スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
島崎 晃(しまざき あきら、1941年 - )は、イギリスの… 島崎 晃(しまざき あきら、1941年 - )は、イギリスの政治家。ニックネームはJack Bara Caws。西ウェールズの町カーディガンで、2012年から2017年まで町議会議員を務めた。 2017年時点で、日本人として唯一、イギリスの町議会議員を務めていたことで知られる。なお、国籍は2000年以降イギリスである。 1941年、栃木県那須郡佐久山町(現大田原市)に生まれる。実家は造り酒屋であった。大田原市立佐久山小学校、大田原市立佐久山中学校、学習院高等科を経て、学習院大学文学部哲学科でイギリス哲学を専攻する。大学時代は小松茂夫に師事し、大学卒業後、1967年にイングランド南東部コルチェスターに語学留学する。
上野 照博(うえの てるひろ、1940年12月25日 - )… 上野 照博(うえの てるひろ、1940年12月25日 - )は、日本の実業家で、株式会社ゾフ創業者、同社元代表取締役社長である。 東京都出身で、学習院初等科、学習院中等科・高等科を経て1963年に学習院大学経済学部を卒業し、レナウンニシキに入社する。1968年に上野衣料株式会社に入社して1969年専務取締役となる。アパレル業界の不況でメガネ事業を構想し、1993年に、株式会社ゾフを設立して代表取締役社長となり、株式会社インターメスティックを設立して代表取締役社長となる。2014年に株式会社インターメスティック代表取締役会長、2015年に株式会社インターメスティック代表取締役会長兼社長、2020年に株式会社インターメタックス取締役会長となる。
麻生 太郎(あそう たろう、1940年〈昭和15年〉9月20… 麻生 太郎(あそう たろう、1940年〈昭和15年〉9月20日 - )は、日本の政治家、実業家、元射撃選手。自由民主党所属の衆議院議員(16期)、自由民主党副総裁(第17代・第19代)、志公会会長。中曽根康弘世界平和研究所会長。 内閣総理大臣(第92代)、副総理兼財務大臣(第17代・第18代・第19代・第20代)、内閣府特命担当大臣(金融)(第2次安倍内閣 - 菅義偉内閣)、デフレ脱却担当大臣(第2次安倍内閣 - 菅義偉内閣)、外務大臣(第132代・第133代)、総務大臣(第3代・第4代・第5代)、国民スポーツ担当大臣(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、情報通信技術(IT)担当大臣(第2次森改造内閣)、経済財政政策担当大臣(第2代)、経済企画庁長官(第53代)、文部政務次官(竹下改造内閣)、衆議院財政構造改革特別委員長、衆議院外務委員長、衆議院石炭対策特別委員長、自由民主党総裁(第23代)、自由民主党最高顧問、自由民主党幹事長(第44代・第46代)、自由民主党政務調査会長(第44代)、自由民主党経理局長を歴任した。
徳川 恒孝(とくがわ つねなり、旧字体:德川 恆孝、1940… 徳川 恒孝(とくがわ つねなり、旧字体:德川 恆孝、1940年〈昭和15年〉2月26日 - )は、日本の実業家。徳川宗家第18代当主。 学習院大学政経学部政治学科卒業(学位:政治学士)。元日本郵船副社長。公益財団法人德川記念財団初代理事長(現在は名誉理事長)。WWFジャパン名誉会長。公益財団法人斯文会名誉会長。公益社団法人東京慈恵会元会長。一般社団法人横浜港振興協会元会長。早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校特別講演講師。公益財団法人日本美術刀剣保存協会名誉顧問。一般財団法人軽井沢会理事(2010年時点)。 ちなみに、恒孝の母方の祖父で系譜上の養父に当たる家正は最後の貴族院議長であり、父方の祖父に当たる松平恆雄は貴族院に代わって成立した参議院の初代議長である。
亀井 久興(かめい ひさおき、1939年〈昭和14年〉11月… 亀井 久興(かめい ひさおき、1939年〈昭和14年〉11月8日 - )は、日本の政治家。参議院議員(2期)、衆議院議員(通算5期)、国土庁長官(第30代)、国民新党幹事長(初代)、総務省顧問などを歴任した。島根県日華親善協会会長。 自由民主党時代には、閣内人事では国土庁長官、党内人事では自由民主党の国会対策委員会副委員長、総務会副会長、政務調査会の副会長、会長代理を歴任し、自民党の党三役に近い立場にいた。 2005年7月5日の郵政国会では衆議院本会議で郵政民営化法案に反対票を投じ、同年8月、綿貫民輔らと国民新党の結党に参加した。結党時より国民新党幹事長を務める。 2007年7月の第21回参議院議員通常選挙の島根県選挙区には長女の亀井亜紀子が国民新党公認・民主党推薦で出馬し、初当選。
近衞 忠煇(このえ ただてる、1939年5月8日 - )は、… 近衞 忠煇(このえ ただてる、1939年5月8日 - )は、近衞家第32代当主で日本赤十字社名誉社長。国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)会長及び日本赤十字社社長を歴任。特定非営利活動法人 Reach Alternatives(REALs)元顧問、公益財団法人日本国際フォーラム参与。初名は細川 護煇(ほそかわ もりてる)。 旧肥後熊本藩細川侯爵家の細川護貞と温子夫人(近衛文麿の次女)の次男として生まれた。兄は細川護熙(第79代内閣総理大臣)。 清泉小学校、栄光学園中学校・高等学校を経て、1962年(昭和37年)に学習院大学政経学部政治学科を卒業(学位:政治学士)。その後、英国のロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスヘ留学(国際関係論)。
