木村 太郎(きむら たろう、1938年〈昭和13年〉2月12… 木村 太郎(きむら たろう、1938年〈昭和13年〉2月12日 - )は、日本のフリージャーナリスト、ニュースキャスター。逗子・葉山コミュニティ放送(通称名・湘南ビーチFM)代表取締役、(有)木村太郎事務所代表取締役。 NHK記者、キャスターを経て、退局後はフジテレビと専属契約を結び、キャスター、コメンテーターを務めた。現在はフリー。 木村喜八郎(木村順太郎の八男、横浜正金銀行元監査役)・敏子(菅原電気創業者・菅原稠の長女)夫妻の長男として生まれる。父・喜八郎の兄弟に西日本鉄道社長の木村重吉が、母・敏子の兄弟に菅原電気社長の菅原浩(妻はにんべん創業家・10代目高津伊兵衛の三女)、劇作家の菅原卓と内村直也(妻は安川財閥創始者・安川敬一郎の孫)がいる。
須藤 功(すとう いさお、1938年2月12日 - )は、日… 須藤 功(すとう いさお、1938年2月12日 - )は、日本の民俗学写真家。 秋田県横手市に生まれる。1957年に川口市立県陽高等学校を卒業した。航空自衛隊写真班に所属していたが、1966年から日本観光文化研究所において宮本常一の教えをうける。1989年、日本地名研究所より第8回「郷土研究賞」を受賞。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
中辻悦子 (なかつじえつこ、本名:元永悦子、1937年2月1… 中辻悦子 (なかつじえつこ、本名:元永悦子、1937年2月12日 - )は、日本のグラフィックデザイナー、造形作家、絵本作家。 大阪府生まれ。大阪府立三国丘高等学校卒業。夫は元永定正で、夫の作品にグラフィックデザイナーとして協力することもあり、ふたりの作品展「元永定正 中辻悦子 絵本原画展」も開催。 1991年、『もけら もけら』(山下洋輔:文、元永定正:絵、中辻悦子:構成)で第14回絵本にっぽん賞(現・日本絵本賞)を受賞。 1999年、『よるのようちえん』(谷川俊太郎:文、中辻悦子:絵・写真)で第17回ブラティスラヴァ世界絵本原画展のグランプリを受賞。 2001年には神戸市なぎさ公園のモニュメント「夢きずな」、2005年には明石市民夏まつり事故の碑「いれぶんはーと」を元永定正と合作。
砂川 啓介(さがわ けいすけ、1937年2月12日 - )は… 砂川 啓介(さがわ けいすけ、1937年2月12日 - )は、日本の俳優、タレント。東京都出身。妻は女優、声優の大山のぶ代。
斎田 一路(さいた いちろ、1937年2月12日 - 200… 斎田 一路(さいた いちろ、1937年2月12日 - 2006年1月18日)は、日本の経営者。共同通信社社長を務めた。 東京都出身。1960年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に共同通信社に入社。1994年6月に常務理事に就任し、1996年6月に専務理事を経て、1998年6月から2002年12月までに社長を務めた。電通取締役も務めた。 2006年1月18日下咽頭がんのために死去。68歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
吉原 正皓(よしはら まさひろ、1936年2月12日 - )… 吉原 正皓(よしはら まさひろ、1936年2月12日 - )は、日本の俳優。長野県出身。松商学園高等学校卒。特技は合気道、殺陣。 所属は劇団エトセトラ、テレビタレントビューロー(テレビタレントセンター第2期生)、かかしプロ、グループ波、東京俳優生活協同組合、三木事務所、エヌ・エー・シー、天知プロダクション、東企画、プロダクション・タンクなど。
西岡 武夫(にしおか たけお、1936年〈昭和11年〉2月1… 西岡 武夫(にしおか たけお、1936年〈昭和11年〉2月12日 - 2011年〈平成23年〉11月5日)は、日本の政治家。従二位桐花大綬章。 衆議院議員(11期)、参議院議員(2期)、文部政務次官(第3次佐藤内閣)、新自由クラブ幹事長、文部大臣(第111・112代)、自由民主党総務会長、新進党幹事長、参議院議長(第28代)などを歴任。 1963年(昭和38年)11月、衆議院議員を5期務めた父・竹次郎と、吉田茂が率いる自由党初の女性参議院議員として婦人参政権運動に尽力した母・ハルの地盤を引継いだ世襲候補として第30回衆議院議員総選挙に無所属で立候補。4位当選を果たし、自民党の追加公認を受ける。前職の国会議員である母とともに初登院した。
