森口 豁(もりぐち かつ、1937年 - )は、日本のジャー… 森口 豁(もりぐち かつ、1937年 - )は、日本のジャーナリスト。東京都出身。一貫して沖縄県に関わる諸問題を追及し続けている。 玉川学園高等部在学中、沖縄県の言葉についての研究発表を行った一学年後輩の金城哲夫と知り合う。この金城の研究発表がきっかけとなり、1956年に玉川学園の教師や他の生徒とともに米軍政下の沖縄本島を訪問。その際、本土との間にある政治的・精神的分断に衝撃を受け、沖縄県に関わる問題を強く意識するようになっていく。 玉川大学文学部を中退後、琉球新報社会部記者、日本テレビ沖縄特派員として暮らす。テレビドキュメンタリー『ひめゆり戦史 いま問う国家と教育』、『島分け 沖縄鳩間島哀史』などを制作、テレビ大賞優秀個人賞などを受賞。
轡田 隆史(くつわだ たかふみ、1936年3月5日 - 20… 轡田 隆史(くつわだ たかふみ、1936年3月5日 - 2022年8月31日)は、日本のジャーナリスト、サッカー選手。元朝日新聞論説委員、日本ペンクラブ正会員。父の轡田三男(旧姓・横村)もサッカー選手および報知新聞記者であり、学生時代にサッカー日本代表に選出された経験を持つ。 東京府の出身だが太平洋戦争の戦火を逃れるため、従軍記者としてフィリピンへ赴いていた父の帰国と共に一家で埼玉県北足立郡与野町(与野市を経て、現在のさいたま市中央区)へ疎開をした。戦後に埼玉師範学校附属小学校から埼玉師範学校附属中学校へ進学すると中学1年時にサッカーを始め、埼玉県立浦和高等学校、早稲田大学政治経済学部へ進学後もサッカー選手としてプレーをした。
田畑 光永(たばた みつなが、1935年8月29日 - )は… 田畑 光永(たばた みつなが、1935年8月29日 - )は、日本のジャーナリスト。キャスト・プラス所属。
川崎 泰資(かわさき やすし、1934年10月20日 - )… 川崎 泰資(かわさき やすし、1934年10月20日 - )は日本のジャーナリスト。椙山女学園大学客員教授。元NHK記者。
鈴木 健次(すずき けんじ、1934年9月5日 - )は、日… 鈴木 健次(すずき けんじ、1934年9月5日 - )は、日本のジャーナリスト・アメリカ学者。大正大学名誉教授。 東京生まれ。父は音楽家の鈴木次男。湘南学園中学校、神奈川県立湘南高等学校、東京大学教養学部卒業。日本放送協会入局、教養番組部副部長、NHKスペシャル番組部主管、家庭番組部担当部長。1990年依願退職、大正大学文学部教授。2005年退任、名誉教授。 ノーベル化学賞受賞者の根岸英一は湘南高校の同級で、義弟にあたる。 森ビル代表取締役社長・会長などを歴任した実業家の森稔は中学・高校・大学の同級生。
田草川 弘(たそがわ ひろし 1934年1月28日 - 20… 田草川 弘(たそがわ ひろし 1934年1月28日 - 2024年7月30日)は、日本の作家・ジャーナリスト。 東京都出身。東京都立新宿高等学校を経て早稲田大学第一文学部英文科卒業後、NHK記者、AP通信記者、東海大学教授を経てフリー・ジャーナリスト。 放送ジャーナリストエドワード・R・マローの評伝『ニュースキャスター』と、翻訳『マロー・ボーイズ』を刊行している。 『黒澤明VS.ハリウッド 「トラ・トラ・トラ!」その謎のすべて』(文藝春秋)で、第28回講談社ノンフィクション賞、第33回大佛次郎賞、第38回大宅壮一ノンフィクション賞、第57回芸術選奨文部科学大臣賞を、各受賞した。また映画本大賞2006(キネマ旬報)で、ベストワンに選出された。
伴野 文夫(ばんの ふみお、1933年11月14日 - )は… 伴野 文夫(ばんの ふみお、1933年11月14日 - )は、日本のジャーナリスト。
山川 千秋(やまかわ ちあき、1933年(昭和8年)9月16… 山川 千秋(やまかわ ちあき、1933年(昭和8年)9月16日 - 1988年(昭和63年)10月9日)は、日本のジャーナリスト。フジテレビ解説委員・ニュースキャスター。 東京都立小山台高等学校、東京大学法学部を卒業後、1959年フジテレビに入社。 1960年フルブライト留学生として渡米、イリノイ州のノースウェスタン大学院ジャーナリズム科で学んだ。1968年ニューヨーク特派員、その後ロンドン特派員。この間、欧州・中東諸国を歴訪、取材。ドバイでの日航機ハイジャック事件では、ロンドンから駆けつけるなどした。キャスターを務めた後ワシントン支局長を経て、1986年2月に帰国。帰国後は解説委員及びニュースキャスターに就いた。
