掛川 恭子(かけがわ やすこ、1936年1月13日 - 20… 掛川 恭子(かけがわ やすこ、1936年1月13日 - 2020年代〈2023年以前〉)は、日本の翻訳家。 東京府(現・東京都)生まれ。津田塾大学英文学科に入学し、在学中に乙骨淑子、奥田継夫、山下明生、八木田宜子らと同人誌「こだま」に参加。大学卒業後、カナダのアルバータ大学に学ぶ。主に英米の児童文学・絵本の翻訳にたずさわり、キャサリン・M・ペイトンの「フランバーズ屋敷の人びと」で大人の間でも評判になる。ついでL・M・モンゴメリの「赤毛のアン」シリーズ10冊を完訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
もっと読む
平木 典子(ひらき のりこ、1936年 - )は、日本の臨床… 平木 典子(ひらき のりこ、1936年 - )は、日本の臨床心理学者。臨床心理士・家族心理士・上級産業カウンセラー・日本カウンセリング学会スーパーバイザー/カウンセラー。専門は、カウンセリング・家族心理学・家族療法・アサーション。跡見学園女子大学教授・東京福祉大学教授などを歴任。滿洲生まれ。
もっと読む
中村 悦子(なかむら えつこ、1934年11月26日 - )… 中村 悦子(なかむら えつこ、1934年11月26日 - )は、日本の児童文学研究者、保育学者、大妻女子大学名誉教授。 栃木県生まれ。1957年津田塾大学英文学科卒業。57-64年お茶の水女子大学家政学部児童学科研究生および研究員。65-66年キブツの研究でイスラエル滞在。1967年作新学院女子短期大学幼児教育科助教授、教授、1981年大妻女子大学家政学部児童学科教授。2003年定年、名誉教授、宇都宮短期大学人間福祉学科非常勤講師。2009年退職。1989年『幼年絵雑誌の世界』で日本児童文学学会賞奨励賞受賞。
もっと読む
杉淵 玲子(すぎぶち れいこ、1934年2月26日 - 20… 杉淵 玲子(すぎぶち れいこ、1934年2月26日 - 2023年11月4日)は、日本の翻訳家、フリーライター。 1934年青森県青森市に生まれる。津田塾大学英文科を卒業後、日本ユネスコ協会連盟に勤務。米誌『ホライズン』東京連絡員、『リーダーズダイジェスト』極東版国際広告部を経て、『ジャパン・タイムズ』の『クーリエ』翻訳。1963年東京キワニスクラブ設立準備事務局に勤務し、1965年社会奉仕団体・キワニスの招待でケンタッキー州ルイビル大学に留学。1966年から1967年にかけてヨーロッパを旅行して帰国。
もっと読む
杉山 明子(すぎやま めいこ、1934年2月23日 - 20… 杉山 明子(すぎやま めいこ、1934年2月23日 - 2023年6月8日)は、日本の社会学者(社会調査)・統計学者である。神奈川県出身。 父は工学者の堀義路。祖父は実業家・聖職者の堀卯三郎。実業家の堀義人は甥。政治学者の秋野豊は従弟。政治学者の潮田江次は従叔父。 北海道生まれ。1957年に津田塾大学学芸学部数学科を卒業後、同年NHKに入局。同・放送世論調査所(現・放送文化研究所)主任研究員を経て、1988年より東京女子大学現代文化学部教授。日本行動計量学会理事長(2000 - 2006年)、社会調査士資格認定機構(現、社会調査協会)副機構長(2003 - 2007年)等を歴任。実業家でグロービス経営大学院大学学長、グロービス・キャピタル・パートナーズ代表パートナーの堀義人は甥。
もっと読む
大貫 恵美子(おおぬき えみこ、Emiko Ohnuki-T… 大貫 恵美子(おおぬき えみこ、Emiko Ohnuki-Tierney、1934年 - )は、日本生まれ、米国籍の文化人類学者。ウィスコンシン大学人類学部教授。 兵庫県神戸市生まれ。甲南小学校、甲南女子中学校・高等学校卒業。津田塾大学学芸学部英文学科卒業。1958年渡米。1968年ウィスコンシン大学人類学博士課程修了。ビロイト大学、ウィスコンシン大学人類学部助教授を経て、ウィスコンシン大学人類学部教授。プリンストン大学高等研究学院に滞在中。 1985年『日本人の病気観』でサントリー学芸賞受賞。1999年アメリカ学士院会員。 樺太アイヌ文化の研究を行い、数多くの著作を発表している。アイヌ語(樺太方言)と、英訳、詳細な註が付された民話集のSakhalin Ainu Folklore. (Washington, D.C.: American Anthropological Association, 1969) は言語の資料としても、文化研究の資料としても貴重である。
もっと読む
