藁科 滿治(わらしな みつはる、1931年12月25日 ‐ … 藁科 滿治(わらしな みつはる、1931年12月25日 ‐ )は、日本の政治家。 参議院議員(2期)、内閣官房副長官、民主党参議院議員会長を歴任。 神奈川県出身。浅野中学校を経て1950年に浅野高校を卒業。高校時代は野球部に所属していた。1958年、明治学院大学経済学部を卒業した。1957年富士通に入社し、労働組合の活動に携わりながら早稲田大学大学院経済学研究科に通って労働問題を勉強するも中退した。1968年に電機労連に転出、1974年より電機労連書記長を務め、1983年からは中立労連事務局長を兼務。1984年7月に電機労連委員長に、9月には中立労連議長に、1985年には全民労協副議長に就任した。
長田 武士(おさだ たけし、1931年8月31日 - 199… 長田 武士(おさだ たけし、1931年8月31日 - 1998年11月24日)は、日本の政治家。現・神奈川県相模原市出身。八王子高等学校定時制卒業。衆議院議員(6期)。 1931年8月31日、現・神奈川県相模原市に生まれる。 1952年、私立八王子高等学校定時制を卒業する。 1976年12月5日、第34回衆議院議員総選挙に、伊藤惣助丸の後継として、旧東京5区から公明党推薦で立候補し、初当選する(以降6回)。公明党副書記長、公明党総務局長に就任する。 1986年12月、公明党大会で、公明党選挙対策委員長に就任する。 1989年、公明党中央執行副委員長に就任する。 1993年7月、第40回衆議院議員総選挙に立候補せず、選挙地盤を石井啓一に譲り、政界を引退する。
相沢 進(あいざわ すすむ、1930年6月9日 - 2006… 相沢 進(あいざわ すすむ、1930年6月9日 - 2006年5月18日)は、ミクロネシア連邦チューク諸島(トラック諸島)トール島出身のプロ野球選手(投手)、政治家。 父の庄太郎は1918年に日本からトラック諸島トール島(当時は日本の委任統治領)に移住し、ミクロネシア人である現地の酋長の娘ノツムール(洗礼名リサ)リサと結婚した。 1930年6月9日に相沢は父・庄太郎と母・リサとの次男として生まれる。幼少期の友人の中には、後にミクロネシア連邦の初代大統領となるトシオ・ナカヤマがいた。ミクロネシアでは日本人が持ち込んだ野球が大人気で、幼い頃から運動神経に優れた相沢は自然と野球に興味を持ち、これに夢中になった。
三浦 隆(みうら たかし、1930年5月27日 - 2011… 三浦 隆(みうら たかし、1930年5月27日 - 2011年8月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 戦前無産政党で活動し戦後衆議院議員を務めた三浦寅之助の息子として、神奈川県横浜市に生まれる。横浜市立幸ヶ谷小学校、神奈川県立横浜第二中学校(現在の神奈川県立横浜翠嵐高等学校)、横浜市立大学から早稲田大学大学院修士課程修了を経て、関東学院大学で教鞭を取った(憲法専攻)。 1976年の総選挙に民社党公認で神奈川1区から出馬。この時は落選するが1979年の総選挙で初当選、以後3期連続当選。この間、党統制委員(1981年~1985年。落選後も1989年~1994年。うち1990年~1992年は政策審議会副会長も兼任)・党学生対策委員長(1983年~1984年)・党市民団体対策委員長(1985年)を歴任し、衆議院交通安全対策特別委員会理事(1986年)を務めた。
見上 和由(みかみ かずよし、1930年(昭和5年)4月30… 見上 和由(みかみ かずよし、1930年(昭和5年)4月30日 - 2024年(令和6年)11月22日)は、日本の政治家。元神奈川県綾瀬市長(3期)。位階は従五位。旭日小綬章。 神奈川県出身。1950年より綾瀬町役場に勤務しながら私立藤沢高等学校(現・藤嶺学園藤沢中学校・高等学校)の定時制に通う(1952年卒業)。国民年金課長、総務参事、市制施行準備室長、収入役、助役を経て、1992年の市長選挙で現職で旧綾瀬町時代からの市長だった鈴木進を破り、初当選した。市長を3期務め、2004年の市長選挙で元綾瀬市議の笠間城治郎に敗れた。 2006年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。2024年11月22日、老衰のため死去。
大野 明(おおの あきら、1928年11月13日 - 199… 大野 明(おおの あきら、1928年11月13日 - 1996年2月5日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。 衆議院議員(9期)。参議院議員(1期)。労働大臣(第45代)。運輸大臣(第63代)。 衆議院議長、自由民主党副総裁を務めた大野伴睦の四男。 岐阜県山県郡美山町生まれ。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、父の秘書を務める。1956年11月、大野つや子と結婚。 1964年、父の死去に伴い、後継者として第30回衆議院議員総選挙岐阜1区補欠選挙に自由民主党から立候補し初当選。 1982年、第1次中曽根内閣の労働大臣として初入閣。1983年の第37回衆議院議員総選挙では現職閣僚でありながら落選。
