スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
三輪 尚治(みわ なおはる、1933年3月 - )は、日本の… 三輪 尚治(みわ なおはる、1933年3月 - )は、日本の実業家。名港海運代表取締役社長や、東海港運協会副会長等を務めた。黄綬褒章受章。 1951年愛知県立明和高等学校卒業。1955年早稲田大学教育学部卒業。1956年名港海運入社。1978年名港海運取締役輸出第二部長に昇格。1983年名港海運常務取締役。1988年名港海運専務取締役。1991年名郵不動産取締役。1991年Meiko Trans Canada, Inc.取締役会長。1995年名港海運取締役副社長。2001年から名港海運代表取締役社長及び名港陸運取締役を務め、情報技術の活用などを進めた。2007年名港海運取締役相談役に退いた。東海港運協会副会長等も歴任し、2010年秋の叙勲で黄綬褒章を受章した。
瀧田 あゆち(たきた あゆち、1932年(昭和7年)10月2… 瀧田 あゆち(たきた あゆち、1932年(昭和7年)10月20日 - 2005年(平成17年)1月6日)は、愛知県出身の元日本航空役員。日本航空で初の女性役員。後年には日航財団常務理事を務めた。 瀧田英二、花柳はるみ(瀧田 意志)の長女として生まれる。兄は滝田文彦。 名古屋市出身で常滑市には小学校4年の夏に引っ越している。知多郡立高等女学校(現・愛知県立半田高等学校)を経て、愛知県立第一高等女学校(現・愛知県立明和高等学校)を卒業した。 愛知県立第一高等女学校では演劇班に在籍し、1946年(昭和21年)の卒業の予餞会にはシェイクスピアの「ヴェニスの商人」のポーシャを演じている。 母の花柳はるみは高名な女優であったが、あゆちは「小学校を卒業するまでは母が女優だと知らなかった。
水平 豊彦(みずひら とよひこ、1932年1月3日 - 19… 水平 豊彦(みずひら とよひこ、1932年1月3日 - 1986年6月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)、内閣官房副長官、愛知県議会議員(5期)などを歴任。 愛知県愛知郡天白村(現在の名古屋市天白区)生まれ。愛知県立明和高等学校卒業。1958年(昭和33年)、名古屋工業大学建築科卒業。日本住宅公団勤務から早稲田柳右衛門の秘書となる。 1959年(昭和34年)、愛知県議会議員(名古屋市昭和区選出)に初当選。1974年(昭和49年)5月、最年少(42歳)にて県議会議長となる。 1976年(昭和51年)12月の第34回衆議院議員総選挙に、定数が3から4に増えた旧愛知6区から無所属で立候補。得票数4位で初当選した。
青木 秋夫(あおき あきお、1931年〈昭和6年〉9月15日… 青木 秋夫(あおき あきお、1931年〈昭和6年〉9月15日 - 2021年〈令和3年〉1月1日)は、日本の政治家。前橋市議(1期)、群馬県議(6期)、第70代群馬県議会議長を歴任した。 1931年9月15日、勢多郡桂萱村(現前橋市)で生まれる。1956年、東洋大学社会学部を卒業し、明和高等学校教諭となった。1960年、久保田円次の公設第一秘書となり、その後国務大臣秘書官となった。1967年、前橋市議会議員選挙に無所属で立候補して当選した。1969年7月、任期途中で辞職した。1974年、桐生短期大学講師となった。1983年4月10日、群馬県議会議員選挙に勢多郡選挙区から立候補して初当選を果たし、以後6期務める。
横山 まさみち(よこやま まさみち、男性、1930年4月29… 横山 まさみち(よこやま まさみち、男性、1930年4月29日 - 2003年10月14日)は、日本の漫画家。代表作は『やる気まんまん』。 愛知県名古屋市出身。本名:横山正雄。愛知県立明和高等学校卒。 1950年、明治大学在学中に『ウサギのかごや』でデビューし主に貸し本漫画を多数執筆。1960年代頃からは横山プロダクションを立ち上げ、自身やアシスタントの作品を発表すると同時に、活動の場を少年週刊誌や月刊誌、少女雑誌に広げて活躍した。 1970年代に入って貸本が廃れてくると活動の場を少年誌から成年誌に変えて執筆するようになった。少年向け劇画作家から成年向けアダルトコミックに転身し成功した一人で、日刊ゲンダイに連載した、男性器をオットセイに、女性器を貝に擬したアダルトコミックで一般にもよく知られていた。
