鈴木 俊夫(すずき としお、1950年(昭和25年)8月11… 鈴木 俊夫(すずき としお、1950年(昭和25年)8月11日 - )は、日本の政治家。元秋田県湯沢市長(3期)。 秋田県湯沢市出身。秋田県立湯沢高等学校(2学年先輩に菅義偉がいる)、岩手大学農学部農学別科畜産専攻科を卒業。大学在学中に日本共産党へ入党し、1983年(昭和58年)から湯沢市議会議員、1991年(平成3年)から秋田県議会議員をそれぞれ2期務める(1999年落選)。その後、2001年(平成13年)の第19回参議院議員通常選挙(落選)をへて、翌2002年に行われた旧湯沢市長選に出馬表明する。 「開かれた市政をつくるみんなの会」を支持母体として、黒塗り公用車の廃止や市長報酬3割カット、市長交際費半減などを公約に掲げ選挙戦を展開。
加藤 學(かとう まなぶ、1950年 - 1998年)は、日… 加藤 學(かとう まなぶ、1950年 - 1998年)は、日本の作曲家。1973年、1974年、1975年、1982年、1988年に創作合唱曲公募に入選している。 盛岡市出身。岩手大学教育学部卒業。作曲を千葉了道、志田笙子、岡島雅興、石井歓の各氏に師事。岩手県立高校の教員を経て、青森明の星短期大学助教授等を歴任。以後作曲を専業とした。1998年3月宮城県名取市にて没。 他に女声合唱曲をはじめとして多数。郷土の詩人の詩や立原道造の詩に作曲したものが多い。独唱曲を合唱に編曲した佳曲も多い。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:クラシック音楽/PJ:クラシック音楽)。
中村 敏(なかむら さとし、1949年 - )は、日本の牧師… 中村 敏(なかむら さとし、1949年 - )は、日本の牧師、神学校教師。日本伝道福音教団牧師、新潟聖書学院学院長、世界宣教研修センター講師。日本キリスト教史、特に福音派の歴史の研究家である。 1949年、新潟県新発田市で生まれた。新潟県立長岡高等学校、岩手大学、聖書神学舎を卒業し、米国トリニティ神学校を修了(修士〈神学〉)。1989年から2008年まで新潟聖書教会の牧師をつとめ、現在は書籍執筆を中心とした活動を行っている。 中村は、日本最初のプロテスタント教会である日本基督公会が1874年(明治7年)に福音主義同盟の9か条を採用したことについて取り上げ、日本の福音派の歴史は、中田重治やバークレー・バックストンからではなく、日本のプロテスタントの最初からはじまったと指摘する。
藤元 隆一(ふじもと りゅういち、1949年 - )は、東北… 藤元 隆一(ふじもと りゅういち、1949年 - )は、東北銀行常勤監査役。同行の元代表取締役副頭取。岩手県出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
藤井 勉(ふじい つとむ、1948年5月8日 - 2017年… 藤井 勉(ふじい つとむ、1948年5月8日 - 2017年9月12日)は、日本の洋画家。自身の娘3人の成長を細密な描写により描いた油彩作品で知られている。 1948年(昭和23年)5月秋田県仙北郡飯詰村天神堂、または仙南村(現美郷町)に藤井吉五郎の次男として生まれる。六郷町立六郷中学校、秋田県立六郷高等学校を経て岩手大学教育学部特設美術科に進み、以後岩手県盛岡市を拠点として創作活動に入った。代表作は「風」「剣」「寂」。 2017年(平成29年)9月12日、心不全のため、盛岡市内の病院で死去、69歳。
熊谷 泉(くまがい いずみ、 (1947-08-25) 19… 熊谷 泉(くまがい いずみ、 (1947-08-25) 1947年8月25日 - )は、日本の政治家、獣医師。岩手県紫波町長(第12代、2014年 - 2026年)。有限会社熊谷牧場代表取締役を務めた。公民連携によるまちづくりを推進し、「オガールプロジェクト」などの再開発事業で知られる。 1947年(昭和22年)8月25日、岩手県紫波町片寄に生まれる。 岩手県立盛岡第一高等学校を経て、岩手大学農学部を卒業後、1971年(昭和46年)に家畜医院を開業した。 1999年(平成11年)、有限会社熊谷牧場代表取締役に就任。 2003年(平成15年)、紫波町議会議員に当選(2006年12月まで)。 2007年(平成19年)、岩手県議会議員に当選(2013年12月まで)。
森越 康雄(もりこし やすお、1947年(昭和22年)-)は… 森越 康雄(もりこし やすお、1947年(昭和22年)-)は、日本の教育者。元日教組委員長。
佐々木 多利爾(ささき たりじ、1946年 -)は、日本のグ… 佐々木 多利爾(ささき たりじ、1946年 -)は、日本のグラフィックデザイナー。宮城県大崎市出身。『月刊コロコロコミック』の表紙装丁の2代目デザイナーとして知られる(初代は有賀一宇)。 小学館とのかかわりが長く、『コロコロコミック』の表紙装丁を1986年1月号(No.93)から担当。2020年11月18日には、同一の児童向け雑誌の表紙を最も長く担当したデザイナーとしてギネス世界記録に認定され、認定証を授与された(同年7月15日までの34年213日が「同一雑誌の表紙をデザインした最長期間」とされている)。 以前は『幼稚園』のデザインにも携わっており、『コロコロコミック』の創刊準備室が『幼稚園』編集部の隣にあったことから、『コロコロコミック』との縁が生まれたという。