島津 修久(しまづ のぶひさ、1938年(昭和13年)2月6… 島津 修久(しまづ のぶひさ、1938年(昭和13年)2月6日 - 2024年(令和6年)12月31日)は、島津氏第32代当主。島津義弘から数えて15代目にあたる。株式会社島津興業代表取締役会長。 島津顕彰会会長。鶴嶺神社宮司。照国神社宮司。平松神社宮司。社団法人茶道裏千家淡交会鹿児島名誉支部長。薩摩古武道影之流顧問。元鹿児島経済同友会代表幹事。元鹿児島県公安委員(長)。元西郷南洲顕彰会会長。元薩摩琵琶同好会会長。 島津氏第31代当主・島津忠秀の次男(兄の忠敬は早世)として、東京府(現在の東京都品川区)に生まれる。公爵島津久光の玄孫にあたる。母は近衛文麿の長女・昭子(野口昭子)。 学習院初等科を経て1956年(昭和31年)、学習院高等科卒業、一浪ののち、中央大学法学部法律学科入学。
松浦 晃一郎(まつうら こういちろう、1937年9月29日 … 松浦 晃一郎(まつうら こういちろう、1937年9月29日 - )は、日本の外交官、国連職員。公益財団法人日仏会館理事長、一般社団法人アフリカ協会会長、一般財団法人日本ウズベキスタン・シルクロード財団評議員、株式会社パソナグループ監査役、中国人民大学名誉教授、東邦音楽大学パフォーマンス総合芸術文化専攻客員教授。 過去に、駐フランス共和国特命全権大使やユネスコ(国際連合教育科学文化機関)第8代事務局長を務めた。山口県佐波郡島地村(後の徳地町、今の山口市)出身。 三井生命保険(現大樹生命保険)勤務の父親誠一と山口市の造り酒屋「松屋」の娘だった母清子の子として東京府荏原区(現東京都品川区)で生まれ、父の生地である島地村で幼少を過ごす。
小渕 恵三(おぶち けいぞう、1937年〈昭和12年〉6月2… 小渕 恵三(おぶち けいぞう、1937年〈昭和12年〉6月25日 - 2000年〈平成12年〉5月14日)は、日本の政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。 衆議院議員(12期)、総理府総務長官(第29代)、沖縄開発庁長官(第10代)、内閣官房長官(第49代)、外務大臣(第121代)、内閣総理大臣(第84代)、自由民主党幹事長、自由民主党副総裁、自由民主党総裁(第18代)、自由民主党群馬県連会長などを歴任した。 総理府総務長官、沖縄開発庁長官、内閣官房長官、自由民主党幹事長、外務大臣などを歴任。竹下登の側近として地歩を築き、敵を作らない性格から「人柄の小渕」の異名をとった。1998年に自由民主党総裁、内閣総理大臣に就任した。
北白川 道久(きたしらかわ みちひさ、1937年〈昭和12年… 北白川 道久(きたしらかわ みちひさ、1937年〈昭和12年〉5月2日 - 2018年〈平成30年〉10月20日)は、日本の旧皇族。北白川宮永久王と同妃祥子の第1王子。北白川宮第5代当主。皇籍離脱前の身位は王で、皇室典範における敬称は殿下。皇族時代の名は、北白川宮道久王(きたしらかわのみや みちひさおう)であった。男系では崇光天皇の19世子孫、女系では明治天皇の曾孫にあたる。 1937年(昭和12年)5月2日午前9時53分、北白川宮永久王と同妃祥子の第1王子として、東京市芝区高輪の北白川宮邸で誕生。1940年(昭和15年)9月4日、父宮・永久王が事故により薨去。わずか3歳で北白川宮家を継承。未成年のため終戦時の宮家の当主の中で唯一の非軍人だった。
柳井 俊二(やない しゅんじ、1937年1月15日 - )は… 柳井 俊二(やない しゅんじ、1937年1月15日 - )は、日本の外交官。外務事務次官(1997年7月 - 1999年9月)、駐米大使(1999年9月 - 2001年10月)。2005年からは国際海洋法裁判所の判事を務めており、2011年10月には同裁判所長に選出された。 東京生まれ。父は条約局長を務めた外交官・弁護士の柳井恒夫、兄は運輸官僚の柳井乃武夫。姉婿は柳谷謙介(1924年 - 2017年。元外務事務次官、成城大学・成城学園理事長)。祖父は医師の柳井貴三で、柳井家は代々備中松山藩の藩医をしていた家系。 学習院初等科、学習院中・高等科を経て、1961年、東京大学法学部卒業、外務省入省。フランス語研修(ストラスブール大学)、在フランス大使館、国連代表部、在インドネシア大使館、在韓国大使館の各在外公館に勤務。
土田 正顕(つちだ まさあき、1936年8月18日 - 20… 土田 正顕(つちだ まさあき、1936年8月18日 - 2004年1月30日)は、日本の官僚。元国税庁長官(第25代)。東京証券取引所社長(初代)。秋田県由利郡矢島町(現・由利本荘市矢島町)出身。 学習院初等科、学習院中等科、都立小石川高校を経て、1959年4月、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業、大蔵省にトップで入省。大臣官房文書課配属。大蔵省の入省同期には斎藤次郎(大蔵事務次官、日本郵政社長)、公文宏(国土事務次官、内閣内政審議室長)、大須敏生(理財局長)、瀧島義光(関税局長、生命保険協会副会長)、日吉章(防衛事務次官)、米倉明(東大法学部名誉教授)、永谷敬三(ブリティッシュコロンビア大学名誉教授)ら。
