中野 実(なかの みのる、1943年11月8日 - 2001… 中野 実(なかの みのる、1943年11月8日 - 2001年7月4日)は、日本の政治学者。専門は、政治過程論、日本政治論。 2001年、三重県上野市で生まれた。早稲田大学政治経済学部で学び、卒業。早稲田大学大学院政治学研究科に進み、博士課程を終了。 修了後は、東京大学法学部助手に採用された。1987年、学位論文『現代国家と集団の理論:政治的プルラリズムの諸相』を早稲田大学に提出して政治学博士号を取得。その後、茨城大学人文学部教授に就いた。明治学院大学法学部教授に転じ、2001年在職中に死去。
三輪俊和(みわ としかず、1943年- )は、日本の経済学者… 三輪俊和(みわ としかず、1943年- )は、日本の経済学者、北九州市立大学名誉教授。 三重県四日市市生まれ。1973年(昭和48年)に神戸大学大学院経済学研究科博士課程中退、北九州大学の講師、助教授を経て、北九州市立大学の教授となる。2006年(平成18年)に大学を退職して名誉教授となる。2011年北九州市長選挙に日本共産党から出馬。「平和とくらしを守る北九州市民の会」事務局長。その後、健和看護学院の学院長となり2014年(平成26年)に看護学院を退職する。公益財団法人健和会北九州医療・福祉総合研究所所長。
渡辺 公綱(わたなべ きみつな、1941年2月19日 - 2… 渡辺 公綱(わたなべ きみつな、1941年2月19日 - 2016年10月16日)は、日本の生物学者(分子生物学、生化学)。特にRNA研究において世界的なパイオニアの一人。東京大学名誉教授。 大阪府生まれ、三重県度会郡玉城町育ち。1967年3月、東京大学教養学部基礎科学科卒業、1972年3月、東京大学大学院理学系研究科相関理化学専門課程博士課程修了、理学博士。 1972年4月、三菱化成生命科学研究所研究員となる。1975年9月から1977年12月まで西ドイツのマックス・プランク実験医学研究所で博士研究員を務める。 1980年7月から東京大学農学部農芸化学科助教授、1983年4月に東京大学工学部助教授、1988年3月に東京工業大学大学院総合理工学研究科生命化学専攻教授、1990年6月に東京工業大学生命理工学部生体機構学科教授、1991年9月に東京大学工学部工業化学科教授、1993年に東京大学工学部工業化学科学科長、工学部化学系の学科再編に尽力。
福田 アジオ(ふくた アジオ、1941年(昭和16年)2月1… 福田 アジオ(ふくた アジオ、1941年(昭和16年)2月10日 - )は、日本の歴史学者・民俗学者。国立歴史民俗博物館名誉教授、元・神奈川大学外国語学部・大学院歴史民俗資料学研究科教授。柳田國男研究者。 三重県四日市市出身。 1963年に東京教育大学文学部史学科を卒業した。その後同大学大学院文学研究科に進み、1971年に文学研究科修士課程を修了した。 1977年に武蔵大学助教授となり、1984年に教授に昇進した。同年、国立歴史民俗博物館教授となる。 1993年に新潟大学に移る。1998年に神奈川大学教授となり、2011年まで務める。神奈川大学では非文字資料研究センター長を2010年3月まで兼務した。
小阪 憲司(こさか けんじ、1939年11月8日 - 202… 小阪 憲司(こさか けんじ、1939年11月8日 - 2023年3月16日)は、日本の精神科医、医学者。横浜市立大学名誉教授。学位は、医学博士(順天堂大学・1982年)。レビー小体型認知症(英: Dementia with Lewy Bodies; DLB)の発見者として知られる。三重県伊勢市出身。 1976年にレビー小体型認知症の症例を世界で初めて報告し、1978年にさらに3例を発表した。その後もレビー小体型認知症の診断、治療の発展に貢献した。その功績が評価され、2013年度朝日賞を受賞した。
井川 憲明(いかわ のりあき、1939年 - )は、日本の農… 井川 憲明(いかわ のりあき、1939年 - )は、日本の農学者。元明治大学農学部教授。日本感性工学感性商品研究部会副会長、日本景観学会理事、NPO法人グリーンサイエンス21運営委員。 三重県熊野市出身。物理化学と環境倫理学を専門に研究。経営資源の一つとして感性に注目し、「感性工学」という研究ジャンルを確立した。 1997年明治大学 農学博士。論文の題は「食品のテクスチャ-に関する研究 -標準化のテクスチャ-と新テクスチャ-試論 」。
