木島 安史(きじま やすふみ、1937年5月9日 - 199… 木島 安史(きじま やすふみ、1937年5月9日 - 1992年4月27日)は、日本の建築家。木島安史+YAS都市研究所 計画・環境建築で、多くの建築作品を残した人物。また、大学教授として人材育成にもあたった。朝鮮黄海道海州市生まれ。 1962年 早稲田大学理工学部建築学科卒業。1962年からトロハ研究所。1966年 早稲田大学大学大学院修了。丹下健三都市建築設計研究所入所。1967年、エチオピアハイレシェラシェI世大学講師。1970年、相田武文とYAS都市研究所 計画・環境建築を設立。1971年、熊本大学に招かれる。1980年 熊本大学工学部教授。1991年 千葉大学工学部教授。熊本では両角光男、東京では橋本文隆と組んで活動した。
渡辺 允(渡邉 允、わたなべ まこと、1936年(昭和11年… 渡辺 允(渡邉 允、わたなべ まこと、1936年(昭和11年)5月9日 - 2022年(令和4年)2月8日)は、日本の外交官。位階は正三位。 元・侍従長、前・宮内庁参与。東京府(現・東京都)出身。 学習院初等科(1949年(昭和24年)卒業)、都立日比谷高校を経て、1959年(昭和34年)東京大学法学部卒業後、外務省入省。同期には松浦晃一郎ら。 英語研修(米国スワースモア大学)、北米局北米第一課事務官、1976年(昭和51年)条約局法規課長、1977年(昭和52年)国際連合局政治課長、1979年(昭和54年)在フィリピン日本国大使館参事官、1981年(昭和56年)在アメリカ合衆国日本国大使館参事官、1983年(昭和58年)在アメリカ合衆国日本国大使館公使、1985年(昭和60年)外務省大臣官房審議官(北米局担当)、1988年(昭和63年)駐ヨルダン大使を歴任。
増本 一彦(ますもと かずひこ、1936年5月9日 - 20… 増本 一彦(ますもと かずひこ、1936年5月9日 - 2022年2月6日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(日本共産党公認)。日本共産党神奈川県後援会代表委員。 神奈川県藤沢市出身。中央大学卒業後、弁護士を開業。日本共産党神奈川県委員や同県憲法会議幹事長を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧神奈川県第3区から立候補し初当選を果たす。当選1回。 政界を引退した後は、現役の弁護士(横浜弁護士会所属)として、消費税をなくす会の常任世話人などを務めた。 2022年2月6日、胆管がんのため、鎌倉市内の病院で死去。85歳没。
菅谷 規矩雄(すがや きくお、1936年5月9日 - 198… 菅谷 規矩雄(すがや きくお、1936年5月9日 - 1989年12月30日)は、日本の詩人、ドイツ文学者。 東京府出身。1959年東京教育大学独文科卒、東京大学独文科に学士入学し、62年卒業、64年同大学院修士課程修了、神戸大学助手、66年10月名古屋大学講師。天沢退二郎らと詩誌『暴走』、『凶区』に拠り、詩や評論を発表。69年10月東京都立大学 (1949-2011)助教授となるが大学紛争で71年6月懲戒免職。日本語のリズム、韻律について理論的に考察した『詩的リズム』など、詩論において大きな功績を残した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
原 道生(はら みちお、1936年(昭和11年)5月9日 -… 原 道生(はら みちお、1936年(昭和11年)5月9日 - 2023年11月23日)は、日本近世演劇研究者、明治大学名誉教授。 東京生まれ。1955年成蹊高等学校卒業、1960年東京大学文学部国文科卒、1966年同大学院博士課程単位取得満期退学、東京大学文学部助手。1971年横浜市立大学文理学部助教授、1981年明治大学文学部教授。2005年同図書館長。2007年定年退職、名誉教授。歌舞伎学会会長、義太夫協会代表理事などを務めた。 2014年第46回河竹賞、第36回角川源義賞受賞。2016年、春の叙勲で瑞宝中綬章を受章。 2023年11月23日、誤嚥性肺炎のため東京都の病院で死去。87歳没。
