森 英一(もり えいいち、1945年10月10日- )は、日… 森 英一(もり えいいち、1945年10月10日- )は、日本近代文学研究者、金沢大学名誉教授。 青森県弘前市生まれ。北海道大学大学院博士課程中退。金沢大学教育学部助教授、教授を経て、2011年定年退職、名誉教授。金沢近代文芸研究会(『イミタチオ』発行)代表理事。筆名・三木進一。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
加福義貞(かふく よしさだ、1945年(昭和20年)9月20… 加福義貞(かふく よしさだ、1945年(昭和20年)9月20日 - )は、日本の銀行家。青森銀行取締役相談役。青森県公安委員会委員。 青森県弘前市出身。明大卒業後、青森銀行に入行する。 28歳からは7年間にわたり労働組合に従事。その間には委員長も務めた。 各店支店長等を歴任後、取締役に昇格する。 2007年(平成19年)には、「新中期経営計画」の遂行に際して、新体制で臨むことが最適であると判断され頭取に昇格する。 トップ在任時には、店舗統廃合を実施を推進した他、農業や青森県外を含め営業拡大に注力した。
熊谷 勝弘(くまがい かつひろ、青森県弘前市出身 1945年… 熊谷 勝弘(くまがい かつひろ、青森県弘前市出身 1945年8月9日 - )は、日本の総理府技官、工学博士、技術士、土木学会認定特別上級土木技術者(総合)。北海道開発庁北海道開発局長や、伊藤組土建代表取締役副社長を務めた。 1970年北海道大学大学院修了。1973年北海道開発庁北海道開発局札幌開建道路建設課橋梁係長。1976年北海道開発庁北海道開発局土木試験所舗装研究室副室長。1977年建設省計画局国際課長補佐。1978年外務省在ケニア日本国大使館一等書記官(ウガンダ・セイシェルズ・マラウイ兼轄)。1981年北海道開発庁北海道開発局道路計画課付。1981年北海道開発庁北海道開発局室蘭開発建設部道路第一課長。
大津留克明(別名・パパ大津留、1945年3月11日 - )は… 大津留克明(別名・パパ大津留、1945年3月11日 - )は、ジャズトロンボーン奏者。青森県弘前市生まれ。「ジギングのパパ」とも呼ばれる。 高校生の頃より吹奏楽部に所属、トロンボーンを演奏を目指して昭和38年に上京。音楽学校を中退しジョージ川口&オールスターズのオーディションを受け合格(大津留の芸名は当時の仇名から)、ジャズミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせる。その後、スマイリー小原とスカイライナーズに6年間在籍。さらに豊岡豊&スイングフェイスを経て、自己のバンド「オークション」「エボニー・ファンクショップ」「オールディーズ・ブルースキャンペーン」を結成(その頃からパパと呼ばれる)。ライブ演奏の傍ら、音楽番組や劇場音楽の作編曲者として活動する。
立石 勝規(たていし かつのり、1943年 - )は、日本の… 立石 勝規(たていし かつのり、1943年 - )は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。 青森県弘前市生まれ。東北大学卒業。毎日新聞社に入社し、東京本社社会部副部長・編集委員・論説委員・論説副委員長などを務める。その後退職し、独立。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
岩淵 慶造(いわぶち けいぞう、1942年1月18日 - )… 岩淵 慶造(いわぶち けいぞう、1942年1月18日 - )は、日本のイラストレーター。SF、ミステリ、児童文学等の挿絵で知られる。 青森県弘前市出身。子供の頃から絵に親しみ、中学・高校では美術部に所属した。1962年に上京し、亜細亜大学商学部へ入学。1966年に卒業した。 その後一時はフリーの商業デザイナーとして働くが、イラストレーターへの転身を目論み、早川書房にイラストを持ち込む。はじめ『ミステリマガジン』編集長の各務三郎に会うが、彼から『SFマガジン』編集長・南山宏のほうへ廻され、そこでイラストレーターとしての初仕事を得る(『SFマガジン』1967年8月号で、掲載された小説レイ・ブラッドベリ「火と霜」および眉村卓「Expo'87」の挿絵を描いた)。
