中野 光雄(なかの みつお、1951年2月23日 - )は、… 中野 光雄(なかの みつお、1951年2月23日 - )は、日本の繊維技術者、実業家。元富士紡ホールディングス株式会社代表取締役会長兼社長。元日本紡績協会会長。 福島県田村郡小野町出身。1973年山形大学工学部繊維工学科卒業、富士紡績入社。1998年富士紡績機能資材部長。2002年富士紡績機能品事業部長兼機能品部長。 2004年富士紡績取締役機能品事業部長。2005年柳井化学工業代表取締役社長。2006年富士紡ホールディングス代表取締役社長。2011年日本紡績協会会長。2017年富士紡ホールディングス代表取締役会長兼社長。2019年日本紡績協会会長。同年山形大学学長選考会議代理として、相澤益男議長の下、玉手英利の学長選出にあたった。
遠藤 ミチロウ(えんどう みちろう、1950年11月15日 … 遠藤 ミチロウ(えんどう みちろう、1950年11月15日 - 2019年4月25日)は、日本のロックミュージシャン。本名は遠藤 道郎(読み同じ)。 福島県二本松市出身。1980年代から1990年代に活動していたパンク・ロックバンド、ザ・スターリンの結成者でありヴォーカリスト。スターリン解散以降はソロ、アコースティックバンドで活動し、還暦を越えても精力的にライブ活動を行っていた。
高橋 節(たかはし たかし、1950年2月3日 - )は、日… 高橋 節(たかはし たかし、1950年2月3日 - )は、日本の地方公務員。山形県副知事や、山形県スポーツ振興21世紀協会理事長、モンテディオ山形代表取締役社長等を務めた。 山形県村山市出身。山形県立山形南高等学校を経て、1972年山形大学人文学部卒業、山形県入庁。財政課に長く勤務し、2001年に東京事務所長就任。2004年農林水産部長。2006年庄内総合支庁長。2008年健康福祉部長。2009年退職。 同年から副知事及び公益社団法人山形県スポーツ振興21世紀協会副理事長を務め、東日本大震災への対応などにあたった。2012年から公益社団法人山形県スポーツ振興21世紀協会理事長も兼務した。2013年退任。
赤坂 信(あかさか まこと、1950年 - )は、日本の園芸… 赤坂 信(あかさか まこと、1950年 - )は、日本の園芸学者。千葉大学大学院園芸学研究科・園芸学部教授。専門は風景計画学、都市緑地史。農学博士(京都大学)。八戸大使。
鈴木直衛(すずき・なおえ、1949年~2014年)は、日本の… 鈴木直衛(すずき・なおえ、1949年~2014年)は、日本の作庭家。玄庭園を主宰。静岡県生まれ。 山形大学卒業後の1972年、京都に赴いて1980年まで加勢造園に勤務。作庭について、実地に学ぶ。1980年から1年間、京都都園の茶庭師・山本耕三に師事した。 1985年、有限会社玄庭園設立。1990年から日本庭園協会評議員。1993年には第2回日本庭園協会賞受賞。 2000年以降にはカナダ、アメリカにて日本庭園の巡回指導をした。日本庭園協会理事・静岡県支部支部長、1997年からは学校法人中央工学校非常勤講師も歴任した。2003年ワールドデザインコンペティション代表。 代表作に沼津市若山牧水記念館、東野の庭、小原邸鳥谷の庭(沼津市鳥谷)伊豆島田の庭(裾野市)外原の庭(駿東郡清水町)湧水の庭熱海の庭(静岡県熱海市)大谷山荘別館 音信(山口県長門市)函南の庭(田方郡函南町)韮山の庭(田方郡韮山町)中伊豆の庭(田方郡中伊豆町)汀渚 ばさら邸(三重県志摩市)など多数。
齋藤 文良(さいとう ふみお、1947年11月26日 - )… 齋藤 文良(さいとう ふみお、1947年11月26日 - ) は、日本の化学工学者。工学博士(東北大学・論文博士・1982年)。東北大学名誉教授。東北大学多元物質科学研究所所長、粉体工学会副会長、化学工学会粒子・流体プロセス部会長などを歴任。 山形市出身。1970年山形大学工学部化学工学科卒業。1972年山形大学大学院工学研究科修士課程化学工学専攻修了、山形大学工学部助手。 1974年東北大学選鉱製錬研究所助手。1982年東北大学より工学博士の学位を取得、横浜国立大学工学部講師。1987年横浜国立大学助教授、バーミンガム大学化学工学科客員研究員。1989年東北大学選鉱製錬研究所助教授。 1991年東北大学選鉱製錬研究所教授。
佐々木道雄(ささき みちお、1947年- )は、日本の食文化… 佐々木道雄(ささき みちお、1947年- )は、日本の食文化研究家。 岩手県盛岡市に生まれる。1970年に山形大学文理学部を卒業。会社勤務の傍ら1976年から朝鮮半島の歴史と文化について学ぶ。2000年から日本と朝鮮半島の文化交流史研究に専念する。