渡辺 允(渡邉 允、わたなべ まこと、1936年(昭和11年… 渡辺 允(渡邉 允、わたなべ まこと、1936年(昭和11年)5月9日 - 2022年(令和4年)2月8日)は、日本の外交官。位階は正三位。 元・侍従長、前・宮内庁参与。東京府(現・東京都)出身。 学習院初等科(1949年(昭和24年)卒業)、都立日比谷高校を経て、1959年(昭和34年)東京大学法学部卒業後、外務省入省。同期には松浦晃一郎ら。 英語研修(米国スワースモア大学)、北米局北米第一課事務官、1976年(昭和51年)条約局法規課長、1977年(昭和52年)国際連合局政治課長、1979年(昭和54年)在フィリピン日本国大使館参事官、1981年(昭和56年)在アメリカ合衆国日本国大使館参事官、1983年(昭和58年)在アメリカ合衆国日本国大使館公使、1985年(昭和60年)外務省大臣官房審議官(北米局担当)、1988年(昭和63年)駐ヨルダン大使を歴任。
蓮實 重彥(はすみ しげひこ、1936年〈昭和11年)4月2… 蓮實 重彥(はすみ しげひこ、1936年〈昭和11年)4月29日 - )は、日本の文芸評論家・映画評論家・フランス文学者・小説家。 専門はフローベール研究だが、ロラン・バルトやミシェル・フーコーなどフランス現代思想が1970年代から日本へ紹介される際に中心的役割を果たす1人となったほか、近現代文学・映画評論の分野でも数多くの批評を手がけている。 1980年代以降は各国の映画製作者とも幅広く交流し、小津安二郎など日本映画の世界的再評価に大きく貢献した。東京大学教養学部教授(表象文化論)、第26代東京大学総長(1997年-2001年)を歴任。東京大学名誉教授。 蓮實は、雪舟などの研究で知られた日本美術史家・蓮實重康の息子として、1936年に東京で生まれた。
古河 潤之助(ふるかわ じゅんのすけ、1935年〈昭和10年… 古河 潤之助(ふるかわ じゅんのすけ、1935年〈昭和10年〉12月5日 - 2018年〈平成30年〉3月3日)は、日本の実業家。古河財閥4代目古河従純の長男で、創業者古河市兵衛から数えて5代目の古河家当主。元古河林業会長、元古河電気工業名誉顧問。位階は正四位。 東京府で古河従純・幸子夫妻の長男として生まれる。学習院幼稚園、学習院初等科、学習院中・高等科を経て、1959年(昭和34年)3月、慶應義塾大学経済学部経済学科卒業。同年4月、古河電気工業入社。取締役、常務取締役、専務取締役を経て、古河電気工業株式会社代表取締役社長、会長。社長時代には次々と新しい事業を興し、ルーセント・テクノロジーズの光ファイバ部門を買収、株価も史上最高の3500円を超えたが、ITバブル崩壊のあおりを受け、買収翌年の2002年度は1140億円の赤字に膨れ上がるなどし、事実上の引責辞任に至った。
常陸宮正仁親王(ひたちのみや まさひとしんのう、1935年〈… 常陸宮正仁親王(ひたちのみや まさひとしんのう、1935年〈昭和10年〉11月28日 - )は、日本の皇族。常陸宮家当主。御称号は義宮(よしのみや)、お印は黄心樹(おがたま)。身位は親王。敬称は殿下。勲等は大勲位。昭和天皇と香淳皇后の第2皇男子(第6子)。第125代天皇で現上皇(明仁)の弟。第126代天皇(徳仁)、皇嗣秋篠宮文仁親王の叔父。2019年(令和元年)5月1日時点の皇位継承順位は第3位。 1935年(昭和10年)11月28日午前7時57分、宮城(皇居)の明治宮殿奥宮殿内御産殿にて昭和天皇と香淳皇后の第2皇男子として誕生。御七夜の12月4日午前9時に浴湯の儀が、同日午前11時に命名の儀が執り行われ、「義宮」「正仁」と命名された。
青木 淳一(あおき じゅんいち、1935年6月19日 - 2… 青木 淳一(あおき じゅんいち、1935年6月19日 - 2022年11月11日)は、日本の動物学者、土壌動物学者。横浜国立大学名誉教授。ササラダニ類の分類学および生態学を専門とし、この類の分類学において日本の水準を高いものにした。 父方の祖父は華族(子爵)・政治家の青木信光。母方の祖父は台湾電力社長などを務めた官僚・実業家の松木幹一郎 。叔父(父の末弟)は東京医科歯科大学名誉教授・元学長で衛生動物学者の加納六郎。 ササラダニ類の分類学を手掛け、日本におけるこの分野をほとんど一人で開拓した。非常に精力的であり、日本におけるダニ類の研究発表先である日本蜘蛛学会の雑誌には、青木による新種記載の論文がほぼ毎号に出るという時期があった。
林 秀彦(はやし ひでひこ、1934年〈昭和9年〉9月26日… 林 秀彦(はやし ひでひこ、1934年〈昭和9年〉9月26日 - 2010年〈平成22年〉11月19日)は、日本の脚本家。 東京府に生まれる。父は随筆家の林謙一。学習院高等科を卒業後、インド洋経由で渡欧する途中、イエメンで悪漢の集団に拉致され、砂漠で殺されそうになったが「俺は空手の達人だ。俺を殺すならお前らのうちの一人を殺してやる」とブラフをかけて解放され、危うく一命を取り留めた体験談を、伊丹十三が『小説より奇なり』の中で文章化している。ドイツのザール大学、フランスのモンペリエ大学に留学し、哲学を専攻する。松山善三に師事し、映画やテレビの脚本を執筆。 3度結婚しており、最初の妻との間の子は作曲家の林魏堂、1974年には女優の冨士真奈美と結婚し、一児(岩崎リズ)を儲けるも1984年に離婚。
