小池 利和(こいけ としかず、1955年10月14日 - )… 小池 利和(こいけ としかず、1955年10月14日 - )は、日本の実業家、ブラザー工業株式会社代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長。 愛知県一宮市出身。父親の一族が小池毛織を経営していた。滝高等学校を経て、1979年(昭和54年)3月、早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業、翌4月にブラザー工業に入社。1982年(昭和57年)よりブラザーインターナショナルコーポレーション (U.S.A) に出向し、1992年(平成4年)10月には同社の取締役に就任、その後取締役社長、取締役社長兼CEOを歴任する。米国でプリンター事業の拡大や南米の販売会社の再建を成功させる。 2005年(平成17年)に帰国し、2007年(平成19年)6月よりブラザー工業の代表取締役社長に就任した。
永田 恭介(ながた きょうすけ、1953年〈昭和28年〉10… 永田 恭介(ながた きょうすけ、1953年〈昭和28年〉10月14日 - )は、日本の科学者。専門は分子生物学、ウイルス学、分子ウイルス学。筑波大学医学医療系教授、筑波大学学長(第9代)。 愛知県一宮市出身。埼玉県立浦和高等学校を経て、1976年に東京大学薬学部を卒業し、1981年に同大学院薬学系研究科博士課程を修了。薬学博士(東京大学、1981年)。 専門は分子生物学、ウイルス学、構造生物化学で、研究テーマは、ウイルスと真核細胞のゲノム/クロマチンの複製と転写の分子機構、ウイルスの増殖と病原性発現の分子機構、細胞周期制御と細胞がん化の分子機構。2009年には横浜市立大学との共同研究でインフルエンザウイルスの増殖に必要な酵素(RNAポリメラーゼ)の構造を解明し、欧州分子生物学機構機関誌(英語版)に発表した。
浅井 清孝(あさい きよたか、1953年6月21日 - )は… 浅井 清孝(あさい きよたか、1953年6月21日 - )は、日本の実業家、ソフトウェアテスト会社のベリサーブの創業者・初代代表取締役社長。 愛知県一宮市出身。早稲田大学理工学部機械学科卒業後、1977年にコンピュータサービス株式会社(後のCSK、現SCSK)に入社。1993年、CSKが当時最大顧客のIBMの仕事を失ったことにより、ソフトウェアテストを担当する検証部門に余剰人員が生じ、そのリストラが検討された。しかし、ソフトウェアテストに魅力を感じていた浅井が、経営会議の席で、ソフトウェアテストのアウトソーシングである第三者検証事業への参入を当時のCSK会長の大川功に提言して受け入れ、以後、CSKの第三者検証事業を担当した。
伊藤 早苗(いとう さなえ、1952年2月13日 - 201… 伊藤 早苗(いとう さなえ、1952年2月13日 - 2019年7月18日)は、日本の物理学者(女性)。理学博士。九州大学名誉教授。 愛知県一宮市出身。東京都立国立高等学校を経て、東京大学理学部物理学科卒業。1979年、東京大学大学院理学系研究科(物理学専攻)博士課程修了。広島大学助手・講師・助教授、名古屋大学客員助教授、核融合科学研究所助教授などを経て1992年より九州大学応用力学研究所教授を務めた。 夫・伊藤公孝と共に、トロイダルプラズマ表面からの熱と粒子の損失が突如減りプラズマのエネルギーが上昇する現象(LH遷移)に対する理論的説明を提案したことで知られる。 2019年7月18日、食道がんのため死去。
神田 真秋(神田 眞秋、かんだ まさあき、1951年(昭和2… 神田 真秋(神田 眞秋、かんだ まさあき、1951年(昭和26年)10月1日 - )は、日本の政治家、弁護士。愛知県知事(3期)、一宮市長(3期)などを歴任した。 愛知県中島郡奥町(現・一宮市奥町川崎)生まれ。一宮市立奥小学校、東海中学校・高等学校卒業。高校時代は弁論部に所属し主将を務めた。中央大学法学部在学中の1973年、司法試験に合格。1974年3月、大学卒業。1976年4月、名古屋弁護士会(現・愛知県弁護士会)に弁護士登録。名古屋市東区に弁護士事務所を構える。 1989年9月21日に一宮市長の森鉐太郎が在職中に死去すると、神田は東海高校同窓会関係者を中心とする若手経営者のグループに担がれる。
