高橋 清(たかはし きよし、1925年(大正14年)2月18… 高橋 清(たかはし きよし、1925年(大正14年)2月18日 - 2015年(平成27年)7月3日)は、日本の政治家。神奈川県川崎市長(第12・13・14代)。 長男は政治学者で東京大学大学院法学政治学研究科教授の高橋進(2010年死去)、次男は元日本銀行金融研究所所長、大阪経済大学教授の高橋亘。 宮城県遠田郡涌谷町生まれ。1944年宮城師範学校卒業。1952年津久井郡中央小学校で教員生活をはじめた。1955年当時の上司に勧められ川崎市立古市場小学校教諭に転じ、教頭にもなった。1974年全日本自治団体労働組合(自治労)傘下の川崎市教職員組合の委員長、職員局長を経て、1983年に伊藤三郎市長(当時)の下、助役に就任。
越路 吹雪(こしじ ふぶき、本名;内藤 美保子、旧姓;河野&… 越路 吹雪(こしじ ふぶき、本名;内藤 美保子、旧姓;河野<こうの>、1924年(大正13年)2月18日 - 1980年(昭和55年)11月7日)は、元宝塚歌劇団男役トップスター、シャンソン歌手、舞台女優。愛称は「コーちゃん」「コッシー」(旧姓から)。
陳 舜臣(ちん しゅんしん、1924年(大正13年)2月18… 陳 舜臣(ちん しゅんしん、1924年(大正13年)2月18日 - 2015年(平成27年)1月21日)は、推理小説、歴史小説作家、歴史著述家。代表作に『阿片戦争』『太平天国』『秘本三国志』『小説十八史略』など。『ルバイヤート』の翻訳でも知られる。神戸市出身。本籍は台湾台北だったが、1973年に中華人民共和国の国籍を取得し、その後、1989年の天安門事件への批判を機に、1990年に日本国籍を取得している。台湾国籍同時保有。日本芸術院会員。長男は写真家の陳立人(1952年 - )。
土井 正興(どい まさおき、1924年2月18日 - 199… 土井 正興(どい まさおき、1924年2月18日 - 1993年10月18日)は、日本の歴史学者。専攻は古代ローマ史。 東京市渋谷生まれ。1949年東京帝国大学文学部西洋史学科卒,1956年東京大学大学院西洋古代史専攻(旧制)修了。法政第二高等学校教諭を経て、1966年専修大学助教授、1972年教授。在任中に死去。
渡部 雄吉(わたべ ゆうきち、1924年(大正13年)2月1… 渡部 雄吉(わたべ ゆうきち、1924年(大正13年)2月18日 - 1993年(平成5年)8月8日)は、日本の写真家。 山形県酒田市生まれ。1943年、写真工房東京光画社へ入社し、写真家となる。1950年にフリーとして独立後、雑誌や写真集で作品を発表。1992年、紫綬褒章受章。1993年、死去。 茨城県水戸市千波湖のバラバラ殺人事件を捜査する刑事を撮影し、雑誌『日本』(大日本雄弁会講談社刊、1958年6月号)に掲載された写真が、2011年、写真集『A Criminal Investigation』(Éditions Xavier Barral)としてまとめられ、再度注目を集める。
井上 鋭夫(いのうえ としお、1923年2月18日 - 19… 井上 鋭夫(いのうえ としお、1923年2月18日 - 1974年1月25日)は、日本の歴史学者。学位は、文学博士(東京大学・1971年)(学位論文「中世末期における一向一揆の研究」)。一向一揆研究の権威。 石川県生まれ。1942年9月、第四高等学校文科乙類卒業。1948年東京大学文学部国史学科卒。跡見学園を経て、1951年新潟大学人文学部助手、1952年講師、後に同学部助教授、1968年4月に教授となり、同年5月に金沢大学法文学部教授となる。1971年に「中世末期における一向一揆の研究」で東京大学から文学博士の学位を取得。 中世・近世の生活、宗教、合戦、日本海文化の総合的研究をすすめながら史料の編纂につとめ、多数の著書がある。
杉山 栄太郎(すぎやま えいたろう、1923年2月18日 -… 杉山 栄太郎(すぎやま えいたろう、1923年2月18日 - 2023年4月25日)は、日本の地方公務員。石川県副知事を務めた。 石川県金沢市出身。旧松任農学校(現・石川県立翠星高等学校)卒業後、従軍を経て1947年に石川県庁に入庁。 秘書課長、総務部長などを経て1979年12月より県副知事を務める。 1991年、副知事を退職し石川県知事選挙に立候補したが、現職の中西陽一に約1万1000票及ばず落選した。 1997年、勲二等瑞宝章を受章。 2019年時点では世界連邦運動協会石川県連合会の名誉会長を務めていた。 2023年4月25日、誤嚥性肺炎のため死去。100歳没。
