寿岳 章子(じゅがく あきこ、1924年1月2日 - 200… 寿岳 章子(じゅがく あきこ、1924年1月2日 - 2005年7月13日)は、日本の国語学者・エッセイスト・社会活動家。 寿岳文章・寿岳しづ夫妻の長女として京都府に生まれる。弟は天文学者の寿岳潤。 旧制京都府立第一高等女学校、旧制京都府立女子専門学校を経て、1946年(昭和21年)に東北帝国大学法文学部を卒業、京都大学大学院へ進学。京都府立大学助教授、教授として同大学に36年間勤務。 墓所は南禅寺慈氏院。 寿岳の研究業績としては、室町時代の口語資料である抄物の研究が挙げられる。寿岳は抄物の語句や文章形態や文法構造について、抄物を語った人物の声として捉えようとした。あくまでも生きた人間の言葉に目を向け、抄物それ自体の言葉に深く切り込んで、その性格を解明して資料性を保証したのである。
山崎 豊子(やまさき とよこ、1924年〈大正13年〉1月2… 山崎 豊子(やまさき とよこ、1924年〈大正13年〉1月2日 - 2013年〈平成25年〉9月29日)は、日本の小説家。本名は杉本 豊子(すぎもと とよこ)。 大阪府大阪市南区順慶町通(現:中央区南船場)出身。実家は老舗昆布屋の小倉屋山本である。1936年(昭和11年)に大阪市芦池尋常小学校を卒業して相愛高等女学校に入学し、1941年(昭和16年)に卒業した。相愛入学後、年一回刊行されていたらしい校友会誌『相愛』に作文を寄稿しており、12歳時の「淡路島」が現存する最初期の文章とみられる。 太平洋戦争下の1944年(昭和19年)、京都女子高等専門学校国文学科卒業。毎日新聞社に入社した。 毎日新聞大阪本社調査部を経て1945年(昭和20年)学芸部に勤務し、当時学芸副部長だった作家井上靖のもとで記者としての訓練を受けた。
河合 雅雄(かわい まさを、1924年(大正13年)1月2日… 河合 雅雄(かわい まさを、1924年(大正13年)1月2日 - )は、日本の霊長類学者、児童文学作家で理学博士。兵庫県立丹波の森公苑長、京都大学名誉教授、日本福祉大学生涯教育研究センター名誉所長、兵庫県立人と自然の博物館名誉館長。「雅雄」の「雄」は、現行の中学校の教科書(学校図書入学2年)をはじめとする各著書において、「を」という歴史的仮名遣いを用いている。一方、姓の「河合」は現代仮名遣いの「かわい」。なお、弟の「隼雄」は「はやお」という現代仮名遣いを用いている。
川島 普(かわしま ひろし、1924年1月2日 - )は、日… 川島 普(かわしま ひろし、1924年1月2日 - )は、日本の土木工学・衛生工学者。大阪工業大学名誉教授。工学博士(京都大学)。勲三等瑞宝章受章。 専門は、土木工学・衛生工学(特に上下水道工学)、水理学・環境科学。 京都帝国大学工学部土木工学科卒業(指導教授:のちの衛生工学科初代教授を務めた岩井重久)。京都大学工学部土木工学第三講座(岩井重久の衛生工学研究室)で助手を務める。1955年に大阪工業大学工学部土木工学科助教授となり、土木工学教室を担当した。1960年に京都大学より論文「上下水処理施設の汚泥管理に関する基礎的研究」で工学博士号を取得する。1963年に同学科教授に就任した。1987年同大学図書館長。
西村 育雄(にしむら いくお、1924年1月2日 - 200… 西村 育雄(にしむら いくお、1924年1月2日 - 2000年5月23日)は、日本の経営者。マンダム社長、会長を務めた。大阪府出身。 私立大阪明星学園を卒業後、1943年に神戸高等商業学校(現在の神戸大学経済学部)を卒業。1945年9月に金鶴香水に入社し、常務にも就任。1949年に専務を経て、1980年8月にはマンダム社長に就任。1995年6月には会長に就任。 2000年5月23日、肺癌のために死去。76歳没。
豊田 善一(とよだ ぜんいち 1924年〈大正13年〉1月2… 豊田 善一(とよだ ぜんいち 1924年〈大正13年〉1月2日 – 2004年〈平成16年〉11月1日)は、日本の実業家。 1924年、出生。明治大学卒業後、野村證券に入社し、田淵節也会長と2人3脚で事業法人を立ち上げるなどして、ガリバーと言われた野村證券を築き上げた。 野村證券の副社長時代には、次期社長と思われたが、大蔵省から反対意見が入ったことなどもあり、系列の国際証券に転じ、社長、会長を歴任した。 後にKOBE証券会長も務めるなど、常に証券営業のトップで活躍し、証券業界を代表する人物の一人とも言われた。 1988年、藍綬褒章を受章。 2004年11月1日、肺炎のため死去。80歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
