岩田 智輝(いわた ともき、1997年4月7日 - )は、大… 岩田 智輝(いわた ともき、1997年4月7日 - )は、大分県宇佐市出身のプロサッカー選手。EFLチャンピオンシップ・バーミンガム・シティFC所属。ポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。元日本代表。マネジメント会社はジェブエンターテイメント。 2022年のJ1リーグ最優秀選手賞(MVP)受賞者。 兄の影響で3歳の時にサッカーを始め、四日市南SSCを経て大分トリニータU-15宇佐、U-18でプレー。U-18では1年次はセンターバック、2年次はサイドとフォワード、3年次はボランチと、U-15時代も含めGK以外のすべてのポジションでプレーを経験した。2015年にはトップチームに2種登録選手として選手登録された。
松原 健(まつばら けん、1993年2月16日 - )は、大… 松原 健(まつばら けん、1993年2月16日 - )は、大分県宇佐市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・横浜F・マリノス所属。ポジションはディフェンダー(右サイドバック、センターバック)。元日本代表。既婚。 中学進学時に大分トリニータU-15のセレクションを受け不合格となったが、高校進学時に再びセレクションに参加し合格。2008年に大分U-18に入団した。1年次の夏過ぎにそれまではフォワードやボランチでプレーをしていたが、当時監督の皇甫官に、運動量の多さを買われて右サイドバックに転向した。大分U-18では緊張感のある中で練習し、重圧に圧し潰されそうになった事で初めてサッカーの練習が嫌いになったという。
藤澤 拓斗(ふじさわ たくと、1990年5月27日 - )は… 藤澤 拓斗(ふじさわ たくと、1990年5月27日 - )は、大分県宇佐市出身の元プロ野球選手、野球指導者(内野手)。右投左打。 柳ヶ浦高等学校時代には投手兼三塁手としてプレー。しかし、春夏ともに甲子園での全国大会出場はならなかった。 高校卒業後に西濃運輸へ入社すると、3年目の2011年に第81回都市対抗野球大会へ出場。5年目の2013年にも東邦ガスの補強選手として、第83回都市対抗野球大会へ出場した。 2013年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから6巡目指名を受け、契約金3000万円、年俸1000万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は46。中日から指名された直後には、西濃運輸の選手として第39回社会人野球日本選手権大会へ出場している。
西川 周作(にしかわ しゅうさく、1986年6月18日 - … 西川 周作(にしかわ しゅうさく、1986年6月18日 - )は、大分県宇佐市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・浦和レッズ所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。元日本代表。既婚。 J1リーグ歴代通算出場試合数ランキング2位。 小学校3年生時にサッカーを始め、4年生時に練習試合で当時所属した少年団の正ゴールキーパーが欠場した際、監督に代わりとして指名されたことをきっかけにゴールキーパーでのプレーを始めた。中学卒業時まで出身地の宇佐市で過ごし、高校進学時に当時の大分トリニータU-18の監督であった皇甫官と同GKコーチであった吉坂圭介に誘われ、大分U-18に入団。練習場(大分スポーツクラブ)のある大分市は宇佐市からは距離があるため、大分市内にある大分東明高等学校に進学し寮生活を送った。
久保 健二(くぼ けんじ、1986年4月27日 - )は、大… 久保 健二(くぼ けんじ、1986年4月27日 - )は、大分県宇佐市出身のフットサル選手。Fリーグ・ポルセイド浜田所属。ポジションはアラ フィクソ。 Fリーグディビジョン2初年度の2018-19シーズン途中に中国の上海徐房足球倶楽部より移籍。 2021-22シーズン入団の浅賀夏樹とは、柏TOR‘82時代の友人を介して加入以前より面識があった。
江口 啓二(えぐち けいじ、1980年12月27日 - )は… 江口 啓二(えぐち けいじ、1980年12月27日 - )は、日本のプロボクサー。大分県宇佐市出身。元日本ミドル級王者。姫路木下ボクシングジム所属。大分県立宇佐産業科学高等学校卒業。 高校では相撲部に所属しインターハイ十和田大会ベスト8や全国高等学校相撲選手権大会団体戦3位になるなどの実績を残した。 2003年2月23日、相撲時代の体重から40kg程減量しミドル級でのプロデビュー戦に1RKO勝利を収めた。 2003年12月21日、4連勝で全日本ミドル級新人王決定戦に西軍代表として出場も東軍代表清田祐三(フラッシュ赤羽)に6R判定で敗れ初の黒星を喫すると同時に、敗退。 2006年12月2日、保住直孝(ヨネクラ)ら強豪を含め10連勝で、日本ミドル級チャンピオン板垣俊彦(木更津グリーンベイ)に挑戦。