大久保 治男(おおくぼ はるお、1934年〈昭和9年〉5月9… 大久保 治男(おおくぼ はるお、1934年〈昭和9年〉5月9日 - )は、日本の法制史学者。井伊氏および彦根藩の研究者。駒澤大学名誉教授・武蔵野学院大学名誉学長。 1934年に東京都、小石川に生まれる。1947年に東京高等師範学校附属国民学校(現・筑波大学附属小学校)を卒業。その後1953年には東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業する。1954年、学習院大学政経学部中退。1958年、中央大学法学部を卒業。1960年、中央大学大学院法学研究科修了。1962年、東京大学教育学部研究生を経て東京大学法学部研究員となる。 その他、上智大学、中央大学、創価大学、帝京大学、川村学園女子大学、国士舘大学、山梨学院大学、山梨大学、武蔵野短期大学等で非常勤講師を兼任した。
加藤 彰(かとう あきら、1934年5月9日 - 2011年… 加藤 彰(かとう あきら、1934年5月9日 - 2011年4月8日)は日本の映画監督。 東京都立小石川高等学校、日本大学藝術学部映画学科卒業。後に、日活の社長になる根本悌二は小石川高校の同級生。日活に入社し中平康に師事する。日活ロマンポルノの全盛期を支えた監督の一人である。その後はテレビドラマを中心に活動していた。
児玉 幸治(こだま ゆきはる、1934年〈昭和9年〉5月9日… 児玉 幸治(こだま ゆきはる、1934年〈昭和9年〉5月9日 - 2025年〈令和7年〉4月26日)は、日本の通産官僚。通商産業事務次官、商工組合中央金庫理事長等を歴任した。父の児玉秀一は元広島県議会議長、長男の児玉哲哉はバークレイズ証券会長。経済産業省大臣官房審議官や近畿経済産業局長を務めた関総一郎は娘婿。2014年(平成26年)春の叙勲で、瑞宝重光章受章。 旧通産省同期入省者には、村岡茂生(通産審議官)、濱岡平一(資源エネルギー庁長官)、矢橋(山本)有彦(科技庁官房長)、岩崎八男(中小企業庁長官)、宮田満(エネ研顧問、評論家)、村田文男(大阪商品取引所理事長)、前田典彦(国際商事仲裁協会理事長)、上杉一雄(日野自動車専務)、宮野素行(四国通産局長、余暇開発センター理事長)、内田禎夫(通産省大臣官房審議官、中小企業事業団副理事長、アラ石参与)、本郷英一(科技庁振興局長)など。
本郷 美則(ほんごう よしのり、1934年5月9日 - 20… 本郷 美則(ほんごう よしのり、1934年5月9日 - 2020年7月28日)は、日本の時事評論家、元朝日新聞記者、研修所長。 北海道室蘭市生まれ。早稲田大学政治経済学部新聞学科卒。朝日新聞入社。同期には本多勝一や筑紫哲也がいる。社会部や整理部などを経て、研修所長を務めた。1994年(平成6年)の退社後は執筆活動を行う。 日本文化チャンネル桜に出演し、マスメディアの問題点や朝日新聞に関する問題について論じている。 2020年7月28日、神奈川県鎌倉市にて死去。86歳没。 2007年に第1次安倍内閣への朝日新聞の報道姿勢に対して として批判している。
枡矢 好弘(ますや よしひろ、1933年5月9日 - )は、… 枡矢 好弘(ますや よしひろ、1933年5月9日 - )は、日本の英語学者。甲南大学名誉教授。
小久保 清吉(こくぼ せいきち 1933年5月9日 - 20… 小久保 清吉(こくぼ せいきち 1933年5月9日 - 2024年12月2日)は、日本の書家。号は嶺石。新潟大学教育学部芸能学科書道科卒。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
大崎 三男(おおさき みつお、1932年5月9日 - 没年不… 大崎 三男(おおさき みつお、1932年5月9日 - 没年不明)は、東京都出身のプロ野球選手(投手)。 明治高校では、エースとして1950年の春夏の甲子園に連続出場。春の選抜は1回戦で彦根高の中川和俊(のち毎日)と投げ合いを完封勝利、続く準々決勝で北野高に乱打戦の末に敗退。夏の選手権は2回戦(初戦)で北海高に敗れる。この時の監督は、後に大学野球監督として著名となる島岡吉郎である。1年下のチームメートに右翼手の沖山光利がいた。 明治大学に進学し、同学硬式野球部に所属。高校の野球部監督だった島岡も同時期に明治大学硬式野球部へと移っている。しかし1953年に退部し、大学も中退。この退部の原因は、1年後輩の秋山登がエースとして起用されるようになったことに対する不満とも、監督である島岡吉郎との確執とも言われている。
