小山 峰男(こやま みねお、1934年(昭和9年)12月29… 小山 峰男(こやま みねお、1934年(昭和9年)12月29日 - )は、日本の政治家。元参議院議員(1期)。
長野県:308人
小山 峰男(こやま みねお、1934年(昭和9年)12月29… 小山 峰男(こやま みねお、1934年(昭和9年)12月29日 - )は、日本の政治家。元参議院議員(1期)。
若林 正俊(わかばやし まさとし、1934年〈昭和9年〉7月… 若林 正俊(わかばやし まさとし、1934年〈昭和9年〉7月4日 - 2023年〈令和5年〉11月11日)は、日本の農林水産官僚、政治家。位階は従三位、勲等は旭日大綬章。 農林水産大臣(第43・45・46代)、環境大臣(第8代)、財務副大臣(第2次森改造内閣(中央省庁再編後)・第1次小泉内閣)、大蔵総括政務次官(第2次森改造内閣(中央省庁再編前))、総務政務次官(宇野内閣・第1次海部内閣)、参議院国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員長、参議院農林水産委員長、参議院政治倫理審査会会長、参議院議員(2期)、衆議院議員(3期)などを歴任した。 「若」の字は、くさかんむりの部分が3画の「艹」ではなく、4画の「十十」である字体を正式な表記としている。
塩島 大(しおじま だい、1934年4月9日 - 1985年… 塩島 大(しおじま だい、1934年4月9日 - 1985年9月20日)は、日本の造園家、建設(都市計画)官僚、政治家である。位階は正五位勲四等、勲章は旭日小綬章。衆議院議員(1期)。日本造園学会常務理事、日本都市計画学会評議員。 長野県北安曇郡池田町生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、東京大学農学部入学。1959年(昭和34年)、 大学卒業とともに建設省入省(同期に望月薫雄元建設事務次官)。計画施設課、大阪府土木部、総理府近畿圏整備本部、首都圏整備委員会を経て、1981年(昭和56年)に建設省公園緑地課長を務め、1982年(昭和57年)8月、退官。公園緑地課長の時に、国営アルプスあづみの公園を考案したほか、東京大学・明治大学で講師を務めた。
宮原 巍(みやはら たかし、1934年3月16日 - 201… 宮原 巍(みやはら たかし、1934年3月16日 - 2019年11月24日)は、日本出身のネパールの実業家、政治家。 長野県小県郡青木村出身。長野県上田高等学校、日本大学理工学部工業化学科、機械工学科(二部)卒業。在学中は山岳部に所属していた。 理研ビニル工業、千代田化工建設に勤務。1958年に南極地域観測隊第4次隊、1962年にヒマラヤ登山隊、1965年にグリーンランド遠征隊(隊長)に参加。1966年、自転車でインドからネパールに入る。同年ネパール政府通商産業省中小企業局に勤務。1968年にトランス・ヒマラヤン・ツアー社(カトマンズ)、1969年にヒマラヤ観光開発株式会社(本社・東京)を設立。
永井 順裕(ながい まさひろ、1933年(昭和8年)11月1… 永井 順裕(ながい まさひろ、1933年(昭和8年)11月11日 - 2025年7月27日)は、日本の政治家。元長野県須坂市長。 現在の須坂市出身。長野県須坂農業高等学校(長野県須坂創成高等学校)卒業。衣料品販売会社の役員から、平成4年(1992年)須坂市長選挙に当選し、3期務めた。同18年(2006年)旭日小綬章受章。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
平尾 哲男(ひらお てつお、1933年(昭和8年)7月24日… 平尾 哲男(ひらお てつお、1933年(昭和8年)7月24日 - 2016年(平成28年)8月8日)は、日本の政治家。長野県上田市長。 上田市出身。信州大学工学部卒業。上田市役所に入庁し、助役を経て、平成10年(1998年)上田市長選挙で当選し、1期務めた。同18年(2006年)旭日双光章受章。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
野沢 太三(のざわ だいぞう、1933年〈昭和9年〉5月6日… 野沢 太三(のざわ だいぞう、1933年〈昭和9年〉5月6日 - 2024年〈令和6年〉12月12日)は、日本の技術士、工学博士、政治家。元参議院議員(3期)、元法務大臣(第72・73代)。「沢」の戸籍上の記載は「澤」。日韓トンネル研究会会長。 長野県上伊那郡辰野町出身。東京大学工学部土木工学科を卒業後、日本国有鉄道に入社し、大阪鉄道管理局施設部長、長野鉄道管理局長、本社施設局長を歴任。一貫して技術畑を歩む。 1986年、第14回参議院議員通常選挙に比例区から自由民主党公認で出馬し、初当選。当選後、北海道開発政務次官を出発点に、参議院では外務委員長、決算委員長を歴任。2002年10月18日、参議院憲法調査会会長に就任。
