加古 隆(かこ たかし、1947年1月31日 - )は、日本… 加古 隆(かこ たかし、1947年1月31日 - )は、日本の作曲家、ピアニスト。 大阪府豊中市出身。東京藝術大学作曲科卒業、同大学大学院修了。パリ国立高等音楽院卒業。息子は俳優・声優の加古臨王。神奈川県湯河原町と長野県軽井沢町の2カ所にアトリエを構える。 作曲においては、ジャズ・クラシック・現代音楽の要素を融合させた独自の作曲形式を確立しており、ピアニストとしては、自身の作品の演奏を中心に活動している。また、映像作品とのコラボレーションによる音楽も数多く手掛け、映像音楽の作曲家としても活動の幅を広げている。自身の作品によるコンサートは世界各国に及び、オリジナルアルバムは50作品を超える。ピアノから紡ぎ出される透明な音の響きから、「ピアノの詩人」あるいは「ピアノの画家」と称される。
稲川 榮一(いながわ えいいち、1945年8月6日 - )は… 稲川 榮一(いながわ えいいち、1945年8月6日 - )は、日本のチューバ奏者。東京芸術大学名誉教授。
森山 威男(もりやま たけお、1945年1月27日 - )は… 森山 威男(もりやま たけお、1945年1月27日 - )は、日本のジャズドラマー。 東京都品川区生まれ。山梨県勝沼町(現・甲州市)育ち。山梨県立甲府第一高等学校、東京藝術大学打楽器科卒業。大学在学中から演奏活動をはじめ、山下洋輔トリオでのプレイで世界的に名を知られるようになる。
遠藤 郁子(えんどう いくこ、現姓田中、1944年11月26… 遠藤 郁子(えんどう いくこ、現姓田中、1944年11月26日 - )は、東京都出身の日本のピアニスト。 2度結婚しており、最初の夫は池内友次郎である。 物理学者を父に、ピアニスト遠藤道子を母として東京に生まれ、幼時に北海道へ移住する。3歳でピアノを始め、母や井口秋子、高折宮次などに師事する。小学校のとき全日本学生音楽コンクール東京大会にて2位入賞(1位は野島稔)。藤女子学園中学校を経て、東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校在学中の1962年に、日本音楽コンクールピアノ部門第2位。東京藝術大学に進み、1965年の第7回ショパン国際ピアノコンクールで特別銀賞を受賞。同年大学を1年で中退してポーランドに留学、ルードヴィク・ステファンスキ、ハリーナ・チェルニー=ステファンスカに師事した。
下村 正彦(しもむら まさひこ、1944年7月22日 - 2… 下村 正彦(しもむら まさひこ、1944年7月22日 - 2023年2月17日)は日本の作曲家。 京都市出身。大阪府立大手前高等学校、東京藝術大学音楽学部作曲科卒業。 神戸山手短期大学表現芸術学科教授を務めた。2015年4月より神戸山手短期大学名誉教授。 神戸芸術文化会議、神戸音楽家協会、作曲集団「たにしの会」各会員。神戸波の会理事、兵庫県音楽教室研究協議会役員。兵庫音楽活動推進会議福代表、兵庫県立美術館アートフュージョン実行員、神戸新聞文化財団評議員、東京芸術大学音楽学部同声会兵庫支部長なども努めた。 音楽教師であった父・下村米太郎(しもむら よねたろう)の影響で音楽を志す。東京芸術大学では池内友次郎に師事。
金 昌国(きん しょうこく、1942年6月4日 - 2022… 金 昌国(きん しょうこく、1942年6月4日 - 2022年7月15日)は、大阪生まれの韓国籍フルート奏者、指揮者。東京芸術大学名誉教授。 在日韓国人として大阪府に生まれる。神戸高校時代にフルートを始め、東京芸術大学および大学院修了。この間、川口勝治郎、川崎優、吉田雅夫に師事。 1967年、日本音楽コンクール第1位。 1969年、ジュネーブ国際コンクール第2位(1位なし)。 1970年よりドイツ、ハノーファー国立歌劇場管弦楽団首席奏者を務める。この間、マルセル・モイーズ、アンドレ・ジョネ、ハンス・ペーター・シュミッツに師事。 1981年に帰国し、東京藝術大学に勤めながら演奏活動を続ける。 1985年、神戸国際フルートコンクール審査委員長(4年に一度開催)。
柿原崇志(かきはら たかし、1940年11月30日 - 20… 柿原崇志(かきはら たかし、1940年11月30日 - 2021年11月17日)は、日本の能楽師。高安流大鼓方。恩賜賞・日本藝術院賞受賞者。重要無形文化財保持者(能囃子方大鼓・人間国宝)。 1940年11月30日、福岡県大牟田市に生まれた。高安流大鼓方・柿原繁蔵の長男で、1954年に父に入門した。その後、高校卒業後に上京して安福春雄に師事した。 1956年、『船弁慶』で初舞台を踏んだ。1962年に能楽協会会員となり、1982年には日本能楽会に入会した。 能楽協会理事・常務理事、日本能楽会理事・常務理事を歴任した。また、能楽養成会講師、東京藝術大学音楽学部非常勤講師、国立劇場伝統芸能伝承者養成「能楽(三役)」研修講師を務め、後進の指導にもあたった。