下田 敦子(しもだ あつこ、1940年8月5日 - )は日本… 下田 敦子(しもだ あつこ、1940年8月5日 - )は日本の政治家。参議院議員(1期)、青森県議会議員(3期)、学校法人城東学園理事長を務めた。 青森県弘前市出身。弘前中央高校を経て秋田短期大学家政学科卒業。 学校法人城東学園理事長として、弘前医療福祉大学・弘前医療福祉大学短期大学部を運営する。1991年には青森県議会議員選挙に無所属で出馬し当選。2003年まで3期務めた後、2004年2月の弘前市長選に出馬。現職の金沢隆に対し互角に戦ったが、180票の僅差で落選した。2004年7月の第20回参議院議員通常選挙では、民主党公認で比例区より出馬。党の東北ブロック重点候補となり、初当選。 2010年7月の第22回参議院議員通常選挙では再選を目指し、民主党の比例区から出馬するが落選。
工藤 紀夫(くどう のりお、昭和15年(1940年)8月2日… 工藤 紀夫(くどう のりお、昭和15年(1940年)8月2日 - )は、囲碁の棋士。青森県弘前市出身、日本棋院東京本院所属、前田陳爾門下、九段。元日本棋院副理事長。 第25期王座・第23期天元位。第31回棋道賞優秀棋士賞受賞。若い頃は力碁で「眠狂四郎」のニックネームがあったが、後年粘り強く冷静な棋風へと変化した。 現在、存命の七大タイトル獲得経験者では最年長である。 生後すぐ、家族とともに満洲にわたる。日本の敗戦により、苦難の旅で弘前にひきあげる。 小学1年生の時に囲碁をおぼえ、当時、妻の実家があった弘前に疎開していた勝本哲州(元「棋道」編集者)に師事する。1952年に勝本が家族と上京する。小学校卒業の1953年に勝本に誘われて上京し、日本棋院院生となり、1955年入段して前田陳爾門下となる。
渋谷 誠司(しぶたに せいじ、1939年4月24日 - )は… 渋谷 誠司(しぶたに せいじ、1939年4月24日 - )は、青森県弘前市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
長内 美那子(おさない みなこ、1939年〈昭和14年〉2月… 長内 美那子(おさない みなこ、1939年〈昭和14年〉2月17日 - )は、日本の女優。本名、宗像 美那子。旧姓名は芸名と同じ。身長155 cm、体重41 kg。夫は俳優の宗方勝巳。 青森県弘前市出身。青森県立弘前高等学校、共立女子大学卒業。プロマージュ、アイティ企画所属(業務提携)。 大学進学と同時に演劇部に入部。 在学中の1959年に劇団青年座に所属し、1960年の舞台『八段』でデビュー。1971年に退団するまで『天一坊七十番』『肥前風土紀』などの舞台に出演する。 1964年、日活『生きている狼』で映画初出演。以後、『男の紋章・俺は斬る』(1965年)、『東京ナイト』(1967年)、などの映画に出演する。
須藤 貢明(すどう つぐあき、1939年 - )は、日本の聴… 須藤 貢明(すどう つぐあき、1939年 - )は、日本の聴覚障害児教育の研究者、東京学芸大学名誉教授である。青森県弘前市出身。青森県立弘前高等学校を経て、1962年電気通信大学電波通信学部卒業。玉川大学工学部専任講師、東京学芸大学専任講師を経て、1992年に東京学芸大学教授に、2003年に同学名誉教授に就任した。聴覚心理学、言語指導論を研究する。 1992年に「聴覚障害児教育における言語指導の方法に関する実験的研究」で博士(教育学)を取得した(筑波大学、第471号)。
成田 守(なりた まもる、1938年12月3日 - )は、日… 成田 守(なりた まもる、1938年12月3日 - )は、日本の民俗学・芸能学者、大東文化大学名誉教授。 青森県弘前市出身。1963年に國學院大學文学部を卒業した。 その後、大東文化大学助教授を経て、教授に就任した。1986年、『奥浄瑠璃の研究』『盲僧の伝承 九州地方の琵琶法師』で日本歌謡学会志田延義賞を受賞した。 2009年に定年で退職し、名誉教授となる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
赤羽 尭(あかばね たかし、1937年8月26日 - 199… 赤羽 尭(あかばね たかし、1937年8月26日 - 1997年1月22日)は、日本の作家。本名は庄司英樹。 青森県弘前市生まれ。明治大学文学部卒。 20代の前半に世界各地を放浪し、国際情勢を身をもって体験。帰国後、週刊誌の記者を経て、『スパイ特急』で文壇にデビュー。1986年『脱出のパスポート』が第96回直木賞候補に選ばれた。主として海外を舞台にしたスパイ小説・歴史小説を書く。
井沢 八郎(いざわ はちろう、本名:工藤 金一(くどう きん… 井沢 八郎(いざわ はちろう、本名:工藤 金一(くどう きんいち)、1937年〈昭和12年〉3月18日 - 2007年〈平成19年〉1月17日)は、日本の演歌歌手。青森県弘前市出身。女優の工藤夕貴と元俳優でクラブDJの工藤正貴は実子。2番目の妻は声優の青羽美代子。 青森県弘前市のひとかどの名家に出生、中学生の頃から歌唱力は評判だった。 中学卒業後、歌手を目指して上京。1963年に「男船」(作詞・松井由利夫、作曲・大沢浄二)で東芝音楽工業よりレコードデビューを果たし、同曲は30万枚を売り上げる。デビュー第三弾の「あゝ上野駅」は井沢八郎の代表曲であると同時に、高度経済成長期の日本の世相を反映する代表曲となる。