石田 正人(いしだ まさと、1933年3月21日 - )は… 石田 正人(いしだ まさと、1933年3月21日 - )は、日本の政治家。元長野県飯山市長(1期)。旭日双光章。 現在の飯山市出身。下高井農林学校(現長野県下高井農林高等学校)卒業。昭和39年(1969年)から飯山市常盤農協に勤務しコシヒカリの品種「幻の米」のブランド育成と販路開拓に貢献し、北信州みゆき農協組合長を務めた。平成18年(2006年)飯山市長選挙に当選し、1期務めた。同年黄綬褒章受章。2013年秋の叙勲で旭日双光章を受章。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
藤森 英二(ふじもり えいじ、1932年〈昭和7年〉7月25… 藤森 英二(ふじもり えいじ、1932年〈昭和7年〉7月25日 - 2018年〈平成30年〉4月4日)は、日本の政治家。郡山市長(3期)を務めた。 長野県諏訪市出身。福島県立安積高等学校卒業。 1955年(昭和30年)明治大学商学部卒業。同年郡山市役所に入り、総務部長、保健衛生部長などを歴任する。 1989年(平成元年)の市長選に立候補したが、この時は現職の青木久に敗れた。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:71.27%(前回比:-pts) 1993年(平成5年)の市長選に社会党、日本新党の推薦を受けて立候補して、自民党前県議の新人を破って初当選する。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:67.55%(前回比:-pts) 1997年(平成9年)郡山市を東北初の中核市に移行させる。
有賀 正(あるが ただし、1931年(昭和6年)4月29日 … 有賀 正(あるが ただし、1931年(昭和6年)4月29日 - 2017年(平成29年)4月22日)は、第12代松本市長、松本広域連合長(初代)、長野県議会議員(民社党公認)、長野県農業後継者育成協会長。長野県松本市並柳生まれ。ハード事業(箱物行政)に積極的であった。 長野県松本市出身。1949年(昭和24年)に長野県松本県ヶ丘高等学校を卒業、農業に従事した、1964年(昭和39年)から1970年(昭和45年)にかけて松本市農業委員を務める。1971年(昭和46年)に民社党公認で長野県議会議員に初当選し、1992年3月に松本市長に初当選、以降3期を務め、行政改革を推進するとともに、福祉ひろばを全地区に設置するとともに、美術館や市民芸術館の建設など芸術文化の振興に尽力した。
小林 俊弘(こばやし としひろ、1931年(昭和6年)4月1… 小林 俊弘(こばやし としひろ、1931年(昭和6年)4月11日 - 2020年(令和2年)3月28日)は、日本の政治家。元長野県小諸市長。 現在の小諸市出身。1950年(昭和25年)長野県北佐久農業高等学校卒業。北大井村役場に入り、小諸市に合併後、教育次長、総務部長などを経て、1992年(平成4年)小諸市助役となり、1996年(同8年)小諸市長選挙に当選し、2期務めた。2013年(同25年)旭日双光章受章。 2020年3月28日、肝不全のため、小諸市内の病院で死去。88歳没。死没日をもって正六位に叙される。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
伊藤 郁男(いとう いくお、1930年9月11日 - 202… 伊藤 郁男(いとう いくお、1930年9月11日 - 2020年10月26日)は、日本の政治家、俳人。元民社党参議院議員(1期)。長男は作家・ミュージシャン、タレントのいとうせいこう。 長野県諏訪市出身。長野県岡谷南高等学校を卒業後、1953年日本社会新聞記者を経て、1960年に民社党本部書記局に入り、機関誌局事務長、1977年に組織局次長などを経て、1980年の第12回参議院議員通常選挙に民社党公認で全国区から立候補し初当選を果たす。1986年、第14回、1989年、第15回の各参院通常選挙に比例区から立候補するもいずれも落選した。 2000年11月の秋の叙勲で勲三等に叙され、旭日中綬章を受章する 2020年10月26日、老衰のため、東京都八王子市の老人ホームで死去した。
岩垂 寿喜男(いわたれ すきお、1929年(昭和4年)4月2… 岩垂 寿喜男(いわたれ すきお、1929年(昭和4年)4月25日 - 2001年(平成13年)3月7日)は、日本の政治家。本名の読みは「いわだれすきお」。 衆議院議員(8期)、環境庁長官(第33代)。日本野鳥の会副会長。 長野県東筑摩郡笹賀村(現松本市)の農家に生まれる。1944年2月、自ら志願し海軍通信学校に入学。本来は2年制の学校であったが、戦況の悪化により促成カリキュラムが組まれ、同年12月に卒業した。海軍通信学校卒業後、鹿児島県の鹿屋基地で教員補を務める。1945年、第二次世界大戦敗戦により復員する。その後、長野県東筑摩農学校(現長野県塩尻志学館高等学校)に編入学し、中央大学専門部法学科に進学。
