小谷 正博(こたに まさひろ、1939年12月25日 - )… 小谷 正博(こたに まさひろ、1939年12月25日 - )は日本の化学者。東京都出身。元学習院大学理学部教授。研究領域は物理化学。
12月25日生まれ:334人
小谷 正博(こたに まさひろ、1939年12月25日 - )… 小谷 正博(こたに まさひろ、1939年12月25日 - )は日本の化学者。東京都出身。元学習院大学理学部教授。研究領域は物理化学。
大西 満(おおにし まん、1939年12月25日[要出典] … 大西 満(おおにし まん、1939年12月25日[要出典] - 2023年6月29日)は、日本の釣り師。 1980年代には「鮎釣り名人」として著名となった。泳がせ釣りの祖と言われている永井茂に師事し、報知アユ釣り選手権にて、第5〜9期名人となる。大阪府寝屋川市在住。 徳島県三好市池田町出身。 社会人となり大阪市職員として勤務する傍ら、釣りに傾倒し1974年(昭和49年)開催の報知アユ釣り選手権では第5期名人を獲得する。以降、1978年(昭和53年)開催の同大会で第9期名人を獲得まで毎年名人を獲得し続けた。 1979年(昭和54年)には初の著書『新しい友釣り』を出版。翌年おおよそ1000人の前で大阪市中央公会堂にてアユ釣り講演会を実施し盛況を得る。
稲見 友之(いなみ ともゆき、1938年12月25日 - )… 稲見 友之(いなみ ともゆき、1938年12月25日 - )は、日本の弁護士。東京弁護士会所属。 敬天総合法律事務所所長。 ロッキード事件で逮捕・起訴された田中角栄の裁判で弁護団事務局長や主任弁護人を務めた。 竹早高校卒業。中央大学法学部在学中の1963年に24歳で司法試験合格。1964年3月卒業。1966年、司法修習修了(18期)、弁護士登録(登録番号10082)。 田中角栄が逮捕・起訴された後、田中派の2年生議員で中央大学の同級生だった保岡興治に請われて訴訟対策を行い、弁護団の事務局長に就任した。1審で敗訴した際には、越山会の機関紙「月刊越山」に「人権無視 恐るべき偏向判決」との一文を寄せた。
高橋 正(たかはし しょう、1938年12月25日 - 2… 高橋 正(たかはし しょう、1938年12月25日 - 2022年5月28日)は、日本の経営者。広島銀行頭取を務めた。 広島県出身。1967年に早稲田大学法学部を卒業し、同年に広島銀行に入行した。1991年9月に取締役に就任し、1993年6月に常務、1996年6月に専務を経て、1998年6月に副頭取に就任し、2000年6月には頭取に昇格。2006年6月に会長に就任し、2012年6月には特別顧問に就任。 2013年4月に旭日中綬章を受章。 2022年5月28日、病気のために死去。83歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
高野 之夫(たかの ゆきお、1937年〈昭和12年〉12月2… 高野 之夫(たかの ゆきお、1937年〈昭和12年〉12月25日 - 2023年〈令和5年〉2月9日)は、日本の政治家。東京都豊島区長(6期)、豊島区議会議員(2期)、東京都議会議員(3期)、公益財団法人としま未来文化財団理事長などを歴任した。 東京市豊島区西池袋に生まれる。生家は古書店を営んでいた。 1945年4月13日、池袋を含む城北地域が空襲を受けたとき(城北大空襲)、茨城県常陸大宮市出身の父親は徴兵されて満州に行っており、姉は集団疎開で長野県にいた。高野は栃木県城山村(現:宇都宮市古賀志町)の親戚の家に疎開中だった。そこから、東京の空が真っ赤に燃えているのが見えたという。母と当時3歳くらいだった妹は東京に残っていたが、命からがら逃げた。
中島 啓雄(なかしま ひろお、1937年12月25日 - 2… 中島 啓雄(なかしま ひろお、1937年12月25日 - 2024年2月7日)は、日本の政治家。元参議院議員(2期)。関東州大連生まれ。長野県育ち。 成蹊高等学校、東京大学経済学部経済学科卒業。JR貨物の役員を経て、1995年、第17回参議院議員通常選挙で自由民主党公認で比例区から立候補するも落選。その後、1999年8月に石川弘が死去したため、同月20日付で繰上補充となり、当選。その後2001年、再選を目指して立候補した第19回参議院議員通常選挙でも落選したが、その約3か月後に高祖憲治が辞職したため、同年10月3日付で再び繰上補充により当選となった。2回の当選はいずれも繰上当選であった。2007年の任期満了をもって、次期選挙には立候補しなかった。
