神崎 忠男(かんざき ただお、1940年〈昭和15年〉5月1… 神崎 忠男(かんざき ただお、1940年〈昭和15年〉5月1日 - )は、日本の登山家、冒険家。登山界のリーダー、山岳団体の要職を務めた人物である。 東京都出身。日本大学山岳部出身。 神崎は、エベレストに4回挑戦したが頂上には到達できず、自身を「悲劇の登山家」と呼んでいた。1970年のエベレスト登山では滑落事故を経験し、1980年のチョモランマ登山では急性心筋梗塞を発症した。 NHK文化センター、読売日本テレビ文化センター、昭和女子大オープンカレッジ各登山教室講師 太郎と花子山の会会長 ジャックアンドベティ山の会会長 数多くの世界の登山、トラッキングを会員を連れて挑戦 韓国(北漢山、智異山、月出山、道峰山、漢拏山、雪岳山)、中国(雪宝頂)、台湾(玉山、雪山、南湖大山、中央尖山)、香港(海の見える山)、ロシア(アパチャ山)、トルコ(カッパドキア)、カンボジア、イタリア(ドロミテ)、グルジア(コーカサス)、スペイン(ピレネー山脈)、カザフスタン(天山)、アメリカ(グランドキャニオン、ヨセミテ国立公園)、イギリス(ウェールズ)、南極など 2019年時点で79歳であったが、月に10〜15日は古い友人たちと山歩きを楽しんでいた。
本間 勝(ほんま まさる、1939年5月1日 - )は愛知県… 本間 勝(ほんま まさる、1939年5月1日 - )は愛知県岡崎市出身の元プロ野球選手。
名取 将 (なとり すすむ、1939年〈昭和14年〉5月1日… 名取 将 (なとり すすむ、1939年〈昭和14年〉5月1日 - )は、日本の男性声優、アナウンサー。81プロデュース所属。長野県富士見町出身。 1958年、長野県諏訪清陵高等学校卒業。 1962年に早稲田大学卒業後、NHKにアナウンサーとして入局。 1999年、NHKを定年退職。声優活動を開始。 主にニュース番組で活躍。また、よど号ハイジャック事件、ドイツ日航機爆破事件、三菱重工爆破事件、クアラルンプール・アメリカ大使館占拠事件、あさま山荘事件、小櫃川(千葉)集中豪雨、エリザベス女王訪日、昭和天皇訪米、原子力船「むつ」放射能もれ洋上漂流、佐世保修理入港、ドイツ・ベルリンの壁崩壊の国内外重要中継リポートを担当。
水越 武(みずこし たけし、1938年5月1日 - )は、愛… 水越 武(みずこし たけし、1938年5月1日 - )は、愛知県豊橋市出身で北海道川上郡弟子屈町在住の写真家。 愛知県立時習館高等学校を1957年に卒業。1958年東京農業大学林学科を中退した後、田淵行男に師事、26歳の時から写真を始める。 1971年に独立。フリーフォトグラファーとして、山岳を中心とした自然写真などが評価される、国際的山岳写真家である。
石井 智(いしい さとし、1938年5月1日 - )は、日本… 石井 智(いしい さとし、1938年5月1日 - )は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(2期)。 1938年(昭和13年)生まれで、三重県出身。1957年(昭和32年)に三重県立宇治山田高等学校を卒業。横浜ゴムに入社した。その後伊勢市議会議員(2期)三重県議会議員(2期)を経て、日本社会党の角屋堅次郎衆議院議員の後継者となった。 1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙で三重2区から立候補して初当選をした。1993年(平成5年)の第40回衆議院議員総選挙で再選されて、藤波孝生(無所属)を破り、三重県唯一の日本社会党衆議院議員となり、2期を務めた。民主党が結党された際には新党に加わらず社会民主党の所属議員となり、1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙には、藤波孝生の衆議院議員復帰の動きに対して選挙区での再選の可能性がない事から総選挙立候補を辞退して、政界から引退した。
赤池 彰敏(あかいけ あきとし、1938年5月1日 - )は… 赤池 彰敏(あかいけ あきとし、1938年5月1日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手。