唐澤 茂人(からさわ しげと、1928年(昭和3年)9月20… 唐澤 茂人(からさわ しげと、1928年(昭和3年)9月20日 - 1995年(平成7年)12月6日)は、日本の政治家。長野県伊那市長。 現在の伊那市出身。上伊那農林学校卒業。東春近村役場職員、伊那市助役から、平成6年(1994年)市長選挙に当選したが、翌年7月、肺がんにより信州大病院で手術を受ける。退院後、自宅で療養しながら公務をこなしていたが、風邪をこじらせて体調を崩し、市議会を欠席。小坂樫男助役を職務代理者に任命し療養に専念していた。12月6日肺がんにより死去。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
三浦 大助(みうら だいすけ、1928年(昭和3年)3月27… 三浦 大助(みうら だいすけ、1928年(昭和3年)3月27日 - )は、日本の政治家、厚生官僚。元長野県佐久市長。 長野県南佐久郡野沢町(現・佐久市)生まれ。旧制長野県野沢中学校(現・長野県野沢北高等学校)を経て、東京慈恵会医科大学卒業。昭和27年(1952年)医学博士。同28年(1953年)同大学公衆衛生学教室に入り、同29年(1954年)旧厚生省入省。同38年(1963年)富山県厚生部環境課長、同44年(1969年)山形県衛生部長、同47年(1972年)厚生省環境衛生局食品衛生課長、同50年(1975年)保険局医療課長、同53年(1978年)統計情報部長、同54年(1979年)旧環境庁大気保全局長、同56年(1981年)厚生省公衆衛生局長、同58年(1983年)公害等調整委員会委員を歴任した。
宮下 創平(みやした そうへい、1927年〈昭和2年〉11月… 宮下 創平(みやした そうへい、1927年〈昭和2年〉11月10日 - 2013年〈平成25年〉10月7日)は、日本の政治家、大蔵官僚。位階は正三位。 厚生大臣(第81代)、環境庁長官(第31代)、防衛庁長官(第51代)、衆議院議員(8期)を歴任した。 長男は第68代農林水産大臣の宮下一郎。 長野県上伊那郡伊那里村(現伊那市長谷市野瀬)の農家に生まれる。旧制伊那中学(現伊那北高等学校)から陸軍幼年学校を経て陸軍士官学校に進むが、第二次世界大戦敗戦により旧制松本高等学校に入学。1953年に東京大学法学部(東洋政治思想史:丸山ゼミ)を卒業し、大蔵省に入省する。入省同期に、吉野良彦(元大蔵次官、主計局長)、津島雄二、水野繁(元国税庁長官)、大場智満(元財務官)、宮本保孝(元理財局長、銀行局長)らがいる。
北沢 清功(きたざわ せいこう、1927年2月20日 - 2… 北沢 清功(きたざわ せいこう、1927年2月20日 - 2001年11月15日)は、日本の政治家。元衆議院議員。
神津 武士(こうづ ぶし、1927年〈昭和2年〉2月11日 … 神津 武士(こうづ ぶし、1927年〈昭和2年〉2月11日 - 2025年〈令和7年〉12月17日)は、日本の政治家。元長野県佐久市長(3期)、元佐久市議会議員(2期)。旭日小綬章。本名は「たけし」。 長野県北佐久郡岩村田町(同郡浅間町を経て、現在の佐久市浅間地区)生まれ。1944年(昭和19年)旧制岩村田町立岩村田中学校(現在の長野県岩村田高等学校)卒業。同年に県下の小学校助教となり、1946年(昭和21年)退職し、自営農家となる。1955年(昭和30年)小諸北佐久農業改良クラブ会長、1960年(昭和35年)農業改良委員、1969年(昭和44年)佐久市議会議員(2期)、1972年(昭和47年)長野地方裁判所佐久支部調停委員となる。
三沢 光広(みさわ みつひろ、1927年(昭和2年)1月30… 三沢 光広(みさわ みつひろ、1927年(昭和2年)1月30日 - 2023年(令和5年)5月16日)は日本の政治家。塩尻市長(第5代)。 長野県東筑摩郡塩尻町生まれ。長野県東筑摩農学校卒業。1946年から長野県農業会に勤務し、1948年から長野県農協中央会教育部生活課長、広報課長、教育部長、農政対策部長、審議役を歴任した。1983年から長野県議会議員を務め、地方社会保険医療協議会委員、長野県農協学園講師を兼任した。2期目の途中で辞職し、1990年9月に塩尻市長に当選、3期務め、2002年に引退した。在任中はレザンホールの建設などにあたった。2004年に旭日小綬章を受章。
土屋 武則(つちや たけのり、1927年(昭和2年)1月2日… 土屋 武則(つちや たけのり、1927年(昭和2年)1月2日 - 2003年(平成15年)4月19日)は、昭和後期から平成初期の地方公務員、政治家。長野県中野市長。位階は正六位。勲五等双光旭日章。 長野県下高井郡中野町(現中野市)生まれ。1943年(昭和18年)12月、中野農商学校(現長野県中野立志館高等学校)農業科を卒業。1955年(昭和30年)4月、中野市役所に入庁し、1960年(同35年)農政課長、1968年(昭和43年)市民課長、1969年(昭和44年)総務課長などを歴任し、1977年(昭和52年)11月、助役に就任した。 1984年(昭和59年)2月、中野市長選挙で当選し、1996年(平成8年)2月まで3期務めた。