徳川 義宣(とくがわ よしのぶ、1933年(昭和8年)12月… 徳川 義宣(とくがわ よしのぶ、1933年(昭和8年)12月24日 - 2005年(平成17年)11月23日)は、尾張徳川家第21代当主。美術史家、財団法人徳川黎明会会長、徳川美術館館長。婿養子のため徳川家の直系の血筋ではないが、多数の著作や講演を通して、他の御三家以上に一般メディアへの露出が高かった。 旧下総佐倉藩主家当主・堀田正恒伯爵の六男として東京市渋谷区に生まれた。生まれた時の姓名は堀田正祥。学習院幼稚園から学習院大学まで明仁親王(現・上皇)の同級生であった(誕生日もわずか1日違い)。1955年11月、学習院大学政経学部経済学科在学中に尾張徳川家第20代当主・徳川義知の婿養子となり、徳川義宣と改名する。
九条 道弘(くじょう みちひろ、1933年〈昭和8年〉12月… 九条 道弘(くじょう みちひろ、1933年〈昭和8年〉12月13日 - 2017年〈平成29年〉9月16日)は、日本の神職、平安神宮名誉宮司。 五摂家の一つ、元公爵九条家の第34代当主。子に九条道成。第125代天皇・明仁(現・上皇)は再従弟に当たり、自身の誕生から10日後に誕生している。 1933年、東京府で公爵・九条道秀の長男として生まれる。学習院初等科、学習院中等科、学習院高等科を経て、関西学院大学文学部卒業。文化放送勤務。 1973年、神職に就く。平安神宮第14代宮司(1991年 - 2017年4月)。2002年、神職身分特級(神職身分の最高位)。藤裔会会長。 平安神宮宮司在任中の1994年には、平安神宮鎮座百年祭を執り行った。
関根 友彦(せきね ともひこ、Thomas T. Sekin… 関根 友彦(せきね ともひこ、Thomas T. Sekine、1933年11月22日 - 2022年1月16日)は、日本出身の経済学者。元ヨーク大学教授。宇野経済学などを研究し、宇野弘蔵著『経済原論』の英訳者としても知られていた。 東京で仏文学者関根秀雄の次男として生まれる。国文学者の関根正直は祖父。聖書学者の関根正雄は叔父。国文学者の関根慶子は叔母。倫理学者の関根清三は従弟。学習院初等科、学習院中・高等科では第125代天皇の同級生で、特に中等科時代は親しく交流した。 1957年一橋大学社会学部卒業。杉田元宜教授の尽力で社会学部生ながら一橋大学経済研究所の都留重人ゼミで学んだ。都留ゼミの同期に、仲澤泰彦(元日本電気常務)、近藤久也(元フジテレビディレクター)、岩崎八男(通産官僚、元中小企業庁長官)、加野忠(元ソロモン・ブラザーズ銀行日本代表)などがいる。
安西 邦夫(あんざい くにお、1933年10月25日 - 2… 安西 邦夫(あんざい くにお、1933年10月25日 - 2013年6月9日)は、日本の実業家。東京ガス、社長、会長、相談役、特別顧問を歴任。慶應義塾評議員。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。妻は川鍋秋蔵の娘・邦子。 東京府東京市生まれ。父の安西浩は、後に第9代東京ガス社長・会長を務めた。 学習院初等科、学習院中等科、学習院高等科を経て、1956年3月、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。 1956年4月、東京ガス入社。主に営業畑を歩み、顧客サービスの向上・改善に取り組んだ。後に取締役、常務取締役、専務取締役を歴任、1989年に第13代社長に就任。1999年に会長に退き、2007年に相談役、2010年に特別顧問となる。
鳥尾 敬孝(とりお あつたか、1933年9月4日 - 199… 鳥尾 敬孝(とりお あつたか、1933年9月4日 - 1990年10月18日)は、日本のミュージシャン、実業家。1955年に結成されたウェスタンバンド「オールスターズ・ワゴン」のバンドリーダーであり、バンド脱退後は芸能プロモーターとして日本ビクターなどで活動した。子爵家の長男であり、学習院幼稚園から高等科まで同年生まれの明仁の学友であった。 1933年9月4日、鳥尾子爵家の長男として鳥尾敬光・鳥尾鶴代の間に生まれる。同年に昭和天皇の第1皇男子・明仁も誕生しており、学習院幼稚園から高等科までを皇太子の学友として過ごす。学習院高等科卒業後は慶應義塾大学に進学、同大学在学中にバンド活動を開始し、従兄弟の井原高忠が在籍していたワゴン・マスターズに参加してベースを担当する。
藤島 泰輔(ふじしま たいすけ、1933年(昭和8年)1月9… 藤島 泰輔(ふじしま たいすけ、1933年(昭和8年)1月9日 - 1997年(平成9年)6月28日)は、日本の小説家、評論家、新聞記者。ポール・ボネ名義の著作も多数刊行。ジャニーズ事務所元名誉会長のメリー喜多川は内縁の妻で、のちに先妻・高浜朋子と離婚が成立し再婚。同事務所元社長の藤島ジュリー景子は娘。 日本銀行監事の藤島敏男・孝子夫妻の長男として東京府東京市に生まれる。生母・孝子の死後、継母・紀子(父・敏男の後妻)に育てられる。 初等科から大学まで学習院に学ぶ。皇太子明仁親王の学友の一人で、共にエリザベス・ヴァイニング(ヴァイニング夫人)の教育を受けている。ただ大学卒業後は疎遠であったという。
