田辺 聖子(たなべ せいこ、本名:田邉 聖子、1928年3月… 田辺 聖子(たなべ せいこ、本名:田邉 聖子、1928年3月27日 - 2019年6月6日)は、日本の小説家、随筆家。文化功労者、文化勲章受章者。位階は従三位。 大阪府大阪市生まれ。淀之水高等女学校を経て樟蔭女子専門学校(現大阪樟蔭女子大学)国文科卒。恋愛小説などを中心に活動し、第50回芥川龍之介賞などの受賞歴がある。 1928年3月27日、大阪府大阪市此花区(現・福島区)に田辺貫一と勝世(岡山出身)の間に三人の子供の長女として生まれる。父方は広島県福山市の出身で祖父の代から写真館を経営していた。大阪市内に生まれ、大阪の風俗文化に深く親しみながら育ったことが、のちの作風に影響を与えている。因みに北摂の新興都市については風俗文化が乏しいと評している。
樋口 茂子(ひぐち しげこ、1928年(昭和3年)1月24日… 樋口 茂子(ひぐち しげこ、1928年(昭和3年)1月24日 - 2013年(平成25年)12月4日)は、日本の小説家、随筆家、評論家。静岡県生まれ。本名・茂(しげ)。幼少時を満州で過ごし、1940年帰国。以後、京都に住む。45年京都市立堀川高等女学校卒業。57年、学徒戦犯を題材にした第一作『非情の庭』でデビュー。64年膠原病を発症、闘病生活を送る。75年仕事に復帰、以後、休養をくり返しながら、日本の古代史をテーマに文筆活動を続けた。
武田 龍夫(たけだ たつお、1928年(昭和3年)- 200… 武田 龍夫(たけだ たつお、1928年(昭和3年)- 2007年(平成19年))は、日本の随筆家、外交官で、北欧文化協会理事長などを務めた。 武田竜夫とも表記する。夫人の武田和子(1938年生)は絵本画家。 北海道室蘭市出身。1954年に中央大学法学部卒。1954年(昭和29年)から外務省よりストックホルム大学にスウェーデン語留学生として派遣された。日本帰国後は在スウェーデン、デンマークの各・大使館の一等書記官、外務省北欧担当官などを経て、宮内庁式部官、イスタンブール総領事、東海大学教授、大阪外国語大学、立教大学非常勤講師などを歴任し、北欧関係の執筆著述を多く行った。 「世界日報」紙の常連寄稿者の1人で、同紙を賛美するメッセージを寄せている。
尾崎 左永子(おざき さえこ、1927年11月5日 - )は… 尾崎 左永子(おざき さえこ、1927年11月5日 - )は、日本の歌人、随筆家、放送作家。歌誌「星座」主筆、エッセイスト・クラブ常務理事。本名は尾崎磋瑛子(読みは同じ)。夫は慶應義塾大学経済学部名誉教授の尾崎巌。神奈川県鎌倉市在住。 東京府豊島区巣鴨に、宮内省に勤務する父・酒巻芳男(旧姓・飯島)、母・壽(旧姓・秋月)の四女として生まれる。母方の祖父は明治天皇の侍医であった。 東京女学館中等科を1学年飛び級し、東京女子大学国語科入学。大学では松村緑、西尾実の指導を受けた。また関鑑子に声楽を学んだ。戦後は大学の演劇部に所属し、木下順二、山本安英、薄田研二らの指導を受けた。大学在学中に歌誌「歩道」に入会し、佐藤佐太郎に師事。
佐々木 久子(ささき ひさこ、1927年2月10日 - 20… 佐々木 久子(ささき ひさこ、1927年2月10日 - 2008年6月28日)は、日本の編集者、評論家、随筆家である。雑誌『酒』(1955年 - 1997年)編集長。「カープを優勝させる会」を旗揚げし奔走したことで知られる。 広島県広島市出身。3歳から酒をたしなむ。広島女子商業学校(現広島翔洋高等学校)を経て広島大学に進学。1945年には広島市への原子爆弾投下により爆心地から1.9km離れた自宅で被爆。自身は母親と共に救出されたが、5年後には父親を原爆症により亡くした。第二次世界大戦後は広島で青年運動・平和運動・新劇などの活動もしていた。 大学卒業後、NHK広島放送局勤務を経て、単身で上京。1955年4月、雑誌『酒』を創刊。
堀 淳一(ほり じゅんいち、1926年〈大正15年〉10月6… 堀 淳一(ほり じゅんいち、1926年〈大正15年〉10月6日 - 2017年〈平成29年〉11月15日)は、日本の物理学者、随筆家。北海道大学名誉教授。専門は理論物理学であるが、地図に関するエッセイを多く著した。 1926年、物理学者の父・堀健夫と母・志づの長男として京都府京都市に生まれる。弟妹が6人いる。経済学者で関西学院大学学長を務めた堀経夫は伯父、ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎は母方の叔父にあたる。父の北大着任に伴い、1935年(昭和10年)から北海道札幌市に在住。小学校の頃から地図の魅力に魅せられた。札幌一中(現・北海道札幌南高等学校)を経て、1950年に北海道大学理学部物理学科を卒業。