四季の花 範雄(しきのはな のりお、1937年1月2日 - … 四季の花 範雄(しきのはな のりお、1937年1月2日 - 没年不明 )は、青森県弘前市出身(出生地は北海道稚内市)で高島部屋、宮城野部屋に所属した元大相撲力士。本名は相内 範雄(あいうち のりお)。身長180cm、体重136kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は西十両13枚目(1964年3月場所)。甥に長谷川勝敏がいる(四季の花の姉が長谷川の母親)。 元々は漁師として働く傍らボクサーを目指していたが、漁で負傷した時にやって来た吉葉山率いる巡業の興行主が兄の友人であった関係で兄から誘われて巡業を観に行くと入門を勧められ、「遊んでてもしょうがないから相撲取りになろう」と考え、1955年1月場所に於いて初土俵を踏んだ。
野村 雪子(のむら ゆきこ、1937年(昭和12年) - 2… 野村 雪子(のむら ゆきこ、1937年(昭和12年) - 2000年(平成12年)4月23日)は、昭和期に活動した日本の歌手。本名は佐々木 雪子。 1937年(昭和12年)、青森県弘前市に生まれる。中学時代にコロムビア・レコードの歌謡コンクールで4位入賞、その声を見込んでスカウトされ、1952年(昭和27年)に日本マーキュリーレコードから「伊豆の十三夜」でデビュー。 1954年(昭和29年)8月に発売した「初恋ワルツ」の初ヒットで全国区の人気を勝ち得、1955年(昭和30年)に引き抜かれる形でビクターレコードへ移籍。同年4月発売の「初恋シャンソン」、11月発売の「おばこマドロス」(吉川静夫作詞、吉田正作曲)と大ヒットを飛ばす。
相馬 錩一(そうま しょういち、1936年(昭和11年)10… 相馬 錩一(そうま しょういち、1936年(昭和11年)10月30日 - 2024年(令和6年)1月3日)は、日本の税理士。政治家。元青森県弘前市長(1期)。 青森県弘前市出身。青森県立弘前中央高等学校卒。税理士、行政書士、社会保険労務士となる。弘前市議会議員を経て、1986年、青森県議会議員弘前市選挙区補欠選挙に無所属で立候補して当選する。以来連続6回当選する。2006年合併による弘前市長選挙に立候補し、合併前の弘前市長だった金沢隆を破って当選した。津軽広域水道企業団企業長を併任。市長を1期務め、2010年の市長選挙に出馬したが、元弘前市副市長の葛西憲之に敗れて落選した。2011年の青森県議会議員選挙に立候補して当選し、県議に復帰。
関 登美雄(せき とみお、1935年〈昭和10年〉10月5日… 関 登美雄(せき とみお、1935年〈昭和10年〉10月5日 - )は、日本の男性俳優、声優。 青森県弘前市生まれ。青森県立弘前工業高等学校、舞台芸術学院卒業。劇団文化座をへて、祖父江文宏や五月女道子が旗揚げした劇団群像座に参加した。
長部 日出雄(おさべ ひでお、1934年〈昭和9年〉9月3日… 長部 日出雄(おさべ ひでお、1934年〈昭和9年〉9月3日 - 2018年〈平成30年〉10月18日)は、日本の小説家、評論家。ミュージシャンの大友康平は甥。 青森県弘前市出身。弘前市第一大成国民学校、弘前市立第三中学校、青森県立弘前高等学校卒業。早稲田大学第二文学部哲学科を中退し、読売新聞社に入社。1957年『週刊読売』記者となる。大島渚、永六輔、野坂昭如、筒井康隆、小林信彦らをいち早く評価し、彼らと交友する[要出典]。その後退職し、雑誌『映画評論』編集者、映画評論家・ルポライターを経て、作家となる。 1973年『津軽じょんから節』と『津軽世去れ節』により、第69回直木賞を受賞。1979年『鬼が来た-棟方志功伝』により、第30回芸術選奨文部大臣賞を受賞。
獏 不次男 (ばく ふじお、1934年4月14日 - 201… 獏 不次男 (ばく ふじお、1934年4月14日 - 2011年12月19日)は、日本の小説家、詩人。本名は阿部次男。 青森県弘前市百石町九番地「文化堂阿部煎餅店」店主の長男として生まれた。父は阿部幸一、母はいわ。養生幼稚園、弘前市立時敏国民学校へ入学した。病弱な幼少期を送り、若くして母が死去したことから、母への追慕の念がたびたび作品に現れる。弘前市立第一中学校に入学後、当時の国鉄・NHK・東奥日報共催の作文コンクールで入賞し、NHKラジオで朗読放送をした。この時、長部日出雄(後の直木賞作家、当時弘前市立第三中学校在校)も入賞している。高校に入ると長部日出雄も青森県立弘前高等学校に入学しており、後々まで親交が続いた。