森瑤子(もり ようこ、1940年11月4日 - 1993年7… 森瑤子(もり ようこ、1940年11月4日 - 1993年7月6日) は、1980年代に活躍した日本の小説家。本名、伊藤雅代。静岡県伊東市出身。37歳でデビューしてから52歳で没するまでの短い活動期間に、小説、エッセイ、翻訳など100冊を超える著作を生んだ。作品は20回以上テレビドラマ化されている。森瑶子名義の著作多数。 ライナーノーツ抄:『私は独り言のような小説を好まない。人間の葛藤が好きなのである。…ダブルコンチェルトの中に描かれている女たちは恋を失ったときに、相手を決して責めない女たちである。…』
新関 公子(にいぜき きみこ、1940年10月10日 - )… 新関 公子(にいぜき きみこ、1940年10月10日 - )は、日本の美術史学者、東京藝術大学名誉教授。 1940年新潟県長岡市生まれ。1959年新潟県立柏崎高等学校卒業。1963年東京芸術大学美術学部芸術学科卒業。1965年同大学院修士課程修了、東京芸大付属芸術資料館(現東京芸術大学美術館)に勤務(-1974年)。 1968年フランス政府給費留学生としてエコール・デュ・ルーヴルで博物館学研修を受ける。1982-1987年横浜市美術館開設準備室勤務。2002年東京芸大美術館教授、2008年退任、名誉教授。2012年『ゴッホ 契約の兄弟』で吉田秀和賞受賞。
宇佐美 圭司(うさみ けいじ、1940年1月29日 - 20… 宇佐美 圭司(うさみ けいじ、1940年1月29日 - 2012年10月19日)は日本の画家。大阪府吹田市出身。 大阪府吹田市生まれ。父の転勤により和歌山市へ転居し、小中学校期を同地で過ごす。 1953年に家族とともに大阪に転居し、大阪市立田辺中学校に編入。 1958年、大阪府立天王寺高校卒業。東京藝術大学を受験するが不合格となり、東京に居をかまえ独学で創作を開始。 1963年、南画廊(東京・日本橋)で初個展。 1965年、「新しい日本の絵画と彫刻」展(MoMA、NY)出品。この年に見つけた『ライフ』誌上のワッツ暴動の写真から抜き出した4人の人型を、翌年の自作に用いる。 1967年、第5回パリ青年ビエンナーレ(パリ市立近代美術館)、1972年、第36回ヴェネツィア・ビエンナーレ参加、他多数。
吉江 忠男(よしえ ただお、1940年 - )は、日本のバリ… 吉江 忠男(よしえ ただお、1940年 - )は、日本のバリトン歌手。 長野県諏訪郡長地村(現岡谷市)出身。長野県岡谷南高等学校を経て、東京藝術大学音楽学部声楽科、同大学院修了。学生時代から畑中良輔や中山悌一らに師事する。大学院在学中に「フィガロの結婚」の伯爵役及び「ドン・ジョヴァンニ」のタイトル・ロールでデビュー。二期会新人賞などを受賞。卒業後1969年、日独交換留学生としてデトモルト音楽大学(英語版)に留学。1975年より12年間、フランクフルト歌劇場の専属バリトン歌手として活躍。またヨーロッパ各地の音楽祭等で活躍した。 1987年活動の場を日本に移し、オペラ出演、リサイタルなどのほか、郷里の岡谷市でバッハを中心とした合唱団「カンタータ・コア」及び「チェンバー・オーケストラ信州」を発足させ、地域の音楽文化発展に貢献している。
菊地 雅章(きくち まさぶみ、1939年10月19日 - 2… 菊地 雅章(きくち まさぶみ、1939年10月19日 - 2015年7月7日)は、日本のジャズ・ピアニスト、キーボード奏者。「プーさん」の愛称で親しまれている。実兄の菊地雅春は東京藝術大学音楽学部作曲科出身の作曲家。実弟の菊地雅洋も東京藝術大学音楽学部作曲科出身のジャズピアニスト。ベーシスト菊地雅晃の叔父。
佐藤 眞(さとう しん、1938年(昭和13年)8月24日 … 佐藤 眞(さとう しん、1938年(昭和13年)8月24日 - )は、日本の作曲家。代表曲には合唱コンクールでも幅広く歌われている「大地讃頌」(『土の歌』の終曲)など。