克美 しげる(かつみ しげる、1937年12月25日 - 2… 克美 しげる(かつみ しげる、1937年12月25日 - 2013年2月27日)は、日本の歌手。本名は津村誠也(つむら せいや)。1975年から1976年にかけては芸名を『克美 茂』と表記していた。
立花 宗鑑(たちばな むねあき、1937年〈昭和12年〉12… 立花 宗鑑(たちばな むねあき、1937年〈昭和12年〉12月25日 - )は、日本の実業家。 筑後柳川藩立花家第17代当主。 1960年に慶應義塾大学経済学部を卒業。 大学卒業後の同年に三井物産に入社。重機械部にて、機械、プラント関連の業務に従事する。1975年に豪州三井物産のシドニー、メルボルンの支店で機械関連の業務に従事。1980年に本店業務部経営企画室に勤務。1988年に日本ユニバックへ出向。バロースとの合弁事業に携わる。2001年6月に取締役、常務取締役関西支社長などを経て退任。同年7月よりは日本ユニシスサプライ代表取締役社長に就任。2004年に退任後は、財団法人軽井沢文化美術学院を立ち上げ、理事事務局長に就任、公益法人の認可を取得。
池田 守男(いけだ もりお、1936年〈昭和11年〉12月2… 池田 守男(いけだ もりお、1936年〈昭和11年〉12月25日 - 2013年〈平成25年〉5月20日)は、株式会社資生堂相談役、資生堂美容技術専門学校理事長、東洋英和女学院理事長・院長、株式会社小松製作所社外取締役、教育再生会議座長代理、日本基督教団銀座教会員。香川県高松市出身。神学部卒の異色経営者として知られた。
山田 経三(やまだ けいぞう、1936年12月25日 - 2… 山田 経三(やまだ けいぞう、1936年12月25日 - 2015年7月26日)は、日本のカトリック司祭、経済経営学者、上智大学名誉教授。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
後藤 忠彦(ごとう ただひこ、1935年(昭和10年)12月… 後藤 忠彦(ごとう ただひこ、1935年(昭和10年)12月25日 - )は、日本の教育学者、教育工学専攻。岐阜県出身。岐阜大学教育学部卒。愛知県一宮高等学校教諭、岐阜大学助手を経て、岐阜大学教育学部付属カリキュラム開発研究センター助教授、同教授を歴任。岐阜大学名誉教授。退官後、岐阜女子大学に移り、同女子大学副学長、岐阜女子大学文化情報研究センター長。2019年、瑞宝中綬章受章。 遠隔教育、教育情報システム、地域情報システムの構築などを専門とする。日本教育情報学会理事、日本教育情報学会情報部会代表、日本教育工学会理事などを歴任。
冨田 義治(とみた よしはる、1935年12月25日 - 没… 冨田 義治(とみた よしはる、1935年12月25日 - 没年不明)は、岐阜県出身の映画監督、助監督、脚本家。
豊田 義夫(とよだ よしお、1935年12月25日- )は、… 豊田 義夫(とよだ よしお、1935年12月25日- )は、元アマチュア野球選手、監督である。 大阪府八尾市出身。左利き。 会社勤務を経て、1956年から母校の近大附属高校でコーチを務めた後1965年から1984年まで同校の監督を務めた。1967年、1971年、1975年の3度の春のセンバツへの出場を果たした。厳しい練習から「キンコー(近高)の鬼」と呼ばれ、部員や他校から恐れられていた。 その手腕を買われ、近大附属福山高校(1990年~2000年)、近大附属新宮高校(2005年4月~2006年8月1日)、八尾ベースボールクラブ(2009年2月~2010年1月)、近大泉州高校(2010年1月~2013年7月15日)の監督を歴任した。
岸田 秀(きしだ しゅう、1933年12月25日 - )は、… 岸田 秀(きしだ しゅう、1933年12月25日 - )は、日本の心理学者・精神分析学者・エッセイスト・翻訳家。和光大学名誉教授。 1977年の『ものぐさ精神分析』が話題になり、思想界を担う存在となった。翻訳書も多数著している。『ものぐさ精神分析』では「人間は本能の壊れた動物である」とし、独自の唯幻論を提言する。妻は文化人類学者の船曳建夫の実姉。 1933年に香川県仲多度郡善通寺町(現:善通寺市)に生まれた。父親は1921年に善通寺町に開館した映画館「世界館」の経営者であり、岸田家は東京・浅草六区にあった「世界館」の経営者でもあった。戦前において、善通寺町の世界館は仲多度郡で最も大きな映画館だった。