佐藤 夏雄(さとう なつお、1947年 - ) は、日本の地… 佐藤 夏雄(さとう なつお、1947年 - ) は、日本の地球物理学者。元国立極地研究所副所長。元南極地域観測隊隊長。 新潟県上越市柿崎区上下浜生まれ。1971年山形大学理学部物理学科卒業。1973年東京大学大学院理学系研究科修士課程地球物理専門課程修了、第15次日本南極地域観測隊越冬隊員。1976年東京大学大学院理学系研究科博士課程地球物理専門課程中途退学、国立極地研究所助手。1980年第22次日本南極地域観測隊越冬隊員。1982年国立極地研究所助教授。1987年第29次日本南極地域観測隊副隊長兼夏隊長。1991年国立極地研究所教授。1992年第34次日本南極地域観測隊隊長兼越冬隊長。1994年総合研究大学院大学教授併任。
上田 準二(うえた じゅんじ、1946年〔昭和21年〕12月… 上田 準二(うえた じゅんじ、1946年〔昭和21年〕12月27日 - )は、日本の実業家。ファミリーマート代表取締役社長や、ユニー・ファミリーマートホールディングス代表取締役社長を経て、同社相談役。 秋田県横手市大森町出身。秋田県立横手高等学校 卒業後すぐには就職せず、地元の郵便局長に声を掛けられ、昼は電報配達、夜は電話交換手をしていた。 1970年山形大学文理学部卒業。同年、伊藤忠商事入社。入社が内定した際、母は「下駄屋」や「反物屋」へ就職するものだと勘違いしたとのエピソードがある。経理部勤務を経て翌年、大阪畜産支部へ異動。その間海外赴任を経験し、1986年に業務本部へ異動。1989年には畜産第一課長となり、その後加工センター長、営業本部長、経営企画本部長となる。
島﨑 靖久(しまざき やすひさ、1946年(昭和21年)2月… 島﨑 靖久(しまざき やすひさ、1946年(昭和21年)2月19日 - )は、日本の医師(医学博士)。山形大学医学部教授などを経て、千里金蘭大学学長。学校法人金蘭会学園理事長。日本胸部外科学会特別会員、日本呼吸器外科学会特別会員。大阪府出身。専門は胸部外科学、心臓血管外科学。 大阪府出身。大阪府立清水谷高等学校卒業、1970年(昭和45年)、大阪大学医学部医学科卒業。大学卒業後は大阪大学医学部の助手、アラバマ大学心臓外科学(フェロー、文部省在外研究員)を経て、大阪大学講師、助教授となる。 1995年(平成7年)7月から山形大学医学部外科学第2講座の第2代教授に就任。医学部附属病院の院長補佐、山形大学山形再生医療研究所の所長、社会保険紀南病院副院長、日本学術振興会科学研究費審査委員(2007年4月-2009年3月)などを歴任。
宮島 新一(みやじま しんいち、1946年2月6日 - )は… 宮島 新一(みやじま しんいち、1946年2月6日 - )は、日本の美術史学者。元山形大学教職大学院教授。専門は日本美術史。 愛知県犬山市生まれ。1973年京都大学大学院文学研究科博士課程中退。1994年「絵所預を中心とした宮廷画壇史の研究-中世における大和絵の変遷」で博士(文学)。京都府に就職後、京都国立博物館をふりだしに、文化庁、奈良国立博物館、東京国立文化財研究所、東京国立博物館を転々とする。九州国立博物館設立準備室総主幹兼副館長としてその創設に携わり、開館の翌年、2006年に定年退職。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
結城 登美雄 (ゆうき とみお、1945年 - )は、地元学… 結城 登美雄 (ゆうき とみお、1945年 - )は、地元学プロデューサー。東北地方の農村に深くかかわり、2011年の3・11東日本大震災後は、その復興に東奔西走した。宮城教育大学非常勤講師も務めた。2004年には芸術選奨文部科学大臣賞(芸術振興部門)を受賞した。地元学プロデュ―サーという概念も次第に広く研究され、受け入れられ始めている。 1945年、旧満洲国に生まれたが、戦後帰国し、母の実家が有る山形県大江町で育つ。ふるさとの田代集落は、標高450mの山あいに9軒の家があったが、昭和30年代、60人ほどあった人口が、30数年前(1970~80年代)村人は家を挙げて離村し、山を下りた。毎冬雪2m、少ない田と空しい林業、自給の作物とたばこなどの換金作物で生計を立てる、貧乏村というのだろうが、みんな一所懸命働いて、いつも笑顔があった、という。
小野 勝美(おの かつみ、1944年9月14日 -2021年… 小野 勝美(おの かつみ、1944年9月14日 -2021年8月13日)は、日本の作家、評論家。宮城県白石市生まれ。 山形大学を経て、立教大学大学院日本文学修士課程修了[要出典]。歌人についての伝記などを書いているが、久和数美の別名で釣りをテーマにした小説も執筆する。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