辻村 公一(つじむら こういち、1922年〈大正11年〉2月… 辻村 公一(つじむら こういち、1922年〈大正11年〉2月18日 - 2010年〈平成22年〉5月28日)は、京都大学名誉教授。 1922年、静岡県浜松市で生まれた。京都帝国大学文学部に入学して田辺元の下で学び、1946年に卒業。 卒業後は、1948年に京都大学教養部助教授となった。1967年、同大学文学部哲学科助教授に配置換え。1974年、学位論文『ハイデッガー論攷』を京都大学に提出して文学博士号を取得。1974年に教授昇格。1982年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。1993年、日本学士院会員に選出された。2010年に死去。 専門は西洋哲学で、ハイデッガーを翻訳・研究した。なおその特徴として、それまで「存在と時間」として訳されていた「Sein und Zeit」に対し、「有と時」としたことが挙げられる。
中島 章夫(なかじま あきお、1922年2月18日 - 19… 中島 章夫(なかじま あきお、1922年2月18日 - 1997年)は、日本の化学者。大阪工業大学工学部応用化学科元教授。工学博士(京都大学)。元京都大学医用高分子材料研究センター(現:京都大学医生物学研究所)長。高分子学会第14期会長。 専門は、高分子材料・機能性高分子・繊維化学。 1943年京都帝国大学工学部繊維化学科(のちの高分子化学科)卒業。1951年工学博士(京都大学)。1961年京都大学工学部高分子化学科教授として、第五講座(高分子分子論)を担当。その後、京都大学医用高分子材料研究センター(のちの生体医療工学研究センター、現京都大学医生物学研究所)長などを歴任し、京都大学退官。1985年大阪工業大学工学部応用化学科に教授として着任、応用化学教室を担当。
鈴木 均(すずき ひとし、1922年2月18日 - 1998… 鈴木 均(すずき ひとし、1922年2月18日 - 1998年10月27日)は、日本の評論家。 東京出身。慶應義塾大学卒。自由社、『世界評論』、『婦人』、『改造』、『女性改造』、平凡社の編集者、『現代の眼』編集長をへて、評論家。
多田 正剛 ( ただ せいごう、1922年2月18日 - 1… 多田 正剛 ( ただ せいごう、1922年2月18日 - 1997年9月18日)は、 日本の空手家であり、日本正剛館空手道士会の創設者。 剛柔流八段位。京都府京都市出身。立命館大学卒業。 1922年大正11年生まれ。中国上海市にて15歳で中国武術を学ぶ。立命館大学空手部にて、宮城長順流祖より直々に剛柔流空手道を伝授される。のち同大学空手部監督を務める。1945年より京都市に日本剛柔流空手道士会を設立。京都市内に数道場を構え、立命館大学空手部直系の本土剛柔流の名門道場として栄える。のち日本正剛館空手道士会と改称。国内支部20数箇所の他に、10大学空手道部(大阪大学・滋賀大学・仏教大学・大阪歯科大学・京都外大・京工繊大・京薬大・山口大学・徳山大学・九州共立大)および海外20支部を指導した。
市橋 保(いちはし たもつ、1921年 <大正10年> 2月… 市橋 保(いちはし たもつ、1921年 <大正10年> 2月18日 - 2005年 <平成17年> 9月17日)は、日本の銀行家。福井銀行頭取、会長を務めた。位階は正五位。 福井県福井市出身。1944年に慶應義塾大学工学部を卒業し、1945年11月に日本銀行に入行。1962年4月に福井銀行に転じ、1965年11月に取締役に就任し、1969年4月に常務、1972年11月に副頭取を経て、1982年10月に頭取には就任。1992年10月には会長に就任。 1987年11月に藍綬褒章を受章し、1992年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2005年9月17日心不全のために死去。84歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
佐原 亨(さはら とおる、1921年2月18日 - 1984… 佐原 亨(さはら とおる、1921年2月18日 - 1984年8月3日)は、日本の運輸官僚、経営者。愛知県出身。 1943年に東京帝国大学法学部を卒業し、高文行政科にも合格し、同年に逓信省に入省した。後に運輸省に転じ、1970年6月に船員局長、1972年に海運局長を経て、1973年8月から1974年6月までに海上保安庁長官を務めた。1974年6月に日本長期信用銀行顧問を経て、1976年6月にジャパンライン専務に就任し、1981年6月から1983年6月までに副社長を務めた。 1984年8月3日上咽頭腫瘍のために死去。63歳没。
山田 政治(やまだ まさはる、1920年〈大正9年〉2月18… 山田 政治(やまだ まさはる、1920年〈大正9年〉2月18日 - 2007年〈平成19年〉12月12日)は日本の政治学者。島根大学名誉教授。元九州国際大学学長。 広島県福山市出身。 島根大学では新設法文学部の初代学部長を務め基礎固めに尽力した。