安西 孝之(あんざい たかゆき、1933年〈昭和8年〉12月… 安西 孝之(あんざい たかゆき、1933年〈昭和8年〉12月25日 - )は、日本の実業家。昭和電工専務取締役、日本体育協会会長、日本ゴルフ協会名誉会長。袖ヶ浦カンツリークラブ理事長。 東京都出身。父は昭和電工社長を務めた安西正夫、母は昭和電工や日本冶金工業など森コンツェルン創業者森矗昶の娘である満江。1956年に慶應義塾大学法学部卒業後、昭和電工に入社。1995年に同社専務取締役。 父方祖父は、千葉県議会議長を務めた安西直一(二松學舍出身)。父・正夫の兄に東京瓦斯元会長安西浩(子に同社元会長邦夫)らがいる 母方祖父は、森コンツェルン創業者の森矗昶。母・満江の兄妹に森曉、森清、森美秀、三木武夫首相夫人の睦子、田中覚夫人の三重子(前夫との子に松崎哲久ら。
前島 誠(まえじま まこと、1933年12月25日 - 20… 前島 誠(まえじま まこと、1933年12月25日 - 2019年12月9日)は、キリスト教・ユダヤ教学者、元玉川大学教授。 東京出身。上智大学文学部哲学科卒、同大学院神学研究科修了。東京カトリック大司教区付司祭を5年務め、1965年1月玉川学園講師、玉川大学文学部教育学科助教授、教授。1999年退任。専攻は、西洋哲学・神学。
富永 幸生(とみなが ゆきお、1933年12月25日 - 1… 富永 幸生(とみなが ゆきお、1933年12月25日 - 1977年3月2日)は、日本の歴史学者。専門はドイツ現代史、独ソ関係史。 長崎県生まれ。東京大学文学部西洋史学科卒業。東京大学大学院社会科学研究科(国際関係論専攻)およびジョンズ・ホプキンス大学大学院で学ぶ。東京大学教養学部助手を経て、1968年から青山学院大学文学部教授。
小沢 通宏(小澤 通宏、おざわ みちひろ、1932年12月2… 小沢 通宏(小澤 通宏、おざわ みちひろ、1932年12月25日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元サッカー日本代表、サッカー指導者。 1962年第2回日本年間最優秀選手賞(フットボーラー・オブ・ザ・イヤー)受賞のディフェンダー。2014年日本サッカー殿堂入り。 生まれは兵庫県。父親の仕事の関係で東京に移り住み、太平洋戦争中に宇都宮市へ疎開し、以降宇都宮に住む。幼少期には体は弱く、激しい運動は両親に止められていたほどだった。 栃木県立宇都宮高等学校入学とともに、親の反対を押し切ってサッカーを始める。FW岩淵功とともに活躍、高校1年から全国高等学校蹴球選手権大会(現全国高等学校サッカー選手権大会)に出場、高校2年時に準優勝、3年時に優勝を果たす。
江藤 淳(えとう じゅん、1932年〈昭和7年〉12月25日… 江藤 淳(えとう じゅん、1932年〈昭和7年〉12月25日 - 1999年〈平成11年〉7月21日)は、日本の文芸評論家。東京工業大学、慶應義塾大学教授を歴任。学位は、文学博士(慶應義塾大学)。日本芸術院会員。本名:江頭 淳夫(えがしら あつお)、身長160センチ。 学生時代に発表した『夏目漱石』(1956年)で注目され、『作家は行動する』(1959年)、『小林秀雄』(1960年)で文芸評論家としての地位を確立。『アメリカと私』(1965年)など文明批評も多い。 戦後日本の著名な文芸評論家で、小林秀雄没後は文芸批評の第一人者とも評された。20代の頃から長らく文芸時評を担当し、大きな影響力を持った。
尚 弘子(しょう ひろこ、1932年12月25日 - )は、… 尚 弘子(しょう ひろこ、1932年12月25日 - )は、日本の農学者。琉球大学名誉教授。1991年から1994年には日本では2番目の女性副知事として沖縄県副知事に就任していた。
木村 磐根(きむら いわね、1932年12月25日 - 20… 木村 磐根(きむら いわね、1932年12月25日 - 2019年12月3日)は、日本の宇宙物理学者・電気工学者。京都大学名誉教授・工学博士、大阪工業大学名誉教授。元スタンフォード大学電波科学研究所研究員。木村毅一の長男。瑞宝中綬章受章。 文部省宇宙科学研究所元運営協議員。NASDA宇宙空間利用研究委員会元委員。地球電磁気・地球惑星圏学会元会長。日本地球惑星科学連合 (JpGU) フェロー。応用科学研究所副理事長。 専門は、宇宙物理学、電波工学・通信工学。 主な受賞は、日本地球惑星科学連合 (JpGU) フェロー(同学会黎明期の多大な貢献および超高層物理学、特にプラズマ波動の伝搬特性研究に関して顕著な貢献)。