九条道弘(くじょう みちひろ、1933年 - )は、日本の神… 九条道弘(くじょう みちひろ、1933年 - )は、日本の神職。
岩城 宏之(いわき ひろゆき、1932年9月6日 - 200… 岩城 宏之(いわき ひろゆき、1932年9月6日 - 2006年6月13日)は、日本の指揮者。位階は正五位。 指揮法を渡邉暁雄と齋藤秀雄に師事した。 東京府にて、専売局(後の日本専売公社)技師・岩城與一(1895年〈明治28年〉生、魚津中学校〈現:富山県立魚津高等学校〉・第四高等学校・東京帝国大学農学部農芸化学科 卒業、名古屋地方専売局長、1946年〈昭和21年〉に退官)の第5子(末子)として生まれた。小学校に入学して間もなく父の転任で京都に転居、9歳で木琴を始める。小学4年生の3学期で東京に戻る。当時は病弱で、小学5年生と6年生の2年間に10か月間病欠し、骨膜炎で片脚切断の寸前まで行ったことがある。
波多野 敬雄(はたの よしお、1932年(昭和7年)1月3日… 波多野 敬雄(はたの よしお、1932年(昭和7年)1月3日 - )は、日本の外交官。第25代学習院長。元国連大使。 学習院幼稚園から戦後の学制改革を経て新制学習院高等科まで一貫して学習院で過ごした。伏見宮博明王の学友。東大法学部3回生在学中に外交官試験に合格し、1953年外務省入省。1990年代の在国際連合日本政府代表部大使在任中、日本が国連安保理常任理事国入りを目指す外交方針のなかで現場にいた事務方の代表者。 第25代学習院長。学習院長田島義博の急逝に伴い選出された。任期は田島義博の残任期間となる2006年(平成18年)6月1日から2008年(平成20年)9月30日までであったが、2008年8月6日に再選され、2014年(平成26年)9月30日退任。
李 玖(り きゅう、イ グ、이 구、1931年12月29日 … 李 玖(り きゅう、イ グ、이 구、1931年12月29日 - 2005年7月16日)は、李王垠の第2子・次男。父は大韓帝国の元皇太子で李王、母は日本の皇族である方子女王。王公族としての身位は王世子、敬称は殿下。肥前佐賀藩主・鍋島直正の玄孫。なお、令和時代の上皇とはともに久邇宮朝彦親王を曾祖父とする又従弟に当たる。 1931年(昭和6年)12月29日午前8時22分、李王垠とその妃方子女王の第2子次男として誕生する。兄晋は夭折していたため、玖が王世子(李家当主(=李王)の嗣子に与えられる位)となった。翌年1月4日、命名式が行われ、「玖」と名付けられた。佐賀藩主の鍋島直正は高祖父にあたる。 第二次世界大戦後、日本国憲法施行に伴い王公族の地位を喪失し、日本国との平和条約発効による日本の主権回復とともに日本国籍を喪失した。
福田 一雄(ふくだ かずお、1931年9月26日 - )は、… 福田 一雄(ふくだ かずお、1931年9月26日 - )は、日本の作曲家、指揮者である。 東京都出身。母の方針によって5歳のときから絶対音感教育を受け、モスクワ音楽院の教授を務めていたポール・ヴィノグラードフにピアノを学んだ。 1937年、学習院初等科に入学し、学習院中・高等科を経て、学習院大学政経学部に進んだ。この頃から、幼時から習得していたピアノの腕を生かして音楽関係のアルバイトを始め、ジャズバンドでピアノを弾いたり、進駐軍のクラブ回りなどに参加したりしていた。やがて友人の近衛秀健(近衞秀麿の子)の紹介によって東宝交響楽団(後の東京交響楽団)や東京フィルハーモニー交響楽団、近衛管弦楽団などでもピアニストを務めた。
實吉 達郎(さねよし たつお、1929年11月29日 - 2… 實吉 達郎(さねよし たつお、1929年11月29日 - 2025年9月23日)は、日本の動物研究家、作家。未確認動物「UMA」の命名者として知られる。 シャーロック・ホームズの研究家でもあり、日本シャーロック・ホームズ・クラブ会員である。 子爵實吉安純の孫として広島県(父の赴任地・呉市)に生まれる。学習院幼稚園から学習院初等科、学習院中等科を経て、東京農業大学卒業後、宮内庁下総御料牧場、野毛山動物園に勤務。 1955年から1962年までブラジルで動物を研究。帰国後、動物作家として活躍。また、数多くのテレビ番組に出演している。 娘はシンガーソングライターのさねよしいさ子、風水鑑定士の佐々木啓乃。
武者小路 公秀(むしゃこうじ きんひで、1929年10月21… 武者小路 公秀(むしゃこうじ きんひで、1929年10月21日 - 2022年5月23日)は、日本の国際政治学者。大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター前所長であり特任教授。明治学院大学国際平和研究所客員所員。専門は国際政治学、平和学。学位は政治学士(学習院大学)。 公益財団法人朝鮮奨学会理事、国連大学副学長、国際人権NGO・反差別国際運動(IMADR)日本委員会理事長などを歴任。 藤原北家の支流・閑院流の末裔で元貴族院議員、駐独大使を務めた武者小路公共の三男としてブリュッセルで生まれる。武者小路実光は異母兄にあたる。祖父は日本鉄道会社発起人で裁判官の武者小路実世。外祖父は伊東義五郎。外祖母の伊東満里子(フランス名マリ・ルイーズ・フラパース)はフランス海軍軍人テオドール・フラパースの娘であり、公秀自身はフランス人とのクオーター(4分の1混血者)である。
