南 安雄(みなみ やすお、1931年5月2日 - 2012年… 南 安雄(みなみ やすお、1931年5月2日 - 2012年8月21日)は日本の作曲家、編曲家、指揮者。本名・岡田定夫。 京都市左京区出身。京都市立堀川高等学校音楽科卒業。 合唱曲の作曲や声楽曲の編曲を数多く手がけた。代表作品に詩人蓬萊泰三の詩をもとに作曲した「チコタン」は、現在も児童合唱の定番曲として有名。他にも蓬莱が作詞した「日記のうた」、「お菓子のうた」(前三作をまとめて三部作とも呼ばれる)、「日曜日~一人ぼっちの祈り~」などがある。いずれも詩の世界は深刻で衝撃的な内容をはらんでいるが、コロムビア合唱団には好んで取り上げられている。 長年NHKテレビの専属編曲家として活躍し、連続テレビ小説の『わたしは海』、『はっさい先生』のテーマ曲を担当したのをはじめ、『みんなのうた』、『音楽の広場』、『徹子と気まぐれコンチェルト』、『名曲アルバム』、『歌謡チャリティーコンサート』などにその名が見られる。
澄川 喜一(すみかわ きいち、1931年5月2日 - 202… 澄川 喜一(すみかわ きいち、1931年5月2日 - 2023年4月9日)は、日本の彫刻家。勲等は文化勲章。東京芸術大学名誉教授、学校法人國學院大學顧問、日本芸術院会員、文化功労者。 島根県出身の彫刻家である。東京芸術大学美術学部教授を経て学長を務め、金沢美術工芸大学では客員教授を務めた。新制作協会の会員であり、2006年には委員長を務めた。日本芸術院会員にも選任され、文化功労者となった。また、島根県芸術文化センター グラントワのセンター長、石見美術館の館長、財団法人横浜市芸術文化振興財団の理事長などを歴任した。 島根県六日市町(現・吉賀町)生まれ。山口県立岩国工業高等学校機械科卒業。東京芸術大学美術学部彫刻科卒業。
市川 浩(いちかわ ひろし、1931年5月2日 - 2002… 市川 浩(いちかわ ひろし、1931年5月2日 - 2002年8月17日)は、日本の哲学者・身体論者。明治大学名誉教授。 ベルクソンらのフランス哲学が専門。身体論を軸に人間存在の把握を追究する、独自の哲学を展開した。著書に『精神としての身体』(1975年)、『〈身〉の構造』(1984年)、『〈中間者〉の哲学』(1990年)など。 京都府出身。仏教学者市川白弦の長男。1954年京都大学文学部卒業。毎日新聞記者となるが、退社し、1959年、東京大学大学院人文科学研究科比較文学比較文化専攻課程入学、山崎正一の教えを受ける。明治大学助教授、教授を経て、名誉教授。『精神としての身体』(1975) で身体論に新しい地平を開き、『<身>の構造』でこれを発展させる。
十一世 福井四郎兵衛(じゅういっせい ふくい しろべえ、本名… 十一世 福井四郎兵衛(じゅういっせい ふくい しろべえ、本名:林 啓治郎、1930年5月2日 - 2018年12月17日)は、幸清流小鼓方職分の能楽師。社団法人能楽協会名古屋支部会員、日本能楽会(重要無形文化財総合指定)会員。 1930年(昭和5年)5月2日、愛知県名古屋市の大須の商家に6人兄弟の末っ子として生まれる。1943年(昭和18年)、南久屋国民学校(現・名古屋市立栄小学校)を卒業。元首相の海部俊樹は同級生。1948年(昭和23年)、旧制愛知一中(現・愛知県立旭丘高等学校)を卒業。担任教師が能楽に造詣が深く、中学3年で能の「隅田川」を観て以来とりこに。すぐに謡曲愛好会を立ち上げる。 1950年(昭和25年)7月、九世福井五郎に師事(福井家は幸清流家元の分家格・後見職の家。
井村 哲夫(いむら てつお、1930年5月2日- )は、日本… 井村 哲夫(いむら てつお、1930年5月2日- )は、日本の国文学者、京都府立大学・京都外国語大学名誉教授。 大阪府生まれ。大阪大学文学部卒業。1963年関西大学大学院博士課程単位取得修了。園田学園女子大学助教授、教授、京都府立大学教授、同名誉教授・京都外国語大学教授をへて、同名誉教授。文学博士。『万葉集』が専門。『万葉集全注 巻第5』では万葉歌を五七五七七の短歌体で現代語訳する試みに取り組んだ。
板倉 聖宣(いたくら きよのぶ、1930年〈昭和5年〉5月2… 板倉 聖宣(いたくら きよのぶ、1930年〈昭和5年〉5月2日 - 2018年〈平成30年〉2月7日)は、科学史や教育学、理科教育史を専門とする日本の研究者。 主な業績は「科学的認識の成立条件」の発見、仮説実験的認識論の発見と仮説実験授業による具体化と実証によって「授業の科学的研究」を確立した。仮説実験授業研究会設立による「たのしい授業学派」の確立など。 東京大学理学博士。「仮説実験授業」の提唱者で、「いたずら博士」として科学啓発書を中心に多数の著書を執筆した。国立教育研究所 物理教育推進室長、仮説実験授業研究会 代表、(私立)板倉研究室 室長、日本科学史学会 会長を歴任。『ひと』(太郎次郎社)や『たのしい授業』(仮説社)の創刊にも貢献。