山本 正美(やまもと まさみ、1932年〈昭和7年〉12月2… 山本 正美(やまもと まさみ、1932年〈昭和7年〉12月25日 - 2003年〈平成15年〉4月12日)は、日本の作曲家。山本直純の妻。作曲家の山本純ノ介は長男、チェリストの山本祐ノ介は二男。東京藝術大学作曲科卒業。1981年、48歳にして長男の純ノ介と共に東京藝術大学大学院に入学し、話題となった。 岡本 正美(おかもと まさみ)名義で交響曲から歌曲・合唱曲まで幅広く手がけたが、その作風は、夫・直純の大衆に幅広く受け入れられるような作風とは違い、やや難解と見られがちな前衛風な響き、構成の作品が多い。上皇后美智子の詞に曲づけした「ねむの木の子守歌」が一般的によく知られている。 遠縁に吉永小百合がいる(山本正美の妹の夫の母が、吉永の母の従兄弟の妻と姉妹同士)という情報があるが、事実ではない。
内野 欣(うちの よし、1931年(昭和6年)12月25日 … 内野 欣(うちの よし、1931年(昭和6年)12月25日 - 2005年(平成17年)11月27日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県入間郡鶴ヶ島町長、鶴ヶ島市長。 埼玉県入間郡鶴ヶ島村(鶴ヶ島町を経て、現鶴ヶ島市)出身。埼玉県飯能実業学校を卒業し、鶴ヶ島町役場に奉職する。同総務課長、企画財政課長、坂戸、鶴ヶ島水道企業団事務局長、鶴ヶ島町助役を経て、1989年(平成元年)鶴ヶ島町長に就任。1991年(平成3年)市制施行に伴い鶴ヶ島市長に就任し1993年(平成5年)引退した。
藁科 滿治(わらしな みつはる、1931年12月25日 ‐ … 藁科 滿治(わらしな みつはる、1931年12月25日 ‐ )は、日本の政治家。 参議院議員(2期)、内閣官房副長官、民主党参議院議員会長を歴任。 神奈川県出身。浅野中学校を経て1950年に浅野高校を卒業。高校時代は野球部に所属していた。1958年、明治学院大学経済学部を卒業した。1957年富士通に入社し、労働組合の活動に携わりながら早稲田大学大学院経済学研究科に通って労働問題を勉強するも中退した。1968年に電機労連に転出、1974年より電機労連書記長を務め、1983年からは中立労連事務局長を兼務。1984年7月に電機労連委員長に、9月には中立労連議長に、1985年には全民労協副議長に就任した。
柏原 正明(かしわら まさあき、1931年〈昭和6年〉12月… 柏原 正明(かしわら まさあき、1931年〈昭和6年〉12月25日 - 2018年〈平成30年〉8月29日)は、日本の実業家。元千代田化工建設代表取締役社長。 大阪府出身。1953年に大阪大学工学部応用化学科を卒業後、千代田化工建設入社。エンジニアリング副本部長、同本部長、技術本部長を経て1987年12月副社長に就任。のち1992年6月玉置正和に代わり社長に就任した。1996年に社長の座を退き、北川正人が次代社長となった。
井上 和雄(いのうえ かずお、1931年12月25日 - … 井上 和雄(いのうえ かずお、1931年12月25日 - )は、日本の経営者。三越社長を務めた。 神奈川県出身。1954年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に三越に入社。1977年5月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1998年1月に社長に就任。2002年1月に取締役を経て、同年5月に相談役に退いた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
秋山 肇(あきやま はじめ、1931年12月25日 - )は… 秋山 肇(あきやま はじめ、1931年12月25日 - )は、日本の政治家。元自由民主党所属の参議院議員(1期)。 現在の東京都世田谷区出身。東京都立西高等学校を経て、1954年早稲田大学法学部卒。世田谷区で青年運動に身を投じ、1977年の東京都議会議員選挙に新自由クラブから立候補して初当選、3期務める。この間新自由クラブ都連幹事長などを務めた。1986年に新自由クラブを離党し、野末陳平の誘いを受け税金党に入り、参院選で比例区から立候補して当選した。税金党では幹事長を務めたが、その後1990年に税金党解散により、野末ら党所属の国会議員とともに自民党に入った。1992年の参院選で比例区から自民党公認で立候補していたが、名簿順位は24位と下位にランクされたため落選した。