宇佐見 太市(うさみ たいち、1950年2月 - )は、日本… 宇佐見 太市(うさみ たいち、1950年2月 - )は、日本の英文学者。 愛知県一宮市出身。関西大学外国語学部の初代学部長。関西大学外国語教育研究機構長、大学院外国語教育学研究科長、学校法人関西大学評議員等を歴任。 日本英語コミュニケーション学会理事、日本ブロンテ協会理事、日本ジョージ・エリオット協会理事、公益財団法人朝日ウッドテック財団理事。 1968年、大阪府立清水谷高等学校卒業。1974年、奈良教育大学教育学部文科英語専攻卒業。1976年、大阪教育大学大学院教育学研究科修士課程英語教育専攻修了。1979年、関西大学大学院文学研究科博士課程後期課程英文学専攻満期退学。1978年、常磐会短期大学専任講師。
つボイ ノリオ(本名:坪井 令夫〈読み同じ〉、1949年〈昭… つボイ ノリオ(本名:坪井 令夫〈読み同じ〉、1949年〈昭和24年〉4月18日 - )は、日本のラジオパーソナリティ、シンガーソングライター、有限会社坪井令夫商店代表取締役。 愛知県中島郡奥町(現在の一宮市奥町)生まれ。1歳半の頃に中島郡今伊勢町(現在の一宮市今伊勢町)に引っ越す。一宮市立今伊勢南保育園、一宮市立今伊勢小学校、一宮市立今伊勢中学校、愛知県立一宮高等学校、愛知大学法経学部経営学科を卒業した。大学卒業後の就職先として、父親が社員であった名古屋鉄道の入社試験を受け、1次は通ったものの、2次で不採用となった。卒業後、就職先もなくぶらぶらすることになる。 その後、かつて大学在学中にCBCラジオの深夜番組『CBCヤングリクエスト』へ出演したことをきっかけにして芸能界入りする。
市川 明廣(いちかわ あきひろ、1948年 - )は、日本の… 市川 明廣(いちかわ あきひろ、1948年 - )は、日本の彫刻家。二科会評議員。 愛知県一宮市生まれ。東京芸術大学大学院彫刻科を修了後、黒御影石や大理石などの石彫を中心に数々の作品を制作。公共施設のモニュメント制作から一般家庭のインテリア作品まで幅広く制作活動を行っている。 1948年 愛知県一宮市に生まれる 1975年 東京芸術大学大学院彫刻科修了 東京芸術大学彫刻科 非常勤講師となる(~1977年) 二科展で特選受賞 1982年 二科展で会友賞受賞 1987年 神戸具象彫刻大賞展 読売賞受賞1988年 二科会会員に推挙される 1992年 二科展で会員賞受賞 1995年 名古屋芸術大学彫刻科非常勤講師となる(~2000年) 1997年 愛知県芸術文化選奨 文化賞受賞 2015年 第100回記念二科展でローマ賞受賞 北海道NTT札幌病院新潟県JR十日町駅前武蔵野音楽大学千葉県佐倉市長隈橋東京都中央区立常盤小学校神奈川県立茅ヶ崎養護学校名古屋市中区広小路歩道名古屋明徳短期大学(現 星城大学)尾西信用金庫一宮末広支店愛知県立一宮高等学校愛知県一宮市三井緑地 神戸市中央区湊川神社西側歩道 福岡県行橋市京都ホテル他 各所
尾関 忠雄(おぜき ただお、1946年11月生 - )は、日… 尾関 忠雄(おぜき ただお、1946年11月生 - )は、日本の作家。教育者。愛知県一宮市出身。現在、学校法人尾関学園副理事長、美里幼稚園長、中京大学非常勤講師を務めている。
小島 廣光(こじま ひろみつ、1946年4月30日 生まれ)… 小島 廣光(こじま ひろみつ、1946年4月30日 生まれ)は、日本の経営学者。北海道大学名誉教授。専門は、非営利組織論、経営管理論。経済学博士(名古屋大学・1985年)。愛知県一宮市出身。(名前の漢字「廣」は、正しくはまだれに黄である。) 他の研究者が関心を示さない研究テーマに対して興味を持続させる研究スタイルが特徴で、日本の非営利組織(NPO)研究の第一人者として著名。 わが国の非営利組織に関して、①マネジメント、②政策形成、③政府と企業との戦略的協働を先駆的に解明する 。
西澤直子(にしざわ なおこ、1945年〈昭和20年〉8月11… 西澤直子(にしざわ なおこ、1945年〈昭和20年〉8月11日 - )は、日本の農芸化学者。旧姓は岸(きし)。研究テーマは、石灰質土壌耐性作物の作出・ミネラル栄養価の高いイネの作出など。東京大学名誉教授、石川県立大学学長、石川県公立大学法人副理事長、日本学士院会員。 愛知県一宮市生まれ。永田町小学校(現・千代田区立麹町小学校)、千代田区立麹町中学校、東京都立日比谷高等学校を経て、東京大学農学部農芸化学科卒業。同助手、米国ロックフェラー大学研究員などを経て東京大学大学院農学生命科学研究科教授就任。2019年4月より石川県立大学学長。 父親は日本陸軍少佐を務めた岸秋正、母親は料理記者の岸朝子。