西田 司(にしだ まもる、1928年〈昭和3年〉5月13日 … 西田 司(にしだ まもる、1928年〈昭和3年〉5月13日 - 2014年〈平成26年〉5月9日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲章は勲一等旭日大綬章。大洲市名誉市民。 自治大臣(第51・55代)、国家公安委員会委員長(第61・65代)、国土庁長官(第21代)、衆議院議員(8期)、愛媛県喜多郡長浜町長(3期)等を歴任した。 愛媛県喜多郡長浜町(現・大洲市)生まれ。愛媛県立松山農業学校(現愛媛大学農学部)卒業後、長浜町議会議員に当選。町議会議長を経て、1963年に県内最年少で町長に選出され、3期12年務める。 1976年、第34回衆議院議員総選挙に高橋英吉の地盤を継承し、旧愛媛3区(定数3)から無所属で出馬。
小此木 彦三郎(おこのぎ ひこさぶろう、1928年〈昭和3年… 小此木 彦三郎(おこのぎ ひこさぶろう、1928年〈昭和3年〉1月26日 - 1991年〈平成3年〉11月4日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等。建設大臣(第52代)、通商産業大臣(第43代)、衆議院議員(8期)。 神奈川県横浜市出身。父親は衆議院議員の小此木歌治。三男は元衆議院議員の小此木八郎。1945年5月の横浜大空襲で母と妹を亡くす。 神奈川県立第一中学校を経て、1952年に早稲田大学文学部哲学科卒業。父の教育方針で関西で修業、1953年に父が死去、家業の材木商を継ぐ。藤木企業の大番頭の伊藤清蔵の長女と結婚。 1963年、横浜市会議員にトップで初当選。人口増加問題や遅れをとっていた都市整備問題に取り組む。
横山 哲夫(よこやま てつお、1928年〈昭和3年〉1月24… 横山 哲夫(よこやま てつお、1928年〈昭和3年〉1月24日 - )は、日本の政治家、実業家。第85代神奈川県議会議長、自民党神奈川県連顧問。朗月代表取締役。横山企業取締役。横浜市鶴見区ソフトボール協会会長。 神奈川県横浜市出身。横山四郎の三男。専修大学経済学科出身。1961年に横山企業設立、代表。1963年に鶴見青果、1971年に横山商事、1972年に横山殖産、1974年に横山ストアー各取締役。 県議会議員を8期務めた。1992年5月から1993年5月まで県議会議長を務めた。 趣味はダンス、旅行。住所は神奈川県横浜市鶴見区下末吉3丁目。 横山一族は横浜で事業を営んでいる。「朗月株式会社」の本店は「神奈川県横浜市鶴見区下末吉三丁目」。
井上 孝俊(いのうえ たかとし、1927年(昭和2年)4月2… 井上 孝俊(いのうえ たかとし、1927年(昭和2年)4月23日 - 1996年(平成8年)12月16日)は、昭和から平成時代の政治家。神奈川県大和市長。位階は従五位。勲四等瑞宝章。 大和市出身。1949年(昭和24年)東京農林専門学校卒業。 1963年(昭和38年)大和市農協理事。1975年(昭和50年)より大和市議会議員を3期務めたのち、1987年(昭和62年)大和市長に当選。2期務め、1995年(平成7年)引退した。 1989年(平成元年)「大和」と表記する全国の自治体11市町村に参加を呼びかけ、第1回まほろばサミットを開催。ほか、全国基地協議会理事、大和市基地対策協議会会長を歴任した。 1996年死去。
上田 耕一郎(うえだ こういちろう、1927年〈昭和2年〉3… 上田 耕一郎(うえだ こういちろう、1927年〈昭和2年〉3月9日 - 2008年〈平成20年〉10月30日)は、日本の政治家。日本共産党中央委員会名誉役員。長く参議院議員として活動するとともに、党宣伝局長、政策委員長、副委員長などを歴任した。日本共産党前議長の不破哲三(本名・上田建二郎)は実弟。 1927年(昭和2年)3月9日、教育評論家の上田庄三郎の長男として神奈川県茅ヶ崎市に生まれる。 府立六中(現東京都立新宿高等学校)を経て、旧制一高へ入学した。 旧制一高在学中の1946年(昭和21年)に日本共産党へ入党する。1951年(昭和26年)、東京大学経済学部を卒業する。東大における日本共産党細胞一期生であり、大学卒業後に『中野新報』の記者として地域のオルグ活動へ従事し、いわゆる「中野懇談会」を足場に活躍した。
加藤 万吉(加藤萬吉、かとう まんきち、1926年12月11… 加藤 万吉(加藤萬吉、かとう まんきち、1926年12月11日 - 2008年9月12日)は、日本の政治家、労働運動家。衆議院議員(8期)。 神奈川県茅ヶ崎市出身。東京電機学校(現在の東京電機大学)を卒業。 日本労働組合総評議会(総評)常任幹事を務めるなどした後、1967年の第31回衆議院議員総選挙旧神奈川3区に日本社会党公認候補として出馬し、初当選。以後8回連続当選を果たす。 代議士としては1986年に衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会委員長を務め、社会党では選挙対策委員長を務めた。 1996年の第41回衆議院議員総選挙には出馬せず、政界を引退した。 1997年春の叙勲で勲二等旭日重光章受章。