杉 みき子(すぎ みきこ、1930年〈昭和5年〉12月25日… 杉 みき子(すぎ みきこ、1930年〈昭和5年〉12月25日 - )は日本の児童文学作家である。新潟県高田市(現:上越市)出身。本名は小寺佐和子。日本児童文学者協会会員、短歌誌「北潮」会員などを務めていた。 新潟県高田市寺町に生まれ当地で育つ。父は電気技師だった。高田高等女学校(現:新潟県立高田北城高校)、長野女子専門学校国語科(後の長野短期大学)卒業。父親が円本全集を買い集めていたこともあり、幼少期から本を愛好した。7歳時に母校の上越市立大手町小学校の先輩にあたる小川未明の存在を知り、感銘を受けたことをきっかけに児童文学を志すようになる。 1945年(昭和20年)に学徒動員で市内川端工場で働く。
今井 政之(いまい まさゆき、1930年12月25日 - 2… 今井 政之(いまい まさゆき、1930年12月25日 - 2023年3月6日)は、日本の陶芸家。位階は従三位、勲等は文化勲章。公益社団法人日展名誉顧問、日本芸術院会員、文化功労者。国際陶芸アカデミー会員。 京都府美術工芸家協会理事、社団法人日展常務理事、財団法人京都文化財団理事などを歴任した。 苔泥彩とよばれる独特の技法を生みだし、現代陶芸界に独自の領域を開拓。 花や魚の模様を象嵌する技法の第一人者として知られ海外でも高い評価を受けている。 大阪府大阪市出身。1943年、父の郷里広島県賀茂郡竹原町(現・竹原市)に移り住む。広島県立竹原工業学校(現・広島県立竹原高等学校)卒業後、岡山県備前市に赴き備前焼の修行を始める。
川尻 一寛(かわじり いっかん、1930年(昭和5年)12月… 川尻 一寛(かわじり いっかん、1930年(昭和5年)12月25日 - 2008年(平成20年)12月29日)は、京都府京都市日吉出身の日本の陶芸家。本名は宗裕。 作風は伝統的な京焼き磁器を守りつつも大胆な形態の作品を発表した。 1930年(昭和5年)12月25日、京都府京都市日吉に生まれる。物心ついた頃から近所に製陶関連業の多い環境で育った。陶芸家クラブで清水六兵衛に師事する。 生前は現代工芸美術家協会評議員、日展理事などを務めた。 日本芸術院の工芸美術部門で1984年(昭和59年)第16回日展、1988年(昭和63年)第20回日展の2回で特選受賞している。 2001年、「豊穰」が日本芸術院賞を受賞。
上野 佳也(うえの よしや、1930年12月25日- )は、… 上野 佳也(うえの よしや、1930年12月25日- )は、日本の考古学者、東京大学名誉教授。 東京出身。東京大学文学部考古学科卒、同大学院博士課程満期退学。69年「日本における円筒系縄文土器文化の研究」で文学博士。1974年金沢大学文理学部教授となり、その後東大文学部助教授、教授、91年定年退官、名誉教授、大正大学教授を務め、2001年退職した。先史考古学。
品川 義雄(しながわ よしお、1929年(昭和4年)12月2… 品川 義雄(しながわ よしお、1929年(昭和4年)12月25日 - )は、日本の政治家。元埼玉県鶴ヶ島市長(3期)。旭日小綬章受章。 内野欣鶴ヶ島町長(後に市長)の下で助役を務めた。市制移行後に内野が勇退したことによる鶴ヶ島市長選に出馬し無投票で当選。鶴ヶ島市長に1993年11月5日就任。2005年11月5日に任期満了となり藤縄善朗に職を譲り退任した。通算3期12年。 2007年には旭日小綬章を受章した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
福永 令三(ふくなが れいぞう、1928年〈昭和3年〉12月… 福永 令三(ふくなが れいぞう、1928年〈昭和3年〉12月25日 - 2012年〈平成24年〉11月19日)は、日本の童話作家。愛知県名古屋市出身。 名古屋市立東白壁小学校、愛知県立明倫中学校、第二早稲田高等学院を経て、早稲田大学第一文学部国文科卒業。大学在学中は小説を1か月に原稿用紙千枚以上必ず[要出典](200枚程度)書いていたという。大学卒業後は文筆生活に入り、純文学、児童文学、ミステリなどジャンルを問わず様々な文学賞に応募をし続けた。1946年より静岡県熱海市に移住し、生涯在住した。 1956年に「赤い鴉」で、黒岩松次郎(後の団鬼六)らを抑えて文藝春秋の第9回オール新人杯を受賞。 代表作は、1964年に第5回講談社児童文学新人賞を受賞した『クレヨン王国の十二か月』。