森川 八洲男(もりかわ やすお、1937年3月2日 - 20… 森川 八洲男(もりかわ やすお、1937年3月2日 - 2022年3月2日)は、日本の会計学者。明治大学名誉教授。元日本簿記学会会長。 三重県津市出身。1959年明治大学商学部卒、1964年同大学院商学専攻博士課程単位修得退学、77年「フランス会計発達史論」で商学博士の学位を取得。明治大学商学部助教授、教授。商学部長在任時は、91年に発覚した替え玉受験事件に対し、徹底した情報開示の姿勢で、事態収拾。2005年日本簿記学会会長。2007年定年となり、名誉教授。2016年瑞宝中綬章を受勲した。
大矢知 浩司(おおやち ひろし、1937年2月28日 - )… 大矢知 浩司(おおやち ひろし、1937年2月28日 - )は、日本の会計学者。経営学博士(1978年)。滋賀大学経済学部教授・青山学院大学経営学部教授・九州産業大学教授を歴任。 三重県四日市市出身。大阪市立大学卒、1963年神戸大学大学院経営学研究科会計学博士課程満期退学。1978年「アメリカにおける会計監査の生成と発展に関する研究」で経営学博士。滋賀大学経済学部助教授、教授、1983年青山学院大学経営学部教授、2000年九州産業大学教授。
青山 敏彦(あおやま としひこ、1936年8月5日 - )は… 青山 敏彦(あおやま としひこ、1936年8月5日 - )は、三重県出身のラジオ体操指導者、元日本体育大学教授。NHKテレビ・ラジオ体操指導者を28年間務め、全国ラジオ体操連盟理事長を経て、現在は同連盟の名誉会長を務める。 三重県四日市市生まれ。 1959年に日本体育大学体育学部を卒業し、同大学の助手に就任。1960年から2年間、デンマークのオレロップ国民高等体操学校(デンマーク語版)(現:オレロップ体育アカデミー)へ留学。1981年より日本体育大学の教授職となり、1991年に退職するまで32年間教職を務めた。 1971年、NHKテレビ・ラジオ体操指導者に就任。1999年まで28年間務め、同年開始のNHK『みんなの体操』検討委員会の一員として考案、発表に携わる。
水越 敏行(みずこし としゆき、1932年5月13日 - 2… 水越 敏行(みずこし としゆき、1932年5月13日 - 2019年1月1日)は、日本の教育学者、大阪大学名誉教授。教育工学、メディア教育、情報教育に取り組む。三重県桑名市出身。 1955年三重大学農学部卒業。1958年名古屋大学教育学部卒業。1960年名古屋大学大学院教育学研究科修士課程修了。1963年名古屋大学大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学。1975年「発見学習の研究」で教育学博士の学位を取得。 1963年金城学院大学講師、1965年大阪音楽大学助教授、1969年金沢大学教育学部専任講師、翌1970年助教授、1975年大阪大学人間科学部助教授、1981年教授、名誉教授。1995年関西大学総合情報学部教授、1996年学部長、1997年日本教育工学会会長、2003年定年退職、関西大学全学共通教育推進機構特別顧問。
水谷 伸治郎(みずたに しんじろう、1932年〈昭和7年〉1… 水谷 伸治郎(みずたに しんじろう、1932年〈昭和7年〉1月6日 - 2025年〈令和7年〉11月10日)は、日本の地球科学者。専門は堆積地質学・構造地質学。三重県四日市市生まれ。学位は、理学博士(名古屋大学・1964年)。名古屋大学名誉教授。弟に経済評論家・中京大学名誉教授の水谷研治。 1954年(昭和29年)名古屋大学理学部を卒業し、同地球科学科大学院修士課程へ進学。当時の木村敏雄助教授の影響を受け、堆積地質学を専攻。1956年同博士課程へ進学。松澤勲教授のもとで、構造地質学を専攻。 1958年3月同課程中退。同年4月名古屋大学理学部地球科学科の助手となる。 1964年名古屋大学より理学博士の学位を取得。