有馬 真喜子(ありま まきこ、1933年11月12日 - )… 有馬 真喜子(ありま まきこ、1933年11月12日 - )は、女性問題の評論家、ジャーナリスト。 国民生活センター会長、財団法人横浜市女性協会顧問、特定非営利活動法人ユニフェム日本国内委員会理事長。所属団体は日本記者クラブ、日本エッセイストクラブ、京都大学人類学研究会。 本名は酒井 真喜子 (さかい まきこ)。夫は元朝日新聞編集委員・元東洋大学教授の酒井寛。元夫は明電舎元社員・日本共産党元常任幹部会委員の有馬治雄。父は陸上自衛隊武器学校初代校長や東急車輛製造取締役を歴任した海軍軍人・実業家の谷本政一。 広島県呉市出身。1957年、津田塾大学学芸学部英文学科を卒業し、朝日新聞社に入社。朝日新聞社初の女性記者となった。
もっと読む
川本 静子(かわもと しずこ、1933年6月13日 - 20… 川本 静子(かわもと しずこ、1933年6月13日 - 2010年4月16日)は、日本の英文学者、翻訳家。津田塾大学名誉教授。 東京府生まれ。1955年津田塾大学学芸学部英文学科卒業、1957年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了、1962年から1年間ハーバード大学大学院に留学、のち津田塾大学助教授、教授、2004年定年退任し名誉教授。 専門は19〜20世紀のイギリス文学で、特にジェイン・オースティン、ジョージ・エリオット、ヴァージニア・ウルフなど女性作家とその時代を多く著し翻訳した。
もっと読む
武田 尚子(たけだ なおこ、1933年- )は、日本出身、ア… 武田 尚子(たけだ なおこ、1933年- )は、日本出身、アメリカ合衆国在住の翻訳家。 本名Naoko Takeda Yarin。岡山県に生まれる。津田塾大学英文科卒業。メイ・サートンの翻訳で知られる。
もっと読む
小尾 芙佐(おび ふさ、1932年3月24日 - )は、日本… 小尾 芙佐(おび ふさ、1932年3月24日 - )は、日本の翻訳家。婚姻前の姓は神谷(かみや)。 東京府豊多摩郡淀橋町大字柏木(現在の東京都新宿区西新宿)に生まれ、東京市淀橋第一尋常高等小学校、三輪田高等女学校で学んだ。戦時中は長野県上伊那郡高遠町に疎開し、長野県伊那高等女学校(その後、長野県伊那弥生ヶ丘高等学校に校名変更)へ転学した。大学受験に向けて、1950年高3の夏休みには東京にある父親の仮住まいに移り、千駄ヶ谷の津田英語会(現在は津田塾大学千駄ヶ谷キャンパスとなった)が主催する夏期講習に通った。講習が終わった後は国立国会図書館で猛勉強に励み、津田塾大学英文学科に合格を果たした。大学入学後は学生寮に入った。
もっと読む
上田 明子(うえだ あきこ、1930年12月22日 - )は… 上田 明子(うえだ あきこ、1930年12月22日 - )は、日本の英語学者。津田塾大学名誉教授。 神奈川県出身。津田塾大学学芸学部英文科卒。テキサス大学大学院で修士、博士号取得(言語学)。津田塾大学学芸学部助教授、教授。2002年定年退任、名誉教授。1983-1986年NHK「基礎英語」講師。
もっと読む
大庭 みな子(おおば みなこ、1930年〈昭和5年〉11月1… 大庭 みな子(おおば みなこ、1930年〈昭和5年〉11月11日 - 2007年〈平成19年〉5月24日)は、日本の小説家。本名・美奈子。東京市出身。出生名は椎名 美奈子。 東京渋谷に生まれる(生家は千駄ヶ谷)。海軍軍医の父の転勤に伴い、全国各地を転々とした他、海外転勤となった1941年(昭和16年)には数カ月だけ母の生家がある新潟の伯母の家で暮らしたこともあった。敗戦を広島で迎え、原爆の惨状が文学の原点となった。 津田塾大学英文学科を卒業後、結婚。夫の転勤によるアラスカ生活中、現地から投稿した『三匹の蟹』(1968年)で芥川賞受賞。以後、時空を超えて混沌とした人間関係と性の様態に迫った『寂兮寥兮』(1982年)などを発表。
もっと読む
澁澤 幸子(しぶさわ さちこ、1930年〈昭和5年〉7月22… 澁澤 幸子(しぶさわ さちこ、1930年〈昭和5年〉7月22日 - )は、日本の著作家、トルコ研究家。日本文芸家協会会員。日本・トルコ協会会員。小説家、フランス文学者澁澤龍彦の妹。 東京生まれ。武州銀行に勤める澁澤武の長女。澁澤龍彦の妹。澁澤道子の姉。1948年、十文字高等女学校卒業。津田塾大学英文学科卒業。 『ドレスメーキング』『スタイル』編集者を経てフリーライターになる。『週刊現代』『ヤングレディ』『平凡パンチ』などのアンカーをつとめ、多くの女性誌等にエッセー、旅行記など執筆。1981年以降、足繁くトルコを訪問し、トルコ関連の旅行記や歴史物語、評論、エッセーなどを執筆、トルコに関する講演も行う。
もっと読む