荒木 雅子(あらき まさこ、1924年1月2日 - )は、日… 荒木 雅子(あらき まさこ、1924年1月2日 - )は、日本の女優。本名は荒木美代子。旧芸名、忍 美代子。京都府京都市出身。父親は荒木忍。血液型はA型。松竹芸能所属。元新春座座員。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
福田 正彦(ふくだ まさひこ、1923年〈大正12年〉1月2… 福田 正彦(ふくだ まさひこ、1923年〈大正12年〉1月2日 - 2001年〈平成13年〉4月29日 )は、岡山県出身の政治家。新見市議会長を経て新見市長を3期務めた。 岡山県新見市にて生れる。地元に近い旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学した。同期には、東芝を経て日本原子力研究所副理事長を務める天野昇や大学教授になる田井庄之助、丸善石油(現:コスモ石油)副参与と北海道の各社の関連社長を務めた古米初男がいる。1940年(昭和15年)同校を卒業した。 その後、紆余曲折を経て新見市議会議員となり、新見市議会議長を務めた後、当時の新見市長を4期務めた赤木孜一の退任に伴う、新見市長選挙で松浦宏美と塚村正二に競り勝ち、新見市長となる。
酒井 次吉郎(さかい じきちろう、1923年 <大正12年>… 酒井 次吉郎(さかい じきちろう、1923年 <大正12年> 1月2日 - 2010年 <平成22年> 1月25日)は、日本の銀行家。元静岡銀行代表取締役会長。第7代静岡銀行頭取。位階は従四位。 バブル時代に頭取を務め、異常な熱気を帯びた日本経済の先行きに疑問を感じ、地方銀行本来の役割を思い起こし、都心の大企業やノンバンクから貸出金を回収。後のバブル崩壊の影響を最小限度に止めた。 1923年(大正12年)静岡県島田市に生まれる。1940年(昭和15年)静岡県立静岡中学校卒業。1944年(昭和19年)慶応義塾大学文学部卒業。1945年(昭和20年)、静岡銀行入行、1969年(昭和44年)、取締役。
小川 泰(おがわ たい、1923年1月2日 - )は、日本の… 小川 泰(おがわ たい、1923年1月2日 - )は、日本の政治家。元民社党衆議院議員(1期)。 千葉県出身。1944年中央大学専門部経済学科卒。同年日本発送電入社。戦後、東京電力に入り、同社労組役員を経て、全日本労働総同盟副書記長、同政治福祉局長などを務める。 1979年の第35回衆議院議員総選挙で神奈川2区から曾禰益の後継者として民社党公認で立候補したが落選。翌年の第36回衆議院議員総選挙でも落選。1983年の第37回衆議院議員総選挙で初当選し、衆議院議員を1期務めた。1986年の第38回衆議院議員総選挙で落選。1987年・1989年(リクルート事件に伴う革新系現職辞任による選挙)二度の川崎市長選で県議経験者の新人永井英慈(民社、自民、進歩の各党推薦)を全面的支援するも永井は落選。
岩原 信九郎(いわはら しんくろう、1923年1月2日 - … 岩原 信九郎(いわはら しんくろう、1923年1月2日 - 1978年2月3日)は、日本の心理学者。愛知県豊橋市出身。 愛知県豊橋市出身。1947年東京文理科大学心理学科卒。1949年ミズーリ大学に留学。帰国後、奈良女子大学助教授、東京教育大学助教授を経て、1972年教授、1976年筑波大学教授併任。薬理心理学、生理心理学の発展に寄与した。 1978年1月3日、急性心不全のため東京都豊島区西池袋の平塚胃腸病院にて死去。55歳。
磯貝 英夫(いそがい ひでお、1923年1月2日 -2016… 磯貝 英夫(いそがい ひでお、1923年1月2日 -2016年1月13日)は、日本近代文学の研究者。広島大学名誉教授、ノートルダム清心女子大学名誉教授。 愛知県生まれ。広島文理科大学卒業。広島大学附属高等学校教諭、1957年広島女子短期大学講師、1960年助教授、1962年広島大学文学部助教授、教授、1986年定年退官、名誉教授、ノートルダム清心女子大学教授、のち退職し名誉教授。近現代日本文学を研究した。