寺川 昭二(てらかわ しょうじ、1930年5月2日 - )は… 寺川 昭二(てらかわ しょうじ、1930年5月2日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。 志太高校から1950年に東急フライヤーズへ入団。1年目は未勝利だったが2年目は初勝利を含む5勝を挙げた。翌年は開幕投手を任され自己最多となる7勝を挙げるが、以降は成績も低下し1956年限りで引退した。
藤井 治枝(ふじい はるえ、1929年5月2日 - )は、日… 藤井 治枝(ふじい はるえ、1929年5月2日 - )は、日本の女性問題学者。 東京生まれ。1950年聖心女子大学歴史科卒業。その後、楫西光速に師事。1994年「日本型企業社会と女性労働 労務管理と家庭対策の相互連関」で立教大学経営学博士。1966年「朝日ジャーナル論文賞」に入賞。以後、女性に関する問題を中心に、労働・教育・家族・家庭など、幅広く評論活動に従事。同時に、神奈川県・横浜市、藤沢市などの「婦人問題懇話会」の理事・座長・会長を務めた。
藤井 隆(ふじい たかし、1929年5月2日 - 2017年… 藤井 隆(ふじい たかし、1929年5月2日 - 2017年11月23日)は、日本の経済学者。専門分野は、経済政策論。名古屋大学名誉教授。慶應義塾大学総合政策学部教授、日本計画行政学会会長、日本学術会議会員等を務めた。 1929年、岡山県で生また。海軍経理学校を経て、第六高等学校 (旧制)で学んだ。卒業後は、一橋大学に進学し、中山伊知郎の指導を受けた。1962年、学位論文『経済進歩の理論』を一橋大学に提出して経済学博士号を取得。 卒業後は、中山の友人であった酒井正三郎名古屋大学経済学部教授の誘いを受けて、1963年に名古屋大学経済学部講師に就任。後に助教授、教授に昇格した。1992年、名古屋大学を定年退職し、名誉教授となった。
平岡 篤頼(ひらおか とくよし、1929年5月2日 - 20… 平岡 篤頼(ひらおか とくよし、1929年5月2日 - 2005年5月18日)は、日本の仏文学者・文芸評論家・作家。早稲田大学名誉教授。 1929年(昭和4年)大阪市生まれ。1952年(昭和27年)早稲田大学文学部仏文科卒業。1961年(昭和36年)大学院文学研究科仏文学専攻博士課程満期退学。1957年から1960年パリ大学に学び、1962年(昭和37年)早稲田大学文学部講師、1965年(昭和40年)助教授、1970年(昭和45年)教授、2000年(平成12年)定年、名誉教授。 アラン・ロブ=グリエ、クロード・シモン、マルグリット・デュラス等、ヌーヴォー・ロマンの翻訳で知られているが、バルザックやメリメ等も翻訳し、小説も書くなど、幅広い活動をおこなった。
朝倉 龍夫(あさくら たつお、1928年5月2日 - 202… 朝倉 龍夫(あさくら たつお、1928年5月2日 - 2025年3月23日)は、日本の経営者。JSR社長、会長を務めた。 静岡県出身。1952年に東京大学経済学部商業学科を卒業し、同年に日本開発銀行に入行した。1957年12月に日本合成ゴム(現在のJSR)に転じ、1976年6月に取締役に就任し、1981年6月に常務、1983年6月に専務を経て、1987年6月に社長に就任。1993年6月に会長に就任し、1997年6月から相談役を務めた。 2025年3月23日死去。96歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小野 敦子(おの あつこ、1927年〈昭和2年〉5月2日 -… 小野 敦子(おの あつこ、1927年〈昭和2年〉5月2日 - )は、日本の女優。広島県出身。身長146cm、体重43.5kg。本名は松本 敦子(旧姓、小野)。東京女子厚生専門学校卒業。 広島県賀茂郡(後の安芸津町。現在の東広島市)で生まれる。 1943年、新生新派に入り、舞台で活動。退団後はラジオでの活動も開始する。1949年に木の実座を結成。グループ・てえぶら、東京俳優生活協同組合、希楽星に所属していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