村上 鞆彦(むらかみ ともひこ、1979年8月2日 - )は… 村上 鞆彦(むらかみ ともひこ、1979年8月2日 - )は、日本の俳人。大分県宇佐市出身、東京葛飾区在住。本名・勝彦。 1998年、「南風」に入会、鷲谷七菜子、山上樹実雄に師事。また早稲田大学俳句研究会に所属。後輩に高柳克弘がいた。2002年、同大学第一文学部卒業。2006年、南風賞受賞。2009年、若手アンソロジー『新撰21』入集。2011年、「南風」編集長。2014年、代表山上樹実雄の逝去にともない、津川絵理子とともに「南風」主宰に就任(兼編集長)。2015年、第一句集『遅日の岸』(ふらんす堂)を刊行し、第39回俳人協会新人賞受賞。代表的な句に「団栗の青きが握り拳の芯」「花の上に押し寄せてゐる夜空かな」「枯蟷螂人間をなつかしく見る」などがあり、洗練された叙情的な句風。
垣添 徹(かきぞえ とおる、1978年8月12日 - )は、… 垣添 徹(かきぞえ とおる、1978年8月12日 - )は、大分県宇佐市出身で藤島部屋(入門時は武蔵川部屋)に所属した元大相撲力士。本名同じ。愛称はトオル、カッキー。身長177cm、体重139kg、血液型はA型。最高位は東小結(2004年3月場所)。得意手は突き、押し。現在は年寄・雷。趣味は音楽鑑賞とサウナ入浴。 小学校時代にはわんぱく相撲全国大会に出場し、中学時代には全国中学校相撲選手権大会で優勝して中学生横綱となり、地元ではその強さが知れ渡っていた。中学時代には相撲部でありながら陸上競技の地区大会にも出場して活躍し、100メートル走で優勝している。また、大分の同郷である横綱・双葉山の生涯がNHKにてドラマ化された際には、少年時代の垣添が少年時代の双葉山役として出演を果たしている。
まなてぃ(1976年8月20日 - )は、日本の女性ピン芸人… まなてぃ(1976年8月20日 - )は、日本の女性ピン芸人である。大分県宇佐市出身。ソーレアリア所属。 山口県立大学卒業後、カナダのモントリオールに語学留学しており、帰国後は東京でNTTドコモ料金事務センターに勤めていた。 英検2級の資格を持っている。そして語学留学していた経験もあって、英語は流暢に話せる。その英語能力はスカンジナビア航空主催のイベントでの通訳、BS放送のある子供向け英語教室番組などで活用された。 まだお笑い芸人になる前で、東京に上京したての頃は友達がおらず、どうしても人と話したくて井の頭公園で本名の「次田愛」で握手会を開催したところ、2時間で20人集まった経験を持つ。 芸人になったきっかけは、バンドもやってるある芸人と知り合い、その芸人に勧められてお笑いオーディションに出場し物真似をやったところ、合格したことだった。
早瀨 久美(早瀬 久美、はやせ くみ、1975年〈昭和50年… 早瀨 久美(早瀬 久美、はやせ くみ、1975年〈昭和50年〉4月25日 - )は、日本の薬剤師である。教育者で映像作家の早瀨憲太郎は配偶者で、両者とも聴覚障害者(ろう者)である。聴覚障害者として日本で初めて薬剤師免許を取得した。デフリンピック2大会連続の銅メダリストでもある。戸籍上の正式な姓表記は早瀨だが「瀨」は機種依存文字で、早瀬表記も多く用いられる。旧姓は後藤。大分県宇佐市出身で、明治薬科大学を卒業した。 母の実家のある大分県宇佐市内で誕生し、もとの住居である岡山県倉敷市で育ち、先天性難聴が発覚した。聾学校幼稚部で発音の仕方を学び、小学校から高等学校まで千葉県の普通学校へ通学した。母親は薬剤師で、自らも薬剤師を志して大学で薬学を要約筆記を用いて学んだ。
広崎 哲也(ひろさき てつや、1971年1月2日 - )は、… 広崎 哲也(ひろさき てつや、1971年1月2日 - )は、映画監督、大分県出身。明治大学入学後映研で自主映画を撮り始める。96年「BLUE HEARTS」がぴあフィルムフェスティバルに入選。『ねじ式』(98・石井輝男)に助監督および出演。現在さまざまな映像の助監督のかたわら新宿ゴールデン街"BLUE DRAGON"にて上映回数100回を越えるインディーズ上映会「BLUE DRAGON MOVIE NIGHT」を主宰。
十一代目 桂 文治(かつら ぶんじ、1967年8月25日 -… 十一代目 桂 文治(かつら ぶんじ、1967年8月25日 - )は、落語家。東西に存在する桂派の宗家の名跡「桂文治」の当代。落語芸術協会理事。出囃子は『武蔵名物』。大分県立四日市高等学校卒業。静岡文化芸術大学非常勤講師、京都芸術大学客員教授。