岩崎 駿介(いわさき しゅんすけ、1937年 - )は、日本… 岩崎 駿介(いわさき しゅんすけ、1937年 - )は、日本の建築家、都市デザイナー、NGO活動家、政治家。息子の岩崎夏海は放送作家。 東京生まれ。父は岩崎書店創業者・岩崎徹太。兄は精神科医の岩崎徹也。慶応義塾高等学校卒業後、東京藝術大学美術学部建築科へ入学。 大学卒業後、建築設計事務所を2年間経営した後、アフリカ・ガーナの国立科学技術大学専任講師、そしてハーバード大学デザイン大学院都市デザイン専攻留学。
平吉 毅州(ひらよし たけくに、1936年(昭和11年)7月… 平吉 毅州(ひらよし たけくに、1936年(昭和11年)7月10日 - 1998年(平成10年)5月28日)は、日本の作曲家。 独唱曲や合唱曲など児童へ向けた作品も数多く残し、そのいくつかは教科書へ採用されるなど音楽教育へ大きく貢献した。 兵庫県神戸市出身。兵庫県立兵庫高等学校を卒業。1961年(昭和36年)、東京藝術大学音楽学部作曲科を卒業し、1967年(昭和42年)には芸大大学院を修了する。 在学中は長谷川良夫、伊熊良穂に師事。大学卒業後「管弦楽のためのコンポジション」を発表、第31回日本音楽コンクールにて第1位入賞。1969年(昭和44年)には「交響変奏曲」で尾高賞を受賞。1999年には第9回日本吹奏楽アカデミー賞(作・編曲部門)を受賞している。
小林 仁(こばやし ひとし、1936年2月14日 - )は、… 小林 仁(こばやし ひとし、1936年2月14日 - )は、日本のピアニスト。ピエール・ブーレーズのピアノソナタ第一番の日本初演者として知られているが、現在はクラシック音楽のためのピアニストである。現在、東京藝術大学名誉教授。日本ショパン協会会長、日本ピアノ教育連盟会長、日本演奏家連盟常任理事、名古屋音楽大学客員教授、札幌大谷大学教授などを務める。
今藤 政太郎(いまふじ まさたろう、1935年10月10日 … 今藤 政太郎(いまふじ まさたろう、1935年10月10日 - 2026年6月30日)は、日本の長唄三味線奏者、作曲家。重要無形文化財保持者(人間国宝)であり、日本藝術院賞受賞者でもある。本名は中川 昇一(なかがわ しょういち)。 四世藤舎呂船、藤舎せい子の長男として東京日本橋に生まれる。十世芳村伊四郎、三世今藤長十郎、今藤綾子、山田抄太郎に師事した。 1959年、東京藝術大学音楽学部邦楽科を卒業した。1963年、二世今藤政太郎を襲名した。 大学卒業後は演奏活動と作曲活動を続け、海外公演にも参加した。また、桐朋女子短期大学講師、国立音楽大学講師、国立劇場養成課講師、NHK邦楽技能者育成会講師などを歴任し、2017年からは京都市立芸術大学客員教授を務めている。
兼田 敏(かねだ びん、1935年9月9日 - 2002年5… 兼田 敏(かねだ びん、1935年9月9日 - 2002年5月17日)は、日本の作曲家。 旧満洲新京(現・中国長春市)生まれ。引き揚げ後京都府京都市に住み、中学校時代にコルネット奏者となる。京都市立堀川高等学校音楽課程(現京都市立京都堀川音楽高等学校)を経て、東京藝術大学作曲科に入学。在学中下総皖一に師事。 岐阜大学教授、愛知県立芸術大学教授、岐阜大学大学院教授となり、居を岐阜市に構え、岐阜県にて音楽活動の中心とする。日本管打・吹奏楽学会顧問、日本バンドクリニック委員会代表、ナゴヤ・ディレクターズバンド指揮者を歴任。 保科洋(東京藝大での同期)と交流が深く、吹奏楽文化の普及をともにリーダーシップをとっていた。
工藤哲巳(くどう てつみ、1935年2月23日 - 1990… 工藤哲巳(くどう てつみ、1935年2月23日 - 1990年11月12日)は、日本の現代美術家。大阪に生まれ、、少年期を父の出身地青森で暮らし、1945年に父が早世した後、母の郷里岡山で高校までを過ごした。本名は工藤哲美。 祖父は青森県長橋村村長、父は画家の工藤正義。岡山県立岡山操山高等学校在学中に小磯良平に師事。東京藝術大学では林武に師事した。その在学中から、東京都美術館で開催されていた読売アンデパンダン展に出展し注目を浴びた。東野芳明は1960年(第12回展)に出展された工藤の『X型基本体に於ける増殖性連鎖反応』を評し最初に「反芸術」の語を用いている。 1958年、東京藝術大学油画科を卒業。