内田 茂雄(うちだ しげお、1926年5月2日 - 2006… 内田 茂雄(うちだ しげお、1926年5月2日 - 2006年2月25日)は、日本の弁護士。 現在の福岡県北九州市出身。西南学院大学英文科を卒業後、弁護士を目指して早稲田大学に入学。1953年、早大大学院を出て、1958年、地元で弁護士開業。 1968年、西日本一帯で日本最大の食品公害事件といわれるカネミ油症事件が発生すると、1970年より全国統一原告弁護団の団長を務め、1987年、最高裁判所でカネミ倉庫側との和解を成立させた。 2006年、胃癌のため死去。79歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
内田 祥哉(うちだ よしちか、1925年5月2日 - 202… 内田 祥哉(うちだ よしちか、1925年5月2日 - 2021年5月3日)は、日本の建築生産学者、建築家。東京大学名誉教授。日本学士院会員。一級建築士資格所有。 東京都生まれ。内田祥三(建築構造学の大家で東京帝国大学学長を歴任)の二男。兄は、敗戦後まもなく夭逝した建築家内田祥文。 武蔵高等学校 (旧制)を卒業。東京帝国大学工学部建築学科卒業後、逓信省、電気通信省を経て、日本電信電話公社建築部(現・NTTファシリティーズ)に勤務。 1961年、東京大学工学博士。論文の題は「建築構法の分析と綜合の研究」。 東京大学助教授-教授-名誉教授、明治大学教授、金沢美術工芸大学教授を歴任。1993年、日本建築学会会長。
加藤 一郎(かとう いちろう、1925年5月2日 - 199… 加藤 一郎(かとう いちろう、1925年5月2日 - 1994年6月19日)は、日本のロボット工学者。 日本のロボット工学、バイオメカニクス、ヒューマノイド研究の第一人者で、義手の研究から人型ロボット研究に入り、1973年に世界初の二足歩行可能なフルスケール人間型ロボット「WABOT-1」、1984年に音楽演奏ロボット「WABOT-2」、動完全歩行する「WL-10RD」等を製作した。千葉工業大学講師、早稲田大学助教授、教授、理工学部長を歴任。バイオメカニズム学会、日本ロボット学会、日本IFToMM会議の創立者、会長。早稲田大学教授在職中に逝去し、加藤研究室は弟子の高西淳夫、菅野重樹に受け継がれた。
岡本 巌(おかもと いわお、1924年5月2日 - 2011… 岡本 巌(おかもと いわお、1924年5月2日 - 2011年12月4日)は、日本の地球物理学者。陸水学・湖沼学が専門で、長年琵琶湖を調査研究し、琵琶湖の環境保全のための住民運動を行ったことで知られている。滋賀大学名誉教授。 鹿児島県谷山村(現:鹿児島市の一部)出身。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を経て、1945年に第七高等学校造士館 (旧制)を卒業。進学した京都大学理学部(旧制)では海洋物理学を学び、1948年に卒業。卒業後、別府市にある京都大学地球物理学研究所に勤務したがあまり気乗りがしていなかったため、人に勧められて滋賀大学学芸学部(後に教育学部に改称)に移り、以来琵琶湖の調査研究に取り組む。
雲井 洋(くもい よう、1923年5月2日 - 1993年6… 雲井 洋(くもい よう、1923年5月2日 - 1993年6月10日)は、日本の経営者、銀行家。百五銀行頭取を務めた。三重県出身。 1946年に早稲田大学商学部を卒業し、1951年に百五銀行に入行。1959年に取締役に就任し、1962年11月に常務、1969年5月に専務を経て、1977年6月に副頭取に就任し、1991年6月に頭取に昇格し、1993年4月までに務めた。 1993年6月10日心不全のために死去。70歳没。
石川 操(いしかわ みさお、1922年5月2日 - 1999… 石川 操(いしかわ みさお、1922年5月2日 - 1999年1月6日)は、日本の経営者、銀行家。茨城県水戸市出身。 1940年に水戸商業学校を卒業し、1942年に常陽銀行に入行。1969年10月に取締役、1974年11月に常務、1981年6月に専務を経て、1986年7月には常陽銀行副頭取に就任。1988年7月に取締役相談役を経て、1989年6月には相談役に退いた 1999年1月6日肺炎のために死去。76歳没。