山下 和彦(やました かずひこ、1962年11月29日 - … 山下 和彦(やました かずひこ、1962年11月29日 - )は、大分県宇佐市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。現在は横浜DeNAベイスターズ二軍バッテリーコーチ。
末弘 喜久(すえひろ よしひさ、1956年6月28日 - )… 末弘 喜久(すえひろ よしひさ、1956年6月28日 - )は、日本の小説家。大分県宇佐市出身。 2000年、「塔」で第24回すばる文学賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
大慈彌 功(おおじみ いさお、1956年5月4日 - )は、… 大慈彌 功(おおじみ いさお、1956年5月4日 - )は、大分県宇佐市出身の元プロ野球選手(捕手)。現在は、セントルイス・カージナルスの日本駐在スカウト。 中津南高から、1975年オフにドラフト外で太平洋クラブライオンズにテスト入団した。 一軍での公式戦出場がないまま、1979年限りで現役を引退した。 現役引退後は、帰郷し地元企業に勤務した。その際に、縁あって渡英し英語力を身につける。その後、福岡ダイエーホークスのフロント、通訳、千葉ロッテマリーンズの通訳(1995年、来日当初のボビー・バレンタイン監督の通訳)を歴任。 1997年、ニューヨーク・メッツに環太平洋地域担当スカウトとして入団。新庄剛志や吉井理人といった日本プロ野球界で活躍する選手を多数獲得するなど実績を上げ、環太平洋担当部長などを歴任。
岩井 隆之(いわい たかゆき、1953年5月30日 - )は… 岩井 隆之(いわい たかゆき、1953年5月30日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手。現在は北海道日本ハムファイターズのファーム内野守備コーチ。本名・岩井靖久。
生田 真人(いくた まさと、1952年5月30日 - )は、… 生田 真人(いくた まさと、1952年5月30日 - )は、日本の地理学者。立命館大学名誉教授。専門は経済地理学。日本と東南アジアの大都市の産業立地問題や都市政策、あるいは都市生活者について研究する。 大分県宇佐市生まれ[要出典]。 1976年に鹿児島大学法文学部を卒業して、大阪市立大学大学院文学研究科博士課程前期博士課程に入学した。 1980年に博士課程後期博士課程を中途退学して、東京都立大学理学部助手となった。 1985年に大阪市立大学経済研究所講師に転じ、1988年に助教授に昇任、大学院経営学研究科も併任した。 1992年から1993年にかけて、マレーシアのマラヤ大学に客員研究員として、発展途上国社会の実情に接した。
吉用 清(よしもち きよし、1948年〈昭和23年〉 - 2… 吉用 清(よしもち きよし、1948年〈昭和23年〉 - 2020年〈令和2年〉1月4日)は、日本の剣術家。兵法二天一流第12代宗家。居合道教士七段。剣道四段。 1948年、大分県宇佐市出身。父は第8代宗家・青木規矩男の高弟、五所元治(英語版)。幼少時から関口流居合道、剣道を学び、高校時代から二天一流の修行を始める。その後、県外で就職したが三十代に帰郷し、地元の貴金属会社に務めながら、平成6年(1994年)に関口流、平成10年(1998年)に二天一流の免許皆伝をした。 第11代宗家・清長文哉が平成16年に次代を指名しないまま急逝したので、親族門人たちによる協議の結果、三周忌にあたる平成19年(2007年)に第12代宗家に推挙された。
山口 喜司(やまぐち よしじ、1946年1月17日-)は、大… 山口 喜司(やまぐち よしじ、1946年1月17日-)は、大分県宇佐市江須賀出身の元プロ野球選手(投手・外野手)。左投げ左打ちであった。 大分県立中津東高等学校から大分鉄道管理局と陸上自衛隊西部を経て、1968年のドラフト3位で広島東洋カープに入団。投手経験は自衛隊入隊ごろからで、一年と浅かったが、柔かい手首を利してのスピードボールはすでにスカウト間で高い評価をしていた。自衛隊からのプロ入りは小平誠司につぎ二人目で、山口はその小平と短期間ではあるがバッテリーを組んだこともある。武器はストレートとシュート。プロ入り後、野手に転向した。一軍戦には1試合に代打で出場、1打席凡退の成績しか残せず、3年で引退した。
三浦 信由(みうら のぶよし、1944年5月11日 - )は… 三浦 信由(みうら のぶよし、1944年5月11日 - )は、日本の陸上競技(中距離走)選手。旧姓:松田。 大分県宇佐郡院内村景平(現在の宇佐市院内町景平)出身。陸上競技を行っていた3歳上の兄に刺激され、小学校5年生の時に陸上競技を始める。院内町立竜東中学校3年生のとき、全国中学校放送陸上競技大会に出場し3000m競走で優勝、大分県中学校駅伝会では宇佐郡チームの優勝に貢献。駅伝の強豪であった大分県立四日市農業高等学校(現在の大分県立宇佐産業科学高等学校)に進学し、1962年(昭和37年)には全国高等学校駅伝競走大会に大分県代表として出場した。 大分県陸上競技協会理事長であった池中康雄(東洋大学出身)の勧めで東洋大学に入学。
