峯尾 武男(みねお たけお、1940年11月2日 - )は、… 峯尾 武男(みねお たけお、1940年11月2日 - )は、NHKの元チーフアナウンサー。 東京都出身。東京都立西高等学校、東京外国語大学卒業後、1964年入局。主に地方局を中心に勤務し、大阪局で役職定年を迎えた1997年4月から「関西発ラジオ深夜便」アンカーを担当。完全定年によりフリーとなってからも関西に残り、西橋正泰アンカーと交替で出演し続けた。 高齢となったことから、2010年3月12日放送をもって13年間の担当から卒業した。
獅山 向洋(ししやま こうよう、1940年(昭和15年)11… 獅山 向洋(ししやま こうよう、1940年(昭和15年)11月2日 - 2024年(令和6年)8月3日)は、日本の政治家、弁護士、検察官。滋賀県彦根市長(通算3期)、彦根市議会議員(通算4期)、聖泉大学・聖泉短期大学理事長を務めた。 滋賀県彦根市出身。彦根市立城西小学校、彦根市立西中学校、滋賀県立彦根東高等学校を経て、1964年3月、京都大学法学部卒業。司法試験に合格し、神戸地方検察庁検事を経て、1969年に弁護士登録した。日本弁護士連合会理事を務める。 1979年、彦根市議会議員選挙に立候補し、初当選する。1985年、彦根市長選挙に立候補したが、現職の井伊直愛に敗れ、落選する。1989年の市長選に再出馬し、10期目を目指していた井伊を下して当選した。
新川 二朗(しんかわ じろう、1939年11月2日 - 20… 新川 二朗(しんかわ じろう、1939年11月2日 - 2022年8月21日)は、日本の演歌歌手。 石川県羽咋郡志雄町(現在の宝達志水町)出身で、実家は商店街にあった小さな商店。 明るい性格のムードメーカーで、羽咋高校ではボクシング部に所属していた。 金沢ヘルスセンターで歌っているところを、村田英雄にスカウトされ、1962年にキングレコードから『君を慕いて』でデビュー。 1964年、『東京の灯(ひ)よ いつまでも』が年末までに50万枚を超える売上を記録。同年の「第15回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たす。当時では破格の400万円の年収を得ていた。 2020年にNiziUのメンバーとしてマヤが出場するまで、石川県出身者で唯一の紅白出場歌手であった。
吉野 浩行(よしの ひろゆき、1939年11月2日 - 20… 吉野 浩行(よしの ひろゆき、1939年11月2日 - 2022年4月1日)は、日本の実業家。自動車エンジニア。元本田技研工業代表取締役社長。福井県出身。 旧満洲国出身。第二次大戦後、両親の故郷である福井県に引き揚げる。その矢先に大地震が福井を襲い、幼少時の生活は大変苦労したという。その後、福井県乾徳高校(現在の福井県立福井商業高校)を卒業すると、一浪して東京大学工学部航空学科に入学。元プリンス自動車の常務で、後に日産自動車の専務になる中川良一(中島飛行機出身)の講義を受け、航空学を学ぶ。将来は三菱重工か川崎重工に就職するつもりだったというが、学生時代に参加した軽飛行機の設計コンテストのスポンサーだったホンダを訪問したのを機に、卒業後1963年4月に本田技研工業に入社した。
小島 良平(こじま りょうへい、1939年11月2日 - 2… 小島 良平(こじま りょうへい、1939年11月2日 - 2009年12月17日 )は日本のグラフィックデザイナー。 東京アートディレクターズクラブ会員、日本グラフィックデザイン協会会員、ニューヨークアートディレクターズクラブ会員、東京タイプディレクターズクラブ会員。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
いその・えいたろう(1939年11月2日- )は、日本の性愛… いその・えいたろう(1939年11月2日- )は、日本の性愛評論家。 東京府東京市(現東京都墨田区)生まれ。本名:山口栄一。関東高校中退、緑ヶ丘音楽舞踊学校卒。幾多の職業を経て25歳で文筆業に就く。主に性産業を旗艦テーマに、スポーツ紙、週刊誌、雑誌等に寄稿を続ける。一方で日本テレビ「11PM」のコーディネーター兼レポーターとして18年間関わる。「いそのえいたろう」とナカグロのない表記もある。
