上杉 光弘(うえすぎ みつひろ、1942年〈昭和17年〉4月… 上杉 光弘(うえすぎ みつひろ、1942年〈昭和17年〉4月12日 ‐ )は、日本の政治家。 衆議院議員(1期)、参議院議員(3期)、宮崎県議会議員(2期)、自治大臣(第50代)、国家公安委員会委員長(第60代)を歴任した。 宮崎県西都市生まれ。1961年宮崎県立高鍋農業高等学校卒業。1966年東京農業大学社会通信教育部農業科修了。1971年、宮崎県議会議員に当選(2期)。1983年、衆院選に宮崎1区から立候補するが、落選。1986年、参議院議員に初当選し以後3期連続当選。 1990年に第2次海部内閣で大蔵政務次官、1997年に第2次橋本内閣改造内閣で自治大臣兼国家公安委員会委員長、1998年に小渕内閣で内閣官房副長官など要職を歴任。
米良 成志(めら しげゆき、1941年9月21日 - )は、… 米良 成志(めら しげゆき、1941年9月21日 - )は、日本の政治家。宮崎県東臼杵郡門川町長(1期)。 宮崎県立富島高等学校卒業。農業を経て門川町議会議員に当選。門川町議会議長も務めた。 2002年4月より門川町長を務める。町長在任中に門川町職員の公金横領が発覚した。これをすぐに公表せず、さらに職員を処分せず依願退職にした町長の責任問題に発展した。この問題が焦点となった2006年4月の町長選で新人の曽川泉に敗れた。
安藤 忠恕(あんどう ただひろ、1941年(昭和16年)3月… 安藤 忠恕(あんどう ただひろ、1941年(昭和16年)3月9日 - 2010年(平成22年)4月30日)は、日本の政治家。公選第16代宮崎県知事。 宮崎県西都市出身。宮崎県立妻高等学校、宮崎大学学芸学部(現在の同学教育文化学部)卒業。 1964年に宮崎県に入庁。総務部人事課長、商工労働部長などを歴任。1998年には県庁を退職し翌年の宮崎県知事選に出馬するも落選。2003年には自営業者や主婦層を支持基盤とした「草の根選挙」を展開し、松形祐堯前知事の後継と目されていた民主党、社民党推薦の牧野俊雄を破り初当選を果たした。2005年10月には公約通り、副知事に元体操選手の坂佳代子が起用された。 だが、2006年11月に発覚した宮崎県官製談合事件の責任を問われ、12月1日に県議会が安藤知事の不信任決議案を賛成40票反対なし欠席2人で可決した後、事件への関与を認めることになるとして一旦は議会を解散させず自らも辞職しないという方針を表明したが、その後辞職の意思を表明し12月4日で知事職を辞職した。
長峯 基(ながみね もとい、1941年2月11日 - )は、… 長峯 基(ながみね もとい、1941年2月11日 - )は、日本の政治家。元参議院議員(1期)。宮崎県都城市出身。元参議院議員・元都城市長の長峯誠は長男。 1965年に福岡大学薬学部を卒業、山之内製薬に入社する。 1979年に宮崎県議会議員に初当選。以後4期を務める。1990年には宮崎県議会副議長に就任。 1995年7月、第17回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で宮崎県選挙区より出馬し初当選。総理府総括政務次官などを歴任。 2001年7月の第19回参議院議員通常選挙では、自民党宮崎県連幹部による投票の結果自民党の公認を得られず無所属で出馬。自民党公認の小斉平敏文に敗れる。 2004年7月の第20回参議院議員通常選挙では自民党公認候補である上杉光弘を支援せずに、長峯の元公設秘書である松下新平を応援したため、公示日後に自民党宮崎県連から除名処分を受ける。
永友 一美(ながとも いちみ、1937年11月10日 - 2… 永友 一美(ながとも いちみ、1937年11月10日 - 2008年7月15日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元宮崎県議会議員(4期)。 宮崎県児湯郡川南町出身。宮崎県立高鍋農業高等学校卒業。農業を経て1991年4月に宮崎県議会議員に初当選し、以後4期連続当選を果たす。2003年4月には県議会副議長に就任。 2006年4月には宮崎県議会自由民主党会長に就任。2007年1月に東国原英夫宮崎県知事に就任して以降は、「改革派知事」と「保守王国のドン」との対決として注目された。2月の県議会では知事に最初に代表質問をした政治家となった。知事からは「いちみ(一味)という名前だけあってスパイスの聞いた質問」と挑発された。
日野 光幸(ひの みつゆき、1935年〈昭和10年〉10月2… 日野 光幸(ひの みつゆき、1935年〈昭和10年〉10月28日 - 2023年〈令和5年〉10月31日)は、日本の政治家。元宮崎県西都市長(1期)。 宮崎県出身。宮崎高等経理学校(現・鵬翔中学校・高等学校)卒。西都市議会議員を経て、1983年、日本社会党から宮崎県議会議員に当選する。宮崎県議を4期務める。2001年、西都市長選挙に立候補して当選する。市長を1期務め、2005年の市長選挙に立候補し、再選を目指したが、元宮崎県議の橋田和実に敗れた。 2023年10月31日、老衰のため西都市の特別養護老人ホームで死去、88歳。
