古川 康(ふるかわ やすし、1958年〈昭和33年〉7月15… 古川 康(ふるかわ やすし、1958年〈昭和33年〉7月15日 - )は、日本の政治家、自治・総務官僚。自由民主党所属の衆議院議員(5期)、衆議院総務委員長、自由民主党佐賀県支部連合会長。 佐賀県知事(第55・56・57代)、総務大臣政務官、国土交通大臣政務官、国土交通副大臣を歴任。息子は衆議院議員の古川あおいである。 佐賀県唐津市生まれ。佐賀大学教育学部附属中学校、ラ・サール高等学校、東京大学法学部第3類(政治コース)卒業。1982年、自治省(現・総務省)に入省。本省勤務の他、長野県や沖縄県、岡山県、長崎県に出向する。1997年9月、第2次橋本改造内閣で自治大臣に任命された上杉光弘の秘書官を務める。
山﨑 朗(やまさき あきら、1957年5月11日- )は、日… 山﨑 朗(やまさき あきら、1957年5月11日- )は、日本の経済学者。中央大学経済学部教授、経済学博士。専門は経済地理学、産業経済論、地域政策論、産業政策論、産業クラスター論、国土計画。 佐賀県唐津市生まれ。1981年京都大学工学部合成化学科卒業、1986年九州大学大学院経済学研究科博士課程満期退学、2000年「産業集積と立地分析」で、経済学博士(九州大学)の学位を取得。九州大学助手、1987年フェリス女学院大学講師、1990年滋賀大学経済学部助教授、九州大学経済学部助教授、同教授を経て、2005年より中央大学大学院経済学研究科教授。 経済地理学会評議員、産業学会理事、日本経済政策学会会員、産業構造審議会委員、経済産業省地域産業政策懇談会委員、国土構造審議会委員、国土交通省地方中枢都市研究会委員、日本地域開発センター評議員等を歴任。
中里 雅子 (なかさと まさこ、1954年8月16日 - )… 中里 雅子 (なかさと まさこ、1954年8月16日 - )は、日本のフリーアナウンサー、元テレビ朝日アナウンサー。 佐賀県唐津市出身。実家は呉服店。妹がいる。佐賀県立唐津東高等学校、早稲田大学第一文学部文芸専修卒業。大学時代は放送研究会に所属。1977年、テレビ朝日(当時:全国朝日放送)にアナウンサーとして入社。1983年に同社を退社し、以降はフリーアナウンサー、ナレーターとして活動。
広津 素子(ひろつ もとこ、1953年5月16日 - )は、… 広津 素子(ひろつ もとこ、1953年5月16日 - )は、日本の政治家、元衆議院議員(1期)。公認会計士。戸籍上の氏名は平林 素子(ひらばやし もとこ)。 佐賀県唐津市出身。唐津市立外町小学校、唐津市立第一中学校、佐賀県立唐津東高等学校卒業。高等学校時代は、旺文社全国実力テストで日本一になった。1977年、東京大学医学部保健学科卒業。1982年から中央青山監査法人(プライスウォーターハウスクーパース)や朝日監査法人(アーサー・アンダーセン)、KPMGにおいて公認会計士・税理士として活動、その後LEC会計大学院の教授を務めた。 2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙(郵政選挙)では、元自治大臣で旧橋本派(平成研究会)であった保利耕輔のいわゆる刺客として、佐賀3区から立候補した。
かみかぜ いのうえ(1952年6月6日- )は、日本の画家。… かみかぜ いのうえ(1952年6月6日- )は、日本の画家。現在、(仏)テーラー財団 永久会員・パリ国際サロン会員・JIAS日本国際美術家協会会員・新エコールドパリ浮世・絵美術家協会創立会員である。また、BIANGE展主宰・ミニ美術館ひろ代表でもある。 (個展 岡崎西武百貨店、セントラルギャラリーなど 外遊 スペイン、フランス、アメリカ、中国) ミニ美術館ひろ神風 井上 Facebook[リンク切れ] この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
みやぞえ 郁雄(みやぞえ いくお、1952年 - )は、佐賀… みやぞえ 郁雄(みやぞえ いくお、1952年 - )は、佐賀県唐津市出身の漫画家。別名義にみやぞえ郁也、宮添育男、宮添郁雄、宮添いくお。 手塚治虫のアシスタントを経て、1972年、「正義を愛する者 月光仮面」のコミカライズでデビュー。
吉村 豊雄(よしむら とよお、1948年(昭和23年) - … 吉村 豊雄(よしむら とよお、1948年(昭和23年) - )は、日本史学者、熊本大学名誉教授。専門は日本近世史。 佐賀県唐津市生まれ。広島大学大学院文学研究科博士課程後期単位取得退学。福岡工業大学講師、熊本大学文学部助教授、教授。2014年名誉教授。2003年「近世大名家の権力と領主経済」で広島大学博士(文学)。
