福本 邦雄(ふくもと くにお、1927年1月5日 - 201… 福本 邦雄(ふくもと くにお、1927年1月5日 - 2010年11月1日)は日本の実業家、画商、政治活動家、元日本共産党員。第2次岸内閣の内閣官房長官秘書官、自由民主党政調会長秘書等を務める。戦前の日本共産党指導者・福本和夫の長男。絵画商人という表の顔から政界や財界や暴力団といった裏社会の深部に入りこんで暗躍した。「政界最後のフィクサー」とも呼ばれた。 神奈川県鎌倉市出身。20代で共産党に入党するが党内対立で除名となる。東京大学経済学部卒業。1951年に産業経済新聞社入社。政治部記者となるはずだったが、前歴を考慮され、調査研究室に配属となり特集ページの編集を担当。またその傍ら、社命で軍事評論家の天川勇のもとに赴き、「天川機関」の収集した国際情報の翻訳作業にもあたる。
向山 光昭(むかいやま てるあき、1927年1月5日 - … 向山 光昭(むかいやま てるあき、1927年1月5日 - 2018年11月17日)は、日本の有機化学者。東京大学名誉教授、東京工業大学名誉教授、東京理科大学名誉教授。社団法人北里研究所基礎研究所有機合成化学研究室名誉所員(前室長)。東京化成工業株式会社基礎研究所技術顧問。長野県伊那市出身。位階は従三位。 シリルエノールエーテルとカルボニル化合物をルイス酸触媒(四塩化チタンなど)下で作用させるとアルドール反応が進行することを発見。この反応は世界的に向山アルドール反応と呼ばれるほどで、今日、有機合成化学者で知らない者はいないほど有名である。それ以外にも脱水縮合反応を中心とした研究を行っている。大環状化合物合成に有用な向山縮合試薬や、フッ化糖類を用いる新規グリコシル化反応なども開発した。
寺田 文行(てらだ ふみゆき(ぶんこう)、1927年1月5日… 寺田 文行(てらだ ふみゆき(ぶんこう)、1927年1月5日 - 2016年3月3日)は、日本の数学者。早稲田大学名誉教授。静岡県出身。 東北帝国大学理学部数学科卒業。28歳で博士号を取得し、東北大学教養部助教授になる。1965年に早稲田大学理工学部数学科の教授に就任。数学科の主任も務めた。1991年、早稲田大学理工学部情報学科の設置に伴い情報学科の教授に就任。その傍ら代々木ゼミナール、C.A.P.特訓予備校(現・C.A.P.予備校 宮城県仙台市)などにも出講した。また、大学受験ラジオ講座講師も務めた。専門の数学書の他にも大学受験生向けの参考書「鉄則シリーズ」や、問題集を著した。 寺田の単項化定理を証明した。
一番ヶ瀬 康子(いちばんがせ やすこ、1927年1月5日 -… 一番ヶ瀬 康子(いちばんがせ やすこ、1927年1月5日 - 2012年9月5日)は、日本の社会福祉学者。日本女子大学名誉教授。 台北第一師範学校附属小学校、台北州立台北第一高等女学校を経て、1945年に日本女子大学校家政学部第三類卒業した。1953年、法政大学法学部労働学科を卒業し、1956年に同大学院社会科学研究科経済学専攻修士課程を修了した。1961年、同博士後期課程単位取得退学した。1966年に法政大学より経済学博士の学位を取得した。博士論文の題は「アメリカ社会福祉発達史」。 日本女子大学教授(1995年3月定年退職)、東洋大学社会学部教授(1997年まで)、長崎純心大学人文学部教授、山野美容芸術短期大学客員教授を歴任した。
佐藤 和夫(さとう かずお、1927年1月5日 - 2004… 佐藤 和夫(さとう かずお、1927年1月5日 - 2004年9月22日)は、経済学者。ラトガーズ大学経済学名誉教授。札幌市生まれ。 1927年に北海道札幌市に生まれる。1953年に北海道大学経済学部を卒業。その後渡米し、1960年にイェール大学より博士号を授与される。1959年に大阪大学社会経済研究所に助教授として着任し、1962年から1970年まで国際連合事務局経済調査官を務める。 1970年からニューヨーク州立大学バッファロー校経済学部で教授を務め、1984年にラトガーズ大学に移籍する。その間、マサチューセッツ工科大学、コロンビア大学、イェール大学で客員教授として勤務した。教員として定年退職したラトガーズ大学の他に、母校の北海道大学にも名誉博士号を授与された。
菅 貞人(かん さだと、1926年(大正15年)1月5日 -… 菅 貞人(かん さだと、1926年(大正15年)1月5日 - )は、日本の実業家。旧名は韓吉昌。 1926年に満洲で軍人の子として生まれる。1943年に満州国留学生として来日。終戦後に東京・小石川になった満州国留学生会館に住み、苦学して明治大学商学部(夜間)を卒業し、出版社を経営する一方で紙の特別配給を受けて大半の紙を闇で売りさばいて利益を上げた。その利潤を元手に高利貸しも行い、1954年頃から不動産業や自動車修理業を手広く経営し、1955年に北海道製糖を買収して製糖業界にも手を広げた。1959年に旧満州国籍から日本国籍に帰化した。1958年に共和製糖を買収し瞬く間に事業を拡大、1961年にはセブンアップの関西地方での販売権を獲得(のちのチェリオコーポレーション)。
