河野 俊二(こうの しゅんじ、1927年(昭和2年)8月1日… 河野 俊二(こうの しゅんじ、1927年(昭和2年)8月1日 - 2012年(平成24年)6月12日)は、日本の経営者。宮崎県出身。元東京海上火災保険社長・会長。元日本損害保険協会会長。
8月1日生まれ:418人
河野 俊二(こうの しゅんじ、1927年(昭和2年)8月1日… 河野 俊二(こうの しゅんじ、1927年(昭和2年)8月1日 - 2012年(平成24年)6月12日)は、日本の経営者。宮崎県出身。元東京海上火災保険社長・会長。元日本損害保険協会会長。
小沢 潔(おざわ きよし、1927年8月1日 - 2014年… 小沢 潔(おざわ きよし、1927年8月1日 - 2014年10月15日)は、日本の政治家。 衆議院議員(7期)、国土庁長官(第26代)、北海道開発庁長官(第62代)、沖縄開発庁長官(第31代)等を歴任した。勲章は勲一等旭日大綬章。 元自由民主党衆議院議員の清水清一朗は女婿。 東京府北多摩郡谷保村(現:国立市)生まれ。旧制東京都立第十九中学校(現:東京都立国立高等学校)卒業。 1952年、国立町議会議員に当選。1967年、国立町の市制施行により国立市議会議員となり、1969年には東京都議会に当選。3期務めた。 1979年、第35回衆議院議員総選挙に旧東京7区から自由民主党公認で出馬し、初当選。以後連続当選7回(当選同期に佐藤信二・保利耕輔・畑英次郎・麻生太郎・白川勝彦・岸田文武・丹羽雄哉・亀井静香・吹田愰・宮下創平・船田元など)。
呉 美代(くれ みよ、1927年8月1日 - 2017年11… 呉 美代(くれ みよ、1927年8月1日 - 2017年11月21日)は、日本の詩人。 東京生まれ。鎌倉女学院卒。本姓・土橋。現代詩人会会員。『詩と思想』編集参与。土橋治重に師事し、のち再婚。
寺司 勝次郎(てらし かつじろう、1927年8月1日 - 2… 寺司 勝次郎(てらし かつじろう、1927年8月1日 - 2015年4月3日)は、大分県大分市出身の版画家。昭和36年棟方志功らの日本版画会創立に参加し、一貫して屋根瓦を題材とした作品を発表した。 以下、公式ウェブサイトによる。 大分県大分市三ケ田町の呉服店の次男として生まれる。大分県立大分中学校(現:大分県立大分上野丘高等学校)に進学するが、4年生だった1943年の2学期より大日本帝国海軍航空隊に志願入隊する。5ヶ所の航空隊勤務を経て特攻訓練中に入院した。終戦後の1945年9月に復員する。11月に大分経済専門学校(現:大分大学経済学部)1年に編入する。 1948年に大分経専を卒業後は家業の呉服商、銀行員、会社員、不動産業を経験する。
坂口 幸雄(さかぐち ゆきお、1927年〈昭和2年〉8月1日… 坂口 幸雄(さかぐち ゆきお、1927年〈昭和2年〉8月1日 - 没年不明)は、日本の医師、実業家。医学博士。サンマリタン耳鼻咽喉科医院長。エフエム山陰代表取締役社長。旧姓・松本。 鳥取県西伯郡渡村(現・境港市渡町)出身。1953年、米子医大を卒業する。鳥取大学医学部耳鼻咽喉科教室に入局する。1957年、学位を受領する。日本医大第一附属病院耳鼻咽喉科、東京国際聖路加病院各勤務を経て1963年に開業する。 1986年、エフエム山陰創立総会後の取締役会で、代表取締役社長に選任される。 高額所得者である。趣味は囲碁。住所は鳥取県米子市久米町、西伯郡会見町天萬(現・南部町天萬)。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
三輪 和雄(みわ かずお、1927年8月1日 - )は日本の… 三輪 和雄(みわ かずお、1927年8月1日 - )は日本の医師、ノンフィクション作家。 愛知県名古屋市生まれ、名古屋大学医学部卒。名大医学部第一外科学教室、中京病院をへて、社会保険中央総合病院の脳神経外科部長などを務めた。1959年伊勢湾台風の記録を集めて『海吠える』を刊行し、ノンフィクションやエッセイを手掛け、数十冊の著書がある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
富小路 禎子(とみのこうじ よしこ、1926年8月1日 - … 富小路 禎子(とみのこうじ よしこ、1926年8月1日 - 2002年1月2日)は、昭和・平成期の歌人。敗戦で没落した旧華族に生きる青春の歌などで知られる。 東京府東京市淀橋区(現・東京都新宿区)上落合出身。女子学習院高等科卒。生まれた富小路家は歌道の家の流れを汲む子爵家で、父富小路隆直(1885年生)は元貴族院議員。しかし太平洋戦争中に母のふさよ(1890年生)を病気で亡くし、終戦後は父の失職などにより没落し、旅館の女中などを経て日東化学工業(現・三菱レイヨン)に勤務、定年まで勤めた。植松寿樹に師事し、1946年歌誌『沃野』創刊に参加、のち編集委員、発行人となる。「女人短歌」にも参加した。 1992年「泥眼」で第28回短歌研究賞。