相馬 大(そうま だい、1926年8月28日 - 2011年… 相馬 大(そうま だい、1926年8月28日 - 2011年5月23日)は、日本の詩人・随筆家・国文学者。本名・出川光治。 長野県須坂市出身。旧制上高井農学校(長野県須坂園芸高等学校)を経て、1950年立命館大学文学部日本文学科卒業。京都市立中学校国語教諭を経て、京都聖母女学院短期大学助教授、教授、図書館長を務めた。詩の他、京都文化についての随筆を多く残した。
立原 正秋(たちはら まさあき、金胤奎、キム・ユンキュ、김윤… 立原 正秋(たちはら まさあき、金胤奎、キム・ユンキュ、김윤규、1926年1月6日 - 1980年8月12日)は、朝鮮半島出身の日本の小説家・随筆家・詩人・編集者。 1926年(大正15年)1月6日、朝鮮の慶尚北道安東郡で生れた。自著などでは大邱市生れとされていたが、武田勝彦や高井有一の調査によると、安東郡である。早稲田大学専門部国文科中退(入学時は法律学科)。 小林秀雄を導き手として世阿弥の芸術論や謡曲をはじめとする中世の日本文学に深く沈潜し、「中世」をみずからの創作活動の原点とした。 父の死後、母が再婚して渡日したため、叔父(母の弟)の家などに引き取られて育ち、その後、1937年(昭和12年)の11歳のときに内地(日本)に渡り、母たちと同居し横須賀で育った。
小林 治雄(こばやし はるお、1925年12月21日 - 2… 小林 治雄(こばやし はるお、1925年12月21日 - 2010年1月26日)は日本の漫画家、随筆家。 1925年、山梨県にて出生。1943年、甲府工業学校土木科卒業。1954年、毎日新聞にて「フクちゃん」を連載していた横山隆一に勧められ、時事風刺の1コマ漫画『ヒトクチ漫画』の連載を開始し、以後1990年まで続いた。漫画集団の一員で、随筆、マンガ等を寄稿しつつ、70歳よりMacintoshを学び精力的に執筆活動を行った。 2010年1月26日、横浜市内の病院にて心不全で死去。84歳没。
武田 百合子(たけだ ゆりこ、1925年9月25日 - 19… 武田 百合子(たけだ ゆりこ、1925年9月25日 - 1993年5月27日)は、日本の随筆家。 小説家武田泰淳の妻で、泰淳の死後に、泰淳と過ごした富士山荘での日記『富士日記』を出版し、処女作にして高い評価を受ける。その後、寡作ながら、結晶度の高い随筆を発表して多くの熱狂的なファンを得る。娘は写真家の武田花。 各界に親交が多く、埴谷雄高、深沢七郎、村松友視、大岡昇平、色川武大、吉行淳之介、辻邦生、いいだもも、女優加藤治子などと親しかった。 神奈川県横浜市生まれ。1943年(昭和18年)、横浜第二高等女学校(現・神奈川県立横浜立野高等学校)を卒業する。在学中に同級生たちと同人誌『かひがら』に参加し、詩や文章を投稿する。
丸谷 才一(まるや さいいち、1925年(大正14年)8月2… 丸谷 才一(まるや さいいち、1925年(大正14年)8月27日 - 2012年(平成24年)10月13日)は、日本の小説家、文芸評論家、翻訳家、随筆家。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 主な小説作品に『笹まくら』『年の残り』『たった一人の反乱』『裏声で歌へ君が代』『女ざかり』など。文字遣いは、1966年から74年までを除いて、独自の歴史的仮名遣いを使用。日本文学の暗い私小説的な風土を批判し、軽快で知的な作品を書くことを目指した。評論・随筆も『忠臣藏とは何か』『後鳥羽院』『文章読本』など長年にわたり多く刊行し、また英文学者としてジョイスの『ユリシーズ』の翻訳などにも携わった。座談や講演も多く行い「文壇三大音声」の一人と自負していた。
田中 小実昌(たなか こみまさ、1925年〈大正14年〉4月… 田中 小実昌(たなか こみまさ、1925年〈大正14年〉4月29日 - 2000年〈平成12年〉2月26日)は、日本の小説家、翻訳家、随筆家。直木賞・谷崎潤一郎賞受賞。 東京市千駄ヶ谷生まれ。父・田中種助はバプテストの神学校を出た東京市民教会の牧師。40歳の種助と46歳の母・マサ子の長男として生まれる。父の転勤で4歳から広島県呉市東三津田町で育つ。7歳のとき、父が呉三津田の山に「アサ会」という十字架のない独自のキリスト教教会を創立。 実家近くの広島県立呉第一中学(現・呉三津田高校)を受験するが失敗し、旧制西南学院中学に入学。母親の意向で一年後に呉第一中学の編入試験を受け2年から転校した。同級に井上忠。