浜野 卓也(はまの たくや、1926年1月5日 - 2003… 浜野 卓也(はまの たくや、1926年1月5日 - 2003年8月10日)は、日本の児童文学作家、評論家、教育者。専攻は近代文学。中学、高校での教師を務めたのち、山口女子大学(現・山口県立大学)教授、日本大学芸術学部講師、立教女学院短期大学講師、日本児童文学学会代表理事を歴任した。日本児童文学者協会理事、日本児童文芸家協会理事、日本文芸家協会会員。 静岡県御殿場市出身。早稲田大学第一文学部国文科を卒業後、都内の中学、高校教師を務め、立教大学大学院を修了(近代文学専攻)。 上野高等学校教頭を最後に高校教師を退職したのち、山口女子大学(現・山口県立大学)教授、日本大学芸術学部講師、立教女学院短期大学講師、日本児童文学学会代表理事などを歴任。
大熊喜代松(おおくま きよまつ、1926年1月5日 - 20… 大熊喜代松(おおくま きよまつ、1926年1月5日 - 2008年10月24日)は、日本の教育学者。 千葉県出身。早稲田大学文学部卒業。千葉市立院内小学校言語治療教室担任、千葉県特殊教育センター言語障害児教育研究部長、市川市立養護学校長、千葉県立桜ヶ丘養護学校長、千葉県立千葉盲学校長。大学非常勤講師、NHK「ことばの治療教室」、「ことばの教育相談」などの講師を務める。植草学園短期大学特任教授、日本言語障害児教育研究会副会長。言語障害児教育の業績に対し、文部大臣賞、1969年吉川英治文化賞、読売教育賞など受賞。
太田 武彦(おおた たけひこ、1925年1月5日 - 没年不… 太田 武彦(おおた たけひこ、1925年1月5日 - 没年不明)は、日本の作詞家、元自衛官。別名義に太田 かおる、太田 かほる。 現在の東京都江戸川区生まれ。1944年(昭和19年)に旧制上野中学校を卒業後、陸軍少年飛行兵に志願して終戦を迎える。復員後は国警秋田県本部に採用され警察官となったが、1950年(昭和25年)の警察予備隊発足と同時に入隊して以降、陸上自衛隊で仙台・青森・札幌・帯広を経て美幌駐屯地に転属した。 美幌時代は本名もしくは「太田かほる」名義で作詞の懸賞募集への投稿を精力的に行い、1966年(昭和41年)に北海道が公募した「道民のうた」で応募作「光あふれて」が入選した。以降も1970年(昭和45年)の日本万国博覧会公式テーマソング「世界のひろばで」、三越の2代目社歌などで入選。
三笑亭 夢楽(さんしょうてい むらく、1925年1月5日 -… 三笑亭 夢楽(さんしょうてい むらく、1925年1月5日 - 2005年10月28日)は、岐阜県岐阜市出身の落語家。生前は落語芸術協会に所属。本名∶渋谷 滉。出囃子は『筑摩祭』。 錦城商業学校卒業。映画カメラマンの成島東一郎は中学時代の同級生。 幼少時代に馬賊に憧れていたことから、1942年より単身中国北京へ移住。敗戦後帰国し、農林省開拓局に入局。 永井荷風を通じて正岡容を知り、その紹介で、1949年3月に五代目古今亭今輔に入門する。前座名は「今夫」。しかし、当の本人は新作落語、古典落語の概念をあまり知らずとりあえず今輔から提供を受けた新作の台本をやっていたが、ある日柳家金語楼から渡された新作の台本を「八っつぁん」「熊さん」に書き換えたことで今輔から叱責され古典路線に転向する。
内田 喜久(うちだ よしひさ、1925年(大正14年)1月5… 内田 喜久(うちだ よしひさ、1925年(大正14年)1月5日 - )は、日本の政治家、新聞記者。愛知県岡崎市長(3期)、愛知県議会議員(2期)を歴任した。「喜久」を音読みして「きく」と読まれることも多い。 長男の内田康宏を擁立した1980年6月の衆院選で、検挙者128人(うち逮捕者55人)におよぶ空前の選挙違反事件を引き起こした。愛知県警が解明しただけでも計4,424万円の現金をばらまき、自身のほか、県議1人、岡崎市議25人、安城市議7人、幸田町議6人、旧額田町議4人が逮捕された。長年にわたる土建業者との癒着も暴かれ、同年8月、収賄容疑で再逮捕された。 愛知県岩津村井ノ口(現・岡崎市井ノ口町字楼)に、農業を営む父:内田松太郎、母:かまの三男として生まれる。