加藤 延夫(かとう のぶお、1930年〈昭和15年〉1月25… 加藤 延夫(かとう のぶお、1930年〈昭和15年〉1月25日 - 2025年〈令和7年〉5月7日)は、日本の細菌学者。位階勲等は従三位瑞宝大綬章。医学博士。名古屋大学名誉教授、元総長。愛知県名古屋市出身。 衆議院議長、法務大臣を務めた国会議員加藤鐐五郎の孫婿。 その後、愛知医科大学学長、同理事長。
章憲王(あきのりおう、昭和4年(1929年)8月17日 - … 章憲王(あきのりおう、昭和4年(1929年)8月17日 - 平成6年(1994年)11月4日)は日本の旧皇族。賀陽宮恒憲王の第3王子。
鵜飼 一郎(うかい いちろう、1928年(昭和3年)12月2… 鵜飼 一郎(うかい いちろう、1928年(昭和3年)12月28日 - 2006年(平成18年)10月16日)は、日本の政治家。愛知県春日井市長(4期)。全国市長会副会長、東海市長会会長などを歴任。位階は正五位。旭日中綬章受章。 愛知県東春日井郡坂下町(現・春日井市)生まれ。愛知県明倫中学校(現・愛知県立明和高等学校)卒業。1944年(昭和19年)、旧坂下町役場に奉職。1958年(昭和33年)1月1日、春日井市は坂下町と高蔵寺町を編入。市長公室長、助役などを歴任。 1990年(平成2年)、春日井市長の鈴木義男が翌年の市長選不出馬を明らかにし、後継として鵜飼が立候補する意向を表明。同年10月、助役を辞任した。
福永 令三(ふくなが れいぞう、1928年〈昭和3年〉12月… 福永 令三(ふくなが れいぞう、1928年〈昭和3年〉12月25日 - 2012年〈平成24年〉11月19日)は、日本の童話作家。愛知県名古屋市出身。 名古屋市立東白壁小学校、愛知県立明倫中学校、第二早稲田高等学院を経て、早稲田大学第一文学部国文科卒業。大学在学中は小説を1か月に原稿用紙千枚以上必ず[要出典](200枚程度)書いていたという。大学卒業後は文筆生活に入り、純文学、児童文学、ミステリなどジャンルを問わず様々な文学賞に応募をし続けた。1946年より静岡県熱海市に移住し、生涯在住した。 1956年に「赤い鴉」で、黒岩松次郎(後の団鬼六)らを抑えて文藝春秋の第9回オール新人杯を受賞。 代表作は、1964年に第5回講談社児童文学新人賞を受賞した『クレヨン王国の十二か月』。
池原 謙一郎(いけはら けんいちろう、1928年7月6日 -… 池原 謙一郎(いけはら けんいちろう、1928年7月6日 - 2002年3月15日)は、日本の造園家。環境デザイナー。ランドスケープデザインの研究者。 筑波大学芸術専門学群で教壇にたちデザインを指導する一方で、公園等の作品を残す。造形美を追求したアート感覚の公園を設計、さらに同世代の造園・環境デザインを担う仲間と活動を積極的に展開し、戦後造園設計界の中心的存在となった。 また一方で、サッカー日本代表のサポーター組織「日本サッカー狂会」を立ち上げ、長く日本のサッカーを支援、現在はバレーボールの応援で有名なフレーズ「日本チャ、チャ、チャ」の応援スタイルを考案した。 愛知県名古屋市に生まれ、津島で育つ。
塚本 三郎(つかもと さぶろう、1927年〈昭和2年〉4月2… 塚本 三郎(つかもと さぶろう、1927年〈昭和2年〉4月20日 - 2020年〈令和2年〉5月20日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(通算10期)、民社党委員長(第5代)、書記長(第5代)などを歴任した。 愛知県名古屋市に製材所を営む家の三男として生まれる。旧制明倫中学校(現・愛知県立明和高等学校)から中央大学法学部に進み、中大では辞達学会(弁論部)で活動した。 中大卒業後まもなく運輸省で鉄道員として勤務、国鉄労働組合の結成にも関わり一時期本省への出向も経験した。運輸省退職後は家具製造卸業を営みつつ日本農民組合中央委員を歴任、1952年の総選挙・1953年の総選挙に無所属で19
内藤 明人(ないとう あきと、本名・内藤 進、ないとう すす… 内藤 明人(ないとう あきと、本名・内藤 進、ないとう すすむ、1926年3月29日 - 2017年3月20日)は、日本の経営者、リンナイ株式会社社長、会長や、社団法人日本ガス石油機器工業会会長、中部経済同友会代表幹事、名古屋商工会議所副会頭などを歴任した。 愛知県名古屋市生まれ。父は、林兼吉とともに林内商会(後の林内製作所〜リンナイ)を創業した内藤秀次郎で、その三男として生まれた。旧制明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)、旧制第八高等学校から東京大学工学部に進んで、機械工学を学び、村田一、山口開生、石川六郎らと交わる。卒業後は大企業へ就職するつもりだったが、兄が第二次世界大戦で戦死したため事業の後継者と期待され、1948年に大学を卒業し、林内商会に入社した。