柘植 一雄(つげ かずお、1926年8月1日 - 1996年… 柘植 一雄(つげ かずお、1926年8月1日 - 1996年11月30日 )は、日本の西洋史学者。専門は、古代ギリシャ史・ヘレニズム史。関西学院大学教授、文学部長、学長を歴任した。 1926年、広島県広島市生まれ。1948年、関西学院大学文学部神学科に入学するも、1951年に文学部史学科に転科する。粟野頼之祐に師事し、古代ギリシャ史・ヘレニズム史を専攻。同大学院博士課程を経て、1956年に文学部嘱託助手となり、1972年、教授に就任する。文学部長を歴任後、1989年から、学長を2期5年務めた。1995年3月に同大学退職。
川北 博(かわきた ひろし、1925年8月1日 - 2018… 川北 博(かわきた ひろし、1925年8月1日 - 2018年12月9日)は、日本の公認会計士、税理士、不動産鑑定士、司法書士、会計学者(監査論)。階級は陸軍少尉。学位は博士(会計学)(中央大学・2000年)。 公認会計士・税理士川北事務所代表、山梨学院大学教授、日本公認会計士協会会長、アジア太平洋会計士連盟会長、サンワ・等松青木監査法人会長、監査法人トーマツ会長、デロイトトウシュトーマツインターナショナル代表者会議議長、公認会計士川北・徳永事務所代表社員、東亜大学大学院総合学術研究科教授、日本内部統制研究学会会長、有限責任中間法人日本IPO実務検定協会理事長、宗和税理士法人代表社員などを歴任した。
中村 陽吉(なかむら ひよし、1925年8月1日 ‐ )は、… 中村 陽吉(なかむら ひよし、1925年8月1日 ‐ )は、東京都出身の心理学者。著書は、専門の心理学の他、自宅で飼っている亀に関するものがある。 1947年 東京帝国大学文学部心理学科卒業1947年 厚生省国立公衆衛生院 心理学研究室勤務1950年 東京都立大学人文学部 助手1956年 同大学助教授1969年 東京女子大学文学部 心理学科 教授1983年 学習院大学文学部教授1996年 同大学退職
大昇 充宏(おおのぼり みつひろ、1925年8月1日 - 2… 大昇 充宏(おおのぼり みつひろ、1925年8月1日 - 2009年3月1日)は、長野県北佐久郡軽井沢町出身で春日山部屋(一時立浪部屋)に所属した大相撲力士。本名は石田 勇。最高位は西前頭筆頭(1955年3月場所)。現役時代の体格は身長185cm、体重116kg。得意手は左四つ、寄り、外掛け。引退後は春日山部屋を経営して、後進の指導に尽くした。 1941年1月場所、春日山部屋から初土俵を踏む。藤川の四股名で昇進していったが、親方(元関脇・藤ノ川)が1946年限りで部屋を閉じ、幕下だった彼は立浪部屋に預けられることになった。1949年1月場所、信州の四股名で十両昇進、すぐに大昇と改め、1951年1月場所に新入幕を果たした。
三浦 新市(みうら しんいち、1924年8月1日 - 201… 三浦 新市(みうら しんいち、1924年8月1日 - 2013年12月30日)は、日本の英文学者。 東京文理科大学卒、慶應義塾大学経済学部助教授、教授、1985年創価大学教授、2000年退任。英語教科書を多く書いたほか翻訳も行った。妻は三浦富美子。2013年(平成25年)12月30日午後3時29分、スキルス性胃がんのため鎌倉市内の病院で死去。最晩年に至るまで健康であったが、平成25年の11月になって体調不良を訴えて鎌倉市内の病院に入院し、そのまま亡くなった。無宗教を信条としたため戒名などはなく、鎌倉霊園にある墓には「三浦新市」とだけ記されている。
甲田 光雄(こうだ みつお、1924年(大正13年)8月1日… 甲田 光雄(こうだ みつお、1924年(大正13年)8月1日 - 2008年(平成20年)8月12日)は、日本の医師、医学博士。元・日本綜合医学会 会長。元・甲田医院(閉院)院長。断食療法の推進者で、難病治療に効果を上げた内科医である。 幼少期よりスポーツ万能で、旧制中学では相撲の選手で主将を務めるほどであったが、中学3年の時、慢性胃腸病で2年間休学。中学5年生時には黄疸を重症化させ3か月寝込み、急性肝炎を発症する。その後、快癒前に陸軍士官学校へ入学。後に慢性肝炎へと移行する。戦後、大阪大学医学部に入学するが、胆囊胆道炎、十二指腸炎、大腸炎などに次々と罹患。大阪大学病院へ入院し、治療を受けるも病状は改善せず、一進一退を続ける。
