近藤 亮太(こんどう りょうた、1999年10月5日 - )… 近藤 亮太(こんどう りょうた、1999年10月5日 - )は、日本の陸上競技選手。長崎県島原市出身。順天堂大学スポーツ健康科学部卒業。三菱重工マラソン部所属。 島原市立第一中学校、長崎県立島原高等学校、順天堂大学出身。 大学時代は4年時に箱根駅伝(第98回大会)の10区に出場し、チームの15年ぶり表彰台となる2位でゴールテープを切ったものの、個人では区間14位にとどまるなど大きな実績はなかった。 2025年2月24日の第13回大阪マラソンでは2秒差で優勝は逃したものの、初マラソン日本最高記録の2時間05分39秒で日本選手1位になった。この結果によって2025年世界陸上男子マラソン代表に選手された。
松田 遼馬(まつだ りょうま、1994年2月8日 - )は、… 松田 遼馬(まつだ りょうま、1994年2月8日 - )は、長崎県島原市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 島原市立第四小学校2年生の時から、杉谷トータスでソフトボールを始める。島原市立第一中学校で軟式野球部に所属すると、投手を務めるようになった。中学3年生の時には、硬式野球で県内屈指の強豪校である長崎県立清峰高等学校への進学を目指していた。しかし結局は、自力で甲子園での全国大会出場を実現すべく、同じ県立の波佐見高校を進学先に選択した。 波佐見高校への進学後は、1年生の夏から背番号「11」でベンチ登録。3年生春の第83回選抜高等学校野球大会で、全国大会への出場を果たした。この大会では、1回戦で横浜高校の柳裕也らとの投げ合いに制し5-1で勝利したが、2回戦で兵庫県立加古川北高に0-2で敗退。
宮﨑 香蓮(みやざき かれん、1993年11月20日 - )… 宮﨑 香蓮(みやざき かれん、1993年11月20日 - )は、日本の女優。
大町 将梧(おおまち しょうご、1992年5月4日 - )は… 大町 将梧(おおまち しょうご、1992年5月4日 - )は、長崎県島原市出身の元サッカー選手。ポジションはFW、MF。 浜松大学を中退し、ツエーゲン金沢に入団。2017年11月29日に契約満了により金沢を退団。 2018年よりHonda FCへ完全移籍。2020年11月27日、現役を引退すると発表された。
中村 真人(なかむら まこと、1989年12月24日 - )… 中村 真人(なかむら まこと、1989年12月24日 - )は、長崎県島原市出身のサッカー選手。JFL・ヴェルスパ大分所属。登録ポジションはフォワード。 2014年に同僚の鍔田有馬とともに、ヴェルスパ大分に移籍。2017年はキャプテンを務めた。
菅 直哉(すが なおや、1985年5月17日 - )は、日本… 菅 直哉(すが なおや、1985年5月17日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。バレーボール指導者。 長崎県島原市有明町出身。有明中学1年よりバレーボールを始め、中学3年時に県大会で優勝を飾る。全日本ジュニア代表などを経験、大村工業高校2年時からレギュラーに抜擢され、3年時にはインターハイ優勝を経験した。 筑波大学では1年時からレギュラーセッターを務め、2004年全日本インカレで2年ぶりの優勝に貢献しセッター賞を受賞、大学バレー部の主将も務めた。2006年度にはインターンとしてつくばユナイテッドSun GAIAに参加した。 大学卒業後の2008年4月にNECに入社、NECブルーロケッツに入団。
大場 千亜妃(おおば ちあき、1984年9月26日 - )は… 大場 千亜妃(おおば ちあき、1984年9月26日 - )は、長崎県島原市出身で、長崎市を拠点に活動するローカルタレント、司会者、リポーター。