佐口 卓(さぐち たかし、1923年1月2日 - 2000年… 佐口 卓(さぐち たかし、1923年1月2日 - 2000年3月11日)は、日本の社会制度学者。学位は、商学博士(早稲田大学・論文博士・1978年)(学位論文『日本社会保険制度史』)。早稲田大学名誉教授。 東京都生まれ。早稲田大学商学部卒、早稲田大学商学部助教授、教授を歴任し、1993年には早稲田大学名誉教授となる。 2000年3月11日、多臓器不全のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
玉乃海 太三郎(たまのうみ だいさぶろう、1923年1月2日… 玉乃海 太三郎(たまのうみ だいさぶろう、1923年1月2日 - 1987年9月27日)は、大分県大分市出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は三浦 朝弘(みうら ともひろ)。最高位は東関脇。全盛期の体格は181cm、120kg。得意手は右四つ、櫓投げ、外掛け。栃若時代の実力者の一人で、長谷川や琴錦と並んで、最強関脇との見方もある。 引退後は年寄・12代片男波を襲名し、片男波部屋を興した。 1923年1月、料亭の板前の家に六人兄弟の長男として生まれる。小学校時代は野球に熱中しており、大分県立商業学校(現大分県立大分商業高等学校)からの誘いもあったが中学には進学せず、玉錦(二所ノ関部屋)の一行が巡業に来たのを見て力士になることを志望した。
太田 じろう(おおた じろう、1923年1月2日 - 198… 太田 じろう(おおた じろう、1923年1月2日 - 1982年3月29日)は、日本の漫画家、絵本作家。本名、太田二郎。東京市京橋区八丁堀出身。 東京市京橋区八丁堀にて製本職人の家庭に生まれる。早稲田実業学校卒業後、新潮社や東宝美術部に勤務。日本画を学び、野口昂明たちの勧めで『日の出』誌にカットを寄稿、1941年、『イソップまんが』で漫画家としてデビューした。 1943年に徴兵され、大刀洗飛行場で従軍にあたった。1945年に復員した後、帷子進や芳谷勝に師事する。1950年、『少年クラブ』に『お山のクロちゃん』を連載。1952年、島田啓三の長女と結婚した。1960年、『こりすのぽっこちゃん』で第5回小学館漫画賞を受賞する。
鈴木 幸寿(鈴木 幸壽、すずき ゆきとし・こうじゅ、1922… 鈴木 幸寿(鈴木 幸壽、すずき ゆきとし・こうじゅ、1922年1月2日 - 2009年8月1日)は、日本の社会学者。東京外国語大学名誉教授。 福島県出身。東北帝国大学法文学部社会学科卒、同大学院特別研究生修了。東京外国語大学助教授、教授、学長を務め、名誉教授、明星大学教授、和洋女子大学学長を歴任。
品川 孝子(しながわ たかこ、1922年1月2日- 2016… 品川 孝子(しながわ たかこ、1922年1月2日- 2016年1月27日)は、日本の教育評論家。新潟県妙高高原町生まれ。日本女子大学家政学部卒。児童科で児童心理学を専攻し卒業。田中教育相談所、主婦の友相談室で教育相談を担当。品川不二郎と結婚、共著も多く、マスコミ、講演を行った。
神尾季羊(かみお きよう、1921年1月2日 - 1997年… 神尾季羊(かみお きよう、1921年1月2日 - 1997年6月16日)は、俳人。愛媛県松山市出身。本名・匡。神尾久美子は妻。宮崎商業学校卒。宮崎神宮嘱託。1946年『ホトトギス』の高浜虚子に師事。1950年『菜穀美』の野見山朱鳥に師事し同人となる。1954年『椎の実』主催。73年『鷹』の藤田湘子に師事。1971年宮崎県文化賞受賞。宮崎県俳句協会名誉顧問。
有坂 隆道(ありさか たかみち、1921年1月2日 - 20… 有坂 隆道(ありさか たかみち、1921年1月2日 - 2004年6月18日)は、日本の歴史学者、関西大学名誉教授。専門は日本近世史。 1921年、東京生まれ。京都帝国大学文学部史学科で国史を専攻して卒業。1979年に学位論文『日本洋学史の基礎的研究』を関西大学に提出して文学博士の学位を取得。関西大学文学部助教授、後に教授。1992年に関西大学を定年退職し、名誉教授となった。 山片蟠桃や麻田剛立など日本洋学史を研究。古代史研究も行う。
中島 健吉(なかじま けんきち、1921年1月2日 - 20… 中島 健吉(なかじま けんきち、1921年1月2日 - 2011年12月13日)は、日本の実業家。平和の創業者。 群馬県出身。拓殖大学商経済学部を卒業。 1949年に平和商会(のちの平和)を創業し、社長に就任。1992年5月に会長を経て、2003年3月には名誉会長に就任。 1963年に藍綬褒章を受章し、1964年に紺綬褒章を受章。
