工藤 正(くどう ただし、1943年(昭和18年)7月9日 … 工藤 正(くどう ただし、1943年(昭和18年)7月9日 - 2021年(令和3年)6月10日)は、日本の銀行家。みずほ銀行頭取を務めた。 東京大学経済学部卒業後、第一銀行に入行。日本勧業銀行との合併後の第一勧業銀行副頭取などを経て、みずほ銀行の初代頭取に就任した。 同行発足直後、勘定系システムに障害が発生。責任を追及され、対処にあたった。また不良債権問題も深刻化し、みずほコーポレート銀行と共同して企業再生プロジェクトを進め、自行でもリストラやシステム全面統合を行い経費の節減を図った。さらには、みずほインベスターズ証券との共同店舗設置やクレディセゾンやオリコとの提携など、収益力とリテール分野の強化にも取り組んだ。
山崎 益吉(やまざき ますきち、1942年〈昭和17年〉7月… 山崎 益吉(やまざき ますきち、1942年〈昭和17年〉7月9日 - )は、日本の経済学者。高崎経済大学特任教授。専攻は日本経済思想史、経済学方法論。 群馬県甘楽郡甘楽町生まれ。1961年3月群馬県立富岡高等学校卒業。1965年高崎経済大学経済学部卒業。1969年3月青山学院大学大学院経済研究科修士課程修了。同年4月助手として高崎経済大学に着任した後、1972年講師、1974年助教授、1982年教授として奉職。1991年に1年間文部省の在外研究員としてロンドン大学歴史研究所に留学。1994年には高崎経済大学付属産業研究所所長に就任し、1996年から1999年まで第19代高崎経済大学学長を務める。
松山 英太郎(まつやま えいたろう、1942年7月9日 - … 松山 英太郎(まつやま えいたろう、1942年7月9日 - 1991年1月11日)は、日本の俳優。本名の表記は同じだが「まつやま ひでたろう」と読む。東京都武蔵野市吉祥寺出身。 祖母の英子と父の太郎(本名)から1文字ずつ取って英太郎(ひでたろう)と名づけられた。 1947年、5歳で前進座の『弁天小僧』で初舞台を踏む。 中学校を卒業するまでに『ひろしま』など数本の映画に出演する。 1960年、大成高等学校を中退し、俳優座養成所に12期生で(同期には中村敦夫、成田三樹夫、樫山文枝などがいた)入所。1963年に卒業。 1964年、『七人の孫』に出演して一躍人気者となる。 『時間ですよ』『肝っ玉かあさん』など、ホームドラマには欠かせぬ顔として大活躍。
浪越 勝海(なみこし かつうみ、1942年7月9日 - 20… 浪越 勝海(なみこし かつうみ、1942年7月9日 - 2009年4月25日)は、日本の地方公務員。東京都港湾局長、東京都産業労働局長、東京ビッグサイト代表取締役社長等を歴任した。 香川県立観音寺第一高等学校を経て、早稲田大学商学部卒業。1968年東京都入庁(大田区)。1974年東京都総務局人事部職員課主査。1981年板橋高等職業訓練校庶務課長。1983年東京都総務局副主幹(労務・任用監理担当)。1986年東京都財務局主計部予算第二課長。1988年東京都財務局主計部予算第―課長(統括課長)。1990年東京都総務局総務部総務課長。1991年東京都総務局参事(総務局総務部総務課長事務取扱)。1991年東京都生活文化局二ューヨーク事務所長。
桐本 幸子(きりもと さちこ、1942年7月9日 - )は、… 桐本 幸子(きりもと さちこ、1942年7月9日 - )は、日本のアナウンサー。 東京都出身。慶應義塾大学文学部卒業。血液型A型。 1965年4月、TBSに第10期生アナウンサーとして入社(同期には今村稔・小川哲哉・車尾具昭・五味陸仁・多田護・奈良陽・手塚俊子・本田綾子)。組織変更に伴いラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部に勤務(1966年1月28日)、アナウンサー研修室設置に伴いアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部に勤務(1967年11月15日)。その後、1968年6月、ラジオ局第一制作部兼アナウンサー研修室付、1969年3月、放送部兼第一制作部兼第二制作部兼アナウンサー研修室付、1970年7月、ラジオ本部アナウンス室、1989年1月、報道総局アナウンス部兼ラジオ総局情報制作局ラジオワイド部、1991年5月、アナウンスセンターにそれぞれ在籍し、ラジオ番組に『全国こども電話相談室』や『ラジオ図書館』を、テレビ番組に『CBSイブニングニュース』等の出演を務めていた。
