沼部 春友(ぬまべ はるとも、1938年6月11日 - 20… 沼部 春友(ぬまべ はるとも、1938年6月11日 - 2022年5月3日)は、日本の神道学者。國學院大學伝統文化リサーチセンター客員教授、同大学講師。専門は神道祭祀儀礼。栃木県須賀神社宮司。 1938年(昭和13年)、栃木県小山市の須賀神社の社家に生まれる。父は同社宮司の沼部忠雄。 1961年(昭和36年)、國學院大學文学部神道学科を卒業した後、同年中に須賀神社禰宜に任じられた。 1962年(昭和37年)、國學院大學文学部副手に就任。1967年(昭和42年)同大大学院博士課程神道学専攻修了。1970年(昭和45年)、同大文学部講師となる。 1981年(昭和56年)、父・忠雄から宮司職を継承した。
山田 俊昭(やまだ としあき、1937年6月11日 - )は… 山田 俊昭(やまだ としあき、1937年6月11日 - )は、日本の政治家。第二院クラブ所属の元参議院議員(2期)。弁護士。 愛知県出身。1962年中央大学法学部卒。司法試験に合格後、1971年に弁護士登録。1986年の参院選で比例区から第二院クラブ公認で立候補したが落選(第3位)。1989年の参院選で比例区から第二院クラブ公認で立候補したが落選(第3位)。1992年いずみたくの死去に伴い繰上当選。同年の参院選で落選(第2位、名簿1位は青島幸男)。1995年青島幸男の東京都知事選挙立候補に伴い繰上当選。1998年の参院選に出馬せず引退した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
野田 弘志(のだ ひろし、1936年 6月11日 - )は、… 野田 弘志(のだ ひろし、1936年 6月11日 - )は、日本の画家。近縁の画風で知られる中山忠彦、森本草介とは同世代で旧知の間柄。 野田は、凡そ10年単位でその個人様式を大きく転換させるという特徴的な変遷を見せる。しかしその核心は一貫しており、モチーフを細密に写真で記録し徹底した描写でカンバスに再現する粘り強いリアリズム表現が際立つ。1992年以降は低彩度の明るい色(ライトグレーや白)などを中心としており、安定している。 1970年代から1997年頃まで、藤田吉香にも似た、シンプルな大面積の背景を特徴として画面を構成してきた所があるが、近年では、大面積でシンプルな背景は影を潜めている。 1970年から絵画制作に専念し先ず制作された絵画は、黒い背景によって特徴づけられる絵画である。
大高 善兵衛(おおたか ぜんべえ、1935年6月11日 - … 大高 善兵衛(おおたか ぜんべえ、1935年6月11日 - 2014年8月3日)は日本の実業家、元ヨークベニマル社長。 福島県立安積高等学校を卒業し、父親の大高善雄が創業した紅丸商店(現ヨークベニマル)に専務取締役として入社する。1963年、紅丸商事株式会社(現ヨークベニマル)代表取締役社長に就任。1994年、社長を弟の大高善二郎と交代し相談役に就任。同年から郡山商工会議所第19代会頭を務める。2007年にヨークベニマル相談役及び郡山商工会議所会頭を退任した。
渡辺 みどり(わたなべ みどり、1934年〈昭和9年〉6月1… 渡辺 みどり(わたなべ みどり、1934年〈昭和9年〉6月11日- 2022年〈令和4年〉9月30日)は、日本の皇室ジャーナリスト。文化女子大学客員教授、元日本テレビ放送網報道局エグゼクティブ・プロデューサー。渡辺自身は、旧字体で「渡邉みどり」と表記していた。 1934年に東京府で生まれた。母の渡邉貞は秋田県の田舎から上京し、看護婦からダンスホールのダンサーをしていた頃に、当時学生だった古屋亨と知り合って関係をもち、みどりを私生児として出産した。 戦時中に秋田県鹿角郡花輪町(現・鹿角市)に疎開。港区立青南小学校を経て、東京女学館中学校・高等学校に進学。文化祭で原爆展を企画したことを学校から咎められ、東京都立城南高等学校に転校した。
福地 茂雄(ふくち しげお、1934年6月11日 - 202… 福地 茂雄(ふくち しげお、1934年6月11日 - 2024年1月29日)は、日本の経営者。位階は正四位、旭日重光章受章。 アサヒビール(旧朝日麦酒)社長・会長・相談役、第19代日本放送協会(NHK)会長を歴任したほか、日本相撲協会横綱審議委員会委員も務めた。2011年、財団法人新国立劇場運営財団理事長に就任。2014年2月、一般財団法人防災検定協会顧問に就任。 福岡県戸畑市(現北九州市戸畑区)出身。福岡県立小倉高等学校商業科(その後同科は福岡県立小倉商業高等学校となる)を経て長崎大学経済学部卒業後、1957年4月、朝日麦酒に入社。以後、長く営業畑を歩んだ。 京都支店長、本社営業部長を経て、住友銀行(現三井住友銀行)出身の樋口廣太郎に抜擢され1988年3月に取締役就任、大阪支店長を兼務した。
