松下 雋(まつした しゅん、1946年11月7日 - 201… 松下 雋(まつした しゅん、1946年11月7日 - 2013年9月29日)は、日本ガイシ代表取締役社長。中部経済連合会副会長、学校法人名城大学理事。三重県四日市市出身。 愛知県立瑞陵高等学校を経て名古屋大学経済学部卒業。同年、日本碍子(現日本ガイシ)入社。セラミックス事業部長、専務取締役等を経て、2002年代表取締役社長。 2013年9月29日に急性心不全のため死去。66歳没。
浅野 碩也(あさの せきや、1946年7月16日 - )は、… 浅野 碩也(あさの せきや、1946年7月16日 - )は、日本の実業家。東海テレビ放送元社長。三重県伊勢市出身。 1969年に慶應義塾大学法学部卒業。同年に東海テレビ放送に入社した。 編成局長、東京支社長、取締役、事業スポーツ担当万博・空港プロジェクト室長、常務を経て、2007年6月に社長に就任。社長在職中にセシウムさん騒動が起き、その騒動の対応に追われた。2013年から取締役相談役に就任。 その一方で、日本民間放送連盟理事も務めた。
蛭川 正文(ひるかわ まさふみ、1946年4月14日 - )… 蛭川 正文(ひるかわ まさふみ、1946年4月14日 - )は、日本の実業家、政治家、馬主。 三重県桑名市に本社を置く、建設資材の総合商社であるヒルカワ金属株式会社の代表取締役会長を務める。 1946年、三重県出身。三重県立桑名高等学校の定時制を卒業後に就職し、1984年7月7日に37歳で独立して現在の会社を設立した。 2006年に行われた桑名市議会議員選挙では1,727票を獲得し当選。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は黄、紫二本輪、緑袖、冠名には「ヒルノ」を用いるが、かつては「ビック」を用いた。現在は「株式会社ヒルノ」の法人名義として馬主登録をしている。
多田 勝美(ただ かつみ、1945年(昭和20年)7月12日… 多田 勝美(ただ かつみ、1945年(昭和20年)7月12日 - )は、実業家。大東建託の創業者で代表取締役社長(初代、第3代)や会長を務めた。 三重県出身で三重県立四日市工業高等学校卒業。1964年4月、株式会社小糸製作所入社する。 1974年6月、大東産業株式会社(現大東建託株式会社)設立し、代表取締役社長となる。 2004年4月に社長を麻田守孝に譲り代表取締役会長 、ついで2006年4月に代表を降りて取締役会長となった。しかし社長を継いだ麻田守孝の健康上の理由により、9月15日代表取締役会長、2006年10月1日代表取締役会長兼社長となり、代表取締役と社長に返り咲いた。2007年世界金融危機の最中である2007年10月、社長を退任し、三鍋伊佐雄が大東建託社長となる。
森下 俊三(もりした しゅんぞう、1945年4月8日 - )… 森下 俊三(もりした しゅんぞう、1945年4月8日 - )は、日本の実業家。 三重県亀山市生まれ。名古屋大学工学部電気電子工学科卒。名古屋大学大学院工学研究科修了。NTT西日本代表取締役社長等を経て、阪神高速道路株式会社取締役会長、一般財団法人関西情報センター会長、NHK経営委員会委員長。 関西経済同友会代表幹事、関西経済連合会副会長、駐大阪トルコ共和国名誉総領事、大阪府特別顧問、大阪府公安委員会委員長、関西テレビ放送番組審議委員、同志社大学客員教授を歴任。 2018年に日本郵政に関する報道に絡み、長門正貢社長や鈴木康雄上級副社長らの圧力を受け、上田良一NHK会長をNHK経営委員会が厳重注意した際に議事録にこのことが記載されなかったことに関し国会で追及を受けた際には、議事録について「内規で非公開としている」と答えた。
松本 正之(まつもと まさゆき、1944年4月14日 - )… 松本 正之(まつもと まさゆき、1944年4月14日 - )は、日本の経営者。東海旅客鉄道(JR東海)特別顧問。元同社代表取締役社長、副会長。第20代日本放送協会(NHK)会長。 三重県伊勢市出身。三重県立伊勢高等学校を経て、名古屋大学法学部卒業。 1967年4月、日本国有鉄道(国鉄)に就職。 1987年4月に国鉄が分割民営化された際には、新幹線総局に在籍していたことからJR東海に配属され、新幹線運行本部総務部長。その後人事部長、取締役・秘書室長、常務取締役、専務取締役などを歴任。2000年6月から代表取締役副社長を、2004年7月から代表取締役社長をそれぞれ務め、2010年4月に新設された代表取締役副会長に就任。