小笠原 道雄(おがさわら みちお、1936年2月12日 - … 小笠原 道雄(おがさわら みちお、1936年2月12日 - )は、日本の教育学者。専門はドイツ教育哲学。広島大学名誉教授。広島文化学園短期大学学長や広島県教育委員会委員長も務めた。著作について複数の盗用が指摘され、2014年以降に出版した著書のうち4冊が絶版処分となっている(後述)。 以下のように、著書の絶版処分が複数発生している。 小笠原の著書での盗用(上述)について詳しく調査した紀要論文。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
所 一彦(ところ かずひこ、1935年2月12日 - 202… 所 一彦(ところ かずひこ、1935年2月12日 - 2020年1月30日)は、日本の法学者。立教大学名誉教授。東亜大学教授。元日本犯罪社会学会会長・日本刑法学会理事・日本学術会議第16期会員(第3常置委員会委員長)。刑事法専攻。刑法の法社会学で業績を残す。北海道函館市出身。 1959年の立教大学法学部創設の際、刑事学(刑事政策)の担当教員に当時学士助手だった所を推薦したのが団藤重光である。ところが、東京大学の学士助手制度は3年で助手論文を仕上げるというものであるから、2年しか在籍していない所は助手論文が出来上がらずに講師になることになる。所自身が団藤に在籍年数を間違えたのではと尋ねたが、団藤は否定している。
豊田 泰光(とよだ やすみつ、1935年2月12日 - 20… 豊田 泰光(とよだ やすみつ、1935年2月12日 - 2016年8月14日)は、茨城県久慈郡大子町出身のプロ野球選手・野球解説者。 現役時代は豪快な打撃で、西鉄ライオンズ(以下、西鉄)黄金時代の主力選手の1人として活躍した。引退後はニッポン放送、フジテレビ、文化放送、テレビ東京、テレビ大阪、スポーツニッポンなどの野球解説者をつとめた。2006年に野球殿堂入り。 3歳の時に日立市へ転居し、父は建設業を営んでいたが、国民学校(小学校)2年生の時に太平洋戦争に伴うアメリカ軍の空襲が起こったため 母の実家があり自分も生まれた大子町へ疎開し、5年生の時に戦争が終結した後も同地へ留まった。この終戦直後、国民学校(小学校)の教師が持ってきたソフトボールの道具 で野球をやったことが、豊田が野球を本格的に始めるきっかけとなった。
野口 薫(のぐち かおる、1935年2月12日 - 2006… 野口 薫(のぐち かおる、1935年2月12日 - 2006年7月25日)は、日本の心理学者。専門は、ゲシュタルト心理学、交通心理学、芸術心理学。千葉大学名誉教授。 愛知県出身。1957年(昭和32年)に千葉大学文理学部人文科学課程(心理学専攻)を卒業後、1960年に東京都立大学 (1949-2011)大学院人文科学研究科修士課程(心理学専攻)修了。翌1961年、千葉大学文理学部助手となった。 1966年に千葉大学文理学部講師に就任。また同年、カナダ・ヨーク大学大学院リサーチ・アソシエイトも務めた。1968年、千葉大学教養部助教授となり、1979年には教授となった。 1980年にドイツ・ミュンヘン大学訪問研究員、イタリア・トリエステ大学客員教授を務めた。
登坂 哲朗(のぼりさか てつろう、1934年2月12日 - … 登坂 哲朗(のぼりさか てつろう、1934年2月12日 - 1978年8月30日)は、日本のバスケットボール選手。 中学校より姉の影響でバスケットボールを始め、高校時代に国体優勝等頭角を表し、慶應義塾大学に入学。日本鉱業でさらにバスケットボールに没頭し、日本代表に選ばれ1956年のメルボルンオリンピックに出場を果たした。現役引退後は、共同石油(現ENEOSホールディングス)の女子バスケットボール部の創設に参加し、後進の指導にあたった。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
千葉 茂樹(ちば しげき、1933年2月12日 - )は、日… 千葉 茂樹(ちば しげき、1933年2月12日 - )は、日本の映画監督、脚本家、教育者。市民グループ「地球家族の会」代表、日本映画学校校長、日本映画大学特任教授。キリスト教徒。川崎市のみやまえ映像コンクール審査委員長。 1933年2月12日、福島県福島市に9人兄妹の次男として生まれる[1]。福島県立福島高等学校卒業。高校時代は元総務官僚で川崎市長を務めた阿部孝夫と同窓。福島大学経済学部に入学し、役場で働きながらの学生生活を送る。仕事の合間に訪れた映画館で黒澤明監督の「生きる」を観た影響で映画監督を目指すことを決意。福島大学から日本大学へ編入をし、1956年に日本大学芸術学部映画学科を卒業。 大学卒業時に応募をした「新人シナリオコンクール」で入賞(千葉は最年少入賞、受賞者6人の中には既に助監督として働いていた深作欣二もいた。