山本 孫春(やまもと まごはる、1932年〈昭和7年〉2月2… 山本 孫春(やまもと まごはる、1932年〈昭和7年〉2月27日 - 2026年〈令和8年〉2月3日)は、日本の政治家。宮崎県日向市長(1期)等を歴任した。 現在の宮崎県日向市に生まれる。東京農業大学農学部卒業。 日向市議会議員、宮崎県議会議員を務めた。 2000年(平成12年)の日向市長選挙に無所属、社民党支持で立候補し、赤木欣康を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:45,531人 最終投票率:69.93%(前回比:-pts) 同年3月31日に日向市長に就任した。 2002年(平成14年)7月1日にオープンした日向市の第三セクターの温泉施設「日向サンパーク温泉」からレジオネラ菌が検出され、死者7人を含む多くの感染者を出した問題が発生した。
北川 昌典(きたがわ まさのり、1931年(昭和6年)11月… 北川 昌典(きたがわ まさのり、1931年(昭和6年)11月20日 - 2019年(令和元年)10月25日)は、日本の政治家。位階は従四位。日本社会党衆議院議員(1期)、日南市長(2期)。 高知県・宮崎県出身。1950年、宮崎県立日南高等学校卒業。日南市職組書記長、日南市議(3期)、宮崎県議(3期)を経て、1990年の総選挙で旧宮崎2区から立候補して初当選。1993年の総選挙に落選。1996年、日南市長に当選。2期務めた。2005年、旭日中綬章受章。 2019年10月25日午前4時5分、胆管がんのため日南市の病院で死去。87歳没。死没日をもって従四位に叙される。
桑畑 和男(くわはた かずお、1931年3月25日 - )… 桑畑 和男(くわはた かずお、1931年3月25日 - )は、日本の政治家。元宮崎県北諸県郡三股町長(3期)。 宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校卒業。1957年(昭和32年)三股町役場に奉職。議会事務局長・企画開発課長・総務課長・財政課長・収入役など歴任。1998年(平成10年)より2010年(平成22年)まで三股町長を3期務めたほか、2010年4月から2012年3月まで都城圏域地場産業振興センター副理事長も務めた。 3期目となった2006年(平成18年)の町長選挙では、公約として町長専用公用車を売却するとして当選後に実現した一方で、対立候補を応援した建設業者を町発注工事の指名競争入札から外したことを認めたり、選挙前に元後援会幹部へ現金を渡したことが2009年(平成21年)に明らかになると議会に自身の給与を減額する条例改正案を提案するなど、耳目を集める人物であった。
長友 貞藏(ながとも ていぞう、1930年(昭和5年)5月2… 長友 貞藏(ながとも ていぞう、1930年(昭和5年)5月28日 - 1994年(平成6年)5月3日)は、日本の政治家、官僚。宮崎市長。 宮崎県宮崎郡住吉村(現・宮崎市)出身。宮崎県立宮崎中学校、宮崎大学農学部農学科卒業。1953年農林省にキャリア技官として入省。農林経済局金融課課長補佐から1971年宮崎市に出向。経済部長、総務部長を経て、1976年から1978年まで助役を務めた。 1979年から宮崎県議会議員(自由民主党)を務めるも任期途中で辞職し、1982年宮崎市長選挙に出馬し当選。1994年3期目の途中で健康上の理由で引退し、長友の任期中一貫して助役であった坂本昭三が実質的な後継者として市長選に臨んだが、津村重光に敗れた。
持永 和見(もちなが かずみ、1927年7月1日 - 201… 持永 和見(もちなが かずみ、1927年7月1日 - 2017年9月3日)は、日本の官僚・政治家。自由民主党宏池会所属の衆議院議員で5期務めた。宮崎県都城市出身。父は元北海道庁長官の持永義夫、弟は元自治事務次官の持永堯民。子は持永哲志。 2003年11月の第43回衆議院議員総選挙には立候補せず、政界から引退。地盤の宮崎3区には、子で元経産官僚の持永哲志を自身の後継者として擁立。自民党公認争いで古川禎久との調整がつかず、双方が無所属で立候補したが、古川に敗れて落選。2005年の第44回衆議院議員総選挙では、哲志が自民党公認として立候補したが、再び落選。その後、2008年6月に哲志は旅行中の沖縄で急死した。
野別 隆俊(のべつ たかとし、1927年3月30日 - 20… 野別 隆俊(のべつ たかとし、1927年3月30日 - 2014年9月16日)は、日本の政治家、日本社会党参議院議員(1期)。 宮崎県日向市出身。1948年京都長岡園芸専門学校卒。宮崎県経済連を経て、宮崎市役所に入り、農政係長、市職員労働組合委員長などを務める。1966年宮崎市議会議員に当選、5期務め、市議会副議長になる。1982年宮崎県議会議員に当選。3期務める。 1989年の第15回参議院議員通常選挙で宮崎選挙区から日本社会党公認で立候補して当選。1995年の第17回参議院議員通常選挙で落選した。 1997年4月の春の叙勲で勲三等に叙され旭日中綬章を受章する。 2014年9月16日12時31分、呼吸困難のため宮崎市の病院で死去。