太田 孝(おおた たかし、1944年3月14日 - 2015… 太田 孝(おおた たかし、1944年3月14日 - 2015年1月19日)は日本の実業家、学術博士。近畿日本ツーリスト(現KNT-CTホールディングス)代表取締役社長、東海大学教授、横浜市立大学客員教授などを務めた。 三重県生まれ。1962年三重県立伊勢高等学校卒業。1966年横浜市立大学文理学部卒業、近畿日本ツーリスト入社。営業や旅行企画を担当したのち、1998年人事部長。1999年取締役。2003年常務取締役。 2004年から代表取締役社長を務め、2008年には店頭販売事業を統合してKNTツーリストを設立した。2008年相談役。 2010年東海大学観光学部教授。2013年横浜市立大学大学院都市社会文化研究科博士後期課程修了。
西田 厚聰(にしだ あつとし、1943年〈昭和18年〉12月… 西田 厚聰(にしだ あつとし、1943年〈昭和18年〉12月29日 - 2017年〈平成29年〉12月8日)は、日本の実業家。学位は法学修士(東京大学・1970年)。名の「聰」は旧字体のため、報道等においては西田 厚聡(にしだ あつとし)とも表記される。株式会社東芝取締役代表執行役社長、株式会社東芝取締役会長、社団法人日本経済団体連合会副会長、学校法人沖縄科学技術大学院大学学園理事、公益財団法人国際研修協力機構代表理事会長などを歴任した。 東芝のイラン現地法人にて採用され、31歳の時に東芝本社に入社。日・米・欧にまたがる東芝の海外PC事業を長く担当。海外現地法人出身・PC部門出身でありながら、PC部門における顕著な功績によって、伝統的に重電部門出身者が重用される東芝のトップにまで上り詰めるという異色の経歴を持つ。
山中 諄(やまなか まこと、1943年(昭和18年)2月1日… 山中 諄(やまなか まこと、1943年(昭和18年)2月1日 - )は日本の実業家。南海電気鉄道相談役。三重県阿山郡島ヶ原村(現在の伊賀市)生まれ。日本国有鉄道職員の父の転勤で、京都、奈良、大阪を転々とした。
三輪 信昭(みわ のぶあき、1942年11月7日 - )は、… 三輪 信昭(みわ のぶあき、1942年11月7日 - )は、日本の実業家、政治家。 衆議院議員(1期)、国民の生活が第一副幹事長・選挙対策委員会副委員長、カネ美食品株式会社社長、愛知県議会議員(4期)、新党きづな副代表などを歴任した。県議時代は「三輪敦昭」という名前で活動した。 三重県桑名郡(現在の桑名市)生まれ。三重県立桑名高等学校中途退学。親類が経営する惣菜店に勤務した後、1969年にカネ美食品を創業する。1971年3月に同社を株式会社化し、初代代表取締役に就任した。1983年に同社の代表取締役を退任し、その後は不動産会社を経営。なお、カネ美食品は2002年にユニーの持分法適用関連会社となった。
大桑 堉嗣(おおくわ いくじ、1942年3月1日 - )は、… 大桑 堉嗣(おおくわ いくじ、1942年3月1日 - )は、日本の実業家。オークワ代表取締役会長。日本チェーンストア協会副会長、日本スーパーマーケット協会副会長、和歌山県公安委員会委員長等も歴任。 三重県熊野市出身。日本大学商学部卒業。和歌山県和歌山市に本社を置き、南近畿(大阪府・奈良県・三重県)を中心にスーパーマーケットチェーンを展開しているオークワ創業者である大桑勇の長男である。現在、同社の代表取締役会長を勤めている。2008年3月、同年5月15日をもって、現職と兼任でCEOに就任する事が発表された。 その他、日本流通産業株式会社の代表取締役社長(代表者)や日本チェーンストア協会の副会長、日本スーパーマーケット協会の副会長も務めている。
服部 重彦(はっとり しげひこ、1941年8月21日- )は… 服部 重彦(はっとり しげひこ、1941年8月21日- )は、日本の技術者、実業家。島津製作所代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長、日本航空宇宙工業会副会長、京都工業会会長等を歴任した。
奥田 務(おくだ つとむ、1939年(昭和14年)10月14… 奥田 務(おくだ つとむ、1939年(昭和14年)10月14日 - )は、日本の実業家。J.フロント リテイリング特別顧問。大丸社長を務め、松坂屋との経営統合にあっては主導的役割を担った。 三重県津市で7人兄弟の5人目として生まれる。祖父奥田喜一郎は明治末期に奥田証券を津市に創業。気性が荒く、芦屋市にも別邸を構えた相場師であった。奥田証券は大正期に入ると、大阪にも拠点を構え、三重県で最大の証券会社に成長した。父は慶應義塾大学経済学部の出身で、歌舞伎鑑賞が趣味の温和な性格だった。6人兄弟であるが、当時としては珍しく、父を含めてほとんどが東京六大学を出ていた。戦争によって母方の祖母が住んでいた飯南郡上蛸路(現・松阪市)に疎開し、祖母の家の近くで借家住まいを続けた。