石井 吉也(いしい よしや、1931年(昭和6年)8月27日… 石井 吉也(いしい よしや、1931年(昭和6年)8月27日 - )は、日本の法学者。専門は、商法。愛知大学名誉教授。瑞宝中綬章。 専攻は商法。愛知大学法経学部法学科、同大学院出身。 浜松短期大学(現・浜松学院大学短期大学部)をへて愛知大学に着任。短期大学部長、図書館長、法経学部長、法学部長を歴任し、出身者として初の学長を務める。 1931年、三重県鈴鹿市生まれ。1957年に愛知大学法経学部法学科卒業、1959年に愛知大学大学院法学研究科修士課程を修了。愛知大学では本間喜一の教えを受け、後に愛知大学に教員として勤めるようになった後も本間とは親しい関係が続いた。本間が1987年に亡くなった際には、大学葬の葬儀副委員長となった。
山崎 三四造(やまざき みよぞう、1931年 - 2018年… 山崎 三四造(やまざき みよぞう、1931年 - 2018年)は、日本のアマチュア考古学者・歴史研究家。縄文時代の生活を再現した第一人者として知られ、「縄文さん」「伊勢の名物男」などと称される。 三重県一志郡一志町(現・津市)出身。山崎家21代当主として生まれる(祖先は徳川吉宗の出城の殿様)。山九に在籍中は遺跡の発掘調査や土器の復元を父と共に行い1986年に退職。翌1987年、退職金700万円を元手に竪穴建物を建設し、縄文時代の生活の再現を開始する。1989年には弥生時代の竪穴建物を、縄文の竪穴建物の脇に建設する。食生活は、ウサギ、ナマズ、フナ、スッポンなどの狩猟を行ない、手製の石器で魚を三枚におろして調理するほか、ドングリを粉にして団子を作ることも試みたが、一方では、現代のたばことビールもたしなむというものであった。
平野 一郎(ひらの いちろう、1929年1月16日-2006… 平野 一郎(ひらの いちろう、1929年1月16日-2006年7月8日)は、日本の教育学者、愛知教育大学・名古屋外国語大学名誉教授。 三重県桑名市出身。1951年東京文理科大学教育学科卒、愛知学芸大学助教授、愛知教育大学教授。92年定年退官、名誉教授、名古屋外国語大学教授、2001年名誉教授。 ドイツ教育史が専門で、ヒトラーの『わが闘争』の訳者でもある。
野名 龍二(のな りゅうじ、1928年12月1日 - 201… 野名 龍二(のな りゅうじ、1928年12月1日 - 2018年6月1日)は、日本の国語教育学者。綴方教育に関する実践を数多く手がけた。 三重県志摩市出身。半農半漁の家の次男として生まれる。1943年、三重師範学校予科入学、敗戦を経て、1948年に卒業。その後、三重県の小学校教員を経て、1951年、大阪市旭区清水小学校に着任。栗岡睦の誘いで自由教育思想の影響を受け、1953年、福泉町立福泉小学校大庭寺分校で綴り方教育の実践を始める。田宮輝夫と綴方教育の本質や方法をめぐって「野名・田宮論争」と呼ばれる論争を展開した。 綴方教育実践に関して多くの著書を残している。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
貝塚 爽平(かいづか そうへい、1926年10月18日 - … 貝塚 爽平(かいづか そうへい、1926年10月18日 - 1998年11月13日)は、日本の地理学者。出身は三重県桑名市(旧桑名郡桑名町)。専門は地形学・第四紀学。(旧)東京都立大学名誉教授。理学博士。位階勲等は正四位勲三等旭日中綬章。 地形発達史研究や、活断層研究などが専門である。この分野に興味を持ったのは、旧制桑名中学校(現・三重県立桑名高等学校)時代に桑名駅西口から桑名中学へ至る地域に細長い丘の列があることを発見し、その成因が気になったことがきっかけである。研究者になった貝塚は自らこの謎に挑み、「桑名市西部の断層地形」の題名で地理学評論に論文を発表した。 戦後の日本における第四紀学、地形学の指導的な役割を果たした。
世古 真臣(せこ まおみ、1926年1月8日 - 2005年… 世古 真臣(せこ まおみ、1926年1月8日 - 2005年11月11日)は、日本の経営者、工学博士。旭化成工業社長を務めた。 三重県尾鷲市出身。旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校[要出典]を経て、1948年、東京大学工学部電気工学科卒業。同年、旭化成工業に入社。研究に携わり、1973年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1979年6月に副社長に就任した。1985年6月に社長に昇格し、1989年6月に副会長に就任し、1993年6月からは相談役を務めた。 1974年と1978年に大河内賞、1975年と1979年に日本化学会賞、1980年に電気化学会賞、1981年に高分子学会賞、1990年4月に日本原子力学会特賞を受賞。