久慈 あさみ(くじ あさみ、1922年〈大正11年〉5月2日… 久慈 あさみ(くじ あさみ、1922年〈大正11年〉5月2日 - 1996年〈平成8年〉7月11日)は、日本の女優、歌手。元宝塚歌劇団月組男役トップスター。東京市京橋区(現・中央区)新富町出身。本名は森山 淑子。 生家は、明治時代に歌舞伎役者の写真を多数撮影した森山写真館。1939年、麹町高等女学校卒業後、宝塚音楽舞踏学校に進む。宝塚歌劇団29期生。1941年、宝塚歌劇団に入団。宝塚入団時の成績は17人中9位。淡島千景、南悠子と共に『東京の三羽烏』と呼ばれた。相手役だった淡島千景が松竹入社したことなどに刺激を受け、1950年、宝塚を退団。新東宝と出演契約を結び『愛染香』で映画デビューする。 1951年、ビクターレコードと専属契約を結び、主演した新東宝映画『恋人』『ブンガワンソロ』『女豹の地図』等の主題歌を歌う。
福島 新吾(ふくしま しんご、1921年〈大正10年〉5月2… 福島 新吾(ふくしま しんご、1921年〈大正10年〉5月2日 - 2013年〈平成25年〉5月1日)は、日本の政治学者。専修大学名誉教授。政治学原論専攻。 1921年、福島喜三次の四男として東京に生まれる(母〈1893-1981〉は明治期の外交官杉村濬の長女)。 太平洋戦争中に学徒出陣を経験した後、1947年東京帝国大学法学部政治学科を卒業。東京大学社会科学研究所助手(1947-54年)を経て専修大学に移り、1960年より専修大学法学部教授。同法学部長を務めた。 「九条科学者の会」呼びかけ人を務めていた。 従兄(母の妹の長男)に作曲家・音楽評論家の柴田南雄がいる。 2013年5月1日に肺炎のため死去。
山下 肇(やました はじめ、1920年5月2日 - 2008… 山下 肇(やました はじめ、1920年5月2日 - 2008年10月6日)は、日本のドイツ文学者、東京大学教養学部名誉教授。 現在の東京都目黒区下目黒に生まれる[要出典]。幼少期に時習学館で戸田城聖の教えを受ける。府立高等学校在学中、学生歌『青春という』を作詞した。[要出典]1942年9月に東京帝国大学文学部独文科を繰り上げ卒業し、陸軍に[要出典]入隊して出征した。 第二次世界大戦後に軍隊から復員し、旧制浦和高等学校教授ののち、1950年東京大学教養学部ドイツ語助教授となる。のち教授に昇進し、1969年から評議員に就任して、1971年 - 1972年には教養学部長を務めた。1981年に定年退官して、名誉教授となる。
小勝郷右(おがつ きょうすけ、1919年5月2日 - 199… 小勝郷右(おがつ きょうすけ、1919年5月2日 - 1993年8月2日)は、日本の花火師。 東京府(現府中市)生まれ。本名・小勝恭亮。東京府立府中農蚕学校(現東京都立農業高等学校)卒。幼少より実家の花火製造に従事し、19歳で火薬類作業主任試験合格。兵役ののち、国内外で花火師として活動。丸玉屋小勝煙火店代表取締役社長。花火に関するものや自伝などの著作がある。
石川 京一(いしかわ きょういち、1918年〈大正7年〉5月… 石川 京一(いしかわ きょういち、1918年〈大正7年〉5月2日 - 2002年〈平成14年〉2月5日)は、昭和から平成時代の政治家。神奈川県平塚市長。 平塚市出身。1936年(昭和11年)旧制厚木中学校卒業。 同年、中郡金田村役場に入り、1950年(昭和25年)助役。1956年(昭和31年)平塚市に合併後は農産課長となり、1964年(昭和39年)経済部長、1967年(昭和42年)企画部長、1971年(昭和46年)助役を経て、1979年(昭和54年)以来、平塚市長に4選した。1995年(平成7年)引退。
矢内原 伊作(やないはら・いさく、1918年5月2日 - 1… 矢内原 伊作(やないはら・いさく、1918年5月2日 - 1989年8月16日)は、日本の哲学者、評論家。
石黒 進之助(いしぐろ しんのすけ、1917年(大正6年)5… 石黒 進之助(いしぐろ しんのすけ、1917年(大正6年)5月2日 - 1992年(平成4年)3月29日)は、日本の歯科医師、歯学士、開業歯科医、(社)鶴岡地区歯科医師会理事、山形県歯科医師政治連盟理事。