宮澤 庸子(みやざわ ようこ、1920年〈大正9年〉2月18… 宮澤 庸子(みやざわ ようこ、1920年〈大正9年〉2月18日 - 2014年〈平成26年〉5月4日)は、日本の元ファーストレディである。 早稲田大学名誉教授で英語学者の伊地知純正の二女として生まれる。宮澤夫妻の出会いは、1939年(昭和14年)の夏に宮澤喜一が東京帝国大学、庸子が東京女子大学に入学して間もなくの「日米学生会議」がきっかけだった。 1941年(昭和16年)東京女子大学英語専攻部卒業。その後、1943年(昭和18年)11月30日に結婚。 1991年(平成3年)11月5日から1993年(平成5年)8月9日までは夫の喜一が内閣総理大臣に在任し、その間、ファーストレディとして活動した。 2014年 (平成26年)5月4日に東京都で死去。
永島 トヨ(ながしま トヨ、1920年2月18日 - 201… 永島 トヨ(ながしま トヨ、1920年2月18日 - 2013年2月6日)は、日本の料理研究家。神奈川県出身。フェリス女学院大学卒業。「台所おばあちゃん」の愛称で知られている。本名は森岡 トヨ(もりおか トヨ)。 1993年よりNHK『くらしのジャーナル』に月1回で出演。 1997年、77歳の時に21歳下の琴講師の男性と結婚し話題を呼んだ。永島にとっては初婚であり、出会いのきっかけは夫がたまたまテレビで永島を見て一目惚れし、手紙のやり取りを始めたことだったという。その後、夫の故郷である広島県福山市で「永島トヨ料理教室」を営んでいた。 2008年8月には日本テレビ『ザ!世界仰天ニュース』で、2012年9月には同じく日本テレビの『みんないらっしゃいTV』でこのことが取り上げられた。
松永 市郎(まつなが いちろう、1919年(大正8年)2月1… 松永 市郎(まつなが いちろう、1919年(大正8年)2月18日 - 2005年(平成17年)3月31日)は、日本の軍人。元海軍大尉。作家。 父は海軍中将松永貞市、子にiモード開発者の松永真理がいる。
広瀬川 惣吉(ひろせがわ そうきち、1919年2月18日 -… 広瀬川 惣吉(ひろせがわ そうきち、1919年2月18日 - 1979年8月6日)は、宮城県柴田郡柴田町出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は及川 惣吉(おいかわ そうきち)→片岡 惣吉(かたおか -)。身長180cm、体重105kg。最高位は東前頭3枚目(1952年1月場所・1953年3月場所)。 なお、四股名の表記については、「広」の字が旧字体の「廣」となっている文献も見受けられる。 17歳の時上京して角界入りし、1937年1月、元関脇・清瀬川率いる伊勢ヶ濱部屋より初土俵を踏んだ。 序二段に付いてから負け越しなしで1941年1月場所で新十両昇進、そして、1943年1月場所で入幕を果たした。
柳 宗玄(やなぎ むねもと、1917年2月18日 - 201… 柳 宗玄(やなぎ むねもと、1917年2月18日 - 2019年1月16日)は、日本の美術史家。お茶の水女子大学名誉教授。民藝運動で著名な柳宗悦の次男。母は声楽家の柳兼子、妻は志賀直哉の四女・万亀子。フランスの画家ジョルジュ・ルオー研究の第一人者として知られた。 東京府生まれ。白樺派運動の中心にいた父の下で幼少期より芸術活動に触れていた。東京帝国大学法学部および文学部卒、1952年より3年間、フランス、ベルギーに留学、美術史を学ぶと共に自ら絵筆もとり、帰国後、東京芸術大学助教授を経て、お茶の水女子大学教授、定年後は武蔵野美術大学教授を務めた。『學士會会報』の表紙図案・カットを、南原繁(元東大総長で理事長)の要請で、1965年より2009年5月刊まで描いた(後任は西野嘉章が務める)。
陳 智雄(ちん ちゆう、Tân Tì-hiông、タン ティ… 陳 智雄(ちん ちゆう、Tân Tì-hiông、タン ティーヒョン、1916年2月18日 - 1963年5月28日)は、台湾の政治家。日本の外務省勤務を経て台湾独立運動に参加、台湾共和国臨時政府の東南アジア巡回大使に就任している。
山本 恪二(やまもと かくじ、1915年(大正4年)2月18… 山本 恪二(やまもと かくじ、1915年(大正4年)2月18日 - 2000年(平成12年)3月5日)は、昭和から平成期前半の彫刻家。京都市立美術大学名誉教授。 滋賀県生まれ。旧制中学2年の時にギリシャ彫刻の写真を見て、彫刻家になることを志したと言われる。1933年、東京美術学校彫刻科彫塑部に入学した。 1940年、第5回新制作派展に初入選するが、戦争に徴用される。戦後実家に戻り1947年から1949年まで京都市立美術専門学校(京都市立芸術大学の前身)、1950年から1980年まで京都市立美術大学・京都市立芸術大学、その後は大手前大学・神戸山手女子短期大学芸術科で彫刻の指導を行った。なお、この間1958年から1960年までパリに留学(パリ・エコール・デ・ボザール)しマルセル・ジモンとユーベル・ヤンセンに就いて学んだ。