高取 正男(たかとり まさお、1926年3月16日 - 19… 高取 正男(たかとり まさお、1926年3月16日 - 1981年1月3日)は、日本の歴史学者・民俗学者。専攻は、日本文化史・民俗学。元京都女子大学教授。 1926年、愛知県名古屋市で生まれた。愛知県立明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)を経て、京都大学文学部史学科に入学。1951年に卒業し、同大学大学院にて国史学を専攻して柴田實に師事した。また先輩の竹田聴洲と出会い、民俗学を志した。 京都女子大学非常勤講師に就いた後、1961年に同大学助教授に就任。1966年に教授昇格。1977年より国立民族学博物館客員教授も務めた。 専門は民俗学で、宗教民俗学。没後には法藏館より『高取正男著作集』(全5巻)が刊行された。
仲谷 義明(なかや よしあき、1925年(大正14年)10月… 仲谷 義明(なかや よしあき、1925年(大正14年)10月27日 - 1988年(昭和63年)11月18日)は、日本の政治家、自治官僚。元愛知県知事(2期)。 愛知県渥美郡神戸村(現・田原市)で農業を営んでいた父親の仲谷清一は第一次世界大戦の好況にあおられ、田畑を売り、機屋(はたや)を始めた。ところがつぶれてしまい、夜逃げ同然で一家は名古屋市に出た。1925年10月27日、仲谷は名古屋市西区桜木町3丁目で出生した。父親は織機会社のあとミシン会社に勤め、やがて仲谷ミシン商会として独立した。 名古屋市立新道尋常小学校、愛知県立明倫中学校卒業。1945年3月、第四高等学校文科甲類卒業。同年4月、東京帝国大学法学部政治学科に入学。
渡辺 宙明(わたなべ ちゅうめい、1925年〈大正14年〉8… 渡辺 宙明(わたなべ ちゅうめい、1925年〈大正14年〉8月19日 - 2022年〈令和4年〉6月23日)は、日本の作曲家、編曲家。「ちゅうめい」は本名を音読みしたペンネームであり、本来の読みは「わたなべ みちあき」。 父は渡邊工業社長・名古屋螺子製作所(現:メイラ株式会社)創業者の渡辺俊雄。息子は作曲家・編曲家の渡辺俊幸。孫(俊幸の息子と娘)はナレーター・声優の渡辺眞伍、芸術家アイドルとして活動するマコ・プリンシパル(渡辺真子)。 また、作詞家の田野倉健之がアシスタントを務めた。 愛知県名古屋市出身。愛知県立明倫中学校(現・愛知県立明和高等学校)、第八高等学校理科、東京大学文学部心理学科卒。
山桝 忠恕(やまます ただひろ、1922年 - 1984年1… 山桝 忠恕(やまます ただひろ、1922年 - 1984年11月13日)は、日本の会計学者。学位は、経済学博士(慶應義塾大学・1960年)(学位論文「監査制度の展開」)。慶應義塾大学教授を歴任。 愛知県名古屋市生まれ。愛知県立明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)を経て、1942年に彦根高等商業学校(現滋賀大学経済学部)卒業。1945年神戸経済大学(現神戸大学)卒業。平井泰太郎門下。神戸大学講師、松山商科大学助教授、神戸商科大学助教授等を経て、1960年に慶應義塾大学教授。同年「監査制度の展開」で慶應義塾大学より経済学博士の学位を取得。三邊金蔵、小高泰雄を財務会計論において後継した研究者の一人とされる。
樋口 芳麻呂(ひぐち よしまろ、1921年9月15日 - 2… 樋口 芳麻呂(ひぐち よしまろ、1921年9月15日 - 2011年10月1日)は、日本の国文学者。専門は中古・中世和歌文学。愛知教育大学名誉教授、愛知淑徳大学名誉教授。1983年角川源義賞受賞。1997年勲三等旭日中綬章受章。 1921年(大正10年)9月、愛知県名古屋市に生まれる。旧制愛知県明倫中学校、旧制第八高等学校を経て、1944年(昭和19年)、東京帝国大学文学部国文学科卒業。1951年(昭和26年)、愛知学芸大学講師、1968年(昭和43年)、愛知教育大学教授、1985年(昭和60年)、同大学定年退官、同大学名誉教授、愛知淑徳大学文学部教授。1997年(平成9年)、愛知淑徳大学定年退職、同大学名誉教授。
杉浦澄子(すぎうら すみこ、1921年3月15日- )は、裏… 杉浦澄子(すぎうら すみこ、1921年3月15日- )は、裏千家流の茶人、陶芸研究家。 浅井竹五郎の次女として名古屋に生まれる。別名・澄心庵、杉浦宗美。愛知県立第一高等女学校卒。1941年東京女子大学英文科中退。東京大学印度哲学研究室にて中村元の指導をうける。裏千家茶道教授。