大坪 正則(おおつぼ まさのり、1947年9月6日 - 20… 大坪 正則(おおつぼ まさのり、1947年9月6日 - 2014年3月4日)は、帝京大学教授、経営コンサルタント、スポーツ経営学者。佐賀県唐津市出身。西南学院大学商学部卒業。 1970年大学卒業後、伊藤忠商事に入社する。入社後、米国駐在員、NBA担当責任者などを経て、1986年にNBAとのライセンス契約を結び責任者に就任。1990年には、NBA公式戦開幕試合を実施した。この試合は史上初の北米大陸以外での公式戦開催であり、このNBAのマネジメントを通して米国のプロスポーツリーグ経営を学ぶ。 1998年に伊藤忠商事退社後、1999年に株式会社ニッポンスポーツマネジメントを設立し、代表に就任。その後、大広顧問(1999年4月 - 2004年3月)、ニッポン放送スポーツ部の経営コンサルタント(2000年10月 - 2001年9月)、ヤクルト球団の経営コンサルタント(2000年11月 - 2001年3月)などを歴任。
大草 秀幸(おおくさ ひでゆき、1947年4月2日 - 20… 大草 秀幸(おおくさ ひでゆき、1947年4月2日 - 2019年6月12日)は、日本のジャーナリスト、政治家、社会運動家。元佐賀県相知町長(2期)。 佐賀県唐津市生まれ。佐賀県立唐津東高等学校、日本大学法学部新聞学科卒業。1970年(昭和45年)に佐賀新聞社へ入社。記者を経て、編集局次長や販売局長などを歴任。 記者時代の連載「ガン制圧への道」は日本対がん協会賞を受賞した(受賞は佐賀新聞社)。1999年(平成11年)に退職。翌年、相知町(現唐津市)の町長選で初当選し、2期務めた。市町村合併に伴い、2005年の唐津市長選に出馬したが、坂井俊之に敗れ落選した。 その後は左派活動に携わり、「憲法理念の実現をめざす第55回大会(護憲大会)」佐賀県実行委員長、悪魔の飽食佐賀合唱団団長、「戦争をさせない佐賀県1000人委員会」代表や、国政選挙で野党共闘を支援する「市民連合さが」の代表代行を務め、2019年の参院選で野党候補一本化の調整役を務めていた。
岩本 絹子(いわもと きぬこ、1946年〈昭和21年〉ないし… 岩本 絹子(いわもと きぬこ、1946年〈昭和21年〉ないし1947年〈昭和22年〉 - )は、日本の医学者(医学博士)、産婦人科医。学校法人東京女子医科大学理事長を務めた。 佐賀県唐津市出身。1973年(昭和48年)に東京女子医科大学を卒業し、産婦人科に入局。1977年(昭和52年)に東京女子医科大学大学院を修了し、学位論文『母児感染における新生児大腸菌感染症の発現機序に関する細菌学的研究』により医学博士を取得した。 1979年(昭和54年)に葛西中央病院産婦人科部長となった後、1981年(昭和56年)に葛西産婦人科を開業して院長となり、2024年(令和6年)3月までその任にあった。 東京女子医科大学の同窓会組織である「至誠会」の活動に関わり、1992年(平成4年)に社団法人至誠会理事、2004年(平成16年)に副会長を経て、2013年(平成25年)に一般社団法人至誠会会長に就任した。
勝丸 桂二郎(かつまる けいじろう、1946年 - )は日本… 勝丸 桂二郎(かつまる けいじろう、1946年 - )は日本の企業家・富士通テン(現・デンソーテン)の元社長である。佐賀県唐津市出身。兵庫県三木市在住。 1946年に佐賀県唐津市に生まれ、1968年に福井大学工学部卒業後にデンソーテンの前身となる神戸工業に入社。1979年33歳の時、ラジオ部門から独立した富士通テンに異動し、AVC本部長・専務・事業部門統括兼事業本部長を経て、2005年に新社長に昇進した。2005年代表取締役社長、2010年代表取締役会長、2013年常任顧問。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
成田 アキラ(なりた あきら、1945年4月9日 - )は日… 成田 アキラ(なりた あきら、1945年4月9日 - )は日本の漫画家。佐賀県唐津市生まれ。東京都在住。既婚。 都立小石川高校卒業。明治大学工学部電気工学科卒業。日本艶主党党首。 佐賀県唐津市生まれ。中学1年生までを唐津で過ごす。1958年、両親が子供を大学へ行かせるために家族で上京。東京に転居。都立小石川高校、明治大学卒。明治大学で電気工学科へ進学したのは「この世は何で出来上がってるのか」を知りたくて、「この世は電気ででき上ってるんじゃないか」と考え、入学した。叔父でもある漫画家ムロタニ・ツネ象の下で漫画修行をする。26歳でデビュー作「チポー星のやつら」が園山俊二の目にとまり、それがきっかけで漫画サンデーで「フリフリダムダム」を2年間連載するが、性器を模ったキャラクターを主人公とするなど、あまりに内容が「前衛的」「飛んでる」という理由で打ち切りとなる。