スマイリー小原(スマイリーおはら、1921年1月2日 - 1… スマイリー小原(スマイリーおはら、1921年1月2日 - 1984年4月30日)は、日本のジャズミュージシャン、指揮者である。小原真澄名義での活動もあった。本名栗原照夫。神奈川県中郡秦野町(現在の秦野市)生まれ、横浜市中区山手育ち。 印刷業組合長などを務めた横浜の有力者栗原佐輔の子として生まれる。佐輔は木曾義仲の忠臣・樋口兼光が先祖という曽屋の旧家栗原林太郎家に1881年12月23日に生まれ、26歳で横浜に出て横浜市中区松影町に於いて印刷業を始めた。 照夫(=スマイリー小原)は少年時代からスポーツ万能で、寿尋常小学校卒業後、旧制本牧中学校に入学し野球部に入部。ポジションはファーストで、苅田久徳コーチの指導のもと、若林忠志や劉瀬章と共にプレイしている。
岡田 純一(おかだ じゅんいち、1921年1月2日 - 19… 岡田 純一(おかだ じゅんいち、1921年1月2日 - 1988年1月20日)は、日本の経済学者。 東京市小石川区(現東京都文京区)生まれ。1944年早稲田大学政治経済学部経済学科卒。1966年「経済学における人間像」で関西学院大学経済学博士。白百合短期大学助教授、聖心女子大学助教授、早稲田大学商学部教授を務め、在職中に67歳で死去した。キリスト教に関心が深かった。
七代目 春風亭 小柳枝(しゅんぷうてい こりゅうし、1921… 七代目 春風亭 小柳枝(しゅんぷうてい こりゅうし、1921年1月2日 - 1962年9月27日)は、落語家。本名∶染谷 晴三郎。出囃子は『喜撰』。生前は日本芸術協会(現:落語芸術協会)、一時TBSの専属だった時期もある。俗に『染谷の小柳枝』。 軽く飄々とした芸風で「甲府い」「野ざらし」などを得意とした。大食漢であったが、それがもとで晩年は糖尿病と結核に悩まされたため、若くして没した。「医者から結核なので栄養をつけなきゃいけないってんですがね。そしたら糖尿がひどくなっちまうンで、あたしゃどうしたらいいんだ。」とこぼしていた。 性格は大変粗忽で物忘れ勘違いが多かったという。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。
加藤 信幸(かとう のぶゆき、1920年1月2日 - )は日… 加藤 信幸(かとう のぶゆき、1920年1月2日 - )は日本出身の元サッカー選手。ポジションはハーフバック。 東京帝国大学へ進学し運動会ア式蹴球部へ入部。4年次には主将を務めた。戦後の1947年に田辺製薬へ加入。1950年代に全日本実業団サッカー選手権大会で強さを誇った同クラブの中心選手として活躍した。 日本代表としては戦前、戦後を通じて活躍した。1942年8月8日の東亜競技大会で代表デビュー。1951年3月にインドで開催された第1回アジア競技大会に出場するなど国際Aマッチ1試合に出場した。
荒木 修(あらき おさむ、1920年(大正9年)1月2日 -… 荒木 修(あらき おさむ、1920年(大正9年)1月2日 - 2002年(平成14年)12月13日)は、昭和から平成時代の政治家。教育者。熊本県菊池市長。 菊池市出身。1944年(昭和19年)京都帝国大学法学部卒業。 1945年(昭和20年)9月、隈府女子技芸学校(隈府女子専門学校を経て現菊池女子高等学校)校長代理に就任。1963年(昭和38年)7月、学校法人菊池女子学園、菊池女子高等学校を設立し、理事長兼校長に就任した。ほか、熊本県私立学校審議会長を歴任した。 1989年(平成元年)菊池市長に当選し、1期務めた。
猪熊 幸夫(いのくま ゆきお、1920年1月2日 - )は、… 猪熊 幸夫(いのくま ゆきお、1920年1月2日 - )は、日本の射撃競技(ライフル射撃)選手。警察予備隊(のちに陸上自衛隊)所属。1952年ヘルシンキオリンピックに初の日本代表射撃選手として出場、1956年メルボルン・1960年ローマ大会にも連続出場した。またアジア競技大会2大会に出場。スモール・ボア・ライフル伏射種目で、1958年東京アジア大会では金メダルを獲得、1960年ローマオリンピックで6位入賞を果たした。 三重県出身。明治大学卒業。明治大学体育会射撃部は大学射撃部としては最古の歴史を持つとされ、第二次世界大戦後には師尾源蔵(日本ライフル射撃協会創設者)をはじめ平尾真、安齋實、岡田伝三、石崎育造といったOBらの努力によって射撃部の活動が再開されていた。