萩野 弘巳(はぎの ひろみ、1933年8月18日 - )は、… 萩野 弘巳(はぎの ひろみ、1933年8月18日 - )は、日本のジャーナリスト、評論家。
本田 靖春(ほんだ やすはる、1933年(昭和8年)3月21… 本田 靖春(ほんだ やすはる、1933年(昭和8年)3月21日 - 2004年(平成16年)12月4日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。 朝鮮・京城府生まれ。父は朝鮮総督府の役人で、後に日本高周波重工業に移った。会社では廉潔な管理職だったが、自宅では異様なほどに躾に厳しかったという。東京都立千歳高等学校、早稲田大学政治経済学部新聞学科卒業。高校時代の同級生に映画監督の恩地日出夫がいる。 1955年、読売新聞社に入社。直後から社会部に在籍、朝日新聞社の深代惇郎とは同じ警察担当記者として接点があった。1964年、売血の実態を抉った「黄色い血」追放キャンペーンでは、自らも山谷の売血常習者たちの列に並んで売血するなどの綿密な取材の効果あって大きな反響を呼び、献血事業の改善につながった。
江森 陽弘(えもり ようこう、1932年〈昭和7年〉6月2日… 江森 陽弘(えもり ようこう、1932年〈昭和7年〉6月2日 - 2015年〈平成27年〉11月12日)は、ジャーナリスト。 本名の読みは「えもり はるみつ」と言う。
庄 幸司郎(しょう こうしろう、1931年10月6日 - 2… 庄 幸司郎(しょう こうしろう、1931年10月6日 - 2000年2月18日)は、昭和後期、平成時代の市民運動家、ジャーナリスト、実業家。 1931年(昭和6年)10月6日、中国大連生まれ。東京都立一橋高等学校卒。1963年(昭和38年)、庄建設株式会社を設立、代表取締役。のち映画制作会社青林舎、シグロ、および出版の記録社、影書房の代表取締役も兼務。戦争末期の大陸での体験から一貫して反権力・反戦の姿勢をつらぬき、市民運動に力をそそぐ。ミニコミ誌「告知板」、雑誌「辺境」などを刊行し、記録映画「よみがえれカレーズ」などを製作した。2000年(平成12年)2月18日死去。68歳。
村岡 博人(むらおか ひろと、1931年9月19日 - )は… 村岡 博人(むらおか ひろと、1931年9月19日 - )は東京府小石川区(現:東京都文京区)出身のジャーナリスト。また、サッカー選手としてもプレーし、日本代表として国際Aマッチ2試合に出場した。現役時代のポジションはGK。
三好 徹(みよし とおる、1931年1月7日 - 2021… 三好 徹(みよし とおる、1931年1月7日 - 2021年4月3日)は、日本のジャーナリスト、作家。東京生まれ。推理小説、スパイ小説、歴史小説などを発表した。本名は河上 雄三。 小学生時代は「雷電為右衛門」などの少年講談や推理小説を愛読。旧制中学校1年の時に陸軍幼年学校を目指したが不合格、2年修了時に合格して、14歳で第二志望だった名古屋陸軍幼年学校に入学した。東京幼年学校の同期に西村京太郎、名古屋幼年学校の2期上に加賀乙彦がいた。敗戦で元の学校に戻り、東京府立第一商業学校(現・東京都立第一商業高等学校)卒業後、横浜高等商業学校(在学中に横浜国立大学経済学部に改名)に進学、卒業後1950年、読売新聞社に入社。
辰濃 和男(たつの かずお、1930年1月1日 - 2017… 辰濃 和男(たつの かずお、1930年1月1日 - 2017年12月6日)は、元朝日新聞記者のジャーナリスト、エッセイスト。元日本エッセイスト・クラブ理事長。 東京生まれ。1953年東京商科大学(一橋大学)卒業。大学では、加藤秀俊(社会学者)と語学のクラス及び南博ゼミの同級生で、ともに一橋新聞部に所属した。 大学卒業後朝日新聞社入社。浦和支局、社会部、ニューヨーク支局長、社会部次長、編集委員、論説委員、編集局顧問を歴任。この間、1975年から1988年まで「天声人語」を担当し、1993年に退社。1994年朝日カルチャーセンター社長。また、日本エッセイスト・クラブ理事長も務めた。 ジャーナリストとして多数の著書を刊行している。
