薄井 坦子(うすい ひろこ、1932年1月 – 2022年2… 薄井 坦子(うすい ひろこ、1932年1月 – 2022年2月)は、日本の看護学者。千葉大学名誉教授、宮崎県立看護大学初代学長、名誉教授。 広島県広島市生まれ。お茶の水女子大学文教育学部を卒業後、1961年に東京大学医学部衛生看護学科を卒業。日本医師会、東京女子医科大学病院などを経て、1965年東京女子医科大学看護短期大学教授、1975年千葉大学看護学部教授、1997年から宮崎県立看護大学で教鞭を取り (~2002年)、2011年まで初代学長を務めた。 看護学に関する文献・調査研究や、看護婦としての実践から「看護とは何か」を求めた。フローレンス・ナイチンゲールの唱えた看護論の翻訳でも知られ、日本翻訳文化賞を受賞した。
森滝 健一郎(森瀧 健一郎、もりたき けんいちろう、1932… 森滝 健一郎(森瀧 健一郎、もりたき けんいちろう、1932年 - 2016年7月16日)は、おもに水資源問題や災害問題などに経済地理学の立場から取り組む議論を展開した日本の地理学者、岡山大学名誉教授。 広島市生まれ。父である森滝市郎は、当時は広島高等師範学校で教鞭を執る倫理学者であり、後に原水禁運動の活動家としても知られるようになる人物であった。 東京大学教養学部教養学科で国際関係論を学び江口朴郎などの指導を受け、1956年に卒業した後は高校教員となった。定時制高校に教師として勤務しながら、1960年に東京大学大学院の地理学専攻に進み、1966年に「河川水利に関する地理学的研究 水系的水利秩序の諸類型」により東京大学から理学博士を取得した。
伊藤 秀三(いとう しゅうぞう、1932年 - 2025年5… 伊藤 秀三(いとう しゅうぞう、1932年 - 2025年5月6日)は、日本の生態学者。長崎大学名誉教授。専門は植物生態学。日本ガラパゴスの会会長、チャールズ・ダーウィン財団評議員、日本巨樹巨木林の会会長などを務める。 広島県竹原市出身。1955年、広島大学理学部生物学科卒業。同大学院理学研究科修了。理学博士。日本自然保護協会研究員などをへて、1970年長崎大学教養部教授となり、のち長崎大学環境科学部教授。1998年に退官し長崎大学名誉教授となる。 長崎県の島嶼部をはじめ、ハワイ諸島、ガラパゴス諸島、小笠原諸島の植生調査に従事。特に、ガラパゴス諸島については、1964年以来、計七回にわたって学術調査を行った。
多田 稔(ただ みのる、1931年 - )は、英米文学者、大… 多田 稔(ただ みのる、1931年 - )は、英米文学者、大谷大学名誉教授。専門は19世紀後半~20世紀前半の英米作家研究。 1931年、広島市生まれ。旧制山口県立徳山中学校を卒業し、旧制第六高等学校へ進む。その後京都大学文学部英文科へ進学し、1954年に卒業。 卒業後は京都府立嵯峨野高等学校教諭、明石工業高等専門学校助教授、1966年からは京都工芸繊維大学助教授、1971年同大学教授。セントオラフ大学で人文学博士(Ph.D.)を授与される。1984年より大谷大学教授、1987年文学研究科長、2002年帯広大谷短期大学学長。2008年退任。 京大英文学会(評議員歴任), 日本英文学会, 大学英語教育学会(関西支部長歴任), William Morris Sociely(ロンドン)(終身会員), 国際応用言語学会日本イエーツ協会, IASAIL JAPAN-アングロアイリッシュ協会アメリカ文学会, 国際真宗学会(評議員歴任), 東西宗教交流学会, 日本ソロー学会, 東京ラスキン協会 他
岡崎 令治(おかざき れいじ、1930年〈昭和5年〉10月8… 岡崎 令治(おかざき れいじ、1930年〈昭和5年〉10月8日 - 1975年〈昭和50年〉8月1日)は、日本の生物学者(分子生物学)。広島市白島(現:中区白島)出身。 広島高等師範学校附属中学校(現:広島大学附属中学校・高等学校)2年の時、原子爆弾の黒い雨を浴びた(入市被曝)。その後、山口県立岩国中学校(現:山口県立岩国高等学校)、第五高等学校を経て、1953年、名古屋大学理学部生物学科卒業。発生生物学の山田常雄教授の下で形成体(オーガナイザー)について研究。 1960年、セントルイス・ワシントン大学のジャック・ストロミンジャーとアーサー・コーンバーグの下に留学。スタンフォード大学を経て、1963年、名古屋大学理学部化学教室の鈴木旺教授の講座の助教授として帰国。