加藤 隆一(かとう りゅういち、1920年6月21日 - 2… 加藤 隆一(かとう りゅういち、1920年6月21日 - 2011年10月3日)は、元東海銀行頭取、会長。名古屋商工会議所会頭、名古屋銀行協会会長、中経連副会長等を歴任。1996年、英国より大英帝国勲章(司令官CBE)を受勲。愛知県出身。
柴田 秀利(しばた ひでとし、1917年7月 - 1986年… 柴田 秀利(しばた ひでとし、1917年7月 - 1986年11月)は、日本のジャーナリスト、実業家。日米にまたがる広い人脈を駆使して、日本へのテレビ導入と日本テレビ設立、原子力利用、ゴルフブームに重要な役割を果たした。正力松太郎とも深く関係している。
堀 栄三(ほり えいぞう、1913年〈大正2年〉10月16日… 堀 栄三(ほり えいぞう、1913年〈大正2年〉10月16日 - 1995年〈平成7年〉6月5日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。階級は陸軍中佐、陸将補。 正確な情報の収集とその分析という過程を軽視する大本営にあって、情報分析によって米軍の侵攻パターンを的確に予測したため、「マッカーサー参謀」とあだ名された。戦中の山下奉文陸軍大将、そして戦後海外の戦史研究家にもその能力を高く評価されている。 参議院議員、国土交通大臣(2011年4月 - 2012年6月)の前田武志は堀の甥である。 奈良県吉野郡西吉野村(現五條市)出身。伊藤祐一郎の子に生まれる。陸軍航空本部長、第1師団長や留守航空兵団司令官を務めた陸軍中将堀丈夫(士官候補生13期)の養子となる。
村岡 美枝(むらおか みえ、1913年3月23日 - 没年不… 村岡 美枝(むらおか みえ、1913年3月23日 - 没年不明)は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走。 愛知県生まれ。愛知県第一高等女学校(愛知県立明和高等学校の前身校の一つ)在学中の1930年にチェコスロヴァキアのプラハで開かれた第3回国際女子競技大会に代表選手として参加する(参加選手は6人で、人見絹枝、本城ハツ、中西みち、村岡美枝、渡辺すみ子、浜崎千代。人見以外は学生選手)。このとき代表の中心としてチームを引率した人見が翌1931年に死去した際に、葬儀で「お姉さんは女子スポーツに貢献されました。その大きな足跡はけっして消えることがないでしょう。私たちは非力ですが、遺志をつぐよう全力を尽くして頑張るつもりです」と弔辞を読んだ。
高木 作之(たかぎ さくゆき、1912年(明治45年)7月2… 高木 作之(たかぎ さくゆき、1912年(明治45年)7月29日 - 2003年(平成15年)2月14日)は日本の陸軍軍人、航空自衛官。最終階級は陸軍で中佐、航空自衛隊では空将。陸軍中将久納誠一(18期)は義父、陸軍少将小藤恵(20期)は義理の伯父にあたる。 1912年(明治45年)7月29日、愛知県で農家高木作芳の次男として生まれた。翌日には明治天皇が崩御している。 愛知県明倫中学校を経て、1929年(昭和4年)4月に陸軍士官学校予科(市ヶ谷本村町)、1931年(昭和6年)に陸軍士官学校本科に入校、1933年(昭和8年)7月に卒業する(陸士45期騎兵科)。卒業序列は皇族(孚彦王)・公族(李鍝公)を除いて10番/335名。
熊沢 光子(くまざわ てるこ、1911年8月9日 - 193… 熊沢 光子(くまざわ てるこ、1911年8月9日 - 1935年3月25日)は、戦前日本の社会運動家。大泉兼蔵のハウスキーパー (日本共産党)として日本共産党スパイ査問事件に巻き込まれ、逮捕後獄中自殺した。 愛知県名古屋市の弁護士の家庭に生まれる。愛知県立第一高等女学校在学中に教師村瀬示路のマルクス経済学の講義をきっかけにマルクス主義に目覚める。同校を1931年に卒業し、妹の勝子や仲間とともに部屋を借りてエスペラント語を学ぶ。愛知県庁に勤務。1931年、米よこせ運動や消費組合運動をしていた山本秋により社会運動に参加。1932年に上京し住み込みの女給となりカフェーを転々とし、同年秋の赤色ギャング事件の資金局本部事務員として検挙され、4か月留置の末、転向して釈放され帰郷。