高鐵山 孝之進(こうてつやま こうのしん、1942年7月9日… 高鐵山 孝之進(こうてつやま こうのしん、1942年7月9日 - 1996年4月14日)は、北海道小樽市廐町出身で朝日山部屋に所属した大相撲力士。本名は菅 孝之進(すが こうのしん)。身長178cm、体重128kg、得意手は左四つ、寄り、押し。最高位は西関脇(1967年1月場所)。 14歳の時に上京し、朝日山部屋へ入門(師匠は元関脇・二瀬川政一)。1957年3月場所で初土俵を踏んだ。同年5月場所では番付外から新序に上がり好成績を収めたので、翌9月場所(当時、7月場所はなかった)ではいきなり序二段に付いた。当初の四股名である「葵龍」は、実兄が葵商事の札幌支店長を務めていたことに因んでいる。 1963年1月場所では新十両に昇進して、朝日山部屋再興の期待を担った。
中谷 雄英(なかたに たけひで、男性、1941年7月9日 -… 中谷 雄英(なかたに たけひで、男性、1941年7月9日 - )は、元柔道選手。柔道指導者。講道館9段。
平山 誠敏(ひらやま まさとし、1940年7月9日 - 20… 平山 誠敏(ひらやま まさとし、1940年7月9日 - 2018年8月14日)は、日本の政治家。青森県五所川原市長(3期)。元・青森県議会議員(2期)。 青森県五所川原市出身。青森県立弘前高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。 1999年(平成11年)4月30日、青森県議会議員となる。2003年(平成15年)、再選。 2006年(平成18年)5月27日、五所川原市長の成田守が健康上の理由により辞職。これに伴って7月9日に行われた市長選挙に自由民主党と公明党の推薦を受けて立候補。前市議の前田清勝、「羽柴誠三秀吉」や「羽柴秀吉」名義の政治活動で知られる三上誠三らを破り初当選した(平山:21,174票、前田:12,713票、三上:1,415票)。
柳内 光子(やない みつこ、1939年7月9日 - )は、日… 柳内 光子(やない みつこ、1939年7月9日 - )は、日本の実業家。東京都江戸川区出身。 東京都立江東商業高等学校卒業。1957年に内山甚一商店に入社。1963年に兄とともに内山コンクリート工業(後に内山アドバンス)を設立し、生コンクリートメーカーとして成長させる。1985年に副社長に就任。 1969年に建設資材の総合商社・山一興産株式会社の設立に参画し、1984年に代表取締役社長に就任。1994年に社団法人ニュービジネス協議会の理事に就任し、女性経営者委員会の委員長を務めた。1998年より社会福祉事業にも取り組む。2004年に浦安商工会議所会頭に就任し、全国初の女性会頭となる。学校法人草苑学園学園長、社団法人浦安観光コンベンション協会特別理事。
斎藤 良雄(さいとう よしお、1938年7月9日 - )は、… 斎藤 良雄(さいとう よしお、1938年7月9日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手(投手→外野手)。左投左打。 宮城県白石高等学校から1957年に国鉄スワローズへ入団。同期に村田元一がいた。1年目から一軍で投げたが投手としては力量不足で勝星を挙げたことも先発したこともなかった。武器はシュート、カーブ、ドロップを武器とした。左ということもあり1961年に打者に転向したが、元投手なのに肩が弱く、打撃も非力でさしたる活躍もないまま1963年限りで引退した。なお、高校の先輩である佐藤孝夫も同年で引退している。
戸張東夫(とばり はるお、1938年7月9日 -2022年1… 戸張東夫(とばり はるお、1938年7月9日 -2022年1月9日、享年83 )は、日本の中国映画・社会・政治・外交評論家。 東京生まれ。東京外国語大学中国語科卒業。読売新聞入社、香港特派員。帰国後、東京本社編集局勤務。産業能率大学経営情報学部教授を務めた。 中国語圏の映画に関する活動は最初は愛好家としてスタートしたが、やがて評論をするようになり、最終的に山田辰雄らの理解もあり学術・研究までもっていった。