河野博式(こうの ひろのり、1928年12月25日 - 20… 河野博式(こうの ひろのり、1928年12月25日 - 2011年1月1日)は、日本の実業家。日鉱金属(現JXHD)社長。 1928年12月25日(1929年1月1日)広島に生まれる。幼少期を広島で過ごし、京都大学法学部に進学。 その後、日本鉱業(現JX金属)に入社。1992年日鉱金属営業開始とともに、代表取締役社長に就任。1996年同社の代表取締役会長に就任。1999年取締役会長に就任。その他にも、数々の組織に所属していた。 引退後は、趣味のゴルフ、園芸に没頭。2011年1月1日食道がんのため82歳で死去。 2008年秋に、旭日重光章を受章している。
佐武 一郎(さたけ いちろう、1927年12月25日 - 2… 佐武 一郎(さたけ いちろう、1927年12月25日 - 2014年10月10日)は、日本の数学者。山口県出身。カリフォルニア大学バークレー校名誉教授。東北大学名誉教授。理学博士。 専門は微分幾何学、代数群。佐武同型(英語版)(Satake isomorphism)、志村多様体の佐武コンパクト化、ディンキン図形の一般化である佐武図形(英語版)(Satake diagram)、保型形式のL-函数のオイラー積における佐武パラメーターなどで知られる。著書の『線型代数学』は線型代数学の入門書として有名であり、現在でも広く読まれている。
伊坂 重昭(いさか しげあき、1926年12月25日 - 2… 伊坂 重昭(いさか しげあき、1926年12月25日 - 2000年4月10日)は、日本の弁護士、元検察官。 平和相互銀行監査役を務め、同銀行をめぐる不正経理事件で逮捕された。 1926年12月25日、北海道札幌市にて生まれる。札幌師範付属小学校、札幌第一中学校を卒業し、東京都に出て武蔵高等学校(旧制)を経て東京大学(旧制)法学部に進学。二年生の時に高等文官試験に一発合格した。 卒業後は検事となり、1950年(昭和25年)、23歳時に宇都宮地方検察庁に赴く。初めて担当した詐欺事件では実刑判決まで持ち込んだ。その後は横浜地方検察庁を経て東京地方検察庁刑事部、同庁特別捜査部に勤める。検事としては経済犯罪の捜査に定評があったとされる。
浜林 正夫(はまばやし まさお、1925年12月25日 - … 浜林 正夫(はまばやし まさお、1925年12月25日 - 2018年5月19日)は、日本の歴史学者。専門は、イギリス近代史でマルクス主義の立場からピューリタン革命と名誉革命を中心に研究していた。一橋大学名誉教授。日本学術会議会員、日本科学者会議代表幹事、全国革新懇代表世話人、労働者教育協会副会長、憲法改悪阻止各界連絡会議代表委員など護憲組織を歴任。 北海道小樽市生まれ。旧制小樽中学校(現北海道小樽潮陵高等学校)、仙台陸軍予備士官学校を経て、1948年東京商科大学(現一橋大学)卒業。大学在学中はボート部に所属。村松恒一郎ゼミ出身。 1947年に小樽経済専門学校(現小樽商科大学)教授を務めていた父が結核のため死去。
宗谷 真爾(そうや しんじ、1925年12月25日 - 19… 宗谷 真爾(そうや しんじ、1925年12月25日 - 1991年4月22日)は、日本の小説家、医師。 千葉県野田市生まれ。本名・真(しん)。慶應義塾大学医学部卒業。学生時代から『文芸首都』同人となり小説を書く。のち第三次『批評』に参加し、1963年「鼠浄土」で中央公論新人賞、「なっこぶし」で農民文学賞 を受賞し、郷里で小児科医として開業しながら作家活動をおこなう。リアリズムの系列と幻想文学の系列とがあり、関心はアンコール・ワットおよびアジアの多神教、浮世絵、民俗学など多方面にわたった。
亀井 節夫(かめい ただお、1925年12月25日 - 20… 亀井 節夫(かめい ただお、1925年12月25日 - 2014年5月23日)は、日本の古生物学者。野尻湖でのナウマンゾウの発掘などに関わった。父親は海軍少将の亀井凱夫。伯父(凱夫の実兄)は社会大衆党議員で元外交官の亀井貫一郎。叔父(貫一郎と凱夫の義弟)の毛里英於菟(ひでおと)は、大蔵省と企画院の官僚で、迫水久常などと並ぶ革新官僚の代表格。 神奈川県鎌倉市生まれ。旧制神奈川県立湘南中学校、北海道帝国大学理学部を経て、1949年東京大学理学部卒業。1950年信州大学文理学部助手、1961年「日本列島のデボン系の研究」で、北海道大学より理学博士の学位を取得。1956年信州大学講師、62年助教授、1963年京都大学理学部助教授、66年教授、1989年定年退官、名誉教授、信州大学理学部教授、1992年~1999年徳島県立博物館館長。