持田 栄一(もちだ えいいち、1925年〈大正14年〉1月5… 持田 栄一(もちだ えいいち、1925年〈大正14年〉1月5日 - 1978年〈昭和53年〉7月27日)は、日本の教育学者。 群馬県邑楽郡館林町(現・館林市)に生まれる。滋賀県立八日市中学校を卒業後、1944年旧制大阪高等学校を卒業。海軍航空隊をへて、1948年東京大学文学部教育学科卒。宗像誠也に師事、教育行政学を専攻。国立教育研究所所員、東京大学教育学部助手、専任講師、助教授を経て1969年教授。『持田栄一著作集』全6巻がある。日教組に関係し、天皇制批判を行った[要出典]。 1978年7月27日、膵臓癌により東京国立第一病院で死去。
和田 貞夫(わだ さだお、1925年1月5日 - 2016年… 和田 貞夫(わだ さだお、1925年1月5日 - 2016年12月18日)は、日本の政治家。元日本社会党(のち社会民主党)衆議院議員(4期)。 大阪府和泉市出身。1943年(昭和18年)、成器商業学校卒。1947年(昭和22年)、大阪府庁に入る。大阪府職員組合自治労大阪本部を立ち上げて書記長に就任。1951年(昭和26年)、日本社会党に入党。後に大阪府本部政審会長などを歴任する。1959年(昭和34年)、大阪府議会議員選挙に立候補して当選、3期務める。 1971年(昭和46年)、堺市長選挙に立候補するため、府議を辞職。同選挙には元自民党府議の中井信夫(元府議会議長)、元民社党府議の土師半六も立候補し、激戦となったが、土師に2000票余の差で次点に終わった。
園田 正和(そのだ まさかず、1925年1月5日 - 201… 園田 正和(そのだ まさかず、1925年1月5日 - 2012年1月20日)は、兵庫信用金庫の名誉会長。 1965年瀧川勝二(当時兵庫トヨタ自動車社長)などの推薦をうけ、1951年に誕生した神和信用金庫の、全国で一番若い理事長として30歳にて就任。1974年はりま信用金庫と神和信用金庫は合併し、兵庫信用金庫が誕生。理事長に就任。 兵庫県神戸市出身。雲中小学校、神戸一中、(現兵庫県立神戸高等学校)、同志社大学卒業。神戸市中央区熊内の財閥一家で当時は不動産や両替業を営む園田家の長男として誕生。(詳細:自費出版「奴雁の人」より)。
福村 晃夫(ふくむら てるお、1925年1月5日 - 201… 福村 晃夫(ふくむら てるお、1925年1月5日 - 2016年12月5日) は、日本の情報工学者。名古屋大学名誉教授。初代人工知能学会会長。 広島県江田島生まれ。1945年広島高等学校甲類卒業。1949年名古屋大学工学部電気学科卒業、名古屋大学工学部電気学科助手。 1959年名古屋大学工学部電気学科講師。1960年名古屋大学工学部電気学科助教授。1966年工学博士(東北大学)の学位を取得。1968年名古屋大学工学部電気工学第二学科教授。1980年文部省学術審議会専門委員。1981年名古屋大学大型計算機センタセンター長。1984年情報処理学会理事。1987年文部省大学設置・学校法人審議会専門委員。
佐藤金兵衛(さとうきんべえ、1925年1月5日 - 1999… 佐藤金兵衛(さとうきんべえ、1925年1月5日 - 1999年1月21日)は日本の武術家。福島県いわき市出身。開業医(産婦人科)を営む傍ら、日本武道および中国武術各派を修め、日本兵法大和道を創始する。昭和の日本に中国武術の内家拳の普及に努めた武道家。武号は柔心斎。 幼少から祖父より大和流柔術(ただし、二代目柔心斎を襲名した佐藤の息女は大和流弓術としている)の指導を受ける。中学卒業後に満州へ渡り、国立医科大学の医学生となったが終戦後帰国。帰国後、東北大学医学部に進み、この頃より影山流剣術、柔術各派(八光流柔術、合気道、武田流合気之術、大東流合気柔術(山本角義の系統)、天神真楊流柔術、荒木新流柔術、一天柳心冑介流柔術、柳生心眼流兵術(東北伝)、浅山一伝流体術(上野貴の系統)、神道天心流拳法、卜伝流柔術、高木楊心流柔術・九鬼神流棒術、義鑑流骨法術)、神道自然流空手術 等を学ぶ。
江上 信雄(えがみ のぶお、1925年1月5日 - 1989… 江上 信雄(えがみ のぶお、1925年1月5日 - 1989年10月17日)は日本の生物学者。東京大学名誉教授。国立環境研究所元所長。日本動物学会元会長(1979年-1982年、1987年-1989年)。理学博士。 石川県金沢市出身。東京帝国大学理学部動物学教室を1947年に卒業後、同大学理学部動物学教室助手、講師を経て、1961年国立放射線医学総合研究所の生物研究部室長、後に部長。1970年同大学理学部動物学教室教授。同大学理学部長、日本学術会議委員、原子力委員会専門委員、東京大学総合研究資料館館長、東京大学評議員、放射線審議会委員、宇宙科学研究所評議委員、国立岡崎基礎生物学研究所評議員、国立遺伝学研究所評議員などを歴任。