デリア俊子(デリアとしこ、英名Toshiko D'Elia、… デリア俊子(デリアとしこ、英名Toshiko D'Elia、1930年1月2日 - 2014年2月19日)は、アメリカ合衆国の日系人市民ランナー。京都府出身で、旧姓は岸本。 津田塾大学を卒業後、フルブライト奨学金受給生となり、1951年に渡米。アメリカで、少女時代からの志望だった聴覚障害者の教育に従事した。アメリカ人と結婚し一女をもうけたあとに25歳で離婚、実家に戻るが、両親から「娘と別れて日本人と再婚すること」を求められ、アメリカに帰り、ホワイト・プレインズの聾唖学校(the New York School for the Deaf)で教鞭をとった。この時期に、ピアノ奏者であるマンフレッド・デリア(Manfred d'Elia)と知り合い再婚した。
もっと読む
水田 珠枝(みずた たまえ、1929年11月9日 - 202… 水田 珠枝(みずた たまえ、1929年11月9日 - 2026年4月18日)は、日本の思想史研究者。名古屋経済大学名誉教授。公益財団法人東海ジェンダー研究所顧問。専門は政治思想史、女性学。 東京府生まれ。1949年津田塾専門学校(現:津田塾大学)英文科卒。1955年名古屋大学法学部政治学科卒、1957年同大大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了、同助手、1962年同朋大学専任講師。1963年東海女子短期大学専任講師、1964年助教授。1965年市邨学園短期大学助教授、1970年教授、1980年市邨学園大学教授、1983年校名変更で名古屋経済大学経済学部教授。1980年「女性解放思想史」で名大法学博士。
もっと読む
笹沼 澄子(ささぬま すみこ、1929年9月13日 - 20… 笹沼 澄子(ささぬま すみこ、1929年9月13日 - 2021年10月25日)は、日本の言語聴覚士である。日本における言語聴覚障害領域の研究と臨床の先駆者であり、世界の失語症研究の第一人者である。Academy of Aphasia名誉会員。 東京都杉並区出身。1953年、津田塾大学学芸学部英文学科卒業。1968年にアイオワ大学大学院で日本人として初めて言語病理学博士の学位を取得し、メイヨークリニック言語病理学科でポストドクトラル・フェローを務め、帰国。東京都老人総合研究所にて言語聴覚研究室を創設し、同研究室室長、リハビリテーション医学部長を歴任。1974年には、日本聴能言語士協会を設立し、会長に就く。
もっと読む
谷 洋子(たに ようこ、1928年8月2日 - 1999年4… 谷 洋子(たに ようこ、1928年8月2日 - 1999年4月19日)は、日本の女優。国際映画俳優の草分けとして知られる。『風は知らない』『バレン』などに出演。 父は経済学者の猪谷善一、母・妙子は儒学者江木鰐水の曾孫である。 江木鰐水の長男保男は明治時代に江木写真館を開業する。妙子の父となる定男は、保男の後妻である悦子に育てられる。悦子の父は愛媛県令などを歴任した関新平である。また、悦子の妹にませ子(aka万世子)が、異母姉妹に大正三美人の一人江木欣々がいる。ませ子は鏑木清方の美人画「築地明石町」のモデルとなった女性である。 定男は悦子の妹・ませ子と結婚し、妙子と二人の妹を儲ける。作家の中勘助は、定男と一高で知り合い江木家にも出入りするようになるが、妙子を幼女のころから熱愛し、作品にも描いた。
もっと読む
中根 千枝(なかね ちえ、1926年〈大正15年〉11月30… 中根 千枝(なかね ちえ、1926年〈大正15年〉11月30日 - 2021年〈令和3年〉10月12日)は、日本の社会人類学者。専門はインド・チベット・日本の社会組織。日本の社会構造を分析した『タテ社会の人間関係』(1967年)は長く読まれている。東京大学名誉教授。イギリス人類学民族学連合名誉会員、国際人類学民族学連合名誉会員など。著書に『未開の顔・文明の顔』(1959年)、『適応の条件』(1972年)、『中国とインド』(1999年)など。 女性初の東大教授。女性初の日本学士院会員。また学術系としては女性初の文化勲章受章者となった。 東京府豊多摩郡戸塚村(現・新宿区)生まれ。父親は弁護士であった。
もっと読む
吉村 証子(よしむら あかしこ、1925年(大正14年)7月… 吉村 証子(よしむら あかしこ、1925年(大正14年)7月3日 - 1979年(昭和54年)4月23日)は、日本の科学史家、児童科学読物作家、科学読物研究家。 農政学者・小出満二(こいで まんじ)の双子の次女として福岡に生まれ、その後、東京に移った。1947年に津田塾専門学校(現:津田塾大学)理科1期生として物理化学科を卒業、1951年に東京大学理学部地球物理学科を卒業。普連土学園、神田女学園で講師をしながら平凡社の『理科事典』『科学技術史年表』の編集・執筆に当たる。1955年弁護士・吉村節也と結婚。1956年津田塾大学講師となり亡くなるまで科学史を教える。1967年日本子どもの本研究会を設立、副会長。
もっと読む