舟木 一夫(ふなき かずお、本名:上田 成幸(うえだ しげゆ… 舟木 一夫(ふなき かずお、本名:上田 成幸(うえだ しげゆき)、1944年〈昭和19年〉12月12日 - )は、日本の歌手、タレント。橋幸夫・西郷輝彦とともに“御三家”と呼ばれている。学生服と八重歯がトレードマークで、デビュー当時は、学園ソングとよばれる、高校生活をテーマにした歌が多かった。 初期の所属事務所はホリプロダクション、現在のホリプロであった。 愛知県中島郡萩原町(現・一宮市)出身。当初は舟木和夫という芸名になる予定であったが、舟木が「和はひ弱な感じがあるので、一にして欲しい」と希望したために一夫になったという。本人は、紙に書いたら字が縦に長くなって横倒しになりそうで頼りない感じがしたので、「和」を「一」にして“つっかえ棒”としてほしい、とお願いしたとも話している。
跡見 裕(あとみ ゆたか、1944年(昭和19年)12月5日… 跡見 裕(あとみ ゆたか、1944年(昭和19年)12月5日 - )は日本の外科医。愛知県一宮市出身。専門は膵臓、胆道外科。 東京大学医学部卒業後、東京大学病院第一外科を経て、杏林大学教授、杏林大学学長を歴任。昭和天皇の手術時は医師団の一員として診療にあたった。日本消化器病学会、日本消化器関連学会機構、日本超音波医学会、日本成人病(生活習慣病)学会、日本膵臓病学会、日本消化器外科学会、日本臨床外科学会の各理事長・会長を歴任。アジアオセアニア膵臓学会を設立し、初代のPresident。日本学術会議連携委員、厚生労働省難治性疾患支援事業主任研究員、日本医師会学術委員会委員長(編集委員長)、JMAJournal Editor-in-Chief、日本膵臓病研究財団理事長、医学教育振興財団常務理事、福島県立医大教育研究審議会委員を務めた。
八木 幸二(やぎ こうじ、1944年4月12日 - )は、日… 八木 幸二(やぎ こうじ、1944年4月12日 - )は、日本の建築家、教育者、研究者。東京工業大学名誉教授、京都女子大学名誉教授、工学博士。 愛知県一宮市生まれ。1969年, 東京工業大学工学部建築学科卒業。1969年から1970年まで, 東京工業大学清家清研究室で大阪万博スイス館現場担当。1970年同大学助手。1971年から1974年にかけて、シリアの都市計画援助OTCA派遣。シリアの農村計画に従事。1975年から1976年まで、オーストラリアのクインズランド大学研究員。風土建築を研究。1980年オクラホマ大学客員助教授。1987年マサチューセッツ工科大学客員研究員、1987年東京工業大学助教授、1995年東京工業大学教授、2010年3月東京工業大学を定年退職、2010年9月-11月上海同済大学客座教授。
江崎 鉄磨(えさき てつま、1943年9月17日 - )は、… 江崎 鉄磨(えさき てつま、1943年9月17日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(6期)。父は元衆議院議員の江崎真澄[要出典]。元衆議院議員の江崎洋一郎は異母弟[要出典]。
野村 彰彦(のむら あきひこ 1943年9月13日 - 20… 野村 彰彦(のむら あきひこ 1943年9月13日 - 2021年9月13日)は、愛知県一宮市出身の元騎手・元調教師。 父は馬車による運送業を営み、競馬関連の資材も取り扱っており、野村も幼い頃から馬に親しみ将来の目標に騎手を志していた。当初は公営・笠松で騎手になることを考え、研修にも入っていたが、「カツラ」の冠名で知られた馬主の牧市太郎に中央で騎手になることを勧められ、1960年に紹介を受けた京都・橋本正晴厩舎に騎手見習として入門 。 1962年に橋本厩舎からデビューし、3月17日の阪神第9競走5歳以上50万下・カツラオーザ(5頭中4着)で初騎乗を果たし、同24日の阪神第2競走4歳以上オープンで見習時代に厩務員も兼ねていたアングロアラブのカツラバラッケーに騎乗して初勝利を挙げる。
近藤 昌平(こんどう しょうへい、1942年(昭和17年)7… 近藤 昌平(こんどう しょうへい、1942年(昭和17年)7月24日 - )は、日本の実業家。愛知県一宮市出身。洋菓子店のボンボヌール元社長。化粧品・健康食品の銀座・トマト会長。異業種交流会「VAV倶楽部」会長。 1966年、日本初の宅配ケーキシステムを実現。看板商品のケーキの名称はファンシー。四角いスポンジケーキで生クリームを包んだ座布団型の四角いケーキで、1日2万個販売されていた。 名称こそバラバラだが、中部地方のケーキ屋では、ファンシーと同じ形をしたケーキが多数、販売されている。 1942年(昭和17年)7月に愛知県一宮市で近藤金兵衛と久子の長男として生まれた。 1959年(昭和34年)4月に近藤金兵衛が心臓マヒで急死し、母の久子が職人15人を抱えた和菓子店 「萬壽堂」を継承した。