久邇 邦昭(くに くにあき、1929年〈昭和4年〉3月25日… 久邇 邦昭(くに くにあき、1929年〈昭和4年〉3月25日 - )は、日本の旧皇族。久邇宮第4代当主。元実業家(川崎汽船役員)、元神職(伊勢神宮大宮司)。皇籍離脱前の名と身位は邦昭王(くにあきおう)。香淳皇后 (昭和天皇后) の甥であり、第125代天皇・明仁(上皇)の従兄にあたる。日本国憲法・現行皇室典範施行後も皇族であったが、GHQの指令により昭和22年 (1947年) 10月14日皇籍離脱した。北朝3代崇光天皇男系19世孫(伏見宮邦家親王男系4世孫)。 1929年(昭和4年)3月25日午後3時35分、東京帝国大学医学部付属病院にて、久邇宮朝融王と同妃知子女王の第1王子として誕生。御七夜の3月31日に「邦昭」と命名された。
池田 隆政(いけだ たかまさ、1926年(大正15年)10月… 池田 隆政(いけだ たかまさ、1926年(大正15年)10月21日 - 2012年(平成24年)7月21日)は、日本の実業家。池田動物園会長・園長。池田牧場社長。昭和天皇と香淳皇后の第4皇女・池田厚子(順宮厚子内親王)の夫。旧岡山藩主池田侯爵家の第16代当主。 備前国岡山藩主の家系で、隆政の父・宣政は元侯爵。学習院高等科卒業後、1948年(昭和23年)から池田牧場を経営。家畜の改良などを行なった。 1952年(昭和27年)10月10日、順宮厚子内親王と結婚。1953年(昭和28年)2月に有限会社池田産業動植物園を経て、1960年(昭和35年)5月に株式会社池田動物園となり、隆政は園長に就任した。
賀陽 治憲(かや はるのり、1926年〈大正15年〉7月3日… 賀陽 治憲(かや はるのり、1926年〈大正15年〉7月3日 - 2011年〈平成23年〉6月5日)は、日本の外交官。旧皇族、賀陽宮恒憲王の第2王子。海軍兵学校75期。1947年10月14日の皇籍離脱までは、治憲王(はるのりおう)。 1926年〈大正15年〉7月3日午前8時50分、賀陽宮恒憲王と同妃敏子の第2男子として誕生。御七夜の7月9日に「治憲」と命名された。 学習院初等科・学習院中等科を経て、1943年(昭和18年)12月1日、江田島海軍兵学校(75期)に入学。井上成美中将のもとで学んだ。入校式においては皇族の生徒として紹介を受け、同期生の敬礼を受けている(広島中央放送局ニュース再録に記録あり)。
瀬川 昌治(せがわ まさはる、1925年10月26日 - 2… 瀬川 昌治(せがわ まさはる、1925年10月26日 - 2016年6月20日)は、日本の映画監督、脚本家、舞台演出家。喜劇映画の名手とされ、1960年代に数多くの喜劇シリーズを監督した。 1925年10月26日、東京市神田区神保町(現在の東京都千代田区神田神保町)の官吏の家に生まれる。学習院初等科、中等科に学び、一学年上の三島由紀夫などと交流する。学習院高等科 (旧制)在学中に陸軍船舶兵として応召。終戦後、東京帝国大学(現・東京大学)文学部英文科に入学するが、在学中は野球部のレギュラー外野手として活躍し、東京六大学野球リーグ戦にも出場した(東京大学野球部出身の映画監督としては、他に井坂聡や秋原正俊らがいる)。
永山 武臣(ながやま たけおみ、1925年(大正14年)8月… 永山 武臣(ながやま たけおみ、1925年(大正14年)8月30日 - 2006年(平成18年)12月13日)は、日本の実業家。松竹社長・会長を歴任した。 東京出身。屯田兵設立の功労者である男爵永山武四郎の孫。息子はフジテレビプロデューサーの永山耕三。 学習院初等科から高等科 (旧制) を卒業。京都帝国大学経済学部へ入学し、1948年(昭和23年)3月に京都大学経済学部を卒業した。 2006年(平成18年)12月13日午前7時48分、急性白血病のため都内の病院で死去。享年81歳。墓所は多磨霊園。 大学在学中の1947年(昭和22年)10月に松竹に入社し、東京劇場監事室に配属された。 1951年(昭和26年)1月の東京・歌舞伎座の再開と同時にその監事室に配属され、松竹創業者の一人である大谷竹次郎の下で、同年に上演された「源氏物語」(9代目市川海老蔵(後の11代目市川團十郎)や7代目尾上梅幸、2代目尾上松緑ら)や6代目中村歌右衛門襲名披露興行など第2次世界大戦後初期の歌舞伎の代表的な公演に関わることになった。
千家 紀彦(せんげ のりひこ、1924年〈大正13年〉12月… 千家 紀彦(せんげ のりひこ、1924年〈大正13年〉12月 - 1994年〈平成6年〉7月12日)は、日本のジャーナリスト、作家。筆名には、志摩紀久夫(しまきくお)、青柳淳郎(あつろう)、本間丫閑斎(あかんさい)がある。朝鮮半島の大邱市生まれ、東京市麻布区材木町(現・東京都港区六本木)育ち。本籍は島根県大社町。両親はいとこ婚であり、父方の祖父も母方の祖父も千家尊福。父は尊福の養子・千家尊宣、弟に千家崇彦がいる。母方の伯父は詩人千家元麿。学習院では三島由紀夫と同級生だった。 幼い頃から父親にDVを受け、14歳の時、父親と女中の性行為を目撃してから不良化。1939年、学習院中等科2年生の時に煙草を吸って退寮処分となる。