辰巳 芳子(たつみ よしこ、1924年12月1日 - )は、… 辰巳 芳子(たつみ よしこ、1924年12月1日 - )は、日本の料理研究家、随筆家。 料理研究家の草分け的存在である母・辰巳浜子の志を継ぎ、家庭料理、西洋料理の研究を行う。 父への介護経験から生まれた「いのちのスープ」が注目され、鎌倉市の自宅で20年以上にわたりスープ教室を開催している。 NPO「大豆100粒運動を支える会」会長、NPO「良い食材を伝える会」代表理事、「確かな味を造る会」最高顧問。 母から家庭料理を学び、宮内庁大膳寮で修行を積んだ加藤正之にフランス料理の指導を受け、イタリア、スペインなどで西洋料理の研鑚も重ねる。病苦に苦しむ父への介護食「いのちのスープ」に代表される家庭料理の大切さを雑誌、著作、テレビなどで伝えている。
志村 ふくみ(しむら ふくみ、1924年(大正13年)9月3… 志村 ふくみ(しむら ふくみ、1924年(大正13年)9月30日 - )は、日本の染織家、紬織の重要無形文化財保持者(人間国宝)、随筆家。 草木染めの糸を使用した紬織の作品で知られる。 滋賀県近江八幡市生まれ。1942年(昭和17年)文化学院卒業。文化学院の1学年上級には女優の高峰秀子がいた。 31歳のとき、若い頃に柳宗悦の民芸運動に共鳴し、織物を習っていた母・小野豊の影響で織物を始める。 1957年(昭和32年)の第4回日本伝統工芸展に初出品で入選し、その後第5回で奨励賞、第6回・第8回で文化財保護委員会委員長賞、第7回で朝日新聞社賞と4度の受賞を重ね、特待者となった。随筆の名手としても知られ『一色一生』で第10回(1983年度)大佛次郎賞を受賞している。
綱淵 謙錠(つなぶち けんじょう、1924年〈大正13年〉9… 綱淵 謙錠(つなぶち けんじょう、1924年〈大正13年〉9月21日 - 1996年〈平成8年〉4月14日)は、樺太出身の小説家、随筆家。 旧制新潟高校在学中に北海道旭川の第7師団に召集され、1945年(昭和20年)9月に復員。 翌1946年(昭和21年)、東京帝国大学に入学したものの学費が続かず1年経たずに辞め、東京を脱して新潟に赴き、数年間職を転々とした後、1951年(昭和26年)、東大復学。1953年、同大文学部英文学科卒業。中央公論社に入社し、出版部、『中央公論』、『婦人公論』を経て『谷崎潤一郎全集』、『エリオット全集』などの文芸書を手掛け、1971年(昭和46年)、退社。翌年、請われて日本ペンクラブ事務局長に就き、激務の傍ら「斬」を執筆。
柏村 勲(かしわむら いさお、1924年8月21日 - 20… 柏村 勲(かしわむら いさお、1924年8月21日 - 2017年3月5日)は、日本の画家、随筆家。 広島県呉市に生まれる。広島県呉第一中学校、東京美術学校(東京藝術大学の前身校の一つ)油絵科卒業。卒業後、同級生であり画家の伊能由利子と結婚。 黒澤映画美術助手となる。東宝「生きる」「静華命」「安五郎出世」などを担当。 1952年、長男誕生後に川崎市立住吉中学校美術教師となる。 1960年、親友のアメリカ人夫妻と3人でヨット旅行に出発。アムステルダムから運河をたどってヨーロッパを縦断、地中海、バミューダ諸島などを経て大西洋を横断、アメリカ合衆国ニューポートまでの10ヶ月に及ぶヨットの旅だった。この旅が転機となり「ヨットと海」を描きはじめる。
荒井 保男(あらい やすお、1924年- )は、日本の医師、… 荒井 保男(あらい やすお、1924年- )は、日本の医師、随筆家、歴史家。 茨城県生まれ。1949年横浜市立医学専門学校卒。1956年「アミノ酸尿に關する研究」で横浜市立大学医学博士。1964年慶應義塾大学大学院博士課程満期退学。66年「老年期の心理学的研究」で慶大文学博士。開業の傍ら、横浜市立大学医学部講師、放送大学客員教授。飯山医院名誉院長、日本エッセイストクラブ会員。92年度日本医師会最高優功賞(学術)受賞。2004年度日本医史学会総会会長。
秋山 十三子(あきやま とみこ、1924年(大正13年) -… 秋山 十三子(あきやま とみこ、1924年(大正13年) - 1997年(平成9年)7月11日)は、京都市生まれの随筆家。京都の風物や暮らしに関する著作などがある。 京都府京都市の祇園近く白河周辺で9代続いた造り酒屋に生まれる。京都府立第二高等女学校(現・京都府立朱雀高等学校)高等科卒業。婦人雑誌の読者欄投稿で佳作を受賞して以降、家事のかたわらで執筆活動をする。1984年(昭和59年)に単著で京都の言葉を巧みに自然な文体で書かれた『私の手もと箱 京暮らしの四季』を出版。ほかにも主婦の目から見つめた京都の風物や暮らし、おばんざい、酒造り唄などに関する著作があり、京都の女流随筆家として注目された。『豆腐の話』という著作では、参考文献をあげつつ、エッセイにとどまらない、京都のお豆腐が生活に根付いている様子がわかる内容となっている。
