谷口 孝男(たにぐち たかお、1942年6月5日 - 202… 谷口 孝男(たにぐち たかお、1942年6月5日 - 2025年5月29日)は、日本の実業家、元アイシン・エイ・ダブリュ代表取締役社長。 1965年(昭和40年)、名古屋大学工学部卒業。同年、愛知工業(現アイシン)に入社。1969年(昭和44年)にアイシンワーナー(現アイシン)に転出し、2001年(平成13年)には同社代表取締役社長に就任。2008年(平成20年)からは顧問・技監に退いている。 また、アイシン・エイ・ダブリュの男子バスケットボールチームであるアイシン・エィ・ダブリュ アレイオンズ安城の名誉顧問も務めた。 2025年(令和7年)5月29日死去。82歳没。没後に正五位に叙された。
井上 和久(いのうえ かずひさ、1941年6月5日 - )は… 井上 和久(いのうえ かずひさ、1941年6月5日 - )は、日本の政治家。元公明党衆議院議員(1期)。元公明党愛媛県議会議員(4期)。元公明党松山市議会議員(2期)。 愛媛県松山市出身。1966年、松山商科大学短期大学部中退。1978年、松山市議会議員選挙に公明党公認で立候補し初当選。1983年、再選。1986年、第38回衆議院議員総選挙に旧愛媛1区から公明党公認で立候補し初当選。愛媛県選出の公明党公認国会議員の初例となる。公明党愛媛県本部代表に就任。1990年、第39回衆議院議員総選挙で落選。1991年、愛媛県議会議員選挙松山市選挙区に公明党公認で立候補し初当選。1995年、公明から立候補して再選。
城山 昇(しろやま のぼる、1940年6月5日 - )は、日… 城山 昇(しろやま のぼる、1940年6月5日 - )は、日本の脚本家。栃木県宇都宮市出身。早稲田大学演劇科卒。日本放送作家協会会員。 テレビアニメ『サザエさん』など、主にアニメの脚本家として活動している。 三人兄弟の長男として、東京都に生まれる。実家は商家で、栃木県宇都宮市で育つ。 少年時代から学芸会の劇で脚本・演出・主演を全て務めるなど活躍。大学生の頃から脚本の仕事に惹かれ、アメリカ製アニメの脚本の翻訳のアルバイトをしていた。 早稲田大学演劇科卒業後、日本テレビジョン株式会社(TCJ)に入社し、テレビアニメの企画書制作に従事。退社後に、フリーの脚本家へ転身した。 2014年、東京アニメアワード2014にて功労賞を受賞。
松波 弘之(まつなみ ひろゆき、1939年6月5日 - )は… 松波 弘之(まつなみ ひろゆき、1939年6月5日 - )は、日本の工学者。京都大学名誉教授、京都先端科学大学特任教授。工学博士(京都大学)。大阪市出身。 炭化ケイ素(SiC)という、従来は研磨材や耐熱材料としての利用しかなかった材料の半導体材料としての可能性に早くから注目し、20年以上の試行錯誤の末、SiC 薄膜作製法において、結晶面に適度な傾斜角を導入することによって、結晶成長を制御する方法を見出し、世界で初めて結晶多形混在のない高品質SiCのエピタキシャル成長に成功した。その後、高耐圧・低損失のSiC ショットキーバリアダイオード、高性能SiC電界効果トランジスタを実現し、既存のシリコン半導体では実現できない高性能なパワーデバイスがSiCにより実現できることを世界で初めて実証し、SiCの半導体材料としての地位を確立した。
津守 滋(つもり しげる、1939年6月5日 - 2021年… 津守 滋(つもり しげる、1939年6月5日 - 2021年9月29日)は、日本の外交官。クウェート駐箚特命全権大使、ミャンマー駐箚特命全権大使を歴任した。 1939年(昭和14年)大阪府泉大津市出身。弁護士を志し、大阪大学法学部中退後、1962年京都大学法学部を卒業し、法務省入国管理局に入る。1964年旧司法試験及び外交官試験に合格し、1965年外務省に入省。入省後は当時の西ドイツにあるチュービンゲン大学に留学。 外務省経済局国際機関第二課長(1981年4月)、後藤田正晴内閣官房長官秘書官(1982年11月)、アジア局地域政策課長(1984年1月)、駐ソ連大使館参事官(1984年7月)、OECD(経済協力開発機構)代表部参事官(1986年11月)、駐ミュンヘン総領事(1988年10月)、駐独公使(1990年3月)、欧亜局審議官(1992年1月)、駐ベルリン総領事(1994年8月)を経て、クウェート駐箚特命全権大使(1998年2月~2000年4月)、ミャンマー駐箚特命全権大使(2000年4月~2002年7月)を務めた。