榎本 勝起(えのもと かつおき、1929年〈昭和4年〉10月… 榎本 勝起(えのもと かつおき、1929年〈昭和4年〉10月26日 - 2021年〈令和3年〉11月22日)は、日本のアナウンサー、放送ジャーナリスト。TBSアナウンサー第3期生。東京都町田市出身・在住。愛称は「榎さん(えのさん)」。 東京都立玉泉中学校(現在の東京都立西高等学校)3期→駒澤大学文学部英米文学科卒業。1952年11月23日にTBSの前身であるラジオ東京に入社、編成局考査部、制作一課、調査部を経て1954年4月にアナウンサーとなる(第3期生)。以後、ラジオ局制作現業部兼テレビ編成局アナウンス部(1966年1月)、ラジオ局第一制作部兼アナウンサー研修室付(1967年11月)、ラジオ局第一制作部(1968年9月)、テレビ制作局第二制作部兼テレビ編成局放送部(1969年3月)、ラジオ本部アナウンス室(1971年3月)に配属される。
磯村 尚徳(いそむら ひさのり、1929年(昭和4年)8月9… 磯村 尚徳(いそむら ひさのり、1929年(昭和4年)8月9日 - 2023年(令和5年)12月6日)は、日本のジャーナリスト、ニュースキャスター。NHK専務理事待遇特別主幹。ニュースセンター9時(NC9)編集長兼キャスター。 東京生まれ。初め(小学校)と終わり(旧制高等科→新制大学)が学習院で、間に挟んで都立第四高校(都立戸山高校)に通った。陸軍の駐在武官だった父・磯村武亮の勤務の関係で、小学時代の大半をトルコで過ごした。トルコではフランス人学校で学び、フランス語を習得する。帰国後、学習院に入りなおした。 1953年に学習院大学政経学部卒業後、NHKに入局。当時NHKではフランス語の使い手が必要だったため、たった一人東京報道局に配属になった。
岡村 昭彦(おかむら あきひこ、1929年〈昭和4年〉1月1… 岡村 昭彦(おかむら あきひこ、1929年〈昭和4年〉1月1日 - 1985年〈昭和60年〉3月24日)は、日本の写真家、ジャーナリスト。ベトナム戦争を撮影した報道写真で知られる。 東京府出身。大日本帝国海軍参謀の岡村於菟彦の長男として生まれる。父方の曾祖父に明治天皇侍従の堤正誼、父方の祖父に大審院判事・弁護士・中央大学学長の岡村輝彦がおり、母方の曾祖父に日本赤十字社創設者で伯爵の佐野常民、母方の祖父に海軍少将で子爵の田村丕顕がいる。父のいとこに二・二六事件判決後に後追い自殺した海軍少佐堤正之、伯父(父の姉の夫)に医学者緒方知三郎、弟に、後の俳優岡村春彦がいる。 学習院初等科から学習院中等科に進むが退学。
上田 哲(うえだ てつ、1928年(昭和3年)2月26日 -… 上田 哲(うえだ てつ、1928年(昭和3年)2月26日 - 2008年(平成20年)12月17日)は、日本の政治家、ジャーナリスト、労働組合運動家。
槌田 満文(つちだ みつふみ、1926年12月3日 - 20… 槌田 満文(つちだ みつふみ、1926年12月3日 - 2011年5月31日)は、ジャーナリスト、日本近代文学の研究者、武蔵野大学名誉教授。
佐々 克明(さっさ かつあき、1926年(大正15年)8月9… 佐々 克明(さっさ かつあき、1926年(大正15年)8月9日 - 1986年(昭和61年)10月20日)は、日本のジャーナリスト、作家。「東アジアの古代文化を考える会」会員。 政治学者・佐々弘雄の長男として、福岡県福岡市に生まれる。警察官僚の佐々淳行は弟、女性運動家で参議院議員の紀平悌子は妹、母方の祖父に図書館学者・和田万吉がいる。 成蹊高等学校を経て新潟医科大学中退、1949年東京大学法学部を卒業後、朝日新聞社に入社。社会部などに勤務したが、1981年退社。 朝日新聞社在職中から歴史関係のライターとして活動。退社後はビジネス書も執筆したほか、朝日を批判する『病める巨象・朝日新聞私史』も上梓した。
青木 彰(あおき あきら、1926年(大正15年)7月4日 … 青木 彰(あおき あきら、1926年(大正15年)7月4日 - 2003年(平成15年)12月16日)は、日本のジャーナリスト、コミュニケーション学者。メディア評論家。 筑波大学教授、東京情報大学教授、産業経済新聞社取締役編集局長。 東京生まれ。父は元海軍大佐青木泰二郎。東京府立六中から海軍兵学校に75期生として入学するが、敗戦により急遽卒業生となる。 1949年に東京大学文学部教育学科卒業後、産業経済新聞社に入社。1951年に女優佐々木すみ江と結婚する。社会部記者として活躍し、東京本社社会部長、大阪、東京編集局長を経て取締役に選任される。 編集局長時代、産経新聞社長に復帰した鹿内信隆は、息子春雄の「教育係」を頼んできたという。