平賀 徹夫(ひらが てつお、Martin Tetsuo Hi… 平賀 徹夫(ひらが てつお、Martin Tetsuo Hiraga, 1945年1月2日-)は、日本のカトリック教会聖職者でカトリック仙台司教区第6代司教。洗礼名は「マルチノ」。 岩手県花巻市に生まれる。18歳で花巻教会のベトレヘム宣教会の神父から受洗。岩手県立花巻北高等学校卒業後、岩手大学教育学部に通い、1967年に学士号を取得。1968年から1974年にかけて東京の大神学校で哲学と神学を修了。1974年9月16日、司祭に叙階。 1974年から1977年は岩手県一ノ関教会助任司祭。1977年から1980年にローマの教皇庁立ウルバノ大学に留学し、1980年に教会法の免許を取得。1991年から1994年は宮城県白石教会の司祭となり、1994年から1996年はカトリック新聞編集長を担当。
大巻 忠一(おおまき ちゅういち、1936年(昭和11年) … 大巻 忠一(おおまき ちゅういち、1936年(昭和11年) - )は、日本の弁護士。岩手大学出身の法曹の一人。函館弁護士会会長、北海道弁護士会連合会副会長、日本弁護士連合会理事を歴任。 岩手県出身。1962年(昭和37年)岩手大学農学部卒業。1966年(昭和41年)旧司法試験に合格。1969年(昭和44年)弁護士登録。大巻忠一法律事務所を開設。1972年(昭和47年)函館弁護士会副会長に就任。1980年(昭和55年)函館弁護士会会長に就任。北海道弁護士会連合会副理事長や、日本弁護士連合会理事にも就任。1985年(昭和60年)函館弁護士会会長、北海道弁護士連合会副会長、日本弁護士連合会理事に再任。
澤田 利夫(さわだ としお、1935年12月19日 - )は… 澤田 利夫(さわだ としお、1935年12月19日 - )は、日本の教育学者。専門は数学教育。元東京理科大学教授。社団法人日本数学教育学会名誉会長、国立教育政策研究所名誉所員、東京理科大学名誉教授。 岩手県北上市出身。東京理科大学大学院修了後、国立教育研究所(現国立教育政策研究所)科学教育研究センター長、東京理科大学教授、同総合研究機構数学教育研究部門長、同総合教育機構理数教育研究センター客員教授等を経て、現東京理科大学名誉教授。 1990年代から本格化したいわゆるゆとり教育に対し、文部科学省やIEA、OECD等の行う学力調査の結果の分析を通じ、一貫して児童の学力低下や学力の二極化につながるものとして警鐘を鳴らし続けた。
村上 善男(むらかみ よしお、1933年3月14日 - 20… 村上 善男(むらかみ よしお、1933年3月14日 - 2006年5月4日)は、日本の画家・現代美術家。岩手県盛岡市出身。岩手大学学芸学部卒業。弘前大学名誉教授。 岡本太郎に師事。1953年に二科展に初入選。1960年、第4回シェル美術賞展で佳作。東北を拠点に前衛美術家として活動した。また、詩人としての執筆活動もある。 2006年5月4日に心不全で死去。享年73。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
畠山 剛(はたけやま つよし、1933年- )は、日本の農村… 畠山 剛(はたけやま つよし、1933年- )は、日本の農村・農民研究家で、元中学校教員。 茨城県土浦市に生まれる。1956年に岩手大学農学部を卒業した。 大学卒業後は、岩手県の有芸・釜津田・大川(以上岩泉町)、箱石・宮古第二・千徳(以上宮古市)、田野畑の各中学校で教員(県立教育研究所勤務の時期もあり)を務め、1993年に退職した。教員在職中に岩手県内で食糧生産技術などの調査に従事し、当時岩手県北部や岩泉町では大半の農家で自家の農作物での自給ができずに木の実で不足を補っていたことを明らかにしている。 退職後は農業の実践と研究をおこなっている。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小山田 了三(おやまだ りょうぞう、1932年12月31日 … 小山田 了三(おやまだ りょうぞう、1932年12月31日 - 2009年10月2日)は、日本の物性工学者、技術史学者。富士大学元学長。 岩手県盛岡市出身。小山田信茂の子孫。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1955年岩手大学教育学部卒、59年まで中学校教師、1961年東京理科大学卒、東京教育大学理学部をへて、1964年東京工業大学大学院修士課程修了、科学技術庁金属材料技術研究所研究員、71年同主任研究官、73年「溶融塩の基礎研究 二・三の基礎的性質とイオン間の相互作用について」で大阪大学工学博士。1974年長崎大学教育学部助教授、1978年教授、ニューマテリアル開発研究所・シンクタンク代表。1984年東京電機大学講師、1987年山梨学院大学商学部教授。