稲垣 隆(いながき たかし、1938年6月5日 - 没年不詳… 稲垣 隆(いながき たかし、1938年6月5日 - 没年不詳)は、日本の映画俳優。神奈川県出身。 京都外国語大学卒業。1961年に東宝と契約し、『紅の海』でデビュー。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
岡本 勝(おかもと まさる、1938年6月5日 - 2007… 岡本 勝(おかもと まさる、1938年6月5日 - 2007年3月11日)は、日本の国文学者。近世俳諧が専門。 三重県生まれ。名古屋大学大学院国文学博士課程中退。1989年に「近世俳壇史新攷」で文学博士。帝塚山短期大学助教授、愛知教育大学助教授、教授を経て、2002年に定年退官、名誉教授、中部大学教授。
神谷 忠孝(かみや ただたか、1937年6月5日 - )は、… 神谷 忠孝(かみや ただたか、1937年6月5日 - )は、日本近代文学研究者(昭和文学)。北海道大学名誉教授。北海道立文学館第4代理事長。 北海道帯広市生まれ。北海道帯広三条高等学校を経て、1962年北海道大学文学部国文科卒(恵迪寮OB)。67年同大学院博士課程中退。帯広大谷短期大学助教授、70年中央大学助教授。76年北海道大学助教授、のち教授、2001年定年退官、名誉教授。北海道文教大学外国語学部教授。2014年北海道新聞文化賞、2016年北海道文化賞受賞。 札幌市厚別区在住。2011年から、サンピアザ劇場で上演された優秀な作品を表彰する「神谷演劇賞」を自費で主催した。
牧野 伸(まきの のぼる、1937年6月5日 - )は、福井… 牧野 伸(まきの のぼる、1937年6月5日 - )は、福井県出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球審判員。 武生高校ではエースとして1954年夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で新宮高の前岡勤也と投げ合い0-2で惜敗。高校同期の田中平八郎とともに、1956年に東映フライヤーズに入団。その年ルーキーながら開幕投手を務め、翌年には15勝をマークするなど将来を嘱望されていたが、3年目の1958年から調子が下がり始め、1961年オフに近鉄バファローズに移籍。1964年には久保征弘に次ぐ27試合に先発し8勝をあげるが、その後は登板機会が漸減し、1968年限りで現役を引退した。スリークォーターからのスライダー、シュートが武器。
宮田 和明(みやた かずあき、1937年6月5日 - 201… 宮田 和明(みやた かずあき、1937年6月5日 - 2010年2月5日)は、日本の社会福祉学者。第5代日本福祉大学学長。 愛知県豊橋市出身。豊橋市立福岡小学校、豊橋市立南部中学校、愛知県立時習館高等学校を経て、1961年名古屋大学経済学部卒。1963年同大学院経済学研究科修士課程修了、1966年同博士課程単位取得満期退学。1998年「現代日本社会福祉政策論」で東洋大学より博士(社会福祉学)の学位を取得。名大経済学部助手、1969年日本福祉大学講師、1976年助教授、1983年教授、1991年社会福祉学部長、1993年副学長、2003-09年学長。名誉教授。
相田 武文(あいだ たけふみ、1937年6月5日 - )は、… 相田 武文(あいだ たけふみ、1937年6月5日 - )は、日本の建築家。積み木の家シリーズで知られる。 芝浦工業大学教授を歴任。株式会社相田土居設計 創業者・顧問。工学博士。東京都生まれ。公益社団法人日本建築家協会(JIA)名誉会員。 1960年、早稲田大学卒業。1962年、早稲田大学大学院修士課程修了。1966年早稲田大学大学院博士課程修了。 1967年、相田武文都市建築研究所設立。1977年、芝浦工業大学教授就任 相田武文設計研究所に改称。2013年株式会社相田土居設計に改組(創業者・顧問)。2015年JIA名誉会員。さいたま市景観表彰選考会会長ほか要職多数。 芝浦工業大学の大学賞として、相田武文記念賞がある。
野本 亀久雄(のもと きくお、1936年6月5日 - )は、… 野本 亀久雄(のもと きくお、1936年6月5日 - )は、日本の免疫学者。愛媛県松山市生まれ。九州大学名誉教授、元社団法人日本臓器移植ネットワーク理事長、元日本移植学会理事長。九州大学生体防御医学研究所の創立者。九州大学医学部卒業、九州大学大学院修了。 野本教授は生命科学を理解するための新しい学問領域として「生体防御学」を提唱し、その理論体系である生体防御論の確立と科学的実証を行ってきた。生体防御論では、生体防御機構を、外来異物あるいは異物的自己を排除することにより生体の恒常性を維持するメカニズムの全体と位置付けている。現在では、この「生体防御」が学術用語として定着し、大きな学問領域として認知されるに至った。