池庄司 敬信(いけしょうじ けいしん、1929年6月9日 -… 池庄司 敬信(いけしょうじ けいしん、1929年6月9日 - 2007年7月31日)は、日本の政治学者・歴史学者。専門は、ロシア政治思想史・ロシア史。中央大学名誉教授。広島県福山市出身。 広島県立福山誠之館高等学校卒業。1953年中央大学法学部卒業。1958年同大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得退学。同年、同法学部助手。1961年同法学部専任講師。1962年同法学部助教授。1968年同法学部教授。1970年イギリス・ロシアで在外研究。1978年中央大学学生部長。その後、同通信教育部長。2000年中央大学定年退職。同名誉教授。 学外として武蔵野市宅地開発等紛争調整委員、武蔵野市特別職報酬等審議会委員。
桂 芳久(かつら よしひさ、1929年3月4日 - 2005… 桂 芳久(かつら よしひさ、1929年3月4日 - 2005年2月1日)は、日本の小説家・民俗学者・北里大学名誉教授。昭和後期から平成時代にかけて活躍した。 広島県高田郡吉田町(現:安芸高田市)の生まれ。 旧制広島県立第一中学校(現:広島県立広島国泰寺高等学校)の4年生のとき、広島市への原子爆弾投下に遭遇する。このとき学校は全滅したものの、勤労動員で郊外に滞在していたため生き残ることができた。少年期のこの経験は桂の心に深く残り、後々まで作品世界に何度も描かれることになった。 1950年に慶應義塾大学に入学する。 同年、劇作家の加藤道夫の紹介により三島由紀夫に認められ、1953年、三島の推薦で「群像」7月号に「棘草の蔭に」を載せ、文壇に登場。
光易 恒(みつやす ひさし、1929年 - )は、日本の物理… 光易 恒(みつやす ひさし、1929年 - )は、日本の物理学者。専門は海洋物理学。特に海洋波の研究で知られる。九州大学名誉教授 1929年、広島県生まれ。1945年に旧制崇徳中学校を卒業。1948年に旧制広島高等学校を卒業、1952年に広島文理科大学(現広島大学)を卒業、旧運輸省運輸技術研究所へ入る。高潮津波研究室長および波浪研究室長を経て、1965年に九州大学応用力学研究所助教授に転進、1967年同教授となる。後に同研究所所長をつとめた。1992年に九州大学を退官後は、広島工業大学環境デザイン学科教授に就任し、1999年に退職している。
森野 善右衛門(もりの ぜんえもん、1928年12月7日 -… 森野 善右衛門(もりの ぜんえもん、1928年12月7日 - 2023年7月31日 )は、日本の神学者、牧師、翻訳家。東北学院大学名誉教授。 広島市生まれ。1945年群馬県立高崎中学校卒業。1948年松本高等学校理科甲類卒業。1953年広島文理科大学物理学科卒業。1957年東京神学大学大学院修士課程修了。日本基督教団信濃町教会、若草教会牧師。1966年東北学院大学助教授、教授。1996年定年退任、名誉教授。
古賀 英三郎(こが えいざぶろう、1928年(昭和3年)9月… 古賀 英三郎(こが えいざぶろう、1928年(昭和3年)9月16日 - 1990年(平成2年)12月1日)は、日本の社会学者。
寺川 俊昭(てらかわ しゅんしょう、1928年7月28日 -… 寺川 俊昭(てらかわ しゅんしょう、1928年7月28日 - )は、仏教学者、浄土真宗僧侶、大谷大学名誉教授。
山手 治之(やまて はるゆき、1928年4月15日- )は、… 山手 治之(やまて はるゆき、1928年4月15日- )は、日本の国際法学者。立命館大学名誉教授。専門分野は、国際法・国際経済法・EU法(EC法)。広島県広島市出身。 昭和3年(1928年)4月15日、広島県安佐郡深川村(現広島市安佐北区)で生まれる。昭和17年(1942年)4月に旧制崇徳中学校へ入学。途中、海軍兵学校へ入学するが(1945年4月-8月、海軍兵学校第78期)、終戦後復帰し、昭和21年(1946年)3月に卒業する。昭和21年(1946年)9月に旧制山口高等学校理科甲類に進学し、昭和24年(1949年)卒業する。昭和24年(1949年)4月に旧制京都大学法学部に進学、昭和27年(1952年)には旧制京都大学大学院法学研究科に進学し、昭和29年(1954年)修了。