笠原 俊一(かさはら しゅんいち、1926年(大正15年)1… 笠原 俊一(かさはら しゅんいち、1926年(大正15年)11月21日 - 2007年(平成19年)4月8日)は、昭和戦後から平成期の地方公務員、政治家。長野県諏訪市長。 現在の諏訪市出身。1943年(昭和18年)12月、岡谷工業学校(現長野県岡谷工業高等学校)卒業。1944年(昭和19年)近藤製作所(のち浅野航空)に入社。1945年(昭和20年)応召し、復員後は職場が解散したため農業に従事。1951年(昭和26年)7月、中洲村役場に入り、諏訪市合併後、1967年(昭和42年)財政課長、1979年(昭和54年)助役を歴任。 1983年(昭和58年)5月、諏訪市長選挙に当選し、1999年(平成11年)5月まで4期務めて引退。
竹入 義勝(たけいり よしかつ、1926年〈大正15年〉1月… 竹入 義勝(たけいり よしかつ、1926年〈大正15年〉1月10日 - 2023年〈令和5年〉12月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(8期)、東京都議会議員(1期)、文京区議会議員(1期)を歴任。位階は正三位。 1967年から1986年まで公明党委員長を務め、言論出版妨害事件では中心となって動いた。1972年7月に独自のルートで中国の周恩来首相と会談し、同年9月の日中国交正常化の橋渡しを行った(竹入メモ)。 のちに、創価学会から除名された。詳細は「創価学会#創価学会に対する批判」を参照。 長野県上伊那郡辰野町に生まれ、北佐久郡軽井沢町で育つ。 陸軍航空士官学校在校中に敗戦を迎えた。旧制伊那中学を経て、国鉄(現:JR東日本)に勤務。
清水 勇(しみず いさむ、1925年10月16日 - 201… 清水 勇(しみず いさむ、1925年10月16日 - 2010年1月14日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(6期)。 長野県長野市出身。1944年早稲田高等工学校機械工学科卒。1944年大日本機械に入社し、応召・復員後、印刷工となる。1949年印刷出版労組長野県支部書記長から、1957年長野県労評事務局長、1966年同議長。1976年の総選挙で旧長野1区から社会党公認で立候補し、初当選し以後6期務めた。1979年社会党政策審議会副会長、1982年衆議院予算委員、1984年社会党国会対策副委員長、同産業貿易政策委員長を務める。1993年の総選挙で落選し、政界を引退。1995年、勲二等旭日重光章受章。
山田 勝久(やまだ かつひさ、1923年〈大正12年〉11月… 山田 勝久(やまだ かつひさ、1923年〈大正12年〉11月9日 - 1984年〈昭和59年〉1月9日 )は、昭和期の政治家。長野県中野市長。位階は従五位。勲四等瑞宝章。 長野県下高井郡平野村(現中野市)生まれ。1941年(昭和16年)3月、下高井農学校(のち長野県中野実業高等学校)卒業後、農業に従事した後、海軍水路部修技所普通科を経て、1945年(昭和20年)6月、仙台陸軍飛行学校を卒業し、終戦時には陸軍中尉。 戦後は中野市農業委員会委員から1966年(昭和41年)11月に同市議会議員に選出され、副議長を経て、1977年(昭和52年)8月、中野市長選挙に当選した。北信地域広域行政事務組合長も兼任し、在任中は工業団地や住宅団地の造成、公共下水道終末処理場の建設、商店街近代化整備事業などに尽力した。
永野 裕貞(ながの ひろさだ、1922年(大正11年)5月2… 永野 裕貞(ながの ひろさだ、1922年(大正11年)5月21日 - 2021年(令和3年)11月22日)は、昭和後期から平成期の地方公務員、政治家。長野県上田市長。位階は従五位。勲四等旭日小綬章受章。 長野県上水内郡三水村(現飯綱町)で、永野貞治、はまえの長男として生まれた。旧制長野中学(現長野県長野高等学校)を経て、1944年(昭和19年)9月、旧制上田繊維専門学校を卒業。 1947年(昭和22年)5月、長野県庁に入庁し、長水地方事務所次長、北佐久地方事務所長、総務部管財課長、同地方課長、下伊那地方事務所長、長野県教育委員会教育次長、人事委員会事務局長、生活環境部長を歴任し、1978年(昭和53年)上田市助役に就任。
小野沢 静夫(おのざわ しずお、1921年(大正10年)10… 小野沢 静夫(おのざわ しずお、1921年(大正10年)10月10日 - 1999年(平成11年)5月6日)は、昭和から平成初期の政治家。長野県飯山市長。位階は従五位。 長野県下高井郡下木島村(現飯山市)で、小野沢広輔、ちよ の長男として生まれた。1939年(昭和14年)旧制飯山中学(現長野県飯山高等学校)卒業。戦後、木島連合青年団長から自民党長野県連青年部副部長として青年団運動に活躍し、飯山南高や飯山北高のPTA副会長、木島消防団長、飯山市農業委員会委員等を経て、1962年(昭和37年)12月、飯山市議会議員となり、同議長を務めた。 1978年(昭和53年)9月、飯山市長選挙に当選し、1890年(平成2年)9月まで3期務めた。