久保田 真苗(くぼた まなえ、1924年10月6日 - 20… 久保田 真苗(くぼた まなえ、1924年10月6日 - 2008年8月8日)は、日本の政治家、労働官僚。参議院議員(2期)、経済企画庁長官(第48代)等を歴任した。
もっと読む
村井 範子(むらいのりこ、旧姓長田、1924年4月22日 -… 村井 範子(むらいのりこ、旧姓長田、1924年4月22日 - 2020年12月17日 )は、日本の音楽学者。フェリス女学院大学名誉教授。 元広島文理科大学学長で教育学者、長田新の長女。夫は教育学者、慶應義塾大学名誉教授の村井実。次男は情報工学者、慶應義塾大学名誉教授の村井純。 広島県広島市生まれ。広島高等師範学校附属小学校、広島県立第一高等女学校(現:広島県立広島皆実高等学校)を経て、津田塾専門学校英文科(現:津田塾大学)1945年9月卒業、1950年 東京藝術大学音楽学部楽理科入学、1954年同大学楽理科第2回卒その後専攻科修了。1956年東京藝術大学音楽学部副手就任、1956年東京藝術大学音楽学部講師(音楽史担当)、1958年~1960年米ハーヴァード大学音楽学部大学院にて音楽史研究(ロックフェラー財団奨学金による)、東海大学短期大学部教授、フェリス女学院大学音楽学部教授(音楽学部4年制創設)(音楽学特殊講義、教会音楽研究、器楽特殊講義、日本音楽文化) 1993年 同大学名誉教授。
もっと読む
松岡 陽子 マックレイン(まつおか ようこ マックレイン、Y… 松岡 陽子 マックレイン(まつおか ようこ マックレイン、Yoko Matsuoka McClain、1924年1月1日 - 2011年11月2日)は、アメリカの文学者(比較文学)。オレゴン大学名誉教授。 東京府(現・東京都)生まれ。父は作家松岡譲。母は夏目漱石の長女・筆子。妹は半藤末利子。 1945年に津田塾大学を卒業し、1952年に渡米。オレゴン大学でフランス語を専攻し、1956年に学士号を取得。この間、米国人ジョージ・ロバート・マックレイン (George Robert McClain) と結婚。一男を出産後、再びオレゴン大学に戻る。大学院で比較文学を研究し、1967年に修士号を取得。1964年から1994年まで、オレゴン大学の東アジア言語文学部 (the Department of East Asian Language and Literature) で日本語や近代文学を教えた。
もっと読む
中村 妙子(なかむら たえこ、1923年2月21日 - )は… 中村 妙子(なかむら たえこ、1923年2月21日 - )は、東京府出身の日本の翻訳家。
もっと読む
天満美智子(てんま みちこ、1922年4月26日 - 202… 天満美智子(てんま みちこ、1922年4月26日 - 2021年10月10日)は、日本の言語学者・英語学者。津田塾大学名誉教授。専門は言語心理学。 ウラジオストク生まれ。1944年津田塾専門学校英文科卒、1950年南カリフォルニア大学大学院、1961年ミシガン大学大学院を経て、国際基督教大学講師、1968年津田塾大学教授、1988-1996年学長、名誉教授。1997年、勲三等宝冠章を受章。
もっと読む
縫田 曄子(ぬいた ようこ、1922年1月1日 - 2024… 縫田 曄子(ぬいた ようこ、1922年1月1日 - 2024年9月9日)は、日本のジャーナリスト。女性初のNHK解説委員、東京都民生局長、国立婦人教育会館初代館長、市川房枝記念会理事長などをつとめた。 1922年(大正11年)1月1日、中国の上海で生まれた。上海は、中国問題専門家のジャーナリストだった父、太田宇之助の赴任先だった。名前の「曄」には「日本と中華の懸け橋になるように」という願いがこめられた。 1939年(昭和14年)、立教高等女学校を卒業し、津田英学塾に入学した。1942年(昭和17年)9月、津田英学塾を繰り上げ卒業した。卒業後、半年ほど国際文化振興会調査部に勤務した。同期に堀田善衛がいた。
もっと読む
山根 敏子(やまね としこ、1921年11月14日 - 19… 山根 敏子(やまね としこ、1921年11月14日 - 1956年8月29日)は、日本の外交官。 北海道帝国大学の助教授で畜産学者の山根甚信の2女として、札幌市北13条に生まれる。台北州立第一高等女学校(現台北市立第一女子高級中学)を経て、1941年津田英学塾(後の津田塾大学)を繰り上げ卒業。1945年台北帝国大学(国立台湾大学の前身)文政学部文学科英文学専攻を繰り上げ卒業。 1950年、外交官及び領事試験に唯一の女性として合格し外務省研修所研修員となる。ガリオア奨学金を得て、クイーンズ・カレッジでのオリエンテーションを経て、1951年バーモント大学政治学課程修了。 1951年外務省条約局国際協力課事務官、同年外務省国際協力局第1課事務官。
もっと読む