岡田 善雄(おかだ よしお、1928年3月10日 - 200… 岡田 善雄(おかだ よしお、1928年3月10日 - 2008年1月16日)は、日本の医学者(細胞工学)、医師。位階は従三位。勲等は勲一等。大阪大学名誉教授、文化功労者、文化勲章受章者。 大阪大学微生物病研究所教授、大阪大学細胞工学センターセンター長、財団法人千里ライフサイエンス振興財団理事長などを歴任した。 広島県呉市出身の細胞生物学者である。バイオテクノロジーの基本技術である「細胞融合現象」を発見した細胞工学のパイオニアとして知られている。大阪大学名誉教授。 大阪大学微生物病研究所助手となった後の1955年、ウイルスをがん細胞に注射したところ、見たこともない巨大細胞ができた。「生物の細胞は互いに細胞膜で隔てられ、受精などを除いて合体はありえない」という生物学の常識を覆す大発見の瞬間だった。
川井 健(かわい たけし、1927年8月23日 - 2013… 川井 健(かわい たけし、1927年8月23日 - 2013年5月15日)は、日本の法学者。学位は法学博士。専門は民法。第11代一橋大学学長、一橋大学名誉教授。広島市生まれ。位階は従三位。父の川井清一郎は川井訓導事件で知られる教育者。 我妻栄の最後の弟子であるとされている[要出典]。北海道大学法学部教授を経て、1971年4月、長らく民法の専任教員が好美清光1名しかいなかった一橋大学法学部の教授に島津一郎とともに就任する。1986年には今井賢一商学部長が学長選の学生投票で除斥され、種瀬茂学長が心労で急逝するなど混乱が生じる中、学園紛争期の都留重人第6代学長以来となる史上2人目の一橋出身者以外の学長として、第11代一橋大学学長に選出された。
井口 洋夫(いのくち ひろお、1927年2月3日 - 201… 井口 洋夫(いのくち ひろお、1927年2月3日 - 2014年3月20日)は、日本の化学者(物理化学)。勲等は文化勲章。学位は理学博士(東京大学)。東京大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。位階は従三位。 東京大学理学部助教授、東京大学物性研究所教授、分子科学研究所教授・所長、岡崎国立共同研究機構機構長、国際高等研究所副所長、豊田理化学研究所所長のほか、学士会理事長などを歴任した。 1927年2月3日、広島県広島市段原(現在の南区段原)生まれ。炭素原子の持つπ電子の重なりにより、有機物質内の分子間で電子が移動し導電性を示すことを実証した。東京大学、分子科学研究所、国際高等研究所、豊田理化学研究所などで研究に従事した。
廣中 俊雄(ひろなか としお、1926年10月23日 - 2… 廣中 俊雄(ひろなか としお、1926年10月23日 - 2014年2月24日)は、日本の法学者。広島県広島市出身。東北大学名誉教授。専門は民法、法社会学。ほか財産法、契約法。日本の公安警察も研究した。
力石 定一(ちからいし さだかず、1926年10月6日 - … 力石 定一(ちからいし さだかず、1926年10月6日 - 2016年1月22日)は、日本の経済学者、社会工学者。法政大学名誉教授。 広島県尾道市生まれ。旧制三高から旧制東京大学経済学部に進み、学生運動に身を投じる。東大共産党細胞において渡邉恒雄らとの路線闘争を繰り広げ勝利。1948年には武井昭夫、沖浦和光らと全学連(全日本学生自治会総連合)を結成。全学連の理論面での指導者とされた。翌年6月3日に東大で学生大量処分に抗議する公聴会が開かれたとき、処分理由を説明する矢内原忠雄経済学部長に「キミはファシストだ」と難詰した(キミ、ボク論争)。 東大卒業後、国民経済研究所研究員を経て、法政大学工学部経営工学科教授(社会工学)。
青山 吉信(あおやま よしのぶ、1926年8月20日 - 2… 青山 吉信(あおやま よしのぶ、1926年8月20日 - 2006年6月29日)は、日本の歴史学者、日本女子大学名誉教授。英国中世史が専門。 1926年、広島県で生まれた。東京大学文学部西洋史学科で学び、1952年に卒業。 卒業後は、東洋大学助教授に就いた。1961年、日本女子大学助教授に転じた。後に教授昇格。1997年に日本女子大学を定年退任し、名誉教授となった。2000年に勲三等瑞宝章を受章。