南 弘明(みなみ ひろあき、1934年6月21日 - )は、… 南 弘明(みなみ ひろあき、1934年6月21日 - )は、日本の電子音楽および現代音楽の作曲家。東京藝術大学名誉教授。 山口県生まれ。福岡県立八幡高等学校を卒業後、東京藝術大学音楽学部作曲科、同校専攻科を経て、ドイツのフライブルク音楽大学でヴォルフガング・フォルトナーに学ぶ。帰国後、東京音楽大学、東京藝術大学で教鞭を執りながら、作曲活動を続ける。電子音楽に注目し、5曲の「電子交響曲」を作曲した他、1992年には日本電子音楽協会を設立した。また、若い頃から合唱の分野にも力を注いでおり、大学在学時の1955年、草野心平の詩による男声合唱のための組曲「蛙の歌」を作曲している他、堀口大學の訳詩による男声合唱曲集「月下の一群」(第1集 - 第3集)、高田敏子の詩による混声合唱組曲「飛翔(はばたき)」などがある。
藤家 虹二(ふじか こうじ、本名:藤家 光嗣(ふじか こうし… 藤家 虹二(ふじか こうじ、本名:藤家 光嗣(ふじか こうし)、1933年9月2日 - 2011年10月24日)は、広島県福山市出身の日本のジャズクラリネット奏者。 1952年、広島県立福山誠之館中学(現広島県立福山誠之館高等学校)卒業。東京藝術大学音楽学部器楽科に首席で入学し、首席で卒業。在学中からジャズに身を投じるが、クラシックでも1956年、毎日音楽コンクール管楽器部門で第1位となった。 ベニー・グッドマンに傾倒し、その後はスウィング・ジャズ一筋に演奏を続け、平岡精二クインテット、セクステットから池田操とリズムキングを経て、1959年に南部三郎クインテットに参加。南部三郎が突如バンドを脱退したため、メンバーで相談の末、藤家がリーダーとなって、同年12月に藤家虹二クインテットとして再出発した。
島田 章三(しまだ しょうぞう、1933年7月24日 - 2… 島田 章三(しまだ しょうぞう、1933年7月24日 - 2016年11月26日)は、日本の洋画家、版画家。愛知県立芸術大学元学長。兄は歌人の島田修二。 神奈川県横須賀市生まれ。父の英之は長野県の出身で、京都高等工芸学校図案科を卒業後、浦賀船渠の客船インテリアデザイナーを経て横須賀市議会議員、同市議会副議長を歴任、1970年には横須賀市の市政功労者に選ばれている。また、京都滞在中は黒田重太郎にデッサンを学んだという。母の敏子は斎藤茂吉に師事し、「上泉鶴」の名で『アララギ』に投稿していた。 ヨーロッパ留学中にピカソやブラックらキュビズム画家の作品に触れ、「キュビズムを日本人の言葉で翻訳」することを自らの課題として見出した。
安田 伸(やすだ しん、1932年〈昭和7年〉9月19日 -… 安田 伸(やすだ しん、1932年〈昭和7年〉9月19日 - 1996年〈平成8年〉11月5日)は、日本のサックス奏者、コメディアン、元ハナ肇とクレイジーキャッツのメンバー、俳優、作曲家。本名は安田 秀峰(やすだ ひでみね)。愛称はヤッさん。 現在の東京都中野区江原町生まれ。父は佐賀県出身で、右翼活動や満州の諜報活動をしていたが、やがて毛皮と皮革の商売を始めた。生後まもなく川崎市の溝の口の大山街道沿いに移り、川崎市立高津小学校6年生のとき旧町役場の延焼を防ぐために強制疎開となる。母の実家がある川崎市柿生を経て厚木市に移り、旧制厚木中学校(現在の神奈川県立厚木高等学校)1年生のとき敗戦を迎える。軍人志望で陸軍幼年学校に願書を出していたが敗戦によって音楽の道に志望を変更し、コルネットを独学で学ぶ。
三谷 昇(みたに のぼる、1932年〈昭和7年〉4月9日 -… 三谷 昇(みたに のぼる、1932年〈昭和7年〉4月9日 - 2023年〈令和5年〉1月15日)は、日本の俳優・声優、芸術家。 広島県立福山葦陽高等学校卒業。「文学座」や「劇団雲」を経て、「演劇集団 円」に所属していた。特技は広島弁。 高校時代から演劇活動を開始。1951年に高校を卒業後、画家を志望して東京藝術大学を受験するが失敗。郷里に帰るのが嫌で文学座に裏方として入団した。4年後、役者へと転身した。 絵心は晩年まで持ち続け、舞台でピエロを演じた経験から「役者は道化」と思い定め、ピエロを描いた「道化石」を共演者らに送ったり、新美南吉の童話『いつのことだかどこのことだか』を紙芝居化したり、公演先でスケッチしたりしており、没後には遺作展も開かれた。
渡部 恵一郎(わたなべ けいいちろう、1932年3月2日 -… 渡部 恵一郎(わたなべ けいいちろう、1932年3月2日 - 2001年12月11日)は日本の音楽学者。鳥取県出身。特にヘンデルを研究。 母校・鳥取県立米子東高等学校の校歌作曲者の一人。東京藝術大学音楽学部楽理科にて、音楽学を服部幸三に学んだ。1967年から1969年まで、および1987年にはアレクサンダー・フォン・フンボルト財団の招聘によりドイツおよびイギリスでヘンデル研究に携わる。1972年から桐朋学園大学助教授、教授。 1994年以来様々な団体とともにヘンデルの劇作品の企画構成演出に携わり、1998年に日本ヘンデル協会(The Handel Institute Japan)を創設、同協会代表を務めた。