三上 隆雄(みかみ たかお、1933年11月2日-)は、日本… 三上 隆雄(みかみ たかお、1933年11月2日-)は、日本の政治家。参議院議員(1期)、青森県議会議員(3期)、相馬村議(5期)を務めた。 青森県中津軽郡相馬村のリンゴ農家出身。青森県立弘前高等学校中退。1971年、相馬村議会議員、同議長を経て、1989年の第15回参議院議員通常選挙青森県選挙区で、反核燃料を掲げ無所属で立候補し現職の松尾官平を破り、初当選。1995年の第17回参議院議員通常選挙で落選。1999年の青森県議会議員選挙弘前選挙区に出馬し、初当選。以後3期務める。2008年、民主党会派に入る。2009年の第45回衆議院議員総選挙で青森4区の津島恭一の選対本部長を務める。2011年4月、民主党公認で立候補した青森県議会議員選挙で落選。
佐野 ぬい(さの ぬい、旧姓:佐々木、1932年11月16日… 佐野 ぬい(さの ぬい、旧姓:佐々木、1932年11月16日 - 2023年8月23日)は、日本の洋画家。位階は正五位。 女子美術大学名誉教授(第16代学長)。日本美術家連盟洋画部理事、新制作協会会員。1950年代から青色を基調とする作品を多く発表し、自身は「青の画家」、作品の青使いは「ぬいブルー」「佐野ブルー」と称される。 青森県弘前市百石町出身。実家は「和菓子さゝき」(現・ラグノオささき)。青森県立弘前高等女学校(現・青森県立弘前中央高等学校)、1955年女子美術大学芸術学部洋画科卒業。25歳で結婚。夫は元新聞記者でエッセイストの佐野寧。寧との間に2男を儲ける。 女子美術大学助手(1955年 - 1961年)、同講師(1961年 - 1976年)、同助教授(1976年 - 1987年)、同教授(1987年 - 1994年)。
今 充(こん みつる、1932年1月20日 - 2018年4… 今 充(こん みつる、1932年1月20日 - 2018年4月14日)は、日本の医学者。弘前医療福祉大学特任教授、弘前大学名誉教授。学位は医学博士(弘前大学)。専門は一般外科・消化器外科(特に大腸外科・肛門括約筋機能温存術)高齢者・福祉医療、緩和・終末期医療。 青森県弘前市出身。1962年に弘前大学大学院医学研究科を修了後、弘前大学第二外科助手に就任。66年から2年間、人癌研究のため米国ロズウェルパーク記念研究所へ出張する。91年から第二外科学教室教授として昇任。大腸癌、特に直腸癌における低位前方切除術の先駆者として自律神経温存手術などの治療に注力。94年には青森県で初めての生体部分肝移植を指揮。
菊池 俊輔(きくち しゅんすけ、1931年11月1日 - 2… 菊池 俊輔(きくち しゅんすけ、1931年11月1日 - 2021年4月24日)は、日本の作曲家、編曲家。青森県弘前市出身。日本大学藝術学部音楽学科卒業。 1961年に映画『八人目の敵』で映画音楽家としてのデビューを果たした後、1963年にはテレビドラマ『野菊の墓』で初のテレビ劇伴を担当した。 それ以来、テレビ番組や映画の劇伴・主題歌を手掛けてきた。 1931年(昭和6年)、鮮魚店の長男として生まれる。幼少のころから映画好きで、弘前市内と青森市内の映画館をほとんどハシゴしたという。 青森県立弘前工業高等学校機械科を卒業後、日本大学藝術学部音楽学科に入学し作曲を専攻。大学卒業後、プロの映画音楽家を目指して木下忠司に師事。
下山 一二三(しもやま ひふみ、1930年6月21日 - 2… 下山 一二三(しもやま ひふみ、1930年6月21日 - 2023年12月16日)は日本の現代音楽の作曲家。 青森県弘前市出身。1945年の第二次世界大戦終戦が一つのきっかけとなり、音楽を独習し始める。青森県立弘前高等学校卒業、弘前大学卒業。大学卒業後の1955年に上京し、松平頼則に師事。1956年「グループ20.5」を結成、第1回作品発表会を開く。1961年の第6回でグループを解散。 1969年、ISCM主催世界音楽祭(ハンブルク)に「3群の弦楽オーケストラのためのリフレクション」が入選。以後、国際的に活躍した。1979年、文化庁主催芸術祭で「管弦楽のための彩響」が芸術祭優秀賞受賞。1992年「6人の奏者とテープのための風紋V」が「ワルシャワの秋92」で世界初演。
小山 貢翁(おやま みつおう、1930年 - 2017年)は… 小山 貢翁(おやま みつおう、1930年 - 2017年)は、青森県弘前市出身の津軽三味線奏者。初代木田林松栄に師事。津軽三味線小山流を創始した。津軽三味線の楽譜の公刊、合奏の考案などを行っている。津軽三味線で初めて東ざわりを取り入れたのも小山であるといわれている。 1948年テイチクレコードよりレコードデビュー、その後ビクター、コロムビアから毎年レコードが発売された。1959年、日本民謡協会のふるさと支部結成に力を尽くす。1963年貢栄会結成。1965年、日本郷土民謡協会の主催する大会に合奏曲で出場。1966年、目黒公会堂にて第1回貢栄会発表会開催。1970年、テイチクより合奏曲レコードが発売される。