犬養 道子(いぬかい みちこ、1921年4月20日 - 20… 犬養 道子(いぬかい みちこ、1921年4月20日 - 2017年7月24日)は、日本の慈善家・環境活動家・小説家。 首相を務めた犬養毅の孫にあたる。カトリック信徒。 現在の東京都新宿区四谷に犬養健・仲子夫妻の長女として生まれる。父・健は犬養毅の嗣子で親子2代の政治家であり、母方の曾祖父が長与専斎と後藤象二郎である。母方の祖父は男爵長与称吉。従姉の娘に緒方貞子、異母妹に安藤和津がいる。 女子学習院、津田英学塾で学んだ後、アメリカ合衆国やフランスに留学。 1970年代以降ヨーロッパに在住し、環境破壊抑止を目指した「みどり一本」運動を提唱したり、1979年から世界の飢餓、難民問題に深くかかわった。また欧州滞在中は、ジュネーヴ空港に近いフランスの街フェルネ=ヴォルテールに住み、ライフワークの聖書研究のかたわら、難民支援活動を積極的に展開した。
もっと読む
井上 和子(いのうえ かずこ、1919年4月17日 - 20… 井上 和子(いのうえ かずこ、1919年4月17日 - 2017年5月3日)は、日本の言語学者。日本語の分析を通した生成文法理論の研究で知られる。神田外語大学名誉教授、第2代学長。Ph.D.(ミシガン大学、1964年)。勲三等宝冠章(1996年春)。 1919年(大正8年)、大阪府生まれ。津田英学塾(現・津田塾大学)卒業後、米国ミルズ大学(英語版)を経て、米国ミシガン大学大学院博士課程修了。国際基督教大学教授、津田塾大学教授、神田外語大学教授を歴任。この間、日本言語学会会長、神田外語大学学長、神田外語大学言語科学研究センター顧問、日本言語学会顧問、日本英語学会顧問、社団法人全国外国語教育振興協会理事長なども務めた。
もっと読む
中西 珠子(なかにし たまこ、1919年3月19日 - 20… 中西 珠子(なかにし たまこ、1919年3月19日 - 2008年4月3日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。 国連ハビタット推進議員連盟事務局長。議員引退後も同活動の支援を続けたことから国連ハビタット賞(英語版)を授与されている。 京都府京都市出身。法学者、中島重の長女。 1940年、津田英学塾卒業。 戦後、GHQに勤務。のち国際労働機関に転じ、東京支局次長を経て、津田塾大学理事、津田塾会理事長を務める。 1983年、第13回参議院議員通常選挙比例区に公明党から出馬し、初当選。 1989年、第15回参議院議員通常選挙比例区再選。 1995年春の叙勲で勲二等瑞宝章受章。同年の第17回参議院議員通常選挙に立候補せず、引退。
もっと読む
池田 美恵(いけだ みえ、1919年 - 1997年)は、日… 池田 美恵(いけだ みえ、1919年 - 1997年)は、日本のギリシア哲学研究者。 東京市下谷区黒門町(現東京都台東区上野)出身。津田英学塾(現在の津田塾大学前身)、東京文理科大学哲学科選科を修了。田中美知太郎に師事。津田塾大学講師、筑波大学助教授をつとめた。筑波大学を定年退官後は、法政大学文学部哲学科及び人文科学研究科哲学専攻兼任講師をつとめた。 主な論文に「エウクレイデスの無理量について」、「ソポクレスの宗教性」がある。
もっと読む
鶴見 和子(つるみ かずこ、1918年(大正7年)6月10日… 鶴見 和子(つるみ かずこ、1918年(大正7年)6月10日 - 2006年(平成18年)7月31日)は、日本の社会学者、環境思想家。上智大学名誉教授。国際関係論などを講じたが、専攻は比較社会学。南方熊楠や柳田國男の研究などでも知られる。 1918年6月10日、東京府麻布区で、父・祐輔と母・愛子(後藤新平の娘)の間に、4人きょうだいの1番目(長女)として生まれる。 牛込成城小学校から1927年4月に砧の成城学園に移り、1929年4月に女子学習院5年へ転校。1934年頃から、父と親交のあった河合栄治郎の「国家権力に対する言論闘争」に共感、影響を受ける。1936年3月、女子学習院を卒業し、同年4月、津田英学塾へ進学。
もっと読む
吉野 裕子(よしの ひろこ、1916年10月5日 - 200… 吉野 裕子(よしの ひろこ、1916年10月5日 - 2008年4月18日)は、日本の民俗学者。 東京都に赤池濃の三女として生まれる。1934年女子学習院本科を卒業し、1936年に同院高等科を卒業。1942年『風のさそひ』を上梓。専業主婦となるが、日本舞踊を習っていたことから民俗学に関心をもち、1954年津田塾大学卒業、1970年著書『扇』を刊行、1977年「陰陽五行思想から見た日本の祭」により東京教育大学文学博士の学位を授与される。在野の学者として著書多数。全集全12巻がある。 2008年4月18日、心不全のため死去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
もっと読む