三木 澄子(みき すみこ、1908年〈明治41年〉1月2日 … 三木 澄子(みき すみこ、1908年〈明治41年〉1月2日 - 1988年〈昭和63年〉4月16日)は、日本の児童文学作家。本名は磯野澄子。 長崎県長崎市生まれ。愛知県立第一高等女学校(現・愛知県立明和高等学校)卒業。1926年(大正15年)には菊田一夫、安藤一郎らとともに詩の同人誌『花畑』を創刊。 1929年(昭和4年)『婦人サロン』(文藝春秋)の懸賞小説で「試験結婚実話 一週間」が当選、同誌に随筆を書く。1936年(昭和11年)、証券会社の社員・磯野栄蔵と結婚する。1941年(昭和16年)、小説「手巾の歌」が第13回芥川賞候補となる。 1947年(昭和22年)『文藝春秋』に「石段」を発表する。
丸山 三四子(まるやま みよこ、1907年〈明治40年〉3月… 丸山 三四子(まるやま みよこ、1907年〈明治40年〉3月4日 - 1995〈平成7年〉12月26日)は、詩人・丸山薫の妻。詩人としてまだ収入の乏しかった時期の丸山を、マネキンとしての仕事で支えた。昭和初期のマネキンの事情を綴った書籍『マネキン・ガール』の著者として知られる。旧姓は高井。 1907年、愛知県知多郡有松町(現・名古屋市)で誕生した。先進的な父の方針で、横浜の捜真女学校に入学後、家庭の事情で名古屋の金城女学校に転校した後、愛知県立第一高等女学校専攻科(現・愛知県立明和高等学校)を卒業した。 1927年(昭和2年)、丸山薫と結婚した。丸山薫が詩人としてまだ芽が出ていなかったため、働き口を捜して知人のもとを訪れたところ、三四子の働き口ならあるとして、東京マネキン倶楽部を紹介され、マネキンとなった。
永瀬 清子(ながせ きよこ、1906年(明治39年)2月17… 永瀬 清子(ながせ きよこ、1906年(明治39年)2月17日 - 1995年(平成7年)2月17日)は、日本の詩人。岡山県赤磐郡豊田村熊山(現赤磐市)出身。幼年期を石川県金沢市で過ごし、愛知県立第一高等女学校(現愛知県立明和高等学校)卒業。本名は永瀬清。 高等女学校在学中から佐藤惣之助に師事し『詩之家』同人となる。1930年、詩集『グレンデルの母親』を発表。1940年、その名声を得た詩集『諸国の天女』の序文は高村光太郎によるもので、生涯敬慕した宮沢賢治の追悼会での出会いが縁だった。またこの詩集によって、山内義雄や宮本百合子らに認められ、随一の女性文学者たちの仲間入りを果たした。1945年岡山県に帰り、農業に従事しながら詩作を行う。
稲蔭 千代子(いなかげ ちよこ、1906年(明治39年)2月… 稲蔭 千代子(いなかげ ちよこ、1906年(明治39年)2月11日 - 1980年(昭和55年)10月19日)は、日本の女性アナウンサー。民放初の女性アナウンサー。 1906年(明治39年)2月11日、愛知県碧海郡高浜町(のち高浜市)において長女の林千代子として生を受ける。5歳で中西家に養子に出され、中西千代子となる。中西家は叔母の家にあたる。 1922年(大正11年)愛知県立第一高等女学校本科(のちの愛知県立明和高等学校)を卒業し、同校専攻科英語科に進む。しかし、養父が事業に失敗したことから学校を中退し、養家のためになればと、偶然新聞広告で見かけたという名古屋中央放送局の女子アナウンサーに応募した。
蛭川 幸茂(ひるかわ ゆきしげ、1904年(明治37年)1月… 蛭川 幸茂(ひるかわ ゆきしげ、1904年(明治37年)1月20日 - 1999年(平成11年)1月29日)は、旧制高校、及び新制大学の教授。 ヒルさん、蛭公の愛称で慕われた。 東京市小石川区に生まれる。愛知県西尾に転居し、1920年に名古屋市の明倫中学を4年で修了後、第八高等学校理科乙類に入学。 1923年東京帝国大学理学部数学科入学。1926年卒業。同年より旧制松本高校(信州大学の前身)講師となる。同年10月教授就任。 1950年、旧制高校の廃止と共に退職。同年より長野県新村小学校の代用教員となる。後年に教諭就任。 1954年3月小学校教諭退職、愛知学院大学助教授として就任。後、教授。名古屋大学でも教鞭を執る。
二神 武(ふたがみ たけし、1901年8月2日 - 1985… 二神 武(ふたがみ たけし、1901年8月2日 - 1985年11月27日)は、大正から昭和時代の野球選手、野球指導者。立教大学野球部の黎明期に活躍し、飛田穂洲の指導の下で野球部の四大学野球連盟(現・東京六大学野球連盟)への加入を提案し、実現した立役者。第1回都市対抗野球でも優勝チームのメンバーとして活躍した。東京出身。 1901年(明治34年)8月2日、二神駿吉(衆議院議員、実業家)の次男として生まれる。愛知県名古屋市の明倫中学校(現・愛知県立明和高等学校)出身。中学時代から俊足であった。 立教大学に入学し、野球部に所属。立教大学野球部は早稲田大学野球部監督だった飛田穂洲の指導を受けながらチーム力をつける。