石田 泰三(いしだ やすぞう、1934年6月11日 - )は… 石田 泰三(いしだ やすぞう、1934年6月11日 - )は、福岡県豊前市出身の元プロ野球選手(内野手)。
原 ひろ子(はら ひろこ、1934年6月11日 - 2019… 原 ひろ子(はら ひろこ、1934年6月11日 - 2019年10月7日)は、日本の文化人類学者。お茶の水女子大学名誉教授。専門は、文化人類学、ジェンダー研究。女性科学研究者の環境改善に関する懇談会会長、城西国際大学客員教授。 京城府(現:ソウル)生まれ。旧姓・須江。1957年東京大学教養学部文化人類学卒業、同大学院修士課程修了、米国ブリンマー大学大学院博士課程修了、Ph.D。拓殖大学助教授、法政大学助教授、お茶の水女子大学教授、1998年定年退官、名誉教授、放送大学教授、城西国際大学客員教授。日本学術会議連携会員、日本女性監視機構(JAWW)代表、アジア・太平洋地域女性監視機構(APWW)代表、女性と健康ネットワーク副代表・事務局長。
阿部 百合子(あべ ゆりこ、1933年6月11日 - )は、… 阿部 百合子(あべ ゆりこ、1933年6月11日 - )は、群馬県出身の女優、タレント。俳優座所属。身長161cm、体重47kg。矢野宣は夫。 群馬県立高崎女子高等学校、群馬大学教育学部音楽専攻卒業後、俳優座養成所を経て俳優デビュー。 趣味は映画鑑賞。特技は習字・料理。
笠原 茂(かさはら しげる、1933年(昭和8年)6月11日… 笠原 茂(かさはら しげる、1933年(昭和8年)6月11日 - 1990年(平成2年)11月13日 )は、新潟県新潟市出身のアマチュアレスリング選手でのちに明治大学農学部教授。1956年メルボルンオリンピックレスリング男子フリースタイルライト級銀メダリスト。
松原 光彦(まつばら みつひこ、1933年6月11日 - )… 松原 光彦(まつばら みつひこ、1933年6月11日 - )は、日本の建築材料・建築工学者。大阪工業大学工学部建築学科元助教授。工学修士。元建築学教室担当。岐阜県出身。 専門は、建築材料・建築生産、建築構造・コンクリート工学。 大阪工業大学工学部建築学科卒業。1957年同大学工学部建築学科助手、建築学教室担当。その後、講師を経て(工学修士)、1995年同学科助教授。1997年大阪工業大学退官。 大阪工業大学工学部建築学科にて40年の長きに渡り教鞭を執り、建築材料・建築生産・建築構造の研究育成に貢献した。 主な所属学会は、日本建築学会、日本材料学会、日本コンクリート工学協会。
河合 伸一(かわい しんいち、1932年6月11日 - )は… 河合 伸一(かわい しんいち、1932年6月11日 - )は、日本の弁護士・元最高裁判所判事。京都大学卒業。 旧制第三神戸中学校(在学中に新制兵庫県立長田高等学校へと移行)を卒業。京都大学法学部では商法学者の大隅健一郎に師事し、在学中に司法試験に合格。 1955年京大卒業。いったん裁判官になったが家庭の事情で弁護士に転身。大阪弁護士会副会長などを歴任し、関西では経済通として知られた弁護士だった。阪神タイガースのランディ・バースの契約問題やイトマン事件にも関わった。弁護士業務のポリシーとして「依頼者と共に苦しんだり悩んだりして、司法の分野では社会と一番密着できる。記録の中から、当事者の姿が見える仕事ができれば」と語った。
阿部 進(あべ すすむ、1930年6月11日 - 2017年… 阿部 進(あべ すすむ、1930年6月11日 - 2017年8月10日)は、教育評論家。 神奈川県川崎市出身。神奈川県立神奈川工業高等学校(機械科)・横浜国立大学学芸学部特殊教員養成課程卒。川崎市内で小学校教諭を務めたあと、1964年(昭和39年)に教職を退き、創造教育センターを設立し野生学園を主宰。1980年(昭和55年)には児童文化の活性化を目標に劇団はかせを主宰。麻布科学実験教室を創設。評論家の道へ進む。 「カバゴン」を自称し、高度経済成長期から亡くなるまで精力的に教育活動を行っていた。現在でも使われる「現代っ子」は、1962年の阿部の造語。 「カバゴン」は、『日清ちびっこのどじまん』に出演した際に、番組での視聴者からの公募の結果選ばれたものである。