小林 秀雄(こばやし ひでお、1931年2月12日 - 20… 小林 秀雄(こばやし ひでお、1931年2月12日 - 2017年7月25日)は、日本の作曲家。 出生地は下北沢であるが、父親の転勤に伴い幼少期を愛知県犬山市、次いで三重県伊勢市で過ごす。宇治山田中学校卒業後、東京音楽学校を経て東京藝術大学師範科作曲専攻を卒業。作曲を長谷川良夫、ピアノを水谷達夫、宅孝二、奥川坦、稲垣寿子に師事。1959年・1961年 NHKから委嘱された芸術祭参加作品のラジオ音楽劇2作がそれぞれ芸術祭奨励賞を受賞する。1966年に中田喜直らと「波の会」(現・日本歌曲振興波の会)を創設し、第二代会長を経て、後に社団法人となった同会の名誉会員を務めた。 東京藝術大学音楽学部講師、愛知県立芸術大学教授、聖徳大学・同短期大学教授、活水女子大学教授などを歴任した他、1979年には文部省派遣在外研修生としてパリに留学した。
後藤 純男(ごとう すみお、1930年1月21日 - 201… 後藤 純男(ごとう すみお、1930年1月21日 - 2016年10月18日は、日本画の画家。 昭和5年(1930年)、千葉県東葛飾郡木間ヶ瀬村(現野田市)に生まれる。昭和7年(1932年) に埼玉県北葛飾郡金杉村(現松伏町)へ転居。昭和61年(1986年)に内閣総理大臣賞を受賞、昭和63年(1988年)から平成9年(1997年)まで東京藝術大学美術学部の教授を務めた。平成18年(2006年)に旭日小綬章受章。平成28年(2016年)に日本芸術院賞・恩賜賞を受賞する。 歌人の米川千嘉子は姪。 2016年10月18日、敗血症により死去。86歳没。
矢代 秋雄(やしろ あきお、1929年9月10日 - 197… 矢代 秋雄(やしろ あきお、1929年9月10日 - 1976年4月9日)は、日本の作曲家。 若い頃より英才として将来を期待され、東京音楽学校作曲科、東京藝術大学研究科を卒業した後、パリ国立高等音楽院に留学。和声法で一等賞を得る等、優秀な成績を修めて卒業。晩年は、作曲家として活動する一方、東京藝術大学音楽学部作曲科の主任教授として、後進の指導にあたった。門下より、野田暉行、池辺晋一郎、西村朗、北爪道夫、荻久保和明、糀場富美子、尾高惇忠、池上敏など現在の日本を代表する作曲家を輩出している。完璧主義、寡作主義で知られる。 矢代秋雄は、1929年9月10日、東京の大森で西洋美術、美術史を専門とする評論家、矢代幸雄の長男として生まれた。
川﨑 春彦(かわさき はるひこ、1929年3月17日 - 2… 川﨑 春彦(かわさき はるひこ、1929年3月17日 - 2018年10月2日)は、日本画家。位階は従四位。日本藝術院会員。 東京都杉並区出身。父は川﨑小虎。父方の曽祖父は川崎千虎。兄は川崎鈴彦という日本画家の一家に生まれ、長女の川崎麻児も日本画家となった。親戚に元京成電鉄社長の川﨑千春。 父と義兄の東山魁夷に師事。東京美術学校(現東京藝術大学)卒。日展を中心に日本画院展、日本美術協会展などで活躍。 戦時中に父・小虎などと一家で山梨県中巨摩郡落合村(現・南アルプス市)へ疎開し、復員してきた兄・鈴彦や義兄・東山魁夷などと共に自然の写生を励んだことから画才が開いた。代表作の「朝明けの湖」など、力強い色彩による自然の生命力あふれる風景画で知られ、特に富士山を描いた多くの作品を残した。
東儀祐二(とうぎ ゆうじ、1928年5月11日 - 1985… 東儀祐二(とうぎ ゆうじ、1928年5月11日 - 1985年4月12日)は、京都生まれのヴァイオリン奏者、指揮者、音楽教育者。 1946年、宮内省楽部卒業。1950年3月、京都市立堀川高等学校音楽科(現京都市立京都堀川音楽高等学校)を卒業し、同年4月、東京藝術大学音楽学部器楽科ヴァイオリン専攻に入学。1954年3月、同大学を卒業し、同年4月、東京フィルハーモニー交響楽団に入団し、1956年2月まで第2ヴァイオリン首席を務める。 以後、ソリスト、リサイタル、室内楽などの演奏活動をしながら、同年4月、相愛女子短期大学音楽科助手及び相愛学園子供の音楽教室実技、合奏担当となる。1958年、相愛女子大学設置に伴い、同大学専任講師となる。