桑島 博(くわしま ひろし、1932年8月14日 - 202… 桑島 博(くわしま ひろし、1932年8月14日 - 2021年12月16日)は、日本の政治家。元盛岡市長(2期)。 岩手県盛岡市出身。岩手県立盛岡高等学校を経て、1955年、岩手大学農学部農業工学科卒。同年盛岡市役所に入る。市役所では土木課長、財政課長、財政部次長、同部長を歴任し、1987年から助役を務めた。 1995年に盛岡市長選挙に立候補して初当選し、2期務めた。 2003年の市長選では3選を目指したが、元岩手県議会議長の谷藤裕明に敗れた。 ※当日有権者数:221,269人 最終投票率:53.67%(前回比:+19.0pts) 2021年12月16日、老衰のため盛岡市内の病院で死去。89歳没。
藤井 基男(ふじい もとお, 1932年4月5日 - 200… 藤井 基男(ふじい もとお, 1932年4月5日 - 2009年4月24日)は、日本の卓球選手。現役時代はシェークハンドのカット主戦型として名を馳せた他、卓球ジャーナリストとして著書も多く持ち、荻村伊智朗との共著もある。岩手県花巻市出身で、花巻北高校、岩手大学卒。 1951年の全日本卓球選手権ではシングルスで3位、翌年の全日本卓球選手権でも鈴木勝彦と共に3位となった。1956年に東京で開催された世界卓球選手権にも出場しており、混合ダブルスにおいて田中良子とのペアで銅メダルを獲得している。引退後は日本においてのコーチ活動の他、サウジアラビアのヘッドコーチも務めた。日本卓球協会においても事務局長、専務理事などの役職につき、1991年の世界選手権の千葉開催に向けて取り組んだ。
柳田 弘(やなぎだ ひろし、1931年(昭和6年)4月18日… 柳田 弘(やなぎだ ひろし、1931年(昭和6年)4月18日 - 2018年(平成30年)6月4日)は、日本の政治家。秋田県本荘市長(4期)、由利本荘市長(1期)。 秋田県由利郡大内町(現・由利本荘市)出身。1954年、岩手大学農学部農工学科卒。同年秋田県庁に入る。土地改良事務所長、農政部農業課長補佐、農業水利課、農地整備課各参事、仙北農林事務所長、農政部農地整備課長と農政畑を歩く。のち、由利地方部長、生活環境部長を歴任した。1991年、本荘市長選挙に立候補して当選する。本荘市長を4期務め、2005年に合併して誕生した由利本荘市長選挙に立候補し、元秋田県議の長谷部誠を700票余りで下した。由利本荘市長を1期務め、2009年に市長を退任した。
及川 勉(おいかわ つとむ、1930年〈昭和5年〉10月29… 及川 勉(おいかわ つとむ、1930年〈昭和5年〉10月29日 - 2011年〈平成23年〉6月23日)は、日本の政治家。江刺市(現在の奥州市)長(5期)。 現在の奥州市に生まれる。1951年(昭和26年)盛岡農林専門学校(現在の岩手大学農学部)を卒業。同年農林省に入る。1979年(昭和54年)江刺市助役に就任。 1983年(昭和58年)の江刺市長選挙に立候補し、菊地喜久男を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 同年3月に就任した。5期務めた。2003年(平成15年)3月12日、江刺市長を退任した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
水野 好路(みずの こうじ、1930年〈昭和5年〉4月17日… 水野 好路(みずの こうじ、1930年〈昭和5年〉4月17日 - 1998年〈平成10年〉6月9日)は、昭和から平成時代の政治家。青森県十和田市長。 初代十和田市長の水野陳好の二男としてのちの十和田市に生まれる。1954年(昭和29年)岩手大学農学部を卒業し、青森県に出仕。青森県農林部土地改良二課長、同農林部次長などを経て、1981年(昭和56年)十和田市に出向し助役に就任する。退官後は日本基礎技術青森所長を経て、1992年(平成4年)10月、十和田市長に就任した。1996年(平成8年)再選したが、1998年(平成10年)在任中に死去した。 任期中は、農林業の振興、高森山周辺の観光開発、稲生川周辺整備、生活道路整備、国際交流の推進などに尽力した。
佐藤 清吉(さとう せいきち、1929年(昭和4年)11月2… 佐藤 清吉(さとう せいきち、1929年(昭和4年)11月26日 - 2018年(平成30年)1月23日)は、日本の政治家。宮城県角田市長(3期)、宮城県議会議員(4期)。全国森林組合連合会の会長も務めた。位階は従四位。 現在の宮城県角田市で農家に生まれた。盛岡農林専門学校(現岩手大学農学部)を卒業。角田市農業協同組合理事を経て、宮城県議会議員を4期務めた。 1996年に角田市長に出馬し当選。2000年に無投票再選、2004年新人との一騎打ちで再選。市長を3期12年務めた。在任中の2003年には丸森町との市町村合併協議などもあったが、独立を選び、現在も角田市は存続している。 2009年(平成21年)、旭日中綬章叙勲。