岩崎 吉郎(いわざき よしろう、1943年11月3日 - )… 岩崎 吉郎(いわざき よしろう、1943年11月3日 - )は、日本佐賀県出身の歴史家。 1943年、佐賀県唐津市にて生誕。 主に古代を研究している。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
荒波 秀義(あらなみ ひでよし、1940年11月16日 - … 荒波 秀義(あらなみ ひでよし、1940年11月16日 - 2010年9月2日)は、佐賀県東松浦郡鎮西町馬渡島(※現役当時、現・唐津市)出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は牧山 通雄(まきやま みちお)。得意手は左四つ、吊り、突っ張りなど。最高位は西前頭4枚目(1965年3月場所)。現役時代の体格は184cm、106kg。 同じ東松浦郡鎮西町出身で、小結まで昇進した松浦潟達也(本名・牧山強臣、錦島部屋→立田山部屋)とは、血縁関係にあった。 カトリック教徒でもあった。 日本相撲協会から離れ、その後、故郷に程近い長崎県で造船業に従事していた。造船会社を辞めてからは福岡市に移り住み、相撲料理店「ちゃんこ荒波」を経営したが、2004年頃に閉店したという。
江島 恵教(えじま やすのり、1939年(昭和14年)8月2… 江島 恵教(えじま やすのり、1939年(昭和14年)8月28日 - 1999年(平成11年)5月22日)は、日本の仏教学者。 佐賀県唐津市生まれ。1958年佐賀県立鹿島高等学校卒、1962年東京大学文学部印度哲学梵文学科卒、1966年同大学院博士課程中退、東京大学東洋文化研究所助手、1972-1974年ドイツ・ゲッティンゲン大学で在外研修、1974年助手を退官、1975年「Bhavavivekaを中心とする中観学派の研究 空性論証の論理をめぐって」で東大文学博士。1978年長岡技術科学大学助教授、1982年東大文学部助教授、1987年教授。定年前に病没。没後従四位勲三等瑞宝章受勲。
中里 隆(なかざと たかし、1937年 - )は、陶芸家。 … 中里 隆(なかざと たかし、1937年 - )は、陶芸家。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
山下 惣一(やました そういち、1936年5月25日 - 2… 山下 惣一(やました そういち、1936年5月25日 - 2022年7月10日)は、日本の農民、小説家。農業をテーマにした作品の小説・ルポを執筆した。 佐賀県唐津市出身。唐津市立湊中学校卒。86歳没。 中学校の卒業後に家業の農業を継いだ。30歳過ぎで作家となった。 2006年、毎日国際交流賞を受賞。 2021年2月、執筆活動から引退。 2022年7月10日、肺がんのため死去。86歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
梅田 正己(うめだ まさき、1936年(昭和11年) - )… 梅田 正己(うめだ まさき、1936年(昭和11年) - )は、日本の著作家・書籍編集者・市民活動家。 高文研の代表、顧問を務める。 佐賀県唐津市生まれ。 1972年(昭和47年)、高文研を設立し、高文研の代表や顧問を務める。1985年(昭和60年)から1987年(昭和62年)にかけて、国家秘密法に反対する出版人の会事務局を勤める。1986年(昭和61年)以降、横浜事件・再審裁判を支援する会事務局を担当している。日本ジャーナリスト会議出版部会代表。マスコミ九条の会の呼びかけ人のひとり。 下記は、Amazonの著者紹介(1)、Amazonの著者紹介(2)に掲載されている情報を参照している。 一橋大学社会学部を卒業し、1959年(昭和34年):三省堂に入社する。