岩橋 辰也(いわはし たつや、1926年(大正15年)11月… 岩橋 辰也(いわはし たつや、1926年(大正15年)11月30日 - 2024年(令和6年)1月18日)は、日本の政治家。(旧)都城市の元市長。 宮崎県立都城商業学校(現宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校)卒業。1948年、都城市役所に奉職。市長公室長・人事課長・農業委員会事務局長・水道局長・建設部長などを歴任。1977年4月都城市助役に就任。1984年12月、都城市長に初当選。その後2004年12月まで市長職を5期20年務める。都城北諸合併協議会の会長を務め、2006年に市町村合併により発足した(新)都城市の発足に大きく貢献した。 2004年12月、6期目を目指した都城市長選で35歳で元宮崎県議会議員の長峯誠に敗れる。
江藤 隆美(えとう たかみ、男性、1925年〈大正14年〉4… 江藤 隆美(えとう たかみ、男性、1925年〈大正14年〉4月10日 - 2007年〈平成19年〉11月22日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。自由民主党の衆議院議員として建設大臣、運輸大臣、総務庁長官を歴任した。 宮崎県日向市梶木の小作農の家に生まれる。福治の二男。世界恐慌の影響もあって家計は苦しく、小学5年生で出稼ぎに出され、1日55銭の肉体労働をした。 旧制富高実業学校(現在の宮崎県立門川高等学校)を経て、1947年に旧制宮崎農林専門学校(現在の宮崎大学)を卒業。同年には宮崎県富島町農業会技手となり、翌年6月には宮崎県南臼杵畜産農業協同組合参事に就任した。 1955年、宮崎県議会議員選挙に出馬し当選。
堀之内 久男(ほりのうち ひさお、1924年11月10日 -… 堀之内 久男(ほりのうち ひさお、1924年11月10日 - 2010年3月31日)は、日本の政治家。郵政大臣(第62代)、農林水産大臣(第13代)、衆議院議員(8期)、宮崎県都城市長(2期)等を歴任。
大原 一三(おおはら いちぞう、1924年7月1日 - 20… 大原 一三(おおはら いちぞう、1924年7月1日 - 2005年11月3日)は、日本の政治家、大蔵官僚。衆議院議員(7期)、農林水産大臣(第23代)を務めた。位階は従三位、勲等は勲一等。 宮崎県東臼杵郡北方村(後の北方町、現延岡市)出身。に生まれる。北方小学校、宮崎県立延岡商業学校(現宮崎県立延岡商業高等学校)、旧制台北高等学校、旧制第一高等学校を経て、1951年、東京大学法学部政治学科卒業。東大法学部政治学科4年次に国家公務員六級職試験(行政職、法律職)を合格。大蔵省に入省。主税局に配属。 1957年6月、御坊税務署長。1958年6月、沼津税務署長。1961年8月、東京国税局総務部総務課長。
折小野 良一(おりおの りょういち、1919年1月25日 -… 折小野 良一(おりおの りょういち、1919年1月25日 - 1986年10月20日)は、昭和期の地方公務員、政治家。衆議院議員(2期)、延岡市長(2期)。 鹿児島県薩摩郡宮之城町(現さつま町)出身。1935年旧制宮崎県立妻中学校(現:宮崎県立妻高等学校)卒業。1938年第七高等学校造士館(現:鹿児島大学)卒業。1941年京都帝国大学法学部卒。延岡市総務課長を経て、同市長三浦虎雄によって助役に起用。1960年の延岡市長選挙に立候補。現職の青木善祐を1139票差で破り初当選。延岡市長を戦後初めて2期務める。1965年、助役に房野博(後に延岡市長)を起用。1966年、衆議院議員総選挙立候補のため延岡市長退任。
郷田 實(ごうだ みのる、1918年 <大正7年> 9月26… 郷田 實(ごうだ みのる、1918年 <大正7年> 9月26日 - 2000年 <平成12年> 3月21日)は、日本の政治家。元宮崎県東諸県郡綾町長。在任期間は6期24年(1966年~1990年)。位階は従五位。 宮崎県綾町出身。拓殖大学南方専門科卒業。兵役から復員後、綾町農協に就職。1954年に綾町助役、1966年から1990年まで綾町長を務めた。 自然を生かした町おこしの成果で全国的に知られる。長女の郷田美紀子は薬剤師、環境保護団体代表。 1996年、勲四等旭日小綬章を受章。2000年3月21日、心不全のため死去。死没日付をもって従五位に叙された。 死後、ドキュメンタリー映画『未来からの町づくり先駆者 郷田實』が製作された。
松形 祐堯(まつかた すけたか、1918年2月26日 ‐ 2… 松形 祐堯(まつかた すけたか、1918年2月26日 ‐ 2007年8月23日)は、日本の政治家、官僚。 宮崎県知事(公選第10‐15代)、林野庁長官を歴任。 宮崎県えびの市出身。宮崎県立小林中学校(現・宮崎県立小林高等学校)、鹿児島高等農林学校(現・鹿児島大学農学部)、九州帝国大学農学部卒業。1942年農林省に入省。林野庁長官などを歴任後、1976年の参議院議員補欠選挙に宮崎県選挙区から自由民主党公認で立候補したが落選。1979年当時の宮崎県知事黒木博の任期途中での辞職により同県知事選に立候補し当選、2003年まで宮崎県知事を6期務めた。6期目では全国で最高齢の知事であった。2004年旭日大綬章受章。