井村 徹(いむら とおる、1924年9月25日 - 2013… 井村 徹(いむら とおる、1924年9月25日 - 2013年7月29日 )は、日本の金属工学者。専門は、金属物理学・材料科学。学位は、理学博士(大阪大学・論文博士・1957年)。名古屋大学名誉教授。日本学士院賞受賞。 三重県出身。旧制香川県立三豊中学校、東京帝国大学第二工学部冶金学科卒業。 1957年(昭和32年)「発散X線を用いての単結晶の変形の研究」で、大阪大学より理学博士の学位を取得。 1956年(昭和31年)藤田廣志(大阪大学名誉教授)との共同研究で、我国初の金属転位の直接観察に成功する。電子顕微鏡による格子欠陥の直接観察は、理論的研究が先行していた格子欠陥論に、初めて直接的な実証を与えた。
鎌田 純一(かまた じゅんいち、1923年7月17日 - 2… 鎌田 純一(かまた じゅんいち、1923年7月17日 - 2014年7月15日)は、日本の神道学者・歴史学者。宮内庁侍従職御用掛。皇學館大学名誉教授。 1923年、大阪府大阪市に生まれる。父春雄が神宮皇學館教授として赴任したため、伊勢で幼少期を過ごす。 宇治山田中学校(現在の三重県立宇治山田高等学校)を経て、國學院大學予科、1946年同大学文学部史学科卒業。在学中に学徒出陣し、海軍中尉に至る。学部を卒業のあと、同大学院に進学、1955年より國學院大學日本文化研究所専任所員、また同大学講師として教壇に立つ。 1962年に再興された皇學館大學助教授として赴任、1965年には教授。1989年まで在職した(同名誉教授となる)。
青木 みか(あおき みか、1923年 - )は、日本の栄養学… 青木 みか(あおき みか、1923年 - )は、日本の栄養学者、名古屋女子大学名誉教授。 三重県一志郡美杉村に生まれる。旧姓・森田。津高等女学校卒業ののち、19歳で結婚するが、夫はその半年後に朝鮮半島沖で戦死。1953年(昭和28年)三重大学農学部農芸化学科卒業、1955年(昭和30年)九州大学大学院修士課程修了。名古屋女学院短期大学講師、1956年名古屋女子大学に勤務、1967年三重県立大学医学博士。名古屋女子大学教授、1989年定年退職、名誉教授。
沢田 敏男(さわだ としお、1919年〈大正8年〉5月4日 … 沢田 敏男(さわだ としお、1919年〈大正8年〉5月4日 - 2017年〈平成29年〉10月18日)は、日本の農学者(農業農村工学)。農学博士(京都大学・論文博士・1955年)。京都大学名誉教授、国立工科大学名誉教授、福井県立大学名誉教授、仁愛大学名誉教授。階級は陸軍技術中尉。勲一等瑞宝章受章。日本学士院会員、文化功労者、文化勲章受章。 京都帝国大学農学部研究嘱託、岡山農業専門学校教授、京都大学農学部教授、京都大学農学部学部長、京都大学総長、農業土木学会会長、滋賀総合研究所理事長、日本学術振興会会長、国際高等研究所所長などを歴任した。 農業土木・ダム工学を専攻する農学者・工学者である。三重県伊賀市出身。
宮崎 道生(みやざき みちお、1917年10月13日 - 2… 宮崎 道生(みやざき みちお、1917年10月13日 - 2005年4月1日)は、日本史学者、新井白石の研究者。 三重県尾鷲市出身。1941年、東京帝国大学文学部国史学科卒業、文学部大学院、文学部副手・助手を経て、1945年、弘前高等学校教授。1949年、弘前大学文理学部助教授。1961年、文学博士。1965年、弘前大学人文学部教授、1972年、岡山大学法文学部教授。1978年、國學院大學教授。1988年、定年退任、講師となる。1991年退任。1997年春、勲三等瑞宝章受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
矢田 俊隆(やだ としたか、1915年〈大正4年〉7月23日… 矢田 俊隆(やだ としたか、1915年〈大正4年〉7月23日 - 2000年7月14日)は、日本の歴史学者・政治学者、北海道大学名誉教授。中欧史を研究。 1915年、三重県桑名市生まれ。1938年、名古屋市の第八高等学校 (旧制)卒業。東京帝國大学文学部に進み、西洋史を専攻する。1938年、東京帝國大学文学部を卒業し、同大学院へ進学。1940年、東京帝國大学大学院文学研究科を修了し、同文学部の副手となる(1943年まで)。 日本大学、東京女子大学などの講師を経て、1949年に成蹊大学政治経済学部教授に就く。1950年、北海道大学法経学部教授となり、1953年の学部改組に伴い法学部教授となった。1957年以降、同大学スラブ研究センター研究員を併任する。