谷 一夫(たに かずお、1941年(昭和16年)10月4日 … 谷 一夫(たに かずお、1941年(昭和16年)10月4日 - 2024年(令和6年)12月15日)は、日本の政治家、医師。元愛知県一宮市長(4期)。 愛知県一宮市生まれ。一宮市立宮西小学校、一宮市立北部中学校、愛知県立一宮高等学校、名古屋大学医学部卒業。大学卒業後、名鉄病院でのインターンを経て、中部労災病院、名古屋大学医学部付属病院分院臨港病院の外科に勤務する。1974年、谷医院を開院し開業医に転じる。1998年4月1日、一宮市医師会会長に就任。 1998年12月15日、一宮市長の神田真秋が愛知県知事選挙に出馬するために辞職。同日から、一宮市議会の江崎鉄磨系の一真会と海部俊樹系の創誠会は後継候補者を調整。
杉浦 藤文(すぎうら ふじふみ、1941年4月27日 ‐ 1… 杉浦 藤文(すぎうら ふじふみ、1941年4月27日 ‐ 1999年8月13日)は、日本の野球指導者。愛知県出身。1966年に中京商業高等学校で史上2校目の甲子園春夏連覇を達成した。 愛知県一宮市生まれ。進学先の中京商では1番・二塁手、1959年の第31回選抜高等学校野球大会に出場し優勝を果たした。その後、早稲田大学に進学。大学同期に岡田紀明、大井道夫、斎藤幸夫らがいる。 大学を卒業してすぐ1963年に母校の中京商野球部監督に就任、深谷弘次部長とともに指導した。1965年の第37回選抜高等学校野球大会で監督としての甲子園初出場を果たし、翌年は第38回選抜高等学校野球大会、第48回全国高等学校野球選手権大会ともに制し、春夏連覇を達成した。
篠田 達明(しのだ たつあき、1937年10月7日 - )は… 篠田 達明(しのだ たつあき、1937年10月7日 - )は、日本の作家、医師。医学博士。愛知県心身障害者コロニー名誉総長。 愛知県一宮市生まれ。静岡県立静岡高等学校卒業。名古屋大学医学部卒業。心身障害児医療を専門とし医師として愛知県心身障害者コロニー中央病院に勤務、1983年、45歳の時に「にわか産婆・漱石」で歴史文学賞受賞。以後、歴史小説、医事小説、エッセイなどを執筆。荻野久作を描いた「法王庁の避妊法」は飯島早苗により劇化され、自転車キンクリートが上演して話題を呼んだ。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
牧野 哲大(まきの てつひろ、1934年9月- )は、日本の… 牧野 哲大(まきの てつひろ、1934年9月- )は、日本の料理研究家。人形作家。 愛知県一宮市生まれ。東京栄養食糧学校卒。同愛記念病院に栄養士として勤務。1960年に中原淳一主宰の雑誌『ジュニアそれいゆ』に料理記事を連載。女性週刊誌ではじめて料理をカラーグラビアで発表し、その後テレビ、ラジオ、新聞等でも活躍。ヨーロッパの事情に詳しく、料理と文学を結びつけるなど、ユニークな発想も得意。1962年からNHK「きょうの料理」に出演、日本初の男性料理評論家とも。人形作家としては銀座和光ギャラリーで、80年以降、仏蘭西人形の個展を8回行う。
竹市 明弘(たけいち あきひろ、1933年11月28日 - … 竹市 明弘(たけいち あきひろ、1933年11月28日 - 2019年6月15日)は、日本の哲学者、京都大学名誉教授。 愛知県一宮市出身。京都大学文学部哲学科卒業、同大学院文学研究科哲学専攻修士課程修了。関西大学助教授、同教授、京都大学教養部助教授、同教授、1991年に京都大学総合人間学部教授、同環境・人間学初代研究科長を歴任。1997年に定年退官、同時に名誉教授称号授与。その後、岡崎学園国際短期大学学長と改組および校名変更後の人間環境大学学長を歴任。アウクスブルク大学名誉博士。2017年4月、瑞宝中綬章を受章。
鵜飼 勝美(うかい かつみ、1932年11月11日 - )は… 鵜飼 勝美(うかい かつみ、1932年11月11日 - )は、愛知県一宮市出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手、外野手。1953年は鵜飼 勝助(うかい かつすけ)の登録名でプレー。
佐藤 毅(さとう たけし、1932年3月5日 - 1997年… 佐藤 毅(さとう たけし、1932年3月5日 - 1997年10月8日)は、日本の社会学者、一橋大学名誉教授。 愛知県一宮市出身。1954年一橋大学社会学部卒、1959年同大学院社会学研究科博士課程満期退学。南博ゼミ出身。1960年法政大学社会学部専任講師、1961年助教授、1969年教授、1978年一橋大学社会学部教授。1991年「マスコミの受容理論 言説の異化媒介的変換」で一橋大学社会学博士。1995年定年退官、名誉教授、大東文化大学法学部教授。 1997年10月8日、急性白血病のため死去。 指導学生に安川一、伊奈正人、三浦展,出口剛司など。