坂元 親男(さかもと ちかお、1911年2月2日 - 199… 坂元 親男(さかもと ちかお、1911年2月2日 - 1998年4月17日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(3期)。 宮崎県北諸県郡高崎町(現都城市)出身。旧制宮崎県立都城中学校(現:宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校・附属中学校)を経て、1932年、京都高等蚕糸学校(現:京都工芸繊維大学)卒業。宮崎県議会議員を5期務めた後、1969年の衆院選に自由民主党公認で出馬し初当選。1972年の衆院選で落選。1976年の参議院議員補選に宮崎県選挙区から無所属で出馬し当選。その後自民党に復党。参議院当選3回。自民党では番町政策研究所(三木武夫→河本敏夫派)に所属。1988年12月から翌年の6月まで竹下改造内閣の北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官を務めた。
上條 勝久(かみじょう かつひさ、1910年(明治43年)8… 上條 勝久(かみじょう かつひさ、1910年(明治43年)8月29日 - 2011年(平成23年)12月27日)は、日本の内務官僚、建設官僚、政治家。参議院議員(2期)。 宮崎県児湯郡高鍋町出身。旧制高鍋中学校卒。1936年に宮崎県庁に入り、1941年に内務省に転じる。1945年、内務省国土局内務理事官。1957年、国土地理院総務部長になる。建設省大臣官房福利厚生課長を経て、1965年、建設大学校校長。退官後、全国建設研修センター理事長、日本道路公団顧問を経て、1974年の参院選で宮崎県選挙区から自由民主党公認で立候補して当選。2期務めた。この間、1977年から1978年まで科学技術政務次官、1981年から1982年まで参議院地方行政委員長に就任。
高森 文夫(たかもり ふみお、1910年1月20日 - 19… 高森 文夫(たかもり ふみお、1910年1月20日 - 1998年6月2日)は、宮崎県生まれの詩人、政治家。 中原中也と親交が深かったことで知られる。旧制成城高等学校時代に後輩の吉田秀和と同居を始め、吉田のフランス語の家庭教師だった中也と知り合った。当時高森は21歳、中也は24歳だった。高森は同人誌「白痴群」などで発表されていた中也の詩をすでに読んでいたため、二人はすぐに仲良くなり、1932年5月には京都・奈良を二人で旅行。8月には山口県に帰省中だった中也を高森が訪問した後に二人で高森の実家の宮崎へと向かい、そのまま九州旅行をした。中也の死後も積極的に回想などを綴り、研究にも協力した。中也が藁の上で寝転んでいる有名な写真は、中也が宮崎を訪れた際に高森の手で撮影されたものである。
石神 啓吾(いしがみ けいご、1907年(明治40年)8月3… 石神 啓吾(いしがみ けいご、1907年(明治40年)8月31日‐ 2001年(平成13年)8月21日) は、昭和期の政治家。衆議院議員(1期)、宮崎県東諸県郡高岡町長。 宮崎県東諸県郡高岡村(高岡町を経て現宮崎市)で、教育者・石神徳蔵の息子として生まれた。旧制宮崎県立都城中学校を経て、第七高等学校造士館で学んだ。 宮崎県会議員に選出され、同参事会員も務めた。 戦後、1946(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙に宮崎県全県区から日本社会党所属で立候補して落選。1947(昭和22年)4月の第23回総選挙で旧宮崎県第2区から立候補して当選し、衆議院議員に1期在任した。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙に立候補したが落選した。
黒木 博(くろき ひろし、1907年2月10日 - 2001… 黒木 博(くろき ひろし、1907年2月10日 - 2001年12月24日)は、日本の政治家。宮崎県知事。宮崎県宮崎市出身。宮崎県立高鍋農学校(現・宮崎県立高鍋農業高等学校)、宇都宮高等農林学校(現・宇都宮大学)卒。 宇都宮高等農林学校卒業後、宮崎県庁に入庁。農林大臣秘書官、県副知事などを務めた後、県知事選挙に出馬し当選。 以来、約20年間で通算6期連続当選したが、6期目の当選後まもなくトンネル工事に絡んだ3000万円の賄賂を受け取った容疑で1979年に逮捕され、辞職した(黒木事件)。一審では有罪判決が下ったが、二審で逆転無罪判決、後に無罪が確定した。ただし、裁判では賄賂性は否定されたものの建設業界から3000万円を授受したことと3000万円の使途に関する黒木の供述は信用できないことは認定された。
椎井 康雄(靖雄、しい やすお、1906年(明治39年)1月… 椎井 康雄(靖雄、しい やすお、1906年(明治39年)1月15日 - 1989年(平成元年)5月25日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。 宮崎県宮崎郡佐土原町(現宮崎市)出身。1920年(大正9年)宮崎商業学校(現宮崎県立宮崎商業高等学校)を卒業した。 1937年(昭和12年)昭和水産合資会社常任理事に就任。その他、対満薬品工業社長、ツシマ化粧品社長、宮崎県運搬業組合長、社団法人華陽会理事会長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙で宮崎県地方区に日本社会党公認で出馬して当選(補欠、任期3年)し、参議院議員に1期在任した。その後、1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙で全国区に立候補したが落選した。