長谷部 広子(廣子 / ひろ / ひろ子、はせべ ひろこ、1… 長谷部 広子(廣子 / ひろ / ひろ子、はせべ ひろこ、1898年(明治31年)7月22日 - 1977年(昭和52年)6月18日)は、日本の教育者、政治家。参議院議員(1期)。 愛知県名古屋市で親弘の長女として生まれる。愛知県第一高等女学校(現愛知県立明和高等学校)を経て、1921年、東京女子高等師範学校家事科を卒業。三重県立飯南高等女学校(現三重県立松阪高等学校)教諭に就任。名古屋市立第一高等女学校(現名古屋市立菊里高等学校)教諭に転じ、1939年、椙山女子専門学校教授に就任した。 1950年、愛知県教育委員に就任。 1953年4月24日に行われた第3回参議院議員通常選挙に、革新統一候補として名古屋市の著名女性の支援などを受けて愛知県選挙区から無所属で出馬して初当選した。
那須 義雄(なす よしお、1897年(明治30年)9月26日… 那須 義雄(なす よしお、1897年(明治30年)9月26日 - 1993年(平成5年)11月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 熊本県出身。陸軍中佐・那須仙太郎の長男として生まれる。名古屋明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)、名古屋陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1918年(大正7年)5月、陸軍士官学校(30期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第33連隊付となる。1928年(昭和3年)12月、陸軍大学校(40期)を卒業し歩兵第33連隊中隊長に就任。 1930年(昭和5年)8月、陸軍戸山学校教官に就任。1931年(昭和6年)3月、陸軍省軍務局課員(兵務課)となり、1933年(昭和8年)8月、歩兵少佐に進級。
森下 信衛(もりした のぶえ、1895年(明治28年)2月2… 森下 信衛(もりした のぶえ、1895年(明治28年)2月2日 - 1960年(昭和35年)6月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。正しくは、「衛」ではなく旧字体の「衞」である[信頼性要検証]。 愛知県出身。旧制明倫中学校(現・愛知県立明和高等学校)を経て、 1917年(大正6年) 海軍兵学校45期で卒業。戦艦榛名、大和などの艦長を務め、天一号作戦(坊ノ岬沖海戦)では第2艦隊参謀長を務めた。この坊の岬沖海戦時の大和艦長有賀幸作大佐、第二水雷戦隊司令官古村啓蔵少将(軽巡洋艦矢矧乗組)とは海兵同期である。数少ない戦艦大和沈没時の生存者であった。 海上幕僚監部装備部長、防衛装備庁長官官房装備官を歴任し、2017年(平成29年)12月に退官した舩木洋海将は孫。
豊田 喜一郎(とよだ きいちろう、旧字体: 豐田喜一郞、18… 豊田 喜一郎(とよだ きいちろう、旧字体: 豐田喜一郞、1894年(明治27年)6月11日 - 1952年(昭和27年)3月27日)は、日本の経営者、技術者、トヨタ自動車創業者。位階は従五位。勲等は勲四等。豊田佐吉の長男。 トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)社長(第2代)、社団法人自動車技術会会長(第2代)などを歴任した。 豊田佐吉と佐原たみ(佐吉の妹の友人で最初の妻)の長男として生まれる。1892年(明治25年)から夫婦は東京市浅草外(当時の浅草区千束町)に住んでおり、里帰り出産のため静岡県敷知郡吉津村山口(現在の湖西市山口)で生まれるが、出生3か月のとき、貧困の中家庭を顧みることなく発明に没頭する夫に愛想を尽かした母親が家出したため祖父母の家で育つ。
吉田 萬次(よしだ まんじ、1892年(明治25年)3月2日… 吉田 萬次(よしだ まんじ、1892年(明治25年)3月2日 - 1958年(昭和33年)12月21日)は、日本の政治家、医師。参議院議員(1期)、愛知県会議員(3期)、一宮市長(2期)、一宮市会議員(4期)。 愛知県中島郡一宮町(現一宮市)に生まれる。1911年(明治44年)3月、明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)卒業。1917年(大正6年)、愛知県立医学専門学校卒業。1918年(大正7年)、吉田医院を開業。 1921年(大正10年)、一宮市の市制施行に際し、一宮市会議員に初当選。1927年(昭和2年)、京都帝国大学で医学博士を修了。 1931年(昭和6年)9月、愛知県会議員選挙に立憲民政党公認で初当選。