康 才良(カン・ジェリャン、朝鮮語: 강재량、1917年5月… 康 才良(カン・ジェリャン、朝鮮語: 강재량、1917年5月2日 - 1994年12月9日)は、大韓民国の実業家、政治家、教育者。初代・第2代済州道議会(現・済州特別自治道議会(朝鮮語版))議員、第2代済州道議会議長(1・2期)、第5代韓国国会議員(参議員)、第3代済州道体育会(現・済州特別自治道体育会(朝鮮語版))会長、第10代大韓卓球協会会長を歴任した。 済州島の現在の済州市地域出身。済州公立農業学校、大邱師範学校講習科(現・大邱教育大学校)、名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)機械工学科卒。その後は東洋拓殖済州工場技手、済州酒精工業株式会社専務取締役、貨物船会社三洋企業株式会社社長、自由党所属の済州道議会議員、同議長(1956年9月3日〜1958年2月23日)、済州道汽船株式会社社長、第3代済州道体育会会長(1957年3月2日~1960年2月20日)、民主党所属の参議院議員、財団法人済州女子学院理事、新進工高校長、第10代大韓卓球協会会長(1975年1月~1976年1月)を務めた。
黒木清次(くろき せいじ、1915年5月2日 - 1988年… 黒木清次(くろき せいじ、1915年5月2日 - 1988年8月22日)は、日本の作家、詩人。 宮崎県西諸県郡須木村(現小林市)生まれ。宮崎師範学校(のち宮崎大学)卒。小学校教員となる。1938年に富松良夫らと同人誌『龍舌蘭』を創刊。太平洋戦争中は上海に渡り、『上海文学』を創刊する。43年「棉花記」で芥川賞候補。戦後、宮崎市の日向日日新聞社(現・宮崎日日新聞社)勤務、のち同社社長(1977~1982)。
宮嶋 巌(みやじま いわお、1914年5月2日 - 2005… 宮嶋 巌(みやじま いわお、1914年5月2日 - 2005年6月21日)は、北海道小樽市出身のスキージャンプ選手。宮島の表記もある。 旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)4年時にジャンプを始めた。中学卒業後、小樽高等商業学校(現:小樽商科大学)に進む。 高等商業学校在学中の1936年にガルミッシュ・パルテンキルヒェンオリンピックに出場、31位だった。本人は「恥ずかしいばかりの成績」と不本意な結果だった。 当時主流だった両腕を前に伸ばして前傾するフォームではなく、現在において主流になっている両腕を身体に添えるフォームを用いていたという。
金子 孫市(かねこ まごいち、1914年5月2日 - 199… 金子 孫市(かねこ まごいち、1914年5月2日 - 1996年7月5日)は、日本の教育学者。東京教育大学名誉教授。 福島県生まれ。会津中学校(現福島県立会津高等学校)卒、1939年東京文理科大学卒、46年同大学助手、1951年東京教育大学助教授、教授、1978年定年退官、名誉教授、文教大学教授。85年退職、インターカルト日本語学校校長。
加藤 光(かとう ひかる、1914年〈大正3年〉5月2日 -… 加藤 光(かとう ひかる、1914年〈大正3年〉5月2日 - )は日本のスーパーセンテナリアン、長寿の男性。2026年2月8日以降、日本国内の男性最高齢者である。 1914年(大正3年)5月2日、今の熊本県山鹿市生まれ。農林省に入省し、24歳の時に応召、陸軍第48師団配属となり当初は台湾に派遣された。その後太平洋戦争開戦劈頭4日目のフィリピン上陸作戦に参加しアメリカ軍と交戦、右足を負傷した。負傷から復帰した後はインドネシアのティモール島に駐留し、そこで終戦を迎えた。終戦による武装解除後は捕虜として野菜やサツマイモを育てる自活生活を送り、1946年5月に復員した。 帰国後も農林省に勤め、59歳で退職した。
細田 吉蔵(細田 吉藏、ほそだ きちぞう、1912年〈明治4… 細田 吉蔵(細田 吉藏、ほそだ きちぞう、1912年〈明治45年〉5月2日 - 2007年〈平成19年〉2月11日)は、日本の運輸官僚、政治家、弁護士。衆議院議員(10期)。正三位勲一等。松江市名誉市民。 長男は衆議院議長、自由民主党幹事長、内閣官房長官、衆議院議員(11期)を歴任した細田博之。 島根県松江市西茶町に細田義一郎、千代乃の間に6人兄弟の4番目として生まれる。生家は、屋号を丸吉印「細田本店」、「細田油店」と称する油卸問屋。実父義一郎の弟・六助、つやの夫妻に子供がいなかったため、生まれてすぐに養子にだされ、養父母に育てられる。養母が薬屋を開いており、両方の店を手伝いながら少年時代を過ごす。
河西 新太郎(かわにし しんたろう、1912年5月2日 - … 河西 新太郎(かわにし しんたろう、1912年5月2日 - 1990年9月8日)は、昭和時代日本の詩人、作詞家。香川県出身。 1912年(明治45年)5月2日、弁護士・河西善太郎の長男として高松市に生まれる。旧制高松中学校を経て東洋大学在学時に東都大詩人連盟等を結成。機関紙「大学詩派」を主宰する他、新東京演劇映画協会文芸部長として多数の脚本を手がけた。その後大学を中退し、同郷の先輩である菊池寛を訪ね「文藝春秋社」への入社を希望するも「詩で飯は食えない」と断られる。1934年(昭和9年)四国民報社に入社。1937年(昭和12年)に東京朝日新聞が主催した「亜欧連絡記録大飛行応援歌」に応募した「行けよ「神風」空遠く」が応募総数約四万五千編の中から一等入選で採用された。