田中 恭一(たなか きょういち、1931年7月8日 - 20… 田中 恭一(たなか きょういち、1931年7月8日 - 2024年3月10日)は、日本の実業家で、株式会社メニコンの創業者、会長。日本コンタクトレンズ協会名誉会長。愛知県葉栗郡木曽川町(現:一宮市)出身。 国民学校高等科を卒業後、手先の器用さを買われて名古屋市の老舗眼鏡店、玉水屋に勤務。そこに訪れたアメリカ軍将校夫人からコンタクトレンズを持っているという話を聞くものの、どうしても見せてもらえなかったことに発奮し、独学でレンズの開発に取り組む。デザインの設計から加工、装用実験など全て独自に行ない、1951年、それまで国内で研究されていた白目まで全てを被う強角膜コンタクトレンズではなく、現在のハードコンタクトレンズとほぼ同じ黒目のみを被うタイプを、日本で初めて開発した。
後藤 大秀(ごとう だいしゅう、1929年 - 2020年9… 後藤 大秀(ごとう だいしゅう、1929年 - 2020年9月9日、後藤 秀美でも活動 )は昭和・平成時代のからくり人形師。 現在、日本で本格的な「からくり人形師」として活動しているのは、九代目玉屋庄兵衛ほか数名しかおらず、後藤大秀はその一人である。全国的に知られた大垣祭、大津祭といった祭りの、「山車からくり(だしからくり)」の完全復元や修復を多く手がける。(この場合の復元とは、昔の人形を基に全く同じ姿形の人形を新しく制作する事。修復とは、昔の人形の破損した箇所だけを作り直す事。)なかでも、大垣祭の相生山「神主友成」復元制作では、昔の人形はすでに紛失しており、古い写真一枚と古老の証言のみを基に制作をした。
後藤 幸男(ごとう ゆきお、1928年8月20日 - 202… 後藤 幸男(ごとう ゆきお、1928年8月20日 - 2024年1月15日)は、日本の経営学者。経営学博士(神戸大学・論文博士・1968年)。神戸商科大学名誉教授・元学長。2006年瑞宝中綬章受章。 愛知県一宮市生まれ。名古屋大学経済学部卒業。1954年同大学院修了、名古屋大学助手、1957年神戸商科大学講師、1959年助教授、1965年教授、1968年「企業の投資決定論」で経営学博士(神戸大学)の学位を取得。1986年学長。1990年定年退任、名誉教授、追手門学院大学経営学部教授。2001年日本経営財務研究学会会長。2006年瑞宝中綬章受章。
川合 幸三(かわい こうぞう、1927年4月29日 - 19… 川合 幸三(かわい こうぞう、1927年4月29日 - 1994年3月27日)は、愛知県出身のプロ野球選手(内野手)。
川浦 康次(かわうら やすじ、1927年2月5日 - 197… 川浦 康次(かわうら やすじ、1927年2月5日 - 1970年11月11日)は、日本経済史家。 愛知県一宮市出身。問屋の家に育つ。愛知県立商業学校を経て、1950年大阪商科大学高等商業部卒業。1953年名古屋大学経済学部経済学科卒業。1958年同大学大学院退学。学部・大学院で塩澤君夫の指導を受け、日本経済史を専攻。1958年名城大学法商学部講師、1959年助教授、1964年教授、1966年同大学大学院教授。1966年「幕藩体制解体期の経済構造」で経済学博士(名古屋大学)。1970年11月11日、持病のため急逝、享年43歳。 主に幕末の日本の経済体制を研究した。『寄生地主制論』(塩沢君夫共著、御茶の水書房、1957年)は大塚久雄が提起した「局地的市場圏」や「蓄積基盤の移行」などを初めて日本史の分析に取り入れ、幕末における経済発展の性格や尾西綿織物業の経営形態などをめぐって論議を呼び起こした。
加藤 寛(かとう ひろし、1926年(大正15年)4月3日 … 加藤 寛(かとう ひろし、1926年(大正15年)4月3日 - 2013年(平成25年)1月30日)は、日本の経済学者。学位は経済学博士(慶應義塾大学)、慶應義塾大学名誉教授。名は「かん」と有職読みすることもある。政府税制調査会会長、内閣府規制改革担当顧問、嘉悦大学学長、千葉商科大学名誉学長、日本経済政策学会会長・日本計画行政学会会長・ソ連東欧学会代表理事・公共選択学会会長等を歴任。
木村 保久(きむら やすひさ、1924年5月29日 - 20… 木村 保久(きむら やすひさ、1924年5月29日 - 2015年2月19日)は元プロ野球選手(内野手)。愛知県一宮市出身。
