荒巻 義雄(あらまき よしお、1933年4月12日 -)は、… 荒巻 義雄(あらまき よしお、1933年4月12日 -)は、日本の小説家、SF作家、推理作家、評論家、詩人。本名、荒巻邦夫、後に荒巻義雅と改名。『紺碧の艦隊』の大ヒットで、いわゆる架空戦記小説の世界を代表する小説家として広く知られている。静修女子大学(現・札幌国際大学)教授も務めた。 日本文芸家協会会員。日本SF作家クラブ会員。現代俳句協会会員(旭太郎名義)。 北海道小樽市で、荒巻山の名前の元になった、採石業を営む荒巻家に生まれる。荒巻によると荒巻家は平将門一門の末裔であり、両親は母方の祖父が小樽市色内町(現在の稲穂)で開いていた一万坪の採石場を継ぐため水戸市から移住してきたという。幼少期にはロース幼稚園というミッション系の幼稚園に通っており、その時に触れた聖書の世界観に影響を受ける。
上村 淳之(うえむら あつし、1933年〈昭和8年〉4月12… 上村 淳之(うえむら あつし、1933年〈昭和8年〉4月12日 - 2024年〈令和6年〉11月1日)は、日本の日本画家。特に花鳥画を能くした。本名は上村 淳(読み同じ)。位階は従三位。画業で日本芸術院会員に選ばれ、文化勲章を受章したほか、大学で美術教育にも努め、京都市立芸術大学教授(のちに名誉教授)、京都市立美術大学教授・副学長を務めた。愛鳥家であり、作画の参考を兼ねて自宅で数百種類の鳥を飼っていた。日本鳥類保護連盟奈良研究所所長。 美人画の巨匠である上村松園(しょうえん)を祖母に、花鳥画の名手上村松篁(しょうこう)を父とする画家の家系で京都市に生まれ、自らは晩年にかけて奈良市に暮らした。 京都市に生まれ、京都小学校特別科学学級での同級に伊丹十三がいた。
大牧 広(おおまき ひろし 1931年4月12日 - 201… 大牧 広(おおまき ひろし 1931年4月12日 - 2019年4月20日)は、日本の俳人。 東京府荏原区(現品川区)出身。弦巻学園高等学校卒。1965年、「馬酔木」「鶴」に入会。1971年、「沖」に入会し能村登四郎、林翔に師事。1974年、沖新人賞、83年、沖賞受賞。1989年、「港」を創刊・主宰。2009年、第64回現代俳句協会賞受賞。2015年、『正眼』で第30回詩歌文学館賞受賞。2016年、第15回山本健吉賞受賞。2019年、『朝の森』で第53回蛇笏賞受賞。市井人の哀愁をたたえつつ俳諧味のあふれる作風。門人に櫂未知子、仲寒蝉がいる。 2019年4月20日、膵臓癌のため死去。88歳没。蛇笏賞の授賞式の前に死去したため、授賞式では仲寒蝉が代理出席した。
本橋 浩一(もとはし こういち、1930年4月12日 - 2… 本橋 浩一(もとはし こういち、1930年4月12日 - 2010年10月26日)は、日本の男性実業家、アニメーションプロデューサー。北海道室蘭市生まれ、小樽市育ち。日本アニメーション株式会社代表取締役社長。 1952年、中央大学法学部卒業。 1953年、学陽書房編集部。同年本橋電機社長。 1960年、聯合広告社代表。 1967年、小谷正一の紹介で日本万国博覧会電力館担当プロデューサー。 1972年、やはり小谷の奨めでズイヨー映像社長。 1975年、日本アニメーションを設立して代表取締役社長。 『フランダースの犬』『母をたずねて三千里』『あらいぐまラスカル』『赤毛のアン』などの作品で知られる〈世界名作劇場〉や、『未来少年コナン』『ちびまる子ちゃん』『コジコジ』『HUNTER×HUNTER』などのテレビアニメ製作を手がけた。
稲岡 耕二(いなおか こうじ、1929年4月12日 - )は… 稲岡 耕二(いなおか こうじ、1929年4月12日 - )は、日本文学者(万葉学者)。古代文学専攻。東京大学名誉教授。
小森 幹男(こもり みきお、1929年4月12日 - 202… 小森 幹男(こもり みきお、1929年4月12日 - 2021年4月18日)は、日本の経営者。能勢電鉄社長を務めた。兵庫県西宮市出身。 1953年に京都大学工学部機械工学科を卒業し、同年に京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)に入社。 1984年6月に取締役に就任し、1987年6月に常務、1990年6月に専務を経て、1992年6月から1998年6月までに能勢電鉄社長を務めた。池田銀行監査役を務めた。 2021年4月18日心不全のために死去。92歳没。