高野 フミ(たかの フミ、女性、1914年10月8日 - 2… 高野 フミ(たかの フミ、女性、1914年10月8日 - 2013年12月7日)は、日本の英文学者。 兵庫県生まれ。旧姓・河瀬。1936年津田英学塾卒業。37年同校教諭、47年津田塾大学助教授、1954年ラドクリフ大学大学院修士課程修了。56年津田塾大教授、83年定年退任、名誉教授、津田塾会理事長。1980 - 83年国際大学婦人連盟(IFUW)会長。1985年勲三等瑞宝章受勲。専門はアメリカ文学だが、女性解放、女子教育などに関心が深かった。
もっと読む
大山 敏子(おおやま としこ、1914年2月28日 - 19… 大山 敏子(おおやま としこ、1914年2月28日 - 1978年4月13日)は、日本の英文学者、翻訳家。専門はシェイクスピア作品の研究。旧姓は吉成(よしなり)。 徳島県徳島市生まれで、1935年3月に津田塾専門学校本科を卒業した後、1942年9月に東京文理科大学(英語英文学専攻)を卒業し、同年10月に同大学院文学研究科に入学、1944年9月に同大学院を退学した後、同年10月に同大学副手となり、戦後は1946年4月から翌年3月まで津田塾専門学校教授を務め、1947年4月に東京第一師範学校に就職、文部教官となり世田谷分校で勤務し、1949年4月に東京学芸大学助教授となり、1962年3月に退職。この間、1950年10月に米国オハイオ州立大学大学院に留学、翌年に卒業しマスター・オブ・アーツ(英語版)の学位を取得した。
もっと読む
谷村 まち子(たにむら まちこ、1914年1月25日 - 1… 谷村 まち子(たにむら まちこ、1914年1月25日 - 1987年7月2日)は、日本の児童文学作家、翻訳家。 本名・新谷 依枝(よりえ)。夫は新谷 藤楠。 東京に生まれる。津田英学塾卒業。自ら児童文学を創作するほか、多くの英米児童文学を翻訳、少女小説の翻訳が多い。真知子、満智子などの表記もある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
もっと読む
中野 ツヤ(なかの つや、大正2年(1913年)6月7日 -… 中野 ツヤ(なかの つや、大正2年(1913年)6月7日 - 平成23年(2011年)9月16日)は、日本の教育者。元学校法人鷗友学園特別顧問。石川志づ初代理事長のあとをつぎ、学校法人鷗友学園の第二代理事長を22年間つとめた。 父は東京府会議長をつとめた中野勇治郎。兄は大阪高裁長官をつとめた中野次雄。経済人類学者の栗本慎一郎は妹トシ子の長男。 1913年、東京生まれ。東京府立第一高等女学校(現都立白鷗中学高等学校)、津田英学塾(現津田塾大学)を卒業。1945年東京都教育局へ。都庁初の女性管理職として活躍し、1959年に民生局婦人部長。 1971年より鷗友学園理事、1981年~2003年理事長。 財団法人都民劇場理事、内閣売春対策審議会委員、墨田区教育委員、墨田女性センター館長、その他多くの社会福祉法人の理事等をつとめた。
もっと読む
原 百代(はら ももよ、1912年9月16日 - 1991年… 原 百代(はら ももよ、1912年9月16日 - 1991年8月12日、女性)は、日本の作家、翻訳家。 東京生まれ。1934年に津田英学塾(現津田塾大学)卒業。戦前から英文翻訳業を行い占領下では、GHQ機関に勤務、独立後は翻訳家に戻った。 知人から贈られたヘレン・ミアーズ(Helen Mears、1900 - 1989)『Mirror for Americans.JAPAN』を読み感銘を受け著者の承諾を得て、1949年にCIE(民間情報教育局)へ翻訳許可を願い出たが認可されず、講和独立後の1953年に訳書『アメリカの反省』を上梓した(新訳は1995年に、伊藤延司訳『アメリカの鏡・日本』で刊行)。
もっと読む
田中 寿美子(たなか すみこ、1909年(明治42年)12月… 田中 寿美子(たなか すみこ、1909年(明治42年)12月20日 - 1995年(平成7年)3月15日)は、日本の政治家、婦人問題評論家、翻訳家。日本社会党中央執行副委員長、日本婦人会議(現・I女性会議)議長、婦人問題懇話会代表などを歴任。 夫は社会党衆議院議員の田中稔男。次女はメキシコ大学院大学アジア・アフリカ研究センター教授の田中道子。 兵庫県神戸市生まれ。高等女学校教師などを経て、1948年、労働省婦人少年局に入省。同僚には森山真弓、赤松良子らがいた。1950年、婦人課長に就任。1955年に退職し、日本社会党に入党した。婦人問題の評論家として活動。 1960年11月の衆院選で夫の田中稔男が次点で落選。
もっと読む