幸田 優(こうだ まさる、1938年11月2日 - 1995… 幸田 優(こうだ まさる、1938年11月2日 - 1995年6月9日)は、東京都品川区出身のプロ野球選手(投手)。 荏原高校時代にカーブの使い手として注目され、3年夏は都大会ベスト8。 慶応義塾大学へ進学する予定だったが家庭の事情もあって断念し、1957年に大洋ホエールズに入団すると、2年目の1959年には4完封で7勝(防御率2.86)を挙げ先発陣の一角として名乗りを挙げる。 翌1960年には、秋山登のアクシデントもあり開幕投手に抜擢されるが、3-4と惜敗。そのまま波に乗れなかったのか2勝にとどまる。 1962年の春キャンプで頭部に打球を受け骨折。これが原因で同年2試合で1イニング投げたのみで引退した。
乾 浩明(いぬい ひろあき、1938年〈昭和13年〉11月2… 乾 浩明(いぬい ひろあき、1938年〈昭和13年〉11月2日 - )は、日本のフリーアナウンサー、ナレーター、実業家。奈良県北葛城郡王寺町在住。
新海 英行(しんかい ひでゆき、1938年11月2日 - 2… 新海 英行(しんかい ひでゆき、1938年11月2日 - 2024年3月6日)は、日本の教育学者。教育学博士。名古屋大学名誉教授。 愛知県半田市生まれ。阿久比町出身。1962年名古屋大学教育学部卒、中部鋼鈑に勤務、1967年大学院に入り、1972年同博士課程満期退学。2001年「現代ドイツ民衆教育史研究 ヴァイマル期民衆大学の成立と展開」で、教育学博士の学位を取得。 香川大学教育学部講師、1976年名古屋大学教育学部助教授、教授、2002年定年退官、名誉教授、2002年愛知学院大学総合政策学部教授、2008年名古屋柳城短期大学学長となる。2016年退任。 2024年3月6日に腎不全のため死去。85歳没。
小林 達雄(こばやし たつお、1937年11月2日 - 20… 小林 達雄(こばやし たつお、1937年11月2日 - 2025年8月22日)は、日本の考古学者。國學院大學文学部名誉教授。新潟県立歴史博物館名誉館長。 1937年、新潟県長岡市生まれ。新潟県立長岡高等学校を卒業。その後、國學院大學文学部で学び、國學院大學大学院博士課程満期退学。 東京都教育庁文化課に入り、文化庁文化財調査官に転任。1978年に調査官を退任し、國學院大學文学部助教授に就いた。1985年に教授昇格。1994年、学位論文『縄文土器の研究』を國學院大學に提出して博士号を取得。2008年に國學院大學を定年退任し、名誉教授となった。2023年、アメリカ芸術科学アカデミーの会員に選出された。
笠木 透(かさぎ とおる、1937年11月2日 - 2014… 笠木 透(かさぎ とおる、1937年11月2日 - 2014年12月22日)は、岐阜県恵那市生まれの日本のフォークシンガー。 1937年11月2日、岐阜県恵那郡岩村町(現・恵那市)に生まれる。岐阜大学卒業後、教員、出版社勤務を経てフリーのフォークシンガーに。1969年から1971年の3回にわたり中津川労音の事務局長として中津川フォークジャンボリーの企画・運営に携わる。 その後、フィールド・フォークを提唱し、テレビ出演などのマスメディアにほとんど頼らない活動を続けて、小さな町や村など全国津々浦々でコンサートを行っていた。1971年、「我夢土下座」(カムトゲザ、COME TOGETHER)を結成。1985年、坂庭省悟、安達元彦、進藤了彦、赤木一孝らと「フォークス」を結成(後に松崎博彦が参加)し、リーダーをつとめる。
花ヶ前 盛明(はながさき もりあき、1937年〈昭和12年〉… 花ヶ前 盛明(はながさき もりあき、1937年〈昭和12年〉11月2日 - )は、日本の歴史学者、郷土史学者、宮司。元高等学校教諭。 新潟県直江津市(現:上越市)出身。 新潟県立直江津高等学校を経て國學院大學文学部卒業。國學院大學大学院修士課程(日本史学専攻)修了。 越後一の宮居多神社宮司(第44代)。 元新潟県立安塚高等学校、新潟県立柿崎高等学校教諭、新潟県立直江津高等学校教諭。 新潟県文化財保護指導委員、上越市文化財調査審議会委員、上越郷土研究会会長、新潟出版文化賞選考委員などを務める。 大谷吉継や上杉氏に関する著書がある。 2010年(平成22年)、地域文化功労者文部科学大臣賞受賞。
渡邉 守邦(わたなべ もりくに、1937年11月2日 - 2… 渡邉 守邦(わたなべ もりくに、1937年11月2日 - 2022年11月24日)は、日本の国文学者。専門は日本近世文学。実践女子大学名誉教授。 1961年、東京教育大学文学部国語国文学専攻卒業。1967年、同大学大学院博士課程日本文学専攻単位取得退学。1967年、大妻女子大学専任講師、1970年、同助教授。1977年、国文学研究資料館助教授、1984年、同教授。1989年、国文学資料館を退職、同名誉教授、実践女子大学教授。2007年、実践女子大学を定年退職、名誉教授。