今井 俊満(いまい としみつ、1928年5月6日 - 200… 今井 俊満(いまい としみつ、1928年5月6日 - 2002年3月3日)は、日本の画家。アンフォルメルの画家として、日本とパリを拠点に活動した。息子の今井アレクサンドル、今井龍満(りゅうま)も画家。 父俊雄と母綾野の次男。京都市に生まれ、幼い時に大阪市の船場安土町に転居。大阪市立船場尋常小学校を卒業すると、1941年に上京して旧制武蔵高等学校尋常科に入学した。武蔵高校在学中から絵を描き始め、荻太郎、梅原龍三郎、安井曾太郎などに師事。1948年に武蔵高校を卒業した。 高校卒業後の1948年10月には第12回新制作派協会展で入賞。1950年には東京藝術大学美術学部油絵科で1年間派遣学生として学び、1952年にはフランスに私費留学し、ソルボンヌ大学文学部に学ぶ。
矢崎 明子(やざき あきこ、1927年 - )は日本の邦楽演… 矢崎 明子(やざき あきこ、1927年 - )は日本の邦楽演奏家。 長野県諏訪市に生まれる。10歳より宮城門下にて琴を習う。長野県岡谷高等女学校(現・長野県岡谷東高等学校)を経て、東京音楽学校(現・東京藝術大学)邦楽科卒業。1952年同研究科修了。 宮城道雄、宮城喜代子に師事。宮城会所属。 1957年、NHK邦楽技能者育成会2,3期生から選ばれた4名で、世界青年友好祭 民族楽器コンクール(モスクワ)に出演して金賞。 帰国後、同メンバーにて『邦楽4人の会』結成(尺八:北原篁山、筝:菊地悌子、後藤すみ子、矢﨑明子)。古典邦楽からヨーロッパクラシック曲、前衛的な楽曲まで幅広く取り組み、現代邦楽の新たな可能性を開いた。
福永 陽一郎(ふくなが よういちろう、1926年4月30日 … 福永 陽一郎(ふくなが よういちろう、1926年4月30日 - 1990年2月10日)は日本の指揮者、編曲家、音楽評論家。兵庫県神戸市生まれ。 関西学院中学部、西南学院中学部、西南学院高等部を経て、東京音楽学校(現:東京藝術大学)ピアノ科に入学したが、1948年1月に中退。東京音楽学校在籍中より、東宝交響楽団(現:東京交響楽団)にて、近衛秀麿の内弟子となり、指揮法、作曲法、管弦楽法を学ぶ。1950年、西南学院大学神学部に入学したが、翌年再上京し、藤原歌劇団に入団。マンフレート・グルリットの下でオペラ演奏法を学んだ。 晩年は腎臓病に苦しみ、人工透析に週3回通いながら音楽活動を続けていたが、1990年2月10日に死去。
柏村 勲(かしわむら いさお、1924年8月21日 - 20… 柏村 勲(かしわむら いさお、1924年8月21日 - 2017年3月5日)は、日本の画家、随筆家。 広島県呉市に生まれる。広島県呉第一中学校、東京美術学校(東京藝術大学の前身校の一つ)油絵科卒業。卒業後、同級生であり画家の伊能由利子と結婚。 黒澤映画美術助手となる。東宝「生きる」「静華命」「安五郎出世」などを担当。 1952年、長男誕生後に川崎市立住吉中学校美術教師となる。 1960年、親友のアメリカ人夫妻と3人でヨット旅行に出発。アムステルダムから運河をたどってヨーロッパを縦断、地中海、バミューダ諸島などを経て大西洋を横断、アメリカ合衆国ニューポートまでの10ヶ月に及ぶヨットの旅だった。この旅が転機となり「ヨットと海」を描きはじめる。
團 伊玖磨(だん いくま、1924年4月7日 - 2001年… 團 伊玖磨(だん いくま、1924年4月7日 - 2001年5月17日)は、日本の作曲家、エッセイスト。日本を代表するクラシック音楽の作曲家の一人である。作曲家としてはオペラ、交響曲、歌曲などのいわゆるクラシック音楽のほか、童謡、映画音楽、放送音楽と幅広いジャンルを手がけた。「團伊玖麿」は誤表記。
飯田 善国(いいだ よしくに、1923年7月10日 - 20… 飯田 善国(いいだ よしくに、1923年7月10日 - 2006年4月19日)は、日本の彫刻家、現代美術家、詩人。
野見山 暁治(のみやま ぎょうじ、1920年〈大正9年〉12… 野見山 暁治(のみやま ぎょうじ、1920年〈大正9年〉12月17日 - 2023年〈令和5年〉6月22日 )は、日本の洋画家。位階は従三位。勲等は文化勲章。東京芸術大学名誉教授、文化功労者。 本名は「暁」が旧字体の野見山 曉治であり、文化勲章受章時の名簿でもそのように記載されている。 福岡県穂波村(現飯塚市)にて、炭鉱経営者の子として生まれる。東京美術学校(現東京芸術大学)入学当時は故郷の炭鉱を制作の原風景とし、その後12年間のパリ生活を経て、抽象画へと変化。帰国後は東京芸術大学で教え、美術学部助教授、教授などを歴任し、同大名誉教授となる。 2023年6月22日、心不全のため死去。102歳没。