村沢 牧(むらさわ まき、1924年8月1日 - 1999年… 村沢 牧(むらさわ まき、1924年8月1日 - 1999年9月8日)は、日本の政治家、参議院議員(4期)。 長野県南信濃村(現飯田市)出身。大学入学資格検定を経て1954年中央大学法学部卒業。1949年から長野県下伊那地方事務所に勤務。1954年神稲(くましろ)森林組合常任理事となり、1963年長野県議会に初当選し、以後3期務めた。1975年社会党長野県本部書記長を経て、1977年第11回参議院議員通常選挙で日本社会党公認で初当選。予算委員、農業水産委員各理事、災害対策特別委員長などを歴任。 1992年社会党シャドーキャビネットでは農水相(後任は辻一彦)。1993年8月細川内閣で農水政務次官就任したが同年12月コメ自由化に反対し辞任。
中田 喜直(なかだ よしなお、1923年〈大正12年〉8月1… 中田 喜直(なかだ よしなお、1923年〈大正12年〉8月1日 - 2000年〈平成12年〉5月3日)は、日本の作曲家。本名は「喜直(よしただ)」。 『ちいさい秋みつけた』や『めだかの学校』、『夏の思い出』などを作曲した日本の職業作曲家の一人である。 父は『早春賦』で知られる作曲家の中田章。喜直は三男であり、兄は作曲家・ファゴット奏者の中田一次である。妻の中田幸子は、音楽出版ハピーエコーの代表であり、喜直の作品を多数出版している。甥は細野晴臣や大滝詠一と交流を持ち、大滝詠一のアルバム『大瀧詠一』の収録曲「おもい」のアレンジを手がけたことでも知られ、後にキングレコードのディレクターとなった中田佳彦 はいだしょうこは弟子で、中田の最後の愛弟子である。
菱山 泉(ひしやま いずみ、1923年8月1日 - 2007… 菱山 泉(ひしやま いずみ、1923年8月1日 - 2007年2月17日)は、日本の経済学者。京都大学名誉教授。専門は理論経済学。経済学博士(京都大学、1962年)。東京生まれ。 スラッファ経済学研究の大家として有名である。 1949年、京都大学経済学部卒業。1954年、京都大学経済学部講師、1957年11月、同助教授。1962年「重農学説と経済表の研究」により、経済学博士(京都大学)。1967年2月、同教授。1972年5月、京都大学経済学部長(1973年1月まで、1977年1月から1977年5月まで)。1987年、退官、京都大学名誉教授。同年、大阪産業大学経済学部教授。 1992年、福井県立大学経済学部教授。
松田 九郎(まつだ くろう、1922年8月1日 - 2015… 松田 九郎(まつだ くろう、1922年8月1日 - 2015年2月9日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。長崎県議会議長、自民党国対副委員長、宗教政治研究会事務局長などを務めた。長男は元長崎県議会議員の松田正民。 長崎県北松浦郡佐々町出身。1943年法政大学専門部法科卒業。長崎県議会議員、同議長を経て、1983年12月の第37回衆議院議員総選挙で当選。河本派に所属。自治政務次官となった。2期連続当選したが、1990年2月の第39回衆議院議員総選挙で落選した。 1993年の第40回衆議院議員総選挙にも出馬したが落選。 1995年の第17回参議院議員通常選挙では、無所属で一人区の長崎県選挙区に出馬して自民党公認の新人宮島大典と共倒れとなり、落選後は新進党に移籍。
大森 荘蔵(おおもり しょうぞう、1921年8月1日 - 1… 大森 荘蔵(おおもり しょうぞう、1921年8月1日 - 1997年2月17日)は、日本の哲学者。東京大学名誉教授。 物理学から哲学に転向し、科学における哲学的問題の検証を目指した。物心二元論を否定し、独特の一元論による哲学体系を確立。著書に『言語・知覚・世界』(1971年)、『時間と存在』(1994年)などがある。 岡山県生まれ。東京府立一中から第一高等学校理科乙類を経て、1944年 東京帝国大学理学部物理学科を卒業。 1945年、海軍技術研究所三鷹実験所勤務。当初は物理学を志すも、科学における哲学的問題を問うため、哲学に転向。1949年、東京大学文学部哲学科を卒業する。はじめ現象学などを学ぶが、満足せずアメリカに留学。
青山 行雄(あおやま ゆきお、1921年8月1日 - 200… 青山 行雄(あおやま ゆきお、1921年8月1日 - 2002年6月12日)は、日本の実業家。讀賣テレビ放送(よみうりテレビ、読売テレビ)社長・名誉会長、日本民間放送連盟副会長、関西経済連合会理事、関西経営者協会理事、近畿警察官友の会会長、日本室内楽振興財団理事長。広島県府中市出身。
山口 敏雄(やまぐち としお、1921年(大正10年)8月1… 山口 敏雄(やまぐち としお、1921年(大正10年)8月1日 - 2014年(平成26年)4月8日)は日本の実業家。元神鋼商事社長。元神戸製鋼所顧問。広島県出身。旧姓:木村。