高橋 恭男(たかはし やすお、1921年(大正10年)3月1… 高橋 恭男(たかはし やすお、1921年(大正10年)3月18日 - 2019年(平成31年)2月3日)は、昭和後期から平成期の政治家。長野県大町市長。位階は従四位。 長野県北安曇郡社村(現大町市)で、高橋忠雄、まさと の二男として生まれた。1953年(昭和28年)3月、政治大学校政治学部を卒業。1955年(昭和30年)4月、大町市議会議員(1期)、1959年(昭和34年)4月、長野県議会議員に当選し5期在任。 1978年(昭和53年)7月、大町市長選挙に当選し、1990年(平成2年)7月まで3期務めた。在任中は市立大町総合病院の増築竣工、大町市社会会館や大町エネルギー博物館開設、衛生センター汚泥浄化施設の整備などに当たった。
中村 茂(なかむら しげる、1920年(大正9年)11月9日… 中村 茂(なかむら しげる、1920年(大正9年)11月9日 - 2012年(平成24年)12月19日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(6期)。 長野県小県郡殿城村(現上田市)生まれ。1938年名古屋逓信講習所卒業、上田郵便局に奉職。全逓長野地区書記長、全逓信越地方本部執行委員長などを経た後、1972年の第33回衆議院議員総選挙で長野2区から日本社会党公認で立候補して当選。以来連続6期務める。1990年の第39回衆議院議員総選挙には立候補せず引退した。 2012年12月19日、死去。92歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
小野 光洪(おの みつひろ、1920年(大正9年)7月28日… 小野 光洪(おの みつひろ、1920年(大正9年)7月28日 - 2005年(平成17年)11月9日)は、昭和から平成初期の政治家、実業家。塩尻市長(第4代)。位階は従四位。父は元衆議院議員の小野祐之。 長野県東筑摩郡塩尻町生まれ。1937年(昭和12年)3月、旧制長野県立松本中学(現・長野県松本深志高等学校)を卒業し、1941年(昭和16年)早稲田大学専門部商科を修了。1946年(昭和21年)から小野石灰六名社を経営[要出典]、1960年(昭和35年)に信陽化学工業と改称し代表取締役となる[要出典]。1959年(昭和34年)4月から塩尻市議会議員を5期務め、1963年(昭和38年)同副議長、1967年(昭和42年)には同議長に就任。
下条 進一郎(しもじょう しんいちろう、旧字体:下條、192… 下条 進一郎(しもじょう しんいちろう、旧字体:下條、1920年〈大正9年〉3月16日 - 2013年〈平成25年〉4月14日)は、日本の大蔵官僚、政治家。参議院議員。厚生大臣、参議院議院運営委員長、同国際平和協力等に関する特別委員長などを歴任した。位階は従三位。貴族的な風貌から「まろ」の通称で呼ばれていた。 長野県松本市出身。下条康麿の長男。私立暁星小學校、武蔵高等学校、1944年 東京帝国大学法学部政治学科を卒業する。同年大蔵省に入省するが、太平洋戦争の激化に伴い短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。
原 久夫(はら ひさお、1920年(大正9年)3月12日 -… 原 久夫(はら ひさお、1920年(大正9年)3月12日 - 2008年(平成20年)8月14日)は、日本の政治家。長野県伊那市長。 長野県上伊那郡西箕輪村(現伊那市)出身。旧制伊那中学(長野県伊那北高等学校)卒業後、応召。朝鮮半島から南方戦線に転じ、フィリピンで収容所生活を送った後、復員。昭和22年(1947年)西箕輪村役場に入り、伊那市発足後、農林課長、総務課長を経て、同45年(1970年)収入役、同53年(1978年)助役となり、同61年(1986年)伊那市長選挙に当選した。平成元年(1989年)勲四等瑞宝章受章。
今井 勇(いまい いさむ、1919年7月21日 - 1998… 今井 勇(いまい いさむ、1919年7月21日 - 1998年11月6日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。厚生大臣(第66代)、衆議院議員(7期、自由民主党)。 長野県長野市出身。第一高等学校を経て、1944年東京帝国大学第一工学部土木工学科を卒業。戦後の1949年建設省に入省。秋田工事事務所長、東北地方建設局道路部長、計画局地域計画課長、計画局技術調査官などを経て、1970年四国地方建設局長。退官後に1972年の第33回衆議院議員総選挙で旧愛媛3区から無所属で立候補し初当選。その後、自由民主党に入党、宏池会(大平正芳→鈴木善幸→宮澤喜一派)所属。農水・厚生政務次官、党社会部会長、衆院農水委員長などを歴任した後、1985年第2次中曽根内閣の厚生大臣として初入閣した。