髙野 公男(たかの きみお、1936年6月5日 - 2015… 髙野 公男(たかの きみお、1936年6月5日 - 2015年6月6日)は、日本の都市計画家、建築家で「まちづくり家」と称した。東北芸術工科大学名誉教授。マヌ設計連合(現マヌ都市建築研究所)創始者。 山形県都市計画審議会会長、日本学術会議社会環境工学研究連絡委員会都市地域計画専門委員会委員長、最上川水系流域委員会委員、草加市緑の基本計画策定委員会委員長、出羽三山地域世界遺産登録 育成推進委員会委員長などを歴任。専門は建築学、都市計画・都市防災計画など。一級建築士、技術士。工学博士。 神奈川県横須賀市逸見町生まれ。1959年(昭和34年)千葉大学工学部建築学科卒業。東京大学生産技術研究所研究生に。
影山 昇(かげやま のぼる、1935年6月5日 - )は、日… 影山 昇(かげやま のぼる、1935年6月5日 - )は、日本の教育学者、東京水産大学名誉教授。 1935年、静岡市生まれ。1954年、静岡県立静岡高等学校卒業。静岡大学教育学部小学校教員養成課程卒業、東京大学大学院教育学研究科博士課程中退。群馬県、静岡県の中学校・高校教諭を経て、1979年、愛媛大学教授、1984年、東京水産大学教授。1996年、「人物による水産教育史研究」で東京水産大学博士(水産学)。1999年、定年退官、名誉教授。その後、成城大学文芸学部で非常勤講師を務めた。 2015年春の叙勲で瑞宝中綬章受章。
中川 十郎(なかがわ じゅうろう、1935年(昭和10年)6… 中川 十郎(なかがわ じゅうろう、1935年(昭和10年)6月5日 - )は、日本の経営学者、元東京経済大学経営学部教授。日本ビジネスインテリジェンス協会の会長。 2.元総合商社駐在員・中川十郎氏の履歴書・ニューヨーク編(1) 3.元総合商社駐在員・中川十郎氏の履歴書(1)国際情報戦で日本車1,600台受注
交楽 龍弾(まずら りゅうだん、1935年〈昭和10年〉6月… 交楽 龍弾(まずら りゅうだん、1935年〈昭和10年〉6月5日 - 2007年〈平成19年〉12月27日)は、日本の画家、書家、歌手。東京府出身。越智松平家第12代当主。美作浜田会顧問、日本占い師連盟総裁、宮崎インターネット大学校名誉教授、NPO法人日本少子化対策協議会総裁、総合藝術文化財団最高顧問などの肩書きがあった。交楽 竜弾とも表記する。本名は松平 武龍(まつだいら ぶりゅう)。別名は松平 龍門(まつだいら りゅうもん)。 1935年(昭和10年)6月5日、画家松島正幸と松平鈴子(越智松平家第9代当主松平武修(たけなが)の長女)の長男として生まれる。生まれた時の姓名は松島正迪。関西学院大学文学部美学科卒業、関西学院大学大学院哲学科中退。
今井 泉(いまい いずみ、1935年6月5日 - 2013年… 今井 泉(いまい いずみ、1935年6月5日 - 2013年3月7日)は、日本の小説家。 1935年、高知県高知市に生まれる。1958年神戸商船大学航海科卒業後、同年、国鉄に入社。青函連絡船に乗務し、1970年に船長となる。1981年に宇高連絡船に移り、船長、航路監督を歴任する。 勤務の傍ら執筆活動を行い、1977年に函館市民文芸賞を受賞、1978年、1979年に国鉄文芸年度賞を受賞。1980年に『二等航海士石川達雄』を出版。1984年に『死の海図』で香川菊池寛賞を受賞 1988年4月の宇高航路連絡船廃止を期に3月にJRを退職、執筆活動に専念。 1984年『溟い海峡』、1993年『ガラスの墓標』で直木賞候補。
藤本 隆志(ふじもと たかし、1934年6月5日 - )は、… 藤本 隆志(ふじもと たかし、1934年6月5日 - )は、日本の哲学者、東京大学名誉教授。 東京生まれ。1958年国際基督教大学教養学部卒。1960年東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程修了、1961年米国カンザス大学大学院中退、1966年東京大学大学院博士課程単位取得満期退学。1972年北海道大学文学部助教授、1982年東京大学教養学部助教授、1985年教授、1995年定年退官、名誉教授、千葉大学文学部教授、2000年日本大学文理学部・総合文化研究所教授。2005年退職。 1968年および1978年に日本翻訳文化賞受賞。ウィトゲンシュタイン、ホワイトヘッド、カール・ポパーなど英国哲学を研究、翻訳した。