鳴海 要(なるみ かなめ、1920年10月5日 - 2004… 鳴海 要(なるみ かなめ、1920年10月5日 - 2004年8月28日)は、日本の陶芸家。りんご釉の開発者。 青森県中津軽郡岩木町(現 弘前市)出身。1951年県工業試験場窯業部研究員、1954年加藤土師萌に師事。1956年東京藝術大学美術学部副手。1961年現代日本陶芸特選。1964年に帰郷し、賀田で築窯する。 1977年岩木町褒賞、1996年青森県文化賞、1999年青森県褒賞、2003年青森りんご勲章をそれぞれ受賞した。2003年、鳴海要記念陶房館を開設し、同年地域文化功労者文部大臣表彰を受けた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
立川 義明(たてかわ よしあき、1918年11月3日 - 2… 立川 義明(たてかわ よしあき、1918年11月3日 - 2017年2月)は、日本の彫刻家。 長野県諏訪市出身。宮大工立川和四郎の末裔で、父は立川義清。彫刻師だった祖母や父の影響で彫刻家を志す。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、東京美術学校(現・東京藝術大学)彫刻科卒業。藤井浩佑に師事。日展や日彫展を中心に数多くの作品を発表した。1978年第一回日展会員賞受賞。日展審査員、日展評議員、日展参与などを務めた。東京都荒川区西日暮里に在住し、アトリエを構えていた(藤井浩佑の屋敷跡)。
西出 大三(にしで だいぞう、1913年6月7日 - 199… 西出 大三(にしで だいぞう、1913年6月7日 - 1995年7月8日)は日本の截金師。1985年に諸工芸の截金の分野で2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。 石川県生まれ。金沢一中を経て、東京美術学校(現・東京藝術大学)で彫刻を学ぶ。在学中に彫刻家の高村光雲が、京都の浄瑠璃寺の秘仏「木造吉祥天立像」の模刻を製作する際、台座に施された截金の文様が復元不可能であり金泥で代用したことを聞き、截金の研究に取り組むようになる。それ以後、数多くの藤原・鎌倉期の仏像・仏画の截金作品を見て回り、製作技法や道具を研究して、独力での復元に成功した。 西出は元来彫刻家であったため、その造型技術を活かし、馬・牛・犬・雀・鶏などの動物や鳥類を彫刻し、これらに截金を施す作風を得意とした。
柏木 俊夫(かしわぎ としお、1912年9月24日 - 19… 柏木 俊夫(かしわぎ としお、1912年9月24日 - 1994年12月7日)は、日本の作曲家、音楽理論家。東京学芸大学名誉教授。 兵庫県洲本市出身。『和声 理論と実習』の共著者として知られる。東京学芸大学教授、東京芸術大学講師、千葉経済大学教授を歴任。 旧制洲本中学校卒業、東京音楽学校(東京藝術大学の前身)作曲科第1期生卒業。同校で信時潔、クラウス・プリングスハイムらに師事した。 1950年、イタリアのジェノヴァでの作曲コンクールにおいてピアノ曲「芭蕉の奥の細道による気紛れなパラフレーズ」で入賞した。他には声楽曲が多い。1985年、勲三等瑞宝章を受章。 1994年12月7日、心不全のため死去。
野口 久光(のぐち ひさみつ、1909年8月9日 - 199… 野口 久光(のぐち ひさみつ、1909年8月9日 - 1994年6月13日)は、日本の映画、ジャズ、ミュージカル評論家。画家、グラフィックデザイナー。生涯に1000点を超える映画ポスターを描いたと言われる。
中谷 泰(なかたに やすし/なかたに たい、1909年5月2… 中谷 泰(なかたに やすし/なかたに たい、1909年5月20日 - 1993年5月31日)は、三重県松阪市出身の画家。東京藝術大学教授。 戦前、新文展で特選。春陽会会員となる。絵本画家のいわさきちひろに油絵を指導したことでも知られる。本名は中谷泰一(なかたにたいいち)。 戦後は、日本美術会の書記長を務めた美術評論家の水沢澄夫に誘われ、同会に入会。春陽会や、日本アンデバンダン展(日本美術会主催)、平和美術展(美術家平和会議主催)にも作品を出品した。その後、日本美術会代表、東京藝術大学美術学部教授、財団法人いわさきちひろ記念事業団理事長、日本美術会附属美術研究所「民美」所長を歴任した。 戦前から挿絵も手がけ、坪田譲治の名作児童文学『善太と三平』(童話春秋社、1940年)の挿絵を皮切りに、戦後のNHKのラジオドラマ番組「光を掲げた人々」をもとにした「光を掲げた人々」シリーズ全12巻(光の友社、1954年)の多くで挿絵を担当。