藤原 宏(ふじわら ひろし、1921年8月1日 - 2008… 藤原 宏(ふじわら ひろし、1921年8月1日 - 2008年10月2日)は、日本の国語教育学者。国語・書写を担当した。兵庫教育大学教授・早稲田大学教育学部教授を歴任。 東京出身。東京大学文学部支那文学哲学科卒。1956年同大学院修了。1965年文部省初等中等教育局教科書審査官、1975年兵庫教育大学教授、早稲田大学教育学部教授、1992年定年退任。
河本 國雄(かわもと くにお、1921年 <大正10年> 8… 河本 國雄(かわもと くにお、1921年 <大正10年> 8月1日 - 2011年 <平成23年> 9月25日)は、日本の経営者。第一証券社長、平和不動産社長を務めた。位階は正五位。 東京都出身。1944年に東北帝国大学法文学部経済学科を卒業し、1945年10月に日本勧業銀行に入行した。1952年12月に日本長期信用銀行に転じ、1964年11月に第一証券専務に就任し、1966年11月には社長に昇格。1975年11月から1986年11月までに東京証券取引所副理事長を務め、1987年6月から1994年6月までに平和不動産社長を務めた。 1993年4月に勲三等瑞宝章を受章した。 2011年9月25日、前立腺がんのために死去。
柴谷 篤弘(しばたに あつひろ、1920年8月1日 - 20… 柴谷 篤弘(しばたに あつひろ、1920年8月1日 - 2011年3月25日 )は、日本の生物学者・科学・国際問題評論家。 専門は分子生物学。学位は、理学博士及び医学博士。京都精華大学名誉教授。本名、横田篤弘。 大阪府堺市生まれ。旧制京都一中、旧制三高卒業、京都帝国大学工学部応用化学科入学を経て、1946年に京都帝国大学理学部動物学科を卒業。ミノファーゲン製薬研究部、大阪大学を経て、山口県立医科大学教授、広島大学原爆放射能医学研究所教授、オーストラリア連邦科学産業研究機構上級主任研究員、関西医科大学教授、ベルリン高等学術研究所客員研究員、京都精華大学教授、同学長などを歴任。京都精華大学名誉教授。
中瀬 秀夫(なかせ ひでお、1920年8月1日 - 1991… 中瀬 秀夫(なかせ ひでお、1920年8月1日 - 1991年1月7日 )は、日本の経営者。日清紡績社長、会長を務めた。 長崎県出身。1947年に九州大学法文学部経済学科を卒業し、同年に日清紡績に入社した。1967年6月に取締役に就任し、1970年6月に常務、1976年7月に専務を経て、1979年7月に社長に就任。1986年6月に会長に就任。 1991年1月7日、急性心不全のために死去。70歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
内田 朝雄(うちだ あさお、1920年〈大正9年〉8月1日 … 内田 朝雄(うちだ あさお、1920年〈大正9年〉8月1日 - 1996年〈平成8年〉9月30日)は、日本の俳優。本名:内田 朝雄(うちだ ともお)。 日本領朝鮮(現・朝鮮民主主義人民共和国)平壌出生、島根県出身。平壌府第一中学卒業。円型劇場、劇団月光会を経て、コヒナタ企画に所属していた。 息子は俳優の内田岳志。 日本領朝鮮(現・朝鮮民主主義人民共和国)平壌に役人の子として生れる。中学校卒業後、満州炭鉱傘下の東満和竜炭鉱に入社。1941年(昭和16年)に応召し、終戦を仁川で迎え、1945年(昭和20年)に復員。翌1946年北海道開拓公社に入社し、江別市で開墾事業に従事した後、長野県上水内郡の飯綱高原に入植するが、1950年(昭和25年)、地元の人間との意見対立から同地を引き払う。
石澤 夏郎(いしざわ なつろう、1918年8月1日 - 20… 石澤 夏郎(いしざわ なつろう、1918年8月1日 - 2003年3月21日)は、日本の経営者。日本酸素社長、会長を務めた。東京都出身。 1941年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、同年に南洋拓殖に入社。 1942年に兵役主計中尉を経て、1946年に日本酸素に転じ、1968年に取締役に就任し、1972年に常務、1977年に専務を経て、1978年2月には社長に就任。1986年7月から1991年6月までに会長を務めた。 1983年4月に藍綬褒章を受章。。 2003年3月21日急性心筋梗塞のために死去。84歳没。
小山 昇(こやま のぼる、1917年8月1日 - 2015年… 小山 昇(こやま のぼる、1917年8月1日 - 2015年10月22日)は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。学位は法学博士(東京大学・論文博士・1962年)(学位論文「訴訟物論」)。北海道大学名誉教授及び北海学園大学名誉教授。北京生まれ。兼子一門下。弟子に池田粂男、柏木邦良、本間靖規など。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
