市田 ひろみ(いちだ ひろみ、1932年〈昭和7年〉7月10… 市田 ひろみ(いちだ ひろみ、1932年〈昭和7年〉7月10日 - 2022年〈令和4年〉8月1日)は、日本の美容師、服飾評論家、エッセイスト、女優、タレント。新しい歴史教科書をつくる会の理事と、日本会議の4つの関連団体の役員を務めた。 大阪府大阪市大正区出身。京都市立堀川高等学校、京都府立大学女子短期大学部国文科卒。 父の仕事(華中鉱業)の都合で、小学生時代を上海特別市で過ごした。1945年2月戦況の悪化を受けて、母弟と3人で日本へ帰国。母の郷里滋賀県大津市膳所で終戦を迎え、まもなく伯父の世話で京都(西洞院四条)へ移った。父が帰国するまで、と母が自宅で始めた美容院が繁昌し、高校三年生の時に美容師免許を取得。
真鍋 博(まなべ ひろし、1932年7月3日 - 2000年… 真鍋 博(まなべ ひろし、1932年7月3日 - 2000年10月31日)は、日本のイラストレーター、アニメーター、エッセイスト。日本SF作家クラブ会員。 愛媛県宇摩郡別子山村(現・新居浜市)にて村の助役の家庭に生まれ、3歳のとき父の住友金属鉱山入社に伴い新居郡中萩村(現・新居浜市)に転居。 愛媛県立新居浜西高等学校を経て、1954年、多摩美術大学油画科卒業後、東京都の教員(地方公務員)として採用され港区立赤坂中学校に美術教師として勤務。多摩美術大学大学院美術研究科修了。 当初は油彩画が活動の中心であった。抽象的で洗練された画風を得意とし、星新一、筒井康隆などのSF小説の挿絵を多く描いた。特に、星新一については名コンビと称され、『悪魔のいる天国』のように、版が変わるごとに新たに多数のイラストを書きおろすようなこともやっている。
中西 章一(なかにし しょういち、1932年〈昭和7年〉6月… 中西 章一(なかにし しょういち、1932年〈昭和7年〉6月21日 - 2005年〈平成17年〉8月18日)は、日本の北海道を拠点に活動したエッセイスト、ラジオパーソナリティ。 北海道出身。北海道大学総長を務めた丹保憲仁は札幌師範附属小学校(現・北海道教育大学附属小学校)1年からの幼馴染。 旧制北海道庁立第一中学校(現・札幌南高校)在学中に新制高校への移行を経験し、新制札幌北高校を経て、中央大学法学部を卒業。北海道帯広農業高等学校教諭、ホテル三愛(現・札幌パークホテル)勤務を経て、家業である「中西印刷」の社長に就任 。1986年に相談役に就任と同時に、STVラジオ「ジャーナル談話室」に出演を開始。
勝目 梓(かつめ あずさ、男性、1932年6月20日 - )… 勝目 梓(かつめ あずさ、男性、1932年6月20日 - )は、日本の小説家、エッセイスト、俳人。 東京生まれ。鹿児島県立伊集院高等学校中退。
辻 真先(つじ まさき、1932年3月23日 -)は、日本の… 辻 真先(つじ まさき、1932年3月23日 -)は、日本のアニメ・特撮脚本家、推理作家、漫画原作者、旅行評論家、エッセイスト、デジタルハリウッド大学名誉教授。 父は自由民主党の衆議院議員・中日電機工業会長の辻寛一。「実家はおでん屋」と語ることもあるが、これは父寛一が栄で「辻かん」というおでん屋を営んでいたからである。愛知県第一中学校、愛知県立明和高等学校、名古屋大学文学部卒業。 1954年、NHKに入局。制作進行、演出、プロデューサーなどを務めた。NHK在局中も脚本の執筆を行っていたが、1962年に退局し、脚本家としてアニメ・特撮などを中心に多くの脚本を担当。 小説家としては旧『宝石』の新人賞候補作が商業誌デビュー作という経歴を持つ。
高森 和子(たかもり かずこ、1932年〈昭和7年〉3月21… 高森 和子(たかもり かずこ、1932年〈昭和7年〉3月21日 - )は、日本の元女優、エッセイスト。大阪市東住吉区出身。本名同じ。 小学校時代、友井唯起子にクラシックバレエを4年間習った。1950年、東大谷高等女学校(現・東大谷高等学校)を卒業。学生時代はバレリーナを目指し友井バレエ団に在籍。遠縁に当たる大河内傳次郎の紹介で1951年、大映京都撮影所に入り、映画「上州鴉」でデビュー。 1953年、姉がNHKに在籍していた縁で大阪放送劇団へ入団。「正確な大阪弁が話せる女優」として大阪制作ドラマの売れっ子となる。 1966年、『横堀川』の主人公の妻役や1973年、八千草薫ら三姉妹の母親役を演じた『けったいな人びと』などで、実年齢よりもかなりの老け役を演じて好評を得る。