池森 賢二(いけもり けんじ、1937年6月1日 - )は、… 池森 賢二(いけもり けんじ、1937年6月1日 - )は、日本の実業家、エンジェル投資家。ファンケル創業者で、同社代表取締役社長や、代表取締役会長ファウンダー、日本通信販売協会会長等を歴任した。 三重県宇治山田市(現伊勢市)で東洋紡績技術者の次男として生まれる。産業能率短期大学中退後、1959年小田原瓦斯入社。1973年小田原瓦斯退社。1980年無添加化粧品事業を創業。1981年ファンケル設立、同社代表取締役社長。1999年東京証券取引所第一部上場。2003年ファンケル代表取締役会長。2004年ファンケル取締役会長。2005年ファンケル名誉会長。2013年ファンケル代表取締役会長執行役員。2017年ファンケル代表取締役会長執行役員ファウンダー。
濵田 益嗣(はまだ ますたね、1937年(昭和12年)5月6… 濵田 益嗣(はまだ ますたね、1937年(昭和12年)5月6日 - )は、日本の実業家。株式会社赤福前代表取締役会長(10代目当主、2代社長)、株式会社濵田総業社長。元皇學館大学常任理事、伊勢商工会議所会頭、アイティービー会長(代表権はない)。男性。三重県伊勢市出身。父は濵田裕康、母は佳代子。妻は現赤福社長(4代)の濵田勝子、 最初の名前は益種で、1962年から1963年の間に改名したとされる(『伊勢年鑑』)。 赤福9代目当主、裕康の長男として生まれた。生後9か月にして出征していた父親を戦争で失い当主となるが、実際は8代当主の未亡人である濵田ますが切り盛りし、赤福が1954年に企業化した際、ますが企業としての赤福初代社長に就任している。
城田 隆(しろた たかし、1936年11月3日 - 2017… 城田 隆(しろた たかし、1936年11月3日 - 2017年10月14日)は、日本の経営者。三重テレビ放送社長を務めた。 三重県桑名市出身。1959年に名古屋大学教育学部を卒業し、同年に東海テレビ放送に入社。1995年6月に取締役に就任し、2000年6月に常務を経て、2003年6月から2008年6月までに三重テレビ放送社長を務めた。 2017年10月14日に肝内胆管がんのために死去。80歳没。
今野 由梨(こんの ゆり、1936年〈昭和11年〉6月2日-… 今野 由梨(こんの ゆり、1936年〈昭和11年〉6月2日-)は、日本の実業家。ダイヤル・サービス株式会社創業者、代表取締役。公益財団法人日本ニュービジネス協議会連合会顧問、東京商工会議所特別顧問、一般社団法人日本介護事業連合会副会長(理事)、一般財団法人全国SNSカウンセリング協議会常務理事。 三重県桑名市生まれ。津田塾大学英文科卒業。 就職面接で「定年まで働いて社長を目指します!」とアピールしたことが災いして就職失敗。 1964年、今野はニューヨーク万博の日本館コンパニオン/広報担当者として渡米した。この年は日本人の海外渡航が自由化された年。円ドル交換レートは1ドル360円。日本からの往復航空運賃だけでも40万円以上、現在に置き換えると400万円に匹敵する時代だった。
南 直哉(みなみ のぶや、1935年11月15日 - 202… 南 直哉(みなみ のぶや、1935年11月15日 - 2022年10月24日)は、日本の実業家。 フジ・メディア・ホールディングス取締役監査等委員及びフジテレビジョン監査役。東京電力で第9代社長を経て顧問、財団法人省エネルギーセンター会長、社団法人企業情報化協会会長などを務めた。 三重県出身。三重県立上野高等学校を経て、1958年に東京大学法学部を卒業し東京電力入社。取締役を経て1999年に東京電力社長。これまでの東京電力社長職は政界との繋がりが強い総務畑が主流だったが、電力自由化に伴い霞が関に顔が利くという理由から企画畑出身の南が選ばれた。 2002年、原子力発電所の点検記録の改竄事件の責任をとって、社長を辞任。
岡田 邦彦(おかだ くにひこ、1935年7月11日 - )は… 岡田 邦彦(おかだ くにひこ、1935年7月11日 - )は、日本の実業家。初代J.フロント リテイリング代表取締役会長、第6代松坂屋代表取締役社長、第25代名古屋商工会議所会頭。 三重県出身。1954年三重県立四日市高校卒業、1958年名古屋大学経済学部卒業、松坂屋入社。1991年取締役本社開発事業部長に昇格。1997年常務取締役本社総合企画室長兼広報室長兼関連事業部長。1999年代表取締役社長。2001年キタン会会長。 2006年から松坂屋ホールディングス代表取締役会長兼松坂屋代表取締役会長を務め、大丸との経営統合にあたり、2007年に新設されたJ.フロント リテイリングの初代代表取締役会長に就任した。