柳沢 錬造(柳澤 錬造、やなぎさわ れんぞう、1919年1月… 柳沢 錬造(柳澤 錬造、やなぎさわ れんぞう、1919年1月21日 - 2007年6月10日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。 長野県埴科郡戸倉町(現千曲市)出身。小学校入学前から新聞配達を行う。私立石川島造船所青年学校卒業(6期)。その後、パプアニューギニアのラバウルに従軍。 戦後、石川島播磨重工業に入社し、同社労働組合委員長、造船重機労連委員長を務める。 1977年の第11回参議院議員通常選挙全国区初当選(民社党)。1979年、民社党組織局長。1983年、第13回参議院議員通常選挙比例区再選。 1989年春の叙勲で勲二等瑞宝章受章(勲八等からの昇叙)。同年の第15回参議院議員通常選挙に立候補せず、政界引退。
下平 正一(しもだいら しょういち、1918年1月10日 -… 下平 正一(しもだいら しょういち、1918年1月10日 - 1995年8月25日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。衆議院議員(10期)。 長野県塩尻市出身。長野県東筑摩農学校(現:長野県塩尻志学館高等学校)中退。国鉄労働組合長野地方本部委員長や塩尻町議などを歴任し、1955年の衆院選に左派社会党から立候補しトップで初当選、続く1958年の衆院選でも、社会党を脱党して立候補・当選した小沢貞孝との革新分裂選挙となったが連続当選。以後小沢が民社党へと移った後も同じ選挙区で相争う様になるが、最終的に10回連続当選した。60年安保闘争では国会内に警官隊を導入した際に負傷する。 1969年8月9日、愛知県内を自動車で走行中に後部から追突される交通事故に遭遇。
柳沢 勲(やなぎさわ いさお、1917年5月26日 - 20… 柳沢 勲(やなぎさわ いさお、1917年5月26日 - 2003年12月21日)は、日本の政治家。長野県篠ノ井市長。長野県議会議員(8期、自由民主党)。 長野県更級郡栄村(現長野市)出身、旧制屋代中学を経て、昭和13年(1938年)中央大学専門部法科中途退学。同23年(1948年)篠ノ井町役場収入役、同29年(1954年)助役、同33年(1958年)町長を歴任し、同34年(1959年)市制施行に伴い篠ノ井市長となる。 在任中は長野市等との2市6町村合併を推進し、昭和41年(1966年)退任、翌年(1967年)から長野県議会議員(自由民主党)、同63年(1988年)議長。平成11年(1999年)政界を引退した。
塩川 忠巳(しおかわ ただみ、1917年〈大正6年〉2月1日… 塩川 忠巳(しおかわ ただみ、1917年〈大正6年〉2月1日 - 2017年〈平成29年〉4月6日)は、昭和から平成初期の政治家。長野県小諸市長。位階は従四位。 長野県北佐久郡南大井村(現小諸市)で、塩川敬次郎、かめじ の長男として生まれた。長野県北佐久農学校(現長野県北佐久農業高等学校)卒業。1940年(昭和15年)北佐久郡農会技手、1946年(昭和21年)南大井村役場書記となり、1948年(昭和23年)同収入役に就任。小諸市発足後、農林課長、会計課長、総務課長、水道部長経て、1969年(昭和44年)市消防長、1972年(昭和47年)市助役、1973年(昭和48年)土地開発公社常務理事併任などを歴任した。
小沢 貞孝(おざわ さだたか、1916年12月1日 - 20… 小沢 貞孝(おざわ さだたか、1916年12月1日 - 2002年12月17日)は、日本の政治家。民社党衆議院議員。
小坂 徳三郎(こさか とくさぶろう、1916年1月20日 -… 小坂 徳三郎(こさか とくさぶろう、1916年1月20日 - 1996年2月23日)は、日本の実業家・政治家。信越化学工業社長・会長、信濃毎日新聞社長、衆議院議員、運輸大臣(53代)などを歴任した。 東京帝国大学卒業後、朝日新聞記者から、小坂財閥に戻り、信越化学工業社長に。財界活動も始め、財界の支援で1969年に政界入りした。将来の首相候補といわれ、一年生議員ながら、政策集団「新風政治研究会」を設立、当選2回で総理府総務長官で初入閣した。以降も経済企画庁長官や運輸大臣を歴任し、大平、中曽根康弘とともに「大中小」、安倍晋太郎、竹下とともに「安竹小」と総理総裁候補として目された。しかし、運輸大臣時代に国鉄改革をめぐって、土光敏夫や中曽根康弘首相など政財界の支持を失い、影響力が低下。