近藤 典生(こんどう のりお、1915年4月28日 - 19… 近藤 典生(こんどう のりお、1915年4月28日 - 1997年1月21日)は、日本の環境共生学者・研究者・指導者。探検家。専門は植物遺伝育種学などで、種無しスイカの生みの親でもある。三重県松阪市生まれ。 1915年、小津茂右衛門の次男として生まれる。は旧制津中学(現・三重県立津高等学校)を経て1939年、東京農業大学農学部農学科卒業。京都帝国大学農学部遺伝子研究室副手。1941年、財団法人木原生物学研究所所員。1944年同研究所主任。1948年、同研究所主任・京都大学副手を辞任、東京農業大学助教授就任。1950年、東京農業大学育種学研究所創設。1954年に農学博士。1957年、東京農業大学教授就任。
辻本 芳郎(つじもと よしお、1914年(大正3年)9月7日… 辻本 芳郎(つじもと よしお、1914年(大正3年)9月7日 - 1991年(平成3年)9月17日)は、日本の地理学者。東京学芸大学名誉教授。学位は、理学博士。専門は工業地理学。 三重県生まれ。三重県立上野中学校を経て、1935年東京高等師範学校卒業。1938年応召、旅順重砲兵連隊に入営。1939年東京文理科大学理学部地学科地理学専攻卒業。1941年召集解除、陸軍教授、陸軍経理学校教官。1947年東京第二師範学校教授、1949年東京学芸大学助教授、1952年教授。1959年「伝統的在来工業の地域構造 東海陶業地域を中心として」で理学博士(東北大学)。1960 - 66年東京学芸大学附属世田谷小学校校長兼任、1975 - 77年東京学芸大学附属図書館長。
内田 俊郎(うちだ しゅんろう、1913年7月5日 - 20… 内田 俊郎(うちだ しゅんろう、1913年7月5日 - 2005年11月2日)は、日本の生物学者。個体群生態学の、日本における草分けの一人である。 内田は京都大学農学部を主な活躍の場として、個体群生態学の研究を行った。彼の手法は実験室内において、マメゾウムシなどのモデル生物の実験個体群を対象として、恒温機の中のシャーレという、極めて管理された条件下での個体群動態を調べる、というものであった。これはいかにも人工的な実験に見えるため、そんなシャーレの中の研究で本当の自然は分からない、という批判を受けたこともあった。しかし彼はこのような手法を用いての研究を続け、密度効果や相変異など、様々な成果を上げ、多くの弟子を育てた。
下津 清太郎(しもづ せいたろう、1908年 - 1996年… 下津 清太郎(しもづ せいたろう、1908年 - 1996年)は、日本の歴史家、官僚。 三重県津市出身。三重県立津中学校(現三重県立津高等学校)、第八高等学校卒、1931年東京帝国大学法学部卒。東京市、名古屋市で自治行政に携わる。のち京都地方裁判所司法委員。本務のかたわら西洋史を研究した。
長野 泰一(ながの やすいち、1906年〈明治39年〉6月2… 長野 泰一(ながの やすいち、1906年〈明治39年〉6月22日 - 1998年〈平成10年〉2月9日)は日本のウイルス学者。東京大学教授。元日本ウイルス学会会長。三重県尾鷲市出身。 1954年、生体における抗ウイルス免疫の研究中にウイルス増殖を抑制するサイトカインであるインターフェロンを、世界に先駆けて小島保彦とともに発見した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
城多 又兵衛(きた またべえ、1904年(明治37年)3月3… 城多 又兵衛(きた またべえ、1904年(明治37年)3月30日 - 1979年(昭和54年)3月30日)は、日本の声楽家(テノール)、音楽教育者、音楽学者、作曲家。 三重県出身。三重県立津中学校(現・三重県立津高等学校)卒業。1929年(昭和4年)東京音楽学校卒業。1931年(昭和6年)東京音楽学校研究科修了。同年イタリアにわたり、1934年(昭和9年)までローマのサンタ・チェチーリア音楽院に学ぶ。船橋栄吉、スコラーリに師事。 1936年(昭和11年)ヴェルディ『レクイエム』で歌手デビュー。同年演奏会形式でヴェルディ『椿姫』アルフレードを歌い、のちベルリオーズ『ファウストの劫罰』や、オペラにも出演。