柘植 一雄(つげ かずお、1926年8月1日 - 1996年… 柘植 一雄(つげ かずお、1926年8月1日 - 1996年11月30日 )は、日本の西洋史学者。専門は、古代ギリシャ史・ヘレニズム史。関西学院大学教授、文学部長、学長を歴任した。 1926年、広島県広島市生まれ。1948年、関西学院大学文学部神学科に入学するも、1951年に文学部史学科に転科する。粟野頼之祐に師事し、古代ギリシャ史・ヘレニズム史を専攻。同大学院博士課程を経て、1956年に文学部嘱託助手となり、1972年、教授に就任する。文学部長を歴任後、1989年から、学長を2期5年務めた。1995年3月に同大学退職。
井上 忠(いのうえ ただし、1926年3月25日 - 201… 井上 忠(いのうえ ただし、1926年3月25日 - 2014年9月20日)は、日本の哲学者。博士(学術)(論文博士・1996年)。東京大学名誉教授。古代ギリシア哲学が専門だが、言語哲学や自然科学との関係の上に哲学研究を行った。2006年瑞宝中綬章受勲。 広島県呉市生まれ。広島県立呉第一中学校を経て、1943年、第一高等学校に入学。田中小実昌は呉第一中学の同級。1945年春、戦中の特例で2年で一高を卒業し、東京大学法学部政治学科に入学。1948年、法学部を卒業後、文学部哲学科に入学。出隆の指導のもと今道友信や加藤信朗の後輩として古代哲学を専攻、同大学院特別研究生満期退学。1957年、東京大学教養学部専任講師となる。
長谷川 孝士(はせがわ たかし、1926年(大正15年)2月… 長谷川 孝士(はせがわ たかし、1926年(大正15年)2月6日 - 2011年(平成23年)11月3日)は、国語教育学者、国文学者、愛媛大学名誉教授。 広島県生まれ。広島文理大学文学部卒業、広島大学附属高等学校教諭、1966年愛媛大学教育学部教授、1991年定年退官、名誉教授、兵庫教育大学教授、松山東雲女子大学教授、1996年 - 2002年松山市立子規記念博物館館長。 2011年11月3日、肺癌のため死去。
岩田 勝(いわた まさる、1926年 - 1994年)は、日… 岩田 勝(いわた まさる、1926年 - 1994年)は、日本の民俗学者。特に神楽の分野で功績を残している。 広島県福山市出身。旧制下関中学校卒。郵政公務員。 「広島民俗」「山陰民俗」「岡山民俗」に神楽に関する論文を投稿。 1983年「神楽源流考」を上梓。 早稲田大学非常勤講師。勲四等瑞宝章。 岩田は神楽を託宣型と悪霊強制型に分類した。悪霊強制型は祟る神を守護神として転化して祀る型と依代に憑依せしめ攘却する型とに分類される。この悪霊鎮送説はそれまで神楽の根源と考えられてきた「籠ることで善神を身体に付着させて生命の更新を図る」という神座鎮魂論に対立する説となった。
庄野 直美(しょうの なおみ、男性、1925年11月19日 … 庄野 直美(しょうの なおみ、男性、1925年11月19日 - 2012年2月18日)は、日本の物理学者、反核運動家。 広島県山県郡安芸太田町出身。九州帝国大学理学部在学中、原爆投下から3日後の広島市に入り被爆した。1961年広島大学理学博士。理論物理学研究所、広島大学助教授、広島女学院大学教授を務め、1991年名誉教授となる。専攻は理論物理学。反核運動に挺身し、ヒロシマ・ナガサキ平和基金理事長。
田中 隆荘(たなか りゅうそう、1925年8月20日 - 2… 田中 隆荘(たなか りゅうそう、1925年8月20日 - 2008年7月14日)は、日本の生物学者。 広島県広島市出身。広島高等師範学校・広島文理科大学卒業後、広島大学理学部教授。理学部生物学科の植物形態学講座の研究を引っ張った。植物の染色体研究のほか、広島大学附属植物遺伝子保管研究施設では、植物の組織培養(クローン)の研究を行った。その後、1989年から1993年まで広島大学学長、広島市立大学初代学長となった。2000年、勲二等旭日重光章受章。 2008年7月14日午前1時43分、呼吸不全のため広島県東広島市の病院で死去。82歳没。