下田 圭将(しもだ けいしょう、1984年1月28日 - )… 下田 圭将(しもだ けいしょう、1984年1月28日 - )は、長崎県島原市出身で追手風部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。得意は押し。現役時代の体格は身長174cm、体重138kg。最高位は西幕下筆頭(2006年7月場所)。 島原三小4年生の時に相撲を始め、島原二中を経て諫早農高相撲部へと進み、高校3年の時にインターハイ個人戦準優勝、世界ジュニア相撲選手権大会重量級優勝。その後日本大学へ進学し、大学1年で東日本学生相撲新人選手権大会優勝、2年で全国学生相撲選手権大会3位、3年で世界相撲選手権大会無差別級で優勝した。4年の時には主将を務め、国民体育大会秋季大会相撲競技・成年Aと全国学生相撲選手権大会で優勝し、大相撲の幕下付出新制度導入後初の幕下10枚目格付け出しが期待されたが、全日本相撲選手権大会では準決勝で敗れ3位に終わった。
佐藤 倫子(さとう のりこ、1983年〈昭和58年〉4月11… 佐藤 倫子(さとう のりこ、1983年〈昭和58年〉4月11日 - )は、長崎県島原市出身のフリーアナウンサー、元名古屋テレビ放送(メ〜テレ)の女性アナウンサー。主に土曜午前の情報番組を担当していた。 血液型A型。趣味は美術館めぐり、特技はバレエ。 東京都生まれで12歳まで在住、中学・高校・大学時代を現在の長崎県島原市で過ごした。長崎県立島原高等学校、活水女子大学卒業。学生時代に、長崎観光親善大使(ロマン長崎)及び『ゼクシィ』九州版の専属モデルを務めたことがある。 大学卒業後、2006年(平成18年)10月にメ〜テレに入社。同期入社は大嶽まどか、合田倫子。愛称のサトノリは『アナ誕!』にて山里亮太に名付けられたのがきっかけで、『WAYAYAあはっ!』でも使われるようになり、公式の愛称となった。
前田 拓郎(まえだ たくろう、1983年- )は、日本のクラ… 前田 拓郎(まえだ たくろう、1983年- )は、日本のクラシック音楽のピアニスト。 長崎県島原市出身。3歳より母親にピアノの手ほどきを受けピアノを始める。東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校、東京芸術大学を経て、同大学大学院音楽研究科修士課程修了。現在、尚美学園大学芸術情報学部音楽表現学科准教授。国際ピアノデュオ協会事務局長。 2004年、皇太子(今上天皇)臨席の下、東京芸術劇場大ホールにて「ショパンピアノ協奏曲の夕べ」に出演、藝大フィルハーモニア管弦楽団(指揮:小林研一郎)と、ショパン:ピアノ協奏曲第1番を共演したのをはじめ、これまでにポーランド国立クラクフ室内管弦楽団、オランダ国立・ユース・オーケストラ、東京交響楽団、九州交響楽団、諫早交響楽団、横浜国立大学管弦楽団、日本ユンゲオーケストラなどと共演。
木藤 健太(きふじ けんた、1981年10月5日 - )は、… 木藤 健太(きふじ けんた、1981年10月5日 - )は、長崎県島原市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。 高校は強豪長崎県立国見高等学校に進学。同学年には小森田友明、1学年下には大久保嘉人、松橋章太らがいる。 近畿大学を経て、2004年にアビスパ福岡に入団するも2年間でリーグ戦出場はなく、2006年にモンテディオ山形に完全移籍。 2009年12月、山形より契約満了に伴う退団が発表された。 2010年2月、地元長崎の三菱重工長崎サッカー部への完全移籍が発表され、2012年までプレー。 また大学に通い直し、体育の教員免許を取得。2013年、長崎県の公立学校教員試験を受験し合格。
日高 誠(ひだか まこと、現姓:大町、1980年6月11日 … 日高 誠(ひだか まこと、現姓:大町、1980年6月11日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 長崎県島原市出身。幼少期は空手少年。中学1年時点で185cmあったためスカウトされ中学入学後からバレーボールを始める。その後、大村工業高校へと進学する。 1999年、東亜大学に進学し、センターとして活躍した。同級生に内冨寛法。2002年4年次の全日本インカレで3位になった。また大学選抜としてアジア東部地区バレーボール選手権大会に出場、同年の世界選手権の全日本メンバーに登録された。 2003年大学卒業後、内冨と共に日本たばこ産業(JT)に入社、JTサンダーズへ入団。2006年5月に現役引退し、社業に専念している。