塩谷 一夫(しおのや かずお、1920年〈大正9年〉1月2日… 塩谷 一夫(しおのや かずお、1920年〈大正9年〉1月2日 - 1989年〈平成元年〉12月28日)は、日本の政治家、元自由民主党所属衆議院議員。 静岡県磐田郡袋井町(現・袋井市)出身。袋井町長、中遠鉄道社長、袋井合同運送取締役を務めた塩谷桑平と、きく(古田庄太郎二女)の七男。1941年に早稲田大学政治経済学部卒業。 1946年、地方建設研究所長。1948年、静岡県教育委員会委員。1951年、同県社会教育協会事務局長、同県総務部秘書課長となり1955年、県民会館長を兼務する。1957年、同県企画調整部秘書課長。 1967年、静岡県教育委員会企画調整部長を経て、第31回衆議院議員総選挙に中選挙区時代の旧静岡3区から立候補し初当選(通算7回当選)。
林 忠明(はやし ただあき、1920年1月2日 - 2017… 林 忠明(はやし ただあき、1920年1月2日 - 2017年8月29日)は、神奈川県秦野市出身の元卓球選手。 12歳のときに卓球を始めた。1940年に汎太平洋卓球大会の日本代表に選ばれて国際試合に出場したが、太平洋戦争の勃発で歩兵部隊の幹部として満州や南方戦線を転戦した。 復員後、1946年に全日本軟式で優勝、1950年には全日本卓球選手権のシングルスで優勝、日本初参加となった1952年にインドのボンベイで行われた世界卓球選手権で藤井則和とのペアで男子ダブルス優勝している。このとき渡航費用として40万円がかかったが半分の20万円は自己負担したという。 晩年は荒川区で卓球用品の会社を経営していた。
安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 199… 安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 1997年3月20日)は、日本の検察官、法務官僚、検事総長、弁護士。 京都府出身。京都府第二中学校(現京都府立鳥羽高等学校)、第三高等学校 (旧制)を経て、京都帝国大学卒業。 1943年司法官試補。1947年検事となる。東京地方検察庁検事、オランダ大使館一等書記官などを経て、1973年法務省刑事局長、1977年法務事務次官、1979年東京高等検察庁検事長。1981年7月23日-1983年12月2日検事総長。 1984年弁護士を開業。のち財団法人国際研修協力機構理事長、財団法人矯正協会会長、株式会社住友銀行顧問弁護士を務めた。 著書『検察の窓から』(高文堂出版社、1985年)のほか、論文・記事を多数執筆している。
安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 199… 安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 1997年3月20日)は、日本の検察官、法務官僚、検事総長、弁護士。
吉原 正喜(よしはら まさき/まさよし、1919年1月2日 … 吉原 正喜(よしはら まさき/まさよし、1919年1月2日 - 1944年10月10日)は、熊本県熊本市出身のプロ野球選手(捕手)。
小野 健一(おの けんいち、1919年1月2日 - 2010… 小野 健一(おの けんいち、1919年1月2日 - 2010年10月8日 )は、日本の物理学者、科学史家、東京大学名誉教授。 神奈川県生まれ。東京帝国大学理学部物理学科卒。東大理学部助手、1953年東大教養学部助教授、教授、1979年定年退官、名誉教授。 1962年「重粒子崩壊の相互作用」で東京大学理学博士。1979年の『鳥の飛翔に関する手稿』の翻訳でマルコ・ポーロ賞受賞。1992年勲三等旭日中綬章受章。
高木 孝一(たかぎ こういち、1919年〈大正8年〉1月2日… 高木 孝一(たかぎ こういち、1919年〈大正8年〉1月2日 - 2012年〈平成24年〉6月1日)は、日本の政治家、実業家。高木建設創業者、同社社長。高木商事社長。福井県議会議員。敦賀市議会議員。第57代福井県議会議長、第13-16代敦賀市長などを歴任した。長男は第5代復興大臣、自由民主党衆議院議員の高木毅。 福井県敦賀市出身。1936年、国鉄敦賀機関区に勤務する。1950年、国鉄を退職する。 1951年、敦賀市議会議員に当選する。1954年、高木建設を創立する。1959年、福井県議会議員に当選する。 1966年6月28日から同年12月16日、第54代副議長を、1972年5月26日から1973年6月25日、第57代議長を務めた。