岡本 敦郎(おかもと あつお、1924年〈大正13年〉12月… 岡本 敦郎(おかもと あつお、1924年〈大正13年〉12月25日 - 2012年〈平成24年〉12月28日)は、日本の歌手、音楽教師。武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)声楽科卒業。日本コロムビア所属。 1924年12月25日、北海道小樽市に生まれる。学校の教員を務める父親がクラシック好きで、幼少期から音楽に親しむ環境で育つ。 父親の転勤で神奈川県に転居し、旧制川崎中学校(現・神奈川県立川崎高等学校)に進学する。 川崎中学校在学中の1940年、映画「熱砂の誓い」を鑑賞し、アトラクションで伊藤久男の歌う「建設の歌」に感銘を受け、歌手を志す。 1943年、武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)へ進学。
高島 温厚(こうしま よしあつ、1924年12月25日 - … 高島 温厚(こうしま よしあつ、1924年12月25日 - 2009年6月12日)は、日本の政治家。網走管内留辺蘂町(現北見市)出身。北海道第二師範学校(現北海道教育大学函館校)卒。北海道小清水町長(1985年-1993年)。 小清水町立小学校教頭、北見市立富里小中学校校長、白滝村立白滝中学校校長などを経て、1971年小清水町教育長。同教育長を定年退職後、1985年小清水町長に初当選。以後連続2期務める。 2009年6月12日、急性循環不全のため死去、84歳。死没日をもって旭日双光章追贈、従五位に叙される。 給食時の食事マナーや仲間意識を育てるため、北海道内でいち早く全校食堂方式を採用した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
谷川 雁(たにがわ がん、本名:谷川 巌(たにがわ いわお)… 谷川 雁(たにがわ がん、本名:谷川 巌(たにがわ いわお)、1923年12月25日 - 1995年2月2日)は、日本の詩人、評論家、サークル活動家、教育運動家。社会主義的なリアリズムを基調とにした詩人として知られ、評論集「原点が存在する」「工作者宣言」は1960年代の新左翼陣営に思想的な影響を与えた。 熊本県水俣市に開業医の、六人兄妹の次男として生まれる。兄は民俗学者の谷川健一、弟に東洋史学者の谷川道雄、日本エディタースクール創設者の吉田公彦。旧制熊本中学、第五高等学校を経て、1945年に東京帝国大学文学部社会学科を卒業。従軍する。 戦後、西日本新聞社に勤務。同人誌「九州詩人」「母音」に詩を発表し、安西均、那珂太郎などと交遊。
阿部 喜元(あべ きげん、1923年(大正12年)12月25… 阿部 喜元(あべ きげん、1923年(大正12年)12月25日 - 1998年(平成10年)4月4日)は、昭和期の政治家、議員秘書。衆議院議員(2期)。 愛媛県西宇和郡出身。1949年(昭和24年)早稲田大学政治経済学部政治科を卒業した。 参議院議員・林屋亀次郎の秘書となり、第4次吉田内閣に林屋が国務大臣として入閣するとその秘書官を務めた。 1958年(昭和33年)5月の第28回衆議院議員総選挙に愛媛県第3区から立候補したが落選。第29回、第30回総選挙でも落選したが、1967年(昭和42年)1月の第31回総選挙に立候補して初当選。第32回総選挙では次点で落選し、1972年(昭和47年)12月の第33回総選挙で再選され、衆議院議員に通算2期在任した。
宮田 輝(みやた てる、1921年12月25日 - 1990… 宮田 輝(みやた てる、1921年12月25日 - 1990年7月15日)は、日本のアナウンサー、政治家。参議院議員(3期)。本名、宮田 輝(みやた あきら)。妻は声優の河口恵美子。 東京都足立区出身。血液型B型。明治大学専門部商科卒業。1942年にNHKに入局。NHKにおいて、高橋圭三や青木一雄らと同じく、「芸能番組向けアナウンサー」の先鞭を付けた人物の一人に数えられる。1974年に同局退職後、参議院議員(3期)を務めながらフリーアナウンサーとしても活躍。1990年、議員在職中に死去。 1942年9月に明治大学専門部商科卒業。同年NHKに入局。同期に高橋圭三がいる。1948年10月21日に東京放送劇団の団員であった河口恵美子と結婚。