一龍齋 貞鳳(いちりゅうさい ていほう、1926年9月1日 … 一龍齋 貞鳳(いちりゅうさい ていほう、1926年9月1日 - 2016年12月27日)は、日本の講談師、政治家。本名、今泉 正二(いまいずみ しょうじ)。選挙では「一竜斉テイホー」の表記も使用していた。 参議院議員(1期)、環境政務次官(三木改造内閣・福田赳夫内閣)などを歴任した。 福島県出身。旧制法政大学第二中学校卒業。1938年に5代目一龍齋貞丈に入門するが、戦争のため一時中断。1946年に貞鳳を名乗る。1954年、真打昇進。 3代目江戸家猫八、三遊亭小金馬(現:2代目三遊亭金翁)とともに、NHKのバラエティコメディ番組『お笑い三人組』で人気を得る。今泉良夫の名で司会活動もしていた。1965年、芸術祭賞奨励賞受賞。
岡部 三郎(おかべ さぶろう、1926年8月12日 - 20… 岡部 三郎(おかべ さぶろう、1926年8月12日 - 2024年6月25日)は、日本の農水官僚、政治家。元参議院議員(3期)。北海道開発庁長官(第64代)、沖縄開発庁長官(第33代)を務めた。 神奈川県横浜市出身。旧制横浜一中(現・神奈川県立希望ケ丘高等学校)、二高、東京大学農学部卒業。 1948年に農林省(現在の農林水産省)に入省。農林省構造改善局設計課長、構造改善局建設部長、構造改善局次長などを務め、1979年に農林省を退職。 ほかに、科学技術政務次官、参議院農林水産委員長、参議院内閣委員長、参議院教育改革・スポーツ振興特別委員会副委員長、参議院総合政策委員会委員、グリーン・ツーリズム議員懇談会会長、全国土地改良事業団連合会理事などの要職を歴任した。
柳川 覚治(柳川 覺治、やながわ かくじ、1926年4月24… 柳川 覚治(柳川 覺治、やながわ かくじ、1926年4月24日 - 2004年6月26日)は、日本の政治家、文部官僚。参議院議員(3期)。 神奈川県秦野市出身。陸軍士官学校(60期)を中退し(同期に加藤六月)、秦野高校を経て、1950年、早稲田大学政治経済学部卒業。文部省入省。同省の体育局長や管理局長を経て退官。体育局長時代には1980年モスクワオリンピックのボイコットを巡り各競技団体を説得する役割を担った。50代半ばで官僚を辞して厳正拘束名簿式で実施の1983年の第13回参議院議員通常選挙比例区で自由民主党から立候補し初当選し当時の自民党総裁及び内閣総理大臣中曽根康弘が創設した中曽根派に属した。
本多 愛男(ほんだ ちかお、1925年〈大正14年〉7月9日… 本多 愛男(ほんだ ちかお、1925年〈大正14年〉7月9日 - 2006年〈平成18年〉6月7日)は、日本の政治家、神奈川県座間町議会議員。第二代座間市市長。位階は従五位。勲四等瑞宝章。 神奈川県高座郡座間町出身。 1944年、昭和19年青年学校中退して、18歳で海軍飛行予科練習生に志願する。25歳で座間青年団長となる。昭和27年座間町教育委員会発足、教育委員になる。 1964年、(昭和39年)9月、座間町議会議員選挙で当選。42歳で社会教育委員長になる。1976年昭和51年無所属で立候補し、座間市市長を務めた。 1989年座間市大凧保存会会長となる。1999年春の叙勲で勲四等瑞宝章を受章。2006年6月7日、持病が悪化したため死去。
山橋 敬一郎(やまはし けいいちろう、1925年〈大正14年… 山橋 敬一郎(やまはし けいいちろう、1925年〈大正14年〉2月4日 - 1992年〈平成4年〉4月1日)は、昭和から平成初期の国税官僚、政治家。小田原市長(2期)。 神奈川県小田原市出身。旧制小田原中学、旧制第一高校を経て、1949年(昭和24年)東京大学法学部卒業。国税庁に入り、1953年倉吉税務署長、1955年金沢国税局総務部総務課長。1965年札幌国税局総務部長、1967年国税庁長官官房審議官、1968年国税庁長官官房参事官、1969年東京国税局調査第1部長、1970年東京国税局調査第1部長兼調査第2部長兼兼調査第3部長。同年東京国税局調査第1部長。1971年東京国税局総務部長、1973年広島国税局長、1975年大蔵省銀行局保険部長、1976年国税庁次長、1977年東京国税局長。
北条 浩(ほうじょう ひろし、1923年〈大正12年〉7月1… 北条 浩(ほうじょう ひろし、1923年〈大正12年〉7月11日 - 1981年〈昭和56年〉7月18日)は、日本の海軍軍人、政治家、宗教家。公明党所属の参議院議員(1期、1965年 - 1971年)、第4代創価学会会長。 前任会長の池田大作が執筆した小説『人間革命』の登場人物「十条潔」のモデルとなる。 神奈川県三浦郡葉山町生まれ。北条釐三郎の長男として生まれる。先祖は、後北条氏河内狭山藩初代藩主の北条氏盛(後北条氏第3代北条氏康の孫の一人)であり、その嫡流にあたる。ただし、祖父・北条氏恭が伊達政宗の子孫(伊達氏→堀田氏→狭山藩北条氏と養子入りした家系)であるため、男系の血筋上は伊達氏の末裔である。