戸田 修三(とだ しゅうぞう、1923年2月14日 -201… 戸田 修三(とだ しゅうぞう、1923年2月14日 -2018年5月21日)は、日本の法学者。専門は商法。中央大学名誉教授。元中央大学学長。初代日本私立学校振興・共済事業団理事長。 愛知県一宮市生まれ。法学博士(中央大学・論文博士・1962年)。論文は 海上運送法における責任の体系。 名誉博士(エクス・マルセイユ第三大学)。 1944年中央大学専門部法学科卒業。1947年中央大学法学部卒業。1948年中央大学大学院(旧制)法学研究科中退。 中央大学法学部助手。1951年中央大学法学部助教授。1959年中央大学法学部教授。1965年中央大学評議員。1965年中央大学法学部長。1967年中央大学大学院法学研究科長。
大島 信雄(おおしま のぶお、1921年10月2日 - 20… 大島 信雄(おおしま のぶお、1921年10月2日 - 2005年1月8日)は、愛知県一宮市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。
瀧 正男(たき まさお、1921年9月8日 - 2012年4… 瀧 正男(たき まさお、1921年9月8日 - 2012年4月2日)は、日本のアマチュア野球指導者、元アマチュア野球選手、体育学者。長男は野外活動、レクリエーション活動研究を専門とする中京大学スポーツ科学部スポーツ健康科学科教授の瀧克己。 愛知県一宮市出身。1936年に中京商業学校に入学し野球部に入り、5回甲子園大会に出場。1937年夏の第23回全国中等学校優勝野球大会及び1938年春の第15回選抜中等学校野球大会で捕手として優勝を経験している。バッテリーを組んだのは野口二郎であった。 中京商業を卒業後に名古屋高等商業学校(現在の名古屋大学経済学部)に進学した後、軍隊に入りマレーシアへ出征。終戦後のマレーシアでの捕虜生活を経て1947年に内地復員を果たす。
江﨑 真澄(えさき ますみ、1915年〈大正4年〉11月23… 江﨑 真澄(えさき ますみ、1915年〈大正4年〉11月23日 - 1996年〈平成8年〉12月11日)は、日本の政治家。衆議院議員(17期)、総務庁長官、通商産業大臣、自治大臣、防衛庁長官などを歴任した。位階は正三位。 愛知県一宮市出身。旧制私立東邦商業学校から旧制第八高等学校(現・名古屋大学)に入学。八高に入ってすぐに肺結核にかかり、闘病生活中に小説を書き始める。1934年、雑誌『改造』の懸賞小説に、恋愛小説『長良』を応募し佳作となる。また、禅寺で修行するなどし、八高を中退する。その後、日本大学経済学部に進学する。作家を目指し、横光利一や菊池寛に紹介されるが、結局母校である東邦商業学校で教師となった。
森 弘太郎(もり こうたろう、1915年5月29日 - 19… 森 弘太郎(もり こうたろう、1915年5月29日 - 1966年9月1日)は、愛知県一宮市出身のプロ野球選手(投手)。
吉田 正男(よしだ まさお、1914年4月14日 - 199… 吉田 正男(よしだ まさお、1914年4月14日 - 1996年5月23日)は、昭和初期に活躍した中等学校野球、大学野球及び社会人野球の選手。昭和6年(1931年)から昭和8年(1933年)にかけて、夏の甲子園大会で3連覇の偉業を達成した中京商業学校(現・中京大学附属中京高等学校)のエース。甲子園で史上最多となる23勝を記録した。
高田 一郎(たかだ いちろう、1908年(明治41年)3月4… 高田 一郎(たかだ いちろう、1908年(明治41年)3月4日 - 1992年(平成4年)2月11日)は、昭和期の政治家。刈谷市長(1959年7月20日~1967年7月19日)。 1908年(明治41年)3月4日、愛知県一宮市に生まれた。父親は公務員。1930年(昭和5年)に明治大学政治経済学科を卒業し、愛知県庁に就職した。土木課、農林課、経済課、食糧課を経て、海部地方事務所長、渥美地方事務所長、中島地方事務所長などを歴任した。 愛知県額田地方事務所長を務めていた1956年(昭和31年)12月、1955年(昭和30年)から刈谷市長を務めていた竹中七郎によって刈谷市助役に起用された。刈谷市と愛知県のパイプ役を期待された人選である。
叡南 祖賢(えなみ そけん、1903年(明治36年)5月15… 叡南 祖賢(えなみ そけん、1903年(明治36年)5月15日 - 1971年(昭和46年)1月4日)は、天台宗の僧侶。千日回峰行大行満大阿闍梨、大僧正。無動寺谷明王堂輪番、比叡山延暦寺執行として弟子育成と比叡山の復興に尽力、叡山の傑僧と言われた。 愛知県丹羽郡豊富村(現、一宮市千秋町)の伊藤家の二男として生まれる。1910年(明治43年)、7歳で愛知県西春日井郡賢林寺において密蔵院中村勝契大僧正について得度。同年、愛知県龍光寺住職稲田祖珪の養子となり、名を賢一から祖賢と改名する。 1918年(大正7年)、愛知県の中学校から、比叡山中学校に転校する。1922年(大正11年)、天台宗西部大学に入学。