滝田 ゆう(たきた ゆう、1931年(昭和6年)12月26日… 滝田 ゆう(たきた ゆう、1931年(昭和6年)12月26日 - 1990年(平成2年)8月25日)は、日本の漫画家、エッセイスト。本名・瀧田祐作。 東京市下谷区坂本町(現東京都台東区下谷)の指物職人の家に生まれる。出生の翌日に実母が亡くなり、家庭の事情で叔父の家に養子に行き、東京市向島区寺島町(現東京都墨田区東向島)の旧私娼街玉の井で、義理の両親と義兄1人義姉2人の6人家族で育つ。物心付いたころから養子先はスタンドバーを営んでいた。落語家の3代目三遊亭圓歌は寺島第二國民学校の2歳年上だが同学年の幼馴染。東京都立墨田川高等学校卒業後、國學院大學文学部に進むがほとんど通わず中退する。 1949年(昭和24年)〜1950年(昭和25年)頃、漫画家・田河水泡の内弟子となる。
織田 正吉(おだ しょうきち、1931年12月4日 - 20… 織田 正吉(おだ しょうきち、1931年12月4日 - 2020年11月20日)は、日本の演芸作家、放送作家、エッセイスト。本名は構 恒一(かまえ つねいち)。 日本笑い学会名誉会員、関西演芸作家協会顧問。このほか、日本笑い学会理事、園田学園女子大学短期大学部講師を歴任。 兵庫県神戸市出身。神戸大学法学部卒業。大学在学中から漫才台本等の執筆を行うかたわら、漫画の雑誌投稿の常連となり、やがて鈴木義司ら東京の学生漫画家グループ「漫画エポック」に参加するにいたり、上京。しかし「天才とはこういう人のことかと思った」とのちに述懐するほどの鈴木の量産ぶりを前に、漫画家としての活動に「早々と見切りをつけ」、東京を去った。
和田 亮介(わだ りょうすけ、1931年(昭和6年)11月1… 和田 亮介(わだ りょうすけ、1931年(昭和6年)11月11日―2021年(令和3年)5月25日)は、日本の実業家、エッセイスト。大阪船場の老舗卸「和田哲(株)」三代目社長(のち会長。和田哲はその後、ワテックス株式会社に社名変更)。大阪商工会議所常議員(名誉議員)、大阪織物卸商業組合理事長、大阪市中小企業対策審議会委員、テレビ大阪番組審議会委員長、近畿島根県人会会長、近畿島根経済倶楽部会長等を歴任。日本ペンクラブ会員、日本エッセイストクラブ特別会員、財界人文芸誌『ほほづゑ』同人、関西同人雑誌『千里眼』同人。山陰尺八道場二世道場主(竹号「真月」)。1996年藍綬褒章受章、1999年大阪市文化功労賞。
柳原 良平(やなぎはら りょうへい、1931年8月17日 -… 柳原 良平(やなぎはら りょうへい、1931年8月17日 - 2015年8月17日)は、日本のイラストレーター、漫画家、アニメーション作家、エッセイスト。東京都出身。神奈川県横浜市中区在住。「アンクルトリス」の産みの親として、また無類の船好きとしても知られる。過去には「帆船日本丸記念財団」の理事も務めていた。西村捨三のひ孫。
団 鬼六(だん おにろく、1931年4月16日(戸籍上は9月… 団 鬼六(だん おにろく、1931年4月16日(戸籍上は9月1日) - 2011年5月6日)は、日本の小説家・脚本家・演出家・エッセイスト・映画プロデューサー・出版人。 SMものなどの官能小説の第一人者として著名である。代表作に『花と蛇』。多くの作品が映画化された。作家活動の他、鬼プロダクションを設立して、ピンク映画やSM雑誌を手掛けた。将棋雑誌の出版も行った。 本名は黒岩幸彦(くろいわ ゆきひこ)。初期のペンネームに黒岩松次郎、花巻京太郎。なお、本人の弁によると“鬼六”の読みは、“おにろく”でも“きろく”でもどちらでも構わないとのこと。 滋賀県彦根市の映画館「金城館」を経営する父のもとに生まれ、幼い頃から映画を楽しむと同時に実家の映画館は遊び場でもあった。
杉本 秀太郎(すぎもと ひでたろう、1931年1月21日 -… 杉本 秀太郎(すぎもと ひでたろう、1931年1月21日 - 2015年5月27日)は、日本のフランス文学者・文芸評論家・エッセイスト。国際日本文化研究センター名誉教授、京都女子大学名誉教授。日本芸術院会員。 京都府京都市出身。1948年、旧制四高に入学。1949年に学制変更で、新制京都大学文学部仏文科に入学。1953年に卒業後、1956年、同大学院に入学し、1961年、博士課程単位取得満期退学。 1962年、京都女子大学文学部専任講師、1965年、助教授、1971年、教授。1988年に新設された国際日本文化研究センター教授に就任し、1996年に定年退職。同年に日本芸術院会員、筑摩書房で『杉本秀太郎文粋』(全5巻)が刊行された。