馬渕 晴子(まぶち はるこ、1936年〈昭和11年〉11月2… 馬渕 晴子(まぶち はるこ、1936年〈昭和11年〉11月2日 - 2012年〈平成24年〉10月3日)は、日本の女優。東京都出身。身長159cm、体重40kg。夫は井上孝雄(1994年死別)。次男は陶芸家の井上恵介。本名は井上明子(いのうえ はるこ)。 東京都立明正高等学校(現・東京都立芦花高等学校)在学中に日活にスカウトされ、1954年『女人の館』でスクリーンデビュー。1957年、NHK専属女優となり、小林千登勢・冨士眞奈美と「NHK3人娘」と呼ばれて人気を博す。 1960年に俳優の井上孝雄と結婚したことで一時芸能界を離れるが、1966年の『記念樹』で復帰する。 日本人女優として初めてヌードグラビアを披露しており、『アサヒカメラ』誌上での見事なヌードは話題を呼んだ。
久野 恒一 (くの こういち、1936年〈昭和11年〉11月… 久野 恒一 (くの こういち、1936年〈昭和11年〉11月2日 - 2002年〈平成14年〉10月17日)は、日本の政治家、医師。参議院議員(1期)、厚生労働大臣政務官を務めた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
赤保谷 明正(あかぼや はるまさ、1936年11月2日-)は… 赤保谷 明正(あかぼや はるまさ、1936年11月2日-)は、日本農業機械化協会元会長。現在は日本馬事協会会長。 東京大学卒業後[要出典]、農林水産省に入省。農林水産省畜産局長などを経て、2006年の日本農業機械化協会第48回通常総会において、日本農業機械化協会会長に選任された。 ほかに、財団法人日本食肉流通センター理事長、小笠原諸島振興開発審議会委員、BSE対策団体連絡会議会員、農林水産省家畜防疫に関する研究会委員、社団法人日本馬事協会会長理事などの要職を歴任している。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
水落 潔(みずおち きよし、1936年11月2日 - )は、… 水落 潔(みずおち きよし、1936年11月2日 - )は、日本の古典演劇評論家、桜美林大学名誉教授、元毎日新聞記者。 大阪生まれ。1961年、早稲田大学第一文学部演劇科卒業。1962年、毎日新聞社に入り、学芸部副部長を経て編集委員。1970年以来、同紙歌舞伎・文楽評を担当。のち客員編集委員、1991年『上方歌舞伎』で芸術選奨新人賞受賞。1996年、毎日新聞社を退社。2000年、桜美林大学教授。2001年より古典演劇界の重鎮として近松賞選考委員などを務める。2007年、桜美林大学名誉教授。
中本 幸一(なかもと こういち、1936年〈昭和11年〉11… 中本 幸一(なかもと こういち、1936年〈昭和11年〉11月2日 - 2012年〈平成24年〉5月10日)は、日本の政治家。元奈良県生駒市長(3期)。 現在の奈良県生駒市で生まれる。1958年〈昭和33年〉近畿大学短期大学部卒。1967年〈昭和42年〉に30歳で生駒市議会議員に当選。5期務める。1987年〈昭和62年〉に奈良県議会議員を2期務める。2期途中の1994年〈平成6年〉生駒市長選挙に立候補し、当選する。1998年〈平成10年〉に再選。2002年〈平成14年〉に三選。3期務め、2006年〈平成18年〉弁護士の山下真に敗れた。2007年〈平成19年〉に市の公園用地売買を巡り加重収賄と背任の容疑で大阪地方検察庁に逮捕された。
工藤 直子 (くどう なおこ、1935年(昭和10年)11月… 工藤 直子 (くどう なおこ、1935年(昭和10年)11月2日 - )は、日本の詩人、童話作家、翻訳家。 1935年(昭和10年)台湾台南州東石郡朴子街(現在の嘉義県朴子市)に生まれる。 1959年(昭和34年)お茶の水女子大学文教育学部中国文学科卒業後、博報堂に入社し女性初のコピーライターとなる。 1963年(昭和38年)博報堂退社、フリーとなる。 1964年(昭和39年)吉原幸子、吉行理恵、新藤凉子、山本道子、村松英子、山口洋子、渋沢道子ら同世代の女性詩人8人のぐるーぷ・ゔぇが(VEGA)に参加。1965年の詩誌『ゔぇが』第4号まで詩・童話を掲載。 1983年(昭和58年)『てつがくのライオン』で日本児童文学者協会新人賞、1985年(昭和60年)『ともだちは海のにおい』で産経児童出版文化賞、1990年(平成2年)『ともだちは緑のにおい』で芸術選奨新人賞、2004年(平成16年)巖谷小波文芸賞受賞。