妹尾 幹(せのお かん、1905年(明治38年)7月29日 … 妹尾 幹(せのお かん、1905年(明治38年)7月29日 - 1969年(昭和44年)8月13日)は、日本の教育者。東京音楽学校教授(現:東京藝術大学・音楽学部)を務めた後、旧制山口高等学校(山口大学経済学部の前身)・島根大学教授、岡山大学助教授、北海道大学、神奈川大学教授となる。岡山県高梁市出身。 1905年(明治38年)、岡山県上房郡高梁町(現:高梁市)の妹尾善平の子として生まれる。旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)を経て、1923年(大正12年)旧旧制松江高等学校文科乙類に進学、1926年(大正15年)、同校を卒業し、東京帝国大学文学部独文学科へ進学した。1930年(昭和4年)3月に同大学を卒業した。
高木 東六(たかぎ とうろく、1904年7月7日 - 200… 高木 東六(たかぎ とうろく、1904年7月7日 - 2006年8月25日)は、主に昭和期に活躍した日本の作曲家。
山口 保治(やまぐち やすはる、1901年10月20日 - … 山口 保治(やまぐち やすはる、1901年10月20日 - 1968年7月24日)は、愛知県豊川市出身の作曲家。 愛知県立第四中学校(現愛知県立時習館高等学校)卒業、1923年東京音楽学校甲種師範科(現東京藝術大学)入学。福井高等師範学校教員などを経て、1941年「さよなら三丁目」で童謡として初めての文部大臣賞を受賞した。1944年(昭和19年)豊川市国府町に疎開し、国府高等女学校(現愛知県立国府高等学校)教員。1961年「かかしのねがいごと」で日本レコード大賞童謡賞を受賞する。
多 忠亮(おおの ただすけ、1895年(明治28年)5月3日… 多 忠亮(おおの ただすけ、1895年(明治28年)5月3日 - 1929年(昭和4年)12月3日)は、大正期のヴァイオリン奏者・作曲家。
中川 紀元(なかがわ きげん、1892年〈明治25年〉2月1… 中川 紀元(なかがわ きげん、1892年〈明治25年〉2月11日 - 1972年〈昭和47年〉2月9日)は、長野県上伊那郡辰野町出身の洋画家である。旧姓は有賀、本名は紀元次。 長野県上伊那郡朝日村(現辰野町樋口)出身。長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)卒、東京美術学校(現東京藝術大学)彫刻科入学。中退後、太平洋画会研究所、本郷絵画研究所へ通い洋画に転向、藤島武二にデッサンの指導を受け、また、二科会の重鎮であった石井柏亭や正宗得三郎にも師事。1907年(明治40年)から1914年(大正3年)まで玉川尋常小学校の図画工作の講師をしており、当時の校長は島木赤彦が勤めていた。教え子には堀内唯生がいた。
永瀬 義郎(ながせ よしろう、1891年1月5日 - 197… 永瀬 義郎(ながせ よしろう、1891年1月5日 - 1978年3月8日)は、日本の版画家、画家。茨城県出身。大正初期の時代から昭和にかけて旺盛なる創作活動を続け、版画や油絵により、自分の信ずる「美の世界」を表現するために、様々な手法を試み社会に問い続けた。また、著書「版画を作る人へ」はその後の版画家たちへ影響を与えた。 茨城県西茨城郡北那珂村入野(現在の桜川市)に生まれる。土浦中学時代より絵画に興味を持ち始め、熊岡美彦、矢口達、高田保らと知り合う。1904年に創刊された美術雑誌『みずゑ』に水彩画を応募し、画家になることを本格的に意識し始める。東京美術学校(現在の東京藝術大学)彫刻科に入学するもすぐに中退。
広島 晃甫(ひろしま こうほ、本名:広島新太郎、1889年(… 広島 晃甫(ひろしま こうほ、本名:広島新太郎、1889年(明治22年)11月23日 - 1951年(昭和26年)12月16日)は、徳島県徳島市出身の日本画家。香川県立工芸学校(現香川県立高松工芸高等学校)、東京美術学校日本画科(現東京藝術大学)卒業。 徳島県徳島市に生まれる。1907年(明治40年)に香川県立工芸学校を卒業。1909年(明治42年)に白馬会洋画研究所に入り、後に画家の萬鉄五郎らとアブサント会を興す。1912年(明治45年)に東京美術学校日本画科を卒業。その後、長谷川潔、永瀬義郎と共に日本版画倶楽部を結成。 第1回帝展、第2回帝展で特選になり名が知られるようになる。帝展審査員、新文展審査員などを歴任した。