永冨 和子 (ながとみ かずこ、1929年4月12日-201… 永冨 和子 (ながとみ かずこ、1929年4月12日-2010年8月17日) は、日本のピアニスト。夫は作曲家の永冨正之。 1929年4月12日、東京に生まれる(旧姓関原)。東京音楽学校(現・東京芸術大学)研究科に学び、福井直俊、安川加壽子、野辺地勝久に師事、1951年修了。同年デビューリサイタルを行う。1959年にスペイン政府給費留学生となり、同年から10年間フランスとスペインに留学する。パリではジャーヌ・ブランカール(英語版)、レーヌ・ジャノリ、アンリエット・ピュイグ=ロジェに師事、スペインではアリシア・デ・ラローチャらに師事した。 1964年、パリ国立音楽院に留学していた作曲家永冨正之と結婚する。
松森 健(まつもり たけし、1928年4月12日 - 201… 松森 健(まつもり たけし、1928年4月12日 - 2016年12月)は、日本の映画監督。神奈川県出身。 1945年に旧制神奈川県立横須賀中学校から海軍経理学校に進学するも終戦。1951年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、東宝に入社。監督部に配属され、谷口千吉、松林宗恵、岡本喜八、本多猪四郎、松山善三らの助監督を務める。 1965年、テレビドラマ『青春とはなんだ』で監督に昇進。本作ではメイン監督を務め、翌1966年には、東宝製作の青春映画『これが青春だ!』で劇場用映画デビューを果たす。以降、映画と並行して、青春もの、刑事もの、時代劇など、テレビドラマを多数演出した。
藤田 近男(ふじた ちかお、1926年4月12日 - 200… 藤田 近男(ふじた ちかお、1926年4月12日 - 2005年2月6日)は、東京府出身の実業家。元キユーピー社長。 府立三中、陸軍幼年学校、陸士を経て、水産講習所(現東京海洋大学)卒業。中島董商店入店。中島董商店から1951年にグループ会社の食品工業(現キユーピー)設立に伴い移動。1971年社長、1993年副会長、1995年取締役相談役、1999年顧問、2001年特別顧問。勲三等旭日中綬章(1996年)。2005年2月6日死去。享年79。
則武 保夫(のりたけ やすお、1925年4月12日 - 20… 則武 保夫(のりたけ やすお、1925年4月12日 - 2002年11月18日)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授、元立正大学教授。専攻は国際金融論、金融論。神戸経済大学(現 神戸大学)に入り、新庄博のもとで金融論を専攻。門下生には、瀧口治元山口大学教授、有馬敏則大阪学院大学教授・元滋賀大学教授、藤原秀夫同志社大学教授、平島真一元専修大学教授、藤田誠一神戸大学教授、高屋定美関西大学教授などがいる。2002年、従三位勲三等旭日中綬章受章。
伊達 功(だて いさお、1924年4月12日 - )は、思想… 伊達 功(だて いさお、1924年4月12日 - )は、思想史学者、松山大学名誉教授。 愛媛県喜多郡内子町出身。1949年京都帝国大学経済学部卒。1952年同大学院(旧制)修了、1967年「トマス・モアユートピア研究」で京大経済学博士。1953年島根大学助手、1961年松山商科大学経済学部講師、助教授、1971年教授、松山大学教授。1990年退任、名誉教授。2001年勲四等旭日小綬章受勲。
丹羽 義信(にわ よしのぶ、1923年4月12日 - 201… 丹羽 義信(にわ よしのぶ、1923年4月12日 - 2019年12月23日)は、日本の英語学者、名古屋大学名誉教授。 愛知県生まれ。名古屋大学文学部言語学科卒、同大学院修士課程修了。1975年「古代英語動詞接頭辞Ge-の研究」で名大文学博士。名古屋大学教育学部附属中学校・高等学校教諭、名古屋大学教養部助教授、同言語文化部教授、1987年定年退官、名誉教授、中部大学教授、名古屋女子大学教授。1988-94年外国語教育メディア学会会長。2000年勲三等旭日中綬章受勲。 2019年12月23日、老衰のため、愛知県岩倉市の病院で死去。96歳没。死没日をもって正四位に叙される。
後宮 俊夫(うしろく としお、1922年4月12日 - 20… 後宮 俊夫(うしろく としお、1922年4月12日 - 2018年12月23日)は、日本の海軍軍人、牧師(日本基督教団)。最終階級は海軍大尉。海軍兵学校70期。陸軍大将の後宮淳は叔父、榎本保郎は義兄に当たる。 1922年(大正11年)、陸軍軍人(陸軍中佐)であった後宮太朗の長男として和歌山県和歌山市に生まれる。神戸第一中学校4年の時、海軍兵学校に入学し、1941年、70期としてこれを卒業。卒業後には連合艦隊勤務となり士官として戦艦「霧島」に乗務、1942年にはソロモン海戦で負傷している。その後、戦艦「山城」、駆逐艦「霜月」に続けて乗務するも、1944年9月からは結核のため療養となりそのまま終戦を迎えた。