足立原 茂徳(あだちはら しげのり、1921年〈大正10年〉… 足立原 茂徳(あだちはら しげのり、1921年〈大正10年〉2月12日 - 2002年〈平成14年〉3月16日)は、昭和から平成時代の政治家。神奈川県厚木市長。位階は従五位。 厚木市出身。旧制厚木中学校(現神奈川県立厚木高等学校)第32回卒業。1949年(昭和24年)東京文理科大学文学部東洋史学科を卒業し、母校の厚木高等学校教諭となる。その後、青少年センター館長、県教育副参事、社会教育課長などを歴任し、1973年(昭和48年)厚木市助役に就任。 1979年(昭和54年)以来、厚木市長に4選した。1992年(平成4年)厚木テレコムタウンの推進母体である厚木テレコムパークの初代社長に就任。1995年(平成7年)引退した。
辻 英雄(つじ ひでお、1919年7月8日 - 2005年1… 辻 英雄(つじ ひでお、1919年7月8日 - 2005年11月29日)は、日本の官僚、政治家。自由民主党衆議院議員。
戸沢 政方(戸澤 政方、とざわ まさかた、1919年5月4日… 戸沢 政方(戸澤 政方、とざわ まさかた、1919年5月4日 - 2005年2月14日)は、日本の政治家、厚生官僚。衆議院議員(4期)。 1919年(大正8年)、現在の神奈川県小田原市に生まれる。小田原中学校(現:小田原高等学校)を経て、1944年(昭和19年)、東京帝国大学法学部卒。同年、内務省に入る。翌年厚生省に転じる。1970年(昭和45年)保険局長。1972年(昭和47年)社会保険庁長官。1973年(昭和48年)厚生事務次官。翌1974年(昭和49年)厚生省を退官。翌年、神奈川県知事選挙に立候補するが落選。1976年(昭和51年)から神奈川3区から立候補して4回当選した。1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙で落選。
田川 亮三(たがわ りょうぞう、1919年〈大正8年〉3月8… 田川 亮三(たがわ りょうぞう、1919年〈大正8年〉3月8日 - 1995年〈平成7年〉9月18日)は、日本の官僚、政治家。三重県知事を務めた。 神奈川県横須賀市生まれ。旧制神奈川県立横須賀中学(現:神奈川県立横須賀高等学校)卒業。1942年(昭和17年)京都大学農学部卒業。農林省から三重県秘書課長、企業庁長、三重県副知事を歴任。1971年(昭和46年)9月、副知事を退任した。 退任後は三重テレビの副社長となった。その後、1972年(昭和47年)、次期衆院選に旧三重1区から民社党公認で立候補することを表明した。しかし、知事の田中覚が同じ三重1区から立候補を表明。これを受け、急遽離党して三重県知事選挙に立候補することになった。
田川 誠一(たがわ せいいち、1918年6月4日 - 200… 田川 誠一(たがわ せいいち、1918年6月4日 - 2009年8月7日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(11期)。新自由クラブ代表(2代)、進歩党代表。元神奈川県議会議員田川誠治の長男。リベラル派、進歩主義派の代表的な政治家だった。 神奈川県横須賀市出身。田川家は大地主の家系。横浜商業学校(現・横浜市立横浜商業高等学校)を経て、1941年12月慶應義塾大学法学部政治学科卒業。朝日新聞社に入社したが、翌年に陸軍・近衛歩兵第5連隊補充隊(東部第8連隊)に入営した。復員後は朝日新聞社に復職し、通信部及び政経部記者、同社労組委員長等を務める。退社後、松村謙三衆議院議員(元文部大臣)秘書を経て、1960年の第29回衆議院議員総選挙に初当選。
石川 京一(いしかわ きょういち、1918年〈大正7年〉5月… 石川 京一(いしかわ きょういち、1918年〈大正7年〉5月2日 - 2002年〈平成14年〉2月5日)は、昭和から平成時代の政治家。神奈川県平塚市長。 平塚市出身。1936年(昭和11年)旧制厚木中学校卒業。 同年、中郡金田村役場に入り、1950年(昭和25年)助役。1956年(昭和31年)平塚市に合併後は農産課長となり、1964年(昭和39年)経済部長、1967年(昭和42年)企画部長、1971年(昭和46年)助役を経て、1979年(昭和54年)以来、平塚市長に4選した。1995年(平成7年)引退。
望月 優子(もちづき ゆうこ、本名:鈴木 美枝子、旧姓:里見… 望月 優子(もちづき ゆうこ、本名:鈴木 美枝子、旧姓:里見、1917年1月28日 - 1977年12月1日)は、日本の女優、映画監督、政治家。参議院議員(1期、日本社会党)。位階は正五位。 神奈川県横浜市出身。妹は女優の中村雅子。加藤嘉は義弟(妹の夫)。1930年、東京市立忍岡高等女学校(現東京都立忍岡高等学校)を中退。 望月美恵子の芸名でムーランルージュ新宿座などで初舞台を踏む。 1942年、川端康成の媒酌で鈴木重雄と結婚。戦後は劇団民藝に参加。 1950年に松竹と契約。1958年『米』での演技が評価されてブルーリボン主演女優賞受賞。三益愛子と並んで「母物映画女優」と呼ばれた。 1959年(昭和34年)8月2日、モスクワ国際映画祭に出席のため、ソビエト連邦を訪問。