北条 浩(ほうじょう ひろし、1923年〈大正12年〉7月1… 北条 浩(ほうじょう ひろし、1923年〈大正12年〉7月11日 - 1981年〈昭和56年〉7月18日)は、日本の海軍軍人、政治家、宗教家。公明党所属の参議院議員(1期、1965年 - 1971年)、第4代創価学会会長。 前任会長の池田大作が執筆した小説『人間革命』の登場人物「十条潔」のモデルとなる。 神奈川県三浦郡葉山町生まれ。北条釐三郎の長男として生まれる。先祖は、後北条氏河内狭山藩初代藩主の北条氏盛(後北条氏第3代北条氏康の孫の一人)であり、その嫡流にあたる。ただし、祖父・北条氏恭が伊達政宗の子孫(伊達氏→堀田氏→狭山藩北条氏と養子入りした家系)であるため、男系の血筋上は伊達氏の末裔である。
田 英夫(でん ひでお、1923年(大正12年)6月9日 -… 田 英夫(でん ひでお、1923年(大正12年)6月9日 - 2009年(平成21年)11月13日)は、日本のジャーナリスト、政治家。従三位勲一等。参議院議員を務めた。 貴族院勅選議員や台湾総督を務めた男爵・田健治郎の次男である田誠(鉄道省国際観光局長や華中鉄道副総裁を歴任)の次男として、東京で生まれる。政治家の田艇吉は大伯父、江戸時代の女流歌人・田捨女は先祖にあたる。 旧制学習院高等科を卒業した年1943年(昭和18年)の東京帝国大学入学直後、学徒出陣で海軍に入隊。海軍兵科第4期予備学生を経て、第16震洋特別攻撃隊艇隊長として宮崎県の赤水で訓練を重ねていたが、出撃命令が下る前、海軍中尉で終戦を迎え復員した。
鈴木 三郎助(すずき さぶろうすけ、1922年8月24日 -… 鈴木 三郎助(すずき さぶろうすけ、1922年8月24日 - 2012年1月25日)は、日本の実業家。味の素創業者二代目鈴木三郎助の孫で、同社会長や名誉会長、日本食品添加物協会会長等を歴任した。 東京都港区出身。旧名鈴木重明。学習院高等科を経て、1946年東北大学法文学部卒業。1949年味の素入社。1961年取締役に昇格。1965年常務取締役。1969年専務取締役。1973年取締役副社長、日本油脂協会会長。1974年紺綬褒章受章。1975年取締役会長。1982年日本食品添加物協会会長。1988年レジオン・ドヌール勲章受章、全日本広告連盟理事長、日本宣伝クラブ理事長。1989年東京広告協会理事長。
橋口 收(はしぐち おさむ、1921年(大正10年)9月8日… 橋口 收(はしぐち おさむ、1921年(大正10年)9月8日 - 2005年(平成17年)7月13日)は、日本の大蔵官僚。初代国土事務次官、公正取引委員会委員長、広島銀行頭取・会長、広島商工会議所会頭を歴任した。 学習院初等科、中等科(旧制)を経て、高等科(旧制)を卒業。中等科3年次から高等科卒業までは首席で通していた。模擬試験も上位に進出し、第一高等学校(旧制)在学生にも「学習院のすごい奴」として知られていた。1943年(昭和18年)に東京帝国大学法学部を卒業。当時助教授だった川島武宜ゼミでも抜きん出た存在であり、川島からは大学に残るように勧められていた。しかし、橋口は「象牙の塔にこもるのは性に合わない」と振りきった。
五島 昇(ごとう のぼる、1916年(大正5年)8月21日 … 五島 昇(ごとう のぼる、1916年(大正5年)8月21日 - 1989年(平成元年)3月20日)は、日本の実業家。東京急行電鉄社長・会長。日本商工会議所会頭。五島慶太の長男。 東京府東京市神田区駿河台(現・東京都千代田区神田駿河台)に、五島慶太、万千代(旧姓久米)の長男として生まれる。学習院初等科、中等科 (旧制)、高等科 (旧制) を経て東京帝国大学経済学部を卒業。学生時代は野球部に籍を置き捕手としてならしたが、のちにゴルフ部へ転部。ゴルフがきっかけで知遇を得た東京芝浦電気副社長・津守豊治の紹介で同社に入社した。昇には父の跡を継ぐ気がなかった。 慶太には昇と進という二人の息子がいた。兄・昇は常日頃から父に反抗し「絶対に(父の)を跡を継がない」と放言していた。
三笠宮崇仁親王(みかさのみやたかひとしんのう、1915年〈大… 三笠宮崇仁親王(みかさのみやたかひとしんのう、1915年〈大正4年〉12月2日 - 2016年〈平成28年〉10月27日)は、日本の皇族、陸軍軍人、歴史学者(古代オリエント史)。三笠宮家初代当主。御称号は澄宮(すみのみや)、お印は若杉(わかすぎ)。身位は親王。敬称は殿下。勲等は大勲位。最終階級は陸軍少佐。第126代・今上天皇(徳仁)の大叔父。大正天皇と貞明皇后の第4皇子。昭和天皇は兄(長兄)、第125代天皇・現上皇の明仁は甥。現在の皇族には彼の孫が3人おり3人共女子である(息子3人は死去。娘2人と孫2人は皇籍離脱)。 1915年(大正4年)12月2日、大正天皇と貞明皇后の第四男子として誕生。3人の兄(昭和天皇、秩父宮雍仁親王、高松宮宣仁親王)は明治生まれ即ち父である大正天皇がまだ皇太子であった時にその男子として生まれ、早くから「皇孫御殿」に引き取られて養育された。
音羽 正彦(おとわ ただひこ、1914年〈大正3年〉1月5日… 音羽 正彦(おとわ ただひこ、1914年〈大正3年〉1月5日 - 1944年〈昭和19年〉2月6日)は、日本の皇族(朝香宮家)、華族、海軍軍人。クェゼリンの戦いにて戦死。最終階級は海軍少佐。栄典は正四位勲一等功四級侯爵。臣籍降下以前の皇族としての名と身位は正彦王(ただひこおう)、敬称は殿下。 1914年(大正3年)1月5日、朝香宮鳩彦王の第2王子として誕生。1934年(昭和9年)1月4日、貴族院皇族議員に就任。 学習院中等科卒業後、海軍兵学校入校。海軍兵学校生徒時代に宿営した広島県西条で、保存用の畳の上に寝てくれと地元民に頼まれた際には「ぼくは国民のデコレーションではないよ」と述べたという。 1936年(昭和11年)4月1日、海軍兵学校第62期卒業。