森下 元晴(もりした もとはる、1922年4月12日 - 2… 森下 元晴(もりした もとはる、1922年4月12日 - 2014年3月11日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。
溝口 一雄(みぞぐち かずお、1921年(大正10年)4月1… 溝口 一雄(みぞぐち かずお、1921年(大正10年)4月12日 - 1994年(平成6年)9月23日)は、日本の会計学者。神戸大学名誉教授。 1921年、東京都品川区生まれ。1943年、明治大学商学部卒。神戸大学経営学部助教授を経て、1957年、同教授。1972年、学部長。1985年に退官して名誉教授となり、広島修道大学教授を務めた。第13期日本学術会議会員。
滝沢 武雄(たきざわ たけお、正字体:瀧澤 武雄、1921年… 滝沢 武雄(たきざわ たけお、正字体:瀧澤 武雄、1921年4月12日 - 2022年6月6日)は、日本の歴史学者、早稲田大学名誉教授。日本貨幣史、東北史を研究した。 東京府北豊島郡滝野川町(現・東京都北区)出身。1943年早大文学部史学科国史学卒、1947年同大学院中退。早大文学部助教授、1971年教授、1992年定年退任、名誉教授。1996年春、勲四等旭日小綬章受勲。
金春 信高(こんぱる のぶたか、1920年(大正9年)4月1… 金春 信高(こんぱる のぶたか、1920年(大正9年)4月12日 - 2010年(平成22年)8月7日)は、シテ方金春流能楽師。七十九世金春流宗家。 七十八世金春八条(光太郎)の長男として奈良に生まれる。1942年に関西大学専門部第二部国漢科卒業。1951年に宗家を継承。1956年東京に拠点を移す。東京における流派の活動基盤整備を進めるとともに、金春流では廃絶していた能演目を復曲して流勢挽回を図った。また謡本の刊行を担当し、他流に比べて遅れていた謡本の改訂を行った。女性能楽師の育成にも尽力。能楽協会理事長・日本能楽会会長を歴任。1990年4月、勲四等瑞宝章。2010年パーキンソン症候群のため死去。
森下 重好(もりした しげよし、1920年4月12日 - 2… 森下 重好(もりした しげよし、1920年4月12日 - 2000年7月16日)は兵庫県出身のプロ野球選手。ポジションは外野手。
高村 武人(たかむら たけと、1920年(大正9年)4月12… 高村 武人(たかむら たけと、1920年(大正9年)4月12日 - 1998年(平成10年)10月18日)は、日本の陸軍軍人、実業家。山口県柳井市生まれ。 小林よしのりの「新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論」(1998年初版)でその生い立ち、戦歴が紹介された。 1935年(昭和10年)4月1日、 東京陸軍幼年学校 第39期生として入学。第3学年在学中の1937年(昭和12年)、日中戦争(支那事変)が勃発し、繰上げで11月19日に卒業。同年12月1日に陸軍予科士官学校へ入学した。1940年(昭和40年)9月、陸軍士官学校 第54期卒業。 陸士卒業と同時に久留米第56師団(竜兵団)に所属し南方パラオに動員後、各地を転戦。
富永 嘉郎(とみなが よしろう、1917年4月12日 - 2… 富永 嘉郎(とみなが よしろう、1917年4月12日 - 2010年3月25日)は、京都府出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手(プロ野球では、左翼手,右翼手としての出場がある)。
菅 利雄(かん としお、1916年4月12日 - 没年不明)… 菅 利雄(かん としお、1916年4月12日 - 没年不明)は、愛媛県出身のプロ野球選手(一塁手、三塁手、外野手)。