舘石 昭(たていし あきら、1930年6月11日 - 201… 舘石 昭(たていし あきら、1930年6月11日 - 2012年9月9日)は、日本の水中写真家。株式会社水中造形センター会長。 千葉県館山市出身。1958年、羽仁進監督の長編ドキュメンタリー映画『海は生きている』で水中撮影を担当するなど、水中写真・水中撮影というジャンルを開拓。1969年には日本初のスキューバダイビング専門誌である『マリンダイビング』を創刊した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
遠藤 優(えんどう まさる、1929年6月11日 - 201… 遠藤 優(えんどう まさる、1929年6月11日 - 2011年2月23日)は、平成期の実業家。元イビデン社長。東京都出身。 営業出身であり、かつて多賀潤一郎(現・イビデン最高顧問)の直属の部下であったという。就任直後のバブル景気の崩壊により経営は苦戦したが、イビデンをプリント基板などの電子関連を主力にするなどを行い、改革を進めたという。
中村 寛之助(なかむら かんのすけ、1928年6月11日- … 中村 寛之助(なかむら かんのすけ、1928年6月11日- 2010年3月31日 )は、日本の経営者。協和発酵工業社長、会長を務めた。 鳥取県出身。1953年に京都大学経済学部を卒業し、同年に協和醱酵工業に入社した。1976年3月に取締役に就任し、1982年3月に常務、1985年3月に専務を経て、1987年3月に副社長に就任し、1991年8月には社長に昇格。1996年3月に会長に就任し、1998年6月に取締役相談役を経て、2001年6月に相談役に就任。 2002年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2010年3月31日、肺炎のために死去。81歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
魚谷 増男(うおたに ますお、1927年6月11日 - 20… 魚谷 増男(うおたに ますお、1927年6月11日 - 2017年7月24日)は、日本の警察官僚、法学者。元愛媛県警察本部長、平成国際大学名誉教授、慶應義塾大学博士(法学)。
川添 利幸(かわぞえ としゆき、1925年〈大正14年〉6月… 川添 利幸(かわぞえ としゆき、1925年〈大正14年〉6月11日 - 2022年〈令和4年〉8月22日)は、日本の法学者。専門は憲法。中央大学名誉教授。元中央大学学長。指導学生に山下威士、畑尻剛、石川敏行、工藤達朗らがいる。 新潟県出身。1950年中央大学法学部卒業。 同法学部助手。1954年同法学部専任講師。1954年同法学部助教授。1962年同法学部教授。1964年同大学院法学研究科教授。1966年ドイツ・エバーハルト・カール大学テュービンゲンにて在学研究。1969年中央大学評議員。1973年中央大学法学部長・同大学院法学研究科委員長。中央大学理事。1977年同法学部長( - 1979年)。
宮城 弘(みやぎ ひろし、1923年6月11日 - 1989… 宮城 弘(みやぎ ひろし、1923年6月11日 - 1989年9月26日)は、日本の工学者。日本大学名誉教授。 長野県生まれ。1941年(昭和16年)旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。1955年(昭和30年)日本大学大学院旧工学研究科(現理工学研究科)課程修了。1977年(昭和52年)~1985年(昭和60年)、1987年(昭和62年)~1989年(平成元年)の間、日本大学理工学部電気工学科主任を務めた。 1983年(昭和58年)8月、当時の宮城弘教授、木方靖二専任講師(後に理工学部教授)、鈴木勝行助手(後に理工学部教授)らにより、愛媛県来島海峡沖に設置された海上設置型潮流発電装置により、世界初の潮流発電(850w)に成功した。
木幡 瑞枝(こばた みずえ、1923年6月11日 -2018… 木幡 瑞枝(こばた みずえ、1923年6月11日 -2018年1月26日)は、日本の美学者、文芸評論家、東京女子大学名誉教授。 島根県出身。旧姓・須佐。夫は木幡順三。1949年東京女子大学外国語学部卒、1952年東京大学文学部美学美術史学科卒。同大学院に学び、実践女子大学助教授、1966年東京女子大学短期大学部教授、88年同現代文化学部教授。92年定年退任、名誉教授。
高木 宏夫(たかぎ ひろお、1921年6月11日 - 200… 高木 宏夫(たかぎ ひろお、1921年6月11日 - 2005年8月27日)は、日本の宗教学者。 大阪府出身。皇學館大学卒、1949年(昭和24年)東京帝國大學文学部宗教学科卒、同年東京大学東洋文化研究所助手、、1958年(昭和33年)東洋大学社会学部助教授、教授。同井上円了記念学術センター初代所長。1992年(平成4年)定年退任、名誉教授。 著作「日本人の宗教生活の実体」で1956年第一回姉崎記念賞。