小島 政夫(こじま まさお、1912年5月2日 - 2000… 小島 政夫(こじま まさお、1912年5月2日 - 2000年10月1日)は、日本の経営者。山之内製薬社長、会長を務めた。広島県出身。 1936年に熊本薬学専門学校を卒業し、同年に山之内製薬に入社した。1962年3月に取締役に就任し、1969年8月に常務、1974年8月に専務を経て、1977年3月に社長に就任。1980年3月に会長に就任し、1984年3月に相談役に就任した。 1984年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2000年10月1日肝不全のために死去。88歳没。
紅林 茂夫(くればやし しげお、1912年5月2日 - 20… 紅林 茂夫(くればやし しげお、1912年5月2日 - 2004年3月30日)は、日本の経済評論家。 東京出身。1936年東京商科大学(現一橋大学)卒業、安田銀行入行、戦後改称して富士銀行調査部長、67年常任監査役。経済評論で活躍。のち創価大学教授、90年退職、国際経済研究センター理事長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大村 晴雄(おおむら はるお、1910年(明治43年)5月2… 大村 晴雄(おおむら はるお、1910年(明治43年)5月2日 - 2016年(平成28年)4月)は、日本の哲学研究者、東京都立大学名誉教授。近世哲学史専攻、ヘーゲル研究者。1970年以来、季刊誌「途上」を刊行。広く思想とキリスト教の諸問題の研究解明にたずさわった。 北海道札幌市生まれ、神奈川県出身。山形高等学校(旧制)卒、1935年東京帝国大学文学部哲学科卒。39年文部省教学局嘱託。41年府立学校教授、召集令状がきて、中国北部に送られたが、語学の才があり、暗号解読など情報の仕事を行った。1946年復員。1949年東京都立大学助教授、1968年教授、1973年定年退官、名誉教授、東洋大学教授、1981年退職。
酒井 義雄(さかい よしお、1910年〈明治43年〉5月2日… 酒井 義雄(さかい よしお、1910年〈明治43年〉5月2日 - 没年不明)は、日本のフィールドホッケー選手である。東京都出身。 明治大学に在学中の1932年ロサンゼルスオリンピックで主将を務め銀メダルを獲得。 1936年ベルリンオリンピックにも出場した。 浅川増幸 | 猪原淳三 | 宇佐美敏夫 | 小西健一 | 小林定義 | 今治彦 | 酒井義雄 | 柴田勝見 | 左右田秋雄 | 永田寛 | 中村英一 | 浜田駿吉 | 三浦四郎 | 監督: 広瀬藤四郎 伊藤赳夫 | 伊藤通弘 | 上野安夫 | 大津敏雄 | 菊池信 | 倉内大次 | 酒井義雄 | 杉山益男 | 武知治 | 田中昇 | 浜田駿吉 | 村岡敏 | 柳武彦 | 脇坂貞夫 | 監督: 石川周策
高岡 周夫(たかおか かねお、1909年5月2日 - 200… 高岡 周夫(たかおか かねお、1909年5月2日 - 2005年1月31日)は、日本の統計学者・経済学者。経済学博士(北海道大学)。元北海学園大学学長代理・北海学園大学名誉教授。 この他、経済統計学会全国運営委員や北海道経済学会理事でもあった。 経営学を小島昌太郎に師事し、統計学を蜷川虎三に師事する。 父は第三代北海道帝国大学総長の高岡熊雄であり、叔父に高岡直吉がいる。夫人は世界的外科医であり九州大学医学部教授を務めた三宅速の娘。兄弟に北海道大学名誉教授の高岡道夫・北星学園大学名誉教授の高岡英夫がいる。
石橋 辰之助(いしばし たつのすけ、1909年(明治42年)… 石橋 辰之助(いしばし たつのすけ、1909年(明治42年)5月2日 - 1948年(昭和23年)8月21日)は、俳人。栗林一石路や橋本夢道とともにプロレタリア俳句運動に尽力した。別号に竹秋子。 東京府下谷区生まれ。安田工業学校電気科卒業。帝国劇場、帝都座の照明技師を経て日本映画社の制作課長となる。10代より「ホトトギス」に投句。1931年、「ホトトギス」を離れ水原秋桜子の「馬酔木」に参加、1933年同誌同人。当時は竹秋子の号を用い、特に山岳俳句において新局面を開く。 1937年、「馬酔木」を離れ新興俳句運動、プロレタリア俳句運動に参加、翌年「京大俳句」に参加。1939年には西東三鬼、三谷昭らと「天香」を創刊するが、1940年の「京大俳句」弾圧事件に連座、「天香」も終刊を余儀なくされる。