向一陽(むこう いちよう、1935年1月22日- )は、日本… 向一陽(むこう いちよう、1935年1月22日- )は、日本のジャーナリスト、探検家。 佐賀県唐津市生まれ。1960年東京外国語大学英米科卒業、共同通信社入社。社会部長、論説委員兼編集委員などをへて95年退社。日本記者クラブ会員。日本山岳会会員。1973-76年奥アマゾン探検隊隊長ほか、アンデス、南極、北極、アラスカ、オセアニア、ミクロネシア、ヒマラヤ、アジア各地で探検、登山、取材をした。
青木はるみ(あおき はるみ、1932年(昭和7年) - 20… 青木はるみ(あおき はるみ、1932年(昭和7年) - 2009年9月)は、日本の歌手。歌手で、日本歌手協会6代目会長の青木光一は実兄。本名は青木泰子。 1932年(昭和7年)、佐賀県唐津市出身。本名、青木輝子。満洲奉天に家族で移住し、奉天高等女学校を卒業。 1952年(昭和27年)、新東宝スターレットの第1期生に採用され、映画女優としてデビューするも、しばらく芽が出なかった。 映画を諦めてジャズ学校に入っていたところを吉田正の目にとまり、まず1953年(昭和28年)12月、ビクターシスターズのメンバーとしてデビュー。そして半年後の1954年(昭和29年)5月、芸者スタイルで「娘ごころは恥ずかしうれし」で歌手デビュー。
中里 重利(なかざと しげとし、1930年12月24日 - … 中里 重利(なかざと しげとし、1930年12月24日 - 2015年5月12日)は、佐賀県唐津市出身の陶芸家。父は12代中里太郎右衛門(無庵)。兄は13代中里太郎右衛門。 人間国宝認定の実父中里無庵に幼少時から師事し、父より引き継いだ古唐津の技術で無庵の片腕として窯を切り盛りした。 22歳のときに東京都の東京国立博物館で鑑賞した中国・宋時代の瓶に影響を受け、白生地のない唐津焼において重利が苦心の末に粉引技法を確立させるきっかけとなった。 また作陶の傍らに先人の唐津焼古窯跡を研究した成果が1973年(昭和48年)に開いた自身の窯「三玄窯」である。 作風は計算を重ねた精巧なフォルムであり、2001年のインタビューでは「ものすごく計算してある」「固定観念を捨て(中略)肩書きだけで選んではいけない」などと述べている。
岡崎 万寿秀(おかざき ますひで、1930年1月1日 - 2… 岡崎 万寿秀(おかざき ますひで、1930年1月1日 - 2024年12月21日)は、日本の政治家、俳人。元衆議院議員(日本共産党公認、2期)。日本共産党名誉幹部会顧問を経て、同党名誉役員。俳号は万寿(まんじゅ)。 佐賀県唐津市出身。1953年に中央大学法学部を卒業後、日本共産党の理論誌『前衛』の編集長を経て、1983年の第13回参議院議員通常選挙の比例代表から出馬し日本共産党の第7位に登載されたが落選。同年の第37回衆議院議員総選挙に榊利夫の後継として旧東京2区から出馬し初当選。以後1986年の第38回衆議院議員総選挙でも再選を果たすものの、第39回、第40回の各衆院選で次点に終わる。 2024年12月21日死去。
野崎 喩(のざき さとる 1929年 - 2009年)は、日… 野崎 喩(のざき さとる 1929年 - 2009年)は、日本の工業デザイナー。佐賀県唐津市出身。 旧制唐津中学(現・佐賀県立唐津東中学校・高等学校)から東京芸術大学に進学、卒業後、トヨタ自動車に入社。入社後、社内の若手デザイナーとともにアメリカ合衆国のアートセンター・カレッジ・オブ・デザインに留学する。帰国後、工業デザイナーとしてトヨタの自動車デザインを手がけた。その後、社内での配置転換をきっかけに、船、家、鉄道など、さまざまな分野で工業デザイナーとしての功績を残したといわれている。 代表作は、トヨタ・2000GT。この他にも、トヨタ・コロナ、トヨタ・カリーナのデザインを手がける。 佐賀県唐津市中通りにある畔水記念館は、義姉が生家でもある自宅の一部を改装し、喩が子どもの頃に描いた絵のほか、机やベッド、オルガンなどを展示している。
川添 昭二(かわぞえ しょうじ、1927年3月10日 - 2… 川添 昭二(かわぞえ しょうじ、1927年3月10日 - 2018年3月22日)は、日本の歴史学者、九州大学名誉教授。 佐賀県唐津市生まれ。1952年九州大学文学部史学科国史専攻卒業。1969年1月九州大学文学部助教授、1975年8月教授。1980年「九州探題の研究」で九大文学博士。1990年定年退官、名誉教授、福岡大学人文学部教授、1997年退任。叙従四位、瑞宝小綬章追贈。 中世の九州史を専攻する。禰寝氏(根占氏)研究の第一人者。元寇、日蓮についての著書も多い。