三田 純市(みた じゅんいち、1923年12月22日 - 1… 三田 純市(みた じゅんいち、1923年12月22日 - 1994年9月1日)は、日本の落語作家・研究者、演芸作家、脚本家、随筆家。 本名は野村全作(旧姓:三田)。俳号は「道頓」。三田純一と名乗っていた時期もある。 大阪府大阪市南区、道頓堀の芝居茶屋「稲照」の長男に生まれる。1946年、慶應義塾大学経済学部卒業。朝日新聞社販売部に勤務、1951年に退社。松竹新喜劇の曾我廼家十吾、2代目渋谷天外に師事し喜劇の台本を手がけるようになる。 1967年から1982年には東京に在住し、1969年には東京やなぎ句会の創設に参加。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
虫明 亜呂無(むしあけ あろむ、1923年9月11日 - 1… 虫明 亜呂無(むしあけ あろむ、1923年9月11日 - 1991年6月15日)は、日本の作家、評論家、随筆家、翻訳家。
田村 隆一(たむら りゅういち、1923年〈大正12年〉3月… 田村 隆一(たむら りゅういち、1923年〈大正12年〉3月18日 - 1998年〈平成10年〉8月26日)は、日本の詩人・随筆家・翻訳家。詩誌『荒地』の創設に参加し、戦後詩に大きな影響を与えた。府立三商業学校在学中から詩を書き始めた。明治大学文芸科卒。 鮎川信夫・中桐雅夫らを知り詩誌「LE・BAL」などに参加。戦後は、黒田三郎らも加わって、第2次「荒地」を創刊。現代文明への危機意識をこめ、叙情と理知とが絶妙のバランスをなす散文詩を生んだ。処女詩集は『四千の日と夜』(1956年)。『言葉のない世界』(1962年)で高村光太郎賞受賞。アガサ・クリスティーなどの推理小説の翻訳でも知られる。 東京府北豊島郡巣鴨村(現在の東京都豊島区南大塚)に生まれる。
岡部 伊都子(おかべ いつこ、1923年3月6日 - 200… 岡部 伊都子(おかべ いつこ、1923年3月6日 - 2008年4月29日)は、日本の随筆家。 大阪府大阪市出身。1936年、相愛高等女学校を結核のため中退。婚約者が沖縄戦で戦死しており、この時の体験から、自分を「加害の女」と呼び、「女は被害者ではない。送り出した自分も戦争に加担した」と語っていた。戦後すぐ結婚したが、7年後に離婚[要出典]。同人誌『文学室』に参加[要出典]、谷沢永一は岡部の才能を最初に認めたのは自分であると書いている(『回想開高健』[要ページ番号])。 1954年から朝日放送「四百字の言葉」の原稿を担当し、これをまとめた『おむすびの味』(1956年)で認められる。美術・伝統・自然・歴史・戦争・沖縄・差別・環境問題など、様々なジャンルの著書・連載を多数残した。
坂口 三千代(さかぐち みちよ、1923年〈大正12年〉2月… 坂口 三千代(さかぐち みちよ、1923年〈大正12年〉2月7日 - 1994年〈平成6年〉11月2日)は、日本の随筆家。「無頼派」として知られる小説家・坂口安吾の妻。旧姓は梶。長男は写真家の坂口綱男。 1923年2月7日、千葉県銚子市に生まれる。千葉県立銚子高等女学校に通う。卒業後、向島に母と共に引っ越す。1943年、当時学生であった政治家の子息鈴木正人と結婚し、一女をもうける。のちに離婚した。実家は向島で料亭を営む。 1947年3月初め、24歳のとき新宿のバー「チトセ」で坂口安吾と出逢い、毎週水曜日に荏原郡矢口町字安方127番地(現・大田区東矢口)の坂口家に通う秘書となる。4月に三千代が盲腸炎から腹膜炎となり緊急入院。
加島 祥造(かじま しょうぞう、1923年1月12日 - 2… 加島 祥造(かじま しょうぞう、1923年1月12日 - 2015年12月25日)は、日本の詩人、アメリカ文学研究者、翻訳家、随筆家、タオイスト、墨彩画家。 詩作のみならず、アメリカ文学の翻訳にて名声を得た後、壮年期より漢詩を経て老荘思想に大きな影響を受け、文筆のみならず絵画なども含めた幅広い創作活動や執筆活動を通して、90代で没するまで、西洋と東洋の双方を見渡す位置から、私生活でも徹底したタオイストとしての一貫した姿勢を生きた。 翻訳者としては、訳書により、一ノ瀬直二、久良岐基一といった別名義を用いて活動しており、死後になり、改めて関係者よりその事実が明かされた。 東京市神田区にて、大家族の商家の家系に生まれ育つ。