田中 ふさ子(たなか ふさこ、1916年(大正5年)8月1日… 田中 ふさ子(たなか ふさこ、1916年(大正5年)8月1日 - 1943年(昭和18年)1月25日) は、日本の教育者。1936年(昭和11年)から1942年(昭和17年)にかけて長野県の小学校に教師として勤務し、生活綴方運動の実践を行った。指導した児童詩「ツクシ」(下平京子作)は児童詩集などに多く紹介された。 1916年(大正5年)8月1日、長野県上伊那郡伊那町で生まれる。子どもの頃に肋膜炎で一か月静養したこともあり、女学校入学後も再発するなど、小柄で病弱だった。しかし女学校時代は、弓やテニスをよくやるなど活発な面があり、数学と国語が得意で成績もよかった。 1933年(昭和8年)伊那高等女学校を卒業し、卒業後は家業を手伝った。
勝又 豊次郎(かつまた とよじろう、1916年8月1日 - … 勝又 豊次郎(かつまた とよじろう、1916年8月1日 - 1993年4月3日)は、日本の経営者。勝又自動車社長、会長を務めた。千葉県匝瑳郡須賀村(現在の匝瑳市)出身。 1940年に早稲田大学専門部政経科を卒業し、同年にゴム統制会に入社。 1942年7月に勝又商店(のちの勝又自動車)常務に就任し、1943年11月には社長に昇格。1955年にトヨタ自動車販売社長であった神谷正太郎の誘いを受け、トヨタ自動車系のディーラーとなり、千葉トヨペット、カローラ店2店、オート店2店、ビスタ店2店の計8社を率いる全国でも有数の勝又グループを育て上げた。1977年から1991年までに千葉経済同友会代表幹事を務め、幕張メッセ建設の調整役を務めるなど地元千葉経済界のリーダー的存在として活躍した。
児玉 三夫(こだま みつお、1915年8月1日 - 1996… 児玉 三夫(こだま みつお、1915年8月1日 - 1996年9月23日)は、日本の教育学者。 鹿児島県鹿児島市春日町出身。東京帝国大学(現 東京大学)文学部教育学科卒業。明星大学第2代学長。いわき明星大学創設者、初代学長。長兄は小原一夫、次兄は鰺坂二夫。兄たちが歴史学、地理学、哲学に関心をもっていたため、強く影響を受ける。また、叔父の小原国芳が京都帝国大学で哲学を学び、成城学園の幹部として活躍していたことも影響し、歴史学、地理学、哲学に興味を抱くようになる。京都にするか東京にするかの選択に悩み、結局は東京の文学部の教育学を専攻したことが「回想 教育と私」に記されている。 小学校3年までは鹿児島女子師範学校の付属小学校にて過ごし、3年の途中で私立成城小学校に転校後、中学、高校とも成城で過ごす。
今井田 勲(いまいだ いさお 1915年8月1日 – 198… 今井田 勲(いまいだ いさお 1915年8月1日 – 1989年6月24日)は鹿児島県出身の編集者。 鹿児島県熊毛郡南種子町(種子島)生まれ。旧制中学校時代、今井田榕舟(ようしゅう)の名で自由律短歌を制作し、雑誌にたびたび入選。 1936年日本大学芸術科卒業。1938年、400倍以上の競争率を突破して主婦之友社(現在の主婦の友社)に入社。初代社長石川武美と『主婦の友』編集長本郷保雄に鍛えられる。『主婦之友花嫁講座』全12巻や『続主婦之友花嫁講座』全8巻、『世界名作家庭文庫』全50巻で成功を収める。 数年後に、主婦の友社・講談社・新潮社などの出資で設立された大東亜出版に出向、内閣情報局が大東亜共栄圏のための青年向けに発行した雑誌『ヒカリ』の編集長となる。
小平 忠(こだいら ただし、1915年8月1日 - 2000… 小平 忠(こだいら ただし、1915年8月1日 - 2000年12月3日)は、日本の政治家。衆議院議員(11期)。正三位勲一等。北海道空知郡栗沢町(現・岩見沢市)出身。民主党元衆議院議員で、野田内閣 (第3次改造)で国家公安委員長を務めた小平忠正は実子。 現在の岩見沢市栗沢町茂世丑地区で、戊辰戦争に敗れ北海道に開拓に入った貧しい家庭に生まれた。 1941年に日本大学経済科を卒業後、出征し南方戦線より帰還した。その後、郷里の北海道へ戻り、北海道農協中央会専務理事を経て、1949年、農民新党公認で第24回衆議院議員総選挙に北海道第4区より立候補し初当選。以後通算当選11回。農民協同党→協同党→右派社会党→日本社会党を経て民社党の結成に参加。
福田 克美(ふくだ かつみ、1914年8月1日 - 1987… 福田 克美(ふくだ かつみ、1914年8月1日 - 1987年8月28日)は、日本の実業家。日本ガイシ取締役社長や、同社取締役会長を務めた。 岐阜県立本巣中学校(現岐阜県立本巣松陽高等学校)を経て、1936年東亜同文書院卒業、日本碍子入社。第一業務部次長を経て、1956年取締役に昇格。1962年常務取締役。1966年専務取締役。1969年取締役社長。1972年藍綬褒章受章。1977年取締役会長。1979年紺綬褒章受章。