奥田 碩(おくだ ひろし、1932年〈昭和7年〉12月29日… 奥田 碩(おくだ ひろし、1932年〈昭和7年〉12月29日 - )は、日本の経営者、トヨタ自動車元社長、同社元会長。 日本経営者団体連盟会長、日本経済団体連合会会長、内閣特別顧問、日本郵政取締役兼指名委員長兼報酬委員長、国際協力銀行総裁、トヨタ財団会長などを歴任した。勲等は旭日大綬章。 三重県津市出身。三重県立津中学校(現・三重県立津高等学校 疎開を機に転校)、松阪北高等学校(現・三重県立松阪工業高等学校)を経て、1955年に一橋大学商学部を卒業。奥田務(元J.フロント リテイリング会長兼CEO)は実弟。 幼少時は、祖父(奥田喜一郎)や父が三重県最大の証券会社・奥田証券を営んでおり裕福だった。
西川 順之助(にしかわ じゅんのすけ、1932年〈昭和7年〉… 西川 順之助(にしかわ じゅんのすけ、1932年〈昭和7年〉8月19日 - 2024年〈令和6年〉3月15日)は、日本のバレーボール選手、新聞記者、実業家。三重県松阪市出身で、中日新聞社名古屋本社事業局長、取締役、常務を務め、2001年(平成13年)10月10日から2011年(平成23年)3月25日まで中日ドラゴンズ球団代表取締役社長を務めた。 早稲田大学に入学し、バレーボール部に入部し、6人制バレーボールの草分け的存在となる。1953年には、渡米チームのメンバーにも選ばれた。 大学卒業後の1957年(昭和32年)4月に中日新聞社へ入社し、主にスポーツ取材に携わる。バレーボール担当記者を長く務め、テレビ解説も担当した。
田村 憲司(たむら けんし、1931年〈昭和6年〉7月16日… 田村 憲司(たむら けんし、1931年〈昭和6年〉7月16日 - 2021年〈令和3年〉10月11日)は、日本の実業家。日本土建名誉会長。ZTV代表取締役社長。津商工会議所会頭、三重県商工会議所連合会会長。三重県建設業協会顧問。TBSテレビアナウンサーの田村真子は孫。 三重県出身。弁護士で衆議院議員田村秢の二男。旧制津中学校を経て、1953年、中央大学法学部卒業。中外炉工業に入社。父親の勧めで日本土建に入社。 1960年、日本土建専務取締役。1966年、代表取締役社長。2007年、代表取締役会長。2016年、取締役名誉会長。 1990年、ZTV代表取締役社長。1991年、社団法人三重県建設業協会長として、三重建設図書館の設置を提案、実現する(2006年に休館。
井阪 健一(いさか けんいち、1931年〈昭和6年〉2月17… 井阪 健一(いさか けんいち、1931年〈昭和6年〉2月17日 - 2024年〈令和6年〉11月12日)は、日本の実業家である。三重県出身。 野村證券副社長、野村アセットマネジメント社長・会長、東京証券取引所副理事長、大阪経済大学理事長などを歴任した後、平和不動産社長となった。 株式会社セブン-イレブン・ジャパン社長の井阪隆一は息子である。野村證券では株式本部長を長く務め「天才相場師」「野村証券の星」などと称されていた。またきさくで腰の低い謙虚な人で野村社内では営業の神様と言われていた。先輩に当たる豊田善一(野村證券元副社長、国際証券元社長)も「天才だ。野村のために生まれてきたような男で、指導力、判断力、実行力とも抜群。
転法輪 奏(てんぽうりん すすむ、1929年9月14日 - … 転法輪 奏(てんぽうりん すすむ、1929年9月14日 - 1998年10月3日)は、日本の経営者。大阪商船三井船舶(現在の商船三井)社長を務めた。三重県四日市市出身。 1952年に東京大学経済学部を卒業し、同年に大阪商船に入社。1981年に取締役に就任し、1984年に常務、1985年に専務を経て、1987年に副社長に就任し、1989年には社長に昇格。1994年6月に会長に就任し、1998年に相談役に就任。社長在任時には円高に伴う海運危機の煽りを受けて、大規模なリストラを実施。1995年4月から経済同友会副代表幹事も務めた。 1992年4月に藍綬褒章を受章。 1998年10月3日特発性間質性肺炎のために死去。
加藤 精一(かとう せいいち、1929年1月9日 - 201… 加藤 精一(かとう せいいち、1929年1月9日 - 2016年1月19日)は、日本の経営者。岡三証券社長、会長を務めた。位階は従四位。 三重県津市出身。1951年に慶應義塾大学経済学部を中退し、1954年に岡三証券に入社し、同時に取締役にも就任。1956年に常務、1958年に専務を経て、1961年には社長に就任。1997年6月に会長に就任し、2005年から名誉会長を務めた。2003年には岡三ホールディングス会長にも就任。 1998年7月から2000年6月までに日本証券業協会会長も務めた。 1990年11月に藍綬褒章を受章し、2001年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2016年1月19日、心不全のために死去。