蓮実 進(はすみ すすむ、1933年2月12日 - )は、日… 蓮実 進(はすみ すすむ、1933年2月12日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(当選4回)。 栃木県那須郡那須町に七人兄弟の五男として生まれる。栃木県立大田原高等学校、明治大学政治経済学部を卒業する。 作新学院の経営者・船田中の秘書として25年間勤める。また、1978年の江川事件にも関わった。 1983年、栃木県選挙区の参議院議員補欠選挙に立候補するも落選。以降、衆議院議員総選挙に旧栃木1区より2回出馬するが、いずれも落選。 1993年、第40回衆議院議員総選挙で旧栃木1区から初当選。小選挙区比例代表並立制が導入された1996年の第41回衆議院議員総選挙では、栃木3区の党公認をめぐって新人の渡辺喜美と激しく争ったが、最終的には比例代表に回り、2期目の当選を果たす。
神林 留雄(かんばやし とめお、1933年2月12日 - 2… 神林 留雄(かんばやし とめお、1933年2月12日 - 2023年8月18日)は、日本の実業家。 東京出身で、東京都立上野高等学校を経て東京大学法学部卒業し、NTTデータ社長・会長などを歴任した。 1955年4月、日本電信電話公社(現 日本電信電話株式会社)入社。 1995年6月、NTTデータ通信株式会社(現 株式会社NTTデータグループ)の社長に就任。上場後約1年で東京証券取引所一部指定替えを果たすとともに、国内外同時募集の公募増資を行い、当社の経営基盤・財務基盤の礎を確立した。インターネットビジネス、電子商取引など、当時の新たな情報サービス分野に積極的に取り組むとともに、電子商取引実証推進協議会の理事に就任するなど、個社の垣根を越えて業界全体の発展に貢献した。
坂東 克彦(ばんどう かつひこ、1933年2月12日 - 2… 坂東 克彦(ばんどう かつひこ、1933年2月12日 - 2020年7月15日)は、日本の弁護士。新潟水俣病第1次訴訟の弁護団幹事長。新潟水俣病第2次訴訟の弁護団長などを務めたことで知られる。日本弁護士連合会常務理事。 新潟県小千谷市生まれ。新潟県立小千谷高等学校、中央大学法学部卒業。1959年に弁護士を開業し、1963年に新潟市で坂東克彦法律事務所を開設した。 長年、新潟水俣病訴訟で中心的な役割を担い、1967年提訴の第1次訴訟に弁護団幹事長として参加。四大公害病で初めて原因企業を訴えた。1971年9月29日の新潟地裁判決で昭和電工の過失責任を認めさせ、原告を勝訴に導いた。1982年提訴の第2次訴訟で1995年まで弁護団長を務めた。
賀集 正三(かしゅう しょうぞう、1932年2月12日 - … 賀集 正三(かしゅう しょうぞう、1932年2月12日 - 2017年9月6日)は、将棋棋士。1970年、引退。角田三男八段門下。棋士番号は70。 兵庫県三原郡(現・南あわじ市)出身。 1956年、四段昇段(プロ入り)。 第9回(1965年)古豪新鋭戦で優勝。 1966年、東西対抗勝継戦で5人抜き(優勝)。 プロ入りから14年後の1970年に四段のまま引退する。 日本将棋連盟関西本部の普及部を長く担当。また、自宅教室、出張先のクラブ、団体等での指導、町の文化委員を務めるなど、将棋の普及活動に広く尽力。 2017年9月6日、85歳で死去。 居飛車、振り飛車ともに指すが、矢倉の将棋が多い。 中盤から終盤まで押しつ押されつの攻防が特徴的な棋風である。
小林 秀雄(こばやし ひでお、1931年2月12日 - 20… 小林 秀雄(こばやし ひでお、1931年2月12日 - 2017年7月25日)は、日本の作曲家。 出生地は下北沢であるが、父親の転勤に伴い幼少期を愛知県犬山市、次いで三重県伊勢市で過ごす。宇治山田中学校卒業後、東京音楽学校を経て東京藝術大学師範科作曲専攻を卒業。作曲を長谷川良夫、ピアノを水谷達夫、宅孝二、奥川坦、稲垣寿子に師事。1959年・1961年 NHKから委嘱された芸術祭参加作品のラジオ音楽劇2作がそれぞれ芸術祭奨励賞を受賞する。1966年に中田喜直らと「波の会」(現・日本歌曲振興波の会)を創設し、第二代会長を経て、後に社団法人となった同会の名誉会員を務めた。 東京藝術大学音楽学部講師、愛知県立芸術大学教授、聖徳大学・同短期大学教授、活水女子大学教授などを歴任した他、1979年には文部省派遣在外研修生としてパリに留学した。