竹下 哲(たけした さとる、1923年 - )は、浄土真宗系… 竹下 哲(たけした さとる、1923年 - )は、浄土真宗系の随筆家。 長崎市生まれ。1944年広島高等師範学校卒。長崎県教育長、県立長崎図書館長、県教育センター所長、長崎県立諫早高等学校長、長崎県立長崎西高等学校長、長崎県社会教育委員長。2001年仏教伝道文化賞受賞。
進藤 純孝(しんどう じゅんこう、1922年(大正11年)1… 進藤 純孝(しんどう じゅんこう、1922年(大正11年)1月1日 - 1999年(平成11年)5月9日)は、東京出身の文芸評論家、随筆家、小説家。本名は若倉 雅郎(わかくら まさお)、旧姓は進藤(しんどう)。 川端康成・志賀直哉・芥川龍之介などの論考や、同時代の第三の新人を含む昭和文学の評伝で知られるほか、随筆・回想や小説も書いた。長男は眼科医・作家の若倉雅登。
楠本 憲吉(くすもと けんきち、1921年12月19日 - … 楠本 憲吉(くすもと けんきち、1921年12月19日 - 1988年12月17日)は、俳人、随筆家。大阪府生まれ。実家は料亭・なだ万。灘中学校 (旧制)の同級に遠藤周作がいる。慶應義塾大学法学部卒、さらに学士入学で仏文科卒。在学中、1945年より句作を始め「慶大俳句」を組織し、日野草城に師事。のち草城の「青玄」無鑑査同人となる。俳誌「野の会」を主宰、俳句作家連盟会長、現代俳句協会顧問、東横学園女子短期大学客員教授を歴任。一般向けの随筆も多く、女性論、家族論、手紙、食事、酒など話題が豊富で洒脱な語り口ゆえ、テレビにもしばしば出演した。
清川 妙(きよかわ たえ、1921年3月20日 - 2014… 清川 妙(きよかわ たえ、1921年3月20日 - 2014年11月16日)は、昭和時代後期・平成時代日本の小説家、評論家、随筆家。 山口県防府市生まれ。下関高等女学校(現・山口県立下関南高等学校)を経て奈良女子高等師範学校(現・奈良女子大学)を卒業。教職を経たのち、30代半ばから文筆活動に入る。古典評論、エッセイ、手紙の書き方、映画評論など、多方面にわたる執筆や講演会で活躍した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
上村 占魚(うえむら せんぎょ、1920年9月5日 - 19… 上村 占魚(うえむら せんぎょ、1920年9月5日 - 1996年2月29日)は俳人、随筆家。熊本県人吉市生まれ。本名・武喜。東京美術学校卒。『ホトトギス』同人。松本たかしに師事。『みそさざい』主宰。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
梅田 晴夫(うめだ はるお、1920年8月12日 - 198… 梅田 晴夫(うめだ はるお、1920年8月12日 - 1980年12月21日)は、日本のフランス文学者、劇作家、小説家、随筆家。本名は梅田晃(あきら)。慶應義塾大学大学院修了。舞台劇やラジオドラマの脚本、物の歴史に関する著述や翻訳などで活躍した。パイプや万年筆などの収集家としても知られる。梅田望夫、梅田みかは子。 1920年(大正9年)、東京府東京市四谷区(現東京都新宿区)愛住町の暗闇坂で、ロシア貿易会社を営んでいた父・梅田潔と文学者の母・玲子の間に、6人兄弟の末子として生まれる。当時の梅田家の家風であった、ヨーロッパ的な生活習慣の中で育ち、1926年(大正15年)、慶應義塾幼稚舎入舎。以後18年間大学院まで慶應の一貫教育を受ける。
古山 高麗雄(ふるやま こまお、1920年〈大正9年〉8月6… 古山 高麗雄(ふるやま こまお、1920年〈大正9年〉8月6日 - 2002年〈平成14年〉3月11日)は、日本の小説家、随筆家、編集者。芥川賞作家。 主として太平洋戦争(大東亜戦争)下の徴兵での従軍体験や、復員後の生活を舞台にした小説を発表し、いかなる場においても変わることのない人間のありかたを描き出した。 PL教団主宰の『芸術生活』誌では編集専従のデスク(副編集長)で入社し、のち編集長。『季刊藝術』誌では、音楽を担当する遠山一行、文学を担当する江藤淳、美術を担当する高階秀爾と共に、専任の編集長として同人を組み発行した。 編集者として、森敦を見出すなど、広い識見を高く評価される。また人脈も広く、予備校時代の安岡章太郎をはじめ、遠藤周作、寺山修司、田中小実昌、吉田満、小島信夫、円地文子らと深い交流を持った。