楠 正俊(くすのき まさとし、1921年〈大正10年〉6月1… 楠 正俊(くすのき まさとし、1921年〈大正10年〉6月11日 - 2007年〈平成19年〉12月13日)は、日本の政治家。参議院議員(3期、自由民主党)。海軍軍人。東洋英和女学院大学教授の楠精一郎は息子。 1921年(大正10年)東京府(現在の東京都)生まれ。1947年(昭和22年)文部省大臣官房宗務課(現在の文化庁文化部宗務課)勤務。3年勤務した後、1951年に設立された新宗連の結成に事務局員として参加。後に事務局長を務める。 1965年(昭和40年)第7回参議院議員通常選挙で全国区に自由民主党から出馬し、初当選。1971年(昭和46年)第9回参議院議員通常選挙全国区で再選。1973年(昭和48年)4月30日自民党の玉置和郎参議院議員、藤尾正行衆議院議員と訪台。
吉國 二郎(よしくに じろう、1919年6月11日 - 19… 吉國 二郎(よしくに じろう、1919年6月11日 - 1997年9月5日)は、日本の大蔵官僚、実業家。位階は従三位。国税庁長官(第11代)、大蔵事務次官、横浜銀行頭取を務めた。 神奈川県出身。旧制東京高等学校を経て1941年11月、東京帝国大学法学部法律学科卒業後、大蔵省に入省(預金部兼大臣官房文書課)。短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。1943年6月、海軍省調査課勤務となる。同年11月、海軍主計大尉に昇進。1945年9月に予備役に編入された。 1945年10月に下京税務署長。主税局税制第二課長、理財局証券第二課長、理財局証券第一課長、主税局総務課長、主税局総務課長兼主税局国際租税課長、主税局総務課長、大臣官房文書課長、大臣官房財務調査官(主税局担当)、東京国税局長などを経て、1967年8月に証券局長、同年11月に主税局長、1969年より国税庁長官に就任。
宮澤 章二(みやざわ しょうじ、1919年6月11日 - 2… 宮澤 章二(みやざわ しょうじ、1919年6月11日 - 2005年3月11日)は、日本の詩人・作詞家。
脇田 芳未(わきた よしみ、1919年6月11日 - 200… 脇田 芳未(わきた よしみ、1919年6月11日 - 2000年6月20日)は、日本の経営者。井村屋製菓社長を務めた。三重県出身。 1941年に和歌山高等商業学校を卒業し、同年に井村屋に入社。1964年に専務に就任し、1974年に副社長を経て、1979年6月には社長に就任。1985年6月から監査役を務めた。 2000年6月20日直腸がんのために死去。81歳没。
荒川 久壽男(あらかわ くすお、1918年〈大正7年〉6月1… 荒川 久壽男(あらかわ くすお、1918年〈大正7年〉6月11日 - 1986年〈昭和61年〉12月31日)は、日本の歴史学者。元皇學館大学教授。 大正7年(1918年)6月、茨城県に生まれる。茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)、水戸高等学校を経て、昭和16年(1941年)3月に東京帝国大学文学部国史学科を卒業する。直ちに同大学の副手となる。1942年1月、海軍教授となり、土浦市地域と三重県内の海軍航空隊で教鞭をとった。 戦後は1947年(昭和22年)4月より茨城県日立市立中学校(現在の茨城県立日立工業高等学校)教諭、1948年7月より茨城県立水海道第一高等学校教諭、1958年4月より茨城県立水戸第二高等学校教諭、1964年4月より皇學館大学助教授、1968年より同大学教授にそれぞれ就任した。
河崎 晃夫(かわさき てるお、1918年6月11日 - 20… 河崎 晃夫(かわさき てるお、1918年6月11日 - 2000年7月7日)は、日本の経営者。三菱レイヨン社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1943年に慶應義塾大学経済学部経済学科を卒業し、同年に日本化成工業に入社。1971年11月に三菱レイヨン取締役に就任し、1975年5月に常務、1979年6月に専務を経て、1982年6月に副社長に就任し、1983年6月には社長に就任。1988年6月に会長に就任し、1993年6月から相談役を務めた。 1992年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2000年7月7日肝不全のために死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