四代目豊島 半七(よんだいめとよしま はんしち、1900年〈… 四代目豊島 半七(よんだいめとよしま はんしち、1900年〈明治33年〉11月6日 - 1962年〈昭和37年〉1月21日)は、愛知県中島郡一宮町(現・一宮市)出身の実業家。出生名は鈴木 孝三(すずき こうぞう)であり、1921年に豊島家の養嗣子となると、1937年4月に四代目豊島半七を襲名した。株式会社山一商店代表取締役、豊島株式会社社長、東海紡績株式会社社長。一宮市名誉市民。 天保12年(1841年)、初代豊島半七は尾張国の中島郡一宮村で綿花の仲買人の商売をはじめ、「綿屋半七」の商号を掲げた。農家から糸を購入して問屋に売っていたが、幕末には自身が問屋を構えるまでに成長した。1868年(明治元年)には長男の善七が家督を継いで、二代目豊島半七を名乗った。
佐藤一英(さとう いちえい、1899年(明治32年)10月1… 佐藤一英(さとう いちえい、1899年(明治32年)10月13日 - 1979年(昭和54年)8月24日)は、日本の詩人。 愛知県中島郡祖父江町に生まれ、萩原町高松(現・一宮市)に育つ。萩原尋常高等小学校卒業。愛知第一師範学校中退、早稲田大学英語科中退。「青騎士」など、いくつかの雑誌を主宰、編集。1931年から1932年に発行した『児童文学』は、宮沢賢治が童話「北守将軍と三人兄弟の医者」「グスコーブドリの伝記」を発表したことで知られる。木曽川高校をはじめ、郷里の小・中学校、高等学校の校歌の作詞も手掛けている。 1939年、『空海頌』で第1回詩人懇話会賞を受賞。1979年、民間人として最初の一宮市政功労者となった。
岩田 義道(いわた よしみち、1898年(明治31年)4月1… 岩田 義道(いわた よしみち、1898年(明治31年)4月1日 - 1932年(昭和7年)11月3日)は、日本の労働運動家、社会運動家、政治活動家。戦前期の非合法政党時代の日本共産党幹部であった。愛知県葉栗郡北方村(現・一宮市)出身。 松山高等学校を卒業。京都帝国大学経済学部に入学し、河上肇に師事する。だが在学中に京都学連事件に連座して逮捕され、禁錮10か月の判決を受けたため中退した。産業労働調査所で活動し、1927年(昭和2年)には日本共産党(第二次共産党)に入党する。「非常時共産党」時代には党中央委員に選出され、宣伝煽動部(アジプロ)、農民部で部長を務めたほか、活版印刷による『赤旗』の発行を指導した。
柴山 全慶(しばやま ぜんけい、1894年(明治37年)11… 柴山 全慶(しばやま ぜんけい、1894年(明治37年)11月30日 - 1974年(昭和49年)8月29日)は昭和期日本に活躍した臨済宗の禅僧。 愛知県葉栗郡浅井町に生まれる。室号は寒松軒、道号は文明。法諱は全慶、俗姓は柴山。花園大学・大谷大学教授を務めた。また8回に渡って渡米し、諸大学で禅学を講義した。1931年(昭和6年)に日本仏教エスペランチスト連盟を起こしたエスペランティストでもある。また、詩『花語らず』でも知られている。1959年(昭和34年)臨済宗南禅寺派管長(1959-1974)に就任し、管長在位のまま1974年遷化。世寿81。 父・悦太郎、母・いと、七人兄弟の次男として生まれ、幼名を真一といった。
市川 房枝(いちかわ ふさえ、1893年〈明治26年〉5月1… 市川 房枝(いちかわ ふさえ、1893年〈明治26年〉5月15日 - 1981年〈昭和56年〉2月11日)は、日本の婦人運動家、政治家。参議院議員(5期)。 1924年に「婦人参政権獲得期成同盟会」を結成。婦人参政権運動を主導した。終戦直後の1945年11月3日には「新日本婦人同盟」を結成。公職追放を受けるも、解除後の1950年に同団体を「日本婦人有権者同盟」に改称し、国会と女性を結び付ける運動を推し進めた。1953年に参議院議員に初当選。政界浄化、女性の地位や権利の向上に尽力した。 愛知県中島郡明地村字吉藤(現:一宮市明地)に生まれた。男2人、女4人の6人きょうだいで、市川は三女。誕生名は「ふさゑ」。
古川 為三郎(ふるかわ ためさぶろう、旧字体: 古川 爲三郞… 古川 為三郎(ふるかわ ためさぶろう、旧字体: 古川 爲三郞、1890年(明治23年)1月18日 - 1993年(平成5年)5月19日)は、日本の実業家。愛知県中島郡萩原村(現・一宮市)出身。 約30社からなるヘラルドグループの創業者であり、一代で日本を代表する映画配給会社へと育て上げたほか、映画事業のほかにも手広く事業を行った。「古為」(ふるため)という愛称で親しまれた。 1890年(明治23年)1月18日、愛知県中島郡萩原村(現・一宮市萩原)に生まれた。父は中野清助、母はたきであり、為三郎は五男だった。1893年(明治26年)10月、名古屋市矢場町に住む遠縁の古川己之助の養子となった。 1896年(明治29年)4月には白川尋常高等小学校(現・名古屋市立栄小学校)に入学し、1899年(明治32年)4月には高等科に進んだ。