明坂 英二(あけさか えいじ、1931年 - 2010年 -… 明坂 英二(あけさか えいじ、1931年 - 2010年 - )は、日本のエッセイスト。日本エッセイスト・クラブ会員。長崎市在住。 神戸市生まれ。早稲田大学仏文科中退。PR誌の編集に携わるうちに食べものの歴史や文化に興味をもち、本を書きはじめた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
俵 萠子(たわら もえこ、1930年〈昭和5年〉12月7日 … 俵 萠子(たわら もえこ、1930年〈昭和5年〉12月7日 - 2008年〈平成20年〉11月27日)は、日本の評論家・エッセイスト。 建築家中野順次郎の子として、大阪府大阪市に生まれる。本名は中野萌子。 大阪府立大手前高等学校、大阪外国語大学フランス語学科を卒業。戦後、4年制大学卒の女性記者第1号として産経新聞社に入社。大阪文化部時代は司馬遼太郎と机を並べた。1965年に同社を退社し、以後、女性、家庭、老人、教育などを中心に据えて評論家として活動する。また東京・中野区の教育委員を務めたほか、国政進出を試みたこともあった。 1986年から陶芸を始め、1995年には群馬県勢多郡富士見村の赤城山に『俵萠子美術館』を設立。
向井 敏(むかい さとし、1930年9月24日 - 2002… 向井 敏(むかい さとし、1930年9月24日 - 2002年1月4日)は、日本のエッセイスト。 大阪府和泉市生まれ。1953年、大阪大学文学部仏文学科卒業、1955年、大阪大学大学院修士課程修了。在学中から開高健、谷沢永一らの同人誌『えんぴつ』に参加。 1960年4月、電通入社、1982年3月退社。 21年間コマーシャルの世界にいて、そのうち11年間は製作現場におり、日航の広告“東京午前零時”など多くのテレビCMを手がけた。勤務のかたわら「電通報」、毎日新聞のコラムを執筆。1977年、テレビCMを論じた『紋章だけの王国』を上梓。 退社後の1983年に、CM批評『虹をつくる男たち』でサントリー学芸賞受賞。
佐橋 慶女(さはし けいじょ、1930年9月2日 -2020… 佐橋 慶女(さはし けいじょ、1930年9月2日 -2020年12月27日)は、日本のエッセイスト。 愛知県出身。本名・恆苑(浄土宗僧侶)。愛知県立女子専門学校(現・愛知県立大学)英文科卒。中日新聞記者となり、1963年3月に日本で初めての女だけの会社「アイディア・バンク」を設立。 1969年より佐橋慶の名で著書を刊行、のち慶女と名乗る。 1971年に日本の生活文化を伝承するための「傳承塾」を始める。1976年出家、1984年『おじいさんの台所』で日本エッセイストクラブ賞を受賞し、3回にわたってテレビドラマ化された。 後年は高齢問題に取り組み、「オパール・ネットワーク」を主宰した。
妹尾 河童(せのお かっぱ、本名同じ、旧名:妹尾 肇(せのお… 妹尾 河童(せのお かっぱ、本名同じ、旧名:妹尾 肇(せのお はじめ)、1930年(昭和5年)6月23日 - )は、兵庫県神戸市生まれのグラフィックデザイナー・舞台美術家・エッセイスト・小説家。 自著『河童が覗いた』シリーズでの緻密な手書きイラストレーションでも知られている。妻はエッセイストの風間茂子。 神戸で洋服屋の長男として生まれる。 小学生の時、芥川龍之介の『三つの宝』を裕福な友人から借りたくて、その友人が冗談で出した「空中2回転が出来たら貸す」という条件を鵜呑みにして失敗、肩から落下し骨折した経験がある。本自体は友人が父親に内緒で貸し出した。近所に可愛がってくれる青年が数人いたが彼は出征、非合法活動による逮捕、召集拒否からの自殺によって居なくなる。
辰濃 和男(たつの かずお、1930年1月1日 - 2017… 辰濃 和男(たつの かずお、1930年1月1日 - 2017年12月6日)は、元朝日新聞記者のジャーナリスト、エッセイスト。元日本エッセイスト・クラブ理事長。 東京生まれ。1953年東京商科大学(一橋大学)卒業。大学では、加藤秀俊(社会学者)と語学のクラス及び南博ゼミの同級生で、ともに一橋新聞部に所属した。 大学卒業後朝日新聞社入社。浦和支局、社会部、ニューヨーク支局長、社会部次長、編集委員、論説委員、編集局顧問を歴任。この間、1975年から1988年まで「天声人語」を担当し、1993年に退社。1994年朝日カルチャーセンター社長。また、日本エッセイスト・クラブ理事長も務めた。 ジャーナリストとして多数の著書を刊行している。