前川 康男(まえかわ やすお、1921年12月25日 - 2… 前川 康男(まえかわ やすお、1921年12月25日 - 2002年10月14日)は、日本の児童文学作家、翻訳家。 東京出身。1939年早稲田第一高等学院に入学し、「早大童話会」に参加、1942年早稲田大学独文科に入学するが1943年学徒出陣、敗戦後上海に抑留され、1946年帰国。児童文学の出版社に勤めるがこれをやめ児童作家となる決意をし、1950年新潮社でアルバイトを始めそのまま11年間勤める。 1952年「川将軍」「村の一番星」で、児童文学者協会新人賞受賞。1963年「びわの実学校」編集同人となる。1967年『ヤン』で産経児童出版文化賞、1969年『魔神の海』で日本児童文学者協会賞、1981年『かわいそうな自動車の話』で野間児童文芸賞受賞。
小泉富太郎(こいずみ とみたろう、1920年12月25日 -… 小泉富太郎(こいずみ とみたろう、1920年12月25日 - 2008年5月1日)は日本の地方公務員、刀剣研究家。横浜市助役、神奈川県公安委員会委員などを務めた。1992年には勲三等瑞宝章を受章。 1938年に神奈川県立横浜第三中学校を卒業後、1943年に國學院大學文学部国史科卒業。その後大日本帝国海軍に入隊した。 1949年に横浜市に入庁。主に清掃局の畑一本で過ごしてきた。清掃局清掃施設課長、清掃局管理部長などを経て、1971年9月1日に清掃局長、1972年8月3日に総務局長、1975年5月26日には横浜市助役に就任した。1979年5月25日に辞職。 1982年10月21日 神奈川県公安委員会委員。
加計 朋吉(かけ ともきち、1918年〈大正7年〉12月25… 加計 朋吉(かけ ともきち、1918年〈大正7年〉12月25日 - 没年不明)は、日本の政治家(広島県山県郡加計町長)。 広島県出身。1941年、早稲田大学商科卒業。明電舎に入社。1947年、加計町長に当選。広島町村会理事を務め、1963年、町長に再選。 芸備銀行加計支店長加計慎太郎は従兄。家族は妻、長女。宗教は神道。住所は広島県山県郡加計町。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
出澤 三太(でざわ さんた、1917年12月25日 - 19… 出澤 三太(でざわ さんた、1917年12月25日 - 1985年5月17日)は、俳人。筆名は出澤珊太郎。作家星新一の異母兄。
堀 太郎(ほり たろう、1917年 <大正6年> 12月25… 堀 太郎(ほり たろう、1917年 <大正6年> 12月25日 - 1995年 <平成7年> 11月17日 )は、日本の経営者、銀行家。十八銀行頭取を務めた。位階は従四位。 京都府京都市出身。1943年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に大蔵省に入省した。1968年7月に経済企画庁審議官、1970年7月に本州四国連絡橋公団理事、1973年6月に世界銀行日本代表理事兼大蔵省顧問兼外務省参与を経て、1976年12月に十八銀行に転じ、副頭取に就任し、1983年10月には頭取に昇格した。1990年2月には会長に就任。 1988年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 1995年11月17日、心不全のために死去。
西村 元三朗(にしむら もとさぶろう、1917年12月25日… 西村 元三朗(にしむら もとさぶろう、1917年12月25日 - 2002年7月11日)は、昭和時代から平成時代にかけて活躍した洋画家。 神戸市に生まれる。1939年~1941年の京城での従軍中に画家になる決意を固め、帰国後1942年に小磯良平に師事した後、日本大学専門部芸術科に入学する。卒業後、小磯良平に誘われて新制作派協会(後の新制作協会)に参加し、その後の主たる活動の場とした。 作品の主題は一貫して建造物で、作風は初期の叙情的風景画から次第に想像上の空間を組み合わせたシュールレアリズム的風景画へと変化し、さらに1953年に発表した「洞」「空間」が高い評価を受けて以降は抽象化した建物の構造体による多次元的広がりをもつ空間の表現へと移行する。