中馬 馨(ちゅうま かおる、1904年(明治37年)11月2… 中馬 馨(ちゅうま かおる、1904年(明治37年)11月20日 - 1971年(昭和46年)11月8日)は、日本の政治家。大阪市長(1963年 - 1971年)。元衆議院議員の中馬弘毅は長男。 1904年11月20日宮崎県児湯郡三納村(現:西都市)に中馬重顕の長男として出生。1916年宮崎県立宮崎中学校(現:宮崎県立宮崎大宮高等学校)入学。1920年攻玉社中学校(現:攻玉社中学校・高等学校)に編入し、1922年卒業。 1926年第一早稲田大学高等学院卒業。1929年早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業。大阪市役所に奉職。若い頃から關一ら歴代市長の側近にあって市政の枢要に触れる。市民局長、総務局長を経て、1948年に助役となり、大阪市立大学の開設、ジェーン台風被災者の救援活動に尽力した。
甲斐 政治(かい まさはる、1902年(明治35年)2月28… 甲斐 政治(かい まさはる、1902年(明治35年)2月28日‐ 1979年(昭和54年)9月13日) は、昭和期の満洲国官僚、放送関係者、政治家。衆議院議員(3期)。 宮崎県東臼杵郡北方村(北方町を経て現延岡市)で生まれた。城小学校、延岡中学校(現宮崎県立延岡高等学校)、第五高等学校を経て、1929年(昭和4年)3月、九州帝国大学法文学部法律科を卒業した。 同年3月、満洲に渡り鉄嶺自治指導委員長を経て、満洲国国務院民政部事務官、総務庁人事科長、遼陽県参事官兼地籍整理局事務官、瀋陽県支局弁事、遼陽副県長、瀋陽副県長、総務庁参事官、黒河省開拓庁長、拝泉県副県長、総務庁参事官・官房弁事、中華民国山西省顧問などを務めた。
三尾 良次郎(みお りょうじろう、1894年(明治27年)5… 三尾 良次郎(みお りょうじろう、1894年(明治27年)5月28日 - 1978年(昭和53年))は、日本の歴史学者、政治家。 宮崎県日向市生まれ。広島高等師範学校を卒業。京都大学経済学部卒業。中国や台湾に渡り教鞭をとる。終戦後宮崎へ引き揚げる。町長・市長を歴任。日向市名誉市民に選ばれる。 著書に『黒田の家臣物語』『日知屋物語 三尾良次郎作品集』がある。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
森 由己雄(もり ゆきお、1892年(明治25年)9月24日… 森 由己雄(もり ゆきお、1892年(明治25年)9月24日 ‐ 1955年(昭和30年)8月6日) は、大正から昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員、宮崎県西諸県郡小林町長。由巳雄と表記される場合がある。 宮崎県西諸県郡小林村(小林町を経て現小林市)で、森長興の長男として生まれた。旧制宮崎中学校(現:宮崎県立宮崎大宮高等学校)、第七高等学校造士館を経て、1918年(大正7年)東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。 司法官試補に任官し東京地方裁判所で勤務。1921年(大正10年)弁護士を開業した。宮崎市会議員、宮崎県会議員、小林町長に在任。その他、小林町農会長、同農業会長なども務めた。 1936(昭和11年)2月の第19回衆議院議員総選挙で宮崎県全県区から立憲政友会公認で立候補したが落選。
平島 敏夫(ひらしま としお、1891年(明治24年)11月… 平島 敏夫(ひらしま としお、1891年(明治24年)11月4日 - 1982年(昭和57年)2月14日)は、日本の政治家、弁護士、教育者。衆議院議員(1期)、参議院議員(3期、自由民主党)、南満洲鉄道副総裁、2代目大東文化大学学長。 宮崎県児湯郡高鍋村(現高鍋町)出身。平島重綱の長男。幼少時より秀才の誉れが高く、高鍋学校(現宮崎県立高鍋高等学校)、宮崎中学校(現宮崎県立宮崎大宮高等学校)から学校推薦で第一高等学校に進学。1918年(大正7年)東京帝国大学法科大学法律学科(英法)卒。内務属、長崎県理事官、南満洲鉄道秘書役、同参事、台湾総督府秘書官兼事務官などを務め、弁護士を経て司法大臣秘書官となる。
田中 長茂(たなか ながしげ、1891年6月11日 - 19… 田中 長茂(たなか ながしげ、1891年6月11日 - 1969年9月14日)は、日本の農林官僚、政治家。宮崎県知事を1期務めた。 宮崎県南那珂郡福島町(現・串間市)出身。宮崎県立宮崎中学校、第五高等学校、東京帝国大学法学部・農学部卒。1921年(大正10年)農商務省に入省。戦前は革新官僚として、産業組合の創立や農地改革(当時は実現せず)などに携わり、水産局長、山林局長を経て退官。 1951年(昭和26年)4月1日、第2回宮崎県知事選挙に出馬。吉見房見共に法廷得票数に達せず、決選投票。同年5月18日、宮崎県知事選決選投票で当選、宮崎県知事となる。 1953年(昭和28年)に郵政省は宮崎県に新しい民放局の周波数を割り当てたがものの、当初地元では民放設立の動きが全くなく、鹿児島県の南日本放送がこの機会を利用し宮崎市に中継局をつくろうと運動を始めていた。