向田 邦子(むこうだ くにこ、1929年〈昭和4年〉11月2… 向田 邦子(むこうだ くにこ、1929年〈昭和4年〉11月28日 - 1981年〈昭和56年〉8月22日)は、日本のテレビドラマ脚本家、エッセイスト、小説家。第83回直木賞を受賞。 週刊誌のトップ屋時代は幸田 邦子名義で執筆していた。共同ペンネーム「葉村彰子」の一員でもある。 父親の転勤で全国を転々とするが、本人は鹿児島時代が文学の原点と語った。実践女専国語科を卒業後、映画雑誌の記者を経て、ラジオ・テレビの台本・脚本を書く。『七人の孫』『寺内貫太郎一家』等、自分の実感をもとに庶民の生活を温かくかつその暗部をも描いて「ホームドラマの旗手」といわれた。 1980年短編連作『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』(後に作品集『思い出トランプ』に収録)で直木賞を受賞した。
上遠 恵子(かみとお けいこ、1929年7月17日 - )は… 上遠 恵子(かみとお けいこ、1929年7月17日 - )は、日本のエッセイスト、翻訳家。レイチェル・カーソン日本協会会長。 東京都出身。東京薬科大学卒業。1974年、ポール・ブルックス(英語版)『生命の棲家』(後に『レイチェル・カーソン』と改題)を訳出。研究室勤務、学会誌編集者を経て、現在エッセイスト。レイチェル・カーソン日本協会理事長を経て会長。 1929年:東京・田園調布にて誕生。父親は昆虫学者。東京帝国大学理学部を卒業後、農林省(現:農林水産省)に勤務する技官だった。両親がクリスチャンだったため、幼児洗礼を受ける。 1936年:小学校入学。 1941年:太平洋戦争勃発。田園調布のあたりもB29の空襲を受けるが、生家は被害を免れた。
加藤 恭子(かとう きょうこ、1929年5月26日 - )は… 加藤 恭子(かとう きょうこ、1929年5月26日 - )は、日本の中世フランス文学者、エッセイスト。 旧姓・藤井。夫は加藤淑裕(よしひろ、1924-1988、発生生物学者、三菱化成生命科学研究所)、娘は『アメリカへ行った僚子』で知られる教育学者・東大教授の恒吉僚子。 東京生まれ。日本女子大学付属高女を経て同大国文科を中退し、1950年に早稲田大学文学部仏文科入学、1953年卒業。 夫ともに渡米し、1957年ワシントン大学大学院修士課程修了。1965年早稲田大学大学院仏文科博士課程満期退学。ワシントン大学研究助手、1965-72年マサチューセッツ大学特別研究員。 1973年上智大学講師、1995年同大学コミュニティ・カレッジ講師。
小沢 昭一(おざわ しょういち、本名:小澤 昭一(読み同じ)… 小沢 昭一(おざわ しょういち、本名:小澤 昭一(読み同じ)、1929年(昭和4年)4月6日 - 2012年(平成24年)12月10日)は日本の俳優、タレント、俳人、エッセイスト、芸能研究者、元放送大学客員教授。日本新劇俳優協会会長。俳号は小沢 変哲。劇団「しゃぼん玉座」主宰。見世物学会顧問。
鳥海 昭子(とりのうみ あきこ、1929年4月6日 - 20… 鳥海 昭子(とりのうみ あきこ、1929年4月6日 - 2005年10月9日)は、歌人、エッセイスト。 山形県鳥海山麓生まれ。1949年歌誌「アララギ」入会。その後「歌と観照」「短詩型文学」に所属する。家出同然で上京して、様々な仕事を経験しながら学費を稼ぎ、1955年國學院大學文学部日本文学科卒業。児童養護施設に洗濯婦として働き始め、身寄りのない子供たちの継母として26年間勤め上げた。1985年、歌集「花いちもんめ」で第29回現代歌人協会賞受賞。1992年東京都文化功労賞受賞。現代歌人協会会員。児童養護施設勤務経験をもとにした随筆も執筆している。2005年、NHKラジオの「ラジオ深夜便」にて誕生日の花にちなんだ短歌を一年間発表。
色川 武大(いろかわ たけひろ、1929年3月28日 - 1… 色川 武大(いろかわ たけひろ、1929年3月28日 - 1989年4月10日)は、日本の小説家、エッセイスト、雀士。筆名として色川 武大(いろかわ ぶだい)、阿佐田 哲也(あさだ てつや)、井上 志摩夫(いのうえ しまお)、雀風子を名乗った。阿佐田哲也名義では麻雀小説作家として知られる。
増田 れい子(ますだ れいこ、1929年1月5日 - 201… 増田 れい子(ますだ れいこ、1929年1月5日 - 2012年12月12日)は、日本のジャーナリスト、エッセイスト。毎日新聞東京本社論説委員、学芸部編集委員、サンデー毎日記者を歴任。 東京府豊多摩郡杉並町(現・杉並区)生まれ、茨城県稲敷郡牛久村城中(現・牛久市城中町)育ち。住井すゑと犬田卯の次女。1945年、茨城県立土浦高等女学校(現・茨城県立土浦第二高等学校)卒業。1946年、日本女子大学校(現・日本女子大学)国文学科入学。同校卒業後、旧制東京大学文学部国文学科に入学。1953年に同大学を卒業し、毎日新聞社東京本社に入社。第二次世界大戦後初めて正式に採用された女性記者の一人であった。1991年毎日新聞初の女性論説委員になる。