小山 孝雄(こやま たかお、1943年12月13日 - )は… 小山 孝雄(こやま たかお、1943年12月13日 - )は、日本の政治家である。元参議院議員。 山形県北村山郡大久保村(現:村山市)出身。山形県立楯岡高等学校、山形大学文理学部卒業。1968年、宗教法人生長の家に就職し、生長の家政治連合職員。 1980年に生長の家を退職し、自由民主党参議院議員村上正邦の政策担当公設秘書を務める。1995年、第17回参議院議員通常選挙に自民党公認で比例区から出馬し初当選(名簿順位第12位。第15位まで当選)。小渕内閣で労働政務次官に就任。 参議院議員当選後も村上の側近として活動し、村上同様に労働族議員でもあった。また埼玉県川越市に在住し、志木市在住の村上とともに自民党埼玉県連合会に所属。
佐藤 教郎(さとう のりお、1943年10月30日 - )は… 佐藤 教郎(さとう のりお、1943年10月30日 - )は、日本の実業家。日立電線株式会社代表取締役社長や、同社取締役会長、社団法人日本電線工業会会長などを務めた。 山形県長井市出身。1966年山形大学工学部機械工学科卒業、日立電線入社。山形大学硬式野球部出身。日立電線日高工場に34年間勤務し、1996年からは日立電線日高工場長を務めた。1997年日立電線取締役に昇格。2000年日立電線パワーシステムズ代表取締役社長に就任。2002年日立電線常務取締役。2003年から日立電線代表取締役社長を務め、アメリカ合衆国での生産拡大を進めるなどした。2004年日本電線工業会会長。2009年日立電線取締役会長。
髙橋正圀(たかはし まさくに、1943年1月8日 - )は日… 髙橋正圀(たかはし まさくに、1943年1月8日 - )は日本の脚本家。 横浜市生まれ。生後すぐの頃に山形県米沢市へ疎開。以後高校卒業時まで米沢で過ごす。 子供の頃から幻灯機に投影する作品を作って友達を集めて上映会を開いていた。それが高じて、自分で絵を描いてストーリーを作るようになった。また子供の頃は東映時代劇のファンでもあった。 山形大学工学部に入学するも、中退して東京のシナリオ研究所に入るために上京。改めて中央大学文学部に入学。学生時代は年に300本は映画を観賞し、大学のサークルでも8ミリ映画を製作していた。後に中央大学も中退。 シナリオ作家協会・シナリオ研究所修了後、24歳を過ぎた頃に「これがラストチャンス」とばかりに応募した第20回新人映画コンクールに佳作入選。
笹沢 信(ささざわ しん、1942年1月27日 - 2014… 笹沢 信(ささざわ しん、1942年1月27日 - 2014年4月6日)は、文芸評論家。 日本領だった朝鮮・京城生まれ。本名・斎藤暹。 第二次世界大戦後、山形県へ引き揚げ、中学から高校まで大分県臼杵に住む。 1966年山形大学文理学部卒。山形新聞社に入社、文化部記者。現役記者在勤中に1994年小説集『飛島へ』で山形市芸術文化協会賞受賞。 1998年新聞社を退社。出版社「一粒社」を創設。井上ひさしなどの作家伝記を執筆。 2013年『ひさし伝』で真壁仁・野の文化賞、山形市芸術文化協会特別賞受賞。 2014年4月6日、肺炎のため死去。
齋藤 愼爾(さいとう しんじ、1939年8月25日 - 20… 齋藤 愼爾(さいとう しんじ、1939年8月25日 - 2023年3月28日)は、日本の俳人、編集者、文芸評論家。 朝鮮京城府(現・韓国ソウル市)生まれ。1946年、山形県の飛島に移住。高校時代より句作を開始。1955年、秋沢猛、秋元不死男に師事し、秋元不死男主宰の「氷海」に投句。1959年氷海賞受賞。「孤島の寺山修司」と称されたが、翌年より20年以上の間句作を中断した。 山形大学文理学部国文科を中退後、1963年に深夜叢書社を設立。1973年、堀井春一郎らと『季刊俳句』創刊。1983年、寺山修司らと「雷帝」創刊のために句作を再開。さらに50歳の頃から文筆活動に入る。2010年、『ひばり伝 蒼穹流謫』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
村上 龍男(むらかみ たつお、1939年 - )は、鶴岡市立… 村上 龍男(むらかみ たつお、1939年 - )は、鶴岡市立加茂水族館のシニアアドバイザー、エッセイスト。