林田 堅吾(はやしだ けんご、1975年8月25日 - )は… 林田 堅吾(はやしだ けんご、1975年8月25日 - )は、長崎県島原市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 島原工高を卒業後、1994年に渡米し、フロリダ州のセントピーターズバーグ短期大学に留学する。 その後、アリゾナ・ウエスタン短期大学に転校。ここで、日本ハムファイターズのスカウトの目に留まり、1996年のドラフト会議で8位指名され入団。156km/hのストレートと大きく曲がるフォークが持ち球だった。 しかし、1年目に左肩を手術してリハビリ生活で一軍登板すること無く1998年に引退。 プロ入り直後、アリゾナ・ウエスタン短期大学の同級生であるビリー・ムニョスを球団に紹介し入団させたが、ムニョスも一軍出場することなく1年で退団した。
佐藤 青南(さとう せいなん、1975年1月3日 - )は、… 佐藤 青南(さとう せいなん、1975年1月3日 - )は、日本の作家。元ミュージシャン。長崎県島原市出身、東京都在住。男性。
常岡 浩介(つねおか こうすけ、1969年7月1日 - )は… 常岡 浩介(つねおか こうすけ、1969年7月1日 - )は、日本のフリージャーナリスト。東京都中野区在住。イスラム改宗後のムスリム名はシャミル。 長崎県島原市生まれ。青雲高等学校から早稲田大学人間科学部に進学。大学在学中にアルジェリア、リビアなどの紛争地を旅した。 1994年、長崎放送報道部記者に。長崎県警察の内部犯罪を取材、発表。記者になってから4年半後に退社し、1998年からイスラム世界各地の戦場で取材を行う。 2000年2月にモスクワでイスラムに改宗。 一時期、アジアプレス・インターナショナルに所属していたが[いつから?]、2001年3月にメンバー資格剥奪。 2001年6月、ジョージア[要検証 – ノート]、アブハジア取材中に行方不明と報道される。
宮﨑 徹(みやざき とおる、1962年3月 - )は、日本の… 宮﨑 徹(みやざき とおる、1962年3月 - )は、日本の内科医、医学者、免疫学者。元・東京大学大学院医学系研究科・医学部教授。一般社団法人AIM医学研究所代表。 1962年、長崎県島原市生まれ。実家は宮崎温仙堂商店。 鹿児島県のラ・サール高等学校を卒業後、東京大学理科三類に入学。実家が薬問屋で自身は長男ということもあり、元々は医師を目指していたわけではなく、家業を継ぐものと考えていた。そのため、薬学部を目指して東京大学理科二類の受験を志望していたが、3年次の秋に父親から「理科三類を受けて医学部に進め」と突然言われ、理由を尋ねても答えてもらえなかったという。頑として譲らなかった父親に宮﨑が折れる形で出願先を変え、三類に合格した。
中村 重和(なかむら しげかず、1958年7月30日 - )… 中村 重和(なかむら しげかず、1958年7月30日 - )は、長崎県島原市出身の元サッカー選手(DF)、指導者(JFA 公認S級コーチ)。 現周南公立大学サッカー部監督。 島原商業高校では小嶺忠敏から指導を受け、大阪商業大学では上田亮三郎から指導を受けた。どちらもミッドフィルダーとしてプレーした。 1981年大学卒業後、マツダスポーツクラブ東洋工業サッカー部(マツダSC、現在のサンフレッチェ広島)に入団した。ディフェンダー(サイドバック)として信藤克義(信藤健仁)や松田浩らとDFラインを形成、高校・大学の後輩にあたる小林伸二や、高橋真一郎・猿沢茂・木村孝洋ら地元広島出身者、ディド・ハーフナーら外国人らとプレーした。