栃折 久美子(とちおり くみこ、1928年12月7日 - 2… 栃折 久美子(とちおり くみこ、1928年12月7日 - 2021年6月25日)は、日本の装幀家、製本工芸家、エッセイスト。 東京生まれ。東京女子大学卒業。 筑摩書房に勤務ののち、1967年に退社。フリーの製本家となる。森有正を知り、以後森の死去まで恋愛関係にあった。 1972年、ベルギー国立高等視覚芸術学校でルリユール((仏語))と呼ばれる製本技術を学び、帰国後は後進の指導にも当たった。1975年国井喜太郎賞受賞、1981年、国際製本家協会よりマイスターの認定を受け正会員となる。1985年、国際女流芸術文化協会連盟の現代芸術展審査員賞受賞。 エッセイストとしては、2003年に『森有正先生のこと』を刊行した。
森 毅(もり つよし、1928年1月10日 - 2010年7… 森 毅(もり つよし、1928年1月10日 - 2010年7月24日)は、日本の数学者、評論家、エッセイスト。京都大学名誉教授。専攻は、関数空間の解析の位相的研究。「一刀斎」と号した。 東京府荏原郡入新井町(現:東京都大田区)生まれ、大阪府豊中市育ち。大学教授時代より亡くなるまで京都府八幡市に在住した。 小学生の頃から塾へ通うなどしていたが、「戦時中、ぼくはというと、自他共に許す非国民少年で、迫害のかぎりを受けた不良優等生、要領と度胸だけは抜群の受験名人、それに極端に運がよくって、すべての入試をチョロマカシでくぐりぬけた」という(本人著『数学受験術指南』より)。 大阪府立北野中学校(旧制)(現:北野高校)在学中から数学が得意であった。
長 新太(ちょう しんた、本名: 鈴木 揫治、1927年9月… 長 新太(ちょう しんた、本名: 鈴木 揫治、1927年9月24日 - 2005年6月25日)は、日本の漫画家、絵本作家、エッセイスト。 漫画作品のほか、「ユーモラスな展開と不条理な筋立て」による「絵本」と称される数多くの絵本や児童文学の挿絵を描き、「ナンセンスの神様」の異名をとった。エッセイなどの分野でも活動した。 東京府荏原郡羽田町(のちの東京都大田区)に生まれる。蒲田育ち。戦時中は陸軍少年飛行兵学校を受験したが体重が足りなかったために不合格となる。東京市立蒲田工業学校(現在の東京都立一橋高等学校)卒。蒲田が空襲の被害を受けたため横浜市に移り、ここで敗戦を迎える。映画が好きだったため映画館の看板屋で3年ほど働いた。
宗藤 尚三(むねとう しょうぞう、1927年(昭和2年)8月… 宗藤 尚三(むねとう しょうぞう、1927年(昭和2年)8月18日 - 2016年(平成28年)10月30日)は、日本の随筆家であり、牧師、教育者、被爆者でもある。倉田百三の甥。 広島市内にて、アメリカによる原子爆弾の爆心地から約1kmの至近距離で被爆。生死をさまようも89歳の長寿を全うした。一般市民をも標的にした原爆投下について、被爆者としては珍しくアメリカに恨みを持つのではなく、軍事主義であった日本国の責任もあると語った。中立の立場から平和について語り、多くの書籍を出版した。死の境目であった己が生かされていることを神に感謝し、宗教学者として様々な宗教への関わりや知識がある。 被爆の後に広島大学中退、東京神学大学大学院修了。
北 杜夫(きた もりお、本名:斎藤 宗吉〈さいとう そうきち… 北 杜夫(きた もりお、本名:斎藤 宗吉〈さいとう そうきち〉、1927年〈昭和2年〉5月1日 - 2011年〈平成23年〉10月24日)は、日本の小説家、エッセイスト、精神科医、医学博士。位階は従四位。 祖父は医師で政治家の斎藤紀一。父は紀一の養子で、歌人で医師の斎藤茂吉。兄はエッセイストで精神科医の斎藤茂太。娘はエッセイストの斎藤由香。 東北大学医学部を卒業。精神科医のかたわら、『文藝首都』に参加。水産庁調査船の船医の体験をユーモラスに描いた『どくとるマンボウ航海記』(1960年)で好評を得、以後「どくとるマンボウ」ものを次々に発表した。 『夜と霧の隅で』(1960年)で芥川賞を受賞。『楡家の人びと』(1964年)は、近代における最初の市民小説と高く評価された。
加藤 雅彦(かとう まさひこ、1927年 - 2015年)は… 加藤 雅彦(かとう まさひこ、1927年 - 2015年)は、日本のヨーロッパ問題研究家、エッセイスト。 名古屋市生まれ。東京大学法学部卒業。NHKに入局。ほかベルリン自由大学に留学。NHKベオグラード、ボン支局長、解説委員などを歴任。 1992年『ドナウ河紀行』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。日本ヨハン・シュトラウス協会会員。