千田 次郎(ちだ じろう、1938年 - )は日本の牧師、説… 千田 次郎(ちだ じろう、1938年 - )は日本の牧師、説教家、伝道者、神学校教師。山形県米沢市を拠点にして日本中で活躍している牧師である。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
川崎 廣(かわさき ひろし、1937年 - )は、日本の牧師… 川崎 廣(かわさき ひろし、1937年 - )は、日本の牧師。保守バプテスト同盟所属。 1937年 山形県長井市に生まれる。高校時代にキリスト教に入信する。1956年6月24日洗礼を受ける。1956年に山形大学工学部に入学して、1960年に卒業する。1966年 聖書神学舎卒業して、1966年結婚する。聖書神学舎卒業後に、1967年より1988年まで、バプテスト聖書神学校(現在の仙台バプテスト神学校)の講師を務める。山形第一聖書バプテスト教会の牧師、水戸聖書バプテスト教会牧師、山形福音伝道隊主事を経て、1977年より、1999年まで、保守バプテスト同盟、蔵王キリスト教会の牧師を務める。1999年4月に、蔵王キリスト教会を退職して、アジアンアクセス JCGIネットワークの総主事となる。
古川 雅司(ふるかわ まさし、1935年12月12日 - 2… 古川 雅司(ふるかわ まさし、1935年12月12日 - 2026年2月7日)は、日本の政治家。元公明党衆議院議員(5期)。 広島県出身。1961年山形大学工学部電気工学科卒。三菱レイヨン(株)に勤務した後、大竹市議、広島市議を務める。1969年の第32回衆議院議員総選挙に広島3区から公明党公認で立候補して当選し、以来5期務めた。1990年の第39回衆議院議員総選挙で落選し、政界を引退した。 2026年2月7日、老衰のため広島県福山市の自宅で死去。90歳没。
鈴木 英昭(すずき ひであき、1935年7月23日 -201… 鈴木 英昭(すずき ひであき、1935年7月23日 -2017年8月29日 )は、日本の牧師、聖書学者。東京都出身。山形大学卒業、神戸改革派神学校卒業。日本キリスト改革派教会牧師。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。
高橋 朗(たかはし あきら、1935年3月25日 - 200… 高橋 朗(たかはし あきら、1935年3月25日 - 2006年8月14日)は日本の技術者、実業家。トヨタ自動車取締役副社長や、デンソー取締役会長、日本科学技術連盟理事長などを歴任した。藍綬褒章受章。デミング賞本賞受賞。 山形県出身。1957年山形大学工学部機械科卒業、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。1984年大橋正昭、大西匡らとともに取締役に昇格。1988年常務取締役。1996年取締役副社長。1999年デンソー取締役副会長。2000年デンソー取締役会長。同年藍綬褒章受章。2004年デンソー相談役。TQMをトヨタグループで実践したことが評価され、同年デミング賞本賞受賞。2006年日本科学技術連盟理事長。
成田 三樹夫(なりた みきお、1935年〈昭和10年〉1月3… 成田 三樹夫(なりた みきお、1935年〈昭和10年〉1月31日 - 1990年〈平成2年〉4月9日)は、日本の俳優。愛称はミッキー。山形県酒田市出身。 戦後日本映画史において、悪役の系列に確実に名を残した俳優であった。 父親は司法省の職員で、秋田、旭川、仙台の刑務所長を歴任した。実家は日用品を扱う雑貨店を営み、母親が切り盛りしていた。四男一女の三男として生まれ、兄弟たちは地元で評判のエリートとして知られた。 父親に手ほどきされた剣道は三段、スポーツは水泳、野球など何でもこなす万能選手だったが、野球の試合中に右眼に打球を受けて網膜剥離になり、失明寸前となって、以降も右眼はほとんど見えなかった。山形県立酒田東高等学校に進学後から演劇に興味を持ち始め、地元の演劇コンクールに参加し、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を脚色して優秀賞を受賞した。
中川 裕雄(なかがわ やすお、1935年〈昭和10年〉1月2… 中川 裕雄(なかがわ やすお、1935年〈昭和10年〉1月2日 - 2024年〈令和6年〉10月1日)は、日本の実業家。電子機器メーカー・アンリツの元社長。宮城県大崎市古川(旧・古川市)出身。 宮城県古川高等学校卒業。1958年に山形大学工学部電気工学科を卒業し、安立電気(現・アンリツ)に入社。1991年に取締役、1995年6月に専務に就任。 翌年6月、菅居紳至のあとを受けて61歳で社長に昇格。海外部門の再編成に注力し、1国に複数のグループ企業が所在していた状態を1国1社に整理した。 2000年6月に退任して会長。社長の後任には塩見昭が就いた。2001年4月に藍綬褒章を受章。 2024年10月1日に死去。