後藤 鉄男(ごとう てつお、1931年6月5日- 1982年… 後藤 鉄男(ごとう てつお、1931年6月5日- 1982年12月16日)は、日本の物理学者(素粒子論・場の量子論)。1970年に南部陽一郎が弦理論を提唱した後、南部と独立に南部-後藤のラグランジアン(南部=後藤作用)を提案した。 新潟県出身。旧制佐渡中学(現・新潟県立佐渡高等学校)、旧制新潟高等学校を経て新潟大学医学部に入学。後に理学部に転科した。 1958年大阪大学博士課程修了、日本大学理工学部教授となった。肺癌のため51歳で死去。
中原 道夫(なかはら みちお、1931年6月5日 - 202… 中原 道夫(なかはら みちお、1931年6月5日 - 2025年9月18日[要出典])は、日本の詩人。 埼玉県所沢市生まれ。1952年東京学芸大学学芸学部国語科に入学。日本電信電話公社東京中央電信局に勤務しながら通学し、1954年に詩誌「棘」創刊。1956年板橋区立桜川小学校に着任。同年処女詩集『石の歌』を上辞。同年「埼玉詩人クラブ」結成に参加。1992年教職を退き、都立中央図書館に非常勤の嘱託として勤務。 所属「棘」「光線」「花粉」「閃」同人を経て、現在「柵」「日本未来派」同人。「金沢文学」特別同人。「い」編集発行人。 日本ペンクラブ、日本文芸家協会、日本現代詩人会会員、日本詩人クラブ常任理事、日本現代詩歌文学館評議員、埼玉文芸家集団刊行委員長など。
梅津 明治郎(うめつ めいじろう、1930年6月5日 - 没… 梅津 明治郎(うめつ めいじろう、1930年6月5日 - 没年不明)は日本の映画監督。 1930年に佐賀県で生まれる。1955年に九州大学大学院を中退後、松竹京都撮影所に入社。 影響を受けた人物に宮島義勇と渡辺邦男がいたが、同僚と師匠を持たないことを申し合わせた。松竹の労働組合京都分会委員長を務めたこともある。 1964年に『忍法破り 必殺』で監督としてデビュー。1965年に松竹大船撮影所へ移り作品を撮り続けていたが、1976年の『狭山事件造花の判決』撮影のために松竹を退社し、フリーとなった。 以後はテレビドキュメンタリー作品の監督がメインとなり、特に滋賀県を舞台にした作品が多く、びわ湖放送の番組であった 「〜近江〜 その歴史と現代」では県内各地の撮影に奔走した。
阪本 寧男(さかもと さだお、1930年(昭和5年)6月5日… 阪本 寧男(さかもと さだお、1930年(昭和5年)6月5日 - )は、日本の農学者、京都大学名誉教授。 京都府京都市生まれ。1954年(昭和29年)京都大学農学部農林生物学科卒業、1965年(昭和40年)農学博士。1962年(昭和37年)アメリカ・ミネソタ州立大学修士課程修了。1954年(昭和29年)国立遺伝学研究所研究員、1974年(昭和49年)京都大学農学部助教授、1984年(昭和59年)教授となる。1994年(平成6年)定年退官、名誉教授、龍谷大学教授を務め、2011年(平成23年)退職。
掛井 五郎(かけい ごろう、1930年(昭和5年)6月5日 … 掛井 五郎(かけい ごろう、1930年(昭和5年)6月5日 - 2021年(令和3年)11月22日)は、日本の彫刻家である。 静岡県に生まれる。19歳のときに木内克に師事し、彫刻家を志す。1953年東京藝術大学彫刻科卒業。1957年、第21回新制作協会展にて新作家賞を受賞し、以後団体を退会する2001年まで新制作協会を中心に活動。1962年には青山学院女子短期大学芸術学科の教授、1968年にはベラクルス大学(メキシコ)の客員教授に就任。 彼の作品はユーモアのある作風であり、以降も多くの賞で受賞する。掛井は立体作品を軸に、油彩、ドローイング、エッチングやリトグラフなど幅広いメディウムと技法で自由な制作を続けた作家で日本の戦後の彫刻家としてもその名が知られています。
津村 節子(つむら せつこ、1928年〈昭和3年〉6月5日 … 津村 節子(つむら せつこ、1928年〈昭和3年〉6月5日 - )は、日本の小説家。勲等は旭日中綬章。本名は吉村 節子(よしむら せつこ、旧姓北原)。日本芸術院会員、文化功労者。名誉三鷹市民。 福井県福井市生まれ。1965年「玩具」で芥川賞、1990年『流星雨』で女流文学賞、1998年『智恵子飛ぶ』で芸術選奨文部大臣賞、2003年「長年にわたる作家としての業績」で恩賜賞・日本芸術院賞受賞。同年日本芸術院会員となる。2011年「異郷」で川端康成文学賞受賞。ふるさと五部作に『炎の舞い』、『遅咲きの梅』、『白百合の崖』、『花がたみ』、『絹扇』がある。夫も小説家の吉村昭。