駒形 和男(こまがた かずお、1928年12月15日 - 2… 駒形 和男(こまがた かずお、1928年12月15日 - 2022年9月9日)は、日本の微生物学者。東京大学名誉教授。日本学士院エジンバラ公賞受賞。 新潟県南魚沼郡浦佐村(現南魚沼市)生まれ。1945年盛岡農林専門学校(現岩手大学農学部)農芸化学科入学。1948年同卒業。同年東京大学農学部研究生。1954年東京大学応用微生物研究所職員。1958年文部技官任官。1960年農学博士。1961年味の素入社。1968年東京大学応用微生物研究所助教授。1978年東京大学応用微生物研究所教授。1981年理化学研究所ライフサイエンス培養生物部長,理化学研究所ライフサイエンス研究情報室長、東京大学応用微生物研究所付属有用菌保存施設長。
沢藤 礼次郎(さわふじ れいじろう、戸籍上は澤藤禮次郎 19… 沢藤 礼次郎(さわふじ れいじろう、戸籍上は澤藤禮次郎 1928年12月14日 - 2004年8月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 岩手県和賀郡黒沢尻町(現・北上市)出身。沢藤幸治・ウメの長男。父親は同町の町長であった。黒沢尻中学校を経て海軍兵学校(77期)に進んだ。在学中に広島市への原子爆弾投下による犠牲者を見て反戦の意識が強まったという。戦後、盛岡農林専門学校(現・岩手大学農学部)に入り、1948年に卒業。1951年に母校の黒沢尻高校で定時制教諭になり、その後花巻農業高校の教諭などを務めた。また、沢令二のペンネームで執筆活動を行なっている。1961年に岩手県高教組の書記長、1968年同委員長に就任。
鈴木 雅廣(すずき まさひろ、1928年(昭和3年)9月14… 鈴木 雅廣(すずき まさひろ、1928年(昭和3年)9月14日 - 2002年(平成14年)10月25日)は、日本の政治家。山形県天童市長(3期)。 山形県出身。盛岡農林専門学校(現岩手大学農学部)卒。卒業後は岩手県農業試験場に入り、技師となる。その後、帰郷し、天童市役所に入り、農業委員会事務局長、農林、総務各課長を経て、助役となる。1985年、天童市長小座間泰蔵が死去。これに伴う市長選挙に立候補し、無投票で初当選する。1989年、1993年と連続で無投票当選。1997年の市長選挙では市内に大型商業施設の設置が争点となり、市民の間から1万人規模の反対署名運動が起きた。これを受けて元衆議院議員の遠藤登が「そうした運動が起こるのは市民の声が届いていない証拠であり、無競争のうえにあぐらをかいている市政を変えなければならない」と市長選挙に名乗りを挙げ、就任以来初の選挙戦となった結果、鈴木は遠藤に敗れた。
七宮 涬三(しちのみや けいぞう、1928年5月11日 - … 七宮 涬三(しちのみや けいぞう、1928年5月11日 - 2011年2月16日)は、日本の歴史学者・作家・実業家。富士大学名誉教授。 主に平安時代末期から戦国時代にかけての氏族に関する著書や、岩手県の政治家や経済人に関する著作が多い。 東京府生まれ。岩手大学教育学部卒業。岩手日報社東京支社編集部長、みちのくコカ・コーラボトリング取締役などを経て富士大学教授、1999年定年、名誉教授。日本中世史以外の著書に、『晩年の石川啄木』『岩手県人』『岩手宰相論』など、岩手県に関する著書も多数。 2011年、急性肺炎により死去。享年82。
中川 俊一(なかがわ しゅんいち、1927年(昭和2年)7月… 中川 俊一(なかがわ しゅんいち、1927年(昭和2年)7月17日 - 2019年(平成31年)3月5日)は、日本の政治家。元宮城県古川市(現・大崎市)長(2期)。位階は正五位。 宮城県志田郡古川町(旧・古川市、現・大崎市古川)出身。小牛田農林高等学校、1948年、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)卒。1967年、古川市議会議員に当選し、議長も務める。1988年の古川市長選挙に立候補したが千坂侃雄に敗れ、落選した。1992年の市長選挙に再び立候補して現職の千坂侃雄を破って当選した。1996年の市長選挙でも再選。2000年の市長選挙では元市議会議長の佐々木謙次に敗れた。 2019年3月5日、老衰のため死去、91歳。
伊藤 孝二郎(いとう こうじろう、1923年12月17日 -… 伊藤 孝二郎(いとう こうじろう、1923年12月17日 - 2003年7月28日)は日本の政治家。新潟県北蒲原郡黒川村(現胎内市)の村長を約半世紀にわたり務めた人物である。 新潟県北蒲原郡黒川村出身。盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)卒業。 黒川村議会議員を経て、1955年伊藤は先憂後楽の精神のもと、31歳のときに「胎内川総合開発」「道路網の整備」「農業の近代化」の公約を掲げ黒川村村長に当選し、在任中は胎内スキー場、胎内高原ビール園、ロイヤル胎内パークホテルなど観光事業を発展させ雇用を拡大し、農業を活性化させて人口流失による黒川村の過疎化を防いだ。全国市町村会副会長、県市町村会会長を務めた。