牛尾 治朗(うしお じろう、1931年2月12日 - 202… 牛尾 治朗(うしお じろう、1931年2月12日 - 2023年6月13日)は、日本の実業家。ウシオ電機株式会社の設立者である。同社 名誉相談役、取締役相談役、経済同友会特別顧問(終身幹事)、公益財団法人日本生産性本部会長(2003年から2014年)、名誉会長(2014年から2020年)などを務めた。。 平成8年度第22回経済界大賞受賞。平成10年財界大賞受賞。 兵庫県姫路市に牛尾家2代目牛尾健治・美津子の次男として生まれる。 祖父・牛尾梅吉は姫路商工会議所の2代目会頭を務め、播磨の振興に尽力した。父・健治は、姫路銀行頭取を務める傍ら中国合同電気→山陽配電(現在は分割されて関西電力・中国電力)を中心に電力・電機事業を手がけた。
宮崎 慎一(みやざき しんいち、1930年2月12日 - )… 宮崎 慎一(みやざき しんいち、1930年2月12日 - )は、元日本教育テレビ(NET:現・テレビ朝日)プロデューサーである。 一橋大学経済学部を卒業後、1954年に東映本社に入社。京都撮影所、東京撮影所を経て、1958年、日本教育テレビ(略称:NET)に移籍。テレビアニメ、テレビドラマなどを手掛けた。
生松 敬三(いきまつ けいぞう、1928年2月12日 - 1… 生松 敬三(いきまつ けいぞう、1928年2月12日 - 1984年5月24日)は、日本の哲学者・思想史家。元中央大学教授。 1928年、東京生まれ。旧制東京高等学校を経て、東京大学文学部哲学科卒業。同大学院修了。卒業後は東京大学東洋文化研究所に入り、後に中央大学へ移った。非常勤講師として東京大学大学院でも教えていたが、癌により1984年に死去。
松岡 正文(まつおか まさふみ、1928年(昭和3年)2月1… 松岡 正文(まつおか まさふみ、1928年(昭和3年)2月12日 - )は、日本の政治家。福岡県山田市(現・嘉麻市)長(2期)。 福岡県出身。福岡県立嘉穂中学校(現・福岡県立嘉穂高等学校・附属中学校)卒。山田市議会議員、同議長、消防組合副議長などを経て、1985年、山田市長選挙に立候補し、初当選した。1期目の1988年に全国初の配偶者条項などを含めた政治倫理条例を制定した。1989年の市長選挙でも再選。1993年の市長選では元山田市議の武信弘隆に敗れて落選した。
浦野 雄幸(うらの ゆうこう、1928年2月12日 - 20… 浦野 雄幸(うらの ゆうこう、1928年2月12日 - 2011年7月5日)は、日本の法学者。元裁判官。法務省で民事執行法など基本法の立法、法改正に携わった。1993年より東海大学大学院専任教授。弁護士。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
野上 啓二(のがみ けいじ、1928年2月12日 - 201… 野上 啓二(のがみ けいじ、1928年2月12日 - 2018年4月2日)は、日本の経営者。岡山県出身。 1948年に山口経済専門学校を卒業し、同年にトヨタ自動車工業に入社。1980年9月に取締役に就任し、1986年9月には常務に就任した。 1987年10月に豊田通商専務に就任し、1988年6月には副社長に就任し、1989年6月に社長に昇格した。1995年6月から1998年6月までに会長を務めた。 JR東海、トヨタ自動車で顧問を務めた。 2018年4月2日老衰のために死去。90歳没。
森 政弘(もり まさひろ、1927年〈昭和2年〉2月12日 … 森 政弘(もり まさひろ、1927年〈昭和2年〉2月12日 - 2025年〈令和7年〉1月12日)は、日本の工学者、仏教徒。東京工業大学名誉教授、工学博士(東京大学)。オートメーションやロボットの研究で先駆的な研究実績を持ち、創造性や仏教に関する著書や講演も多い。日本のロボットコンテストの創始者であり、「ロボコン博士」の異名も持つ。紫綬褒章、勲三等旭日中綬章を受勲。 東京大学生産技術研究所助教授、東京工業大学制御工学科教授、(株)自在研究所代表取締役、日本ロボット学会会長を歴任。早期にロボットハンドや人工心肺の自動制御、人工筋肉や群ロボットの研究開発に着手し、サイバネティックモーションや不気味の谷といった新概念も提唱した。
粟本 昭夫(あわもと てるお、1927年2月12日 - 20… 粟本 昭夫(あわもと てるお、1927年2月12日 - 2025年)は、日本のイエズス会司祭、宗教家、教育者。