廣瀬 清(ひろせ きよし、1932年5月9日 - 2023年… 廣瀬 清(ひろせ きよし、1932年5月9日 - 2023年9月16日)は、日本の経営者。日本火災海上保険社長を務めた。 山梨県甲府市出身。1955年に東京大学経済学部を卒業し、同年に日本火災海上保険に入社。1988年6月に取締役に就任し、1990年6月に常務、1991年6月に専務を経て、1993年2月に社長に就任。1998年7月に取締役相談役に就任。 2023年9月16日老衰のために死去。91歳没。
糸 文弘(いと ふみひろ、1931年5月9日 - )は、日本… 糸 文弘(いと ふみひろ、1931年5月9日 - )は、日本の映画監督、脚本家、劇作家、演出家である。本名は糸 弘毅(いと ひろき)。1950年代に松竹演劇部に所属して「石井均一座」等の軽演劇・喜劇の作家として活動し、1965年(昭和40年)には映画製作会社LL企画プロダクションの設立に参加して、成人映画の脚本・監督を手がける。その後、劇団三文館を設立、戯曲・演出を手がけてアングラ演劇に転向した。 1931年(昭和6年)5月9日、鹿児島県大島郡名瀬町(のちの同県名瀬市、現在の奄美市)に生まれる。 第二次世界大戦後、5年制の旧制・神奈川県立商工実習学校に進学、同校は1948年(昭和23年)4月1日に新制高等学校に切り替わり、神奈川県立商工高等学校と改称している。
梅沢 節男(うめざわ せつお、1931年5月9日 - 201… 梅沢 節男(うめざわ せつお、1931年5月9日 - 2013年11月12日)は、日本の大蔵官僚。国税庁長官、公正取引委員会委員長などを歴任した。 旧制滋賀県立膳所中学校(現・滋賀県立膳所高等学校)を経て、京都大学法学部を卒業。同年、大蔵省に新制後期組で入省。同期に西垣昭(海外経済協力基金総裁、大蔵事務次官、主計局長、大臣官房長、理財局長、経済企画庁長官官房長)、大竹宏繁(大和銀行総合研究所初代理事長、経済企画庁事務次官、経済企画審議官)ら。 1982年当時、次官だった高橋元は元主税局長で、田中角栄内閣において税制二課長だった際、自動車新税を企画立案するなど税のエキスパートとして知られていた。省内では第二臨調が打ち出した「増税なき財政再建」が建前にすぎず、いずれ大型増税に踏み切ることを予想し、従来の主計局長 - 大蔵事務次官という省内バランスを崩して主税出身の高橋を次官に据え、福田幸弘主税局長(のち国税庁長官)とのラインでその布陣を敷いた。
芳賀 徹(はが とおる、1931年5月9日 - )は、日本の… 芳賀 徹(はが とおる、1931年5月9日 - )は、日本の文学研究者、比較文学者。国際日本文化研究センター・東京大学名誉教授、京都造形芸術大学名誉学長。
高柳 暁(たかやなぎ さとる、1931年5月9日 - 199… 高柳 暁(たかやなぎ さとる、1931年5月9日 - 1998年4月11日)は、日本の経営学者。筑波大学名誉教授。 静岡県浜松市生まれ。工学者・高柳健次郎の次男。妹に小児心理学者の吉村たづ子。岳父は経済史学者の大塚久雄。1963年東京大学大学院社会科学研究科博士課程満期退学、中央大学経済学部専任講師、1965年助教授、1971年教授、1979年筑波大学社会工学系教授。1995年定年退官、名誉教授、中央大学総合政策学部教授。
宇野 功芳(うの こうほう、1930年5月9日 - 2016… 宇野 功芳(うの こうほう、1930年5月9日 - 2016年6月10日)は、日本の音楽評論家、指揮者。東京都生まれ。国立音楽大学声楽科卒。 父は漫談家の牧野周一、長弟の宇野弘二は牧原弘二の芸名でジャズシンガーとして活動、次弟の宇野道義(筆名・宇野通芳、1945年 - 1997年)は帝京大学助教授を務めた。 なお功芳は筆名であり、本名は宇野功(うの いさお)である。あまりに身体が弱かったため父の牧野から心配され、功が23歳のとき牧野が姓名判断によって貰ってきた名前が功芳であるという。以前は宇野功芳を「うの いさお」と読み筆名としていた。 1930年5月9日、漫談家の牧野周一の長男として東京に生まれる。