守安 祥太郎(もりやす しょうたろう、1924年1月5日 -… 守安 祥太郎(もりやす しょうたろう、1924年1月5日 - 1955年9月28日)は、日本のジャズ・ピアニスト。初期モダンジャズのビバップを日本でいち早く体得した先駆者であったが、31歳で早世したため録音がほとんど残されていないことから「幻のピアニスト」とも評されている。 東京都出身。父親は日本酸素、秋田木工拓殖、日米商店、日本絹布捺染などの重役を務めた守安瀧二郎。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部を経て、慶應義塾大学経済学部から同大学院に進む。学生時代からクラシック・ピアノに親しみ、大学時代はヨット部の主将だった。ジャズに興味を持ち始めたのは社会人になってからだという。 1949年から、プロのピアニストとして活動開始。
脇 圭平(わき けいへい、1924年(大正13年)1月5日 … 脇 圭平(わき けいへい、1924年(大正13年)1月5日 - 2015年(平成27年)1月8日)は、日本の政治学者。同志社大学名誉教授。西洋政治思想史専攻。 1924年、山口県玖珂郡大畠村(現柳井市)生まれ。戦後の1947年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同大学大学院へ進んだ。 卒業後の1953年、京都大学法学部助教授に着任。1967年より同志社大学法学部教授となった。1970年からは法学部長。1995年に同志社大学を定年退任し、名誉教授となった。
大谷 邦夫(おおたに くにお、1924年(大正13年)1月5… 大谷 邦夫(おおたに くにお、1924年(大正13年)1月5日 - 2015年(平成27年)8月23日)は、日本の官僚。銀行家。協和銀行(現・りそな銀行)副頭取、德陽シティ銀行社長などを務めた。 東京で生まれ、仙台市で育つ。 仙台二中、二高を経て、東北帝国大学法文学部を卒業。1947年大蔵省入省。 昭和40年不況の折、戦後初めての赤字国債発行に際して、理財局国庫課国債発行準備室が設置されることになり、1965年10月1日、国庫課長から発行準備室長に異動した。これに伴い、竹内道雄が同局総務課長兼任で国庫課長に就いている。以降、証券局総務課長、神戸税関長、銀行局検査部長、大臣官房審議官、日銀政策委員を歴任。
本間 要一郎(ほんま よういちろう、1924年1月5日- )… 本間 要一郎(ほんま よういちろう、1924年1月5日- )は、日本のマルクス経済学者。横浜国立大学名誉教授。高島善哉門下。 新潟県出身。1942年旧制東京商科大学(現一橋大学)予科入学。小平市の一橋寮に入寮し食堂部長などを務めた。寮の同期に関恒義(一橋大学名誉教授)がいる。クラスの同級生に速水優(元日本銀行総裁)、川勝堅二(元三和銀行頭取)、岡稔(元一橋大学教授)などが、他クラスの同期に久米明などがいた。岡とは報国団哲学研究班でともに学び、学部進学後も岡の入隊まで同じ下宿に住んだ。1944年に寮を軍に明渡し国立市の一橋寮に移転し、勤労動員で日野重工業の社宅に住んだ。その後北海道派遣勤労報国隊の飛行場建設や、浜名湖周辺での乾田化作業に従事。
西沢 正太郎(にしざわ しょうたろう、1923年1月5日 -… 西沢 正太郎(にしざわ しょうたろう、1923年1月5日 - 2019年7月10日)は、日本の児童文学作家。 埼玉県狭山市生まれ。1940年、学校組合立豊岡実業学校卒業後、中央大学専門部法科第二部に進学し卒業。小学校教諭のかたわら福田清人・石森延男・浜田廣介に師事して児童文学を書く。 1961年、『プリズム村誕生』で講談社児童文学作品受賞。1966年、『青いスクラム』で小学館文学賞受賞。自身の作品執筆のほか、教員が推薦する本の紹介文なども手掛けた。 小学校では校長まで務め、退職後は作家活動に専念。1989年から1993年まで日本児童文芸家協会理事長も務めた。理事長退任後、同協会顧問。 同じ児童文学作家の香川茂とは長年の友人だった。
太田 實(おおた みのる、1923年1月5日 - 2004年… 太田 實(おおた みのる、1923年1月5日 - 2004年3月6日)は、日本の建築都市環境学の研究者。都市計画家。建築家。北海道大学名誉教授。北海道大学で長く建築学、都市計画学および地域計画学に関する研究と後進の教育に従事し、工学部と大学院(工学研究科、環境科学研究科)教授として人材育成に尽力。北海道大学退官後は北海道工業大学教授も務め戦後の近代都市計画学の普及と発展に貢献する。 福岡県生まれ。1944年東京帝国大学第一工学部建築学科を卒業。同大学大学院修了。1948年、北海道大学工学部に建築工学科が新設にともない赴任。学科創設期から1986年に退官するまで、教育と研究に寄与した。1950年から1952年にかけては丹下健三らと北海道稚内市の都市計画を手がける。