氏家 齊一郎(うじいえ せいいちろう、1926年(大正15年… 氏家 齊一郎(うじいえ せいいちろう、1926年(大正15年)5月17日 - 2011年(平成23年)3月28日)は、日本のジャーナリスト、実業家。位階は正三位。 日本テレビ放送網代表取締役会長、日本民間放送連盟会長、読売新聞グループ本社取締役相談役を歴任。位階は正三位。読売新聞グループの総帥である渡邉恒雄の盟友として、同グループ内、特に日本テレビにおいて強大な発言力を有していた。趣味はパソコン。 また、東京都歴史文化財団理事長、東京都現代美術館館長も務めた。 古河合名理事を務めた氏家貞一郎の長男として東京に生まれる。 旧制東京高等学校(現:東京大学教育学部附属中等教育学校)で同級生の網野善彦、1年先輩の渡邉恒雄と知り合う。
鈴木 明(すずき あきら、1925年10月28日 - 200… 鈴木 明(すずき あきら、1925年10月28日 - 2003年7月22日)は、日本のノンフィクション作家・フリージャーナリスト。本名は今井 明夫。
森本 哲郎(もりもと てつろう、1925年〈大正14年〉10… 森本 哲郎(もりもと てつろう、1925年〈大正14年〉10月13日 - 2014年〈平成26年〉1月5日)は、日本のジャーナリスト、評論家。東京新聞記者、朝日新聞記者を経て評論家に転身し、東京女子大学教授なども歴任した。 東京府生まれ。府立十中、府立高等学校を経て、1948年(昭和23年)、東京大学文学部哲学科を卒業。文学部時代には風刺雑誌『VAN』の編集長を務めた。大学院に進学し、翌年には在学のまま東京新聞社に入社、社会部記者となる。1950年(昭和24年)、東京大学大学院文学研究科社会学専攻修士課程を修了。 1953年(昭和28年)、招聘を受けて朝日新聞社に移り、学芸部に籍を置く。1954年(昭和29年)2月、マリリン・モンローが来日した際には握手を交わした。
金森 トシエ(かなもり としえ、1925年9月20日 - 2… 金森 トシエ(かなもり としえ、1925年9月20日 - 2011年9月7日)は、日本のジャーナリスト。 1925年、東京都港区に生まれる。その後、文京区に移る。 府立第二高等女学校から帝国女子専門学校国文科へ入学。勤労動員として、紡績工場などで働く。1945年に中国から出張中であった金森正嘉と結婚。夫はすぐに中国に戻った。同年、帝国女子専門学校も自宅も罹災し、宮城県小野田町に妹とともに疎開した。 第二次世界大戦終戦後、夫が中国から帰国し、専業主婦として過ごす。「夫を朝晩送り迎えしながら、私の人生は過ぎていくのか」とむなしい思いを抱えていたところ、父親のすすめもあり、1950年に拓殖大学政経学部に3年次編入することになる。
一柳 東一郎(ひとつやなぎ とういちろう、1925年3月8日… 一柳 東一郎(ひとつやなぎ とういちろう、1925年3月8日 - 2016年6月7日)は、日本のジャーナリスト。元朝日新聞社社長。 東京都出身。東京帝国大学文学部卒。1948年朝日新聞東京本社入社。札幌支局、政治部を経て、1964年論説委員、1966年政治部長、1967年東京本社編集局次長、1970年7月西部本社編集局長、1973年9月東京本社編集局長、1977年12月取締役・東京本社編集局長、1978年12月常務取締役・大阪本社代表、1982年6月代表取締役専務取締役・大阪本社代表、1983年10月副社長と歴任して、1984年12月社長に就任。営業成績の伸び悩みから、1985年3月に常務会メンバーを中心とする「長期ビジョン懇談会」を設置し、全社員にアイディアを求めて長期経営戦略をまとめ、新聞という単一商品依存型の経営から脱皮し、総合情報産業として立つことを目指し、新媒体として1988年に『AERA』、『ASAHIパソコン』、1989年に『月刊ASAHI』を創刊したが、1989年4月に朝日新聞社のカメラマンが沖縄県西表島で珊瑚に傷を付け、その写真を基に記事を捏造した珊瑚事件で同年6月に引責辞任した。