梶川 静雄(かじかわ しずお、1914年(大正3年)8月1日… 梶川 静雄(かじかわ しずお、1914年(大正3年)8月1日 - 1978年(昭和53年)2月9日)は、昭和期の労働運動家、実業家、政治家。衆議院議員(1期)。 鳥取県気高郡鹿野町(現鳥取市鹿野町)で、梶川俊造の四男として生まれる。鳥取第二中学校(現鳥取県立鳥取東高等学校)、第六高等学校を経て、1924年(大正13年)九州帝国大学法文学部法律科を卒業。 その後、満洲国の大同学院を卒業し、満洲国国務院官吏となった。その後、徴兵されて終戦を迎え、日本に帰国した。鳥取県労働組合会議顧問、日本農民組合鳥取県支部連合会顧問、日本社会党鳥取支部書記長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙に鳥取県全県区から日本社会党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
古沢 太穂(ふるさわ たいほ、1913年(大正2年)8月1日… 古沢 太穂(ふるさわ たいほ、1913年(大正2年)8月1日 - 2000年(平成12年)3月2日)は、俳人。本名は古沢 太保(ふるさわ たもつ)。「道標」主宰、新俳句人連盟会長、現代俳句協会顧問を歴任。第12回多喜二・百合子賞受賞。 富山県上新川郡大久保町(現・富山市)生まれ。生家は料理屋兼芸妓置屋。幼くして父を失い、一家は東京から横浜へ。法政大学商業学校(現在の法政大学中学校・高等学校)を経て、1938年、東京外国語学校(現在の東京外国語大学)専修科ロシヤ語学科卒業。その後結核のため療養生活に入る。療養所で俳句を勧められ、1940年、「馬酔木」を購読。のち加藤楸邨の「寒雷」創刊とともに参加。
山田 正男(やまだ まさお、1913年8月1日 - 1995… 山田 正男(やまだ まさお、1913年8月1日 - 1995年)は日本の都市計画家。土木技術者。1930年代から1970年代の30年以上にわたり、東京都の道路計画の策定などに携わった。戦後の首都高速道路・東京外環自動車道の立案・設計に積極的に関与し、一時は「山田天皇」と呼ばれるほどの権勢を誇った。東京都建設局長・東京都首都整備局長・首都高速道路公団理事長などを歴任。 今日の東京の自動車専用道路網構築の立役者とも言え、東京都市計画史上では石川栄耀に次いで重要な人物とみなされている。 1937年、東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、4月から内務省都市計画東京地方委員会に勤務した。当時の上司は石川栄耀だった。
清水 正一(しみず しょういち、1912年8月1日 - 19… 清水 正一(しみず しょういち、1912年8月1日 - 1989年7月25日)は、日本の柔道家。 長野県東筑摩郡島立村(現松本市)生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て、日本体育会体操学校卒業。昭和9年(1934年)母校の体操学校に奉職し、同18年(1943年)教授に就任。同13年(1938年)から慶應義塾大学柔道部師範を兼務。同20年(1945年)から同25年(1950年)まで帰農していたが、同26年(1951年)東京大学講師、慶應義塾大学柔道部師範に復職。同43年(1968年)日本体育大学武道科特任教授、同48年(1973年)学長に就任し、また、柔道整復師養成施設設立を理事会に提案し、日体柔整専門学校初代校長に就任した。
妣田 圭子(ひだ けいこ、1912年〈大正元年〉8月1日 -… 妣田 圭子(ひだ けいこ、1912年〈大正元年〉8月1日 - 2011年〈平成23年〉4月24日)は、日本の芸術家。日本画「草絵」の創始者。本名は梶本 喜久代。 1912年(大正元年)大阪府生まれ。1930年(昭和5年)大阪府立清水谷高等女学校(現・大阪府立清水谷高等学校)卒業、大阪毎日新聞(現・毎日新聞大阪本社)学芸部の嘱託になる。1949年随心院(真言宗善通寺派大本山)で得度。和紙を切り台紙に貼って作り上げる日本画『草絵』を創始した。 以後、NHK学園も含め各地で教室を持ち、世界でも草絵を教え個展を開催。1978年(昭和53年)アトリエを山梨県北東部の山間地の牧丘町(現・山梨市)に構え、1982年(昭和57年)から定住。
花井 正八(はない まさや、1912年8月1日 - 1995… 花井 正八(はない まさや、1912年8月1日 - 1995年6月10日)は、日本の実業家。位階は従三位。勲等は勲一等。旧姓は山本(やまもと)。 トヨタ自動車工業株式会社会長(第4代)、日本高速通信株式会社会長、日本移動通信株式会社会長、日本経営者団体連盟副会長などを歴任した。 愛知県宝飯郡音羽町(現・豊川市)出身。岡崎市長を3期務めた竹内京治は叔父。音羽町の旧家花井家の養子となる。 豊橋市立商業学校(現・愛知県立豊橋商業高等学校)、大分高等商業学校(現・大分大学)を経て、1938年に神戸商業大学(現・神戸大学)卒業。トヨタ自動車工業に入社。入社にあたり、花井家伝来の田畑すべてを売却、全財産を投げうって、勤め先のトヨタ自動車工業の株を大量に買う。