久喜 勲(きゅうき いさお、1926年2月12日 - 199… 久喜 勲(きゅうき いさお、1926年2月12日 - 1993年9月12日)は、和歌山県海南市出身の元プロ野球審判員、プロ野球選手。
早坂 久子(はやさか ひさこ、1926年(大正15年)2月1… 早坂 久子(はやさか ひさこ、1926年(大正15年)2月12日 - 2017年(平成29年)8月11日)は、日本の劇作家である。脚本家としても活動し、日本脚本家連盟員でもあった。 東京の生まれ。日本女子大学卒業後の1953年(昭和28年)に早川書房に入社し、同社が発行する『悲劇喜劇』の編集に携わる。これによって同雑誌の戯曲研究会に加入し、その後は自身での制作した作品を発表した。 多くの舞台の劇作に携わり、賞を受賞する。後に劇作家のみならず小説の舞台の脚本も携わり、脚本家としても活動した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
稲垣 富士男(いながき ふじお、1925年2月12日 - )… 稲垣 富士男(いながき ふじお、1925年2月12日 - )は、日本の経営学者・会計学者。商学博士(論文博士・1969年)。青山学院大学名誉教授。勲三等旭日中綬章受章。 東京市(現江東区)出身。1942年旧制日本大学第一中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒、1945年陸軍経理学校卒、1947年中央大学商学部卒、同大学院商学研究科博士課程中退、1969年「連結財務諸表論 アメリカにおける発展を中心として」で、商学博士の学位を取得。 中央大学助教授、日本大学商学部助教授、青山学院大学経営学部教授。1993年定年、名誉教授。 2002年、勲三等旭日中綬章受章。
鴨居 羊子(かもい ようこ、本名:洋子、1925年2月12日… 鴨居 羊子(かもい ようこ、本名:洋子、1925年2月12日 - 1991年3月18日)は、日本の下着デザイナー。 スキャンティーの命名者とされる。洋画家の鴨居玲は弟。 大阪府豊中市生まれ。父はジャーナリストの鴨居悠。 幼少期から子供時代の大半を石川県金沢市で過ごす。 豊中高等女学校(現・大阪府立桜塚高等学校)卒業。 旧制大阪府女子専門学校(大阪女子大学)国文科卒業。 新関西(夕刊紙)の校正係・家庭欄記者や、大阪読売新聞の学芸課記者を経て、独立。 3万円の退職金を元手に、下着デザイン・製造販売に着手。 1956年(昭和31年)1月、大阪市内に「チュニック制作室」という下着メーカーを設立(1958年に株式会社化)。
小林 新一(こばやし しんいち、1924年2月12日-201… 小林 新一(こばやし しんいち、1924年2月12日-2012年1月)は、日本の写真家。 新潟県生まれ。新潟中学校卒。「月刊カメラ」の年間ベストテンに二年連続入賞、1958年には日本写真批評家協会の新人賞次点受賞後、プロカメラマンとして活動を開始し、「文芸春秋」や「アサヒグラフ」などに作品を発表。1960年代から良寛にまつわる作品を多く発表、日本全国取材旅行をして良寛の足跡を発見した。
村田 敬次郎(むらた けいじろう、1924年〈大正13年〉2… 村田 敬次郎(むらた けいじろう、1924年〈大正13年〉2月12日 - 2003年〈平成15年〉4月2日)は、日本の政治家、自治官僚。位階は正三位。 自由民主党衆議院議員(10期)、通商産業大臣(第44代)、自治大臣(第43代)、国家公安委員会委員長(第53代)などを歴任した。 愛知県豊橋市出身。愛知県豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)卒業。旧制第三高等学校に進み、1949年(昭和24年)、京都帝国大学法学部卒業。同年、自治省に入省。愛知県建設部長などを務めた。 1969年(昭和44年)4月、地元政財界から衆院選出馬を促され、県庁を辞職。同年12月の第32回衆議院議員総選挙に旧愛知5区から立候補し初当選を果たした(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・林義郎・渡部恒三・綿貫民輔・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