月 竜香(つき りゅうか、1944年 - 1948年の間の4… 月 竜香(つき りゅうか、1944年 - 1948年の間の4月5日 - )は、日本の占い師、ラジオパーソナリティ。愛知県名古屋市千種区在住。 この項目は、占いに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています。 この項目は、芸能人一般(俳優/女優・歌手・お笑い芸人・アナウンサー以外のタレントなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:芸能人)。
豊ノ海 義美(とよのうみ よしみ、1939年3月28日 - … 豊ノ海 義美(とよのうみ よしみ、1939年3月28日 - )は、大分県宇佐郡長洲町(現役当時、現・同県宇佐市)出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は西尾 義美(にしお よしみ)。最高位は西前頭18枚目(1958年11月場所)。現役時代の体格は178cm、83kg。得意手は左四つ、寄り、内掛け、切り返しなど。 地元の中学校を卒業後上京し、同郷の元横綱・双葉山が率いる時津風部屋へ入門。1954年5月場所で初土俵を踏んだ。 同場所では番付外と新序でともに好成績を挙げたため、同年9月場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。なお、当初より四股名は、「豊ノ海」であった(由来は、大分県北部と福岡県東部地域の旧称「豊前」と「瀬戸内海」から)。
西 太一郎(にし たいちろう、1938年3月13日 - 20… 西 太一郎(にし たいちろう、1938年3月13日 - 2022年1月19日)は、日本の経営者。三和酒類社長を務めた。大分県宇佐市出身。 1960年に東京農業大学農学部を卒業し、同年に三和酒類に入社。1972年に代表取締役、1978年に専務を経て、1989年には社長に就任。1997年に会長に就任し、2009年に名誉会長を経て、2018年には相談役に就任。 2022年1月19日肺炎のために死去。83歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
芝原 拓自(しばはら たくじ、1935年1月10日 - 20… 芝原 拓自(しばはら たくじ、1935年1月10日 - 2024年1月11日)は、日本の歴史学者、大阪大学名誉教授。 大分県宇佐市出身。1958年京都大学文学部国史学科卒。1963年同大学院博士課程満期退学、1968年「明治維新の権力基盤」で京大文学博士。日本福祉大学講師、1969年名古屋市立大学助教授、1973年教授、1989年大阪大学文学部教授。1999年定年退官、名誉教授、岐阜聖徳学園大学教授。 1982年「日本近代化の世界史的位置」で日経・経済図書文化賞受賞。世界史の視点で明治維新、日本の近代化を研究した。 2024年1月11日、老衰のため死去。89歳没。
時枝 正昭(ときえだ まさあき、1934年〈昭和9年〉10月… 時枝 正昭(ときえだ まさあき、1934年〈昭和9年〉10月30日 - 2016年〈平成28年〉11月29日)は、日本の政治家、内科医。医学博士、大分県宇佐市長(3期)。 大分県宇佐市出身。1959年、九州大学医学部卒業。1967年「飲泉の胆汁分泌におよぼす影響に関する研究」により九州大学から医学博士号を授与された。九州大学温泉治療学研究所講師を務めた。1970年、地元で内科医院を開業する。2000年宇佐市長選挙に立候補し、初当選する。2004年には無投票で再選。翌2005年宇佐市は宇佐郡院内町と安心院町と合併し、新たな宇佐市が発足。合併後の市長選挙に立候補し、無投票で当選した。合併後の宇佐市長を2009年まで1期務めた。
久保 徳雄(くぼ とくお、1933年11月17日 - )は、… 久保 徳雄(くぼ とくお、1933年11月17日 - )は、日本の経営者。東京エレクトロンの共同創業者。 大分県宇佐市出身。1956年に大分大学経済学部を卒業し、同年に日商に入社。 1963年に東京放送(TBS)の出資を得て、小高敏夫氏らと東京エレクトロン研究所を創業。1964年に取締役に就任し、1965年に常務を経て、1974年に社長に就任。1980年12月に会長に就任し、1984年12月に相談役に就任。1986年10月に再び会長に就任し、1990年12月に取締役相談役を経て、1996年6月には相談役に就任。 1991年4月に藍綬褒章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