最所 フミ(さいしょ ふみ、1908年10月25日 - 19… 最所 フミ(さいしょ ふみ、1908年10月25日 - 1990年)は、日本の評論家、翻訳家。 大阪府出身。津田英学塾(現津田塾大学)卒、ミシガン大学、同大学院に学び、NHK海外局で英語ニュースの仕事をする。海外局の同僚にアイバ・戸栗・ダキノ(東京ローズ)がいた。1948年から1974年まで、JAPAN TIMES に映画評論を英文で執筆。加島祥造と同居したのち、鮎川信夫とともに住み結婚するが、このことは秘密にされ、鮎川の没後に明らかにされた。『荒地』の詩人たちの間のゴッドマザーのような存在で、英語力に優れたという。 1980年に発行された『日英語表現辞典』は没後の2004年にちくま学芸文庫に入ったが長らく入手困難になっていた。
もっと読む
佐伯 敏子(さえき としこ、1906年〈明治39年〉3月12… 佐伯 敏子(さえき としこ、1906年〈明治39年〉3月12日 - 1984年(昭和59年)10月11日)は、日本の写真家、歌人。熊本県熊本市出身、私立女子英学塾(後の津田塾大学)卒業。旧姓は梅村。 1927年(昭和2年)から1931年(昭和6年)まで桜蔭高等女学校(後の桜蔭学園)の教員を務めた後、1947年(昭和22年)、英語教室「津田英語会」創立共に、同会の講師となった。私生活では1928年(昭和3年)に結婚し、二男二女をもうけた。1942年(昭和17年)に東京都世田谷区に移住した。 1950年代頃より、世田谷の自宅を訪れる野鳥を寄せ親しみ、主婦としての家事の合間を縫って観察を続けた。1955年(昭和30年)に日本野鳥の会に入会した。
もっと読む
林 塩(はやし しお、女性、1904年〈明治37年〉10月1… 林 塩(はやし しお、女性、1904年〈明治37年〉10月14日 - 1992年〈平成4年〉5月8日)は、昭和期の看護師、政治家。参議院議員(1期)、日本看護協会会長。 兵庫県神戸市奥平野で、弁護士の林松柏、千万(ちま)の第9子、五女として生まれる。1912(大正元年)9月に父が死去したため、兵庫中道通の中尾家の養女となるが、奥平野の山田家に預けられた後、1916年(大正5年)夏に淡路島洲本在住の母のもとに戻った。1919年(大正8年)3月、洲本尋常高等小学校を卒業し、地元の鐘淵紡績(のちカネボウ)の工場に事務員として就職した。 1922年(大正11年)4月、日本赤十字社大阪支部病院(現大阪赤十字病院)救護看護婦養成所(のち大阪赤十字看護専門学校)に入学(14回生)。
もっと読む
淀川 郁子(よどがわ いくこ、1904年 - 没年不明)は、… 淀川 郁子(よどがわ いくこ、1904年 - 没年不明)は、英文学者。翻訳家。 長野県長野市生まれ。1925年女子英学塾(現津田塾大学)卒業。長野県立女学校に勤め、工藤好美と知り合い、妹が工藤と結婚する。昭和のはじめに結婚するが、1951年夫が死去し、長野女子短期大学教授を十年間務め、その間工藤との共訳を出し、89歳でジョージ・エリオットの『ダニエル・デロンダ』を完訳した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
もっと読む
藤田 たき(ふじた たき、1898年12月23日 - 199… 藤田 たき(ふじた たき、1898年12月23日 - 1993年1月4日)は、大正-平成期の婦人運動家・教育者。津田塾大学学長、労働省婦人少年局長、新日本婦人同盟会長を務めた。 判事・藤田菊江の二女として、赴任先である愛知県名古屋市橦木町(後の東区)で誕生。母・かめきがクリスチャンだった関係で幼児洗礼を受けている。父は仕事柄転勤が多く、一家はたきが尋常小学校2年生の時に那覇に、5年生の時に富山に、卒業後は旅順にと引っ越しを繰り返した。1913年(大正2年)に父は退官。大阪で弁護士事務所を開くが、頑固な性格が災いし経営は上手くいかなかった。 たきは1914年(大正3年)金蘭会高等女学校の3年に編入。
もっと読む
井上 なつゑ(いのうえ なつえ、1898年〈明治31年〉7月… 井上 なつゑ(いのうえ なつえ、1898年〈明治31年〉7月25日 - 1980年〈昭和55年〉11月13日)は、日本の看護師、政治家。位階は正五位。 参議院議員。看護師の地位向上に尽力した。 兵庫県加東郡福田村で、井上音松の娘として生まれる。1913年(大正2年)京都産婆学校で修業し産婆検定試験に合格。1917年(大正6年)日本赤十字社大阪支部病院(現大阪赤十字病院)救護看護婦養成所(現大阪赤十字看護専門学校)を卒業。1922年(大正11年)同病院看護婦長に就任。1924年(大正13年)応召して樺太陸軍病院で勤務した。女子英学塾(現津田塾大学)修了後、1928年(昭和3年)イギリスに留学し、1929年(昭和4年)ロンドン大学ベットフォード女子専門学校公衆衛生看護学科を卒業した。
もっと読む