生田 滋(いくた しげる、1935年11月2日 - 2024… 生田 滋(いくた しげる、1935年11月2日 - 2024年1月17日)は、日本の東南アジア史研究者。大東文化大学名誉教授。専門は、前近代の東南アジア史、大航海時代史、古琉球史。旧満洲国・ハルビン市生まれ。 1959年、東京大学文学部東洋史学科を卒業。1961年、同大学院人文科学研究科修士課程(東洋史専攻)を修了。同年、財団法人東洋文庫入職。同文庫附置ユネスコ東アジア文化研究センター研究員、同調査資料室長を経て、1986年から大東文化大学国際関係学部国際文化学科教授。2006年3月、同大を定年退職。同年から同大名誉教授。 2024年1月17日午前6時、病気療養中のところ東京都内の病院で死去、満88歳没。
成宮 明光(なるみや あきみつ、1935年11月2日 - 2… 成宮 明光(なるみや あきみつ、1935年11月2日 - 2007年11月10日)は、日本中央競馬会・中山競馬場→美浦トレーニングセンター北に所属していた元調教師、有限会社明成牧場の元代表者である。神奈川県出身。 牧場経営を志し、高校卒業後すぐに青森県へ移住。現地の牧場主から獣医師の資格を取得するよう勧められ、日本獣医畜産大学へ入学。獣医師免許を取得した後の1959年、日本中央競馬会の獣医師を兼務する形で中山・杉浦照厩舎所属の厩務員となり、後に調教助手となった。 1964年、調教師免許を取得する。28歳4か月での調教師免許取得は最年少記録であり、獣医師・大学卒業者としても初の調教師となった。1965年、中山競馬場で厩舎を開業。
日下部 禧代子(くさかべ きよこ、1935年11月2日 - … 日下部 禧代子(くさかべ きよこ、1935年11月2日 - )は、日本の政治家。世界連邦運動協会理事長。元社会民主党の参議院議員(2期)。 神奈川県出身。福岡女子大学文学部英米文学科卒業後、中学校非常勤講師を経てロンドン大学政治経済学部で福祉行政を専攻。1966年(昭和41年)に同大学を卒業。日本女子大学、淑徳短期大学などの講師を務める。 1989年(平成元年)の第15回参議院議員通常選挙で比例区に日本社会党から立候補して当選。1995年の第17回参議院議員通常選挙比例区(1位)再選。1996年、第1次橋本内閣で文部政務次官就任。同年、社会民主党参議院議員会長。98年1月から2000年2月まで社会民主党副党首。
長谷川 義明(はせがわ よしあき、1934年(昭和9年)11… 長谷川 義明(はせがわ よしあき、1934年(昭和9年)11月2日 - )は、日本の政治家。元新潟県新潟市長(3期、第28代~第30代)。現在は特定非営利活動法人愛郷会理事長、全国良寛会会長を務める。
美田 長彦(みた おさひこ、1933年(昭和8年)11月2日… 美田 長彦(みた おさひこ、1933年(昭和8年)11月2日 - )は、日本の政治家。元埼玉県三郷市長(第7代 – 第9代)。旭日中綬章受章。 埼玉県三郷市出身。東京都立小石川高等学校(現・東京都立小石川中等教育学校)を経て、学習院大学政経学部卒。卒業後は埼玉県庁に入り、1975年、埼玉県議会議員(自由民主党)に当選する。県議を5期務め、1994年、三郷市長に当選する。市長を3期務め、2006年の市長選挙では、元三郷市議会議員で前市長の実子である木津雅晟に敗れた。このほか三郷市国際交流協会会長、住みよい三郷をつくる会の代表を務めた。
池田 明良(いけだ あきら、1933年11月2日 - 200… 池田 明良(いけだ あきら、1933年11月2日 - 2009年12月31日)は、日本のバリトン歌手、合唱指揮者。
笠井 寛司(かさい かんじ、1933年11月2日 - 200… 笠井 寛司(かさい かんじ、1933年11月2日 - 2002年2月2日)は日本の女性器学者、産婦人科医。元滋賀医科大学助教授。 京都市左京区岡崎生まれ。京都大学医学部薬学科を経て、1961年(昭和36年)医学科を卒業。1966年に京都大学大学院医学研究科博士課程修了。1968年に医学博士号を取得。1969年より日本バプテスト病院産婦人科に勤務。その後、1976年に滋賀医科大学助教授となる。組織内分泌学の研究と解剖学的体型要素を分析した。女性のセックス(女性問題)と女性器研究と女性の性行動に実態調査を行った。 1990年から第10回日本性科学学会の学会長を務めた。組織内分泌学の研究と、生物学・老化・医学・哲学・ジェンダーの観点から女性の性器研究、男性経験など性行動の実態調査、女性器とは何かの性問題などを追及した。