関 俊治(せき しゅんじ、1920年〈大正9年〉3月4日 -… 関 俊治(せき しゅんじ、1920年〈大正9年〉3月4日 - 2001年〈平成13年〉11月29日)は、昭和時代に活躍した日本の随筆家・文芸評論家。群馬県立図書館長・群馬県文学会議議長などを歴任した。 1920年(大正9年)群馬県吾妻郡中之条町に生まれる。旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)から関西学院大学に進み卒業。 県立高校教諭として勤めたのち、群馬県教育委員会社会教育課に勤務。県立社会教育館長、県立図書館長などを歴任。『形成』『果実』『みやま』などの同人誌に評論・随筆の発表を続けた。 1970年(昭和45年)風雷文学賞、1972年(昭和47年)高橋元吉文学賞を受賞。1987年(昭和62年)群馬県文学会議議長となる。
瓜生 卓造(うりゅう たくぞう、1920年(大正9年)1月6… 瓜生 卓造(うりゅう たくぞう、1920年(大正9年)1月6日 - 1982年(昭和57年)6月1日)は、日本の小説家、随筆家。兵庫県神戸市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。 息子は瓜生中(うりゅう なか)で同じく作家。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
早川 良一郎(はやかわ りょういちろう、1919年3月3日 … 早川 良一郎(はやかわ りょういちろう、1919年3月3日 - 1991年4月26日)は、日本の随筆家。東京都出身。サラリーマン生活を経て文筆家として活動した。1991年(平成3年)、72歳で死去。 1919年(大正8年)3月3日、東京市麻布区材木町に生まれる。旧制麻布小学校を卒業後、麻布中学に進学するが3年で中退し、ドイツで医学を学ぶための足掛かりとしてイギリスに渡るが、語学力が乏しく、教授の薦めでロンドン大学へ聴講生として入学する。この時早川は教授がくゆらせていたパイプに興味を持ち、パイプを嗜むようになる。イギリスでは学業もそこそこに、ピカデリー・サーカスで射的をして過ごすことが多く、結局志なかばで帰国する。
上野 章子(うえの あきこ、大正8年(1919年)1月10日… 上野 章子(うえの あきこ、大正8年(1919年)1月10日 - 平成11年(1999年)1月15日)は、日本の俳人、随筆家。高浜虚子の六女で上野泰の妻。 1919年、高浜虚子の六女として鎌倉市に生まれる。フェリス和英女学校卒。1936年、在学中に虚子の渡欧に随行する。1942年、『ホトトギス』同人の上野泰と結婚する。戦後は夫婦で結社「春潮」を立ち上げるも1973年、泰の急逝により主宰となる。俳人協会会員。俳句の他、高浜家や虚子、夫の泰のことなど多くの随筆も残している。1999年1月15日、心不全により79歳で死去。
崔 常寿(チェ・サンス、朝鮮語: 최상수/崔常壽、1918年… 崔 常寿(チェ・サンス、朝鮮語: 최상수/崔常壽、1918年12月3日 - 1995年6月5日)は、大韓民国の民俗学者、随筆家。 本貫は慶州崔氏。号は石泉(ソンチョン、석천)。 1918年12月3日、日本統治時代の朝鮮で慶尚南道の釜山に生まれた。いっとき慶尚北道の慶州で幼年期を過ごし、大阪外国語学校(現: 大阪外国語大学)英語学科で専門学士号を取得した。1947年、韓国民俗学会の会長を務め、『民族学報』を発刊した。その後韓国外国語大学校助教授、京畿大学校教授、梨花女子大学校講師、韓米アジア民俗学会理事長、慶熙大学校教授などを務めた。 著書として『韓国民俗学研究叢書』、『韓国民間伝説集』、『韓国とアラビアとの関係』などがある。
大村 しげ(おおむら しげ、1918年(大正7年)11月6日… 大村 しげ(おおむら しげ、1918年(大正7年)11月6日 - 1999年(平成11年)3月18日)は、京都市祇園生まれの随筆家、京料理研究家。京都の食べ物や暮らし、お店などに関する記録の著作がある。障害、福祉のあり方をテーマにした随筆も出版している。 1918年(大正7年)11月6日、京都府京都市の祇園の仕出し料理店で長女として誕生する。仕出し料理店を営んでいた父の死後は、看板を汚さないためにも店の引継ぎを断っている。1935年(昭和10年)、京都女子専門学校(現・京都女子大学)国文科に入学、京都市中京区寺町姉小路に借家で一人暮らしを始める。以降没するまでここが本拠となった。1965年(昭和40年)に京都西陣少年ホーム(青年の家)に非常勤職員として入所。
三井 ふたばこ(みつい ふたばこ、1918年〈大正7年〉5月… 三井 ふたばこ(みつい ふたばこ、1918年〈大正7年〉5月3日 - 1990年〈平成2年〉10月29日)は、日本の童話作家、詩人、随筆家。本名・嫩子。 西条八十の長女として東京府に生まれる。弟に西條八束。 東京府立第五高等女学校(現東京都立富士高等学校)を経て、日本女子大学英文科中退。父とともに詩誌『ポエトロア』を発行、童話、詩集、翻訳、父の詩集の編纂などを行う。1970年に父が没した後は、父の思い出などを書いた。当初、三井嫩子、三井ふたばこ、三井ふたば子などの表記を用いたが、夫が亡くなったこともあり、父の没後は西條嫩子の名を用いた。