河本 将(こうもと まさ、1915年(大正4年)4月12日 … 河本 将(こうもと まさ、1915年(大正4年)4月12日 - 没年不詳)は、日本の女性ファッションデザイナーである。本姓は山崎。 京都にて河本大作の長女として生まれる。後に上京し桜蔭高等学校卒業後、伊東茂平に師事し洋裁を学んだ。1941年(昭和26年)に鐘淵紡績(後のカネボウ、現在のクラシエホールディングス)に入社し、同社が製造・販売するディオールの商品開発を担当し、使用普及に貢献した。 1967年(昭和42年)に退社後はフリーランスとしての活動を開始し、後に自身が主催するファッションショーの開催を始める。1975年(昭和50年)には当時イギリス国王であったエリザベス2世の専属デザイナー・ハーディー・エイミス(英語版)日本銀座店の店長を務めた。
森井 茂(もりい しげる、1915年4月12日 - 1987… 森井 茂(もりい しげる、1915年4月12日 - 1987年4月11日)は、三重県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
島村 武久(しまむら たけひさ、1914年4月12日 - 1… 島村 武久(しまむら たけひさ、1914年4月12日 - 1996年10月5日)は、日本の官僚。妻は石川岩吉の三女。 高知県出身。1938年(昭和13年)、東京帝国大学法学部卒業。日産自動車販売、日本自動車配給会社に勤務後、1944年(昭和19年)に軍需省軍需管理官となる。戦後、商工省、通商産業省、総理府原子力総務局長、科学技術庁官房長などを経て、1965年(昭和40年)4月に通産省官房審議官で退官。 1965年11月より古河電気工業取締役、1973年から1977年まで副社長、1976年から1979年まで原子燃料工業代表取締役社長となる。1978年から1985年まで原子力委員会委員。1978年から1979年まで日本原子力産業会議常任理事。
小室 栄一(こむろ えいいち、1912年4月12日 - 没年… 小室 栄一(こむろ えいいち、1912年4月12日 - 没年不詳)は、日本の歴史学者。 東京生まれ。1934年に成城高等学校文科甲類を卒業し、東京帝国大学文学部言語学科に入学。その後、西洋史学科に転科し、大類伸に学び、卒業論文「中世英國城廓形式の研究」をまとめ、1937年に卒業。同年、同大学大学院に入学し、1941年修了。この間、1939年に日本大学予科講師となり、1942年4月に日本女子大学教授、1949年4月に東洋大学文学部史学科助教授、1951年同大学教授。1954年4月に明治大学文学部歴史地理学科教授となり、1983年に定年退職。 専門は西洋史であるが、1958年から関東地方の中世城郭の調査研究を行った。
環 昌一(たまき しょういち、1912年4月12日 - 19… 環 昌一(たまき しょういち、1912年4月12日 - 1993年3月8日)は、日本の裁判官、司法官僚、弁護士。最高裁判所判事。徳島県出身。 1936年に東京帝国大学法科卒業。司法官試補から1937年12月裁判官となり横浜地裁や甲府地裁、東京地裁などに勤務。1943年10月に司法省民事局へ、終戦の1945年8月に再び裁判官に返り咲き、高松控訴院判事、徳島地裁判事、最高裁調査官などを歴任した。 1948年1月に司法省調査課(のちに調査部、秘書課)に転じ、1949年1月に検事となり、法務庁調査意見第一局長補佐、行政訴訟局第一課長などを務めた。会社法の改正作業に携わったが、占領軍との折衝の仕事が多く「ばかばかしくなって」1950年7月に退職して弁護士に転身。
和田 茂樹(わだ しげき、1911年4月12日 - 2008… 和田 茂樹(わだ しげき、1911年4月12日 - 2008年4月29日)は、愛媛県松山市出身の国文学者。愛媛大学名誉教授。
和田 四三四(わだ しさし、1910年(明治43年)4月12… 和田 四三四(わだ しさし、1910年(明治43年)4月12日 - 1942年(昭和17年)8月13日)は、昭和時代前期の社会運動家。 出自はもと伊予松山藩主・久松松平家の一族。父松平定安、母マツの六男として愛媛県松山市に生まれ、のち温泉郡道後湯之町の和田家の養子となる。愛媛県立松山中学校(現:愛媛県立松山東高等学校)を経て、1931年(昭和6年)3月に松山高等商業学校(現:松山大学)を卒業する。卒業後は、同校図書館にて勤めた後、大阪市港区の法律事務所で労働運動について研究した。1932年(昭和7年)全国労働組合同盟(日本労働組合同盟の後身)大阪金属港南支部連合会書記となり、消費組合運動を進める。