相馬健一(そうま けんいち、1931年(昭和6年)8月13日… 相馬健一(そうま けんいち、1931年(昭和6年)8月13日 - )は、日本の実業家。元山形新聞社社長、会長。
吉村 和夫(よしむら かずお、1931年〈昭和6年〉4月18… 吉村 和夫(よしむら かずお、1931年〈昭和6年〉4月18日 - 2003年〈平成15年〉8月20日)は、日本の政治家。元山形市長(第16代、1期)。 山形県山形市出身。山形県立山形南高等学校を経て、山形大学文理学部を卒業する。 鹿野彦吉衆議院議員秘書を16年あまり務め、1971年(昭和46年)の山形県議選で初当選。以後通算6期、山形市選挙区にあっては、常にトップでの当選を果たした。またその間には、県議会副議長を務めたほか、自民党県連政調会長、同副会長も歴任をした。しかし、秘書時代から世話をしてきた鹿野道彦が政治改革を巡って、自民党を離党をしたことに伴い自身も離党した。 山形市長選には、金澤忠雄を対抗馬にして1986年(昭和61年)、1990年(平成2年)と出馬するも落選。
佐藤 誠六(さとう せいろく、1930年(昭和5年)11月2… 佐藤 誠六(さとう せいろく、1930年(昭和5年)11月29日 - 2018年(平成30年)10月27日)は、日本の政治家。元山形県寒河江市長(6期)。 山形県立寒河江高等学校卒業後、山形大学から山形県庁に入庁し、土木部副部長などを歴任した。 1984年(昭和59年)12月、市の指名業者からの賛助金集めが問題となり、寒河江市長の武田房雄が辞職。1985年(昭和60年)1月20日に行われた寒河江市長選挙に出馬し初当選した。 さくらんぼの産地としてブランド力の醸成を図り、「日本一さくらんぼの里」を内外に強くアピールし、1988年(昭和63年)さくらんぼの原産地のひとつトルコギレスン市と友好姉妹都市を締結した。
石渡 照久(いしわたり てるひさ、1930年10月12日 -… 石渡 照久(いしわたり てるひさ、1930年10月12日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員。 東京都八王子市出身。都立八王子工業学校を卒業し(山形大学の前身)米沢高等工業学校中退。 織物屋を営みながら八王子JC理事長を経て、1975年44歳で補欠選挙を制し八王子選出の都議に。3期務め1983年第37回衆議院議員総選挙で旧東京11区(現在の東京22区、東京23区、八王子全域の東京24区、東京25区)から自民党新人として出馬し落選。1986年第38回衆議院議員総選挙で初当選。1990年第39回衆議院議員総選挙では落選し議席を失い、1993年第40回衆議院議員総選挙でも返り咲けなかった。 2000年八王子市長選挙で落選、同年第42回衆議院議員総選挙で、保守党から比例区東京ブロックで出馬し落選。
松坂 俊夫(まつさか としお、1930年5月15日 - 20… 松坂 俊夫(まつさか としお、1930年5月15日 - 2006年3月14日)は、日本の文学研究者。 山形県に関係する文学作品を中心に、日本近代文学について多数の評論を発表している。 朝鮮生まれ。山形師範学校在学中、蒲生芳郎、藤沢周平と同人誌を刊行。師範学校卒業後は、山形県立山形中央高等学校教諭などを経て、1977年から山形女子短期大学教授を務めた。教え子に池上冬樹などがいる。 1995年、第41回齋藤茂吉文化賞を受賞した。
庄司 和晃(しょうじ かずあき、1929年2月 - 2015… 庄司 和晃(しょうじ かずあき、1929年2月 - 2015年5月5日)は日本の教育実践家・教育学者。本名は庄司宗晃(しょうじむねあき)。 1929年山形県西村山郡本郷村葛沢(現、大江町葛沢)で生まれる。生家は曹洞宗の寺院で、父親はその住職。山形県立寒河江中学校に入学したが、予科練を志願し、その後小松海軍航空隊に転勤。一時期、藤沢市の日本精工に動員される。その後、中学校を卒業し、山形師範学校入学。卒業後、1948年より長井市豊田小学校に赴任。翌1949年に成城学園初等学校に教諭として転職。当時、成城学園にて社会科構想を説いていた柳田國男に師事する。1955年日本大学文学部(現、文理学部)宗教学科卒業。