西村 清次(にしむら せいじ、1915年 <大正4年> 2月… 西村 清次(にしむら せいじ、1915年 <大正4年> 2月18日 - 2013年 <平成25年> 8月1日)は、日本の経営者。京都中央信用金庫理事長を務めた。位階は従四位。 京都府出身。関東軍無線電信教習所、朝鮮平壌日本穀産工業での勤務を経て、1947年1月に京都中央信用金庫に入社し、1949年に立命館大学文学部哲学科を卒業。1950年4月に理事に就任し、1959年に専務を経て、1972年12月に理事長に就任。1989年5月に会長に就任し、1995年5月から2000年5月までに相談役を務めた。1981年に立命館理事長に就任し、1995年11月には名誉会長に就任。 1977年に黄綬褒章を受章し、1981年4月に勲三等瑞宝章を受章し、1996年4月に勲二等瑞宝章を受章。
蔦谷喜一(つたや きいち、1914年2月18日 - 2005… 蔦谷喜一(つたや きいち、1914年2月18日 - 2005年2月24日)は、画家、塗り絵作家。東京都出身。 1914年(大正3年)、京橋の紙問屋「蔦谷音次郎商店」の9人兄弟の7番目(五男)として生まれる。 1931年(昭和6年)、東京市立京橋商業学校を中退し、画家を志し川端画学校で学ぶ。 1939年(昭和14年)、画家としてはなかなか芽が出ず、見兼ねた兄の口利きで25歳にして商売をすることになり、菓子店の経営者となるが、商才は全くなく、赤字により1年ほどで店を閉める。 1940年(昭和15年)、友人が持ち込んだ「ぬりえ」の仕事をフジヲの名で始める。フジヲは、夏目漱石の「虞美人草」の藤尾からとった。
川澄 健一(かわすみ けんいち、1913年2月18日 - 2… 川澄 健一(かわすみ けんいち、1913年2月18日 - 2015年3月13日)は昭和・平成期に活動した日本の作曲家。滋賀県彦根市出身。 滋賀師範学校卒業。1931年(昭和6年)度の文部省教員検定試験に合格しルドルフ・フェッチ、宮原禎次らの師事を仰ぐ。帝塚山学院高等女学校教諭や帝塚山中学校教諭を経て神戸女学院大学教授。 戦後は主にNHKや在阪民放各局の番組で劇伴を手掛け、NHK全国学校音楽コンクールや毎日新聞社主催の全日本学生音楽コンクール、JRN主催のこども音楽コンクールで長年にわたり審査員を務めた。また、近畿地方を中心に校歌や市町村歌、社歌など300曲余りを作曲し、特に詩人の竹中郁とコンビを組むことが多かった点が特筆される。
阿部 功(あべ いさお、1912年2月18日 - 1980年… 阿部 功(あべ いさお、1912年2月18日 - 1980年2月15日)は、日本の投擲競技選手。 1936年ベルリンオリンピックにハンマー投で出場。 北海道札幌郡円山町(現在の札幌市中央区)生まれ。札幌師範学校附属小学校、北海中学校(現在の北海高等学校)に進む。北海中学校在学中には、砲丸投で北海道選手権を獲得。 中央大学に進学、在学中に1933年・1934年と日本陸上競技選手権大会ハンマー投種目で優勝。1934年9月9日には日本記録となる48.98mを投擲し、同年10月10日には49.10mに日本記録を更新した。 中央大学を卒業し、1936年ベルリンオリンピック出場時には鉄道省所属。 第二次世界大戦後、1947年の日本陸上競技選手権大会で3度目の優勝を果たす。
長瀬 喜伴(ながせ よしとも / きはん、1912年2月18… 長瀬 喜伴(ながせ よしとも / きはん、1912年2月18日 - 1966年6月16日)は、日本の脚本家。 東京府東京市下谷区(現・東京都台東区)生まれ。東京府立第一商業学校を経て横浜専門学校商科を卒業。 1935年に松竹の蒲田脚本研究所に第4期生として入所し、1937年に松竹大船脚本部に入って斎藤良輔のもとで助手を務めた後、1938年に清水宏監督「新家庭暦」で一本立ちの脚本家となる。以後、家庭劇的なドラマの展開を基調とした“大船調”メロドラマに健筆をふるい、娯楽作家として活躍した。 太平洋戦争末期の1944年に近衛連隊に入隊し、1945年に小笠原諸島の父島で終戦を迎えた。 1954年にフリーとなり、東宝、大映、東京映画などで娯楽ものを中心に多数の映画で脚本を担当したほか、親友の新藤兼人が主宰する近代映画協会にも参加し、会計事務を担当するなど、協力者として会の活動を支えた。