小林 司(こばやし つかさ、1929年(昭和4年)3月21日… 小林 司(こばやし つかさ、1929年(昭和4年)3月21日 - 2010年(平成22年)9月27日)は、日本の精神科医、作家、翻訳家。 日本シャーロック・ホームズ・クラブ主宰。 青森県弘前市出身。1953年(昭和28年)、新潟大学医学部卒業。1959年(昭和34年)、東京大学大学院修了、医学博士。大宅壮一東京マスコミ塾第7期生。上智大学カウンセリング研究所教授を経てメンタル・ヘルス国際情報センター所長。 洋子夫人は東山あかねという筆名で、「二人で一人」と公言している位である。「シャーロック・ホームズ」関連の共著・訳を中心に数十冊刊行している。 小林は極めて闊達なエスペランティストとしても知られ、日本エスペラント学会の顧問でもあった。
大瀬川 半五郎(おおせがわ はんごろう、1927年2月1日 … 大瀬川 半五郎(おおせがわ はんごろう、1927年2月1日 - 没年不明)は、青森県弘前市出身で伊勢ヶ濱部屋(一時、荒磯部屋)に所属した大相撲力士。本名は石崎 賢四郎(いしざき けんしろう)。最高位は西前頭6枚目(1957年11月場所)。現役時代の体格は179cm、115kg。得意手は右四つ、寄り。 地元・弘前市の小学校を卒業後上京し、海運関係の企業に勤めていたが、とある人物から楯山親方(元関脇・幡瀬川)を紹介された事を切っ掛けに角界入りを決意。楯山が所属する伊勢ヶ濱部屋へ入門し、1942年5月場所で初土俵を踏んだ。 2年後、本名でもある「石崎」の四股名で序ノ口に付き、程なく故郷の地名(弘前市)と自身の前職(海運業)に因んだ「弘ノ海」へ四股名を改めた(その後、再び本名に戻している)。
原子 昭三(はらこ しょうぞう、1927年(昭和2年) - … 原子 昭三(はらこ しょうぞう、1927年(昭和2年) - 2013年(平成25年)9月3日)は、日本の著作家、教育者。元中学校教諭、元弘前市議。青森県弘前市出身。 青森県神社総代連合会理事、財団法人養生会理事、日本会議青森県本部運営委員長。 「東京裁判史観」、「日本侵略論」を批判する立場で、数冊の著書がある。
奈良 光枝(なら みつえ、1923年(大正12年)6月13日… 奈良 光枝(なら みつえ、1923年(大正12年)6月13日 - 1977年(昭和52年)5月14日)は、昭和時代の歌手。本名は佐藤 みつえ。美貌の歌手として知られた。 青森県弘前市出身。弘前高等女学校(現:青森県立弘前中央高等学校)卒業後、兄の学友であった作曲家の明本京静の薦めで東洋音楽学校に進学。病弱であったためクラシックやオペラを断念し、この事を明本に相談したところ、「マイクロフォンを使う歌手なら大丈夫」と助言を受け、1940年(昭和15年)3月、コロムビアのテストに合格し、16歳で専属歌手となる。同年6月に「胡弓哀歌」を吹き込むが、検閲により発売禁止になる。二作目の「南京花嬌子」で流行歌手としてデビューする。
出羽湊 秀一(でわみなと しゅういち、1923年4月24日 … 出羽湊 秀一(でわみなと しゅういち、1923年4月24日 - 1979年9月16日)は、青森県中津軽郡岩木町(現・同県弘前市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は川田 秀一(かわだ しゅういち)。最高位は東前頭筆頭(1956年5月場所)。現役当時の体格は177cm、98kg。得意手は突っ張り、右四つ、寄りなど。 引退後は年寄・藤島として後進の指導と、相撲協会の発展に尽くした。 1940年5月場所にて、17歳で初土俵を踏んだが、幕下に昇進したところで兵役のために長く土俵を離れた。そのため、新十両昇進は1949年5月場所と、時間がかかった。 十両にいた時期も長く、新入幕を果たした1953年5月場所では、すでに30歳に達していた。
西田 通弘(にしだ みちひろ、1923年 - )は、日本の実… 西田 通弘(にしだ みちひろ、1923年 - )は、日本の実業家。本田技研工業の副社長等を歴任した。