上野 賢一(うえの けんいち、英文はKenichi Uyen… 上野 賢一(うえの けんいち、英文はKenichi Uyeno 、1927年 - 2012年4月4日)は、日本の医学者、エッセイスト。筑波大学初代皮膚科教授。 父親が英国留学した際に、ケンブリッジ大学の教授に勧められUyenoと書くようになったが、それに準じた。本人の今まで6枚あるパスポートとサインは調べたらUyenoとUenoもあったが、パスポート上のサインも同様は両者あった。論文はUyeno Kであった。メリットもあるがデメリットもある。 1927年金沢市に生まれる。父親は旧制金沢医大、現在金沢大学医学部生理学教授 上野一春。父親は生理学教科書を書いており、賢一はそれをみていたという。1947年 第四高等学校理科甲類卒業。
木村 梢(きむら こずえ、1926年11月6日 - 2019… 木村 梢(きむら こずえ、1926年11月6日 - 2019年10月28日)は、エッセイスト。 邦枝完二の長女として東京市麹町区(現東京都千代田区麹町)に生まれる。父と同様に麹町幼稚園、麹町小学校で学び、文化学院女学部を卒業。1948年、俳優の木村功と結婚。妹にクニエダヤスエがいる。娘は七代杵屋佐吉に嫁ぎ、孫に杵屋浅吉、杵屋佐喜がいる。木村功の死後『功、大好き』を上梓しベストセラーになった。 2019年10月28日、老衰のため92歳で死去した。墓所は本郷の喜福寺。
千住 文子(せんじゅ ふみこ、1926年〈大正15年〉3月4… 千住 文子(せんじゅ ふみこ、1926年〈大正15年〉3月4日 - 2013年〈平成25年〉6月27日)は、日本の教育評論家、エッセイスト。 夫は千住鎮雄。長男は千住博、二男は千住明、長女は千住真理子。父は角倉邦彦、祖父は角倉賀道。 東京都出身。日本女子専門学校国文科(旧制)を経て、共立女子大学家政学部生活科学科(新制)に一期生として入学。同大学を卒業後は高分子学会に勤務。その後、明治製菓株式会社に入社。同研究所薬品研究室研究員として抗生物質開発の研究に従事。経営工学者の千住鎮雄と結婚して退職。 芸術家三兄妹として知られる日本画家の千住博、作曲家の千住明、ヴァイオリニストの千住真理子を育てた。2000年に夫が他界した後、教育問題に関する講演会や執筆活動、テレビ・ラジオへの出演など多岐にわたって活躍。
久保田 二郎(くぼた じろう、1926年 - 1995年4月… 久保田 二郎(くぼた じろう、1926年 - 1995年4月)は、日本のエッセイスト、ジャズ評論家、雑誌編集者。東京都渋谷区千駄ヶ谷生まれ。香川県出身。日本にモダン・ジャズを初めて紹介した一人。 千駄ヶ谷の鳩森八幡神社の裏の屋敷街で育つ。幼少からアメリカ文化の影響を強く受ける。青山師範付属小学校卒業。法政大学卒業。戦後、ジャズ・ドラマーを経て、博学なジャズ評論家として活躍し、キング・ジャズ・シリーズの監修者を担う。『スイングジャーナル』誌の編集長となり、ジャズについて書き始めていた植草甚一を起用した。 日本初のステレオLPレコードや、今のテレビ音楽番組のスタイルを確立するなど、日本の音楽界に大きく貢献。
日比野 和幸(ひびの かずゆき、1925年12月28日 - … 日比野 和幸(ひびの かずゆき、1925年12月28日 - 2009年1月5日)は日本のジャーナリスト、エッセイストである。
深谷憲一(ふかや けんいち、1925年12月1日 - 201… 深谷憲一(ふかや けんいち、1925年12月1日 - 2015年3月23日)は日本のジャーナリスト、エッセイスト。 茨城県出身。東京大学卒業後、日本経済新聞社に入社、文化部長をへて東京12チャンネル(現テレビ東京)常務となる。また、日本エッセイスト・クラブの幹部として日本エッセイスト・クラブ賞の選考委員も長くつとめた。 9世紀の僧、円仁の『入唐求法巡礼行記』の口語全訳(中公文庫、1990年)をなしとげた。 2015年3月23日、肺炎のため死去。89歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
團 伊玖磨(だん いくま、1924年4月7日 - 2001年… 團 伊玖磨(だん いくま、1924年4月7日 - 2001年5月17日)は、日本の作曲家、エッセイスト。日本を代表するクラシック音楽の作曲家の一人である。作曲家としてはオペラ、交響曲、歌曲などのいわゆるクラシック音楽のほか、童謡、映画音楽、放送音楽と幅広いジャンルを手がけた。「團伊玖麿」は誤表記。