鈴木 宗作(すずき そうさく、1891年(明治24年)9月2… 鈴木 宗作(すずき そうさく、1891年(明治24年)9月27日 - 1945年(昭和20年)4月19日)は、日本の陸軍軍人。愛知県出身。陸士24期、陸大31期。 太平洋戦争開戦時、第25軍参謀長としてマレー作戦・シンガポールの戦いに参画、占領後に起きたシンガポール華僑粛清事件に関与した。第35軍司令官であった1945年(昭和20年)4月19日、フィリピン戦線で戦死。没後陸軍大将に進級。1946年(昭和21年)2月15日、祭資並びに幣帛が下賜された。
加藤 鑰平(かとう やくへい、1891年(明治24年)1月2… 加藤 鑰平(かとう やくへい、1891年(明治24年)1月25日 - 1974年(昭和49年)7月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 愛知県出身。竹材商・加藤直八の三男として生まれる。明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)卒業を経て、1913年(大正2年)5月、陸軍士官学校(25期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第18連隊付となる。1924年(大正13年)11月、陸軍大学校(36期)を卒業し歩兵第18連隊中隊長に就任。 1925年(大正14年)12月、参謀本部付勤務となり、参謀本部員を務め、1928年(昭和3年)8月、歩兵少佐に昇進。1929年(昭和4年)2月から1931年(昭和6年)2月までアメリカに駐在し、アメリカ大使館付武官補佐官に就任。
栗田 元次(くりた もとつぐ、1890年〈明治23年〉11月… 栗田 元次(くりた もとつぐ、1890年〈明治23年〉11月3日 - 1955年〈昭和30年〉12月1日)は、日本の国史学者。名古屋大学名誉教授。旧制第八高等学校校長。専門は日本近世史。 愛知県愛知郡田代村(現・名古屋市千種区)出身。旧制明倫中(現・愛知県立明和高等学校)、旧制八高を経て、1914年に東京帝国大学文学部国史学科卒。 東京帝大史料編纂官補となり、「大日本史料」の編纂に従事。八高教授、広島高等師範学校教授、1929年に広島文理科大学教授、1946年に第八高等学校校長、1949年に名古屋大学教授。1953年に中日文化賞を受賞。 1955年、在官のまま病死。法名は顕学院釈元晃。桃巌寺に葬られた。
飯沼 守(いいぬま まもる、1888年(明治21年)11月2… 飯沼 守(いいぬま まもる、1888年(明治21年)11月25日 - 1978年(昭和53年)3月21日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 尾張藩士・飯沼端の長男として生まれる。名古屋明倫中学(現・愛知県立明和高等学校)、名古屋陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1909年(明治42年)5月、陸軍士官学校(21期)を卒業。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第51連隊付となる。1919年(大正8年)11月、陸軍大学校(31期)を卒業し歩兵第51連隊中隊長となる。 1920年(大正9年)8月、陸軍運輸部員となり、第20師団参謀、参謀本部部員を歴任。1925年(大正14年)5月、陸軍歩兵少佐に進級。
加藤 紋右衛門(かとう もんうえもん、1884年5月2日 -… 加藤 紋右衛門(かとう もんうえもん、1884年5月2日 - 1958年10月4日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 愛知県出身。明倫中学校(現・愛知県立明和高等学校)卒。瀬戸町(現・瀬戸市)会議員、東春日井郡会議員、同議長、愛知県会議員を歴任する。また、瀬戸薪炭(株)取締役社長、権現土地(株)取締役となる。 1922年7月、愛知5区の補欠選挙において立憲政友会公認で立候補して当選する。衆議院議員を1期務め、1924年の第15回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1958年に死去した。