二上 洋一(ふたがみ ひろかず、1937年5月1日 - 20… 二上 洋一(ふたがみ ひろかず、1937年5月1日 - 2009年1月16日)は、日本のミステリ評論家、少年小説研究家。本名、倉持功。別名、千葉健児、金田一郎、根岸洋。 茨城県生まれ。早稲田大学卒業。在学中はワセダミステリクラブに所属。学生時代から『宝石』誌上に「高木彬光論」などの推理小説論を発表。1961年、ミステリ誌『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』の短編コンテストにて「古事記殺人事件」が最終選考に残る。1962年、権田萬治や島崎博らと『みすてりい』を創刊。 集英社で少女漫画の編集に携わる傍ら、70年代後半には『幻影城』の月評執筆者および幻影城新人賞の予選委員としても活動した。ミステリ評論のみならず、少年小説研究家でもあり、1978年に評論集『少年小説の系譜』で日本児童文学学会奨励賞を受賞。
小川 博久(おがわ ひろひさ、1936年5月1日 - 201… 小川 博久(おがわ ひろひさ、1936年5月1日 - 2019年9月18日)は、日本の幼児教育学者。日本保育学会会長、東京学芸大学名誉教授。東京都生まれ。 東京学芸大学、日本女子大学等で研究、教育活動を通して長きに渡り幼稚園教員の養成を行ってきたほか、日本保育学会会長や野外文化教育学会会長等を務め、文部科学省中央教育審議会初等中等教育分科会の各部会で専門委員として活動した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
柏原 啓一(かしわばら けいいち、1935年5月1日 - )… 柏原 啓一(かしわばら けいいち、1935年5月1日 - )は、日本の哲学研究者、東北大学名誉教授。俳人として柏原眠雨。 東京生まれ。東京大学文学部卒業、東京大学大学院哲学科博士課程中退。1972年、東北大学助教授、教授。1998年、定年退官、名誉教授。放送大学教授、客員教授。2007年、退職。眠雨の号をもつ俳人で、仙台を拠点に俳誌『きたごち』を主催する。2000年、宮城県芸術選奨受賞。2014年、瑞宝中綬章受章。2015年、句集『夕雲雀』で第55回俳人協会賞受賞。
加藤 晴久(かとう はるひさ、1935年5月1日 - )は、… 加藤 晴久(かとう はるひさ、1935年5月1日 - )は、日本のフランス文学者、翻訳者。東京大学名誉教授、恵泉女学園大学名誉教授。 東京生まれ。1958年東京大学文学部仏文科卒、1960年同大学院修士課程修了、1961-1964年(フランス国立高等師範学校)に留学、東京大学文学部助手、明治学院大学講師を経て、1969年東京大学教養学部助教授(フランス語)、1990年教授、1996年定年退官し恵泉女学園大学教授、2004年に退職。日本フランス語教育学会会長(1991-1997)。国際フランス語教員連合副会長(1992-1996)。 フランス共和国政府より芸術文化勲章(シュバリエ)と教育功労章(オフィシエ)をそれぞれ受章している。
京極 好正(きょうごく よしまさ、1935年5月1日 - 2… 京極 好正(きょうごく よしまさ、1935年5月1日 - 2003年2月27日)は、日本の生物物理学者。大阪大学名誉教授。元日本生物物理学会会長。紫綬褒章受章。 1958年東京大学理学部化学科卒業。1963年東京大学大学院化学系研究科博士課程修了、理学博士、東京大学薬学部助手。1965年マサチューセッツ工科大学博士研究員。1969年東京大学薬学部助教授。1973年大阪大学蛋白質研究所教授。1986年日本生物物理学会会長。1997年大阪大学蛋白質研究所所長。蛋白質の構造研究を行い、大阪科学賞、日本化学会賞を受賞した。1998年紫綬褒章受章。1999年福井工業大学工学部教授。2003年正四位。2003年2月27日、肺炎のため死去。
権藤 正利(ごんどう まさとし、1934年5月1日 - )は… 権藤 正利(ごんどう まさとし、1934年5月1日 - )は、佐賀県出身の元プロ野球選手(投手)。
西川 長夫(にしかわ ながお、1934年5月1日 - 201… 西川 長夫(にしかわ ながお、1934年5月1日 - 2013年10月28日)は、フランス文学者。立命館大学名誉教授。専門は、比較文化論、フランス研究、アルチュセール、カール・マルクスなど。近年の国民国家論および国民国家批判の学問的潮流を作った。