青木 光一(あおき こういち、1926年〈大正15年〉2月1… 青木 光一(あおき こういち、1926年〈大正15年〉2月17日 - )は、日本の歌手。日本歌手協会名誉会長。『柿の木坂の家』など、多くの大ヒットを飛ばし、人気アイドルとして昭和時代中期の日本歌謡界に君臨した。佐賀県唐津市出身。歌手の青木はるみは実妹。元妻は同じく歌手の永田とよ子(3代目天中軒雲月)。
古賀 義根(こが よしね、1925年1月1日 - 2014年… 古賀 義根(こが よしね、1925年1月1日 - 2014年9月23日)は、日本の技術者、実業家。東陶機器(現TOTO)社長や、日本セラミックス協会会長、九州・山口経済連合会(現九州経済連合会)副会長、北九州商工会議所会頭等を歴任した。正四位勲二等瑞宝章。藍綬褒章受章 佐賀県唐津市出身。1947年東京工業大学窯業学科卒業後、東陶機器(現TOTO)に入社し、衛生陶器の開発に従事。インドネシア進出担当役員等を経て、1987年からは社長を務め、アメリカ合衆国に子会社を設立するなど、国際化を進めた。1988年藍綬褒章受章。1992年に社長を退任し、同年から10年間北九州商工会議所会頭を務め、末吉興一市長とともに北九州都市圏の再興にあたった。
木塚 忠助(きづか ただすけ、1924年4月23日 - 19… 木塚 忠助(きづか ただすけ、1924年4月23日 - 1987年12月16日)は、佐賀県唐津市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。 昭和20年代を代表する遊撃手。1948年に南海に入団すると、長らく不動の一番・遊撃手を務め、ベストナイン遊撃手を7回獲得した。強肩・俊足でバカ肩、イダ天とも称された。通算盗塁数479個は歴代4位(引退当時はプロ野球最多記録)。 唐津中学(現・佐賀県立唐津東高校)出身。野球を始めたのは3年からと遅かったが、5年次には佐賀県大会で1試合16奪三振を記録する好投手となり、職業野球からも誘いを受けた。しかし警察官の父親の勧めで、鉄道省門司鉄道局に進む。 門鉄では三塁手を務め、俊足・強肩・強打の三拍子揃った活躍を見せた。
13代中里太郎右衛門(じゅうさんだい なかざと たろうえもん… 13代中里太郎右衛門(じゅうさんだい なかざと たろうえもん、1923年(大正12年)5月31日 - 2009年(平成21年)3月12日)は、陶芸家。位階は正五位。 日本芸術院会員。本名・中里忠夫。法号・中里逢庵。佐賀県唐津市出身。日本工匠会会長。国際陶芸アカデミー会員。 12代中里太郎右衛門(中里無庵)の長男であり、弟の中里重利、中里隆も陶芸家、自身の長男忠寛もまた14代中里太郎右衛門で伝統ある陶芸家の家系である。 進学に際しては後の作陶力向上のため絵画能力を重視した父無庵の意見により佐賀県立唐津中学校を経て美術学校である官立東京高等工芸学校工芸図案科に入学した経緯があった。 戦時中の1943年(昭和18年)には宮崎県の航空教育隊に入営、所属部隊が1945年5月に台湾の台北空港に展開、そのまま現地で終戦し1946年(昭和21年)まで台中で捕虜生活を経験した。
13代中里太郎右衛門(じゅうさんだい なかざと たろうえもん… 13代中里太郎右衛門(じゅうさんだい なかざと たろうえもん、1923年(大正12年)5月31日 - 2009年(平成21年)3月12日)は、陶芸家、日本藝術院会員。本名・中里忠夫。法号・中里逢庵。佐賀県唐津市生まれ。日本工匠会会長。国際陶芸アカデミー会員。
川原 英之(かわはら ひでゆき、1917年(大正6年)3月2… 川原 英之(かわはら ひでゆき、1917年(大正6年)3月21日 - 1966年(昭和41年)2月27日)は、日本の通産官僚。通商産業省大臣官房官房長。佐賀県唐津市出身。 城山三郎著『官僚たちの夏』の鮎川のモデル。合理的官僚像のモデルの片山(山下英明)と比較対照され、佐橋滋らの猛進型官僚のモデルの一人として描かれた。他に佐高信著『官僚たちの志と死』の「通産省の殉職者」の章にて、田辺俊彦と共に川原の死期が描かれている。
松浦潟 達也(まつらがた たつや、1915年5月27日 - … 松浦潟 達也(まつらがた たつや、1915年5月27日 - 1945年3月10日頃)は、佐賀県東松浦郡名古屋村馬渡島(現・唐津市鎮西町馬渡島)出身の大相撲力士。本名は牧山 強臣(まきやま つよみ)。 1930年1月場所に錦島部屋から初土俵を踏む。四股名は出身地の松浦潟(唐津湾)に由来する。1938年1月からは「大蛇潟(おろちがた)」の四股名で新入幕を果たすが、負け越して1場所で十両陥落となる。このままでは伸び悩むと判断したことから、四股名を「枩浦潟」に戻し、1940年1月場所で再入幕。このとき、独立した能代潟錦作と共に立田山部屋へ移籍した。 折しも時代は太平洋戦争へと突入し、若手の力士たちも次々に戦場へ召集されていったが、枩浦潟は大相撲に必要不可欠な存在として兵役を免除され、戦時中にあっても現役の力士として活躍を続けた。