押川 定秋(おしかわ さだあき、1890年(明治23年)5月… 押川 定秋(おしかわ さだあき、1890年(明治23年)5月17日 – 1951年(昭和26年)5月10日)は、日本の弁護士、衆議院議員(民主党)。 宮崎県児湯郡高鍋町出身。定澄の三男。独習にて普通学を修め、1914年、郷里高鍋を出て上京して苦学力行しつつ1917年(大正6年)、明治大学法科を卒業、同年弁護士を開業した。 東京府会議員、同市部会議長に選出された。また神奈川県農機具工業組合理事長、同農機具工業統制組合理事長、同農機具工業協同組合理事長を務めた。 1947年(昭和22年)の第23回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。その他、細王舎工場合資会社代表社員を務めた。 宗教は神道。趣味は政治。 宮崎県児湯郡高鍋町、東京市小石川区同心町
藤井 真透(ふじい ますき、1889年〈明治22年〉1月11… 藤井 真透(ふじい ますき、1889年〈明治22年〉1月11日 - 1963年〈昭和38年〉9月19日)は、日本の道路技術者、内務官僚、政治家。 宮崎県都城市生まれ。1914年(大正3年)、東京帝国大学工科大学土木工学科卒業。同年、兵庫県技師となった。1917年(大正6年)、明治神宮造営局技師に転任した。折下吉延とともに、明治神宮外苑の銀杏並木道路を手がける。1922年(大正11年)、東京帝国大学講師となり道路工学や都市計画施工法を担当した。1924年(大正13年)には内務省土木試験所の内務技師も兼任するようになる。1931年(昭和6年)に日本大学工学部講師となった。1932年(昭和7年)に工学博士を取得した。
二見 甚郷(ふたみ じんごう、1888年10月16日 - 1… 二見 甚郷(ふたみ じんごう、1888年10月16日 - 1968年11月17日)は、日本の政治家、外交官。宮崎県知事(公選第3代)。宮崎市長(第9代)。衆議院議員(1期)。参議院議員(1期)。 宮崎県東諸県郡高岡町(現宮崎市)出身。宮崎県立宮崎中学校、第七高等学校造士館(現在の鹿児島大学)を経て、1915年東京帝国大学法学部政治学科卒。同年外交官及領事官試験に合格し外務省に入省、1923年退官。1928年に衆議院議員に当選。1933年には在郷軍人の国家主義団体である明倫会を結成し宣伝部長に就任。1941年駐タイ公使を経て、1945年宮崎市長となる。1947年の公選制となっての最初の県知事選では、得票数1位となるも法定得票数に届かず、安中忠雄との決選投票となるが、投票直前に公職追放された。
伊東 岩男(いとう いわお、1888年(明治21年)8月24… 伊東 岩男(いとう いわお、1888年(明治21年)8月24日‐ 1966年(昭和41年)12月23日) は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、北郷町名誉町民。旧姓・関山。 宮崎県南那珂郡、のちの北郷村(北郷町を経て現日南市)で関山宗被の二男として生まれた。1906年(明治39年)宮崎県立農学校(現宮崎県立宮崎農業高等学校)を卒業した。1918年(大正7年)南那珂郡油津町(現日南市)の伊東スマエ(先代善衛門長女)の入夫となり家督を相続した。 南那珂郡農会技手を経て、北郷村会議員、南那珂郡会議員を務め、1923年(大正12年)宮崎県会議員に選出され4期在任した。この間、県会では県当局に迎合せず堂々と論戦を行った。
佐藤 重遠(さとう じゅうえん、1887年12月17日 - … 佐藤 重遠(さとう じゅうえん、1887年12月17日 - 1964年1月5日)は、日本の政治家、教育者、事業家。衆議院議員(4期)。研心学園(現・目白研心中学校・高等学校)設立。政治家として、また教育者として近代日本における私学教育の振興に大きく寄与。 父・米四郎、母・カクの長男として宮崎県東臼杵郡南方村(現・延岡市中三輪町)で生まれ、傳次郎と名付けられる。父は渡し守を生業としており、赤貧の中で苦学をして延岡中学校から一高、東京帝大と進学した。1910年に家督を相続し、重遠と改名。妻は内務大臣などを歴任した床次竹二郎の二女・フユ。
竹下 豊次(たけした とよじ、1887年(明治20年)2月2… 竹下 豊次(たけした とよじ、1887年(明治20年)2月2日 – 1978年(昭和53年)4月25日)は、大正から昭和期の官僚、政治家。貴族院多額納税者議員、参議院議員(緑風会)。 宮崎県南那珂郡西方村(福島村大字西方、福島町を経て現串間市)出身。1904年(明治37年)旧制宮崎県立宮崎中学校(現 宮崎県立宮崎大宮高等学校)卒業。1907年(明治40年)旧制第七高等学校造士館卒業。1911年(明治44年)東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、大学院に学んだ。1912年(大正元年)高等試験行政科に合格し、翌年に福岡県属警部となった。以後、同県警視、製鉄所副参事、同参事、農商務省工場監督官、同書記官・工場課長を歴任した。