古田 徳昌(ふるた のりまさ、1928年3月27日 - 20… 古田 徳昌(ふるた のりまさ、1928年3月27日 - 2019年9月9日)は、日本の通商産業官僚。通商産業省貿易局長を最後に退官後、電源開発理事等を経て、マツダ第7代社長に就任。 大分県宇佐市出身。実兄は珉珉創業者であり日本画家の古田安夫。中津商業学校(現大分県立中津東高等学校)、大分経済専門学校(現大分大学経済学部)を経て、東京大学経済学部卒業。 1952年(昭和27年)、通商産業省入省。同期には杉山和男(通産省事務次官)、並木信義(名古屋市大教授)、小松国男(通産審議官)、小島英敏(経企次官)、谷村昭一(経企次官、日商専務理事)、服部典徳(工業技術院総務部長)、倉部行雄(防衛庁装備局長)、平林勉(官房審議官)などがいる。
玉ノ川 正行(たまのかわ まさゆき、1924年3月6日 - … 玉ノ川 正行(たまのかわ まさゆき、1924年3月6日 - 没年不明)は、二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は恵良 正行(えら まさゆき)。現在の大分県宇佐市出身。176cm、92kg。最高位は西十両7枚目。得意技は右四つ、押し。 1943年5月場所に初土俵。1950年5月場所に十両昇進。自己最高位まで番付を上げた1951年1月場所は初日から休場し、この場所限りで廃業した。廃業後はプロレスラーに転向した。
宇佐ノ山 英策(うさのやま えいさく、1921年1月11日 … 宇佐ノ山 英策(うさのやま えいさく、1921年1月11日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。立浪部屋→双葉山道場→時津風部屋所属。本名は永松 英策。最高位は十両9枚目。 大分県宇佐郡四日市町(現宇佐市)出身。立浪部屋に入門し、1938年5月本名の「永松」で初土俵を踏む。同郷で部屋の横綱双葉山が独立し、双葉山道場(のち時津風部屋)を興すと移籍した。1943年5月で十両に昇進したが、一度も勝ち越すことなく最後の十両だった1947年5月で廃業した。
甲斐 文融(かい ぶんゆう、号 : 古璋、大正9年(1920… 甲斐 文融(かい ぶんゆう、号 : 古璋、大正9年(1920年)3月15日 - 1997年12月26日)は、日本の画家、曹洞宗の僧侶(大分県中津市崇禅寺の13世住職)。白日会会員で油彩、日本画、彫刻をよくした。 大正9年、大分県宇佐市清水の清水寺に生まれる。地方画家であった祖父、叔父の絵画を見、また兄の作画する姿に接し、幼少時より絵画に憧憬を抱く。その後、兄から自分の果たせなかった夢を託され、東京美術学校(現東京芸術大学)図画師範科に進学し、小林萬吾、南薫造、伊原宇三郎、石橋犀水、川﨑小虎、矢澤弦月、関野聖雲に学び、1941年に卒業した。 1948年の創元展に「渓流」が初入選。1951年には「石彿」により受賞。
熊埜御堂 英二(くまのみどう えいじ、1918年4月26日 … 熊埜御堂 英二(くまのみどう えいじ、1918年4月26日 - 2011年4月4日)は、日本の経営者。三和酒類社長を務めた。大分県宇佐市出身。 1944年に早稲田大学理工学部電気工学科を卒業し、1947年に特別調達庁福岡支局に入庁。1949年に家業の酒造業を引き継ぎ、1958年に三和酒類を創立し、社長に就任。1978年に会長に就任し、1989年に名誉会長を経て、1999年には相談役に就任。 2011年4月4日心筋梗塞のために死去。92歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
豊錦 規矩雄(とよにしき きくお、1912年10月4日 - … 豊錦 規矩雄(とよにしき きくお、1912年10月4日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。井筒部屋→九重部屋→朝日山部屋所属。本名は上田 菊男(うえだ きくお)。最高位は東十両8枚目。得意技は突っ張り、右四つ、寄り。 大分県宇佐市出身。井筒部屋に入門し、1927年1月場所に初土俵を踏む。その後、同郷の大関・豊國福馬が独立した際に九重部屋に移籍した(その後朝日山部屋に移籍)。1934年1月場所に十両に昇進したが、2場所続けて負け越し、幕下に陥落。「祝洋」に改名後の1937年1月場所に廃業した。