森本 一正(もりもと かつまさ、1912年2月18日 - 1… 森本 一正(もりもと かつまさ、1912年2月18日 - 1986年8月28日)は、日本の実業家。三菱倉庫の会長、米国三菱倉庫の社長などを歴任した。 東京都出身。1934年に彦根高等商業学校(現:滋賀大学経済学部)を卒業し、同年4月に共同運輸(現:日本郵船)へ入社した。1941年12月、三菱倉庫に転じた。 三菱倉庫では本店を中心に営業・業務部門を歩み、1955年11月に本店業務課長、1961年11月に業務部長となった。1965年5月に取締役、1968年5月に常務取締役に選任された。 常務在任中には、三菱倉庫の国際物流事業にも関与した。1970年には、米国西海岸のロサンゼルスを拠点とする International Warehouse Corporation(インターナショナル・ウエアハウス) の社長に就任・兼任した。
東富士夫(あずまふじお、1912年2月18日 - 1991年… 東富士夫(あずまふじお、1912年2月18日 - 1991年1月1日)は昭和時代の寄席芸人、曲芸師。 静岡県下田市出身。18歳で針金渡り名人の東冨士子に弟子入りし、富士坊を名乗る。1935年、東冨士夫に改名。出征を経て、1946年に復員。その後は駐留軍のキャンプ回りも経験。寄席出演時には撥の曲、皿回し、帽子回しなどの他、足で樽を回す曲芸などを披露した。 この項目は、お笑いタレント・コメディアン(これらの関連記事を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:お笑い/PJ:お笑い)。
加東 大介(かとう だいすけ、本名:加藤 徳之助、1911年… 加東 大介(かとう だいすけ、本名:加藤 徳之助、1911年2月18日 - 1975年7月31日)は、日本の俳優。 東京市浅草区(現:東京都台東区)生まれ。身長160cm。東京府立第七中学校(現・東京都立墨田川高等学校)卒。歌舞伎役者を経て映画デビュー。代表作は『七人の侍』、『大番』、『南の島に雪が降る』。 父親は宮戸座の座付き作者で演出助手であった竹芝傳蔵(黙阿弥の門弟)、兄は四代目沢村国太郎、姉には福祉運動家の矢島せい子と沢村貞子がいる。従兄弟に五代目嵐芳三郎(傳蔵の姉の子)、甥には長門裕之、津川雅彦の役者一家。息子・加藤晴之は、黒澤明の娘・黒澤和子と結婚して孫・加藤隆之(俳優)が産まれるが離婚している。
平川 篤雄(ひらかわ とくお、1911年(明治44年)2月1… 平川 篤雄(ひらかわ とくお、1911年(明治44年)2月18日 - 1996年(平成8年)6月29日)は、昭和期の教育者、政治家。衆議院議員。 広島県出身。1934年(昭和9年)東京帝国大学文学部国文科を卒業した。 以後、新潟県師範学校教諭、広島県師範学校教諭、三原女子師範学校附属主事、広島高等師範学校講師、広島県地御前国民学校長、同緑井国民学校長、広島昭和高等女学校(現比治山女子中学校・高等学校)教頭を歴任した。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で広島県全県区に無所属で出馬して初当選。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙で広島県第1区に国民協同党公認で出馬して落選。
児玉 誉士夫(こだま よしお、1911年〈明治44年〉2月1… 児玉 誉士夫(こだま よしお、1911年〈明治44年〉2月18日 - 1984年〈昭和59年〉1月17日)は、日本の右翼運動家。 CIAエージェントを自称していた。暴力団・錦政会顧問。太平洋戦争中に海軍航空本部のために物資調達を行い、終戦時までに蓄えた物資を占領期に売り捌いて莫大な利益を得た。この資金で戦後分裂状態にあった右翼を糾合し、数多くの大物政治家に政治資金を提供していた。日韓国交正常化交渉に関与した。「政財界の黒幕」や「政財界のフィクサー」と呼ばれた。 戸籍上は、福島県安達郡本宮町中條45番地(現:本宮市本宮中條)に生まれたという。父の酉四郎の旧姓は山田といい、上杉家の家臣であった山田彦右衛門の子兵太夫が丹羽長重に仕え、以降、兵蔵 - 為貞 - 貞常 - 為英 - 為栄 - 為芳と続いた。
岩田 弍夫(いわた かずお、1910年2月18日 - 199… 岩田 弍夫(いわた かずお、1910年2月18日 - 1992年10月22日)は、日本の経営者。東芝社長、会長を務めた。 愛知県知多郡西浦町(現在の常滑市)出身。1934年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に東京芝浦電気(現在の東芝)に入社した。1964年5月に取締役に就任し、1966年3月に専務、1968年5月に副社長を経て、1976年6月に社長に就任した。1980年6月から1984年6月までに会長を務め、1984年6月から相談役を務めた。1988年4月から1992年6月までに日本たばこ産業会長も務めた。 日本電子工業振興協会会長、政府税制調査会委員なども歴任した。 1980年11月に勲二等旭日重光章を受章し、1985年にハンガリーのオーダー・オブ・スター・ウイズ・ゴールデン・リーフを授賞し、1987年に常滑市名誉市民に選ばれ、1989年11月に勲一等瑞宝章を受章した。