菊地 規(きくち のりみ、1923年〈大正12年〉2月17日… 菊地 規(きくち のりみ、1923年〈大正12年〉2月17日 - 1989年〈平成元年〉1月26日)は、日本の教育者。作詞家。『北上夜曲』作詞者。 岩手県江刺郡田原村(現在の奥州市)出身。岩手県立水沢農学校(現岩手県立水沢農業高等学校)を経て、岩手師範学校(現・岩手大学教育学部)卒。羽田、藤里各国民学校、藤里、厨川各中学校に勤務。1961年(昭和36年)日本音楽著作権協会正会員、1963年(昭和38年)日本作詞家協会会員、1967年(昭和42年)岩手県教育委員会社会教育主事、のち、葛巻小、雫石中の各校長を務め、1983年(昭和58年)に緑ヶ丘小校長で定年を迎えた。定年後は岩手県社会教育指導員協議会会長、県民運動協議会参事などを歴任した。
鷹觜 テル(たかのはし テル、1921年3月7日 - 200… 鷹觜 テル(たかのはし テル、1921年3月7日 - 2000年3月24日)は、日本の栄養学者。岩手大学で初の女性助教授となった研究者で栄養学研究に生涯を捧げ、後年は「長寿村」研究をし「健康長寿の秘訣は雑穀を中心とする日本型食事」の実践的解明。医学博士。岩手大学名誉教授。 岩手県江刺郡田原村(のち江刺郡江刺町→江刺市、現在の岩手県奥州市江刺)に生まれ、岩谷堂高等女学校(現在の岩手県立岩谷堂高等学校)を経て、岩手女子師範学校卒業。卒業後は愛宕小、仁王小、盛岡高等女学校(現在の岩手県立盛岡第二高等学校)各教諭を経て、岩手大学の前身のひとつである岩手師範学校女子部の教員となり、新制大学移行後に岩手大学で初の女性助教授となった。
崔 容根(チェ・ヨングン、朝鮮語: 최용근、1919年11月… 崔 容根(チェ・ヨングン、朝鮮語: 최용근、1919年11月9日 - 1969年8月25日または1973年1月29日)は、大韓民国の教育者、政治家。第3・4代韓国国会議員。本貫は江陵崔氏(朝鮮語版)。 日本統治時代の江原道江陵郡出身。江陵公立農業学校(現・江陵中央高等学校(朝鮮語版))、春川公立農業学校農林科、盛岡高等農林学校林学科卒。 江陵農高教員、水原農科大学(現・ソウル大学校農科大学)講師、江陵公立農業学校校長、東国大学校講師、大韓教育連合会(現・韓国教員団体総連合会)中央代議員を経て、1954年の第3代総選挙と1958年の第4代総選挙で自由党の候補として2回連続当選し、自由党江陵甲区党委員長、国会財政経済委員長・予算決算委員長を歴任した。
岩持 静麻(いわもち しずま、1919年(大正8年)2月25… 岩持 静麻(いわもち しずま、1919年(大正8年)2月25日 - 2005年(平成17年)11月9日)は、日本の政治家。全国農業協同組合中央会(JA全中第六代)会長。岩手県議会議員(5期)。1989年(平成元年)勲二等旭日重光章受賞。旧姓沼倉。 岩手県西磐井郡萩荘村(現・一関市)に生まれる。3歳の時に父を事故で失い、以後、母は女手一つで7人の子供を育てる。1933年(昭和8年)市野々尋常高等小学校卒。1937年(昭和12年)宮城県農学校(現・宮城県農業高等学校)入学。1941年(昭和16年)同校卒業。同年官立盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)入学。1943年(昭和18年)同校卒業。同年農林省(現・農林水産省)に入り、農政局農業保険課に勤務する。
飯田 毅(いいだ たけし、1918年<大正7年>11月2日 … 飯田 毅(いいだ たけし、1918年<大正7年>11月2日 - 1989年<平成元年>12月6日)は、昭和時代の政治家。千葉県東葛飾郡鎌ヶ谷町第2代町長、鎌ケ谷市初代市長。位階は従五位。 1918年11月2日、千葉県東葛飾郡鎌ヶ谷村(現:鎌ケ谷市)中沢に飯田粲・いゐ夫妻の長男として生まれる。旧制東葛飾中学校卒業後、盛岡高等農林学校(現:岩手大学農学部)に進学し1939年(昭和14年)に卒業。1947年(昭和22年)4月、鎌ヶ谷村議会議員に就任し、以後鎌ヶ谷町議会議員・社会教育委員を務めた。 1967年(昭和42年)5月、鎌ヶ谷町長に初当選した。その後市制施行による初代市長就任を経て1983年(昭和58年)4月まで連続4期16年間にわたり首長を務めた。
小川 仁一(おがわ じんいち、1918年2月1日 - 200… 小川 仁一(おがわ じんいち、1918年2月1日 - 2002年11月24日)は、日本の政治家。日本社会党に所属し衆議院議員(2期)、参議院議員(2期)を歴任。 岩手県和賀郡東和町(現花巻市)生まれ。岩手師範学校(現岩手大学教育学部)卒業。小学校教諭を経て、1959年に岩手県教職員組合委員長。1961年(昭和36年)に中学生の全国一斉学力テストの反対闘争を組織し、地方公務員法違反容疑で逮捕される。ほかに日本教職員組合副委員長、総評副議長、公務員共闘事務局長などを務めた。 1971年の第9回参議院議員通常選挙と1974年の第10回参議院議員通常選挙に岩手県選挙区から日本社会党公認で出馬したが、落選。