千家 紀彦(せんげ のりひこ、1924年〈大正13年〉12月… 千家 紀彦(せんげ のりひこ、1924年〈大正13年〉12月 - 1994年〈平成6年〉7月12日)は、日本のジャーナリスト、作家。筆名には、志摩紀久夫(しまきくお)、青柳淳郎(あつろう)、本間丫閑斎(あかんさい)がある。朝鮮半島の大邱市生まれ、東京市麻布区材木町(現・東京都港区六本木)育ち。本籍は島根県大社町。両親はいとこ婚であり、父方の祖父も母方の祖父も千家尊福。父は尊福の養子・千家尊宣、弟に千家崇彦がいる。母方の伯父は詩人千家元麿。学習院では三島由紀夫と同級生だった。 幼い頃から父親にDVを受け、14歳の時、父親と女中の性行為を目撃してから不良化。1939年、学習院中等科2年生の時に煙草を吸って退寮処分となる。
岡部 冬彦(おかべ ふゆひこ、1922年12月27日 - 2… 岡部 冬彦(おかべ ふゆひこ、1922年12月27日 - 2005年5月16日)は、東京出身の漫画家、科学ジャーナリスト。埼玉県さいたま市に在住していた。 東京生まれ。東京美術学校(現東京芸術大学)卒。卒業後、ライオン歯磨宣伝部を経て、漫画家となった。漫画集団同人。名取洋之助が編集していた『岩波写真文庫』の現場で、三木淳、稲村隆正らともに学ぶ。またスタッフだった女性デザイナーと結婚した。 1956年から13年間『週刊朝日』に『アッちゃん』を連載し、サラリーマン家庭の暮らしぶりを子どもの視点からユーモラスに描いた作風で人気を博す。せりふのない4コマ漫画『ベビーギャング』、外国漫画の影響を受けた『アツカマ氏』『オヤカマ氏』などの作品で人気を博した。
池田 雅雄(いけだ まさお、1915年1月19日 - 198… 池田 雅雄(いけだ まさお、1915年1月19日 - 1988年11月27日)は、日本のジャーナリスト、相撲評論家である。 長年にわたり、ベースボール・マガジン社の雑誌『相撲』の編集者・顧問として幅広く相撲研究に取り組み、多くの記事やエッセイを著した。本名での執筆とともに、〈国立浪史〉〈葛飾太郎〉のペンネームもしばしば使用した。奈良県桜井市出雲名誉区民、実兄はベースボール・マガジン社創設者の池田恒雄、息子は早稲田大学教授の池田雅之、姪はエッセイストの工藤美代子、姪は池田晶子、從孫は産経新聞記者の猪谷千香。 東京市本所区南二葉町(現在の墨田区亀沢)出身。「相撲の神様」として有名な野見宿禰神社の近くで育ち、少年時代は本場所前に相撲部屋の親方に連れられて必勝祈願に参詣するのを楽しみにしていたという。
小糸 忠吾(こいと ちゅうご、1911年3月11日 - 20… 小糸 忠吾(こいと ちゅうご、1911年3月11日 - 2001年3月6日)は、日本のジャーナリスト。上智大学文学部新聞学科長で、同大学大学院ジャーナリスト学科設立に大きく尽力した。専門は新聞学。 東京都出身。米国ワシントン州立大学卒業、ミネソタ大学院修了後、共同通信社ニューヨーク支局長などを経て国際局次長となる。1966年上智大学文学部教授、1971年同大大学院新聞学科教授、1973年新聞学科長を歴任。
亀井 トム(かめい とむ、1910年12月29日 - 200… 亀井 トム(かめい とむ、1910年12月29日 - 2000年?)は、日本のジャーナリスト。『週刊埼玉』社長。本名、亀井 兎夢。出生名、久松 兎夢。トム・カメイ名義による著作もある。 子爵久松定弘(旧姓、大河内)の六男として東京市下谷区(現・東京都台東区)に生まれる。1928年、東京府立一商(現・東京都立第一商業高等学校)卒。日本大学専門部経済学科を2年で中退し、叔父の湯目補隆(ゆのめ すけたか、旧制大阪高校や旧制第二高校の校長を歴任)の私塾で学ぶ。1933年、亀井家の養子となる。 埼玉県川越市に住み、1953年から地方新聞『週刊埼玉』を発行。1970年1月、日本国民救援会系の「石川さんを守る会」川越地区の岸野茂(農林技官)と杉山英夫(横川元代議士襲撃事件被告人、大井医院事務長)の来訪と資料提供を受け、1970年2月から同紙で「狭山事件の再検討」を月1回特集する。
土屋 清(つちや きよし、1910年10月5日 - 1987… 土屋 清(つちや きよし、1910年10月5日 - 1987年3月22日)は、日本のジャーナリスト、経済評論家。
星野 芳樹(ほしの よしき、1909年(明治42年)3月30… 星野 芳樹(ほしの よしき、1909年(明治42年)3月30日 ‐ 1992年(平成4年)5月31日) は、昭和期のジャーナリスト、政治家。参議院議員(1期)。 東京府東京市小石川区(現文京区小石川)で、牧師星野光多の三男として生まれた。早稲田中学校(現早稲田中学校・高等学校)を経て、静岡高等学校文科(現静岡大学)に進んだ。左翼運動に加わり、1931年(昭和6年)日本共産党に入党。1933年(昭和8年)検挙されて入獄し静岡高校を中退、1940年(昭和15年)恩赦で出獄した。同年、上海に渡り上海自然科学研究所員に就任。1941年(昭和16年)容海語学校を設立。さらに容海小学校、容海忠学校を設立し、在留日本人の指導的存在となった。