遠藤 寿子(えんどう ひさこ、1896年10月28日 - 1… 遠藤 寿子(えんどう ひさこ、1896年10月28日 - 1971年9月24日)は、日本の翻訳家。 北海道函館出身。衆議院議員を務めたことのある政治家の家に育った。津田英学塾卒業後、ウェブスター『あしながおじさん』などの翻訳を手がけた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
もっと読む
山川 菊栄(やまかわ きくえ、旧字体: 山川 菊榮、1890… 山川 菊栄(やまかわ きくえ、旧字体: 山川 菊榮、1890年〈明治23年〉11月3日 - 1980年〈昭和55年〉11月2日)は、日本の婦人問題評論家・研究家、社会主義者、労働運動家、婦人運動家である。戦前、公娼制度の廃止、女性労働者の地位向上、古い家族制度の批判、社会主義フェミニズムの理論化、女性社会主義者の組織化などを展開。アウグスト・ベーベルの『婦人論』の最初の完訳者としても有名。戦後も、女性運動、婦人労働運動の理論的指導者として活動し、労働省の初代婦人少年局長をつとめた。 東京府東京市麹町区四番町(現:千代田区九段北)生まれ。旧姓は森田、後に青山姓となる。夫は山川均。息子は山川振作。 1916年、『青鞜』1月号に、「日本婦人の社会事業に就て伊藤野枝氏に與ふ」を発表し、『青鞜』1915年12月号に発表された伊藤野枝の論文「傲慢狭量にして不徹底なる日本婦人の公共事業に就て」を批判した。
もっと読む
神近 市子(かみちか いちこ、出生名:神近 イチ、1888年… 神近 市子(かみちか いちこ、出生名:神近 イチ、1888年6月6日 - 1981年8月1日)は、日本のジャーナリスト、婦人運動家、作家、翻訳家、評論家。ペンネームは榊 纓(さかき おう/えい)。1916年の日蔭茶屋事件で一躍著名になり、大杉栄に対する殺人未遂罪で2年間服役した。戦後に政治家になり、左派社会党および再統一後の日本社会党から出馬して衆議院議員を5期務めた。 長崎県北松浦郡佐々村(現在の佐々町)生まれ。漢方医の神近養斉とハナ夫妻の子で、出生当時父は47歳、母は43歳になっていた。夫妻はすでに二男二女をもうけていて、彼女は末の子であった。 父は幼い末娘を「チコ」と呼んで可愛がっていたが、1891年、彼女が3歳のときに死去した。
もっと読む
岡田(永代) 美知代(おかだ(ながよ) みちよ、1885年(… 岡田(永代) 美知代(おかだ(ながよ) みちよ、1885年(明治18年)4月15日 - 1968年(昭和43年)1月19日)は、明治期から昭和期の小説家、雑誌記者。田山花袋の小説『蒲団』のヒロイン、横山芳子のモデルとして知られる。 広島県甲奴郡上下町(現・府中市上下町)に、備後銀行頭取などを務めた地元の有力者であった岡田胖十郎の長女として生まれる。第一高等学校・明治大学で教鞭を取り、草創期の駿台高等豫備學校講師だった岡田實麿は兄。妹萬寿代は、北海道帝国大学教授や庄原市長を務めた八谷正義に嫁いだ。クリスチャンの家であった。 1898年(明治31年)9月神戸女学院に入学。佐々城信子が同時期に通っており、面識があった。
もっと読む
星野 あい(ほしの あい、明治17年(1884年)9月19日… 星野 あい(ほしの あい、明治17年(1884年)9月19日 - 昭和47年(1972年)12月5日)は、日本の教育者。女子英学塾(現:津田塾大学)卒業。ブリンマー大学B.A.。コロンビア大学M.A.(教育学)。 女子英学塾を創設した津田梅子の後継者として女子英学塾塾長(第2代)に就任し、津田英学塾塾長、津田塾専門学校校長、津田塾大学学長(初代)を務め、約30年間に渡って津田塾の運営を担った。 星野光多は兄。星野直樹(光多の子)は甥。 横浜に生まれた。父・母・兄弟は全てクリスチャンであり、あい本人もクリスチャンであった(あいの受洗は明治30年〈1897年〉)。群馬県沼田出身の父は、生糸の貿易を志して横浜に移住しており、その間にあいが生まれたが、事業がうまく行かずに一家で沼田に戻り、あいは沼田で育った。
もっと読む
横川 豊野(よこがわ とよの、1883年〈明治16年〉12月… 横川 豊野(よこがわ とよの、1883年〈明治16年〉12月15日 - 1963年〈昭和38年〉11月5日)は、日本の福祉事業家、社会事業家。高知県の中学生向けの寄宿舎「学生ホーム」設立をはじめとして、福祉事業や社会事業に関する多くの役職を歴任し、教育や福祉の分野で大きな業績を残した。旧姓は、清水。 山形県西田川郡鶴岡町(現在の鶴岡市)で誕生した。実家の商家が破産したために上京し。東京明治女学校を経て津田英学塾(現在の津田塾大学)に進学したが、結核のために1906年(明治39年)に中退した。 高知県佐川の商大生と結婚したが、夫は子供が11歳のときに別の女性と関係を持ち、家を出た。豊野は信仰と子供の養育に生涯を捧げようと思ったものの、その息子が脳卒中で死去した。
もっと読む