諏訪 博(すわ ひろし、1915年(大正4年)6月11日 -… 諏訪 博(すわ ひろし、1915年(大正4年)6月11日 - 1989年(平成元年)12月9日)は、日本の実業家。北海道小樽市出身。TBS社長などを務めた。 小樽中学校(現・北海道小樽潮陵高等学校)、慶應義塾大学経済学部卒業後、国際電気通信に入社。 1951年(昭和26年)、TBSの前身であるラジオ東京の設立に参加。ラジオ編成部長、テレビ演出部長、テレビ営業局長、1964年(昭和39年)11月常務を歴任。1969年(昭和44年)11月28日社長に昇格、1977年(昭和52年)6月29日会長に退き、山西由之に社長を譲る。 1983年(昭和58年)相談役、1986年(昭和61年)山西が死去したため3月25日会長に復帰し、1989年(平成元年)6月29日特別顧問。
横井 大三(よこい たいぞう、1914年6月11日 - 20… 横井 大三(よこい たいぞう、1914年6月11日 - 2006年7月22日)は、日本の検察官。最高裁判所判事。本籍は神奈川県だが、生まれたのは朝鮮平安北道。 旧制府立高等学校を経て1937年(昭和12年)に東京帝国大学法科を卒業。司法官試補となり、1938年(昭和13年)から裁判官として法曹キャリアをスタートさせ、東京・新潟地裁などに勤務したが、1945年(昭和20年)4月に司法省に転じ、以降は検察官となる。現行刑事訴訟の「証拠」の項目をGHQと折衝しながらつくりあげた。その後、刑事局参事官、刑事局刑事課長、ついで東京地検、東京高検、最高検それぞれの公判部長を務めた。 仙台高検検事長、名古屋高検検事長を務めた後、1977年(昭和52年)6月に定年退官し、約1年間専修大学の教授をしていた。
森 寅雄(もり とらお、1914年〈大正3年〉6月11日 -… 森 寅雄(もり とらお、1914年〈大正3年〉6月11日 - 1969年〈昭和44年〉1月8日)は、日本人の剣道家、フェンシング選手。剣道の段位は八段(範士追贈)。米国フェンシング界では「タイガー・モリ」の異名をとった名選手である。昭和初期の日本剣道界、米国フェンシング界でトップクラスの実力を持ちながら、さまざまな事情で優勝を逃した「悲運の剣士」としても知られる。 群馬県山田郡桐生町新宿(現・桐生市新宿)に、野間(旧姓・岡田)善次郎・ヤスの子として生まれる。初名は野間 寅雄。曽祖父は幕末の北辰一刀流玄武館四天王の一人である森要蔵。寅雄の名は、要蔵とともに白河戦争で戦死した彼の息子(野間寅雄の大叔父)・森寅雄にちなんだものである。
土倉 麻(どぐら あさ、1914年6月11日 - 2008年… 土倉 麻(どぐら あさ、1914年6月11日 - 2008年4月20日)は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走。1932年ロサンゼルスオリンピックに女子100メートル競走および400メートルリレー走で出場。 同じロサンゼルスオリンピック参加者の田島直人と結婚し、田島姓となった。日本のオリンピック選手同士の結婚の第一号である。 京都市出身。祖父は「大和の山林王」と謳われた土倉庄三郎で、庄三郎の長男・鶴松の娘が麻である。 京都府立京都第一高等女学校高等科(現在の京都府立鴨沂高等学校)在学中、1932年ロサンゼルスオリンピックに女子100メートル競走および400メートルリレー走に出場。前者は予選落ちしたが、後者で日本チーム(他に中西みち・村岡美枝・渡辺すみ子)は5位に入賞した。
三枝 三郎(さいぐさ さぶろう、1913年(大正2年)6月1… 三枝 三郎(さいぐさ さぶろう、1913年(大正2年)6月11日 - 2014年(平成26年)2月22日)は、日本の内務・警察官僚、政治家。衆議院議員(3期)、福田派。 白鳥大橋の建設に尽力した。 北海道、現在の室蘭市で生まれる。旧制室蘭中学校(現北海道室蘭栄高等学校)を経て、1939年(昭和14年)東京文理科大学哲学科を卒業。同年10月、高等試験行政科に合格。同年、内務省入省し大阪府属となる。 以後、三重県、福岡県で勤務。1945年(昭和20年)宮内省書記官、1946年(昭和21年)警視庁警備交通部警備課長、1954年(昭和29年)警視長・和歌山県警察本部長、1960年(昭和35年)初代内閣総理大臣官房広報室長、1964年(昭和39年)総理府特別地域連絡局長を歴任。