藤沢 令夫(ふじさわ のりお、1925年6月14日 - 20… 藤沢 令夫(ふじさわ のりお、1925年6月14日 - 2004年2月28日)は、日本の哲学者・西洋古典学者。専攻はギリシア哲学。京都大学名誉教授。京都国立博物館館長を歴任。1993年紫綬褒章。1998年叙勲二等授瑞宝章。2004年没時叙正四位。 1925年、母の実家のある長野県松本市で生まれた。国鉄官僚の父の転任にともなって各地を転々とした。旧制広島第一中学校(現:広島県立広島国泰寺高等学校)に入学し、上級生だった頃に西洋絵画集を購入。ラファエロの大作『アテナイの学堂』のプラトンとアリストテレスの部分を切り取り、部屋に飾った。北村透谷の「ホメロス在りし時、プラトン在りし時、彼の北斗は今と同じき光芒を放てり」という美文とあいまって、第三高等学校 (旧制)の受験勉強の気休めにしていたのが、哲学への憧憬の始まりだったと回想している。
平田 嘉三(ひらた かぞう、1925年5月28日 - 200… 平田 嘉三(ひらた かぞう、1925年5月28日 - 2008年12月23日)は、日本の西洋史学者・教育学者。広島大学名誉教授。歴史教育学を提唱した。 広島県尾道市生まれ。1949年広島文理科大学西洋史学科卒。1953年京都大学大学院博士課程満期退学、広島大学助手、広島女学院大学講師、文部省初等中等教育局教科書調査官。1971年広島大学教育学部助教授、教授。広島大学附属小学校校長。1986-89年全国社会科教育学会会長。89年広島大を定年退官、名誉教授、広島工業大学教授、広島女学院理事、広島女子商短期大学長、同理事長。93年広島県教育委員会委員長。 2004年4月瑞宝中綬章受章。
増本 剛(ますもと かたし、1925年1月2日 - 2012… 増本 剛(ますもと かたし、1925年1月2日 - 2012年11月17日)は、金属工学者(多元化合物半導体を主とした機能性材料全般)。広島県安芸郡矢賀村(現広島市東区矢賀町)出身。財団法人 電気磁気材料研究所の第6代理事長および会長の職を勤め上げた。
松原 義治(まつばら よしはる、1925年 - 2010年3… 松原 義治(まつばら よしはる、1925年 - 2010年3月23日)は、日本の化学者。近畿大学名誉教授。広島市生まれ。 1948年大阪理工科大学卒業、日本テルペン株式会社取締役研究部長を経て、1969年近畿大学理工学部応用化学科教授就任。理工学部長、近畿大学評議員、大学院部長、中央図書館長などを歴任。1996年近畿大学名誉教授。理学博士。専門は有機合成化学。2010年、肺気腫のため84歳で死去。 実兄は紀伊國屋書店名誉会長の松原治。
村井 範子(むらいのりこ、旧姓長田、1924年4月22日 -… 村井 範子(むらいのりこ、旧姓長田、1924年4月22日 - 2020年12月17日 )は、日本の音楽学者。フェリス女学院大学名誉教授。 元広島文理科大学学長で教育学者、長田新の長女。夫は教育学者、慶應義塾大学名誉教授の村井実。次男は情報工学者、慶應義塾大学名誉教授の村井純。 広島県広島市生まれ。広島高等師範学校附属小学校、広島県立第一高等女学校(現:広島県立広島皆実高等学校)を経て、津田塾専門学校英文科(現:津田塾大学)1945年9月卒業、1950年 東京藝術大学音楽学部楽理科入学、1954年同大学楽理科第2回卒その後専攻科修了。1956年東京藝術大学音楽学部副手就任、1956年東京藝術大学音楽学部講師(音楽史担当)、1958年~1960年米ハーヴァード大学音楽学部大学院にて音楽史研究(ロックフェラー財団奨学金による)、東海大学短期大学部教授、フェリス女学院大学音楽学部教授(音楽学部4年制創設)(音楽学特殊講義、教会音楽研究、器楽特殊講義、日本音楽文化) 1993年 同大学名誉教授。
紀野 一義(きの かずよし、1922年8月9日 - 2013… 紀野 一義(きの かずよし、1922年8月9日 - 2013年 12月28日)は、日本の仏教学者、宗教家。真如会主幹。
八木 國之(やぎ くにゆき、1922年5月13日 - 200… 八木 國之(やぎ くにゆき、1922年5月13日 - 2008年4月6日)は、日本の法学者・弁護士。法学博士(中央大学)。中央大学名誉教授。 広島県尾道市生まれ。市川秀雄門下。なお、「八木国之」とも表記される 1942年に中央大学専門部法学科を卒業し、同年中央大学法学部入学。1943年臨時召集。大日本帝国陸軍主計少尉を経て1945年に復員・復学。1946年中央大学法学部卒業。1953年同大学院法学研究科修了。中央大学法学部助教授。1962年同法学部教授。1965年同大学院法学研究科教授。中央大学協議員。1966年中央大学評議員。1977年中央大学通信教育部長。1985年同大学院法学研究科委員長。