相馬 千恵子(そうま ちえこ、1922年12月24日 - )… 相馬 千恵子(そうま ちえこ、1922年12月24日 - )は、日本の女優。相馬千惠子の表記もある。本名は相馬キクエ。愛称は「お通(つう)さん」。身長165cm。 青森県弘前市出身。上京して、日本橋タイピスト女学院を卒業後、逓信省に勤務。1940年、新興キネマ東京撮影所に入り、1941年、映画『鉄の花嫁』の主役でデビュー。ちなみに、デビューしたこの年に太平洋戦争が始まっている。 デビューの翌年の1942年、戦時統合で新興キネマは大都映画と日活と合併し大映となり消滅するが、そのまま、大映に移籍し、映画出演を続けた。1943年、吉川英治原作の「宮本武蔵」の映画化『二刀流開眼』『決闘般若坂』の2作でヒロインの「お通」を演じ、以後、相馬の愛称も「お通さん」になった。
鳴海 要(なるみ かなめ、1920年10月5日 - 2004… 鳴海 要(なるみ かなめ、1920年10月5日 - 2004年8月28日)は、日本の陶芸家。りんご釉の開発者。 青森県中津軽郡岩木町(現 弘前市)出身。1951年県工業試験場窯業部研究員、1954年加藤土師萌に師事。1956年東京藝術大学美術学部副手。1961年現代日本陶芸特選。1964年に帰郷し、賀田で築窯する。 1977年岩木町褒賞、1996年青森県文化賞、1999年青森県褒賞、2003年青森りんご勲章をそれぞれ受賞した。2003年、鳴海要記念陶房館を開設し、同年地域文化功労者文部大臣表彰を受けた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
薬師山 精進(やくしやま せいしん、1920年5月6日 - … 薬師山 精進(やくしやま せいしん、1920年5月6日 - 2000年2月16日)は、昭和初期の力士。高砂部屋所属。本名は斉藤 精作。身長170cm、体重95kg。青森県弘前市出身。最高位は東十両13枚目。得意技は突き、押し、捻り、高無双。 幼少期から相撲が好きで、1934年高砂一門が青森県で巡業を行った際に自ら志願して高砂部屋に入門を許可された。翌1935年1月場所で初土俵を踏む。四股名は郷里の薬師堂から「薬師山」と名乗った。1940年1月場所満19歳で十両に昇進した。この場所は4勝11敗に終わり、翌場所幕下に落ちた。その後右肘を痛めたこともあり、十両復帰はならなかった。一時「鷹揚山」と改名したが、再び「薬師山」に戻した。
4代 木村 誠道(よんだい きむら せいどう、1920年3月… 4代 木村 誠道(よんだい きむら せいどう、1920年3月5日 - ?)は、元三役格行司である。本名は金森庄一。高砂部屋所属。 1920年に生まれる。青森県弘前市出身。 1947年に十両格、1954年秋場所に幕内格に昇進。 行司名は木村庄次→木村朝之助→木村誠道→木村朝之助→木村誠道 1963年1月に三役格に昇進。 ところが同年秋場所、43歳の若さで突然廃業。 一説には金銭的トラブルがあったからと言われている。 その後の消息は不明。 廃業時の序列としては、3代木村正直→24代式守伊之助と2代式守伊三郎の間であり、彼の廃業に伴って伊三郎が三役格に昇格した。 弟子に33代木村庄之助がいる。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。
松下 和則(まつした かずのり、1919年3月3日 - 20… 松下 和則(まつした かずのり、1919年3月3日 - 2007年11月9日)は、フランス文学者、東京大学名誉教授。 父の任地、現在の青森県弘前市に生まれ、翌年東京に移転。第一高等学校理科から、1941年東京帝国大学理学部物理学科を繰り上げ卒業、1942年同地震研究所助手、1943年同文学部仏文科に入学し、1946年卒業。大学院研究生を経て1951年中央大学助教授、1954年東京大学教養学部助教授、1967年教授、1979年定年退官、名誉教授。上智大学教授を務め1984年退職。1981年から1985年まで日本フランス語フランス文学会会長、1984年フランス政府より教育功労章を授与される。1992年勲三等旭日中綬章。
野崎 孝(のざき たかし、1917年〈大正6年〉11月8日 … 野崎 孝(のざき たかし、1917年〈大正6年〉11月8日 - 1995年〈平成7年〉5月12日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。 『ライ麦畑でつかまえて』など一連のサリンジャー作品のほか、フィッツジェラルドやヘミングウェイ、スタインベックなどの翻訳で知られる。 パン屋の長男として青森県弘前市に生まれる。1929年、旧制弘前中学校(青森県立弘前高等学校の前身)に入学、4年間を首席を通し、語学の天才と讃えられる。4年修了で旧制弘前高等学校(弘前大学の前身)に入学。1937年、東京帝国大学文学部イギリス人文学科に進み、中野好夫に師事。卒業後は東京の商業学校などで教鞭を執る。第二次世界大戦で出征、中国大陸で転戦する。