加藤 光峰(かとう こうほう、1934年〈昭和9年〉5月1日… 加藤 光峰(かとう こうほう、1934年〈昭和9年〉5月1日 - 2019年〈令和元年〉5月29日)は北海道室蘭市出身の書家。 桑原翠邦に師事。東京学芸大学書道科卒。卒業制作「殷人尊神」発表以来50余年にわたり、一貫して夏・殷・周時代の文字群をモチーフに創作活動。東洋漢字圏特有の芸術と言われてきた書を、古代文字という漢字の始原に立ち返り、感性と思念で、書表現の全く新しい地平を開拓。龜甲会主宰。毎年、上野の森美術館で開催される「龜甲展」は50回(2019年現在)を数える。本名:加藤 重美(かとう しげみ)、男性。 (コラム「今月の一語」より引用)
中本博皓(なかもと ひろつぐ、1934年5月1日- )は、日… 中本博皓(なかもと ひろつぐ、1934年5月1日- )は、日本の農業経済学者、大東文化大学名誉教授。 東洋大学経済学部卒、1965年東京農業大学大学院農学研究科博士後期課程修了。農学博士。上武大学教授、大東文化大学教授。2003年定年、名誉教授。
吉田 実(よしだ みのる 1934年(昭和9年)5月1日 -… 吉田 実(よしだ みのる 1934年(昭和9年)5月1日 - 2016年(平成28年)8月20日)は、元競輪選手。現在の愛媛県西条市出身。現役時の選手登録地は愛媛→香川。日本競輪選手養成所創設以前の期前選手で選手登録番号5568。ホームバンクは観音寺競輪場。初出走は1950年11月の門司競輪場。 自転車屋の息子として生まれたが、後に兄妹6人のうち男子3人と女子2人が競輪選手となるほどの自転車一家だった。なお長兄の吉田達雄(愛媛・選手登録番号94)の孫にサッカー選手の長友佑都がおり、吉田実の大甥にあたる。 小さい頃から俗に「草レース」と呼ばれる自転車レースに親しみ、中学生の頃、全日本アマチュア自転車競技選手権大会の少年の部で優勝した経験を持つ。
長尾 立子(ながお りつこ、1933年5月1日 - 2026… 長尾 立子(ながお りつこ、1933年5月1日 - 2026年1月10日)は、日本の政治家、厚生官僚。法務大臣(第62代)、参議院議員(1期)、日本社会事業大学理事長を歴任。 旧制府立第五高等女学校(現在の東京都立富士高等学校・附属中学校)に入学したが、家庭の事情で転校し、1953年に東京都立江北高等学校を卒業(なお、第五高女に在籍したため、その後身である富士高校の同窓会にも在籍。新設都立富士高校第4回卒業生同窓会「よんの会」のメンバーでもある)。 一浪後、東京大学に入学し、文学部社会学科を卒業。1958年、厚生省に入省し、年金局年金課長、厚生省年金局企画課長、社会保険庁年金保険部長、厚生省児童家庭局長、厚生省社会局長などを歴任した。
沖山 光利(おきやま てるとし、1933年5月1日 - 20… 沖山 光利(おきやま てるとし、1933年5月1日 - 2012年5月23日)は、東京都出身で、大洋ホエールズに在籍したプロ野球選手(外野手)である。1960年の大洋V1戦士の1人。 明治高校では外野手として、甲子園に3回出場した。2年生時の1950年春の選抜では1年上のエース・大崎三男を擁し、1回戦で彦根高を降すが、準々決勝で北野高に敗退。同年夏の選手権は2回戦(初戦)で北海高に敗れる。翌年の春の選抜では準決勝まで進むが、藤尾茂、中田昌宏らを擁した鳴尾高に大敗した。 卒業後は明治大学に進学。東京六大学野球リーグではエース秋山登を擁し、1953年秋季リーグの戦後初優勝を含め、在学中に3度の優勝を経験。
葉山 峻(はやま しゅん、1933年〈昭和8年〉5月1日 -… 葉山 峻(はやま しゅん、1933年〈昭和8年〉5月1日 - 2010年〈平成22年〉3月13日)は、日本の政治家。藤沢市議会議員、藤沢市長(通算6期)、衆議院議員(通算2期)。父は戦前からの日本共産党の活動家で藤沢市議会議員を務めた葉山又三郎。母は反侵略同盟メンバーで作詞家、藤沢市議会議員を務めた葉山冬子。長男はフジテレビジョン所属のドラマ演出家である葉山浩樹、娘婿は元藤沢市議会議員の柳田秀憲。娘は藤沢市議会議員の柳田あゆ。 神奈川県藤沢市出身。「峻」という名前は当時共産党の活動家であった父又三郎に対してあまりに峻烈な拷問が加えられたことから名づけられたという。藤沢市第三国民学校(現藤沢市立鵠沼小学校)から旧制の神奈川県立湘南中学校に入学。