賀川 光夫(かがわ みつお、1923年(大正12年)1月5日… 賀川 光夫(かがわ みつお、1923年(大正12年)1月5日 - 2001年(平成13年)3月9日)は、日本の考古学者。『週刊文春』の報道被害により自死した。 栃木県烏山町(現那須烏山市)出身。1944年(昭和19年)、日本大学法文学部在学中に学徒出陣で応召し、宇佐海軍航空隊に配属。広島市へ原子爆弾が投下された際には九七式艦上攻撃機で広島への偵察を行なった。 1947年(昭和22年)、日大法文学部卒業後、大分県文化財委員会などを歴任し、別府大学文学部教授(後に名誉教授)を務め、大分県を中心に、旧石器時代から中世に至るまでの広範囲の遺跡の発掘調査に関わり、九州の考古学のパイオニアと目された。1963年には別府大学文学部に史学科を設立した。
四代目 寶 山左衛門(たから さんざえもん、六代目福原百之助… 四代目 寶 山左衛門(たから さんざえもん、六代目福原百之助、本名: 若林 英次、1922年1月5日 - 2010年8月7日)は、東京市芝区宇田川町出身の長唄囃子方、篠笛演奏家・作曲家。福原流鳴物六代目宗家、福原流百之助派四代目家元。東京芸術大学客員教授、国立劇場養成所講師。 長唄囃子方五代目福原百之助の跡取りとして生まれ、母親も長唄の師匠。幼い頃より芸の薫陶を受けた。 1939年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒業。 第二次世界大戦中は駆逐艦の建造等に動員されたが、戦後邦楽界の再建に携わり、1940年に福原英次を名乗る。1964年に六代目百之助を襲名。1981年に長唄協会理事。
奥田 晴義(おくだ はるよし、1922年1月5日 - 201… 奥田 晴義(おくだ はるよし、1922年1月5日 - 2012年12月1日)は、日本の詩人。愛媛県生まれ。中央大学法学部卒。『中央評論』編集部に勤務し、中央大学出版部長、中央大学就職部長を務めるかたわら詩を書いた。
藤田 晋(ふじた すすむ、1922年 <大正11年> 1月5… 藤田 晋(ふじた すすむ、1922年 <大正11年> 1月5日 - 2008年 <平成20年> 6月15日)は、日本の経営者。安藤建設社長、会長を務めた。位階は従四位。 東京都出身。1946年に早稲田大学理工学部建築学科を卒業し、同年に安藤組(のちの安藤建設)に入社。 1967年に取締役に就任し、1972年5月に常務、1975年5月に専務を経て、1978年6月に副社長に就任し、1982年6月には社長に昇格。1989年6月に会長を経て、1997年6月には相談役に就任。 1993年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2008年6月15日急性肺炎のために死去。86歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
井上 信也(いのうえ しんや、ラテン文字: Shinya I… 井上 信也(いのうえ しんや、ラテン文字: Shinya Inoué、1921年1月5日 - 2019年9月30日)は、日本出身の生物学者、顕微鏡学者。アメリカ合衆国国籍。駐ハンガリー公使井上庚二郎の長男としてイギリス・ロンドンで出生。末妹はピアニストの井上二葉。 細胞生物学における偏光顕微鏡、ビデオ顕微鏡の開祖とされ、著書「Video Microscopy」は、顕微鏡学者必携の名著である。井上以前には存在を疑問視すらされた紡錘体を直接観察することにより、その存在を最終的に証明し、長年にわたる論争に終止符を打った。また、レクチファイ偏光光学系など、偏光顕微鏡をはじめ各種の顕微鏡の革命的な技術を発明・開発してきた。
中田 一次(なかだ かずつぐ、1921年1月5日 - 200… 中田 一次(なかだ かずつぐ、1921年1月5日 - 2001年4月9日)は、日本の作曲家、指揮者、ファゴット奏者。童謡や宗教曲(キリスト教)などの作曲で知られる。筆名は楫山つとむ。 東京府豊多摩郡(後の東京市、現在の東京都渋谷区)出身東京音楽学校卒業。山形大学音楽科教授を経て、昭和音楽大学短期大学部名誉教授も務めた。日本フィルハーモニー交響楽団、東京管楽器協会などでファゴットとコントラファゴットを演奏、晩年は日本ファゴット(バスーン)協会会長を務めた。バッハ等古典作品のダブルリード合奏のための編曲も多く、またNHKラジオ「音楽の泉」テーマ曲として昭和30年代から40年代に流れたシューベルト「楽興の時」の編曲者でもある(番組テーマは後にピアノ独奏のものに変更。