堀田 昌郎(ほった まさお、1928年2月9日 - 2011… 堀田 昌郎(ほった まさお、1928年2月9日 - 2011年4月21日)は、日本の実業家。中部日本放送社長を務めた。三重県尾鷲市出身。 1953年に北海道大学農学部を卒業し、1956年に中部日本放送に入社した。 ラジオ局長、取締役、常務、専務、副社長を経て、1993年6月に社長に就任した。1997年6月から2003年6月までに会長を務め、2003年6月から相談役に就任した。 2003年4月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2011年4月21日呼吸不全のために死去。83歳没。
清水 信次(しみず のぶつぐ、1926年〈大正15年〉4月1… 清水 信次(しみず のぶつぐ、1926年〈大正15年〉4月18日 - 2022年〈令和4年〉10月25日)は、日本の実業家。株式会社ライフコーポレーション創業者、日本スーパーマーケット協会および国民生活産業・消費者団体連合会(生団連)創立者、名誉会長。 スーパーマーケット「ライフ」を興し、売上高7,000億円という日本最大の食品スーパーマーケットチェーンを一代で築いた。ダイエーの中内㓛、セブン&アイホールディングスの鈴木敏文、イオンの岡田卓也らとともに戦後の流通業界を牽引した人物である。 三重県津市生まれ。両親は大阪市天満で乾物・缶詰・青果などを販売する食料品店を営んでいた。 1944年(昭和19年)、陸軍に入隊して戦技特別研究要員(白兵戦、剣道助教)として中国に出征した。
夏秋 幹(なつあき みき、1926年3月14日 - 2016… 夏秋 幹(なつあき みき、1926年3月14日 - 2016年11月4日)は、日本の経営者。三重テレビ放送社長を務めた。 三重県名張市出身。1945年に三重農業専門学校農業土木科を卒業し、同年10月に三重県庁に入庁。1978年4月に福祉部長に就任し、1980年4月に企業庁長を経て、1982年3月から1986年3月までに出納長を務めた。1986年6月に三重テレビ放送専務に就任し、1987年6月から1999年6月までに社長を務めた。 1996年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2016年11月4日老衰のために死去。90歳没。
世古 真臣(せこ まおみ、1926年1月8日 - 2005年… 世古 真臣(せこ まおみ、1926年1月8日 - 2005年11月11日)は、日本の経営者、工学博士。旭化成工業社長を務めた。 三重県尾鷲市出身。旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校[要出典]を経て、1948年、東京大学工学部電気工学科卒業。同年、旭化成工業に入社。研究に携わり、1973年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1979年6月に副社長に就任した。1985年6月に社長に昇格し、1989年6月に副会長に就任し、1993年6月からは相談役を務めた。 1974年と1978年に大河内賞、1975年と1979年に日本化学会賞、1980年に電気化学会賞、1981年に高分子学会賞、1990年4月に日本原子力学会特賞を受賞。
葛井 欣士郎(くずい きんしろう、1925年11月28日 -… 葛井 欣士郎(くずい きんしろう、1925年11月28日 - 2014年4月30日)は、実業家、映画館経営者、映画・演劇プロデューサー。日本アート・シアター・ギルド(ATG)の主要な映画館「アートシアター新宿文化」総支配人として、また、ATG映画の製作者として知られる。妻は村井志摩子。 三重県伊勢市生まれ。1951年、早稲田大学文学部芸術学科卒業後、三和興行に入社。 1961年の日本アート・シアター・ギルド創設に参加。1962年には、三和翼下で、ATGの映画を上映する映画館「アートシアター新宿」が設立され総支配人に。1963年からは、映画だけではなく、前衛演劇も上演するようになる。1967年には映画館の地下にアングラ小劇場「蝎座」を設立。
福持通(ふくもちとおる、1922年 - 2014年)は日本の… 福持通(ふくもちとおる、1922年 - 2014年)は日本の実業家。元都ホテル(現ウェスティン都ホテル京都)社長。伊勢本街道保存会相談役。三重県名張市出身。祖父・善之丞は立憲憲政会員、名賀郡会議員。