川本 信正(かわもと のぶまさ、1907年9月22日 - 1… 川本 信正(かわもと のぶまさ、1907年9月22日 - 1996年6月17日)は、日本のスポーツジャーナリスト、新聞記者、スポーツ評論家。オリンピックを初めて「五輪」と表記したことで知られる。
陸奥 イアン 陽之助(むつ イアン ようのすけ、1907年(… 陸奥 イアン 陽之助(むつ イアン ようのすけ、1907年(明治40年)1月14日 - 2002年(平成14年)10月30日)は、日本のジャーナリスト、映画監督・プロデューサー、実業家、華族(伯爵)。インタナシヨナル映画社の創業者。身長180cm。 勲功華族の陸奥家に生まれる。父は陸奥宗光の長男で2代伯爵の陸奥廣吉。母はイギリス出身のイソ(ガートルード・エセル・パッシングハム)。日本名の陽之助は祖父・宗光の通称でもあった。廣吉が外交官としてロンドンに赴任していた時のアパートで午後11時20分に誕生した。誕生の際には2人の医者ブラントとアディルセンが付き添った。3歳の時に初来日する。家のあった鎌倉の小学校や学習院初等科への入学を考えたが「アイノコ」といじめられていたため断念、家庭教師に学んだ。
金 銕洙(キム・チョルス、朝鮮語: 김철수、1906年12月… 金 銕洙(キム・チョルス、朝鮮語: 김철수、1906年12月2日 - 1973年7月3日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国のジャーナリスト、実業家、政治家。制憲国会議員。 忠清南道扶余郡出身。京城徽文高等普通学校中退。東京正則英語学校、早稲田大学専門部政経科卒。ジャーナリストとして中国の華中地域で歴遊した後、京城評論社社長、忠南興業株式会社専務取締役を経て、朝鮮建国準備委員会扶余郡副委員長、大韓独立促成国民会扶余郡支部副委員長を歴任した。 1973年7月3日、ソウル市城北区の自宅で死去。享年67。
正木 千冬(まさき ちふゆ、1903年(明治36年)12月1… 正木 千冬(まさき ちふゆ、1903年(明治36年)12月10日 - 1982年(昭和57年)4月6日)は、日本の経済学者、官僚、ジャーナリスト、政治家(鎌倉市長)。
砂間 一良(すなま いちろう、1903年2月8日 - 199… 砂間 一良(すなま いちろう、1903年2月8日 - 1992年12月12日)は、日本のジャーナリスト、政治家。元日本共産党衆議院議員。民医連運動発祥の地とされる、大崎無産者診療所で看護師を務めていた、社会運動家の秋子は配偶者。 静岡県田方郡土肥村(土肥町を経て現在は伊豆市)出身。錦城中学校、第一高等学校を経て、1928年東京帝国大学経済学部を卒業。一高在学中の1923年9月1日に発生した関東大震災では、新人会のメンバーと「一高震災防護団」を立ち上げ、被災者救援活動を行った。また、帝大入学後は新人会へ加入、1927年には無産者新聞へ無給社員として入る。翌年の三・一五事件以後責任者に就くと共に、日本共産党へ入党する。
植竹 圓次(うえたけ えんじ、1901年(明治34年)2月2… 植竹 圓次(うえたけ えんじ、1901年(明治34年)2月28日 - 1977年(昭和52年)11月16日)は、ジャーナリスト・政治家。第16 - 18代八王子市長を務めた。 1901年(明治34年)2月28日東京府八王子町元子安(現八王子市子安町)で三男として生まれる。町立第三尋常小学校(現八王子市立第三小学校)、攻玉社中学校、早稲田高等学院を経て1927年(昭和2年)早稲田大学政治経済学部を卒業。在学中に高等文官試験行政科に合格するも東京日日新聞社(現毎日新聞社)に入社。1936年(昭和11年)には整理部長、1948年(昭和23年)には毎日小学生新聞部長、1954年(昭和29年)には地方部長兼地方版編集長となり1956年(昭和31年)定年退職。