井上 知治(いのうえ ともはる、1886年(明治19年)7月… 井上 知治(いのうえ ともはる、1886年(明治19年)7月9日 - 1962年(昭和37年)9月19日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。国務大臣。 鹿児島県頴娃郡郡村(揖宿郡頴娃村、頴娃町を経て現南九州市)に生まれる。旧制宮崎県立都城中学校(現:宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校)、第七高等学校造士館を経て、1917年(大正6年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。鈴木商店社員、読売新聞記者を経て、1930年(昭和5年)第17回衆議院議員総選挙に立憲政友会所属で鹿児島県第1区から立候補し初当選。以後通算当選7回。政友会では床次竹二郎派、中島知久平派に所属した。 戦後は日本進歩党、民主党、同志クラブ、民主自由党、自由党、自由民主党と渡り歩き、1946年(昭和21年)第22回総選挙では進歩党公認で、翌1947年(昭和22年)第23回総選挙では民主党公認で、1949年(昭和24年)第24回総選挙では民自党公認で当選している。
佐々木 芳照(ささき ほうしょう、1877年(明治10年)7… 佐々木 芳照(ささき ほうしょう、1877年(明治10年)7月1日 - 1952年(昭和27年)6月27日)は、日本の僧、政治家。衆議院議員(1期)。 鹿児島県諸県郡、のちの宮崎県北諸県郡都城町(現都城市)で生まれた。京都本願寺文学寮本科で学ぶ。語学研究及び状況視察のため、シンガポール、オランダ領東インド、パリに留学する。帰国後、本願寺派摂護寺で布教活動に従事する。都城天竜幼稚園、日州学院を創立する。摂護寺住職、本願寺派本願寺執行所に出仕し、本願寺台湾別院輪番兼台湾開教教所賛事を経て、本願寺アメリカ合衆国開教総長となる。帰国後、内務省道府県感化院教諭となる。その後、宮崎県慎修学校(現・宮崎県立みやざき学園)校長に就任する。
長峰 与一(ながみね よいち、1874年1月8日 - 193… 長峰 与一(ながみね よいち、1874年1月8日 - 1931年4月17日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 現在の宮崎県宮崎市で生まれた。1894年(明治27年)宮崎県尋常中学校(現 宮崎県立宮崎大宮高等学校)を第1回生として卒業。旧制第五高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治学科を中退し、アメリカのテキサスに留学し農業を学ぶ。その後、中国に渡り、天津に在留し、肥料製造及び販売業に従事し、その傍ら倉庫業を経営し、天津商工銀行取締役となる。また、天津居留民団行政委員会議員、同議長、天津日本人商業会議所評議員を歴任する。 1917年(大正6年)第13回衆議院議員総選挙において宮崎県区から立憲政友会公認で立候補して初当選した。
瀬戸山 清彦(せとやま きよひこ、1867年12月30日(慶… 瀬戸山 清彦(せとやま きよひこ、1867年12月30日(慶応3年12月5日)- 1944年(昭和19年)6月30日)は、日本の医師、政治家、衆議院議員(1期)。 日向国諸県郡、のちの宮崎県西諸県郡加久藤町(現えびの市)で生まれた。1890年(明治23年)第三高等中学校医学部(現:京都大学医学部)卒。陸軍一等軍医(大尉相当官)となり、日清、日露の両戦争に従軍する。その後は医業に従事し、日向銀行頭取を務めた。 1912年(明治45年)第11回衆議院議員総選挙において宮崎県から立憲政友会公認で立候補したが落選した。8月に塚本常弥の死去により繰り上げ当選となった。衆議院議員を1期務め、1915年(大正4年)第12回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。
高橋 源次郎(たかはし げんじろう、1867年11月28日(… 高橋 源次郎(たかはし げんじろう、1867年11月28日(慶応3年11月3日) - 1943年(昭和18年)4月28日)は、明治から昭和時代戦前の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 日向国、のちの宮崎県南那珂郡飫肥町(現日南市)出身。日高源蔵の長男として生まれ、1895年(明治28年)1月に先代曽一の養子となり翌1896年(明治29年)8月に家督を相続する。 1897年(明治30年)宮崎県会議員、同参事会員、南那珂郡会議員、飫肥町会議員のほか、飫肥銀行、宮崎農工銀行各取締役、宮崎県飫肥鉄道評議員、同県地方森林会議員、日州貯蓄銀行、日州銀行各取締役などを歴任した。 1918年(大正7年)宮崎県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から、研究会に所属し1932年(昭和7年)9月28日まで2期在任した。
財部 彪(たからべ たけし、慶応3年4月7日(1867年5月… 財部 彪(たからべ たけし、慶応3年4月7日(1867年5月10日) - 昭和24年(1949年)1月13日)は、日本の軍人、政治家。宮崎県都城市出身。階級は海軍大将。
吉松 忠敬(よしまつ ちゅうけい、1865年11月13日(慶… 吉松 忠敬(よしまつ ちゅうけい、1865年11月13日(慶応元年9月25日) - 1937年(昭和12年)8月27日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 日向国那珂郡、のちの宮崎県南那珂郡福島町(現串間市)で生まれた。日清戦争に参加し、陸軍砲兵一等軍曹となる。帰国後は林業を営み、南那珂郡福島村長、宮崎県議、同議長を務める。 1924年の第15回衆議院議員総選挙において宮崎1区から政友本党公認で立候補して当選した。のち立憲政友会に移り、衆議院議員を1期務めた。1928年の第16回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1937年死去。子孫にはジャーナリストの田中耕がいる。