柴田 保光(しばた やすみつ、1957年8月20日 - 20… 柴田 保光(しばた やすみつ、1957年8月20日 - 2022年10月9日)は、長崎県島原市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 平成初のノーヒットノーランを達成している。 中学卒業後は進学せず就職する予定であったが、入社試験に落ちたので島原農業高への進学を決めた。 島原農業高に進学後は柔道部に入部したが、毎日のように投げられてばかりで嫌になった。顧問の先生に「退部させてください」と申し出たところ、「他の運動部に入るなら、許してやる」と返され、そこで、たまたま近所の先輩が所属していた軟式野球部を選んだ。当時の同校には硬式野球部がなかったため軟式野球部に所属し、本格的に野球を始めたのは高校時代からとなった。
古川 隆三郎(ふるかわ りゅうざぶろう、1956年〈昭和31… 古川 隆三郎(ふるかわ りゅうざぶろう、1956年〈昭和31年〉6月30日 - )は、日本の政治家。長崎県島原市長(4期)。長崎県市長会会長。 元島原市議会議員。 長崎県島原市出身。島原市立第三小学校、島原市立第二中学校、長崎県立島原高等学校、福岡工業大学卒業。 2003年(平成15年)5月25日執行の島原市議会選挙に無所属で出馬。新人であるにもかかわらず、トップ当選を果たす。2007年(平成19年)5月27日執行の同市議選において2期目の当選。 2008年(平成20年)11月30日執行の島原市長選挙に無所属で出馬。新人で元長崎県職員の横田修一郎に僅差で敗れる。得票数は、横田:14,551票、古川:13,343票。
松尾 格(まつお いたる、1954年4月23日 - 2015… 松尾 格(まつお いたる、1954年4月23日 - 2015年12月1日)は、日本の元プロ野球選手である。長崎県島原市出身。 海星高等学校では夏の甲子園に2年連続出場。1971年の選手権は控え投手として2回戦に進むが、桐蔭学園の大塚喜代美に完封を喫する。この試合ではリリーフとして甲子園初登板を果たす。翌1972年の選手権はエースとして出場。1回戦で三重・海星高を完封するが、2回戦で明星高に敗退。 1972年ドラフト3位でロッテに入団。しかし一軍では登板機会がなく、1980年限りでロッテを退団。引退後はプロゴルファーとなる[要出典]。 178センチメートルの恵まれた体格を利して正面から打者と勝負する本格派投手であったが、立ち上がりの制球の悪さに難があった。
百武 裕司(ひゃくたけ ゆうじ、1950年7月7日 - 20… 百武 裕司(ひゃくたけ ゆうじ、1950年7月7日 - 2002年4月10日)は、日本のアマチュア天文家。 長崎県島原市出身。百武賢兼の分家の家系とされる。長崎県立長崎北高等学校を経て、九州産業大学芸術学部写真学科卒業。 コメットハンター(彗星捜索家)として、1995年12月25日にC/1995 Y1、1996年1月30日にはC/1996 B2を相次いで発見した。C/1996 B2は観測史上、もっとも尾が長い彗星として知られ、世界的に「大彗星ブーム」を巻き起こした。1996年3月、日本天文学会の天体発見賞を受賞。彗星発見の功績により、鹿児島県民栄誉賞とシカゴ名誉市民を受賞。1996年秋からは、鹿児島県姶良町の天文台であるスターランドAIRAの館長を務めた。
田中 健一(たなか けんいち、1950年6月23日- )は、… 田中 健一(たなか けんいち、1950年6月23日- )は、日本の経営者。岡三証券社長を務めた。 長崎県島原市出身。1973年に長崎大学経済学部商学科を卒業し、同年4月に岡三証券に入社した。1978年にはニューヨーク大学大学院修士課程を修了。1989年6月に取締役に就任し、1997年5月に常務、1998年6月に専務、2003年10月に岡三ホールディングス取締役を経て、2004年4月に岡三証券及び岡三ホールディングス副社長に就任し、2006年6月には両会社の社長に昇格し、2014年4月までに務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