沢田 慶輔(さわだ けいすけ、1909年2月18日 - 19… 沢田 慶輔(さわだ けいすけ、1909年2月18日 - 1995年2月1日)は、日本の心理学者。東京大学名誉教授。生徒指導や学生相談の研究と普及に尽力した。 鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島県立第一鹿児島中学校 (旧制)を経て、1928年第七高等学校造士館 (旧制)卒業、1931年東京帝国大学文学部心理学科卒業。 1933年から1939年、岩波書店嘱託として『教育学辞典』(全5巻)の編集にあたる。1938年から東京府大泉師範学校・東京第三師範学校に勤務。学制改革により、1949年東京学芸大学教授。 1950年東京大学教育学部助教授に転任し、1952年東京大学教育学部教授に昇任。東京大学学生相談所初代所長も務めた。
大塚 幸男(おおつか ゆきお、1909年2月18日 - 19… 大塚 幸男(おおつか ゆきお、1909年2月18日 - 1992年9月9日)は、日本のフランス文学者、比較文学者。福岡大学名誉教授。 佐賀県佐賀市生まれ。1933年九州帝国大学仏文科卒、1957年パリに遊学。のち福岡大学教授。アナトール・フランスなど近代フランス文学専攻、比較文学会でも活躍し、著書・翻訳は多数ある。 漫画家の小林よしのりは教え子の一人。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
石川 孝一(いしかわ こういち、1908年2月18日 - 1… 石川 孝一(いしかわ こういち、1908年2月18日 - 1978年8月24日 )は、日本の実業家。元神鋼商事社長。 香川県三豊郡一ノ谷村(現 観音寺市中田井町)出身。旧制香川県立三豊中学校、旧制松山高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業。 1934年(昭和9年)東京帝国大学卒業後、神戸製鋼所に入社。 1952年(昭和27年)10月、東京支社鉄鋼部次長在任時、鉄鋼市場視察のため、南米西欧に出張。線材製品協会を稲山嘉寛理事長の下で主宰、アルゼンチンに線材販売のため訪問する。 1954年(昭和29年)鉄鋼販売部長に昇進。 1956年(昭和31年)神鋼商事常務に就任。1966年(昭和41年)専務を経て、1970年(昭和45年)社長に昇任。
原島 鮮(はらしま あきら、1908年(明治41年) 2月1… 原島 鮮(はらしま あきら、1908年(明治41年) 2月18日 - 1986年(昭和61年) 12月26日)は、日本の物理学者、教育者。東京帝国大学理学博士、東京工業大学名誉教授。分かりやすい教科書執筆に定評があり、物性論や統計力学、特に表面張力の研究に取り組んだ[3][4]。旧制第一高等学校、九州帝国大学、東京工業大学、国際基督教大学、東京神学大学で教授を歴任し、東京女子大学では学長を務めた。実子に原島文雄がいる[3]。クリスチャンであり、温厚な人柄で知られた[4]。
俵田 寛夫(たわらだ ひろお、1908年〈明治41年〉2月1… 俵田 寛夫(たわらだ ひろお、1908年〈明治41年〉2月18日 - 1990年〈平成2年〉)は、日本の実業家。宇部興産 (現:UBE)元副社長・元専務、宇部サイコン(現:テクノUMG)社長。 衆議院議員、外務大臣(第151代)の林芳正は外孫。 山口県出身。三井鉱山(現・日本コークス工業)取締役の属最吉の次男に生まれ、宇部興産創立者の俵田明の養子となる。1932年(昭和7年)東京帝国大学商科卒業後、大阪高島屋本社を経て、1934年(昭和9年)4月に宇部興産沖ノ山炭鉱に転じる。 その後、1949年(昭和24年)8月取締役となり宇部鉱業所長を兼ね、1955年(昭和30年)12月常務、1960年(昭和35年)専務に就任。
韓 徳銖(ハン・ドクス、한 덕수、1907年2月18日 - … 韓 徳銖(ハン・ドクス、한 덕수、1907年2月18日 - 2001年2月21日)は、在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総聯)の初代議長。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)最高人民会議代議員を務めた。 1907年、朝鮮・慶尚北道生まれ。1927年に声楽家を目指して日本に渡り、1928年に日本大学に入学。退学後は丹那トンネルの労働運動に参加し逮捕され、懲役2年執行猶予3年の判決を受ける。1934年には朝鮮人労働者のストライキを指導したため再び逮捕され、以後十数回に渡り逮捕された。 第二次世界大戦後の1945年10月15日、新たに結成された在日本朝鮮人連盟(朝連)に参加し、直後の第1回中央委員会において総務部局長に選出されたが、GHQから公職追放を受ける。