加藤 長治(かとう ちょうじ、1916年(大正5年)3月13… 加藤 長治(かとう ちょうじ、1916年(大正5年)3月13日 - 2004年(平成16年)11月4日)は、日本の政治家。戦後から平成初期にかけて活躍した相模原市議会議員。位階は従五位。 1916年3月13日、神奈川県津久井郡青根村で、加藤開・妻フジの第4子として生まれる。当時、山間部である津久井郡青根村(280戸)と青野原村(320戸)は平均耕作面積が狭く、炭焼きなどの山仕事しかない貧しい村であったが、過剰な人口を抱えて、昭和15年には県の経済更生指定村となった為、国策に基づき分村計画を立て満州に開拓団を送り出すことが義務付けられた。丁度、加藤長治が名古屋の騎兵第三連隊から二年十一か月の軍隊生活を終わり除隊して帰宅した頃であった。
河村 勝(かわむら かつ、1915年(大正4年)10月4日 … 河村 勝(かわむら かつ、1915年(大正4年)10月4日 - 2001年(平成13年)1月30日)は、日本の政治家。
川合 武(かわい たけし、1915年9月21日 - 1991… 川合 武(かわい たけし、1915年9月21日 - 1991年1月15日)は日本の内務・自治官僚・政治家。元衆議院議員(1期)。 神奈川県出身。横浜一中、水戸高卒業。1940年、東京帝国大学法学部卒業後、内務省入省、長野県特高課長などを務めた。総理秘書官、自治省官房調査官を経て消防庁次長を務める。その後、日本消防協会常任顧問。1952年第25回衆議院議員総選挙(日本自由党公認)、1953年第26回衆議院議員総選挙(無所属)、1958年第28回衆議院議員総選挙(無所属)で神奈川県第1区(中選挙区。横浜市全域が選挙区)から立候補するも落選し、1971年横浜市長選挙に自民党推薦で立候補し現職の飛鳥田一雄に敗れたが、1976年、第33回衆議院議員総選挙で神奈川県第4区から新自由クラブから立候補し、初当選。
飛鳥田 一雄(あすかた いちを、1915年〈大正4年〉4月2… 飛鳥田 一雄(あすかた いちを、1915年〈大正4年〉4月2日 - 1990年〈平成2年〉10月11日)は、日本の政治家。衆議院議員(6期)、横浜市長(4期)、日本社会党委員長を歴任した。 横浜市滝頭町出身。厚木市の旧家で医師の家に生まれる。 父は弁護士で横浜市会議長・高松高検検事長を務めた飛鳥田喜一。5歳の頃に小児麻痺にかかり、左足が不自由となった。これを機に、名の読みを「かずお」から「いちを」に改める。障碍を理由に入学を反対する教員を長野正義(のち飛鳥田夫婦の仲人。横須賀市教育長を経て横須賀市長)らの教員が説得して入学できた神奈川県立横浜第一中学校(現・神奈川県立希望ヶ丘高等学校)を経て、旧制水戸高等学校(現・茨城大学)を受験するが、左足の障害を理由に不合格とされた。
舘盛 静光(たてもり せいこう、1914年〈大正3年〉4月2… 舘盛 静光(たてもり せいこう、1914年〈大正3年〉4月21日 ‐ 2002年〈平成14年〉12月17日)は、日本の政治家。相模原市長(5期)。位階は従四位。 神奈川県相模原市出身。神奈川師範学校中退。大沢村書記から1941年の合併後は相模原町書記、大沢出張所長などを経て、相模原市役所に勤務する。1956年から同市教育長を15年勤め、1971年市助役に就任する。1977年の市長選挙に立候補して初当選、5期務めた。1997年引退。2002年死去。死没日付をもって従四位に叙された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
櫻内 義雄(さくらうち よしお、1912年〈明治45年〉5月… 櫻内 義雄(さくらうち よしお、1912年〈明治45年〉5月8日 - 2003年〈平成15年〉7月5日)は、日本の政治家。衆議院議員(18期)、衆議院議長(第67代)、外務大臣(第106代)、建設大臣(第41代)、国土庁長官(第6代)、農林大臣(第44代)、通産大臣(第23-24代)、自由民主党政務調査会長(第20・25代)、自由民主党幹事長(第21・22代)。日蓮宗全国檀信徒協議会会長。位階は従二位、勲等は勲一等。 商工大臣、農林大臣、大蔵大臣などを歴任した櫻内幸雄は父、中国電力会長を務めた櫻内乾雄は兄にあたる。 東京生まれ。幼稚舎から慶應義塾に学び、慶應義塾大学経済学部卒業、鐘紡に入社する。