山田 三郎(やまだ さぶろう、1930年5月9日 - 202… 山田 三郎(やまだ さぶろう、1930年5月9日 - 2022年10月20日)は、日本の実業家。泉陽興業、エキスポランドの社長、会長などを歴任し、全日本遊園施設協会(JAPEA)会長も務めた。 大阪府阪南市出身。関西学院大学商学部卒業。1952年に、戦前から代議士であった伯父の松田竹千代が、公職追放解除後最初に出馬、当選した第25回衆議院議員総選挙の選挙運動を手伝ったことをきっかけに、上京して松田の私設秘書となった。 その後、1958年に泉陽興業を設立し、1960年ごろから本格的に関西各地の百貨店で屋上遊園地を運営する事業に取り組む。遊具の製作も自前で行ない、1967年には製造部門を泉陽機工として分社化した(2009年に泉陽興業へ吸収され、企画から製作、運営までの一貫体制となっている)。
日高 旺(ひだか うまし、1929年(昭和4年)5月9日 -… 日高 旺(ひだか うまし、1929年(昭和4年)5月9日 - 2022年(令和4年)6月17日)は、日本のジャーナリスト、新聞経営者。南日本新聞社社長、鹿児島テレビ放送(KTS)社長を歴任したほか、民俗ジャーナリストとしても知られた。 父は種子島にある鹿児島県西之表町出身の小学校教師で、彼の赴任先である屋久島の上屋久村にて生誕。2歳の頃より母方の祖父である三浦安能西之表町長(元上屋久村長)のもとに預けられて幼少期を過ごす。小学校より鹿児島市に移り、鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)卒業。文化学院中退の後、鹿児島県立大学短期大学部国文科を1952年に卒業。 アルバイトをしていた南日本新聞社へ1951年に入社し、新聞記者となる。
斎藤 美和(さいとう みわ、1927年5月9日 - 2012… 斎藤 美和(さいとう みわ、1927年5月9日 - 2012年11月16日)は、日本の女優。本名は佐藤美和。東京都出身。母は盲女子高等学園創立者の斎藤百合。4兄妹の末子で次女である。 2012年11月16日、腎不全のため、死去。85歳没。死去は近親者による葬儀が行われた後の11月28日、劇団民藝によって発表された。
斎藤 美和(さいとう みわ、1927年5月9日 - 2012… 斎藤 美和(さいとう みわ、1927年5月9日 - 2012年11月16日)は、日本の女優。本名は佐藤美和。東京都出身。母は盲女子高等学園創立者の斎藤百合。
長谷川 幸男(はせがわ ゆきお、1927年(昭和2年)5月9… 長谷川 幸男(はせがわ ゆきお、1927年(昭和2年)5月9日 - 2016年(平成28年)5月23日)は、日本のロボット研究者、エンジニア。学位は、博士(工学)(早稲田大学)。同名誉教授。精工舎技術課長、能率課長、早稲田大学生産研究所助教授、同大学システム科学研究所教授を歴任。国際ロボット連盟や国際建設ロボット学会では会長を務め、産学共同の建設ロボット化プロジェクト「WASCOR」を主導した。1977年に第1回エンゲルバーガー賞を受賞し、2015年には瑞宝中綬章を受章している。 長谷川は1951年に早稲田大学理工学部工業経営学科(機械分科)を卒業し、精工舎へ入社。生産技術に携わる。1957年から1958年にかけてミシガン大学に滞在し、生産技術を研究する。
木村徳国(きむらのりくに、1926年(大正15年)5月9日 … 木村徳国(きむらのりくに、1926年(大正15年)5月9日 - 1984年(昭和59年)10月7日)は、日本の建築史家。明治大学教授を歴任。 大学院時代に関与した広島平和記念公園の懸賞設計競技に一等当選したグループのメンバーとしても知られるが、大学院退学後建築史の研究への道へ。初期は日本近代建築史に関する論考を中心に研究生活を送る。後1970年以降は日本古代建築史・住宅史を主な研究対象としたことで知られる。京都府竹野郡間人町(現・丹後町間人)生まれ。
伊谷 純一郎 (いたに じゅんいちろう、1926年(大正15… 伊谷 純一郎 (いたに じゅんいちろう、1926年(大正15年)5月9日 - 2001年(平成13年)8月19日)は、日本の生態学者、人類学者、霊長類学者。京都大学名誉教授、神戸学院大学名誉教授。 1926年、鳥取県鳥取市西町で、画家・伊谷賢蔵の長男として生まれた。生後約1ヵ月で両親の居宅があった京都市日ノ岡に移り、以後は京都市で育つ。1939年、旧制京都府立京都第三中学校(現・京都府立山城高等学校)に入学。1944年、京都第三中学校を卒業し、旧制鳥取農林専門学校獣医畜産学科に入学。1945年、学徒動員令により兵庫県川西市の陸軍獣医資材支廠で働く。1947年、鳥取農林専門学校を卒業。京都大学理学部動物学科を受験したが不合格。