小山 一平(こやま いっぺい、1914年〈大正3年〉11月3… 小山 一平(こやま いっぺい、1914年〈大正3年〉11月3日 - 2011年〈平成23年〉4月2日)は、日本の政治家。 日本社会党参議院議員(3期)。参議院副議長。位階は従三位。 長野県埴科郡南条村(現・坂城町)出身。旧制上田中学校(現・長野県上田高等学校)卒業。1932年(昭和17年)から養魚業に従事し、1951年(昭和26年)上田市議会議員に当選。1955年(昭和30年)から長野県議会議員を2期務め、社会党長野県本部委員長、同県議団長を兼任する。1963年(昭和38年)から上田市長を3期務め、任期途中で辞職し、1974年(昭和49年)の第10回参議院議員通常選挙に長野県選挙区から日本社会党公認で出馬し初当選。
稲玉 貞雄(いなだま さだお、1914年(大正3年)6月23… 稲玉 貞雄(いなだま さだお、1914年(大正3年)6月23日 - 1989年(平成元年)4月17日)は、昭和時代の政治家。長野県更埴市長。位階は正六位。勲四等瑞宝章。 長野県埴科郡森村(現・千曲市)生まれ。1932年(昭和7年)長野県屋代中学校卒業。 南満洲鉄道教習所から満鉄に入り、旅順駅助役となる。引き揚げ後の1947年(昭和22年)森村役場に入り。1959年(昭和34年)更埴市土木課長、1963年(昭和38年)総務課長、1967年(昭和42年)収入役、1974年(昭和49年)助役を経て、1978年(昭和53年)更埴市長に当選。1989年(平成元年)病気により引退した。この間、時代の変化に対応した行政改革を行った。
向山 一人(むかいやま かずと、1914年2月10日 - 1… 向山 一人(むかいやま かずと、1914年2月10日 - 1995年12月21日)は日本の実業家、政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)。 長野県上伊那郡中箕輪村(後の中箕輪町、現在の箕輪町)生まれ。旧制長野県伊那中学校(現長野県伊那北高等学校)を経て、早稲田大学附属高等工学校卒業。古河電工無線研究所研究課長を退職して、1940年東京市荏原区(現品川区)に「興亜工業社」(現KOA) を設立した。1955年伊那毎日新聞設立。1963年には建設省の専門委員、1964年興亜ソリッド社長、1967年には日本経済団体連合会常任理事を歴任した。1977年コーア会長に就任。 1962年紺綬褒章受章。1962年5月長野県箕輪町教育施設費のため100万円寄付により1963年2月2日紺綬褒章受章(飾版)、寄付の功績顕著として木杯一組台付を賜った。
松澤 太郎(まつざわ たろう、1912年(大正元年)12月2… 松澤 太郎(まつざわ たろう、1912年(大正元年)12月26日 - 2007年(平成19年)3月11日)は、昭和期の機械技術者、政治家。 長野県下伊那郡上飯田村(現飯田市)で、松澤茂雄、寿美の長男として生まれた。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)、旧制松本高等学校理科甲類を経て、1938年(昭和13年)3月、京都帝国大学工学部機械工学科を卒業。 石川島芝浦タービンから1950年(昭和25年)芝浦ミシンに転職し、1955年(昭和30年)退社。飯田市商工観光課工業指導事務嘱託を経て、1956年(昭和31年)飯田市教育長、1964年(昭和39年)飯田市総務部長となり、1968年(昭和43年)に退職。
小坂 善太郎(こさか ぜんたろう、1912年〈明治45年〉1… 小坂 善太郎(こさか ぜんたろう、1912年〈明治45年〉1月23日 - 2000年〈平成12年〉11月26日)は、日本の政治家。位階は正三位。自由民主党の衆議院議員(16期)。外務大臣(第83・84・99代)、経済企画庁長官(第23代)、国家公安委員会委員長(初代)、労働大臣(第8代)を歴任した。 長野県長野市出身。学習院を経て、1935年(昭和10年)に東京商科大学(現在の一橋大学)を卒業する(上田貞次郎ゼミナール)。三菱銀行勤務や信越化学工業直江津工場長、同社取締役を経て、1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙に長野1区(当時)から立候補し、初当選する。以後、当選16回(当選同期に二階堂進・江﨑真澄・小沢佐重喜・石井光次郎・坂田道太・水田三喜男・村上勇・川崎秀二・井出一太郎・早川崇・中野四郎など)。
井出 一太郎(いで いちたろう、1912年1月4日 - 19… 井出 一太郎(いで いちたろう、1912年1月4日 - 1996年6月2日)は、日本の政治家。内閣官房長官(第39代)、農林大臣(第23-24代)、郵政大臣(第29代)。衆議院議員(16期)。 長野県(旧南佐久郡臼田町、現佐久市)出身。家は元禄時代(1688年~1704年)から続いた古い造り酒屋の橘倉酒造。県会議員を務めた今朝平の長男。 旧制野沢中学(長野県野沢北高等学校)を経て、1931年旧制松本高校文科甲類卒業。10年間家業に専念した後、1941年京都帝国大学農学部入学。すでに3人の子持ちで、家業をみながらの大学生活だった。 1946年、第22回衆議院議員総選挙に旧長野2区から初当選。連続当選16回。