双葉山 定次(ふたばやま さだじ、1912年2月9日 - 1… 双葉山 定次(ふたばやま さだじ、1912年2月9日 - 1968年12月16日)は、大分県宇佐郡天津村布津部(現:大分県宇佐市下庄)出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。第35代横綱。位階は従四位。本名は龝吉 定次(あきよし さだじ)。 現在も破られていない69連勝の大相撲記録を樹立し、太平洋戦争前の日本で国民的人気を得た。横綱在任時代に双葉山相撲道場を創立して指導者(親方)となり後進力士を育て時津風一門を形成、日本相撲協会理事長として運営の改善にも取り組んだ。 1912年2月9日に大分県宇佐郡天津村布津部(現:大分県宇佐市下庄)で生まれる。5歳の時に吹き矢が自身の右目に直撃して負傷し、右目が半失明状態になった。
祝 宮静(ほうり みやしず、1905年12月24日 - 19… 祝 宮静(ほうり みやしず、1905年12月24日 - 1979年4月20日)は、日本の民俗学者。 大分県宇佐市出身。京都の下鴨神社の宮司の長男として誕生する。父は子爵園池家からの養子、母方の家は大分県杵築の社家であった。1928年國學院大學卒業。その後、國學院大學助手、講師などを勤め、1933年より渋沢敬三のアチック・ミューゼアムで水産史関係資料を研究する。東京農業大学教授を1947年に辞職し郷里に帰る。[要出典]文化財保護委員会事務局から民俗資料の保護の担当者の人選を求められた渋沢の推薦により、1952年に文化財保護委員会事務局記念物課民俗資料係長、のち主任文化財調査官となり、1967年まで勤める。
都留 勝利(つる かつとし、1904年12月3日 - 197… 都留 勝利(つる かつとし、1904年12月3日 - 1976年2月15日)は、日本の経営者。大分県宇佐市出身。 1930年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に東京ガスに入社。関東タール製品社長、東京コークス社長を経て、1954年2月に取締役に就任し、1967年11月に副社長を経て、1972年8月に社長に就任。日本経営者団体連盟常任理事も務めた。 1962年10月に藍綬褒章を受章。 1976年2月15日脳血栓のために死去。71歳没。墓所は多磨霊園。
草地 貞吾(くさち ていご、1904年(明治37年)5月28… 草地 貞吾(くさち ていご、1904年(明治37年)5月28日 - 2001年(平成13年)11月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は大佐。 旧制大分県立宇佐中学校出身。陸軍士官学校第39期を卒業し、同期生の末松太平歩兵少尉とともに青森を衛戍地とする歩兵第5連隊に配属される。1936年(昭和11年)に末松歩兵大尉は、二・二六事件に連座している。 著名な同期生は、終戦時に陸軍省軍務局軍事課高級課員で戦後陸将・陸上幕僚副長となる高山信武大佐や、南方軍第2課長の矢野連大佐、第53軍参謀の大橋武夫中佐がいる。第106師団では、同期の成富政一大佐(戦死後、進級)と勤務している。 終戦時、満州にあった関東軍の作戦課主任参謀。
清瀬 保二(きよせ やすじ、1900年1月13日 - 198… 清瀬 保二(きよせ やすじ、1900年1月13日 - 1981年9月14日)は、大分県生まれの作曲家。 大分県宇佐郡四日市町(現宇佐市)で清瀬善三の二男として生まれる。生家は、地元で一、二を争う素封家。少年のころからヴァイオリンを嗜み、1919年、旧制松山高等学校在学中に作曲家を志すようになる。同年12月、作曲家になるため同校を中退して上京、まず友人に紹介された田辺尚雄を訪ね、山田耕筰に約2ヶ月間師事。以後、鹿児島にこもり、ほぼ独学で作曲を学ぶ。1930年には「新興作曲家連盟」の結成に発起人の一人として参加。1932年から3年間クラウス・プリングスハイムに理論を師事する。1940年、皇紀2600年記念として委嘱を受け、「日本舞踏組曲」を作曲。
池田 源太(いけだ げんた、1899年4月18日 - 199… 池田 源太(いけだ げんた、1899年4月18日 - 1995年11月18日)は、日本の日本文化史学者、奈良教育大学名誉教授。 大分県宇佐市生まれ。1932年京都帝国大学文学部国史科卒業。西田直二郎に師事。京都市立第一商業学校、京都府立第一中学校教諭、龍谷大学講師、橿原文庫主事。1949年、奈良学芸大学教授、奈良教育大学教授。1961年、「歴史の始源と口誦伝承」で京都大学文学博士。1963年、定年退官、名誉教授、龍谷大学教授。1978年、勲三等瑞宝章を受章。