水野 信男(みずの のぶお、1937年(昭和12年)7月9日… 水野 信男(みずの のぶお、1937年(昭和12年)7月9日 - )は、日本の民族音楽研究者、兵庫教育大学名誉教授。 1937年、岐阜県生まれ。東京藝術大学大学院修士課程を修了。 島根大学教育学部助教授となり、兵庫教育大学教授に就いた。国立民族学博物館教授を併任。2001年に兵庫教育大学を定年退官し、名誉教授となった。2003年、学位論文『ウンム・クルスーム:ウンマのなかの音』を大阪大学に提出して文学博士号を取得。 2024年(令和6年)8月26日、正四位に叙された。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
森安 重勝(もりやす しげかつ、1937年7月9日 - 19… 森安 重勝(もりやす しげかつ、1937年7月9日 - 1984年1月21日)は、香川県坂出市出身の騎手。実兄はナスノコトブキで菊花賞を、ニットエイトで天皇賞(秋)を制した森安弘明(騎手・調教師)。 1956年9月8日の東京第1競走3歳未勝利・メモリー(13頭中13着)でデビューし、10月7日の東京第4競走4歳以上40万下・ラントウで初勝利を挙げる。同期には矢野進、増沢末夫らが、課程違いの同年デビューに池江泰郎、武邦彦(池江と武は直接厩舎に入って騎手見習生であった)らがいる。関東競馬界の名門・尾形藤吉に師事したが、兄弟子に戦前から主戦を張っていた大騎手・保田隆芳が、弟弟子には後年尾形厩舎の主戦騎手となる伊藤正徳がいたこともあり、現役時代は必ずしも騎乗馬には恵まれなかった。
笹川 ひろし(ささがわ ひろし、本名・笹川浩、1936年7月… 笹川 ひろし(ささがわ ひろし、本名・笹川浩、1936年7月9日 - )は、日本の男性アニメ監督、漫画家、作家。タツノコプロ顧問。福島県会津若松市出身。 手塚治虫のアシスタントから漫画家を経て、タツノコプロの創立時から演出家として活躍。1970年代から1980年代にかけてのタツノコ黄金時代の立役者の一人。代表作は『タイムボカンシリーズ』など。ギャグ作品を多く手がけており、マンネリを生かしたギャグの演出を得意とする。「ギャグアニメの帝王」「アニメ界の欽ちゃん」とも言われた。しかし、当人は『新造人間キャシャーン』のようなシリアスなストーリーが好みであるという。タツノコプロを退社していた80〜90年代前半にかけては『忍者ハットリくん』『パーマン』『オバケのQ太郎』『ポコニャン!』など藤子不二雄作品を多く手掛けていた。
加村 和夫(かむら かずお、1936年7月9日 - )は、日… 加村 和夫(かむら かずお、1936年7月9日 - )は、日本の経営者。神戸屋社長、会長を務めた。 広島県出身。1958年に尾道短期大学経済学科を卒業し、同年に神戸屋に入社。1971年に取締役に就任し、1978年に常務、1987年に副社長を経て、1991年3月に社長に就任し、2002年3月には会長に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
金井 勝(かない かつ、本名読み:まさる、1936年7月9日… 金井 勝(かない かつ、本名読み:まさる、1936年7月9日 - 2026年4月22日)は、日本の映画監督、映像作家。神奈川県出身。 日本大学芸術学部映画学科を卒業後、大映東京撮影所を経てフリーランサーとなり、テレビドキュメンタリーの演出などをしながら「かない勝丸プロダクション」を結成して前衛作品を発表する。 受賞作は、『無人列島』がニヨン国際ドキュメンタリー映画祭:グランプリ、『夢走る』がメルボルン映画祭:最優秀短篇劇映画賞、『スーパードキュメンタリー前衛仙術』がオーバーハウゼン国際短篇映画祭:国際批評家連盟賞。 『無人列島』、『Good-bye』、『王国』の<微笑う銀河系・三部作>発表当初から、『無人列島』を中心に海外での上映も少なからずあったが、オーバーハウゼン国際短編映画祭での<回顧展>を皮切りに映画祭や学会などで<選集や全集>が組まれ、そのトークショーにドイツ、アメリカ、イギリス、ベルギー、スイス、フランスに招待されている。