広津 桃子(ひろつ ももこ 廣津桃子、1918年3月21日 … 広津 桃子(ひろつ ももこ 廣津桃子、1918年3月21日 - 1988年11月24日)は、日本の作家、随筆家。広津和郎の娘。 広津和郎と下宿屋の娘神山ふくの長女として生まれる。神山家は幕末に御家人から町人になり、桃子の祖父の代には麴町の英国大使館近くで薪炭を商っていたが、永田町で下宿屋を始めた一家である。生まれて間もなく両親は別居し、母のもとで育つ。日本女子大学国文科卒業後、叔母の神山かねが経営する目黒区駒場町の下宿屋「西山寮」で母と暮らしながら、女学校で教鞭を取っていたが、1945年5月の空襲で西山寮が全焼する。戦後、同人雑誌『文学行動』に「窓」を発表し、1952年より母、叔母とともに藤沢市鵠沼に暮らす。
池部 良(いけべ りょう、1918年〈大正7年〉2月11日 … 池部 良(いけべ りょう、1918年〈大正7年〉2月11日 - 2010年〈平成22年〉10月8日)は、日本の俳優、随筆家。 東京市大森区(現・東京都大田区)出身。身長174センチメートル。立教大学文学部英文科卒業。昭和中期の代表的な映画スターの一人。甘いマスクとスマートさで「万年青年」の異名をとった。 大学では富田彬などから学ぶとともに、映画監督になるのを夢見て在学中の1940年に東宝撮影所のシナリオ研究所に研究生として入り、1941年に卒業すると同時にシナリオ研究所を卒業して東宝に入社する。監督希望だったが、戦時下の作品制作数の大幅減少で助監督の空きがなく、文芸部に配属されて早々部長に面食いだからと言われ、当時は子役の大スターだった中村メイコの子守を命じられ、彼女の大絶賛を聞いた映画監督・島津保次郎に請われて『闘魚』に脇役で出演する。
藤島 茂(ふじしま しげる、1917年11月10日 - 19… 藤島 茂(ふじしま しげる、1917年11月10日 - 1973年3月24日)は、東京出身の建築家、随筆家。 1941年東京帝国大学工学部建築学科卒、鉄道省に入省。戦後、国鉄本社施設局建築課課長補佐として駅舎の設計営繕を担当し、技師長室調査役、大分鉄道管理局長。1953年から1954年までフランス国鉄に留学、1961年駅内トイレに関する随筆『トイレット部長』を刊行するとベストセラーとなり、映画化される。1962年『駅前広場計画論、特に駅本屋平面計画との関連について』で、東京大学より工学博士を授与される。随筆続編を『文藝春秋』に掲載。1967年国鉄外務部長。一級建築士。 建築史家の藤島亥治郎の甥に当たる。
戸板 康二(といた やすじ、1915年12月14日 - 19… 戸板 康二(といた やすじ、1915年12月14日 - 1993年1月23日)は、日本の演劇・歌舞伎評論家、推理作家、随筆家。 東京市芝区三田四国町(現在の東京都港区芝)出身。旧姓山口。藤倉電線に勤める父・三郎、母ひさの長男として生まれる。父親の仕事の関係で中国に引っ越し、上海小学校に通い、帰国後愛宕小学校(東京都港区)に入学。山口家に男子が生まれたら母方の戸板家の養子になる約束があり、初めは「康夫」と名付けられたが、養子になった1923年7月9日、「康二」と改める。 幼時、母方の祖母で戸板裁縫女学校の創立者である戸板関子の養子となる。関東大震災のとき、鎌倉材木座の別荘にいた母親が幼い次男をかばって圧死するも、康二は東京の自宅にいたため難を逃れる。
串田 孫一(くしだ まごいち、1915年11月12日 - 2… 串田 孫一(くしだ まごいち、1915年11月12日 - 2005年7月8日)は、日本の詩人、哲学者、随筆家。 1915年、東京市芝区生まれ。駿河台や永田町や一番町に育つ。暁星中学校で学び、中学時代から登山を始めた。1932年、旧制東京高等学校文科丙類に入学し、1935年に卒業。東京帝国大学文学部哲学科で学び、1938年に卒業した。同1938年には、処女短編集『白椿』(初見靖一名義)を刊行した。 卒業後は、上智大学で教鞭をとる。戦後、1946年に『永遠の沈黙 パスカル小論』を上梓し、『歴程』同人となる。旧制東京高等学校で教鞭をとり、1955年、最初の山の本『若き日の山』を上梓、1958年、尾崎喜八らと山の文芸誌『アルプ』を創刊、1983年に終刊するまで責任編集者を務めた。