平戸灘 常吉(ひらとなだ つねきち、1911年2月24日 -… 平戸灘 常吉(ひらとなだ つねきち、1911年2月24日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。山分部屋所属。本名は松本 政雄。最高位は十両6枚目。 佐賀県東松浦郡鎮西町(現唐津市)出身。山分部屋に入門し、1930年10月「白鷺」の四股名で初土俵を踏む。1937年5月十両に昇進。十両の中位から下位にとどまった。1941年5月に「平戸灘」と改名したが、翌1942年1月全休し、そのまま廃業した。
秋 玲二(あき れいじ、1910年(明治43年)11月1日 … 秋 玲二(あき れいじ、1910年(明治43年)11月1日 - 2006年(平成18年)2月24日)は、日本の漫画家、画家。佐賀県唐津市出身。本名古川 善男(ふるかわ よしお)。 生涯、数多くの学習漫画を手がけた。主な作品に『よっちゃんの勉強漫画』『クラブくんの冒険』など。日本漫画家協会名誉会員。また、石川滋彦の弟子として洋画家としても知られる。 1910年、佐賀県唐津市にて生誕。 1930年、東京市教員講習所養成科を卒業し、1946年まで東京の小学校の教員を務めていた。 1933年頃から漫画を描き始め、1939年4月から『東日小学生新聞』にて『よっちゃんの勉強漫画』の連載を開始し2000年に終了するまで60年以上連載されていた。
笹本 寅(ささもと とら、1902年5月25日 - 1976… 笹本 寅(ささもと とら、1902年5月25日 - 1976年11月20日)は、日本の作家。 佐賀県唐津市生まれ。唐津中学中退後、1921年荏原中学を卒業し、1924年頃、東洋大学中退。唐津日日新聞社を経て、1925年に春秋社に入社、中里介山『大菩薩峠』の刊行(角川文庫版の巻末解説も担当)や、八住利雄を担当する。1931年、時事新報社入社、文芸部・社会部に在籍した後1934年退社、文芸主任だった。1936年、週刊朝日に「海舟と按摩」を発表し作家デビュー。1939年、海音寺潮五郎らと同人誌『文学建設』を創刊し、1941年「会津士魂」で第1回野間文芸奨励賞を受賞する。戦後は中里介山についての書籍を出版するなどした。
常安 弘通(つねやす ひろみち、1902年2月28日 - 1… 常安 弘通(つねやす ひろみち、1902年2月28日 - 1988年10月3日)は、日本のジャーナリスト、新聞編集者、郷土史家。 佐賀県唐津市出身。1923年3月福岡県立中学修猷館を経て、1929年3月早稲田大学文学部哲学科を卒業。 1929年4月朝日新聞社大阪本社に入社。1936年3月中華民国北平(北京)特派員となる。1937年7月7日勃発した盧溝橋事件において、事前にその情報を掴み、現場に一番乗りして取材し、7月9日の朝日新聞朝刊の一面を飾るスクープをものにした。1939年10月西部本社編集局東亜課、1941年東京本社を経て、1942年3月中華民国済南支局長兼青島支局長、1944年9月奉天支局長を歴任するが、ここで終戦を迎え、抑留された後、1946年7月帰国。
青木 大吉(あおき だいきち、1896年(明治29年)7月2… 青木 大吉(あおき だいきち、1896年(明治29年)7月2日 - 1994年(平成6年)1月12日)は、日本の公認会計士、税理士。大日本帝国海軍の軍人(最終階級は主計大佐)で、第二次世界大戦後は民間の会計士となり、東京虎ノ門、福岡(「第一公認会計士事務所」)、佐世保に事務所を開く。等松農夫蔵と現在のデロイト トウシュ トーマツの日本のもととなる監査法人事務所を創立した。日本の原価計算の祖と呼ばれる。[要出典]
森 歓之助(もり かんのすけ、1894年 - 1960年)は… 森 歓之助(もり かんのすけ、1894年 - 1960年)は、日本の造園家、作庭家、造園教育者。 造園指導者として人材育成にあたる傍ら、多くの造園作品を残す。大別して住宅庭園や公園緑地(遊園地等)庭園、学校庭園等が多いが、設計のほか施工監督指導等になるものも含めると作品数は多数に及ぶ。 佐賀県唐津市生まれ。 1914年(大正3年)、千葉県立園芸専門学校(現・千葉大学園芸学部)卒業ののち、一時、当時宮内省出入の植木師として名のあった東京府下戸塚の小川重次郎方に徒弟として造園実務にたずさわった。1915年、恩師本郷高徳の推挙で大阪府吏員となり、大屋霊城と共に府営住吉公園改良工事に従事することとなる。