沢田 豊(さわだ ゆたか、1886年1月10日 - 1957… 沢田 豊(さわだ ゆたか、1886年1月10日 - 1957年9月3日)は、ドイツを中心に、ヨーロッパで活動した日本人のサーカス芸人、曲芸師。 愛知県葉栗郡大野村(現・一宮市浅井町大野)で、医師の三男として生まれる。1891年の濃尾地震により浅草の祖父の元に身を寄せる。浅草で玉乗り曲芸の「横田一座」を見て、家出をして一座に加わり、16歳だった1902年に(14歳だった1900年とする記述もある)、横田一座の一員としてロシア帝国統治下のウラジオストクに渡り、さらにサンクトペテルブルクを含むロシア各地を巡業した。1904年、日露戦争が勃発した際、一座はヤルタにいたが、そのまま抑留された。その後、一座はコンスタンチノーブルからギリシャ、エジプトを経てイタリアに至り、以降ヨーロッパ各地で興行を行なった。
竹田 頴川(たけだ えいせん、1878年(明治11年)- 1… 竹田 頴川(たけだ えいせん、1878年(明治11年)- 1945年(昭和20年)9月9日)は、大正から昭和の終戦までを代表する臨済宗の禅僧。俗姓は最初は加藤で、のち竹田。法諱は恵恂、道号は頴川。室号は古渡庵。愛知県葉栗郡北方村の出身。臨済宗建仁寺派管長(1931年-1945年) 1878年(明治11年)、現在の愛知県一宮市北方町に生まれる。1889年(明治22年)、一宮市木曽川町の寶光寺の速水精道和尚について得度。1906年(明治39年)、竹田黙雷が開単した建仁僧堂に掛搭。その後僧堂師家兼管長の黙雷に7年参禅した後、1912年(大正元年)に、頴川が得度した寶光寺の住職となった。さらに黙雷の建仁僧堂に通参精進して遂に、1921年(大正10年)黙雷より嗣法する。
神戸 正雄(かんべ まさお、旧字体:神戶 正雄、1877年(… 神戸 正雄(かんべ まさお、旧字体:神戶 正雄、1877年(明治10年)4月19日 - 1959年(昭和34年)10月16日)は、日本の法学者・経済学者・政治家(京都市長で、公選第一号の市長)。文化功労者。愛知県一宮市出身。 日本における消費税提唱の先駆者として知られる。 1877年(明治10年)、愛知県一宮に生まれる。旧制愛知一中(現:愛知県立旭丘高等学校)、三高、一高を経て、1900年東京帝国大学法科大学政治科卒業、同大学大学院(財政学専攻)卒業。 1902年京都帝国大学法科大学助教授に就任。1904年(明治37年)ドイツ・イギリスに留学する。海外渡航が極めて困難な時代にあって、視察旅行とは違い実際に現地に居住し学究できたことは、神戸の人格形成に大きな影響を与えたと言われている。
岡本 要八郎(おかもと ようはちろう、1876年1月13日 … 岡本 要八郎(おかもと ようはちろう、1876年1月13日 - 1960年3月28日)は、愛知県中島郡(現・一宮市)出身の地質学者。初めて台湾の鉱物を採集した事で知られる。北投善光寺に彼の頌徳碑が現存する。 著書に『台湾鉱物調查報告』(1911年)、『台湾産北投石調查報告文』(1916年)、『福岡県鉱物誌』(1944年)などがある。 子供のときに受けた理科の授業に影響を受け鉱物に興味を持つようになる。 1899年4月に台湾へ渡航し、台湾総督府国語学校の教諭として現地台湾人の教育に当たる。翌年、角板山への鉱物採集旅行後、台湾の鉱物に関する研究を開始する。明治38年(1905年)北投温泉の公衆浴場瀧乃湯にて入浴をした帰りに北投石を発見する。
川合 玉堂(かわい ぎょくどう、1873年〈明治6年〉11月… 川合 玉堂(かわい ぎょくどう、1873年〈明治6年〉11月24日 - 1957年〈昭和32年〉6月30日)は、明治・大正・昭和時代の日本で活動した日本画家。本名は 川合 芳三郎(かわい よしさぶろう)。画号は当初「玉舟(ぎょくしゅう)」、間もなく「玉堂」に改め、晩年は終の棲家と同名の「偶庵(ぐあん)」を別号として用いた。長男の真一は化学者で東京教育大学名誉教授。 愛知県葉栗郡外割田村(現在の一宮市木曽川町外割田)にて、1873年(明治6年)11月24日、筆墨紙商の長男として生まれる。1881年(明治14年)、一家は岐阜市に移住する。絵には12歳頃から親しむようになったという。1886年(明治19年)、京都の画家・青木泉橋が岐阜に来住すると、夫人も翠蘋と号する美人画家で、芳三郎少年は青木夫妻の知遇を得て大いに刺激を受けたという。