御手洗 玄洋(みたらい げんよう、1921年〈大正10年〉1… 御手洗 玄洋(みたらい げんよう、1921年〈大正10年〉1月5日 - 2015年〈平成27年〉6月28日)は、日本の医学者。名古屋大学名誉教授。宇宙医学と視覚生理学の分野での功績で知られている。1995年(平成7年)、勲三等旭日中綬章受章。大分県佐伯市出身。 私生活では俳句と書道を嗜んだ。肺炎療養中であった俳人の山口誓子と知り合い、俳句を学んだ。 伯父はキヤノン創設者の御手洗毅。弟の御手洗冨士夫はキヤノン会長兼社長を務める。元キヤノン社長の御手洗肇は従兄にあたる。
元井 能(もとい ちから、1920年1月5日 - 1989年… 元井 能(もとい ちから、1920年1月5日 - 1989年3月28日)は、服飾史学者。 京都市出身。父は絵更紗の創始者・元井三門里(本名・翠。1885-1956)。1942年大阪外国語学校仏語科卒。1949年京都帝国大学文学部美学美術史卒。同大学院をへて、1957年京都市立美術大学講師、1963年助教授、1969年校名変更で京都市立芸術大学助教授、1970年教授。1985年定年退任、名誉教授。京都女子大学教授、京都市美術館館長。
佐藤 哲郎(さとう てつろう、1920年1月5日 - 200… 佐藤 哲郎(さとう てつろう、1920年1月5日 - 2004年1月23日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。福島県出身。 1941年(昭和16年)東京帝国大学法学部を卒業。この時に高等試験司法科に合格していたが、いったん三菱信託に入社。その後に陸軍に召集され、4年間中国戦線で軍隊生活を送った。 復員した後は同社に戻り、宝くじの街頭販売を経験したこともある。しかし、国民主権の日本国憲法下で新しくスタートした司法制度に魅力を感じて司法研修所に入り、卒業は1949年(昭和24年)で司法修習生の第1期生となった。 修習を終えてすぐに弁護士登録をした。しばらくはイソ弁(居候弁護士)を経験した。その時に手がけた婦女暴行事件の弁護で一、二審は無期懲役判決が出ていたが、判決の事実認定を詳細に点検すると、伝聞証拠、しかもあやふやな内容が多いことを見つけ、そこをついた弁護を行った結果、最高裁で認められて差し戻しとなり、最終的に無罪となった。
岡 光夫(おか みつお、1920年1月5日 - 2005年6… 岡 光夫(おか みつお、1920年1月5日 - 2005年6月6日)は、日本の日本農業経済史学者。 北海道出身。北海道大学農学部農業経済学科卒、同大学院中退、1961年「封建村落の経済的研究」で東京大学農学博士。兵庫農科大学講師、助教授、同志社大学経済学部助教授、教授。1990年定年、名誉教授。 2005年6月6日午後6時35分、肺炎のため茨城県水戸市の病院で死去。85歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
多賀谷 真稔(たがや しんねん、多賀谷眞稔、1920年1月5… 多賀谷 真稔(たがや しんねん、多賀谷眞稔、1920年1月5日 - 1995年4月9日)は、日本の政治家。日本社会党の衆議院議員、同党書記長。広島県呉市出身。正三位勲一等旭日大綬章。
相原 守(あいはら まもる、1919年1月5日 - 没年不明… 相原 守(あいはら まもる、1919年1月5日 - 没年不明)は、群馬県高崎市出身のプロ野球選手(外野手)。 高崎商業補習学校時代に甲子園出場はなし。中島飛行機製作所、全桐生を経て、1950年に国鉄スワローズに入団。26試合に出場するものの、目立った成績を残すことはできず、同年オフに退団。
関 晃(せき あきら、1919年(大正8年)1月5日 - 1… 関 晃(せき あきら、1919年(大正8年)1月5日 - 1996年(平成8年)4月20日)は、日本の歴史学者。東北大学名誉教授。専攻は日本古代史。熊本県飽託郡古町村(現・熊本市二本木)生まれ、東京都出身。
木原 正雄(きはら まさお、1918年1月5日 - 2008… 木原 正雄(きはら まさお、1918年1月5日 - 2008年6月24日)は、日本の経済学者。京都大学名誉教授。専門はソ連などの社会主義経済。 1918年、京都府京都市に生まれた。京都市立第一商業学校でロシア語を選択し、立命館大学経済学科に進んだ。同大学を1941年に卒業。1942年、満州国総務庁高等官試補、満洲建国大学高等官試補となった。1943年から1945年にかけて民族研究所に勤務。1945年、京都帝国大学講師となった。 1946年、京都帝国大学助手に昇進。1950年、京都大学経済学部助教授に昇進。1967年、経済学博士の学位を取得。1968年、京都大学教授に昇進。1970~1971年、1973~1974年には、経済学部長を務めた。