藤原 弘達(ふじわら ひろたつ、1921年〈大正10年〉7月… 藤原 弘達(ふじわら ひろたつ、1921年〈大正10年〉7月31日 - 1999年〈平成11年〉3月3日)は、日本の政治学者、評論家。広島県尾道市生まれ。「ふじわら こうたつ」と呼ばれることが多い。 雑貨店の忠雄と美容師キクノの長男。5歳の時に父を腸チフスで亡くし、母は国鉄駅員と再婚。尾道市立筒湯小学校(現・尾道市立久保小学校)、福山誠之館中学を経て、第六高等学校に入学。同級生に星野直樹次男の星野良二。 1942年(昭和17年)東京大学法学部に入学。同級生に志垣民郎。高等学校の教師の伝手で法制局参事官の長村貞一の邸宅に下宿していた。1943年(昭和18年)12月末に学徒出陣に召集され、歩兵第11連隊補充隊(広島西部第2部隊)にて3か月間の普通教育を受けたのち、久留米第一予備士官学校に入学。
木原 健太郎(きはら けんたろう、1921年 - )は、日本… 木原 健太郎(きはら けんたろう、1921年 - )は、日本の教育社会学者、創価大学名誉教授。 広島市生まれ。1943年東京帝国大学文学部社会学科卒業。日本製鐵東京技術研究所所員。総理大臣官房審議室(世論調査班)嘱託。1950年東京学芸大学助教授。57年名古屋大学教授。76年国立教育研究所第四研究部長。創価大学教育学部教授、国立教育研究所名誉所員。99年瑞宝章叙勲。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山田 政治(やまだ まさはる、1920年〈大正9年〉2月18… 山田 政治(やまだ まさはる、1920年〈大正9年〉2月18日 - 2007年〈平成19年〉12月12日)は日本の政治学者。島根大学名誉教授。元九州国際大学学長。 広島県福山市出身。 島根大学では新設法文学部の初代学部長を務め基礎固めに尽力した。
占部 都美(うらべ くによし、1920年2月1日 - 198… 占部 都美(うらべ くによし、1920年2月1日 - 1986年7月31日)は、日本の経営学者。経営学博士(神戸大学・論文博士・1961年)(学位論文「現代企業に対する制度論的研究」)。神戸大学名誉教授。 広島県福山市出身。1937年福山盈進商業学校(現盈進高等学校)、1940年横浜専門学校(現・神奈川大学)卒、1943年東京商科大学(現一橋大学)卒業。大学では増地庸治郎ゼミナールに所属。卒業後三菱石油に入社。1945年同退職、1946年財団法人運輸調査局財務調査部勤務。1950-51年ピッツバーグ大学大学院への留学を経て、1952年神戸大学経営学部助教授、1963年教授、1983年定年退官、名誉教授、日本文理大学教授・商経学部長、松山商科大学(現松山大学)教授。
頼實 正弘(頼実 正弘、よりざね まさひろ、1919年6月2… 頼實 正弘(頼実 正弘、よりざね まさひろ、1919年6月21日 - 2024年4月7日)は、日本の化学工学者である。広島大学名誉教授。 広島大学学長、広島県立大学学長、比治山大学学長、日本伝熱学会副会長などを歴任した。勲二等旭日重光章受章。 広島県生まれ。1937年広島県立広島第一中学校(のちの広島県立広島国泰寺高等学校)卒業。1941年広島高等工業学校(のちの広島大学工学部)機械工学科卒業。 1943年東京工業大学(のちの東京科学大学)化学工学科卒業。東京工業大学の研究助手などを経て、1951年文部教官任官、広島大学講師。1955年広島大学助教授。 1961年には東京工業大学から工学博士の学位を取得。
村上 正名(むらかみ まさな、1918年6月26日 - 20… 村上 正名(むらかみ まさな、1918年6月26日 - 2002年2月9日)は、日本の教育学者、郷土史家。元広島大学附属福山中学校・高等学校教諭。勲四等旭日小綬章受章。後に従四位に叙せられた。 「東洋のポンペイ」と呼ばれる草戸千軒遺跡の発掘に尽力した。個人的な調査と資料をもとに草戸千軒集落の発掘と保存を粘り強く行政に訴えつづけ、1961年に福山市が行った発掘調査に続き、1973年に広島県により調査所が、1976年調査研究所を発足させるに至った。これ以降、1990年までに行われた全面的な調査と研究が継続され、草戸千軒遺跡の全貌が明らかになり、広島県立歴史博物館の創設をもたらすことにもなった。 また、姫谷焼について、日本陶磁協会誌『陶説』を場として、当時まだ地方窯(じかたよう)としか見られていなかった色絵姫谷焼の貴重性を広く世に広めた。