山吹 ひばり(やまぶき ひばり、10月13日 - )は、宝塚… 山吹 ひばり(やまぶき ひばり、10月13日 - )は、宝塚歌劇団宙組に所属する娘役。 愛知県江南市、県立明和高等学校出身。身長163cm。愛称は「ぶき」、「ブッキー」、「ひばり」、「ひいちゃん」。 2017年、宝塚音楽学校入学。 2019年、音楽学校卒業後、宝塚歌劇団に105期生として入団。入団時の成績は9番。宙組公演「オーシャンズ11」で初舞台。その後、宙組に配属。 2021年、真風涼帆・潤花トップコンビ大劇場お披露目となる「シャーロック・ホームズ」で、新人公演初ヒロイン。入団3年目、105期から初の新人公演ヒロイン誕生となった。 2022年の「HiGH&LOW」で2度目の新人公演ヒロイン。
黒野 匡彦 は、日本の運輸官僚、経営者。
茶村 俊一 は、日本の実業家。第7代松坂屋代表取締役社長。
作田 久男 は、日本の経営者。オムロン社長、会長を務めた。
堀 誠 は、日本の中国文学者。専門は日中比較文学。早稲田大学… 堀 誠 は、日本の中国文学者。専門は日中比較文学。早稲田大学名誉教授、西安交通大学名誉教授。
伊藤 喜一郎 は、昭和から平成時代の政治家。宮城県多賀城市長… 伊藤 喜一郎 は、昭和から平成時代の政治家。宮城県多賀城市長。
甲賀啓一(こうが けいいち)は日本の実業家、金融経済学者、日… 甲賀啓一(こうが けいいち)は日本の実業家、金融経済学者、日本文学研究者。 愛知県の名古屋市出身。愛知県立明和高等学校を経て、名古屋大学経済学部を卒業、スタンフォード大学の経営大学院を卒業。大学を卒業し野村證券株式会社に入社。主に証券分析部門、外国部門、法人部門、営業部門、 投資信託部門を歩む。 1964年にスタンフォード大学に入学、スタンフォード大学経営大学院卒業後に野村総合研究所証券調査部に配属、証券アナリストとして勤務。その後、野村證券のアムステルダム支店、ロンドン支店、台北 マレーシア タイ などの法人創設などを経て、創業メンバーとして2002年に投資ファンドのテクノ・ヴィアイ・ピー設立し専務取締役、代表取締役を経て、複数の投資ファンドの代表と顧問、創業支援推進機構(理事長 紺野大介博士)顧問、2003年に医療福祉産業のリンクスグループ(代表 玉川京宰博士)会長、2008年にBJ HOLDINGS株式会社の会長に就任、S&T Motiv 顧問。
小林 史武(こばやし ふみたけ)は、日本の国会職員。参議院事… 小林 史武(こばやし ふみたけ)は、日本の国会職員。参議院事務総長(第21代)。 愛知県名古屋市出身。愛知県立明和高等学校卒。1988年(昭和63年)、青山学院大学を卒業し、参議院事務局に入局。入局後、議事課長、議事部長などを経て、2019年(令和元年)12月9日、参議院本会議で事務総長に選任された岡村隆司の後任として事務次長に就任。 2022年(令和4年)12月10日、参議院本会議で参議院事務総長に選任。2025年(令和7年)12月17日、退任。
近藤 由貴(こんどう ゆき、年齢非公開)は、愛知県刈谷市出身… 近藤 由貴(こんどう ゆき、年齢非公開)は、愛知県刈谷市出身のピアニスト。 愛知県刈谷市出身。刈谷市立亀城小学校、刈谷市立刈谷南中学校卒業。愛知県立明和高等学校音楽科を経て、2007年(平成19年)3月に東京芸術大学音楽学部を卒業した。同年10月にはフランスのパリ市立音楽院に拠点を移し、杉浦日出夫、東誠三、オリヴィエ・ギャルドンに師事した。また、中根順子、辛島輝治、須田真美子、ユージン・インジック、ガブリエル・タッキーノの各氏にも師事している。 2016年(平成28年)9月には、9年ぶりに拠点をフランスから日本に移した。2017年(平成29年)から刈谷市総合文化センターのアーティスト・イン・レジデンスを務めている。
田澤 恭子(たざわ きょうこ)は、日本のピアニスト。 3歳よ… 田澤 恭子(たざわ きょうこ)は、日本のピアニスト。 3歳よりヤマハ音楽教室幼児科にてピアノを始め、専門コースにて4年間学ぶ。愛知県立明和高等学校音楽科を経て、東京音楽大学音楽学部音楽学科ピアノ科を卒業。引き続き、同大学研究生器楽専攻(ピアノ伴奏者コース)および同大学大学院音楽研究科器楽専攻鍵盤楽器研究領域ピアノ科を修了する。 過去に久保田進子、白木宏子、ボト・レヘル、丸山恵美、村上隆(以上ピアノ)、迫昭嘉、土田英介(以上室内楽)、菊地麗子(ピアノ及び室内楽)の指導を受ける。 ピアノにおいて、日本内外で複数の受賞歴を持つ(詳細後記)。