三木 正太郎(みき しょうたろう、1913年6月11日 - … 三木 正太郎(みき しょうたろう、1913年6月11日 - 1988年10月4日)は、日本の思想史学者。皇學館大学教授。平田篤胤についての研究で知られる。 大阪府大阪市に生まれる。1934年(昭和9年)に大阪高等学校を卒業、1937年(昭和12年)に東京帝国大学文学部を卒業、東京帝国大学副手となる。 1938年(昭和13年)に応召される。1941年(昭和16年)に大阪府主事、浪速高等学校教授を嘱託されるが、再び応召される。1943年(昭和18年)に三度目の応召。1946年(昭和21年)に復員し、大阪府立図書館の司書となる。 1950年(昭和25年)に大阪府主事、1952年(昭和27年)に大阪社会事業短期大学助教授、1958年(昭和33年)に同大学教授。
森岡 健二(もりおか けんじ、1912年〈大正元年〉6月11… 森岡 健二(もりおか けんじ、1912年〈大正元年〉6月11日 - 2008年〈平成20年〉3月27日)は、日本の国語学者、上智大学名誉教授。 宮城県栗原郡生まれ。教員だった父の転勤で山形県、佐賀県に移り、佐賀高等学校を経て、1940年東京帝国大学国語国文学科卒。大学院に進むが、兵役のため1945年に退学。満洲勤務を経て1946年に広島高等学校教授、1949年に国立国語研究所所員、1953年に東京女子大学助教授、1958年に同教授。1970年に上智大学教授、1988年に定年退職、名誉教授。学外では、国語審議会委員をたびたび務めた。 兄は岡山大学教授・森岡常夫。 近代語の成立に関して、英華辞典や英和辞典における訳語を方法の変遷から調査し、それを中村正直や西周などの翻訳や聖書和訳と対照することで、それぞれの果たした役割を明らかにした。
岡本 利雄(おかもと としお、1908年6月11日 - 19… 岡本 利雄(おかもと としお、1908年6月11日 - 1996年10月30日)は、日本の経営者。いすゞ自動車社長を務めた。山口県出身。 1937年に明治専門学校機械学科を卒業。1958年6月にいすゞ自動車取締役に就任し、常務、専務を経て、1970年6月に副社長に就任し、1976年1月に社長に昇格。1984年1月に取締役相談役兼名誉会長、1987年1月に相談役を経て、1990年1月から顧問を務めた。 1969年11月に藍綬褒章を受章し、1981年4月に勲二等瑞宝章を受章した。 1996年10月30日肺炎のために川崎市の病院で死去。88歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
秋山 國三(あきやま くにぞう、1907年6月11日 - 1… 秋山 國三(あきやま くにぞう、1907年6月11日 - 1978年9月27日)は、日本の歴史学者。同志社大学名誉教授。 京都の地域史研究に取り組んだ。 京都市下京区出身。1932年京都帝国大学文学部史学科卒業。1934年から同志社専門学校講師、1944年に同志社外事専門学校教授。1949年に同志社大学教養部教授となり、1951年に経済学部・1954年に文学部に配置換え。1977年に退職して名誉教授となった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
任 文桓(イム・ムンファン、イム・ムナン、朝鮮語: 임문환、… 任 文桓(イム・ムンファン、イム・ムナン、朝鮮語: 임문환、日本名豊川文夫、1907年6月11日 - 1993年6月19日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の官僚、政治家、実業家。本貫は豊川任氏。 東京帝国大学を卒業した後、高等試験に合格して、朝鮮総督府のキャリア官僚として勤務した。独立後の韓国でも次官や閣僚など要職を歴任し、後に企業経営者に転じて全経連副会長を務めた。 2008年に発表された民族問題研究所の親日人名辞典収録予定者名簿の中の官僚部門に選ばれた。 回顧録である「日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想」(朝鮮語版1974年、日本語版2011年)を残した。 1960年代初めに生地の錦山の困窮学生のために奨学金を創設した。
佐中 壮(さなか そう、1903年(明治36年)6月11日 … 佐中 壮(さなか そう、1903年(明治36年)6月11日 - 1992年(平成4年)4月13日)は、日本の東洋史学者。大阪府立大学名誉教授。 鳥取県西伯郡余子村大字福定(現・境港市福定町)に生まれる。父の佐中廉は、弓浜高等小学校長、余子小学校長、境小学校長、余子村長などを務めた教育者で、壮はその次男であった。 米子中学校、松江高等学校を経て、東京帝国大学文学部東洋史学科において藤田豊八や池内宏らに学ぶ。1928年(昭和3年)に卒業し、山口高等学校講師、ついで同教授となり、1931年(昭和6年)より広島高等学校教授に転じる。1944年(昭和19年)、松山高等学校教授となるが、終戦によりただちに辞表を提出、同校の再開整備にあたった後に退官し、帰農。