島田 虔次(しまだ けんじ、1917年(大正6年)8月12日… 島田 虔次(しまだ けんじ、1917年(大正6年)8月12日 - 2000年(平成12年)3月21日)は、日本の東洋史学者。京都大学名誉教授。1940年代から中国近世・近代思想史の研究を続け、その後の日本の研究を牽引した。 1917年、広島県三次市で生まれた。広島高等師範学校附属中学校(現:広島大学附属中学校・高等学校)、広島県立三次中学校(現:広島県立三次高等学校)、中華民国青島日本中学校を経て、1938年に第三高等学校文科丙類を卒業した。京都帝国大学文学部史学科で学び、1941年に卒業。 卒業後は長野県立野沢高等女学校(現:長野県野沢南高等学校)に勤務。1943年、東方文化研究所(現:京都大学人文科学研究所)助手に採用された。
岡村俊民(おかむら としたみ、1916年(大正5年)11月1… 岡村俊民(おかむら としたみ、1916年(大正5年)11月15日 - )は、日本の農学者。学位は、農学博士(北海道大学・論文博士・1960年)。北海道大学名誉教授。元北海道拓殖短期大学学長。広島県出身。 1934年(昭和9年)広島県立広島第一中学校卒業。1941年(昭和16年)北海道帝国大学農学部農学科卒業。 間もなく兵役のため入隊。1946年(昭和21年)復員。 1947年(昭和22年)北海道帝国大学農学部助手。1949年北海道大学農学部付属農林専門部教授。酪農学園短期大学酪農科助教授を経て、1963年(昭和38年)帯広畜産大学畜産学部教授。1965年(昭和40年)北海道大学農学部教授。1973年(昭和48年)同附属農場長。
外林 大作(そとばやし だいさく、1916年10月11日 -… 外林 大作(そとばやし だいさく、1916年10月11日 - 2012年4月2日)は、日本の臨床心理学者、横浜市立大学名誉教授。 広島県福山市生まれ。旧制広島県立福山誠之館中学校、旧制水戸高等学校を経て、1941年に東京帝国大学文学部心理学科を卒業。1949年東京学芸大学助教授、1950年横浜市立大学助教授、1951年ロール・プレイング療法を日本に導入。1956年教授。1982年定年退官、名誉教授。1989年勲三等旭日中綬章受勲。
藤田 五郎(ふじた ごろう、1915年9月28日 - 195… 藤田 五郎(ふじた ごろう、1915年9月28日 - 1952年12月7日)は、日本の経済史学者。 広島県広島市生まれ。日本史学者・藤田精一の五男。1939年3月、東京帝国大学経済学部商業学科卒業。1940年福島高等商業学校助教授、翌年教授。戦後は福島大学商学部助教授になり、1951年には広島大学助教授に転じる。マニュファクチュア論を引き継ぎ、日本における封建制から資本主義への意向を論じた。1952年に「日本封建社会の経済的構造」により、東北大学から経済学博士の学位を授与されるが、同年に37歳で死去した。没後1953年『封建社会の展開過程』で毎日出版文化賞を受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
佐和 隆研(さわ りゅうけん/さわ たかあき、1911年3月… 佐和 隆研(さわ りゅうけん/さわ たかあき、1911年3月9日 - 1983年1月5日)は、日本の美術史家・仏教学者・真言宗の僧侶。京都市立芸術大学名誉教授。嵯峨美術短期大学元学長。密教美術や仏像研究の第一人者。密教図像学会会長も務めた。 広島県生まれ。インドネシア、インド、アフガニスタンなど仏教美術の伝流経路、源流地を訪ね歩いた。 経済学者の佐和隆光(京都大学名誉教授、滋賀大学学長)は息子。
田淵 実夫(たぶち じつお、1909年1月25日 - 199… 田淵 実夫(たぶち じつお、1909年1月25日 - 1991年3月8日)は、日本の俳人、政治家、民俗学者。 俳号・十風子。広島県三次市生まれ。関西大学卒、京都大学大学院言語学専攻博士課程満期退学。中学、高校、大学教師ののち、1947年、第23回衆議院議員総選挙に旧広島3区から日本社会党公認で出馬し初当選。1949年、落選。広島市立図書館長。広島市文化センター管理者。比治山女子短期大学教授、広島女学院大学教授。広島方言、石垣などを研究した。