大護 八郎(だいご はちろう、1912年8月1日 - 200… 大護 八郎(だいご はちろう、1912年8月1日 - 2008年)は、日本の郷土史家。 埼玉県入間郡勝呂村(現坂戸市)生まれ。1932年に埼玉県師範学校卒業し、同年3月から所沢小学校訓導となり、また1943年4月国際学友会日本語学校教授となる。1945年に日本大学文理学部高師地歴科卒業。1945年5月13日、埼玉県立川越高等学校で西洋史と社会科の教員となる。その後、1954年埼玉県教育局社会教育課文化財保護係長、1961年同課課長補佐を経て、1964年から埼玉県立文化会館館長などを経て、1974年から埼玉県立博物館館長。埼玉県文化財保護審議委員なども歴任。 専門は考古学・民俗学、特に石造文化財研究。
戸上 研之(とがみ かねゆき/けんし、1912年8月1日 -… 戸上 研之(とがみ かねゆき/けんし、1912年8月1日 - 1986年)は、日本の陸上競技(跳躍)選手。1936年ベルリンオリンピックで男子走幅跳に出場した。 現在の熊本県山鹿市石(旧鹿本郡八幡村)出身。宇土中学校(現在の熊本県立宇土中学校・高等学校)に学び、同窓の谷口睦生(短距離走、八代出身)とともに関西大学に進学した。 1936年ベルリンオリンピックでは日本代表に選ばれ、走幅跳で出場。記録は6.18mで、予選を突破できなかった。 1937年(昭和12年)1月から5月にかけ、村社講平(中央大学)とともにニュージーランドに遠征。クライストチャーチにおいて三段跳で15m58を記録した(当時のニュージーランド記録を越える記録)。
石 一郎(いし いちろう、1911年8月1日 - 2012年… 石 一郎(いし いちろう、1911年8月1日 - 2012年3月21日)は、日本のアメリカ文学者、作家、翻訳家。 茨城県生まれ。1935年東京帝国大学英文科卒。1942年北支に出征。戦後明治大学教授を勤め、1982年定年退職。ヘミングウェイ、スタインベックが専門で、『怒りの葡萄』の翻訳は広く読まれた。 2012年3月21日に老衰で死去。100歳没。 妻は俳人杉田久女の長女で俳人でもある石昌子(2007年1月に没)で、編著書が10数冊ある。 なお河出書房より小説『海のサムライ』を刊行しているが、姓名が似ている作家白石一郎の歴史小説に『海のサムライたち』がある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
萱場 照雄(かやば てるお、1910年(明治43年)8月1日… 萱場 照雄(かやば てるお、1910年(明治43年)8月1日 - 1984年(昭和59年)7月3日)は、日本の剣道家。段位は範士八段。 1940年(昭和15年)の天覧試合で準優勝した逆二刀の剣道家である。 宮城県伊具郡枝野村(現角田市)に生まれる。1934年(昭和9年)2月、宮城県警察官に任官。第二高等学校 (旧制)剣道師範の乳井義博から二刀流を学ぶ。1940年(昭和15年)6月20日、紀元二千六百年奉祝天覧武道大会府県選士の部で準優勝。1948年(昭和23年)4月、宮城県警察部を退職。その後、萱場産業を設立。 宮城県剣道連盟理事、仙台市剣道連盟名誉会長等を歴任した。
前田 憲一(まえだ けんいち、1909年8月1日 - 199… 前田 憲一(まえだ けんいち、1909年8月1日 - 1995年10月14日)は、日本の電波工学者。学位は工学博士(京都帝国大学)。京都大学名誉教授、元京都産業大学教授。 大阪府大阪市出身。 主に、電離層における電波の反射についての基礎研究を行った。なお、この研究成果は携帯電話に利用されている。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
窪田 章一郎(くぼた しょういちろう、1908年8月1日 -… 窪田 章一郎(くぼた しょういちろう、1908年8月1日 - 2001年4月15日)は、日本の歌人・国文学者。早稲田大学名誉教授。 窪田空穂の長男として、東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)南榎町に生まれる。旧制私立豊山中学校(現在の日本大学豊山高等学校)4年修了後、早稲田大学文学部国文科卒。1943年、武川忠一らが創設した早稲田大学短歌会に指導役として参加。そこから発展した歌誌『まひる野』を創刊主宰した。早稲田大学講師・教授を歴任、名誉教授の称号を受く。国文学者としては西行研究の第一人者であった。 1980年、「素心臘梅」で第14回迢空賞受賞。1988年、「窪田章一郎全歌集」で第11回現代短歌大賞受賞。