後藤 均平(ごとう きんぺい、1926年5月9日 - 199… 後藤 均平(ごとう きんぺい、1926年5月9日 - 1998年7月3日)は、日本の歴史学者。専門は中国古代史、ベトナム史。出身。 1926年、大分市に生まれる。1952年に東京大学文学部史学科(東洋史学専攻)を卒業。 鎌倉学園高等学校非常勤講師を経て、1955年に神言会研究所MONUMENTA SERICA助手、1958年に東京大学文学部助手、1962年に東洋文庫研究員、1965年には新潟大学人文学部助教授となった。1970年に立教大学文学部へ移って、1972年には同教授となった。立教大学史学会会長、文学部史学科長を歴任した後、1992年に立教大学を定年退職、名誉教授となった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
鈴木 理生(すずき まさお、1926年5月9日 - 2015… 鈴木 理生(すずき まさお、1926年5月9日 - 2015年3月4日)は、日本の歴史学研究者・歴史学者である。本名は鈴木昌雄。江戸を対象にした歴史研究をすすめ、地質学や考古学の知見をも活かした実証的な都市史研究をおこなった。とくに、徳川家康が幕府を開く以前の江戸について、あらたな歴史像を提示した。 法政大学高等師範部を卒業、東京都職員となる。 千代田図書館に1986年まで勤務したのち、東京都市史研究所理事、東京地縁社会史研究所理事などを歴任した。 編纂に携わった東京都中央区立京橋図書館編『中央区沿革図集-月島篇』(東京都中央区立京橋図書館・東京都中央区教育委員会、1994年3月)、同編『中央区沿革図集-日本橋篇』(東京都中央区立京橋図書館・東京都中央区教育委員会、1995年3月)、同編『中央区沿革図集-京橋編』(東京都中央区立京橋図書館・東京都中央区教育委員会、1996年3月)で、地名文化賞を受賞。
小林豊(こばやし ゆたか、1925年5月9日- )は、日本の… 小林豊(こばやし ゆたか、1925年5月9日- )は、日本の放送作家。 大阪府泉佐野市生まれ。大阪外国語大学ドイツ語科卒。放送作家として朝日放送テレビ「味をたずねて」、FM大阪「うまいものあれこれ」などを担当。大阪樟蔭女子大学非常勤講師。
林 巳奈夫(はやし みなお、1925年5月9日 - 2006… 林 巳奈夫(はやし みなお、1925年5月9日 - 2006年1月1日)は、日本の考古学者。専門は中国考古学、特に青銅器・玉器を研究した。京都大学名誉教授。日本学士院会員。1995年勲三等旭日中綬章受章。 1925年、神奈川県藤沢市鵠沼に生まれた。父・林達夫は著名な思想家・評論家で、明治大学教授や平凡社『世界大百科事典』編集長を務めていた。その長男で、父を編集者・言論人として認める一方で、自身は父を越えるべく「自ら生み出す者としての学者になろうと思った」と語っていた。京都大学文学部史学科で学び、1950年に卒業。 卒業後は、父の伝手で一時期平凡社編集部に勤務。しかし1957年、京都大学人文科学研究所助手に採用された。
田村 元(たむら はじめ、1924年〈大正13年〉5月9日 … 田村 元(たむら はじめ、1924年〈大正13年〉5月9日 - 2014年〈平成26年〉11月1日)は、日本の政治家。 衆議院議長(第66代)、通商産業大臣(第46・47代)、運輸大臣(第48代)、労働大臣(第33代)、衆議院議員(当選14回)、自由民主党国会対策委員長(第26代)などを歴任。 三重県松阪市(旧・大足村)に生まれる。父親の田村秢は、弁護士出身で三重県会議員を経て、1942年(昭和17年)の翼賛選挙で衆議院議員に当選した。 旧制三重県立宇治山田中学校を経て、1950年(昭和25年)に慶應義塾大学法学部卒業。中外炉工業、三重交通勤務と中学校の代用教員を経て、参議院議員の前田穰の秘書となる。
青山 茂(あおやま しげる、1924年5月9日 - 2013… 青山 茂(あおやま しげる、1924年5月9日 - 2013年11月6日)は、日本の新聞記者、評論家。帝塚山短期大学名誉教授。専門は日本文化史。 大阪府出身。旧制郡山中学校、旧制松山高等学校文科卒、1948年京都帝国大学法学部卒。1950年に毎日新聞社に入社し、奈良支局で11年間美術文化担当記者。大阪本社学芸部副部長、編集局部長を経て退社。1976年帝塚山短期大学教授。1995年定年、名誉教授。古都調査保存協力会長、奈良国立博物館評議員、飛鳥資料館運営協議会長。奈良学を提唱した。 2013年11月6日、肺炎のため死去。89歳没。