大宜見 小太郎(おおぎみ こたろう、1919年1月2日 - … 大宜見 小太郎(おおぎみ こたろう、1919年1月2日 - 1994年7月26日)は、沖縄県那覇市出身の俳優、脚本家、演出家、舞踊家。沖縄芝居の大御所として知られ、沖縄俳優協会会長もつとめた。なお、「大宣見小太郎」「大宜味小太郎」等と誤記されることも多い。 生誕時の本名は、當間朝義(幼名太郎)。やがて、沖縄芝居の役者の、大宜見朝良の養子に入り、本名「大宜見朝義」となった。さらに、当時の役者には、「太郎」と名乗る者が多かったことから、「大宜見小太郎」を芸名にした。また、南一郎のペンネームで200本以上の脚本を書いている。 妻は沖縄芝居女優の大宜見静子。 1926年(大正15年)7才の時に、石垣にて「瓦屋節由来記」で初舞台を踏み、その後も子役として活躍する。
白川 元春(しらかわ もとはる、1918年〈大正7年〉1月2… 白川 元春(しらかわ もとはる、1918年〈大正7年〉1月2日 - 2008年〈平成20年〉8月18日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官である。第11代航空幕僚長、第8代統合幕僚会議議長。 東京府出身。男爵陸軍大臣・白川義則の三男として生まれる。東京府立六中を経て陸軍予科士官学校に進む。原隊は立川の飛行第5聯隊。陸軍航空士官学校(51期)を卒業し、浜松陸軍飛行学校乙種学生、飛行第45戦隊付、航空士官学校区隊長を経て、飛行第90戦隊中隊長としてマレー、ジャワを転戦。陸大卒業後は、第2飛行師団参謀、終戦は南方軍総司令部参謀としてサイゴンで迎えた。 復員後は公職追放となり、妻の実家のある松江で本屋の番頭をしていた。
永末 英一(ながすえ えいいち、 1918年1月2日 - 1… 永末 英一(ながすえ えいいち、 1918年1月2日 - 1994年7月10日)は、大日本帝国海軍の軍人(短期現役士官)。日本の政治家。民社党委員長、衆議院議員(通算10期)、社会主義インターナショナル副議長。
西沢 実(西澤 實、にしざわ みのる、1918年(大正7年)… 西沢 実(西澤 實、にしざわ みのる、1918年(大正7年)1月2日 - 2013年(平成25年)7月2日) は、日本の放送作家・劇作家。筆名に苗川正 、芸名に西沢みのる。 日本放送芸術学会、日本放送作家協会、日本演劇協会の各会員。 長野県長野市出身。旧制海城中学卒業。1939年(昭和14年)、東京中央放送局JOAK(現・NHK)が実施した朗読の新人募集に応募する。1941年(昭和16年)には中央大学法学部在学のまま、同年に設立された東京中央放送局専属劇団俳優養成所に参加した。同年大学を繰り上げ卒業し、1942年(昭和17年)に応召して第2師団に入隊、戦車隊長としてトラック島で敗戦を迎える。軍隊での最終階級は陸軍中尉であった。
中村 太郎(なかむら たろう、1918年1月2日 - 201… 中村 太郎(なかむら たろう、1918年1月2日 - 2011年4月22日)は、日本の政治家。参議院議員(3期)、労働大臣(第50代)。 山梨県東山梨郡勝沼町(現甲州市)出身。1941年、早稲田大学法学部を卒業。第二次世界大戦に陸軍主計大尉として満洲へ出征。 1950年、峡東貨物株式会社社長に就任し、山梨市教育委員会委員長などを歴任。1959年、山梨県議会議員に当選し4期務めた。その間、自由民主党山梨県支部連合政調会長、同議員団会長、県議会議長などを歴任。 1974年7月の第10回参議院議員通常選挙に山梨県選挙区から自由民主党公認で立候補し当選。以後、第12回、第14回参議院議員通常選挙で再選され3期務め、1992年7月の第16回参議院議員通常選挙には出馬せず引退した。
細井 宗一(ほそい そういち、1918年1月2日 - 199… 細井 宗一(ほそい そういち、1918年1月2日 - 1996年12月26日)は、労働運動家。 新潟県糸魚川市出身。陸軍士官学校卒業。陸軍では後に内閣総理大臣を務める田中角栄の上官だった。共に新潟出身で1918年(大正7年)年生まれという共通点があり堅い友情に結ばれていた。終戦時は関東軍第5軍司令部付陸軍中尉であった。 シベリア抑留を経験した。日本に引き揚げた後に日本国有鉄道(国鉄)に入り、国鉄労働組合(国労)へ加入した。1952(昭和27)年国労本部中央委員に就任。岩井章と共に国労内の日本共産党系勢力を指導した。1957(昭和29)年の新潟闘争で国鉄を解雇された。その後は総評反主流派の中核的な論客となったり、現場協議制度を国鉄で行ったり、国労新綱領の策定を指導したりした。