北村 正哉(きたむら まさや、1916年 <大正5年> 5月… 北村 正哉(きたむら まさや、1916年 <大正5年> 5月3日 - 2004年 <平成16年> 1月26日)は、日本の政治家。青森県で県議会議員・副知事を各3期、その後知事を4期にわたって務めた。位階は正四位。 正哉の哉の文字は、本来は旁にノが付かないものだが、異体字でコンピュータ上で表現できないケースがあるため、「〓」として註釈するか、「哉」で代用するか、「まさや」とひらがなで表記されるケースがある。 上北郡三沢村(現・三沢市)で、牧場主の長男として生まれた。先祖の北村豊三は元会津藩士で、会津戦争敗北後に同藩が斗南藩として現在のむつ市へ転封された際に移住し、広沢安任と共に日本初の西洋式牧場である「開牧社」の経営に参加した。
草間 俊一(くさま しゅんいち、1915年(大正4年)6月2… 草間 俊一(くさま しゅんいち、1915年(大正4年)6月24日 - 1997年(平成9年)1月15日)は、日本の歴史学者。岩手大学名誉教授。盛岡短期大学元学長。 長野県生まれ。旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)、旧制松本高校を経て、1939年(昭和7年)京都帝国大学文学部史学科卒業。 高知県女子師範学校教授、岩手県女子師範学校、岩手師範学校教授を経て、1949年岩手大学学芸学部(現人文社会科学部)助教授、1962年教授。1976年(昭和51年)定年退官、名誉教授。 退官後は、盛岡短期大学学長を務めた。 1986年(昭和61年)、戦後40年間にわたり郷土史研究と文化財愛護に取り組み歴史研究の発展に貢献したことにより、第39回岩手日報文化賞(学芸部門)を受賞した。
室井 綽(むろい ひろし、1914年7月11日 - 2012… 室井 綽(むろい ひろし、1914年7月11日 - 2012年10月5日)は、植物学者。専門は竹の分類、植物の生態。「日本竹笹の会」の会長として研究をリードし、「竹博士」と呼ばれた。 兵庫県赤穂市生まれ。1938年、盛岡高等農林学校農学部(現岩手大学農学部)卒業。1948年、第二神戸中学校(現兵庫県立兵庫高等学校)の教諭となり、1956年、富士竹類植物園(静岡県駿東郡長泉町)の初代園長となる。1962年「有用竹類の形態学的特性とその利用に関する研究」で北海道大学農学博士。1973年、県立兵庫高等学校を退職し、姫路学院女子短期大学教授。同年、兵庫県生物学会長。2012年10月5日、肺炎のため死去。
中村 直(なかむら ただし、1912年11月27日 - 19… 中村 直(なかむら ただし、1912年11月27日 - 1996年8月3日)は日本の政治家。衆議院議員(1976年~)、岩手県知事(1979年~1991年)を務めた。身長180センチ、体重80キロ(1984年の記録)と大柄だった。 1912年、岩手県紫波郡紫波町で生まれる。岩手県農学校、産業組合学校を卒業後、産業組合職員などを経て1938年に岩手県職員となる。岩手県副知事や岩手銀行専務を経て、1976年の第34回衆議院議員総選挙で岩手県第1区から出馬し当選。2年3ヶ月の代議士生活の後、1979年に岩手県知事となって3期12年間を務めた。 鈴木善幸を政治の師と仰ぎ、知事在任中は三陸鉄道を鉄道としては全国で初の第三セクターにしているほか、岩手めんこいテレビの開局に尽力した。
山中 吾郎(やまなか ごろう、1910年(明治43年)7月2… 山中 吾郎(やまなか ごろう、1910年(明治43年)7月23日 - 1983年(昭和58年)6月2日)は、昭和期の教育者、地方公務員、政治家。衆議院議員。 和歌山県伊都郡名倉村(高野口町を経て現橋本市高野口町)出身。1933年(昭和8年)東京高等師範学校文科を卒業した。 山形県立山形中学校(現山形県立山形東高等学校)教諭、三重県師範学校教諭、京都府師範学校教諭などを歴任。1943年(昭和18年)7月、高等試験行政科試験に合格。1945年(昭和20年)岩手県庁に入庁。学務課長兼厚生課長、労働部長、教育部長を歴任し、1948年(昭和23年)岩手県教育委員会教育長に就任。その後、公共企業体等労働委員会地方調停委員、岩手大学講師、私立修紅短期大学助教授などを務めた。
松田 甚次郎(まつだ じんじろう、1909年(明治42年)3… 松田 甚次郎(まつだ じんじろう、1909年(明治42年)3月3日 - 1943年(昭和18年)8月4日)は、日本の農業指導者、著述家。 宮沢賢治の影響を受けて、郷里で後世の村おこしに当たる活動を実践し、その経験を記した著作『土に叫ぶ』はベストセラーとなった。 山形県出身。1909年(明治42年)3月3日、山形県最上郡稲舟村鳥越(現新庄市)において、当時集落一番の大地主である松田甚五郎の長男として生まれた。 盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)在学中に宮沢賢治と出会い、卒業後に「小作人たれ」「農村劇をやれ」という賢治の言葉を実践する。以後、農民生活の向上と農村文化・芸術の確立に生涯をかけて取り組んだ。