山内 一弘(やまうち かずひろ、1932年〈昭和7年〉5月1… 山内 一弘(やまうち かずひろ、1932年〈昭和7年〉5月1日 - 2009年〈平成21年〉2月2日)は、愛知県一宮市奥町出身のプロ野球選手(外野手、右投右打)・コーチ・監督、野球解説者・評論家。旧名は山内 和弘(読みは同じ)。 1952年にパシフィック・リーグ(パ・リーグ)の毎日オリオンズに入団し、毎日および毎日大映オリオンズ(大毎オリオンズ)で「ミサイル打線」の主軸打者として活躍、後にセントラル・リーグ(セ・リーグ)の阪神タイガースや広島東洋カープでもプレーし、通算19年間の現役生活で打点王4回・首位打者1回・本塁打王2回を獲得、通算2271安打、396本塁打、1286打点を記録した。引退後は毎日・大毎の後身であるロッテオリオンズや中日ドラゴンズで監督を務め、2002年に野球殿堂入りした。
早川 和男(はやかわ かずお、1931年5月1日 - 201… 早川 和男(はやかわ かずお、1931年5月1日 - 2018年7月25日)は、日本の建築学者、神戸大学名誉教授。専門は住居学。 奈良市出身。京都大学工学部建築学科卒業。西山夘三に師事。1973年「都市開発における空間価値の研究」で京都大学工学博士。日本住宅公団技師、建設省建築研究所建築経済研究室長などを経て、1978年神戸大学教授。1982年日本住宅会議事務局長。1993年『居住福祉の論理』で今和次郎賞受賞。1995年神戸大学を定年、名誉教授、長崎総合科学大学教授、日本福祉大学客員教授。「住まいは人権」をかかげて住宅・土地問題に取り組む。日本居住福祉学会会長、国際居住福祉研究所長を歴任。2001年より「日中韓居住問題国際会議」を三国の研究者らと開催。
杉本 一義(すぎもと かずよし、1931年5月1日 - 20… 杉本 一義(すぎもと かずよし、1931年5月1日 - 2019年3月13日)は、日本の福祉学者。弘前学院大学名誉教授。 福岡県豊前市生まれ。1958年龍谷大学英文科卒、龍谷大学短期大学部助教授、教授。広島女子大学教授、立正大学社会福祉学部教授、第一福祉大学(現・福岡医療福祉大学)教授、同人間社会福祉学部長。弘前学院大学大学院教授、名誉教授、皇學館大学教授。広島都市学園大学学術顧問、社会福祉法人宇治福祉園理事長、日本カウンセリング学会名誉会員、京都いのちの電話理事。
あずさ 欣平(あずさ きんぺい、1931年5月1日 - 19… あずさ 欣平(あずさ きんぺい、1931年5月1日 - 1997年5月24日)は、日本の男性声優、演出家。千葉県本八幡生まれ、福島県出身。青二プロダクション所属であった。旧芸名に梓欣三・梓欣造がある。 千葉県本八幡で生まれ、福島県で育つ。 学生時代のあだ名は「豆タンク」だった。早稲田大学卒業。劇団ピッコロ、劇団制作座、劇団仲間、劇団現代座を経て、1962年5月1日、劇団芸協を設立して後進の指導に当たった。当時は、芝居の演出の他に、外国映画、アニメーションのディレクターもしていた。声優としては江崎プロダクション。オフィス央経て、最後は青二プロダクションに所属していた。 真山美保原作の『泥かぶら』の三郎兵衛役で初舞台。
眞仁田 勉(まにた つとむ、1930年5月1日 - 2022… 眞仁田 勉(まにた つとむ、1930年5月1日 - 2022年2月15日)は、日本の地方公務員。東京都生活文化局長、東京都副知事、首都高速道路公団理事長、東京都競馬代表取締役社長などを歴任した。 東京府出身。東京都立千歳高等学校を経て、1953年早稲田大学第一法学部卒業、東京都入庁。東京都生活文化局長、東京都副知事、首都高速道路公団副理事長を経て、1993年首都高速道路公団理事長。1995年東京都競馬代表取締役社長。2022年叙従四位。
佐野 主税(さの ちから、1930年5月1日 - 2014年… 佐野 主税(さの ちから、1930年5月1日 - 2014年7月6日)は、日本の経営者。アサヒ飲料社長、会長を務めた。 静岡県出身。1953年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に朝日麦酒(現在のアサヒビール)に入社した。1982年3月に取締役に就任し、1986年8月に常務、1988年2月に専務を経て、1990年6月に副社長に就任。1988年9月にアサヒビール飲料製造社長に就任し、1990年9月にアサヒビール飲料社長に就任し、1996年7月にこれらの2社が統合して発足したアサヒ飲料社長に就任。1999年1月に会長に就任し、2000年10月には社長も兼任し、2001年3月に社長の座を植松増美に譲り、自身は取締役相談役に退き、2002年3月に相談役に就任。