倉田 保雄(くらた やすお、1924年3月19日 - 201… 倉田 保雄(くらた やすお、1924年3月19日 - 2011年11月18日)は、国際問題評論家、エッセイスト。 東京都生まれ。暁星中学を経て1945年慶應義塾大学経済学部卒業後、時事通信、ロイター、UPI通信社東京支局勤務。 1952年フルブライト留学生として米国留学。1953年共同通信に入社。ロンドン特派員、パリ支局長、編集委員。早稲田大学・慶大講師。 1989年から2002年までNHK「視点・論点」のコメンテーター。1994年フランス国家功労勲章(シュバリエ級)受章。ヨーロッパ特に英国、フランスについての著書多数。 2011年11月18日、虚血性心疾患のため死去。87歳没。
倉嶋 厚(くらしま あつし、1924年1月25日 - 201… 倉嶋 厚(くらしま あつし、1924年1月25日 - 2017年8月3日)は、日本の気象エッセイスト、気象学者。理学博士(東京教育大学(現・筑波大学))。かつてテレビで気象キャスターとして活躍した。 長野県長野市生まれ。父は仏教関係の新聞を出版していた倉島元弥。兄は長野市長を務めた倉島至。 旧制・長野縣長野中學校(現・長野県長野高等学校)を経て、中央気象台付属気象技術官養成所研究科(現・気象大学校)を卒業後、1949年に気象庁入庁。気象庁主任予報官、札幌管区気象台予報課長、鹿児島地方気象台長を歴任。 1984年気象庁を定年退職。業務で付き合いがあったNHKに招聘され外部解説委員となり、『ニュースセンター9時』『にっぽん列島ただいま6時』『NHKおはようサンデー』『NHKモーニングワイドサンデー』で気象情報、気象キャスターを担当。
寿岳 章子(じゅがく あきこ、1924年1月2日 - 200… 寿岳 章子(じゅがく あきこ、1924年1月2日 - 2005年7月13日)は、日本の国語学者・エッセイスト・社会活動家。 寿岳文章・寿岳しづ夫妻の長女として京都府に生まれる。弟は天文学者の寿岳潤。 旧制京都府立第一高等女学校、旧制京都府立女子専門学校を経て、1946年(昭和21年)に東北帝国大学法文学部を卒業、京都大学大学院へ進学。京都府立大学助教授、教授として同大学に36年間勤務。 墓所は南禅寺慈氏院。 寿岳の研究業績としては、室町時代の口語資料である抄物の研究が挙げられる。寿岳は抄物の語句や文章形態や文法構造について、抄物を語った人物の声として捉えようとした。あくまでも生きた人間の言葉に目を向け、抄物それ自体の言葉に深く切り込んで、その性格を解明して資料性を保証したのである。
外山 滋比古(とやま しげひこ、1923年〈大正12年〉11… 外山 滋比古(とやま しげひこ、1923年〈大正12年〉11月3日 - 2020年〈令和2年〉7月30日)は、日本の英文学者、言語学者、評論家、エッセイスト。文学博士。お茶の水女子大学名誉教授。全日本家庭教育研究会元総裁。 東京文理大英文科卒。専門の英文学にとどまらず、言語学・修辞学・教育学などを広範に研究。言葉のまとまった意味は、視覚に認められる現象と同じような作用によると考えた『修辞的残像』(1961年)を出発点として、日本語の論理、読者論などに新説を出し続けた。『シェイクスピアと近代』(1977年)では、読者論を実践的に示した。また、『異本論』(1978年)、『古典論』(2001年)などでは、従来否定的に扱われてきた異本の積極的な機能を再評価した。
近藤 富枝(こんどう とみえ、1922年8月19日 - 20… 近藤 富枝(こんどう とみえ、1922年8月19日 - 2016年7月24日)は、日本の作家、エッセイスト。旧名:水島富枝。夫は軍事史研究家の土門周平。 東京府東京市日本橋区矢ノ倉町(現:東京都中央区東日本橋一丁目)の袋物問屋に生まれる。1929年に、父の破産で一家離散となり、一人で父方の祖父母の家にひきとられ、東京市田端で育つ。祖父・水島辨治郎は、日本橋の金襖問屋・増見屋の8代目水島三右衛門の次男だった。 東洋高等女学校卒業。東京女子大学国語専攻部に在学中に演劇に熱中し、1942年新劇団「芸術小劇場」(北村喜八・村瀬幸子が主催)の研究生、のち文学座の研究生となる。1943年に大学卒業後、文部省教学局国語課勤務。