樋口 敬七郎(ひぐち けいしちろう、1893年(明治26年)… 樋口 敬七郎(ひぐち けいしちろう、1893年(明治26年)11月22日 - 1971年(昭和46年)12月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 佐賀県唐津市出身。1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校(27期)を卒業。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官。1927年(昭和2年)12月、陸軍大学校(39期)を卒業した。 1931年(昭和6年)8月、陸士教官から関東軍独立守備隊参謀に転出、翌月、満州事変が勃発した。1934年(昭和9年)8月、陸大教官に発令された。1938年(昭和13年)7月、歩兵大佐に昇進。1939年(昭和14年)11月、第3師団参謀長に就任し日中戦争に出征。南支那方面軍参謀副長を経て、第23軍参謀副長となり、1941年(昭和16年)10月、陸軍少将に進級し太平洋戦争を迎えた。
井口 良香(いぐち よしか、1887年(明治20年)7月1日… 井口 良香(いぐち よしか、1887年(明治20年)7月1日 - 没年不明)は、日本の実業家。蛟河商工公会理事。満州国協和会蛟河県(旧・額穆県)本部委員。 族籍は佐賀県士族。弟は日東製粉元社長の井口良二。衆議院議員で第27代自由民主党総裁かつ第100代内閣総理大臣岸田文雄の母方の大伯父。 佐賀県唐津市大字唐津出身。佐賀県士族・井口兆之助の長男として生まれる。 1906年(明治39年)下関商業学校を卒業後、特産貿易商・岩城商会に入社。その後、唐津・上海・芝罘・青島・大連各支店を歴任。1919年(大正8年)(または1920年(大正9年)とも)、同商会の合資会社への改組とともに代表社員に就任。 1934年(昭和9年)独立創業。
張 二男松(ちょう におまつ、1865年(慶応元年)2月23… 張 二男松(ちょう におまつ、1865年(慶応元年)2月23日 - 1952年(昭和27年))は、日本の教育家。佐賀県師範学校及び長崎県女子師範学校元校長。元トヨタ自動車株式会社名誉会長・張富士夫の祖父。従五位勲五等。族籍は佐賀県士族。 唐津町出身。長崎県師範学校中等師範科卒業。卒業後、同校教諭、諫早中学、小城中学教諭を経て、1884年(明治17年)7月佐賀中学兼佐賀県師範学校教諭に就任。 1886年(明治19年)、教育令改正と共に師範学校教諭となり、1918年(大正7年)に長崎県女子師範学校、1921年(大正10年)に佐賀県師範学校校長となる。 1927年(昭和2年)5月、退職。
中江 豊造(なかえ とよぞう、1861年(文久元年2月)- … 中江 豊造(なかえ とよぞう、1861年(文久元年2月)- 1942年(昭和17年)3月4日)は、明治期の教育者、政治家。衆議院議員。 肥前国松浦郡、のちの佐賀県東松浦郡相知村(相知町を経て現唐津市相知町)で生まれる。1878年(明治11年)佐賀県師範学校速成科を卒業した。 長崎県地租改正御用掛、小学校訓導、小学校長を歴任。佐賀県会議員に選出され、同常置委員を務めた。 1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙で佐賀県第2区から自由党所属で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
岡田 時太郎(おかだ ときたろう、1859年9月13日(安政… 岡田 時太郎(おかだ ときたろう、1859年9月13日(安政6年8月17日) - 1926年(大正15年)6月5日)は、日本の建築家。同郷でもある辰野金吾の門下生で、茨城県牛久市にあるシャトーカミヤや、長野県軽井沢町の旧三笠ホテル(いずれも国の重要文化財)の設計を手がけた。 唐津藩下に、辰野金吾生家のすぐ近くで生まれ育つ。1872年(明治5年)、唐津藩が設置した英語学校である耐恒寮に入学し、3年間英語を学ぶ。 1875年12月に大阪の英学校へ進学、翌1876年3月に造幣寮附属日進学校に入学した。日進学校では4年英語を勉強する。在学中の1876年5月に造幣寮に入官し、文書課詰となる。1877年10月に造幣局(この年1月11日に造幣寮より改称)貯蔵掛に移る。