小笠原 二三男(おがさわら ふみお、1910年〈明治43年〉… 小笠原 二三男(おがさわら ふみお、1910年〈明治43年〉4月12日 - 1977年〈昭和52年〉7月5日)は、昭和期の教育者、労働運動家、政治家。参議院議員。 岩手県遠野市出身。1930年(昭和5年)岩手県師範学校専攻科を卒業した。 小学校教員を20年間勤めた。戦後、労働運動に加わり全日本教員組合協議会副委員長に就任。日本教職員組合が結成され書記長に就任し、さらに同副委員長に就任。その他、日本教育会常務理事、教育刷新審議会委員、日本教育会館専務理事、日本社会党中央執行委員などを務めた。 1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙で岩手県第1区に社会党公認で出馬して次点で落選。1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙で全国区に出馬して当選し、1956年(昭和31年)7月の第4回通常選挙でも再選され、参議院議員に連続2期在任した。
吉田 幸一(よしだ こういち、1909年4月12日 - 20… 吉田 幸一(よしだ こういち、1909年4月12日 - 2003年1月9日)は、日本の国文学者、書誌学者、出版人、古典籍蒐集家。東洋大学名誉教授。 学位は、文学博士(東洋大学・論文博士・1961年)(学位論文『和泉式部日記の基礎研究』)。日本古典文学の叢書「古典文庫」を個人事業として編纂・発行したことなどで知られる。 1909年(明治42年)4月12日、静岡県静岡市に生まれる。1930年(昭和5年)4月東洋大学文学部国文学科入学、1933年(昭和8年)7月卒業。並行して東京外国語学校支那語専修科(夜間)で中国語を学ぶ。吉田は恩師として藤村作と久松潜一の名を挙げている。 会社勤務、小学校代用教員を経て、1939年(昭和14年)4月、静岡県立浜松商業学校・同工業学校嘱託(中国語担当)。
近山 金次(ちかやま きんじ、1907年4月12日 - 19… 近山 金次(ちかやま きんじ、1907年4月12日 - 1975年11月6日)は、日本の歴史学者(古代ローマ史・中世精神史)、教育者。学位は文学博士(慶應義塾大学・1950年)。慶應義塾大学名誉教授。 慶應義塾大学予科教員、慶應義塾大学文学部教授、慶應義塾中等部部長(第3代)、清泉女子大学文学部教授などを歴任した。 東京府東京市出身の西洋史学者である。慶應義塾大学文学部を卒業すると、同大学の予科の教員を経て、文学部で教授を務めた。また、慶應義塾中等部の部長も兼務した。その後、清泉女子大学に転じ、文学部の教授を務めた。また、翻訳者としてガイウス・ユリウス・カエサルの『ガリア戦記』を日本に紹介したことでも知られている。
八百板 正(やおいた ただし、1905年4月12日 - 20… 八百板 正(やおいた ただし、1905年4月12日 - 2004年4月23日)は、日本の農民運動家、政治家。衆議院議員(11期)、参議院議員(2期)。日本社会党副委員長を歴任。 福島県伊達郡飯野村(飯野町を経て現福島市)に生まれる。福島中学校(現福島県立福島高等学校)を経て、早稲田大学専門部法科卒業。旧制中学の恩師だった阪本勝(後の衆議院議員、兵庫県知事)を頼り、安部磯雄らの日本フェビアン協会に参加。河上丈太郎、賀川豊彦、櫛田民蔵の知遇を得る。日本労農党、社会大衆党などに参加して無産政党運動をする。1929年に郷里に帰って東北新人会を結成、伊達郡を中心に小作争議を指導し度々投獄される。1933年に全国農民組合(全農)中央委員に選出。
大泉 孝(おおいずみ たかし、1902年(明治35年)4月1… 大泉 孝(おおいずみ たかし、1902年(明治35年)4月12日- 1978年(昭和53年)9月7日)は日本の昭和時代のイエズス会司祭、教育者。上智大学第5代学長。洗礼名はフランシスコ・ザビエル。 宮城県柴田郡大河原町のカトリックの家庭に生まれる。柴田農林学校、宮城農学校を経て1924年(大正13年)に上智大学哲学科に入学し、1929年(昭和4年)渡欧してイエズス会に入会する。オランダのファルケンブルク大学とイギリスのヒースロップ大学(英語版)で神学を修め、1937年(昭和12年)に司祭となる。 1939年(昭和14年)に帰国して上智大学教授、翌年理事となる。1945年(昭和20年)4月に副総長(のちに副学長と改称)、1951年(昭和26年)上智学院理事長、1953年(昭和28年)大学長となる。
