10月31日)は、日本の実業家。アサヒビール代表取締役社長、東洋工業(現:マツダ)代表取締役副社長、住友銀行(現:三井住友銀行)代表取締役副頭取、JR西日本代表取締役会長等を歴任した。1988年勲二等旭日重光章受章。 福岡県小倉市堺町(現:北九州市小倉北区)で円応寺住職の二男として生まれ、その後村井家に養子に出された。旧制小倉中学(現:福岡県立小倉高等学校)を経て、1942年9月、戦時中の半年繰り上げで東京商科大学(現:一橋大学)を卒業。当時の住友グループにおける一括採用試験に合格。内定者面接にて、「銀行に行くのが嫌な人は手を挙げなさい」と言われ挙手したにも関わらず住友銀への配属となるが、出社することなく召集となり10月に小倉歩兵連隊に入隊。
板倉光馬(いたくら みつま、1912年(大正元年)11月18… 板倉光馬(いたくら みつま、1912年(大正元年)11月18日 - 2005年(平成17年)10月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少佐。福岡県小倉市(現、北九州市)出身。 3人兄弟の次男。当初は画家を志していたが、関門海峡を通過する聯合艦隊の美しさに魅せられ、海軍兵学校に志望を変更したという。旧制福岡県立小倉中学校より海軍兵学校の第61期に入校した。卒業席次は116名中7位。少尉候補生時代には問題児として名を馳せ、遠洋航海時には始末書を8枚という記録を作った。一方では、誰もが調査を諦めた訓練時のトラブルの原因を、根気よく調べ続けてついにつきとめるといった功績も残している。 1935年(昭和10年)少尉任官。
名和 弓雄(なわ ゆみお、1912年(明治45年)1月3日 … 名和 弓雄(なわ ゆみお、1912年(明治45年)1月3日 - 2006年(平成18年)9月1日、94歳没)は、日本の時代考証家、武術家(正木流万力鎖術第10代宗家、江戸町方十手捕縄扱様宗家)、舞踊家。 福岡県北九州市生まれ。武蔵野音楽大学卒。先祖は美濃大垣藩の与力を務めたという。時代劇の時代考証、武術指導を行った。捕り物道具を収集し、その捕り物道具コレクションは現在、明治大学博物館に収蔵されている。 杉良太郎など、史実に近い小道具を好む時代劇俳優に信頼されており、新五捕物帳、同心暁蘭之介などの時代考証では、従来の時代劇に使われていた小道具とは違う史実に基づいた小道具を提供した。そのため、従来の時代劇視聴者から、御用提灯のデザインがおかしいと苦情を受けたが、名和はその苦情に対し、史実を交えてきちんと説明し、視聴者を納得させた。
松本 七郎(まつもと しちろう、1911年11月15日 ‐ … 松本 七郎(まつもと しちろう、1911年11月15日 ‐ 1990年5月15日)は、日本の政治家。位階は従三位。元衆議院議員(11期)。 福岡県北九州市出身。実業家・松本健次郎の七男。1937年、慶應義塾大学法学部政治科を卒業。同大法学部助手、高等部講師、時事新報記者、黒崎窯業社員を経て1946年、戦後初の総選挙で福岡2区から初当選した。日本社会党では教宣局長、国際局長などに就いた。 1949年、妻であった松尾千代子と離婚。松尾は文化放送でプロデューサーを務めながら引き取った子供を育てた。 日本社会党に属し、1960年の安保国会では飛鳥田一雄・石橋政嗣・岡田春夫・戸叶里子らとともに「安保7人衆」の一人として政府追及の先頭に立った。
安部 鹿蔵(あべ しかぞう、1911年(明治44年)3月26… 安部 鹿蔵(あべ しかぞう、1911年(明治44年)3月26日 - 1994年(平成6年)10月6日)は、新東宝の第6代社長であり、国際放映の初代社長。福岡県北九州市生まれ。
上田 武司(うえだ たけし、1909年4月4日 - 1979… 上田 武司(うえだ たけし、1909年4月4日 - 1979年2月13日)は、日本中央競馬会 (JRA) ・栗東トレーニングセンターに所属していた調教師。福岡県出身。養子に上田三千夫がいる。 1909年、福岡県小倉市北方(現・北九州市小倉南区北方)で生まれる。 1923年、福岡県立中学明善校(現・福岡県立明善高等学校)を中退し、1924年7月、小倉競馬倶楽部(小倉競馬場)の森文一厩舎に入門する。 1927年、騎手兼調教師免許を取得、小倉競馬場に厩舎を構え独立する。 1942年、騎手を引退。騎手成績1066戦160勝。 1946年、調教師免許を取得。 1951年10月14日、チャレンジカップのサチホマレで重賞初制覇。
井上 良夫(いのうえ よしお、1908年9月3日 - 194… 井上 良夫(いのうえ よしお、1908年9月3日 - 1945年4月25日)は、日本の探偵小説評論家、翻訳家。1930年代のいわゆる「本格ミステリの黄金時代」の海外作品を、日本に多数紹介した。戦前における最もすぐれた探偵小説評論家といわれる。 1908年(明治41年)9月3日、福岡県若松市(現・北九州市)に生まれる。 1926年(大正15年)、愛知県立熱田中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)卒業。名古屋高等商業学校(現・名古屋大学経済学部)に進学し、1930年(昭和5年)に卒業。バス会社に入社するが、名古屋市営バスと併合されて解散になったため、1937年(昭和12年)から名古屋市立白鳥尋常高等小学校(現・名古屋市立白鳥小学校)教員、1941年(昭和16年)から名古屋女子商業学校(現・名古屋経済大学市邨中学校・高等学校)教師(英語担当)。