三上 隆雄(みかみ たかお、1933年11月2日-)は、日本… 三上 隆雄(みかみ たかお、1933年11月2日-)は、日本の政治家。参議院議員(1期)、青森県議会議員(3期)、相馬村議(5期)を務めた。 青森県中津軽郡相馬村のリンゴ農家出身。青森県立弘前高等学校中退。1971年、相馬村議会議員、同議長を経て、1989年の第15回参議院議員通常選挙青森県選挙区で、反核燃料を掲げ無所属で立候補し現職の松尾官平を破り、初当選。1995年の第17回参議院議員通常選挙で落選。1999年の青森県議会議員選挙弘前選挙区に出馬し、初当選。以後3期務める。2008年、民主党会派に入る。2009年の第45回衆議院議員総選挙で青森4区の津島恭一の選対本部長を務める。2011年4月、民主党公認で立候補した青森県議会議員選挙で落選。
棟居 進(むねすえ すすむ、1932年11月2日 - 202… 棟居 進(むねすえ すすむ、1932年11月2日 - 2024年12月19日)は、神奈川県出身で、1950年代に読売ジャイアンツと広島カープに在籍したプロ野球選手である。現役時代のポジションは、捕手。 逗子開成高校を卒業後、1952年に読売ジャイアンツへ入団。プロ入り4年目の1955年に公式戦初出場を果たすも、広田順・藤尾茂の壁に阻まれてあまり出番に恵まれなかった。 1957年オフに広島カープへ移籍。翌1958年に自己最多の30試合に出場し、プロ初打点も記録したが、若い田中尊の台頭もあって在籍僅か1年で引退した。
立石 孝雄(たていし たかお、1932年11月2日 - 19… 立石 孝雄(たていし たかお、1932年11月2日 - 1995年11月22日)は、日本の経営者。立石電機(現在のオムロン)社長を務めた。愛知県名古屋市出身。創業者の立石一真の長男 1956年に京都大学工学部電気工学科を卒業し、同年に立石電機(現在のオムロン)に入社。1959年9月に取締役に就任し、1960年9月に常務を経て、1962年9月に副社長に就任し、1979年6月には社長に昇格。温厚な人柄とバランス感覚が優れていることで知られており、多角化と国際化を推進し、経営基盤を固めた。1987年6月に会長に就任。1995年4月から京都商工会議所副会頭、1995年5月から関西経済連合会副会長を務めた。
冨士谷 あつ子(ふじたに あつこ、1932年(昭和7年)11… 冨士谷 あつ子(ふじたに あつこ、1932年(昭和7年)11月2日 - )は、日本の評論家。京都文化創生機構理事長、日本ジェンダー学会前会長。 京都市出身。本名は鈴木あつ子。評論家、日本ペンクラブ名誉会員。 京都大学農学部卒。1996年京都大学より博士(農学)の学位を取得。1970年から「京のおんな大学」を主宰。これを改組・改称し特定非営利団体京都生涯教育研究所、所長・副理事長を務めた。現在は京都文化創生機構理事長を務める。 1977年、京都国際文化協会を在洛文化人らと設立(のち財団法人。2012年まで副理事長)。この法人を基盤として日本女性学研究会を有志と設立し、日本女性学会の設立も提言(幹事就任)。
小森 光生(こもり みつお、1931年11月2日 - )は、… 小森 光生(こもり みつお、1931年11月2日 - )は、長野県松本市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者。
三枝孝榮(さえぐさ こうえい、1930年11月2日 - 20… 三枝孝榮(さえぐさ こうえい、1930年11月2日 - 2021年5月11日)は、日本の演出家、番組制作者、音楽家、舞踊評論家。 九代目岩井半四郎の養女の福の子女である日本舞踊岩井流宗家の五代目岩井紫若を妻とし、実業家でプロデューサーの三枝孝臣は長男。 慶應義塾大学経済学部を1952年(昭和27年)に卒業後、NHKに入社した。1963年(昭和38年)にNHKを退職、1964年(昭和39年)に東京12チャンネル(テレビ東京)の開局に伴い移籍した。後にテレビ東京常務、制作社長を歴任する。 1996年(平成8年)に松竹の子会社として設立された伝統文化放送の初代代表取締役社長に就任し、歌舞伎チャンネルの運営を行った。