川合 勇太郎(かわい ゆうたろう、1897年〈明治30年〉4… 川合 勇太郎(かわい ゆうたろう、1897年〈明治30年〉4月28日 - 1980年〈昭和55年〉10月30日)は、日本の民俗学者、民話・口承文芸研究家、口演童話家、地方史家、温泉史研究家、ジャーナリスト。青森県東津軽郡青森町(現・青森市)生まれ。20代で蘆谷蘆村に師事し、童話文学を学ぶ。1927年、子どもたちに民話・童話を語り聞かせる八戸童話会を仲間たちとともに結成。のちに同会の理事長も務めた。また十和田市(当時の三本木町、藤坂村)の郷土史も執筆した。青森県に伝わる民話や伝説を研究し、1939年には「民間伝承の会」(後の日本民俗学会)に入会。ジャーナリストとしては、三本木の日刊紙『南部日報』(1927年創刊)の編集長、『東奥日報』三本木支局長などを務めた。
文 時煥(ムン・シファン、朝鮮語: 문시환、1897年または… 文 時煥(ムン・シファン、朝鮮語: 문시환、1897年または1899年 - 1973年11月11日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の独立運動家、ジャーナリスト、官僚、政治家。東萊郡郡守、制憲韓国国会議員、慶尚南道知事。本貫は南平文氏(朝鮮語版)。 釜山蓮山洞(現・釜山広域市蓮堤区蓮山洞)または福泉洞出身。私立東萊東明学校、東京正則英語学校、モスクワ東方共産大学卒。満洲の安東で中国人貿易商会の書記を務めながら、秘密政治結社の花郎徒に参加した後、1920年に朝鮮共産党に入党した。1922年10月、ベルフネウジンスクで開催された高麗共産党連合大会に出席し、党中央委員会第3書記部(国内)委員となった。
小汀 利得(おばま としえ、1889年(明治22年)12月3… 小汀 利得(おばま としえ、1889年(明治22年)12月3日 - 1972年(昭和47年)5月28日)は、日本のジャーナリスト、時事評論家。 第二次世界大戦前は中外商業新報(後の日本経済新聞)の記者で、経済部長、編集局長、社長を歴任、戦後はTBSテレビの座談会番組「時事放談」のレギュラー出演者として有名だった。なお名前はしばしば音読みで「りとく」と呼ばれた。 島根県(旧)神門郡に8人兄弟の三男として生まれる。父は同郡川跡村役場に勤めるも、呑む打つ買うの道楽が過ぎて退職、一方母は素封家の娘で近在でも評判の働き者であったという。 早くから新聞記者を目指していた小汀は、酒屋などで小僧奉公の後、1906年に上京、当時は人気がなかった青山方面で真っ暗闇のなか新聞配達で学資を稼ぎつつ、国民英学会に一時籍を置いたりしながら正則英語学校、研数学館など複数校に通ったが、これらの学校では当時中学校卒業資格を得られなかったため、やがて早稲田大学の独特の資格試験に臨み、同大学予科入学。
白 寛洙(ペク・クァンス、朝鮮語: 백관수/白寬洙、1889… 白 寛洙(ペク・クァンス、朝鮮語: 백관수/白寬洙、1889年1月28日 - 1961年)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国のジャーナリスト、実業家、教員、独立運動家、政治家。二・八独立宣言を主導したほか、第7代東亜日報社社長、制憲韓国国会議員を歴任した。 本貫は水原白氏、号は芹村(クンチョン、근촌)。白仁傑(朝鮮語版)の10代孫で、父は白道鎮、独立運動家の白麟洙は従兄。実業家・漢陽大学校創設者の金連俊(朝鮮語版)は娘婿、元漢陽大学校総長の金鍾亮(朝鮮語版)は外孫。 朝鮮国全羅北道(現・大韓民国全北特別自治道)高敞郡星内面(朝鮮語版)出身。5歳の時に田愚(朝鮮語版)の下で漢学を学んだ後、同郷で友人である金性洙・宋鎮禹とともに白羊寺清流庵(朝鮮語版)で修業をし、韓承履の下でも学んだ。
細川 嘉六(ほそかわ かろく、1888年〈明治21年〉9月2… 細川 嘉六(ほそかわ かろく、1888年〈明治21年〉9月27日 - 1962年〈昭和37年〉12月2日)は、日本のジャーナリスト・政治学者。日本共産党参議院議員。 ※以下、第一高等学校時代までの記述は、1953年に服部之総が細川からの聞き取りにより作成したが未刊となっていた「河童自伝」(2019年刊行の『スモモの花咲くころに 評伝細川嘉六』に収録)および『スモモの花咲くころに 評伝細川嘉六』巻末年譜に基づく。 富山県下新川郡泊町(現・朝日町)出身。生家があったのは、東三浦町と呼ばれる一角だった。後年の回想によると、父の実家は町方で晒問屋を営んでいたが、近代的紡績産業の発展で仕事を失い、実家の次男だった父は季節によって様々な仕事に就く「稼ぎ人」と呼ばれる職業だった。