日野原 保(ひのはら たもつ、1908年5月2日 - 199… 日野原 保(ひのはら たもつ、1908年5月2日 - 1999年11月20日)は、日本の鉄道技術者。京浜急行電鉄副社長、東京電機社長、会長などを務めた。 1908年(明治41年)横浜市生まれ。電鉄技術者を志した日野原は1929年(昭和4年)に東京高等工業高校(現、東京工業大学)を卒業したが、折しくも世界恐慌で、なんとか開業準備中の湘南電気鉄道の金沢工場でに実習生のもと無給ながら湘南電気鉄道デ1形電車の装備品の取り付け工事などをし、当時の最新技術を体に叩き込んだ。そして1931年(昭和6年)、京浜電気鉄道に入社した。その後、戦時合併で大東急を経て発足した京浜急行電鉄だが、日野原は戦争で疲弊した鉄道の施設や車両をみて、電車部次長時代に1952年の4月から4ヶ月の間アメリカ、カナダの鉄道視察に出かけた。
鹿島 俊雄(かしま としお、1907年5月2日 - 1995… 鹿島 俊雄(かしま としお、1907年5月2日 - 1995年11月4日)は、日本の歯科医師、政治家。郵政大臣(第34代)参議院議員(3期、自由民主党)。東京歯科大学理事長、日出学園理事、医学博士。 1933年、東京歯科医学専門学校を卒業。 1959年、日本歯科医師連盟をバックにして全国区から第5回参議院議員通常選挙に立候補し当選。1963年、科学技術政務次官に就任。その後1965年、1971年の参院選でも全国区で当選した。1974年11月、第2次田中角栄第2次改造内閣の郵政大臣として初入閣。しかし、この内閣は田中金脈問題で28日後に総辞職をし、鹿島はその後再入閣することがなかったため、わずか29日間しか閣僚を経験することができなかった。
朴 允進(パク・ユンジン、日本名:福田允進(ふくだ いんじん… 朴 允進(パク・ユンジン、日本名:福田允進(ふくだ いんじん)、1905年5月2日 - ?)は、大韓民国の仏教僧侶。号は大愚(デウ、대우)、法名は領海(ヨンへ、영해)。 もともとは京畿道高陽郡の興国寺に在籍する僧侶であった。京城第一高等普通学校(後の京畿高等学校)を1927年に卒業し、仏教専修学校(後の東国大学校)に入学した。この学校在学中に、青年僧侶たちが韓龍雲を党首に推して組織した卍党に加入した。 仏教専修学校は朴允進の在学中に中央仏教専門学校へと昇格し、朴允進はこの専門学校の第1回卒業生として日本に留学した。東京の大正大学宗教学科で修学した。日本留学の期間中、東京の留学生たちが作る雑誌『금강저(金剛杵)』の編集と発行に参加し、文章も発表していた記録がある。
矢島 祐利(やじま すけとし、1903年〈明治36年〉5月2… 矢島 祐利(やじま すけとし、1903年〈明治36年〉5月2日 - 1995年〈平成7年〉8月12日)は、日本の科学史家。 1903年、栃木県安蘇郡界村(現:佐野市)に生まれる。中学卒業後、一高(旧制)を経て、東京帝国大学に入学。中村清二、寺田寅彦、田丸卓郎の指導を受ける。1926年、東京帝国大学理学部物理学科を卒業。同大学工学部講師を経て、1941年から1945年まで京城帝国大学教授。日本に引き揚げ後はGHQに勤務。1949年より東京物理学校講師、のち校名変更で1950年より東京理科大学教授。1969年「電磁理論の発展史」で東京理科大学より理学博士の学位を取得。1973年、定年退職。東京理科大学名誉教授、国際科学史アカデミー会員。
有竹 修二(ありたけ しゅうじ、1902年5月2日 - 19… 有竹 修二(ありたけ しゅうじ、1902年5月2日 - 1976年6月3日)は、日本のジャーナリスト。 兵庫県出身。慶應義塾大学卒。1926年朝日新聞社に入社。1942年論説委員となり「神風賦」(「天声人語」の前身)を担当。1946年時事新報に移り、編集局長などをへて常務。のち産業経済新聞論説委員。政治家伝記を書いたほか、講談にも造詣が深かった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