内藤 誉三郎(内藤 譽三郎、ないとう たかさぶろう、1912… 内藤 誉三郎(内藤 譽三郎、ないとう たかさぶろう、1912年1月8日 - 1986年3月16日)は、昭和期の政治家、文部官僚。文部大臣(第100代)、参議院議員(3期)。大妻女子大学学長。 神奈川県中郡西秦野村渋沢(現秦野市)に、葉タバコ農家を営む諸星喜之助の四男として生まれる。神奈川県立小田原中学校(現神奈川県立小田原高等学校)、東京高等師範学校を経て、1936年東京文理科大学英語英文科を卒業、文部省社会教育局に嘱託として入省する。また同年に内藤春子と結婚し、内藤家の養子となった。文部省入省後の1942年に高等文官試験に合格し、大臣官房文書課総務掛長となる。 戦後は省内随一の英語力を武器に、GHQとの折衝で活躍し頭角を顕した。
秦野 章(はたの あきら、1911年10月10日 - 200… 秦野 章(はたの あきら、1911年10月10日 - 2002年11月6日)は、日本の官僚・政治家。
松尾 トシ子(まつお トシこ、1907年(明治40年)7月1… 松尾 トシ子(まつお トシこ、1907年(明治40年)7月14日 – 1993年(平成5年)6月3日)は、日本の政治家、衆議院議員(6期)。旧姓斎藤。 神奈川県横浜市出身。フェリス和英女学院から日本女子大学を経て、サンモール学院卒。横浜YMCAで英語教師を務め、横浜印書学校(のち日本女子英学院)を創立し、院長となる。 1946年の第22回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で神奈川県(大選挙区制、全県一区)から立候補して初当選、以後6期当選した。在職中の1949年日本大学法文学部を卒業した。党内では中央執行委員や代議士会副会長などを歴任した。その後は民主社会党に移ったが、1960年の第29回衆議院議員総選挙で落選した。
中井 一郎(なかい いちろう、1907年 <明治40年> 4… 中井 一郎(なかい いちろう、1907年 <明治40年> 4月6日 - 1998年 <平成10年> 9月18日)は日本の政治家。神奈川県小田原市長(4期)。17代全国市長会会長。位階は従四位。 現在の神奈川県小田原市出身。旧制小田原中学卒。足柄下郡片浦村会議員を経て、神奈川県会議員を連続6期、同議長なども歴任した。県議時代は自由民主党に所属した。 1969年に小田原市長に初当選。4期務めた。市長在職中は市民に「市長と話し合う会」の開催、市役所の日曜開庁、浄水場や清掃工場、給食センターなどの開設、小田原城跡の一部開放や公園化、「緑を豊かにする条例」の制定など数々の業績を上げた。1983年から全国市長会会長に就任した。
平等 文成(びょうどう ぶんじょう、1907年(明治40年)… 平等 文成(びょうどう ぶんじょう、1907年(明治40年)3月17日 - 1970年(昭和45年)12月12日))は、衆議院議員(日本社会党)、歴史学者。選挙には「びょうどう ぶんせい」の読みで出馬した。 神奈川県横浜市出身。1929年、新潟高等学校卒業。東京帝国大学文学部卒業。東京で新聞・雑誌記者として勤めたのち、中国大陸に渡り高橋公館、興亜院華北連絡部に勤務。のち、新民学院や北京大学(農学院)教授などを歴任し、東洋史の研究に従事する。第二次世界大戦後、長野県北佐久郡軽井沢町の浅間山麓に入植し、農民運動を始め、全日本農民組合中央常任委員、同国際部長、同長野県連合会委員長、日本社会党長野県本部統制委員長、私学新報社長などを歴任した。
秋山 徳雄(あきやま とくお、1906年(明治39年)12月… 秋山 徳雄(あきやま とくお、1906年(明治39年)12月22日 - 1979年(昭和54年)3月1日)は、昭和期の労働運動家、政治家、実業家。衆議院議員(1期)。 神奈川県三浦郡、のちの横須賀市で秋山清平の長男として生まれる。1924年(大正13年)横須賀市立実業補習学校を卒業した。 横須賀海軍工廠員として勤務。その後、横須賀市吏員、川崎市吏員を歴任。社会民衆党、社会大衆党に入党した。労働運動に加わり、全日本自治団体労働組合(自治労)特別執行委員、横須賀市労連顧問などを務めた。 1947年(昭和22年)神奈川県議会議員に選出された。日本社会党清掃特別委員会事務局長、同選挙制度対策特別委員会事務局長、地方公営企業対策特別委員会事務局長、地方公務員定年制反対特別委員会事務局長、同神奈川県連副会長、同横須賀支部長などを務めた。
油井 賢太郎(ゆい けんたろう、1906年(明治39年)3月… 油井 賢太郎(ゆい けんたろう、1906年(明治39年)3月12日 - 1984年(昭和59年)7月23日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。 福島県福島市で、実業家油井徳蔵の息子として生まれる。1925年(大正14年)横浜商業学校(現横浜市立横浜商業高等学校)を卒業した。 卒業後、横浜正金銀行に入行。以後、福島栄町郵便局長、九笹機業場監査役、福島絹織物元卸商業組合理事、福島絹人絹織物元配給常務取締役、福島県繊維品価格査定委員会第1部長、油井商店社長、不二社長、福島県織物元配給社長、信夫精器取締役、福島絹業取締役、中央防火塗装社長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に福島県地方区から出馬して当選し、その後、自由党に所属して参議院議員を1期務めた。