小沢 信男(おざわ のぶお、1927年6月5日 - 2021… 小沢 信男(おざわ のぶお、1927年6月5日 - 2021年3月3日)は、日本の作家。 山下清の生涯を書いた『裸の大将一代記』で知られる。 東京市(現東京都港区)新橋出身。1947年東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)を卒業。日本大学芸術学部に進学し、在学中に「新日本文学」に参加。「江古田文学」に掲載された「新東京感傷散歩」が花田清輝に認められる。 卒業後、小説・詩・戯曲・評論・俳句・ルポルタージュなど多岐にわたる執筆活動を展開し、著書多数。特に、東京・犯罪などの研究・執筆において、先駆者的な仕事をしている。 上野のタウン雑誌「うえの」の編集者をつとめた。 2000年に『裸の大将一代記 - 山下清の見た夢』で桑原武夫学芸賞受賞。
金井 圓(かない まどか、1927年6月5日 - 2001年… 金井 圓(かない まどか、1927年6月5日 - 2001年7月7日)は、日本の歴史学者。専攻は日本近世史。特に近世から近代にかけての対外交流史関係の著作が多い。 長野県東筑摩郡里山辺村(松本市)出身。旧制岡谷市立中学(現在の長野県岡谷南高等学校)を経て、1948年旧制松本高等学校文科乙類卒業、1951年東京大学文学部国史学科卒業。1956年同大学院人文科学研究科中退。1951年東京大学史料編纂所に入所、1962年助手、1971年助教授、1976年教授、1987年「日蘭交渉史の研究」で東大文学博士。1988年定年退官、名誉教授。 『神奈川の写真誌』全5巻、石井光太郎 共編 有隣堂 1970-1971年。
金井 圓(かない まどか、1927年6月5日 - 2001年… 金井 圓(かない まどか、1927年6月5日 - 2001年7月7日)は、日本の歴史学者。専攻は日本近世史。特に近世から近代にかけての対外交流史関係の著作が多い。
安東 仁兵衛(あんどう じんべえ、1927年6月5日 - 1… 安東 仁兵衛(あんどう じんべえ、1927年6月5日 - 1998年4月24日)は、日本の社会主義者。構造改革派の論客。筆名は笹田 繁(ささだ しげる)。 旧制水戸高校在学中の1948年に日本共産党に入党。東京大学在学中は、沖浦和光とともに東大細胞や学生運動のリーダーとして活躍。イールズ闘争に関与し、東京大学戦後初の退学処分を受ける。 その後、主に日本共産党の文京地区委員会の常任活動家として類いまれな行動力で党活動に献身。50年問題などを克服する過程では国際派の宮本顕治に期待を託し、日本共産党第7回大会での宮本書記長の実現に現場の活動家として貢献。 その後、日本共産党内の構造改革派の論客となり、1959年5月、長洲一二らとともに雑誌『現代の理論』創刊に参加(同年9月終刊)。
相原 巨典(あいはら きょすけ、1927年6月5日 - 19… 相原 巨典(あいはら きょすけ、1927年6月5日 - 1990年3月2日)は、日本の俳優。本名は相原 巨介。 東京府東京市蒲田区出身。日本大学芸術学部映画学科中退。東宝、日活 を経て、東京俳優生活協同組合に所属していた。 1946年、東宝ニューフェイス第1期に合格。1955年に日活へ移籍。映画やテレビドラマなどで脇役として活躍した。 1990年3月2日、狭心症のため死去。62歳没。 特技は柔道、乗馬、殺陣。
宮川 三郎(みやがわ さぶろう、1925年6月5日 - 19… 宮川 三郎(みやがわ さぶろう、1925年6月5日 - 1945年6月6日)は、大日本帝国陸軍軍人。 1925年に、新潟県北魚沼郡城川村(現・小千谷市)で農業を営む宮川松太郎・マツの8人の子供の末っ子として誕生。非常に読書好きで算術と理科が得意だったことから、教育熱心な父に薦められて新潟県立工業学校(旧制 現・新潟県立長岡工業高等学校)へ進学すると、卒業するまで首席だった。高校時代は、クラスの学級長を松崎義勝と競い合うほどで、運動神経抜群・性格温厚・成績優秀と三拍子揃った美男子の三郎は、一躍村の人気者になった。 1941年に新潟県立工業学校を卒業すると、第三設計課に在籍中で高校の先輩だった大野敬三の誘いで立川飛行機へ入社する。
岩波 一寛(いわなみ かずひろ、1925年6月5日 - 没年… 岩波 一寛(いわなみ かずひろ、1925年6月5日 - 没年不詳)は、日本の経済学者。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、陸軍士官学校、中央大学経済学部卒業。1950年立正大学助手、のち助教授を経て、1963年中央大学経済学部助教授、1966年教授。同大学多摩キャンパス移転時に経済学部長を務めていた。法政大学や武蔵大学の講師を兼任した。定年退官後、同大学名誉教授。門下生に緒方俊雄中央大学名誉教授がいる。