所 理喜夫(ところ りきお、1929年(昭和4年)5月1日 … 所 理喜夫(ところ りきお、1929年(昭和4年)5月1日 - 2016年)は、日本史学者、駒澤大学名誉教授。 茨城県結城郡石下町(現在の常総市)生まれ。茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)、陸軍士官学校、東京高等師範学校から東京教育大学に編入、1955年同大学院修士課程を修了し、桐朋高等学校教諭に就任。1956年東京都立城北高等学校赤羽分校(後の赤羽商業高等学校)教諭、1970年駒澤大学文学部専任講師、1972年助教授、1978年教授、1989年文学部長、1996年から1998年までは図書館長を務めた。2000年駒澤大学を定年退任、名誉教授に就任した。 1977年「徳川権力体制完成過程の基礎的研究」で東京教育大学文学博士。
宇田川 信一(うだがわ しんいち、1929年(昭和4年)5月… 宇田川 信一(うだがわ しんいち、1929年(昭和4年)5月1日 - )は、日本の警察官、実業家。中央大学第一法学部卒。 新潟県出身。昭和20年に警視庁少年警察官となり、昭和24年に警視庁巡査を拝命。公安部と警務部が長かったが、佐々淳行にスカウトされ、警備部警備第1課課長代理となる。警備実施を統括し「コンバットチーム」と呼ばれる現場情報班を率いて、東大安田講堂事件・あさま山荘事件をはじめ幾多の警備事案を担当した。佐々の一連の著作にも頻繁に名前が登場する。 最終的には巡査から警視監に登りつめた。昭和62年に退官した後は警備業界に勤務し、84歳を迎えた平成25年に独立して現在に至る。 2002年5月11日に公開された『突入せよ! あさま山荘事件』では宇崎竜童が宇田川信一警視(警視庁警備部警備第一課首席課長代理・警備実施及び現場情報担当)を演じている。
立川 恵三(たちかわ けいぞう、1928年5月1日 - )は… 立川 恵三(たちかわ けいぞう、1928年5月1日 - )は、日本の男性俳優、声優。劇団東童、東京芸術座に所属していた。東京都立京橋商業高等学校卒業。
吉村 昭(よしむら あきら、1927年(昭和2年)5月1日 … 吉村 昭(よしむら あきら、1927年(昭和2年)5月1日 - 2006年(平成18年)7月31日)は、日本の小説家。
北 杜夫(きた もりお、本名:斎藤 宗吉〈さいとう そうきち… 北 杜夫(きた もりお、本名:斎藤 宗吉〈さいとう そうきち〉、1927年〈昭和2年〉5月1日 - 2011年〈平成23年〉10月24日)は、日本の小説家、エッセイスト、精神科医、医学博士。位階は従四位。 祖父は医師で政治家の斎藤紀一。父は紀一の養子で、歌人で医師の斎藤茂吉。兄はエッセイストで精神科医の斎藤茂太。娘はエッセイストの斎藤由香。 東北大学医学部を卒業。精神科医のかたわら、『文藝首都』に参加。水産庁調査船の船医の体験をユーモラスに描いた『どくとるマンボウ航海記』(1960年)で好評を得、以後「どくとるマンボウ」ものを次々に発表した。 『夜と霧の隅で』(1960年)で芥川賞を受賞。『楡家の人びと』(1964年)は、近代における最初の市民小説と高く評価された。
菅原 和彦(すがわら かずひこ、1927年5月1日 -196… 菅原 和彦(すがわら かずひこ、1927年5月1日 -1962年10月27日)は日本の元スピードスケート選手である。オリンピアン。北海道苫小牧市出身。 苫小牧工業学校(現・北海道苫小牧工業高等学校)を経て日本大学専門部工科を1951年卒業。苫小牧製紙に入社。 1952年のオスロオリンピックに出場し5000mで15位、10000mで7位の成績を残した。 1947年度の第16回全日本スピードスケート選手権大会で総合優勝。全日本選手権で1946、1947年度5000mと10000mにそれぞれ2連覇。日本学生選手権で5000mに1946、1947、1949年度の3回優勝、10000mでは1946~1949年度4連覇を達成。