枝村 利一(えだむら としかず、1924年2月12日 - 2… 枝村 利一(えだむら としかず、1924年2月12日 - 2012年6月22日)は、日本の経営者。三井不動産販売代表取締役社長や、同社代表取締役会長、不動産流通経営協会理事長、同協会最高顧問を歴任した。正五位旭日中綬章。 東京都生まれ。1947年慶應義塾大学卒業、 三井不動産入社。1974年三井不動産販売代表取締役社長。1993年同社代表取締役会長、不動産流通経営協会理事長。1997年から1999年まで東日本不動産流通機構理事長。1999年から2012年に死去するまで不動産流通経営協会最高顧問として指導を行った。 2011年旭日中綬章受章。2012年正五位追贈。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
松岡 阜(まつおか ゆたか、1923年2月12日 - 200… 松岡 阜(まつおか ゆたか、1923年2月12日 - 2008年5月9日)は日本の彫刻家。大阪府出身。 東京美術学校彫刻科を卒業。平櫛田中に師事し、写実的な作風を受け継いだ。 1955年、行動美術協会に入会。1956年、行動美術賞を受賞した。 代表作は、阪神甲子園球場敷地内に建つ「野球王ベーブ・ルースの碑」レリーフ(ブロンズ製・縦90cm・横90cm)。プロ野球選手ベーブ・ルースが他界した翌年の1949年、同球場が彼の来場した史実を記念して松岡に依頼し制作された。なお2005年、ルースの生誕地であるアメリカ合衆国メリーランド州ボルチモアに「総合スポーツ記念館」が開館し、ルースの生家にある記念館が移設された際、阪神球団は松岡が保管していたオリジナルより作成されたレプリカを同記念館に寄贈している。
畑中 良輔(はたなか りょうすけ、1922年(大正11年)2… 畑中 良輔(はたなか りょうすけ、1922年(大正11年)2月12日 - 2012年(平成24年)5月24日)は、日本の声楽家(バリトン)、音楽教育者、合唱指揮者、音楽評論家、作曲家、詩人、翻訳家(訳詞家)、エッセイスト。日本芸術院会員。日本の洋楽の発展に多大な功績を残した。 福岡県門司市(現:北九州市門司区)に浅野セメントに勤める父・勝次郎と、琴および三絃の師匠をしていた母・筆の長男として生まれる。四人家族で、二つ上の姉がいる。旧制門司中学校に入学、ラッパ鼓隊に所属し小太鼓を担当する。進学先として受験科目に苦手の数学が無い東京音楽学校を選び、人前で歌ったことはなかったが消去法で「声楽科」と書いたという。
足立原 茂徳(あだちはら しげのり、1921年〈大正10年〉… 足立原 茂徳(あだちはら しげのり、1921年〈大正10年〉2月12日 - 2002年〈平成14年〉3月16日)は、昭和から平成時代の政治家。神奈川県厚木市長。位階は従五位。 厚木市出身。旧制厚木中学校(現神奈川県立厚木高等学校)第32回卒業。1949年(昭和24年)東京文理科大学文学部東洋史学科を卒業し、母校の厚木高等学校教諭となる。その後、青少年センター館長、県教育副参事、社会教育課長などを歴任し、1973年(昭和48年)厚木市助役に就任。 1979年(昭和54年)以来、厚木市長に4選した。1992年(平成4年)厚木テレコムタウンの推進母体である厚木テレコムパークの初代社長に就任。1995年(平成7年)引退した。
大松 博文(だいまつ ひろふみ、1921年2月12日 - 1… 大松 博文(だいまつ ひろふみ、1921年2月12日 - 1978年11月24日)は、日本のバレーボール指導者、政治家。参議院議員(1期)。香川県綾歌郡宇多津町出身。 ニチボー貝塚監督時代は、自ら育て上げた東洋の魔女を率いて、辞任までに175連勝を記録。1962年(昭和37年)、第4回女子世界選手権でソ連を破り優勝。国民的英雄として迎えられる。1964年東京オリンピックでは全日本女子を監督として金メダルに導く。「回転レシーブ」などを考案、その過酷な練習で「鬼の大松」ともいわれた。情報誌『imidas2001』(集英社)の「20世紀を創った人々550」では、バレーボールの分野で前田豊、猫田勝敏と並んで3人のうちの1人に数えられた。
飛鳥 高(あすか たかし、1921年2月12日 - )は、日… 飛鳥 高(あすか たかし、1921年2月12日 - )は、日本の小説家、推理作家。
巷野 悟郎(こうの ごろう、1921年2月12日 - 201… 巷野 悟郎(こうの ごろう、1921年2月12日 - 2017年2月2日)は、日本の小児科医。 栃木県足利市生まれ。1944年東京帝国大学医学部卒業。1953年「乳児ヒポプラジーの研究」で東京大学より医学博士の学位を取得。東京大学医学部小児科、厚生省児童局母子衛生課技官、東京都立八王子乳児院長、市立札幌病院小児科医長、東京都立駒込病院小児科医長、副院長、東京都立府中病院長、東京家政大学教授。聖徳大学児童学科教授、こどもの城・小児保健クリニック院長。日本保育園保健協議会会長。日本母性保護協会先天異常調査委員会。全国ベビーシッター協会会長。 NHKラジオでの電話による育児相談でも知られる。筋拘縮症は乱注射による医原病であると報告した。