井上 誠一(いのうえ せいいち、1908年(明治41年)8月… 井上 誠一(いのうえ せいいち、1908年(明治41年)8月1日 - 1981年(昭和56年)11月26日)は、東京府(現・東京都)出身のゴルファー、ゴルフ場設計者。 1908年(明治41年)8月11日、東京府東京市赤坂区(現・東京都港区)に、眼科医の長男として生まれる。母は御茶ノ水にあった井上眼科医院創始者の長女で、父は養子として母と結婚した。 少年時代はカメラなどが趣味で、映画やメークアップへの興味も相まってハリウッドへの憧れを抱いた。しかし、成蹊高等学校在学中に、嗜眠性脳炎を患い、叔父の井上達四郎に、治療にはゴルフが最適と言われゴルフを始めた。1930年(昭和5年)、「川奈ホテルゴルフコース・富士コース」(静岡県)にいた時、「東京ゴルフ倶楽部・朝霞コース」(埼玉県)の設計のためにイギリスから来日していたチャールズ・ヒュー・アリソンに出会い、彼の仕事を見て「面白そうだ、僕もやってみよう」と思い立つ。
西田 善一(にしだ ぜんいち、1908年(明治41年)8月1… 西田 善一(にしだ ぜんいち、1908年(明治41年)8月1日 - 1981年(昭和56年)4月25日)は、日本の政治家・実業家。大津市長(2期)、滋賀県議会議員、大津市議会議員などを歴任。大津市長として総合開発計画、市庁舎の移転建設、町村合併、びわこ大博覧会などの大事業を行った。位階は従五位。 1908年8月1日に、大津市下堅田町(現・島の関)で、油屋「西利商店」の子に生まれる。旧制膳所中学校(現滋賀県立膳所高等学校)を経て、1929年3月に彦根高等商業学校(現滋賀大学経済学部)を卒業。学生時代は、「名ピッチャー」でならしたといい、当時バッテリーを組んでいたのは後に近江八幡市長となる井狩貞之だった。
白浜 仁吉(白濱 仁吉、しらはま にきち、1908年8月1日… 白浜 仁吉(白濱 仁吉、しらはま にきち、1908年8月1日 - 1985年1月4日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲章は勲一等瑞宝章。 長崎県南松浦郡若松村(のち若松町、現在の新上五島町)に生まれる。旧制海星中学校を経て、東京慈恵会医科大学を卒業。 陸軍軍医として長崎勤務中に長崎市への原子爆弾投下により被爆し、妻と2人の子供を失う。終戦後は実家の五島に戻り漁業に従事する。 1947年より長崎県議会議員を2期務めたのち、1952年の衆議院議員選挙に改進党から立候補し当選、以後当選12回(当選同期に大平正芳・黒金泰美・内田常雄・植木庚子郎・丹羽喬四郎・宇都宮徳馬・灘尾弘吉・加藤精三・山崎巌・今松治郎・重政誠之・町村金五・古井喜実など)。
柳沢 義男(柳澤、やなぎさわ よしお、1907年(明治40年… 柳沢 義男(柳澤、やなぎさわ よしお、1907年(明治40年)8月1日 – 1990年(平成2年)12月2日)は、昭和期の法学者、弁護士、計理士、実業家、政治家。衆議院議員、法学博士。 千葉県流山市出身出身。専修大学経済学部卒を経て、1931年(昭和6年)中央大学法学部を卒業し、さらに同大学院を修了。1938年(昭和13年)パリ大学を卒業した。 その後、弁護士、計理士の業務に従事しながら中央大学教授に就任。1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で千葉県全県区に無所属で出馬して落選。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙で千葉県第1区に日本自由党所属で出馬して次点で落選。1949年(昭和24年)1月、第24回総選挙で民主自由党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
宮本 常一(みやもと つねいち、1907年8月1日 - 19… 宮本 常一(みやもと つねいち、1907年8月1日 - 1981年1月30日)は、日本の民俗学者・農村指導者・社会教育家。 山口県屋代島(周防大島)生まれ。大阪府立天王寺師範学校(現在は大阪教育大学)専攻科地理学専攻卒業 。 柳田國男を読み、民俗学徒として立つ決心をする。その後渋沢敬三に誘われてアチック・ミューゼアムに入り、本格的に民俗学の研究を行うようになった。 1930年代から病没する直前まで、生涯に渡り日本各地をフィールドワーク(1200軒以上の民家に宿泊したと言われる)を行い、膨大な記録を残した。宮本が残した調査記録の相当部分は別集も含め、長年にわたり刊行した『宮本常一著作集』(未來社)で把握できるが、未収録の記録も少なくない[要出典]。