中谷 鉄也(なかたに てつや、1926年(大正15年)5月1… 中谷 鉄也(なかたに てつや、1926年(大正15年)5月1日 – 1992年(平成4年)3月20日)は、昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員。位階は正五位。 満州鉄嶺で陸軍将校・中谷亮一の長男として生まれる。1931年(昭和6年)に父の死去に伴い本籍地和歌山県伊都郡高野口町大字大野(現橋本市)に移った。名古屋陸軍幼年学校を経て陸軍士官学校(59期)に進み、終戦により1945年(昭和20年)8月31日に修業した。 1946年(昭和21年)関西大学法学部に入学。1948年(昭和23年)高等試験司法科試験に合格し、同年、関西大学を中退した。極東国際軍事裁判弁護人を務め、日本労働組合総評議会(総評)弁護団に加わった。
大平 茂(おおひら しげる、1926年5月1日 - )は、岐… 大平 茂(おおひら しげる、1926年5月1日 - )は、岐阜県出身の元プロ野球選手。
田口 圭太(たぐち けいた、1926年(大正15年)5月1日… 田口 圭太(たぐち けいた、1926年(大正15年)5月1日 - 2017年(平成29年)2月16日)は、昭和から平成時代の実業家。ユニチカ社長、同会長。 京都府宇治市出身。田口寛・露子の長男。1948年(昭和23年)京都大学工学部繊維化学科を卒業後、日本レイヨンに入社。1973年(昭和48年)5月、ユニチカ取締役、常務、専務、副社長を経て、1989年(平成元年)6月、社長に就任した。 この間、ユニチカテキスタイル常務、ユニチカレーヨン社長、同会長を歴任した。1991年(平成3年)4月、藍綬褒章を受章した。2017年(平成29年)2月16日、老衰により死去した。90歳没。
大原 光憲(おおはら みつのり、1926年5月1日 - 19… 大原 光憲(おおはら みつのり、1926年5月1日 - 1992年7月23日)は、日本の政治学者。中央大学名誉教授。 福島県会津若松市出身。1948年水戸高等学校 (旧制)卒業。1953年中央大学法学部卒業、1955年同大学院法学研究科政治学専攻修士課程。1956年明治大学大学院政治経済研究科政治学専攻博士課程中退。1956年中央大学法学部助手。1960年同法学部助教授。1967年同法学部教授。中央大学では「政治学原論」「政治過程論」「地域政治」の講義を担当していた。1982年中央大学学生部長。1983年中央大学にて法学博士受く。1991年東京都知事選挙に日本社会党推薦で出馬。横山桂次、篠原一、吉武輝子らの推薦を受けたが落選。
依光 隆(よりみつ たかし、1926年(大正15年)5月1日… 依光 隆(よりみつ たかし、1926年(大正15年)5月1日 - 2012年(平成24年)12月18日)は、挿絵画家・イラストレーター。高知県生まれ。父親の死去に伴い、隆の兄が働いていた満州に呼ばれ、1940年(昭和15年)から1944年(昭和19年)12月まで中国の大連で過ごす。帰国後、高村光太郎に師事。共同通信社社会部画信室を経てフリーになる。SFから児童書まで幅広い分野の挿絵で活躍。ハヤカワ文庫SFの「宇宙英雄ペリー・ローダン」シリーズは、第1巻から第367巻を38年間にわたり担当した。 「白旗の少女」の挿絵と装幀で1990年度児童福祉文化賞を受賞。日本出版美術家連盟理事、創作集団プロミネンス(旧・少年文芸作家クラブ)会長を務めていた。
大道寺 小三郎(だいどうじ こさぶろう、1925年(大正14… 大道寺 小三郎(だいどうじ こさぶろう、1925年(大正14年)5月1日 - 2005年(平成17年)7月21日)は、日本の銀行家、実業家。みちのく銀行頭取を務めた。 北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)出身。医家に生まれ、父・小市は函館市に診療所を開設。のちに病床を20以上備えた函館一の規模を誇る病院となった。 旧制函館中学、旧制弘前高校を経て東北大学法学部を卒業する。弘前高校時代の同期には鈴木清順(映画監督)、一期下にはその弟の鈴木健二(NHKアナウンサー)もいた。 大学卒業当初は、弁護士を目指して司法試験に6度挑戦したとされるが、突破できなかったため、渋々ながら齢32にして当時の弘前相互銀行に入行。