岩間 弘(いわま ひろし、1928年 - )は宮城県角田市在… 岩間 弘(いわま ひろし、1928年 - )は宮城県角田市在住の著作家。自著の版元として岩間書店を経営している。 1928年(昭和3年)に日本統治時代の台湾・台中市に生まれる。1941年(昭和16年)に台南市南門小学校卒業、1942年(昭和17年)に台南一中より角田市立角田中学校(旧制)へ転校。1945年(昭和20年)4月、仙台工専(現東北大学)土木科内の満州国土木技術館養成所に満州港の依託学生として入学し、同年8月15日の終戦に伴い養成所が閉所、修了証を受ける。1949年(昭和24年)、米沢工専(現山形大学工学部)紡繊科を卒業。1963年(昭和38年)には靴下機によるナイロン手甲腕カバーやナイロン足袋の仕上型を発明し実用新案を取得。
佐藤 教男(さとう のりお、1927年 - 2025年7月1… 佐藤 教男(さとう のりお、1927年 - 2025年7月10日)は、日本の化学工学者、電気化学者。北海道大学名誉教授。 北海道小樽市生まれ。1948年山形大学工学部機械科卒業。1961年北海道大学工学博士。1986年北海道大学工学部長。 2001年オーリン・パラジウム賞、2005年電気化学会功績賞を受賞。同年瑞宝中綬章受章。 2025年7月10日、老衰のため北海道石狩市の病院で死去した。98歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
高羽 哲夫(たかは てつお、1926年8月31日 - 199… 高羽 哲夫(たかは てつお、1926年8月31日 - 1995年10月31日)は、日本のカメラマン。「男はつらいよ」48作の撮影に携わったことで知られる。 福島県河沼郡湯川村出身。福島県立会津中学校(旧制、現・会津高等学校)、米沢高専(現・山形大学工学部)卒業。 1948年、松竹に入社。1965年、「霧の旗」で第9回三浦賞を受賞。 映画カメラマンとして主に山田洋次監督とコンビを組み、特に「男はつらいよ」48作の撮影に携わったことで知られる。1992年、紫綬褒章受章。 1995年に肝臓癌で死去。69歳没。
佐藤 安太(さとう やすた、1924年3月20日 - 201… 佐藤 安太(さとう やすた、1924年3月20日 - 2019年2月26日)は、日本の実業家。勲等は勲四等。学位は博士(工学)(山形大学・2010年)。山形大学工学部客員教授、福島工業高等専門学校客員教授、財団法人日本玩具文化財団名誉理事長、特定非営利活動法人ライフマネジメントセンター理事長。おもちゃの王様との異名を持つ。 有限会社佐藤ビニール工業所社長(初代)、株式会社宝ビニール工業所社長(初代)、株式会社タカラビニール工業所社長(初代)、株式会社タカラ社長(初・第3代)などを歴任した。 佐藤ビニール工業所を創業し、のちにタカラに改組し、一代で日本屈指の玩具メーカーにまで成長させた。タカラの社長として「ダッコちゃん」、「リカちゃん人形」、「人生ゲーム」、「チョロQ」、「トランスフォーマー」などのヒット商品を次々と開発したことから、「おもちゃの王様」と呼ばれた。
梅田 修(うめだ おさむ、1923年3月11日 - )は、経… 梅田 修(うめだ おさむ、1923年3月11日 - )は、経営学者、経営コンサルタント。 日本経営開発研究所を設立、梅田経営研究所、梅田生産財マーケティング研究所所長。経営戦略、生産財マーケティング、生産管理を研究。 1942年米沢高等工業学校機械工学科卒。技術士(生産管理部門)。住友重機、日本飛行機をへて、日本生産性本部経営コンサルタント指導養成講座に入る。本部指導経営主任コンサルタントをつとめた。
舩山 しん(ふなやま しん、1920年4月13日 - 200… 舩山 しん(ふなやま しん、1920年4月13日 - 2006年8月23日)は、日本の女性運動家。元新日本婦人の会札幌協議会代表。元北海道教育大学学長の舩山謙次の妻。船山しんとも書かれる。日本共産党員。 山形県生まれ。山形県女子師範学校卒。夫・舩山謙次に伴って北海道に転居。新日本婦人の会の運動に参加し、札幌協議会代表などを歴任した。 「老人ホームをつくる会」(略称・つくる会)運動の中心メンバーとして同会副会長を務め、協立いつくしみの会の設立に尽力。特別養護老人ホームかりぷ・あつべつ開所後は協立いつくしみの会を支援する「かりぷ・あつべつ友の会」の初代会長に就任した。 長女の夫は新しい歴史教科書をつくる会(略称・つくる会)会長で元共産党員の藤岡信勝。
新関 岳雄(にいぜき がくお、1917年3月11日 - 19… 新関 岳雄(にいぜき がくお、1917年3月11日 - 1986年10月20日)は、日本のフランス文学者。山形大学名誉教授。 山形県生まれ。旧制山形中学校、旧制山形高等学校を経て、1941年東京帝国大学文学部仏文科卒業、山形大学助教授、教授、81年定年退官、名誉教授、山形女子短期大学学長。郷里の先輩・阿部次郎についても研究した。