江崎 誠三 (えさき せいぞう、1921年3月1日 - 20… 江崎 誠三 (えさき せいぞう、1921年3月1日 - 2002年5月27日)は、元豊田通商代表取締役社長、会長。他に、第7代東海日中貿易センター会長、中国青島市経済顧問等を務めた。 三重県津市出身。1941年名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)卒業。 1982年に藍綬褒章、1992年に勲三等旭日中綬章を受章。2002年5月27日、すい臓がんのため81歳で逝去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
中村 大造(なかむら たいぞう、1920年(大正9年)7月2… 中村 大造(なかむら たいぞう、1920年(大正9年)7月25日 - 1987年(昭和62年)5月6日)は、日本の官僚、実業家。元運輸事務次官・全日本空輸社長。三重県桑名市出身。
飯田 庸太郎(いいだ ようたろう、1920年(大正9年)2月… 飯田 庸太郎(いいだ ようたろう、1920年(大正9年)2月25日 - 2002年(平成14年)9月9日)は日本の実業家、元三菱重工業社長・会長。元経済団体連合会副会長。三重県出身。
服部 正也(はっとり まさや、1918年10月13日 - 1… 服部 正也(はっとり まさや、1918年10月13日 - 1999年11月29日)は、日本の銀行家、実業家。日本人初の世界銀行副総裁。 服部岱三・芳枝夫妻の長男として1918年(大正7年)三重県三重郡三重村(現:四日市市)に生まれる。幼少時は父の海外転勤に従いロンドンで7年間、上海で3年間を過ごした。長崎県の旧制大村中学校、旧制第一高等学校を経て東京帝国大学法学部を卒業。卒業後台湾銀行に入行したがすぐ海軍予備学生となり、海軍大尉としてラバウルで終戦を迎え、そのまま現地で日本人戦犯の弁護人も務めた。 47年復員後日本銀行に入行。1950年フルブライト基金によりミネソタ大学大学院にて留学し財政、金融を学ぶ。
高山 成雄(たかやま しげお、髙山 成雄、1916年5月27… 高山 成雄(たかやま しげお、髙山 成雄、1916年5月27日 - 2010年7月25日)は、日本の実業家・篤志家。伯東株式会社創業者・代表取締役会長。香良洲町名誉町民。 1953年(昭和28年)にエレクトロニクス専門商社の伯東株式会社を設立して代表取締役社長・会長を務め、東証一部上場企業に育て上げた。 香良洲町に対して、浜っ子幼児園の建設費用の寄付、めぐみの広場の用地取得費用及び整備費用の寄付、高山元気づくり事業寄付などを行い、郷土の発展に貢献した。香良洲町が津市に編入された後も多額の寄付を行い、魅力ある津市政の推進に貢献した。浜っ子幼児園には高山の銅像(胸像)が設置されている。2011年(平成23年)8月18日にはサンデルタ香良洲に顕彰コーナーが設置された。
小嶋 千鶴子(こじま ちづこ、出生時の戸籍名は岡田 千鶴子(… 小嶋 千鶴子(こじま ちづこ、出生時の戸籍名は岡田 千鶴子(おかだ ちづこ)、1916年〈大正5年〉3月3日 - 2022年〈令和4年〉5月20日)は、日本の実業家。イオンの前身であるジャスコの創設者で、イオングループの共同創業者。イオン株式会社名誉顧問などを歴任した。 1916年(大正5年)3月3日に三重県四日市市に生まれる。父は岡田惣一郎で母は岡田(旧姓・美濃部)田鶴。夫妻の第二子で、5人きょうだい(一男四女)の二女であった。千鶴子の後にも2人続けて女子が誕生したことから、5人目も女子なら家系を絶やさぬよう婿養子を迎えることを検討していたが、5人目で男子の卓也が誕生した。千鶴子が誕生した時は血縁関係の父方の祖父の岡田惣七(婿養子に入る前の旧姓が前田末吉)と四日市岡田家の家系の祖父の岡田惣右衛門の2人の四日市岡田家の祖父が存命中であり、2人の祖父からかわいがられて教育された。
井村 二郎(いむら じろう、1914年11月3日 - 201… 井村 二郎(いむら じろう、1914年11月3日 - 2011年5月6日)は、日本の実業家。井村屋グループの創業者。三重県松阪市出身。井村正勝は長男。 1932年に松阪商業学校を卒業し、父親が経営する和菓子屋を継ぐ。1947年に井村屋製菓を創業し、社長に就任。1974年に会長を経て、1979年に相談役に就任した。 2011年5月6日、肺炎のために死去。96歳没。
西山 方富(にしやま まさとみ、1914年10月31日 - … 西山 方富(にしやま まさとみ、1914年10月31日 - 1987年4月12日)は、日本の経営者。井村屋製菓社長、会長を務めた。三重県松阪市出身。 1932年に三重県立松阪商業学校を卒業。髙島屋での勤務を経て、1947年に井村屋に転じ、専務に就任し、1970年に副社長を経て、1974年5月には社長に就任。1979年6月に監査役に就任。 1987年4月12日食道静脈瘤破裂と肝硬変のために死去。72歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