古川 薫(ふるかわ かおる、1925年6月5日 - 2018… 古川 薫(ふるかわ かおる、1925年6月5日 - 2018年5月5日)は、日本の小説家。妻は歌人の森重香代子。 山口県下関市出身、18歳で航空機製造会社に入社し、1945年に召集され、兵庫県・丹波篠山の航空通信連隊で教育期間中、終戦を迎えた。 復員し宇部市立高等学校(現:山口県立宇部中央高等学校)定時制に編入学、1953年に山口大学教育学部を卒業。中学教師を経て山口新聞社に入り、記者や編集局長を務める。1970年に退社し作家専業となった。 郷土作家として、作品の大多数は、戦国期の毛利家、幕末期の長州藩、明治維新後の山口県(周防国・長門国)の関連人物を取り挙げた歴史小説・随筆であった。 古川は、芥川賞受賞作家の火野葦平の講演を2度聴いている。
湯浅 泰雄(ゆあさ やすお、1925年(大正14年)6月5日… 湯浅 泰雄(ゆあさ やすお、1925年(大正14年)6月5日 - 2005年(平成17年)11月9日)は、日本の哲学者。桜美林大学名誉教授。 福岡県出身。東京大学文学部倫理学科、同大学経済学部卒、同大学院修士課程修了。1973年「近代日本の哲学と実存思想」で東大文学博士。山梨大学助教授、教授、1975年大阪大学に新設された日本学の教授、1981年筑波大学教授、1989年に定年退官し桜美林大学教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
成瀬 悟策(なるせ ごさく、1924年6月5日 - 2019… 成瀬 悟策(なるせ ごさく、1924年6月5日 - 2019年8月3日)は、日本の臨床心理学者、臨床心理士。医学博士。九州大学名誉教授、元吉備国際大学教授。日本リハビリテイション心理学会名誉理事長、日本臨床動作学会名誉会長。正四位。 岐阜県生まれ。東京高等師範学校を経て、1950年に東京文理科大学心理学科を卒業後、1951年から1953年まで東京文理科大学助手、1953年から1962年まで東京教育大学助手・講師、1962年から1988年まで九州大学教育学部助教授、同教授。1988年、臨床心理士第1号(日本臨床心理士資格認定協会)。1989年から1993年まで九州女子大学・九州女子短期大学の学長を務める。
長富 政武(ながとみ まさたけ、1923年6月5日 - 20… 長富 政武(ながとみ まさたけ、1923年6月5日 - 2000年3月14日)は、山口県出身のプロ野球選手。
福田 武(ふくだ たけし、1921年〈大正10年〉6月5日 … 福田 武(ふくだ たけし、1921年〈大正10年〉6月5日 - )は、日本の政治家。元栃木県鹿沼市長(2期)。 栃木県出身。旧制宇都宮中学校(現・栃木県立宇都宮高等学校)、慶應義塾普通部を経て、慶應義塾大学経済学部卒。卒業後は陸軍に入隊する。 戦後は地元で肥料商を始め、鹿沼相互信用金庫に入り、理事長、会長となる。ほか、鹿沼商工会議所会頭、栃木県信用金庫協会会長、全国信用金庫協会理事などを歴任する。 1992年(平成4年)鹿沼市長稲川武が2回目の当選を決めた直後に急逝したために行われた市長選挙に立候補し、対立候補に大差を付け、当選。1996年(平成8年)に再選。2000年(平成12年)に三選を目指したが、元鹿沼市議会議長の阿部和夫に敗れた。
冨原 芳彰(ふはら よしあき、1921年6月5日 - 198… 冨原 芳彰(ふはら よしあき、1921年6月5日 - 1988年1月26日)は、英文学者、筑波大学名誉教授。 静岡県御殿場市生まれ。1944年東京文理科大学英文科卒、兵役ののち、研究社入社、『英語青年』の編集にあたる。1959-1960年ハーヴァード大学に留学。一橋大学社会学部助教授、筑波大学教授、1979-1980年日本英文学会会長。1985年定年退官、大妻女子大学教授。1988年、在職中に心筋梗塞のため死去。 シェイクスピアが専門、福原麟太郎に師事した。しばしば富原芳彰と表記される。