柴田 タカ(しばた たか、1916年10月10日 - 199… 柴田 タカ(しばた たか、1916年10月10日 - 1991年)は、日本の短距離走選手。1932年ロサンゼルスオリンピックで女子100メートル競走に出場した。 山形県山形市において、菓子店の長女として生まれる。山形高等女学校(現在の山形県立山形西高等学校)在校中、1932年ロサンゼルスオリンピックで女子100メートル競走に出場した。山形県初の女子オリンピック選手である。オリンピックでは予選で落選しており、公式記録上は「記録なし」とされている。 同大会には渡辺すみ子(1916年11月28日生まれ)が満15歳で女子100m走に出場している。オリンピックに出場した日本の陸上選手としては渡辺が最年少記録(2022年現在も維持)とされ、柴田はこれに次いで年少の選手とされる。
芳賀 秀次郎(はが ひでじろう、1915年(大正4年)1月1… 芳賀 秀次郎(はが ひでじろう、1915年(大正4年)1月1日 - 1993年(平成5年)5月9日)は、日本の教育者、詩人、歌人。 山形県白鷹町横田尻に生まれる。 1935年山形師範学校(現:山形大学地域教育文化学部)卒業後、山大教育学部附属小学校、山形南高、上山高での勤務を経て、長井高校長を務める。退職後、日大山形高校に移り教鞭を執った。旧制山形二中・山南には23年にわたり在籍し、児童文学作家である鈴木実は文芸部で指導を受けた。 アララギ派の歌人として出発し、1943年に情報局・朝日新聞主催の懸賞作詞「大日本の歌」が一位入賞。戦後は、戦中の反省から短歌を捨て詩作におもむく。1952年に洋酒壽屋(現:サントリー)主催で公募された新国民歌では応募した「われら愛す」が一位で入選する。
錦 三郎(にしき さぶろう、1914年 - 1997年5月8… 錦 三郎(にしき さぶろう、1914年 - 1997年5月8日)は、日本のエッセイスト、歌人、蜘蛛研究家、特にバルーニングの研究で著名。山形県山形市出身。1936年山形師範学校卒業、小学校教員となる。1929年頃から斉藤茂吉の弟子の結城哀草果に師事して作歌を始める。1937年アララギ入会。晩年は短歌結社「山麓」の選者を務めた。1958年日本蜘蛛学会に入会。蜘蛛に関連する書籍で数多くの賞を受賞する。1973年退職、1975年南陽市芸術文化協会会長。翌年、市史編さん嘱託(編集委員長)に就任。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
鈴木 行男(すずき ゆきお、1908年9月18日 - 197… 鈴木 行男(すずき ゆきお、1908年9月18日 - 1971年6月6日)は、日本の政治家。元山形県上山市長(2期)。位階は正六位。勲五等双光旭日章。 甥に元衆議院議員の遠藤利明、姪孫に遠藤寛明がいる。 山形県南村山郡西郷村阿弥陀地(現上山市)出身。 山形師範学校(現在の山形大学教育学部)卒業。卒業後は小学校教員として勤務。 蔵王林間学校長、西郷村村長2期などを歴任。 1955年(昭和30年)4月23日に山形県議会議員に初当選。1958年8月23日に上山市長選出馬のため辞職。 1958年9月に上山市長選に出馬し、松本長兵衛と一騎打ちとなるも、落選。(鈴木行男9,774票、松本長兵衛12,441票) 1959年4月23日に山形県議会議員に再選。
阿部 襄(あべ のぼる、1907年6月10日 - 1980年… 阿部 襄(あべ のぼる、1907年6月10日 - 1980年4月22日)は、山形県出身の動物学者・生態学者。山形大学名誉教授。理学博士。 1907年、山形県飽海郡松山町生まれ。阿部富太郎とゆきの長男である阿部一郎の長男。叔父(父の弟)に、哲学者・美学者の阿部次郎、陸軍軍人・実業家の堀三也、動物学者の阿部余四男、日本史学者の竹岡勝也らがいる。 旧制山形高等学校を経て、1931年に東北帝国大学理学部生物学科卒業。1941年に「潮間帯ならびに浅海にすむ数種の無脊椎動物に関する生態学的研究」で東北帝国大学より理学博士の学位を授与。師道大学教授、山形県立農林専門学校教授、山形大学農学部教授を歴任。 戦前、日本学術振興会研究員として「パラオ熱帯生物研究所」に派遣されてサンゴなどの研究を行なった生物学者・生態学者であり、戦時中は満州産ドブガイなどの研究を行ない(阿部襄 1943)、終戦を吉林市で迎え(阿部襄 1970)、のちに山形大学農学部応用動物学研究室教授、山形大学名誉教授となった。