阿達 英次郎(あだち えいじろう、1902年6月11日 - … 阿達 英次郎(あだち えいじろう、1902年6月11日 - 1989年)は、日本の医師、医学博士、開業医、栄典は勲五等・瑞宝章。
田中 薫(たなか かおる、1898年6月11日 - 1982… 田中 薫(たなか かおる、1898年6月11日 - 1982年9月20日)は、昭和の地理学、経済地理学者。神戸大学名誉教授。子爵。
荒木 市次郎(あらき いちじろう、1895年〈明治28年〉6… 荒木 市次郎(あらき いちじろう、1895年〈明治28年〉6月11日 - 没年不明)は、日本の会社役員、鳥取県多額納税者、資産家、鳥取県の大地主。 鳥取県西伯郡境町(現・境港市)出身。荒木徳三郎の長男。1912年、家督を相続する。農業、金融業を営む。境貿易取締役・同専務取締役をつとめる。 境貿易の大株主である。境日本海写真倶楽部会員である。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する。住所は鳥取県西伯郡境町栄町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
豊田 喜一郎(とよだ きいちろう、旧字体: 豐田喜一郞、18… 豊田 喜一郎(とよだ きいちろう、旧字体: 豐田喜一郞、1894年(明治27年)6月11日 - 1952年(昭和27年)3月27日)は、日本の経営者、技術者、トヨタ自動車創業者。位階は従五位。勲等は勲四等。豊田佐吉の長男。 トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)社長(第2代)、社団法人自動車技術会会長(第2代)などを歴任した。 豊田佐吉と佐原たみ(佐吉の妹の友人で最初の妻)の長男として生まれる。1892年(明治25年)から夫婦は東京市浅草外(当時の浅草区千束町)に住んでおり、里帰り出産のため静岡県敷知郡吉津村山口(現在の湖西市山口)で生まれるが、出生3か月のとき、貧困の中家庭を顧みることなく発明に没頭する夫に愛想を尽かした母親が家出したため祖父母の家で育つ。
田中 長茂(たなか ながしげ、1891年6月11日 - 19… 田中 長茂(たなか ながしげ、1891年6月11日 - 1969年9月14日)は、日本の農林官僚、政治家。宮崎県知事を1期務めた。 宮崎県南那珂郡福島町(現・串間市)出身。宮崎県立宮崎中学校、第五高等学校、東京帝国大学法学部・農学部卒。1921年(大正10年)農商務省に入省。戦前は革新官僚として、産業組合の創立や農地改革(当時は実現せず)などに携わり、水産局長、山林局長を経て退官。 1951年(昭和26年)4月1日、第2回宮崎県知事選挙に出馬。吉見房見共に法廷得票数に達せず、決選投票。同年5月18日、宮崎県知事選決選投票で当選、宮崎県知事となる。 1953年(昭和28年)に郵政省は宮崎県に新しい民放局の周波数を割り当てたがものの、当初地元では民放設立の動きが全くなく、鹿児島県の南日本放送がこの機会を利用し宮崎市に中継局をつくろうと運動を始めていた。
山森 利一(やまもり りいち、1889年(明治22年)6月1… 山森 利一(やまもり りいち、1889年(明治22年)6月11日 – 1971年(昭和46年)7月23日)は、日本の衆議院議員(立憲民政党)。ジャーナリスト。 富山県婦負郡西呉羽村(現在の富山市)出身。1911年(明治44年)、早稲田大学商科を卒業。『富山日報』記者、参謀本部支那経済調査員、『報知新聞』記者、同政治部長、同論説委員、同相談役、講談社遊説部長を務めた。 1936年(昭和11年)2月、第19回衆議院議員総選挙に埼玉県第3区から出馬して当選したが、同年12月10日、衆議院議員当選無効事件で大審院の判決確定により議員を退職した。 その他、北支那開発株式会社嘱託、早稲田大学商議員などを務めた。
那須 皓(なす しろし、1888年6月11日 - 1984年… 那須 皓(なす しろし、1888年6月11日 - 1984年3月29日)は、大正・昭和期の農学者(農学博士)。専攻は農業経済学及び農政研究。 1888年、東京市本郷区(のち東京都文京区)生まれ。府立四中、一高を経て、1911年に東京帝国大学農科大学(のち東京大学農学部)を卒業後、1917年に助教授、1922年には教授となる。「日本農業経済学会」を結成して農業経済学の日本における普及を図る一方、農林省の石黒忠篤と親交が深く、頻発する小作争議や農村の貧困問題の解決などの研究を行い、後に農林大臣となり「農政の神様」と称されるようになった石黒の側近・ブレーンとして活躍した。また、軍部の台頭に危惧を抱いて、アジア太平洋地域との平和的な交流に尽力した。