上田 良一(うえだ りょういち、1949年5月23日 - )… 上田 良一(うえだ りょういち、1949年5月23日 - )は、日本の実業家。米国三菱商事代表取締役社長、三菱商事代表取締役副社長、NHK経営委員会常勤委員兼監査委員長、第22代日本放送協会(以下NHK)会長、アジア太平洋放送連合会長 等を歴任。 長崎県島原市出身。ラ・サール中学校・高等学校を経て、一橋大学法学部卒業後、三菱商事株式会社に入社。機械管理部、主計部、フランス語研修生を経て、フランス・INSEADに留学し経営学修士(MBA)の学位を修得。資材管理部、ニューヨーク米国三菱商事会社、資本市場部、職能担当役員付を経て、1999年リスクマネジメント部長。2000年参与・経営企画部に昇格。2002年からコントローラー、2003年から執行役員コントローラー。
加藤 寛治(かとう かんじ、1946年4月24日 - )は、… 加藤 寛治(かとう かんじ、1946年4月24日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(3期)、農林水産副大臣(第4次安倍第2次改造内閣)、農林水産大臣政務官(第3次安倍第1次改造内閣)、自民党長崎県連会長、長崎県議会議員(8期)、同議長などを歴任した。 長崎県島原市出身。父親の加藤清則は株式会社三青の創業者で、長崎県議会議員を務めた。長崎県立島原高等学校、日本大学理工学部をそれぞれ卒業する。 1982年に長崎県議会議員に初当選して以降8期務め、県議会議長、県連幹事長などを歴任した。 2012年の第46回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で長崎2区から立候補する。久間章生の元秘書で雲仙市長の奥村慎太郎が無所属で立候補して保守分裂選挙となるも、奥村や民主党の川越孝洋らを破り加藤は初当選する。
松尾展成(まつお のぶしげ、1935年8月24日- )は、日… 松尾展成(まつお のぶしげ、1935年8月24日- )は、日本の経済史学者、岡山大学名誉教授。 長崎県島原市出身。1964年東京大学大学院経済史博士課程満期退学、岡山大学法文学部助手、講師、助教授、経済学部教授。94年「ザクセン農民解放史研究序論」で東大経済学博士。2001年定年退官、名誉教授。ザクセン王国の経済史が専門。
下田 直春(しもだ なおはる、1935年4月25日 - 19… 下田 直春(しもだ なおはる、1935年4月25日 - 1994年11月30日)は、日本の社会学者。 長崎県島原市生まれ。早稲田大学第一文学部社会学科卒、同大学院社会科学研究科博士課程満期退学。1982年「社会学的思考の基礎 社会学基礎理論の批判的展望」で早大文学博士。立教大学社会学部助教授、教授。
田近 洵一(たぢか じゅんいち、1933年3月1日 - )は… 田近 洵一(たぢか じゅんいち、1933年3月1日 - )は、日本の国語教育学者。東京学芸大学名誉教授。 長崎県島原市生まれ。長崎県立島原高等学校卒業後、1955年、横浜国立大学学芸学部乙類国語科卒業。川崎市や都立校の教員として勤務しながら、1959年、東京教育大学教育学部研究生となる。1969年、横浜国立大学教育学部講師、1971年助教授。1974年、東京学芸大学教育学部助教授、1977年教授。1996年、同大学を定年退職、名誉教授。1998年、早稲田大学特任教授。2002年同大学を退職。 1975年、全国大学国語教育学会賞石井賞を受賞した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大津 栄一郎(おおつ えいいちろう、1931年2月18日 -… 大津 栄一郎(おおつ えいいちろう、1931年2月18日 - 2013年1月17日)は、アメリカ文学者、翻訳家。明治学院大学名誉教授であった。 長崎県島原市生まれ。東京大学教養学部卒、同英文科大学院修了、東海大学助教授、明治学院大学教授を務め、ウラジーミル・ナボコフ、ヘンリー・ジェイムズなどを翻訳、研究した。晩年になって日本語に関心を深め『古事記』の現代語訳を刊行した。 ナボコフの『賜物』の翻訳については翻訳家の若島正から『翻訳の世界』誌の「改訳したい小説ベスト10」で多数の誤訳を指摘されたため、「若島正氏に反論する」を同誌に寄稿し反駁した。これに対する若島正の反論は『乱視読者の冒険 - 奇妙キテレツ現代文学ランドク講座』におさめられている。