德川 慶光(とくがわ よしみつ、1913年(大正2年)2月6… 德川 慶光(とくがわ よしみつ、1913年(大正2年)2月6日 - 1993年(平成5年)2月6日)は、日本の官僚、政治家、陸軍軍人、華族(公爵)。江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜の孫。通称は「けいこう」。新字体で徳川 慶光とも表記される。 1913年(大正2年)2月6日、公爵徳川慶久と有栖川宮威仁親王の第二王女・實枝子の長男として東京府東京市小石川区第六天町(現:東京都文京区小日向)の屋敷で生まれた。お印は雁。赤ん坊の頃、祖父・慶喜の膝に抱かれ、おもらしをしたことがある。 1922年(大正11年)に父が急死したため、10歳で襲爵。伯父の侯爵・池田仲博が後見人となった。学習院から東京帝国大学文学部支那哲学科に進んで中国哲学を専攻し、卒業後は宮内省図書寮に勤務した。
伏見 博英(ふしみ ひろひで、1912年〈大正元年〉10月4… 伏見 博英(ふしみ ひろひで、1912年〈大正元年〉10月4日 - 1943年〈昭和18年〉8月21日)は、日本の皇族、華族、海軍軍人。第二次世界大戦時に太平洋戦線で戦死。最終階級は海軍少佐。爵位は伯爵。臣籍降下以前の名は博英王(ひろひでおう)。 1912年10月4日に誕生。伏見宮博恭王の第4王子。香淳皇后(昭和天皇后)の再従弟にあたる。 海軍兵学校(第62期)卒業。同期に同じく戦死した皇族軍人の音羽正彦少佐など。 最上級生のときは、ノーブルな雰囲気ながらも下級生が何かヘマをやろうものなら「待て! 貴様!」と鉄拳をふるう、やや御気性の荒っぽい宮様だったという。 1932年(昭和7年)10月3日、貴族院皇族議員に就任。
鍋島 直紹(なべしま なおつぐ、1912年(明治45年)5月… 鍋島 直紹(なべしま なおつぐ、1912年(明治45年)5月19日 - 1981年(昭和56年)11月16日)は、日本の政治家。佐賀県知事・科学技術庁長官。旧肥前鹿島藩鍋島家の第15代当主にあたり、地元では親しみを込めて「トンさん」(=殿様)と呼ばれた。 1912年(明治45年)5月19日、旧鹿島藩鍋島家第14代当主で、内務政務次官を務めた鍋島直縄子爵の長男として佐賀県藤津郡(現・鹿島市)で生まれる。旧制学習院中等科・高等科を経て、1936年(昭和11年)九州帝国大学農学部農学科を卒業、農林省嘱託技師となる。1944年(昭和19年)同省を退職し、「鍋島農園」の経営に当たる。1947年(昭和22年)2月3日に爵位(子爵)を返上した。
鍋島 直泰(なべしま なおやす、1907年〈明治40年〉10… 鍋島 直泰(なべしま なおやす、1907年〈明治40年〉10月3日 - 1981年〈昭和56年〉4月1日)は、日本の宮内官僚、政治家、華族(侯爵)。旧佐賀藩鍋島家第13代当主。貴族院議員。 12代当主・直映の嫡男で、母は黒田長知の次女・禎子。学習院を経て、1931年(昭和6年)東京帝国大学文学部を卒業。1933年(昭和8年)宮内省に入省し、式部官兼主猟官に就任。 父の死去に伴い、1943年(昭和18年)12月28日に家督を相続し侯爵を襲爵。同日、貴族院侯爵議員に就任し、火曜会に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院の廃止まで在任した。 式部官を務めていたこともあり、1949年(昭和24年)、昭和天皇の戦後巡幸が佐賀市内で行われた際には、御泊所となった楊柳亭で拝謁する機会を得ている。
徳川 義寛(とくがわ よしひろ、1906年 <明治39年> … 徳川 義寛(とくがわ よしひろ、1906年 <明治39年> 11月7日 - 1996年 <平成8年> 2月2日)は、日本の官僚。宮内官僚として52年にわたり天皇家を支え、昭和天皇の側近、侍従長の役割も果たした。位階は従二位。勲一等端宝章。 尾張(名古屋)藩主徳川慶勝の孫で、実弟津軽義孝は常陸宮正仁親王妃華子の父であり、妹祥子は北白川宮永久王の妃で皇籍離脱後は香淳皇后付の女官長、皇太后宮女官長を務めた。 1906年(明治39年)、尾張徳川家分家、徳川義恕の長男として東京府に生まれる。1927年(昭和2年)、学習院高等科を卒業し、1930年(昭和5年)、東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業。ベルリン大学留学後、帝室博物館(現東京国立博物館)研究員。
西郷 吉之助(さいごう きちのすけ、1906年〈明治39年〉… 西郷 吉之助(さいごう きちのすけ、1906年〈明治39年〉7月20日 - 1997年〈平成9年〉10月12日)は、日本の政治家、華族。位階は正三位。 法務大臣、参議院議員、貴族院議員。侯爵。西郷隆盛の嫡男である西郷寅太郎の三男。 鹿児島県で生まれ、東京で育つ。学習院を経て、東北帝国大学経済学科卒業。学習院時代の同期には日中戦争で戦死した南郷茂章などがいた。祖父隆盛と同じく、堂々とした体躯で知られた。 興銀に入り、その後は南方開発金庫の参事、ジャワ支金庫業務課長を経て、貴族院議員(1936年(昭和11年) - 1947年(昭和22年))、1947年鹿児島県選挙区より参議院議員に当選。以後当選4回。