阿部 裕正(あべ ひろまさ、1924年5月9日 - 1998… 阿部 裕正(あべ ひろまさ、1924年5月9日 - 1998年10月29日)は、日本の経営者。富士紡績社長、会長を務めた。東京都出身。 1949年に東京商科大学を卒業し、同年に三菱銀行に入行。1978年12月に取締役に就任し、1980年7月に富士紡績に転じ、1984年4月に常務を経て、1984年6月に社長に就任。1991年6月に会長に就任。 1998年10月29日、心不全のために死去。74歳没。
西來 武治(にしらい たけはる、1924年5月9日 - 20… 西來 武治(にしらい たけはる、1924年5月9日 - 2013年6月11日)は、医事評論家、浄土真宗の僧、仏教系の電話カウンセラー。新字体で西来 武治とも表記される。 北海道生まれ。龍谷大学文学部仏教学科卒。中学、高校教師をへて医事雑誌の編集に携わり、健康雑誌『ホームドクター』編集長、1982年退任。『ぴいぷる』編集長。朝日ホームドクター社取締役。1971年より海老名市の自宅で夫人のみわと「ダイヤルフレンド」を始め電話相談にのる。ヘルスプランニング西来代表取締役。1998-2002年千代田女学園中学校・高等学校長。真宗高田派住職。彰見寺衆徒。2012年仏教伝道文化賞受賞。 2013年6月11日、肺癌のため死去。
江藤 晴康(えとう はるやす、1922年5月9日 - 201… 江藤 晴康(えとう はるやす、1922年5月9日 - 2016年2月21日)は、福岡県北九州市出身のプロ野球選手である。現役時代のポジションは、投手。1949年から1954年は、「江藤 正(えとう ただし)」の名前でプレーした。 八幡中(現:八幡高)・法政大学でエース投手として活躍。在学中に学徒出陣で召集され、台湾で終戦を迎える。大学卒業後は社会人野球の門司鉄道局・大洋漁業でプレー。1949年に南海ホークスに入団した。 プロ入りに際し、大阪タイガースと南海ホークスとの二重契約が発覚。これには、以下のような事情がある。以前に武末悉昌の獲得を巡って両球団が争い、武末が南海に入ったことを「奪われた」と考えた大阪の若林忠志監督が南海の山本一人監督に抗議したところ、山本が「武末は南海、江藤は大阪ということにしよう」と口にした。
鄭 幹鎔(チョン・ガニョン、朝鮮語: 정간용、1922年5月… 鄭 幹鎔(チョン・ガニョン、朝鮮語: 정간용、1922年5月9日 - 2003年8月30日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の教員、実業家、政治家。第7・8代韓国国会議員。本貫は慶州鄭氏(朝鮮語版)。カトリック教徒。 日本統治時代の全羅南道莞島郡出身。莞島郡薬山初等学校、平安中学校(京都)、日本大学法科卒。上海臨時政府宣撫団参加。全羅南道光州西中学校・莞島中学校教員、莞島郡水産高等学校・長興高等学校校監を務めた後に政界入り、民主共和党結党メンバー・大統領選挙対策委員長・莞島地区党事務局長・全南地区組織部長・宣伝部長、韓国水産技術協会会長、三光物産重役などを務めた。また、1968年12月11日より第11代大韓バドミントン協会会長を務めた。
時岡 弘(ときおか ひろむ、1921年5月9日 - 2009… 時岡 弘(ときおか ひろむ、1921年5月9日 - 2009年11月27日) は、日本の法学者。専門は憲法。早稲田大学名誉教授。福井県出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
森 光子(もり みつこ、1920年〈大正9年〉5月9日 - … 森 光子(もり みつこ、1920年〈大正9年〉5月9日 - 2012年〈平成24年〉11月10日)は、日本の女優、歌手、マルチタレント、司会者。日本俳優連合名誉副会長、第6代日本喜劇人協会会長、フジテレビジョン番組審議会名誉顧問。国民栄誉賞受賞。栄典は従三位・勲三等瑞宝章・紫綬褒章・文化功労者・文化勲章。東京都名誉都民・京都市市民栄誉賞・京都名誉観光大使。 1920年、京都府京都市出身。京都府立第一高等女学校(現・京都府立鴨沂高等学校)中退。俳優の嵐寛寿郎の従妹である。長らく「寛寿郎の姪で1923年生まれ」としていたが、1984年の紫綬褒章受章にあたり事実を公表し、訂正している。芸名は嵐の母(伯母)から、女優の森静子と伯母の旧姓・森端にちなんで「森」、本名の美津より「光子」とつけられたことによる。