長谷川 芳之助(はせがわ よしのすけ、1856年1月22日(… 長谷川 芳之助(はせがわ よしのすけ、1856年1月22日(安政2年12月15日)- 1912年(大正元年)8月12日)は、明治期の鉱山学者、実業家、政治家。衆議院議員、工学博士。 日本で初めて工学博士となった5人のうちの1人。他に古市公威、松本荘一郎、志田林三郎、原口要がいる。 肥前国松浦郡唐津城下(佐賀県東松浦郡唐津町を経て現唐津市)で、唐津藩士・長谷川久徴の長男として生まれた。長谷川家は代々同藩数学師範を務め、父は剣術にも優れていた。8歳で藩校に入り漢学を修めた。また父から数学を、佐藤与造から蘭学を学ぶ。父の大坂在勤に従い、1868年(明治元年)長崎通詞何礼之から英学を学び、大阪開成所(のち大阪英語学校)で英語を教えた。
辰野 金吾 (たつの きんご、1854年10月13日〈嘉永7… 辰野 金吾 (たつの きんご、1854年10月13日〈嘉永7年8月22日〉- 1919年3月25日) は、日本の建築家である。
長谷川 敬一郎(はせがわ けいいちろう、1845年7月14日… 長谷川 敬一郎(はせがわ けいいちろう、1845年7月14日(弘化2年6月10日)- 1918年(大正7年)9月28日)は、幕末から大正期の村役人、農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員(1期)、佐賀県会議長。 肥前国松浦郡久里村(佐賀県東松浦郡久里村大字久里を経て現唐津市久里)で、大庄屋・長谷川正平の長男として生まれる。15歳で平野組庄屋を務め、その後、久里村大庄屋となった。 1881年(明治14年)長崎県会議員に選出され、1883年(明治16年)5月に佐賀県が分離成立すると佐賀県会議員となり、県会議員に34年間在任し、同常置委員、同参事会員、同議長、東松浦郡町村組合議長なども務めた。 1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙で佐賀県第2区から自由党所属で立候補したが次点で落選。
中原 鄧州(なかはら とうしゅう、1839年5月15日〈天保… 中原 鄧州(なかはら とうしゅう、1839年5月15日〈天保10年4月3日〉 - 1925年〈大正14年〉2月12日)は、明治時代から大正時代にかけて活動した臨済宗の僧侶で、諱は全忠(ぜんちゅう)、別号として白崖窟(はっけいくつ)を持つが、広く南天棒(なんてんぼう)の異名で知られる。竹篦(警策)として常に南天の棒を携え、全国の禅道場を巡っては修行者を容赦なく殴打した明治時代屈指の豪僧として知られる。在家者への教導にも力を注ぎ、山岡鉄舟、乃木希典、児玉源太郎などが彼の影響を受けた。 天保10年4月3日、肥前国東松浦郡十人町(現在の佐賀県唐津市十人町)にて、唐津藩士塩田壽兵衛惟和と、同藩牧山氏の二女多喜子との子として生まれる。
前田 長禮(まえだ ながひろ、文政13年7月28日(1830… 前田 長禮(まえだ ながひろ、文政13年7月28日(1830年9月14日) - 1903年(明治36年)4月2日)は、江戸幕府の高家旗本で表高家。高家前田家の8代当主。高家役前田長徳の婿養子。通称は愿十郎。 文政13年7月28日(1830年9月14日)、肥前国唐津城内(現・佐賀県唐津市)で生まれる。幼名は鑑之助。実父は旗本御小性組小笠原頼母とされるが、内実は唐津藩主・小笠原長泰の三男。母は家女。 嘉永5年11月25日(1853年1月4日)、実子がなかった前田主馬長徳の婿養子となる。嘉永6年2月(1853年3月)、13代将軍徳川家慶に御目見し、表高家柳之間詰となる。慶応元年12月24日(1866年2月9日)、養父の家督を相続。
江口 美智子(えぐち・みちこ、5月4日生まれ)は、佐賀県で活… 江口 美智子(えぐち・みちこ、5月4日生まれ)は、佐賀県で活動しているローカルタレント、ラジオパーソナリティ。
田代 まさし は、日本の元歌手、元タレント、元コメディアン、… 田代 まさし は、日本の元歌手、元タレント、元コメディアン、元司会者、元映画監督、元作詞家、YouTuber。シャネルズ→ラッツ&スターのメンバー。東京都杉並区在住。愛称は、マーシー。
鷲尾 伶菜 は、日本の歌手。Flower、E-girlsの元… 鷲尾 伶菜 は、日本の歌手。Flower、E-girlsの元メンバー。佐賀県唐津市出身。身長160cm。血液型O型。