鐘ヶ江 管一(かねがえ かんいち、1931年1月22日 - … 鐘ヶ江 管一(かねがえ かんいち、1931年1月22日 - )は、元島原市長。長崎県島原市出身。
内嶋 善兵衛(うちじま ぜんべえい、1929年(昭和4年)8… 内嶋 善兵衛(うちじま ぜんべえい、1929年(昭和4年)8月27日 - )は、日本の農業気象学者。農学博士(九州大学・論文博士・1961年)。お茶の水女子大学名誉教授。 長崎県島原市生まれ。1950年宮崎農林専門学校(現・宮崎大学)農科卒業、農林省農業技術研究所に入る。1961年「水田用水ならびに水田水の熱状態に関する研究」で九州大学より農学博士の学位を取得。1962 - 1963年コーネル大学に学ぶ。九州農業試験場、農業環境技術研究所研究員、1983年同気象管理課長、1987年お茶の水女子大学教授、名誉教授、宮崎公立大学人文学部教授、学部長、学長。1965年日本農業気象学会賞、1986年農林水産省研究功績賞受賞。
宮﨑 康平(みやざき こうへい、1917年5月7日 - 19… 宮﨑 康平(みやざき こうへい、1917年5月7日 - 1980年3月16日)は、長崎県島原市生まれの古代史研究家、作家、元会社役員。『まぼろしの邪馬台国』によって日本中に邪馬台国論争を巻き起こした。正確な表記は「宮﨑」(「崎」の字は山偏に竒)であるが「宮﨑」と表記出来ない環境が一部存在するので「宮崎」で通すことが多い。以下本項でも「崎」の字を用いる。
高田 宗彦(たかだ むねひこ、本名:松本 慈美、1916年(… 高田 宗彦(たかだ むねひこ、本名:松本 慈美、1916年(大正5年)9月15日 - 2004年(平成16年)3月31日)は、長崎県島原市出身の俳優。長女は、女優の松本留美。 母親の姉が勉学のためイギリスに渡り、そこで現地の英国人と付き合い家庭をもった。高田の母も勉強のためにイギリスに渡り、そこでスコットランド人の男性と知り合い結婚、生まれたのが高田である。その日本人離れした容貌から、戦時中は「鬼畜米英」と罵られ、つらい思いをしたという。 日本大学歯学部に入ったが、役者に興味を持ち、芸術学部に転部して演技を学んだ。 戦後、大映の社員俳優として、大映倒産時まで在籍した。外国人役を中心に数多くの作品に出演したが、ほとんどが端役である。
永田 靖(ながた やすし、1907年10月11日 ‐ 197… 永田 靖(ながた やすし、1907年10月11日 ‐ 1972年9月12日)は、日本の俳優。 長崎県島原市出身。台北高等学校文科卒業。その後上京し、1930年に新築地劇団に入る。久保栄演出の『新説国姓谷合戦』で初舞台を踏んだ。1934年の日本新劇祭で真山青果原作の『玄朴と長英』で高野長英を演じて好評を得た。1935年、『なみだの母』で映画初出演。1938年応召される。1940年に除隊するが、新築地劇団は強制解散させられた。以後、日活(合併後は大映)の映画に出演し、『将軍と参謀と兵』などで軍人の役を演じた。また、東宝演劇研究会を経て、丸山定夫らと苦楽座に入った。1945年に再び応召。戦後は第2次新協劇団をへて、1948年に、俳優座に入団した。
芳川 赳(よしかわ たけし、1895年10月20日 - 19… 芳川 赳(よしかわ たけし、1895年10月20日 - 1951年7月9日)は、美術評論家、作家。 長崎県島原市生まれ。長崎県立島原中学校(現長崎県立島原高等学校)、明治大学卒業、出版界に入り小説、評論などを書く。美術春秋社を興し、『美術春秋』『日本画傑作年鑑』等の編輯発行者となる。戦後は「美術鑑賞」を発行した。
伊藤 卯四郎(いとう うしろう、1894年8月19日 - 1… 伊藤 卯四郎(いとう うしろう、1894年8月19日 - 1974年5月1日)は、大正、昭和時代の労働運動家・政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。衆議院議員(9期)。衆議院鉱工業委員長、民社党中央執行副委員長。 長崎県南高来郡有明町(現島原市)出身。島原尋常高等小学校卒。東洋哲学塾に学ぶ。 その後は北海道に渡り、炭鉱夫として働く。労働運動に身を投じ、1920年歌志内炭坑労働組合組合長となる。1922年長崎県に移り、日本労働総同盟南九州連合会を結成する。1928年福岡県に移り、八幡製鉄所労働組合顧問となり、労働運動を指導する。社会民衆党福岡県連書記長、福岡県会議員を2期務めた。 戦後は日本社会党結党に参加。