栗本 尊子(くりもと たかこ、1920年(大正9年)5月9日… 栗本 尊子(くりもと たかこ、1920年(大正9年)5月9日 - 2019年(平成31年)1月22日)は、日本の声楽家(メゾソプラノ)・音楽教育者。二期会名誉会員(2017年時点)本名、栗本 尊(くりもと たか)。旧姓は、小鳥居。 福岡県筑紫郡大宰府町(現:太宰府市)にて、安楽寺五別当の小鳥居家の五女として生まれる。福岡女学校(現:福岡女学院中学校・高等学校)卒業。1941年(昭和16年)東京音楽学校(現:東京芸術大学)卒業。リア・フォン・ヘッサートに師事。1946年(昭和21年)長門美保歌劇団プッチーニ『蝶々夫人』のスズキ役でデビュー以来、長門美保歌劇団で活躍。1952年(昭和27年)に旗揚げされた二期会に参加。
桑島 甫(くわじま はじめ、1918年5月9日 - 1944… 桑島 甫(くわじま はじめ、1918年5月9日 - 1944年)は、香川県出身のプロ野球選手(三塁手)。
田中 雄平(たなか ゆうへい、1918年5月9日 - 199… 田中 雄平(たなか ゆうへい、1918年5月9日 - 1992年2月5日)は、日本の経営者。藤田観光社長を務めた。山口県出身。 1943年に東京帝国大学経済学部を卒業。日本建鐵での勤務を経て、1953年に藤田興業に転じ、1970年8月に取締役に就任し、1972年8月に常務、1973年3月に専務を経て、1983年3月に藤田観光副社長に就任し、1985年3月には社長に昇格。1990年6月から取締役相談役を務めた。1985年5月から1992年1月までにワシントンホテル社長も務めた。 1992年2月5日急性心不全のために死去。73歳没。
山崎 清(やまざき きよし、1918年5月9日 - )は、日… 山崎 清(やまざき きよし、1918年5月9日 - )は、日本の経済学者・経営学者。 東京生まれ。早稲田大学法学部仏法学科卒。三菱経済研究所、貿易研修センター勤務、東洋大学経営学部教授。89年杏林大学教授。
大窪 愿二(おおくぼ げんじ、1915年(大正4年)5月9日… 大窪 愿二(おおくぼ げんじ、1915年(大正4年)5月9日 - 1986年(昭和61年)5月18日)は、日本の政治学者、翻訳家。専門は日本政治、国際政治。在日カナダ大使館顧問、聖徳学園岐阜教育大学教授を務めた。 1915年、秋田県生まれ。1926年、新潟市に転居。1933年に新潟県立新潟中学校を卒業し、青山学院文学部に入学。英語師範科で学び、1937年に卒業。1938年、太平洋問題調査会(通称IPR)就職する。以後、2度の従軍経験をはさんで1949年までIPRや世界経済調査会などのシンクタンクに勤務する。 1938年に、日本生まれのカナダの歴史家E・H・ノーマンとIPRのオフィスで出会い、交際が始まる。
古賀 守(こが まもる、1914年(大正3年)5月9日 - … 古賀 守(こが まもる、1914年(大正3年)5月9日 - 2003年(平成15年)4月28日)は、日本のワイン研究家。日本におけるドイツワインの権威。 長崎県佐世保市出身。生家は醸造家。東京農業大学農芸化学科を卒業後、1936年から1945年にドイツ遊学。ハイデルベルク、ライプツィヒ、ベルリンの大学で学んだ。 メッセで日本代表としてゲッベルス宣伝相の隣に座った経験も持つ。ベルリンにてドイツの敗戦を体験、捕虜交換のシベリア鉄道で帰国後、故郷近郊から長崎の原爆雲を目撃、日本の終戦も経験する。一時高校教諭を務めた後、カメラのライカ、医薬のメルクの日本輸入総代理店であったシュミット商会に入社、井上鍾社長の下、薬品部長から、初代ワイン部長となった。
嶋津 千利世(しまづ ちとせ、1914年5月9日 - 200… 嶋津 千利世(しまづ ちとせ、1914年5月9日 - 2000年12月28日)は、日本の女性問題研究家。島津千利世とも。 茨城県生まれ。1949年日本大学法文学部卒。群馬大学教育学部助教授、教授。80年定年退官。
中村 正二郎(なかむら しょうじろう、1913年5月9日 -… 中村 正二郎(なかむら しょうじろう、1913年5月9日 - 1977年12月4日)は、日本の教育者。医学者。山口大学第5代目学長。専門は基礎医学・生化学。 京都帝国大学医学部卒業。1944年、山口県立医学専門学校(現・山口大学医学部)講師、同校助教授、同校教授を経て、1973年山口大学第5代目学長に就任(1977年まで)。日本電気泳動学会総会第12回総会長を務めた。 就任当時は実験機器が不足していた為、必要な物は手作りで補い、実験に取り組んでいた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