荒井 岱志(あらい たいし、1930年11月2日 - 200… 荒井 岱志(あらい たいし、1930年11月2日 - 2009年12月14日)は日本の映画監督。テレビの時代劇を主に活動した。 大阪府大阪市此花区出身。子供の頃は映画よりもスポーツが好きな少年だった。甲子園球場に阪神・巨人戦を観に行った時に甲子園で映画の撮影が行われており、現場にいた映画プロデューサーの杉山茂樹に付いて行って鶴田浩二、笠智衆らにサインをもらって、後日その御礼状を杉山の元に送ったら、当時京都市左京区下加茂にあった松竹京都撮影所に招待され、これが映画界との縁となった。 1949年に立命館大学文学部日本文学科を卒業、1953年に京都映画に入社。最初は録音部に配属。しかし録音の仕事は向いてないと杉山に言ったところ、助監督の仕事を勧められて助監督に転身。
鳴海 日出夫(なるみ ひでお、1929年(昭和4年)11月2… 鳴海 日出夫(なるみ ひでお、1929年(昭和4年)11月2日 - 2016年)は、昭和期の歌手。 新潟県高田市(現上越市)出身。幼くして、父親の仕事の関係で中国へ渡る。敗戦後、引き揚げ旧制高田中学へ入学。1948年(昭和23年)、中学卒業後、かつてから親交のあった作曲家田村しげるの勧めで、NHKのど自慢素人音楽会に出場し合格。全国大会にチャレンジし、第4回NHK全国のど自慢大会で「白い花の咲く頃」を歌い2位、翌年の1952年(昭和27年)3月、「山のけむり」を歌い優勝。同年コロムビアに入社。恩師田村しげるが作曲した「島は国境の彼方へ」でデビュー。 1954年(昭和29年)、「東京の恋唄」のヒットにより、コロムビアの人気歌手の仲間入りを果たす。
村田 良平(むらた りょうへい、1929年(昭和4年)11月… 村田 良平(むらた りょうへい、1929年(昭和4年)11月2日 - 2010年(平成22年)3月18日)は、日本の外交官。外務事務次官、駐アメリカ合衆国大使、駐ドイツ連邦共和国大使などを歴任した。退官後、日米核持ち込み問題について、日米核密約の存在を実名で証言した。 京都府出身。旧制桃山中学校、旧制第三高等学校を経て、京都大学法学部卒業後、1952年(昭和27年)外務省入省。 ドイツ語研修、在ドイツ連邦大使館、経済局欧州課、在オーストリア大使館などを経て、経済局国際機関第二課長、在アメリカ合衆国日本大使館参事官、条約局参事官、中近東アフリカ局長、駐アラブ首長国連邦大使、駐オーストリア大使、経済局長、外務審議官(政務担当)、外務事務次官を歴任。
久野 浩平(ひさの こうへい、1929年11月2日 - 20… 久野 浩平(ひさの こうへい、1929年11月2日 - 2010年1月1日)は、日本のテレビドラマおよびラジオドラマの演出家、ディレクター。福岡県北九州市出身。 九州大学卒業後、ラジオ九州(現:RKB毎日放送)に入社し、ラジオドラマのディレクターとして活躍。『魚と走る時』などを担当した。また、『中村一郎』で、劇作家として駆け出しだった寺山修司を見出した人物でもある。 その後、テレビドラマでも活躍し、特に「東芝日曜劇場」や「近鉄金曜劇場」など、TBS系列に全国放送されたRKB制作の単発ドラマを数多く演出。『死ぬほど逢いたい』、『ひとりっ子』(放送中止)、『山ほととぎす ほしいまま』、『海より深き』、『目撃者』といったテレビ創生期の名作を生み出した。
佐藤 三夫(さとう みつお、1929年11月2日 - )は、… 佐藤 三夫(さとう みつお、1929年11月2日 - )は、ルネッサンスの研究者、詩人、千葉大学名誉教授。 神奈川県生まれ。1954年東京教育大学哲学科卒、61年同大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。1973-74年ローマ大学文学哲学部に学び、1984-85年パドヴァ大学文学哲学部に学ぶ。1977年「ユマニストとデカルトの時代における世界観形成の基本問題」で東京教育大学文学博士。1966年流通経済大学講師、67年助教授、72年教授、1983年千葉大学教育学部教授。95年定年退官、名誉教授。 『世界史』の受験参考書を書いている佐藤三夫は、ほぼ同年だが小石川高校の教諭を長く務めた別人である。
斉藤 孝(さいとう たかし、1928年11月2日 - 201… 斉藤 孝(さいとう たかし、1928年11月2日 - 2011年1月28日 )は、日本の歴史学者、国際政治学者。学習院大学名誉教授。専門は、国際政治史。社会学博士(東京大学、1967年)。東京生まれ。長男の哲郎は大東文化大学教授。