仲町 貞子(なかまち さだこ、1894年3月22日 - 19… 仲町 貞子(なかまち さだこ、1894年3月22日 - 1966年6月16日)は、日本の作家。本名、柴田オキツ。 長崎県南高来郡大三東村(後の有明町、現在の島原市)に生まれる。1907年長崎県立長崎高等女学校に入学し、三宅古城に和歌を学ぶ。卒業後すぐに結婚してしばらく京都に住んだ後、別府に移住。1925年詩人の北川冬彦と知り合い、東京へ出奔する。1929年『詩神』に「託児所風景」を発表して新進女流作家として注目される。1931年『磁場』創刊に参加し、宮本のりの筆名で「鎌」を発表する。翌年、『麵麭』創刊に参加し、筆名を仲町貞子とする。1936年小説『梅の花』を出版。その間北川と別れ、文芸評論家の井上良雄と結婚。
宇土 虎雄(うと とらお、1891年1月30日 - 1986… 宇土 虎雄(うと とらお、1891年1月30日 - 1986年12月23日)は日本の柔道家(講道館9段)、スポーツ指導者。 柔道家として全日本選士権優勝等の実績を持つ一方、熊本県に様々な近代スポーツを紹介して“熊本近代スポーツの父”や“ミスター熊本”とも呼ばれる。 長崎県南高来郡湯江村(現・島原市)の生まれ。鎮西学院中学在学中に柔道を始め、卒業後1912年に東京の東京高等師範学校に進学して山下義韶や永岡秀一(いずれも後の講道館10段)に師事し柔道を学んだ。東京高師時代の同期には岡部平太や会田彦一、先輩に1909年入学の大谷武一や甲佐知定のほか中途退学したものの徳三宝らの顔触れがあり、後輩には1913年入学で東口真平や後に“高師の秀才”と謳われた桜庭武らがいた。
菅原 道大(すがわら みちおお、1888年(明治21年)11… 菅原 道大(すがわら みちおお、1888年(明治21年)11月28日 - 1983年(昭和58年)12月29日)は、日本の陸軍軍人。陸士21期。最終階級は陸軍中将。 1888年(明治21年)11月28日、長崎県南高来郡湯江村甲百九十四番地(現島原市)で小学校教員の父・菅原道胤の息子として生まれる。父の転勤に伴い5歳で上京し、やがて電力会社を興した叔父を頼り福島県に移住した。高等小学校、仙台陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1907年12月、陸軍士官学校に21期生として入校。1909年(明治42年)5月、陸軍士官学校歩兵科を9番の成績で卒業。同年12月25日、歩兵少尉に任官、歩兵第4連隊付。1910年に行われた徳川好敏による日本では初となる動力飛行を目撃したことがきっかけで航空に関心を持つようになった。
有明 吾郎(ありあけ ごろう、1875年3月23日 - 19… 有明 吾郎(ありあけ ごろう、1875年3月23日 - 1943年2月19日)は、現在の長崎県島原市出身で伊勢ノ海部屋に所属した大相撲力士。本名は大家 八五郎(旧姓山中)。最高位は東小結。5代式秀。165cm、123kg。 1894年5月序ノ口。1899年5月十両昇進、1800年代最後の関取のひとりである。1900年5月場所、7勝2敗1休で現在でいう十両優勝にあたる成績をあげる。翌1901年1月場所は番付運なく十両筆頭にとどまるが、翌5場所月に新入幕。1904年1月場所では東8枚目で7勝2敗1休、9日目に駒ヶ嶽に敗れるまで梅ヶ谷、常陸山の両横綱と並走した。1909年小結昇進。三役は結局この一場所ですぐ平幕に落ち、その後は幕内中位をエレベーターしていたが、1913年1月場所十両落ち、翌5月場所で幕下陥落を機に引退、式秀を襲名した。