田村 圓澄(たむら えんちょう、1917年1月2日 - 20… 田村 圓澄(たむら えんちょう、1917年1月2日 - 2013年7月10日)は、日本史学者、仏教史学者、九州大学名誉教授。
泉美之松(いずみ みのまつ、1917年1月2日 - 1990… 泉美之松(いずみ みのまつ、1917年1月2日 - 1990年5月15日)は、日本の大蔵官僚。大臣官房財務調査官(主税局担当)、東京国税局長、国税庁次長、主税局長、国税庁長官、日本銀行理事、日本専売公社副総裁、同総裁などを歴任。旧姓は石井。 岡山県鴨方町(現:浅口市)出身。旧制金光中学(現:金光学園高校)、第六高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学法学部法律学科卒業。東京帝大法学部在学中に高等試験行政科と司法科に合格。1939年4月 大蔵省入省。大臣官房財政経済調査課属。1940年8月 宇都宮税務署長。1943年10月 在中華民国大使館三等書記官。1946年3月 北税務署長。1953年9月1日 大臣官房秘書課長。
山根常男(やまね つねお、1917年1月2日-2007年9月… 山根常男(やまね つねお、1917年1月2日-2007年9月24日)は、社会学者。 高知県生まれ。名古屋で育つ。姉は詩人の水野八重子。第一高等学校卒、1940年東京帝国大学文学部社会学科卒、中華民国北京国立新民学院講師。応召し、ニューブリテン島で敗戦を迎える。名古屋市立女子専門学校(のち名古屋市立女子短期大学)教員、1949年岐阜大学講師、1951年南山大学助教授、1959年大阪市立大学助教授、教授、1977年定年退官、名誉教授、駒澤大学教授、91年定年退任。 南山大学時代に名古屋大学の村松常雄のもとでフロイト精神分析を学び、ミシガン大学に学んでイスラエルのキブツを調査した。家族社会学。
池 真理子(いけ まりこ、1917年1月2日 - 2000年… 池 真理子(いけ まりこ、1917年1月2日 - 2000年5月30日)は、ジャズ・ラテン・フォルクローレの歌手。京都府生まれ。宝塚音楽学校卒業。愛称は「アイク」。なお、サインや後年のテレビ出演のテロップでは池眞理子となっている。宝塚歌劇団24期生。宝塚歌劇団在団時の芸名は三日月美夜子である。 1917年(大正6年)1月2日、京都の万寿寺生まれだが、実家は僧ではなく、父親はその婿養子で京都帝国大学の学生だった。生後6か月で父が結核で亡くなり、母は女学校教員となったため、祖父母の手で養育された。 平安女学院に入学したが、友達の家出に付き合ったことから祖父の怒りを買い、京都高等女学校に転校させられる。
武者 一雄(むしゃ かずお、1916年〈大正5年〉1月2日 … 武者 一雄(むしゃ かずお、1916年〈大正5年〉1月2日 - 2008年〈平成20年〉12月17日)は、日本の小説家、児童文学作家、僧侶。群馬県出身。本名・中村一雄。『ビルマの竪琴』の水島上等兵のモデルとなったとされることで知られる。 碓氷郡松井田町(現 安中市)生まれ。13歳で僧となる。旧制高崎中学校(現 群馬県立高崎高等学校)を経て、1936年駒澤大学専門部仏教科卒業。卒業後ただちに高崎第15連隊に入隊。1938年に北支に出征した後1941年に帰国。福井県の永平寺で2年間修業するが再び召集され、フィリピン、タイなど東南アジアを転戦後、多くの死者が出たインパール作戦に参加し、ビルマ(今のミャンマー)で終戦を迎える。
山崎 隆(やまざき たかし、1916年1月2日 - 2004… 山崎 隆(やまざき たかし、1916年1月2日 - 2004年3月31日)は、昭和戦中戦後に活躍した前衛の日本画家である。 1916年1月2日京都市に生まれる。1933年京都市立絵画専門学校(絵専、現・京都市立芸術大学)に入学、梥本一洋に師事した。在学中に革新的な若手日本画家たちによって結成された新日本画研究会に参加。1936年同校卒業後、研究科に進学。翌1937年日華事変に応召するが、翌年中国北部で負傷し召集解除。 1938年歴程美術協会第1回試作展に《象》を出品。同展に出品された山岡良文《シュパンヌンク》と並び、それまでの日本画にまったく見られない「純粋抽象」表現として記録される。翌年同協会の会員となり、1942年第8回展まで出品を続けた。