小山田 七次郎(おやまだ しちじろう、1904年(明治37年… 小山田 七次郎(おやまだ しちじろう、1904年(明治37年)6月19日 - 1976年(昭和51年))は、昭和時代の政治家。青森県十和田市長。 青森県上北郡藤坂村(後の三本木市、現・十和田市)に生まれる。 貧農の7番目の末子として生まれ、小学校3年の時、一家は北海道石狩に渡る。1927年(昭和2年)盛岡高等農林学校を卒業後、農林省に出仕し、奥羽種畜牧場勤務となる。洞内小学校(現在、十和田市立)、青森師範学校教諭、上北地方事務所経済課長、五所川原農林学校長、青森県教育委員長を経て、1956年(昭和31年)10月、十和田市長に就任する。 県南内陸部の中心都市としての地位確立や北里大学の誘致に尽力した。
佐藤 哲郎(さとう てつろう、1901年〈明治34年〉3月1… 佐藤 哲郎(さとう てつろう、1901年〈明治34年〉3月1日 - 1995年〈平成7年〉1月4日)は、日本の政治家。元岩手県水沢市(現・奥州市)長(3期)。 岩手県胆沢郡水沢町(のち水沢市、現・奥州市)出身。1920年(大正9年)、岩手県師範学校(現・岩手大学教育学部)卒。岩手県内の小学校の訓導や校長を経て、戦後、中学校校長となる。岩手県社会教育主事、水沢町教育長となった。 1956年(昭和31年)、水沢市長に立候補して新人1人を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 同年1月29日に就任した。 1960年(昭和35年)の市長選も新人1人との争いになったが、これを破って再選を果たした。
金子 与重郎(旧字体: 金子 與重郞、かねこ よじゅうろう、… 金子 与重郎(旧字体: 金子 與重郞、かねこ よじゅうろう、1901年(明治34年)1月27日 - 1954年(昭和29年)10月9日)は、大正から昭和期の農業経営者、政治家。衆議院議員(3期)。 群馬県勢多郡粕川村大字室沢(現・前橋市粕川町室沢)で、金子新作の長男として生まれる。群馬県立勢多農林学校(現・群馬県立勢多農林高等学校)を経て、1919年(大正8年)盛岡高等農林学校農学科別科を卒業した。 帰郷して農業を営む。また、県下の産業組合の組織化に尽力し、組合厚生病院を設けて農村の保健衛生の向上に尽くした。群馬蚕糸会社の設立に参画し、蚕糸業の振興を図った。その他、粕川村会議員、粕川信用販売利用組合長、群馬県購買販売利用組合専務理事、同購買販売利用組合連合会総務部長、群馬蚕糸製造監査役などを務めた。
三木 茂(みき しげる、1901年1月1日 - 1974年2… 三木 茂(みき しげる、1901年1月1日 - 1974年2月21日)は、日本の植物学者。メタセコイアの発見者。 香川県木田郡奥鹿村(現:三木町鹿庭)出身。 盛岡高等農林学校(現:岩手大学農学部)を経て、1925年、京都帝国大学理学部卒業、後に同教授。大阪学芸大学(現:大阪教育大学)教授、大阪市立大学教授を歴任。また、大阪自然科学研究会(大阪市立自然史博物館友の会の前身)の会長を務め、自然史科学の普及活動に貢献した。 1939年、和歌山県・岐阜県から、常緑樹のセコイアやヌマスギとは異なる落葉樹の植物遺体(化石の一種)を発見し、1941年にメタセコイアと命名、発表した。遺跡出土の植物遺体についても多くの考察を残した。
千島 喜久男(ちしま きくお、1899年10月10日 - 1… 千島 喜久男(ちしま きくお、1899年10月10日 - 1978年10月23日)は、日本の生物学者。医学博士。 岐阜県吉城郡上宝村(現・高山市)出身。盛岡高等農林学校獣医科卒。岐阜大学農学部教授(1953年就任、1963年退官)。正五位勲三等瑞宝章。 1963年から自らが「革新的医学・生物学理論」と称する「千島学説」を提唱して、「新生命医学会」を設立、普及活動を行った。 千島の発表論文は、例えば慶應義塾大学解剖学教室のOkajimas Folia Anatomica Japonicaなどに査読を経て掲載されている。 しかし千島学説の検証については、査読のある論文で千島学説を支持するものはない。
川上 行蔵(かわかみ こうぞう、1898年9月7日 - 19… 川上 行蔵(かわかみ こうぞう、1898年9月7日 - 1994年10月26日)は、栄養学者、食物史学者。 新潟県出身。盛岡高等農林学校農芸化学科(現岩手大学農学部)卒。1937年「肝油特ニ其ノ不鹸化物ノ成分ニ就テ」で東京帝国大学農学博士。鈴木梅太郎に師事し、東京帝国大学農学部、理化学研究所、満州国立大陸科学院に勤務。敗戦後引揚げ、農林省開拓研究所、農業技術研究所に勤める。1962年定年退職、共立女子短期大学教授。1974年退任、料理書原典研究会を設立、主宰。1984年勲三等瑞宝章受勲。江戸時代の料理書を研究した。