大西 茂(おおにし しげる、1928年〈昭和3年〉11月2日… 大西 茂(おおにし しげる、1928年〈昭和3年〉11月2日 - 1994年〈平成6年〉12月2日)は、日本の視覚芸術家、数学者。視覚芸術とは、絵画や写真、彫刻等を通じて、視覚的に表現する芸術である。 大西は、第二次世界大戦後の1950年(昭和25年)に写真家として芸術活動を始め、徐々に抽象的な墨絵に転向し、写真を基にした作品や抽象的な墨絵を作成した。彼の作品は、日本の伝統的な墨を使った画法で、墨はすすや油、動物の接着剤で作らている。また、様々な写真・現像技術に精通しており、多重露光やブラシやスポンジを使った現像処理、フィルムの処理、温度を利用した色調操作等、様々な手法を駆使して視覚芸術作品を制作した。
森山 信吾(もりやま しんご、1926年11月2日 - 19… 森山 信吾(もりやま しんご、1926年11月2日 - 1987年12月9日)は、日本の通産官僚、経営者。資源エネルギー庁長官、第二電電初代社長を務めた。 鹿児島県出身。曽於郡有明町(志布志市)生まれ。1945年第七高等学校造士館文科卒業。1948年に京都大学法学部を卒業し、同年に通商産業省に入省。 中小企業庁、福岡通産局石炭部炭政課長、重工業局、1962年ジェトロサンフランシスコセンター、1966年貿易局輸出課長、1967年経済企画庁開発計画課長、1969年ジェトロバンコクセンター所長、1972年通商局政策課長、1973年通商政策局経済協力部長、1974年機械情報産業局次長、1975年資源エネルギー庁次長、1976年貿易局長、1977年機械情報産業局長、1979年資源エネルギー庁長官を経て1983年6月に退官し、京セラ副社長に就任。
渡 仲三(わたり なかぞう、1926年〈大正15年〉11月2… 渡 仲三(わたり なかぞう、1926年〈大正15年〉11月2日 - 2018年〈平成30年〉2月15日)は、日本の解剖学者、性科学者、名古屋市立大学名誉教授。医学博士。 群馬県吾妻郡岩島村矢倉(現・東吾妻町)の農家に生まれる。岩島高等小学校を卒業後、群馬師範学校に入学し、群馬大学学芸学部から医学部に転部し1955年卒業。1960年同大学院博士課程を修了。 1960年群馬大学助手、1961年同講師。1963年から1965年までハーバード大学・ニューヨーク州立大学に留学する。1966年群馬大学内分泌研究所助教授。1969年名古屋市立大学医学部教授。1979年日本臨床電子顕微鏡学会賞を受賞。 日本解剖学会、日本電子顕微鏡学会、日本臨床電子顕微鏡学会所属。
吉村 司郎(よしむら しろう、1926年11月2日 - 20… 吉村 司郎(よしむら しろう、1926年11月2日 - 2013年4月29日)は、日本の経営者。服部セイコー(現在のセイコーグループ)社長を務めた。 東京都出身。1948年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に服部時計店(現在のセイコーグループ)に入社。。1975年5月に取締役に就任し、1977年6月に常務、1981年8月に専務、1987年7月に副社長を経て、同年9月に社長に就任。1991年6月に副会長に就任し、1993年6月に取締役を経て、1995年6月から相談役を務めた。 2013年4月29日敗血症のために死去。86歳没。
田丸謙二(たまる けんじ、1923年11月2日 - )は、日… 田丸謙二(たまる けんじ、1923年11月2日 - )は、日本の化学者、理学博士。専門は触媒化学および表面化学。父はフリッツ・ハーバーに師事し、東京工業大学や学術振興会の設立にも携わった田丸節郎。教え子に環境工学を専門とし文化功労者に選ばれた中西準子がいる。
青木 宗也(あおき そうや、1923年11月2日 - 199… 青木 宗也(あおき そうや、1923年11月2日 - 1995年11月18日)は、日本の法学者(労働法)。法学博士(法政大学・論文博士・1960年)(学位論文「労働条件の労働法学的研究」)。法政大学名誉教授。法政大学元総長。正四位勲二等旭日重光章。 1923年11月2日、愛知県生まれ。1947年、法政大学法学部法律学科を卒業。法政大学大学院社会科学研究科修士課程修了、同博士課程単位取得満期退学。1960年、「労働条件の労働法学的研究」で法政大学より法学博士の学位を取得。同法学部助教授、教授を務めた。 1979年4月の東京都知事選挙では、社会党・共産党推薦の太田薫の確認母体「明るい革新都政をつくる会」の代表を務めた。