荻原 克巳(おぎわら かつみ、1911年(明治44年)5月2… 荻原 克巳(おぎわら かつみ、1911年(明治44年)5月20日 - 2008年(平成20年)1月31日)は、日本の政治家。長野県飯山市長。 長野県下水内郡飯山町(現飯山市)で、荻原善蔵、こま の長男して生まれた。1928年(昭和3年)旧制飯山中学(現長野県飯山高等学校)卒業1947年(昭和22年)4月、同郡柳原村長となり1期在任。1951年(昭和26年)4月、長野県議会議員となり、1955年(昭和30年)には副議長を務めた。 1958年(昭和33年)飯山市長選挙に当選し1期務めた。在任中は豪雪対策、小中学校の統廃合、スキー場観光の振興などに尽力した。その他、旭町農業協同組合長、長野県信連や共済連の各理事長、長野県植物防疫協会会長を務めた。
岩本 節治(いわもと せつじ、1911年(明治44年)1月1… 岩本 節治(いわもと せつじ、1911年(明治44年)1月17日 - 2002年(平成14年)5月5日)は、日本の実業家、政治家。長野県諏訪市長。 長野県諏訪郡湖南村(現諏訪市)で、岩本久吉、まき の六男として生まれた。湖南小学校卒業後、1934年(昭和7年)製材所に勤務し、1941年(昭和16年)諏訪木材に転じた。1944年(昭和19年)応召。戦後、諏訪木材に復帰。1948年(昭和23年)独立して木材業をはじめ、1950年(昭和25年)湖南木工社長となる。1955年(昭和30年)諏訪市議会議員となり連続2期在任した。 1963年(同38年)5月、諏訪市長選挙に当選し、1983年(昭和58年)1月まで5期務めた。
深沢 松美(深澤、ふかさわ まつみ、1910年(明治43年)… 深沢 松美(深澤、ふかさわ まつみ、1910年(明治43年)3月20日 - 1976年(昭和51年)6月21日)は、昭和期の地方公務員、政治家。松本市長(公選第4代)。 位階は正五位。勲三等瑞宝章。 長野県東筑摩郡波田村(現:松本市)で、深沢忠太、か津へ の長男として生まれた。1929年(昭和4年)3月、松本商業学校卒業後、東京片倉生命保険、信濃毎日新聞に勤務。1941年(昭和16年)波田村収入役に就任し、のち助役となる。1951年(昭和26年)から長野県議会議員に5回当選。この間、中小企業振興審議会長、総合開発審議会委員などを務める。 1969年(昭和44年)松本市長に当選し2期務め、病のため1976年(昭和51年)3月に退任した。
三澤 功博(みさわ こうはく、1910年〈明治43年〉2月1… 三澤 功博(みさわ こうはく、1910年〈明治43年〉2月16日 - 1998年〈平成10年〉6月22日)は、昭和から平成初期の政治家。長野県上伊那郡西春近村長、伊那市長。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 長野県上伊那郡西箕輪村(現・伊那市)で、三澤舜平、はく の長男として生まれた。1927年(昭和2年)上伊那農業学校(現・長野県上伊那農業高等学校)卒業。西春近村議会議員となり2期在任し、1954年(昭和29年)同議長となる。1960年(昭和35年)2月に西春近村長に就任し、1965年(昭和40年)3月まで2期在任した。西春近村の伊那市編入後に、伊那市議会議員を1期務めた。 1970年(昭和45年)4月、伊那市長選挙に自民党公認で現職の田畑五郎司を破って当選した。
小松 多喜雄(こまつ たきお、1909年(明治42年)3月2… 小松 多喜雄(こまつ たきお、1909年(明治42年)3月20日 - 1982年(昭和57年)8月4日)は、昭和期の実業家、政治家。塩尻市長(初代)。位階は正六位。勲四等旭日小綬章。 長野県東筑摩郡塩尻村(塩尻町を経て現塩尻市)で生まれた。1922年(大正11年)旧制松本商業学校5年次中途退学。家業の運送業に従事。1928年(昭和3年)から鉄道小運送業に従事(美勢運送合資会社勤務)し、1941年(昭和16年)から貨物自動車業を営む(塩尻陸運取締役)。1944年(昭和19年)5月、中信興業代表取締役に就任。1946年(昭和21年)に小松組(信州急送などを経て現信州名鉄運輸)を創業し、長野県内におけるトラック運送業の先駆けとなる。
青柳 盛雄(あおやぎ もりお、1908年11月11日 - 1… 青柳 盛雄(あおやぎ もりお、1908年11月11日 - 1993年1月22日)は、日本の弁護士、政治家。元衆議院議員(日本共産党公認、2期)。日本共産党中央委員会顧問、日本民主法律家協会理事、日本国際法律家協会顧問などを歴任した。 長野県東筑摩郡坂北村(現・筑北村)出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校文科甲類、東京帝国大学法学部を経て、1931年弁護士登録すると共に布施辰治法律事務所入所。自由法曹団員として三・一五事件や四・一六事件など、治安維持法違反事件を弁護するも、1933年には布施と共に検挙され執行猶予判決を受ける。また、この件により同年弁護士資格が剥奪されたのみならず、終戦まで活動停止を余儀なくされる。