赤桐 操(あかぎり みさお、1920年6月5日 - 2010… 赤桐 操(あかぎり みさお、1920年6月5日 - 2010年6月21日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。参議院議員(日本社会党→社会民主党)。参議院副議長(第21代)。 千葉県銚子市出身。千葉県立匝瑳中学校卒業後、銚子郵便局に就職した。1946年に同局の従業員組合の委員長に選出された。1949年、全逓信従業員組合(日本郵政公社労働組合の前身)の千葉地区本部書記長、1960年には県労働組合連合協議会議長に選出されて1974年までの14年の間務めた。 1974年の第10回参議院議員通常選挙に千葉地方区から日本社会党公認で立候補し初当選。連続当選4回。党参議院議員会長などを経て、1992年8月から1995年8月まで参議院副議長を務めた。
栗原 祐幸(くりはら ゆうこう、1920年〈大正9年〉6月5… 栗原 祐幸(くりはら ゆうこう、1920年〈大正9年〉6月5日 - 2010年〈平成22年〉6月1日)は、日本の政治家。位階は正三位。 防衛庁長官、労働大臣、衆議院議員(7期)、参議院議員(2期)を務めた。長男は沼津市長や衆議院議員を務めた栗原裕康。 静岡県田方郡中郷村(現三島市)の生まれ。東京府立第八中学校、佐賀高等学校文科甲類を経て1944年東京帝国大学法学部卒業。学徒出陣により中国に出征する。軍隊時代に上官を殴打するなど、若い頃から鼻っ柱が強い性格だった。 戦後、栗原は東大時代の恩師である南原繁より、「戦前の日本は優秀な人材が官僚組織や軍部に集中して民間の裾野が手薄になり、権力の暴走をくい止めることができなかった。
卓 庚鉉(たく・こうげん、タク・キョンヒョン、朝鮮語: 탁경… 卓 庚鉉(たく・こうげん、タク・キョンヒョン、朝鮮語: 탁경현、1920年6月5日 - 1945年5月11日)は、大日本帝国陸軍軍人、朝鮮人特攻隊員。日本名は光山文博。 1920年に慶尚南道で生まれ、京都府の立命館中学校、京都薬学専門学校を卒業する。1943年10月、特別操縦見習士官一期生に合格し、鹿児島県知覧にあった大刀洗陸軍飛行学校知覧分教所に赴任する。1944年10月には陸軍少尉に任官する。 1945年5月11日、戦闘機の隼にて出撃、沖縄飛行場西海面で戦死した。没後、二階級特進で大尉となった。 出撃の前日、富屋食堂の鳥濱トメに自身が朝鮮人ということを明かした上で、アリランを歌ったというエピソードが有名である。
渡邉 暁雄(わたなべ あけお、1919年(大正8年)6月5日… 渡邉 暁雄(わたなべ あけお、1919年(大正8年)6月5日 - 1990年(平成2年)6月22日)は、日本の指揮者、教育者。鳩山一郎は義父にあたる。 1919年、巣鴨のルーテル教会の日本人牧師・渡邉忠雄を父とし、フィンランド人の声楽家・渡邉シーリを母として、東京府で生まれた。兄は共同通信社で重責を歴任したジャーナリストの渡邉忠恕。妻の信子は鳩山一郎の五女。長男の渡邉康雄(指揮者)、次男の渡邉規久雄(ピアニスト)とも芸術系の大学教授を務める音楽家。声楽家の母に幼少時から音楽の手ほどきを受けたほか、5歳でピアノを、10歳でヴァイオリンを始める。1940年、東京音楽学校(現東京芸術大学)本科器楽科(ヴァイオリンを専攻)卒業後、研究科に進みヴァイオリン・ヴィオラ奏者として活動。
山脇 百合子(やまわき ゆりこ、1918年6月5日 - 20… 山脇 百合子(やまわき ゆりこ、1918年6月5日 - 2019年1月31日)は、英文学者、実践女子大学名誉教授。 東京で童話作家・横山寿篤、横山美智子の長女として生まれる。1936年3月に女子学院卒業、1940年3月に東京女子大学英文科卒業、1942年3月に早稲田大学英文科業卒。早稲田大学文学部大学院に1年間在籍。1944年4月に啓明学園女学校で英語教師になった後の同年10月から1947年4月まで朝日新聞東京本社に勤める。英国文化振興会の奨学金を利用して1952年7月から1953年10月までリヴァプール大学大学院に留学。 1954年4月、東京女子大学講師。 1957年4月、女子美術大学講師。 1958年4月、実践女子学園短期大学講師。
吉川 悦次(よしかわ えつじ、1918年(大正7年)6月5日… 吉川 悦次(よしかわ えつじ、1918年(大正7年)6月5日 - 1993年7月21日)は、日本の政治家。大阪府大阪狭山市長(8期)。 大阪府南河内郡狭山村(のち狭山町、現・大阪狭山市)出身。1935年(昭和10年)狭山高等小学校卒業。1951年(昭和26年)狭山村役場に入り、土木建設、厚生衛生、水道の各課長などを経て、1962年(昭和37年)9月、狭山町長に当選する。 町長在任中に役場新庁舎、町立公民館・図書館・総合体育館などが完成し、町の人口は増えて、6期目の1985年(昭和60年)には5万人を突破した。7期目の1987年(昭和62年)に狭山町は市制施行し、「大阪狭山市」となり、初代市長に就任した。