古茂田 守介(こもだ もりすけ、1918年〈大正7年〉1月5… 古茂田 守介(こもだ もりすけ、1918年〈大正7年〉1月5日 - 1960年〈昭和35年〉7月21日)は、昭和期の洋画家。新制作派協会物故会員。愛媛県道後村(現:松山市)出身。 人物画、静物画を得意分野とした。黄土色や暗褐色、くすんだ緑色等を主調として、色彩より形を重視し、均整のとれた構図の人物や静物を描いた。その色彩から、彫刻的な量感や実在感が作品に強く表れ、特別個性のある画風であった。戦後の日本美術で抽象表現主義の流行するなか、自身の信念を貫いて具象絵画を追究し続けた。 愛媛県道後村大字祝谷にて、元町会議員の父・文平の三男として生まれる。兄2人、姉1人、弟2人の6人兄弟。生まれながらにして喘息をかかえており、生涯闘病することとなる。
北條 誠(ほうじょう まこと、1918年1月5日 - 197… 北條 誠(ほうじょう まこと、1918年1月5日 - 1976年11月18日)は、日本の小説家、劇作家。
北條 誠(ほうじょう まこと、1918年1月5日 - 197… 北條 誠(ほうじょう まこと、1918年1月5日 - 1976年11月18日)は、日本の小説家、劇作家。 東京生まれ。1934年旧制府立一中(現・東京都立日比谷高等学校)を四修で卒業。1940年早稲田大学国文科卒。出征ののち、1943年東亜交通公社勤務。川端康成に師事し、1940年『埴輪と鏡』で芥川賞候補。戦後、鎌倉文庫に入社、編集をおこなう。1946年『寒菊』『一年』で野間文芸奨励賞受賞。1947年(昭和22年)、ラジオドラマ『向う三軒両隣』の脚本を八住利雄、伊馬春部、北村寿夫とともに交代で執筆。終戦直後の民主的で明るい人間関係を描くホームドラマは人気番組となった。1953年(昭和28年)『白扇』で直木賞候補。
家村 相太郎(いえむら そうたろう、1917年1月5日 - … 家村 相太郎(いえむら そうたろう、1917年1月5日 - 2005年)は、朝鮮京南生まれ、埼玉県川越市出身のプロ野球選手。 小学3年生の時に野球を始め、川越中学校では2年次に一塁手、3年次にはエースピッチャーとなり北関東大会決勝まで進んだが甲子園には出場できなかった。 1936年に東京セネタースへ入団。 1940年に退団し、翌年から社会人野球の全京城でプレーする。 1946年にセネタースへ復帰し、同年引退した。 引退後は天理高校、母校の川越高校、天理大学で野球部コーチと監督、習志野高校でコーチを務めた。
城丸 章夫(しろまる ふみお、1917年1月5日 - 201… 城丸 章夫(しろまる ふみお、1917年1月5日 - 2010年5月26日)は、日本の教育学者、千葉大学名誉教授。専攻は生活指導、教育経営学、体育理論。 石川県出身。1941年東京帝国大学文学部教育学科卒。千葉大学助教授、1969年同大学教授。1980年定年退官、名誉教授、前橋育英学園短期大学教授。平和主義の運動家でもあった。著作集全10巻がある。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
清美川 梅之(きよみがわ うめゆき、1917年1月5日 - … 清美川 梅之(きよみがわ うめゆき、1917年1月5日 - 1980年10月13日)は、秋田県平鹿郡十文字町(現在の横手市)出身で伊勢ヶ濱部屋所属の元大相撲力士、旧全日本プロレス所属の元プロレスラー。大相撲時代は、身長182cm、体重94kg。得意手は、左四つ、上手投げ、外掛け。最高位は、東前頭筆頭。 本名:佐藤 梅之助(さとう うめのすけ)。大相撲廃業後に入婿の形で結婚し、大橋 梅之助(おおはし うめのすけ)が本名となったが後に離婚、佐藤姓に戻している。 同郷の幡瀬川を頼って伊勢ヶ濱部屋に入門し、1934年1月場所で初土俵を踏む。当初の四股名は薩摩川。早くから有望視されるとともに順調に出世し、四股名を清美川と改名。
赤根谷 飛雄太郎(あかねや ひゅうたろう、1916年1月5日… 赤根谷 飛雄太郎(あかねや ひゅうたろう、1916年1月5日 - 1969年8月22日)は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(投手)、野球指導者(秋田市立秋田商業高等学校硬式野球部監督)。プロ野球史上、最も漢字名の長い(7文字)選手として知られる。 なお、「ヒユウタロウ」は誤読である。巨人の星の星飛雄馬風に「ヒュウタロウ」である。 秋田商業を経て、法政大学に進学すると、東京六大学野球で活躍を見せる。その後、社会人野球の秋田コンマーシャルクラブ・帝国石油でプレー。 1948年に32歳にして急映フライヤーズに入団。新人ながら加藤正二(35歳)に次ぐ高齢の選手だった。1年目は二軍の急映チックフライヤーズの監督を兼任しながらドロップを武器に一軍で12試合に登板し2勝を挙げるが、9月28日に行われた対金星戦(後楽園球場)で坪内道則に史上初の1000本安打を打たれてしまう。