吉野 トヨ子(よしの トヨこ、1920年(大正9年)2月12… 吉野 トヨ子(よしの トヨこ、1920年(大正9年)2月12日 - 2015年(平成27年)1月24日)は、日本の陸上競技選手。ヘルシンキオリンピック・メルボルンオリンピック陸上女子円盤投代表。元円盤投日本記録保持者、五種競技日本記録保持者。 北海道網走市出身。香蘭高等女学校(現在の香蘭女学校中等科・高等科)、中京高等女学校家事体操専攻科(現:至学館大学)卒業。 戦前はスプリンターとして活躍。1938年、マルチな身体能力を生かし五種競技で237点の日本新記録を樹立した。 戦後は投てきに転向し、円盤投と砲丸投に活躍。1950年、関東選手権で円盤投に出場し、42m58の日本新記録を樹立した。1951年アジア競技大会に出場し、円盤投・砲丸投・やり投で金メダルを獲得した。
山中 雪人(やまなか ゆきと、1920年2月12日 - 20… 山中 雪人(やまなか ゆきと、1920年2月12日 - 2003年6月5日)は、広島県出身の日本画家。宗教画を得意とする。日本美術院同人。元広島市立大学教授。妻は日本画家の水谷愛子。 1920年2月12日広島市台屋町(現在の南区京橋町)の浄土真宗寺院の家に生まれる。1937年に広島崇徳中学校を卒業後、川端画学校で学び、翌1938年に東京美術学校日本画科へ入学し、結城素明や川﨑小虎らの指導を受ける。1941年には結城素明の主宰する大日美術院第4回展覧会では「花屋」が、翌1942年の第5回展覧会では「T先生」が入選する。同年、東京美術学校を繰り上げ卒業し、1946年まで軍籍に身を置くことになる。1944年に中国漢口(現在の湖北省武漢市)の部隊に配属される。
原田 憲(はらだ けん、1919年(大正8年)2月12日 -… 原田 憲(はらだ けん、1919年(大正8年)2月12日 - 1997年(平成9年)1月29日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(14期)、運輸大臣、郵政大臣、経済企画庁長官を歴任した。長男は衆議院議員の原田憲治。 大阪府出身。父親は大阪府議会議長を務めた。大阪府立第十三中学校(現・大阪府立豊中高等学校)、関西大学予科を経て、1942年(昭和17年)明治大学専門部政治科を中退。池田産報協力工業労務課長、農工社勤労人事課長、原田印刷工業社長、阪神毎朝新聞社長などを務めた。 1946年(昭和21年)27歳で大阪2区(当時)より第22回衆議院議員総選挙に日本自由党から立候補したが落選。翌1947年(昭和22年)旧大阪3区より第23回衆議院議員総選挙に日本自由党から立候補し初当選(当選同期に田中角栄・鈴木善幸・中曽根康弘・増田甲子七・中山マサ・松野頼三・倉石忠雄・石田博英・園田直・櫻内義雄・根本龍太郎・佐々木秀世・中村寅太など)。
吉村 眞一(よしむら しんいち、1919年2月12日 - 1… 吉村 眞一(よしむら しんいち、1919年2月12日 - 1996年9月7日)は、日本の経営者、銀行家。四国銀行頭取を務めた。 高知県出身。1940年に高文行政科に合格し、1941年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業。大蔵省での勤務を経て、1968年5月に四国銀行に転じ、副頭取に就任し、1971年8月には頭取に昇格した。1985年6月に会長を経て、1987年8月に再び頭取に就任し、1988年6月には会長に退いた。 1989年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 1996年9月7日、胃癌のために死去。77歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