森 南海子(もり なみこ、1934年7月9日 - )は、日… 森 南海子(もり なみこ、1934年7月9日 - )は、日本の服飾デザイナー、エッセイスト。日本に「リフォーム」という言葉を根付かせたとされ、また布の蒐集家としても知られる。 大阪府大阪市出身。大阪府立北野高等学校卒。本名は松村南海子。戦後まもなく、南海子が小学6年生のとき父が死去し、母と二人で生活する。母・しまは甘粕の出身で甘粕正彦と甘粕重太郎とは従兄弟の関係であり、甘粕石介は母の弟で、南海子の叔父にあたる。 1958年に、大阪の阪神百貨店の洋服売り場で当時「お直し」や「修繕」と言われていた洋服のリフォームの店を出した。「手縫い塾」を主宰し、ホテル阪神の地下にも店を持った。 また、確実な収入源として、1959年にリフォームの店と同じ阪神百貨店の地下に食堂「天ぷら森」を開いた。
千原 薫(ちはら かおる、1934年7月9日- 2020年8… 千原 薫(ちはら かおる、1934年7月9日- 2020年8月23日)は、日本の経営者。アサヒ飲料社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1957年に神戸大学経営学部を卒業し、同年に朝日麦酒(現在のアサヒビール)に入社した。1988年3月に取締役に就任し、1990年6月に常務、1993年3月に専務を経て、1996年2月に副社長に就任。1996年3月にアサヒ飲料副社長に就任し、1999年1月には社長に昇格した。2000年10月に取締役相談役に就任し、2001年3月には相談役に就任。 2020年8月23日に死去。86歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小池 正孝(こいけ まさたか、1934年〈昭和9年〉7月9日… 小池 正孝(こいけ まさたか、1934年〈昭和9年〉7月9日 - )は、日本の政治家、元千葉県四街道市長(1期)。 東京都出身。中央大学法学部卒。四街道市でメダカを保護するNPO法人の理事となり、当時、四街道市が進めていた地域交流センターの建設や保育所民営化に反対する活動を行った。 2008年(平成20年)の市長選挙に立候補し。「ハコモノ行政」からの脱却などを訴えて、現職の高橋操を150票差で破って、初当選する。 2010年(平成22年)、脳梗塞を発症して市内の病院に入院。リハビリ治療に専念していたが、公務復帰の目途が立たない状況となり職務を続けることが困難となったため、任期半ばで辞職した。 また割り箸アートの作家としても知られており、これまでに数々の作品を発表している人物でもある。
原田 尚彦(はらだ なおひこ、1934年7月9日 - )は、… 原田 尚彦(はらだ なおひこ、1934年7月9日 - )は、日本の法学者。専門は行政法。東京大学名誉教授。一橋大学教授・早稲田大学教授を歴任。東京都出身。恩師は田中二郎。 1957年国家公務員採用上級試験(法律)合格。1958年東京大学法学部卒業。同年、三井銀行入社。1960年東京大学法学部助手。1963年立教大学法学部専任講師、1965年自治大学校講師。同年立教大学法学部助教授。1970年東京大学教養学部助教授。 1976年公害健康被害補償予防協会評議員。1977年地方公務員災害補償基金運営審議会委員。1978年中央公害対策審議会委員。1979年東京大学教養学部教授、横浜市係長・消防司令昇進試験委員。
高橋 悦男(たかはし えつお、1934年7月9日 - 202… 高橋 悦男(たかはし えつお、1934年7月9日 - 2024年12月11日)は、日本の俳人・元アメリカ文学者、早稲田大学名誉教授。 静岡県生まれ。早稲田大学文学部英文科卒、同大学院修士課程修了。早大助教授、社会科学部教授。2005年定年、名誉教授。1983年俳誌『海』を創刊、俳句結社海の会主宰。 2024年12月11日、病院で死去した。90歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
増永 迪男(ますなが みちお、1933年7月9日 - 202… 増永 迪男(ますなが みちお、1933年7月9日 - 2025年12月25日)は、日本の登山家、実業家、作家、エッセイスト。 福井県生まれ。広島大学工学部卒。増永酒造合資会社社長を経て、福井山岳会会長。1985年福井県文化芸術賞、2000年福井文化賞受賞。最初の妻は歌人・登山家の佐伯道子。
山川 雄巳(やまかわ かつみ、1932年7月9日 - 200… 山川 雄巳(やまかわ かつみ、1932年7月9日 - 2002年11月24日)は、日本の政治学者。