秋谷 豊(あきや ゆたか、1922年11月2日 - 2008… 秋谷 豊(あきや ゆたか、1922年11月2日 - 2008年11月18日)は、日本の詩人。詩誌「地球」の創刊者。埼玉文化功労賞受賞者。 埼玉県生まれ。日大三商-日本大学予科中退。堀辰雄や立原道造に影響され詩作を開始する。元日本現代詩人会会長。詩集「砂漠のミイラ」(日本詩人クラブ賞)、「時代の明け方」(丸山薫賞)など。登山家で山や旅の著作も多い。日本現代詩人会議会長、埼玉詩人会会長、世界詩人会議日本大会会長。浦和区元町の自宅は秋谷豊資料室となっている。
梶原 清(かじわら きよし、1921年11月2日 - 201… 梶原 清(かじわら きよし、1921年11月2日 - 2012年2月9日)は、日本の政治家、運輸官僚。参議院議員(2期)。 民主党前衆議院議員の梶原康弘は息子。 兵庫県出身。京都帝国大学法学部卒業。1950年、運輸省に入省する。1978年に自動車局長などを歴任。1979年に退官し、1980年の第12回参議院議員通常選挙に自由民主党から立候補し初当選。1992年に引退し、日本自動車ターミナル代表取締役社長に就任。2000年秋の叙勲で、勲二等旭日重光章受章。 2012年2月9日、肺炎のため東京都の病院で死去、90歳。死没日をもって正四位に叙される。
本田 富雄(ほんだ とみお、1921年11月2日 - 201… 本田 富雄(ほんだ とみお、1921年11月2日 - 2012年7月18日)は、日本の政治家。安田町議、安田町議会副議長、安田町長(10期)、阿賀野市長(1期)を歴任した。 1921年11月2日、新潟県北蒲原郡安田町(現阿賀野市)に生まれる。1940年に旅順工科大学臨時附属技術員養成所鉱山科卒業した。卒業後、満州鉱業開発に入社した。1944年に応召され敗戦時は陸軍少尉だった。1955年、安田町議会議員に初当選した。1957年、安田町議会副議長に就任した。1961年、安田町助役に就任した。1967年5月、安田町長に就任した。1999年4月25日の町長選挙で新人を破って、9選を果たした。2003年4月27日の町長選挙で新人を破って、10選を果たした。
佐藤 智義雄(さとう ちぎお、1920年(大正9年)11月2… 佐藤 智義雄(さとう ちぎお、1920年(大正9年)11月2日 - 2003年(平成15年)3月11日 )は、日本の銀行家、実業家。七十七銀行頭取を務めた。 宮城県仙台市出身。1942年に大倉高等商業学校を卒業。 1946年、七十七銀行に入行。経理部主計課長、企画部企画課長兼調査課長、総務部次長兼総務課長等を歴任。1967年10月に取締役に選任、1969年3月に東京支店長兼東京事務所長委嘱、1970年3月に常務、1982年4月に専務を経て、1987年4月に頭取に就任。1991年6月に会長に退き、1995年6月からは相談役を務めた。 2003年3月11日、心不全のために死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
徳大寺 公英(とくだいじ きんひで、1919年(大正8年)1… 徳大寺 公英(とくだいじ きんひで、1919年(大正8年)11月2日 - 没年不詳)は、日本の美術評論家。旧公爵・徳大寺家32代当主。戸籍上の表記は德大寺。 徳大寺実厚の長男。母は松平直之の娘・米子。子に徳大寺実啓。東京府東京市(現:東京都)出身。 1945年東京帝国大学法学部政治学科卒。学習院大学講師、ブリヂストン美術館嘱託。 美術評論家。「原色版美術ライブラリー(世界美術)」(みすず書房)第18巻解説を執筆。 文芸春秋1968年4月号(46巻4号)に「藤田嗣治--その愛の履歴」を執筆するなど、美術評論を多数執筆する。 武蔵野美術大学名誉教授の藤枝晃雄は、徳大寺公英が中野に住んでいた頃、「美術だけではなくて、いろいろなものを若いときから勉強しなさい」と言われたことを記憶していると述べた。
飯田 毅(いいだ たけし、1918年<大正7年>11月2日 … 飯田 毅(いいだ たけし、1918年<大正7年>11月2日 - 1989年<平成元年>12月6日)は、昭和時代の政治家。千葉県東葛飾郡鎌ヶ谷町第2代町長、鎌ケ谷市初代市長。位階は従五位。 1918年11月2日、千葉県東葛飾郡鎌ヶ谷村(現:鎌ケ谷市)中沢に飯田粲・いゐ夫妻の長男として生まれる。旧制東葛飾中学校卒業後、盛岡高等農林学校(現:岩手大学農学部)に進学し1939年(昭和14年)に卒業。1947年(昭和22年)4月、鎌ヶ谷村議会議員に就任し、以後鎌ヶ谷町議会議員・社会教育委員を務めた。 1967年(昭和42年)5月、鎌ヶ谷町長に初当選した。その後市制施行による初代市長就任を経て1983年(昭和58年)4月まで連続4期16年間にわたり首長を務めた。