臼井 哲夫(うすい てつお、1863年3月18日(文久3年1… 臼井 哲夫(うすい てつお、1863年3月18日(文久3年1月29日)- 1935年(昭和10年)6月29日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 肥前国高来郡島原村(現:長崎県島原市)で、臼井三平の長男として生まれる。島原学校、松風義塾、小叩塾などを経て慶應義塾で学ぶ。 1880年、同志と共に西海日報社を創立し、翌年まで同紙の記者を務めた。1888年、日本輸出米商社事務長に就任。以後、総武鉄道庶務課長、近江鉄道取締役、磯湊鉄道取締役、上野鉄道社長、吾妻川電力社長などを歴任した。 1883年、長崎県会議員に当選。1898年8月、第6回衆議院議員総選挙において長崎県第三区から出馬し当選。その後、第8回、第9回、第10回総選挙でも当選。
中山 文樹(なかやま ふみき/ぶんじゅ、1862年5月13日… 中山 文樹(なかやま ふみき/ぶんじゅ、1862年5月13日(文久2年4月15日) - 1923年(大正12年)12月21日)は、明治から大正時代の政治家。銀行家。醸造家。大地主。貴族院多額納税者議員。 中山好樹の長子として、肥前国南高来郡島原城下(長崎県南高来郡島原町を経て現島原市)に生まれ、10歳にして家督を相続する。旧島原藩儒の白井嘉氏に文学を学ぶ。 1871年(明治4年)清酒醸造業を始める。1891年(明治24年)島原銀行、ついで島原貯金銀行を創立し各頭取を務めた。ほか、所得税調査委員、1889年(明治22年)4月、島原町会議員、南高来郡会議員、長崎県農工銀行設立委員、同農工銀行取締役、日本赤十字社特別社員を歴任した。
牧 朴真(まき なおまさ、1854年4月26日(嘉永7年3月… 牧 朴真(まき なおまさ、1854年4月26日(嘉永7年3月29日)- 1934年(昭和9年)4月29日)は、日本の官僚、政治家、実業家。県知事、衆議院議員。幼名・銑太郎。 肥前国南高来郡島原村新建(現:長崎県島原市)で、島原藩士・牧真成の長男として生まれる。 1875年1月、長崎県等外一等出仕となる。同年2月、福岡県に転じ十五等出仕・地租改正掛に就任。以後、史生、権少属、兼警部心得、少属などを歴任。 1880年4月、太政官に転じ四等属・内務部勤務となる。以後、審理局御用掛、参事院書記生、同議官補、法制局参事官、枢密院書記官などを歴任し、1889年3月に退官した。その後、総武鉄道株式会社の創立委員長となり、1890年1月、会社設立と共に社長に就任し1892年11月まで在任した。
上田 裕司(うえだ ゆうじ)は、日本の地方公務員。長崎県副知… 上田 裕司(うえだ ゆうじ)は、日本の地方公務員。長崎県副知事、公益財団法人長崎県農業振興公社理事長、公益財団法人長崎県体育協会顧問。 長崎県島原市出身。香川大学経済学部卒業後、1979年長崎県入庁。人事課長、農林部次長、農林部長、総務部長、長崎県信用保証協会専務理事を経て、2018年から濱本磨毅穂の後任として長崎県副知事を務め、公益財団法人長崎県体育協会顧問、公益財団法人長崎県農業振興公社理事長等も兼務した。同年長崎県庁を訪れた友田吉泰松浦市長、黒田成彦平戸市長、白川博一壱岐市長、朝長則男佐世保市長の4市長から、玄海原子力発電所の避難対策等を求める要望書を受けた。2022年退任。
ズナイデン房子(ズナイデン ふさこ)は、日本のマーケター。資… ズナイデン房子(ズナイデン ふさこ)は、日本のマーケター。資生堂、日清食品などのマーケティング部門に携わり、2023年3月より、日本マクドナルドホールディングス取締役、日本マクドナルドの取締役上級執行役員最高マーケティング責任者(英語版)(CMO)を務める。 長崎県島原市出身。長崎県立島原高等学校、筑波大学第二学群農林学類を卒業後、1987年に資生堂に入社。約200人の新入社員のうち唯一マーケティング部に配属され、若くしてヒット商品の開発に携わった。アメリカ人男性との国際結婚を機に資生堂を退社。ユニリーバやロレアルに勤めたのち、2007年に資生堂に復帰。『TSUBAKI』のブランドに携わった。 「化粧品メーカーだけしか知らないままで終わりたくない」と、2014年6月に日清食品に移る。