松浦 与三郎(まつうら よさぶろう、1864年10月9日(元… 松浦 与三郎(まつうら よさぶろう、1864年10月9日(元治元年9月9日)- 1948年(昭和23年)3月13日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 日向国那珂郡、のちの宮崎県南那珂郡飫肥町(現日南市)で生まれた。1880年(明治13年)鹿児島師範学校速習科卒。シャム王国へ森林視察のため渡航する。また、中国各地を歴遊する。その後、満州営口及び大連で煉瓦工場を設立し、経営する。 1917年(大正6年)第13回衆議院議員総選挙において宮崎県から無所属で立候補して当選する。衆議院議員を1期務め、1920年(大正9年)第14回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1948年に死去した。
坂元 英俊(さかもと ひでとし、1863年7月28日(文久3… 坂元 英俊(さかもと ひでとし、1863年7月28日(文久3年6月13日)- 1956年(昭和31年)2月14日)は、日本の政治家、衆議院議員(4期)。 日向国諸県郡都城郷西岳村(宮崎県北諸県郡庄内村、西岳村、荘内町を経て現都城市)で生まれた。東京で鱸松塘に学び、さらに慶應義塾で学ぶ。農業を営み、庄内村会議員、宮崎県会議員、同常置委員、徴兵参事員、陸軍省雇員、台湾総督府台中県属、宮崎県畜産組合長、中央事務所長、北諸県郡会議員、県産牛馬組合連合組合長となる。 1902年の第7回衆議院議員総選挙において宮崎県から立憲政友会公認で立候補して当選した。以来当選4回。1912年の第11回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。
岩切 門二(いわきり もんじ、万延元年(1860年)3月 -… 岩切 門二(いわきり もんじ、万延元年(1860年)3月 - 明治29年(1896年)11月24日)は、日本の政治家、ジャーナリスト。川越進らと宮崎県再置運動で活躍した。 日向国宮崎郡柏原村(宮崎県宮崎郡生目村を経て現宮崎市大字柏原)出身。慶應義塾で法制を学ぶ。 1873年(明治6年)1月に誕生した宮崎県は、1876年(明治9年)8月に鹿児島県に合併されてしまう。この鹿児島県から分離しようという分県運動に門二は参加し、1883年(明治16年)5月の宮崎県再置に貢献した。 運動中には弾劾演説で、鹿児島県令渡辺千秋を罵倒して検挙されたこともあるという。分県の議決をした同年2月の鹿児島県通常県会では、議長である川越進のもと書記長となった。
小田 清兵衛(おだ せいべえ、1860年(万延元年3月) -… 小田 清兵衛(おだ せいべえ、1860年(万延元年3月) - 1892年(明治25年)10月3日)は、明治時代の政治家。貴族院多額納税者議員。 日向国臼杵郡、のちの宮崎県延岡市で、素封家・小田家の9代(正規)として生まれた。公共事業の推進に尽力し、将来を嘱望されていた。 1890年(明治23年)には宮崎県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日に就任したが、在任中に死去した。
横山 通英(よこやま みちひで、1859年5月18日(安政6… 横山 通英(よこやま みちひで、1859年5月18日(安政6年4月16日)- 1916年(大正5年)12月5日)は、明治期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、宮崎県西諸県郡小林村長。 日向国諸県郡小林郷細野村(鹿児島県諸県郡、宮崎県北諸県郡、西諸県郡小林郷細野村、小林村大字細野、小林町を経て現小林市細野)で、農業・横山通章、タメの長男として生まれた。赤木通園、谷山照方に師事し漢学を修めた。小林小学校、都城学校、宮崎学校で学んだ。1875年(明治8年)12月、宮崎学校師範学科(のち宮崎師範学校)を卒業し、1876年(明治9年)1月から1881年(明治14年)1月まで小林小学校訓導を務めた。また岡千仭に師事して漢学の学びを深めた。
小村 寿太郎(こむら じゅたろう、旧字体: 小村 壽太郞、1… 小村 寿太郎(こむら じゅたろう、旧字体: 小村 壽太郞、1855年10月26日〈安政2年9月16日〉- 1911年〈明治44年〉11月26日)は、日本の外交官、政治家。外務大臣、貴族院議員(侯爵終身)などを務めた。イギリス・アメリカ・ロシア・清国・朝鮮(韓国)の公使・大使を務め、特に2度の外相時代には日英同盟の締結、日露戦争後のポーツマス条約の締結、条約改正の完成(関税自主権の完全回復。治外法権は陸奥宗光が改正)などの業績をのこし、近代日本外交を体現した人物として知られる。特に外相在任は通算7年4カ月と、史上二番目に長い(史上最長は内田康哉で通算7年5カ月)。爵位は侯爵。 小村寿太郎は、安政2年(1855年)9月16日、日向国飫肥藩の藩士・小村寛(寛平)(1830 - 1900)と梅(梅子)(? - 1901)の長男として生まれた。