伊藤友司(いとう ともじ、1912年(明治45年)5月9日 … 伊藤友司(いとう ともじ、1912年(明治45年)5月9日 - 1967年(昭和42年)8月6日)は、日本の女性宗教家。真如苑霊祖・初代苑主。 僧名は眞如。大僧正。遷化後の法号は摂受心院(しょうじゅしんいん)。夫は真如苑開祖の伊藤真乗。娘は伊藤真聰。 山梨県北巨摩郡高根村東井出(現:北杜市高根町)に内田家の長女として誕生。1915年12月23日、父・内田義平と死別。その後、1919年1月、母・もとよが大芝家に再嫁したので、祖母・内田きん(宝珠院)のもとで育つ。 1931年1月、甲府市の和裁学校に入学。1932年4月27日、伊藤文明(のちの真乗)と結婚。東京・立川に移住。1935年12月28日、運慶作と口伝される不動明王像を勧請。
渡辺 勉(わたなべ つとむ、1908年5月9日 - 1978… 渡辺 勉(わたなべ つとむ、1908年5月9日 - 1978年1月17日)は、日本の写真評論家、写真家。 岐阜県出身。中津商業を卒業。 写真評論、アマチュア写真家の啓蒙、雑誌編集などで、戦前から戦後にかけて活躍。著書多数。評論書のみならず技法書も執筆。 戦前には報道写真家としても作品を発表した。東方社にも参加した。 戦後の活動としては、「世界画報」(1946年創刊)の編集長となったり、木村伊兵衛賞の最初期の選考委員も務めた(具体的には、第2回、第3回および第4回、木村伊兵衛写真賞の受賞者リスト年表)。 晩年は写真誌『アサヒカメラ』で写真批評を行ったほか、社団法人日本写真協会の理事も務めた。 1978年1月17日、胃がんにより東京都新宿区の東京厚生年金病院にて死去。
大久保 洋(おおくぼ よう、1908年5月9日 - 2002… 大久保 洋(おおくぼ よう、1908年5月9日 - 2002年3月30日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。本名は大久保 洋海(おおくぼ ひろみ)。 東京生まれ。1931年慶應義塾大学文学部仏文科卒。1936年より銀座でフランス語講座を開く。1943年海軍嘱託としてサイゴンに赴く。戦後、慶大助教授、教授、1974年定年、名誉教授。 作家の坂口安吾と親しかった。
吉田 六郎(よしだ ろくろう、1908年5月9日- 1986… 吉田 六郎(よしだ ろくろう、1908年5月9日- 1986年3月8日)は、ドイツ文学者、文芸評論家、東京都立大学名誉教授。 栃木県足利市生まれ。松本高等学校文科乙類を経て、1932年東京帝国大学独文科卒。33年桐生高等工業学校教授。37-38年文部省から派遣されベルリン大学に学ぶ。39年陸軍教授、42年第四高等学校教授、1950年金沢大学助教授、51年東京都立大学助教授、60年教授。 1971年「ホフマン - 浪漫派の芸術家」で東京大学文学博士。72年都立大を定年退官。E・T・A・ホフマンの翻訳・研究と夏目漱石に関する評論を書き、藤代素人、秋山六郎兵衛、板垣直子らの、『吾輩は猫である』がホフマンの『牡猫ムルの人生観』に影響を受けたという説を論駁し、漱石は聞きかじってはいたが『猫である』はオリジナルな作であると論じた(吉田六郎教授略歴「人文学報」都立大、1972年)。
金子 鷗亭(かねこ おうてい、1906年〈明治39年〉5月9… 金子 鷗亭(かねこ おうてい、1906年〈明治39年〉5月9日 - 2001年〈平成13年〉11月5日)は、日本の書家。近代詩文書を提唱した。 北海道松前郡生まれ。本名は金子賢藏。鷗亭は雅号で、他に琴城、薊谷がある。子息は書家の金子卓義。 1906年、北海道松前郡小島村(現:松前町)に生まれる。1921年、15歳で札幌鉄道教習所に入学、同級生には桑原翠邦、三宅半有などがいた。教習所時代に大塚鶴洞、川谷尚亭などから書を学んだ。1929年に函館師範學校(現・北海道教育大学函館校)卒業。同年、札幌に来遊していた比田井天来と出会い、上京を勧められ、1932年上京、以降天来に師事する。1933年には上田桑鳩が結成した書道芸術社に参加するとともに、雑誌『書之研究』に「新調和体」論を発表、近代詩を書にする近代詩文書運動を起こした。