衛藤 速(衞藤、えとう はやし、1894年(明治27年)9月… 衛藤 速(衞藤、えとう はやし、1894年(明治27年)9月27日 - 1964年(昭和39年)12月21日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(2期)。 大分県宇佐郡竜王村野山(深見村、安心院町を経て現宇佐市)で生まれる。小学校を卒業。若年で中国に渡り、その後、沖縄、京阪神を遍歴した。福岡県田川郡川崎村(現川崎町)で炭鉱夫として働く。昭和の初めに川崎町で東豊炭鉱を経営。以後、田川商工会議所副会頭、大進鉱業代表取締役、耶彦新聞名誉社長、衛藤商事社長、衛藤鉱業社長、文珠岳炭礦社長(佐世保市)、東豊商事社長などを務めた。戦後の復興と朝鮮特需で1951年(昭和26年)には長者番付1位となった。 政界では川崎町会議員を務めた。
江熊 哲翁(えぐま / えくま てつお、1893年(明治26… 江熊 哲翁(えぐま / えくま てつお、1893年(明治26年)4月25日 – 1974年(昭和49年)5月20日)は、大正から昭和期の水産技術者、政治家。参議院議員。 大分県宇佐郡、現在の宇佐市で生まれる。1916年(大正5年)農商務省水産講習所(現東京海洋大学)本科養殖科を卒業した。 1918年(大正7年)大分県水産技手に就任。以後、水産試験場技手、台湾総督府技手、滋賀県技手、地方農林技師・佐賀県水産課長兼水産試験場長・水産製品検査所長、愛媛県水産課長、山口県水産課長、下関漁港事務所長事務取扱などを歴任した。その後、山口県健民対策審議会専門委員、同水産業会長、同漁業組合連合会長、山口漁村振興協議会長、福石商会会長、天山商事社長などを務め、山口県の水産業界の振興に尽力した。
古宇田 武郎(こうだ たけろう、1891年(明治24年)5月… 古宇田 武郎(こうだ たけろう、1891年(明治24年)5月15日 - 1982年(昭和57年)3月23日)は、日本の海軍軍人。最終階級は少将。太平洋戦争において第一潜水戦隊司令官として、キスカ島撤退作戦などを戦った。 古宇田は大分県出身で海兵41期生である。海軍兵学校および陸軍士官学校(第25期)を受験し、双方に合格している。1913年(大正2年)12月、118名中53番で海軍兵学校を卒業した。初級士官時代に第一次世界大戦に出征し、遣米枝隊(森山慶三郎司令官)に属して北米の通商保護に従事した。 大尉進級とともに海軍水雷学校高等科へ入校。海兵同期からはともに潜水艦部隊の司令官として太平洋戦争を戦う山崎重暉、原田覚(前掲写真古宇田の後ろ)も入校し、首席はルンガ沖夜戦を戦った田中頼三であった。
辛島 篤(からしま あつし、1884年(明治17年)11月1… 辛島 篤(からしま あつし、1884年(明治17年)11月12日 - 1925年(大正14年)5月30日)は、日本の女性医師。大分県における女性医師の先駆者の一人。 大分県宇佐郡佐田村(現:宇佐市安心院町)に、医師の高木盛胤の三女として生まれる。16歳の時、宇佐郡駅館村(現:宇佐市)出身で大分市で歯科医を開業していた辛島汎と結婚した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
松山 基範(まつやま もとのり、1884年10月25日 - … 松山 基範(まつやま もとのり、1884年10月25日 - 1958年1月27日)は、日本の地球物理学者・古地磁気学者。山口大学初代学長。能楽師。京都大学名誉教授。理学博士(1918年)取得。1929年に世界で初めて「地球の磁場逆転現象」説を提唱したことで知られ、258万~77万年前の逆磁極期は「松山逆磁極期」と名付けられている。 大分県宇佐郡駅館村大字上田(駅川町を経て現宇佐市)の曹洞宗の寺院雲栖寺の住職であった墨江天外と末原コウの間に出生。当時は、僧職の妻帯は認められていなかったため母の姓を名乗り、1896年に父が山口県豊浦郡清末村(現下関市)の高林寺の住持になると、姓を父方に改めた。少年期を過ごし両親の墓も存在する同地には現在顕彰碑が建てられている。
都留 仙次(つる せんじ、1884年1月20日 - 1964… 都留 仙次(つる せんじ、1884年1月20日 - 1964年1月20日)は、日本の神学者、牧師、明治学院院長。 都留音平の息子として大分県宇佐郡宇佐町(現・宇佐市)に生まれる。長崎市のアメリカ・オランダ改革派教会系のミッションスクールの東山学院で学び、一致長崎教会で瀬川浅から洗礼を受ける。 明治学院高等部、神学部で学び井深梶之助、熊野雄七らの影響を受け、1907年に卒業する。スコットランドのオーボルン神学校に留学し、旧約学を学ぶ。1911年に帰国し、明治学院で旧約学を教えた。1913年、按手礼を受けて牧師になる。 1921年から4年間明治学院高等部長を兼任する。関東大震災の時に2名の朝鮮人学生をかくまう。