中島 河太郎(なかじま かわたろう、1917年6月5日 - … 中島 河太郎(なかじま かわたろう、1917年6月5日 - 1999年5月5日)は、日本のミステリー文学評論家、アンソロジスト、国文学者。本名は、中嶋馨(なかじま かおる)。日本推理作家協会第7代理事長。日本ミステリー文学大賞受賞者。和洋女子大学元学長・名誉教授。江戸川乱歩の薫陶を受けた推理小説研究の第一人者で、推理小説に加え国文学・民俗学の書誌学者としても知られる。別名に小城魚太郎、石羽文彦、玉井一二三。 鹿児島県鹿児島市生まれ。鹿児島県立第一鹿児島中学校、第七高等学校造士館を経て、東京帝国大学文学部国文科で中世説話文学を専攻する。旧制中学時代から兄の影響で「新青年」を読み始め、探偵小説に親しむ。
齋藤 真成(さいとう しんじょう、1917年〈大正6年〉6月… 齋藤 真成(さいとう しんじょう、1917年〈大正6年〉6月5日 - 2019年〈令和元年〉11月19日)は、日本の僧、洋画家、元・真正極楽寺(真如堂)第53世貫主、元・京都教育大学教授、元・成安女子短期大学講師、愛知県名古屋市出身。
金井 南龍(かない なんりゅう、1917年6月5日 - 19… 金井 南龍(かない なんりゅう、1917年6月5日 - 1989年2月27日)は、日本の宗教家、易者、治療師、画家。「神理研究会」創設者で、月刊誌『さすら』の編集発行人。本名、金井三吉。筆名、金井久蜘蛛(くくも)。「一人一宗」を提唱した。 1917年(大正6年)、群馬県北甘楽郡福島町星田(現・富岡市)に生まれる。父・谷五郎は福島町の町長だった。生まれつき霊能があり、日常的に神霊との交流があったという。20歳で近衛師団に召集され、皇居や御用邸の警備にあたる。22歳で満州に出征。ノモンハンの戦闘(1939年)に参加したが、途中で肺結核に罹患し兵役免除となる。 1947年(昭和22年)、30歳で自動車販売会社を興す。
壷井 宗一(つぼい そういち、1916年(大正5年)6月5日… 壷井 宗一(つぼい そういち、1916年(大正5年)6月5日 - 没年不明)は、日本の実業家。国鉄広報部長を経てJR東海の関連会社である中央リネンサプライ社長・会長・顧問となる。岡山県高梁市出身。 1916年(大正5年)岡山県高梁町(現:高梁市)に生まれる。1929年(昭和4年)に旧制高梁中学校(現・岡山県立高梁高等学校)へ進学した。同期には、宮原正吾、三宅真助がいた。1934年(昭和9年)同校を卒業して、1936年(昭和11年)に山口県にある旧制山口高等学校へ入学した。1939年(昭和14年)3月、同高校を卒業し、4月に東京商科大学(現:一橋大学)へ入学する。大学の研究室は、米谷ゼミナールに所属した。
森田 宗一(もりた そういち、1915年6月5日 - 200… 森田 宗一(もりた そういち、1915年6月5日 - 2007年2月7日)は、日本の裁判官、弁護士。 東京都出身。昌平中学校、東京帝国大学法学部卒。1942年司法官試補。1949年少年法施行と同時に最高裁判所家庭局付判事補。同局第三課長を経て、1959年東京家庭裁判所判事。1973年に弁護士となる。 青少年の健全育成を唱え、1970年には少年法適用年齢の上限引き下げ改正要綱に反対した。
川瀬 二郎(かわせ じろう、1914年6月5日 - 1981… 川瀬 二郎(かわせ じろう、1914年6月5日 - 1981年12月15日)は、日本の経営者。日本板硝子元社長。福岡県出身。 1935年に彦根高等商業学校を卒業し、同年4月に日本板硝子に入社。1962年5月に取締役に就任し、1966年5月に常務を経て、1971年5月には社長に就任。1976年5月に取締役相談役を経て、1978年6月には相談役に退いた。 1981年12月15日、肝硬変のために死去。67歳没
神威山 力雄(かむいやま りきお、1914年6月5日 - 1… 神威山 力雄(かむいやま りきお、1914年6月5日 - 1974年2月19日)は、北海道室蘭市出身で花籠部屋に所属した元大相撲力士。本名は熊谷 力雄。最高位は十両4枚目。 花籠部屋に入門し、1929年5月初土俵を踏む。1934年1月満19歳で十両に昇進。この場所負け越し、幕下に落ちる。1935年1月、一場所で十両に復帰したが、この場所も負け越し再び幕下に落ちる。1936年1月、三度目の十両昇進で勝ち越し、この場所から5場所連続十両の地位にあった。1938年5月幕下に落ち十両復帰を目指し、「神惠山」(かむえやま)に改名(1941年5月)したが、十両に復帰することなく1942年5月に廃業した。1974年死去。