石橋 湛山(いしばし たんざん、1884年〈明治17年〉9月… 石橋 湛山(いしばし たんざん、1884年〈明治17年〉9月25日 - 1973年〈昭和48年〉4月25日)は、日本のジャーナリスト、政治家、教育者(立正大学学長)。階級は陸軍少尉(陸軍在籍時)。位階は従二位。勲等は勲一等。 大蔵大臣(第50代)、通商産業大臣(第10・11・12代)、内閣総理大臣(第55代)、郵政大臣(第9代)などを歴任した。総理大臣在任期間は65日であり、日本国憲法下では羽田孜の64日に次いで2番目に短く、日本の憲政史上でも3番目の短さである。 早稲田大学から法学の名誉博士(Doctor of Laws)を贈られた(1957年10月20日授与)。 「明治国家のミリタリズム、インペリアリズムは世界の趨勢であったとしても、見落とされてはならないのがデモクラシーの醸成である。
長谷川 如是閑(はせがわ にょぜかん、1875年(明治8年)… 長谷川 如是閑(はせがわ にょぜかん、1875年(明治8年)11月30日 - 1969年(昭和44年)11月11日)は、日本のジャーナリスト、文明批評家、評論家、小説家。明治・大正・昭和と三代にわたり、新聞記事・評論・エッセイ・戯曲・小説・紀行と約3000本もの作品を著した。大山郁夫らとともに雑誌『我等』(後に『批判』)を創刊し、大正デモクラシー期の代表的論客の一人。「如是閑」は雅号、本名は萬次郎。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 東京府深川区深川扇町(現在の東京都江東区木場)で、山本金蔵(幼名・徳治郎)・たけの次男として生まれる。山本家は江戸城築城に携わった棟梁の家系で、代々幕府から俸禄を受けていたが、金蔵の代からは材木商を営んでいた。
巖谷 小波(いわや さざなみ、1870年7月4日(明治3年6… 巖谷 小波(いわや さざなみ、1870年7月4日(明治3年6月6日) - 1933年(昭和8年)9月5日)は、明治から大正にかけての作家、児童文学者、口演童話家、俳人、ドイツ文学者、ジャーナリスト。本名は季雄(すえお)。別号に漣山人、楽天居、大江小波等がある。 日本初の創作童話『こがね丸』(博文館、1891年)を発表して近代児童文学史を拓いた日本児童文学の先駆者と評される。 明治期に児童文芸作品を表す言葉として「お伽噺」を使用、自ら編集長を務めた「少年世界」「少女世界」「幼年世界」などの雑誌を通して日本中に児童文学を広めた。 個人による日本初児童叢書である『日本昔噺』(24編)、『日本お伽噺』(24編)、『世界お伽噺』(100編)などのシリーズを刊行、日本はもちろん世界中の伝承説話のリテリングを体系的に行った。
渋江 保(しぶえ たもつ、1857年9月14日(安政4年7月… 渋江 保(しぶえ たもつ、1857年9月14日(安政4年7月26日) - 1930年4月7日)は日本の翻訳家、著作家、教師、ジャーナリスト、自由民権家として明治期に活躍した人物である。渋江抽斎の実子で、本名は成善(しげよし)、幼名は三吉(さんきち)、通称は道陸(どうりく)である。森鷗外が小説『渋江抽斎』を執筆した際の情報提供者であるというのが一般的な評価である。 渋江は親交の深かった多くの民権家が民権運動後期に至り、アジアへの国権拡張を主張する中で、誰もが唱えなかった植民地問題について深い理解があった。多くの自由民権思想家が自国民の自由民権だけを意識してきたのに対して、渋江は代表作『万国戦史』の編纂をとおして戦史思想を展開し植民地政策に反対を唱えた。
デーモン閣下(デーモンかっか、紀元前98038年11月10日… デーモン閣下(デーモンかっか、紀元前98038年11月10日 - 、英語表記:His Excellency Demon Kakka)は、日本の音楽家、マルチタレント、ジャーナリスト。ロックバンド聖飢魔IIのボーカリスト。POWERPLAY所属。早稲田大学社会科学部卒業。デーモン小暮(1985年)、デーモン小暮閣下(2000年)、デーモン閣下(2010年以降)と名称を変更している。通称は、デーモン、閣下。自身は人間の体を借りた悪魔と自称しており、生年月日は「紀元前98038年11月10日」だとしている。「世を忍ぶ仮の姉」はTBSテレビ元報道キャスターの小暮裕美子。 「紀元前98038年11月10日に発生、地獄の都Bitter Valley地区出身」を称する、前地獄副大魔王にして悪魔教教祖。