梶原 寿(かじわら ひさし、1932年7月9日 - 2014… 梶原 寿(かじわら ひさし、1932年7月9日 - 2014年5月6日)は、日本の牧師、神学者。 山梨県出身。チャーチ・オブ・クライスト伝道師、東京神学大学大学院修士課程修了。日本キリスト教団西片町教会副牧師、尾張一宮教会牧師、名古屋学院大学助教授、教授、学長。2004年退任。アベル聖書研究会主催、日本M・L・キング研究会会長。 2014年5月6日午前3時頃、くも膜下出血のため、愛知県名古屋市瑞穂区の病院で死去。82歳没。
宮崎 秀樹(みやざき ひでき、1930年7月9日 - )は、… 宮崎 秀樹(みやざき ひでき、1930年7月9日 - )は、日本の医師・医学博士、政治家。元参議院議員、元自由民主党副幹事長。2004年から2006年まで日本医師会副会長を務めた。
岩崎 卓也(いわさき たくや、1929年7月9日 - 201… 岩崎 卓也(いわさき たくや、1929年7月9日 - 2018年2月4日)は、日本の考古学者、筑波大学教授を歴任。 この間、早稲田大学客員教授(1991年~2000年)、国立歴史民俗博物館客員教授 (1992年~1995年)などを併任。文化財保護では、長野県文化財保護審議会委員、更埴市文化財審議会委員、森将軍塚古墳保存整備委員・発掘調査団長、流山市文化財保護審議会委員、史跡埼玉古墳群保存整備協議会委員などを歴任。
阿部 照哉(あべ てるや、1929年(昭和4年)7月9日 -… 阿部 照哉(あべ てるや、1929年(昭和4年)7月9日 - 2019年(令和元年)9月4日)は、日本の法学者。専門は憲法。京都大学名誉教授、大阪学院大学名誉教授。元近畿大学学長。瑞宝中綬章受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
淺井 良平(あさい りょうへい、1929年7月9日 - 20… 淺井 良平(あさい りょうへい、1929年7月9日 - 2011年12月31日)は、日本の経営者。ヒガシマル醬油社長を務めた。 兵庫県出身。1954年に広島大学工学部を卒業し、1956年6月にヒガシマル醤油に入社した。1966年4月に取締役に就任し、1971年5月に常務、1978年5月に専務を経て、1986年3月に副社長に就任し、1996年3月には社長に昇格した。2002年3月には副会長に就任。 2011年12月31日、心不全のために死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
菊池 功(きくち こう、1928年7月9日 - 2006年2… 菊池 功(きくち こう、1928年7月9日 - 2006年2月5日)は、日本の経営者。安川電機社長、会長を務めた。 大分県中津市出身。1956年に慶應義塾大学工学部を卒業し、同年に安川電機製作所(のちの安川電機)に入社した。1978年に取締役に就任し、常務を経て、1985年に社長に就任した。1996年に会長に就任し、1999年には特別顧問に就任。1994年から1996年までに日本電機工業会会長を務めた。 1989年に藍綬褒章を受章。 2006年2月5日心不全のために死去。77歳没。
水上 久(みなかみ ひさし、1925年7月9日 - )は、北… 水上 久(みなかみ ひさし、1925年7月9日 - )は、北海道小樽市出身の元アルペンスキー選手。 旧制小樽中学校 → 国鉄 1949年、第27回全日本スキー選手権大会のアルペンスキー成年新複合(滑降・回転)で優勝。翌年の同大会同種目では猪谷千春に次いで2位だったが、回転では猪谷を抑えて優勝している。 1952年オスロオリンピック代表に選出され、同オリンピックのアルペンスキー競技では、大回転で26位、滑降・回転では失格した。 引退後はプロに転向し、新潟県でインストラクターをつとめた。
本多 愛男(ほんだ ちかお、1925年〈大正14年〉7月9日… 本多 愛男(ほんだ ちかお、1925年〈大正14年〉7月9日 - 2006年〈平成18年〉6月7日)は、日本の政治家、神奈川県座間町議会議員。第二代座間市市長。位階は従五位。勲四等瑞宝章。 神奈川県高座郡座間町出身。 1944年、昭和19年青年学校中退して、18歳で海軍飛行予科練習生に志願する。25歳で座間青年団長となる。昭和27年座間町教育委員会発足、教育委員になる。 1964年、(昭和39年)9月、座間町議会議員選挙で当選。42歳で社会教育委員長になる。1976年昭和51年無所属で立候補し、座間市市長を務めた。 1989年座間市大凧保存会会長となる。1999年春の叙勲で勲四等瑞宝章を受章。2006年6月7日、持病が悪化したため死去。