上山 安敏(うえやま やすとし、1925年5月1日 - 20… 上山 安敏(うえやま やすとし、1925年5月1日 - 2021年10月28日)は、日本の法制史学者。専門は、西洋法制史・法社会史・法思想史。京都大学名誉教授。 1925年、兵庫県生まれ。徴兵を受けて出征し、1949年11月、シベリアより復員帰国。1953年、京都大学法学部卒業。大学院に進み、1956年より京都大学法学部助手。1958年、同助教授に昇進。1965年、学位論文『ドイツ官僚制成立論』を京都大学に提出して法学博士号を取得。1966年、同教授に昇進。1989年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。 京都大学退職後は奈良産業大学法学部教授として教鞭をとった。2000年に奈良産業大学を退任。
勝呂 信静(勝呂 信靜、すぐろ しんじょう、1925年5月1… 勝呂 信静(勝呂 信靜、すぐろ しんじょう、1925年5月1日 - 2012年1月26日)は、日蓮宗の僧侶、仏教学者。 東京都生まれ。父は勝呂智静。1948年東京帝国大学文学部印度哲学科卒。1987年「初期唯識説の研究」で東京大学文学博士。立正大学助教授、教授、96年定年退任、名誉教授。1991年東方学術賞受賞。法光山蓮昌寺住職。
向井 武文(むかい たけふみ、1925年5月1日 - ?)は… 向井 武文(むかい たけふみ、1925年5月1日 - ?)は、日本の経営学者、東京経済大学教授を長く務め、おもに経営管理論の分野で業績を残した。 広島県安芸郡音戸町に生まれ、戦時下の1943年に広島県立呉第二中学校(後の広島県立呉宮原高等学校の前身)を卒業し、1944年に東京産業大学附属工業経営専門部に入学したが同年12月に徴兵され、陸軍第1航空軍第13航空教育隊に入隊し、以降、水戸市の陸軍航空通信学校学生などを経るが、軍隊生活の中で健康を害し、陸軍病院に入院する。 戦後、1947年に東京商科大学附属商学専門部に入学し、1949年に東京商科大学に入学、病気による休学を挟み1954年に卒業し、さらに一橋大学大学院商学研究科に進み、1956年に修士課程を修了した。
宇佐美 承(うさみ しょう、1924年5月1日 - 2003… 宇佐美 承(うさみ しょう、1924年5月1日 - 2003年5月7日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。青木定謙の孫。妻は新田義美の娘の公子。 中国の天津に生まれる。自著で、父は外国関係の案件を手がける弁護士だったと記している。 幼少期は兵庫県武庫郡御影町(現・神戸市東灘区)で育つ。この時期、近くに住む造船技師で実業家の笹子謹(ひとし)が開いていたアトリエに通い、伊谷賢蔵やその後任の八島太郎・光(光は笹子謹の娘)夫妻に絵を習った。小学校は師範学校の附属小学校に通い、その後「スパルタ教育で名だかい県立中学校」に進学する。在学中に病気療養のため、通常よりも2年遅れて中学校を卒業する。
松岡 武(まつおか たけし、1924年(大正13年)5月1日… 松岡 武(まつおか たけし、1924年(大正13年)5月1日 - 2001年(平成13年)6月24日)は、日本の心理学者。 埼玉県生まれ。1950年東京文理科大学心理学科卒業。同大学大学院心理学研究科修了、1952年山梨大学教育学部講師、助教授、1963年「色彩象徴法によるAffective meaningの研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。1967年特殊教育学科教授、附属養護学校長、保健管理センター所長、1990年定年退官、名誉教授、作新学院大学教授。1995年退任。色彩心理学。
矢田 次夫(やだ つぎお 、1923年〈大正12年〉5月1日… 矢田 次夫(やだ つぎお 、1923年〈大正12年〉5月1日 - 2012年〈平成24年〉4月24日)は、日本の海軍軍人及び海上自衛官。海兵72期。第13代海上幕僚長、第13代統合幕僚会議議長。 鳥取県倉吉市出身。旧制鳥取県立倉吉中学校を経て海軍兵学校を卒業。太平洋戦争中は主として潜水艦に乗組み、終戦は太平洋上で当時世界最大の潜水艦「伊四〇一」で迎えた。横須賀に帰港した途端、他の姉妹艦2隻の乗員とともに全員捕虜となった。伊四百型潜水艦を接収するための整備補修を命じられ、終戦後にもかかわらず米軍の監視の下、約40日間収容所生活を送った。その後、復員局に召集され復員輸送に従事し、公職追放となる。 海上自衛隊に入隊後は海幕防衛部長、佐世保地方総監、自衛艦隊司令官などの要職を経て第13代海上幕僚長に就任。