堀田 吉雄(ほった よしお、1899年2月13日 - 200… 堀田 吉雄(ほった よしお、1899年2月13日 - 2001年7月28日)は、日本の民俗学者。 三重県津市生まれ。1924年文部省の検定試験に合格、朝鮮の高等女学校で教え、戦後は四日市市の新制中学校教諭、1950年三重県立桑名高等学校教諭、1956年退職。柳田国男に師事して、1966年『山の神信仰の研究』で柳田賞受賞。三重県文化財専門委員、伊勢民俗学会主宰。 2001年7月28日、老衰のため死去。
田中 敬吉(たなか けいきち、1897年(明治30年)10月… 田中 敬吉(たなか けいきち、1897年(明治30年)10月23日 - 1975年(昭和50年)1月13日)は、日本の機械工学者。第33期日本機械学会会長。東京帝国大学教授、千葉工業大学教授・学長、上智大学教授を歴任。東京帝国大学航空研究所で、航研機やA-26の開発に携わった。 三重県亀山市出身。第八高等学校を経て、1922年東京帝国大学機械科卒業。東京帝国大学航空研究所嘱託、助教授を務め、1929年「円錐座吸気弁の空気の流動研究(実験的研究・理論的研究)」により工学博士を取得。1930年航空原動機研究のため欧米を訪れた後、1933年教授となる。1939年より東京工業大学教授を兼任。1949年千葉工業大学学長、1957年名古屋大学教授、1961年上智大学教授・理工学部長。
古畑 種基(ふるはた たねもと、1891年(明治24年)6月… 古畑 種基(ふるはた たねもと、1891年(明治24年)6月15日 - 1975年(昭和50年)5月6日)は、日本の法医学者。医学博士。日本学士院会員。東京大学名誉教授。位階は正三位。科学警察研究所所長を務め、科学捜査の研究に寄与。日本の法医学の草分けの一人である。ABO式血液型の研究に若干の功績を残した。その一方でその鑑定方法は権威主義的であり、冤罪事件を多数作り出した御用学者と見なす向きもある。 三重県南牟婁郡相野谷村(現紀宝町)出身。古畑虎之助の次男。和歌山中学校、第三高等学校を経て1912年、東京帝国大学(医科)に入学。1916年、同大学を卒業し同大学助手となり1921年、欧米各国に留学した。
澤瀉 久孝(おもだか ひさたか、1890年〈明治23年〉7月… 澤瀉 久孝(おもだか ひさたか、1890年〈明治23年〉7月12日 - 1968年〈昭和43年〉10月14日)は、日本の国文学者、万葉学者。京都大学名誉教授。学位は、文学博士。 1890年(明治23年)、三重県度会郡宇治山田町(現:三重県伊勢市)で生まれた。三重県立第四中学校(現:三重県立宇治山田高等学校)・第三高等学校を経て、京都帝国大学文科大学に進学。文学科国文学専攻で学び、1915年に卒業。 第五高等学校教授を経て、1922年に京都帝国大学文学部助教授に就いた。1935年、学位論文『上代歌謡ノ作者及ビ時代考』を京都帝国大学に提出して文学博士の学位を取得。翌1936年に教授昇格。1951年、京都大学教授を辞職し、京都大学名誉教授となった。
橋本 策(はしもと はかる、1881年5月5日 - 1934… 橋本 策(はしもと はかる、1881年5月5日 - 1934年1月9日)は、日本の医師、病理学者。橋本病、Hashimoto's thyroiditisを初めて記載した。 三重県阿拝郡西柘植村(現伊賀市)御代の医家に生まれる。旧制津中学校、旧制第三高等学校をへて、京都帝国大福岡医科大学(現九州大学医学部)1907年第1回卒業生として卒業。第一外科に入局。1911年4月“甲状腺ノリンパ腫様変化ニ関スル組織的並ビニ臨床的知見ニ就キテ”を福岡医科大学第17回集談会にて発表、1年後の1912年にまとめてArchiv für klinische Chirurgieに掲載した。今日では橋本病という疾患名が与えられている。