松野 宏軌(まつの こうき、まつの ひろき 1925年7月9… 松野 宏軌(まつの こうき、まつの ひろき 1925年7月9日 - 没年月日不明)は、日本の映画監督・テレビディレクターである。岡山県都窪郡清音村(現・総社市)の生まれ。本名は松野 博(まつの ひろし)。 1944年、浪速工業高等専門学校を卒業。学生時代から映画好きで、1950年、松竹京都撮影所に入社。演出部に配属され、助監督として伊藤大輔、成瀬巳喜男、野村芳太郎、大曽根辰保に師事。1964年、菊池靖と共同で『続道場破り・問答無用』で監督に昇格。その後『いも侍』シリーズを手がけたが、邦画の斜陽化もあり1973年にフリーに。それと前後してテレビ映画の演出も手がけ始め、『鞍馬天狗』(MBS)、『必殺シリーズ』(ABC)など、主に時代劇を手がけた。
山上 伊豆母(やまかみ いずも、1923年(大正12年)7月… 山上 伊豆母(やまかみ いずも、1923年(大正12年)7月9日 - 2008年1月11日)は、日本の民俗学者。 京都府生まれ。父は神官、歌人の山上忠麿(1887年 - 1965年)。國學院大學卒、立命館大学卒、同志社大学大学院、帝塚山大学教養学部教授。1974年「古代祭祀伝承の研究」で國學院大學文学博士。1994年定年退任。
吉江 英四郎(よしえ えいしろう、1922年7月9日 - 1… 吉江 英四郎(よしえ えいしろう、1922年7月9日 - 1986年1月21日)は、カナダ生まれ、宮城県出身のプロ野球選手(投手)。 仙台一中では第26回全国中等学校優勝野球大会に出場した。翌年に早稲田大学へ進学し卒業後地元のアマチュア野球チームの仙台広瀬倶楽部に入った。1948年に急映フライヤーズに入団。1年目に48試合に登板し16勝19敗と新人ながら2桁勝利を記録した。翌年は9勝を挙げ、1950年に読売ジャイアンツへ移籍し同年に退団。退団した次の年に社会人野球の大昭和製紙でプレーし第24回都市対抗野球大会で優勝を経験した。
越智 泰二郎(おち たいじろう、1922年7月9日 - 19… 越智 泰二郎(おち たいじろう、1922年7月9日 - 1984年8月25日)は、日本の経営者。島根県出身。 1944年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、後に日本勧業銀行に入行。1973年11月に取締役に就任し、1977年7月に北越製紙常務、1979年7月に専務を経て、1983年7月から1984年5月までに社長を務めた。 1984年8月25日甲状腺癌のために死去。62歳没。
荒木 義朗(あらき よしろう、1921年(大正10年)7月9… 荒木 義朗(あらき よしろう、1921年(大正10年)7月9日 - 1989年(平成元年)6月3日)は、日本の銀行家。富士銀行頭取、会長、全国銀行協会連合会会長、経済同友会副代表幹事を歴任した。 東京生まれ。府立高等学校を経て京都帝国大学法学部を卒業。学徒出陣し陸軍経理学校で終戦を迎える。 1945年(昭和20年)秋に安田銀行(後の富士銀行)に入行。本店の貸付審査部門を長く担当し、本所、広島の支店長を歴任した。 1970年(昭和45年)取締役に選任され、73年に常務、75年に副頭取、81年から頭取を務め、87年に会長に退く。この間、全銀協会長を2度務め、経済同友会副代表幹事を6年間にわたり担った。
山中 貞則(やまなか さだのり、1921年〈大正10年〉7月… 山中 貞則(やまなか さだのり、1921年〈大正10年〉7月9日 - 2004年〈平成16年〉2月20日)は、日本の政治家。鹿児島県囎唹郡末吉村大字深川(現在の曽於市末吉町深川)出身。位階・勲等は正三位勲一等。称号は沖縄県名誉県民等多数。 衆議院議員(17期)、沖縄開発庁長官(初代)、防衛庁長官(第31代)、自由民主党政務調査会長(第23代)、通商産業大臣(第41代)などを歴任した。 税制のスペシャリストとして長年にわたり自民党税調に君臨し、「税調のドン」と呼ばれた。ニックネームは「ヤマサダ」、「ヤマテイ」。浜田幸一や一部の官僚達からは名前の「貞則」を音読みした「テイソク」と呼ばれた。 旧制宮崎県立都城中学校(現在の宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校)、台湾・台北第二師範学校を卒業後、高雄州の国民学校で教職を務める。