安部 秋彦(あべ あきひこ、1878年〈明治11年〉12月1… 安部 秋彦(あべ あきひこ、1878年〈明治11年〉12月14日 - 1950年〈昭和25年〉)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 大分県宇佐郡若林村(津房村、安心院町を経て、現宇佐市)出身。安倍寛吾の四男。1902年(明治35年)陸軍士官学校第14期卒業。 1928年(昭和3年)3月に陸軍砲兵大佐・野砲兵第8連隊長、1930年(昭和5年)8月に近衛師団兵器部長を経て、1932年(昭和7年)8月8日に陸軍少将に進級と同時に待命、同月30日に予備役に編入した。 退役後は軍需会社顧問を歴任した。1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた。
清瀬 規矩雄(きよせ きくお、1878年(明治11年)10月… 清瀬 規矩雄(きよせ きくお、1878年(明治11年)10月11日 – 1944年(昭和19年)12月5日)は、衆議院議員(立憲政友会)、ジャーナリスト。 大分県宇佐郡四日市町(現在の宇佐市)出身。1897年(明治30年)から欧米各国に留学して法学・経済学を学び、サンフランシスコで「日米新聞」の記者となった。1910年(明治43年)に帰国した後は「東京朝日新聞」記者を経て、南満州鉄道株式会社総裁秘書を務めた。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。原内閣・高橋内閣で山本達雄農商務大臣の秘書官を務めた。1930年(昭和5年)の第17回衆議院議員総選挙から4回連続当選。その間、阿部内閣で大蔵政務次官に就任した。
金光 庸夫(かねみつ つねお、1877年〈明治10年〉3月1… 金光 庸夫(かねみつ つねお、1877年〈明治10年〉3月13日 - 1955年〈昭和30年〉3月5日)は、日本の政治家、実業家。拓務大臣(第16代)、厚生大臣(第7代)。衆議院議員(9期)。名前の「庸夫」は「やすお」とも読まれる。 経済企画庁長官を務めた佐藤一郎及び通産事務次官を務めた熊谷典文は女婿、佐藤の長男で衆議院議員を務めた佐藤謙一郎は孫にあたる。 大分県宇佐郡高家村(現:宇佐市)生まれ。高等小学校を卒業後税務官吏となり、長崎税関、福岡税務署長、熊本税務監督局勤務を経て、1908年(明治41年)鈴木商店に入社する。1910年(明治43年)に太陽生命保険に転じて支配人となり、1913年(大正2年)に独立して大正生命保険(現:プルデンシャル ジブラルタ ファイナンシャル生命保険)の社長となる。
松本 洪(まつもと こう、明治9年(1876年)4月12日 … 松本 洪(まつもと こう、明治9年(1876年)4月12日 - 昭和40年(1965年)2月25日)は、大分県宇佐郡四日市村(現在の宇佐市四日市 (宇佐市))出身の漢学者。如石と号する。 早稲田中学校、豊山中学校教諭、国士舘専門学校、早稲田大学、大東文化学院(大東文化大学の母胎)、東洋文化研究所、東京藝術大学に教鞭を執る。無窮會理事(終戦後)、東洋文化學會評議員・幹事、東洋文化研究所講師・所長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
殖田 謙吉(うえだ けんきち、1870年12月24日(明治3… 殖田 謙吉(うえだ けんきち、1870年12月24日(明治3年11月3日) - 1904年(明治37年)9月4日)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍少佐。庄屋殖田覚十郎の二男として生まれる。母方姓是恒。大分県宇佐郡駅館村出身。第2次吉田内閣の法務総裁殖田俊吉は甥である。 旧海軍機関学校(横須賀)から海軍兵学校(18期)に編入。海軍大学校、鎮守府参謀を経て日露戦争開戦時は軍令部参謀。後に連合艦隊参謀に転出。黄海海戦において「三笠」最上艦橋で戦傷を受け、佐世保海軍病院にて死去。伊藤正徳は殖田について「有為の参謀であった」と評している。 1904年(明治37年)8月10日、最上艦橋で指揮をとっていた殖田は午後6時30頃に、前部艦橋左舷のセマホア信号機に敵弾が命中炸裂、その弾片、破片により負傷した。
平田 吉胤(ひらた よしたね、1866年(慶応2年7月)- … 平田 吉胤(ひらた よしたね、1866年(慶応2年7月)- 1937年(昭和12年)2月25日)は、明治から昭和前期の地主、実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。旧姓・北。 豊前国宇佐郡、のちの大分県宇佐郡駅館村(駅川村、駅川町を経て現宇佐市)で北鉄十郎の二男として生まれた。国東郡草地村(現豊後高田市)の涵養舎で漢学を修め、同志社英学校、札幌農学校を経て東京専門学校で学んだ。1891年(明治24年)下毛郡城井村(耶馬溪村、中耶馬溪村、耶馬溪村、耶馬溪町を経て現中津市耶馬溪町)の素封家・平田カス(故猛郎の妻)の養子となり、1899年(明治32年)家督を相続した。 家業の農業を営む。道路・橋梁の整備に寄付を行い、水田の開墾、耶馬溪の観光開発を行うなど地域の発展に尽力した。