藤田 三郎(ふじた さぶろう、1902年〈明治35年〉4月1… 藤田 三郎(ふじた さぶろう、1902年〈明治35年〉4月12日 ‐ 1990年〈平成2年〉1月2日)は、全国農業協同組合中央会会長。 高知県香美郡香我美町出身。1930年、明治大学専門部を卒業し、農林省に入省。満州国に赴任し、北安省開拓科長や錦州省盤山県副県長を歴任し、1946年に盤山県日本民留民会会長として引揚者を引率して帰国。1947年に高知県農地委員となり、その後高知県農協中央会、高知県信用農業協同組合連合会の会長を務め、1975年、全国農業協同組合中央会会長に就任し、2期6年務めた。 1966年藍綬褒章、1974年勲三等瑞宝章、1982年勲二等旭日重光章受章。
柏山 大五郎(かしわやま だいごろう、1901年4月12日 … 柏山 大五郎(かしわやま だいごろう、1901年4月12日 - 1979年1月20日)は、新潟県古志郡(現在の長岡市)出身で山科部屋に所属した大相撲力士。本名は青柳 政一。身長174cm、体重86kg。関脇まで昇進したが、現役引退後は廃業してしまった。 最盛期でも86キログラムという軽量だったので、最初は新弟子検査にも通らなかったが、増量して合格、山科部屋から1917年1月場所に初土俵を踏んだ。昇進は順調で、1921年5月場所には新十両、1922年5月に入幕した。出足を利用しての吊り技が得意であった。新入幕の場所に7勝2敗1預と健闘し、幕内上位に進出。新小結となった1924年5月場所には、横綱西ノ海と預りの熱戦を含め7勝3敗1預の好成績をあげ、翌1925年1月場所には関脇に昇進した。
村松 常雄(むらまつ つねお、1900年4月12日 - 19… 村松 常雄(むらまつ つねお、1900年4月12日 - 1981年8月30日)は、日本の医学者、精神科医。 妻は田部隆次の娘。村松剛、村松英子の父。村松えりの祖父。 東京出身。東京帝国大学医学部卒。名古屋大学助教授、1950年教授、1960年医学部長。1964年定年退官、東京都立松沢病院副院長、国立精神衛生研究所長。1971年、勲二等旭日重光章を受賞。
下条 恭兵(下條、しもじょう きょうへい、1900年(明治3… 下条 恭兵(下條、しもじょう きょうへい、1900年(明治33年)4月12日 - 1986年(昭和61年)1月12日)は、昭和期の実業家、政治家、学校法人理事長。参議院議員(1期)。 新潟県刈羽郡吉井村(中通村を経て現柏崎市吉井)出身。小学校卒業後、農業、石油坑夫などを務め苦学して、1922年(大正11年)早稲田工手学校(現早稲田大学芸術学校)を卒業した。 1922年、日本石油(現新日本石油)に入社。配管工事下請会社を設立して独立。分解揮発油精製器などの特許権を得て日本油機製造を設立して社長に就任。その他、昭和精密機械社長、太田鉄工所社長、米華貿易取締役会長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙で新潟県地方区に日本社会党公認で出馬して当選し、参議院議員に1期在任した。
進藤 章(しんどう あきら、1900年(明治33年)4月12… 進藤 章(しんどう あきら、1900年(明治33年)4月12日 - 1976年(昭和51年)5月18日)は、日本の画家、油彩画、日本画などを描く。 1900年(明治33年)4月12日、父善次郎と母たいの7人兄弟の長男として山梨県北都留郡小淵沢村上久保(現・山梨県北杜市小淵沢町上久保)に生まれる。小淵沢小学校、大泉高等科3年を経て山梨師範学校(現・山梨大学)に学ぶ。 卒業後、日野春、小淵沢、甲府富士川小学校に訓導として勤め、当時文壇を風靡した武者小路実篤らの白樺運動の影響を受け、地方文化の活動、ことに画道に専心した。また山梨師範学校の先輩でもあった土屋義郎氏の紹介により岸田劉生の草土社に属し、木村荘八の指導を受けた。
磯崎 辰五郎(いそざき たつごろう、1898年4月12日 -… 磯崎 辰五郎(いそざき たつごろう、1898年4月12日 - 1990年8月10日 )は、日本の法学者。専門は、憲法・行政法。法学博士。[要出典]大阪大学名誉教授。 香川県三野郡下高瀬村(現:三豊市三野町)出身。香川県立三豊中学校、第六高等学校を経て、京都帝国大学法学部卒業。 京都帝国大学では、佐々木惣一に憲法学および行政法学の指導を受ける。以後、佐々木惣一と研究を共にする。佐々木惣一の著書『日本国憲法論 改訂版』(有斐閣、1952年)および『日本國行政一般法論』(有斐閣、1952年)のはしがきでは、佐々木は磯崎に対して執筆の支援および長年の貢献について感謝を記している。 また、1945年(昭和20年)11月に佐々木惣一が内大臣府御用掛として憲法改正調査に当たり、箱根の奈良屋旅館で大石義雄と共に憲法改正草案「佐々木憲法草案」の作成を行っている。