藤原 松三郎(ふじわら まつさぶろう、1881年2月14日 … 藤原 松三郎(ふじわら まつさぶろう、1881年2月14日 - 1946年10月12日)は、日本の数学者・数学史家。第二次世界大戦前において、90編の欧文論文を著し、1936年にオスロで開催された国際数学者会議で招待講演を行うなど、当時の日本の数学界を代表する数学者であり、また日本数学史、中国数学史、朝鮮数学史をカバーする和漢数学史家としても大きな業績を残した。特に8000枚という膨大な遺稿「日本数学史」は『明治前日本数学史』全5巻(岩波書店、1955-1960)としてまとめられ、現在においても和算史を研究する上で最も重要かつ基本的な文献となっている。 1911年(明治44年)、東北帝国大学に数学科が設置されると、30歳で教授に就任。
藤本 幸太郎(ふじもと こうたろう、1880年7月4日 - … 藤本 幸太郎(ふじもと こうたろう、1880年7月4日 - 1967年6月1日)は、日本の商学者・経済学者。専門は、海上保険論・統計学。当時の日本の保険学の最高権威とされた。一橋大学名誉教授。日本統計学会会長、東京海上火災保険監査役等を歴任。また、日本初の商学博士としても知られる。勲二等旭日重光章受章。村瀬春雄門下。 福井県丹生郡生まれ。三重県四日市市川原町出身。小学校時代は常に優等で鳴らし、三重県初の商業学校である四日市商業学校(現三重県立四日市商業高等学校)を第1期生として卒業後、同校で教鞭を執った。その後も母校四日市商業にたびたび貢献し、創立90周年記念に作成された胸像「藤本幸太郎翁」が正面玄関に置かれている。
臼杵 才化(うすき さいか、1876年(明治9年)1月31日… 臼杵 才化(うすき さいか、1876年(明治9年)1月31日 - 1917年(大正6年)12月13日)は、明治時代から大正時代にかけての日本の医学者・小児科医である。東京帝国大学卒、医学博士。 日本統治時代の台湾総督府医院小児科医長、台湾総督府医学校教授に任ぜられる。 東京帝国大学より医学博士の学位を授与される。正論文『生理的並びに病的関係に基ける哺乳児腸内に於ける脂肪の運命』。 30代臼杵仁(長男)(昭和20年12月10日没)も同墓地。31代臼杵薫(次男)(昭和37年3月10日没)は三重県尾鷲市、金剛寺。(28代臼杵玄貞までの先祖の墓地は、三重県津市榊原、海泉寺にあり永代供養されている)
篠田 時化雄(しのだ しげお、1857年1月9日〈安政3年1… 篠田 時化雄(しのだ しげお、1857年1月9日〈安政3年12月14日〉 - 1936年〈昭和11年〉4月27日)は、江戸時代後期から昭和初期にかけての国学者、神職、歌人であり、精華学園(後の京都精華学園中学校・高等学校)の設立者である。号は小笠乃屋・龍孫。
宮崎 道三郎(みやざき みちさぶろう、1855年10月14日… 宮崎 道三郎(みやざき みちさぶろう、1855年10月14日(安政2年9月4日) - 1928年(昭和3年)4月18日)は、三重県津市出身の法学者。法学博士。東京帝国大学教授(法制史)。日本法律学校(現・日本大学)創立者(総代)。 1855年(安政2年)9月に、伊勢国安濃郡津新道(現在の三重県津市)にて出生。藩校有造館で漢籍や国史などを学んで、1872年(明治5年)に上京。日本法律学校(現日本大学の前身)の創立時には、設立評議員の一人である司法大臣山田顕義らによって、宮崎は若手の法律学者11名とともに設立者の代表として創立に深く関与している。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
谷川 士清(たにがわ ことすが、宝永6年2月26日〈1709… 谷川 士清(たにがわ ことすが、宝永6年2月26日〈1709年4月5日〉- 安永5年10月10日〈1776年11月20日〉)は、江戸時代の国学者である。通称は養順。字は公介。号は淡斎。 伊勢国の津(現・三重県津市)の医者の家に生まれる。京都に出て医学を学ぶ傍ら、玉木正英(葦斎)から垂加神道を学ぶ。津に帰郷後、医業に精を出す一方で、家塾「洞津谷川塾」を開いて門人を指導したほか、道場「森蔭社」を設けて神道を教授した。また、有栖川宮職仁親王から和歌を学ぶなど、独学で国学を研究した。 宝暦事件と明和事件によって竹内式部が処罰されると、親しい交流のあった士清も嫌疑をかけられたが、士清は藤堂高朗の助けで事なきを得た。
竹川 佳成(たけがわ よしなり)は、日本の情報科学者。博士(… 竹川 佳成(たけがわ よしなり)は、日本の情報科学者。博士(情報科学)。主な研究内容は音楽情報学、エンターテイメントコンピューティング。