工藤 甲人(くどう こうじん、本名:工藤 儀助(くどう ぎす… 工藤 甲人(くどう こうじん、本名:工藤 儀助(くどう ぎすけ)、1915年7月30日 - 2011年7月29日)は、日本の画家、日本画家。創画会会員。東京芸術大学名誉教授、沖縄県立芸術大学客員教授。 青森県弘前市出身。1934年に上京し、翌年から川端画学校日本画科に入学。岡村葵園や福田豊四郎に師事した。1962年、弘前市から神奈川県平塚市に転居。1971年東京芸術大学助教授、1978年同教授。1983年定年退官後、名誉教授。1988年、沖縄県立芸術大学客員教授。2002年、神奈川県庁に飾られていた工藤の作品が盗難の被害に遭った。2011年7月29日、老衰のため神奈川県平塚市で死去。95歳没。 自然の昆虫や小動物、植物の葉などを繊細な描線で描き、その周りを群青などの単色の岩絵具で色面を大きく取り、装飾的に感じるような構図が特徴とされる。
福士 文知(ふくし ぶんち、1913年(大正2年)8月16日… 福士 文知(ふくし ぶんち、1913年(大正2年)8月16日 - 2003年(平成15年)5月1日)は、昭和から平成時代の政治家。医師。青森県弘前市長。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。曾祖父は、尾上銀行頭取清藤盛美。 弘前市出身。1966年(昭和41年)岩手医学専門学校卒業。1975年(昭和50年)弘前市医師会長を経て、1976年(昭和51年)から市長に4選。1992年(平成4年)2月に引退した。 2003年(平成15年)5月1日、急性肺炎のため弘前市の病院で死去した。
小野 忠弘(おの ただひろ、1913年3月3日 - 2001… 小野 忠弘(おの ただひろ、1913年3月3日 - 2001年8月5日)は、日本の美術家、造形作家。1959年、米国『LIFE』誌が特集した「ジャンク・アート世界の7人」に選ばれた。青森県弘前市出身。 1931年、青森県立弘前工業学校土木科を卒業した。1938年、東京美術学校彫刻科を卒業した。在学中、鳥海青児のアトリエに出入りするようになり、油彩画を描きはじめた。大学卒業後徳島県立富岡中学校に赴任し、図画担当教員をしながら春陽会に出品を続けた。1942年、(旧制)福井県立三国中学校に転任した。1944年、三国町へ疎開していた詩人の三好達治と交流したり、1946年、同郷の版画家、棟方志功(青森市出身)と同じ下宿になったことがある。
織田 隆弘(おだ りゅうこう、1913年2月7日 - 199… 織田 隆弘(おだ りゅうこう、1913年2月7日 - 1993年12月31日)は、青森県弘前市出身の宗教家。「密門会」の開祖。高野山真言宗の僧侶。 1975年に「即身成仏を目的とした正純密教を実践する」という真言宗易行派密門会(略称:密門会)を創立。1984年には青森市にキリスト教等を含む、宗派を超えた昭和大仏(日本最大の青銅製大日如来像)を建立。平成五年に遷化。 織田は「(自身を)高野山真言宗の大僧正で、説く真言密教は、弘法大師空海の教えを正しく引き継ぐ、正統で、他の密教まがいの新宗教と区別し“正純密教”」と主張している。 また、「正純密教は、宇宙の真理を人格化した大日如来を本尊とする、自然科学をも包含するスケールの大きい教義であったため、その難解さから長らく塵に埋もれていたが、科学技術の進歩・発展により物理理論が身近になった現代において、ようやく人々にとって理解され易い仏教となったといえる。
島口 重次郎(しまぐち じゅうじろう、1912年〈明治45年… 島口 重次郎(しまぐち じゅうじろう、1912年〈明治45年〉1月15日 - 1968年〈昭和43年〉3月17日)は、日本の社会運動家、実業家、政治家。衆議院議員(3期)。 青森県弘前市で生まれる。小学校卒業後、市内のタンス店に職工として勤め、その後、無産運動に加わる。1932年、全農青年部青森県連合会執行委員に就任。1934年、日本共産党に入党したが、同年に検挙され懲役3年となり服役した。 戦後、日農の再建に尽力し、また日本社会党の結成に加わり、同青森県連選挙対策部長、同書記長、同委員長、弘前市議会議員、青森県議会議員などを務めた。 1958年5月、第28回衆議院議員総選挙に青森県第二区から出馬して当選。
馬淵 テフ子(まぶち ちょうこ、1911年(明治44年)6月… 馬淵 テフ子(まぶち ちょうこ、1911年(明治44年)6月5日 - 1985年(昭和60年)2月23日)は、昭和初期の日本の女性パイロット。女学校の体育教師を務めながら、1934年に二等飛行機操縦士資格を取得。同年に満州国への飛行を敢行し、西崎キクと並んで日本女性飛行士として初の海外渡航を実現した一人となった。NHK連続テレビ小説『雲のじゅうたん』のモデルの一人といわれている。 なお、苗字については「馬渕」、名については「てふ子」「蝶子」などの表記ゆれがある。 1911年(明治44年)6月5日、青森県弘前市において、職業軍人の父・馬淵常義と母・ナヨの長女として生まれる。父は東京出身で、弘前はその任地であった。