相川 藤兵衛(あいかわ とうべい、1906年〈明治39年〉 … 相川 藤兵衛(あいかわ とうべい、1906年〈明治39年〉 - 1986年 <昭和61年> 5月18日)は、日本の商人(醤油商)、醸造家、政治家(第27代横浜市会議長)。相川醤油社長。金沢区保護司会長。位階は従五位。 神奈川県横浜市金沢区出身。相川家は江戸時代から室崎屋相川文五郎家の分家として商売をしており、幕末から昭和にかけては、カギ北の商標で醤油や味噌を製造、販売した。 横須賀中学校出身。1981年5月から1983年4月まで横浜市会議長を務めた。住所は六浦。1986年死去。死没日付をもって従五位に叙され、勲三等瑞宝章を追贈された。
河津 勝(かわづ まさる、1905年〈明治38年〉7月17日… 河津 勝(かわづ まさる、1905年〈明治38年〉7月17日 - 1985年〈昭和60年〉1月23日)は、昭和時代の政治家。相模原市長。位階は従五位。 河津養積、計以の二男として、神奈川県高座郡相原村(現相模原市)に生まれる。1920年(大正9年)相原村役場に奉職し、戦後、1946年(昭和21年)相模原町相原出張所長、1951年(昭和26年)総務課長兼財政課長、市制施行以降、建設部長、総務部長などを歴任した。 1957年(昭和32年)から8年間に渡り相模原市の助役を務め、1965年(昭和40年)その実績から市長選に立候補し、第5代市長に当選した。 市長在任中は、当時全国屈指の人口急増都市であった同市の都市機能の整備に力点を置き、1968年(昭和43年)相模原市総合計画を策定したほか、米軍基地返還問題について中央官庁との折衝に動いた。
石川 ハナ (いしかわ ハナ、1905年3月8日 - 199… 石川 ハナ (いしかわ ハナ、1905年3月8日 - 1997年12月30日) は、日本の教師、政治家。1955年から1971年まで横浜市の市議を4期務めた。 神奈川県津久井郡小原町(現・相模原市緑区)に生まれ。地元の小学校高等科を卒業後、横浜の女子師範学校(現・横浜国立大学教育学部)へ進学。師範学校卒業後は青根小学校や日吉台小学校で教師として勤務した。 1948年に夫が死去すると、多方面で活動するようになり、横浜市教職員組合副委員長として女性教師の待遇改善に取り組んだほか、新生活連合婦人会を立ち上げて婦人学級の主催や託児所の開設に取り組んだ。また、1955年には教師を辞して横浜市会議員選挙に港北区選挙区から無所属で立候補して当選。
河野 謙三(こうの けんぞう、1901年(明治34年)5月1… 河野 謙三(こうの けんぞう、1901年(明治34年)5月14日 - 1983年(昭和58年)10月16日)は、日本の政治家。従二位勲一等旭日桐花大綬章。 参議院議員(5期)、衆議院議員(1期)、参議院議長(第11・12代)を歴任した。 神奈川県足柄下郡豊川村(現在の小田原市成田)に河野治平、タミ夫妻の三男として生まれる。河野一郎は兄、河野洋平は甥に当たる。 神奈川県立小田原中学校(現在の神奈川県立小田原高等学校)時代から長距離選手として活躍し、早稲田大学在学中は競走部(陸上競技部)に入り、兄一郎と共に箱根駅伝の選手として活躍、2度の総合優勝を経験した。第3回大会では区間2位の選手に10分37秒差をつけた。
冨吉 榮二(とみよし えいじ、1899年7月6日 - 195… 冨吉 榮二(とみよし えいじ、1899年7月6日 - 1954年9月26日)は、日本の政治家、農民運動家。衆議院議員(6期)、逓信大臣(芦田内閣)、日本社会党代議士会長、右派社会党顧問などを歴任した。位階は従三位。 鹿児島県姶良郡清水村郡田(現・霧島市国分郡田)にて、農家の次男として生まれる。生家の跡には「冨吉榮二生誕の地」と記された看板が掲げられている。 郡山尋常小学校、清水高等尋常小学校高等科を経て地元の私立精華学校を卒業した後に上京。遺族によると高等小学校の頃にリューマチに襲われ、その後も身長が伸びずいつも節々を痛がっていたらしい。また、成績が良く本人は旧制鹿児島県立加治木中学校への進学を希望していたが、経済的理由で父親に反対されため地元の学校で学んだ。
河野 一郎(こうの いちろう、1898年〈明治31年〉6月2… 河野 一郎(こうの いちろう、1898年〈明治31年〉6月2日 - 1965年〈昭和40年〉7月8日)は、日本の政治家。副総理、日本自由党幹事長、自由民主党総務会長。昭和中期の政界実力者の一人。春秋会(河野派)会長、領袖。 新聞記者を経て1932年に政友会の代議士となり、戦後、自由党結成に参加。自由民主党の党人派の代表格として権勢を誇り、その政治行動は「横紙破り」 と呼ばれた。農林大臣、建設大臣、経済企画庁長官、行政管理庁長官、副総理、国務大臣(東京五輪担当)を務め、日ソ国交回復交渉及び漁業交渉に尽力した。総理総裁を狙い、1964年、池田首相退陣後の総裁の座を佐藤栄作と争ったが敗れ、翌年急死した。