金山 国治(かなやま くにはる、1906年(明治39年)2月… 金山 国治(かなやま くにはる、1906年(明治39年)2月18日 - 1981年(昭和56年)4月14日)は、日本の内務・警察官僚、陸上自衛官、弁護士。最後の官選佐賀県知事、陸将。 島根県出身。第一高等学校を卒業。1930年10月、高等試験行政科試験に合格。1931年に同司法科試験にも合格し、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。同年、内務省に入省し、地方局属となる。 以後、鹿児島県学務部学務課長、同総務部議事課長、内務省衛生局事務官、警視庁経済警察第一課長、岩手県書記官・警察部長、岩手県部長・警察部長、厚生省衛生局医務課長、群馬県部長・警察部長、防空総本部救護課長、新潟県部長・警察部長、福岡県経済部長、栃木県内務部長などを歴任。
平岡 倭文重(ひらおか しずえ、1905年(明治38年)2月… 平岡 倭文重(ひらおか しずえ、1905年(明治38年)2月18日 - 1987年(昭和62年)10月21日)は、作家・三島由紀夫(本名:平岡公威)の母。漢学者・橋健三の次女。加賀藩の漢学者・橋健堂の孫。少年時代の三島由紀夫の文学的才能を発見し、その成長を励ました。 1905年(明治38年)2月18日(土曜日)、倭文重は東京の小石川区指ヶ谷町92番地(現・東京都文京区白山)で、父・橋健三と母・トミの間に次女として生まれた。橋家は、代々金沢藩主・前田家に仕えていた儒者の家系であった。父・橋健三は漢学者で、東京開成中学校の5代目校長を務めた。倭文重の上には、健行、雪子、正男、健男、行蔵、の兄と姉、下には、妹・重子がいる。
初田 佐一郎(はつだ さいちろう、1905年2月18日 - … 初田 佐一郎(はつだ さいちろう、1905年2月18日 - 2001年3月18日)は、日本の実業家。滋賀県出身。 滋賀県立膳所中学校(現膳所高等学校)を経て、和歌山高等商業学校(現和歌山大学)卒業後、鉄道省に入省。太平洋戦争中は陸軍司政官としてフィリピンに派遣された。その後、京阪バス株式会社常務取締役、株式会社京阪交通社社長、株式会社日本レンタカー京阪社長等を務める。財団法人大阪陸運協会常任理事、財団法人大阪陸運協会会長を歴任後、財団法人大阪陸運協会顧問、京阪電鉄客員等を歴任した。著書には「生き残った者」洛陽社(1947年)等がある。
高橋 道男(たかはし みちお、1905年〈明治38年〉2月1… 高橋 道男(たかはし みちお、1905年〈明治38年〉2月18日 - 1969年〈昭和44年〉8月7日)は、昭和期の宗教家、政治家。参議院議員(1期)。 熊本県熊本市で高橋卯治郎の長男として生まれる。1928年(昭和3年)3月、京都帝国大学文学部文学科(独文学専攻)を卒業した。 1928年、天理外国語学校講師に就任。以後、天理図書館(現天理大学附属天理図書館)建築現場事務担当、天理教海外伝道部課長、天理図書館主任、天理教東京出張所長、同総務長、日本宗教連盟理事、天理教教会本部役員、天理教責任役員、天理大学理事兼評議員、(株)天御津組監査役、共立出版(株)監査役などを務めた。 1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙に全国区から緑風会公認で出馬して当選し、参議院議員に1期在任した。
川田 寿(かわだ ひさし、1905年(明治38年)2月18日… 川田 寿(かわだ ひさし、1905年(明治38年)2月18日 - 1979年(昭和54年)7月5日)は、日本の経済学者。元慶應義塾大学、大阪学院大学教授。 茨城県稲敷郡朝日村(現・土浦市および阿見町に分離)で生まれる。慶應義塾大学に進学し、社会科学研究会に加入するとともに、学生社会科学連合会再建運動に加わる(後者は野呂栄太郎の影響による)。しかし、1930年(昭和5年)に検挙され、大学は3年で中退した。 アメリカ合衆国に渡り、ペンシルベニア大学大学院でニューディール下の労働運動研究に従事する。アメリカでは反戦運動にも加わった。 1941年(昭和16年)に帰国して、世界経済調査会主事となる。 1942年(昭和17年)9月11日、神奈川県警察部特高課に「アメリカ共産党の指令を持ち帰った」という容疑により妻とともに検挙される。