中村 隆一(なかむら りゅういち、1898年4月12日 - … 中村 隆一(なかむら りゅういち、1898年4月12日 - 1992年6月27日)は、日本の経営者。日立金属社長を務めた。 山口県出身。松田忠治の六男として生まれ、芳治の養子となる。弟は元衆議院議員の林佳介。1926年に京都帝国大学法学部を卒業。 藤田銀行での勤務を経て、1928年に戸畑鋳物(のちの日立製作所)に転じ、1947年に取締役に就任し、1955年に常務を経て、1956年に日立金属初代社長に就任し、1971年2月には会長に就任。1977年6月からは相談役を務めた。 1965年に藍綬褒章を受章し、1968年に勲三等瑞宝章を受章。 1992年6月27日、肝不全のために死去。94歳没。
横溝 光暉(よこみぞ みつてる、1897年(明治30年)4月… 横溝 光暉(よこみぞ みつてる、1897年(明治30年)4月12日 - 1985年(昭和60年)1月16日)は、日本の内務官僚・弁護士。内閣情報部長、官選県知事。 神奈川県出身。商業・横溝豊吉の四男として生まれる。横浜一中、第一高等学校を経て、1921年6月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。1920年10月、高等試験行政科試験に合格。1922年2月、内務省に入り、東京府属として内務部庶務課に配属された。 1923年2月、広島県警視・警察部警務課長に就任。以後、同警察部保安課長、福岡県警察部特別高等警察課長、復興局長官官房計画課勤務、内務事務官・警保局保安課勤務、内閣書記官、内閣官房総務課長、兼法制局参事官、兼内閣調査局調査官、情報委員会事務官、内閣情報部長などを歴任。
秋山 理敏(あきやま まさとし、1897年〈明治30年〉4月… 秋山 理敏(あきやま まさとし、1897年〈明治30年〉4月12日 - 1947年〈昭和22年〉9月29日)は、日本の外交官。駐パナマ公使を経て、第二次世界大戦後、終戦連絡京都事務局局長を務めた。 長野県上伊那郡藤沢村(現伊那市)出身。長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1920年(大正9年)、東京高等商業学校を卒業し、高等試験外交科に合格した。外務属となり、1922年(大正11年)には東京商科大学(現在の一橋大学)専攻部領事科を卒業した。領事官補、外務事務官・通商局第一課勤務、イタリア大使館三等書記官、同二等書記官、通商局第三課勤務・外務大臣秘書官、外務書記官・大臣官房電信課長、企画庁調査官・総裁秘書官、企画院書記官、中華民国大使館一等書記官、シドニー総領事を歴任。
沼田 恵範(ぬまた えはん、1897年4月12日 - 199… 沼田 恵範(ぬまた えはん、1897年4月12日 - 1994年5月5日)は、宗教家、仏教伝道者。実業家、「ミツトヨ」創業者。 広島県賀茂郡志和町(現・東広島市志和町)の浄土真宗本願寺派・浄蓮寺の三男に生まれ、京都平安中学(現・平安高等学校)に学ぶ。卒業後、本山である西本願寺から派遣され1915年、仏教布教のため19歳で渡米。ハリウッド・ハイスクールとカリフォルニア大学バークレー校(UCB)で数学を4年、さらに同校大学院で経済学(統計経済、景気変動学)を学ぶ。「今でこそ日米は平等に扱われているが、当時は日本人は犬猫のようだった」と奮起、学業と平行して米国人に仏教文化を伝えたいと英文雑誌「ザ・パシフイック・ワールド」を創刊。
近藤 経一(こんどう けいいち、1897年4月12日 - 1… 近藤 経一(こんどう けいいち、1897年4月12日 - 1986年10月18日)は、日本の劇作家・小説家。 東京出身。父は外科医の近藤次繁、弟には裁判官の近藤綸二や東京女子医科大学教授の近藤台五郎がいる。 武者小路実篤の影響を受け、1917年戯曲集『蒔かれたる種』を刊行、1918年小説「第二の誕生」を『白樺』に発表し、以後しばらく小説家、劇作家として活動する。1922年東京帝国大学文学部国文科卒。 自身が製作した「愛の導き」に出演した女優の原光代と1924年に結婚。映画の製作や『キネマ旬報』の創設、文藝春秋の『映画時代』の編集などに携わり、後に文藝春秋専務となった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