今 東光(こん とうこう、1898年〈明治31年〉3月26日… 今 東光(こん とうこう、1898年〈明治31年〉3月26日 - 1977年〈昭和52年〉9月19日)は、横浜生まれの小説家、天台宗大僧正(法名 春聽)、中尊寺貫主、参議院議員。大正末期に新感覚派の作家として出発。その後出家し、長く文壇を離れたが復帰。住職として住んだ河内や平泉、父祖の地、津軽など奥州を題材にした作品で人気を得た。週刊誌やテレビでも活躍し、毒舌和尚としても知られた。 作家・評論家で初代文化庁長官を務めた今日出海(ひでみ)は三弟。儒学者の伊東梅軒は母方の祖父。医師で第8代弘前市長や衆議院議員を務めた伊東重は母方の伯父。国家主義者の伊東六十次郎は従弟。外交官の珍田捨巳は父方の遠縁にあたる。
小金 義照(こがね よしてる、1898年2月28日 – 19… 小金 義照(こがね よしてる、1898年2月28日 – 1984年2月11日)は、日本の政治家・官僚。郵政大臣。 神奈川県足柄上郡酒田村(現・開成町)に、酒造業・小金仁左衛門の四男として生まれる。神奈川県立小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)、一高を経て、1922年東京帝国大学法学部を卒業、農商務省に入省する。特許局属。商工省鉱山局長、鉄鋼局長、燃料局長官を歴任した。 戦後の1949年第24回衆議院議員総選挙に旧神奈川3区から無所属で立候補し当選する(当選同期に佐藤栄作・前尾繁三郎・橋本龍伍・麻生太賀吉・小渕光平・西村英一・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・木村俊夫・藤枝泉介・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・有田喜一など)。
岡崎 勝男(おかざき かつお、1897年(明治30年)7月1… 岡崎 勝男(おかざき かつお、1897年(明治30年)7月10日 - 1965年(昭和40年)10月10日)は、日本の政治家、外交官。内閣官房長官(第6代)、外務大臣(第72-74代)、衆議院議員(3期)。第二次世界大戦後、吉田茂によって推進された対米協調外交において重要な役割を担った人物。また陸上競技選手(中距離走・長距離走)としての経歴も持つ。 神奈川県横浜市生まれ。米屋を営む岡崎安之助の十男。23歳上の長兄に政治家で日米富士自転車を創業した岡崎久次郎がいる。 厚木中学(現神奈川県立厚木高等学校)、第一高等学校を経て、1922年東京帝国大学経済学部を卒業。 カルカッタ総領事、外務省調査官、情報局情報官を経て外務省調査局長となる(1945年6月)。
岡本 伝之助(岡本 傳之助、おかもと でんのすけ、1896年… 岡本 伝之助(岡本 傳之助、おかもと でんのすけ、1896年〈明治29年〉11月17日 - 1982年〈昭和57年〉1月15日)は、日本の政治家、実業家、神奈川県多額納税者。衆議院議員(神奈川県第二区選出)。横須賀名誉市長。さいか屋会長。横須賀商工会議所顧問。 神奈川県三浦郡横須賀町(現横須賀市)出身。岡本傳兵衛の長男。神奈川県立横須賀中学校で学び、中退した。1905年、家督を相続し父業の呉服商を継ぎ、後百貨店さいか屋を設立し、社長となる。 さいか屋、さいか屋商事、相模運輸、神奈川県繊維製品配給統制各社長、小美屋、神中鉄道、興電社各取締役、日本百貨店組合理事、横須賀方面繊維製品小売商業組合理事長、相模運輸監査役、同常務取締役、横須賀商工会議所会頭、同顧問などを務めた。
鈴木 十郎(すずき じゅうろう、1896年〈明治29年〉4月… 鈴木 十郎(すずき じゅうろう、1896年〈明治29年〉4月8日 - 1975年〈昭和50年〉5月4日)は、日本の政治家。小田原市長(5期)。歌舞伎研究家 。位階は正五位。 現在の神奈川県小田原市出身。 1909年(明治42年)、神奈川県立第二中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)に入学。同級に終生の友となる牧野信一(のち小説家)がいた。早稲田大学英文科中退。早大時代、同人誌「金と銀」「象徴」などを主宰した。読売新聞、朝日新聞、歌舞伎座支配人、松竹系の役員を務めた。 1949年(昭和24年)に小田原市長に初当選し5期務めた。この間、全国市長会副会長、関東市長会会長、国保中央会理事などを務めた。1969年に市長を引退。
岩本 信行(いわもと のぶゆき、1895年3月2日 – 19… 岩本 信行(いわもと のぶゆき、1895年3月2日 – 1963年4月5日)は、日本の政治家。国務大臣、衆議院副議長(第34・35代)、衆議院議員(5期)。位階は正三位、勲等は勲一等。 神奈川県高座郡大野村上鶴間(現相模原市南区)に、農業・岩本次左衛門の長男として生まれる。小学校を卒業後、東京府南多摩郡忠生村(現東京都町田市)にあった漢学塾・尚絅塾で学ぶ。大野村役場書記、高座郡書記を経て家業の農業に専念し、また養蚕組合を設立して組合長になったり、青年団長を務めるなど、地域の世話役的活動を積極的に行った。 大野村会議員(1922年)を経て、1928年神奈川県会議員に当選し、1946年まで選出される。