小川 修次(おがわ しゅうじ、1913年9月18日 - 20… 小川 修次(おがわ しゅうじ、1913年9月18日 - 2008年1月16日)は、日本の実業家。日本特殊陶業取締役社長や、同社取締役会長を務めた。 三重県伊勢市出身。三重県立宇治山田中学校(現三重県立宇治山田高等学校)を経て、1935年名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)卒業、日本碍子入社。1936年日本特殊陶業に転勤。1961年日本特殊陶業取締役。1965年日本特殊陶業常務取締役。1971年日本特殊陶業専務取締役。1972年日本特殊陶業取締役副社長。1973年日本特殊陶業取締役社長。1977年森村商事取締役。1978年藍綬褒章受章。1979年昭和法人会会長。同年ブラジル連邦共和国サンフランシスコ勲章グラン・クルース章受章。
金丸 吉生(かなまる よしお、1909年 <明治42年> 9… 金丸 吉生(かなまる よしお、1909年 <明治42年> 9月6日 - 1995年 <平成7年> 9月20日)は、日本の経営者、銀行家。百五銀行頭取を務めた。位階は正五位。 三重県鈴鹿市出身。1934年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1940年に百五銀行に入行。1955年10月に取締役に就任し、1957年10月に常務、1963年10月に専務を経て、1969年5月に副頭取に就任し、1977年11月に頭取に昇格。1991年6月に会長に就任。1987年6月から1995年6月までに近畿日本鉄道取締役を務めた。 1980年11月に勲五等瑞宝章を受章し、1988年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1995年9月20日心筋梗塞のために死去。
田中 健之助(たなか けんのすけ、1908年 <明治41年>… 田中 健之助(たなか けんのすけ、1908年 <明治41年> 2月7日- 1993年 <平成5年> 1月9日 )は、日本の経営者。位階は正四位。 三重県四日市市出身。1930年に行文行政科に合格し、1931年に東京帝国大学法学部法科を卒業した後に鉄道省に入省した。1952年には日本国有鉄道理事に就任した。 1954年5月に近畿日本鉄道常務に就任し、1961年11月には専務に就任した。一方で、1955年には近畿日本ツーリスト社長に就任した。 1968年5月から1976年6月までに三重交通社長を務め、1976年6月から1978年6月までに防長交通及び防石鉄道社長を務めた。 1971年11月に藍綬褒章を受章し、1978年11月に勲三等旭日中綬章を受章した。
佐藤 信之助(さとう しんのすけ、1908年(明治43年)1… 佐藤 信之助(さとう しんのすけ、1908年(明治43年)1月30日 - 1981年(昭和56年)12月22日)は、日本の実業家。サンジルシ醸造の社長、会長と中京テレビ放送社長を務めた。 1908年(明治43年)1月30日に三重県桑名市船場町316で父・初代佐藤信之助、母・ゑきの長男として生まれ、佐藤義一と名付けられた。旧制富田中学校を経て、1930年(昭和5年)3月に慶應義塾高等部卒業し、大蔵省醸造試験所で1年間醸造学を学んだ後、家業の佐藤信之助商店に入って味噌・醬油製造業に従事した。 早くから若手実業家として桑名財界で活躍し、桑名電軌と桑名土地建物の取締役に就任し、1936年(昭和11年)6月22日に桑名瓦斯の監査役にも就任した。
加藤 誠之(かとう せいし、1907年11月25日 - 19… 加藤 誠之(かとう せいし、1907年11月25日 - 1995年12月13日)は、日本の実業家。トヨタ自動車販売取締役社長、取締役会長、トヨタ自動車相談役、顧問、名古屋商工会議所副会頭、学校法人関西学院理事長、世界デザイン博覧会協会協会理事長などを歴任。日本デザインセンター創設メンバーのひとり。息子(次男)はレーシングカーデザイナーの加藤眞。 1907年11月25日、三重県伊勢市生まれ。甲陽中学校(現在の甲陽学院中学校・高等学校、4回卒)を経て、1930年に関西学院高等商業学部を卒業。日本ゼネラルモータースへ入社。 1937年、トヨタ自動車工業設立と同時に同社へ入社。1950年にトヨタ自動車販売設立に伴い、同社へ移る。