大矢 雅彦(おおや まさひこ、1923年5月1日 - 200… 大矢 雅彦(おおや まさひこ、1923年5月1日 - 2005年3月3日)は、日本の地理学者(自然地理学)。早稲田大学名誉教授。葛飾区郷土と天文の博物館名誉館長。愛知県名古屋市出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
高原 駿雄(たかはら としお、1923年〈大正12年〉5月1… 高原 駿雄(たかはら としお、1923年〈大正12年〉5月1日 - 2000年〈平成11年〉2月26日)は、日本の俳優。本名、高瀬 勲(たかせ いさお)。 東京府東京市(現:東京都区部)出身。明治大学専門部文科(文芸科)卒業。文学座に所属していた。 明大在学中の1941年に文学座研究所に入所し、1943年の舞台『田園』でデビュー。1966年のプロフィールでは、両親の知り合いである漫談家で俳優の徳川夢声に弟子入りし、徳川の勧めで文学座入りしたと紹介されている。また、芸名の高原 駿雄は、徳川の本名である福原 駿雄から採ったものである。 1953年に文学座を退座すると、岡田英次、木村功らと共に劇団青俳を結成。
林 厳雄(はやし いづお、1922年5月1日 - 2005年… 林 厳雄(はやし いづお、1922年5月1日 - 2005年9月26日)は、日本の物理学者。東京府生まれ。半導体レーザーの実現に功績があった。 東京大学理学部物理学科卒業。 東京大学原子核研究所助教授を経て、1963年に渡米。マサチューセッツ工科大学に滞在後、1964年から1971年までベル研究所研究員で勤務して1970年には室温での半導体レーザーの連続発振に成功した。1971年に帰国、日本電気中央研究所などで研究した。1976年IEEEフェロー選出。2001年にはベル研究所時代の同僚であるモートン・パニッシュとソビエトでレーザーの連続発振に成功したジョレス・アルフョーロフと共に京都賞先端技術部門を受賞した。
滋賀 秀三(しが しゅうぞう、1921年〈大正10年〉5月1… 滋賀 秀三(しが しゅうぞう、1921年〈大正10年〉5月1日 - 2008年〈平成20年〉2月25日)は、日本の法学者(東洋法制史)。東京大学名誉教授、日本学士院会員。 1921年、山口県岩国町で生まれた。東京で育ち、旧制武蔵高等学校を経て、東京帝国大学法学部に入学。中国法制史を専攻し、石井良助に師事。1943年に法学部を卒業した。卒業後は、戦時下であったが大学院特別研究生に採用された。 1948年、東京大学法学部助教授に就任し、東洋法制史の授業を担当。1959年に同教授に昇格。1962年、学位論文『中国家族法の原理』を東京大学に提出して法学博士号を取得。1969年『中国家族法の原理』(1967年)で日本学士院賞受賞。
又吉 康助(またよし こうすけ、1921年〈大正10年〉5月… 又吉 康助(またよし こうすけ、1921年〈大正10年〉5月1日 - 2004年〈平成16年〉4月8日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。最終階級は陸軍大尉(大日本帝国陸軍)、陸将補(陸上自衛隊)。初代自衛隊沖縄地方連絡部長。 初代沖縄県知事屋良朝苗の教え子であり、沖縄返還の際に政府・自衛隊・沖縄県の交渉に関わった。 沖縄県読谷村生まれ。旧制沖縄県立第二中学校(現・沖縄県立那覇高等学校)では陸軍特攻隊の伊舎堂用久中佐と同窓。1941年8月、陸軍士官学校(55期)卒業。歩兵第130連隊(高田)、仙台、得撫島守備を経て、独立混成第101旅団司令部付。 終戦後、知念高校教諭を務める。1955年、陸上自衛隊入隊。
一言 多十(ひとこと たじゅう、1921年5月1日 - 20… 一言 多十(ひとこと たじゅう、1921年5月1日 - 2010年4月16日)は、静岡県六合村(現:島田市)出身のプロ野球選手(投手、外野手)。
吉田 光邦(よしだ みつくに、1921年5月1日 - 199… 吉田 光邦(よしだ みつくに、1921年5月1日 - 1991年7月30日)は、日本の科学史家。京都大学名誉教授。専門は科学技術史。