高橋 定一(たかはし ていいち、1897年(明治30年)4月… 高橋 定一(たかはし ていいち、1897年(明治30年)4月12日 – 1949年(昭和24年)12月25日)は、大正から昭和前期の鉄道官僚、政治家。衆議院議員。 山口県玖珂郡麻里布村(麻里布町を経て現岩国市)で、高橋亀助の二男として生まれる。第三高等学校を経て、1922年(大正11年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業した。 同年、鉄道省に入省し鉄道局書記に任官され東京鉄道局庶務課に配属された。1923年(大正12年)12月、高等試験行政科試験に合格。以後、国府津駅助役、鉄道局副参事・水戸運輸事務所営業主任、新橋運輸事務所営業主任、千葉運輸事務所長、東京鉄道局運輸課庶務掛長、同局運輸課旅客掛長などを経て鉄道省運輸局自動車課長に就任し、1939年(昭和14年)に退官した。
竹内 民次郎(たけうち たみじろう、旧姓・岩崎、1897年〈… 竹内 民次郎(たけうち たみじろう、旧姓・岩崎、1897年〈明治30年〉4月12日 - 没年不明)は、日本の酒造家(竹内本店)、政治家。 島根県能義郡宇賀荘村(現・安来市)に岩崎庫三郎の長男として生まれ、竹内信次郎の養子となる。1921年、家督を相続する。明治大学修業。 小学校訓導を経て酒造業を営む。町会議員、町信用組合理事、出雲銀行取締役などをつとめる。 宗教は浄土宗。趣味は文学。住所は島根県大原郡加茂町(現・雲南市)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
手塚 寿郎(てづか すみお/じゅろう、明治29年(1896年… 手塚 寿郎(てづか すみお/じゅろう、明治29年(1896年)4月12日 - 昭和18年(1943年)5月3日)は、日本の経済学者。小樽高等商業学校(現小樽商科大学)教授や東亜同文書院大学教授を務め、日本への近代経済学の導入を行った。 栃木県出身。宇都宮市立宇都宮商業学校(現栃木県立宇都宮商業高等学校)を経て、無試験入学で小樽高等商業学校(現小樽商科大学)に進学し、1916年に同卒業。1919年東京高等商業学校(現一橋大学)専攻部経済科卒業。福田徳三ゼミ出身。 経済学及び統計学研究のため、1920年から1926年までイギリス、アメリカ、フランスに留学。1921年小樽高等商業学校教授、叙従七位。オーストリア学派などの日本への導入を行った。
石原 兵永(いしはら ひょうえい、1895年〈明治28年〉4… 石原 兵永(いしはら ひょうえい、1895年〈明治28年〉4月12日 - 1984年〈昭和59年〉8月17日)は、無教会派のキリスト教伝道者。栃木県生まれ。旧姓・鈴木。1920年青山学院英文学部卒。内村鑑三に師事する。青山師範学校の英語教師となり、石原文子と結婚、石原姓になる。青山師範学校教授を1931年に退職し伝道活動を続ける。
牧野 キク(まきの キク、1895年〈明治28年〉4月12日… 牧野 キク(まきの キク、1895年〈明治28年〉4月12日 - 1996年〈平成8年〉6月27日)は、日本の教育者、学校経営者。北海道の学校法人藤女子学園理事長、藤女子大学初代学長を務めた。藤女子学園創成期の札幌藤高等女学校(後の藤女子中学校・高等学校)時代から、同校2代目校長のクサヴェラ・レーメと共に、女子教育に尽力した。戦中は軍からの圧力に耐えて学校を守り抜き、戦後は藤女子専門学校の設置、新教育制度の施行に伴う藤女子短期大学や藤女子大学の設置など、生涯を女子教育への発展に尽くした。「女子教育の先達」「北海道女子教育の先駆者」とも呼ばれる。富山県富山市越前町出身。 1895年(明治28年)に、富山市越前町で、10人兄妹の第4子として誕生した。
田中 豊(たなか ゆたか、1894年(明治27年)4月12日… 田中 豊(たなか ゆたか、1894年(明治27年)4月12日 - 1988年(昭和63年)5月16日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(2期)、長南町名誉町民を務めた。 千葉県上埴生郡庁南町(長生郡庁南町を経て現長南町)で生まれる。1912年(明治45年)千葉県立大多喜中学校(現千葉県立大多喜高等学校)を卒業した。 千葉県藁工品を設立し、埴生かます・むしろ産業の振興に尽力した。また、千葉県叺納入組合長、千葉県農水産社長、日本藁工品配給 (株) 評議員・千葉県出張所長、全国農業会千葉県藁工品事務所長、千葉運輸会長、千葉興業社長、ゆたかストアー社長、同会長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で千葉県第3区から民主党公認で出馬して当選。