野崎 源三郎(のざき げんざぶろう、1907年〈明治40年〉… 野崎 源三郎(のざき げんざぶろう、1907年〈明治40年〉3月27日 - 1986年〈昭和61年〉12月29日)は、日本の政治家。元埼玉県鴻巣市長。 埼玉県生まれ。1930年(昭和5年)、米沢高等工業学校(現・山形大学工学部)応用化学科卒業。卒業後、株式会社福岡商店工場で働く。商工技官、通商産業技官を歴任した。1958年(昭和33年)、鴻巣市収入役となった。1970年(昭和45年)8月1日、鴻巣市長になった。3期市長を務めた。1982年(昭和57年)7月31日に退任した。『花の鴻巣音頭(埼玉県)』(歌・都はるみ)の作詞を担当した。市長時代の活躍が認められ第3号鴻巣市名誉市民となる。
田口 連三(たぐち れんぞう、1906年2月3日 - 199… 田口 連三(たぐち れんぞう、1906年2月3日 - 1990年3月14日)は、日本の実業家。石川島播磨重工業社長や、同社会長、日本機械工業連合会会長、日本・トルコ協会会長などを歴任した。 山形県出身。1929年米沢高等工業学校(現山形大学工学部)機械科卒業、石川島造船所入社。1950年取締役に昇格。1964年社長。1970年日本機械工業連合会会長。1972年会長。1973年日本産業広告協会会長。1979年相談役。1980年日本・トルコ協会会長。日本銀行参与なども務めた。
高村 弘平(たかむら こうへい、1901年9月21日 - 1… 高村 弘平(たかむら こうへい、1901年9月21日 - 1989年9月28日)は、日本の造園家。山形県上山市出身。 造園会社の高村造園(1971年から東急グループ傘下、1992年に社名を現在の東急グリーンシステムに商号変更)を設立し、近代造園草創期の造園家として活躍。財界人では五島慶太や藤山雷太などとのかかわりをもつ。また当時の民間鉄道会社が積極策の一つして展開していたレクリエーション施設の建設にかかわり、具体に係わった仕事でも全作品の四割は民間のアミューズメント商業関係の造園空間が多く、それらについての論述もいくつか発表している。 五島美術館庭園、聖蹟桜ヶ丘多摩聖蹟地計画、碑文谷公園、円山動物園、須磨海浜公園、二子玉川園などの造園作品を残す。
坂本 種芳(さかもと たねよし、1898年〈明治31年〉12… 坂本 種芳(さかもと たねよし、1898年〈明治31年〉12月26日 - 1988年〈昭和63年〉)は、日本の技師、アマチュア奇術師、奇術研究家。筆名は天城 勝彦(あまぎ かつひこ)。技師としては、九州の筑後川昇開橋を始めとする、多くの可動橋を設計した。奇術師としては、日本初のアマチュア奇術師団体である「東京アマチュア・マジシャンズ・クラブ(Tokyo Amateur Magicians Club、以下TAMCと略)」で中心的な人物として活躍した。また、アメリカの奇術雑誌「スフィンクス(英語版)」から奇術の優秀作品へ贈られる「スフィンクス賞」を、日本人として初めて受賞した。 岩手県上閉伊郡綾織村(後の遠野市)出身。
内藤 秀因(ないとう しゅういん、1890年(明治23年)1… 内藤 秀因(ないとう しゅういん、1890年(明治23年)12月19日~1987年(昭和62年)4月10日)は、庄内町名誉町民、元日本水彩画会理事長の画家。 1890年(明治23年)12月19日、山形県東田川郡余目町大和村古関(現庄内町古関)の寺院・玄通寺の二男として生まれる。1913年(大正2年)山形県師範学校本科第一部卒業。22歳で小学校の教師となるも25歳で上京し、東京美術学校(現東京藝術大学)に入学。しかし、生活苦により中退。東京で教師として務めるながら、画家の石井柏亭、石川寅治に師事する。 1927年(昭和2年)美術および美術教育を研究するためにヨーロッパへ留学。1928年(昭和3年)パリに渡り、画家のアマン・ジャンやオットン・フリエスに師事する。
加藤 富之助(かとう とみのすけ、1889年〈明治22年〉1… 加藤 富之助(かとう とみのすけ、1889年〈明治22年〉12月22日 - 1967年〈昭和42年〉10月15日)は、日本の政治家。山形県議会議員(7期)、山形県議会議長、米沢市会議員(4期) 山形県米沢市生まれ。米沢商業学校(現・山形県立米沢商業高等学校)卒業。米沢高等工業学校(現・山形大学工学部)染色科で学んだ後に、上京して、時事新報に勤めた。その後、帰郷し機業に従事して、新聞社の経営を行った。 1933年(昭和8年)に米沢市会議員に当選して、4期務めた。 1939年(昭和14年)9月25日の県会議員選挙に米沢市選挙区から立憲民政党公認で立候補して、初当選を果たした。 1947年(昭和22年)4月30日の県議選では自由党公認で立候補して、再選を果たした。