清宮 博(せいみや ひろし、1908年8月6日 - 1976… 清宮 博(せいみや ひろし、1908年8月6日 - 1976年4月27日)は電気工学者、実業家。元富士通社長、会長。日本のコンピューターパイオニアの一人。旧姓根岸。 広島県広島市大手町(現在の同市中区)出身。広島高等師範学校附属中学校(現・広島大学附属高校)から第一高等学校をへて東京帝国大学電気工学科卒(1932年)。逓信省電気試験所第4部に入り、光通信、電子管(マグネトロン、速度変調管)などの研究を担当。1936年、関杜夫とともにグラスファイバーを光通信に使うアイデアを発明した。 終戦後の1947年12月23日、アメリカベル電話研究所でトランジスタが発明され、翌1948年6月30日公表された。
土井 忠雄(どい ただお、1908年 - 1994年)は、日… 土井 忠雄(どい ただお、1908年 - 1994年)は、日本の仏教学者、真宗学者。京都女子大学名誉教授。浄土真宗本願寺派勧学。広島県生まれ。 長年の蔵書を中央仏教学院に寄贈し、土井文庫となる。現在入手不可能な本も多数あり。
金井 清(かない きよし、1907年(明治40年)7月25日… 金井 清(かない きよし、1907年(明治40年)7月25日 - 2008年(平成20年)4月13日)は、日本の地震工学者。分散性表面波、常時微動の測定法開発、構造物や地盤の振動理論などの研究で知られる。東京大学教授・日本大学副総長を歴任。 1907年(明治40年)、広島市で生まれる。広島県立広島第一中学校を経て、1928年(昭和3年)に広島高等工業学校電気工学科を卒業した。卒業後は同校久保研究室で実験助手を勤めていたが、1931年(昭和6年)に上京し、東京帝国大学地震研究所の妹沢克惟を訪れ、1934年(昭和9年)に正式に助手となった。妹沢との共同研究は10年余に及んだが、この期間に地震研究所彙報により発表された論文は年に10-20編に達する。
阿部 行蔵(あべ こうぞう、1907年2月25日 - 198… 阿部 行蔵(あべ こうぞう、1907年2月25日 - 1981年4月28日)は、日本の歴史学者(近代思想史、歴史理論)、旧・東京都立大学(現首都大学東京を経て東京都立大学)教授、牧師。平和運動家。政治家、第10代東京都立川市長。 広島県広島市出身。最初、川端画学校の藤島武二に師事したが1928年、賀川豊彦の集会に出席して神学を学ぶことを決意する。神田の中央バプテスト教会(三崎町教会)で中島力三郎からバプテスマ(洗礼)を受ける。 関東学院に入学、神学部に学ぶ。キリスト者学生運動に参加の後、日本戦闘的無神論者同盟に加盟。1933年治安維持法違反容疑で検挙され執行猶予。1937年同志社大学文学部神学科を卒業すると姫路バプテスト教会に赴任する。
平田 森三(ひらた もりぞう、1906年2月10日 - 19… 平田 森三(ひらた もりぞう、1906年2月10日 - 1966年5月8日)は日本の物理学者。「寺田物理学」の伝統をうけつぎ、日常生活で見かける「割れ目」の研究などで知られている。
芝本 武夫(しばもと たけお、1905年4月25日 - 19… 芝本 武夫(しばもと たけお、1905年4月25日 - 1992年9月30日)は、日本の林学者。
大隅 芳雄(おおすみ よしお、1905年(明治38年)1月2… 大隅 芳雄(おおすみ よしお、1905年(明治38年)1月24日 - 1987年(昭和62年)6月7日)は、日本の鉱山学者。九州大学名誉教授。岳父は日本史学者で九州大学名誉教授の長沼賢海。長男は日本史学者で東京女子大学名誉教授の大隅和雄、二男は生物学者でノーベル賞受賞者の大隅良典。孫は歴史学者の大隅清陽。 1905年、広島県広島市生まれ。旧制広島高師附属中学、旧制山口高等学校を経て、1929年に東京帝国大学工学部鉱山学科を卒業。 大学卒業後は九州帝国大学講師に採用。助教授を経て、1943年に教授昇進。1961年より工学部長を務めた。 趣味は刀剣。宗教は真宗。 九州帝国大学に勤務し、福岡県福岡市大字香椎に居住していた。