西田 律夫(にしだ りつお)は、日本の化学生態学者。京都大学… 西田 律夫(にしだ りつお)は、日本の化学生態学者。京都大学名誉教授。国際化学生態学会シルバーメダル賞、日本農芸化学会功績賞等受賞。 三重県津市生まれ。三重県立津高等学校を経て、1972年三重大学農学部農芸化学科卒業。1977年京都大学大学院農学研究科博士課程修了。京都大学農学部助手、助教授を経て、京都大学大学院農学研究科教授。専門は化学生態学、生物有機化学で、昆虫生理活性物質の研究により、2013年度日本農芸化学会功績賞受賞。2015年京都大学名誉教授。同年には化学生態学分野で顕著な功績を挙げた研究者に贈られる国際化学生態学会シルバーメダル賞を受賞した。
嶋本 薫(しまもと しげる)は、日本の通信工学者。早稲田大学… 嶋本 薫(しまもと しげる)は、日本の通信工学者。早稲田大学国際情報通信研究センター所長、早稲田大学理工学術院基幹理工学部情報通信学科教授。元スタンフォード大学客員教授。 三重県津市出身。三重県立津西高等学校を経て、1985年電気通信大学電気通信学部通信工学科卒業。1987年電気通信大学大学院電気通信学研究科通信工学専攻修了、工学修士、日本電気入社。1991年電気通信大学電気通信学部助手。1993年東北大学博士(工学)。1992年群馬大学工学部助手。1994年群馬大学工学部助教授。2000年早稲田大学大学院国際情報通信研究科助教授。2002年早稲田大学大学院国際情報通信研究科教授。2008年スタンフォード大学客員教授。
濵村 純平(はまむら じゅんぺい)は、日本の会計学者。三重県… 濵村 純平(はまむら じゅんぺい)は、日本の会計学者。三重県の出身。専門は管理会計・原価計算。 三重県志摩市に生まれる。三重県立伊勢高等学校卒業。2012年神戸大学経営学部経営学科卒業。2017年同大学経営学研究科 博士課程後期課程修了。博士(経営学)。2016年〜2017年日本学術振興会特別研究員(DC2)、2017年桃山学院大学経営学部講師、2019年 神戸大学経営学部経営学科非常勤講師、2020年桃山学院大学大学経営学部准教授、立命館大学経営学部経営学科非常勤講師。2021年~2022年まで、関西大学 会計研究科(会計専門職大学院)非常勤講師。2022年台湾の国立高雄大学客員研究員に就く。
田辺(邉) 征夫(たなべ いくお、1944年(昭和19年)1… 田辺(邉) 征夫(たなべ いくお、1944年(昭和19年)11月 - )は、日本古代考古学者。元国立文化財機構奈良文化財研究所長、(公財)大阪府文化財センター理事長。現在は、(一般財)仏教美術協会理事長、(公財)元興寺文化財研究所長。 三重県出身。中学2年生のときに甲陽学院中学校に編入し、1963年(昭和38年)3月に甲陽学院高等学校卒業(44回卒)。1968年(昭和43年)3月に慶應義塾大学文学部史学科卒業。京都大学大学院文学研究科修士課程中退。その後、奈良国立文化財研究所に勤める。途中、奈良市教育委員会社会教育部文化財課長、文化庁文化財保護部美術工芸課主任文化財調査官、東京国立博物館学芸部考古課長などを経験し、奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部長、独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部長、埋蔵文化財調査センター長、奈良文化財研究所長、独立行政法人国立文化財機構理事 奈良文化財研究所長、(公財)大阪府文化財センター理事長などを歴任した。
水野 優子(みずの ゆうこ)は、日本の心理カウンセラー、公認… 水野 優子(みずの ゆうこ)は、日本の心理カウンセラー、公認心理師。株式会社オフィス優代表取締役、NPO法人日本メンタルヘルスの会代表理事。 心理カウンセリングや講演活動のほか、子育て支援や献本活動などを行っている。これらの取り組みは複数の新聞で紹介されており、毎日新聞(2022年1月28日付)、朝日新聞(2022年2月15日付)、西日本新聞(2022年1月30日付)などで取り上げられた。 また、行政が主催する生涯学習事業においても講師を務めている。四日市市(市民生活課)が事務局を務め、三重大学や四日市大学に委託・連携して実施される「四日市市民大学」等において講師を担当しており、アドラー心理学をテーマとした連続講座などの講師を務めている。