安保 正敏(あぼ まさとし、1907年11月18日 - 19… 安保 正敏(あぼ まさとし、1907年11月18日 - 1971年3月20日)は、日本の実業家。三重交通社長と東海テレビ放送社長を務めた。三重県松阪市出身。赤福餅で有名な赤福代表取締役社母兼社長である濵田勝子は三女、その夫は同社元会長である濵田益嗣。 1929年に、同志社専門学校高等商業部を卒業。 1942年に、松阪電気鉄道社長に就任し、1944年に統合により、三重交通専務に就任し、1954年に社長に昇格した。1957年に近畿東海放送社長に就任し、1959年にラジオ東海との合併により1971年に東海ラジオ放送社長にも就任した。1957年に東海テレビ放送副社長にも就任し、1967年には社長に昇格した。
津田久(つだ ひさし、1904年7月30日 - 2002年6… 津田久(つだ ひさし、1904年7月30日 - 2002年6月9日)は、日本の実業家。第二代住友商事社長。住友家評議員会委員長、住友老壮会会長。 三重県出身。東京目白中学、一高を経て、1928年東京帝国大学法学部卒業。同年住友合資会社(住友本社の前身)に入社。財閥解体後の1946年、日本建設産業(現住友商事)総務部長に転じ、財閥解体で宙に浮く本社社員や軍隊や海外から復員してくる社員の雇用確保のため、商事進出を提唱。 1947年常務、1953年専務を経て、1956年社長に就任。初代社長田路舜哉の拡大路線を継承し大陸棚の海洋資源開発や住宅関連など他社に先駆けて新規分野の進出。大手総合商社への発展の礎を築いた。
宗村 佐信(むねむら すけのぶ、1904年(明治37年)6月… 宗村 佐信(むねむら すけのぶ、1904年(明治37年)6月3日 - 1975年(昭和50年)8月29日)は、日本の実業家、教育者である。平田紡績の5代目社長を務め、また暁学園を創設した。三重郡富洲原町(現在の三重県四日市市富洲原地区)富田一色出身。 四日市本社工場(富洲原の天ヶ須賀本町(天ヵ須賀5丁目)の紡績工場・富洲原の住吉町の善太付近の漁網工場)と富洲原周辺の三重郡川越町高松天神の川越漁網工場・志摩市の浜島疎開工場・東紀州の尾鷲市の尾鷲疎開工場以外の工場を建設して東日本地域やアフリカなど海外に進出して生産拠点が拡大した。 また1951年(昭和26年)11月に昭和天皇の(三重県)伊勢行幸の際、同じ富洲原地区の東洋紡績富田工場の視察後に平田紡績を視察した。
九鬼 紋十郎(くき もんじゅうろう、1902年(明治35年)… 九鬼 紋十郎(くき もんじゅうろう、1902年(明治35年)6月7日 - 1986年(昭和61年)10月6日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)。九鬼産業グループを経営する四日市九鬼家当主。九鬼紋十郎という名は、本家の九鬼紋七とともに四日市九鬼家で当主が代々襲名していた。三重県四日市市出身。 1902年(明治35年)6月7日に、九鬼水軍の末裔である四日市九鬼家の当主8代目九鬼紋七の実弟の九鬼紋十郎(1869年生まれ、幼名・金松)の長男として誕生した。幼名は九鬼金平。のち九鬼紋十郎を襲名した。父である先代の紋十郎(金松)は先々代紋十郎の養子となり、家業の肥料商と紋十郎の名を継ぎ、四日市米穀株式取引所理事などを務めた多額納税者であった。
岡副 鉄雄(おかぞえ てつお、1901年〈明治34年〉3月2… 岡副 鉄雄(おかぞえ てつお、1901年〈明治34年〉3月2日 - 1985年〈昭和60年〉)は、日本の板前、実業家。金田中、岡半各会長。新橋演舞場、演舞場サービス各社長。 三重県津市出身。片田小学校を卒業する。料理店見習い後、割ぽう鶴屋を開店する。大正時代創業の金田中を、当時の経営者からの願いで譲り受け、1945年に新たに開店する。1959年、新橋演舞場専務に就任。 趣味は書画、ゴルフ、俳句、絵画。住所は東京都中央区銀座7丁目。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
多湖 實夫(たご じつお、1898年(明治31年)6月16日… 多湖 實夫(たご じつお、1898年(明治31年)6月16日 - 1985年(昭和60年)5月11日)は、日本の内務官僚、実業家。官選山梨県知事、学校法人愛知医科大学理事長、ワシントンホテル社長。 三重県員弁郡笠田村(現いなべ市)出身。多湖實の長男として生まれる。愛知県立第一中学校、第八高等学校を卒業。1922年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。同年11月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し東京府属となる。 以後、内務省社会局勤務、奈良県理事官、内務省社会局事務官・保険部勤務、静岡県書記官・経済部長、第16回国際労働会議出席(1932年ジュネーヴ開催、政府側顧問)、東京府学務部長、宮城県書記官・総務部長、大阪府総務部長などを歴任。