金 正熙(キム ジョンヒ、英: Kim Jeong-hui、… 金 正熙(キム ジョンヒ、英: Kim Jeong-hui、1921年7月9日 - 1975年11月2日)は北朝鮮の建築家・都市計画家。1940年代から1950年代にかけて、平壌の都市計画に携わったことで知られる。一般にも1987年に公開された映画『ある建築家に関する話』(한 건축가에 대한 이야기)で知られるようになる。 平壌は朝鮮戦争で壊滅的に破壊されたが、停戦後、ソ連の援助で復興事業が開始され、1951年の金の都市デザインにより、社会主義国特有の広場や、スターリン様式を取り入れたプロパガンダ色の濃い町が建設された。金はその後、平壌のみならず北朝鮮各地の都市復旧建設事業に尽力していく。 平安北道の農家の子として出生。
肥田野 直(ひだの ただし、1920年7月9日 - )は、東… 肥田野 直(ひだの ただし、1920年7月9日 - )は、東京出身の日本の教育心理学者。東京大学・大学入試センター名誉教授、学校法人旭出学園理事長。
橋本 公亘(はしもと きみのぶ、1919年〈大正8年〉7月9… 橋本 公亘(はしもと きみのぶ、1919年〈大正8年〉7月9日 - 1998年〈平成10年〉2月6日)は、日本の法学者。専門は憲法、行政法。 1990年まで中央大学法学部教授(法学部長等を歴任)。中央大出身者としての初の日本学士院会員(1992年12月14日から)。1962年から1964年まで第一次臨時行政調査会の臨時委員を務めた。正五位勲二等瑞宝章。 橋本は、高等文官試験司法科・行政科をそれぞれ4番の成績で合格した秀才である。大学卒業後内務省に入ったが、第二次大戦中、短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、1942年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。
瓜谷 良平(うりたに りょうへい、1918年7月9日 - 1… 瓜谷 良平(うりたに りょうへい、1918年7月9日 - 1993年12月1日)は、日本のスペイン語学者。拓殖大学教授を歴任。 兵庫県出身。東京外国語学校スペイン語科卒。拓殖大学助教授、教授。1989年定年、名誉教授。子は瓜谷望(1952- )スペイン語学者、拓殖大学教授。
小寺 武四郎(こでら たけしろう、1912年7月9日 - 2… 小寺 武四郎(こでら たけしろう、1912年7月9日 - 2004年7月23日)は、日本の経済学者。第10代学校法人関西学院院長、元関西学院大学学長および経済学部教授。専門は金融論、国際金融論。日本金融学会第5代会長。 大日本紡績(後のユニチカ)社長・小寺源吾の四男。実弟はユニチカ社長を務めた小寺新六郎。元関西学院高等商業学部教授・小寺敬一は叔父。
高野 百介(たかの ももすけ、1912年7月9日 - 戦死)… 高野 百介(たかの ももすけ、1912年7月9日 - 戦死)は、長野県出身のプロ野球選手(外野手)。
小川 信雄(おがわ のぶお、1912年(明治45年)7月9日… 小川 信雄(おがわ のぶお、1912年(明治45年)7月9日 - 2002年(平成14年)9月6日)は、日本のエンジニア・実業家。日亜化学工業創業者、元社長、元会長。同社を世界有数の蛍光灯用・ブラウン管テレビ用蛍光体メーカーに育て上げ、中村修二の青色発光ダイオード開発も決定、支援した。阿南市名誉市民。子供は男女各2人の4人。現・日亜化学工業会長の小川英治は長女の婿養子。 1912年(明治45年)7月9日、徳島県那賀郡長生村(現・阿南市長生町)において、久積鶴吉・ソノ夫妻の末子として誕生。高等小学校卒業後の1927年(昭和2年)、県立富岡中学校(現・富岡西高校)に入学。同級生に後藤田正晴が居て、柔道部で小川と後藤田は互いを認める間柄となった。
吉田 五郎(よしだ ごろう、1911年7月9日 - 1994… 吉田 五郎(よしだ ごろう、1911年7月9日 - 1994年3月8日)は、日本の法学者。専門は民法。第8代目八幡大学(現・九州国際大学)学長。 1911年、関東州大連生まれ。兵庫県出身の実父は幼少時に漢学を学んだ後に満州に渡った人物で、豪商として財を成していた。旧制大連一中より旧制山口高等学校に入学。1931年(昭和6年)、京都帝国大学法学部に入学。末川博教授の薫陶を受け民法・労働法を学んだ。1933年に京都帝国大学で滝川事件が起こった際には、時の文部大臣鳩山一郎に面会を強要し上京。強烈な抗議文をつきつけた法学部数名の中に吉田五郎の名があった。この抗議文は当時の新聞にも掲載された。1934年、京都帝国大学法学部を卒業。