宮崎 直勝(みやざき なおかつ、1905年(明治38年)2月… 宮崎 直勝(みやざき なおかつ、1905年(明治38年)2月18日 - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。陸軍司政官。 佐賀県小城郡小城町(現小城市)に生まれる。1917年(大正6年)5月に渡台し、小中学を経て1927年(昭和2年)3月、早稲田大学付属早稲田第二高等学院を卒業し、1933年(昭和8年)10月、高等試験行政科に合格した。同月、鉄道部監督課勤務となり、台湾総督府交通局書記を拝命する。1937年(昭和12年)9月、台中州彰化市助役に就任し、1938年(昭和13年)8月、新竹州中壢郡守に転じた。のち地方警視、台北州警務部保安課長、交通局参事、鉄道部経理課長を経て、1942年(昭和17年)8月、陸軍司政官に任じた。
岡田 時彦(おかだ ときひこ、本名・高橋英一、明治36年(1… 岡田 時彦(おかだ ときひこ、本名・高橋英一、明治36年(1903年)2月18日 - 昭和9年(1934年)1月16日)は、大正・昭和初期の日本の俳優。無声映画時代を代表する二枚目俳優であった。 東京市神田区宮本町(現・千代田区外神田2丁目)に生まれる。父の放浪癖のため、川崎に3年、茅ヶ崎に1年、その後逗子に移るなど各地を転々とした。大正4年(1915年)に神奈川師範附属小学校を卒業。同級生に江川宇礼雄、国木田虎雄、青柳信雄らがいた。旧制・逗子開成中学校(のち中退)には抜群の成績で入学したが、伊勢佐木町の映画館で観た『名金』に感動して、学業そっちのけで浅草六区に足を運ぶほど映画に熱中した。 大正9年(1920年)、4月に設立され、山下公園に撮影所をもつ横浜の映画会社大正活映(大活)の俳優募集に応募し、17歳で入社。
駒井 志づ子 (こまい しづこ、1903年(明治36年)2月… 駒井 志づ子 (こまい しづこ、1903年(明治36年)2月18日 - 1978年(昭和53年)1月2日)は、大正・昭和期に活動した、石川県出身の女性運動家、政治家、歌人。 1951年(昭和26年)に女性初の石川県議会議員となり、以降5期25年にわたって在任した。 当時金沢市議会議員(後の第6代金沢市長)であった飯尾次郎三郎の長女として生まれる。 1918年(大正7年)、石川県立金沢第一高等女学校(現在の金沢二水高等学校)を卒業。 1920年(大正9年)に法学士の駒井粂吉と結婚したが、1934年(昭和9年)に死別した。夫の粂吉は、読書家で政治に関心を持っており、このことが妻の志づ子にも影響を与えたとされる。
市川 一郎(いちかわ いちろう、1903年2月18日 - 1… 市川 一郎(いちかわ いちろう、1903年2月18日 - 1981年9月29日)は、将棋棋士。八段。棋士番号は9。大崎熊雄九段門下。東京府東京市(現:東京都文京区)出身。 1927年に入門し1930年に四段に昇段。奨励会(関東)の創設は1928年であるため、奨励会に参加していたと思われる。 1940年に五段に昇段。戦後の1946年の順位戦C級クラスに参加し、8勝6敗と成績上位だったため六段に昇段。C級には第10期まで所属し、第10期にC級2組で降級が決まった事により引退。 この項目は、将棋の棋士(女流棋士・アマチュアを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:ボードゲーム/プロジェクト:人物伝)。
山縣 勝見(やまがた かつみ、1902年(明治35年)2月1… 山縣 勝見(やまがた かつみ、1902年(明治35年)2月18日 - 1976年(昭和51年)10月29日)は、日本の実業家、政治家。辰馬財閥の大番頭。
大岸 頼好(おおぎし よりよし、1902年〈明治35年〉2月… 大岸 頼好(おおぎし よりよし、1902年〈明治35年〉2月18日 - 1952年〈昭和27年〉1月29日)は、日本の陸軍軍人、右翼活動家。 高知県香美郡片地村(土佐山田町を経て現香美市)出身。大岸蓑吉、岩尾の息子として生まれた。陸軍士官学校卒(35期)。1930年西田税の指導する秘密結社「天剣党」に参加、皇道派青年将校運動のリーダーとなり、1931年9月「皇政維新法案大綱」という国家改造計画を起草した。1936年の2.26事件に関係して待命となり、左翼から転向の中村義明とともに右翼団体「あけぼの社」を設立。同年12月大尉で予備役。1940年9月近衛新体制に即応、革新青年団結のため結成された皇道翼賛青年連盟委員となった。
廿日出 逸暁(はつかで いつあき、1901年2月18日 - … 廿日出 逸暁(はつかで いつあき、1901年2月18日 - 1991年5月29日)とは、日本の図書館員・図書館学者である。 1901年、広島県豊田郡大長村(現・呉市)に生まれる。旧制崇徳中学校卒業。ライプチヒ大学附属図書館学校等を卒業後、御成婚記念千葉県図書館(現千葉県立中央図書館)の館長として経営に邁進する。戦後は移動図書館を日本に広めたことでも知られ、図書館法の成立にも尽力している。のちに国会図書館連絡部長や千葉経済短期大学教授等を歴任した。1971年、勲三等瑞宝章を受章。1991年死去。