金 南中(キム・ナムジュン、朝鮮語: 김남중、1915年10… 金 南中(キム・ナムジュン、朝鮮語: 김남중、1915年10月8日または1917年10月8日 - 1982年3月30日または1987年3月31日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国のジャーナリスト、随筆家、コラムニスト、実業家、政治家。全南日報(現・光州日報)会長、第5代韓国国会議員(参議員)を歴任した。 本貫は光山金氏、号は南鳳(ナムボン、남봉)。 日本統治時代の全羅南道光州郡(現・光州広域市)に富農の次男として生まれた。1930年光州公立普通学校(現・光州瑞石初等学校)卒、1942年専修大学専門部中退あるいは卒業。同年から報知新聞(現・スポーツ報知)記者を務めた後、翌1943年に帰郷し、全南新報編集局社会部長・主幹、湖南新聞主筆・編集局長を経て朝鮮戦争中の1951年に全南日報を創刊し、発行者・主筆・社長・会長(~1980年)を務めた。
与謝野 道子(よさの みちこ、旧姓:坂内、1915年6月26… 与謝野 道子(よさの みちこ、旧姓:坂内、1915年6月26日 - 2000年10月31日)は、日本の評論家、随筆家。
山本 夏彦(やまもと なつひこ、1915年6月15日 - 2… 山本 夏彦(やまもと なつひこ、1915年6月15日 - 2002年10月23日)は、日本の随筆家・編集者。東京市下谷根岸出身。 東京の下谷根岸に生まれる。父・山本三郎(1879-1928)は、坪内逍遥に傾倒し慶応から早稲田に転学し、詩人・山本露葉として児玉花外、山田枯柳らとともに若手の新体詩人として注目されたが、夏彦は三男で小学6年時に、父は50歳で亡くなった。なお祖父は高利貸しの山本義上(1848-1909)で、父の代は資産家であった。 父・露葉の友人であった武林無想庵に連れられ15歳で渡仏。3年後に帰国し、24歳のときにフランス童話『年を歴た鰐の話』の翻訳で文壇デビュー。戦後まもない1950年に工作社を創立、没時まで編集兼発行人、コラムニストとしても活動した。
麻生 和子(あそう かずこ、1915年(大正4年)5月13日… 麻生 和子(あそう かずこ、1915年(大正4年)5月13日 - 1996年(平成8年)3月15日)は、随筆家。元総理大臣吉田茂の娘。元総理大臣麻生太郎の母。
梅崎 春生(うめざき はるお、1915年〈大正4年〉2月15… 梅崎 春生(うめざき はるお、1915年〈大正4年〉2月15日 - 1965年〈昭和40年〉7月19日)は、日本の小説家/随筆家。 海軍体験を基にした『桜島』の成功で第一次戦後派の代表的存在となった。戦争物のほか、人間心理の暗闘を戯画的に描いた市井事物でも評判を呼び、作家としての地位を確立。「第三の新人」の先駆とも目されたが、やがて心身不調となり、『幻化』を遺して没した。 福岡市簀子町生まれ(現中央区大手門)。父親の建吉郎は佐賀県出身で陸軍士官学校を卒業した軍人であり、海軍大将百武源吾とも旧制佐賀中学の同窓。父の福岡配属時に春生が生まれた。祖父梅崎長明の弟梅崎綱吉は、佐賀で相場師として活躍し名を馳せた。
池田 彌三郎(いけだ やさぶろう、1914年12月21日 -… 池田 彌三郎(いけだ やさぶろう、1914年12月21日 - 1982年7月5日)は、日本の国文学者・民俗学者・随筆家。 1914年、東京市京橋区(現・東京都中央区)で生まれた。生家は銀座の天麩羅屋"天金"で、その次男。 京橋区立泰明小学校、東京市立第一中学校(のちの東京都立九段高等学校)を経て、1931年4月、慶應義塾大学経済学部予科に入学。同級には井筒俊彦や加藤守雄がいた。1934年4月、文学部国文科に転じ、折口信夫に師事。戸板康二たちと共に、折口主宰の短歌結社「鳥船社」に参加。1937年、慶應義塾大学文学部国文科を卒業。 卒業後は、慶應義塾大学文学部に勤務。1963年、学位論文『日本芸能伝承論』を慶應義塾大学に提出して文学博士号を取得。
吉田 秀和(よしだ ひでかず、1913年(大正2年)9月23… 吉田 秀和(よしだ ひでかず、1913年(大正2年)9月23日 - 2012年(平成24年)5月22日)は、日本の音楽評論家、随筆家。 クラシック音楽の豊富な体験・知識をもとに、音楽の持つ魅力や深い洞察をすぐれた感覚的な言葉で表現し、日本の音楽評論において先導的役割を果たす。音楽のみならず文学や美術など幅広い分野にわたる評論活動を続け、日本の音楽評論家としては初の個人全集が刊行されて、第2回大佛次郎賞を受けた。大の相撲好きでもあった。 1971年から朝日新聞に『音楽展望』を毎月書き続けたが、2003年11月に妻の吉田=クラフト・バルバラと死別した後、『音楽展望』だけでなく他の書く仕事も一切やめた。