大久保 竹治(おおくぼ たけじ、1916年〈大正5年〉1月5… 大久保 竹治(おおくぼ たけじ、1916年〈大正5年〉1月5日 - 2010年〈平成22年〉5月30日)は、日本の実業家。丸広百貨店グループ創業者。勲四等瑞宝章。日本百貨店協会常任理事、埼玉県公安委員長、川越商工会議所会頭などを務めた。 埼玉県入間郡飯能町(現在の飯能市)の製茶農家に5人兄弟妹の二男として生まれる。少年の頃に都心の百貨店をみた竹治は「こんな大きな店があったのか。いつの日にか自分の店を持ちたい」と思い、それが夢となり進学も就職も商業の道を進んだ。 飯能実業学校卒業後は東京都八王子市で衣料を扱う「丸木」で働き修行。1939年(昭和14年)に飯能で修行先の名前を借りて「丸木商店」を開店。
韓 泰淵(ハン・テヨン、朝鮮語: 한태연、1916年1月5日… 韓 泰淵(ハン・テヨン、朝鮮語: 한태연、1916年1月5日 - 2010年9月20日)は、大韓民国の法学者、大学教授、政治家、ジャーナリスト。第6・9・10代韓国国会議員。 本貫は清州韓氏。号は栗山(ユルサン、율산)。キリスト教徒。 咸鏡南道永興郡出身。早稲田大学法学部卒。高等文官試験行政科合格。成均館大学校、ソウル大学校法科大学、東国大学校、漢陽大学校、東亜大学校大学院で教授を務めたほか、ソウル新聞主筆、韓国憲法学会会長などを務めた。1963年の第6代総選挙で初当選以降、1973年から1980年までは維新政友会所属の第9・10代国会議員を務めた。1972年の朴正煕大統領時代には葛奉根らと共に維新憲法の制定に参加した。
永井 準(ながい じゅん、1915年(大正4年)1月5日 -… 永井 準(ながい じゅん、1915年(大正4年)1月5日 - 没年不詳)は、日本の実業家。米子今井書店元社長である。社団法人全国教科書供給協会 元理事副会長。 父は元鳥取県議会副議長永井貞録。境港市長を務めた安田貞栄の実兄。 1915年、永井貞録の三男として鳥取県境港市にて生まれた。鳥取県立米子中学校(現・県立米子東高等学校)、旧制山口高等学校を経て、1941年に東京帝国大学法学部卒業。同年、兵役に就く(陸軍主計中尉)。 1947年に鳥取県教科図書販売社長、1952年に富士書店社、1954年に全国教科書供給協会理事副会長、1971年に鳥取県書店組合理事長、日書連理事を歴任し、同年鳥取県印刷工業組合理事・副理事長に就任した。
木村 彰一(きむら しょういち、1915年1月5日 - 19… 木村 彰一(きむら しょういち、1915年1月5日 - 1986年1月18日)は、日本のロシア文学者、翻訳家。東京大学名誉教授。専門はロシア文学、スラブ文学。 1915年、ドイツ文学研究者・木村謹治の長男として、現在の秋田県五城目町にあたる南秋田郡大川村で生まれた。成蹊高等学校を経て、1934年、東京帝国大学文学部言語学科に入学し、西洋古典語を専攻。1937年に同学言語学科を卒業し、副手として大学に残る傍ら、同年4月に旧制日本医科大学予科講師となり、翌1938年、同予科教授に就任してラテン語を教えた。その間、東京外国語学校(現・東京外国語大学)専攻科(夜学)2年に入学し、八杉貞利にロシア語を学んだ。
中垣内 勝久(なかがいち かつひさ、1915年1月5日 - … 中垣内 勝久(なかがいち かつひさ、1915年1月5日 - 1991年7月2日)は、三重県出身のサッカー選手、サッカー指導者。 東京文理科大学附置東京高等師範学校体育科の在学中より蹴球部に所属。在学中の1935年6月に開催された全日本蹴球選手権大會(第15回天皇杯全日本サッカー選手権大会)に松永行らと出場して準優勝の成績を残した。 1939年に卒業して京都府庁で勤務。また、同時期に東京文理科大学教育学部に進学して、1945年に卒業している。なお、1940年6月に開催された紀元二千六百年奉祝東亜競技大会のサッカー日本代表に選出されたが、出場機会は無かった。なお、1951年12月に開催された親善試合のヘルシンボリIF戦で日本代表として出場を果たした。
石井 輝司(いしい てるじ、1915年1月5日 - 1996… 石井 輝司(いしい てるじ、1915年1月5日 - 1996年4月22日)は、日本の実業家。大正製薬2代目社長、明治薬科学園第5代理事長。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。