福武 直(ふくたけ ただし、1917年2月12日 - 198… 福武 直(ふくたけ ただし、1917年2月12日 - 1989年7月2日)は、日本の社会学者。文学博士(東京大学)。東京大学名誉教授。岡山県岡山市出身。 1917年(大正6年)岡山県岡山市に出生する。旧制岡山第一中学(現:岡山県立岡山朝日高等学校)を経て、1937年(昭和12年)第六高等学校を卒業する。その後、1940年(昭和15年)東京帝国大学文学部社会学科卒業した。 卒業論文は「社會學と社會的現實−社會學方法論における諸問題−」。1948年に東京大学文学部助教授、1960年に教授。1962年に「日本村落の社会構造」で東京大学より文学博士の学位を取得。1977年(昭和52年)に定年退官、名誉教授。
松野 頼三(まつの らいぞう、1917年(大正6年)2月12… 松野 頼三(まつの らいぞう、1917年(大正6年)2月12日 - 2006年(平成18年)5月10日)は、日本の政治家。軍人時代の最終階級は海軍主計少佐。位階は正三位。勲等は旭日大綬章。総理府総務長官、労働大臣、防衛庁長官、農林大臣を歴任した。長男に松野頼久(政治家)、孫娘に松野未佳(2016年ミス日本グランプリ)がいる。
恩地 三保子(おんち みおこ、1917年〈大正6年〉2月12… 恩地 三保子(おんち みおこ、1917年〈大正6年〉2月12日 - 1984年〈昭和59年〉12月27日)は、日本の児童文学翻訳家。 画家・恩地孝四郎の長女として東京市麹町区中六番町(現・東京都千代田区四番町)に生まれる。1938年東京女子大学英文科卒業、同年7月師範学校中学校高等女学校教員免許状(英語)取得。 戦後、東京のアメリカ第8軍教育本部勤務や国際基督教大学美術史教授ヒューゴ・ムンスターバーグ(wikidata)の著作執筆の助手等を経て、明星学園高等学校講師を務めるなどして、1951年頃から英米文学の翻訳を始めた。はじめ推理ものや少女ものを訳し、ローラ・インガルス・ワイルダーの作品の訳者として知られる。
生方 明(うぶかた あきら、1917年2月12日 - 没年不… 生方 明(うぶかた あきら、1917年2月12日 - 没年不詳)は、日本の俳優、元子役である。本名同じ。 1917年(大正6年)2月12日、東京府東京市神田区神田(現在の東京都千代田区神田)に生まれる。 1923年(大正12年)12月、渋谷幡代尋常小学校(現在の渋谷区立幡代小学校)1年生の時、築地小劇場で小山内薫演出『そら豆が煮えるまで』で初舞台を踏む。1934年(昭和9年)、青山学院中等部を卒業するまでに、父親である生方賢一郎(1882年 - 1961年)が関係する新劇協会や築地座の公演に子役として出演した。 映画では中学校1年から教育映画や1932年(昭和7年)に公開された、鈴木重吉監督映画『熊の出る開墾地』などに出演していたが、1934年(昭和9年)、父・賢一郎が在籍するP.C.L.映画製作所が製作した木村荘十二監督映画『只野凡児 人生勉強』に出演したのがきっかけで中学卒業直後の同年4月に入社。
石井 象二郎(いしい しょうじろう、1915年2月12日 -… 石井 象二郎(いしい しょうじろう、1915年2月12日 - 2004年12月10日)は、日本の昆虫学者・農学者。 大阪府大阪市出身。1937年東京高等農林学校(現東京農工大学)卒業。農林省農事試験場昆虫部、佐賀県立農事試験場を経て、1946年京都帝国大学農学部卒。1956年「アズキゾウムシの寄生選好に関する研究」により、農学博士の学位を取得。農林省農業技術研究所技官を経て、1963年京都大学農学部教授となる。1978年定年退官、名誉教授。ゴキブリの集合フェロモンを発見し、昆虫の生理生化学的研究を進めた。日本応用動物昆虫学会会長、日本昆虫学会会長を務めた。1991年『イラガのマユのなぞ わたしの研究』で日本科学読物賞受賞。
中山 善郎(なかやま よしろう、1914年(大正3年)2月1… 中山 善郎(なかやま よしろう、1914年(大正3年)2月12日 - 1996年(平成8年)1月25日)は、日本の実業家。東京市荒川区生まれ、長野県古間村育ち。
神田 大作(かんだ だいさく、1913年2月12日 - 19… 神田 大作(かんだ だいさく、1913年2月12日 - 1983年5月28日)は、日本の農民運動家、政治家。衆議院議員(4期)。 栃木県芳賀郡益子町に生まれる。栃木県立真岡中学校を卒業。農民運動に携わり、1947年(昭和22年)から栃木県議会議員を2期務める。1955年(昭和30年)の第27回衆議院議員総選挙で旧栃木県第2区から立候補し当選。日本社会党栃木県連会長を務めた後、1960年(昭和35年)、同党を離党し民主社会党に参加。民社党では県連書記長を務めた。衆議院議員は通算4期当選、1976年(昭和51年)の第34回衆議院議員総選挙に立候補せず引退。1983年(昭和58年)春の叙勲で勲二等瑞宝章受章。