河本 緑石(かわもと ろくせき、本名:河本義行〈かわもと よ… 河本 緑石(かわもと ろくせき、本名:河本義行〈かわもと よしゆき〉、1897年〈明治30年〉3月21日 - 1933年〈昭和8年〉7月18日)は、日本の自由律俳句の俳人・詩人。『層雲』の荻原井泉水に師事した。鳥取県東伯郡社村(現・倉吉市)出身。 鳥取県東伯郡社村(現・倉吉市)に父定吉、母政野の次男として生まれる。長男が夭折したため跡取りとして育てられる。幼少期に従兄・河本謹一郎の感化を受けて俳句を作りはじめる。この頃の句は定型であったといわれているが現存しない。社尋常高等小学校(現・倉吉市立社小学校)卒業後、1911年4月に鳥取県立倉吉中学校(現・鳥取県立倉吉東高等学校)に入学。同校在学中に東郷湖横断競泳の記録を残している。
小菅 健吉(こすげ けんきち、1897年〈明治30年〉3月1… 小菅 健吉(こすげ けんきち、1897年〈明治30年〉3月12日 - 1977年〈昭和52年〉5月30日)は、日本の教育者。栃木県出身。盛岡高等農林学校を卒業。高等農林学校時代、同窓生であった宮沢賢治と学内の文芸同人誌『アザリア』のメンバーとして親交を持った。 栃木県塩谷郡氏家町(現さくら市)に小菅宗吉・ミワ夫妻の三男として誕生。宮沢賢治より7ヶ月後で、早生まれの同学年となる。 1915年、栃木県立農学校(現栃木県立宇都宮白楊高等学校)を経て、盛岡高等農林学校(現・岩手大学)農学科第二部(後に農芸化学科に改称)に入学する。1917年(大正6年)7月、、1917年(大正6年)、宮沢賢治、保阪嘉内、河本義行らと同人誌『アザリア』を創刊した。
稲内 清二(いなうち せいじ、1892年(明治25年)8月2… 稲内 清二(いなうち せいじ、1892年(明治25年)8月25日 - 1943年(昭和18年)2月17日)は、内務官僚。千葉県市川市長。 京都府出身。1914年(大正3年)に盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)を卒業した後、1920年(大正9年)に京都帝国大学法学部を卒業した。一年志願兵として陸軍少尉となる。1922年(大正11年)に高等試験に合格した。和歌山県伊都郡長、東牟婁支庁長、熊本県商工課長、同蚕糸課長、香川県社会課長、同地方課長、広島県学務課長、同地方課長、宮崎県学務部長、秋田県学務部長を歴任した。 1940年(昭和15年)に退官した後、同年6月11日に市川市長に就任し、1941年(昭和16年)10月7日まで在任した。
菊池 知勇(きくち ちゆう・ともお、1889年〈明治22年〉… 菊池 知勇(きくち ちゆう・ともお、1889年〈明治22年〉4月7日 - 1972年〈昭和47年〉5月8日)は、日本の教育者、歌人。 岩手県東磐井郡渋民村(現・一関市大東町曾慶)出身。奥玉高等小学校に入学したのち下折壁高等小学校を卒業。岩手師範学校(現・岩手大学教育学部)卒業。上京し、慶応幼稚舎の教員となる。1910年若山牧水の『創作』の創刊に参加、1926年初めての綴方専門誌『綴方教育』を創刊。1927年口語短歌誌『ぬはり』を創刊した。幼稚舎での教え子に詩人の薩摩忠がいる。 『ぬはり』は戦時下の用紙統制で1944年、『真樹』(1930年、山本康夫創刊)などと合併し『直毘』(なおび)として刊行された時期もあったが、その後も刊行が続いている。
橋本 綱太郎(はしもと つなたろう、1888年(明治21年)… 橋本 綱太郎(はしもと つなたろう、1888年(明治21年)5月12日 - 1942年(昭和17年)10月13日)は、日本の教育者、文部官僚。 福井県足羽郡東郷村(現在の福井市)出身。1911年(明治44年)に盛岡高等農林学校農学科を卒業。宮城県立農学校教諭、同農事試験場技手、福井県今立郡立農学校教諭、盛岡高等農林学校助教授などを歴任。その後高等文官試験に合格し、福岡県鞍手郡長、同糸島郡長、同事務官を務めた。1928年(昭和3年)に文部事務官に移り、大臣官房会計課勤務、専門学務局勤務などを経て、1934年(昭和9年)に文部書記官・宗教局宗務課長に就任した。1937年(昭和12年)からは東京聾唖学校校長を務めた。
池田 良介(いけだ りょうすけ、1887年 - 没年不詳)は… 池田 良介(いけだ りょうすけ、1887年 - 没年不詳)は水戸出身の技術者。その生涯を通じて離島での燐鉱石開発に力を注ぎ、ラサ島をはじめ数多くの採鉱現場を指揮した。従四位、勲五等。 茨城県士族、池田哲太郎の長男として1887年(明治20年)3月、水戸に生まれる。代々水戸藩士の家柄であったが維新後父は農業を営み、良介は1904年(明治37年)に水戸農学校を卒業。1907年には家督を相続し、1909年(明治42年)に盛岡高等農林学校を卒業。徴兵検査を受けたところ、身体は大きかったが第二乙種と判定された。翌1910年、助教授を務めていた盛岡高農で農学博士の恒藤規隆と出会い、ラサ島での燐鉱採掘事業の話などに強い興味を持ち、同年11月設立の日本産業商会に入社を決める。