野村 三郎(のむら さぶろう、1911年1月1日 - 198… 野村 三郎(のむら さぶろう、1911年1月1日 - 1985年)は、日本の陸軍軍人。陸軍士官学校在籍時に五・一五事件に連座して服役し、釈放後は満州での軍務を経て、ルーマニアなど東ヨーロッパにおける諜報活動に従事したとされる。音楽プロデューサーとして知られるジョニー野村の父、プロデューサー兼俳優の野村祐人の祖父。 士族であった父・野村興市(ないし、興一)と、母みねの三男として、青森県弘前市に生まれた。 弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)二年修了後、東京陸軍幼年学校卒業。歩兵第31連隊に入隊し、陸軍士官学校へ派遣された(第44期)。1932年5月15日の五・一五事件において首相官邸襲撃隊に加わり、1933年に陸軍軍法会議において懲役4年の判決が下り、豊多摩刑務所で服役した。
今 官一(こん かんいち、1909年(明治42年)12月8日… 今 官一(こん かんいち、1909年(明治42年)12月8日 - 1983年(昭和58年)3月1日)は、日本の小説家。 青森県弘前市西茂森町に藤田三次郎(藤田匡の一族)の孫、今宮吾の三男として生まれる。東奥義塾の学生時代、1926年(昭和2年)に中田重治より洗礼を受ける。 早稲田大学露文科中退。同郷の太宰治と親しく、桜桃忌の名は今によって名付けられた。 1956年(昭和31年)、『壁の花』で第三十五回直木賞を受賞。
菊岡 久利(きくおか くり、1909年3月8日 - 1970… 菊岡 久利(きくおか くり、1909年3月8日 - 1970年4月22日)は、日本の作家、詩人。本名、高木陸奥男(みちのくお)。横光利一に師事する。
沼田 一夫(ぬまた かずお、1908年〈明治41年〉6月30… 沼田 一夫(ぬまた かずお、1908年〈明治41年〉6月30日 - 1965年〈昭和40年〉11月22日)は、福島県内郷市(現・いわき市)長。位階は従六位。勲五等双光旭日章。 青森県弘前市出身。福島県立磐城中学校(現・福島県立磐城高等学校)、旧制第二高等学校を経て、東北帝国大学を卒業する。 卒業後は満州国に渡り、大同学院に入り、満州国の官吏となる。1943年、上海の満州国総領事館領事となる。終戦後は日本に引揚げ、経済安定本部に入り、同嘱託から経済査察官となった。 1951年、福島県内郷町の町長選挙に立候補し、当選する。1954年、内郷町の市制施行により、市長となる。1955年の市長選挙で再選。1959年と1963年の市長選挙で連続当選した。
木村 繁(きむら しげし、1908年5月29日 - 1985… 木村 繁(きむら しげし、1908年5月29日 - 1985年)は、昭和時代日本の作曲家、音楽研究者。 青森県出身。兄は作曲家・民俗音楽収集家の木村弦三。 1908年(明治41年)、弘前市に生まれる。東奥義塾再興後の1回生であり、1933年(昭和8年)に法政大学英文科を卒業した後は小松耕輔、近衛秀麿らの師事を仰ぐ。 1947年(昭和22年)から1969年(昭和44年)まで県立弘前高校の音楽教諭を務める傍ら津軽地方の民謡を採譜・収集し、その成果を合唱曲「津軽の旋律」として1958年(昭和33年)に陸奥新報社より刊行した。作曲家としては元青森県副知事の横山武夫が作詞したものが多く、2代目「青森市民歌」をはじめ県内各地の校歌を数多く手掛けている。
宮川 善造(みやかわ ぜんぞう、1904年(明治37年)10… 宮川 善造(みやかわ ぜんぞう、1904年(明治37年)10月14日 - 1985年(昭和60年)12月11日)は、日本の地理学者。満州の建国大学で教鞭をとった。 青森県弘前市出身。京都大学地理学教室を卒業。大学院を経て東北の東北学院高等学校の教授となる。その後、1938年、作田荘一が指導する満州の建国大学へ着任する。戦後はチェレンホーボ炭鉱に抑留され、1947年に日本に帰国した。1949年に東北大学の講師、翌年に教授となった。 太平洋戦争中の彼の論文「大東亜地政学と満洲の地位」によれば、大東亜共栄圏について大東亜という広い地域のなかでの日本を中核とした国家連合を想定した。その大東亜の範囲について、日本を中心に、内核には日本、満州、中国を、中間圏にタイ王国やフィリピン、極東のシベリアなど、外側にはオーストラリアやアリューシャン列島などを想定する。