信 欣三(しん きんぞう、1910年7月9日 - 1988年… 信 欣三(しん きんぞう、1910年7月9日 - 1988年12月26日)は、日本の俳優。本名は信 金蔵。1960年代半ばから1970年代半ばにかけては、信 欽三の芸名でも活動した。脚本家・小説家の筒井ともみは義理の姪。墓所は谷中霊園。 東京市出身。祖父の信大蔵は、旧尾張藩士で、幕府軍に参加し箱館戦争を戦ったが、敗れたため逃れたという。その後銀座尾張町にて洋酒、牛乳、氷屋の函館屋を開き、特に幕府顧問のフランス人より習ったアイスクリーム販売が名物であった。 銀座の泰明小学校、東京府立第一商業学校(現、東京都立第一商業高等学校)卒業。東京左翼劇場を経て、1933年に『河向ふの青春』で映画に初出演した。
岸 風三楼(きし ふうさんろう、1910年7月9日 - 19… 岸 風三楼(きし ふうさんろう、1910年7月9日 - 1982年7月2日)は、岡山県出身の俳人。御津郡馬屋下村松尾(現岡山市北区松尾)生まれ。本名・二三男。 旧制関西中学校を経て関西大学法学部を卒業、1929年大阪逓信省に入省。俳句は中学4年時より始め『山陽新報』(現・山陽新聞)に投句。1929年より「ホトトギス」に投句。皆吉爽雨、山口誓子の指導を受ける。1933年、職場句会を通じて「若葉」を知り入会、富安風生に師事する。1934年、「京大俳句」に入会。京大俳句事件にて追及を受けた。この際、逓信省の高級官吏であった風生の擁護で難を免れたとも言われる。1944年、「若葉」編集長。風生の「若葉」運営に献身。
朝比奈 隆(あさひな たかし、1908年(明治41年)7月9… 朝比奈 隆(あさひな たかし、1908年(明治41年)7月9日 - 2001年(平成13年)12月29日)は、大阪フィルハーモニー交響楽団(大阪フィル)の音楽総監督を務めた日本の指揮者。位階は従三位。 左利き(指揮棒は右だが、包丁は左)。朝比奈の出生には謎があり、中丸美繪著『オーケストラ、それは我なりー朝比奈隆 四つの試練』が詳しい。 著名な家族に、長男の朝比奈千足(指揮者、クラリネット奏者)。 1908年、東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)市谷砂土原町の小島家に生まれ、生後まもなく鉄道院技師朝比奈林之助の養子となり朝比奈姓となる。 虚弱児だったため乳母と共に神奈川県国府津の漁村に預けられ、国府津町立国府津尋常小学校(現:国府津小)を経て小田原町立第三尋常小学校(現:新玉小)に学ぶ。
岡 藤次郎(おか とうじろう、1908年7月9日 - 199… 岡 藤次郎(おか とうじろう、1908年7月9日 - 1996年9月22日)は、日本の経営者。三菱油化(現・三菱ケミカル)社長を務めた。三重県出身。 1933年に大阪帝国大学工学部応用化学科を卒業し、同年に大阪市立工業研究所に入所。翌年に三菱化成に移り、1956年に三菱油化に移った。翌年に取締役に就任し、1969年に社長に昇格した。1972年から相談役を務めた。 1996年9月22日心筋梗塞のために死亡。88歳没。墓所は神奈川県鎌倉市の鎌倉霊園。
清水 幾太郎(しみず いくたろう、1907年7月9日 - 1… 清水 幾太郎(しみず いくたろう、1907年7月9日 - 1988年8月10日)は、日本の社会学者・評論家。学習院大学教授などを歴任。 1907年、東京市日本橋区(現在の東京都中央区)の竹屋の息子として生まれた。祖父は江戸幕府旗本であった。獨協中学、旧制東京高校を経て、東京帝国大学文学部社会学科卒業。文学部社会学科時代の恩師は戸田貞三。在学中からオーギュスト・コントの研究にいそしむ。中学時代にドイツ語を学んで堪能であったが、フランス語は大学時代に習得したものである。 大学卒業後、1931年東京帝国大学社会学研究室副手に採用された。社会学研究室副手の2代前の副手が同じ戸田貞三門下の兄弟子牧野巽で、牧野は清水を弟と思い、清水は牧野を兄と思い親しくしていた。