一氏 義良(いちうじ よしなが、1888年6月11日 - 1… 一氏 義良(いちうじ よしなが、1888年6月11日 - 1952年2月21日)は、日本の美術評論家。 島根県八束郡東出雲町(現・松江市)揖屋に生まれる。1913年早稲田大学英文科を卒業。1921年ヨーロッパに遊学、1926年再留学。イギリスの大英博物館図書室で読んだ本に感銘を受ける。帰国後は、海外の美術や現在の動向、とくに古代エジプト美術の紹介に努めた。1928年帝国美術学校、1941年北京芸術大学教授。 雑誌『中央美術』を創刊して編集に携わり、また、平凡社の百科事典や世界美術全集の編集にも関わった。中国に赴いて研究を深め、『支那美術史』を著した。教授の末田利一や石塚太喜治の下で中華民国国立北京芸術専科学校(現中国中央美術学院)の講師をしていた。
井上 徳命(いのうえ とくめい、1887年(明治20年)6月… 井上 徳命(いのうえ とくめい、1887年(明治20年)6月11日 - 1966年(昭和41年)5月3日)は、明治末から昭和期の僧侶、教育者、政治家。衆議院議員。旧姓・岡。 佐賀県藤津郡、のちの七浦村(現鹿島市)の関家で生まれる。1904年(明治37年)鹿島中学校(現佐賀県立鹿島高等学校)を卒業後、すぐに鹿児島市和田の妙行寺のおじを頼って来鹿し第七高等学校造士館に入学。1910年(明治43年)7月、東京帝国大学文科大学哲学科(教育学)を卒業した。 佐賀の龍谷中学校(現龍谷中学校・高等学校)で勤務後、のちの出水市、西照寺・井上尽済の養子となる。鹿児島別院副輪番などを務め、出水高等女学校教員、伊作高等女学校長に在任。
石井 徳久次(いしい とくじ、1887年〈明治20年〉6月1… 石井 徳久次(いしい とくじ、1887年〈明治20年〉6月11日 - 1970年〈昭和45年〉10月24日)は、日本の実業家、農業協同運動指導者、政治家。衆議院議員。 福岡県鞍手郡金生村(のち鞍手郡若宮町、現:宮若市大字金生)で、醸造家「富久鶴」石井房次の長男として生まれる。1908年(明治41年)、大阪高等工業学校醸造科を卒業後に家業を継承。 シベリア出兵に陸軍輜重兵少尉として従軍。その後、若宮村会議員、福岡県会議員、同参事会員、郡教育会長、同育英会長などを務めた。また、農業協同運動にも尽力し、福岡県信用組合連合会長、帝国農会議員、福岡県農会長、福岡県購買販売組合連合会長などを歴任した。 また、1933年(昭和8年)11月から1935年(昭和10年)10月まで第25代福岡県会副議長を務めた。
小野 秀一(おの しゅういち、1887年(明治20年)6月1… 小野 秀一(おの しゅういち、1887年(明治20年)6月11日 - 1972年(昭和47年)7月18日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、福島町長。旧姓・宮下。 長野県西筑摩郡福島村(現木曽郡木曽町福島)で、宮下喜久市の長男として生まれ、小野広助の養子となる。1909年、慶應義塾大学部法律科を卒業。帰郷して、福澤桃介の木曽川水系電源開発事業に協力。木曽銀行重役、木曽川電力常務取締役、大同製鋼(現・大同特殊鋼)取締役、奥羽電灯取締役、長谷川鋳鋼取締役などを務めた。 政界では、福島町会議員、西筑摩郡会議員、長野県会議員、同参事会員、同議長などを歴任し、廃娼運動に取り組んだ。1940年、福島町長に当選。
大西 一郎(おおにし いちろう、1887年(明治20年)6月… 大西 一郎(おおにし いちろう、1887年(明治20年)6月11日 – 1950年(昭和25年)1月21日)は、戦前日本の内務官僚。第11代横浜市長を務めた。 香川県香川郡川東村(現在の高松市)で、大西三千児の長男として生まれる。第三高等学校を経て、1912年(明治45年)に東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。 1912年(明治45年)11月、文官高等試験行政科試験に合格し、北海道庁属となった。北海道庁警視、同理事官拓殖課長、同勧業課長、岩手県学務課長、兵庫県視学官・知事官房主事・学務課長、香川県警察部長、朝鮮総督府事務官兼参事官、慶尚北道内務部長、復興局土木部庶務課長、東京第一出張所長を歴任した。