白石 稔(しらいし みのる、1900年 <明治33年> 5月… 白石 稔(しらいし みのる、1900年 <明治33年> 5月2日 - 1985年 <昭和60年> 11月12日)は、日本の経営者。三菱製紙社長を務めた。位階は従四位。 宮城県仙台市出身。1923年に東京帝国大学法学部法科を卒業し、同年に三菱製紙に入社。1947年に取締役に就任し、1949年に常務を経て、1957年12月から1963年5月までに社長を務めた。奥野煕社長の体調不良により、再び1965年5月から1970年5月までに社長を務め、1970年5月から1973年5月までに会長を務めた。 1963年に藍綬褒章を受章し、1968年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1985年11月12日心不全のために死去。
髙野 孫左衛門(たかの まござえもん、明治32年(1899年… 髙野 孫左衛門(たかの まござえもん、明治32年(1899年)5月2日 - 昭和43年(1968年)2月25日)は、山梨県出身の実業家、政治家。山梨県会議員、衆議院議員を歴任した。幼名は髙野 毅(たかの つよし)。 山梨県甲府市柳町(現在の甲府市中央4丁目)に、父「孫左衛門(第15代目)」、母「とも」の三男として生まれる。山梨師範学校付属小学校を経て大正5年(1916年)3月に市立甲府商業学校(現在の甲府市立甲府商業高等学校)を卒業。 早逝した兄「孫親」の妻、義姉の「喜代」と大正11年(1922年)5月に結婚し、油と塩を商いする甲府有数の老舗である家業の吉字屋を継ぐ。大正12年(1923年)4月に単身上京して早稲田大学政治経済学科に入学したが、同年9月1日に発生した関東大震災のため帰郷し、大正14年(1925年)1月に第16代目高野孫左衛門を襲名した。
山下 英男(やました ひでお、1899年5月2日 - 199… 山下 英男(やました ひでお、1899年5月2日 - 1993年5月27日)は、電気通信工学者。東京生まれ。
加藤 宗平(かとう そうへい、1897年5月2日 - 195… 加藤 宗平(かとう そうへい、1897年5月2日 - 1957年12月15日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。福島県梁川町長。 福島県伊達郡梁川町(現在の伊達市)出身。1920年日本大学専門部政治科卒。横浜市主事、梁川町長、福島県会議員などを歴任する。1942年の翼賛選挙では福島1区(当時)から非推薦で立候補して初当選した。続く1946年の第22回衆議院議員総選挙では日本自由党公認で立候補し再選したが、公職追放となった。追放解除後の1952年の第25回衆議院議員総選挙では自由党公認で立候補して当選、第5次吉田内閣で通産政務次官に就任した。1955年の第27回衆議院議員総選挙で落選。1957年12月15日死去、60歳。
砥上 坦(とがみ ひろし、1897年(明治30年)5月2日 … 砥上 坦(とがみ ひろし、1897年(明治30年)5月2日 - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚、拓務官僚。 福岡県山門郡に生まれる。1925年(大正14年)3月、日本大学専門部政治科を卒業し、福岡県社会部に勤務。 1929年(昭和4年)6月、拓務局に転じ、1939年(昭和14年)拓務理事官に進み、拓務局南洋課勤務を発令される。1941年(昭和16年)1月、台湾総督府地方理事官に進み、高雄州屏東郡守に就任した。
荒金 啓治(あらかね けいじ、1897年(明治30年)5月2… 荒金 啓治(あらかね けいじ、1897年(明治30年)5月2日 - 1988年(昭和63年)11月28日)は、大分県の政治家である。5期20年にわたって別府市長を務めた。 孫に公益社団法人創玄書道会理事の荒金大琳がいる。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
市原 硬(いちはら かたし、1896年〈明治29年〉5月2日… 市原 硬(いちはら かたし、1896年〈明治29年〉5月2日 - 1979年〈昭和54年〉1月10日)は、日本の医化学者。医学博士。大阪大学名誉教授。日本生化学会会長。位階は従三位。 島根県那賀郡江津村(のち江津町、現・江津市)出身。市原朋作の長男。1914年、浜田中学卒業。1923年、大阪医大卒業。同医化学教室に勤務する。1928年に大阪帝国大学医学部助教授、1940年に教授、1960年に定年退官。1961年、和歌山医大学長に就任。1979年死去。死没日付をもって従三位に叙された。 古武弥四郎大阪帝国大学医学部教授に師事、その後継者として1961年に有核アミノ酸代謝の研究で須田正巳と共に日本学士院賞を受賞した。