石井 好子(いしい よしこ、1922年8月4日 - 2010… 石井 好子(いしい よしこ、1922年8月4日 - 2010年7月17日)は、日本のシャンソン歌手、エッセイスト、実業家(芸能プロモーター)。日本シャンソン界の草分けであり、半世紀以上に亘り牽引し続けた業界の代表・中心人物として知られている。日本シャンソン協会初代会長。東京都出身。東京府立第六高等女学校(現・東京都立三田高等学校)卒業、東京音楽学校声楽専科卒業。 政治家・石井光次郎の次女として生まれ、母の勧めにより6歳からピアノを習う。ただ、歌は好きだがピアノは好きになれなかったという。ピアノを教えていた岡本たま(音楽家岡本敏明の妻)は、そんな好子にピアノを無理強いすることなく、ただ好きな歌を歌うよう勧めた。
畑中 良輔(はたなか りょうすけ、1922年(大正11年)2… 畑中 良輔(はたなか りょうすけ、1922年(大正11年)2月12日 - 2012年(平成24年)5月24日)は、日本の声楽家(バリトン)、音楽教育者、合唱指揮者、音楽評論家、作曲家、詩人、翻訳家(訳詞家)、エッセイスト。日本芸術院会員。日本の洋楽の発展に多大な功績を残した。 福岡県門司市(現:北九州市門司区)に浅野セメントに勤める父・勝次郎と、琴および三絃の師匠をしていた母・筆の長男として生まれる。四人家族で、二つ上の姉がいる。旧制門司中学校に入学、ラッパ鼓隊に所属し小太鼓を担当する。進学先として受験科目に苦手の数学が無い東京音楽学校を選び、人前で歌ったことはなかったが消去法で「声楽科」と書いたという。
矢口 純(やぐち じゅん、1921年4月18日 - 2005… 矢口 純(やぐち じゅん、1921年4月18日 - 2005年4月30日)は、日本の編集者、エッセイスト。 東京雑司ヶ谷生まれ。本名読み・きよし。父は英文学者・矢口達。1943年早稲田大学政経学部を繰り上げ卒業し入隊、敗戦時には仙台陸軍飛行学校の将校生徒。千葉県の誉田で村会議員を務める。1948年婦人画報社に入社、『博愛』編集長として出向、十返千鶴子が編集員だった。1950年『婦人画報』編集部に戻る。55年、石原慎太郎は「太陽の季節」が芥川賞をとる前に編集部を訪ね、矢口がルポ「スポーツ・ゲート」を連載させた。62年取締役編集長となり、銀座の酒場で山口瞳と知り合い、「江分利満氏の優雅な生活」を連載させる。
三國(三国) 一朗(みくに いちろう、1921年1月12日 … 三國(三国) 一朗(みくに いちろう、1921年1月12日 - 2000年9月15日)は、日本の放送タレント、エッセイストである。
萩原 葉子(はぎわら ようこ、1920年〈大正9年〉9月4日… 萩原 葉子(はぎわら ようこ、1920年〈大正9年〉9月4日 - 2005年〈平成17年〉7月1日)は、日本の小説家、エッセイスト。 詩人萩原朔太郎と最初の妻、稲子(旧姓上田)との長女として東京本郷の東京帝大構内の前田侯爵邸に生まれ、大井町、田端、鎌倉材木座、馬込、前橋、下北沢などを転々として育つ。2歳下の妹・明子がいる。8歳の時両親が離婚し、前橋の祖母(朔太郎の母)宅に預けられた。権勢を振るう祖母の圧迫で、2番目の妻と離婚させられた朔太郎が1942年、55歳で死ぬという辛酸をなめ、このことがのち小説『蕁麻の家』に描かれることになる。 1938年、精華高等女学校(現・東海大学付属望洋高等学校)卒業、同年文化学院入学。
大橋 鎭子(おおはし しずこ、1920年〈大正9年〉3月10… 大橋 鎭子(おおはし しずこ、1920年〈大正9年〉3月10日 - 2013年〈平成25年〉3月23日)は、日本の女性編集者・エッセイスト。暮しの手帖社社主・元社長で同社の雑誌『暮しの手帖』を創刊した。妹の大橋芳子も同社創業メンバーの一人で、エッセイスト。 父の大橋武雄は岐阜県大垣市出身。武雄は父親を結核で早くに亡くし、10歳の時に東京・深川の材木商をしていた親戚の大橋谷吉の養子となり、府立一中を経て北海道帝国大学農学部卒業後1919年4月中越製布(現・日本製麻)に就職。母、宮原久子は京都生まれ小樽育ちで、父の宮原満吉は新潟で油田を掘り当て財を築いた実業家だった。久子は女子美術学校を卒業後、北海道時代に知り合った武雄と1919年5月に結婚。
山本 素石(やまもと そせき 1919年6月26日 - 19… 山本 素石(やまもと そせき 1919年6月26日 - 1988年8月1日)は、釣り研究者、エッセイスト、宗教家。 滋賀県甲賀郡甲南町(現甲賀市)生まれ。本名、山本幹二。日本随筆協会、日本釣振興会、日本渓流釣連盟、各会員。 各種学校や塾を遍歴して一つも卒業せず、職業も転々として自由業に終始。絵付け職人の傍ら、山釣りと渓魚とツチノコの研究にのめり込み、京都を拠点に北海道北端から九州南端、さらには離島、韓国江原道まで彷徨した。 昭和40年代のツチノコブームの火付役で、田辺聖子の小説「すべってころんで」のモデルにもなった。天理教滋京分教会会長、ノータリンクラブ会長。