高田 ユリ(たかだ ユリ、1916年1月2日 - 2003年… 高田 ユリ(たかだ ユリ、1916年1月2日 - 2003年12月24日)は消費者運動の先駆者。主婦連合会元会長(1989-1991)。 1916年1月2日、新潟県佐渡郡相川町に生まれる。両親とも佐渡島で小学校教諭をしていた。1919年、父母とともに上京。1937年共立女子薬学専門学校卒(後の共立薬科大学)卒。1942年同校助教授。1943年12月29日朝日新聞社の高田靖彦と結婚。東京・市ヶ谷の砂土原町に住居を構える。1950年8月夫晴彦の勧めで奥むめお会長に会う。同年10月主婦連に日用品審査部が新設され、専門委員となる。その後、各地の生活センターの先駆けとなった主婦連日用品試験室主任として、科学的なデータをもとに商品テストを担当するようになった。
後藤 聰一(ごとう そういち、1916年(大正5年)1月2日… 後藤 聰一(ごとう そういち、1916年(大正5年)1月2日 - 2003年(平成15年)3月30日)は、第19-21代東京都八王子市長。 東京都南多摩郡由井村打越(現八王子市打越町)に多摩一とも呼ばれた精穀業「後藤常吉水車」を営む家に生まれる。 1933年(昭和8年)八王子市役所に臨時職員として就職、同年3月八王子市立商業公民学校後期を卒業した。 後藤は職員として働きながら東京府立第二商業学校を中退した後、1942年(昭和17年)に東京主計商業学校第二本科を卒業した。 1936年(昭和11年)に第二乙種合格、第二補充兵として編入される。体重は49キロと軽かったが視力も良く馬に乗れたため1938年(昭和13年)9月に野砲第1連隊の砲兵に応召。
むの たけじ(本名:武野 武治、1915年1月2日 - 20… むの たけじ(本名:武野 武治、1915年1月2日 - 2016年8月21日)は、日本のジャーナリスト。太平洋戦争従軍記者としての経験・反省から、戦後に反戦・平和を訴え続けた。 新聞『たいまつ』を創刊。農村・農業の進路、出稼ぎ問題、農民運動の在り方、地方文化やサークル活動について追求し、「自分の言葉に自分の全体重をかける」記事を書き続けた。 秋田県仙北郡六郷町(現:美郷町)の小作農民の家に生まれる。県立横手中学校(現:秋田県立横手高等学校)で教師を務めていた石坂洋次郎 に、国語・作文・修身を教わった。1932年に東京外国語学校(現:東京外国語大学)西語部文科(文学)に入学。親の仕送りで学生生活を続けることが難しくなったので、1学年を終わったところで外務省の書記生になろうとしたが「満18歳では若すぎる」との理由で願書は却下された。
松本 一(まつもと はじめ、1915年(大正4年)1月2日 … 松本 一(まつもと はじめ、1915年(大正4年)1月2日 - 1998年(平成10年)1月16日)は、日本の政治家。第27・28代岡山市長。岡山県岡山市出身。 岡山市に生まれる。1933年岡山県第二中学校(現在の岡山県立岡山操山中学校・高等学校)卒業。1944年勲六等瑞宝章を受章。1947年上道郡幡多村助役。1951年同村長。1954年幡多村は岡山市に編入。翌1955年岡山市議会議員に当選。以後、市議を6期務め、副議長、議長に就任。1975年第40代全国市議会議長会会長、就実学園理事長に就任する。1977年紺綬褒章を受章。 1983年5月市長選にて初当選し、第27代岡山市長に就任。日本下水道協会会長 岡山市体育協会会長を務める。
吉田 雅夫(よしだ まさお、1915年1月2日 - 2003… 吉田 雅夫(よしだ まさお、1915年1月2日 - 2003年11月17日)は、日本のフルート奏者。北海道出身。本名︰吉田 正雄。NHK交響楽団首席奏者、東京藝術大学教授、日本フルート協会会長を務めた。演奏者、教育者として日本フルート界の発展に尽力し、多大な功績を残した。 幼少より音楽に強い興味を示し、15歳ではじめにピッコロを、間もなくフルートを始めた。中学校(旧制)卒業にあたって音楽学校へ進むことを親に反対され、慶應義塾大学法学部法律学科(フランス法)に入学。在学中はマンドリンクラブとワグネル・ソサイエティ・オーケストラに在籍した。大学で同姓同名の人物が3人おり、別人宛の月謝の督促状が届いたことに腹を立てて、以後「雅夫」を名乗るようになった。